2004年 06月 28日(一般信徒地域教会 訓練 06月)



第1講: 神様の栄光
(Iコリント10:31)
 
→序論
▲Iコリント10章31節です。‘こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。’
▲誰かがこのようにたずねました。このようにせねばならないのか、あのようにせねばならないのか分からない。この職場に行くべきなのか、あの職場に行くべきか分からない。どれを選択しなければならないのか分からない。そのような質問をします。ある時は、判断が難しい時があります。それが、生死にかかわることもあります。神様の栄光のためにしましょう。
(1)小教理問答- 今日から、一般信徒地域教会で始める講義を、小教理問答についての講義にしようと考えています。大教理問答、小教理問答があります。大教理問答は、196章と答があります。小教理問答は、107問と答えがあります。簡単に区分するなら、大教理は教役者のためのもので、小教理は一般信徒のためのものです。
(2)いつ- いつ生まれたのでしょうか? 1517年に宗教改革がおきました。その後に改革がおきながら、混乱が生じたのです。旧教が崩れて、新しい改新教も生じて、混乱がおきるようになったのです。それで、1643年頃に生まれた教理問答です。それで、ウェストミンスター小教理問答と言います。少しこの程度、知っていればよいでしょう。ウェストミンスター小教理、大教理問答があります。1684年英国議会で公認しました。韓国には1907年に入ったのです。この時、例を上げれば、キム・イクドゥ牧師が復興していた時です。この程度、知っていればよいでしょう。
(3)伝道者の立場- ところが、伝道者の立場で聖書を見れば、聖書は生きている神様のみことばです。伝道を理解できなくては、聖書みことばを生きているみことばに理解できません。伝道を理解すれば、聖書は生きている神様のみことばで、あまりにも正確だな。聖書はまちがいなく、今でも成就するみことばだな。というように、組織神学や教理問答を伝道者の立場で見る時、ものすごく重要な本なのです。皆様、何の話なのかキャッチにできるでしょう。これは、相当な歴史性を持っています。1600年ごろに始まって、今まできたのですから、相当な歴史性を持っています。簡単に理解しようとするなら、1517年に宗教改革がおきました。これが 1684年頃に公認されたのです。そして、2, 3百年あとで韓国にきました。これを一般信徒に教える採択をしたのです。それなら、重要だと見ることができるでしょう。
 ▲伝道者の立場で見れば、より重要です。皆様が一般新聞を見ても、伝道者の立場で見れば違います。勉強する中に新しい恵みがあることを希望します。
(4)小教理問答の一番目の答- 107ケの中で一番初めの質問と答が何でしょうか? それが、ものすごく重要です。何を質問して、答えたのでしょうか? 「人のおもな目的は、何ですか。」「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」とても質問も聖霊の導きを確かに受け取ったのです。私たち人間に一番の目的は何か? 重要な質問をして、答えを良くしたのです。もちろん、107の問に対する答えは、聖書から出てきました。
 ▲私たちがよく消化して、伝道者の立場で見て教えなければなりません。こんにち教会でしていないので、点検して教えなければならない義務があります。ところが、答として相当な答が出てきたのです。人間の一番の目的が何でしょうか? 人間がよく生きる道は何でしょうか? 私達は、どのように一番良い決定を下すのでしょうか? 失敗しないのでしょうか? 問題がきた時、どのように判断すれば、正しく祝福を受けるのでしょうか? そのような質問です。答としてとても重要な答が出てきました「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」神様の栄光をあらわすということは、神様を永遠に喜ぶことです。
▲皆様の楽しみは何でしょうか? とても重要な答です。あれこれするのではなくて、神様を喜ぶことです。永遠に喜ぶことです。
 ダビデが何を良くしたでしょうか? これを良くしました。
 あらゆる答が、ここから出てきます。もしかして葛藤がありますか? 問題がありますか? 祝福を受ける道があります。第1問の答えです。もしかして友人に裏切られたような気がすることがあるでしょうか? 神様の栄光をあらわして、神様を通じて楽しみを味わえば良いのです。気落ちにしているでしょうか? 神様を喜びましょう。霊的問題があるのでしょうか? 神様を喜びましょう。神様を味わおうということです。ですから、味わうという言葉は、英語ではエンジョイ(Enjoy)です。楽しむ。英語表現が良いでしょう。それで今、一番たくさん使う単語が味わうという言葉です。誰を味わうのでしょうか? 神様を永遠に味わうのです。
▲私はある信徒が、家族でけんかを本格的にするのを見ました。なぜそうなのでしょうか? お金ゆえにけんかをするのを見ました。それもお金がなくてけんかをするのではなく、お金があることでけんかするのです。その家は、何年かのうちに滅びました。お金が必要ないということではありません。神様を喜ぶのです。人が生きていく目的になるのです。あらゆる問題が解決します。
 
