2001年 12月 2日 東三第一教会 聖日メッセージ


1部:目的をおいた裁判
(マタイ 27:1-2)
 
 
 
・「夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。」 と書かれています。この人達は、今イエスを殺そうと協議しているのです。ぱっと見ると単純な事件にすぎません。しかし、このことは信仰生活に重要なことが多くあります。ここには青年達もたくさんいます。私達が社会生活をすることは、そんなに難しいことではありません。少しだけ社会生活を良くすれば道が開けます。ここには多くの教役者もいますし、一般信者もたくさんいます。私達が仕事をする時、信仰のなかで公平にするならば、ほとんどみな理解して従うようになっています。そうでないために問題がくるのです。
 
・今、パリサイ人達が大きく滅びるようになる始まりです。イエス様が罪がないことを知っていながら、自分達の有益ゆえに罪があるように協議したのです。こういう信者と教役者があまりも多いのです。私達が信仰生活をすることは、そんなに難しくありません。私達がよくできなくても、信仰で神様のみことばに従ってすれば、良くなるようになっています。宗教指導者達が非常に違うようにするためです。
 
・"祭司長、民の長老たち全員"とされていますが、イスラエルの指導者です。この方達が非常に違うようにするのです。嘘を作ってイエス様を十字架に釘付けたのでした。この時からイスラエルは滅びの道を歩き始めました。ここに信仰生活の多くの原理が出てきます。もし困難に会っている教役者がいるならば、よく考えてみましょう。教会のなかで憎しみを受ける信者がいるならば、たくさん考えてみるように願います。多くの問題が自分にあるのです。
 
・人々は錯覚するのです。ユダヤ人は、いまだにローマやヒットラーのような人が攻撃してきたゆえに困難にあうのだと考えています。もちろん間違いないのですが、錯覚です。イスラエルは歴史的に大きな罪を犯したのですが、それがイエス様を釘付けたことです。
 
・裁判所に長老に会いにいったことがあります。ところが、あるおばあさんが泣きながら悪口を言いながら出てきました。悪口の内容を聞いてみたら、たぶん裁判を見て出てきたようでした。被告人して入っている人が息子のようでした。他の人もみな罪を犯すのに、なぜ自分の息子だけ捕まえられたのか? という内容でした。そのような人とは話が通じません。それで、聞き手がみな笑いましたよ。ところが、そのおばあさんは真実に泣くのでした。聞き手は皆おばあさんの話しに同調しないで笑っていたのでした。
 
・私達が、そのように社会生活や教会生活をしてはならないのです。ところが、そのような方法で教会や社会生活をする人が多いということです。そのおばあさんが言う話は、話にもならないことです。あらゆる人が罪を犯すのに、なぜ自分の息子だけが捕まったのか? ということです。これは話にもなりません。ところが、あまりにも多いということに驚かざるをえません。話にもならないことをして、話すのです。
 
・今、イスラエルの民は話にもならない罪を犯したのです。今日、よく理解しなければなりません。パリサイ人が十字架にイエスを釘付けた事件は、普通の事件ではありません。アダムとエバから始まった創世記2章、3章の事件からですが、アダムとエバが家庭を作る前にサタンがいたと言えます。黙示録12章に見れば、天から堕落した過去のへび、サタンが暗闇とむなしさ、こんとんの中に位置を占めていました。それが創世記1:1-2です。神様がその勢力を防いで、光を持って天地を創造されたのです。そして完壁な祝福を備えておいて、アダムとエバを祝福なさったのです。
 
・神様は、実際にこの暗闇の勢力を知っておられました。それで注意を与えられたのです。他のものはみな食べて良いけれど、園の中央にある実は食べてはならない! その実には大きい意味はなくて、神様がとても重要な契約をくださったのです。ところが、サタンはこれを知っていました。それでアダムとエバがいっしょにいないある日、へびを利用してエバを倒したのです。神様が食べるなと言われたものを食べるようにさせたのでした。サタンに試みられたエバは、即刻それに乗ってしまいました。ところが、驚くべき事実は今でもそっくりなのです。目に見えないサタンは、私たちの心と目を違うようにさせて、神様を知らなくさせて、滅びの道を歩くようにさせます。それが創世記3章の事件です。
 
・神様は、すぐさま福音を下さいました。"女の子孫がへびの頭を踏み砕く" その契約だけ捕まえれば、生きるようにされました。ところが、この暗闇の勢力はそのままいなかったのです。正確に話せば、サタンはそのままいませんでした。おかしな人々の中に入っていって、変な運動を起こすようにしました。それが創世記6章です。今でもそっくりです。多くの人々の中に入っていって、易、シャーマニズム、宗教などを作りだすのです。それで家庭を破棄させるのです。今でもそっくりです。今でもその存在は同じ存在です。
 
・ところが、その時も救いの門をすぐさま準備されました。 "箱舟の中に入る人は生きるようになる" それで創世記6章に、ノアに箱舟を作るようにされました。神様は、私たち人間が滅びないように、あらかじめ救いの道を備えられたのでした。
 
・ところが、このサタンは重要な人々、政治家たちの内に入っていったのです。それで、神様がないような雰囲気を作ったのが、創世記11章のバベルの塔事件です。"頂が天に届く塔を建て、名をあげよう!" このバベルの塔が崩れて、世界の戦争などの問題が生まれました。それからは、人よりは強大国を利用しました。その当時、最高の強大国に入っていって、偶像国家を作ってしまったのです。それでアブラハムに "カルデヤを離れなさい!"と言われたのでした。
 
・今でもサタンの存在は生きていて、強大国を狙っています。ヨーロッパ、米国、日本などの国にいる人は、子供に最も先に話すべきことはキリストです。目が、耳が、口が開く時、最も先に話すべきことがキリストです。どれくらい重要なことか分かりません。この暗闇の勢力は、そのままじっとしていません。強大国がある時ごとに強大国を利用しました。
 
・よく考えてみましょう。ある面では強大国を作るのです。その後に立った国がエジプトです。イスラエルの人々が、エジプトの中に入っていって生きるようになったのです。この暗闇の勢力は、エジプトの中にいるイスラエル民族をみな殺そうとしたのですが、この時イスラエル民族を連れて出た人がモーセです。その時も福音を与えられたのですが、 "羊の血を塗る者を生かす!" 今日、神様のみことばをよく知っていなければなりません。
 
・イスラエル民族は抜け出しました。しかし、この暗闇勢力はじっとしていないで、強大国アッシリヤ、バビロンに入って行きました。それとともに、イスラエル民族をまたつかんでいったのです。簡単な事件に見えるでしょうか? これを知らなければ、クリスチャンが霊の目が開かれません。この事件を本当に知っていれば、本当の証しも生まれます。この時にも神様は福音を下さって、抜け出すようにされました。それで終わりません。その後に立った国がローマです。間違いなくこのローマは、イスラエルをまたつまんで飲み込みました。この時、約束されたメシヤ、キリストがこられたのでした。
 
