2001年 11月 18日 東三第一教会 聖日メッセージ


1部:収穫感謝祭の出発
(出エジプト23:14-16)
 
 
・一度、光州に集会のために行ったのですが、食堂で食事のために座っていました。その時、向い側におかしな表情をして女の人が座っていたのですが、食事を待っていたようです。すこししたら、おかしな男の人がきたのですが、たぶんその女の人が待っていた男の人だったようです。食事が終わる時まで、そばにいたので話を聞くことができたのですが、はじめから終わりまで女の人が男の人に大声で言う文句でした。だからこの男の人は弁解もしながら、周囲をずっと気にして見回していました。その中でこの女の人が重要な質問をしたのです。"私を愛していますか?" と尋ねたのです。だからその男の人が "そうだ”と返事をしました。その答えた瞬間、その男の人の顔を見たのですが、顔を見た瞬間、本物ではないという確信を持ったのですが、その男の人がそのように言うことも理解できました。
 
・私達が嘘をつくことは難しいのです。信仰生活の中で感謝という部分を、大部分の人は嘘をついています。教会で感謝という単語をたくさん使いますが、習慣的に出てきたり、本当に感謝していないのに、感謝だと言う時もあります。ここに信仰生活の決定的な問題があるのです。
 
・感謝する理由は多いのですが、どのようなことを感謝しているかにしたがって信仰水準が変わります。信仰の中で無条件に与えてくださいという御利益信仰もあります。その人々がする感謝も違うはずで、体験をずっとしようとする神秘主義者がする感謝もまた違うはずです。感謝の水準にしたがって未来も決定されます。また性格的に落ち込む人もいますが、私達が見る時には、それほど落ち込むことでもないのに落ち込む人もいます。福音と関係なく、性格的に落ち込む人ですが、まちがいなくその人も他の水準の感謝があるのです。
 
・イエス様が弟子達に、人々はわたしをだれだ言いますか?と尋ねられました。エリヤのようだとか、エレミヤのようだ、バプテスマのヨハネのようだ、預言者のようだと答えました。似ているのですが、違った答です。その人々が持っている考えであるゆえに重要です。今日ここで祈りの答えを受けるか? 受けることができないか?ということになります。私達が持っている 考えが重要なのです。私が見るのには、大部分の人に感謝がありません。不平不満が多いのです。そのようになれば、深刻な水準です。感謝することがないのでしょうか?
 
・私は今週に母親が亡くなったのですが、その日も感謝だという気がしています。どうかといえば、神様がなさったことですが、母らしく亡くなったと思います。普段に私の母は、土曜日になると頭をきれいにしたり、服を着替えていました。土曜日になれば、私が行くために痛いことを表に出さないようにするためでした。痛いと分かれば、聖日に説教するのに影響を及ぼしてはならないと思ってそうしたのです。この前の土曜日ならば、からだが深刻だったのですが、その時も美容院に行って、服を着替えてそのようにして座っていました。元々の性格がそのような人です。仮りに月曜日にでも亡くなれば、本当に困ったでしょうが、日も感謝です。礼拝が重要なので、葬式を早くしました。
 
・昨日、私が福音を伝えるという理由で、多くの人に迷惑をかけているという気がした. 私たちの信徒、長老達がどれくらい私のために祈ってくれているか?が感じられました。感謝するけれど、すまないという気がしたのです。世界の福音化をするという理由で、多くの人に被害をおよぼしているようです。その一番目が私の母がどれくらい痛いかを私が知らなかったことです。私たち信徒と瑞草地域教会と多くの信徒達が私のために祈っているということをたくさん 感じました。全てのものを皆様にも感謝申し上げるけれど、神様に感謝申し上げます。
 
・そして、よりによって今日が収穫感謝祭です。収穫感謝祭はおさめて保存したという意味です。それは天国に行くことができる時までを話すことです。収穫感謝祭を迎えて母が亡くなったことも、時刻表に合っているようです。私と皆様が信仰生活をするなかで、最も胸の中に持つべきことが感謝です。仮りに私たちに真の感謝がないならば、実際には私たちは死んだ信仰です。
 
・親に感謝がないことは親不孝で、神様に感謝がないならば未信者のような水準です。また何ゆえに感謝するのか?ということがもっと重要です。何ゆえに感謝しているのでしょうか? 神様が重要な祭り3つをイスラエルにくださいました。
 
・イスラエル民族が、エジプトから出た日を過越祭と言います。荒野を行く中でカナンの地に入っていって穀物をおさめたのですが、最初におさめた日を麦収穫祭と言います。また、穀物をおさめて倉庫に保存した日を刈り入れ祭と言うのです。これは穀物だけを考えれば、何でもない事で、未信者もできることです。ここで私たちは失敗するのです。ここに重要な霊的な理由があるのです。
 
・過越の祭りは、私達が暗闇の勢力と呪いの勢力から解放されたことを忘れないということです。また、麦収穫祭を五旬節と言いました。使徒2章に見れば "五旬節の日になって"とされています。五旬節の日に聖霊充満を下さいました。皆様が聖霊充満という重要な答えを悟るならば、皆様は勝利するはずです。学生達が祈りを知らないのですが、聖霊充満という単語を悟るならば、学生達は勝利するはずです。職場生活をする方が聖霊充満という単語を悟れば、職場生活も勝利するはずです。クリスチャンは必ず聖霊充満という単語を理解しなければなりません。これを誤って理解したゆえに、未信者が信者を変に見るのです。もし未信者が信者を変に見るならば、それは誤った信仰生活ではないでしょうか? 事業する方が聖霊充満を正しく理解してこそ、事業を上手にすることができます。
 
・そして、私達が天国の市民だということを理解することが刈り入れの祭りです。信仰生活をするなかで 3種類の単語は必ず理解しなければなりません。救い(過越の祭り)、聖霊充満(五旬節)、天国の背景(刈り入れの祭り) それならば、とても重要な意味です。しかし、大部分の信仰人がそれを知らずにいるのです。私は天国に対する話を正しく聞くことができませんでした。死んで天国に行くという話しだけ聞いたのです。ですから、その話は私はそれほど関心を持つことができませんでした。その話を聞く時、私がすぐでも死ぬことは考えなかったからです。しかし、私は聖書を見ながら "この地に生きている間にも天国の背景があること"を悟ったのです。人々が死ぬ時、そばで祈る理由があります。少しの間死んで、また息を吹き返して、そして死んだ人が多くいます。あまりにも驚くべき事があるのですが、そのような人々だけのことを主題にして書かれた本があります。その人々がなんの話をするか? というと、共通して天国と地獄があることを話して、怖い悪い霊が現れて、引っ張っていくと書いていました。
 
