[ 2004.11.27    列王記上(01) - 01(核心訓練) / キム・ドンゴン牧師 ]



ダビデの遺言
( I列王記2:1-12)

 
聖書みことば (I列王記2:1-12)
01/ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。
02/「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。
03/あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。
04/そうすれば、主は私について語られた約束を果たしてくださろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもってわたしの前を歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が絶たれない。』
05/また、あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルのふたりの将軍、ネルの子アブネルとエテルの子アマサとにしたことを知っている。彼は彼らを虐殺し、平和な時に、戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。
06/だから、あなたは自分の知恵に従って行動しなさい。彼のしらが頭を安らかによみに下らせてはならない。
07/しかし、ギルアデ人バルジライの子らには恵みを施してやり、彼らをあなたの食事の席に連ならせなさい。私があなたの兄弟アブシャロムの前から逃げたとき、彼らは私の近くに来てくれたからだ。
08/また、あなたのそばには、バフリムの出のベニヤミン人ゲラの子シムイがいる。彼は、私がマハナイムに行ったとき、非常に激しく私をのろった。しかし、彼は私を迎えにヨルダン川に下って来たので、私は主にかけて、『あなたを剣で殺さない。』と言って彼に誓った。
09/だが、今は、彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人だから、彼にどうすれば彼のしらが頭を血に染めてよみに下らせるかを知るようになろう。」
10/こうして、ダビデは彼の先祖たちとともに眠り、ダビデの町に葬られた。
11/ダビデがイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。
12/ソロモンは父ダビデの王座に着き、その王位は確立した。
 
要約資料
 
1.ダビデの業績
(1)詩78:70-72
(2)Iサムエル16:23
(3)Iサムエル17:1-47
(4)詩23:1-6
(5)I歴代29:10-14
(6)I列王1:11-21
 
2.ダビデの遺言
(1)世の中のあらゆる人の行く道(I列王2:2)
(2) 強く、男らしくありなさい(I列王2:2)
(3)主のみことばを守りなさい
@書かれているとおり(I列王2:3)
Aどこへ行っても、栄えるためである(I列王2:3)
Bイスラエルの王座から人が絶たれない(I列王2:4)
C約束を果たしてくださろう(I列王2:4)
(4)三人に対する言及
@ヨアブに対し(I列王2:5)
Aバルジライの子孫(I列王2:7)
Bシムイに対して(I列王2:8)
 
3.契約を持った者の死後
(1)初めて作ったダビデの町で葬儀(I列王2:10)
(2)40年間の業績と王の教え
(3)国が非常に堅固になる
 
4.結論
(1)福音をどのように味わうのか?
@困難きた時
A成功した時
(2)福音をどのように味わうのか?
@子ども
A子孫
 
説明資料
 
→序論
▲映像に映し出される私の顔を見ると老いて見えます。ところが、私は老いていません。福音の中に入って、心は若いのです。前回、牧師夫婦セミナーに行った時、ソクリ山に上がったのに、木一本の内側が出ていたのですが、完全に中が腐っていました。過ぎ行く牧師と牧師夫人が、‘あの木も牧会をしたみたいだ’と言いました。福音を知らなければ死にます。さっき映像を見ながら‘神様、うわべも若くしてください’と言いました。ダビデの遺言です。私たちもダビデのような素晴しい人生を生きながら、こういう遺言をしなければなりません。
タラッパンの中に入った私たちは、神様がダビデのような遺言をできるように、神様が立てて行かれるはずです。
▲私が秘訣をひとつ話します→ 福音+訓練+現場
(1)福音- 福音ゆえに、このタラッパンが立てられました。
(2)訓練- そして、福音も福音ですが、非常にすばらしい訓練です。この頃は、どんどん色合いの濃度がより濃くなっています。
(3)現場- しかも、ひとつは結局は、現場で確認されなければならないのです。
今、私たちタラッパンは、この3つのことをずっとしています。ダビデとパウロのように、一時代の最高の伝道者の、最高の価値がある生活を送らなければならないのです。
▲すると、来る結論があります→ 完全福音+完全祈り+完全伝道
(1)完全福音- すると、完全福音になります。単に福音を聞いて根をおろすことも重要ですが、本当に訓練を受けながら、福音を伝えて、現場を通じて福音を確認するのです。そのまま単純に完全福音というのですが、福音だけ強調してはならず、この3つのことに完全に根をおろすことです。福音が完全福音になれば、人が変わります。むかしに祈って単に恵みを受けて変わることと、福音で変わることは、差が出ます。恵みの中に入っていけば、信仰と答えも来て、聖霊充満もきます。ところが、ある瞬間、試みで崩れるのです。すると‘私がこのようにイエスを信じて恵みを受けるのに、なぜ変わらないのか?’という気がします。そのような私が、柳牧師に会って、恵みを受けて、祈りと福音を受けたら、不思議にも自分自身が変わるのです。何でしょうか?試みの場でも、試みにあわず、不信仰に陥らないのです。むかしには、人に会えば試みにあうために、以前には人から逃げて回りました。現場に暗闇が覆っているゆえに、不信仰が多いためです。ところが、私は福音をたくさん聞きます。一日に2-3時間程度は、ずっと聞きます。それとともに人間が安らかになり、人と主との関係が自然に開き始めるのです。私にあった霊的部分と、性質、体質、不信仰、否定的な考えが癒されているようです。福音を聞きながら‘神様、私が今回は不信仰を癒されるべきですよ’ということもしなかったのに、自然に癒されるのです。福音をずっと聞けば、こういう現象が現れます。それで私が例え話をします。1年がすこしなって、自分自身が驚きました。妻に対して、私の心が開き始めたのです。それで、自分自身がものすごく福音の中で癒されているということを知りました。そして、よく見ると、私が開くので、妻の開き始めたのです。妻は私ほど福音を聞かなかったのに、開くのです。子どもも父母が変わったと言うのです。私が安らかになるので、これが私の妻だけでなく、子どもと聖徒、教役者が感じたのです。私達が子どもに残す遺言は、完全福音、純粋な福音しかありません。パウロが発見したこの福音が、柳牧師を通じて広まって行っているのですが、まず福音に接した者が、だいたいの福音でなく完全福音、思想に根をおろさなければなりません。Onlyキリストの思想に根をおりなければなりません。この3つの中に入ってみるならば、結局は、恵みを受けなければならないことを知るようになります。イエス様が弟子と3年間、共にしながら、福音を植えられたのです。わたしが、すなわち神様だ。わたしが、すなわち神様の息子イエスだ。それとともに、ご自分がキリストであり、メシヤだということを知るようにされました。福音が死んでいく現場に、福音ゆえにいらっしゃったのです。それで、弟子に告白されたのです。その時、主がなさったみことばは、弟子にエルサレムを離れず、only聖霊充満を受けなさいと言われたのでした。結局、イエス様は福音で結論を出した者に、福音を完全に味わうことができるようにしてくださったのです。 (2)完全祈り- 2番目は、完全祈りです。私が神様に会って恵みを受け、恵みの内に入っていくので、私の水準と関係なくて良いのです。環境と関係ありません。自分自身を見ると、聖霊と信仰充満です。だから、そのまま過ぎ越せるのです。ところが、私が信仰が落ちて試みにあうので、一言で難しくて、葛藤が激しいのです。私がこのようにイエスを信じなければならないのかという考えにもなりました。結局、私たちは霊的な存在です。神様のかたちです。福音も福音ですが、その中で恵みの内に入っていかなければなりません。それが祈りです。それでする祈り、聖霊充満、信じて祈らなければなりません。なっていく祈り、私が知っていることでは、完全福音の内に入っていけば、祈りはなるようになっています。そして、超越する祈りになるべきですが、ここで終わってはなりません。
(3)完全伝道- 私達が最高の遺言をするためには、完全伝道になるべきです。私はこの3つのことを考えるのに、福音だけ聞いて、訓練、現場だけ入ればできることではありません。この3つのことを持続的にしてこそ、ある日、自分自らに完全福音、完全祈り、完全伝道がなっていくのです。
▲遺言- すると私たちは、子どもにこういう遺言ができるのです。パウロは、only福音でした。パウロは、only祈って、伝道しました。私たちの神様が、この福音に会うようにされたので、私たちにもこのみわざが起きるようにされるのです。それでこそ、この暗闇の世の中をひっくり返すことができます。私は孫娘を見ながら考えます。私たちは、福音をちょっと知って行けば良いのですが、インターネット文化で崩れる青少年を見ながら、レムナントは重要だけれど、レムナントを起こす私達がまず たなければならないと考えます。私達が立たないと、レムナントもさ迷うのです。この福音が私たちにまずきたとすれば、私達がまずならなければなりません。譲歩する必要がありません。私達が立てられれば、レムナントは自然に立てられるのです。年齢は関係ありません。だまされないで。私は51才で始めました。柳牧師ができないと言われた時に始めたのです。しかし、私はなることを知っていたのです。アブラハムは70才で始まったのです。アブラハムは契約の中、福音の中に立ったのです。モーセは80才で始まりました。福音に会った皆様は、早く死ぬことを考えるのではなく、皆様が引き受けたこの時代的な要請に、福音を持って、世の中を助ける働きに献身することを望みます。
 
1.ダビデの業績
▲私もストレスを受けました。私が 32歳で神様に会って、恵みを受けたのです。恵みを受けたら、恵みが良くて、神様が良くて、神様を見上げるとみなありました。ところが、試みに会って崩れたのです。ヨセフは幼い年齢で奴隷生活で、私ほど礼拝ができただろうか? 奴隷時期に礼拝や祈りができるだろうか? ところが、なぜヨセフは揺れなかったのか? そして、ダビデとヨセフの信仰を見たのです。福音に会ったので、ダビデは単なる人ではありません。福音が確実なのです。サムエルを通じて、最も確実な政治家、福音化のためにダビデを立てたのです。そして、ダビデは祈りの人です。いつも主がともにおられたのでした。ダビデを通した福音が、今でも伝えられています。ダビデの業績です。ゴリヤテと戦う時、政治家として、王として、全世界に神様の栄光が現れる祝福の門をあけたのでした。ダビデの業績を見て、私たちの生涯を見れば、次の通りです。
 
(1)幼い時- ダビデの幼い時です。詩78:70-72は、幼い時、羊を飼いながら確実な福音を持って、神様に祈った人です。そして、実際に神様の力を受けて生きたのでした。そして、幼い時から神様の計画の内に入っていったのでした。一時代に用いられた三人の中で、モーセがホレブ山の火の中で神様に会って、アブラハムの子孫、メシヤを発見したのです。そして、モーセは神様の計画の内に入っていったのです。そして、祈ったのでした。インマヌエルです。
 
(2)少年の時- そして、ダビデは少年の時に違いました。サウルに悪霊が入った時、楽器をかなでたら、悪霊が離れ、ゴリヤテと戦った時が少年の時です。私は総神の理事長として、総神の学生達を見ながら、これから一時代の伝道者、宣教師、牧師は、福音に根をおろして、一時代に神様の計画の中にある者が、総神に入るべきだと思います。総神に入れば、牧会と宣教師の専門家、神学校として入って立てられなければならないのですが、この時、福音を植えるということは無理なのです。私達がダビデの業績を見る時に、ダビデは少年の時期にゴリヤテと戦ったすごい人です。普段に、獅子と熊に、事実的に神様を見て、うち破ったから、事実的な福音を持っていたのです。今日、私たちは福音を知って、信仰を知ったということではなく、事実的な福音を信じるべき時です。今、環境を見て気落ちする大学生は、大学を卒業しても希望がありません。構わないのです。神様は創造の力で働かれるのです。絶対にだまされないで。
 
(3)青年の時期- 青年の時期に、サウルに追われて回りました。それでも素晴らしかったのです。いくらでも王を殺すことができたのですが、神様が油を注がれた者を殺さなかったのです。神様の前に立ったのです。私たちは、人の前に立たず、神様の前に立たなければなりません。
 
(4)王の時期- ダビデの王の時期です。神殿建築のために、国を統治する最高の指導者として、だから、ソロモンが王になるやいなや、千頭のいけにえをささげて、神様が何を願われているかをたずねた時、自分はこの民を統治出来ないから、ダビデのようにこの民を統治できる知恵をくださいと言ったのでした。これは何でしょうか? 幼いソロモンが、父ダビデを通じて何を見たのでしょうか? 絶対的な権力でなく、神様の恵みでダビデが民を統治したことを見たのでした。すでにソロモンは、ダビデが遺言をする前に、既に知っていたのでした。福音を持った私たちの父母、牧師、先輩が重要なのです。‘単に正しく生きなければ’ではありません。私が福音と聖霊の運動の働きの中で行くべきだということを知るようになったのです。ダビデは自分の願いが、神殿を建てることなので、自らの砂金をみな出したので、民が感動を受けてみな出したのでした。そこまでで、良いと言う程に民が持ってきたのでした。
 
(5)老年の時期- 福音の内に入って行きました。私達は、私たちの時に息子に遺言をすべき人生にならなければならないのです。
 
2.ダビデの遺言
(1)行く道- ダビデは世の中のあらゆる人の行く道へ行くと話しました。私は、この福音を見れば、元手が惜しいのです。私は、飛行機を千回乗りました。お金が多くかかります。それで元を取ろうとすれば、長く生きなければならなく、すると息子達より、もっと長生きすることになります。私たちは、皆、行きます。避けられないのです。私たちは、旅人の人生です。旅人の人生で最高の価値ある生活を送って行くのです。私たちぐらい祝福された人はいないのです。
 
(2)男らしく- そして、強く、男らしくありなさいと言いました。福音の男らしさ、それより、人が人格的なうつわにならなければならないのです。私が福音の中で福音を味わいながら、人が正常に変わっているようです。考えと昔の私の水準ではなく、神様のかたちで回復されるのです。神様の導きを受けて、神様の祝福を持つ人が最も正常な人です。福音で癒されて、味わえば、堂々と遺言をするしかない男らしい生き方になるのです。
 
(3)みことば- 主のみことばを守りましょう。この話は、契約の中に生きなさいということです。みことば、契約、他のことはありません。みことばを守りなさい。
@記録されたとおり(I列王2:3)- 主は私について語られた約束を果たしてくださろう。神様のみことばを加減せず守りなさい。
A栄える- そうすれば、どこへ行っても栄えると言われました。契約の中に入っていけば、栄えるのです。主がヨセフと共におらえたので、すべてのことがうまくいったのです。ヨセフは、福音が確かでした。だから、神様が栄えるようにされたのです。みことばと契約の中にある者には、神様がうまくいくようにしてくださるのです。契約通り、神様がなされるのです。
B王位 - ずっと
▲結局は、王位がずっとソロモンと子孫を通じてなるはずだということです。王位が問題ではありません。純粋な福音が、私たち家系に流れるのです。皆様を通じて流れなければなりません。これが王位よりはるかによいことです。
C約束を果たしてくださろう(I列王2:4)
 
(4)三人に対する言及- ダビデの心に含んでいた三人を言及したのです。
@ヨアブに対し(I列王2:5)- なぜ、わざわざヨアブでしょうか? 事実、ヨアブが、ダビデが殺すなと言ったアブネルを殺したのでした。どんなに忠誠な臣下であっても、王の胸中でヨアブは、警戒しているのでした。王がするなと言ったことをしたのです。
Aバルジライの子孫(I列王2:7)- 息子アブシャロムに追われて行った時、80才の老人のバルジライが王を訪ねて養ったのでした。それで、ダビデはUサムエル19:31-40で言ったように、バルジライの子孫に言及して、その子孫を王宮で養いなさいと言ったのです。
Bシムイに対して(I列王2:8)- シムイの非難に神様のみこころだとダビデは話しました。絶対的な信仰です。ダビデは、手をつけなくても、後継者ソロモンに胸に含んだ話をしたのです。牧会をしながら、そのまま過ぎる一言にも深い意味があるのです。単純な話ではありません。訪問に行ってするメッセージも、単純なことではありません。私は牧会30年です。牧師の道は険しいのです。個人の心に含まれている、ありがたい人であるバルジライ、そして、自分に苛酷なことを話した人シムイに対する自分の考えを言ったのです。
 
3.契約を持った者の死後
▲より大きいみわざがあります。
(1)初めて作ったダビデの町で葬儀(I列王2:10)
▲結局、ダビデが初めて作ったダビデの町に葬られたのです。私も牧会をしながら、福音に会って、福音の中にまず入った私が、 福音中にまず根はおろしながら、最後に東部教会をどのように立てるかが、事実上の祈りです。一時代のアンテオケ教会として、いままで影響を与える教会として、牧師が胸に込めて一時代に影響を与える教会として、祈らなければならないのです。これが私達が行った後に影響を与えるのです。私も牧師としてモデルになる牧師があるか探して見たのですが、あまりいませんでした。それで柳牧師に会って、福音の中で訓練を受けながら、良い師匠に会ったと考えています。それで、柳牧師と座って話をしながら、柳牧師に13年間、影のように付いてまわって、事実的な恵みを受けています。そして、柳牧師を真似しているというのに、来年に私が64歳なのですが、これから16年より訓練を受ければ、80歳なのですが、その時から本ゲームをしたいと言ったところ、柳牧師が笑いましたよ。これが単純なことではありません。すこし悟ったといって、なることではないのです。それでこの頃は、メッセージを聞きながら、より深く恵みを受けるのです。この福音を聞いて、現場で用いられるようにならなければならないのです。それで、より若くなるのです。私は今、開始に過ぎない人生です。率直に東部教会に人々が天幕で礼拝をささげて、何でこういう教会があるのかと言って行きます。私たち教会は、働き人を育てて、世界を助けるという望みの教会であり、そのようなことが問題ではないのです。私たち自らが私たちの死後に、パウロよりもっと大きいみわざが起きるのです。どこに葬られたのでしょうか? 自分が作ったダビデの町に葬られたということは、普通のことではありません。これを通じて、ダビデの信仰、幼い時から老年まで神様の導きを見ることができるのです。
 
(2)業績と教え- 40年間の業績と王の教えです。政治をどのようにするのか? これから、経済と社会が回るのを見れば答がありません。福音がない人に経済が回れば、暗闇の経済に流れます。伝道して福音がある大統領が立つべきなのです。
 
(3)国 ?堅固: 国が堅固になり、国が揺れなくなったのです。この頃の国は、沈没状態にあります。結局、この民族は、私たちゆえに生かされて、福音が行けば祝福がついてきて、暗闇が崩れて、伝道のみわざがついてくるのです。神様が私たち民族を通じて、こういう遺言もですが、私たちの死後にこういう働きが起きるはずです。
 
4.結論- 福音を味わう
(1)福音をどのように味わうのでしょうか?
▲ピリピ4:6節を見れば、心配するなと言われているのに、私はそれなら問題を与えないでくださいと祈ります。神様を正しく信じれば、事件をずっと与えられるのですが、これは私たちの信仰を育てるのです。
@困難- ダビデは困難がきた時、これを通じて機会を見たのでした。訪問に一カ所行けば、祈りの課題が多いのです。これをみな書いて、全体を集めて置けば情けなくなります。この問題を解決することで、私の牧会が終わるのです。いまは問題を出す人がいません。困難が来ても良いということです。
A成功- 成功は神様がなさることです。まだ、私たちはシャンペンを放つ時ではありません。神様がすこし恵みを与えられてよくできる人は、すこし早く福音の中に入っただけです。私たちは最も低い席に入っていくのです。それでなければ、生きることができません。私たちにある最も重要なことが、私たちの子どもです。
 
(2)福音をどのように味わうのでしょうか?
@子ども- 子どもがまず、福音と祈り、事実的な答えの内に入っていかなければなりません。こちらは父母が入れてあげるのです。結婚する前に準備することです。時代的なレムナントを祈って、答えを受けなければなりません。私はむかしに出エジプト20章にだまされました。私がイエスをよく信じれば、千代の祝福を受けるのかと思っていました。ところが、福音の内に入ったら、すごかったのです。だから神様が働かれて、福音を受けるようにされるのです。この福音を味わうようにしてやらなければなりません。皆様が福音を味わえば、影響を受けます。息子が見ることが父母です。話すこと、行動すること、正しく福音の中に入っていった人は、変わるようになっているのです。
A子孫- 彼らのために‘共同体’と言うのです。今回、シカゴにレムナントとアダルトレムナントが千名集まりました。今、世界教会を通じて、地域の国ごとに、この中で福音を味わって、文化を味わって、時代的な働き手がおきるのです。
 
▲祈りの課題
今、時間が経つほど世界宣教師大会が広がります。その翌年は 3-4千名が行くはずです。また世界のレムナントがおきて、産業宣教会も起きます。それで21世紀、総会、協会で常任委員会を構成しました。今回は、総会で世界宣教大会を共同体を作るための献金、レムナント大会は21世紀で、産業宣教は総会と協会で力を会わせて正しくするようにするために、常任委員会をおいたのでした。お金がかかることを全体のおとなが相談して、集めて世界各国に共同体を立てるのです。それとともに、宣教委員会、レムナント、産業宣教会の実務陣に絶対に失望を与えてはなりません。このように常任委員会を組織したことは、全体的に力を合せるようにするのです。それで、世界宣教大会を総会でするのです。レムナントは21世紀で、産業宣教は協会でするのです。世の中の人々が行く道を行く時、私たちも素敵な道を行くように願います。
(The end)