1部. マルコ9:23〜29 / 美しい家庭

<序論> '帰郷'、殺害された夫婦、大邱の惨事、離散家族の検索、青少年の家庭、障害者がいる家庭 - 平凡な家庭

 本論は、悪霊につかれて話もできない子どもが癒される場面(マルコ9:25)だ。'どうして私の家には、このようなことが起きるのか? 他の家には、このようなことが起きないのに、私の家だけなぜこうなのか?' このように考えやすいのだけれど、そのような考えが間違った考えだ。なぜか?重要な事実を知らないでいるためだ。

1. マルコ9:23〜29
 救われることができなくて、救いの秘密を知らないすべての人は、全く同じ問題があるが、それが現れる方向と結果が違うだけ。
(1)表に出なくて現れたり、表に出ながら現れることもある
(2)表に出ない人は、内心で困難にあう
(3)根本原因 - はじめから(創世記3章事件から) / 惑わした者が別にいる
@ アダムの家庭から既に始まったのである
A サタンに誘惑われて、罪を犯すことはアダムが行った
B その時から今まで、すべての人類は滅している
(4)気落ちすることも、高慢にもなるな - この二つは同じ根から出てきたこと
@ 人がそれぞれ違うように、霊的問題も違うように現れる
A ある人は経済問題で、家庭問題で、子どもの問題で等
B 単純な博愛主義式の次元の奉仕は、結局、霊的問題をもたらす
C 人間がやられる根本問題は、まさに霊的問題 - ローマ3:23; 6:23

2. この問題が解決された家庭が美しい家庭だ
(1)創世記1:27〜28, 霊的問題が解決される救いの家庭が、美しい家庭
(2)出エジプト20:3〜5, 子孫代々で滅びない、福音を受けた神様の子どもの家庭が美しい家庭
(3)使徒16:15, 31(ここから遠ざかるほど、あまりにも肉体的な家庭観)
(4)美しい家庭 - 救いの'味'を見た(パウロのように - ピリピ3章) 家庭
@ 創世記3:15がわかった家庭が美しい家庭
A 創世記6:14が悟った家庭が美しい家庭
B 出エジプト3:18, '犠牲のいけにえ'を発見した家庭が美しい家庭
C 申6:4〜9; 使徒16:15; 使徒10:45の家庭が美しい家庭

3. 美しい家庭を作るための 7つの契約
(1)ヨセフ - 正しいヴィジョンを植えよう
@ 王の息子として生まれる瞬間、王子というヴィジョンがすぐに与えられる
A 神様の子どもになる瞬間、世界福音化という神様のヴィジョンをくださった
B それを成就していきさえすればよい
C 問題は恐れず、ヨセフのように、そこに挑戦しよう!
(2)モーセ - 目を開けよう
@ 世に対する目(勉強を熱心にしなければならない理由)
A 神様を知る目
B 使命の目
(3)サムエル - 祈り
@ 福音を持った者が本当に祈りに成功するならば - 信仰生活で成功
A 祈りを知らずに、しない、できないクリスチャンがどれくらい多いか?
B 考えの祈り、時間を定めた祈り、みことばを受けた祈り、現場の祈り
(4)ダビデ - 小さな人物のようにとどまっていず、トップに挑戦しよう
(5)エリシャ - みことば運動(牧師、宣教師の手本)
(6)パウロ - 伝道者(職業が何でも、時代的な伝道者になろう)
(7)完全性 - キリスト(この地で完全なことひとつ、キリスト!)
@ 福音を知ったなら、完全なことを知ったのである(ピリピ4:13).
A この発見が続く時、残ったすべての霊的問題はみな解決する

4. こういうことを知る時、真の感謝が出てくるようになる
(1)福音を知る前 - なにか重苦しい、不安、ゆううつ、ぐち、飢え渇き
(2)福音体験 : マルコ9:23
(3)祈り体験 : マルコ9:25; 使徒1:8

祈りの課題 : 霊的問題が何かを悟った美しい家庭が与えられて感謝