・ところが、このパリサイ人は、自分達の利益ゆえに、イエス様を十字架につけるように決議したのです。理由は違うことではありません。自分達の小さな有益のためです。それで、真理も何もありません。これがサタンがすることです。信仰生活を上手にやる道があります。一般信者が祝福を受ける道があります。暗やみの勢力について知り、救いを知り、福音のために生きれば、神様はあらゆる祝福をなさいます。このように信仰生活は簡単なのです。絶対に誤解しないようにしましょう! 本当に福音を知って、そのために生きれば、信者は手助けします。
 
・万一、柳光洙牧師が東三第一教会、瑞草地域教会で奉仕するのに、自分自身のためにだけするとすれば、長老は絶対に手助けしません。良く覚えましょう! "あの牧師は福音のためになさるのだな!"と悟れば、私が失敗しても手助けします。だから、信仰生活は難しくないのです。社会生活も難しくありません。この暗闇の勢力がすることだけをよく知っていれば、絶対に難しくありません。これだけ知っていれば、話しもよく聞くことができる耳も開かれます。ほとんど自分の利益や損害ゆえに人を非難します。ですから、よく聞く方法を知っていなければなりません。ほとんど福音よりは自分の有益のためです。
 
・それで私たちは、霊的なことだけをよく知っていれば勝利するようになっています。ヨハネ8:44、あなたがたの父である悪魔、偽り者と言われています。ですから信仰生活を上手にやるということは、だまされることだけしなければ良いのです。答えが正しく来るようになっています。神様はその時ごとに救いの門を簡単に開けて下さいます。
 
・アダムとエバがサタンにだまされた時は創世記3:15の福音を下さって、ノア時代には呪われるようになった時も箱舟をくださって、全世界が偶像に陥る時にはアブラハムに抜け出すように言われ、カナンへ行くようにされました。イスラエルがバビロンに捕虜になった時は、何人かの預言者を通して福音を下さいました。これがイザヤ7:14です。またローマに植民地になっていた時、福音を下さいましたが、それがマタイ16:16です。私達がこの部分だけ知っていれば、信仰生活の答が開きます。これだけ知っていれば、福音を持っている私達には門が開かれます。
 
・今日から本当にそのようにすれば、牧師達にも門が開くようになっています。海辺、田舎等、福音がない所にはより大きい福音の門をあけてくださるのです。信仰生活はやさしいのです。外からは難しく見えるけれど、だまされないで、だますことだけしなければ、いくらでも門があります。
 
・食堂を運営している長老に会いました。私が長老に "長老様、食堂をするのに困難が何ですか?"と尋ねました。長老が言う話が、物を買って売ろうとすることも難しいけれど、一番難しいことは、お客さんでもなくて、食べ物でもなくて、1ケ月正しく仕事をしてくれる職員がいないということらしいのです。貧しいくせに、ものすごくホラを吹いて、浮かれていて1ケ月を正しく仕事をしてくれる職員がいないらしいのです。そのようなことです。一般信者の皆様、生きて行くことはそんなに難しくありません。
 
・だましたり、だまされたりだけしなければ、成功するようになっています。違ったことに私達の人生を捧げればだまされることではないでしょうか? 価値ないことに自分の人生を捧げれば、だまされるのです。約2000年前にイスラエル民族は、最も誤ったことに自分の運命を捧げました。これがイエス様を十字架に釘付けにしたことです。
 
・少し前に釜山で老会の中で老会長が消えてしまったのです。人々が変に感じることは当然です。その後に話したのですよ。釜山老会で柳光洙牧師を異端の罪に定めなければならないことに対して話すので、神様の前に立って自分が槌を打たなければならないのに、とうていできなかったので、逃げたということでした。その人は一抹の知恵と良心があったのです。
 
・今日、イスラエル民族はイエス様を殺すことを決議しました。不信仰の勢力の全てのものは、むしろ神様の計画を成し遂げることです。旧約を見ましょう! パロ王がどれくらい悪かったのでしょうか? 10の災いを下ろしたのにも、びくともしませんでした。出エジプト11、12章を読んでみましょう! "主がパロ王をかたくなにされた"と書かれています。これが神様の計画です。このパロ王は、どれくらいかたくなだったでしょうか? 後ほどは、家畜が死んで、できものができて、ひょうが降ってエジプト全域をみな壊したのに、目ひとつぱちくりとしなかったのです。その時は、王宮で臣下が話をしました。"王様、エジプトがみな滅びます!" 災いがなくなったとたん、イスラエル民族をまた出られなくしました。
 
・後ほどは暗やみの災いがくだされ、エジプトのあらゆる長子がみな死にました。その時にやっとパロ王はモーセを呼んで、金銀をみな集めて、着る服を皆持って、子供も皆連れて行けと言いました。行くのも、早く行って、二度と帰ってくるなと言いました。それで出てきたのが出エジプトです。パロ王はそうしておいてまた捕まえに出てきたのです。それが紅海の事件ではないでしょうか? 私達が知っていなければなりません。パロ王が悪いようにしたのですが、それによってすべて神様の計画が成し遂げられたのです。
 
・信仰が弱くても、強くても、絶対に暗闇の勢力を恐れる必要はありません。失敗も恐れる必要がないのです。私が神様の子供ならば、絶対にサタンの勢力を恐れる必要はありません。イエス様を十字架に釘付けにしたこと自体が、大きい神様の計画を成し遂げることでした。旧約時代に捕虜でつかまえられて行きましたが、それがすべて神様の計画を成し遂げることでした。それ以後にも、イエス様が復活なさっても、終わりまでイエスを信じる人をパリサイ人達は困らせました。ところが、これがローマまで征服していく時刻表でした。
 
・250年間、ローマはキリスト教を困らせたのですが、神様の計画は正確になされました。今日、私達は説教を聞いて、礼拝をささげながら、いくつのことを記憶して行かなければなりません。
 
1. パリサイ人のようにだまされる人生を生きてはだめです。パリサイ人のように、悪魔のお手伝いをする生活を送ってはだめです。今から教会、福音、他の人のために犧牲になるならば、神様は皆様の産業を祝福なさるはずです。主のしもべがそのようにするならば、神様が祝福なさるはずです。主の民が主のしもべを嫌うならば、早く考え方を変えましょう! よく悟れば答えを受けるようになっています。愚かなことをする必要はありません。失敗することはあります。人が生きていく中に話にもならない失敗もすることがあります。神様はそれを赦されないことはありません。ところが、私たちの中心に福音がないならば、それでずっと苦労するのです。
 
・私は牧会生活だけ 20何年か、ほとんど 30年程するようになっています。私が見たのです。私が30年主の働きをしながら悟ったことです。私は足りないけれど教会のために、福音のために生きればよいのです。すると、神様は全てのものの責任を負ってくださいます。私はそれを 30年間教会生活しながら悟りました。今日の本文を見ながら、最初に悟るべきです。悪魔にだまされるのをやめましょう。必要ないことに時間を投資する必要はありません。
 
2. 悪魔のしわざを恐れないで! 私達が、神様が生きておられることを信じるならば、絶対にだまされず、恐れずにいましょう! 世の中が終わるまでともにおられると言われました。幼い子供が危険な道に行けば、父母はみな見ています。神様の子供は、神様が捕まえてくださいます!
 