・それで、皆様の家族の中の未信者には、死ぬ時に福音を伝える理由があるのです。この地に天国の背景で生きることが重要です。ですから穀類を倉庫に保存するように、この地で天国の背景で生きるのです。神様は私たちをこの地に生きるようにされる時、天の国民だと知って生きるようにされたのです。
 
 私は信仰生活をしながらいくつかのことを悟りました。父、御子、御霊の神様は救いの神様であることを知ったのです。何故、神様が人間のからだを着て来られなければならなかったのか?を知るようになりました。聖霊が私たちと共におられる理由を知ったのです。そのような中での3種類の祭りです。過越の祭りは救いを話すことで、五旬節は聖霊充満を話すことで、刈り入れの祭りは天国の背景を話すのです。
 
・ここには、多くの青年達がいます。あなたがたが世に行けば失敗したり、倒れることもあります。また信仰生活が良くならないこともあります。ところが、ひとつ違うことがあるのです。この部分に対する祝福を受けたのです。私はそれを知って感謝しました。過ぎてみて本当に "これが神様の民だな"ということを悟りました。皆様! 今日、他のことは分からなくても、この部分は必ず悟らなければなりません。
 
・学生達、青年達は、信仰生活することが本当に難しいのです。ここの既成世代の人々は、他の見方をすればよりやさしいのです。学生達の背景を見れば、本当にむずかしいのです。文化がたくさん変わりました。ここに座っておられる方達は、ほとんど法事や偶像問題で多く苦労をしたのですが、今の青年達は、文化で多くの問題があるのです。学生達がともすると、わがまま勝手にする事もあり、倒れることもあります。ともすると罪の意識に陥る事もあり、でなければわがままになる状況です。
 
・それで、皆様がよく区分しなければならないのです。あまり罪の意識を感じる必要はなくて、 勝たねばならない部分もあります。このように私たちの生活が複雑なのです。しかし、今日 3種類だけは必ず捕まえましょう! 救われた神様の子供! 聖霊充満を理解してこそ、世に勝つことができるのです。天の国民を理解してこそ、多くの祝福を味わうことができるのです。私は天国を研究しながら、御座の祝福や天使の活動のようなものがどれくらい大きい祝福であるかが分かるようになりました。
 
・私は天国に行ってから、そこでどのようにかすると思っていました。それはもちろんです。それよりこの地で生きる中でも、天国の背景を持って生きるということを知るようになったのです。今日、小さい決断でも ... アブラハムが決断を下しました。自分のおいに全てのものを譲歩したのです。簡単に話して、不信仰を全部片づけてしまいました。神様に祭壇を築いて、祈り始めたのです。アブラハムが祭壇を築いて感謝したその時から答えが始まりました。
 
・仕事をすることも重要ですが、真の感謝が回復できなければなりません。教会の清掃は誰でもできます。しかし、教会清掃をしながら、真の感謝がなければならないのです。教会で多くの働きをすることができます。その働きに対して真の感謝でするということは、その内容を理解しているということです。感謝を本当にしなければなりません。その時から祈りの答えになるのです。
 
・創世記28章は、ヤコブが逃げる事件です。その中でヤコブが夢の中から多くのことを悟るようになります。その時から、ヤコブには多くの答えがくるようになりました。ダニエル6:10に定刻の祈りをしたと出てきています。ところがそこに "感謝して祈った" とされています。その時は、ダニエルが死ぬことになった状況なのに、そうしたのです。ピリピ4:6-7に、何も思い煩わないようにとされています。その思い煩いを祈りと願いに変えなさいとされました。問題を祈りの課題に変え、感謝で知っていただきなさい、とされました。これが答えになる門です。問題をそのまま祈りなさいということではなく、感謝に変えなさいということです。答えが私たちに明らかになるほど、感謝が出てくるのです。
 
・パウロを大きく用いられた理由があります。ピリピ1章を見れば、死んでもかまわないとして、生きてもかまわないとしました。福音ゆえに用いられることをとても感謝していました。また貧しくてもかまわなくて、豊かでもかまわないとしながら、力を与えて下さる方にあってどんなことでもできると言いました。ここには男性も、女性もいます。また家族もいます。真の感謝が出てこないならば、皆様は間違っているのです。真の感謝が出てくるべきです。夫に真の感謝が出てこないでしょうか? それができなければ、皆様が生きるということ自体が間違っているのです。
 
・学生が学校に行きます。3年 あるいは 6年通うでしょうが、真の感謝なく通えば、それは問題です。感謝がないということは、全てのものがないことです。私が多くの人々を見ながら、ある人は他人のことを当然なように考えるけれど、本当に感謝する人もいましたよ。神様に本当に感謝がないならば、問題になるのです。
 
・救われた皆様に最も回復しなければならないことが感謝です。今日は収穫感謝祭だからとそのようにするのではなく、今日本当に感謝しなければなりません。今日礼拝をささげる前に、このようになっているならば皆様は合格です。"本当に神様の恵みに感謝します。私に救いを下さって、神様の祝福を受けるようになり、私が伝道者の隊列に立って、こういう祝福を味わうとは! 私がこういう福音を伝える教会の信徒になったということをとても感謝します! 収穫感謝祭を迎えるので、とても感謝します。私が一年間に本当に感謝すべきことが何でしょうか?" こうなれば、皆様は合格です。祝福を受けることができる人です。
 
・教会も何となく来て、感謝もなくて不平不満もないならば、それは信仰生活を離れて、皆様の状況が普通の問題ではありません。人生に対して本当に考えてみるべきです。今日、収穫感謝祭ですが、どのように感謝しなければならないのでしょうか? もう一度言いますが、3種類を回復しましょう。
 
・救いの祝福を回復して味わいましょう! 私達が地球上を生きていく中で、最も確実な単語である聖霊充満が何かを理解しなければなりません。未信者とともに生きる中で、違う秘密がなければならず、天国の背景を正しく味わわなければなりません。それならば、皆様に問題がくれば機会になるのです。こういう人、ああいう人に会うようになれば、知恵が生まれるのです。おかしな人、間違った人に会ってもかまいません。神様が知恵を与えて下さるので...
 
