[2004年8月28日 / ソウル核心要員メッセージ / ソウル・イエウォン教会 / 柳光洙牧師]


祈りの課題を正しく発見したダビデ
(Uサムエル7:18-29)

 
@ 序論: ダビデの祈りなのですが、最も恵みが深い祈りの中の一つです。神殿を建てる考えをした祈りです。その有名な聖書箇所です。‘どうぞあなたのしもべの家を祝福して、とこしえに御前に続くようにしてください。’訪問に行けば、皆様の家にたくさん付けている箇所です。何年か前に私達が金剛山に遊びに行ったのですが、私は2つのことを感じました。北朝鮮は、まだ南北統一されてはならないということを感じました。金日成主席を知っている人と、金正日党書記を知っている人がみな死んで、その次に外国と世界を知って勉強をした人々と対話をせねばならないのに、彼らとはできないということを知るようになりました。あちこちに金網を張って、すこしでも粗末な所は人々が守っていて、廃虚になっていました。それはかまわないのですが、あちこちに記念碑を立てて、記念塔を作ってありました。記念碑を作って何と書いてあるかというと‘金日成主席様が少しの間座ってくださった所’、こういうやり方です。この人たちを捕まえて何を言うのでしょうか? だから、まだ南北統一ができないほうが良いのです。今は待たなければなりません。あまりに違うためです。それとともに、もうひとつのことを感じました。
(1) 恵み ? 働き: 恵みが何でしょうか? 列によく立ったことが恵みだという気がしました。私が北朝鮮で生まれれば、どのようにしていたでしょうか? 列によく立ったことが恵みです。私たちも、列によく立って救われたのです。列によく立ったことが恵みです。静かに考えてみましょう。何の誤ちもなく、パリサイ人の下にいる人たち、何の誤ちもありません。誤ちがあるならば、列によく立てなかったのです。それも自分の勝手になることではありません。完全に滅びて、子どもまで滅びたのです。列によく立てなかったのです。何の誤ちもなく、中世教会の下にいた役員は、滅びてしまったのです。せつないことです。私は幼い時から、イエスを信じる家で生きた人間です。私は確かにお話しすることができます。私が幼い時、なぜ教会を放棄したのかというと、教会に通った人の中で成功した人がいなくて、最後に行けば、未信者よりだめになって死ぬことを確かに見たのです。ところが、ある日悟りまいた。どこに列を並んだのかが重要です。パリサイ人に列を並んだから、滅びるしかないのです。私は、とてもパリサイ人的な教育を受けました。誰が教えたのかを知らなくても、私はそのように習いました。今でもちょっと残っています。献金も千円、二千円、一万円ずつする時は、封筒にそのまま入れました。私が少し前に、何千万円を献金する時がありました。私がお金を持っていれば、何をするでしょうか? 教会に献金しようと考えたのです。その時、私が何をしたのか知っているでしょうか? 自分の字で ‘柳光洙牧師’と印刷したように書いて出しました。それも金額まで書いて出したのです。そのまま封筒に書いて出せば良いのに、名前を書いたのです。それを出した後に、長老が感動を受けているかと見ました。ところが、それほど感動を受けないのです。‘私たちの先生が、あのようにお金を集めて、教会にみな出したんだなあ、たいしたものだ、尊敬すべきだ’とすることができたのに、なんの話しもしません。その時、私がまだ私にパリサイ人気質が残っているということを知りました。献金する時、パリサイ人は人が見ればして、見なければしなかったのです。祈りも見える所でしました。これがパリサイ人です。私たちも知らなく、列によく立ったということです。皆様は今、福音運動をする教会の牧師に列を並んだということが、普通の祝福ではありません。これから、しばらく見てみるように願います。ここで核心を聞いて行けば恵みになるのに、自分の教会の牧師の説教を聞けば、福音でないようだという人々がいます。それで私が答えました。福音でないような人々が、ここまできたとすれば、それはより立派な人です。自分の教会はだめで、そばの教会に皆いくために、私達が力が抜けるという人もいます。今、イエウォン教会や東部教会や、安山パルフク教会が成長して、復興しています。それは当然なのです。ところが復興が死んでもできないのに、続けて来るならば、それはより立派な人です。本当の恵みをよく知らないのです。これが恵みです。
