2001年 07月 (一般信者地域教会訓練)
一般信者地域教会7月



福音手紙 1課 - 2課

 
 
(ローマ3:23)
<序論> タラッパンを始める時に留意する事項
1. 開始 - 動機
 タラッパンや伝道をする時に動機に留意しなければなりません。
2. 救い観 - 点検して始めなければなりません。
1) ピリピ1:6 - キリストの日まで完成させて行くことです。
 救いは? 以前、解決できなかった問題が解決したよ!という式で、おもに思っています。しかし、そのように思っていれば、救い観が問題になることがあります。非常にはじめに良くならなかったり、問題が多い人々が多いので、そのように表現されて説明された部分があるのですが、元々救いとは、そのようなことではありません。
 救いは? ピリピ1:6節のみことばのように、キリストの日まで神様が完成させて行かれることです。死から救い出して完成させて行くことであるだけです。
 ただイエスだけ! よくなる! と言いながら行っている途中で、ひょっとしてだめになれば、すると救いではないのでしょうか? それならば、困難にあった初代教会や苦しめられたダビデやヨセフのような人物は違うということでしょうか? そうではないということです。救われても、時には難しい時もあって、良い時もあります。しかし、重要なことは神様が完成させて行かれるということです。
 2) 暗闇の中にいる者に救い(生命, キリスト)の光を照らすことです。
 救われたのに、答えがないことはより大きいことを与えられるためであるか、有益にならないためです。したがって、あまり御利益的に行くのではないということです。
 3) インマヌエルが救いです。 - どれだけこの祝福を祈りで味わうか? というすることが関門です。
 
 祈りに集中できれば、全てのことに集中できます。祈りに集中できれば、未信者を超越できる祝福が与えられるのです。
   
3. 悩み - クリスチャンが一番できないでいる部分は何でしょうか? (5つの確信)
1) 救いに関する悩み - 救われたのか? 救われかったのか? と悩むのです。これがクリスチャンが最もできないでいることです。
 (1) 確信に関する悩み - 既に救われていても知らずにいるのです。
 (2) 救いの内容(神様) - 神様の祝福を味わうことができません。
2) 祈りに関する悩み
 祈っていても霊的問題が解決しなくて、神秘主義に陥ったり、よく信じようとしているのに、神秘主義に陥ってしまうのです。神秘は悪いものではありません。聖書には神秘があります。しかし、問題は神秘主義になってしまうことです。
3) 現実 - クリスチャンは現場に行けば負けます。すなわち、生活の中で負けるのです。
 恵みを思い切り受けても、仕事場の現場で負け、教会の現場で負けるのです。
4) 過去から抜け出せません。
 (1) 考え - 特に考えから抜け出せないでいます。
5) 聖霊導きを受けることができません。 - そのあと見ると、最も非福音的になります。全部自分中心でするのです。
 例) 牧師達が本当に動機を持たないで、正しくすれば、どうして復興しないでしょうか? 他の動機を持つから、できないのです。正しい動機を持ったのに、神様が祝福なさらないことがあるでしょうか?
 
4. 幸福 - 実際に幸福がないのです。
1) 幸福があって、平安があるでしょうか?
- 福音によって平安な人は、教会に問題を起こしません。教会でグループを形成しません。上下関係を上手にやります。そばの人もよく知っていて、未信者も見て理解します。
 福音で本当の安息を得るようになるのです。
2) 証しを準備して - 自然にすると説得力があります。
 信仰の偉人の中に救いで勝利して平安な祝福を味わった人々を紹介しましょう(クロスビー)
 ラッセル科学者の話 - 福音を聞こうと教会に行ったのに、福音を語ってもらえなくてわまよいました。
 ニーチェ - 精神が狂った話
 釈迦 - 救われなかった宗教の人中で最も真実な人です。
 私は道だ! と言わずに、道を探しなさい!と言いました。道を探すために家を出たのでした。
 
 メッセージに入っていく前に、真実に証しのように話しましょう! 真実になれなければ、後ほど逆効果が起こります。
   
初めての出逢い
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なぜ人間は幸せではないのでしょうか?
〈ローマ 3:23〉
あらゆる人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず
 
