(2002年 5月 12日インマヌエル教会 聖日メッセージ/ 柳光洙 牧師)


1部/ 多くの人を生かされたイエス
(マルコ3:7〜12)
 
  
 
 車が渋滞しているので、何故そうかと尋ねたところ、5月5日の子供の日なのでそうだと言いました。この頃は、むかしと違って、おばあさんやおじいさんも高級食堂で食事をひんぱんにするのを見るようになりました。今日、とりわけ食堂におとなが多くて、わかってみたら父の日でした。私は福音ゆえに通っているので、日の概念があまりありません。ある日、雰囲気が異常で見たら、私の誕生日のようでした。私はそれもよく知らずにいました。
 先週にTVで見たら、子供にたたかれる父母、行き場がなくてさまよう両親の内容が出てきていました。それで、理由はよく分からなかったのですが、退屈ならば親を殴って外に出るのでした。難しいような気がしました。インタビューされていた男の人は、そんなにおかしな人ではなかったのですが、そのように困難に会っていました。また、その前の週に見たら、子供達が一番たくさん虐待される人が父母と言われていました。いらいらしたら、子供達に向かってうっぷんを晴らすために殴るという内容を分析してみたら、80%が父母だと言われていました。そのようなことを見ながら、私は別の考えをしました。
 
 母の日、子供の日、そのようなことが重要ではありません。家庭が重要、社会が重要だという以前に、人間がみな崩れているのです。人間がみな崩れているので、このようなことがおきるようになったのです。それで、私達は真の愛国が何で、真の孝行が何かを考える時、クリスチャンは違う考えをすべきです。実際に私たち人間が崩れているのに、清掃したりするようなことが国の役に立つでしょうか? 夫婦、父母、息子の関係がみな崩れているのに、贈り物ということで孝行になるでしょうか? もちろん、そのようなことは、心を表わすことですが、根本問題は解決されません。今日、私と皆様が家庭の月だからということではなく、重要なことを考えるべきです。
 今、家庭も社会も、全世界がみな崩れています。実際には、米国や日本は経済がすごい国ですが、みな崩れているのです。私は米国へ行ってみて、はっと驚きました。子供達が隠れて、両親が知らないのに、おかしなことをしています。深刻な程度です。麻薬のようなものを子供達が隠れてしているということで、深刻だという気がしました。いったい何故、このようになったのでしょうか? 私は、今回、牧師たちが集まった時、こう話しました。信徒を呼んで、こういう事をしなさい、ああいう事をしなさいと言う前に、みんな隠れた傷があるのです。これが何でもないことのように見えるけれど、これを解かないと、一生の問題となります。想像以上に多いのです。想像以上に、幼い頃の傷が隠されていて、しきりに問題がくるのを見ることがあります。それとともに、私がこのようにしてはならないという罪責感を感じながら、しきりにそこにはまるようになります。そうでなければ、ものすごく高慢になったり、自分と比べるようになる人々を見ることがあります。そうしたあと見ると、人々が挫折してしまいます。すこし勇気を出しても、挫折してしまうので、気落ちするようになるのです。
 
 それで、21Cを迎えて一番たくさん生じた病気が、ゆううつ病です。思い通りにならないから、どんどんゆううつ病に捕われるようになるのです。この時、サタンはそっとしておかないで、すき間を利用して霊的な問題がくるようにさせます。それで、負債を負って家をみななくしてしまってもギャンブルをすることもあります。はなはだしい場合は、家庭をみな捨てて踊りに出て回ることもあります。そのようにおかしな状態へ行くしかないのです。それで、牧師達に頼みました。教会の信徒が来たら、仕事からさせようとしてはなりません。それが問題ではないのです。隠された問題が解決しないのに、どのように個人が成功するのでしょうか? これが解決しないのに、どのように祝福を受けるのでしょうか? 実際にこれがだめになるのに、社会が正しくなるでしょうか? こういう傷があるのに、どのように孝行することができるでしょうか? 実際には不可能なのです。
 
 みことばを見て悟りさえすればよいのです。はた目にはなんの異常もないようですが、幼いころの傷が、大きくなりながらますます問題がき始めるのです。私は少し前に、衝撃的な話を聞きました。私が何故、その部分を知らなかったかという気がしました。韓国で生まれて父母が責任を負えない子供達を外国に養子に出す働きをしている人に会いました。私は単に良いことだと思っていました。ところが、今回会うようになって、その方がこういう話をしました。私たち韓国人が、養子になっていけば、おもに金持ちの家に行くらしいのです。そちらに行って、勉強もして、成功もして、たくさん学ぶらしいのです。ある人は博士にもなって、医者にもなって、自ら成功をするらしいのです。このようにして大きくなって、ある日発見するらしいのです。「私は米国人ではなくて、韓国人だな、私が何故ここにきたのか? すると、国も自分を捨てて、父母も自分を捨てたのではないか? 幼い時、自分も知らないでこちらにきたのではないか?」これで、ほとんどみな崩れるらしいのです。考えてみればぞっとすることです。私は、この考えをすることができなかったのです。ほとんどすべてに霊的な問題がくるらしいのです。
 
 皆様が幼い時に持っている傷が、ものすごく重要です。それで教会学校、中高等部が重要なのです。それで、教会学校を強調するのです。もちろん教育を良くしなければならないのですが、それでは不可能です。父母なく孤児院で育ったとすれば、どれくらい多くの傷があるでしょうか? もちろん、勉強も良くしなければならないのですが、それでは不可能なのです。こういうのに、サタンがすき間を利用して攻撃するために、人間が勝つことができないのです。
 
 しかし、よく耐えることはできます。そうしたあと見ると、2番目の結果がくることになります。それで、人々が各種の病気に苦しめられるようになったのです。イエス様がこの地へいらっしゃって、2番目になさったことが、病人をたくさん直されたのです。ある程度、医者たちができる部分がありますが、出来ない部分が多いのです。
 
 使徒3章に、生まれつき足のきかない者は、医学ではどうにもできないのです。また、使徒8章にある霊的な問題から来た病気は、どんなに努力しても良くならないのです。全く同じ胃腸病にかかったのに、霊的な問題があってかかったことと、そのままかかったことは違います。はなはだしきは、ある人は腹が痛くて病院に行ったのに、異常がないと言われる場合もあります。皆一緒に病気になっても、原因が過労や失敗からくることもありますが、霊的な問題ゆえに来たものは違うのです。
 はなはだしきは、マルコ5章に完全に気が狂って、家を出て乞食のように生きていることを見ることができます。病院では直せないのです。マルコ9章に見れば、悪霊につかれててんかんになることを直すことはできません。それで、一番たくさん出ることが、肉体的には癌で、霊的には精神病です。今日、皆様がなんとなく神様のみことばを聞いて、なんとなく礼拝をささげるのではなく、神様の大きい祝福を受ける日になることを望みます。
 