(2) 伝道運動: 私が伝道運動をするのに、これもあれもだめになりました。何年間かそうでした。ところが、一つ感謝することが、これが福音でこそなるということです。これはあることです。だから、そのまま終わることでなく、ある日、事が起こるのです。絶対に気落ちせず、時刻表を待てばよいのです。耐えることができないことが引続き起きます。それとともに、ある日私が見ると、全世界に伝道運動がおきているのです。この 福音運動が本当にすごいことなのです。ある日、私はできる人間ではなくて、私はだめだと考えました。習ったことも、背景も、ところがある日、事が起きたのです。率直に告白します。‘何かをしたところ’ではありません。ある日起きるのです。ところが、みことばが分かって、伝道現場が見られたのです。ところが、すこししたら、全世界に伝道運動がおきたのです。ある人は、みわざが起きて、病院でよくならない病気もよくなりるみわざが起きました。それとともに、私が3つのことを感じました。
@ 代表的答え: 私のような足りない者を呼んで、神様が代表的な答えを与えて、他の人を生かそうとなさるのだな。こういうことが出てきたのです。そして、聖書を見たら、福音を受けた人は代表的な答えを受けたのでした。これが悟れるようになりました。なぜ私のように足りない者を呼ばれたのでしょうか? それは、他の人を生かすために神様がなさることです。私達が代表的だということです。それとともに、衝撃を受けたのは、私より立派な人が多いということを知るようになりました。私達が外に行けば、人格も姿形も立派な牧師が多いのです。ところがひとつ胸の中に、彼らがなぜ福音を深く悟ることができなくて、足りない私に神様が福音を知るようになさったのか質問をします。そして、これがこの時代に必要な答えだということを知るようになったのです。私はそのように感じられました。
A 時代的: ある日、皆様の子どもと私たちの子孫に重要なことが行われるはずです。それで、私たちは共同体という単語を握りました。
B 記念碑的: 聖書を見ると、ヨルダン川にある石を持ち出して搭を積めとなっています。理由が何でしょうか? 子孫が聞いたら言ってやりなさいということです。これが何か? ヨルダンから持ち出した石で記念の塔を積んだということです。記念碑的な祝福です。その時、悟ったことが共同体です。誰でも見ることができる記念碑的共同体です。このように悟りました。
(3) 未来: それとともに、未来が見えるのです。これから、どんなことがおきるのか? 皆様が今、よく考えてみましょう。地球上にイエウォン教会で、皆様の教会で、海外と釜山で、他の理由ではなく、伝道ゆえにずっと集まっています。これから、どのようになるでしょうか? 私はこれが見えるのです。とても恵みです。神様に感謝します。どのようになるでしょうか? 知らない人々は、まだ尋ねるのです。何ゆえに土曜日ごとにイエウォン教会で集まるのか? これは確かに答えてあげることができます。これを聞く人は、伝道が何か知らない人だということです。伝道ということは ‘一度してみるか?’と言ってすることではありません。伝道は、このようにしなければならない、あのようにしなければならないということではなく、なにか知らないで人生をかけてはならないのです。皆様がどんなに立派でも、1年だけこの話を聞かなければ、伝道をしません。皆様がどんなに立派でも、10年のうちに伝道を全く忘れてしまいます。これが人間というものです。このように聞く人は、とうてい伝道がわからない人です。今現在、牧師と一般信者が一緒にキャンプに行って巡回することが、地球上にはありません。これから、どのようになるでしょうか? どれくらい驚くべきことなのか分かりません。本当に神様の恵みです。このようになる時、私たちは神様の祝福を味わうのに、することはひとつしかありません。
