1部. マルコ8:1〜10 / 四千人を食べさせられたキリスト

<序論>
目には見えないけれど、お互いに大なり、小なりややもすると、誤解が生じやすい。今日の本文も 2,000年前の事であるが、今日の文化で見れば、分かりにくい。真理は同じだけれど、文化と背景は違うためだ。
1. 相手の立場と文化を見ながら話さなければならない
(1) 話す時も、仕事をする時も、相手方の立場を考慮すべき
@ 親が子供の立場で対話すれば、多くの誤解が解ける
A 聖書を見る時も、イエス様が誰で、当時の状況がどうかを知っているべき
B 単に徹夜するのではなく、聖書と教会史の意味を知っているべき
C 意味を発見できる時、霊肉ともにいやされる
(2) 4福音でのいやし - 単純にいやされたということか?
@ すべての人は、誰でも創世記3章(原罪)に引っかかっている
A 精神方向で、肉体の病気で、生活でそれぞれ表れるだけ
B お金、名誉、みなありながらも、なにか崩れるような人もある
C ある人は、そのような問題が生まれてから徐々に現れることも
D そうしながら、キリストに会えば、福音がわかる瞬間に解放される
E その権威は、私たちを掌握できないだけで、救われた者にも攻撃
F それならば、問題を持っている人を見る私たちの目も変わるべき
(3) 祈る時、必ず参考にすべきこと
@ 過去、未来を共に考えて、今日の現在の状況を解釈すべき
A ある人は、受け入れる瞬間に肉体の問題が直ちに解決する人も
B ずーっと信仰生活をしながら、いやされる人も
C 家族をイエスを信じるようにして、呼ばれて昇天する人も

2. 4千人を食べてさせて余った事件
(1) この奇跡は今でも起きるのか?
@ 神様の契約の進行方向と反対になる時
A 伝道運動が、真に起きなければならないのに反対の時
B 神様の計画と時代的状況に差が出る時
(2) どのように、この奇跡がおきたのか?
@ 現実は不可能な状況(2, 3節)
A その場にいらっしゃった主人がキリスト
. ナインの町の未亡人の死んだ一人息子を生かされた創造主その方がキリスト
. キリストの秘密を知る時、私にこういう奇跡が同じように起きる
B 足りないけれど、信仰の人々(5節) - キリストを信じる時、力が現れる
. ノアはその信仰を箱舟を作る行動に直ちに移す
. 紅海に入っていく時、ヨルダンに足を踏み入れる時
. 初代教会の聖徒が、命をかけて行動に移す時

3. 3種類で充満すれば、私たちもこういう奇跡を体験
(1) 三位一体の神様で充満すべき
@ 神様の主権とみことばで
A 本当にキリストで
B 聖霊で
(2) 実際の祈りで充満すべき
@ 肉体の病気? - よくなる、ならないは神様の時刻表。聖霊充満すれば..
A 祈りがずっと連結する、それがすなわち聖霊充満
B 祈らない人は、聖霊充満がなにかを知らない人
C 一日に何度かでも神様を見上げよう
D 祈りが連結しないと、愚痴、誤った判断、誤解が生じることも
(3) 全てのものには限界がある - 聖霊充満には限界がない
@ 癌よりより怖いことは、まさに不信仰
A 不信仰は必ずその実が出てくる
B 勉強をよくした人であるほど、成功した人であるほど、不信仰にだまされやすい
C 体質的に不信仰になる人は、より注意すべき
D 意志が強い、それ自体が心配になることがあるという点を記憶
E これらすべてのものをみな解決すること - 聖霊充満を受けよう!
F あらゆる分野で

祈りの課題 : 相手方の立場を考慮することができる、最も正常な聖霊充満を悟るようにしてくださって感謝