3. その中で神様の重要な計画があるのです。今、困難にあっているようでも、そこには神様の重要な計画があります。トーマス・カーライルが 20年間かけてした仕事が火で焼けたのに、その後に神様はより良い計画を成し遂げられました。
 
・おじいさんと孫が山に槌を作るために木を切りに山に行きました。ところが、山のてっぺんにずっと上がるおじいさんに孫が、木が多いのになぜどんどん上っていくのかと尋ねたら、おじいさんは簡単な木ではいけないと言いながら、風雨に荒々しく会って、暴風と雷に勝ち抜いた木こそ、槌の資格があると言いました。
 
・ある人が、難破して無人島に上陸しました。それで住む所を作ったのですが、それがみな焼けてしまったのです。それで、この人は神様を恨んだのですが、その焼けている火を見て救助隊がきたのです。全部困難が来れば、揺れるのです。しかし、この時契約を握っていた人は世界を征服するのです。
 
・今日、イエス様が捕まった光景は、私たちに多くの教訓を与えます。世の中の人は、不法と悪魔が好む事のゆえに失敗します。未信者は、サタンのお手伝いをしなければならないのです。私達は神様の子供です。しなくても構わないのです。未信者は、法事もして、みなせねばならないけれど、私達はする必要がありません。ある人は、危険な所に行く時、お祓いもします。そのようにしなければ、必ず事故がおきるのです。そのようなこともあります。神様の子供ではないためです。
 
・それで、暗闇の権勢を恐れないで! 今日 3つのことを必ず探さなければなりません。全く成功することはやさしいのです。少しだけ正しくすれば、祝福を受けます。職場生活をする人が、全部でたらめであるゆえに、少しだけすれば成功するのです。2番目に暗闇の勢力を恐れる必要がありません。クリスチャンは困難を受ければ、それゆえに成功するのです。
 
・昨日大邱に行きました。ある長老が私を訪ねてきたのですが、とても豪快な人でした。高神側の長老だと言いました。それで、ここにどうして来たのですかと尋ねたら、自分の娘がずっとテープをくれるので、聞いたら、良いので訪ねたと言いました。では、なぜ悪口を言うのですかと尋ねました。そしたら、その方が面白い話をしたのです。 "もし牧師様が悪口を聞かなかったとすれば、この働きをすることができなかったでしょう! 高神側にいては働きをすることができなかったでしょう!"ということでした。
 
・私たち信者は、3番目に発見しなければならないことが、神様の計画です。私達に良いこと、良くないことが生じる時ごとに、うろたえずに神様の計画をよく発見しなければなりません。世の中が暗くて、とても難しいのですが、神様の計画を発見できるのです。今日、私達はものすごく重要なことを悟りましょう! 成功しようとするならひとつだけ悟れば良いのです。暗闇の勢力の権勢は縛られたのですが、その活動は縛られていません。エペソ4,6章全体に記録されています。これひとつだけ悟れば、事業も、学業も成功します。この部分は表に出さずよく悟るだけすれば成功します。表に出す必要はありません。今日から勝利する皆様になるように願います。この暗闇の勢力には、どのようにしてでも勝利することを願います。
 
<<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。今日、勝利する重要な悟りをする、重要な道を探す日になるようにさせてください。霊的戦いの武器を握る日になるようにさせてください。必ず答えられる時刻表をあたえてくださる日になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部:神様の主権的な愛
(ローマ8:31-39)
 
 
・コメディアンのイ・ヨンジャ氏が、タラッパンで福音を受けて信仰生活を上手にやりながら江西路教会に出席していました。そうしながら自分の友人達がサラン教会に通っていたのですが、江西路教会に出席して教会を移して信仰生活をしていた中で事件がおきたのです。困難の中にいた時に、チョン・ウンジュ牧師が訪ねてみことばを与えたので、いまはまた江西路教会で信仰生活をしています。たぶん来年から活動を再開するはずだということです。少し前にその方のお兄さんが産業宣教会に参加していたので、ともに食事をしました。とても信仰が良くて、福音もある方でした。私が尋ねたのです。"この頃、芸能界で麻薬問題が起きているのですが、何故そうするのですか.." この方が言うことには、今、芸能人はすこし人気が上がってお金をもうけたら、安定しないために、ソウルの建物の一階をみな借りて夜通し遊ぶということです。それで事故も起きて、麻薬に陥って死ぬことも起きるということです。この話が 100%正しいのかどうかは分かりませんが、私が考えるのには、そのようなことだろうという気がします。
 
・人は一つの他は知らず、成功しなければならないことの他は知らないのです。その後にくる問題が大きいことが、問題です。私が私たちの学生達や青年達を見れば、心配になることが、私たちの子供達が外に行って社会の学問を習うことができなければ、無知な者になって、よく習うようになれば、骨の中の深くまで不信仰がしみこむようになるということです。世の中を征服するために、よく知って、はっきり知っていなければならないのですが、神様がない大学で 4-10年ほど勉強するならば、自分も知らないうちに骨の中まで深く不信仰が位置を占めるようになって、それを抜け出そうとあらゆる問題が総動員するようになるのです。かと言って、世の中をのことを習わなくて、祈りだけしかないことはより一層よくならないのです。それで学生達が悟らなければならないことは、世に行って本格的に走る前に、確実な福音を植え付けなければならないことです。植え付けなければ、大変なことになります。もし彼らが後ほど国会議員、長官になって、成功して、タレントになって、有名になって福音を受けようとすれば、不可能なためです。その時になれば、受け入れることがむずかしいのです。それで皆様がここに座っている時に、目が開かれなければならないのです。福音を知って、目が開かれてこそ、世の中のことを見ても違うように見えるのです。実際に霊的な目で見れば、そのように見れば全部機会です。目が開かれて本を見れば財産であり道ですが、霊の目が暗い人が見れば、あちこち引きずられるようになります。明らかに学生達が引きずられています。これが悩みです。
 
・私たちは、未信者が知らずにいる重要な二つの世界を知っています。使徒ヨハネが福音を伝えようとしたところ、ローマ政府が防止しようと立ち上がって、パトモス島に島流しにしました。どんなに信仰の人といっても不安だったのです。ヨハネがパトモス島で祈っている中に、黙示を与えられて書いたのが、ヨハネの黙示録です。これからの時代に滅ぼされる幻が皆見えたのです。獣が海からやってきて、地球全体に水を放ち、七つの角を持った竜がものすごい力のわざを行なうことを見せてくださいました。こういう時代がくるはずだと言われたのです。しかし、イエス・キリストを正しく知っている者は、いくつかの祝福を受けるはずで、それで勝利するようになるはずだと言われました。使徒ヨハネが疲れた時、祈っていたら黙示を受け、神様の御座が出てきて聖徒の祈りが一つもなくなることなく、神様の前の祭壇に金のうつわでみな入れられるのを見たのです。祈りは、むなしくならないということを直接見たのでした。そして、私たち聖徒が祈ると、神様が主の使いを送ってくださって、お手伝いをするようにさせられる作業を見たのです。
 
