2004.06.12 サムエル上(01) - 10 (核心訓練)


注目を受けるダビデ
( Iサムエル18:1-9)

 
要約資料
 
1.幼い時のダビデ
(1)詩78:70-72
(2)Iサムエル17:35(獅子に勝った羊飼い)
(3)Iサムエル16:1-13
(4)Iサムエル16:23
(5)Iサムエル17:1-47
 
2.ダビデの生涯
(1)青年の時期(詩23:1-6)
(2)王の時期(I歴代29:10-14)
(3)老年の時期(Uサムエル16:5-14)
 
3.注目を受けるダビデ(Iサムエル18:1-9)
(1)心が通じるいのちのような友人を得ること(Iサムエル18:1-4)
1)使命者は使命者が分かる
 2)いのちの人は、中心が分かる
 3)真の人は、人を見る目がある
(2)戦士の長に任命される(Iサムエル18:5)
(3)民の注目を受ける(Iサムエル18:8-9)
(4)サウルの注目を受ける(Iサムエル18:9)
 
4.ダビデに訪れてきた初めての危機(Iサムエル18:10-16)
(1)悪霊の働き(Iサムエル18:10)
(2)死の危機(Iサムエル18:11-12)
(3)サウルの恐れ(Iサムエル18:12-16)
 
(The end)
 
説明資料
→序論
▲本文のみことばです。ダビデの生涯が本格的に始まります。苦難も始まります。どのようにしたのか、学ばなければなりません。
皆様はダビデをよく知っています。今からダビデには祝福が始まって、苦難も始まります。どのようにしたのか見なければなりません。
まず、ダビデは結論を下すなら、ダビデに大きい特徴があるのですが-
(1)神様の人- 神様の人だということです。一番ダビデが最もよく歌うことがあるならば‘私の力なる主よ。私は主を愛します’ 旧約の人物の中で、神様を賛美するという言葉をダビデが最も多く使いました。また旧約の人物の中で、有名な祈りを最もたくさん残した人がダビデです。ダビデは、ある時には、こういう話しもしました。‘父母が私を捨てても、主は私を捨てない’ これくらいまで話しました。ダビデは、自分の願いは王になることではなく、神殿を建てて礼拝することだと言いました。すごいことです。神様の人、結論です。このくらいなら、本当にたいした王です。
(2)伝道者ダビデ- 伝道者ダビデです。
(3)一般信者宣教師- 一言で、ダビデは一般信者宣教師でした。これをするために、神様が許された職責が、王でした。このように結論を下せばよいのです。一般信者の皆様は‘私は一般信者宣教師だ’と言えばよいのです。そして、牧師は専門的に礼拝を引き受けた、みことばと祈りに専念しなければならない人だということを 知っていればよいのです。差はこれしかありません。
▲それで、ダビデはどのように、このように宣教したのでしょうか? 4つのことを知っていればよいのです。
 
1.幼い時期のダビデ- 福音、祈りの基礎
▲幼い時のダビデです。福音と祈りの基礎が正しくなっていたから、勝利するしかなかったのです。普通の人は福音と祈りの基礎がなっていなくて失敗するのです。ダビデは、ここで違っていたのです。普通、ここで失敗します。普通の人々に会ってみれば、福音がよくなっていず、祈りがよくできません。一番たくさん使う言葉なのに、一番だめなのです。ダビデは、この部分が明らかでした。それで‘ダビデの子、イエスよ’、マタイ1章を見れば‘アブラハムとダビデの子孫’だと出ています。この話は、福音と相当な関係があることです。そして、ダビデの詩を見れば、メシヤに関する預言をかなり多くしています。この人は、普通の人ではないのです。ダビデは福音を正確に知っていたのです。それで、ダビデが福音と祈りの基礎になる人だということです。
 
(1)詩78:70-72(感謝), 羊飼い - 王
▲子ども達と皆様が銘記すべきことは、私達が現在いる場が何でもなくても、羊飼いである場に見えても、神様は王として召されたのです。必ず記憶しなければなりません。この場に座って献身する皆様に、神様は未来を準備されました。それで、いる場で成功しましょう。これが踏み台です。ここでできなければ、皆できません。皆様の教会で成功して、イエウォン教会で成功しましょう。そうしてこそ、次に成功できます。
 
(2)Iサムエル17:35 獅子に勝った羊飼い
▲羊飼いであったのに、成功しました。正しい心と英知の手で、信仰と技術がすごかったのです。どの程度でしょうか? 獅子に勝ったのです。それほど責任感があったということです。子どもがどのように、獅子に勝つことができるでしょうか?
 
