(2002年 01月 20日 インマヌエル教会 聖日メッセージ/ 柳光洙 牧師)


1部: まことに神様の息子であった
(マタイ27:45-56)
 
   
・イエスを信じる人は、神様の本当の答えを受けなければなりません。ところが、外に行ってみれば、大部分がそうではありません。イエスを信じる人が祝福を受けて福音を伝えなければならないのに、未信者がより多くのものを持っているのが見えます。持っているものが問題ではなく、色々なことの中で、未信者より劣っている場合が本当に多いのです。皆様が教会に通いながら正しく知らなければ、そのようになるのです。
 
・私が伝道運動を本格的に始めるようになったのは、この教会に来てからです。なぜならば、伝道しようと大学に入っていったのに、福音が確実な大学生がいませんでした。すこし確かだという学生達は、宣教団体に加入している学生達でした。大きい教会でも、小さな教会でも、教会に通う学生達は、ほとんどすべてに福音がありません。私は教会で牧会する牧師に、大きい危機感を感じました。数万という教会が韓国の地にあるのに、どうして福音がある教会がないのか! ということを感じたのです。ものすごく深刻な程でした。実際に、伝道は難しいことではありません。その内容だけ知っていれば、誰でもできることです。
 
 工業団地で伝道しようと入って行きました。工業団地で伝道運動をしようと入っていって、信者に会ってみました。ほとんどみんなが、祈りの答えもだめで、祈りもだめで、単に教会にだけ通っていました。教会に通うだけでなく、イエスはこういう方だ! と言ってあげて、祈りなさいと言ったところ、祈りの答えを受けるのでした。だから、自分たち間で話が伝わって、人を連れて来たのでした。一ケ所で始めて、工業団地で姉妹だけで何百名が集まりました。実際は、伝道は全く難しいことではありません。あまりにも恐ろしい程に、現場はそうなのです。
 
 現場に行って、イエスを信じてから長い役員に会ってみました。この人達は、説教をとても多く聞いていて、福音はなくて律法だけがぎっしり詰まっていました。ある方は、聖書をかなり知っているようでした。ところが、祈りの答えを受けて、人を生かす方向では聖書を一つも知らずに、教理方向でだけ知っていたのです。だから、実際的に祈りの答えを受けることができないのでした。
 
 私は、韓国では高神大学が一番良いと思っています。一度、高神大学で全体がみな集まる集会に私を講師で招請してくれました。高神で有名なマルトス修練会でした。すべての教授と学生が集まる修練会です。その時、最も基礎のメッセージをしました。初日、イエスはキリストだ。キリストを知っていれば、どのようになるか? 伝道はどのようにするか? 聖書は伝道の方法を何だと話しているか? 祈りはどのようにすれば答えを受けるか? 全部、基礎メッセージをしたのです。それ以後に、高神大学に多くの伝道運動がおきました。この時から全国から講師の要請が入ってきたのです。
 
 会社や学校に行ってみれば、クリスチャンの学生達が、何の力もありません。救われるべき人がそばにいるのに、福音の説明ができません。福音を伝える機会を知らないのです。伝えないのではなく、伝えることができないのです。英語で言えば‘do not'ではなく‘can not'です。今日の本文を見ながら、本当に祈りの答えを受ける秘密を発見しなければなりません。
 
・今日、第一に考えるべきことは、未信者が証ししたイエス・キリストです。未信者が、イエス・キリストを証しした内容があります。結論から言えば、それでは救われることができません。今、未信者が世の中で最も影響をたくさん受けた方は、イエス・キリストだと結論が出ています。しかし、そのように信じては、救われることができません。釈迦も‘いつかイエスという方が来れば、私が悟ったことは、油がない燈と同じだ'と話しました。肉体的に釈迦が先に来て、イエス様が後からいらっしゃいました。正確なことではないのですが、約500年ほど差があります。500年後のことを預言したことを見ると、釈迦はまず普通の方ではありません。ウェリスという人はイエス様を批判しようとしていて、聖書のみことばを見て悟って作った作品が、あの有名なベンハーという作品です。この映画を見て救われた人が書いた作品ではないと考えました。未信者もイエス・キリストを知っています。
 
 今日は西暦2002年 1月 20日ですが、イエス様が来られてからそのようになったということです。この事実を言ったからとしても、救われたのではありません。未信者も知っているイエス・キリストです。イエスはたいした人物だな! そのように知っていては、救われないのです。イエス様は、ものすごく影響を与えた宗教人だな! というように知っていては、救われることができないということです。ところが、驚くべきことに、このように思っている信者があまりに多いのです。単純にたいした聖人とか、宗教人だということです。私が思うのは、その人は未信者です。
 
 ダンテという人がいます。重要な夢を見て、体験をして書いた本が‘神曲'という本です。恐らく神の声という意味でしょう。本を見れば、ある程度、聖書を話しています。ものすごく果敢に表現した部分も多くあります。1地獄から 9地獄までを説明したのですが、地獄別にいる人の名簿をみな明らかにしたのです。罪を犯したので座っているのですが、9地獄には2名が座っています。これは、ダンテがみたことであるために、真理だとは言えないことですが、9地獄には、シーザーの友人のブルータスとイスカリオテのユダが座っていました。恐ろしいことには、1地獄に3人が座っていたのですが、孔子、釈迦、ソクラテスだと明らかにしました。私が思うには、本当によく見たと思います。救われていないのです。未信者もそのようにイエス様を知っています。ところが、 その人は、イエスを信じないと救われることができないのです。
 
・今日の本文を見れば、イエス様が十字架で息をひきとられる時に、相当な光景が行われました。全地と天が暗くなったのです。息をひきとりながらヘブライ語で‘わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか?'とおっしゃいました。そのように言われたので、そばでエリヤを呼んでいるとあざける人もいました。その瞬間、暗くなって、神殿の幕が上から裂けたのです。幕というのは、聖所と至聖所をさえぎっておく幕ですが、これが裂けたのです。この時、地が揺れて、墓が揺れて、死んだ人々がおきてくることがおきました。その時、見守っていた軍人の中で、百人隊長がわれ知らず‘この方はまことに神の子であった!'と言いました。これを見て、百人隊長が救われたとは思いません。この光景を見ながら言った告白です。未信者が知っているイエス・キリストです。私達は、このように信じては救われないのです。
 
・少なくとも、救われる信仰は別にあります。イエス様は神様の子だ! それで終わってはならないのです。イエス様が神様の子という事実は、あらゆる人が皆知っています。イエス様が罪をあがなってくださったキリストだ! この事実を知っていなければならないのです。その程度ではなくて、私の救い主になられたキリストだ! 少なくともペテロの告白のように‘主は生ける神の御子キリストです' イエスがキリストという告白が出てくるべきです。そうしてこそ、救われるのです。
 
