[ 2004年11月13日 / 核心 / ソウルイエウォン教会/ 柳光洙 牧師 ]
 


ダビデの人生と信仰告白
(Uサムエル 23:1-7)

要約資料
 
1.Uサムエル23:1-7
(1)数多くの詩、告白の中で、最後の告白(Uサムエル23:1)
@兄達の前での告白(Iサムエル17:29)
A王の前での告白(Iサムエル17:35-37)
Bゴリヤテの前での告白(Iサムエル17:45)
C危機の中での告白(詩23:1-6)
D王になった時の告白(I歴代29:10-14)
Eシムイの前での告白(Uサムエル16:9-14)
(2)最後の告白
@イスラエルの油を注がれた者(Uサムエル23:1)
A主の霊が、私を通して語る(Uサムエル23:2)
B義、神様を恐れる者
▲上る太陽、朝の光、雨の後に照らす光、照らされた若草、永遠な契約(堅固)
 
2.レムナントと親が必ず習わなければならない信仰
(1)問題、背景、家系、傷を見る目(詩23:1-6)
(2)契約、福音の中で発見できていく感激(創世記37:1-11, I歴代29:10-14)
(3)福音の中でずっと迫るヴィジョン(Iサムエル17:35-37, Uサムエル23:1-7)
(4)神様のなかでキリストを通じて現れる力、その力で勝利する生活(創世記45:5, 詩142:1-7)
(5)する祈り、できていく祈り、超越する祈り(創世記39:2, 詩23:1)
 
3.ダビデの基本的な生活
(1)個人黙想
@礼拝
A定刻礼拝 - 祈り
B常時祈り
(2)みことば黙想と作詩
(3)自ら引き受けたことと、祈りと、契約をつなげて、共に勝利(Iサムエル17:35-37)
 
(The end)
 