・真の感謝が回復できるということは、本当に理解できたということです。私が親に感謝するということは、親を理解できたということです。神様に感謝するということは、神様の秘密が分かったことであって、そのあとには祈りの答えがくるのです。
 
<<契約祈り>>神様に感謝申し上げます。今日、本当に感謝を回復する日になるようにしてください。感謝がない死んだ信仰にならないように願います。感謝を知らなくて、答えを受けることができない人にならないように願います。今日、感謝が回復する祝福の日になることを願います。イエス・キリストの御名でお祈りします。 -アーメン-
 
 


2部:感謝がある人々
(Iテサロニケ5:16-18)
 
 
・今日、私たちは感謝を回復して、感謝がある貴重な人々になりましょう。私達が人を手助けしても、同じ仕事をしても、感謝がある人がいて、ない人があります。差がものすごくたくさん出るのです。
 
柳)) 私がある学生を見ました。両親にも感謝して、特に感謝することでもないのに、先生にも感謝したのですよ.. 結局、優等生になって成功をするのを見ました。
 
 大部分の人々に、感謝がありません。偽りの感謝をするのです。それで、大部分のがしてしまうのです。私達が感謝を知らないことは、無のようです。
 
・今ここにかわいい花が飾ってあります。この花の飾りつけをなさる方は、礼拝をささげるのに、教会でささげる自分の心で、礼拝をささげながら人々の心を美しくするためであり、世界でインターネットで礼拝をするのに助けになるという事実を知って、持続してしていることです。もし福音がない商売人にさせれば、このようにはしません。
 
・私達が感謝するということは、理解するということです。理由と関係があります。今日が収穫感謝祭であるからではなく、必ず診断してみましょう.. 私が本当に感謝しているのか.. 感謝しないということは、知らないということと同じです。
 
## 私が 3種類を大きく悟りながら悟った感謝があります。
 
1. 三位一体の神様の秘密です。
・ヤーウェの神様が生きておられてこのみことばを下さったのだなあ.. あまりに感謝したのです。聖書に正確な答があります。世にさ迷っている中で、正確な答がみな聖書にあります。とても感謝しました。地球上で絶対に答が出てこないことが聖書にあるのです。完壁な本です。ヤーウェの神様がみことばを下さいました。どれくらい感謝なことでしょうか.. ある時は、あまりに受けた恵みが大きくて、寝られないこともあります。
 
・かくも大きい祝福を受けることもできなくて、実際に神様を信じることも、会うこともできないのに、あらゆる暗闇の勢力を押し倒して、私の暗い目を明るくなさろうと、人のからだを着て、人を救おうとイエス・キリストが来られたのです。もしイエス様が来られなかったならば、私たちを信じるようにすることはできるでしょうが、ものすごく複雑になります。世の中はすっかり偶像の戦いになるはずで、悪霊が神様だと信じるようになるはずです。この事実だけ悟ったのに、祈りさえすれば答えがおきるのです。伝道現場に行って、霊的問題を持った人が、イエス様を説明したら解決することを見て、本当にイエスはキリストなのだな.. と知りました。生きておられる神様の息子というみことばが分からなかったのに、理解できたのです。ところが、もしキリストが人のからだを着てこの土地にずっとおられるならば、問題が起きるようになるはずで、そのまま死ねば変になるために、神様がイエス・キリストを復活させて昇天するようにされました。この話には、未信者も口をはさむことができません。未信者はイエスを信じないのですが、イエス様の死体を探すことができないゆえに異義を唱えることができないのです。聖書でイエス様は復活なさって昇天なさった神様です。これを知らなければ、信仰生活になりません。
 
・三位一体の中で、聖霊の働き.. 聖霊の働きがあってこそ、イエス様が昇天なさる事件がおきることができて、信仰生活になるのです。こういう秘密があったんだなあ.. 伝道現場で悪い霊で苦しめられる人を見て、聖霊充満を受けなさいという理由を知るようになりました。感謝をするしかありません。
 
・皆様が道を行く時、誰かが足りない分の交通費をくれても感謝するでしょう。いつか私は、電話しなければならないのに、小銭がなくて探しているのを見て、まったく知らない人がくれたので、本当に感謝したことがあります。道を行く時、誰かが皆様の子供を手助けしたり、危機に会ったのに手助けすれば有難いではないでしょうか.. 他の人を生かそうとその人自身が 死んだのを見れば、どれくらい感謝するでしょうか..
 
・私は、父、御子、御霊の三位一体の秘密を見ながら、感謝すると感じられました。その信仰が自分のものになったのです。感謝がないということは、自分のものにならなかったと見ることができます。銀行にお金が多いということが、皆様に感謝なことでしょうか.. 自分の通帳に 入っていてこそ感謝すると感じることと同じです。感謝が自分のものになって、それだけでなく、その秘密を味わうということになるので、感謝するのです。この三位一体を知らなければ、感謝を知らないことで、実際には救われることがないのです。
 
2. 三つの祭り - 過越の祭り、五旬節, 刈りいれの祭り
 
・ある方が、長老試験に聖書の3大祭りを書きなさいという問題に、光復節、開天節(建国記念日)を書いたということです。韓国の祭りを守ることも、忘れてしまうなという意味で守るので、同じことです。ここに相当な秘密があります。過越の祭りは救い、五旬節(=仮庵の祭り)は聖霊充満のことです。聖霊充満を理解できなければ、信仰生活ができません。誤って理解すれば、おかしな信仰になります。肉体的に理解すれば、不健全な神秘主義になります。聖霊充満をあまりに肉体的にだけ理解してしまえば、御利益信仰になります。聖霊充満をあまりに教理的に理解すれば、とても乾いた死んだ信仰になります。聖霊充満ということをどれくらい実際的に理解するかということが、信仰生活のすべてです。刈り入れの祭りは、おさめて保存したということで、天国のことで天国の秘密をこの地で味わうことを話します。
 
3. 初代教会が形成された五つの秘密。これを知らなければ、信仰生活もできなくて、伝道もできません。救われたのですが、他のことができないのです。過去を振り返って見ましょう。救われたか、祈りはどうで、何かできるのか.. イエスを十年余り信じても、これを知らなければ、理解ができません。初代教会が形成された五つの要素があります。これを知っていなければならないのです。どのように始まったのでしょうか.. マルコのタラッパン.. 生活に関すること - 人間関係、出会い、弟子がアンテオケ教会のチームの働きです。起きた家庭がミッションホームで、技術、学業が専門の働きであり、専門性です。私達が持ったビジョンです。何ゆえに地域ごとにみことば運動を開かなければならないのでしょうか.. その理由が、偶像文化と関係があります。皆様の事業と関係があるのです。専門化ができなければ、ご飯を食べることができません。事業を始める人に専門性がどれくらいあるかを尋ねます。専門化になってこそ、世界化になるのです。専門性がなく付いてまわる人は成功できません。これが早く克服する道です。聖書の中に答がみなあります。どれくらい神様の恵みに感謝しているでしょうか.. この秘密だけ持っても、充分な祝福を受けました。
 
 今日貴重な日に感謝を回復しなければなりません。性格的な感謝ではなく、本当に感謝しなければなりません。本当に感謝を回復しなければなりません。本当に感謝を回復しましょう.. 感謝がないということは、みなのがすことと同じです。不平不満でぎっしり埋まっている人は、普通の病気ではありません。
 