  今日のマタイ27:52で、幕が上から裂けたのですが、その話を悟らなければなりません。聖所に入っていけば死ぬために、入っていくことができないようにさえぎっておいたのでした。大祭司長も、羊の血を流して、牛の血を持って入っていかなければなりません。イエス様が十字架にかかられて、幕が裂けたということは、これから救いの門は完全に開いて、誰でも入っていくことができるということです。この話が、キリスト教の歴史の最も重要なことです。カトリックとプロテスタントの戦いの核心です。カトリックは、あらゆる罪を告白する聖事を通じて、神父に告白するのです。神父がそれを受けて神様に祈るということです。旧約時代の大祭司長が、あらゆる罪を持っていって血を捧げるということと同じです。イエス様が十字架に釘づけられた日、幕は裂けた! それを主張したのが、プロテスタントで、そのまま持っているのが、カトリックです。ずっと攻撃したカトリックでは、罪は代わりに赦されることはなくて、相談することだと話しました。あらゆる罪を人に話す必要はありません。神様に正しく話せば良いのです。イエス様が十字架にかかってくださって、王である祭司、万人祭司になったのです。この話を悟れば、救われるのです。
 
 皆様がどんなに億万種類の罪があっても、神様に祈れるのです。どんなに悲惨な中にいても、祈れます。ものすごい特権です。すると、反対に皆様の罪を人の前に出す必要があるでしょうか? 人の前に出して、果して他人のことを話して、他の人を罪に定められるでしょうか? それでは、顔を見せて歩くことができないでしょう。
 
 この頃、おかしな団体が生まれて、罪を赦されたければ、神様の前に悔い改めて、人の前でみな話さなければならないと言っています。教会が伝道をせず、異常なことだけをするので、教会がどのようになるでしょうか? 雰囲気でみな話して、その後に問題が生まれるのです。
 
 しかし、聖書にはそのようになっていません。私たちの誤ちと不足を神様の前に持っていくことができる特権があるのです。神様が幕を上から裂かれたのです。人が裂いたならば、上から裂くことができるでしょうか? 人が裂いたならば、下から裂かれるでしょう。神様が裂かれたということです。イエス様が釘づけられた日に、知らない人々はあざけりましたが、幕が上から避けたのです。
 
・皆様の問題を本当に神様の前に祈るならば、神様は答えてくださるはずです。皆様の絶望を本当に神様の前に祈れば、神様はその祈りをお聞きになるのです。皆様のくやしい部分を本当に神様の前に祈れば、神様はお聞きになります。もしこれがないならば、私たちは福音ではありません。どれくらい驚くべきことでしょうか? 私達がくやしい時もあるでしょう? 生きていれば、本当に苦しい時もあります。生きているならば、あまりにも異常な時もあるのです。神様が私たちに祈りの秘密を与えてくださらなかったら、どのように生きることができるでしょうか? 救われた者が悟るイエス・キリストです。今日の本文をよく見て、記憶しなければなりません。この程度で悟っていては、本当の祝福を味わうことができません。本当に神様の祝福を正しく受けて、信者らしい祝福を味わおうとするならば、霊の目が開いた、そのようなキリストを見る目が開かなければならないのです。
 
 使徒4:12 ペテロは、以前はイエスを否認した人です。今は、死ぬと分かっていても、「世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」と告白しました。同じペテロですが、以前とは次元が違うのです。使徒12章で、ペテロが明日死ぬと知っていても、その日の夜に深く眠っていました。以前には、小さな女の子の前でもぶるぶる震えた人なのに、死ぬと知っていながらも寝ていたという事実です。確実な答と平安がなければ、そのようにできないのです。使徒7:1〜60 ステパノは、死ぬことを知っていながら、ユダヤ人が皆集まった席でキリストを説明しました。使徒8:4〜8 サマリヤでキリストを宣べ伝えたら、みわざが起きました。
 
・単純に救われる信仰もあるけれど、私たちはそのような信仰ではだめです。驚くべき霊的な目が正しく開くのです。それで、イエスを信じる人の中で、信徒はこういう種類で区分できるのです。イエス・キリストをだいたい宗教的に知って、行ったり来たりする人もいるということです。その人々は失敗します。しかし、イエスがキリストという事実を知って通う人があります。その人は救われています。今日、お願いしたいのは、キリストの中にある霊的な秘密を見る目がなければならないということです。
 
 初代教会はこのように証ししました。‘イエスがまさしくキリストだ!' その証拠で‘復活なさった!'‘私がその証人だ! 'ナザレのイエス・キリストの名前で起きて歩きなさい!' 初代教会のメッセージでした。皆様も知っているように、未信者状態 6種類からは、誰も抜け出すことができません。それを解決した方が、イエス・キリストです。
 
柳)先週にソウルに行ったところ、資料の報告が出ていました。即、目に入ることが、歴代大統領で失敗したことが記されていました。後ろのページには、財閥が書かれていました。財閥の中にイエスを信じる人が一名もいません。おもに易、シャーマニズム人が入っている内容が記録してありました。本当に深刻です! 本当のみことばを持って祈って、福音を持っていなければならないのです。それで、宗教的にイエス様を知っていてはだめなのです。イエスがキリストという事実を知っていてこそ、救われるのです。その程度で世界を征服するのではなくて、その中の祝福を知っていなければなりません。私は大統領と財閥を見ながら、誰でも未信者状態 6種類を抜け出すことができないな! 小さな文書を見ながらも、聖書をまた確認するようになりました。
 
 皆様が今、イエス・キリストを知らなければ、未信者状態 6種類から抜け出すことができません。これを未信者は運命と言うのですが、ここから抜け出すことができないのです。どんなに成功しても、結局は失敗するのです。この福音がどれくらい重要でしょうか? ここからイエス様が私たちを救い出してくださいました。
 
・信者が、この地で本当に味わうことができる祝福 7種類があります。その祝福が、イエス・キリストの中にあるのです。これを発見してこそ、祈りの答えを受けるのです。それで、パウロはキリストに会った後、驚くべき告白をしたのです。ピリピ3章「私は、すべてちりあくただと思う。それはキリストを知るようになったためだ。今はキリストの手で捕えられた、それを捕まえて行く。そして上から呼ばれた、その報いを受けるために行く。私たちの市民権は天にある。」 コロサイ2:2〜3 「あらゆる知識、知恵、宝がキリストの中に隠されている。」エペソ1:3〜19 「キリストの中にある祝福を知るようになることを切実に祈る」と言いました。この程度になれば、本当に勝利します。
 
・今日、多くの方達が礼拝に参加しています。ここで重要な部分を理解しなければなりません。神様がこの重要なみことばを理解することができる恵みをくださるでしょうか? 必ず記憶しなければなりません。イエス・キリストを知っているのに、宗教的に知っていれば失敗するのです。イエスがキリストという単語を正しく知っていなければならないのです。この中の祝福を正しく味わうようになる時、本当の答えが与えられます。
 
 ある病院の院長が、私を訪ねてきて、東三第一教会にきても良いですか、と尋ねました。自分はイエスがどんな方なのか知りたいのに、牧師が金曜日ごとに呼んで証しをさせると言いました。これ以上は耐えることができないから、教会を移したいと言ったのです。その方を言い聞かせて帰しましたが、内心は本当にせつなかったのです。現在の教会が、何が失敗なのか成功なのか感覚がなくなってしまったのです。これは本当に私達が祈らなければならないことです。教会が変わって行っているのですから、あらゆる暗闇が崩れるように祈らなければなりません。昨日、新聞を見ました。チラシに民衆神学者の牧師が紹介されていました。その方が、今は宗教多元主義時代だと紹介していました。これを見ながら、時代がますますおかしい方に回っているという気がしました。教会がますます死んでいっています。キリストがますますなくなっていっています。あまりにもせつないことです。なぜ滅んで行くかもしらずに、ますます滅んで行っています。途方もない祝福を知らず、人間が作りだした軽薄なことに傾いています。
 