説明資料
 
→序論
▲ダビデが、生きてきて最後に話していることです。
初めて来られた方達は‘イエスはキリストだ’、‘イエスは神様の息子だ’、‘イエス様は十字架にかかって死んで復活なさった’、こういう方法で学んではなりません。
なぜ、十字架にかからなければならなかったのでしょうか? なぜ神様がキリストを復活させらなければならなかったのか? なぜ人間は罪人なのか? 何ゆえに神様は、キリストを処女に送られたのか? こういう質問を詳細かくしなければなりません。
だいたいにするから、変化しないのです。初めて信じる人々は、必ずしなければなりません。
▲皆様の中で、これが難しかったり、葛藤があったり、問題が多くて、人々の前に話すのが難しい事が多い人々は、神様のみこころなので、完全に恵み受ける機会としなければなりません。
▲成功した者がいたり、事業や学業に挑戦する者がいたりするならば、ダビデのように告白すればよいのです。それで、今日、ダビデが自分の人生と共に告白したのです。成功した人は、このように告白すればよいのです。特に5節を見たら ‘まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。’.
全く自分を表さないで、神様がそのようにされたのでしかないと告白しているのです。本当に告白をよくしました。
▲私が研究してみたら、嘘には7つあります。参考にしなくても良いです。私の話です。私の考えですから、参考にしなくても良いのです。
(1)良い嘘- 良い嘘があります。私がどこかに行った時、誰かが食事はしましたかと尋ねれば、していなくてもしたと言います。これも嘘です。そして、誰かがけんかをしていたら、けんかを止めるために、良く話します。こういう良い嘘もあります。ここに人が隠れているので、誰かが探しに来て、捕えられたら殺される時は、嘘をつきます。他の方向へ行ったと言います。そのように、人を助けてあげたのですが、その人が世界を生かして、その女の人は祝福を受けたのです。嘘をついても祝福される人がいます。ラハブがそうです。
(2)人に害を与える嘘- 聖書には、となりに害を与えるために偽りの証拠を言うなとされています。人に害を与える嘘です。これは問題になります。
(3)霊的問題を持った嘘- しかし、上のことよりひどいのは、霊的問題で嘘をつくことです。ホラを吹いて、嘘をつくことです。むかし、私たちの家の真ん前に、おじさんがいたのですが、そのおじさんは、いたずらに嘘をつきました。私の母を見て‘光洙にあげるために万年筆を買った’と言うので、私に万年筆をくれると言われて待っていたのに嘘でした。私にだけ言ったのではありません。近所の人々にも言ったゆえに、嘘つきとしてうわさが立ったのです。今、思うと、霊的問題を持った人です。こういう嘘は人を害することではなく、深刻な霊的問題を持った嘘です。
(4)陰謀、悪口、策略- これらよりもっと怖い嘘は、陰謀を企んで、人の悪口を言って策略を立てる嘘です。これは怖い嘘です。こういう人が多いのです。政治、社会や、私達が生きている人間関係と大きい社会から来る嘘です。
(5)自分の問題を欺くこと- これよりひどいのは、変に自分の立場だけ考えて、他人のことを知らないことです。自分の問題は欺くのです。これも嘘です。夫婦が喧嘩をする時も、相手方の間違いしか見ないのです。夫に尋ねれば、奥さんが間違ったことしかなくて、奥さんに尋ねれば夫が間違ったことしかないのです。相手方の悪いことは話すのに、自分が間違っていることは話さないのです。こういう嘘をつく人が多いのです。私たちのお隣りに毎日けんかをする夫婦がいました。近所でも知っていて、何か‘ドーン’という音がすれば、けんかしていると思っていたのです。この人の話を聞いてみれば、びっくりします。夫の話を聞けば、奥さんが死ぬべき人で、奥さんの話を聞けば、夫が死ぬべき人です。自分の問題は知らないのです。おもにこれは、夫婦に来る嘘です。
(6)事実 - 環境, サタン
▲自分を欺く嘘があります。これはものすごく怖い嘘です。自分の価値を知らなくて、自分が自分を欺くので、環境とサタンにだまされて、問題がくるのです。
(7)恵み, 福音- 最後に本当に怖い嘘があります。まったく恵みを受けることができなくて、福音を悟ることができなかったのに、これを悟ったように嘘をつくことです。これは本当にむずかしいのです。本当に福音を知らないのに、これを持っているかのようにするので、難しくて、怖い嘘になるのです。それで、難しくなるのです。恵みを受けることができないながら、教会に通うので、ものすごく深刻な嘘になるのです。どれくらい苦しいか分かりません。
▲今日、ダビデ王が告白した内容が、仮りに嘘だとするならば、このように完壁な詐欺師はいません。ダビデが述べた言葉は嘘なのでしょうか? 本当になのでしょうか? そうでなければ、詩的に表現しようと述べた言葉なのでしょうか? そうでなければ王として最後に何かを残すための言ったことなのでしょうか? そうではありません。ダビデが本当に告白したのです。
 
