2004年10月26日(ソウルイエウォン教会) 70人要員


岩の上にたてた信仰
(マタイの福音書7:24-27)


 
聖書みことば(マタイの福音書7:24-27)
24/だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
25/雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
26/また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
27/雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。
 
→序論
▲岩の上に建てた家と言われています。“岩の上に建てた家” 70人、特に、地域教会運動をする方が銘記して聞きましょう。岩の上に建てた家があって、砂の上に建てた家があります。私達が知っているとおり、岩の上に建てるべきで、砂の上に建てれば崩れます。これが何の話なのか理解しましょう。大部分の教会の牧師が、教会は多様性がなければならないと思っています。もちろん、多様な知識、配慮がなければなりません。多様にしなければならないことが失敗です。福音を聞いて分かるように見られるのですが、ほとんど根をおろせずにいます。自分自ら、なぜだめなのか知りません。先週、1部礼拝の時、説教で話をしたのですが、米国で長く暮らした人間が、交通事故がおきたら、目を開くやいなや英語を忘れてしまったのです。無意識の間に、ほとんど知らずにいます。日本に40年住んだので、日本人だと思っていたのに、年をとると韓国語しか分からなくなったのです。それなら何が先に入ったか? 何を根をおろすのが、とても重要です。その人は、多様性を知らない人です。教会だけは、それではありません。福音を正しくなるようにして、根をおろしてあげなければならないのです。それで、すべての問題解決です。ところで、教会がしてくれないのです。知らないので、してくれません。これで、がんばれば良いと思って、砂の上の家になるのです。
(1)岩、砂
▲24節を見れば、「だから」とありますが、前に話をしたので、話が出てきたのです。15節をみましょう。中には略奪するものでいっぱいだと。一言で分かるでしょう。
(2)福音でない運動
▲これが砂の上に作った家です。福音を持って見れば、やさしい話なのに、そうでなければ難しいのです。牧師は、現場のことを感知しなければなりません。そうでなければ、説教をするのが難しいのです。説教になりません。そして、タラッパンではないのです。タラッパンは、福音を悟ろうとする運動です。ある牧師が、クワンナル中央大学を出ました。社会運動をすべてしていました。デモをしたということです。初めて聞いたということです。福音を初めて聞いたということです。テープを一つもらったということでした。福音の説教を聞いたのです。時間が過ぎたら、今、実が出るのに、考えれば考えるほど正しいということです。4年ぶりに韓国に出てきて、自分にテープを伝えた人を探してきたのです。タラッパンより良い方法があります。このように話しました。福音が方法でしょうか? 福音ならば終わりです。方法を探そうとすれば、世の中に出て行かなければなりません。ハーバード戦略が、世界を動かすのですが、それをなぜ教会がするのでしょうか? 福音が方法なのでしょうか? その人が、それでも核心には参加したということです。方法の中の一つだから哀れです。理解します。福音の根をおろさなければ、方法に過ぎません。単純で無知な方法なのでしょうか? 生きられずに死にそうだということに、私の財産をみな捨てて死にそうだというのに、砂の上にたてた家、世界教会がなぜ揺れるのでしょうか? 砂の上に家を建てたのです。私たちは無意識に入ったことがたくさんあります。私たちが知っている知識、知らずにいる知識が多いのです。その知識を持ってしたら失敗します。この頃、たくさん強調をしているのですが、子どもたちの中にある傷がなくなりません。福音の根をおろさない以上、事に出会ったら、無意識の内に、他のことをしています。こういう部分に神経を使わなければなりません。下手すると、砂の上の家がなります。さっと見れば15節を見れば、羊のように見えます。にせ預言者たちに気をつけなさい。中は略奪するのです。なぜ世界教会がよくならないのでしょうか? もがくのです。それで、教会の成長研究など、あらゆることをします。よく作って、上手く行って、下がないから崩れるのです。上げてたてただけに、損害となります。岩の上に建てた教会は、前のことを抜いてしまえば、間違ったのを実践するでしょうか? パリサイ人の律法や、タルムードは実践をしないのが良いでしょう。詐欺師だと話されました。羊の服を来てくるが、略奪をするのです。福音でない運動をします。
(3)福音の上にたてた運動
▲岩の上に建てたということは、福音の上に建てた運動を言います。私たちの息子の中に、何で始まったのかが重要です。なにかがすべてです。それを意識して、教会学校をしなければならないのです。何をしなければならないのか、明らかに分かるのです。神様に栄光を帰して、簡単だということです。他の方式でしようとするから難しくなるのです。タラッパンが合わなくて、聖書が合いません。聖書に合わないから、聖書に合わないのです。それでは大変です。福音が合わないのです。違ったところにも、他のものはさせずに、強制的に福音を主張しようというような話ではありません。ただイエスで出て行けという言葉でもありません。皆さんの子どもと新しい人に、本当に福音を理解して、福音に変えて、福音の根をおろしてあげることが、指導者がすることです。