・地球に問題がきた理由は、昔のへび、すなわちサタンです。暗闇の勢力のその軍団を率いて、地球を混乱させるようにしたのです。聖書だけが話す明白な説明です。アダムとエバが家庭を始める前に、既にいた存在です。私達は必ず知っていなければなりません。私達が信仰生活を始める前に、事業を始める前に、天から堕落した暗闇の勢力が、あらかじめ陣をはっていたのです。それで、神様がご存知であって、暗闇、混とん、空虚があった所に光をお作りになって、美しいエデンの園を造って、人間を保護されたのでした。ところが、暗闇の勢力が誘惑して、アダムとエバを倒したのでした。私達が本を読んで、創世記、出エジプト記、申命記、民数記、レビ記が、おとぎ話や神話だという主張は絶対に聞いてはなりません。この理論は、聖書のみことばを読んでも信じるようにさせない戦略です。絶対に注意しなければなりません。神様がすぐさま福音を下さいました。 "女の子孫が.." 皆様は、女の子孫をよく考えてみましょう。だれでしょうか.. 女の子孫がへびの頭を踏み砕くと言われました。それで、このメッセージを捕まえたアブラハム、イサク、ヤコブの家系が祝福を受けたのです。
 
・しかし、いつでも暗闇の勢力は力が大きいので、強大国側に重要なことを作って、人を掌握しました。カルデヤ、エジプト、アッシリヤ、バビロン、ローマを通じて、それとなく力を発揮しながら偶像を植えたのです。これが暗闇の戦略です。勝つ道がないのです。そのような中で、暗闇の勢力がパリサイ人を利用してイエス様を十字架に釘付けました。しかし、神様は暗闇の勢力に、完全に十字架に釘付けられることで勝利するようにされました。しかし、この存在はなくなることがありません。米国、日本、韓国みなそっくりです。絶対になくなる存在ではないのです。マタイ25章に、再臨していらっしゃって、完全に閉じこめられるその日までは、終わらないのです。私達は永遠に死にません。私達が死んだということは、霊魂が行ったということであって、死ぬのではないのです。この暗闇の勢力は、今でも活動をして、一時は政治的に食い込むこともするけれど、今は文化的に食い込んでいます。それで、人々が知ることもできなくて、避けることもできないのです。皆様が知っていさえすれば、大きい答えを受けることができます。
 
・イエス様がこの地へいらっしゃったのは、この勢力を縛りにいらっしゃったのです。Iヨハネ3:8節。聖書で多くの部分が、この部分を語っているのですが、悪魔のしわざが何でしょうか.. 創世記3.6.11章の事件です。簡単に話せば、皆様を絶妙に暗闇の中におちいらせて殺す事件です。イエス様がこの事件を滅ぼすようにされたのです。
 
・今日の本文をそのまま読んではなりません。考えなければならない部分があります。生死禍福を治める神様が、イエス・キリストを送ってくださって、私たちに救いの土台を準備されたのです。それで、救われた者は滅ぼされることがありません。考えてみましょう。神様が暗闇の中に置いておかれず、地獄の中に置いておかれず、今でも死なないでいる罪の権勢の下にそのまま置いておかれませんでした。ローマ5:8節に、罪と死の原理からあなたがたを解放したのですと.. それで、罪と死の暗闇の権勢は、法的に縛られたのです。未信者の前では生きているのですが、私達は法的に神様の子供として認められたのです。
 
・いつでもこれを知って社会生活をしなければなりません。社会は2つのことが共存しています。世の中は暗闇の世の中です。私達は、神様の子供として生きているのに、神様はいつでも信じる者を用いられますが、未信者を掌握した暗闇の勢力を知っていなければなりません。誰もこの救いの贈り物を奪う者がないのです。誰もこの救いから私達を奪う者はないのです。皆様の救いは絶対に変わりません。死からいのちに移されたためです。イエス・キリストを受け入れた瞬間、神様の子供に変わったのです。知っていなければなりません。ローマ8: 28節 - ‘神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。'
 
1. 神様の子供になったことが確実な私達は、信仰生活をするなかで最初の祝福が、暗闇の世の中から、神様が私を救い出されたことです。創世記 3章の事件から起きた事件です。普通の事件ではありません。変わることがない事件です。死ぬしかない人間を救ってくださいました。暗やみの中で結局は成功できなくて死ぬしかない人間を救われたのです。それで、私達は成功すれば神様に栄光を帰すけれど、未信者は成功すれば問題がくるのです。
 
・私がいつも頼む方達があります。特に歌、芸能、スポーツ分野に深く入っている方達、芸術性がある人達は、キリストを知らなければ、時間が経つほど困難がくるのです。そのような呪いの中にいた私たちを神様が救い出して下さいました。だから暗闇の勢力の背景を理解するならば、この話は普通の話になりません。
 
2. 2番目に述べた言葉が、28節に「すべてのことを働かせて益としてくださる」と言われました。これから救われた神様の人々は、困難を受けているかの様に見えるけれど、すべてのことを働かせて益とされるのです。
 
柳)) 幼い時を考えてみてもそうです。いつも私の父が長く生きて、勉強するように助けてくれれば良かったのにと考えたのですが、いまはそうではありません。私の父は、いつも明け方 4時に起きていました。一日に5-6時間程度しか寝なかったのです。事業を 4ケをしていたのですが、それをしようとするなら、一日中忙しくて徹頭徹尾しなければなりません。状態が良くても、本当に疲れていたのです。父が明け方 4時に私を起こして、勉強しろと言いました。そして、私達を徹頭徹尾するように育てられたのです。それで外側にけんかがおきれば、それも見ることができないようにさせました。難しい時期であったため、父は私に勉強をさせて判事か検事をさせようとしていたのです。父が生きていたならば、葛藤したかも分かりません。ところが、それが今考えてみればみな訓練です。その訓練ゆえに、何んでも自信がある程になったのです。こういうことまでも、すべてのことを働かせて益としてくださるのです。
 
・旧約でヨセフが契約を持って行った時、奴隷で監獄へ行きました。ところが、それが神様のみこころを成し遂げる過程でした。救われた者の祝福は、どれくらい大きいでしょうか.. すべてのことを働かせて益としてくださると言われました。ある場合には偶然のように見えるけれど、益としてくださると言われたのです。福音を悟った後に、伝道運動する時、困難がたくさんきたのですが、それが神様の祝福でした。これがすべてのことを働かせて益としてくださることです。いまは分かる人だけに会っています。どれくらい感謝するか分かりません。米国、ヨーロッパ、世界で福音を伝えようとする人々が連結しています。韓国でも何百個の教会が起きて、現場に remnantたち、大学生達の中に福音を伝えようとする者が連結しています。本当に感謝することです。
 
柳)) たぶん私と一緒にきた方達はご存知でしょうが、初期の頃、私たちの教団に問題がこない時、韓国教会で私に復興会を招請する招請地がぎっしりあったのです。知らずに同じ週に他の所にスケジュールを作ったこともありました。もしその当時、その働きがずっとあったとすれば、絶対に伝道運動をすることができなかったでしょう。その後に聖書的な訓練がおきることができなかったでしょう。復興師としてそのように回ったでしょう。本当の福音を持った人々が連結しています。すべてのことを働かせて益としてくださるのです。
 
・救われた者の救いとはどのようなことなのでしょうか... 暗闇から抜け出てきたのです。救われたということは、サタンの権勢から抜け出したということです。地獄の権勢から抜け出したということです。正確に話せば、罪の権勢から抜け出てきたということです。神様の子供になったのです。どれくらい感謝なことでしょうか.. この事実を本当に知っていれば、答えがきます。私はこの事実を知って心配がなくなりました。心配する理由がありません。問題が来ても、かまわないことではないでしょうか.. 何故でしょうか?.. 私が神様の子供であるためです。
 
・場所を明らかにする訳には行かないのですが、たぶん瑞草地域教会に相当な土地と建物を下さるようです。私が見るのには、来年の初めにくれるはずだと確信します。神様が準備をしておいて、計画を成し遂げられました。そして、今ソウルには首都圏を生かすだけの準備が殆どなっています。先週に私が瑞草地域教会の副牧師に 2000ケ所みことば運動を開く計画を準備して来なさいと言いました。大韓民国の福音化の履き物を履きなさいと言いました。心配する必要はありません。救われたということは、サタンの権勢から抜け出したし、地獄の権勢から抜け出したとすれば、心配する必要がないのです。私たちに起きていること.. すべてのことを働かせて益としてくださると言われました。
 
3. 私達が受けた救いがどれくらい確実でしょうか。31節 - ‘では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。'この話は、敵対する存在があるということです。
 
+ 32節 - ‘私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。'心配する必要がありません。イエス・キリストによって救われた私たちに他のこともくださるということです。クリスチャン達を見る時、心配が多いのを見ることがあります。信仰生活をしているのではないと見ることができます。
 
+ 33節 -‘神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。'訴えるという言葉は、告訴するということです。旧約時代、イエス・キリストがいらっしゃって契約を完成させること以前には訴えていたということです。
 
+ 34節 - ‘罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。'神様が私たちを救われたのですが、だれが私たちに敵対するのでしょうか..
 
+ 35節 - ‘私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。'これはパウロが受けた迫害の危機です。その迫害の危機がパウロを少しも防止することができなかったし、キリストの愛から切り離すことができなかったのです。パウロは苦しいことにたくさん会って、迫害もたくさん受けました。飢えさせられ、危険も来て、死ぬこともありました。しかし、キリストの愛からパウロを切り離すことはできなかったのです。
 
+ 39節 - ‘高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。’切り離すことが出来ないのです。
 
柳)) 米国まで飛行機に乗って行く時に、誰かがそばに座りました。はじめからずっと寝ていましたよ。話す時間がないので、文を書いていました。その方が、起きた後に私に寝ないのかと話しました。牧師か?と尋ねたのですよ.. その方が、自分は執事だと紹介しました。信仰生活がうまくいっていますか、と尋ねたらむずかしいという告白をしましたよ。熱心にすることもできないと言いました。家庭も崩れている状態でした。事業をしめくくろうとワシントンに行くと言いました。私はその方に話したのです。"神様が信仰生活を熱心にしろと言われませんでした。信じなさいと言われました。神様の救いと子供とされることを信じなさいと言われました。まちがいなく神様の子供ならば、時に従って熱心にすればいい事であることを知っていなければなりません。" 大部分これを知らないでいるのです。本当に遣る瀬ないのです。罪と呪いと死の権威から完全に解放させられたのです。この秘密が分からないから、世の中の人々が苦闘しても仕事がよくなることができないのです。そして、救われた者はすべてのことを働かせて益としてくださると言われました。どんな力も切り離すことがが出来ないと言われました。今日の本文に、そのどんな力も私達をキリストの愛から切り離すことが出来ないと言われたのです。
 
柳))私が幼い時、学校に行くと 6.25の直後なので、孤児院が多かったのです。この子供達が父母なく難しいから、暇がありさえすれば、盗みをするのでした。また、その子供達が、私が通り過ぎれば、かばんを引っ張って、お金を奪ったのです。ところが、この事実を両親に言うことが怖かったのです。それで私がとった手段は、けんかを上手にやるいとこの兄さんに、その事実を言って、隠れていていて手助けしてもらうことにしたのです。その日も学校に行く道で、また私を困らせようとしたその子供達を、いとこが思い切りやっつけてくれたのです。その後には、私だけ行っても逃げました。けんかを良くする兄がいて、とても強固なのでした。私達が本当に神様の子供ならば、本当にものすごいのではないでしょうか.. 心配する必要がありません。今日、神様の子供となった祝福を味わうように願います。
 
柳)) 私は、むかしには明け方祈りを終えたならば、初凉に行って柔道をしました。私の手を引こうとすれば、私より力が強くなければなりません。キリストが皆様を力ある御手で捕まえてくださっているのに、暗闇の力が皆様を再び奪って行くことはできません。この話が本文のみことばです。
 
・若い方達もたくさん礼拝をささげています。100箇所以上の教会が礼拝しています。お願いします。あなたがたが霊的に目覚めて、世の中の中心に入っていくべきです。世を支持することもなく、落伍することもなく、ついて行くこともしないようにしましょう。霊の目を覚まして世の中を眺めればやさしいのです。それでローマ16章の働き手を神様がくださるはずです。壮年の人々は、福音運動のためにいのちをかけて、子孫のために福音運動をするという決断を下すべきです。 
 
・先週に釜山の牧師達に 700ケ所のみことば運動を開きなさいと言いました。今、みことばがほとんどなくなったゆえに、開きなさいと言ったのです。私たちの教会にくることが問題ではなく、今、私たちは暗闇の勢力と戦わなければならないのです。一つだけ記憶すれば勝利します。私たちの戦いは、血肉に対するものではありません。よく考えてみるように願います。
 
柳)) 小学生がお金を儲けるためにからだを売りました。私は本当に異常だと思いました。小学生が、何でお金が必要なのか.. という気がしたのです。中、高等学生がそうであるとすれば、上手にやったことではないけれど、理解できるのです。大学生の価値観が薄れてお金を与えるとすれば何んでもするということは、理解が出来ます。しかし、小学生がお金を必要として、からだを売ったということは理解さえできません。ところが、驚くべき事実は、この学生を呼んでみんな上げるといっても、耐えることができなくて出て行くのです。サタンのしわざではないでしょうか.. どんなに考えても、一つだけよく考えて信仰生活すれば勝ちます。 
 
・私たちの戦いは、血肉に対することではなく.. 全世界に戦争がおきている今の世の主権を見ましょう。力と天にある悪い霊と暗やみの世のの支配者.. こういう中から私たちを救い出されたという事実は驚くべきことです。私は、この事実を知れば知るほど、感謝が出てこざるをえなくて、知って後に最もやさしいことが伝道でした。知らない時、最も難しいことが伝道でした。実際に全く信じていない時は、祈りませんでした。私は救いの秘密を知った後に、祈るようになったのです。神様が祈ることごとに答えを下さいました。今日、皆様が絶対に変わらない神様の愛と救いの秘密を回復する、本当に祝福の日になることをお祈りします。新しく始まる日になることをイエスの御名でお祈りします。
 
契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。今日、罪と死の原理から私たちを救い出してくださって、私達をキリストの愛から切り離す者はないということを聖書に明確に約束してくださったことを私達がもう一度知りました。これから霊的な戦いをする勝利者になるようにしてください。この地に多くの不信仰と暗闇が多くの人々を包んでいます。私たちに福音をあたえてくださって、この福音の光を放つことができるように恵みを増し加えてくださって、あらゆる心配を捨てる時間になるようにさせてください。これから信仰生活をする時間になるようにさせてくださって、神様の子供として堂々とした祝福を味わうことができるように、神様の民に力を与えて下さり、また私たちの青年達に、学生達に驚くべき霊的な力を与えて下さい。それで、一週間答えを受けて、次週に教会にきて神様に感謝する賛美の人々になるようにさせてください。今この時間に、100箇所余りで衛星で礼拝する教会に神様が恵みを増し加えてくださって、蔚山路と瑞草地域教会に全く同じ恵みを増し加えてください。今、外国でインターネットで礼拝する神様の人々の前に、大きい恵みを増し加えてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン>>
 
 


3部:聖霊充満した人々が受ける祝福
(使徒 18:1-4)
 
 
 ・聖霊の充満はどのようなのでしょうか。神学的に説明しようとするなら、説明が複雑になるはずです。しかし、私は4つで話します。聖霊充満の最初は、福音を正しく理解することです。大部分の人々が、福音を正しく理解することができなかったのに、聖霊充満を受けようとするからだめになるのです。それで熱心に生きるのですが、失敗するのを私はたくさん見ました。クリスチャンの中でもたくさん見ました。はなはだしきは、牧師、宣教師が失敗することもたくさん見たのです。失敗が何か? というと、説明が必要でしょうが、福音を理解することが最初です。
 
・2番目に、聖霊充満は福音のために生きることです。私が福音を知っているけれど、福音のために生きないと、それは聖霊充満ではありません。福音のために教会生活もして、福音のためにお金ももうけ、福音のために、ある時は私達が譲歩もするのです。福音のために、ある時は大きい犠牲にあっても耐えます。また、ある時は、いのちをかけて走ることもします。福音のために。またある時は、私自身が何でもないことのように生きることもあります。
 
・その次に、三番目に聖霊充満は福音を味わわなければならないから、祈りの秘密を味わわなければなりません。エルサレムを離れないで、父の約束なさったことを待ちなさいと言われました。祈りの秘密を理解したということは、それこそ大きい力ではないでしょうか。それでこそ信仰生活になるのです。
 
・その次に、四番目は私達が生きること、集まってこのように力を入れて、また困難にあったりもすることは、結局、世界の福音化のためです。人を生かして世界を征服する伝道の秘密を理解することです。私はそのように理解しています。
 
・ただ聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは力を受けます。そして、地の果てまでわたしの証人になるとおっしゃられました。聖霊充満を受けるようになれば、先ず最初に来る最も良い答えがひとつあるのです。それがまさに出逢いの祝福です。私達が顔が広いから良い生活をするとは考えません。私たちに出逢いの祝福がなければならないのです。どんなに顔が広くて、人をどんなにたくさん知っていても、祝福がない出逢いは有益ではありません。それで神様が私たちを祝福なさるなかで最も大きい祝福が出会いです。私達が福音を正しく理解して、福音のために生きて、また祈りの秘密を持って人を生かす伝道運動をすれば、神様は出逢いの祝福を下さいますはずです。
 
・私は、こういうことをたくさん見ました。あの女性はしっかりした方なのに、一生苦労するよという方をたくさん見ました。理由は夫に誤って会ったためです。どのようにするのでしょうか。神様の計画があるために、一旦は耐えてみるのです。出逢いがそれほど重要です。また反対に立派な方ですが、苦労がものすごく多い方がいます。夫人のためです。出逢いがどれくらい重要か分かりません。犬は食べれば良いのですが、人はそうではありません。そして、離婚ということも簡単ではありません。後遺症も多いのです。それで神様が聖霊充満を下さいます時に与えられる祝福が、出会いです。
 
・一度は TVである映画の作品を見ました。静かに生きている家に突然にならず者 4人が入って、この家をなんの理由もなく引っかき回すのでした。ならず者達は、この家を利用したのです。その家族とともに起きる内容を映画にしていました。映画を見ながら‘あの人は不幸だ。どのようにあんな事が起きるだろうか?’と考えました。もちろん映画ですが、ありえる事であるために。人が生きていると、そのような事をさせられないとは言えません。その人達が数多い家の中で、その家を選択したのに、一瞬に完全に滅びてしまったのです。子供もみな死んで、犯人はすることをみなしてしまって死ぬことになりました。意味がある映画でした。人にある祝福の中で大きい祝福が出会いの祝福です。
 
##私たちが、聖霊充満ということを理解して祈り始めれば、祝福の中の 4つの祝福がきます。
 
(1)最初は場所です。今日、パウロがコリントに到着して、プリスカとアクラ夫婦が到着したのですが、その地域がまさにコリントでした。これが祝福になったのです。すなわち、私と皆様が福音を正しく理解しているならば、場所が祝福になります。
 
・プリスカという女性はローマ人で、アクラはユダヤ人だったのですが、ローマで住んでいて追い出されたのです。ローマに関する文化もたくさん習ったのでした。彼らがコリントに到着しました。まさにそのコリントに、途方もない祝福がおき始めたのです。福音を持っているパウロとこの夫婦が会ったのですが、コリントという淫らんな都市が生かされるようになったのです。福音の力です。実際に、私達の子供に福音を正しく理解させて、送り出すならばどこに行ってもかまわないのです。場所が特別にあるのではありません。福音を本当に持っている方達が行く場所には、神様の祝福がおきるようになっているので、場所の祝福がおきます。これが一つの出逢いです。偶然に行ったことのように見えるけれど、そこに神様の祝福があるのです。
 
・パウロという人は、元々キリキヤのタルソの出身です。ローマの市民権を持っている良い家庭の人です。このパウロが行く所ごとに神様のみわざが起きました。特にコリントでは、プリスカとアクラに会う祝福を経験しました。私達が福音を本当に理解しているならば、神様が一番最初に与えられる祝福が場所の祝福です。私達が福音を理解して会社に行けば、会社に神様の祝福が。私達が福音を本当に理解していれば、学校に行けば学校に神様の祝福が。私達が福音を本当に理解して田舎に生きていれば、田舎に神様の祝福が。契約で捕まえなければなりません。福音を本当に理解しているならば、監獄に入っていけば、監獄にも神様のみわざが。福音を本当に理解している人が奴隷で行ったところ、その家に‘ヨセフのゆえにポティファルの畑にまで祝福が与えられた'ということです。どれくらい感謝しているでしょうか。まさに光のいのちの福音を理解する祝福があることを望みます。
 
・多くの立派な方達が、福音を理解できないことをたくさん見ました。たくさん習った人が、福音を理解できないことを見たのです。せつないことです。一度は、4省の将軍を経験した方に会ったのですが、この方が福音をよく理解できずにいるんだな、ということが分かりました。‘私のように愚かな者が福音を理解したということは、神様の恵みだな’と考えるようになりました。福音を理解すれば滅びません。どれくらい驚くべきことでしょうか。
 
・私たち韓国の財閥の中でクリスチャンに会うようになりました。その方の建物を借りて使うこともしました。また、米国で私たちといろいろな活動をする人が、この人の夫人の友人でした。アメリカに住む方が、せつなくて私のテープも渡すこともしたということです。会った瞬間、この方は福音とは関係ないということが感じられました。ただ熱心です。どれほど祈りをしているかも目立つほどです。ところが、福音を理解できないでいることが見られたのです。福音だけ理解すれば簡単なことなのに。福音を理解するのが難しいことのようでした。本当に神様の恵みで理解できるのです。米国の LAで姜牧師がそのような話をなさいました。‘牧師が 福音を悟ることは道を行く時に雷に打たれることよりむずかしい'。静かに聞いて見ると、一理があります。私達がその雷に打たれたから、どれくらい祝福でしょうか。どうしてそのように理解ができないことなのでしょうか。
 
・ある人は、持ったものがみな飛んで行って、完全に滅びて福音を受けることもあります。そのようにも難しいのでしょうか。そうではありません。あった事業をみななくしてしまって、それでも理解できなくて、監獄で福音を受けることもあります。このように福音が難しいのでしょうか。それならば、私達が福音を理解したということは、途方もない恵みです。まさにローマ2:8-10, エペソ2:8-9、恵みによって、信仰によって救われるのです。私達が本物の福音を理解するならば、行く場所ごとに神様のみわざが起きるようになるはずです。間違いありません。場所の祝福がきます。
 
(2)私達が福音のために本当に生きる時、神様は人の出逢いの祝福を下さいます。私達が多くの人にも会わなければならないのですが、人によく会うことほど重要なことはありません。プリスカ夫婦とパウロとが会いました。ヨセフが神様の栄光のために創世記37章で福音の契約のために生きていたら、行く道ごとに出逢いの祝福を下さったのです。ヨセフが奴隷市場に売られたのに、よりによってポティファルが買ったのです。それだけでも、並大抵のことではありません。ポティファルの家で仕事をしていたのに、ヨセフに神様が祝福されました。そうしながらヨセフが濡れ衣を着せられて、監獄に行くようになったのですが、長官に会いました。これがまた祝福です。人の出逢いの祝福をずっとくださるのです。
 
・伝道者パウロと使命者プリスカとアクラ夫婦の出逢いはどれくらい大きい祝福でしょうか。万一パウロにプリスカとアクラ夫婦がなかったとすれば、どのようになったでしょうか。反対に、もしアクラとプリスカ夫婦にパウロのような人物がなかったとすれば、どのようになったでしょうか。これがどれくらい貴重な出逢いなのか分かりません。衛星で一緒に礼拝する百箇所余りの教会、インターネットで外国では礼拝しています。皆様が福音のために生きようとする主のしもべに会ったり、また福音のために生きようとする一般信者に会ったとするならば、これは後ほど起きる祝福が大きいのです。
 
(3)いよいよ祈りの秘密を持って生きていくから、経済と産業に祝福を下さいます。今話せば特別なことはないのですが、その当時に天幕をよく作ることがとても重要でした。イスラエル自体が天幕を持って生きる遊牧民でした。時代に合う仕事をしていたのです。パウロがパリサイ教育を受けた時、どこでも生き残るために技術を学ぶのですが、天幕を作る技術を習ったのでした。これとちょうど一致したのです。ICCの注釈を見れば、プリスカとアクラ夫婦が天幕を作って財閥になったとしています。ローマ軍と手を結んで、軍納をして、途方もないお金を儲けたのです。それで世界の福音化をするようになりました。そのようなことです。私達が祈りの秘密を知って、神様が与えられる力を理解するならば、三番目に出逢いを下さいますが、経済と産業に会う祝福を下さるはずです。
 
・私は確信します。長老達、役員などが心をよく整理して、どんなことがあっても心配せず、祈るように願います。私を含めて私たちの教会の教役者が、伝道者であることが確かならば、神様は皆様を祝福なさるはずです。私たちの長老と役員等の経済を祝福なさるはずです。残っている人生を福音のために生きるならば、神様はまちがいなくそのようにされるのです。釜山市内で開拓を始めるのに、長老と役員等にそのような話をしました。‘執事達が祈るべきことは、私が伝道する人であることが間違いないならば、神様が私たちの教会とあなた方を祝福されるのではないでしょうか。土地もくださるはずです'。心配するなと言いました。小さい部屋でそのような話をしたことが、少し前のような気がするのに、神様は私たちに多くの実をくださって、今、瑞草地域まできてみことばを伝えるようになったのです。これは簡単になったことではなくて、福音ゆえに神様が私たちを集められたのです。
 
(4)伝道が何かを理解していれば、神様が4番目に祝福なさることがあります。伝道現場の祝福、伝道現場の出逢いです。パウロが安息日ごとに会堂に入って行きました。ものすごく重要なことです。私達の子供達、育つエリートを生かさないとだめなので、パウロが重要な心を持って会堂に入って行きました。通常な話ではありません。イスラエルが世界を征服するなかで最も大きい秘密が会堂です。そこに福音がないから、いのちをかけて会堂に入っていって福音を伝えたのです。私達が本当に伝道の秘密を知って、祈りの秘密を理解するならば、福音を理解しているならば、また、福音のために生きるならば、神様は伝道現場に門をあけてくださるのです。
 
・ペテロが通り越す時に、一度も生まれてから足のきかない者が神殿の美しの門に座っていたのです。‘金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい'と話しました。そして、手をつかんで起こしたら、足のきかない者が起きてしまったのです。足のきかない者が起きたので、イスラエル全体がひっくり返ってしまいました。伝道現場の門が開くのを見ましょう。一度も福音が伝えられないサマリヤで、キリストを宣べ伝えるのに、奇跡がおきて伝道の門が開き始めました。
 
・伝道しようと心配しないように願います。私達が本当に福音を理解しているならば、門は開くはずです。そして、私が一生に一名だけ伝道してもかまわないのです。福音のために生きるならば。どんなに伝道を多くしても、福音のために生きないならば、福音がないなら、違っていいるのではないでしょうか。私が一生伝道をして、死んでも福音のために生きるならば、神様は門をあけてくださるのです。福音を理解しているならば、あらゆる問題がみな理解できます。知らない人は、伝道がすべてかと聞きます。私達が勉強もしなければならないのに、伝道がすべてかと聞くのです。学生が勉強に答えを受けて、キリストを話すことが伝道です。‘事業をしないで、私達が伝道をどのようにするのか’と話します。それは誤解です。事業が伝道です。事業が祝福を受けて、証拠が起きればキリストを話すことが伝道です。そのように伝道が分からなければなりません。
 
・エチオピアの宦官とピリポとの出逢い。神様がその門を準備されました。じっとしているのにも、そうです。今日、皆様がこの四つのことだけ理解するならば、出逢いの祝福を下さるはずです。福音がなにか本当に理解したとするなら、絶対に滅びません。私達が福音のために生きようと苦闘するならば、神様が人の祝福を下さいますはずです。本当に祈りの秘密を持っているとするならば、神様は経済の祝福を下さいますはずです。これが合わさって、福音を正しく理解して、伝道が何か理解するならば、神様は現場の門をあけてくださるのです。すると、あらゆる問題がみな終わります。
 