正しい祈りです。私達がすることは何でしょうか? 神様の恵みの中で、正しい祈りの課題をダビデが発見したのでした。ダビデは、普通の人ではありません。王になるやいなや、ダビデの町を作って、契約の箱を移したのでした。契約の箱を移してダビデが言った言葉です。預言者を呼んで、こう話しました。‘私は杉の木の宮殿に寝て、主の契約の箱は幕屋の中で風吹く所にある。神殿を建てることはどうだろうか?, すると、預言者ナタンが神殿を建てることが正しいことだと言ったのです。それで、今から祈って始めることが良いと言ったのでした。そして、神様がダビデを祝福されたのに、何と言われたでしょうか? それに対する祈りが今日の本文です。普通ではありません。私達が信仰生活をよくするということは、祈りの課題が正しく出てくるということです。今日、この祝福を皆様が受けるように願います。これをしようとするなら、皆様が3つのことを記憶しなければなりません。
 
1. 福音 - 祈り、味わい
まともに福音を知って、祈りの課題以前に祈りの味わうことがなければなりません。祈りの課題以前に、正しく福音を知って味わえば、ダビデのように答えを受けるしかないのです。
(1) 詩78:70-72(少年): ダビデは幼い時、福音を知って祈りをとても幼い時、少年の時から始めたのです。この時、すでにしたのでした。皆様が知っているように、どれくらい祈ったのか詩が出てきたのです。
(2) 聖霊充満: Iサムエル16:13, Iサムエル16:23を見れば、幼い時、どれくらい祈ったのか、聖霊充満を受けました。そして、ダビデは幼い時から賛美の人だったということです。
(3) 朝: 詩5:3節に ‘朝に主が私の声を聞いてくださって’, ダビデは、王であったのに、明け方祈りに行ったのでした。地域を移さないでいる人は、必ず明け方祈りに行きましょう。今、牧師でも重要な方達は、他に通うので、することができないけれど、皆様は明け方祈りに行きましょう。そして、明け方祈りに行くことが出来なければ、朝に起きて祈りましょう。祈ることが嫌いだったら、朝に起きて遊んでも良いのです。これは単なる話ではなく、朝の人、明け方の人だということです。ものすごく重要です。
私が今回、米国に行ったのですが、気分が良くなくて帰ってきました。なぜなら、私が私たちの息子の家に行ったのに、悪いことではないけれど、その家を見ながら、私が教育をさせなかったということが分かりました。大きく悪いことではないのですが、どれくらい遊んだのか、私ががっかりしてしまいました。それで飛行機の時間にもなっていなかったのに、早く出てきました。だから、息子と嫁はうろたえていて、心配した顔つきできました。教育が重要です。私が忙しくて、こういう教育ができなかったのでした。人が時々遊ぶこともありますが、これは積み重ねられたようでした。男性は夜明けに起きて、運動もして、祈りもして、整理もしなければならないのに、これはまちがいなく、時間があれば、寝るだけ寝て、無秩序だということです。子ども達がいるということは、言い訳にはなります。しかし、私が見る時は、これは体質化された乱雑さでした。なぜ私の息子の悪口を言うかというと、レムナントがこのメッセージをテープでみな聞くためです。皆様は、絶対的に朝の人にならなければなりません。起きて運動もして、祈りもして、可能ならば、教会に明け方の祈りも行って、家の整理をしなければならないのです。私達が時々、このような時があります。市内や川岸の喫茶店でコーヒーを飲めば、頭がさえると言います。家ではなぜだめなのでしょうか? 歌を歌ったことがありませんか? ‘楽しい所から私に来なさいと言っても、私の休む所は、小さな私の家だけだ’このようにならなければなりません。家に帰ってきて休息できなければなりません。女の人は必ず、記憶しなければならないのです。子ども達が家に帰ってきて休息出来なければ、ぐれたり、馬鹿になります。これを知っていなければなりません。そして贅沢をしなさいということではありません。なぜこの扇風機がここにあるのか? イエウォン教会が 外から見ると、良い姿であったのに、なぜイエウォン教会の講壇の色合いが、このようにならなければならないのか? なぜ黒板がここになければならないのか? これを見て美術だと言います。女の人たちは、美術感覚がなければなりません。夫が外から帰ってきた時、我家ぐらい良い所がないという考えをするようにしなければならないのです。なにかあちこちにぶらさがっていれば、夜にどこかに行きたくなります。喫茶店に行って、コーヒーを一杯飲めば良いことです。