柳)) 私が記者に会えば必ず話すことがあります。記者を10年余りすれば、本人も知らないで霊魂の深い所で否定的な考えが入ります。それを知っていなければならないのです。判事、検事に福音を伝える時ごとに強調することがあります。彼らはいつもあらゆる罪人を扱います。そうしたあと見れば、自分でも知らない内に福音がない人、あるいは、あっても悟ることができなかった人は、潜在意識の中にその影響が入っていくようになるのです。医者、薬剤師、看護婦の方達は患者だけを扱います。悟ることができなければ、本人も知らないうちに多くの傷が、むしろ患者よりもっと深い傷が生まれることがあります。福音の秘密と感謝がないということは、死の道に行くことと同じです。学者と教授がいらっしゃいます。人は学問を研究していれば単純ではありません。そうしたあと見れば、本人も知らないうちに、分析的、総合的になるのです。すると信仰は単純ながら、いのちで全てのものなのに、この部分が理解できないのです。それでどんどん分析しようとするのです。ですから、私は国会議員や長官に福音を伝える時、必ず言うのです。この人達は、幼い時からいつも優秀な過程をたどってきています。それで自分自身も知らないうちに頭が単純でなくなっています。それで、いのちを得ることができるこの秘密をのがすのです。ですから、感謝を回復するということは、とても重要です。私の考えでは、いやしの中のいやしは感謝です。個人、家庭、肉体問題のあらゆるいやしのすべての核が感謝です。
 
・それほど学がない人々の中にも否定的な人がいます。私たちに分析力はなければならないけれど、否定的な人になってはなりません。いつも肯定的な部分と共に考えなければならないのです。反対に、いつも肯定的な人は、いつも浮き立ちます。この人は否定的な部分もともに考えなければなりません。このように人は完壁でない部分が多いのです。今日、私と皆様が必ず解決しなければならない部分が感謝です。どれくらい救われたことを感謝しているでしょうか.. 私は瞬間瞬間考えても、感謝です。 
 
柳)) 私が知っている牧師一人は、私たちの教会の出身です。他の教団にいらっしゃったのに、教会が困難にあって苦労していらっしゃるのを見ました。それを神様が私たちは福音がある教会に、福音がある教団に呼んでくださったことを本当に感謝します。
 
・感謝を回復しなければならない理由の中で、結論的な理由.. 生と死と関係があります。祈り の答えもその時なされるのです。ダニエルが死ぬようになりました。その国の法律によって他の神に祈れば死刑になるようになっていたので、ダニエルはそれを知っても窓を開けてエルサレムに向けて、ひざまずいて神様に感謝して祈ったとなっています。どれくらい驚くべきことでしょうか.. ダニエルが何かを知っていたのです。
 
柳)) ある方は聖歌隊もして、党会員でもあって、聖日学校の教師もしています。この方達が、金を受け取ろうとしてしているのではありません。指揮や伴奏する専門担当者に交通費程度を与えることがありますが、謝礼は与えません。皆様がする働きがあまりに重要なためです。このことを知っていなければなりません。感謝を回復するぐらい重要なことはありません。この時、答えの門が開くのです。
 
・‘何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。'どれくらい重要でしょうか.. ユダ1:11節に怖い話しが出てきます。‘忌まわしいことです。' としながら、三名の名前が出てきます。カイン、バラム、コラが出てきます。神様に感謝しないでそむいて滅びた人です。
 
・無条件に感謝しろとすれば、それはストレスです。皆様が家族の間で無条件に耐えようとすれば、大きいストレスです。本当に理解をして、内容を知って、神様の秘密を知っていれば、感謝が出てきます。心配を無理に耐えて押さえれば病気になるはずです。聖書みことばに何も思い煩わないで、とありますがそのことより後の話しが重要です。‘感謝をもってささげる祈りと願いよって、…知っていただきなさい'と言われました。祈りの課題は必ず答えられます。これがその秘密です。ヨハネの福音書にも‘あなたがたは、心を騒がせてはなりません。神を信じ、わたしを信じなさい'その後の秘密が出てきます。4つのことをおっしゃいました。父、御子、御霊の秘密と天国の秘密を話されたのです。
 
・聖書にある大きい人物の特徴は、一回も願望がなかったことです。皆知っていたためです。教会を本当に理解するとすれば、願望が出てきません。信徒を本当に理解するとすれば、牧師の心に信徒に向かった不平や誤解が生まれません。理解するということは、本当に重要なのです。教役者を本当に理解するとすれば、そうでないでしょう。要所要所を知るようになります。知っていればかまわないのです。
 
・ヨセフが一回も恨まなかったのは、人柄がそうであったのもありますが、死ぬところまで恨まなかったことは、創世記37章の契約を知っていたゆえに、奴隷で、監獄で、死の前にきてもかまわなかったのでした。感謝が回復することを願います。どんなに問題が起きても、その問題の後に起きる答を持って、そこについてくる計画を持って感謝しましょう。聖書に重要な答があります。聖書でダビデは一回も願望をしませんでした。恨んでも恨みきれないほどだったのに、そうではなかったのです。私たちのようならば、願望をあまり多くしたでしょうに.. 私は、雨が降る日にかばんを持ってタクシーに乗りながらも願望が出てきます。
 
・今日、悪い世の中、不信仰が絶対皆様を触ることができない貴重な秘密が、今日の本文にあります。よく把握しましょう。
 
## 常にすること3つから探さなければなりません。
 
・‘いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。' 常に喜ぶことができるでしょうか.. 私は、はじめにはこの九節が理解できませんでした。絶えず問題が生じるために、絶えず祈りなさいということは、むしろやさしかったのです。確かに私たちには希望があります。私たちは困難の後にも希望があるのです。それで喜べと言われました。あらゆる事にどのように感謝しているか説明までされました。神様の重要なみこころで計画が 隠されているために、この三つのことは常にしなければならないことです。暗闇が絶対に皆様を触ることができないのです。
 
柳)) ある方が私にたずねました。米国をどのように福音化できるのでしょうか.. 私が話しました。今から絶対に不信仰にならず、恨まないで祈りなさいと言いました。方法を探すのですが、そうではありません。仮りに主のしもべ、宣教師が休まずに祈ることを 1年だけしたとするならば、その地域はまちがいなくひっくり返されます。皆様の事業には確かに証拠がくるようになっています。神様の力に勝つ者はいなくて、神様の力を知っている者には、勝つ者がなく、祈る者に勝つ者もいません。
 
## まず、することがあります。
 
・12節に‘兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。'主のしもべと長老達を認めなければなりません。私がちょっと感じるのは、私たちの教会の中で核心メンバーながらも、長老達を理解できない方を見たのです。それならば、一般信者は真っ暗だという考えをしました。教会の中で働きを多くして教会をよく知っている方が、長老に対する認識が薄いのを見ました。そのようなことを見たのです。過ぎ行く話に感じられたのです。反対に長老達が、一般信者をよく知っているでしょうか..
 