(3)Iサムエル16:1-13を見ると、ダビデは単なる人ではなく、主の霊が共にするということです。主の霊が共にあるので、
 
(4)Iサムエル16:23 ダビデが賛美する時、悪霊が離れたのです。普通の人ではありません。
 
(5)Iサムエル17:1-47 事件 ? ゴリヤテ
▲ここで、成功する最初の驚くべき事が起きたのです。事件がおきたのです。これがまさにゴリヤテに勝つ事件でした。ダビデは、こういう秘密を持っていたのです。この秘密を持っていれば勝利するのです。
▲皆様はこれをどのように子ども達に教えて、私達がどのように悟るのでしょうか? 簡単です。私はここに座って少しの間、考えました。幼い時から生きてきたことを考えながらここに座ったのです。どれくらい感謝したでしょうか…. 神様が祈りに答えてくださったのです。信仰が生じるということは、難しくありません。私が幼い時から生きてきたことを、だいたい考えてみて、ここに座ったのです。皆様と共に、すごいことなのです。
1)過去、現在、未来- 私の過去と現在、未来を考えてみれば、簡単な答が出てきます。私が子ども達にこのようにしました。学生達に、福音と祈りをどのように説明するか? それで、子ども達が集まった時、必ず先週に受けた感謝と祈りの答えを言います。はじめには聞かないでも、後ほどは理解して、祈る生活に変わるのです。すると、成功するのです。ダビデが幼い時、幸いに福音を理解した祈りの人でした。完全に勝利することです。皆様が福音だけ持って祈れば、いつでも勝利します。
2)証拠- それで、子ども達に多くの証拠を話すことが良いのです。簡単に話しても、毎週、聞けば働きが起きるのです。
3)時代的働き人- 幼い時に可能でしょうか? 私が見る時、幼い時から福音を悟って祈った人は、一名ももれずに、時代的な人になりました。例を上げれば、ムーディー、9歳で福音を悟って聖霊充満を体験したのでした。だから、米国では、ムーディーほどの人がいないのです。ヨーロッパまで影響を与えました。ムーディーは習ったことがなくても、米国の大統領がついてくることができなかったのです。すばらしかったのです。皆様が今から福音と祈りの秘密を味わう、真の祝福を受けることを望みます。考えてみましょう。自然に感謝が出てくるしかないのです。結論は、ダビデはいつも感謝していたということです。幼い時、どのようにしていて、教会に行くようになって、福音に会うようになって、神様の前に用いられるようになったのかを今、考えると、本当に感謝するのです。
▲少し前に、キム・ジュンゴン博士に会って、このように話しました。‘私が韓国で本当に福音を伝える人を父のように仕えることを願ったのですが、韓国の教会が許さなくて、私が今、出来ずにいます。祈ってください’福音を悟ることは、どれくらい重要か分かりません。私はその方の説教を聞いて、福音を理解して、福音の働きをすると決断したのです。子ども達にも、福音と祈りに対して説明できれば、正確なのです。ところが、私たちはこのやさしいことをのがしたのです。ダビデは、これを捕まえたのです。
 
2.ダビデの生涯- ヴィジョン
▲このようになれば、ヴィジョンが出てくるのです。
 
(1)青年時期(詩23:1-6): 困難 - 答え
▲ダビデは、どんなに困難が来てもかまわなかったのです。本当のヴィジョンを捕まえた人は、どんなに困難が来ても、その困難がむしろ答えになるのです。それで、詩23篇を見ると‘主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません。’と言ったのです。とても難しい時に言った話です。‘死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。’ヴィジョンを持っていたのです。すでにIサムエル16:13節に、王になることを話したのです。獅子にも勝って、ゴリヤテにも勝ちました。この程度の困難は何でもありません。皆様が福音と祈りを理解すれば、簡単に終わると思っていますが、そうではなく、明らかな未来が出てくるのです。
 
(2)王の時期(I歴代29:10-14)
▲ダビデが王になって、どのようになったでしょうか? 貧しくすること、富むこと、全てのものが主の手にある。ダビデの願いがなされたのです。神殿を建てる準備を完壁にするということです。正しく福音を悟って、祈りの答えを受けている人は違うのです。一般信者は、そのように祈りましょう。格好良く福音を伝えて勝利して、皆様の子どもも時代的な人物にさせて、最後に死ぬ時は、福音のために、教会のために、格好良く献身するように願います。ご飯も食べることができなくて、問題を起こして、他人の悪口を言って、悪口も言われるようになるのではなく、格好良いようにしましょう。ダビデを見ましょう。福音を悟ったということは、格好良いということです。そして、福音を祈りで味わったということです。このようになるので、正しいヴィジョンが生じるのです。ダビデの願いは、サウル王のように王を長くすることではありません。比較的、サウルは長くすることができませんでした。ダビデは、主の神殿を建てて、契約の箱を移すことが願いでした。
 
(3)老年の時期(Uサムエル16:5-14)
▲老年の時期です。ダビデが追われた時、ダビデは臣下がシムイを殺そうとした時、神様がなさることであり、神様が私に恵みを与えるためのことだから、殺すなと言ったのです。王は、一生、することなので、お互いしようと列をなして大騷ぎが起こるのです。ところが、ダビデが死ぬ前に、その次の王が誰なのか知るために、陣をはったのです。これをダビデが見て‘自分のからだから出た息子もこのようにするのに、ましてシムイがしないだろうか? 神様がまちがいなく、私に恵みを与えられるためなのだ’と言いました。私はダビデの心情が理解できます。このまま、あのような臣下に国を任せて行けば、大変な事になるために、神様が最後まで清掃をされたのです。ダビデの目は違います。神様が恵みをくださはずだと考えて、感謝して、勝利して帰ってきたのでした。福音の秘密を味わい始めたり、知っていれば、どんなことが行われるかというと、ヴィジョンを発見するので、絶対に揺れません。神様の手に勝てる者はいません。どんなことがあっても、構わないのです。福音を妨げる者はいません。契約を握りましょう。ダビデは揺れませんでした。‘主は私の力、盾、やぐらです’ あらゆる言葉を動員しました。勝利するしかありません。
 
3.注目を受けるダビデ- 人間関係
▲ダビデの人間関係です。神様を本当に信じれば、人間関係の問題がなくなります。重要な言葉が出てきました。サウル、人々がダビデを注目したということです。ダビデがどれだけ祝福を受けたでしょうか? 私はダビデを見る時、本当に祝福を受けた人だということが感じられます。
 
(1)指導者サムエル- 指導者サムエルが、ダビデに多くの指導をしました。
(2)エッサイ- 父エッサイは祈りの人でした。
(3)ヨナタン- 友人ヨナタン、この人は普通の人ではありません。自分の服を脱いで、ダビデに与え、いのちのように愛したのです。正しく目が開かれた友人です。
(4)将軍- そして、ダビデのそばについて行った将軍。ダビデが最も難しい時期に、ダビデを離れないで、問題がきた時も、終わりまで助けた将軍たち。
(5)臣下- そして、正しい臣下、こういう人々がついたのです。
▲神様との関係が正しければ、人間関係に問題がくる必要がありません。いたずらに、変に問題、葛藤が来ても、心配する必要はありません。心が通じるいのちのような友人に会って、軍隊の長になったのです。民とサウルの注目を受けました。皆様が外に出て、信仰生活をする時、未信者が福音を受けないかの様に見えるけれど、皆様を注目しています。また皆様を反対しているかのように見えても、みな見ているのです。皆様が神様のみことばで、格好良く生きていれば、心の底から認めるのです。皆様を誰が認めなくても、見ていて、祈っています。神様も知っておられます。心配する必要がありません。ダビデはこれを知っていたのです。ダビデが人間関係に勝利したのです。これだけ知っていても、ものすごい勝利です。神様と関係が良ければ、人間関係は良くなるしかなくて、敵も愛すようになりません。福音でなければ、敵を愛するのは難しいのです。神様の力、秘密と関係なければ、全部、ライバルです。福音を本当に知っていれば、人間関係で葛藤する必要がありません。この祝福を回復しましょう。
 
 
4.ダビデに訪れてきた初めての危機(Iサムエル18:1-16)- 危機管理
▲ダビデの危機の中での対処です。危機管理をどのようにするのでしょうか? ダビデに危機がきました。悪霊の働き、死の危機、サウルがダビデを恐れ始めたのです。ダビデを嫌ったのではなく、恐れたゆえに問題がき始めたのです。ダビデは、危機をどのように管理したのでしょうか? いくつかで管理したのです。
 
(1)祈り(詩142篇)- 危険がくる時ごとに、ダビデは祈りの内に入っていったのです。どれくらい祈ったでしょうか? 本当に祈りました。例えば、詩142篇を見れば、サウルが軍隊を連れてダビデをつかまえに来て、洞窟の前でダビデが入っていったのだろうかと相談していました。その洞窟の中に入っていけば、ダビデは殺されるのですが、臣下がクモの巣があるから、ダビデはいないだろうと話して、生き延びたのです。ダビデはその 中に隠れていました。この時のダビデの祈りが142篇です。困難がくる時ごとに、祈りの内に入っていったのです。
 