あちこちにぶらさがっている所にいる女と、清潔な喫茶店で行き来する女の人のどちらが可愛いでしょうか? 贅沢しなさいということではありません。子ども達が中高の学生くらいになれば、思春期がくるために、家も音楽室のようにしてやる必要があります。部屋にちょっと投資をしてやらなければなりません。お金をいくらもかけなくても、相当な効果が現れるのです。貧しい人々が住む所に行ってみましょう。貧困も貧しい人と、代々に確実に貧しい人がいます。私は伝道をしようと入っていって驚きました。ムダン(霊媒師)の家に行くと、うつわがどこにあるのか分からなかったのです。おまると洗面所をくっつけて使っていました。私たちは、福音を持っています。ダビデが夜明けに祈りをしにいったということは、普通の人ではないということです。
(4) 対象: 詩 6:9 ‘主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。’私達が石を見てお辞儀をすれば良いのでしょうか? 祈りができる対象は誰でしょうか? 主なる神様です。愚かに石を見て、どのように答えを受けるのでしょうか? これが悪霊の働きです。何の神様が、小さい箱の中に入っているのでしょうか? これが悪霊の働きです。偶像を誰が作ったのでしょうか? 人が作ったのに、それがどのように神様でしょうか? 私たちはそのような対象ではなく、主は私の願いを聞いてくださるのです。
(5) 名前: 特に詩9:10節を見ると、このような言葉があります。‘主の名を...’ この話は普通の話ではありません。ダビデがゴリヤテに出てきた時、何と言ったのでしょうか? ‘万軍の主の名前でお前の前にきた’、そして23:4節に‘主の御名のために、義の道に導いてくださる’ イエス様が祈りを教えられるのに先ず一番に‘天におられる私たちの父の御名があがめられますように’と祈れと言われたのです。この話は、神様は悪霊、雑神ではない、偉大な御名だということです。何の話なのか知っているでしょうか? これをダビデが知って、いつも味わったのでした。
(6) 生活、運命、呪い、子ども: 詩14篇に‘愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている’, 詩18:1‘主、わが力’, 詩23:1 ‘私の羊飼い’, 詩35:2に ‘主は私の盾’と言いました。これは全部、生活の中で答えらが出てくることです。初めて来た人がいるでしょうか? 福音を本当に悟ってしまえば、運命は完全に終わってしまいます。福音を完全に知っていれば、霊的問題にくる呪いは完全に終わってしまうのです。完全に知っていれば、神様の子どもになります。それなら、祝福がどれくらいものすごいのでしょうか? これで終わることがありません。
(7) 天軍: 詩103:20-22を見れば ‘主のすべての軍勢よ。みこころを行ない、主に仕える者たちよ。’皆様はこの場に座っているけれど、未信者は知らない話です。これは、聖書を知らない人は分からない話です。皆様は、ここに座っているけれど、神様は目に見えない天の天使をあちこちに送って、働きをなされるのです。皆様はここに座っているのですが、行ってみれば、答えがきます。おかしなことです。ダビデがこれを知っていたのでした。皆様が本当に祝福を受けることを望みます。
△ 考え: ここで最も重要なのが何でしょうか? 早くと私という枠を変えなければならないのです。考えということが重要です。どんなに福音を受けても、考えが異常ならばだめなのです。考えが立派であれば、立派な事が出てくるのです。私がどんなに救われた神様の子どもでも、福音を正しく悟れば終わってしまうのです。私たちの考えが重要なのです。今日、皆様が神様の祝福を受けることを望みます。