 幸福でなければならない人間が、幸福を探すことができなくて、苦しみの中にいる理由は何でしょうか? ある人は、家庭問題, 健康問題, 経済問題, 精神問題などを持って苦しんでいます。幸福がなくて、酒、ギャンブル、ダンス、わがままになってみるのですが、結局はもっと不幸になります。理由は何でしょうか?
1. 人間は神様を離れているからです。
(1) 不順従 - 神様を知らないこと (ヨハネ10:10, ローマ3:23)
 ; 不順従とは? 神様を信じないことを言います。時計が故障すれば、時計屋へ行かなければなりません。同じことで、人間が故障すれば、神様に進まなければならないのです。ところが、進まないので問題がくるのです。
(2) 結果 - 罪の中に陥るようになりました。 (ローマ3:10)
(3) 苦しみの中に陥るようになりました。
 @ 精神的な苦痛 (マタイ11:28) - たくさん生じる問題が精神的な問題です。
 A 生き甲斐、均衡ない生活 (マタイ12:25) - そうしたあと見ると、生き甲斐もなくて、均衡もありません。人間がどんなに若くて健康だとしても、結局崩れます。顔も化粧しなければだめな時期が来るだけです。
 B 肉体の病気に苦しめられる (使徒8:7-8, マタイ8:16-17)
 C 原因 - 霊的な問題
(4) 解決策を見出そうと、迷信や宗教を探すようになります。
 
2. この不幸はいつから始まったのか聖書は知らせています。
(1) アダム, エバ時代の時から開始
(2) 原因 (創世記3:1-15)
(3) 結果 (創世記3:16-19)
 
3. この不幸はいつまで続くのでしょうか?
(1) 今でも続いています。 (エペソ2:1-2)
(2) ずっと増加にしています。 (マタイ11:28-29) - 悪霊はずっと困らせます。
(3) 解決しようとするほど過度になります。 (マタイ12:43-45) - 7つの悪霊がより入ります。
 
4. なぜこういう不幸がなくならないのでしょうか?
(1) 不幸をもたらす者がいます。 - 張本人がいるのです。一度嘘をつくならば、霊的問題がきて、しきりにそこに陥るようになります。盗みも一度するならば、しきりにするようになります。これが霊的問題です。後ほどは、抜け出てくることができない程に縛られてしまうのです。これが、サタンがするおもな業務です。人間を滅亡させることです。しかし、神様は救って、祝福を与えて下さるのです。
(2) その名前について研究してみましょう。
 @ サタン - 単数、親分
 A 悪魔 - 単数、同じ意味
 B 悪霊 - 複数、サタンの手下
(3) いつから現れたのでしょうか?
 @ 天から堕落した天使 (エゼキエル28:14-19, 黙示録12:1-9)
 A 空中に追出されました (エペソ2:2)
 B 地球を中心に出現 - 人間を滅びるようにします
 C 結局、地獄へ行くようになります (マタイ25:41)
 
5. 神様を知らなければ、どのようになるのでしょうか?
(1) ヨハネ8:44 - 霊的な問題(悪魔の子供)
(2) 使徒10:38, 8:7-8 - 原因をしらなくて苦しみます(押さえられることになって)
(3) マタイ12:25-28 - 幸福が無いこと
(4) マタイ11:28 - 安息が無いこと (心の安息)
(5) 使徒8:4-8 - 肉体が苦しめられます
(6) 使徒16:16-18 - 精神が苦しめられます
(7) ルカ16:19-31 - 地獄に行くことになります
 
6. 世の中で人を通じて得る平安は、少しの間(臨時)であるだけです。
(1) 世の中的なことです。
(2) 肉体的なことです。
(3) 快楽的なことです。
(4) より不幸をもたらします。
 
7. 占い、易、グッ(降霊術)
- だめだから、こういうことをするのです。
 (1) ここに対する経験 - 長い間の後の結果(失敗); 時間が過ぎれば、すべて失敗します。
 (2) 永遠に解放される道
  @ 悟り(創世記3章)    A 受け入れ(信仰) (ヨハネ1:12)
  B 権威(神様がともに) (マタイ28:20)
# 受け入れた人は、暗闇の勢力がひょっとして攻撃することがあります。しかし、恐れないように! 受け入れる瞬間から、神様は守ってくださいます。あたかもエリシャのように、天の火の馬と火の戦車で守ってくださるはずです。
# 祈りの文を教えましょう! (簡単に) そして、イエス・キリストのお名前によってお祈りします!と終わらせましょう! このようにして、初めの日を終わらせましょう。 (最後に戸締まりを良くしましょう - 重要な贈り物を忘れてしまわないようにしましょう)
# 福音だけは真実にしなければ入っていきます。力あるわざは悪霊もできます。しかし、福音だけはそうではありません。清潔ながらも謙遜にしましょう。
 