1.Uサムエル23:1-7
▲今日、ダビデがした告白を見れば、むかしにダビデがした告白を見ることができます。
(1)数多くの詩、告白の中の最後の告白(Uサムエル23:1)
▲数多くの現場と詩を通して、また自分の告白の中で3節に ‘イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は’、そして5節に ‘まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。’こういう告白をダビデがしたことを見れば、前にもダビデの告白を見ることができます。
@兄達の前での告白(Iサムエル17:29)- 理由
▲ダビデが戦地に行った時、兄達の前でした告白です。‘お前は、どうして危険な所にきたか?’, 高慢だと言われた時、ダビデがこう話しました。‘私には、どうして理由がないでしょうか?’, 本当に私達が理由ある信仰生活と福音を悟らなければなりません。私はキリストがなぜ十字架で死んで復活なさらなければならなかったのか理由を考えてみました。答が出てきたのです。もし十字架で死んで復活なさらないと、キリストになり得ません。そのように考えたのです。それで、これに対する明らかな答が出てきたのです。それでこそ、救われることができるのです。どうして、私には理由がないでしょうか?
A王の前での告白(Iサムエル17:35-37)- 保護
▲王の前でこう話しました。お前がゴリヤテと戦って、どのように勝つことができるのか? と言われた時、‘神様が獅子の歯と爪から私を救われたのですから、まして割礼を受けていない者の手から私を救うことを確信しています’と言ったのです。ダビデの告白です。
Bゴリヤテの前での告白(Iサムエル17:45)- 名前
▲ゴリヤテの前にこういう話をしました。‘お前は、剣と槍と投げやりを持って向かってくるが、私は万軍の主の名前を持ってお前に立ち向かう’. それも、とても意味ある話しをしました。‘お前が侮辱する万軍の主の名前を持ってきた’たいした人物です。こういう告白が、真実の告白です。私たちは、静かに聞いてばかりいるために、嘘をつきやすいのです。今日、私たちは恵みを受けるなかで、一番重要なことは、本当に話すことです。私たちは弱いけれど、本当に信じて、私達は多くのことを神様にささげることができないけれど、真実に献身しなければならないのです。これが全部です。本当にしなければなりません。本当に福音を持っていれば、働きが起きるのです。‘お前が侮辱する万軍の主の名前を持ってきた’たいした話です。
C危機の中での告白(詩23:1-6)- 羊飼い
▲本当に嘘でなく、困難にあった時にした告白です。‘私は乏しいことはありません’これが本当の言葉なのでしょうか、嘘なのでしょうか? その理由は、主が私の羊飼いで、彼のむちとツエが私を慰める。このようにダビデは告白しました。
D王になった時の告白(I歴代29:10-14)- 神殿
▲王になった時のダビデの告白です。私は王宮にいることより、神殿にいることが良くて、王宮の千日より神殿の門番でいることが良い。一言で話せば、大統領府にいることより、お手伝いをするのが良いということです。本当に良いのでしょうか? ダビデは本当にです。それで、私たちは良い王宮にいるのに、神殿がなくても良いのか? 皆様は、そのような心があるでしょうか? 私たちは良い家に暮らしているのに、教会だけが良くない。本当にそのような心があるならば、経済の祝福を受けます。そのような心がないのではないでしょうか? 本当にならば、答えを受けます。これが重要です。ダビデが働きをまとめながら言う話です。王が単純に神殿を建てるということではありません。なにかを本当に告白したのです。
Eシムイの前での告白(Uサムエル16:9-14)- 恵み
▲危機に会いました。どうして息子が父を殺すために馬に乗ってくると、知っていたでしょうか? 将軍を連れて王宮に来るので、王は裸足で逃げたのでした。将軍を連れて山を越えて逃げていた時に、シムイが現れて呪いました。そばに行った将軍が、すぐに首を切ると言ったので、神様がシムイに言わせておられると言ったのです。神様がご存知で、私に恵みをくださろうとしていると言いました。このような時、ダビデが恵みを慕ったのです。ダビデが素晴しい人に見せるために、ダビデがうつわが大きいということを見せるためにしたことでしょうか? そうではありません。過去の自分の過ちを考えれば、神様がさせられた事だと、シムイが間違っているのではないと、自分の中心から告白したのです。主を仕えるのも、心よりよく仕えたのです。
 