牧師達にこう話しました。私たちの考えが正しいこと、長老一人が年齢が若くなくて、お金もなくて、背景もないことがあります。この時が重要です。お金もなくて、背景もないので、私は使い道がない者だと言えば、考えが間違っているのです。この長老がどのように悟ったのかというと、お金もなくて背景もないけれど、長老なので、いのちをかけて、時間があれば牧師のために祈って、知っている人にこの良い福音を伝えるべきだという考えをしたのでした。考えが重要なのです。貧しい。この人が畑で仕事をしてきたのに、自分の畑の小屋で昼食を食べるために上がったら、青年が横になっていたのですが、近所の有名なチンピラでした。長老が 考えが違うので、彼の目をさまさせて、弁当を開けてご飯を食べて、静かに福音を伝えたのでした。時刻表でした。このチンピラが長老が伝える福音を聞いて、人が変わり始めたのですが、それが有名なキム・イクドゥでした。後ほど福音を受けて、韓国を代表するキム・イクドゥ牧師になったのです。考えひとつが正しければ、どんな実が来るか見ましょう。みな同じ福音なのにということです。皆様も知っているはずです。村の人々が市場に行く時、石を木に投げてお辞儀をして、今日、キム・イクドゥに会わないようにしてくださいと願ったのでした。こういう人です。この人が聖書、賛美歌を持って教会に行き始めたのです。酒飲み、けんかばかりする人が変わったのでした。人が変わったのに、友人が見て、酒を飲まないので、酒をなぜ飲まないのかと尋ねたのです。だから、薬を飲もうと言いながら、その薬が旧約、新約だと言ったのでした。キム・イクドゥ牧師の口から出てきたことです。歳月が過ぎて、一度はあるチンピラがキム・イクドゥ牧師にからんできたのでした。あまりに、からむので、腹が立って、すみに連れて行ったのですが‘いや違う。耐えるべきだ’と言いながら壁をたたいたのでした。それとともに、キム・イクドゥ牧師が述べた言葉が ‘イエスは私が信じて、恵みは君が受けているよ’と言ったのでした。この人が残した言葉です。長老ひとりの考えです。皆様が祈ることを望みます。この福音を本当に味わいながら祈ることを望みます。
 
2. 祈りの課題: ダビデを見ましょう。今は、時々刻々で祈りの課題が発見できるのです。
(1) 羊飼い: 羊飼いでいた時です。詩78:70-72節を見れば、羊飼いだった時、どんな祈りをしたのでしょうか? 羊一匹も失わないようにしてくれと祈ったのです。
(2) 暇な時間: そして時間があるならば、賛美と祈りをしたのです。
(3) 歴史、使命、召命: それのみならず、ゴリヤテが現れた時、どのようにしたのでしょうか? 正しく発見したのでした。‘わが国には、あのゴリヤテ将軍に勝つ人はいないな。わが国が偶像崇拝をして、このように失敗したんだなあ’と、歴史を悟ったのです。すると、万軍の主の御名でゴリヤテと戦うべきだな、使命です。誰が戦うべきでしょうか? 私が行くべきだという召命意識です。このように発見できるようになるのです。
(4) 時刻表: 困難が差しせまってきます。サウル王がどれくらいダビデを殺そうとしたでしょうか? その時、悟ったことが何でしょうか? 神様の時刻表です。‘主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません’ダビデがした祈りです。
(5) 契約の箱: 王になるやいなや、何をしたのでしょうか? 契約の箱を移したのです。少しだけ福音を悟って祈れば、時刻表が見えるのです。こういう信仰生活に勝利する伝道者になることを望みます。
△ 解釈 - 完全福音、完全伝道、完全献身: 問題は、事件が起こった時の解釈が重要です。羊飼いでいた時、戦争が起きた時、困難がきた時、解釈が重要なのです。何で解釈すれば良いのでしょうか? 福音は完全です。そして、私はこれからこの福音を伝えるために生きる。完全伝道です。私はこのことのために、私のいのちをささげる。これで見れば、解釈が正しくできるのです。ヨセフが難しい時、これで解釈をしたのです。イエス様がこうおっしゃられました。‘戦争が起きて、困難が来て、飢謹が来てもかまわない。福音が宣べ伝えられた後に終わりが来ます’福音を持った私たちの考えが重要で、解釈が重要なのです。困難がきた時、福音を持っている人は、解釈が違います。これに正確な答が出てくるべきです。これで終わったのではありません。
 
3. 一生の祈り: ダビデの一生の祈りの課題が出てきたのです。正しく悟ったのです。
(1) 栄光: Iサムエル17:35, 詩23:3節を見れば、ダビデの一生の祈りの‘主の名前に栄光を帰す’ということです。私は主の御名を高める神様の人になると言ったのでした。
(2) 神殿: Uサムエル7,8章、I歴代29:10-14節を見たら、一生の祈りの課題を握ったのです。‘神殿を建てる’.