 実際には、知っていさえすればよいのです。理解するということがとても重要です。「私の家はずっと偶像崇拝をする霊的な問題があったんだなあ」と悟りさえすれば終わります。イエスを信じる人は、悟れば終わるのです。「この暗闇の勢力が、四十年、五十年、私を捕まえていたんだなあ」と悟りさえすれば終わるのです。それで、今日、皆様に本当に祝福の日になることを希望します。
 
 今日、三番目に悟らなければならない部分があります。原因を解決しなければならないのです。11節に、「また、汚れた霊どもが、イエスを見ると、みもとにひれ伏し、『あなたこそ神の子です。』と叫ぶのであった。イエスは、ご自身のことを知らせないようにと、きびしく彼らを戒められた。」マタイ12:28〜30 これに勝つことができなければ絶対に答えを受けることができないと記録されています。聖霊が臨んで、神様の国が臨臨めば、既にサタンが縛られているのです。私たちは原因をよく知っていなければなりません。
 創世記3章から始まったこの問題が、今でも続いているのです。たぶん科学者が今日聞けば、理解できないでしょう。問題は、科学が正しいのか、神様のみことばが正しいのか、という問題になります。なぜ聖書に突然に「汚れた霊」という言葉が出てくるのでしょうか? これが重要な原因ということです。理解が良くできないでしょう。理解ができなければ、科学的な目ですこしより推測すれば良いのです。
 
 今、大韓民国の社会が、あらゆる政治、あらゆる雑誌、あらゆる経済が、易、シャーマニズムにみな捕われています。言わば悪霊につかれた人々に導きを受けるのです。正確に話せば、悪霊の導きを受けているのです。すると、その悪霊がどこから出てきたのか、今日の聖書に見ると、「汚れた霊」とあります。それでも分かることができないのです。すると、科学ではありません。科学ということは、実際的に見ることです。霊的なこと、肉体的なことを実際的に見なければならず、違うように見れば科学ではありません。
 
 私はそのようなことをたくさん感じます。コンピューター(computer)をする人にたくさん会ってみました。コンピューター(computer)のコン(com)は、ともに(with)という意味です。インターネット(internet)のインター(inter)は通じる(through)という意味です。科学ということは、事実通りに研究することです。本当に異常に見えます。コンピューター(computer)をする人が、最もcom(ともに)ができません。全部一人だけでしていて、comができないのです。インターネットをする人が、最もインターがなっていないのです。一人で部屋に閉じこもっているので、最もインターがだめなようです。すぐそばにいる人とインターができません。これも霊的な問題のようです。
 科学者が最も科学を知らないようなのです。霊的な科学を知りません。地球上に完全に問題がきたのに、その部分を否認するのです。見ることができないのです。だれかに聞いた話です。ソウル大の病院に行ってきた人の話です。ソウル大の病院に行けば、精神病院の精神病棟があるのですが、この病棟には‘聖書を持って入ってはいけません’というように書かれているということです。もちろん私は行ってみてはいません。行ってきた人の話なので、どれだけ正確かは知りませんが、とにかく、その方の話です。それが事実ならば、相当に考えなければならない部分です。ですから、これから多くの科学をした方とか、知識人がこの価値を知らないのです。自分自身が科学的でなくて、自分自身が非知識人であるということを知らなくて、自分のことだけを持って見ようとするので、そのようになるのです。
 それで、ある方が言うのには、今、選挙に出馬した方達が着ている服は、全部、易、シャーマニズム人が選んで与えるらしいのです。今日、どの服を着て行けばあなたが祝福を受ける、こういうような話をしてくれるということです。見たらそれほど格好が良いこともないのに、全部、悪霊に陥ってしまったのです。全部、悪霊につかれた人々がすることですから、実際に悪霊以下ということです。
 こういう問題が来ているのに、人々は知りません。おとなが知らずにいる間に、子供達が両親に話すことができなくて、先生にも話すことができなくて、する所がないために、悪霊に苦しめられる子供達が多くいるのです。それも、映画とか子供達に出てくることが全部悪霊の文化です。何故そうなのか、どんどん変わって行くのです。一度はTVを見ました。外国人が出てきたのですが、歌手でした。みつめた瞬間、その人が何故そのように出てきたのだろうかと思いました。髪の毛を逆立てたことは理解できます。目の下に色を塗っていました。とにかく異常でした。その次に見た瞬間、完全に悪魔の顔でした。ところが、多くの人々が熱狂するのでした。
 
 世の中がますます変に変わって行きます。日本に行って空港で子どものおもちゃや絵を一度見てみるように願います。これが全部、悪霊の顔です。子供達がしばしば見て、悪霊を見れば楽しみを感じるようになる程です。だから、子供達の絵や映画でしばしば見せるために、子供達が今持っている悪霊の概念が違います。今、日本の子供達と韓国の子供達は、悪霊と話せば、良いことでかわいいと考えるのです。どんどんこのように認識させるのです。
 今、深刻な霊的な問題が地球上に迫っているということを知るように願います。創世記6章にネフィリム時代がきて、社会がどんどん崩れて行くのに、理由を悟ることができないのです。今日は、皆様は、家庭の月であり、そして、家庭にみな関係している方達であるゆえに、絶対に3つを悟らねばなりません。今日の本文のみことばにあるまま、家庭で受けた傷は、ものすごく重要な影響を与えます。今日、青少年がここにいるのですが、家庭で両親から受けた傷がいやされないと、大きい問題がくることになります。それができないから、結果的に肉体的な問題がくるようになるのです。
 それで、あなたがたが2番目に記憶せねばならないことは、目に見えないことがより重要なのです。すると、方法は簡単です。それが、今日の三番目に悟らなければならない部分です。今、この地には多くの霊的な問題がきているんだなと皆様が悟れば、そのまま神様の答えがあるようになるのです。特に、私たちの村の区長、そして南航洞町長が礼拝に参加しています。南航洞町長は、私たちの教会の信徒で、区長は一年に何度かずつ来られるお客さんです。本当によくいらっしゃいました。本当に神様の祝福があるようになることを望みます。今、地球上に起きている最も大きい問題が何かを私たちの指導者は知らなければならないのです。
 今、韓国がしきりにおかしな方向へ行きます。大学生が、学校を卒業して専門性を生かさねばならないのに、ソウルに行けば占い師を作る学院がありますが、そちらにみな駆せ参じるのです。今、これがマスコミと指導者の責任です。学生が勉強しなければならないのに、易、シャーマニズムになると学院に行っても良いのでしょうか? 私達が若者をそのように導いてはなりません。一年に易、シャーマニズム人が急速に増えているということです。それで、この地に霊的な問題がどんどんくるようになるのです。
 今日、皆様が家庭の月、父の日を迎えて、孝行も重要ですが、本当に孝行できるようになる祝福を受けることを希望します。あなたがたが両親を理解しなければなりません。あなたがたが難しい時期にたくさ生きたのに、どれくらい多くの傷と痛みがあるでしょうか? これを手助けすることが孝行です。子供を教えるのに、どのように教えるのでしょうか? この子供達が持っている霊的な問題と傷を教会学校の時に直さなければならないという使命を持って教えることではないでしょうか? 特に、今日、皆様の問題を解決されなければなりません。
 理解できなくても、ずっと一度深く考えてみるように望みます。結論が何でしょうか? 結局、サタンのしわざです。いいかげんにではなく、一度深く考えてみるように願います。継続すれば答が出てきます。それなら簡単です。悟りさえすれば良いのです。Iヨハネ3:8 神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。イエス様がこうおっしゃられました。「わたしがあなたがたを呼んだのは3つの理由があります。」来週に出てきます。「あなたがたとともにいるためです。また、出て伝道するためです。悪霊を追い出す権威を与えるためです。」それが分からないでしょうか? 本当に目を開いて見れば理解できることです。それで、Iコリント2章12節にあなたがたに多くの恵みがあることを知るためだと言われています。Iヨハネ5章に神様の子供になったことを知るためだと言われました。今日、悟る祝福があることを望みます。たぶんよく悟れない人は、この答えと関係ないでしょう。
 ところが、どれだけ聞いても悟れないのです。また、深刻だと感じる人がいます。それを見て、「深刻だなあ。それで伝道せねばならないな。」と、私はこれを見て、祈らねばならない理由を知ったのです。私は神様を信じて神様の子供になった時、祈らねばならない理由を知りませんでした。なぜなら、神様の子供は、皆知ってないだろうか? という気がしたからです。ところが、それが違った考えではありませんでした。しかし、実際に人々を見たら、祈らねばならないというような気がしたのです。
 今日、皆様が悟りさえすれば良いのです。人々が大部分知らずにだまされているのです。ある人が尋ねてきました。「先生。私が先生と相談しなければなりません。」と顔が変にとても不安な姿できました。「私は、ある教会の長老です。少し前に私たちの父が死にました。ところがお兄さん三人は信じなくて、自分だけが信じているのです。父の葬式をしたのですが、お兄さんが言ったのは、占い師が今、私達が墓を誤って作ったので、早く新しくしなければ、家族がみな死ぬだろうと言った」ということです。それも有名な占い師が話したということです。ところが、恐ろしい事が起きたのです。本当に上の兄が死んだのです。それから約7ケ月過ぎて、二人目の兄も死んで、それから三人目の兄が病院に入院したということです。すると、これから自分の番ではないかということでした。「先生。すると、どのようになるのですか? 占い師の話が正しいということですか?」長老様に話しました。「長老は、イエスを信じますか? 」「信じます。」「では、良いのです。それは、占い師の話は間違いないでしょう。占い師は悪霊に取りつかれているゆえに、ある程度占います。決定的な瞬間に、とても重要なことは違っていますが、ある程度占うのです。長老が本当にイエスを信じるならば、終わったのです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを滅ぼすためです。罪と死の原理から解放されたのです。真理を知ると、真理があなたがたを自由にします。死からいのちに移っているのです。」 長老が分かりましたと言いました。まだ死ないで生きています。
 人が生きていれば、そのような不安が生じるのです。皆様がイエスを信じて神様の子供になったということがどれくらい驚くべきことなのかを知っているでしょうか? 皆様、2番目にどのようにしなければならないのでしょうか。だまされてはなりません。だまされないで。今は、福音を持って死んで行く多くの人と民族を生かすのです。
 皆様、幼い時から傷や願望を持っていた方達は、今日、解決されるように望みます。それがみなだまされることです。皆様、もし家庭に問題がある方達は、今日、みな解決されるように願います。ある重要な長老に会ってそのような話をしました。私の信仰をちょっと告白しました。私たちクリスチャンはだまされてはならないのです。あなたがたは、本当に素晴しい妻になって、夫になって、信者になるように祈ることを望みます。
 
 どんな部分でもだまされないように望みます。しばしばだまされるのです。あなたがたは、神様の子供になったゆえに、どんな問題がきてもかまいません。何故でしょうか? 今日、聖書を見ると、イエス様に会った人々は、どんな問題がきても解決されたのです。皆様が本当に良くない夫に会ったでしょうか? 祈ることを望みます。本当にあの夫が私に会ったことが幸いだと考えるように願います。祈ればよいのです。皆様を通じて祝福を受けるようになっています。本当に良くない妻と家族がいると考えているでしょうか? 皆様、こういう霊的な問題が解決できない以上、孝行もできず、何にもできないのです。今、これゆえに人々はみな崩れていきつつあるのです。
 ある教授会の集いに行ったことがあります。行ったら信者ではないので、礼拝できなかった集いがあって、行ったが帰る道でした。車を運転する人が言った話です。「教授たちが集まっていたのですが、みんな問題です。」「なにが問題なのですか?」「みんなの家庭がみな崩れてしまっています。」「すると、教授ができるでしょうか? 」出来ないということでした。みな崩れてしまったということです。子供もみな崩れているということです。その方達は、実力はあるのに、難しいということです。「離婚したということですか?」「そうではありません。協議して生きています。なぜなら、あまり恥ずかしいから実際にはそのようにして生きていて、子供達は家を出て、そのように生きているのです。」その話を聞きながら、異常だと言いませんでした。当然、そうでしょう。福音を知らなくて、どのようにできるでしょうか?
 