<序論>
一般的に、2度目の出逢いに行ってみれば、初めてのメッセージを受けて、恵みを受けて他の友人やとなりの人を連れて来る場合が多いのです。かと言って、新しい人を置いて、はじめからできません。それで、メッセージがほとんど反復するメッセージが多いのです。いつの時に新しい人が入っても、関係はないということです。
 主のしもべが現場を回る時ごとに神様が共におられたように、皆様自体がものすごく重要です。
 まず証しからするのが良いでしょう。キリストに会う以前の自分の姿とキリスト(福音)に会った後の自分の姿、そして、伝道を知る前と知った後の姿の違い、祈りを知る前の自分の姿と知った後の自分の姿を証し式で自然に話しましょう。
 証しを通じて伝達しなければならない部分は何でしょうか?
1) 私が生きる意味
 熱情的に言うことより、落着いて話すのが良いでしょう。感情にも訴えねばならないのですが、知性に訴えることがベターです。長く続きます。はるかに説得力があります。
 (1) 大部分が何となく生きています。
 @ 自分が果してこのように生きていて良いのか? と自問している人もいます。
 A 放棄(運命的) して生きている人もいます。
 B 理由もなく、ものすごく熱心に生きている人も多いのです。 - 無条件に熱心に生きていく人は、後の日に虚しくなり、成し遂げることもできません。その後、
 (2) なにか脱皮せねばならないという気持ちを持つようになります。 - 宗教や趣味活動などを通じて試みるのです。
 しかし、時間が経つほどより難しくなります。
 (3) しかし、もし人間が神様に会うとすれば
 @ 身分 - 変わって (悪魔の子供から神様の子供に)
 A 暗闇 - 勢力から解放になるはずです。
-こういう話をする時には、哲学的に話すより単純に話しましょう。 '私は過去になぜ生きているのか分からなかった’というように話しましょう。はるかに親近感があります。
 (4) 自分自身を信者だと話す者 - ほとんど宗教生活する人々
 ここで、伝道爆発に出てくる 'あなたは救われたのか?' という質問をしてみるのが良いでしょう。
(5) しかし、ほとんど無駄骨をしています。 - それで、失敗を味わってしまうのです。
 人生には失敗があるものですが、霊的状態が荒廃化する程、失敗するようになります。ほとんどむなしくなるまで、失敗して、私たちの前に出てくるのです。ひどい場合は、ムダン(霊媒師)の話を聞いて苦労して、良くならないで、結局、私たちの前に出てくるのです。
 このようにして、私たちと2度目の出逢いをしているのです。
 いいかえれば、キリストを知る前の全てのものが、みな無駄骨であったということです。どんな芸能でも、体育でも成功できます。しかし、必ず怖い無駄骨と空虚さが訪れるようになるのです。
 私たち人間に最も幸福なことがあるならば、まさに私が神様に会ったという事実と、神様の子供であるという事実です。
例) ある専門家が言うのは、おもに子供をよく育てようと努力する家庭の子供達が失敗するようになるということです。このように、人間の努力と願いが無駄骨になるのが世の中です。神様を離れたためです。
 
2度目の出逢い
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なぜ人間は神様に会うことができないのでしょうか?
〈使徒4:12〉
世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。
 
- なぜ神様に会えないのでしょうか? 道がないためです。私たちの喜びは、神様が私とともにおられて、私を導いてくださっているという事実が確認できる時です。
 人間が不幸なのは、神様を離れたためです。神様を離れた生活が不幸をもたらしてしまうのです。すると、なぜ人間は神様に会うことができないのでしょうか?
- このメッセージをする前に '神様が私とあなたとの出逢いを与えて下さったことは、神様が 私を通じてあなたに語られるみことばがあるためです。したがって、この時間はとても重要な時間です'と話しましょう。このようにすれば、一番早く入っていきます。人に会って '失礼します! 懐かしいです!'と話すことより '神様が私にあなたに行きなさい!と言われたので来ました!'と話すのです。このように話せば、占う人々は 'なにか話しに来たなあ!'と感じながら、すぐ心の門を開いて '何でしょうか?' と言いながら聞こうとするのです。
例) 刑務所に行って '私が今日この時間に、あなたがたが想像することもできないプレゼントをあげます!'と言って、福音を説明したら、悔い改めて受け入れるみわざが起きました。
 ピリポは、エチオピアの宦官に会って、もう二度と見ることができないので、ものすごく貴重な初めてで最後の時間だとして重要な福音を言ったのです。そのような心で '今日、神様が私とあなたに最も重要なみことばを下さるはずだ!'と言いましょう。
 
