2001年 09月 26日(東三第一教会)
一般信者宣教献身9月



信仰の限界
使徒1:8, 2:1-4, 2:16-21
 
 
→序論 :
▲私たちには限界があります。それで主があらかじめご存知であって、しかし聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受けます ... 地の果てまでわたしの証人になります。とおっしゃったのでした。
▲今日、個人、教会がぶつかるようになる限界の克服は、他のことではできません。ただ使徒1:8でだけ可能なのです。簡単に受けるのではなく、祝福のみことばとして受けるように願います。
柳) 李朝 500年間、私たちは限界を越えなかった反面、日本は世界を見通しながら、限界を越えたのでした。私たち民族が一度も他の国を侵略しなかったということは、良いことでも違うように、話せば無能だったということを証明することです。信仰生活も肉体的なことも祈りの答えを受けることも同じです。50人集まる教会、1000人集まる教会は、その主体の限界があるのです。その限界を乗り越えない以上、人が来ても離れます。川と海の場合を見ても、沿岸に大きい魚がくるのを見たことがありますか? 大きい魚は深い水で泳いでいるのです。お金を儲けることも同じ条件があります。お金をたくさん持っている人は、お金をもうけることができる条件があって、お金がない人はお金がないしかない条件があるのです。あまりにも神様の大きい祝福を受けた神様の人が、これを見ることができないならば、未信者にみな奪われるようになるはずです。神様は、私たちに途方もない祝福を下さいましたが、私達が限界を越えることができなくて、その祝福を味わうことができないのです。よく聞いてみれば、あらゆる面に適用になるはずです。限界だけを越えれば良いのです。
 
柳) 経済が付かない理由を定時祈りの時間に考えてみます。神様の時刻表ではないのではないか? 経済を持つと福音化にならないのか? 霊的にない人々とより親しいのです。経済人がきてイエスを信じることができる条件がだめになっていることではないか? 今日、何十年間復興出来ない教会 - そのようになるしかない限界 - これを乗り越えてこそ、越えることができるのです。経済も同じ - 準備ができれば、準備だけができれば、神様は当然に祝福なさるしかありません。
 
▲今日、いままで訓練を受けたことで答を捜し出さなければなりません。
 
1.いったいマルコのタラッパン教会は、どんな限界を越えることを神様は希望されたのか?
 
(1)パリサイ人 - 律法、宗教、人間中心主義に縛られたように、私たちも知らない間にこういう枠に縛られていることがあります。そこから神様が選び出されたのがマルコのタラッパン教会でした。今日、「こうなるしかない限界が私にあったんだなあ」と悟って、それを崩さなければならないな、と考えるだけでも神様は応答なさるはずです。イスラエルの民のエジプトでの奴隷根性、荒野根性を崩すために神様が紅海、ヨルダン、エリコに進められたのでした。それでこそ、カナンの地に入っていくことができるために ... 私たちは習うこともしなかったのに 律法が、パリサイ人の姿があります。早くなくさなければならないのです。律法では救いはありません。神様はなるとなさったのに、私はだめな自分の限界の中に陥っているんだな! 学生が勉強できなく、頭が悪いのは自分の限界にとどまっているんだな! 経済に勝てない誤ったバランスの中に陥っているんだな! と悟るだけでできるようになるのです。想像以上にここに縛られています。
 
@マタイ5-7章 イエス様が先ず一番にこの部分を悟りなさいと全部逆におっしゃられたのです。8つの幸いの話をなさりながら、パリサイ人の思想が前に座っている弟子にあることをおっしゃりながら、たたき壊されたのでした。主の祈りの最後に求めることもしないと言われながら、皆知っていると言われ、マタイ6:33 あなたがたは、まず神の国とその義とを求めなさい。そうすればこれらすべてのことは与えられます。とおっしゃられました。自分自身が見ることができない梁から取り除きなさい、と言われました。完全にひっくり返すメッセージをなさったのです。率直に、認めるだけで終わります。できない限界の中から抜け出して、神様を眺めていないこと、自分の個人、家庭、家系のエリコを押し倒しましょう。
 
Aマタイ13:1-58 全部逆におっしゃられました。目に見えること中心で、肉的なもの中心で生きると、それでは世界の福音化が出来ないために、主は見えることの下にある、見えないことをおっしゃりながら、中間中間に耳のある者は聞きなさいとおっしゃいました。
 
柳) 井戸の中のかえるは、その中から出なければ、その中でどんなに地団駄を踏んでみても限界を抜け出せないことと同じです。悟って祈れば、神様は応答なさるはずです。
 なにが限界でしょうか? 祈りが変わるはずです。
 
Bマタイ16:13-20 このおっしゃった場所がより重要です。ピリポ・カイザリヤ地方の名前がついた理由は何でしょうか? その場所で限界を抜け出していないで、違った答えをした時、ペテロは一時代を跳び越えるメッセージを告白しました。よく祈りながら新しい力を得て答えを受けるように願います。
 
(2)使徒2:1-4 風や火のような働き - この二つの共通点は、人が防止できないということです。ギリシヤ原文に宗教は悪霊を崇めることということを発見したと神学院で姜ウンチュン牧師が話をしましたよ。律法、宗教、人間中心主義、この三つのこと、この限界を押し倒す事件、マルコのタラッパンの五旬節事件がおきたのです。今日みことば聞きにながら、この三つのことを押し倒しましょう! すると全く同じ働き(使徒1:8)があなたがたにも起きるはずです。
 
2.アンテオケ教会でどんな限界を越えたのか?
▲今日、私達が悟らねばならない部分です。
(1)使徒11:1-18 救われてもしきりにむかしにまた戻るのです。考えの話です。コルネリオの悔い改めを問題としたマルコのタラッパン教会。ローマ書の核はイエスを信じるユダヤ人とローマ人の葛藤に対して書かれたメッセージです。
 
(2)使徒11:19-30 宣教という壁を越えました。マルコのタラッパン教会では異邦人を生かすことができなかったのです。それで、神様はアンテオケ教会を立てて、パウロを呼んでそこに弟子を付けられたのです。神様のみことばは、わかりさえすれば良いのです。イエスを思い切り信じて滅びる理由がここにあります。律法、宗教、人間中心主義、マルコのタラッパン教会には世界を眺めることができる目がありませんでした。それで、神様は第2の祝福の時代を開かれたのです。(使徒13:1) マルコのタラッパン教会では、考えることもできない宣教師派遣をするようにされたのです。今日、あなたがたに限界が崩れる、本当に聖霊のみわざが起きる祝福があることをお祈りします。霊的によく悟らなければなりません。これを見ることができることが知恵があることです。このことを見ることができる人が、本当に用いられる人となるはずです。決して滅びない理由が、伝道(世界福音化)のためです。考えを変えるべきです。
 
3.祈りの答えを受けようとするならミッションホームを理解しなければなりません :
(1)生き方に対する限界
(2)水準に対する限界
(3)家庭に対する限界
(4)家系に対する限界
▲このことを知るようにすることが、ミッションホームです。私たちの生き方と水準、家庭と家系に限界をあたえる暗闇の勢力を主イエス・キリストの名前でたたき壊すべきです。
 
4.専門の働き :
(1)職業, 機能, 学業, 産業 - 限界を作ってしまうのです。
(2)バランス - 最も重要な答です。お金をもうけることができないバランスから押し倒してしまいましょう。
 
柳) 定時祈りの時、1千万要員の門を開けて下さいとして、韓国に 40万要員の門を開けて下さいとして、1千万要員を助けることができる経済の門を開けてくださいとすれば、私はどのようになっていなければならないのでしょうか? この考えをしてみるべきです。これを準備してこそ、これが答えを受けることができるうつわになるのです。
(3)産業を縛ってしまうしかない限界を押し倒しましょう!
(4)世界福音化するしかない経済、仕事、学業の条件を捜し出しましょう!
▲今日、説教をお聞きになって、何日間か考えてみましょう! 多くの答と多くの祝福、変化になるでしょう。
 
5.どのように地域を福音化するのか?
(1)地域の限界を越えて
▲文化の限界を越える答があるべきです
▲偶像の限界を越える答あるべきです。
 
(2)それで出てきた単語が地域教会です。
▲本当に、一般信者が悟って、限界を克服して、この五つの祝福を受けて伝道運動しなければなりません。契約をよく捕まえてくださるように望みます。
 
(3)限界は悟りさえすれば良いのです。限界を破ること、祝福をくださることは神様がなさることです。この限界を抜け出すこととは、本当に難しいのです。主が再臨していらっしゃって、直接割ってくだされば、抜け出すことができるかという程です。
 
(4)不信仰、人間中心主義は、本当に相当な垣根になります。私たちの全てのものを縛っています。事業、祝福、祈り、復興もみな縛っているのです。祝福の条件を探して、たたき壊してしまうべきですから、準備しなければなりません。限界を越えた人々がいます。
 @ルター、カルヴィン、ノックス - 中世カトリックの堕落
 Aチュ・キチョル、チュ・ナンソン、ソン・ヤンウォン - 日帝時代の神社参拝
 Bチャック・スミス牧師 - 自分の限界
 Cオーラル・ラフター牧師 - 自分の限界
 
6.結論 :
▲神様の能力、なるしかない神様の計画、神様の条件のなかで祈れば良いのです。
(1)タラッパンにエリートが来るように、彼らに福音を伝えれば
(2)全地域に伝道運動を開けば良いのです。
(3)今晩に悟って、私がこのまま生きていて良いのだろうか? 神様の子供として福音も伝えることができなくて生きていて良いだろうか? 神様の働きもなく、生きていて良いだろうか? 自分の限界を悟りさえすれば良いのです。
 
(祈り) 
神様に感謝申し上げます。みことばが長い間、考えになって、神様の働きで変化するようにして、すべての答えの真の目を開けるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン 
 
 
(The end)