 あなたがた、牧師、宣教師が、キリストの中に全てのものがあるという事実を発見する瞬間から、全てのものが変わります。牧会と伝道は、その時から始まるのです。しかし、これを見ることができないのです。最も大きい霊的問題がここにあります。今、教会がキリストの中に全部みなあるという事実を見ることができないでいます。それで、どんどん悪魔の作品を捕まえて生きていっているのです。それで、世界の教会は危機の方向へ行っています。クリスチャンは何の力もないのです。私達がみことば運動を開こうという理由がここにあります。
 
柳)米国の最高の神学校から講義の招請を受けました。学校で、韓国で問題があるというので、立てても良いか、良くないかという論議が沸騰しました。それで、決定を学長がすることになったのですが、その方が聞いてみたら、何が問題になるのかと、小さな講義室でせず、皆が聞くことができるチャペル室でしろと言いました。多くの邪魔をされたり、時間がなかっりして、全員が入れなかったのですが、講義時間の直前の11時になって全員が入れました。賛成する人は前のほうで聞いて、反対する人々は後ろ側で‘してみろ’という方式で座っていました。それで、私はものすごく困難になる時は、ひとつの方法を使うのです。とても真実に話すことです。それで講壇に立って、こう話しました。‘私はあなたがたに講義をしようときたのではなく、報告をしようと来ました' といったところ、ちょっと聞き始めました。‘今、未信者の現場では、こういうことがおきています'‘今、現場のクリスチャンはこういう姿です'‘教会はしきりに信徒が減ってきています'‘ビリー・ハンクスの話では、このまま行くならば 25年以内に、教会はなくなるでしょう'と説明したのです。その方達は、神様の人であるから、みな聞き入れました。この理由は何でしょうか?‘キリストを知らないからです!' その話しにみなが肯定しました。次の時間には、メモの準備までして、皆が前のほうに座りました。その時から、どのように伝道しなければならないのかを話しました。真実の神様の人であるから、みことばが通じて、終わってからは握手もしました。
 
・今、全世界教会に、ものすごい単語であるキリストが弱くなっているのです。世界教会が先頭に立って、キリストを弱化させる働きをしている実情です。ある地域では、キリストを話そうとしても話せない境地にまでなりました。シカゴ集会に行ったら、新聞に全面広告が出ました。題目に大きく‘柳光洙氏はこれで異端だ'と書かれていました。他のことではなく、イエス・キリストをあまりに強調しているから異端だと書かれていました。話すべき言葉がなくて、本当にせつなかったのです。今、霊的に目覚めて見なければなりません。全世界教会にキリストがなくなっています。早く悟って、契約を握って祈らなければならないのです。人々がイエスが誰なのかは知っていたのですが、キリストという事実は知らなかったのです。
 
 大部分の信者が、キリストの中にある祝福を知らないでいます。この部分だけ悟っていれば、じっとしていてもあらゆる門がみな開きます。誰か私にどのように世界の福音化、伝道することができるのですかと尋ねれば、答えることができます。「イエスはキリストだ。その中に全てのものがある!」あらゆる面で私より立派な人でも、ただ一つの違いはそれです。私は私の母方のおじ張牧師を尊敬します。本当に立派な方です。この方は説教する時ごとに福音が、イエス・キリストが出てきます。これを見れば、本当に私たちの家庭が福音ゆえに祝福されたことを感じます。経験も多くて、大きな事も多くしたのですが、いつでも福音だけが出てくるのです。私はこれが本当に誇りです。福音を所有する皆様になるようにお祈りします。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。神様が今日、私達に霊的な目を開けてください。キリストを知らない者があまりに多いのです。今、世界教会がキリスト弱化運動を始めました。既に、大きい教会が、ヨーロッパと米国で門を閉め始めました。サタンの策略にかからないように、主が働いてください。福音とキリストを弱化させるサタンの戦略が、イエスの名前で崩れるようにしてください。今日、真の答えが始まることをお祈りします。もしこの席にからだが良くない人があったり、霊的に病気の人があったら、主がいやしてください。絶望や失敗の中にいる人が、主の前に立つことができる力を与えて下さい。弱い者や失敗している者があるならば、イエス・キリストのなかで新しく始める日になるようにしてください。この祝福を体験する開始があることをお祈りします。イエス・キリストのお名前でお祈りします。
(The end)
 
 


2部: パウロの関心
(ローマ15:20-24)
 
 
・イエス様を初めて信じる方達と、そのように考えられる方達はひとつを記憶しなければなりません。イエス様が初めて質問なさる時、いろいろな仕事をして、功績を積みなさいとおっしゃったのではありません。イエス様が弟子を呼ばれた時、いくつかの基本訓練の後、このように尋ねられました。人々はわたしのことを誰だと言いますか...初めて信じる方達が、記憶しなければならない部分です。どれくらい重要な質問でしょうか? ここで、信仰生活が正しく始まるのです。答えとを エリヤ, エレミヤ, バプテスマのヨハネ...ある人は預言者のようだと言うと言いました。神秘主義、博愛主義、社会主義、宗教人のひとりだとみることができるのです。私達が、万が一下手すると、キリスト教をこのように見ることができます。そのようになれば、不思議に信仰生活になっているようですが、できません。成長しながら、われ知らず博愛主義が現れることもあります。悪いものではありません。しかし、それを福音で変えるべきで、そうでなければ、信仰生活がよくできないようになります。福音を伝えないで、善い行いだけをする人がいます。それは、博愛主義が入っているのです。ものすごく正しいようですが、場合によっては、異常になりえます。元々、神秘主義を体験した方達は、福音でいやされなければ、信仰生活をするなかでずっと困難にあいます。初めて信じる方達が注意しなければならない部分です。特に大部分、多くの比重が律法と宗教です。信仰生活を長くされた方達が、より一層そうです。このみことばを記憶して、福音に変えなければなりません。‘なにが入っているのか'が重要です。
 
・それで、イエス様が‘わたしをだれだと言いますか"と尋ねてくださったのです。みなが誤って知っていました。"あなたがたは、わたしをだれだと言いますかか?" その時ペテロが答えました。"主は生ける神の御子キリストです" 初めての返事でした。イエス様がはっと驚かれたのです‘主はキリストだ'ということは、創世記 3章問題の解決者であり、生きておられる神様の息子ということです。罪とサタンと呪い、地獄の権勢を滅ぼされた方、生きておられる神様の息子だということです。
 
・人々の中で、誰でも花札を打つことはあるでしょうが、ギャンブルに陥るとか、酒を飲むことはあるでしょうが、アルコール中毒になるならば、これらすべてのものが霊的問題、サタンと関連しているために、その問題を解決なさった方が、まさにイエス様なのです。‘バルヨナ・シモン。あなたは幸いです'とおっしゃりながら3つの祝福をくださいました。‘あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。'と言われました。初めて信じる方達と、信仰生活がよくできない方達は、必ず記憶しなければなりません。皆様の周囲とサタンの権勢が解決にならないと、どんどん問題が起きます。私達には出来ません。それで、主は生ける神の御子キリストです。この部分を知るようになる時、神様が解決してくださるはずです。この事実を一番始めに信じる時、記憶しなければならないのです。
 
・皆様が信仰生活を正しくして弟子になれば、その次のことが出てきます。それで、私たちタラッパンで今多くの神学と多くの伝道者がいたのですが、発見することができなかった聖書にある伝道の五種類を捜し出してしようとしています。これを捕まえて信仰生活をしなければなりません。皆様は、信仰生活を整理しなければならないのです。それとともに、キリストの秘密を味わわなければなりません。いままでタラッパンから出てきた五つ祝福が本当に重要です。ヨセフが世界的祝福の中で伝道を開発できなく、イスラエルが奴隷になって、改革教会が聖書を探し出したのにもかかわらず、カトリックを変化させるに値する伝道を開発することができませんでした。ジョン・ウエスレイ、ムーディーのような人々が出てきたのですが、相当な働きを起こしたにのもかかわらず、子孫を生かす伝道を捜し出すことができなかったのです。そのような中で、神様が私たちに伝道を知るようにされたのです。皆様と私より立派な人が多いのですが、この祝福を私たちにくださったのです。すると、これからそれが間違いないのかが重要です。 
 
・5つのことを見なければなりません。最初、マルコのタラッパンで始まったこと-初代教会の開始-, アンテオケで広がって、正しくアジアで枝を刈って、マケドニアで根をおろして、ローマで実を結びました。これを捜し出さなければなりません。私たちは最初にキリストを探して、マタイ16:16節が告白できれば、その次のことで、聖書を知っていなければなりません。この部分で信仰生活をのがすのです。皆様がこの五つの重要なことを捜し出さなければならないのです。これのために、新家族修練会で講義をしました。言葉が新家族修練会であって、合宿、チーム合宿....を受けてもこれを探していないので、分かるようにさせることです。新家族修練会の参席したかどうかはともかく、この祝福を捜し出さなければなりません。そのようになってこそ、信仰生活になるのです。そして、祈りの答えを受けなければならないのです。祈りの答えを受ければ良いのです。祈りの答えを受ける方達は、表に現れます。どんなにここにいらっしゃる方達が立派でも、祈りの答えをずっと受けることができなければ、異常になります。自分が本当にキリストを知っているかを早く発見しなければならないのです。
 
・先頃、ある学生と相談しました。この学生は自分をあきらめていました。礼拝堂にくれば頭が痛くて、勉強することが嫌いだと言いました。脳の検査からしなさいと言いました。ずっと頭が痛ければ、そのようなこともあります。他の時には大丈夫だけれど、勉強する時だけそうらしいのです。十何歳なのに、自分をあきらめていたのです。サタンに捕えられていました。サタンに確実に捕えられたということが、まさに自分をあきらめたということです。ある方が、自殺すれば救われるだろうかと尋ねました。自殺を救いと関係して考える必要はないけれど、サタンに完全捕えられてこそ、自分を完全あきらめるようになるのです。
 
・皆様が今、私達が発見して全世界に話している 5つの基礎を生活を連結しなければならず、そうしてこそ祈りの答えが来て、信仰生活になります。そのような後、皆様は役員を含めて神様の祝福を受取る方達なので、ローマ16章に入っていった人物-持っているものはないけれど、福音のために生きた人々-の答えを受けなければなりません。そのためには、いくつかの礼拝をささげなければなりません。核心の時に話をするはずです。
 
・最初に、一生の祈りの課題が整理されなければなりません。本当に定刻の祈りを一年だけすれば、まず最初に来る答えが‘一生、何をするか'が整理できます。これがどれくらい正確にできるのかが重要で、ここで全てのものがみな出てきます。聖書を見れば、一生の祈りの課題を持った人々が出てきます。ヨセフのような人物。アブラハムのような人物。‘あなたの名前をアブラムと言わず、アブラハムと言いなさい'..ということが発見された人物です。クリスチャンは、正しく祈りの答えを受けることも重要ですが、本当にキリストを知っている方達が少しだけ祈れば、一生の祈りの課題が発見でき、そのことが本当に重要なのです。マルティン・ルターのような方は、カトリックがあまりに聖書を違うように話すのを見たが、怖がって話すことができなかったのです。そのような中、友人と道を行く中で、雷が落ちて両側の友人は死んで、自分は生き残りました。この時、決断を下したのでた。‘間違いなく、私は死ぬべき人ではなかったか...' 一生の祈りの課題を握ったのです。そして成就しました。モーセが一瞬間に捕まえたことではありません。幼い時から握っていたことです。
 
柳)) 私の場合は、祈りながら‘私のような罪人が福音を受けたのだから、私のような罪人を生かすべきだ’という決心をして、弟子しかないという答を出したのです。
 
・全世界で福音を全く聞いていない所が 1/3です。福音を伝えるためには、一千万弟子が起きなければならないのです。荒唐無稽な話に聞こえることができでしょうが、しかし私が起こすのではなく、そのように起きなければならないために、起きるのです。皆様がおわかりの通り、宣教地には文章がない国と言葉がない国もあります。イエス様の話を聞いていない国があまりに多いのです。韓国には多くの教会がありますが、みことば運動を正しくするためには、40万のメンバーがおきなければなりません。その運動をするために祈るなかで、答えを受けたのが神学院、合宿訓練などです。ですから、これは人が出来ないことです。このことをするために神様が与えられる力がなければならないのですが、聖霊充満のなかで発見されたことが、霊力、知力、体力、人材、経済力の祝福です。
 
・すると、タラッパン、合宿に対する目標があるのです。5つの目標が現れました。それがまさにエリートが死んで行くのを見るようになりながら、見るようになったことが専門の働き、現在の学校、あらゆる文化が死んで行く中で発見したことが、文化の働き。これをするための産業宣教。その中で最も重要なのが、レムナントです。この中で私がすることは何でしょうか? 福音でいやしてあげることです。これがいやしの働きです。このことをずっとするようになるのです。皆様がローマ16章の人物の祝福を受けるためには、一生の祈りの課題が出てくるべきです。
 
・それとともに、私たちの教会に与えられた使命を発見しなければなりません。なぜ、わざわざ神様がこの教会に私たちを集めたられたのでしょうか? 今年初めに、私たち教会の使命 3つをお話ししました。釜山全体が神様のみことばを聞くようにしましょう。これのために、祈りと伝道、引き受けたことに専門性を持たなければなりません。その次に、これをするために神様の国という秘密を捕まえなければならないのです。方法はインマヌエルです。それで、教会の名前を変えました。このようになれば、信仰生活になります。皆様を悟ることができないようにする、あらゆる暗闇の勢力が崩れて、本当に悟る祝福があるように願います。
 