▲小教理問答を律法主義で見るのか? 福音を知っている人が見るのか? これは相当な差があります。律法主義で見れば、人を殺します。このようにすべきで、あのようにすべきです。そして、聖日は神様を喜ぶべきです。他のことは必要がないらしいのです。聖日に車に乗らないで歩いて回ります。半殺しにします。福音主義で見る時には、最も重要な単語です。方向をつかむのに、最も正確な答になります。
▲前に話をした記憶があります。釜山に起きたことです。釜山で高神側のところがあります。偉い人なのですが、そのような所があります。いつも律法を教えるのです。してはならない。しなさい。このように教えるのです。問題は、間違った話ではないのに、福音よりこれをもっと熱心にするのです。ですから、信仰生活を10年すれば、福音はなくて、異常なことだけが残ります。ずっとそのようにして行けば、パリサイ人と違うことがなにがあるでしょうか? パリサイ人が救われたのでしょうか?
牧師の娘が中学生になった時に、旅行に行きました。旅行に行けば、子ども達の間で集まって遊んだり、行事をします。ところが、そこでビール、どぶろくを飲んだのか、何かを飲んだのです。その教会で大変なことになりました。牧師の娘が酒を飲むということで、大変なことになったのです。長老も聞いて、大変なことになりました。福音を悟った牧師ならば、違うように教えたでしょう。あなたは、重要な経験をしたんだなあ。経験をしたらどうだったか? と信仰的な話をするはずなのに、この子どもを半殺しにしたのです。どこの牧師の娘が酒を飲むのか? と半殺しにしました。それで娘が一言、言いました。父が牧師なのか、私が牧師なのか? 初めて言い返した言葉です。そこで、立ち向かったとそこに何かと言いました。こういううわさが立って、結局、この子どもは家を出ました。この子どもは自ら、私は堕落したんだなあ。私は教会に通うことができないな。私は救われなかったんだなあ。自ら全てのことに落ち込んだ考えをしました。聞こえるうわさに、お金が必要だったので、売春婦になってしまったということです。子ども達の言葉で「どうせだめになった奴だ」ということで、回りながら不幸に死にました。律法の目は、聖書の解釈を変にします。もちろん、その子どもが良いことをしたということではありません。どんな目を持って人を見るのかは、生きるか死ぬかの問題です。
 (1)目- 伝道者
  ▲伝道者の目で見ましょう。この部分をのがせば、大変なことになります。
 (2)問題
  ▲問題をどのように見るのでしょうか? 問題がくることがあります。会うことがあります。問題が何でしょうか? あまり多くて話すことができません。私達は、神様のなかで、問題になる必要がありません。
  1)神様- なかでは問題になる必要がないのです。問題が問題でないということでしょうか? 神様のなかでは、問題になる必要がありません。
  ▲ヨセフ- ヨセフは奴隷へ行ったのに、神様のなかでは問題がありませんでした。人の目で問題になるけれど、神様がご覧になる時は、問題になる必要がありません。そして寃罪をこうむりました。神様のなかでは問題がありません。汚名を受ければ、ちょっとどうでしょうか? ヨセフが監獄に行きました。神様のなかでは問題になる必要がないのです。皆様が祝福を受けましょう。
  ▲ダビデ- 本当に死ぬような目に会いました。5回、死に目に会ったのです。確実な死 5回に会いました。何だと話したでしょうか?主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません(詩23:1) 問題がないのです。なにが問題でしょうか? 子どもが問題でしょうか? 問題と見れば、どのようになるかを知っているでしょうか?
  2)ヨブ3:25 ヨブが心配することを触りました。普段の時、考えていることを触ったのです。
  ▲皆様、子どもを祝福しましょう。なかったとしても、祝福しましょう。そこには驚くべき事が起きます。ヨブが心配したことを、サタンが触りました。子どもに、知らないふりをして、倒れていても祝福しましょう。知らないことと、知らないふりをすることとは違います。子ども達が失敗すれば、知らないふりをしましょう。正しくするのが難しいのです。異常なようにするならば、ヨブは私の子どもが罪を犯せばどうするか? といつも考えました。サタンが子どもを触ったのです。それでこそ、ヨブが心配を放棄するではないでしょうか? 簡単な話ではありません。夫、友人、妻をみて、祝福することを話しましょう。信じてあげる話をしましょう。
  ▲私の家の周囲に不良の子ども達が遊んでいました。人々が見て、人間の取扱いをしなかったのです。ですから、問題がきます。私はその子を呼びました。一緒にご飯を食べて、おいしいものを見つけたら、一緒に食べました。飲物があれば与えたのです。私の話をよく聞きました。自分たちを認めてくれるということを知っているためです。この話は、簡単な話ではありません。
  ▲Iヨハネ4:18-19 恐れには刑罰があるのです。
  ▲Iペテロ5:7-8 あなたがたの心配は主に任せましょう。理由は謹んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべき者を探して歩き回っているから...
(3)ただ神様の栄光のために
  ▲この病人は父の誤ちか? 本人の誤ちか? イエス様がおっしゃって、神様が栄光を受けられるためです。次元が違います。
 いまはないのですが、むかしにはそのような質問を多くしました。聖日にお金を使っても良いのか? 今、尋ねる必要なく、使うべきですが、その時には尋ねていました。
 ▲初期の頃、開拓を始めた時、食事の時間にそのようなことを話しました。会議をしている途中で、外に行って食事をしようと言ったところ、私たちの長老が聖日なのに、聖日ならば断食せねばならないのですか? そうではありません。行きましょう。昔の思想と交錯しているのです。使っても良いのか? 使ってはならないのか? 今でも聖日に礼拝をささげて、食堂で役員会をするのに、尋ねる必要はありません。むかしには問題になりました。お金を使ったら、その次の聖日に悔い改めていたのです。
 むかしに、聖日には勉強もできませんでした。聖日は祈りだけして、勉強も出来なかったのです。ある学生は、12時になれば時計を見て、12時が過ぎたら、勉強をしたのです。むかしには、そのようにしたのです。その習慣からきた質問です。伝道師をしていた時、学生が尋ねました。月曜日に試験を受けるのに、試験勉強をどのようにするのでしょうか? あらかじめすれば良いのですが、そのような人は多くいません。神学生時代、図書室で勉強をしていました。試験の週間でした。試験が終れば、一名もいませんでした。一夜漬けで勉強をするのに、この子どもが尋ねるに値することです。簡単に返事をしました。神様の栄光のためにしなさい。聖日、栄光になれば使用して、それでなければ使用しないで。聖日の勉強もそうです。
 ▲食べようが、飲もうが、何をしようが神様の栄光のためにしなさい。私は必ずそのように話をします。もし離婚をする夫婦が尋ねれば、可能ならば神様の栄光のために耐えなさい。神様の栄光のために、犧牲しなさい。よく会う保障もありません。良いという保障もありません。良くしなさい。可能ならば、神様の栄光のためにしなさい。神様があなたを祝福されるはずです。
 ▲釜山の同期の中のある牧師を見て奥様が試みにあったのです。この牧師夫人が、長老を訪ねたのです。自分の牧師を見れば、役員会をせずに、女執事にだけ通う。異常だと言ったのです。この牧師夫人が、これだけ(神様の栄光) 少しだけ考えれば簡単なのに、この考えをすることができなかったのです。ただ感情的であって、ただ感情的に気になるからです。女の嫉妬が混ざって、そこにつまらないことが加わって、長老に試みを与えてしまったのです。ですから、長老もそれを聞いて祈ろう、というようにしなければならないのに、神様の栄光を少しだけ考えれば、何の問題もないはずであったのに、次々問題が起こりました。話題にのぼれば、牧師が神様の栄光のためにどのようにすべきか? と言うべきなのに、そのようにしないで、終わりまで正して、是非を論じて、奥さんと離婚しました。どのようになるでしょうか? 息子がひとりいます。この子がそれを見ていて、私の親が離婚したんだなあ。神様の栄光のために、どのようにするのか? このように考えれば良いのですが、感情が充満して、学校を放棄したのです。あちこち回るよういなりました。回っていて、少年院に行きました。ですから、牧師は何をするでしょうか? 狂うでしょう。急にできることがないから、車の運転をすることにしたのです。ですから息子は少年院に行って、牧師はタクシー運転手になり、牧師夫人は家政婦と、本当にただ栄光だけという単語が、普通の単語ではないのです。皆様が、これから大きい祝福を受けることができるのですが、気落ちしていますか? こんにちの教会の中での問題は、ここで起きるのです。教会の中に起きる部分は、この部分をしないからです。神様の栄光、簡単です。神様の栄光のために献身、耐えて、ある時は 犠牲して、くやしいけれど、ヨセフのように監獄に行って、ある時は大きな事もして、これがすべてです。どれくらい重要でしょうか?
▲ひょっとして、聞いてみたことがあるでしょうが、韓国で有名な牧師が、外国に行く時捕まって、ニュースに出ていました。韓国を騒がせました。神様の栄光を地の底に落とすこと、それはとても誤っているのです。
 少し前に牧師が拘束されたという話しが出てきました。建築委員長が告発したのです。監督として出馬するのに使用したお金を、公金を使用したと告発したのです。世の中のことは、これを知りません。このようにして、神様の栄光を地に落としました。この人は、はじめから神様の栄光と関係ありません。しかし、神様の栄光ということは、すごいことなのです。これを知らないから、失敗するのです。韓国教会、世界教会のけんかはまさにこれです。
▲将来にタラッパンでも注意するように願います。伝道して、他人の信徒を触ってはなりません。その信徒が他人の信徒を触ってはならないのです。ですから、その理由ゆえにタラッパンを触ったのです。
▲皆様、神様の栄光で生きる人が何名いるのでしょうか? もしそのような人が一名だけいるならば、みわざが起きるはずです。カレブの信仰を認めますか? この人は、危機の時ごとに犠牲を払いました。
▲神様がだれに最も答えられるのでしょうか? 神様の栄光のために生きる人です。私達が最も大きい罪が何でしょうか? 神様の栄光を侮辱する人です。ゴリヤテがイスラエルに向けて、主を信じる者がいたら私と戦おう。ダビデがその話を聞いたのです。ダビデが、侮辱された名を持ってきました。侮辱される万軍の主の御名で出たのです。
 ヘロデが、主なる神様の栄光を奪ったので、虫にかまわれて死んだとなっています。共産主義は滅びるしかありません。一番初めに主張した話しが、神様はいないでした。滅びるしかありません。共産主義を好む学生達が多いのです。私は分かりません。唯物論が私たちと思想が同じでしょうか? 神様がいないということです。ですから、滅びるのです。ニーチェがなぜ精神が狂ったのでしょうか? 神様は死んだと言いました。敢えて、こう話すことができないでしょうか? それで、精神が狂って死んだのです。冗談でも、そのように話してはだめです。
▲主の祈りの一番はじめを見れば、御名があがめられますように。これを祈りなさいと言われました。小教理問答を見ながら、私たちの信仰を回復せねばなりません。
 