・皆様がまずすることがあります。役員、主のしもべ達、皆様が何を判断しなければならないでしょうか。仕事をそのようにせざるをえない理由を知っていなければならないのです。個人的なことではないためです。まず最初にしなければならないことが、周囲の兄弟をよく見て、和睦しなければならないのです。単なる和睦ではありません。その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。神様が救われた人々であるためです。お互いの間に平和を保ちなさい。これがまずしなければならないことです。それでこそ、礼拝になると言われました。14節には、あなたがたに勧告します。気ままな者を警戒しなさいとせず、戒めなさいと言われています。よく手助けしながら、それを見習うなとされたのです。警戒することではありません。弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。これからしましょう。‘だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、'. 私達がまず最初にせねばならないことが人の理解です。この三つのことは、常になるべきことです。いつも喜んで、絶えず祈って、すべてのことについて感謝しましょう。感謝を回復する皆様になるように願います。
 
・記憶しなければならないことがあります。19節に御霊を消してはなりません。実際に聖霊が 消えることはありません。重要なことは、この言葉の意味を知っていなければならないのです。神様の聖霊が常に皆様と共にする秘密を、それで皆様がどんなこともできるということを忘れるなということです。預言をないがしろにせず、一つだけ知っていればよいのです。みことばはまさに皆様のための祝福のみことばです。預言をないがしろにせず.. 旧約には、みことばが 預言で現れたためです。どれくらいみことばが重要でしょうか..
 
柳)) シン・ナンホ牧師が埋葬する時の礼拝で説教なさった部分の中で、この部分がありました。一世代が行ってから起きる答え.. 聖書には、ものすごく多いのです。そして、私達が天国に行く秘密がある日が刈り入れの祭りです。私は知っていたのですが、その事実を説教を聞きながら悟りました。重要だという気がしました。説教を誰がするかということも重要ですが、みことばを聞くことができなければなりません。それでこそ自分の答えになるのです。 
 
・‘すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。悪はどんな悪でも避けなさい。’私達が非常に注意しなければならない部分です。どのようにすれば、私たちは感謝を回復して持続できるでしょうか.. 私と皆様が、神様が与えられた恵みを少しだけ考えても、答えがきます。ここに座った学生達がみなできなくても良いのです。イエスがキリストという事実を悟れば、一生涯答えがくるはずです。神様の恵みをとても感謝するということを一回でも感じるならば、大きい答えがくるはずです。
 
・今日、神様の貴重な祝福が皆様にあることを希望します。日本の女性が書いた本を読んでみました。クリスチャンはこうあるべきなのだな.. 感謝はこのようにするのだな..ということを たくさん感じました。多くの感謝の中で、私は神様が小さな家に住むようにしたことも感謝するということを、日常生活の姿を描きながら告白していました。とても小さなことでも感謝する内容でした。私がその本を読みながら、こういう部分までもクリスチャンが感謝をしなければならないのに、知らないことが分かりました。
 
・皆様に最高の薬が感謝の回復です。最も健康を得ることができることが感謝の回復です。今日、感謝を回復するように願います。
 
柳)) ファン・スガン博士に会ったところ、健康になろうとするなら笑いなさいと言いました。その方自身もいつも笑っていました。しかし、無理な笑いはストレスです。私は笑うことがうまくできません。写真館に行って写真を撮す時も苦労した記憶があります。ある面で見れば、わざわざ笑えば健康になるでしょうが、一瞬のことです。真の感謝がもっと必要です。有名な喜劇俳優が、憂鬱症になって病院に行ったところ、チャーリー・チャップリンの番組を見れば楽しくなると処方したのですが、その患者がまさにチャーリー・チャップリン本人だったのです。
 
 救いを下さった神様に感謝する、いやされる日になることをイエスの御名でお祈りします。
 
契約の祈り>> 神様に心より感謝します。今日、救われた私達があまりにも多くのことを受けました。これから神様に感謝で表現するだけでなく、この感謝を味わって多くの人を生かし、いやされる祝福を今日与えて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン>>
 
 


3部:救われた者の感謝
(ピリピ4:10-13)
 
 
・私たちは良い学校で勉強を多くして、学力をたくさん揃えることは重要です。ところがより重要なことは、その人の中に入っていることです。私が知っているある方は、韓国でとても良い学校を出て、実力もあります。そして、良い学校の教師だったのに、この方と話をすれば、いつでも感じられることがありました。この方の深い所には、何か不信仰と不平が入っていたのです。これが問題だなと思いました。しかし、これは一朝一夕に生じたことではなくて、幼い時から潜在的になったことです。誰が見てもしっかりしていて、知っていることも多いのです。情報も私よりは 2倍はよりたくさん知っていているようでした。ところが、必ず見れば話をして最後に、重要な部分でいつでも否定的でした。これが問題です。その方に対して心配も多くして、祈りもしたのですが、予想したとおり、その方の人生は行けば行くほどどんどん暗くなって、次の世代もそのようになるのを見ました。どの大学を出たかも重要だけれど、同じことならば良い大学でよく学ぶことが良いでしょう。しかし、その人の中に隠されていることが、ほとんど残りのことを左右します。それで、私たちは幼い時から教会学校を作ってするのですが、先生が重要なのです。
 
・今考えてみると、本当に幸いだったと言いたいことは、幼い時にパンを蒸せば一個ずつつまんで食べました。そのような時、母が私をどれくらい叱ったか分かりません。腹の中に乞食が入ったのかと言われました。父にあげて、弟らと共に食べなければ、まず食べてはいけないということでした。その時、どれくらい恥をかいたでしょうか。ところが、その時からは、もし学校から帰ってきて、家にさつまいもや果物があっても食べませんでした。これが今考えると、相当な教育です。この頃は大学院を出てきた人がとても多いのです。米国では博士がとても多いために、履歴書でも書かないらしいのです。書いて置けば人々が負担を持って使わないからです。そのような時代です。問題は隠れている教育です。
 
・私が幼い時、牛乳を入れたあめ‘ピガ'というものがありました。十ウォンを出せば10ケもらえたのですが、母が弟三人に3ケずつを与えるので、私は1ケもらいました。ところが、私は心に不満に思わず、当然、一番上だから弟が3個ずつもらって、私は一つだけ食べれば良いのだと考えていました。これも良い教育です。幼い時の教育が、信仰も左右します。私たちの中に何があるかが重要です。
 
