1部. ルカ 11:33〜36 / 私たちの中にある光
<序論> ある目が見えない長老の教え
目に見えない世界に、むしろ重要なことが多い(たましい、精神).
聖書には、一番初めに‘光’が出てくる(創世記1:2)。私たちは‘光’を宣べ伝えるために呼ばれた(Iペテロ2:9)。イエス様は、私達が‘世の光’だと言われた(マタイ5:14)。危機の中で、イザヤは‘起きよ。光を放て’と言った(イザヤ60:1-3)。パウロも、私たちを‘光の子ども’だと言った(エペソ5:8)。
先週を参考にしよう。罪の中で一番大きい罪は、福音を知らずにしるしを求めることだ。福音がない律法(教会に行かないと、また罰を受けるようだ... 十一献金を出さなければ、事業に失敗しないか? 父母を敬うことも、遺産ゆえに?)中に陥るために、しるしによって動くようになる。それで、私たちの現場、家庭に創造の光が臨まなければならない。
聖書の最も重要な秘密が、救いの秘密なのに、まさに‘光’が臨んだのである。‘光’が臨めば、暗やみが事業、家庭を離れるようになる。
* この光を一度だけ見るようになれば....
(1)聖書で光を見た人々 - ヨセフ、ダビデ、ダニエル、イザヤ、パウロ
(2)教会史で光を見た人々 - ルター(ローマ1:16〜17), カルヴィンなど
(3)人物の中で大きい人物 - 不滅の遺産を残した者、20世紀の人物たち
* 自分の現場で、この光を得た者は、あらゆる暗やみが家庭、産業から離れる。
<本論> どのように、イエス様が説明されたこの光の祝福を見ることができるのか?
1. 光と暗やみが何かをまず知るべき(燭台の上、下ではなく)
* 神様が光を下さったのに、イスラエルが知らずに生きてきた(33節)。主の栄光が臨んだので、隠さず使わなければならない(イザヤ60:1-3)。誰でもあかりをつけたら、燭台の上に置く。ところが、私たちはその光を隠している(33節)。
(1)暗やみは、私達が犯していない原罪だ
@ 原罪 (創世記3章 - 原罪、 6章 - ネフィリム、 11章 - 社会)
A 未信者状態 - 世の中の状態
B 結果 ? どんどん人生が難しくなる.
C 社会、国家、世界 ? どんどん問題
* 原因さえ分からないので、誤った診断を反復して、より難しくなる.
(2)光を捕まえる瞬間、暗やみは離れる
@ 創世記1:3 A 創世記3:15 B 創世記6:14 C 出エジプト3:18(奇跡)
D イザヤ7:14; 60:1-3 E ヨハネ1:11; マタイ16:16 F マタイ5:13-16; Iペテロ2:9
* この光を与えたのに、私達がこれを隠しておいた。宗教の混乱から抜け出して、福音を握りなさい。光を探せ!ではなく、なぜ光を隠すのか? 既にきているのに、なぜ知らないのか? このみことばだ。
2. 霊的な目を開かれよう(目が暗くなれば、すべてのからだが暗い -34節)
(1)目が暗くなれば....
@ 肉の目が暗くなれば、全てのものが障害物.
A 知識の目が暗くなれば、あらゆる生活が苦しみ
B 霊的な目が暗くなれば、みな持っても、持っただけ失敗する
(2)教会を攻撃した暗闇の勢力(宗教生活するようになれば)
@ 創世記3:5 家庭教会のアダム、エバの家庭を攻撃
A 創世記4章 礼拝をささげるカインを攻撃
B 創世記6章 ノアの家庭教会を攻撃
C 信仰生活に一番熱心だったパリサイ人を攻撃
D 正統中の正統、中世教会が福音を防止した.
E 霊的な目を開けないで、光を見ることができなければ、どんどん困難にあうようになる.
(3)レムナントを攻撃した暗闇の勢力
@ キリストを送られたので、光は既にきている.
A 光ではなく、他の道に行っているのを元に戻そう
3. 暗やみを解決する道はひとつしかない - 光
(1)信じなさい(ヨハネ1:12, ローマ5:8, ヨハネ5:24, ローマ10:9-10) = 受け入れなさい.
(2)受け入れ(ヨハネ1:12) = ローマ5:8; ヨハネ5:24; ヨハネ1:12; ローマ10:9〜10
(3)光が臨むので、全身が明るくなるために、病気も癒される
結論: 私たちの中にある光を体験しよう
(1)福音を捕まえて、人生の転換点にしよう.(サンダーシング、ウォルターテロビッシュ「私はあなたと結婚した」の例話)
(2)平安を味わう方法を知っているべき(感謝、祈り) - 福音を知る前、無能だったが、福音を知った後、福音を味わうのに適した方法になる
(3)時代的挑戦が何かを知っているべき (生き方)
(祈り)既に私の中にある光を、正しく体験して、悟るようにさせてください。