1.どのように神様に栄光を帰すのでしょうか?
(1)生活(Iコリント10:31)
 ▲私たちの生活を通じて神様に栄光を帰そうということです。この部分が難しいことがあります。この部分を持ってできるならば、最高の祝福を味わうことができます。
(2)人間関係
 ▲私たちは、人間関係を通じて神様に栄光を帰すのです。
 1)ヨセフ- ポティファルの妻を告発できるでしょう。ポティファルの妻が言ったことは、していないと言うことができるでしょう。兄たちを恨むことができます。ヨセフは、そのようにしませんでした。この時にも、主なる神様の栄光のために、創世記45:8です。答えを受けるしかありません。どのように、あなたが夢を解き明かしたのか? どのように分かったのか? 主なる神様が、王様を愛されて夢を解き明かすようにさせてくださいました。普段の時、ヨセフが述べた言葉を記憶して、パロ王が神様が共におられる。主の霊がこれくらい宿っている人を見たことがないと、パロが言いました。
 2)ダビデ- 主の御名のために、義の道に導いてくださいます。ダビデの信仰です。皆様、神様の祝福を受ける人物は、この部分が違うのです。神様の大きい働きをする人は、この部分が違います。終わりまで滅びないで働く理由は、これです。主の御名のために義の道に導かれるのです。問題に会っても、ぬれぎぬを着せられて、滅びても主のために、成功をしても主のために。
 ▲私は、未信者に伝道する時、一番最初、この話をしました。神様は今でもあなたを愛しておられます。誰も気分は悪くなりません。あなたが神様を知らないだけです。伝道する時、はじめての言葉です。神様があなたを愛します。あなたが知らないだけです。道を開けてくださいました。キリストです。キリストはだれでしょうか? イエスがキリストです。信じさえすればよいのです。仕事を多くしなくても良いのです。信じさえすればよいのです。ヨハネ1:12節です。
 3)パウロ- なぜパウロを大きく用いられたのでしょうか? 神様の栄光のために、ガラテヤ2:20 自分は死んだと言いました。キリストが十字架に釘づけられました。私の中にキリストが生きておられるのです。私が肉体の中で生きるのは、キリストを信じる信仰のなかで生きるのです。たいした答えを受けました。こういう人は、終わりのない答えを受けました。この祝福を必ず味わうように願います。
 4)ソン・ヤンウォン牧師- 本当にすばらしい方です。普段の時、そのように生きたのです。神様の栄光のために、皆様、どのようにするでしょうか? 皆様の息子が殺されたら、どうするでしょうか? 見れば見るほど、殺してみたくて異常になるでしょう。それも殺害したのです。ところが、ソン牧師は、探して慰さめて、息子にしたのでした。結局は、この人が感動しました。神様の子どもになったのです。ですから、こういう神様の栄光のために生きるという話は、全てのことがみなできるのです。
(3)教会生活(Iテサロニケ5:12-22)
▲神様の栄光のために生きましょう。すると、聖日ごとに答えを受けるはずです。聖日ごとに栄光のために生きるならば、牧師と聖徒が新しく見えます。本当に神様の栄光のための集いが教会です。神様の栄光を表す 栄光の子どもです。説教は新しく聞こえます。私は小教理問答を作成した人は、とても良くしたと思います。この方たちは、聖霊の導きを受けたのです。この文章は、正確によく握ったのです。私たちの一番の目的が何か? 神様に栄光を帰して、神様を永遠に喜ぶことです。どれくらい驚くべき答でしょうか?
(4)真の祈り
▲神様に栄光を帰す祈りをしましょう。必ず祈る時、祈りましょう。ささげ物、心も神様にささげましょう。それが礼拝で祈りです。祈りもこのようにすれば、全部、答えを受けます。
▲神様、主の栄光のために、私の息子を生かしてください。一番良い祈りです。主の祈りを見ましょう。天におられる私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。私の思いではなく、みこころがなされますように。物質がたくさん必要ではありません。日用の糧を与えて下さい。試みに会わせず、悪から救ってください。私たちの罪を赦して下さい。こういう祈りが出てこないでしょうか? 神様の栄光のために、国と力と栄えは父なる神様にあるからです。答えを受けます。重要な祈りです。そして、私たちは本当に真の 福音を持っているのです。
(5)福音の証拠
▲神様の栄光のために、すると間違いないみわざが起きます。皆様がする事が神様に大きい栄光になることを信じます。神様の栄光のために、すると驚くべきみわざが起きます。
▲なぜ神様がカルヴィン牧師を、大きく用いられたのでしょうか? 福音もあるけれど、用いるしかなかったのです。カルヴィン牧師が話すのに「説教も良くしようとするな。聖書にあるまましなさい。説教者が現れないようにしなさい。神様の栄光のためにしなさい。死ぬ時も、自分の碑石も立てるな。ヨハン・カルヴィンというように書くと偶像になるからするな」正しく福音を悟って味わった人です。神様が大きく用いられるしかありません。
▲私たちは、講壇に立つ時には神様の栄光のためにしましょう。賛美リードをする方達も、いつも考えましょう。人が表れないで、神様の栄光のために、全教会員を生かすのです。ここにみな入っています。なぜ教会に問題が生まれるのでしょうか? 神様の栄光を考えなかったからです。ですから、ここに全部、答がみな入っています。皆様に本当に今日、新しい答えが始まることを望みます。
 
2.どのように、神様の栄光のために生きるのでしょうか?- なにかがあってこそ...
▲どのように、神様に栄光を帰すのでしょうか? どのように、神様の栄光のために生きるのでしょうか? 生きることができるには、何かがあるべきです。神様の栄光が私になければならないのです。神様の栄光が私になければ、表に現れます。少しだけの事にも残念になります。お金をたくさん持った人は残念です。ない人は 残念になります。私が神様の栄光のために生きるという話は、何かがあるということです。男の人も、たくさん学んだ人は、比較意識がありません。以前、そのような話をしました。
▲大学伝道に入っていけば、勉強が良くできる学校、できない学校があります。とても勉強が良くできる学校に行けば、女の人たちは、飾っていません。それでも、自信があるように行きます。勉強ができなければ、ものすごく飾ります。私は講義室を見たのですが、酒場のようでした。ですから、勉強が良くできる子どもたちは、ズボンが破れていても着ています。目に自信があるのです。
▲皆様、ヨセフとダビデが、このようにしたのには、何かがあったのです。何かがあるから、そのようにしたのです。栄光のために生きることができます。あまりはね回る必要もありません。はね回るのに、なにがあるでしょうか?
▲一度、復興会をしたのですが、お腹が痛くて、死ぬ思いをしました。悪いことはないけれど、必ずそのようにしなければならないのか? そのような気がしたのです。牧師が白い服、白い靴を履いてしました。私がかばんを持って行ったのですが、牧師だから白い靴を履くなということはありません。格好をつけて説教するのに、良いのです。ところが問題は、次でした。その集会と私たちの教会が、試みにあったのです。騷ぎが起こったのです。この人が言う話が、自分の母親が亡くなる時、白い洋服を着て説教をしろと言ったということでした。笑わせることです。神様のみことばを聞くべきで、なぜ母の話を聞くのでしょうか? 洋服がひとつしかありません。祝福を受ける人の中に洋服を作る人に手を上げてみなさいと言いました。あまりに異常で、私が そばで祈りをしました。手をあげる人間が20人出てきたのです。とにかく、そのような方法でしたのです。牧師が講壇ではねてはだめです。それで、ある格好、ない格好、みなしました。あまりに異常でした。本当に 真理ではないけれど、そうだったのです。
▲私たちが重要な自信があれば、そのような必要はないのです。ヨセフには自信がありました。何の話でしょうか? 主なる神様に栄光を帰せば良いという自信があったのです。主なる神様に栄光を帰せば生かされるという自信がありました。福音ならばなるとい 証拠があったのです。その答が、主を永遠に喜ぶことです。主を本当に味わえば良いのです。
 (1)満足- 神様で満足ならば、すごいことです。
 (2)感謝- 本当に神様で感謝することができます。
 (3)みことば- 神様のみことばで充分です。蜂蜜より甘いと言われました。どれくらい詩篇の記者はみことばが良かったのか、蜂蜜より甘いと言いました。その話は、ユダヤ人は答が合えば、パンに蜂蜜を塗って与えたのです。ですから、それをもらって食べようと、聖書勉強をしたのです。ユダヤ人の風習です。ですから、その話を引用したのです。その蜂蜜よりもっと甘いということです。皆様の中に、みことばをいつも聞いて、家でもすぐに聞こうとする人は、まちがいなく答えを受けます。
▲私が証しをしたでしょう。髪をカットしようとしたら、切る時がありません。夜に見たら、頭をカットしてくれませんでした。それで、このようにしてだめだと研究して、私たちの信徒の家に行くべきだと思ったのです。ちょうど、私の家のすぐそばに、私たちの執事が美容室をしていました。行ってみたら、どれくらい良いでしょうか? ところが、行く時ごとに感じたことがあります。常にメッセージを開いているのです。毎日、祈っています。継続的な神様のみわざが起きました。単に聞くことで、表に現れるのです。この人は、このみことばを慕ってずっと聞いていました。私に聞くほど恵みとなると言いました。テープを一つ買って、伸びてしまう時まで聞くと言いました。ところが、この人の周囲にみわざが起きるのです。一般の新聞にだけでも、2度出ました。この方が、行く所ごとに実がみのります。神様を味わう人です。私たちの一番のことは、神様に栄光を帰して、神様を喜ぶことです。とても重要なことです。
 (4)対話
 ▲神様と対話することを喜ばなければなりません。それにならないと、人と対話します。神様と対話する人は、人と対話する必要がありません。人と話さず過ごすなということではありません。重要なことを神様と対話しましょう。率直な話で、私たちの最も真実を言うことができる所が神様です。真の対話をすることができるのが神様です。神様と祈って、対話できるならば、それは神様の人です。すると、勝利するしかありません。
 (5)詩23:1 詩81:1-12 主なる神様を願いましょう。そうすれば、あなたが答えを受けるはずです。そうすれば、力ある御手をあげて、あなたの敵を討つはずです。主に聞き従いなさい。あなたは、このことを願いなさい。これだけ人間にとって大きな幸福はありません。どれくらい大きい祝福でしょうか?
 ▲イザヤ40:31, エレミヤ33:3 わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答える。確かにそのようになっています。
 
▲小教理問答1番が、とても恵みになります。本当に正確です。聖霊の導きを受けた方達が集まってしたのです。私たちの信仰の先祖が、福音を私たちに伝達したのです。神様の栄光のために、誰が認めなくても良いのです。神様の栄光のために、教会、伝道していうちに、迫害を受けてもかまわないのです。残念でくやしい事を受けてもかまわないのです。
 神様の栄光のために、私たちの最も祝福が何でしょうか? 神様を味わうことです。神様を喜ぶことです。神様を味わうことです。
 
3.永遠に
▲永遠にという言葉がついています。少しの間は神秘主義をしてもかまいません。少しの間、福音がなくても味わうことができます。福音がないにせよ、神様を味わっていて、恵みを味わうことができます。しかし、永遠に神様をさがすほど、福音を悟れば悟るほど良いのです。
 (1)正確な福音理解
  1)救い- なぜなら、救われることなしでは、常に味わうことができません。
  2)子ども- 子どもでないのに、どのように味わうのでしょうか? 永遠に 
 (2)三位一体の神様の秘密,
  ▲神様がおっしゃって、キリストが成就され、聖霊が今でも共におられます。どれくらい驚くべき秘密でしょうか? 私たちを救われた秘密です。共におられる科学的な方法です。永遠に神様を喜ぶのです。
(3)神様の愛- この祝福を味わう時、神様の愛を感じるのです。この時から、伝道は変わります。この時から メッセージも変わります。この時から、礼拝も変わります。このように、みな変わるのです。どれくらい感謝しているでしょうか?
  ▲神様の愛、アガペーの愛です。愛を見れば、男女の愛はエロスといって、友人の愛をフィレオ、父母と息子の愛のストールゲと言います。こういう愛がみな必要です。その中にアガペーが入っていかないとなりません。その中にこれが入っていかないとだめです。夫婦にもアガペーが入っていかないと絶対にだめです。家族に、友人にも神様の愛が入っていかなければなりません。アガペーを見て妻を見ましょう。夫を見ましょう。その時から答えがきます。これを持って他の人を見つめましょう。その時から、Iコリント13章が分かるのです。愛は寛容、神様の愛を知っていてこそ、長く耐えます。愛は柔和で、人は色々に出てきます。ねたまない、神様の愛を知る時、可能です。これを知らなくて、愛してみると、耐えられません。いちいちねたむようになります。いちいち悪いことを考えます。それが、神様の愛を抜いて見るのです。どのように、世の中を生きることができるでしょうか? 暗やみの勢力に勝つことができません。それで失敗するようになるのです。
 
 ▲私たちが、果して聖書にある答えを受けることができるのでしょうか? 受けることができるのでしょうか? 聖書の奇跡がおきるのでしょうか? 今でも起きます。本当に神様の栄光のために生きるならば、神様を味わうことが良いならば、神様と対話して、これで最も楽しいならば、驚くべき働きは始まるはずです。
▲先輩なのですが、私は今でも考えれば、胸が痛いのです。この前行って米国で会いました。父は何年か前に亡くなりました。母はその前に亡くなりました。その二番目の息子でよく知っている先輩なのですが、お母さんが病院に行ったのです。医者が驚いたのです。奥様がどのように、今まで耐えたのですか? 家族とちょっと会いましょうと言いました。会う必要はない。私が皆分かっています。それで、医者が奥様を見て知っているのですか? 皆分かっています。癌があまりに広がっています。その人が早く手術をしなければならないのに、今までいたのですか? その牧師夫人の話を聞いて、医者、家族がみな泣いたのです。自分は神様の所に行くのに、もしかしたら、牧師の牧会に支障になるかもしれない。私は行く時になれば行けば良いので、長老たちが心配するかもしれない。その時に一名はドイツ、米国にいるのに心配しないだろうか? 死ぬその時まで耐えたのでした。家族がとても嘆きました。この人は、普段の時、そのように生きたのでした。神様の栄光のために、福音のために、普段の時、そのように生きたのです。子ども4人が大成功しました。すごいのです。神様の栄光のために生きるということは、普通の話ではありません。
▲今、教会に行って、伝道しながらそのようにしましょう。私達が優秀だからと、けんかすることが何があるのでしょうか? 神様の栄光のためにしましょう。教役者は、記憶しましょう。神様の栄光、教会を、聖徒のためならば良いのです。祝福は、神様がなさいます。どれくらい重要な話しなのか分かりません。主を喜ぶことです。
▲率直に告白します。私はむかし、祈る時間が楽しくありませんでした。伝道を熱心にして、答えも多かったのですが、楽しくなかったのです。一人でいながら、祈ることが楽しくなったのです。そして、定刻祈りをする時、メッセージを準備する時、とても良いのです。その後から、終わりのない答えがきました。することは 二つしかありません。神様に申し訳なくて感謝します。もう一つは、あまりにみわざが起きて、謙遜と節制するべきだな。それしかありません。私がするべきことは二つしかありません。申し訳なくて感謝することと、 大きい栄光を見るので、謙遜になって、節制すべきだなということです。
 私がすることは二つしかありません。この福音の中で神様がみななさいます。神様の栄光を願って生きる皆様に、神様の祝福が臨むように願います。
(The end)
 



第2講: みことばと神様
(イザヤ 40:6-31)
 
 
→序論
▲イザヤ40章を見て下さい。6節から31節まで交読をします。交読する中に、答えで成就するように望みます。
▲「みことばと神様」です。聖書を見ると、完壁に答がみなあります。小教理問答を検討してみたら、ほとんど完璧です。ほとんど足りないことがありません。どうして、恵みを受けることができなくて、伝道をすることができなかったのでしょうか? 異常なくらいです。事実、ちょっと驚きました。以前に、小教理問答を見たのに知らなかったのです。今日、内容を見たら、タラッパンで強調していることと全く同じです。ところが、これまで、なぜこれを知らなかったのでしょう? 多くの牧師が勉強をしたのに、知らずに過ぎたのでしょうか? 本当に不思議です。3つの部分に問題があるのです。
 
▲無知- 今日、これを回復しなければなりません。全く同じように勉強したのに、それでも分からないのでしょうか? この福音が、イスラエル人に一番最初に宣べ伝えられました。イスラエルの人々が知らなかったのです。聞いたのに分からなかったということです。今でも全く同じです。本当に人間が何か知らないからです。
 (1)人間- 人間を本当に知っていれば、救いの必要性が生じます。救いがないことではなくて、知っていなければならないのです。キリストがないのではないのに、知らないからです。人間を本当に知っていれば、高慢、気落ちする理由がありません。皆様、人ゆえに気落ちすることがあるのでしょうか? 人間を本当に知っていれば、そのような必要がありません。
 ▲誰かが入ってきて話しました。泥棒を捕まえたのですが、柔道の館長だったということです。柔道の館長ならば柔道が4段なのですが、盗んでいる途中で捕えられたのです。それも釜山のインマヌエル海雲台教会の伝道師が教会で捕えたということでした。夜に入ってきたら、どれくらい怖いでしょうか? その伝道師が、ナザレのイエス名前で命じたら、堅くなったということです。私には分かります。その人にあった霊的問題です。一度、2度ではありません。霊的問題に、本人も知らずに関わっていて、イエスの名前を聞いて堅くなったのです。まちがいなく警察署では、柔道館長がそのようにするのか? そのように話したでしょう。衝撃になる話です。人間を本当に知っていれば、それしか仕方がないのです。人間は福音を受けることなしでは、絶対にだめです。救われて、キリストの秘密を知らなければだめです。そうしたあと見ると、2番目がついてきます。
 (2)救いの感激(感謝)- 感激です。これが私にあってこそ、感謝が出てきます。こういう部分に無知なのです。ユダヤ人がイエス様を見られないのではありません。事実上、この部分に必要性を知らなかったのです。律法を守ればいいと思っていました。間違いではないけれど、人間を知らなかったのです。律法主義が間違っているということではありません。何を知らないのでしょうか? 人間が人間を知らなかったのです。人間は絶対に救われることなしではだめです。そうしたあと見ると、三番目の問題が出てきます。
 (3)福音強調(根)- なぜ強調しなければならないのでしょうか? これが教会の使命です。福音を教えることが 教会の使命ではありません。この福音の感激、感謝、賛美だけが教会の使命ではありません。福音を強調することが教会の使命です。そうしてこそ、根をおろすことができるのです。この三ケ所に問題がきたのです。小教理問答を何箇所か読んでみたのですが、完璧です。組織神学の本は、完璧です。創世記から黙示録を読んでみれば、完璧です。ところが、この三つの部分を知らなかったのです。皆様に試みや、皆様に誤解があるなら、なくなることを望みます。一番に学生達にこういう部分が理解できなかったのです。このようになれば、どのようになるのでしょうか? この部分に無知ならば、どのようになるのでしょうか?
  1)災い- 災いが反復します。災いの問題が反復になるしかありません。
  2)人間関係- 皆様の働きは、この部分で縛られるのです。心配することもありません。なぜ、人が分からないでしょうか? 働き人が分からないのでしょうか? 人間はこの三つがならないと失敗します。それで皆様を呼ばれたのです。
 
▲イザヤ40:8-31節を見ると、みことばと神様に対して出てきました。そこに対していくつかの勉強をします。昨日は1問を言いました。あらゆる開始と結論です。人のおもな目的は、何ですか。人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。それが結論です。そして開始です。
 
1.小教理問答 2問
▲規則- みことば
2問には、このようになっています。何の規則を与えて栄光をあらわすようにされたのですか? どんな基準を与えて栄光をあらわすようにされたのでしょうか? みことばを下さいました。イザヤ40:6-8節です。本当に重要な言葉が出てきました。
 (1)草(イザヤ40:6)- イザヤ40:6節をもう一度見ます。「「呼ばわれ。」と言う者の声がする。私は、「何と呼ばわりましょう。」と答えた。「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。」私たちの人生は草のようです。
 (2)みことば(イザヤ40:8)- 8節を見ると「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」 それゆえに、みことばを捕まえるのです。立派に生きても草と同じです。主のみことばは永遠に立ちます。
 (3)良い知らせ(イザヤ40:9)- 9節を見ると「シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ。力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。『見よ。あなたがたの神を。』」それで良い知らせを伝えるのです。私が見ると、本当にこの教理問答が本当に良いのです。私たちは今日から神様の永遠なみことばの根拠を捕まえて始めるように望みます。
 
2.小教理問答 3問
 ▲信仰- 本分
 要求され教訓が何でしょうか? この事実を信じる信仰です。本文はイザヤ 40:9節を再び見ましょう。「シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ。力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。『見よ。あなたがたの神を。』」10節を見れば「見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。」11節に「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。」とても重要なことを話しています。聖書勉強だけしてはだめです。あなたがたの神様を見なさい。
 (1)救い(出会い)- 神様を見なさい。神様のみことばは、勉強することではありません。
 (2)報い- 報酬(祝福)- 10節を見ると、報いと報酬があります。神様に会うことができなければ、報いから抜け出すことができない.. 
 (3)羊飼い(導き)- 11節には、羊飼いのように順序よくしてくださいます。私たちはどんなに良いものがあっても、草や花くらいにしかなりません。人生がどんなに立派でも瞬間です。私たちは永遠なことに焦点を合せましょう。神様のみことばは永遠に立つ。私たちは幸福だと感謝します。それは終わることでなく、良い知らせを高い山から叫びなさい。こういう規則を与えられたのです。この中で最も重要な教訓が何でしょうか? 私たちの信仰と本分です。ここで失敗するのです。聖書勉強が重要ではありません。あなたがたの神様を見なさい。座っている時間が聖書勉強でなく、神様に会う時間です。聖日の時間は、単純な時間ではなくて、神様に会う時間です。神様に会う時間なのです。神様の祝福を受ける時間です。神様の導きを受ける時間です。出会い、祝福、導き、これが聖書の教訓です。皆様の家庭にあるあらゆる問題が解決することを望みます。事業の場に神様のみわざが起きることを望みます。本当に働かれる神様の聖霊が働かれることを望みます。お金をもうける時間より、もっと重要です。その程度にならなければなりません。千人に会うことより重要です。答えは いつ来るのでしょうか? 正確に来ます。
 
3.小教理問答4問
 ▲霊(無限, 不変)
 いったい神様はだれでしょうか? 神様はどんな方でしょうか? 神様は霊です。無限な方です。その存在は、無限です。その知恵は無限です。その権能は無限です。
 ▲今日、私がホテルから来るとき、車に乗って来ました。私が霊ではないためです。私が霊ならば、ホテルからここまで飛んできたのですが、車に乗って来ました。神様は私たちとは違います。神は霊であられ、その存在、知恵、力、聖、義、善、真実において、無限、永遠、不変のかたです。
 必ず記憶しましょう。何かの箱を作って置いておがむことは、神様ではありません。すると悪霊が働きます。かたちを作って置いても、そこにいるのは神様ではありません。神様は霊です(ヨハネ4:24)。神様は霊なのです。聖書の原文を見れば「霊とまことで」そのように記録されています。祈る時ごとに、礼拝する時ごとに、聖霊、みことばが働くのです。完壁です。この時間は、お金で話せば、貯蓄する時間です。この時間は、事実上、座っている時間は天の軍隊が動員される時間です。神様は霊です。
 (1)イザヤ40章12節です。「だれが、手のひらで水を量り、手の幅で天を推し量り、地のちりを枡に盛り、山をてんびんで量り、丘をはかりで量ったのか。」
 (2)15節を見ましょう。全能なる神様がご覧になれば、一つの国は水滴と同じです。島はホコリのようです。レバノンの獣が多くても、まったく効果がありません。誰が神様と比較できるでしょうか? そのような質問で、答です。
 
4.小教理問答 5問
 (1)他の神(唯一神)
  ▲5問にこういう質問をしました。ひとりより多くの神々がいますか。ただひとりしかおられません。生きた、まことの神です。他の神がいますが、それは神ではないのです。唯一な神様は、神様です。
 (2)偶像- イザヤ40:18節を見れば「あなたがたは、神をだれになぞらえ、神をどんな似姿に似せようとするのか。」神様は偶像のような方ではありません。人が作った形が神様でしょうか? 銀細工人が作ったものです。
  ▲仏国寺に行けば、大きい仏像があります。誰が作ったのでしょうか? 人が作ったのです。そこに手をついて礼をするのです。そのようなバカがどこにいるでしょうか? 大邱に入ったところの岩に大きい偶像があります。誰が作ったのでしょうか? 人が掘って作りました。その人が見る時、どれくらいおかしいでしょうか? それを神様だと、人々が信じるのです。お金が多い人は大きくさせて、より多くの人は金で、ない人は木で作ったのです。本当に人間は愚かです。全部、悪霊をおがみます。悪霊が働くのです。主なる神様は唯一の神様です。必ず記憶しましょう。宗教は何でしょうか? 悪霊に仕えることです。
 福音とは何でしょうか? 神様の子どもになることです。あらゆる僧侶、宗教人に対して話しますが、宗教は悪霊に仕えることです。宗教はサタンのお手伝いをすることです。ソンチョル僧侶はそのように話しました。直接読んでみたのです。釈迦はサタンのしもべだ。これと比較になるでしょうか? 唯一な神様の祝福を受けることを望みます。ほとんど完璧です。
 
5.小教理問答 6問
 ▲三位- ひとつ
 神様の神格に、何位があるのでしょうか? 三位があります。三位-ひとつです。6問に出てきました。私が見ると、ほとんど完璧です。神様は私たちに目に見えないように働かれます。神様は「みことば」を下さいました。神様は霊ですから、私たちの目に見えません。私たちの目に一度見えたのです。これら皆、みことばを成就しました。また、私たちの目に見えないように働かれます。聖霊で、三位が一つの神様です。いったいこれがなんの話でしょうか? 科学的な救いの秘密です。神様は、私たちの目に見えないので、信じても、信じなくても、偶像を作ってしまいます。愚かな人間にみことばを下さったのです。みことばを受けて、またこのように偶像に倒れます。それで、キリストを送ってくださって、神様が直接、肉体を着ていらっしゃって成就されたのです。そして今でも聖霊で働かれます。どれくらい完壁でしょうか?
 ▲イザヤ40:8節に、神のみことばは永遠に立つ。このみことばが成就した救いの門を言います。神様は今でも聖霊で一緒におられます。このように完璧です。このまま信仰生活をすれば、答えの大きい門が開くはずです。すると、この部分にこういう結論が出てきます。
 
 
6.結論
 ▲どんな結論が出てくるのでしょうか? 神様は、私たちにみことばを下さって働かれます。イザヤ40:6-10節です。みことばを下さって働かれ、神様に会うことができる救いの門を開けてくださいました。それで、私たちの重要な信仰が必要です。それがイザヤ40:27-30節です。あなたがたは、知らないのか、聞いていないのかと、信仰を刺激されるのです。全能なる主、地の果てまで創造なさった方は、疲れることなく、たゆむこともない。少年でも疲れて、たゆみ、若者も倒れてつまずくが、主を待ち望む者は新しく力を得る。ここに私たちの本分が出てきました。
 ▲イザヤ40:31 「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」
 すこし苦労があることは、私たちに訓練させられるのです。鳥の中で鷲はそうらしいのです。子が小さければ、何日も食べ物を持ってきて、皆与えます。それから、その鷲の子を連れて落とすらしいのです。翼で飛ぶ時まで、鷲はそうらしいのです。翼で飛ぶことができないでしょう? 落ちれば死にます。すぐにつかまえて連れて行くらしいのです。そして、もっと高く上がって投げるらしいのです。それとともに、高く上がれば時間がかかります。翼で飛ぶことができなければ、より高く上がるらしいのです。神様が私たちをそのように訓練させられるのです。主を待ち望む者は新しい力を得ます。これが私たちの信仰生活にとても重要です。
 ▲私は小教理問答を見ながら、驚きました。預言者、祭司、王がみな出てきます。それで、ほとんど完璧です。ところが今は伝道者の私達が見る時、どの部分に問題がきたのでしゅか? 記録出来ない部分があるのです。こういう部分は記録出来ません。ここで問題がきたのです。序論、恵みで悟ることであって、記録するのが難しいのです。今日、あなたがたがこの契約を捕まえて、最高の答えを受けることを望みます。皆様の問題をどのように解釈するのでしょうか? 解決しますか? 主を待ち望む者、少しだけしても答えを受けます。ずっとしていれば答えを受けます。
 既に私たちは信仰があるので、少しだけ主を見上げてもみわざが起きるのです。
 @詩81:1-8 神様の目的は、わたしに聞き従いなさいということです。
 Aイザヤ40:31 あらゆる問題は解決します。
 Bヘブル12章1-3節に、キリストを見上げなさい
 Cコロサイ3:1-3節に上のことを見上げなさい
 その理由は、あらゆる祝福は上から来るからです。キリストは結論なので、キリストを見上げましょう。主を待ち望む。未信者が見ると、愚かな話しですが、最も知恵がある話です。
 ダビデをもしここに呼ぶならば、何と言うでしょうか? こう話すはずです。ソロモンに述べた言葉を言うはずです。苦労し、勇気を出して、神様を知りなさい。ソロモンがこう話しました。あなたの若い時に創造者を 覚えよ。あらゆる問題が解決することを望みます。多くの契約をとらえて解決すべきです。
(The end)