(2)最後の告白
@イスラエルが油を注がれた者(Uサムエル23:1)
▲今日の最後の告白を見れば、イスラエルの油を注がれた者、神様が自分に油を注がれたと言いました。
A主の霊は、私を通して語り (Uサムエル23:2)
Cそして、主ご自身がみことばを下さったということです。どんなみことばを下さったのでしょうか? これがダビデの最後のメッセージです。遺言ではないのですが、王だった時の最後に何と言ったのでしょうか? 「義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。」ダビデが言った言葉です。
B公義、神様を恐れる者-上る太陽、朝の光、雨の後に照らす光、照らされた若草、永遠な契約(堅固)
▲公義 - 合理, 恐れる - 尊重
ここに確かに人を公義をもって治める者、神様を恐れて治める者、これに公義が出てきたし、神様を恐れる者と言いました。恐れることは、恐れでなく、とても尊く思うということです。神様を尊く思って、人を治めるのです。
▲指導者- 公義には、私達が話す義が含まれているのですが、これは前に‘公’という字あるということを参考にしなければなりません。正しいということを話すのです。本当に合理性を持って、人を治めて、神様を尊く思って、人を治めるべきだということです。
こんにちの指導者が記憶しなければならないことです。
▲こういう人は、当然に、受けることが上る太陽、朝の光のように、雨の後に光を受ける若草のようになるはずだということです。それとともに5節に‘まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。’ダビデの最後の働きの告白です。
▲今日、皆様にあらゆる問題が解決する開始があります。嘘をつかずに、新しく始めましょう。まだ福音が理解できない人がいますか? できないのに、自分自身に対して嘘をついている人がいます。いまだに福音が理解できずにいる人がいるならば、その人は疑っている人です。‘私はイエスを信じないで、神様を信じない。私は私自身だけを信じる’という人は嘘をつく人です。自分がすごいでしょうか? 63階のビルディングから飛び おりてみましょう。こなごなになって死にます。自分が悟ったと錯覚するのです。本当に福音を事実として見れば、福音を悟るしかありません。恵みも神様がくださらなければなりません。
▲ダビデを見ましょう。すると、あらゆる答えを受けるようになるはずで、永遠にかたくなるはずでう。‘義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、’この話は指導者にした言葉です。ダビデは、こういう話を上手にしませんでした。みな話して、ここで指導者は、どのようにしなければならないと話すのです。義で人を治めて、神様を恐れて、人を治める者は、上る太陽のように、光のように、その光の中に照らされた若草のようになるはずで、その契約はかたいということです。全てのものを備えて、私たちを救われました。ダビデが言った言葉です。
▲明日、礼拝をささげにいく時、単に行くのではなく、本当に準備しましょう。恵みを受ける準備もして、先週のメッセージを一度ほど考えて、教会に早めに行って、祈って聖書の本文のみことばをあらかじめ黙想してみましょう。そして、献金する時、ポケットに手をいれて探せず百円玉をだすようなことなら、いっそ献金をしないように。本当にしましょう。何にも考えずに献金すれば、経済の困難がきます。これは、神様の前の生き方がそうだということです。神様の前に百円玉を献金したから、神様が罰を与えられるのではなく、献金をそのようにするということは、皆様の人生がそうなので、成功できないのです。一週間に一度、礼拝をささげようと来るのに、献金を準備して、すべきことを準備して、祈りで準備しないということは、他の生き方もそうだということなので、どのように成功ができるでしょうか?
▲このダビデがした告白が嘘でしょうか?本物か?私たちは嘘をつきやすいのです。私はこのダビデを見れば、本当だということがわかります。なぜ本当なのでしょうか? これは、遠足にきて言ったことではありません。そして、サウル王の前で、ゴリヤテと戦うのは、歌詠み会にきて、和歌を詠むような感覚で言ったことではありません。ダビデが生きるか死ぬかという問題で言ったのです。本物です。そして‘主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません’という話も、ある日、詩心が浮かんできて書いたことではありません。サウルに追われながら祈っていて、恵みを受けて書いたのです。そして、王になったから、業績をひとつ残すために言ったことではありません。‘神様の前に良心上、私は良い所に住んでいるのに、神様の家はなくて’と本物の告白をしたのです。信仰が良い、悪いではありません。私たちならば、神様の前に不平不満から言うはずなのに、ダビデは信仰が良い人なので、シムイが呪う時、神様が言わせてられることだと言ったのです。そして、ダビデが人生の最後に指導者の前で義で人を治める者、神様を恐れて人を治める者は永遠に滅びないと言ったのです。
 
2.レムナントと親が必ず習わなければならない信仰
▲レムナントと親が必ず習わなければならない信仰があります。皆様が嘘をつかなければ、5つのことは必ず知るようになります。
(1)問題、背景、家系、傷を見る目(詩23:1-6)
▲皆様の問題、背景、家系、傷を嘘で見るために問題がくるのです。これを事実で見るようになれば、なにが悟れるでしょうか? はじめから与えられた福音、原始福音を悟るようになります。
▲創世記3, 6, 11章- はじめから創世記3:15節, 人間は創世記3章の問題の中にあることが分かるようになります。これをレムナントは、目が開かれなければなりません。私たちの父と母がどうだということではなく、それしか仕方がないということを知らなければならないのです。そして、創世記6章の文化の中に、創世記11章の文化に生きているために、うまくいっていても崩れるということを知っていなければなりません。そして、堕落の中でさ迷って、文化の中に陥って死ぬこと、そして、原罪、創世記3章の問題、これは今でも続いているので、事実を正しく見なければならないのです。すると、がっかりする必要がありません。嘘をつかないで本物を見れば、気落ちする必要がありません。ある人は、とことん気落ちしてしまえば、希望が見えるらしいのです。ある人は、気落ちも嘘でするのです。気落ちもいいかげんにするのではなく、本当にしてしまえば、みわざが起きるのです。それで、創世記 3, 6, 11章を知っていなければならないのです。これを正しく見なければなりません。レムナントは、これを知っていなければなりません。これゆえに勉強して、世界に行くのです。
(2)契約、福音の中で発見できる感激(創世記37:1-11, I歴代29:10-14)
▲このようになる時、未信者がこのようになるしかないし、神様がキリストを送られるしかないということを知る時、答が出てくるのです。それで、キリストの中にある祝福が何かを知るようになるのです。この時、出てくる感激がなければなりません。
(3)福音の中でずっと迫るビジョン(Iサムエル17:35-37, Uサムエル23:1-7)
▲この2つのことがだめなのに、何の夢があるのでしょうか? 夢とヴィジョンがなければなりません。この時から事実を見るので、ヨセフができていったのです。夢だけ見るのではありません。ある人が眠った人は夢だけ見るけれど、走る人は夢を成し遂げると言いました。ヨセフは、実際に夢をとらえて走ったのです。ヨセフとダビデがヴィジョンを正しく見て、祝福を正しく見たので、どんな困難も勝つことができたのです。困難を無理に勝とうとしたのではなく、よく勝つことができる答を持っていたのです。必ずこの部分は知って行かなければなりません。
(4)神様の中でキリストを通じて現れる力、その力で勝利する生き方(創世記45:5, 詩142:1-7)
▲神様の中で、キリストを通じて表す力、その力で生きなければなりません。私はこれを理解することが伝道であり、宣教だと考えます。伝道をよく理解しましょう。教会を復興させることも伝道ですが、神様が私と共におられ、これが神様の働きだということを理解することが伝道です。これを理解して行かなければならないのです。
(5)する祈り、なっていく祈り、超越する祈り
▲そして、父母とレムナントが、祈りを理解しなければなりません。今回、中部圏集会をしてきたのですが、神様が中部圏を愛される時刻表になったしるしが見えるようになりました。牧師が変わって、信徒の顔が変わって、中部圏の集いも変わりました。牧師の祈りが変わったのです。それで中部圏に核心とレムナントの時代が開いて、中部圏はこれから重要なキャンプ時代が開くという重要な契約をとらえて祈りました。
その時、私が最初の日にメッセージで祈りは3つがあると言いました。する祈り、なっていく祈り、超越する祈りです。する祈りは私達が生活で、契約をつかんで、信仰ですることです。なっていく祈りは、私達が契約の中でできていく祈りです。超越する祈りは、福音の根の中で起きる超越する祈りです。これを必ず参考にしなければなりません。断食祈りと山祈りも必要ですが、これは幼稚園の水準です。しかし、大学の水準の祈りは何でしょうか? 生活で定刻の祈りをすることです。契約の内に本当に入っていって、私がしようとすることではなく、本当になっていく祈りができれば、皆様が行ってみれば答えがくるのです。答えがずっとくるのです。ねたんだり心配したりする時間がないほどに、答えがくるのです。できていく祈りの内に入っていってしまえば、少しだけ定刻の祈りの時に苦労すればできるようになるのです。すると、答えがずっときて、皆様を触る時間がないのです。福音にすこし根をおろせば、超越する祈りになるのを見ることができます。そのようにして、世の中に行くのです。必ず記憶しましょう。する祈り、なる祈り、超越する祈りをしなければなりません。聖書をよく見ましょう。ヨセフとダビデは唯一の祝福を受けました。その理由は、常に祈ったのです。 困難にあう時、ヨセフは神様の前に祈って答えを受けたのでした。世に子どもが、どのようにゴリヤテに勝てるのでしょうか? ダビデには、そのような答えが連続的にきました。超越する祈りの答えです。それ以前に、ダビデはいつも神様が自分と共におられると言ったのです。賛美していつも祈ったということです。それ以前に見れば、ダビデはサムエルから、父から正しく祈られたということです。この答えを持って、世の中を行くようになることを希望します。
 
3.ダビデの基本的な生き方
▲ダビデの基本的な生き方が見えるようになります。
(1)個人黙想
@礼拝
A定刻礼拝- 祈り
B常時祈り
▲ダビデは個人黙想を多くするということが見えます。その証拠が詩篇を見ても分かります。それで、礼拝と定刻の祈りという言葉が出てくるのです。
(2)みことば黙想と作詩- ダビデはみことば黙想を多くした証拠があります。
(3)自ら引き受けたことと祈りと契約がつながって、共に勝利(Iサムエル17:35-37)
▲そして、ダビデは仕事に対して正しく専門性を持って仕事をしたという証拠があります。羊を飼う時、羊一匹も失わなかったのです。戦争では敵軍にみな勝って、王になった時は、最高の栄光を帰す王になったので、とても感謝したのでした。
 
4.結論
▲すると、この祝福をどのように受けることができるのでしょうか? 今日から祈りを始めましょう。すると、できていく段階がくるはずです。驚くべき事が行われるはずです。これのために、私たちは3つのことを変えなければなりません。
(1)私の中にあるもう一人の私を変えよう
▲私の中にある私を変えなければなりません。教会で笑って祈る私ではなく、もう一人の私がいます。皆様は一人でいる時、どのように過ごすのでしょうか? こういう私を変えなければならないのです。本当に礼拝堂で一人でいる時、祈るのでしょうか? こういう私を変えなければなりません。教会で献身して奉仕する、うわべではなく、その中にもう一人の私がいます。パウロはこれのために祈ったのです。他人が見る時は羊飼い、兵士、王にみえたのですが、その背後にある自分、主が私の王であり、私は王ではない。これがその中にあるもう一人の自分です。これを変えなければなりません。
(2)基本- 根本が変わらなければなりません。
▲すると、根本的な基本が変わらなければなりません。根本が変わらないのに、うわべを変えることができないのです。炭火を消さなければ、紙で包めばずっと火がつきます。その上に雑草をのせれば、ずっと火がつくのです。根本、私の中にある私を変えなければなりません。
(3)動機も変わる
▲すると、あらゆる動機も変わるようになります。答えを受けるしかないのです。
 
ダビデの世界を見ながら、皆様は伝道者なので、伝道者として生き方を変えなければなりません。私がたとえ家庭の主婦に見えるけれど、その背後にいる私はもう一人のことです。私はだれでしょうか? 伝道者だという結論を下さなければなりません。私は単なる牧師に見えるけれど、その中にある私は、本当に神様の前に立った伝道者だという契約を握ってこそ、ダビデのように答えを受けることができるのです。
(The end)