 おとな達に必ず頼みます。皆様の子供達が福音を知らなければ、絶対に外国に送るのを止めるように願います。皆様の子供達が福音を知らないならば、どのように行って生きることができるでしょうか? ある日、皆様の子供に霊的な問題がくるならば、実際は遅いのです。精神的な問題がきて倒れるならば、すでに難しい段階に入ったのです。私達が神様のみことばと福音を知らないから、このような問題に会うのです。
 私はある日悟ったのは、私たちの民族と家庭が、あまりにも多くの偶像崇拝と霊的な問題の中に陥ってしまったのだな。イエスを信じて神様の子供になれば簡単なのです。ところが、信仰生活をする間に、周囲で多くの困難がありました。ある日悟ったのです。私は神様の子供ではないか? 私は神様のしもべではないか? 福音を伝える者ではないか? 仮りに難しい人がいるならば、私のゆえに祝福されねばならないことではないか? 私は神様の子供ではないか? 私が影島に住むならば、影島が祝福を受けねばならないのではないか? 私が韓国に住むならば、韓国が祝福を受けねばならないことではないか? 私が職場に通うならば、職場が祝福を受けねばならないことではないか? 私は福音をそのように悟ったのです。
 福音はとても良いことだと悟れば、他の人が生かされるようになるのです。それで、自分で言い訳する理由がありません。あなたがたが理解を良くできないのです。世界の福音化をしようとするなら、職分者が理解しなければならないのです。「先生。どうしてそのような人を使うのですか?」とたくさんの人々が尋ねます。私が見ても本当におかしな人です。ところがそうではないのです。私に会った人々は、信者でも未信者でも祝福を受けなければなりません。滅んではならないのです。何故でしょうか? 福音がそのようになっているのです。私と共に生きている人や家族は、どんなに悪い人でも、その人を変化させねばならないのです。それが福音です。
 私は言い訳がなくなりました。理由がありません。その人がよくできないことは、その人が悟らねばならないことであって、私の責任ではありません。私はその人を手助けせねばならない責任があります。私たちクリスチャンは、必ず悟らねばなりません。未信者のように生きていけば、世の中に勝つことができません。特に私たちの教会は、これから数万名の多くの働き人がおきるはずです。皆様の家も大きい家に行けば、いろいろな人がみないます。大門に寝る人もあって、なかで寝る人もあって、そのようなことです。今、私たちクリスチャンが、福音を反対に知っています。
 福音ということは、立派な人を探すことではありません。福音ということは病んだ人をいやすことで、誤った人を正しい道へ行くようにすることです。何故でしょうか? 霊的な問題を本当に理解するならばです。ある方がこのように話しました。私たちの子供が礼拝時間に騒いで、霊的な問題がとても深刻で恥ずかしくて教会に出てくることができないと言いました。かまわないと言いました。それゆえに私たちお信徒が困るならば、困る目にあうべきです。教会の水準が何でこうなのでしょうか。福音はそのようなことではありません。福音は立派な人も生かさねばならなくて、良くない人も生かすべきなのです。
 イエス様に会った人は、全部みな生かされました。今日、皆様はメッセージを聞きながら、霊的問題が解決することを望みます。悟れば良いのです。今、私をこのようにさせたことが世の中で教えられることができない霊的な問題だなと悟れば良いのです。それで悟れば、神様の答えを受けることになります。そうしてこそ、家庭も良くなって、社会も良くなるのです。そうでなければ、そのように孝行ができるでしょうか?
 
 私は幼い時からそのように悟りました。本当に異常です。韓国があまりに貧しくて、救済を受けた時期がありました。私が幼い時だったのですが、ものすごく恥ずかしいという気がしました。何故、おとなたちは服をお互いもらおうと戦うのか、そのような気がしたのです。幼い時に見たら、私の両親がみな難しく生きているなという気がしました。可能ならば、難しい話はしてはならない、そのような気がしたのです。それとともに、私はよく生きなければならないが、韓国はあまりに難しいな、というような気がしたのです。私も知らない間に陥っていきました。ある日、これがまさに霊的な問題だな。聖書に答がありました。悟ったその日から実際に答えを受け始めたのです。今日、大きい祝福が始まる時間になることを希望します。
 
<祈り>
 神様、貴重な日になるようにしてください。本当に隠れた傷が解決される日になるようにしてください。私たちの隠れた霊的問題と子供達にある霊的な傷がなくなる日になるようにしてください。それで、人々が知らなくて悪霊に仕えて、霊的な問題がこの地にきたのですが、解決される福音を私たちに与えて下さい。これから私たちの教会が、伝道する教会になることを信じます。これから伝道して、これから釜山を生かす教会になるようにしてください。それ以前に、私達が霊的な祝福を受ける貴重な日になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部/信仰の人ペテロ
(使徒12:1〜25)
 
 
 私は福音を伝える牧師として、はっきりと与えるみことばがあります。本当にこの世の人々が、なぜ易、シャーマニズム人に行くのでしょうか? 不安だからです。未来がどのようになるか気になっているのです。そのように行けば、当てるのでしょうか? 当てる人もいます。未信者は決まった運命があるのです。ある面では、救われなかったサタンの子供であるゆえに、それが違っていると見ることはできません。問題は、霊的な問題が引続きくるのです。ある面で立場を変えて話せば、救われることができなかった悪魔の子供が、一生を占いに尋ねてみることは当然です。自信を持って言えます。本当に福音を持って重要な秘密があれば、絶対に滅びません。多くの方達が不安なのです。
 万が一よくできなければ、大統領の息子が拘束される事もあって、それまで集めたことをみな取られるようになります。すると、どのようになるでしょうか? たぶん私が知っていることは、そのような計画を立てたのではなくて、何かしていたのでそのようになったはずです。わざわざそのようなことではなく、なぜか会ったのに話していて、そのようになったのです。しかし、結果は途方もないことで出てきます。それが未信者の人生が行く道です。
 ある人が生涯をすべてかけて絵を描きました。何の絵を描いたかというと、人生に対することを描いたのです。暴風がものすごく一度に寄せ付けるの中で、船が倒れかけているのでした。私はよく描いたと思います。多くの知識人に本当に話す言葉があります。私が福音を受けて神様の子供になって、少しだけ知っていれば、時間がたてば神様の祝福を受けるようになります。皆様はどうなのでしょうか? 心よりこの契約を捕まえなければなりません。
 私は時々、牧師と多くの役員と食事をします。相談もするのですが、私は率直にある結論を出しておいてすることはありません。他の人がするままについて行きます。全体的なことを捕まえて、細部を捕まえません。全職員が共にするまま行きます。その方を尊重して共に生きるのです。その方が私のためにいるのではなくて、私がその方のためにいるから、その方の意見を尊重します。それが水準でもあって、神様のみこころです。
 例えば、私達がみな貧しい乞食だけが集まったのに、私がそこで金持ちを福音化することができないのです。状況がそれなら、どのようにすれば乞食生活を上手にやることかを話さなければなりません。問題は、話を聞いてみれば、祝福を味わっていないのか? という感じがします。人々の話を聞いて見ればそうです。クリスチャンが不安なのです。熱心にしたり、上手にやってできなければ、自分が祈りをしなくてそのようになったのか? と考えたり、他の人が会わない困難が来たら、自分が信仰生活を間違っているのか...と恐れながらずっと生きていくのです。ある時は平安がありません。それで見ると恵みもずっとさまよって受けるのです。一度はみことば受けて、ぱっと行ったのですが、聖書を勉強する方に行ったり、タラッパンに来たりしてあちこち飛び回るやりかたです。
 
 果して、私たちの人生は、そのようになることを神様が願っておられるのでしょうか? 私はそうではないと思っています。本当に福音を持って祈るならば、そうではありません。皆様が本当に祝福を回復すべきで、悟るべきなのです。私たちタラッパンで、合宿からあらゆる訓練まで、私たちの教会、蔚山、釜山などで始めからは良くすることができなかったのですが、時間が経つほど良くならなかったことはなく、なっていきました。
 私の場合は‘皆様となにをすべきか'ではありません。神様がどんな計画を持っておられるかを詳細に見るのです。神様が計画を持った人々が集められたのです。信仰生活をすればするほど、そうです。神様が皆様になにをなさることをお望みか? これをよく注意深くみることが牧会です。それならば、信仰生活は何でしょうか? 神様の計画を事実通りに見ることが信仰生活です。例えば、人々も神様の計画がみなあります。
 
 以前に釜山にここのオ執事が聖歌隊の指揮いらっしゃった時に、詳細に見ていました。ところが、ソウルに来るようになって、今、多くの隊員と賛美をしているのですが、私は今でも神様の計画を見ています。神様が私たちをどのように率いて行かれるのか。祈るとこのような部分をよく見るようになるはずです。
 私は神様にとても感謝します。驚くべき計画が、この教会に集まり始めて、伝道の門が開き始めました。あなたがたが、こういう部分を見ることができなければなりません。未信者がある日、よく行っていても滅びます。当然にありえることです。この部分をクリスチャンが知らなければ揺れるようになります。果して私達が日ごとに聖書にある答えを受けることができるのでしょうか? 果して時間が経つほど、未信者にも祝福があるのでしょうか? 確かにあるならば、探さねばならないのです。
 私はクリスチャンに、全世界にこの話を必ずしたいのです。ある日、聖書を私が見ました。信仰生活がどれくらいやさしいか分かりません。いつも神様がなにをお望みなのか注意深くみればよいのです。今、この時、私に何を希望されるのか? それを目標でするので、見るしかありません。だから人ひとりを見ても、神様の重要な計画を見ることになります。それで、私たちは小さな現場でも、神様の祝福が見えるのです。すると、私たちは全国と世界に本当に人が生かされる答えの門を神様が開いてくださるのです。
 やさしい話をしてみます。未信者は、なぜ吉凶を占って、易、シャーマニズムを訪ね歩きながら滅びるのかということです。簡単に話せば、未信者が使う単語があります。運命です。私たちはそこから抜け出しました。クリスチャンが、本当に聖書にある答えを受けることができるのでしょうか? できます!!今日、皆様がこの祝福を必ず受けるべきです。
 このペテロは、むかしにはそうではありませんでした。イエス様に‘キリスト’と告白して、途方もない祝福を受けました。その告白をして山に連れて行かれました。それ以前には見せません。私達がキリストもわからないのに、どのように祝福を受けるのでしょうか。その山には、驚くべきことにエリヤも消えて、モーセも消えて、キリストだけ残りました。そして、家に帰って来たら、税金を出すべきなのになかったのです。ペテロがどれくらい思い煩いに陥ってしまったか分かりません。それが以前のペテロの信仰生活でした。主は行ける神の御子キリストですと告白してきたのに、お金が心配になったのです。信仰というよりは、それがペテロの水準でした。後ほど、イエス様が死の前に立たれた時、イエス様を否認して逃げました。それがペテロの水準でした。確かにキリストと告白したのにおじけづいたのです。復活したことを知っていたのに、ヨハネ福音 21章に見れば、魚を捕りに海に行きました。それがペテロの信仰の水準でした。
 
 気をつけなければ、私たちの信仰の場合でもあります。大部分の人々がそうです。明らかに恵みを受けたのに、現場に行けばだめです。明らかに神様の子供だと告白をしたのに、未信者に負けるのです。なんでもない未信者であるだけなのに、イエス様に仕えていたのにぶるぶる震えました。私たちは教会にきては恵みを受けるのに、現場に行けば、不信の内に入っていく以外にないことも知らないのです。それならば、この時間がものすごく重要な時間です。
 ペテロは、以前にそうでした。ペテロが恵みを受けました。ペテロが、もはや復活なさった主に会って、実際に祈りの秘密を知るようになったのです。それを聖霊充満というのです。ペテロが実際に福音を正しく知って、祈りの秘密を知るようになったので、完全に変わりました。時間が経つほど聖霊充満がきました。人が完全に変わり始めたのです。
 
 ある日、何と話したでしょうか? 旧約聖書を引用しながら使徒の働き 2章 14〜21節に話すのを見ましょう。信仰ということは恐ろしいのです。以前は逃げたペテロが、足のきかない者をみつめてどれくらい確信が生じたのか‘私を見なさい!' 勇気が生まれたのではなくて、確信が生じたのです。「私にあることをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名前で歩きなさい。」ペテロがどのように、こういうことを話すことができるでしょうか?
 
 私も以前には、からだが病気ならば病院に行くべきで、それ以上は考えることが出来ませんでした。祈れば答えが来るでしょうが、医者とか、薬を利用して答えをなさらないか?という程度に考えていました。イエスの名前で祈る時、確かに聖霊が働いて、確かに暗闇の勢力がうち破られる科学的事実を知った時 "あ、祈れば良いのだ" と答を得たのです。
 前はペテロが「イエスについて通ったか?」という話にもぶるぶる震えたのに、使徒の働き 4章を見れば、死の前で "世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。!"と言いました。タビタが死んだのに、人が死んだら葬式をせねばならないのに、祈るのを見ましょう。このように信仰と不信仰が差が出るのです。もしかして不安な方はいますか? 不安に思わないようにしましょう。終わったのです。皆様が本当の福音を知って、祈りの秘密を知るならば終わるのです。もしかして未来が心配になるでしょうか? する必要はありません。本当の福音を知って祈りの秘密を知るならば終わったのです。皆様が自分で本当の祈りの秘密を持つ、それが聖霊充満です。本当に福音を悟ったということは、すべての問題が解決したということです。信者がこれがだめなのです。
 私は可能ならば、あなたがたと個々人に聖霊充満が何か相談する必要があると感じました。簡単に話せば、祈りの秘密について教える必要があるのです。私がもし、時々外国から重要な働き人が来られたら、何週間か一緒に通います。一緒に通っても時間がなくて、月、火曜日、食事の時に少しの間会います。残りは秘書がします。他の話はしません。祈りの話だけをします。イエス・キリストでみな終わったのに、祈ることがないのでしょうか。それで多くのことをのがすのです。その話を集中的にして対話をします。皆様が本当に神様の重要な祝福を受けねばならないのです。
 
 今日見ると、ペテロが明日殺されることになりました。ところが、明らかに寝ていて、天使が目をさまさせて出て来させました。ペテロは寝ていて、教会ではペテロのために祈っていました。途方もないみわざが起きたのです。既に知っている内容でしょう。ここで必ず言いたいことがあります。仮りに私がこのようになったとするなら、どのようにするでしょうか? 皆様が、このような目にあえばどうでしょうか? こういうことはあまり起きないので、ここまで考える必要はないでしょう。今、私たちのレムナントと神様の民が現場で困難に会う時、どのようにするのでしょうか?
 
 私はそれを考えて、ペテロを考えてみたのです。確かにペテロは明日、死にます。本人も知っていました。たぶん、ペテロは私が知っていることでは、2つのことを知っていたのです。サタンの戦略と神様の計画です。この2つのことを確かに知っていたのです。どれくらいサタン、暗闇の勢力があがくかを知っていました。しかし、これでもあれでも神様の計画は成就するという事実も知っていたのです。明日死ぬのに、今日寝ていたのです。
 
 米国とヨーロッパ、カナダ、オーストラリア、日本、全世界にいるレムナントに頼みます。絶対に人を見て信仰生活をすれば失敗します。必ず記憶しなければなりません。環境を見て信仰生活すれば大変な事になります。世の中を見てついて行けば、結局損をするようになっています。信仰生活は計算しながらしないで。必ずお願いします。本当に救いが確実で、聖書が神様のみことばならば、終わったのです。心配する必要はありません。
 今、あなたがたが現場に行ってみるならば、ここにみな陥って死ぬのです。ここにいらっしゃった皆様と聖歌隊はどうでしょうか? 教会に行けば、人ゆえに試みにあう事が多いのです。牧師、教役者など、試みに会う事がどれくらい多いでしょうか。ところが、皆様が契約を捕まえてすれば良いのですが、問題は外国にいるレムナントです。この人が試みを与え、あの人が試みを与え、話で雰囲気で、結局は耐えることができないのです。暗闇の存在はないでしょうか? ある日、確かに知って攻撃して入ります。大変な事になるでしょう。
 ペテロが2つのことを確実に知っていました。神様の計画があるのです。たぶん今夜、私を生かすと考えたのではなかったようです。私の感じではそうです。ペテロが楽に寝たことを見れば、神様に完全に任せたのです。これがものすごく必要です。単純に神様に任せて信仰生活を楽にするということではありません。すでに人を見て信仰生活をしたのではないということです。すでに環境を見て信仰生活をしたのではなくて、計算するのではないといういうことです。言わば、死んでもかまわないということです。こういう信仰に勝つ者はいません。皆様が神様の子供であることが明らかならば、福音はあらゆる問題解決であることは確実ではないでしょうか。祈れば答えられるという事実を知っているではないでしょうか。すると計算する必要もありません。
 私は、シャデラク、メシャク、アベデネゴが述べた言葉が、今でも私の胸に響きます。‘王よ。そこに対しては二度と話す必要はありません' なんの話でしょうか。「重要な人生なのに、死んで良いだろうか、私は生かしたいから一度だけお辞儀をしなさい」と王が言いました。その時、この青年達が何と話したでしょうか。「そこに対しては、2度と答える必要はありません。私達が火の中に入っていけば、主が生かすでしょうし、たとえそうでなくても、私たちはお辞儀をすることができない。」計算がありませんでした。それを見ましょう。誰が勝つでしょうか。神様のみことばは明らかなのに。この時、霊的な暗闇はあなたがたを離れ去るのです。確かに生きているサタンの存在は、皆様を触わることができないのです。
 チュ・キチョル牧師を見ましょう。十回死ぬのではなく、九回を死ぬこともなく、一度死ぬことなので、一死覚悟で。どうして、教会と牧師が生きるために偶像の前に手をついて礼をするだろうか。皆様、まだ答が出てこないのでしょうか? 易、シャーマニズムに陥ってみな死ぬのを見ながら、まだ答が出てこないのでしょうか?
 
 私はクリスチャン達が、本当にはがゆく思えます。終わったのです。あなたがた、特に私たちのレムナントは記憶すべきです。私は、レムナントに最も希望をかけているゆえに記憶すべきです。どんなことがあっても崩れず信仰しましょう。失敗したとしても崩れないで。失敗することもあります。人であるゆえに。家を出た放蕩息子は帰って来さえすれば良いのです。
柳)) ある学生があまりに麻薬を切ることができないでさ迷いました。この子どもが言う話が、米国に行けばまたするだろうということでした。かと言って行かないこともできない立場でした。その子どもに話しました。‘してもかまわない。行って祈りなさい。神様が勝つ力を与えて下さる' このメッセージを聞いた人が逆に恵みを受けて、柳牧師は麻薬をしてもかまわないと話したと言いました。人は悟ることをよく悟らなければなりません。
 重要な部分です。ペテロがどの程度かと言うと、人前で計算をしない程です。その話は、妥協をしない頑固な人物という話ではありません。既に環境ゆえにあっちこっち揺れる信仰ではないということです。重要なことを見たのです。福音の秘密と、祈りの秘密です。ペテロは勝利してしまいました。仮りにペテロが死んだとしてもかまわないのです。大きい問題にはなりません。今日、皆様が必ず記憶せねばならないことです。皆様、本当に時間が経つほど答えを受ける秘密を見るようになるはずです。私は私たちの教会に数多くの人を集めて教会の勢力を自慢するということではありません。絶対に滅びることのない弟子を数千万名立てるのです。こちらにきても良くて、こなくても良いのです。私とは関係ありません。しかし、神様がなさるはずです。皆様が聖書だけよく見ればよいのです。
 
 今、ペテロが完全に知っていたゆえに、明日死んでもかまわなくて、そうでなくても良いのでした。ところが、ある人は‘パウロは監獄で祈って賛美したゆえに、他の人も救われたのにペテロは寝ていたゆえに自分は生きたが、他の人は死んだ'と解釈する人がいます。私はそのように見ません。必ず膝を屈してすることだけが祈りではありません。たぶんペテロが神様に全てのものを任せて、神様の計画を見ながら、まちがいなく祈りながら寝入ったのです。皆様もそのようにしないでしょうか。明日死ぬのでも、まず疲れているので寝るべきです。そのまま簡単に寝るでしょうか。たぶん祈りを多くするでしょう。
 
 ところが、その日、驚くべき事が起こったのです。時刻表が大切なことで、神様は祈りをお聞きになって、驚くべき非常の働きをなさいます。12章 7節を見ましょう。「突然に主の御使いが!」 8節に見れば、「御使いが言って!」神様は、私たち人と他の非常の働きをなさるようになっています。時刻表が来ているのかが問題であって、まちがいなくなさいます。皆様は歴史を知っているでしょう。本当に祈るように望みます。
 250年間、キリスト教を迫害したのですが、明らかに神様の時刻表は来ました。信仰がなくて、霊的な目がくらんだ人は、あまり時間が長くて、いったいこれは何かと言ったでしょう。あまりにも正確な神様の計画です。今日、皆様が必ず契約をつかむことを希望します。信仰を逃さないで祈る時、非常の働きで主の御使い、主の天使を送ったとなっています。これが信者に現れる祝福です。間違いない事実です。祈りの答えがいつ来るかは、皆様の手にはありません。時刻表の問題で、まちがいなく来ます。どれくらい驚くべき神様なのか分かりません。
 
 私は福音を持って祈ったのに、いままでまちがいなく答えられてくるのを見ました。本当に祈るように願います。教会の中で祈る人がどれくらい重要か知っていますか? 教会の礼拝しながら、祈ることがどれくらい重要か知っていますか? 大部分のクリスチャンが、これを逃して、困難が来れば祈ります。その日の夜にペテロが寝ているのに、主の御使い、主の天使を送ったと聖書は確かに記録しています。大部分のクリスチャンが信じませんが、私はこの部分を信じます。大部分の信者がいたずらのように見るだけですが、私はこの神様のみことばを信じます。
 皆様の事業と仕事が本当に祈ればうまくいくようになっています。私たちの教会がどのようになるのでしょうか? 時間が過ぎれば、うまくいくようになっています。時間が過ぎれば、祈りの答えの門が開かれるようになっています。本当に真の弟子が連結してくるようになっています。本当に私が福音を伝えるか、皆様が福音を持った人なのか、神様はご存知です。心配する必要はありません。この契約を捕まえて祈り始めればよいのです。その中にみな入っています。
 ある人は、この部分を聞いて‘何故、先生は天使の話をするのか'と言いますが、それは知らないからです。マタイの福音書1章 26〜31節に何となっているでしょうか? マリアが赤ん坊を持つことを誰が話したのでしょうか? マタイの福音書 28章、イエス様が復活なさった時、死体をさがそうと来た人々に最初に知らせた人はだれでしょうか。イエス様の再臨を話した白い服を着た二人はだれでしょうか。これをみな抜けば、聖書が何でもなくなります。私は信じます。皆様が今日、みことばを聞いて少しだけ祈れば、神様が主の御使いを送ってくださいます。出エジプト記 14章 11節に‘モーセの前に' と言われています。今日、皆様が本当の信仰を回復すれば、皆様の事業する所に、皆様が行く前に。
 とても小さなことゆえに仕事ができません。ほとんどの主のしもべ、子供達が信じないのです。神様は強盗ではないために、信じないのに与えたり、信じるのに奪い取って行かれることはありません。悪霊のように無理に人にひっくり返してかぶせたりしません。信じないのにどのようにするでしょうか。本当に信じてくださることを望みます。時間が経つほど、この世を離れる時まで勝利するようになっています。間違いありません。私はある日、これを発見した日、とても幸福になって恐れがなくなりました。心配する必要もなくて、穏やかで、神経を使う理由もありません。全部みな任せてもかまわないのです。なぜなら、神様は死んだ神様ではなくて、生きておられる神様だからです。今でも聖霊で正確に働かれます。ヒゼキヤが死にそうになった時、祈ってどんなことがおきたのでしょうか。U列王記19章35節に‘その夜に主の使いが'とされています。
柳)) 私は皆様に話したと思いますが、ある宣教師に聞いたのです。お金を持って行った時に、強盗が刀を差し出したので、そのまま与えたということです。今月の生活が難しいと祈っていたら、寝ている時に、この強盗2名がまた訪ねてきたのです。お金を与えたのに、何故また来たのだろうかと驚いて見たら、お金をだして膝を屈して申し訳ないと赦してくれと言ったそうです。宣教師が福音を伝えて、結局、彼らがイエスを受け入れました。この強盗が受け入れた後に話したのは、宣教師のお金を奪い取った瞬間、後に銃を持った軍人が10人いたということです。どのように逃げたのか分からないけれど、とにかく逃げたのに、とうていそのままいることができなくて、またきたと言いました。そのようなことがないでしょうか。幻想を見たのではないかと宣教師は話したのですが、この方が帰ってきて証しをしました。金曜の徹夜をしたその時間に宣教師を派遣した10名が一致協力して祈りをしていたのでした。その時間とぴったりと合っていました。本当に不思議なことです。しかし異常なことではありません。それは科学的なのです。聖書を見ましょう。
 今日驚くべき事が起きました。もっと驚くべき事が行われました。22節から‘そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続けた。するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。' 気落ちしないように願います。必ず時刻表は来ます。ある日、福音を防止する親分のヘロデを神様が破ってくださったのです。ところが、福音は全世界を福音化しました。一番福音を防止したヘロデを神様が呼んで行かれたのです。時刻表の問題で、必ず結論はきます。
 23節に見ると、虫にかまれて息が絶えたとあります。神様がヘロデを殺すのに、軍隊が必要ではなかったのです。人を呼んで行かれるのに、刀、銃が必要なのではなく、23節に虫にかまれたとされています。簡単な話ではないでしょうか。神様が事をなさるのに、人を呼ぶことは簡単だということです。皆様、心配する必要はありません。信じられないでしょうか? 皆様が死ぬ日があると考えればよいのです。神様だけがご存知です。生まれたのは、神様が送られたのです。人間は獣とは違います。‘ある日' これがどのように偶然でしょうか。福音運動がおきるのに、ペテロが息をふきかえして、迫害がより激しくなったのです。ヘロデが突然に死にました。これは偶然でしょうか? たぶん、この人達は、どうしてこういう事が起こったのかと話すはずです。
 聖書は記録しています。 23節にも見れば、少し前にもペテロを助けたのに、ここではヘロデを打ったとされています。必ず結果は来ることになっています。皆様の信仰は、必ず勝利するようになっているので、信仰を持つように願います。そして、重要な祈りの秘密を悟れば、みな解決するようになっています。皆様が本当に福音を悟って、祈りの幸福を本当に理解するならば、聖書の答えそのまま受けるようになるはずです。今でも間違いありません。
 クリスチャンがこれがだめだから、絶妙に違って、あがいてもだめなのです。一番悟って答えを受けねばならない部分です。今週に本当の答えを受けなければならない部分があるならば、この部分です。ペテロがどんな信仰を持ったのでしょうか? 努力するなということでしょうか? そのような話ではありません。皆様が重要な目が開かなければなりません。ペテロは既に重要な目が開いていました。これは何の事件でしょうか? ペテロは祈りの秘密を持っていて、これから起きることを確かに知っていたのです。仮りにその日、ペテロが死んでもかまわないのです。それでも神様は勝利なさったのです。神様はペテロを生かされたのでした。私はこれを悟って、神様にどれくらい感謝したか分かりません。これは説明することも大変です。ほとんどすべてが負けていて、無理にするのです。正しく答えを受けなければなりません。
 私は学生達を集めてdiscussionすることをするなと言います。回りながら不信仰を話すことができないから、無理にでも信仰を話さなければならないでしょう。そのように、異常なことはあるでしょうか。初めて大学の働きに入った時、CCC、ネフィゲイト等、みんなdiscussion するので、そのようにしないでと言いました。知らないのに何のdiscussionでしょうか。では不信仰を持って集まれば、不信仰なdiscussionにならないかということです。今日、皆様が本物の神様の祝福を受ける貴重な時間になることを願います。
 今、ほとんどの人々が不安で、どうしたら良いのか分からずにいます。クリスチャンはそのような必要がないのです。私はある日、福音はすべての問題の解決だということを知りました。運命の中から私を救い出されたことを知ったのです。悪魔の手の中から私を抜き出してくださったことを知ったのです。そして、運命、運勢から抜け出てきたのです。それで、神様の子供として呼ばれたことを知りました。すると何でしょうか? 暗闇の勢力と不信仰が、しばしば私を攻撃するのに、今日、神様が聖霊の充満と天の御座と主の御使いを準備くださって、私の祈りに答えてくださるということを知ったのです。その契約を捕まえて祈りし始めました。何も難しいことではありません。定刻の祈りの時は、聖霊充満を与えてくださいと集中して、その他には安らかに祈ればよいのです。すると、答えの門がずっと開きます。
 今もいろいろな問題がありますが、人々を置いてずっと祈ります。戦う必要はありません。やってみるよに願います。3日間ずっと祈れば、みわざが起きることはもちろんで、皆様自身に全てのものが回復します。健康問題があるでしょうか? 3日間、祈ってどんな祝福があるのかを確認するように願います。難しいことではなくて、そのままなせば良いのです。仕事をしながら祈りましょう。賛美も何となくすれば半分死にます。本当に祈る賛美をすれば、証しが出てきます。皆様が本当に祈りながらメッセージを受ければ、6日間に答えがきます。わざわざ家から出て祈って、そのような必要はありません。
 
柳)) 私はメッセージを準備する時、あちこち回りながらします。道を行きながら文章を書くのです。飛行機のなかで文章を書くのに、度々きて何か尋ねれば、そのようにしないでくださいと言います。私の立場がそうです。どのようにすることもできないからです。皆様は家からいらっしゃったでしょう。私は昨日、釜山へ入ったのですが、今日ソウルに来たし、またタンザニアへ行かなければなりません。止むを得ないのです。健康は維持しなければならなくて、メッセージをして精神を整えなければなりません。私の能力でできるでしょうか? 一日、数ヶ月ではなく、10年を越してしています。どのように人の能力でできるでしょうか。ところがとても簡単な方法があるのです。ずっと祈ればよいのです。ある時はだめなように見えても、後ほど見れば完璧です。
 タラッパンのことを賢い方達がいろいろ言ったのですが、今はほとんど言いません。申し訳ないけれど、その方達は一つもできることがありませんでした。ご飯もやっと召し上がっています。祈りに勝つことができるでしょうか? 神様の能力に勝つことができるでしょうか? 私たちの教会を見て、いろいろな話をした人が多いけれど、今はしません。何が真理でしょうか? 正しいことが真理であって、間違ったことは真理になり得ません。誰が神様の能力と、福音と神様の祝福に勝つことができるでしょうか?
 
 みことばを要約しましょう。単純によく信じなさいはということではありません。ペテロが知っていたのです。この地に生きる間、霊的な戦いすることと、神様の計画が何かを知っていました。簡単に話せば、ひとつしかない命を神様に任せたのです。その日の夜にペテロは祈りました。確かに神様の働きは起きたのです。そうしていたら、ヘロデ王は死んで、福音は世界へ行ったのです。こういうことをペテロはよく知っていたのです。
 
 私たちのレムナント、青年達、多くの学生達に頼みます。皆様の信仰生活を上手にやる必要はありません。今、答えが全くなくてもかまいません。大きい事がなく、業績がなくてもかまわないのです。この福音を捕まえて祈ることを望みます。私は神様の子供です。すると、神様は私に答えてくださるはずです。皆様が祈る時、相当な答えがおきます。間違いありません。少しだけだまされなければ良いのです。何故人を見てはならないのでしょうか? 人々がしばしば不信仰を与えるからです。世の中を見てだまされるなという話は、世の中を正確に見なければ、世の中が皆様を紛らわしくさせるということです。皆様の環境が祝福の環境なのに、その環境が皆様を混乱させることがあります。心配して、計算して頭を使う必要はありません。それは運命とサタンの権威にある未信者がすることです。私たちは完全に解放されました。
 今週に必ず祈りの課題をさがすように望みます。福音は、あらゆる問題の解決であることが確かです。すると、祈る時、神様が霊的な働きをたくさん始められるということです。最も安らかな中に、どのように最も祈りの祝福を味わいながら勉強して仕事をするのでしょうか。どのように、私が祈りの答えを味わいながら、事業して職場に通うのでしょうか。一つだけ悟れば良いのです。ペテロはみな任せて監獄の中で、まちがいなく祈りしながら寝たのです。皆様がこの契約を捕まえる瞬間、1年、2年が過ぎて、皆様の事業、家庭、個人、あらゆる面に本当に感謝することができる証拠が出てくるはずです。ペテロのように勝利する皆様になられることを主イエスの名前でお祈りします。私たちの教会に大きい証拠を与えて下さるので、それを捕まえて祈ることを主の御名でお祈りします。
<契約の祈り>
神様に感謝申し上げます。私達に最もやさしい信仰を難しくさせる者にならないようにさせてください。神様の真の祝福をのがして、人の方法について行く者にならないようにさせてください。祈れば起きる科学的なことを知ることができなくて、紛らわしい色々な理論に引っ張られないようにさせてください。最も実際的な神様のみことばをのがして、いろいろな人の理論にだまされないようにさせてください。それで、これから、今日から、驚くべき秘密が始まる、勝利する信徒になることを信じます。時間が過ぎるほど神様の計画を発見することを知るようにしてくださると信じます。今日、この席に参加した方達が、証ししなくてはいられない、真の恵みをくださることを信じます。これから、首都圏に 2,000ケ所みことばを起こす驚くべき働きが起きる教会になることを確信します。釜山と蔚山、またいろいろな地域教会、衛星で礼拝する所に主の聖霊で働いてください。今、インターネットでメッセージを聞いている主のしもべと私たちのレムナントに働いてください。神様のみことばを聞いても悟ることができないようにする不信仰と暗闇の勢力が、今日、イエスの名前で崩れるようにさせてください。今日、この席に病気の人がいるならば、主イエスの名前でいやしてください。家庭の問題がある者が、主イエスの名前で解決するようにしてください。色々な人の葛藤と職場の問題を持った人々に主イエスの驚くべき力が現れるようにさせてください。今日、産業、職場に問題がある者が、主の御使いを送ってくださって、聖霊の働きがおきるようにさせてください。特に今日、私達が知らずに持っている病気があれば、主イエスの名前でいやされる時間になるようにさせてください。より重要な霊的な剛健さを受ける時間になることをお祈りします。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。 <アーメン>