(2)つぶやかない- 一度も恨みませんでした。これを回復することを望みます。牧師になって、福音を伝えることができる時代的な福音を知るようになったことを感謝して、そういう牧師の夫人になったことを感謝しなければなりません。感謝を悟らなければならないのです。絶対に滅びることはないという保障を受けたから、感謝して、皆様の子どもがレムナントの祝福を受けたから、感謝するのです。感謝を回復することを望みます。ところが、ダビデは絶対に恨みませんでした。
 
(3)神様の手- ダビデはこれをいつも神様の手だと見たのです。シムイが呪ったのを、ダビデは神様がさせておられると言いました。今、ダビデの周辺に起きる全てのものを神様の手だと見たのです。それで、ダビデは勝利できたのです。一度も恨みませんでした。元々、ダビデは戦士です。獅子とゴリヤテをうち破って、戦争の時ごとにペリシテの軍人をうち破りました。周囲で、臣下がサウルがまともな精神状態でないために、処理しなければならないと言う時、神様が油を注がれたしもべを私達が手をつけることができないと、ダビデが話しました。あらゆる危機を、祈りに変えて、神様の手だと見たのです。ダビデの困難は死の危機だけで5回でした。ダビデが楽器を奏でる中、サウルが悪霊が入って、槍を投げたことが2回、娘を説得して刺客を送ってダビデを殺せと言ったのです。ところが、奥さんが、ダビデに肩入れしたのでした。山に、ほら穴に、探し歩いて、もういる所がなくて祭司の家に隠れたら、ダビデを隠したという理由で、サウルが祭司と預言者をみな殺したのでした。それで、ダビデが国境を越えて、ペリシテに逃げました。そうしたところ、ペリシテの将軍が‘ゴリヤテを殺したダビデであるゆえに、国の未来を見て殺さなければならない’と言ったら、ダビデがこの話を聞いて、精神が狂ったように演技をしたのです。それで、ダビデが抜け出てくるようになったのです。これを一度も恨みませんでした。これを全部、神様の祝福として味わうようになったのです。
 
▲将来にダビデを見て伝道者のあなたがたは、素晴しい祝福を受けるべきです。ダビデを私は素敵だと考えます。普通の賛美の人ではありません。素晴しい伝道者なのです。
 
4.結論 - 良い姿(使徒1:8)
▲今回の神学院と宣教師訓練院のメッセージで結論を結びます。
 
(1)結論- ダビデに臨んだ主の霊、その充満を受け、力を受けて地の果てまで証人になりましょう。使徒1:8は遺言ではなく結論です。福音をみな受けたから、聖霊充満を受けろという結論です。葛藤があるのでしょうか? 主を見上げなさいという結論です。結論の中の結論は、神様の力を体験しなさいということです。病気でしょうか? 主の力を体験しましょう。結論です。
 
(2)決断- エルサレムを離れないで、父の約束なさったことを待ちなさい。決断です。いのちをかけて待ちましょう。それで、私たちの霊的問題、教会復興、私たちの職業に決断をおろしましょう。
 
(3)実践- 地の果てまでわたしの証人になります。何を実践しなければならないのでしょうか?
 1)定刻の祈り- 今から教会、職業、家庭のために定刻の祈りをしましょう。どの程度にするのでしょうか?
2)一つに- 続けてみるならば、皆様の家庭、祈り、講壇が全部一つにつながるようになっています。ヨセフとダビデのようになるのです。すると、常時祈りになります。
3)人生スケジュール- スケジュール表を作る必要はありません。皆様の人生のスケジュールを作りましょう。何時に起きるということではありません。祈りの答えが来たら、スケジュールができるようになっています。幼い時、先生の宿題でスケジュール表を作って、そのまましたことはありません。スケジュールを立てて、明日からしなければと思っても、一回もしないのです。休みの時、息子にスケジュール表を作りなさいと言ったら、寝ることと食べることしかありませんでした。よく作ったと言えるでしょう。祈りの答えがくればできるようになっています。私は今、4人がスケジュールを作っています。聖日に机の上にスケジュール表が置かれたら、その時からずっとそれに従って回るのです。人生のスケジュール表を作りましょう。
 私が教会にどのように仕えるか、そして、自分の教会に弟子を何名作るほどに伝道するか、計画と未来を立てましょう。そして、職業はどのようにして、周囲の人々はどのようにするかに対して立てましょう。人生のスケジュール表を格好良く作りましょう。これが使徒1:8です。
▲この祝福を、あらゆる人がみな味わったのですが、旧約のダビデがよく味わったのです。素晴しい王です。皆様が伝道者として、この祝福を、すべて味わうようになることを希望します。
(The end)