・私が見る時、4つのことに対する感謝がないならば、それは失敗するようになると思います。最初は両親に対してです。自分の両親にとても感謝するという考えがないならば、その人は基本的に失敗するようになります。父に感謝するということ悟っらなければならないのですが、それが人間教育の一番最初であるのに、それがだめでだから、みな嘘になるのです。父に挨拶することもみな嘘になります。それが特別なことではないように見えるけれど、その人の人生で重要なことを左右するようになるのです。またもうひとつは、先輩や先生に対する感謝がないならば、学校生活もみな嘘になります。そして、家庭を作って生きていくのに、そこに対する感謝がないならば、相当な偽りになります。教会はこういう所だなという感謝がなければ、教会を通じてくる祝福は洗いざらい偽りになります。それでは、試みに会って変になるはずです。
 
・私と皆様が必ず悟らなければならない部分が、学校でみな習って知っているでしょうが、潜在意識の中に入っている私たちの信仰と、心深く入っているキリストの秘密がどれくらい重要か分かりません。これを参考にしなければなりません。福音を知った後に私はしばしば話します。すると、ある日私たちの学生達も生きるようになるはずです。たびたび話さないと死ぬということを知ったのです。福音に対することをしばしば話さなくて、福音の根をおろしてあげなければ、ある日、人生も事業も暴風雨の中で耐えることができません。私は教育学的にみてもそうで、聖書を見てもそうで、人間を理解するならば、より一層そうするのです。それでこの福音を持って 10年, 20年ずっと反復するのです。そうすべきです。ところが、勇気を得ることは、ある日私たちの学生達が変わったのです。福音を聞いていて、変わり始めました。やはり福音は、こういうことなのです。
 
・今日、私と皆様が悟らなければならない主題は、救われた者の感謝です。どのように悟れば良いのでしょうか。パウロを見れば分かるはずです。パウロが書いた手紙の中でも、人というのは、いざという時に見れば分かります。利益、損害が前に置かれたり、いざという時になれば、すぐ目立つのです。パウロが実際に最高の危機に会いました。今と違う監獄でパウロの中にある深い信仰が表に出ました。コロサイ2:2-3 キリストの中にあらゆる知識、知恵、宝が入っています。コロサイ教会に全く揺れず、地のことをみつめず、上のことを見なさいと話しました。エペソ1:1-19 救われた者の実際的な秘密を発見して、それゆえに感謝したのです。エペソ2章、未信者がどのように死んでいるかが出てきています。
 
・特にパウロが監獄で書いたピレモン書を見れば、二人の人物が出てきます。召使いのオネシモと主人のピレモンです。そこに対してパウロは手紙を書きました。皆様の中で「本当に私はいやしくて、足りなくて、良いことがなかった人だが、神様が福音を下さって神様の子どもになった。それでこれからは本当に福音のために生きるべきだ。」こういうオネシモのようになるべきです。ピレモンを見れば、たくさん持った人で、たいした人です。後ほどピレモンもそのように悟りました。「私がキリストゆえにあんな低い者を理解するようになって、キリストゆえに私が低い者になった。キリストゆえに私は主人ではなくて、主のしもべになったんだなあ。」このように悟れるならば、本当によく悟ったことです。
 
・ピリピ1:12-21 救われたこの部分をとても感謝するために、生きてもかまわなくて、死んでもかまわないと言いました。死ぬことがもう少し有益だけれど、生きていることが福音を伝えるのに助けになるならば、生きてもかまわなくて、死んでもかまわないと言ったのです。ピリピ2章を見れば、「少しの間会う苦難はかまわない。イエス様は人のからだを着て、十字架にまでかかって下さったではないか。」ピリピ4:10-13 パウロが救われた秘密にどれくらい感謝していたでしょうか。単純に神様が私に答えをとてもたくさん与えるから感謝するという水準ではありません。もちろん、パウロは答えをたくさん受けました。
 
・世界を福音化しようとすれば、早くこの部分からひろめなければなりません。神様は悪い方ではないために、うつわによって答えを下さるのです。神様は悪霊みたいな神ではなくて、本当の神様であり、ヤーウェであるゆえに私たちに強制的にされません。信仰とうつわに従って、答えを下さるのです。皆様が祈りの答えを受ける最も重要な鍵がここにあります。多くの牧師達が大きい祝福を受けて教会を生かす秘密がここにあるのです。方法と実力を揃えてもかまわないけれど、揃えなくてもかまいません。一般信者が多くのことを献身すれば良いのですが、そのようにしなくても、重要なことだけ知っていれば答えを受けるようになります。
 
・パウロが持っている感謝の水準です。‘答えをたくさん受けて感謝する' そのような水準ではありません。もちろん答えはくるはずです。しかし、パウロの信仰水準は、そのようなことではありませんでした。パウロの信仰はいくつか表に現れます。私に救いを下さった神様に感謝します。エペソ1:3 賛美します。この部分が分かっていたのです。だから神様が一時代のとても重要なことを任せられました。パウロはそれより一段階越えていました。私が福音ゆえに苦難を受けるようになるから感謝すると言いました。皆様がこの水準に行けば、神様はそのまま答えを下さるはずです。もちろんこれを私達が無理に方法で悟ってはなるはずではありません。それでなければ、私たちの長老が祈ったように、サタンのお手伝いをするようになります。この部分がものすごく重要です。
 
・パウロが持っている感謝の水準を皆様が持つことができます。救いを下さった神様の前に感謝して、救いゆえに監獄において感謝して、救いゆえに殺されるようになっても感謝して。Uテモテ4章に見れば、自分が死ぬことをパウロは知っていました。それでも感謝すると言ったのです。‘神様が私のために義の冠を備えておられるはずだ'と話しました。パウロの信仰水準はたいしたものです。
 
・私と皆様が、救いの秘密を理解するならば、感謝するしかありません。1/2部で説教しました。私達が救いの秘密を本当に理解するならば。主なる神様が私たちに聖書のみことばを下さいました。聖書を見れば、答がみなあります。事業すること、どのように生きなければならないか。キリスト教は、占いをする必要がありません。聖書の中に答がみなあるためです。キリスト教だけが、占いをしません。どれくらいものすごいので、感謝しているでしょうか。この祝福を私達が受けることができないために、どんなに苦闘してもだめなために、神様がイエスを送られたのではなく、キリストを送られたのですが、そのキリストがまさにイエスなのです。その話を逆にすれば大事になります。神様がイエスを送って、キリストをお作りになったのではありません。キリストを送られたのですが、その方がイエスです。異端はイエスがキリストではないと話します。キリストという単語だけを知っていれば、あらゆる門が実際にみな開くようになります。
 
・神様は、私達が弱いことをご存知であって、私たちに聖霊で働かれ、世の中を生きていくのに最も良い方法である聖霊充満をくださいました。どれくらい感謝しているでしょうか。1部の時に説教しました。聖霊充満という単語を理解する前には、世の中に勝つことはできません。私はそのように確信しています。聖霊充満が何か?を正しく悟ることができなくては、未信者と戦って絶対に勝つことができないのです。聖霊充満がなにか分かることが、信仰生活の結論です。
 