- あなたは神様を知らないでいます。正確に話せば,
1. 神様を離れたゆえに
- 信じようが信じまいが、私たちの首は神様が握っています。それならば、私たちは神様を知るべきです。私たちがこれからどのように死ぬのか? 何歳に死ぬのか? それは、神様の処理によります。車にぶつかって死ぬのか? 病気で死ぬのか? それも神様の処理によります。それならば、神様をよく知っていなければなりません。
  (1) 霊が死んだ状態にあります。 (エペソ2:1)
-犬が礼拝するのを見たことがありますか? 猫が恵まれるのを見たことがありますか? 人間と 獣は、徹底的に違います(輪迴思想は間違った思想です)。人間にだけ神様がわかる霊的なものがあります。人間にだけ、神様のかたちが与えられたのです。最も重要なことをあなたが知らずにいるのです。
 これからあなたを出世させる方は誰でしょうか? 神様です。ところが、あなたはその神様を知らないでいるのです。正確に話せば、神様を離れているのです。まさにこれが問題です。
'千代は人の努力によって、億代は神様の処理によって!' これが未信者の話です。それならば、あなたは今神様を知らないでいます。
 (2) 神様の霊が離れた状態
 @ 本来の人間 - 神様の霊が共におられる
   創世記1:27節のことです。
 A 堕落した以後、神様の霊が離れて、死んだ霊となりました(創世記3章の事件)
   それで、いつも血のささげものがなければ、すぐに呪われるようになりました (カイン)
   罪と罪過で死んだ状態です。からだは生きて動くのですが、霊が死んでいるのです。
 B 神様の霊が離れたので、サタンの霊がその霊を治めるようになりました (Iコリント2:12)
Iコリント2:2節に、私達は世の中の霊を受けなかったと言われています。その世の中の霊が 治めているのです。ヨハネ8:44節にあるようにサタンの力に捕えられて、エペソ2:2節にあるように制せられてれてしまいました。
 (3) 知識、知恵までが暗くなって、神様のみこころを知らなくなりました (Uテサロニケ2:10-11)
 知識の中の最高の知識が、神様を知る知識です(箴言1:7)。人間が神様を知らなければ、獣と全く同じになります。ある面では、獣よりすこし劣ります。獣は死んでも肉を残します。しかし、人は死ねば食べることもできなくて、何の価値もなくなるのです。
 人間が神様を知るようになれば、天使にまさる存在になって、人間が神様に会えなければ獣より劣って、悪魔より劣るようになるのです。
 知識人には '全的堕落’を言ってあげましょう。知識や知恵まで暗くなってしまいました。創世記3:16-20節に見れば、畑にまで呪いがきてしまいました。それで、経済も失敗するようになったのです。
 (4) 神様のみことばを受けても、悟ることができなくなりました (Uコリント4:4-5)
   
2. 人間は神様に会うために努力しています。
- これが人間の本性です。
 (1) 霊的な存在 - 神様を探す本能
 人間に危機がきたり、死の問題がくれば、神様を探すようになります。これが人間の本能です。霊的本能です。
 (2) 真実になれば神様に会うことができると考えたのですが、失敗してしまいました。
 真実にすれば神様に会えることはありません。ある日、大きい呪いが来ます。どのようにしますか? おもに精神が狂った人々を見ると真実です。真実に生きても、自分の家系に災難が入って来たのです。
 (3) ある宗教を持てば良いと思って、熱心に宗教の対象を探して宗教生活をします (マタイ12:43-45)
 宗教生活を深くしたところ、ある日、霊的問題がきてしまうのです。該当する人は 100%認めます。
 (4) 哲学で人間が神様に会おうとしたのですが、失敗してより虚しい人間に転落してしまいました (コロサイ2:8-9)
 学問と哲学は、神様がご覧になる時には、幼稚な等学問で、いんちきにしかならないのす。
 (5) 人間は原罪が何かをよく知らないからです。
 神様を信じないことは、原罪の結果です。
 
3. 救われていない人は、神様に会うことができません。
- 救われていない人間は、神様に会う資格がありません。
 (1) まず救われてこそ、神様に会うことができます。
  身分が変わらなかいからです。
 (2) 生まれ変わることなしでは、神様を見ることができません。 (ヨハネ3:3-5)
 (3) すなわち救いは、サタンの手から解放にされることを話すのです。
 (4) 救いとは、罪から抜け出すことです。
 (5) 救いとは、地獄の力から解放されることです。
 (6) 地獄は、悪魔の子供が行く所です。 (マタイ25:41)
 (7) 天国は、神様の子供が行く所です。
 以上で多くの答が出てきました。前では問題提起をしたし、ここで答が出てきたのです。
罪が多くて地獄に行くのではなくて、罪の問題を解決されることができなくて、地獄に行くのです。罪がなくて天国に行くのではなくて、罪を解決したゆえに天国に行くのです。
 
4. 死んだ人が動くことができないように、死んだ霊は努力しても効果がありません。
 (1) 救われていない者の努力は、外的な変化にしかなりません。
 (2) その努力が良いことでも、救われる価値はありません。
 (3) 土地にあることでは、天国を得る価値があることはないのです。
- いままで、その人が考えていることをひっくり返して、直してあげなければなりません。霊的に死んだ人間の努力が、救いをもらうことに値しないということです。その努力は、外的な変化にしかならないのです。仏教信者やカトリック信者が尋ねた時に、はっきりと答えを与えることができなければなりません。
 'あなたが徹底的に悔い改めしなければ救われない!'と主張するのは、違います。人の記憶力が徹底でないために、徹底的に思い出して悔い改めることは出来ないのです。このように違うように考えている人々が多いのです。
 今日から、イエスのお名前を呼ぶ瞬間、あなたは永遠に罪と死とサタンの力から解放されるのです。
 
5. なぜ人間の努力では救われないのでしょうか?
- あらゆる宗教は、努力で救われ得ようと主張します。
 (1) 自分の努力で霊を生かすことはできません。
 (2) 他人の助けで霊を生かすことはできません。
 (3) 誰もサタンに勝つ英雄をこの地に送られたことがありません。 (使徒4:12)
 (4) 救いは神様の恵みです。 (エペソ2:8-9)
- 使徒4:12節がなんの話なのか? 知っているでしょうか? '世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。'と言われました。仏教の教えは良いものです。しかし、仏教の教えの中に人間の罪と救いに関する解決策を提示されてはいません。したがって、ただイエス・キリストだけが救いの唯一の名前です。
 
<結論>
 神様が果して人間をそのまま置いておかれるのでしょうか? そうではありません。なんの条件もなく、恵みで救われたのです。これを指して恵みと言います。
1) ヨハネ14:6節に、キリストだけ知っていれば "道"を開けたとしてくださったのです。
2) マルコ10:41節に、罪の問題を完全解決なさいました。
3) Iヨハネ3:8節に悪魔のしわざを滅ぼされました。
- 対話を通じて解くべきこと -
 1) 宗教とは? - 悪霊の働きで生まれたものです。
 2) 律法と律法主義の差 - 律法はあなたの罪を知るようにしてくれることです。しかし、この律法を持って救われようと考えることが律法主義です。
 3) 神秘と神秘主義 - 神秘は神様の能力です。しかし、神様の能力と結果だけを見て通うことを指して神秘主義と言うのです。このようになれば、大きい失敗をするようになります。おもに霊的問題があったり、以前に神秘主義と似ていることに染まった人が、ここに陥りやすいのです。
 4) 人間中心主義 - 救われても、人中心、特に自分中心に生きていくことを言います。
 5) 不信仰 - 霊的状態が最も荒廃化したことが不信仰です。土地が荒廃すれば、実がならないないのです。行なうことはみな出来ません。しかし、確実に信じましょう! ひょっとして信徒や牧師を通じて失望する事が起こっても、神様を信じましょう! すると、不信仰に陥りません。
 
6. 治癒 - 悪夢
 (1) 健康の問題 - 適当に運動、規則ある生活、食べ物問題
 (2) 黙想祈り - 黙想
 (3) 定時祈り - ダニエル6:10, 22, 創世記13:18, 使徒3:1, 16:16-31
 
= 意味をもう一度確認してあげましょう =
; 今までは、意味がない生活を送ってきました。これからは神様の子供として生活を送りましょう! このように教えて福音に根をみなおろすようにさせてあげましょう。
 ヘブル4:15-16 ; 日ごとに神様に会う祝福を味わいましょう! すると、あなたがたを通じて多くの門が開くようになるはずです。インマヌエルの祝福を味わって、祈りで祝福を味わうようになるように願います。
 
-終わる時にちょっとした宿題をあげましょう-
; 皆様に会うことを忘れないように宿題をあげましょう。一番良いことは、ローマ8:1-39節までを読んで来てください!とすれば良いのです。ここに重要な答がみな出てきます。ここで 'キリストの愛とキリストの手から奪う者はない’という内容が出てきます。
-希望を与えましょう-(祈りの課題を与えましょう)
; 次週に会って話すことをあらかじめ言ってあげましょう。本当に次の週日に救われてどのように自分の問題を解決するのか? ということを見てみましょう。この話とともに '今回の機会に自分の問題を解決しよう!'という動機を持つようになるでしょう。