(3) 家: それとともに、私がこういう大きい祝福を受けたから、Uサムエル7:29節に‘主の恵みでしもべの家が祝福を受けるようにしてください’と言ったのでした。私たちの次の世代まで、家族まで、ダビデの一生の間です。必ず記憶しましょう。皆様が祈りの答えを受けようとするなら、必ず3つのことを参考にしなければなりません。福音の中にいれば、皆様は既に勝利しています。それなら、皆様の考えがものすごく重要です。祝福をそのとおり味わうように願います。これから事が起こった時、解釈が重要です。
△ 人生: そして今は、重要な神様の契約に人生をかけるべきです。人生をかけなければならないのです。ダビデは、神殿を建てることでした。それほどの価値あるのです。そのように人生をかけることができるのでしょうか? 掛けることができます。3つでかけなければなりません。
@ 「切なる思い(ハン)」: 私たちは、単に信仰生活をしてはなりません。切なる思いを持たなければなりません。これが何でしょうか? 皆様にはこれがないでしょうか? 私は6.25(朝鮮戦争)の時、あるいは、それ以後に住んだゆえに、切なる思いを持っています。その程度はまた問題ではありません。また父母が苦労するのを見ました。その程度も切なる思いではありません。私は多くの教会に通ったのですが、本当に福音のために生きる教会がありません。主のしもべの中にも、福音のために生きるという人がそれほどいません。役員の中に福音のために生きるという人もそれほどいません。少しだけ損であっても、そのままいません。損がくるようでも、静かに見ていません。私はたくさん見ました。その間に、目に見えないサタンは、私たちの文化とレムナントに飲み込んだのです。切なる思いです。ヨセフがどのように祈りの答えを受けたのでしょうか? 幼い時、お母さんが亡くなって、家庭で苦労をして、切なる思いを持ったのでした。モーセは80年間、抱いていた切なる思い。ダビデがとても追いかけられて苦労したのに、その切なる思いがどのように変わったのでしょうか?
A 契約: この切なる思いが契約に変わったのです。
B 契約的切なる思い: 今は契約的な切なる思いです。私がこれからは、本当にこの福音のために、大きくはできなくても、一つの地域を生かすべきだな。この切なる思いを言うのです。このように捕まえた者は、まちがいなく勝利します。
△ 福音 - 祈り, 伝道 - 祝福: 結論を見るように望みます。福音と祈りの回復は、私を回復する最も早い道です。心配しないで。福音がなにか本当に深く知って、祈れば、皆様の全てのものが回復します。そして今は神様のみことばを見て、伝道が何かを知るようになれば、皆様の周囲の祝福が全部回復します。間違いありません。どれくらい驚くべきことなのか分かりません。今日、神様が与えられる大きい祝福が回復することを希望します。
 
△ 祈りの課題
(1) 専門の働き: イエスを信じる人が一番できないことがあります。私たちタラッパンは、ずっと勝利するのですが、ひとつできないことがあるのです。専門の働きができないのです。だから今、私たちタラッパンで子ども宣教、青少年相談、病院の働きがあるのに、これができないのです。この話は私たちの専門の働きがないということです。
(2) 9月 6-8日, 新家族修練会: 9月 6日から8日、私たちは今とても多く復興にしたゆえに、伝道運動が一番はじめにどのようにできてきたかを教材を作って説明しようとしています。新家族の修練会です。
(3) 9月 14-15日, 伝道基礎理論: 9月 14日から 15日, 女教役者修練会なのですが、聖書が話す‘伝道の基礎理論’という本を持ってくることを望みます。ある本は、私の名前になっていて、あるものはスヨンロ教会のチョン・ピルド牧師と共著になっているものがあります。同じ内容です。女教役者修練会へいらっしゃる方達は、この本を持ってくるように願います。これもむかしに、はじめにしたことを回復するためのことです。今日、皆様はとても大きい神様の祝福を受けました。その理由、福音の内にきたためです。本当にです。私はクリスチャンが福音でない、違ったことを捕まえていて失敗することをたくさん見ました。どれくらい感謝したでしょうか? 今からこの福音を味わわなければなりません。祈りの中で一番味わうことは考えです。考えが違えばだめです。皆様が祈りで、この祝福をいつも味わっていれば、重要な祈りの課題が事件によって動くようになっています。それとともに、一生の祝福を受ける祈りの課題がダビデのように出てくるのです。それとともに、これを捕まえて今日から始めることを望みます。
△ 3番 - 核心、講壇、専門: 皆様は少し純粋になる必要があります。少しだけ一日に3回だけ祈りましょう。何をするのでしょうか? 核心で出てくる全体メッセージがあります。そして、皆様の教会に行けば、牧師が与える講壇のメッセージがあります。一緒に捕まえましょう。皆様はここにみな属している人であるためです。 そして、皆様がする仕事や現場があるのですが、この専門的な分野の専門性を連結させて祈るのです。これを 捕まえて 一日に3回ずつだけ祈れば、事が起こります。突然に一日に1時間ずつ祈らず、5分ずつくらいだけしてもみわざが起きるのです。一日に3回ずつだけ祈って、不思議にみな生かされるようになるのです。このようにやさしいことをしないのです。ダビデが夜明けに祈りました。ダビデが世界的な王になったのに、夜に神様に祈ったのです。ダビデは昼に必ず神様に賛美しました。このようにだけしたのに、この福音が皆様を生かして、暗闇に勝つみわざになるのです。伝道者は一生の祈りの課題を捕まえて、皆様が行く道に起きることを解釈をよくすることを望みます。そして、この福音を捕まえて勝利するようになることを希望します。
 
 
- 要約 -
< 祈りの課題を正しく発見したダビデ(Uサムエル7:18-29) >
 
1. 福音を知っている者は、祈りを正しく味わうことができます.(祈りの根本)
(1) 詩78:70-72
(2) Iサムエル16:13, Iサムエル16:23
(3) 詩5:3 - 主よ。朝明けに、私の声を聞いてください
(4) 詩6:9 - 主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。
(5) 詩9:10 - 御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。
あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。
(6) 詩14:1 - 愚かな者、詩18:1 - 私の力、 詩23:1 - 私の羊飼い, 詩35:2 - 盾
(7) 詩103:20-22
 
2. 時々刻々で祈りの課題を発見して、勝利するようになります.(答えの時刻表)
(1) 家庭、羊飼いであった時(詩78:70-72, Iサムエル17:35)
(2) 祈り、賛美の人(Iサムエル16:13, 16:23)
(3) 歴史、使命、召命意識を持った者(Iサムエル17:1-47)
(4) 神様の時刻表を知っている者(詩23:1-6)
(5) 王になって初めてしたこと(Uサムエル6:1-23)
 
3. ダビデは一生の祈りの課題を発見した信仰人(一生の願い)でした.
(1) Iサムエル17:35, 市23:3
(2) Uサムエル7:1-17, Uサムエル8:18-29, I歴代29:10-14
(3) Uサムエル7:29
 
結論
(1) 福音と祈り回復は、私を回復する最も早い道
(2) みことばと伝道回復は、答え、祝福回復の最も正確な道