・エチオピアの宦官とピリポとの出逢いは、一生に一度でした。聖書はこのようにおっしゃっています。‘聖霊がピリポを導いて'。今日からあなたがたは‘私が伝道を何名にしなければならないか'を心配してはなりません。心配するということ自体が間違っているのです。未信者に会えば、話しが出てくるようになっています。一度は光州に行くことがあって、タクシーに乗って行くのに、運転手がまず話かけてきました。私に何をする人なのかとたずねたのです。人を直す人だと言いました。医者なのかとたずねるので、医者よりもっと重要なことをすると言いました。そして福音を伝えたのです。とても関心を持って聞いて、自分は按手執事だと言いました。みな聞いた後に、とても感謝すると言いました。福音を伝えてみるならば、他人が話かけて福音を伝えることもあります。何も難しい部分はありません。知ってみれば、福音を伝えることぐらいやさしいことはありません。開くしかないのです。
 
・聖書を詳細に見れば、使徒9章にアナニヤのような人もいます。またタビタのような女性は、服に針仕事をして福音を伝えることもしていました。タビタが死んでしまって、人々がその服を持ってきて話すのを見てみましょう。それがまさに伝道です。タビタを通じて多くの人が生かされるようになったのです。伝道は全く難しいことではありません。この秘密を理解するならば、神様は出逢いの祝福を下さいます。私達は今日から伝道の心配はしないでも良いのです。私達が本当に祈りの秘密、福音の秘密を持っているならば、経済の問題を心配しなくても良いのです。まちがいなく神様はこの部分に責任を負われるのです。出逢いの祝福です。
 
・今日、私達は4つの祝福を受けるようになるはずです。行く場所に神様が光を照らされる場所の祝福。福音のために生きて、今から祈れば、神様は私達の背後に人の出逢いの祝福を下さるはずです。この契約を捕まえて祈れば、神様は私達に学業と、産業と、経済に祝福を下さるはずです。そして、伝道を理解していれば、行く所ごとに伝道の門をあけてくださるのです。完壁な成功です。それでUテモテ3:17 福音は完全な知恵。そうです。少しも付け加えないで話します。私は福音を知った後に、不足することがない完全な祝福を受けました。神様が必要ならばくださるはずです。必要なければ防止してくださるはずです。
 
・外国に行ったところ、同期の牧師が米国で苦労をしていました。牧師が教会を運営できなくて苦労して、奥様が仕事をしにいっていました。二人に会って奥様を見て、仕事をしにいくなと言いました。すると、飢え死にするのではないでしょうかと尋ねるので、飢え死にしなさい、と言いました。新聞に牧師と夫人が食べるものがなくて飢え死んだと記事を載せるようにしなさいと言いました。そして、牧師は何もせずに、講壇で福音を伝え、祈って、伝道しなさいと言いました。そして、神様がどのようにされるかをみなさいと言いました。その話しに衝撃を受けたのか、本当にそのようにされたのです。それで、死んでしまったでしょうか。今回会ったら、どれくらい太ったか。死なないのです。心配をするからです。
 
・神様は確かに生きておられ、私と皆様のいのちを確かに治めておられ、未信者と信者の全てのものを支配していらっしゃることは、確かです。それならば、私たちは神様の子供であり、福音を理解して、福音のために生きるならば、祈りを理解して、世界の福音化を理解するならば、神様は全てのものを下さいますはずです。神様が私たちの教会に世界の福音化をできる良い門を準備しておいていらっしゃるのです。それでたぶん何年かの内に伝道運動を一番上手にやることができる門をあけてくださるのです。
 
・11月が過ぎて、祈り始めました。釜山に堂会員と牧師達を呼んで話をしました。私たちの教会にこなくても良いのです。私たちは商売人ではありません。釜山市内に 7百ケ所、5人1組の祈りの答えを受ける地域教会を作りなさいと言いました。そして、瑞草地域教会のキム・イルコン、イ・キウン、キム・ユイン牧師を呼んで首都圏に 2千ケ所みことば運動を開きなさいと言いました。戦略を立てなさいと言ったのです。神様が答えられるはずです。私達が商売するのではないためです。首都圏に本当の福音が伝えられるようになるはずです。聖徒の皆様が動く所ごとに祝福なさるはずです。皆様が事業をすれば、神様が祝福を注いでくださるはずです。何故でしょうか?世界の福音化をしなければならないのではないでしょうか。ご飯を食べることのためではありません。それが大きくなれば地域教会で、それがより大きくなれば個教会を作って福音運動をするのです。数千箇所に教会を作って福音運動をするために、私たちの教役者がたくさん派遣されなければならないから、第 1号でカン・ホイン牧師を派遣しました。そして残り三名の牧師達は、ここで本格的にみことば運動、伝道運動をしなければなりません。
 
・牧師と主のしもべ達が、正しい福音を伝えれば、聖徒達は自然に祝福を受けるようになっています。私達が仮りに違った福音をいったりすれば、聖徒達が犠牲にあうようになります。私たちの中心が正しい福音にある時、誤っていることは神様が直してくださるのです。私達が福音のために生きるならば、違ったことを正しいように直されるのです。福音のために生きるならば、神様は聖徒達を祝福なさるはずです。いまは米国でも重要な方達が、私が世界の福音化をできるように力を集めていらっしゃいます。神様は働かれるはずです。協会の次元でも開拓教会を助けるチームが作られています。それで私たちは世界の福音化を確かにするはずです。
 
・皆様に出逢いの祝福があるように望みます。明日、皆様にどんなことがおきるのかは誰も知りません。子供を通じてどんなことがおきるかも分かりません。神様が出会いの祝福を下さるはずです。
 
契約の祈り>>神様、短い時間ですが、契約をのがさないようにさせてください。私達が正しく福音を理解するならば、行く所ごとに変化する光のみわざが起きるようになるはずで、私達が本当に福音のために生きるならば、多くの働きをしなくても、神様は人の祝福を与えてくださるはずで、私達が神様の前での祈りの秘密があるならば、どんな問題も解決するだけでなく、学業と経済と産業に神様の証拠をくださるはずで、私達が伝道を理解しながら世界の福音化ゆえに生きるならば、神様は門をあけてくださることを確信します。今日、この場に参加した方達に出逢いの祝福を与えて下さい。これから行く所に場所の祝福を与えて下さい。この方達が一週間生活する時、人の祝福を与えて下さい。この方達が、これからは信仰生活のために、世界の福音化のために生きていく時、経済の祝福を与えて下さい。特に主のしもべに、役員、産業する方達に経済の祝福を与えて下さい。世界の福音化ゆえに経済の祝福を与えて下さって、また伝道しなければならない理由ゆえに、神様の祝福を与えて下さい。それで伝道の門が開いて、教会が教会の使命を果たすことができるように。多くの未信者が、韓国教会を非難しています。教会の使命が回復するようにさせてください。多くの教会が立って多くのことをします。しかし、福音がなくなっていく時代に会いました。私達に首都圏にだけ 2千ケ所、みことば運動を開いて、学生達を生かして、自ずからみことばの能力で麻薬が崩れて、自ずからみことば運動で暗闇が逃げさるみわざが起きるようにしてください。私達が地下で始まったのですが、神様が生きた証拠をあたえてくださり、多くの現場に人を生かす神様のみわざが起きることを信じます。この場に参加した方達に、このことに賛同した主の民に神様が祝福してください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン