週間メッセージの流れ ((2013.09.15.-09.21.)
(1)聖日1部(9月15日)→ 石に打たれて死んだパウロ(使14:19-28)  
▲大きい困難、くやしいこと、死の危機の前でも問題の本質を見られる知恵と信仰をくださったことを感謝します。大きい困難の中にある神様の大きい計画を発見して、一度の人生、ただ福音を伝える機会になりますように。なぜ不幸と困難が来るしかないのか、明らかな理由を知って、災いと大きい苦しみを防ぐように、ただ福音を伝えるようにさせてください。これから生きている殉教者の信仰を持って、死の問題も跳び越える、ただ弟子を探して立てますように。本質的なことを回復して、大きい祝福の人になるようにさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

(2)聖日2部(9月15日)→ 福音を福音として味わうなら、すべての問題が解決されます(使15:1-11)
▲福音を福音として、みことばをみことばとして、伝道を伝道として味わいながら、祈りの答えを受ける証人になるようにさせてくださったことを感謝します。まず、自分自身に、イエスをサタンを打ちこわされたキリストとして、イエス・キリストを私の主として、祈りで聖霊の働きを味わいイエス・キリストが私のキリストなりますように。現場で私を越える異なる世界を見て、生活の中で定刻祈りを味わいながら、契約の旅程が始まりますように。他の人に神様の証拠をあたえる祝福の証人になりますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

(3)伝道企画チーム(9月15日)→ 地域(区域)教材37課:成長のための教会教育(マタイ28:19-20)
▲使徒の働きには大きく3つの祝福が入っている。マルコの屋上の間で始まった根本的祝福(使徒1:3、1:14,2:1-47、ローマ16章)、ペテロを中心にした伝道の祝福(地教会),パウロを中心でした宣教の祝福が何かを説明している。
@すべての国の人々に行きなさい-行って弟子を見つけて、三位一体に対して教えなさい。
Aバプテスマを授け-教会化,教育、さらに重要なのは聖霊のバプテスマだ。
Bすべてのことを教えて守るようにしなさい-キリストがなさったすべてのことを教えなさい。今まであったこと、今あることと、これから起きることを教えなさい。そして答えを受けるようにさせなさい。
C結論-私がこれを実際にどのように見つけ出すべきなのか。祈りながら悩んでみなさい。

(4)地域(区域)教材(9月21日)→ 確信ある信仰と心の復興(ヘブル10:22-25)


聖日1講:「倒れたダビデの幕屋を建て直す」(使15:12-18)
*序論
▲地球上とイスラエルになぜしばしば困難が来るのか。教会が正確な福音を分かるようにさせなかったためだ。それでは、どのようにするべきなのか。ダビデの崩れた幕屋をまたたてるということは、何の話なのか。福音の証拠を私たちが握らなければならないということだ。
1.福音の中にあるまことの私を発見しなければならない。
▲福音だけ見つけるのではない。福音のなかで私を捜し出さなければならない。神様が願う道を行かなければならない。
(1)レムナント7人、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセは遅く見つけた。ヨセフ、ダビデははやめに見つけた。
(2)神様が願われることを分からなければならない。
2.福音のなかでまことの生活を捜し出しなさい。
(1)ダビデの幼い時期(詩78:70-72)
▲ダビデは幼いとき、すでに多くの本を読んだ。人生が成り立つことができる重要なことを捜し出さなければならない。どれほど多く読んだのか、幼い時にすでに文章が出てきて、賛美が出てきて、幼いとき、その国で一番有名な羊飼いになった。
(2)青少年の時期(Iサムエル16:13、Iサムエル17:1-47)
▲ゴリヤテに会う前に、すでに王なることを分かっていた。この日以後に、主の霊が大きく臨むのだ。そうした後にゴリヤテに会ったのだ。一発で倒した。
(3)青年の時期(詩5:3、詩17:3、詩23:1-6)
▲困難がずっときたが、その時に国を生かす準備をすべてしたのだ(詩5:3朝、詩17:3夜、詩23:1-6主は私の羊飼い)
(4)王の時期(I歴代29:10-14)
▲王になって一番最初にしたのが神殿の準備だ。
3.福音の中にある未来を捜し出しなさい
(1)Iサムエル16:13、この日以降に-主の霊が大きく臨んだのだ。
(2)Iサムエル17:1-47、ダビデは王になることを知って、ゴリヤテの前に堂々と出て行った。全世界に主が神様であることを証明する。
(3)なぜ神殿を作ったのか。全世界にそれで主を説明するのだ。次世代に対する教育だ。
▲福音のなかで私を見つけたことを救いと言う。福音のなかで私の生活を見つけたことを伝道と言う。福音のなかで私の未来を見たことを宣教と言う。
4.結論-世の中で霊的な私を見なさい
(1)Iサムエル16:13、その日以降に主の霊が臨むのだ。
(2)Iサムエル16:23、サウルについた悪霊が。。。ダビデが霊の目を開いたということだ。
(3)詩103:20-22、御使いの働き、ダビデが言った言葉だ。
▲最後の機会だ。この契約を握らなければならない。みなさんがなぜ答えを受けなければならないのか。なぜレムナントを育てなければならないのか。レムナントがなぜ力を得なければならないのか。ユダヤ人を生かさなければならない。彼らが地の果てだ。霊的な理由を知らずに死んでいく彼らに福音を伝えるのが地の果てだ。今日、本当に理由を知って福音を握れば答えの門が開く。大きい祝福の門、霊的な門が開くことをイエス様の御名で祈ります


聖日2講:「律法主義から解放されるためには」(使15:19-21)
*序論
▲どのようにすれば答えを受けて、またなぜ答えを受けられないか分からなければならない。信仰生活するのに最も重要なことは、必要なことをしなければならない。私たちが信仰生活をするのに本当に神様が必要とすることを捜し出せば、答えを受けるようになっている。
(1)律法-律法と律法主義は違う。律法は神様のみことばだ。罪人であることを悟るようになって、救いが必要であることを知るようになって、ここで福音を悟る。
(2)律法主義-しかし、律法主義は律法でもなくて、福音でもない。自分勝手に作った法だ。これが全世界に広がっている。ここから解放させるのが最も重要なことだ。
▲今日、みなさんが必ず握らなければならない必要な恵みだ。
1.神様が永遠に唯一の必要のことを私たちに与えられた。
▲この契約を握ってここに献身すれば答えがくる。
(1)創世記3:15、女の子孫が蛇の頭を踏み砕くこれを握った人がヨセフだ。ヨセフを助けた人々は時代的な答えを受けた。ヨセフが行く道には世の中がかなわない答えがきた。みなさんが本当に宣教師を助けたとすれば、最も重要なことをしたのだ。
(2)出3:18、これをわかった人がモーセだ。神様が用いられるしかない。
(3)イザヤ7:14、インマヌエル。今でもイザヤのみことばは成就している。
(4)マタイ16:16、絶対にほろびることができないペテロだ。
(5)ローマ1:16-17、パウロ
▲みなさんが福音運動に何が必要なのか、それだけ捜し出せば良い。
2.律法主義に縛られている人を解放させる献身
(1)律法主義に縛られて死んでいく個人と家系がある。
▲創世記3章、創世記6章、創世記11章だ。彼らを解放させることに参加したみなさんが最も祝福を受けた人々だ。
(2)何も知らずに陥って死んでいく世の中の人々がいる-使徒13章、使徒16章、使徒19章
(3)今でも全世界がどうなっているのか
▲民族、理念、思想という律法主義をすべて持っている。そこから抜け出さなければならない(使徒15:19)。これを見たパウロはローマも見なければならない(使徒19:21)、イスパニヤに行かなければならない(ローマ15:23)。全世界に起きている問題が何かを分かった。時代の重要なことを見たのだ。
3.神様が計画を持っておられる
(1)私に対する計画
(2)教会に対する計画
(3)私たちの現場に対する計画を持っておられる。
▲現場に重要なことを見たことだ。こういうことを見つけて祈れば良い。
4.結論
▲レムナントは神様が備えておかれた私のこと、私の道、私の目標を見つけ出しなさい。みなさんに必ずこの三つがある。今日、宣教献身礼拝をささげる方は、神様が最も必要とされる所に私の物質が使われるように祈りなさい。それが伝道と宣教だ。もう安らかな中で24時の中に入りなさい。


地域(区域)教材:確信ある信仰と心の復興(ヘブル10:22-25)
▲確信はイエス・キリストの本体とその約束と成就に対し確実に信じる本質的な信仰です。クリスチャンが罪の赦しの恵みを受けて、たましいが救われたことを確信するのは、信仰生活において真に重要なことです。まことの意味の教会復興は、まさにこのような確信の基礎から始まります。
1.新生の確信
▲本文22節に「心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われた」というみことばは、神様のみことばで私たちの信仰と人格がきよめられることを言ったのです。「心に血の注ぎを受けて」とは、旧約時代の祭司が血を注ぐことによってきよめられたことをのを連想させます。(出29:21、レビ8:30)旧約時代の祭司と同じように、新しい契約に参加したクリスチャンがキリストの血によって良心が全てきよくなって、神様の前に自由に進めるようになりました。ここできよめられたということは、聖霊による新生と悔い改めによって起きることです。したがって「からだをきよい水で洗われたので」とは、キリストの血によって成就した内的きよさを現わす外的な表徴である洗礼を示したと見ます。キリストの福音を聞いてまことの悔い改めとともに受け入れた神様の子どもは、その信仰のあかしとして洗礼を受けるようになります。教会の正会員になろうとするなら、必ず洗礼教会信徒になるべきですが、洗礼者に与えられる法的位置のために、ある人たちは誤った動機で洗礼を受ける場合もあります。しかし、このようなことは決して望ましいことではありません。洗礼は必ず生まれ変わった人、悔い改めた人に与えなければならない儀式です。ここでまことに重要なのは、新生の確信を持つことです。主はニゴデモに新生の必要性を強調されましたが、新しく生まれなければ神の国に入ることができないためです。新生の洗いと聖霊の新しくしてくださることによってのみ、私たちは神様の民になるのです。
2.動揺がない確信
▲本文22節の後半に「全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」と言われています。このみことばで真心とは、自分がまことに罪人であるという自覚で、偽りない悔い改めをすることを言います。「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。」(Iヨハネ1:8)キリストの血によって内的なきよめを経験して、洗礼を通してきよい良心で神様に向かって告白をしたクリスチャンは、キリストの血で力を受けて、神様に大胆に進めるのですが、神様に進める条件は2つです。
(1)真心です。
▲これは神様が新しい契約の下で自分の民に「新しい心」を創造してくださるという約束を思い起こさせます。このような約束はキリストの犠牲のいけにえを通して神様の新しい民に成就して、神様の新しい民であるクリスチャンの汚れた良心はキリストの血によってきよくなりました。
(2)正常な信仰です。
▲これはキリストのあがないの働きによって創造されたことでキリストに対する信頼性と確実性を示します。クリスチャンは、私たちの大祭司で、私たちが大胆に神様の前に進めるようにしてくださったキリストだけを信頼して頼るべきです。まことに正常な信仰には、動揺がない確信があります。それゆえ、神様に進もうとする人は、神様を中心に生きる人で、神様に対する正しい態度を持った人です。
3.確信の根拠
▲本文23節に見ると「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」と言われています。ここで「動揺しないで、しっかりと希望を告白」というのは「私たちが告白する希望」という意味です。クリスチャンは、神様がキリストの大祭司的行為によって約束された終末論的救いをすべて成就されることを疑わず、確信の中でながめなければならず、このみことばのように、私たちは信仰と希望を持っていなければなりません。世の中の人の嘲弄や非難に信仰が揺れてはなりません。物質主義と黄金万能主義、教権主義に心を寄せてもならず、ただ神様のみことばを握ってイエス中心の信仰で出て行かなければなりません。
▲数字遊び、物量的な祝福観、人間中心の信仰になってはいけません。それはまことの復興ということができません。ただイエス様を見て進みましょう。