それで今日、皆さんが-
 
1.方法
▲地域教会運動の方法で、心の中に置かなければならないことがあります。
建築をする時、一番初めに鳥瞰図が出てきます。
@鳥瞰図-家をこのように作ろう。
先週の日曜日に、執事が釜山(プサン)インマヌエル教会をこのように作らなければなりません。建坪一万坪を持ってきました。お金は30億円くらいかかります。私たちは一生に、一度だけ作って終わらせよう。そのようにしてはいけません。5000名が宿泊できる宿舎を作らなければならないのです。そのような話をしました。
鳥瞰図が出てこなければなりません。すると、言う言葉が、このように作ろうという話でなくて鳥瞰図です。この土地が一万坪があれば、生活観教育館を入れる。建物を作れば、鳥瞰図が出てきます。
A設計図-設計図が出てきます。
設計がうまくいったのを選択するのです。これになられば、ここに合う
B建築主-建築主が出てくれば、その機能にしたがって
C施工者-施工者が進行されるのです。
私たちがみなしたら
D監理-監理が出てきます。
安全です。人が使っても良いのです。ここには問題がありません。監理が出てきます。
▲そのように見る時、皆さんが地域教会運動をする時に、何をおかなければならないのでしょうか?
いつでも-
(1)福音の背景をおかなければなりません。
▲あたかも設計を組む時、福音を持った設計が出てくるように、例をあげるなら、それです。
それでは、福音を持った者の企画が出てきます。伝道運動で話すから、福音を持ったことが出てきます。福音を持った者の判断と仕上げになります。
(2)鳥瞰図,設計図
▲そうだと見る時、福音をもった鳥瞰図(設計図)が最も重要です。地域教会をする時、一番重要なのは、やさしく例をあげてみます。
1)初代教会です。
初代教会は、イエス様が何であると話されたのでしょうか? マタイ10:23節です。弟子を探して、福音運動をして、福音運動して受けないなら他の場所に行きなさい。そうでなければ、イスラエルの国をみな回る前に、再臨するだろう。そうなれという言葉でなく、そのように例をあげられたのです。他の地域は、どのようにするのでしょうか? いる場が価値ないという話ではなくて、対象外という話ではありません。イスラエル全体を回って、世界を回りなさい。使徒19:10節に、みことば運動をしたのですが、神様のみことばを皆、聞きました。アジアに住む者は、皆聞いたのです。これがとても重要な言葉です。
2)ムーディー運動-やさしい例をあげてみれば、今まで、初代教会の次によく起きた運動が、ムーディー運動です。ムーディーを見れば、ヨーロッパ、米国全域を回りながら、弟子を探しました。
3)チャック・スミス-これを少し良くした人がチャック・スミスという人です。この人が、米国全域で弟子を探すのに専念したのです。2000ヶ所ぐらいしました。釜山(プサン)でペク・ヨンヒ牧師が、100ヶ所あまり、釜山(プサン)で弟子を探す作業をしました。その結果で、教会が大きくなったのです。
▲初代教会の聖書の中で、全体の鳥瞰図をはやく見るべきです。皆さんが、地域教会をする時、どの程度がんばるか? これを見てこそ、どの程度、弟子をたてるか? やさしい例で、韓国に大学が500個余りあります。それでは、大学の中に正しく福音を持った使命者が1人いるとすれば、500人がいます。それをはやく捜し出しましょう。この話を理解できないのです。この話をわかってこそ、神様と重要な計画がわかるのです。エルサレムからイスパニヤまで行く。三回、回る中で、これを探したのです。
鳥瞰図が出てこなければなりません。教会学校を引き受けました。教会学校対象全体をはやく把握しましょう。熱心にするのではなく、弟子をはやく捜し出すのです。正しく置いて祈りをしましょう。この部分を理解させることが、本当に大変です。この部分が、頭に正しく入ってこなければなりません。これになってこそ、その時から-
(3)5つの基礎
▲5つの基礎が出てくるのです。
どこに行ってもチームの働きをしなければならないな。背景がミッションホームをすれば良いだろう。専門教会をすれば良いだろう。あの地域は黄金の畑だな。こういう区分ができなければなりません。一般信者も、この部分を一つだけ捕まえれば、メッセージが分かります。この人たちを訓練をさせなければならないな。この部分が、出てくるべき永遠な弟子運動が起きなければならないから、5つのシステムが分かるのです。この部分になるべき5つの未来が見られます。誰でもできて、すぐみわざが起きるのです。区域を引き受けた人は、区域の中に重要な力を集中します。がんばるという言葉ではありません。
▲例をあげたら、釜山影島(プサンヨンド)に入って、一番初めにタラッパンをしたのではありません。一番主力を注いだのが、指導の中で黄金の畑がいくつなのか? 指導の中で、どの程度みことば運動を行えば、どの程度みことば運動ができるだろうか? 分析をしたのです。分析をして、最小限度、私が走れる所は何箇所です。残りは伝道師に任せました。必ず崩れても弟子1人が出てきます。その時から、これが始まるのです。タラッパン...
一つ一つ出てくるのです。合宿訓練も出てきて、みな出てきます。ここに来られる方々は、はじめてきた方ではありません。この部分をはやく見なければなりません。開拓教会をする方たちは、イエウォン教会の方法でせずに(2)番をしなければならないのです。この部分ができなくて、その次ができません。本当に答えを受けて、なぜこのようにしなければならないのでしょうか?
▲使徒13:48節を見ると、救われることに定まった人があちこちにいます。私たちは分からないのです。エゼキエル3:18-21節を見ると、義人でも、悪人でも、このみことばを聞けなければなりません。ほとんど、今、こういうものすごいのをのがしているのです。この部分を分かったら、見る視角が変わります。大学福音化をしなければならないのに、大学の中にいる弟子を探さなければならないな。この目をはやくあけなければなりません。やさしい例で、悪口を言うことですが、私が、私たちの教会を始める時、大きな働き人はいなくて、ペク・ウンギュでした。からからにかわいてきたのです。今は肉がたくさんついていますが、イ・ソンフンです。ペク・ウンギュを呼びました。この人が胸が通じたのです。福音、それは良い。あなたが伝道師になりなさい。私たちの教会で老いた執事が、普段の時、ウンギュに言うのに、どのように言ったでしょうか?‘今から公団に入りなさい。分かるのです。その次の聖日に、公団に就職しました。公団を生かそうとするなら、行ってみなければなりません。そこで、みわざが起きました。実が起きるから、実を捕まえて置くことができなかったのです。私のような他の弟子を生かしておいて、公団全体をみな回らなければなりません。普通、それがうまくいかないのです。それで、これが理解できれば、つかむことがなくなります。これが分かれば、かたまって通う必要がありません。畑がたくさんあるのです。すべての門が開けています。ほとんど、この部分を見ることができないのです。そのように回ったのですが、人がいません。神様の責任です。今は、道ができて、橋ができていますが、昔のなごりは一箇所はあります。それだけあれば、私が探して行くことができ、路地をよく分かります。それが何の話なのでしょうか? 中高等学校に皆行ったのです。ひとまず行きなさい。釜山(プサン)市内中高生、全部福音化をできません。突然、ムーディーのように泣いてすることができません。中高等学校に待っている弟子があるでしょう。その対象者が確かにいるでしょう。釜山市(プサン市)内を回ったのです。人が多くきて復興になるのが問題ではありません。表現できない何かがきました。表現できない何かがきたのです。実がないのに、私たちの中高等部が復興したのです。それだけ、畑がたくさんあるのです。思ったのが、今、信じる人が多いな。どうにもならなく、コピー機がなくて、紙に字を書いて、その時だけでもコピー機がありました。それを分けてあげました。しかし、子どもたちが持っていかないと思います。持っていく子がいるのです。高等学校1学年の子が紙を、一週に百枚ずつくれというのです。一個が2円50銭です。子どもが百枚持って、自分の知っている人を訪問したのです。その子が、ペチョン高等学校に通っていたのですが、後の山があるのに、勉強時間が講義を聞かないで、酒を飲んでけんかをする子がいたということです。1年のときです。その子たちに、挨拶して渡したのです。教会に通っているのか? 殴り倒されました。あなたも行きましょう。この子が、その次の週に、紙を持ってまた上がったのです。その子どもたちが、じっとしているでしょうか? その次に、顔がおかしくなりました。遊んでケガをしたと言いました。その次の日、また上がったのです。上がったら、その中の1人が呼んだということです。なぜ来るのか? そのように言う、その子が信徒です。その子が手助けしたということです。殴らないようにして、その時から読んでみたのです。その中で、教会に通わない子どもなのに、感動を受けて変化したのです。ペチョン高等学校の裏山が変わったのです。福音の力は、すごいのです。感動を受けたでしょう。ペチョン高等学校が変わりました。この子がすぐ2学、3年になります。その1人で、ペチョン高等学校全体に影響が及びました。クリスチャンの教師が尋ねたのです。なぜ尋ねたかというと、方法を分かろうと、紙を見せなさい。落書きのようでした。福音に立って持ってくるから、ペチョン高等学校中に福音を受ける人が備えられていたのです。中高等学校にぱっと広がったのです。
▲1千万弟子を探して、全世界が福音を聞くから、この作業をしましょう。地域教会する人々が、これをキャッチしなければなりません。いろいろ理解できます。働き人で、おかしな人がなぜ必要なのか? 答えが出てきます。
▲このようになれば表に現れます。
@暗闇-不思議に暗闇が崩れます。神様の力が現れたのです。そうでしょう。
A祝福-神様がどれくらい喜ばれるでしょうか“祝福”、皆さんは私を見る時、祝福を受けることができなかったと思っても、未信者がそれをなんで祝福かと話すでしょうが、私は途方もない祝福を受けたのです。これをするように、他の人に話をしなければならないな。それで、その火がつく中で5つのことが出てきたのです。どれくらい熱い胸を持ってしたところ、初期にどれだけ神様が働かれたでしょうか? 食事をしないほどでした。
感動的な映画を見たら、出てこないでいるでしょう。食事をしにも行かなかったのです。神様がとても働きをされるからです。良くない影響の中で、少しずつ発展してきました。一つだけ正しく理解すれば良いのです。神様がどれだけ祝福されるでしょうか? 私たちがしたのと全く関係がない、違ったところに働かれます。
B違ったところに働き-:違ったところに働かれるのです。
▲皆さんが単なる働き人にならずに、一地域を生かすという言葉ではありません。そのように考えれば、難しくなります。どのように、一地域を生かすのでしょうか? 神様が、私が住んでいる地域に救いを切なく待っている人がいるのです。その人に会うのです。それが70人要員の覚悟です。私たちがまぬけなのでしょうか? 行かないでいるということは、伝道をする段階があって、なるようになる段階があります。どれくらい胸が痛いことか分かりません。
▲中高等学校をみな回るべきだという考えをどのようにしたのでしょうか? 午後に座っているたら、女子学生2人が入ってきました。何かを尋ねたのです。統一教の集いをする所がどこなのか? どこからきたのか? 金海(キムヘ)からきた。誰かがくるというのできた。すばやく感じをつかんだのです。統一教が何をする所なのか分かるのか? 少しの間の話をしたら、完全に準備された子どもでした。事務室に座らせておいて、福音を話をしました。この子どもたちが、引き込まれるようでした。この子どもたちが、受け入れをして変化するのに賢い子どもでした。紙を渡しました。金海(キムヘ)高等学校を生かすためにきた。たくさんあるんだな。釜山(プサン)市内、慶尚南道(キョンサンナムド)全域にあるんだな。どれくらい心が焦ったのか、もし話さなければ、彼らの血の責任をあなたに問う。血の償いを、あなたの手に問うのではありません。21節に義人が悟らない時、信じようが、皆、聞かなければならないのです。私がしに行くのではなく、神様が準備されたその人を探すのです。もしその人が早く死んで、地獄にきたとします。あなたは、なぜ福音を聞くことができなかったのか? 一度も聞くことができなかった。どこに住んでいたのか? ソウル特別市江西区(カンソグ),登村洞(トゥンチョンドン),そのように出てくれば、イエウォン教会の責任です。イエウォン教会の牧師が誰か?
出てきなさい、なぜ伝えなかったのか? 柳光洙、出てきなさい、私はこの町に住んでいないので、直接責任がありません。そのような精神でしなければなりません。イエス様がマタイの福音書10章になさったみことばがその話です。
▲備えられた人がいるのです。使徒13:48節です。今夜に講義(地域教会)します。神様の考え、これを悟ったら、もう一つ悟るようになるものがあります。昨日ではないが、今日、定められた人がいるのです。ですから、毎日するのです。昨年まで違ったのですが、ひざまずく人がいます。教会学校をする人々、この心がなければなりません。それでいくつかに区分しなければならないのです。教会学校を引き受けた人は、2つのことだけ思えば良いのです。すべての子どもたちが、教会に来るのに、確かに傷を持っています。その子どもたちは、先に入ったものがあるのです。その子どもたちは、他のことが根をおろし始めたのです。この子どもたちを、直してあげるのです。福音は、ものすごいことだな。私の父、おじいさんイサク、アブラハムが持った契約を分かれば、創世記3章、6章の主人公を分かれば、太陽と月と星がお辞儀をするようになります。それで、傷はなくなるのです。そして、今、救いを得ることに考えなった対象者がたくさんいます。これを思って、伝道師をしなければならないのです。これを思わないで伝道師をすれば、無条件に零点です。背景、実力、葛藤、何の関係もありません。この部分にならない伝道師は、零点です。この部分が分からない人は、零点です。あある教区を引き受けました。2つの思想です。私が引き受けた区域に、昨日にはないが、今日、救われることに定められた者がいる。彼らに行って、いいかげんなことを話せというのではなくて、その人が始めた背景を変えてあげなければならないのです。合格した伝道師です。合格した牧師です。その以外は、零点です。無条件でも、出てくれば終わりです。砂の上に建てた家と同じです。皆さんが正しく福音を植えて出てくれば、岩の上に建てた家と同じです。洪水が来ても異常がありません。それで世界福音化になるのです。この部分を神様がご存知なので、すべての答えが開くのです。その話をしたのですが
 
2.用心しなければならない地域教会運動
▲用心しなければならない地域教会運動があります。用心しなければならない地域教会運動です。どの場合でも、教会の背景を離脱してはなりません。
(1)教会の背景を離脱するな。
▲パラ(para)の背景を離脱してはなりません。
(2)なぜ離脱するのでしょうか?
誤った動機があるからです。
(3)わかれなければ3つの結果になります。
1)力の分散
2)経済の分散
3)人材の分散
▲人材、経済が集まって、力が集まらなければならないのに、分散してしまいます。他の動機で、心はわれているためです。パラ教会(para church)も分かりません。今日、70人要員が胸に抱かなければならない、この重要な言葉です。70人要員が抱かなければなりません。
 
3.正しい地域教会運動
▲どんな観点ですれば、答えを受けるのでしょうか?
使徒10:38節に悪魔に制せられた者が解放されます。
(1)観点
▲使徒10:38,使徒13:48救われることに定められた者が、私たちの地域にいます。大学の中に定められた者が待っているのです。やさしいことなのか、難しいことなのか、やさしくて難しいではなくて、これが全てのものなのです。
▲使徒16:14節に見ると、主がルデヤの心を開かれたのです。
使徒13:1-12に見ると、総督を準備されました。救われることに準備をされていたのです。神様がルデヤだけ準備されたのでしょうか? 町中を乱れさせていたのに、その人にみわざが起きました。使徒19:8-20節に見ると、救われる人は定められています。この部分を胸に抱いた者が70人要員です。
(2)ルカ10:10-20イスラエル全体に救われることに定められた者がいます。
死、権力も防ぐことができない、救われることに定められた者がいるのです。その名前が神様の国の記録されたことで喜びなさい。70人要員が地域を生かさなければならない観点です。神様と通じる観点です。ものすごいみわざが起きます。疲れることもなくて、だめでもかまわないのです。キャンプをしたのですが、今日、原州(ウォンヂュ)の地域で定められた者、神様が今日、救されることに定められた者を私に与えられたんだなあ。
▲使徒8:26-40節です。人に会うようになりました。表情も見られて、この人に何の話から開始するのでしょうか?そのような雰囲気ではないこともあって、したくない時があります。今日、神様が救われるように定められた者と分からないのです。正確に話せば、今日、定められた者なのか分かりません。
▲一度は、2人の1室病院に横になっていました。色々な人がいるところがあります。4人がいる所もあります。2人の病室に横になっていました。その時、私の頭の中にこれが入ってきたのです。後に横になっている人が、救われる人とは分かりません。それで祈ろうとする時、この人を見たのです。この人の目に涙が溜まっていました。勇気がわいてきたのです。イエス様を救い主に信じませんか? 二言する必要なく、信じます。細かい言葉が必要ありません。イエス様を救い主として信じたいと言いました。人が病気になって見ると、人生が変わります。この方が、そこでイエス様を救い主として受け入れる祈りをともにしました。行った人が、一緒に祈ったのです。何が変わるのでしょうか? 1つ2つのことが変わるのではありません。二人は家族になったのです。それで終わるのでしょうか? 両家から面会に来ます。人が変わっているのです。その家族の人々が話をしたとします。突然、人が笑って、人が表現が違って、顔色が違うから、ひとりの考えがとても重要です。それで地域教会をたてたのです。商売する所でしょうか? 私の地域の中に、救われることに定められたた者が待っているのです。福音を正確に話すのでしょうか? しないのです。確かに話すのですが、しないのです。確かにスケジュールと行く歩みが変わります。キャンプが変わります。今日、私が行く道に、神様が何を備えられているのかが分からないのです。神様は、弱い者を備えられたことを分かりません。主の命令についてこの話をしに行くのです。実が出てもかまわなくて、出なくても良いのです。それは、昨日であって、今日ではないこともあります。福音を伝えたが、あの人が明日ならば聞けることもあります。昔に、おので一家族を殺した愚か者がいます。福音を言うと、唾を吐いていました。しかし、この牧師が最後まで訪ねて行ったのです。この牧師が感じたことがあるということです。正常ではなかったということです。牧師が嫌いです。説教が嫌いだという言葉ではありません。この人が、ずっと行かなければならないな。神様が備えておかれたのです。
福音の前に膝を崩しました。その人がこのように変わるから、この時に-
(3)復活メッセージ
▲この時、始めて復活メッセージが生き返るのです。天と地のすべての権威を与えられた。世の終わりまで...
その時、初めてすべての国の人々に行きなさい。わたしの名前で悪霊を追い出す。毒を飲んでも死なない。保護されるという言葉です。地の果てまで...
(4)昇天直前のメッセージ
▲遺言ではありません。地上で最後の話です。使徒1:8
(5)御座でくださったメッセージ(黙示2-3章)
▲御座からくださるメッセージがあります。
今でもともにおられます。星を手で捕まえて、燭台の間を通われます。すべての牧師を、右手で捕まえたのでしょうか? 神様はすべての牧師を捕まえているのでしょうか? とんでもない話です。福音運動をする人、福音を持った人の間に今でもおられるのです。私はそのように解釈します。それを右手でつかむ必要が何があるのでしょうか? 福音を伝える牧師、福音を持った牧師、確かにそうなっています。心配する必要もありません。これになる時、この時に私たちは
(6)真の教会運動、真の弟子、真の伝道
▲マルコのタラッパンに起きた運動、真の教会の姿です。神様が準備されてこそできるので、真の弟子、真の伝道、ずっと出てきます。ますます簡単になります。
この時に、3大要素が出てくるのです。
1)地域
2)教会-その中の一つは何でしょうか?
3)弟子-そこでの鍵が何でしょうか?
▲地域教会をする方は、概念を変えましょう。全く疲労でなくなります。そうでなければ疲れます。私がなぜこの学校に通うのか? この学校に通う間、弟子を探すのだ。神様が準備した弟子を探して、植えて入れて出てくるのだ。それですべてのことが終わりです。軍隊生活をするだけです。しかし、違うのです。私がなぜこの職場に通うのか? 神様が備えておかれた弟子を探す一般信者宣教師だ。私がこの地域に商売をするのか? なぜしているのか? この地域を生かす神様が備えておかれた弟子、弟子は生まれるのです。神様が備えられたのです。弟子は隠して置かれたのです。誰もができません。神様が備えておいて、福音を持った人に送られるのです。エチオピア宦官とピリポと偶然な出会いなのでしょうか? 未信者でも、人がした仕事ではないことをするでしょう。これが伝道です。こういう人を捜し出すのが地域教会です。先に立たなければならない人が70人要員です。この祝福を受けることを希望します。
▲共に、皆さんと共に、御座に座った主が皆さんと共に、常に皆さんとともにおられます。それも、御座で伝道者に約束された明らかな約束です。こうすれば、毎日、力が出ます。私はメッセージを書く時、前は始める時、早く書かなければならないのに疲れました。こういう考えをよくしたのです。何年か前までしました。今は、そうではありません。神様は、私に最も良いことで答えられるだろう。一度は、外国に行くのに文章を書きます。ところが、飛行機がとてもたくさん揺れたのです。その時、自分の考えで、これが必ず伝達しなければならない神様のみことばならば、神様が守られるだろうと思いました。御座で、いつも常に、私たちと一緒に、この祝福を受けなければなりません。
▲本当に地域を生かす、地域教会運動、教会を生かす献身運動があるようになることを、イエスの名前で祈ります。すべての動きをこのように置けば良いのです。
(The end)