1部. マルコ4:33〜41 / 信仰がないのは、どうしたことです

<序論> あまりに力がなくて、死にそうになれば、祈る考えも出てこないだろう。恐らくそうなる。今日、本文の弟子もそのような状況に出会うようになった。その時に、覚えるべきことがある。まさしく信仰だ。もちろん、社会生活をする時には、頭が客観的、合理的でなければならない。成功した人を見ると、そうでない人はいない。しかし、下手すると、自分も知らないうちに合理性という陰に隠れて、信仰と反対になる事をすることがあり、神様がなさる重要なことをのがすことがある。それで、信仰と不信仰は、途方もない差があるのだ。

1. イエス様と共にいた弟子の不信仰
(1)キリストであるイエス様とともにいながらも、信仰がなかった弟子達
@ 救われる信仰 - イエス様がだれかという質問に対する答
A イエスがキリストであることが、本当に確認できたのか?
B イエス・キリストの名前で、すべての問題が解決するという確信があるか?
(2)個人が会った問題の解決(39〜41)
@ 神様であり、神の息子であられるキリストが、人のからだで来られた
A その方ならば、風も波も静めることができること
B それなら、あらゆる神様の民は不信仰を捨てよう
C 私が12坪からいままで来ながら、不信仰に勝つことに苦闘した
D おもに学校に通いながら、勉強だけ良くした人々が、信仰がないのに
E パリサイ人と初代教会の聖徒のあいだの戦いは、まさに信仰と行為の戦い
F パリサイ人は、生き方が誤っていたのではなく、霊的な信仰がなかった
(3)人生を過ごしながら暴風に会うのに
@ 知識でできるだろうか? 律法で解決すると思うか?
A ところが、その船にイエス様がいらっしゃった
B それなら、イエスが本当に誰なのか、その答がなければならない
C 神様はキリストを送られたのに、何故、知らずにいるのか?

2. 普段の時に本当に覚えているべきこと
(1)神様の力は創造主 - この目で問題を解釈できるべき
@ 光を照らされる方、できないことがない
A 私たちに良い条件があるならば、本当に福音運動ができるだろうか?
B 荒野を行く中に良いことだけがあるならば、カナンに入っていくだろうか?
C それで、何なくそのままカナンに引っ張っていかれた
D それで、出来事、事件を解釈する時、信仰で解釈しなければならない
E 信仰の結果は、ものすごい - アブラハム、イシュマエル
(2)信仰の目で、人と事件を見ることができるべき
@ 神様は創造主の神様であることは間違いないのに、私がどのようにその方と共にいるのか?
A その答がまさにキリスト! - この目で人、事件を見ることができるべき
B 普段の時、信仰で見る訓練ができていなければならない.
C ワールドカップで韓国の勝利、連勝を見ながら - 多くの考えが必要
. 指導部で決定した通り、監督がロボットのように動く弊害を撤廃
(3)この船に誰が乗っていらっしゃるのか?
@ キリストであられるイエスが、この船に乗っていらっしゃる.
A その方によって、風も波も静めることができる
B この方が、いったい誰なのか、質問するということは、知らずにいるということ
C 教会に長く通った方、神学者であるほど、この霊的知識に対して無知
D バルテマイ、中風になった召使いがいた百人隊長、長血の女の信仰

3. 信仰
(1)人生の問題解決のために、キリストを送られたのを何故信じないのか?
(2)あらゆる問題の解決者であるキリストが、私たちとともにおられるのに、なにを心配するのか?
(3)信仰の結果
@ 私と私の子供の霊的問題は完全に解決
A そのような信徒が集まった教会は、世界を福音化するようになっている.
B 霊的な力が回復すれば、霊的な戦争で勝つことができる.
C それで、キリストがともにいらっしゃると言われた。

祈りの課題 : 私の船に乗っておられ、暴風に勝たれたキリスト、その御名を賛美します