・皆様に会う時間はありませんが、学生達と相談して会う時ごとに、2つのことを感じます。ある学生は‘暗やみの勢力に自分と家庭が捕えられて死んでいったんだなあ'と悟る学生があって、全くそのように悟ることができなかった学生がいます。悟ることがどれくらい重要でしょうか? 神様は、悟るあなたがたに祝福を味わうことができる答えも明らかにくださるはずです。このように見る時、なにが重要か? という答が出てきました。ここで私たちの関心が出てくるのです。イエス様に従った初期の人々は、どこに関心があったのでしょうか? 病気がいやされて、マタイ5章に見ると、精神がおかしな人がいやされて、5つのパンと2匹の魚の奇跡などが起きました。ところが、ここに関心がある人々が、危機がきた時、逃げたのでした。私たちの関心が本当に重要です。救われた者の関心があります。イエスがキリストで、私を救って下さって、呪いから救い出してくださって、神様は私の祈りにくださるという救いの秘密を知っていることです。この主体を見ましょう。皆、主導者が‘私'です。本当に神様を信じる人たちは、ここでとどまりません。パウロを見ましょう。パウロの関心は、救いの時から違いました。使徒9章1〜15節に、パウロがイエスに会った瞬間、すべての答を出しました。特に用事なく、行ったり来たりする人とは違って、パウロはそのようにイエス様を信じたのではありません。イエス・キリストに会った瞬間、自分が持っていたすべての問題をおろして良いと考えたのでした。神様がパウロを正しく用いられて、彼の周囲ですべての暗闇、不信仰が崩れました。今日、皆様にこの祝福があるように望みます。
 
・宣教師の中で正しくできている方と同じ教会にいました。一流大学を出て、銀行幹部として成功したのでした。この方が私を訪ねてきました。大学の時に、キム・ジュンコン博士の説教を聞いて恵みを受けて、成功した時に伝道者として用いて下さいと祈ったのでした。成功した今、決断を下したと言いました。宣教師で行くようにしたということです。‘大変で、私が考えたそのままです'と話しました。家族達が皆驚いたが、両親に仕えて説得をしたのでした。私がその人に‘あなたは本当に宣教師だ'と話しました。
 
・パウロがそうです。自分の自慢と全てのものを捨てて、働きができるしかありませんでした。使徒11:25〜26節のように、知識的には何でもありませんでした。バルナバはパウロと比較できないですし、パウロが遊んだ所はアンテオケとは比較出来ませんでした。パウロがアンテオケで1年間着実な弟子訓練を受けて、どれくらい着実にしたかというと、使徒13章に見れば宣教師として派遣されました。宣教師として派遣され、ムダン(霊媒師)で覆われた所で福音運動をしました。そのような中で道がふさがった時、気落ちしなかったし、祈ったのでした。それは、神様が門をふさがれたのではなく、かえってマケドニアに呼ばれるための計画だったのです。これが、パウロの人生と教会の歴史と地球を変える事になるとは、神様だけがご存知でした。パウロがマケドニアへ行くやいなや行われたことが、占いに覆われたのを見るようになったのです。最もみわざが起きた所はエペソです。偶像と迷信に陥った彼らに、みことば運動をして息をふきかえすみわざが起きたのでした。パウロの関心が違ったのです。
 
・ローマ1:9〜10節 "私の霊をもって仕えている神があかししてくださることですが...私はローマに入っていくことを昼夜で懇求した”となっています。Iコリント3章の多くの話の中でパウロが話しました。‘あなたたちは、子供のようだ... 神様の聖霊があなたがたの中にとどまっているを知らないのですか'と言いました。ガラテヤ2:20‘私はキリストとともに十字架につけられました。.. キリストが私のうちに生きておられるのです。'という告白をしました。他の見方をすれば、みなあきらめたように見えるかもしれませんが、ピリピ3章に最も良いことを持ったと告白しました。最高の知識、最高の計画、最高の報い、最高の背景です。これは事実でないでしょうか? それで "私を強くしてくださる方によってどんなことでもできるのです"
 
・今日、ローマ15:20節から24節を見ても、パウロの関心が現れています。" このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。" そのまま過ぎ行く話ではありません。福音がない所に福音を伝えようという心が切実だったのです。救われることができなくて、福音に関心がない人は、福音がある所で仕事を繰り広げます。他人の信徒をつかんでしてはならないのです。スヨンロ教会のような所は、伝道するために立てられた所です。動機がどれくらい良いでしょうか? これからも祝福を受けるはずです。韓国教会で、そのようにすることができなかった所があまりに多いのです。皆様が本当に福音を受けたなら、心配する必要はなくて、神様がつかんでくださるのです。誤った道を行っても、神様が絶対にのがされないでしょう。私が知っているある方は、神様がいろいろな種類の癌にかかるようにしてでも、連れてくるのを見ました。
 
・ある方が、息子と娘が皆家を出て行ったと告白しました。まちがいなく、執事が福音を持っているので、心配するなと言いました。神様が誤って行く子供を、半殺しにしてでも連れてくると言いました。話を用心しなければなりません。車の事故でほとんど半死に状態になって帰ってきました。病院で悔い改めする事が行われました。
 
・神様は "神様"です。どうして神様が、皆様を放っておかれるでしょうか? 話をよく悟らなければなりません。弟子は作られるのではなく、生まれるのです。絶対に記憶しなければなりません。それでパウロは他人畑で仕事をしませんでした。福音がない所で福音運動をしました。私たちインマヌエル教会が、何故2,800ケ所にみことば運動をしようとするのでしょうか? 福音がない所に正しいみことば運動を開くのです。福音がない所、タラッパンがない所、タラッパンが誤ってなされている所にみことば運動をしなければなりません。釜山市内で区だけ分けても、伝える所がものすごく多いのです。私たちは祈るべきです。
 
・21節 "それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」" この時に福音を聞くことができなかった人が聞くようになるのです。私たちの学生達がどんなに足りなくても、さまよっても、福音を受けたなら、心配する必要がありません。神様はそのたましいを絶対に滅びるようにされません。その中に聖霊がいらっしゃるためです。2つです。みことばを悟って祝福を受けたり、悟ることができなく苦労しながら受けたりします。その選択は、私たちにくださいました。幼い時 "合うようにするか? そのままするか?"の比喩のようです。心配をする必要はありません。神様はご自分の主権、能力に制限を受ける方ではありません。それで、福音を受けない所に福音を伝えなければならないのです。
 
・今年は確信があります。インマヌエル教会の教役者の方達の動きを見ると、確実に違うことを見て、確信しました。昨年と違います。時刻表になったのです。みことばを伝える時刻表、私たちの信徒達が、本当に祝福を受ける時刻表になったのではないでしょうか? 私たちは他人の畑にする必要はありません。本当に福音を受けたなら、その一度で終わりです。神様は祝福をなさろうが、触ってでもどのようにでもされます。結果は、私たちがどのようにかしてなることではありません。私はそのような人々をたくさん見ました。悟ることができなくて、さ迷っている途中で、死ぬ前に帰ってくる人が多かったのです。せつなかったのです。今日、皆様が悟ることを望みます。
 
柳)) 私が知っている方は、肝臓ガンで苦労をなさっていて、死ぬ時まで苦しみを訴えながら行きました。10日、叫んでいたということです。幸いに、その中で神様に会いました。
 
・パウロがこう話しました。"そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので" 関心がローマではありません。イスパニヤでした。聖書は、人々が失敗したことをそのまま記録したことが多いのです。その当時、パウロは地球が平たいと考えて、地球の終わりはイスパニヤ、今のスペインだと考えていました。パウロは、地球の末まで行くのに、その途中でローマに入ると言いました。パウロが誤って思っていた部分があるのです。しかし、それが重要なのではありません。パウロの関心です。
 
・あなたがたは、必ず答えの祝福を回復するように望みます。私はどんなに考えても、地球上に起きることがサタンの働きです。このように占いがおきて、ニューエイジ運動が米国を掌握しています。人々、学生達までも、お金だけを与えれば何でもする世の中です。普通の問題ではありません。お金がいったい何でしょうか? あらゆる人格、全てのものをお金の前に捨てる世代です。はなはだしきは、父母、夫人の名前で保険をもらうために殺して、保険金を受けることもありました。人々がこういう方法です。これで良いのでしょうか? どんなに考えてもサタンの働きです。
 
柳)) 私は学校に通う時、父が病気で亡くなりました。その後、母にお金をもらうようにしませんでした。学校に通う時、車に乗らないで歩いて通って、店をみることもしませんでした。買って食べることが出来なかったためです。お小遣がなければ、使わなければ良いでしょう? しかし、日が経つにつれ、世の中は異常になります。イエス・キリストの秘密なくては不可能です。それで、私たちは福音を伝えると決心したのです。
 
・私はパウロの関心が分かります。皆様がパウロの関心と、この説教を理解するならば、この祝福を受ける資格があります。福音の他には道がありません。それで、私たちは力を合せて伝道運動をするのです。今年は2,800ケ所に入っていくはずです。そのように多くの所を、どのようにするのか? 神様はなさるはずです。ヨセフ一名に、モーセ一名に力くださってなさったのではないでしょうか? 皆様に今年、この祝福があるように望みます。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。今日、この席には、また、インマヌエルソウル、蔚山、衛星で礼拝する教会には、重要な祝福が臨む時間になるようにしてくださり、またともに参加した牧師と宣教師に時代的な祝福を与えて下さり、神様の関心、パウロの関心、私たちの関心が、本当にひとつになる時間になるようにしてください。それで真の答えを今から受けるようにしてください。悟ることができない信者に悟りをあたえてくださり、失敗の中で悟るのではなく、みことばの中で悟る時間になるようにしてください。大きい困難の中で悟るのではなくて、恵みの中で悟る祝福をあたえてください。私たちの家族に答えてくださり、苦痛を通じて主のみことばを悟るのではなくて、私たちの祈りによってみことばを悟る恵みを増し加えてください。それで、早く韓国とまだ福音を聞くことができない所に福音を伝えることができる大きい恵みを増し加えてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
(The end)
 
 


3部: 聖霊充満と問題直面
(使徒27:9-26)
 
 
・私たちは、問題に直面する時があります。しかし、題目を見れば "聖霊充満と問題直面"です。未信者も問題に会えば、その人の人柄、うつわがわかるということです。私たちもそのように考えます。家庭の問題が難しくなれば、どんな人が良妻賢母なのかが分かります。夫がお金をよく儲けて安らかな時は、よく分からないけれど、困難にあえば分かるのです。国家が難しくなるけれど、忠臣、悪い家臣を簡単に区分できます。一般の人でもある内容です。また、戦争が起きれば、英雄と真の軍人がわかります。戦争の前は、いっしょにご飯を食べて住んでので分からないのですが、戦争が起きれば分かるようになるのです。
 
・しかし、聖霊充満した人が問題に直面した時、人柄、うつわも重要ですが、どのように解くかが重要です。聖霊充満ということは、クリスチャンに最高の単語であるゆえに、いつも信仰で生きることが聖霊充満です。それで、こういう人々が、聖霊充満で解くことは違います。問題に直面する時があります。しばしば会うようになります。予想をしても、しなくてもそうです。他の人には見えないようにくることもあります。これをどのように解くのかが重要です。
 
・パウロは、聖霊充満した人であることは確かです。この人は、どのように問題を解いたのでしょうか?
 
(1)問題を見る目です。パウロは、イエスを信じる人を捕まえに行く時に悔い改めました。反対側から見れば、普通の問題ではありません。パリサイ人達が見るには、完全に狂った人です。イエスを信じる人を捕まえに行く時、イエスを信じたから、どれくらいあぜんとするでしょうか? 普通の問題ではなかったのです。パリサイ人という職分を持って、ものすごく希望がある人物を送ったところ、行く時にイエスを信じたのです。だから、この人達がそのままいることはなく、あがきをするのです。パウロを殺さないと家に帰らないと、そのように出てきました。パウロの背景は、どれくらい深刻でしょうか?
 
・しかし、パウロはそのことを、そんなに意に介さなかったのです。当然にありうることだったからです。問題がきた時、静かに置いておくべきものもあります。とにかく、パウロ個人には深刻な問題がきました。自分のあらゆる社会と断絶されてしまったのです。社会生活のみならず、家庭までみな破壊してしまいました。パウロは、そのようなことがあると知っていたから、そんなに意に介しませんでした。キリストの秘密と、それから後の働きを知っていたので、意に介さなかったのですが、問題は深刻でした。
 
・こういう中で、四方八方からパウロの汚点を集めたのです。パウロが働きを起こして病人がいやされれば、おかしく話して、人々を精神異常にさせると言って、偶像崇拝する人が帰ってくれば、商売を壊すと告発しました。それで、20章から27章まで迫害がおきたのです。以前は事件を話したのですが、これからは聖霊充満の主題で話をして、人物中心で話が終われば、地域中心でみるつもりです。
 
・どれくらい使徒の働きには話す言葉が多いでしょうか? 私は、13年目の聖日の夕方に使徒の働きを話しています。あまりにも習うことが多いからです。本論だいうことができます。聖書の初代教会の行跡の本論が、使徒の働きです。それで、使徒の働きを詳細に見るのです。パウロは、見る目が違いました。
 
・恵みを受けた人が、占い師のように未来を当てて、行ってはならないと言いましたが、ところがパウロは、反対に話したのです。未来を見たことまでは良かったのですが、違ったことを見たのです。パウロに対して攻撃してくるユダヤ人に対して知っていました。パウロに対して告発することも知っていたのです。ところが、恵みを受けた人が言う話は "あなたは縛られるから行くな!"ということでした。しかし、パウロはそこで機会を探したのです。これが聖霊充満した人が問題を見る目です。皆様は、信仰生活をして勝利しようとするなら、問題がくる時ごとに機会を見るべきなのです。
 
・パウロは、普通の人が持っていない秘密を知っていまいた。それが、まさにローマへの入城です。そのチャンスをつかんだのです。捕えられてずっと上訴されれば、カイザルの前にまで行くことが出来ることを知っていたのです。私が見る時には、パウロは聖霊充満した人であることが確かです。全部みな止めたのですが、それは人情でした。恵みを受けた人が縛られるのを見ながら行くなという話は、間違いない話しだったのですが、パウロはその話を聞いて、行かなければならない理由をさがしたのです。これが問題を正しく見る目です。
 
・皆様が信仰生活をして勝利しようとするなら、問題を正しく見る目がなければなりません。そこに必ず機会があります。私が釜山とソウルで、多くの主のしもべが心配すると知っていました。心配の内容が問題ですが、とにかく知っていたのです。釜山のインマヌエル教会や、ソウルのインマヌエル教会がずっと大きくなれば、他の所の教会に被害が行かないか? ということでした。私は深く考えたのです。すると、何故この教会が生まれたのか? これを考えてみました。神様が失敗で作られたのでしょうか? この時こそは、伝道をせねばなりません。本物の伝道をしなければならないのです。このようにして、心に決めたことが 2,800ケ所の地域教会です。伝道しないならば、もう一つの教会を作ったことにしかならないでしょう? 本物の伝道をしなければなりません。
 
・この言葉がいまや教役者達に受け入れられ始めました。私が見る時には、ソウルにきている三名の牧師は福音ゆえに生きる人であり、福音で計算をしない人という結論が下されました。神様が力を与えられるのです。14年間使った親しんだ名前 "東三第一"という看板を変えました。全世界が知っている名前を変えたのです。理由があります。
 
・いままで訓練を受けた釜山の教役者が、中心と自分の機能を活用し始めました。今は本物の時刻表がきたのです。どれくらい感謝か分かりません。これから問題がくれば、問題を見る目がなければなりません。それがものすごく重要です。問題がきた時、ほとんど問題をもっと作ってしまいます。でなければ、問題に沈み込んでしまうのです。船は、水に浮かんで進まなければ、水に沈んでいてはだめでしょう? 問題がくれば人々は、第2, 第3の問題をもっと作って、縛られて死んでしまうのです。パウロは本当に聖霊充満した人でした。パウロは、問題を正しく見ることができる人です。 "カイザルの前に立たなければならない" 2つの結果が出てきました。この人には、何の罪もありません。宗教活動であるだけです。そして、裁判する間とその中で自由にするように保障をしてください! だから法的にユダヤ人が触ることができませんでした。
 
・本当に重要な人物です。これは、人間中心主義も、頭を使ったことでもありません。聖霊充満した中で悟ったことです。普通の人が見ることができないことです。祈りを多くする人が話す水準の言葉です。福音を知らないならば、あらゆる恵み、お金、機能も逆に使われます。よく悟らなければなりません。皆様が信仰生活をしていて、福音を悟った皆様の聖霊充満とは何でしょうか? 問題を正しく見ることです。問題を見る目が重要です。
 
(2)パウロは本物の問題を見ました。パウロが迫害を受けて、裁判を受けようとすることは問題ではなかったのです。ユダヤ人の宗教と国の滅亡を見たのです。パウロは、イスラエル民族がローマに植民地になって、植民統治を受けていることを知っていました。また、ユダヤ人の解放が重要なのではなく、あがいていることを、全世界の人が偶像に陥って死んでいっている、より大きい問題を見たのです。
 
・問題を問題で見ずに、メッセージで見ましょう! パウロは、一時代のメッセージで見たのです。問題を見る目も重要ですが、メッセージを悟ることがより重要です。それで説教をずっと聞くのです。メッセージは、単なるメッセージではありません。Reading between the linesという言葉があります。これは文章を読むことでなく、文章の中にあることを見るのです。聖書を単に読むのではなく、その中にあるメッセージを読むことができなければなりません。
 
・ある伝道師が恵みを受けていて、子どもが生まれたのに、おしが生まれてきました。普通の人ならば、嘆くのですが、これをメッセージだと悟って、祈ったのです。その時から、この方が一日夕方も抜かさずに、教会でひざまずいたのです。どの程度のみわざが起きたのでしょうか? 高神側でそのような牧師は、出てこなかったのです。説教する中で悪霊につかれた者が、いやされることもありました。説教をととても長くして、そのように本当にたいした人でした。以前、私たちの教会で水曜日に招請してメッセージをされたら、3時間されましたよ。力がある人でした。その人が引退する、まさにその前にその教会で説教をしにいったのですが、そこの年輩の多くの大人が、私が申し訳ない程に謙遜であって、たいした人達でした。どこに行っても、私が言葉に詰まったのは初めてでした。メッセージを受けたのです。
 
・ゴメルという自分の妻がずっとおかしなことをするから、時代のメッセージを悟ったのでした。パウロが単に見たのではありません。パウロが今、迫害を受けることは問題ではありません。イスラエルが滅びるようになったのです。パウロが悪口をちょっと言われることが重要なのではありません。完全に悪霊の町になってしまったのです。ここにこれからメッセージを伝えることができる機会がきた! 正しく悟ったのです。こういう教役者がたくさん起きなければなりません。
 
・私が、空港からここに来ながら、キム・イルコン牧師にこう話しました。"牧師の中に本当に伝道しようという人がいません。本当に福音ゆえに生きてください! 損してもかまわないのです。しかし、私が損したことはありませんでした" 今、私たちの教会は大きい祝福の門が開いたのです。教役者がどのように活動するかが、ものすごく重要です。今まで皆様が祈って、磨いて、献身したことが神様の実になったのです。これからは何カ所にもみことば運動をして、祈り運動をするはずです。
 
・聖霊充満は、問題がきた時に問題を見る要領であり、メッセージです。これが正確でなければなりません。 どれくらい重要でしょうか? すると、皆様の信仰生活は勝利するようになっています。いよいよパウロの言うことを聞かなかった囚人の船は、皆様がご存じの通り、行く途中でユーラクロンという強風に会いました。暴風に会って死にそうになったので、高いものをみな捨てたのです。階級も、人格も、必要ないのです。死にそうになったのに、それが何で必要でしょうか?
 
・この時、パウロが船底におりて行って祈った中でメッセージを受けました。"パウロよ恐れるな! あなたはカイザルの前に立たなければならない!" 神様は、私達が本当に緊迫する場面にいる時は、色々なメッセージをくださいます。夢の中でくださる時もあります。事件を下さる時もあります。パウロは重要なメッセージを受けたのです。 "安心しなさい! 昨夜、私が仕える神様が、その神様の使いが話した!" だから、安心しなさい! この人達が、その話を聞いてどれくらい平安になったでしょうか? 波が止まって、一名も死ななかったのです。14日間、暴風に会って、みな死なねばならない船が死ななかったのです。この人達が、神様を信じるようになった後に、波が静かになったのです。
 
(3)霊的な教訓を悟らなければなりません。私たちは、肉体的な人ではありません。霊的な教訓を悟らなければならないのです。肉体的なのだけれど、霊的な教訓を悟らなければなりません。まさに今、イスラエルとローマ! 今、地球は暴風に会っているのと同じです。悟らなければなりません。この暴風に会ったことと、地球とがそっくり同じです。何故、暴風に会っているのでしょうか? 神様のみことばを受けないためです。パウロがどんなに話しても、神様の話を聞かないで、人の話を聞いて、良い所に行って休もうと言いました。大部分の人が、多数主義、便宜主義へ行かざるをえないのです。
 
・人々は、神様のみことばを無視して、福音を反対にします。そのようにせざるをえないことは理解できます。ところが突然に! やってきた、その強風の名前がユーラクロンという風でした。強風を知っているでしょうか? 私の妹は、今 47才くらいになったのですが、その妹が生まれたその年に、韓国に台風が来て、紗羅号という台風でした。これがどれくらい強かったかというと、私の家をはじめとして、屋根がみな飛ばされてしまいました。私が幼い時に感じたのです。少し前に釜山で弱い台風がひとつ来たのですが、家がみな飛ばされてしまいました。風の力がどれくらい強いか知っていますか? 古くなった建物をちぎって飛ばしていく程です。
 
・これと比較にならない程の風が吹いたのです。ユーラクロンという強風が吹いたのです。この強風は、狂ったような強さです。狂った風が、吹きつけたのです。だから、どのようになるでしょうか? 霊的な教訓は、何でしょうか? 突然に起こったのです。どんなに苦闘してもだめです。神様が吹かされる強風の前に科学が、私たちの知識が、経験でできることはありません。お金も必要ありません。今、みな死ぬのに、そのようなことが、何の必要があるでしょうか? 神様のみことばを離れた人々が強風に会ったのです。
 
・それで、私たちに必要なことが福音です。私たちに福音があるならば、神様が私たちを求められるのです。神様は、私たちを保護されるのです。福音を伝える者がいるならば、その船を神様は保護されるのです。パウロ個人ゆえに、船を救ったのではなく、福音ゆえに救われました。パウロよ! 恐れるな! 私たちの教会の中に、福音を伝える教役者と一般信者がいるならば、神様はあらゆる保護を惜しまれません。神様の目はどこに行っているのでしょうか? 救われる人に、伝道者に行っています。
 
・私は、一番はじめに伝道を始めながら、こう話しました。 "太陽が何故上るのでしょうか? 伝道者のためです。太陽が何故沈むのでしょうか? 伝道者のためです。" 救いの働きを完成なさるために、神様は地球を保護していらっしゃるのです。これは冗談ではありません。伝道者中心に世の中は流れるのです。どれくらい驚くべきことでしょうか? 神様のあらゆる関心は、伝道者にあります。それならば、皆様と私たちの教会は何も問題がないでしょう。
 
・私は、むかしには車に乗って東三道をとにかく回りました。どれくらい回ったでしょうか。車に乗って通いながら、私たちの教会の子供達、執事達を週の間にみな見ることができました。回りながら祈って、タラッパンをして、メッセージをしました。そうしながら、子供達がどんどん出てくれば、私の子供がいるかいないかと、関心が向くようになっていました。全く同じ制服を着て出てくるのに、私の娘、息子はすぐに分かって見ることができたのです。私の目がそのように向くのです。神様は、神様の民に目が向くのです。皆様の家に火事が起これば、何を保護しますか? 単に出てくるでしょうか? 机を持って出てくるでしょうか? 何ら価値がないことです。最も価値あることを保護するでしょう?
 
・先週の水曜日の献身礼拝の時、こう話しました。特に、学生達が記憶しなければなりません。霊的、合理的、根本的でなければならないのです。今日のみことばを結ぶにあたって、私たちの解決策は何でしょうか? 根本問題を、霊的問題を解決しなければなりません。パウロが正しく見たのです。今、パウロが苦難がちょっと受けることが重要なのではありません。より重要なことは、メッセージを悟らなければならなくて、霊的な教訓を悟らなければならないのです。今、祈りながら静かに考えてみましょう!
 
・祈りの課題をちょっと差し上げます。
 
 私たちの教会が、本格的な伝道運動のために時を合せて移るはずです。ここに対する準備をしなければなりません。特に、私たちの間ではかまわないのですが、インマヌエル教会が未信者の目で見ても良い教会だと見る程でなければならないのです。すると、駐車をどこにでもしてもかまわないでしょうか? 服も変に来て回っても良いでしょうか? そうではありません。未信者がみても感動を受けるクリスチャンにならなければなりません。秩序もよく守らなければなりません。未信者は、イエスを信じる人が少しだけ間違っても "イエスを信じる人がどうしたの?" というように言います。まだそうです。まだ希望があるのです。未信者に証拠を見せなければなりません。わざわざ模範を見せなければならないのです。人というのは、何でもないのです。その小さいことで心の門をあけます。そうしておいて福音を伝えなければならないのです。
 
・その次に、たぶん大きい教会に行くようになれば、相当な霊的イベントを準備すべきです。金曜日や土曜日に、周囲の多くの教会とともに力を得ることができることを準備しなければなりません。タラッパンの中には、本当の恵みを受けた人、本当の働きを起こす人が多くいます。こういう人々が、証しもして、そのようにしなければならないのです。何かを作りださなければならないのです。
 
・今は、賛美チームも良くしなければなりません。牧師にはジレンマがあります。賛美を専門的にしていては、牧会ができません。聖歌隊を正しく作るということは、本当に力を合わせなければならないのです。私がいろいろな所で教会に行ったのですが、賛美チームが正しくできた教会を見ました。汝矣島純福音教会の悪口を言う人もいますが、そこの賛美のチームがふざけたものではありませんでした。まず、人がものすごく多くて、その前にオーケストラの実力もふざけたものではありませんでした。黙祷を始めてから、その賛美に圧倒される程でした。
 
・また準備するべきことは、釜山インマヌエル教会にきて、通訳システムを見て、19世紀のものか?と気絶をしそうになったということです。これを正しく作るのには、お金が途方もなくかかるらしいのです。約2億円かかるらしいのです。そのようにできなくても、少なくとも 5、 6ヶ国は通訳されて入っていく程にはならなければなりません。このようにして、その人々が安らかに礼拝をささげることができるようにするのです。こういうもの等を本当に準備するのです。私たちの教会が、国際的なシステムを揃えなければなりません。知ったら、スヨンロ教会は、そのシステムだけで3億円かかったということです。
 
・今、インターネットでも韓国語でだけ出るので、外国人が大騒ぎしているということです。早くしなければなりません。釜山やソウルでも "準備中"とだけ言うのですが、いつできるかも分かりません。早くしなければなりません。メッセージを早く出して、みな聞くようにしなければならないのです。釜山でだけでも、通訳する人が30人は越えています。人物は多いのです。しかし、活用が出来ずにいるのです。早く力を合わせて、正しくしなければなりません。本当に祈ってみましょう!
 
・今日、合宿、チーム合宿が始まります。特に、外国から来られた方達がおられるならば、合宿中に試みを受けることがあります。合宿は家でないために、ちょっと苦労することがあります。静かに試みに会わないように。悪魔は、皆様が重要な人であることを知って、訪問してくるはずです。合宿は、マルコのタラッパンの祝福を、チーム合宿はアンテオケ教会の祝福を当然に受けなければならないのです。本当に祝福された一年と一週間になることを、主イエスのお名前でお祈りします。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。準備する教会になるようにしてください。正しい心で準備しながら、祝福を受けるようにしてください。本当に確実な心で準備しながら、神様の証拠を見る信徒になるようにしてください。2002年の今年は、2,800ケ所タラッパンをする教会とともに衛星での教会とともに、真の答えを受ける一年になるようにしてください。合宿、チーム合宿を受ける方達に、一生忘れることはありえない機会になるように神様にお祈りします。インマヌエル釜山、ソウル、蔚山教会に神様が共にしてくださって、神様が両手で祝福してください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
(The end)