 なぜならば、キリストを信じる皆様を神様の子供としてくださるだけでなく、キリストを知る祝福を下さいまして、聖霊でご一緒になさるのです。この部分がほとんどだめなのです。
 
・神様が三つの祭りの中で明らかな答を下さいました。過越の祭りは救い。麦収穫祭は聖霊充満。収穫感謝祭(刈り入れの祭り)は天国をいいます。こういう途方もない秘密があるのです。感謝するしかないのです。神様のみことばをよく聞きながら、答えが新しく始まることを願います。
 
・初代教会はどのように始まったのでしょうか。聖霊充満です。この部分が全てのものの開始です。どんなに失敗の中にあっても、あるいは良くならない不景気の中にあるとしても、失敗をしてしまったとしても、信者はできる道があります。それがまさに聖霊充満に関する解釈です。聖霊充満を受けたのが、初代教会の開始でした。ところが、あまりにも感謝することは、聖霊充満は信仰で受けるのです。マルコのタラッパンに臨まれた主の聖霊が皆様の家、職場、産業に臨むことをイエスの御名でお祈りします。これだけあれば良いのです。何も複雑でなくて、必要でもなくて、そのままだけすれば良いのです。
 
・聖霊充満を受けた後に、アンテオケであらゆる人との関係を回復しながら、弟子を探しました。瑞草地域教会で回復しなければならないことが何でしょうか?人間関係を回復しながら、弟子を探すことです。これが2番目です。皆様に弟子の祝福があることを望みます。三番目の答えは何でしょうか。ミッションホームです。家系、家庭の問題を回復しながら、伝道の門が開くことです。4番目に受けた祝福は、専門の働きです。皆様の産業に、専門化、世界化、福音化がなされて、答えの門が開くのです。地域教会は何でしょうか。皆様が行く所ごとに弟子が集まり始めて、神様のみことばが生きて動き始めるのです。偶像文化を防止することができます。私は感謝することができない人が変に見えます。発見できないためです。
 
・さる水曜日に芝居を見ながら、そのように考えました。学生達や青年達は、信仰生活の完成された段階ではないために、心配する必要はありません。学生達が祈りがよくできないことが当然です。だめであってもかまいません。皆様はレムナントであるためです。皆様が本当に救われた神様の子供であるためです。すぐには信仰は完成されません。神様の計画が、成長していく内に秘密をひとつずつ知って行くはずです。今日、皆様が本当に感謝を回復しましょう。
 
・私達が困難に会っている中で食べることをちょっともらっても感謝ではないでしょうか。まだこの部分を悟れなかったなら、信仰生活ができないのです。韓国と全世界の人々、知識人が偶像に陥って、迷信に陥って死ぬのを見ましょう。ところが、そこに陥らないで救われるようになったということは、どれくらい感謝なことでしょうか。お金を出しなさいとされるならば、いくら出さなければならないでしょうか。想像もできないことです。政治家でもお金をたくさん持った人がうらやましいでしょうか。その人々が持っている祝福も多いのです。しかし、未信者状態から抜け出せないのです。神様が私たちに抜け出すことができる祝福を下さったのです。どれくらい感謝しているでしょうか。
 
・霊的に問題が多い方達がたくさんいるのです。神様が瑞草地域教会を立てられました。今から問題をたくさん持った人を見て、絶対に試みを受けたり無視してはなりません。なぜならば、その人々のために立てられた教会なのかも知れないからです。よく悟らなければなりません。それでこそ、神様が正しくなる祝福を下さるのです。商売人の目で見れば価値がないでしょう。しかし、福音の目で見れば価値があることです。仮りに何かを狙って見れば価値がないでしょう。しかし、本当に神様のなかで見る時は、価値があるのです。それで、私たちの教会は単なる教会ではないのです。信徒全体が悟らなければなりません。
 
・多くの学生達が芸能人を好みます。事件が起きているのを見ましょう。ほとんどみなそうです。その学生達に福音もいのちもないから、生きることができないのです。皆様に本当に救われたということに感謝がないならば、何もだめになります。宣教も、牧会も、信仰生活もだめで、一般信者が献金を多くして、働きをしても、結局はよくならないのです。こういうくやしい事がどこにあるでしょうか。
 
・パウロが悟った救われた者の感謝ということは、普通のことではありません。ほめたたえられますように。私たち主イエス・キリストの神様が、私を世の基が定められる前にすでに選択なさった。という話をみなした後に‘ほめたたえられますように'とならないでしょうか。しかし、パウロは挨拶をするやいなや‘ほめたたえられますように'と言いました。エペソ1:3です。これが信仰生活のすべてです。絶対に滅びなくてもよい保障です。確かです。どんなに苦闘しても、結局はだめになります。結局は、未信者のようなためです。私達が成功しようと努めているでしょうか、未信者とそっくりです。私たちはイエスの名前でして、未信者はイエスの名がないというだけで、そっくりです。
 
・私はどんなに考えても、寝ていて考えても感謝します。途方もない祝福を受けました。神様が私と皆様に災いの中にいないように、未信者の運命の中に陥らないように、産業と未来をサタンの勢力に一度も遭わないように呼ばれたのです。人々の背景のためでもあるのです。途方もないのです。ここまで行ってこそ、本物の門が開かれるのです。学生、青年達は揺れてもかまいません。揺れることができる理由も時刻表もあります。この福音だけよく悟れば、解決し始めます。
 
・全世界の宣教師と衛星で礼拝をささげる方達は、心配する必要がありません。本当に救われたことに対する感謝で全てのものがみな始まるのです。未信者達がみる時、分かるようになります。今現在、大韓民国の国会議員がほとんどすべてが、易、シャーマニズム人を連れていて、付きまとうのですが、失敗するのです。なぜならば、易、シャーマニズム人は悪霊に取りつかれた人であるゆえに、結局は失敗するようになっているのです。悪霊は、人にいのちと祝福を与えることができません。ある程度活用して、占って当てることは確かにあります。しかし、その人は祝福を与えることができません。しかし、大部分の人がここに頼っているのです。それしか方法がなく、その人々はそのようにしなければ、生きることができません。そうでなければ霊的問題がどんどんくるためです。神様が私たちをそこから永遠に解放させられたのです。
 
・本人には申し訳ないけれど、ソウル大学を出て、韓国の重要な官庁で仕事もして、事業をしてお金をたくさん儲けた人がいます。知っている人も多くて、背景も強固です。電話一本かければ、どうしてそんなによく通じるのか、たいしたものです。クラブにも加担して上手にやります。ところが、この家に霊的な問題がき始めたら、どのようにするでしょうか。一度だけ礼拝をささげてくださいと言われて行ったのですが、家の壁に十字架を一つ付けてありました。また片方には、私が見るのに確かにお守りがついていたのです。お守りは付けることもあるでしょうが、十字架は何故付けているのかと尋ねたら、その方の返事が、幼い子供のようでした。どれでも一つが守ってくれないかと思ってしていると答えたのです。どれくらい不安なのでしょうか。家はとても大きい家です。床に敷物を敷いていたのですが、敷物の下にもお守りを置いていました。不安で仕方がないのです。正確な福音をその家に行って話しました。
 
・私たちはどれくらい感謝しなければならないのか分かりません。皆様が正確な福音を知る瞬間から、永遠に解放されてしまいます。知らずにどんどん不信仰の方向へ行って、そうなのですが、少しだけ福音の中にいれば、これを持って心から感謝するようになっています。福音を受けた人はひとつしかする必要がありません。真の感謝です。皆様が本物の福音を受けたならば、感謝がないでしょうか。受けなかったゆえに感謝が出てこないのです。
 
・例えば、皆様の子供が線路を歩いていて、電車が来て駅員が皆様の子供が入っていくのを見て、あまり急だったので、皆様の子供は生かしたのに、その人が死んだとしてみましょう。どのようにするでしょうか。ところが、その家に行ってみたら、自分の子どもと同じくらいの子供がいたなら、どのようにするでしょうか。私がそのようになれば、どのようにするでしょうか。その子供の学費を与えるはずです。なぜならば、その子供の父が自分の子ゆえに死んだのですから。その学費を与えながら、気分が悪いでしょうか。私が思わしくないようならば分かりませんが、お金もよく儲けて、自分の子供はよく育って、自分の家は強固なのに、自分の子供ゆえに死んだ人の家に行ってみたら、食べるものもそれほどなくて、子供が勉強するのが難しいならば、その子供を勉強させるのに負担になるでしょうか。
 
・私達が救われたということはすばらしいことなのです。実際に私が知っていることでは、信仰生活は2つしかありません。救いの秘密を知っていることと感謝することです。本当に受ければ感謝します。ニュースで銀行にお金が多いことを見ればうれしいでしょうか。恵みになるでしょうか。単に‘お金が多いな'と考えるでしょう。うれしくありません。うれしくなる道はひとつしかありません。皆様の通帳に入金される時、うれしくなるのです。救いは見てうれしくありません。救いを本当に受けて味わう時‘感謝だ'と感じて、すべての問題が解決します。あらゆる暗闇の勢力は終わるのです。
 
・参考に、皆様の中にずっと以前からあることを取り出さなければなりません。それで切ってしまわなければならないのです。下水口がふさがっていれば、その下にあることを引出さなければならないのです。いいかげんに押さえて水を注げば、また吹き出します。記者生活を長くした人は自分でも知らない職業病があります。商売だけしていれば、自分でも知らずに職業病にかかることがあります。こういうことから私たちは理解しなければならないのです。私達が 4-50年生きながら持っていた不信仰、こういうことを抜き取らなければなりません。すると完全に解放されます。その時から神様が与えられる答えが降り注ぐのです。感謝。簡単な感謝ではありません。救われたゆえに。この部分が悟れなければ、深刻な問題です。滅びるしかない私を神様が救い出してくださったのです。
 
・私が影島に入っていくやいなや、住んでいた家主が完全に偶像崇拝をしました。どのように偶像崇拝をするかというと、家を新しく買ったのですが、怖がって入っていくことができなかったのです。占いが 1年のうちに入っていってはならないと言ったのです。その人々は、それが原理です。引っ越しの方向まで話したということです。それで、この人が賃貸しをしたので、私達が入っていくようになったのでした。この方に福音を伝えたのに、福音を受けませんでした。真に愚かなことです。ところが、その家の息子が死んだのです。占いが方向を誤っていたことまで知って当てました。その時、私が初めて知ったのです。未信者が占いの話をそのようによく聞く理由があるのです。占いの話をすこし聞かなかったのに、息子が死んだのです。方向を北に行くなら九浦方向に行かなければならないのに、間違って蓮山洞へ行ったのでした。それまで知っていて当てるのです。それで未信者が吉凶を占って、占いに全然身動きができないのだということが分かりました。その時、私が聖書で‘あなたがたの父である悪魔'と言われていることを悟りました。神様の息子が現れられたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためです。
 
・米国で重要なメンバーが尋ねました。米国の福音化はどのようにしなければならないのでしょうか。今から救われた感謝だけずっとしなさい。いつも喜んで、絶えず祈って、すべてのことについて感謝すれば、1年のうちにみなひっくり返すはずです。攻撃されるはずだけれど、だまされてはなりません。事業が心配になるでしょうか。皆様の事業に聖霊が働かれれば、どのようになるでしょうか。暗闇、不信仰、あらゆる呪いがみな崩れるようになるはずです。
 
・一度は、おいがきた時、そのような話をしました。「学生達の中で祈って勉強する人が一名もいません。本当に祈りながら勉強してみなさい。どんなことが行われるか。神様があなたにどのように働かれるか、してみなさい。ものすごい。」しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受け、地の果てまで証人になります。どれくらい感謝でしょうか。今日、皆様が本当に感謝を回復することをイエスの御名でお祈りします。
 
契約の祈り>>神様、今日、収穫感謝祭ですが、私たちに信仰を回復する日になるようにしてください。霊的な隠れた問題に浸らないように、感謝を回復する日になるようにしてください。霊的な祝福を発見する日になるようにしてください。それで新しく始める日になることをお祈りします。信仰生活を今日から新しく始める感謝が回復する日になるようにしてください。パウロのように、感謝が回復するようにしながら、ヨセフのように感謝が回復するようにしながら、ダビデのように感謝が回復する日になるようにしてください。世界を征服した伝道者が感謝を回復したことのように、5万種類以上の答えを受けたミューラーの感謝のように、今日、回復する日になるようにしてください。すべての信徒に新しい祝福の門が開く驚くべき日になることをお祈りします。私達が無条件に感謝するのではなく、神様の恵みに感謝する時間になることをお祈りします。私達の人格的な感謝ではなく、救いの秘密を持った者の感謝になるようにしてください。それで、日ごとに勝利する門が開くことを信じます。特に、今日この席で礼拝する主の民とともに礼拝する東三第一教会と、蔚山路教会に、百ケ所あまりで礼拝する教会に神様が今働いてください。マルコのタラッパンに臨まれた主の聖霊が、今働いてください。イエス・キリスト名前ですべての不信仰が崩れるようにしてください。各教会ごとに働きをする働き手とすべての役員に神様が新しい祝福をくださるようにお祈りします。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン。