(2002年 6月 2日 インマヌエル教会聖日メッセージ/ 柳光洙 牧師)


1部/ 神様の国の秘密
(マルコ4:1〜20)
 
 
  
 道に迷ったら、今日は、なんだか運が良くないと言う人があります。それは、実際にそうではなくて、道をよく知らなかったり、間違って案内をされたりしたからです。信仰生活も全く同じです。熱心に信じるより、みことばを正確に理解して信じなければなりません。大部分の人々が、この部分で失敗しているのです。それほど、神様のみことばは重要です。人の話も重要ですが、神様のみことばは、とても重要なのです。
 私に一番の重要性を聞かれるならば、伝道よりももっと重要だと思います。なぜならば、間違った伝道をしてはだめだからです。皆様が、信仰生活に必ず成功する道がここにあります。ある人はこのように話します。みことばを聞くだけでどうするのですか、何か行なわなければならないのにと言う人もいるのです。本当に正しい話ですが、だいぶ問題がある話です。相手が‘あなたの行いはどうなるか' というように出てくれば、やられてしまうでしょう。それより重要なことは、みことばを正確に理解することです。なぜならば、神様のみことばは完全だからです。クリスチャンが良くできないのは、ここからだめになるのです。皆様が絶対にだまされないで、神様のみことばを最も正しくよく理解することが、最も信仰生活を良くすることです。学生達が、勉強を良くしようとすれば、学校にも行って、課外もしますが、元々、先生のことばと教科書をよく理解すれば良いのです。
 アレクサンダー大王がこう話しました。‘本当に不思議だ'‘なぜ、あのイスラエルはみな滅びたのに生き返り、またみな滅ぼしても生きて返るのか'‘どのようにして、あの国がエジプトに行って抜け出したのか'‘話はそうでも、どのようにして、あの難しいエジプトに勝って、荒野の道を歩いてきたのか?' 臣下がアレクサンダー大王に、このように話したということです。‘閣下、それは聖書をよく読んでみれば分かります'‘すると、聖書にその話がみな入っているのか?' そうならば、聖書を自分の国の言葉で読めるように翻訳しろと命令したということです。それで、ヘブル語をよく知って、ギリシヤ語がよく分かる人であり、学者で、それとともに信仰がある人を選んだのですが、70人を選んで翻訳したのに、100年かかったということです。もちろん、している途中で死んだ人もあります。死ねば他の人を立てて数を補充したということです。それで、聖書を完成したのでした。その聖書が有名な70人訳だということです。とても重要な聖書です。ところが、それで終わったのではありません。アレクサンダー大王が建てたマケドニアは、世界を征服し始めたのでした。ですから、米国時代以前には、マケドニア時代と言えば良いのです。ヨーロッパが、簡単に話せばマケドニアです。どれくらいみことばが重要か分かりません。
 
 ウエリスという人が‘聖書は、本当に神様のみことばに間違いないのか?'‘この通りにすれば、本当に良いのか?'と疑問が生まれ、ところが理解できない部分もとても多いのです。このようにして、批判している途中で、膝を屈したということです。それで、その人が新しく文を書いたのでした。その作品が "ベンハー"です。この人が、聖書を読んでいて、悔い改めたのでした。聖書を皆様が本当に理解するならば、まちがいなく成功します。今日、皆様に重要で良い日になるように願います。
 ボールツインという人がいました。‘聖書はつじつまが合わなくて、非科学的で、特に自分には必要はない.'‘すこししたら、聖書は他の人にも、まもなく必要なくなるだろう'と予言をしました。その予言して50年後に聖書は二百いくつか国で翻訳されました。いままで一番たくさん読まれている本です。
 イエス様が海や山に行って、たくさん教えられました。今日は、海で教えられたのです。重要なみことばをなさる時はそうです。あなたがたは、今日のみことばを正しく分かるようになれば、生かされるようになります。
 
 皆様がここに座っているのに、どうして座っているのでしょうか? 皆様は、大学に行きます。どうやって行くのでしょうか? もちろん、試験を受けて行きます。しかし、行くことになる以前は、話を聞いたためです。私達がある病院へ行きます。私たちは、探していくこともありますが、聞いたので行くことになります。人の話でもそうです。
 皆様、神様のみことばがどのようなものかを一度確認してみるように願います。もし、ここに、牧師がここにおられるでしょうか。牧師の説教を聞く方がいらっしゃるならば、3年前に説教のタイトルを一度出してご覧になるように望みます。あなたがたが、どれだけ重要で、礼拝が重要であるか、教会が生かされるかを知りたければ、説教のタイトルだけをご覧になるように望みます。皆様は、驚くことを発見するようになるはずです。これが、そのまま成就しているということを知るようになるのです。説教のタイトルがあちこちしているとするならば、皆様と教会があちこちしたということが分かるでしょう。なにか説教に確かな哲学がない、すると哲学がない教会になるのです。説教がなにか律法的だとすると、全部みな律法に押さえられるようになるのです。説教に主体性がないなら、ほとんど主体性がない自分と教会を発見するようになるはずです。本当に驚くことです。皆様、今日、神様のみことばを捕まえてくださるように願います。
 ノア時代に、神様のみことばを冗談に思いました。‘何で災いが来るか? 私達がこのように裕福に暮らしているのに、なぜ滅びるというのか?' ある日、その事がやってきました。ソドムとゴモラを見るように願います。神様のみことばを平気に考えたのです。一番に滅ぼされたパリサイ人が、神様のみことばをとても見くびったのです。今、地球が難しくなった理由が、未信者が神様のみことばを聞かないからです。悪霊につかれた人を訪ねて、お金を出してまで聞くのに、神様のみことばは聞かないのです。私達が人の話に耳を傾けながら、神様のみことばは聞きません。未信者が滅びるのも、神様のみことばを聞かないからです。
 
 今日、ものすごく重要なみことばが出てきました。私は、教会生活をしながら、三種類の人を見ました。教会は通うのに、神様のみことばを軽んじる人を見ました。そして、礼拝をとても見くびる人。私はそのような人をたくさん見たのです。そして、必ず礼拝時間になれば、みことばを聞くことができない人。私は、その人々の未来を知っています。ある人は、礼拝時間になれば、眠気に勝つことができないのです。TVを見る時は、よく見るのに、礼拝だけはそうなのです。普通の悪霊の病気ではありません。そして、変に他の話はみな入るのに、みことばが入らないのです。教役者も見れば、みことばを聞くのに関心がない人々をたくさん見ました。一名も例外がありません。成功できないのです。ある日、深刻な問題がきます。そのように思っていれば良いでしょう。間違いありません。
 私が伝道師の時期を長くしながら、みことばを聞くことを悟ることができなかったのです。そして、試みにあう教会の中にいながら、多くのことを見るようになったのです。私は、高慢さだけが残りました。‘私が牧師になれば、あのようにしないのに。私が長老ならば、そのようにしない。なんで、あんな状態で' といつも、そのように考えていました。私にみことばが生き残らなかったのです。ある日、私が死んでいくということを知るようになりました。副牧師になって伝道しながら、熱心に通いながらも、みことばに恵みを受けることができなかったのです。それで、率直に話すのですが、伝道の働きはずっと起きるのに、私の後では、問題が解決する日がありませんでした。問題が続いたのです。家が安らかではありませんでした。私の周囲が安らかでなかったのです。私はそれでも、私がよくできないから、そうなのだと思っていました。人が間違っているから、そうなのだと思っていたのです。私はそれを発見できなかったのです。そのようなある日、偶然な日でした。‘私が礼拝を正しくささげることができないのに、これからどうするのか?'‘私が仮りに担任牧師になって説教をするのに、私のように私たちの信徒が説教を聞くことができないでいたら、どのようになるだろうか?' ある日‘私が、何故このようになったのか?' 神様が私に悟りを下さったのでした。‘礼拝を正しくささげるべきで、神様のみことばを悟らなければならない。’と思ったその時から、あらゆる祝福が回復し始めたのです。どれくらい簡単でしょうか。皆様がたぶん私の話が平気で聞こえるかもしれません。
 ある方が、重要な病気にかかって訪ねたら、私の手をしっかりととらえてみことばを聞くので、声には出さなかったのですが、心の中で‘遅かった'‘あなたが健康な時に、みことばをこのように受けるべきだったのに'と思いました。そのような人々をとてもたくさん見ました。絶対に勝利できないのです。
 教会に通いながらこういう人も見ました。みことばを過度に解釈して執着する人を見たのです。みことばを正確にしないで、とても狂ったようにする人がいました。すると失敗します。私が見ると、みことばをよく理解する人が勝利しました。これがどれくらい重要か分かりません。死ぬか、生きるかという道です。
 後で聞いた話です。カーター大統領が韓国にきた時、朴正煕大統領にメッセージをしたということです。あらゆる業務をみな終えて、個人的なことでメッセージをしたということです。たぶんそれが、朴大統領は、自分に最後のメッセージだということを知らなかったのです。そのカーター大統領が、大統領職を止めて外交官で北朝鮮に行った時も、金日成主席にメッセージをしたということです。私が見るには、カーターという人は、普通の人ではありません。業務をみな終えて、金日成主席にメッセージをしたということです。それが、金日成氏に最後のメッセージでした。普通に考えたということです。‘私は、以前に教会に通っていた'‘私もみな 信じてみた'と返事をしたということです。本当に愚かな人です。近いうちに彼は死んでしまいました。神様のみことばが、どれくらい重要か分かりません。
 今日、神様のみことばをよく理解しなければなりません。4:9と 10節 11節をよく見なければならないのです。9節に「聞く耳がある者は聞きなさい。」そして、11節 12節には、他の話が出ています。11節に、「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。」12節に、「それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」と言われています。
 今日、ものすごく重要なみことばが出てきました。みことばを、たとえで言われたことは、わかるようにするためで、またみことばのたとえを言われるのは、わからないようにするためです。簡単に話せば、そういうことです。これは何の話でしょうか? みことばをたとえで言ったことは、わかるようにするためだと言われ、また、ある人にはわからないようにするために、たとえを言うと言われたのです。これは、なんの話でしょうか? 12節に、彼らにはわかららないようにたとえを言うとされました。また10節を見れば、聞く耳がある者は聞きなさい。と言われました。3節には、彼らにこの話は、みことばをわかるようにさせるためでした。いったいこれは、何の話でしょうか? イエス様は、たとえを多く語られました。しかし、このたとえを聞きながら、重要なことをのがすことがあります。だれかにはわかるようにして、だれかにはわからないようにされたのです。それで、たとえを言ったとされています。どれくらい重要な話でしょうか。今日、皆様が神様のみことばを聞いて、本当にいやされる創造の働きが起きることを希望します。すると、神様のみことばを分からなければなりません。これは何の話でしょうか?
 
 12節にある、彼らとはだれでしょうか? 今日、皆様が必ず覚えるように願います。ローマの政治家、イスラエルの王、アケラオ・ピリポ・アンティパス。高慢なかぎりをつくしている律法学者。とても系図ばかりを捕まえて恵みを受けることができないレビ人。福音の反対のことを堅く捕まえているパリサイ人。わかるでしょうか? その人々はわかることができないようにさせたと言われました。この話が、その話です。それで、道端に落ちた種。4節 15節に出てきました。だから、悪魔が奪って行ってしまうと記録されています。根をおろすことができません。岩地に落ちました。5節に出てきたし、16節、17節に説明されています。どのように、困難や迫害に勝つことができるでしょうか? いばらの道に落ちました。7節に出てきて、18節、19節に出てきます。世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がぎっしりつまっているのに、みことばを悟ることができるでしょうか? しかし、良い地に落ちました。実を結ぶのです。それで、今日、皆様がみことばを悟れば、必ず実を結ぶのです。正確なみことばを悟れば、正確な実を結ぶようになります。確かです。
 私は、国会議員が訪ねてくる時、福音をあまり伝えません。聞くことができる耳がないのです。この人が、私を見る時、何に見えるかというと、票に見えるのです。得票。いったい、この牧師の後に何票あるだろうか? これがぎっしりつまっているために、私がメッセージを与えても聞く耳がありません。当選して、挨拶しようときます。その時も、私がメッセージをしようとはしません。この人には、耳がありません。どれくらい気分が良くて、意気揚々となっているか分かりません。「私が国会議員になった。私が市長になった。私が大統領になった。国民が私を大統領に選んだ。私たちの国民が、私を国会議員に選んだ。」みことばが入って行くでしょうか? 絶対に入って行きません。入って行ったかの様に見えるけれど、岩地、いばらの道、道端。でなければ、世の中の力、欲が満ちているのに、みことばが入っていくでしょうか? ほとんどすべてが、みことばを悟れるかどうかなのです。
 今日 8節と 20節に見ると、良い地に落ちると、30倍 60倍 100倍の実を結びました。20節に出てきていて、8節に同じみことばがあります。皆様の子供達に、なぜ、教師と伝道師が重要なのでしょうか? 子供達がみことばを悟れば、まちがいなく生かされます。皆様が本物のみことばを聞きながら、祈らなければなりません。中高等学校の学生達の中に、違ったことだけがどんどん入っているために、皆様の子供が勝つ力がありません。この子供達が、みことばを悟れば、生かされるようになります。
 
 すると、3節にこういうみことばがあります。2節に見れば、これにイエスが色々なことを比喩で教えられた、その教える中に彼らにこう言われたとなっています。9節に、そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」今日、簡単に皆様が祈りの答えを受けることができます。神様のみことばをどのように悟らなければならないのでしょうか? ところが、大部分が違うように悟っています。私もむかしには、単なる種をまく話だと思っていました。神様のみことばをよく悟ればできるのだと、そのように思っていました。そのみことばではありません。神様が、だれかには聞くようにさせ、だれにかは聞けないようにさせられているということです。
 皆様が、教会で礼拝をどんなにささげても、実際に祈りの答えがないことがあります。事業家が、いろいろな人に会います。しかし、実際に書類で契約がなされて、印鑑を押されてこそ事業が進むのです。私達が、教会で数多くの説教を聞きます。みことばをおっしゃる神様と、聞く私達が一致する時に、みわざが起きるのです。
 この前、釜山の老会をする時、蔚山の教会を訪ねました。略図を見て行くのに、この略図が、どのようにそうなのかと思うほど、蔚山に住んでいる人だけが分かって、他の所から来た人には分からない略図でした。 どの道に入らねばならないかという方向がなかったのです。単に、略図だけが書かれていたのでした。それで、私が‘これは蔚山に住む人だけが分かる略図だ'と言いました。私達は探すのに、苦労しました。
 すると、今日、神様のみことばをどのように悟らなければならないのでしょうか? 皆様が簡単に理解しなければなりません。今日、ここを見ると "神様の国の秘密" というようになっています。4章 11節です。神様の国の秘密をあなたがたには与えたが、他の人には全てのものをたとえで言います。今日、皆様が教会に通うことが重要なのではなくて、本物の答えを受ける秘密があります。いったい聖書のみことばは、何故こういうことを記録したのでしょうか? それを知らなければならないのです。
 私がエステルを呼びました。そして、話をします。私が何か話そうとすることがあるのです。これをあげると言います。私は、この話もでき、マイクの話もできます。しかし、まさにエステルに与えようとすることはこれです。これを知っていなければなりません。たとえば、長老にお手伝いを頼んだとしましょう。‘重要だから、これを長老に必ず持っていってください'とお願いをします。そして、食事でもちょっとあげます。そして、行く道で、いろいろな他のお手伝いもお願いします。ところが、違ったことをみなしても、長老に持っていくことをのがしてしまえば、失敗するのです。‘長老。食事もして下さい'とあげました。ところが、長老が本当に重要なことはのがしてしまって、‘先生が食事しろとおっしゃった’と思えば、本当に違ったことになります。多くの方達が、みことばをそのように理解しています。それで、信仰生活がだめなのです。骨子があるのです。
 ある方が、こういう話をします。‘先生、聖書は、歴史的に何かおかしいのですが'聖書は歴史的に間違わないけれど、歴史のための記録の本ではありません。あるものは、一節の間で千年にもなっていることもあります。あるものは、一週間の事が数十章で記録されていることもあるのです。‘先生、聖書が科学的に理解ができない部分が多い'と言います。聖書は非科学ではありません。しかし、科学を説明する本ではないのです。誤って知っているのです。
 聖書は簡単な話です。なぜ人間が滅ぼされるのか、それに対する答えです。滅びるなということです。時代と世の中を見ながら、滅ぼされないでということです。それが聖書です。人々が知らないで、宗教、偶像、迷信に陥るのに、それがまさにサタンの働きだということです。一言で、聖書は何を説明しているかというと、11節に出てきています。神様の国の秘密。皆様、理解ができますか。この部分が、今日、皆様に大きい祝福になることを望みます。
 皆様、聖書がよく理解できない部分も多いでしょう。しかし、この聖書は知れば、科学を説明する本ではありません。それで、私がここにきて礼拝をささげながら、このような話をしました。あまりに暗いから、お願いをしたところ明るくしてもらえました。なぜならば、礼拝をよくささげなければならないためです。この前、オ・チャンホ執事にお願いをしました。可能ならば、ゆっくりしても、完全に信じる人だけを座らせてください。なぜならば、私は説教が商売ではないために、説教をものすごく重要に考えるからです。私は、説教に私のいのちをかける程、重要に考えています。それで、本当にみことばを聞く聞き手が座らなければならないのです。それが礼拝です。
 私がこの前も、証しをしたことがあります。米国に送るメッセージを、スタジオに入っていって録音するのに、している途中でできないと言いました。私は、説教をどれくらい多くしたでしょうか? ところが、米国でもないのに、米国に送る説教をするのに、私は‘できない'と言ったのです。それでもチョ・ヨンギ先生のような方は、よくなさるらしいのです。私は能力がないのか、できません。私が今知っている人が座っているのに、米国にいらっしゃる皆様、と言うようにしようと言うのですが、今、そこが米国でなくて、米国人でもないのにうまくできないのです。そして、撮影をしようと化粧までしました。化粧をする人が、私の顔でない顔に変えてしまいました。それでしようとしたのです。化粧をする時、‘私の顔が出てくるようにしてください。’と言ったのに、私が見ても鏡を見たら別人でした。それで、大邱で何人かを座らせて、米国に送るメッセージをしようとするのに、この人達が私の顔をみつめてしばしば笑うのです。本当にショーでした。それで、私が‘できない'と言ったのです。‘いっそ、私のメッセージを伝えないならば、しない。できない'‘いや、米国でもないのにアメリカ人のように言えるか'‘そして、他の嘘はみなしても、説教は嘘ができない'と言いました。そうしたところ、それなら、先生の説教テープを直接送ります。そのようにしてくださいと言いました。
 どれだけ礼拝が重要か分かりません。皆様が、みことばを受けることは、生きる死ぬの問題です。神様の国の秘密。今日、皆様に神様の国が臨む祝福が臨むことを希望します。皆様が聖書の話をよく聞いて、救われれば、神様の国が臨みました。この一つの単語ですべての問題が解決します。
 いったい旧約聖書は何でしょうか? イエス様を送るという約束です。新約聖書は何でしょうか? イエス様がいらっしゃったという証拠です。その基準で旧約、新約、そのようにしたのです。聖書は他の本ではありません。滅ぼされずに救われなさい。災いを受けず、神様の国の祝福を受けなさい。これより重要なことはありません。
 
 ちょっと申し訳ないけれど、英国に住んでいるとても立派な方で、私よりは100倍に立派な方です。名前はマーティン・ロイドジョンーズです。有名な方です。この方がローマ書 2章の講義を本 2巻に作りました。 私は読んでいて、違うという気がしたのです。いや、ローマ書を神様がみことばでくださる時、このように長い意味でくださるだろうか? そのようなことではありません。みことばをあまり過度に読む必要はないのです。みことばをみことばそのままで受けるべきで、やたら複雑に受けるならば、それではないのです。皆様、今日、神様のみことばを確かに受け取らなければなりません。
 神様の国の秘密はそうだと言われました。神様の国の秘密は、高慢な人は悟ることができません。神様の国の秘密は、他の考えを持った人が悟ることはできません。皆様、もしかしたら家庭の問題がありますか? どのように解決しますか? 簡単です。皆様の家庭に神様の国が臨めば良いのです。私は、今日、皆様に約束します。皆様の個人の問題を解決したいでしょうか? 皆様に神様の国が臨まねばならないのです。
 皆様、私達が何ゆえにみことば運動をしようとしているのでしょうか? 2000ケ所にみことば運動をしようとする理由が何でしょうか? 釜山に700ケ所しようとする理由は何でしょうか? 蔚山に100ケ所しようとする理由は何でしょうか? 私たち大韓民国に神様の国が臨むようにすることです。いったい神様の国は何でしょうか? 目に見えない全世界のサタンの勢力、暗闇の勢力を縛ってしまうことを話すことです。よく理解ができないのです。私たちの大韓民国で、ほとんどすべてが占いに陥っています。正確に話せば、占い師がだれでしょうか? 悪霊につかれた者です。その話を聞いて成功できるでしょうか? 私たちの政治家、経済人達が、その人々をみな連れて回ります。悪霊につかれた人を連れて回るのに、仕事ができるでしょうか? 皆様の家庭にとても困難な問題が差しせまってきているのではないでしょうか? 皆様の子供の中に変に問題で苦しめられるではないでしょうか? 簡単です。神様の国です。悪魔、暗やみの国がなくなって、神様の国です。わかる人は30倍、60倍、100倍の実を結ぶようになるはずです。
 皆様が TVを見るでしょうか。本も見ないでしょうか。ですから、私の話を価値ない話だと考えて一度、詳細に聞いてみるように願います。特に価値がない人が話すとして、一度、詳細にきくように願います。今日、皆様が持っている個人問題が解決する道があります。神様は、偶像と霊的問題に苦しめられるなと言われるのです。それで、神様の国の秘密なのです。
 ところが、道端に落ちたということは、何の話でしょうか? 道端に落ちたら、鳥が持って行きました。この鳥は悪魔だと聖書に書かれています。私達が、本当に心の中に神様のみことばを聞かないならば、私たちの祝福を悪魔にみな奪われてしまうのです。そのようなみことばです。皆様、どうでしょうか? 私の説教を聞こうと考えずに、神様のみことばを確認してみるように願います。今日、皆様の生涯で最も重要な日になるはずです。
 岩地に落ちたということは何の話でしょうか? 私達がみことばは聞くことは聞いても、根をおろさないということです。困難や迫害、このようなことがどんどん生じて、揺れて根をおろすことができません。いばらの道にまかれたということは、すこし育っていたのに、とげに突かれるようになるのです。いったい、そのとげは何でしょうか? 今日の聖書に、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望ということだと聖書に話しています。こういうことゆえに、押さえられて死ぬと話しているのです。神様の国の秘密は、そのようなことではないと言われています。神様の国の秘密をあなた方には与えたが、ほかの人には、全てのものをたとえで話すのですと言われました。今日、皆様の中になんとなく来た人は、まちがいなく悟ることができないでしょう。
 私の説教は、より一層そうです。私の説教は、皆様が本当にわかるのが難しいのです。私は上手にする説教ではないためです。私が私たちのタラッパンの牧師に言いました。あなたが本当に福音を伝える人でなければ、タラッパンに来ないで。大きく損をします。これは誰でもわかる話ではないのです。福音を伝えることができる人だけがわかる話なのです。それで来ないほうが良い。むかしのまま生きて、死ぬほうが良いでしょう。わからないようにされるのではありません。結局は、分からないのです。今日、皆様が神様のみことばを貴重に聞く時間になることを希望します。
 サンダースという人が自殺するために列車を待っていました。「私はこれ以上人生を生きることができない。私はこれで人生をみなあきらめた。私はだめだ。」このように考えて、列車を過ぎるのを待って横になっていたのでした。列車はすぐ来なかったのです。そのような中、何かの紙が飛んできて、顔にくっついたのでした。そのまま飛んで行くことができるのに、顔にくっついたそうです。それで見たのです。聖書の箇所が書かれていました。よりによって横になっているのに、くっついたのです。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」自殺しようとする人が、このみことばを受けたのでした。不思議な事が起きました。この人は、そのみことばを受けたら、心に火がついたようにぱっと明らかになったのでした。この人が偉大な伝道者に変わったのではないでしょうか? 皆様、みことばは生きているのです。
 以前に、私たちの教会で訓練を受けた人です。名前は チョン・ソクジャ氏とか言いました。この人は、3階の建物から落ちたのでした。それで、からだ全体をみな動かすことができなくて、電話も受けることができない程になったということです。その人の話では、さじを持つことも大変だったということです。それで、世の中を恨んで、自分の体はと言いながら横になっていたのに、自分の友人から電話がきたということです。訪ねて来ると言って、友人だから来ることになったそうです。‘私は、プレゼントを一つあげる'と言ったそうです。‘私は贈り物は必要ない'‘私は全てのものがめんどうだ'‘そうではない' と、その時に、ヨハネ福音 1章 12節を開いたということです。「受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった。」私たちが知っている話ではないでしょうか? この方がそのみことばを追って読んだ瞬間に、相当な恵みが臨んだのでした。ところが、想像することもできない事が起きたのでした。信じることができるでしょうか? 横になっていた人が起きあがったのでした。その人の夫がきて、‘あなたがどうして、このようになったのか?’‘ 私の友人が福音を伝ええてくれたら、私が福音を聞いてこのようになった。’私たちの教会まで訓練を受けようときたのでした。私もそれは信じなかったのです。このみことばの驚くべき働き。
 皆様、アウグスティヌスという人を知っていますか? 14歳の時まで両親に心配をかけたアウグスティヌスでした。あまりにも両親に困難をたくさん与えた息子だったのではないでしょうか? すべての人々があきらめろと言いました。ところが、ある日、このアウグスティヌスが、ローマ人への手紙を読んでいる途中でひっくり返されたのでした。どれくらい聖霊が働かれたか、ローマ人への手紙12章を読みながら、自分が手を振ったということです。‘私はなぜこのようになったのか?' それが、誰でもがあたえる心ではありません。私は、皆様が神様のみことばを悟れれば、まちがいなく答えられるという事実を私は確信します。
 すると、どのようにしなければならないのでしょうか? 詩100篇 4節です。感謝して主の門に、賛美しつつ主の大庭に入れ。皆様、来週の聖日から礼拝するのに王が皆様を呼ばれてきたかの様に、大きい祝福を受けようといらっしゃるように望みます。今日、皆様に想像もできなかった大きい祝福の日になることを希望します。ある日、皆様に証しができる祝福がくることになと信じます。いや、あの人は十分に話さなかったのに、私に何故こういう事が行われたのか? 驚くべき事が起きるようになるはずです。
 
 ある外国に住んでいる方で、たぶん、日本に住んでいる方です。テープを 7つもらったということです。これは柳光洙牧師のテープなのだが、聞きなさいと言われて、聞いたのでした。とうていわかることができないと言ったということです。話は早く、なまりもあって、声も悪いから、とうていわかることができないと言いました。皆様、まず私の説教を聞こうとするならば、ものすごく精神をたくさん整えなければならないのです。それで、エステルは普通ではないと言われるのです。英語を良くしなければなりません。韓国語を良くしなければなりません。なまりも知らなければなりません。だから、普通の実力ではありません。この方が、それで聞いている途中で切ってしまったということです。‘何でこういう説教があるのか? 何故私にこういう説教をくれたのか? 私は牧師の説教を多く聞いてみたが、こういう説教は初めてきいた。声もとても異常だ。そしてなんでなまりをそんなにたくさん使うのか? また、ゆっくり話さず、なぜそんなに早く言うのか?’出してしまったということです。ところが、ある日、車に乗って行くのに、遠くへ行くので退屈だったということです。それで、テープでも聞きたくて、歌を聞こうとしたのでした。ところが、入れようと入れたことを知らずに、私のテープを入れたということです。聞こうとしなくて、知らずに入れたということです。車に乗って行くのに、メッセージの中でイエス様の話が出てきたのでした。自分の問題が現れてきたのです。この方が、あまりに驚いて、すぐに電話を韓国にしたということです。‘前に自分にくれたテープをもっと送ってくれることができないか?’それで、この方がテープをボックスごと聞くようになったのです。ご主人が恵みを受けたのでした。この方は、もちろん日本で事業をしている方です。この方が、神様のみことばを聞きながら。私の説教を聞いたゆえに、ということではありません。その時に、神様のみことばがわかったのでした。それで、神様の聖霊が働かれたのでした。あなたの事業にも聖霊が働かれるはずです。皆様、この祝福でなく、どの祝福が重要だと考えるのでしょうか?
 
 私は、今日、貴重な時間を出して来られた皆様、今、一部で衛星で礼拝をささげている方達。今、一部で時間をつくって、インターネットで礼拝をささげている方達が世界にいます。私は皆様に最も大きい祝福があるならば、神様の国が臨むようになることだと言えます。
 神様の国とは何でしょうか? 説明が聖書にずっと出てきています。イエス様がこのようにおっしゃっているのです。あなたの家に目に見えないサタンと悪霊がいるのに勝つことができるでしょうか? それを縛ることが神様の国が臨むことです。マタイ12:28〜30。そして、神様の聖霊が臨まれれば、神様の国が臨んだのです。さて、皆様の家に神様の霊が臨んだのに、どうして悪霊がいるでしょうか? 使徒1:4〜8です。世界を征服する道があります。神様の国が臨むようにすることです。皆様、ものすごく重要な日になることを希望します。
 詩103:20〜22にこういうみことばがあります。神様のみことばを聞く時、神様のみことばを聞いて計画を発見する時、その時、神様が天軍天使を動員させるとなっています。一度信じてみてください。今日、皆様がここで神様のみことばを聞くのに、皆様の家に事業する場所に、主の天使を送られる驚くべき働きがあるのです。私は、ある日この事実を信じるようになりました。
 
 ヘブル4:12です。みことばは生きていて運動力があります。それで、このみことばは、皆様のたましいも生かして、肉体も生かすのです。ヘブル4:16です。時にかなって助ける恵みを得るために。いままで受けた祝福も重要ですが、今日から受ける祝福はより重要です。今までもし失敗しているかも知れませんが、いまから受ける祝福が大きいのです。時にかなって助ける恵みを得るために。大胆に御座の前に進むのです。祈りなさいということです。私は、このみことばが本当にとても重要だと考えています。
 私がとてもよく知っている友人でした。交通事故が起こったということです。生きるのが難しいと言われました。あまりたくさんケガをして、医者が治療を出来ずにいるということでした。ただ今一つだけ待っているということです。夫人が出てきてサインだけすれば、鼻についたものを抜けば死ぬと言われたのでした。それで、その話を聞いた人がいったいどのようになったら、そのようになるのか言いたかったのです。どれくらいケガをしたら、病院で呼吸器を抜けば死ぬと言われるでしょうか? ただ、医者が抜こうとするのには、家族の同意書がなければなりません。それで、夫人が行って、このように話したということです。‘いのちは神様にあるので、生きている間は待ちます。’と話したということでした。家族全員が祈ったということです。3ケ月後にだいたい急ぐ治療をして、釜山に移したということでした。それで、私が行ってみたのです。脚が折れたのは、まだ直っていませんでした。この人が生きて直ったのでした。それで、私にこう話しました。奇跡のように、みな死んだ人が完全に回復したのです。江原道へ行く途中でそうなったということです。単に自分は自分の道を行っていたのに、相手の車が中央を越えてやってきたので、避ける道がなかったということです。自分が行くのに、しまったと思ったと言うことです。相手の車が突然に突っ込んできたということです。どのようにできるでしょうか? あ、という瞬間にぶつかったのでした。自分が想い起こされることは、ひとつしかないらしいのです。見た瞬間に、あ、と思ったのに火がピカピカとしたということです。目を開けてみたら、3ケ月後でした。3ケ月後に目覚めたのでした。‘本当にいのちが長い。たいしたものだ。’と思いました。本当に、その友人の話を聞いて出てきながら、神様の恵みなく生きることができるだろうか? そのようなことが生じたのに、どんな人が生きることができるだろうか? どのように避ける道があるだろうか? 毎日、助ける恵みを得るために。今日、皆様に神様のみことばが臨む時間になることを希望します。単なるみことばではなく、救いのいのちのみことばが臨むことを希望します。
 
 多くの宗教がありますが、だまされず、神様の国が臨むことを希望します。教会の悪口を言うのではありません。あなたがたが用心しなければならないのです。クリスチャンが多いですが、用心なさるように望みます。皆様に救いのいのちのみことばが臨むようになれば、生きるのです。まさに今日、この時間に、この祝福を受けねばならないのです。私に、皆様に、神様の国が臨む祝福が臨むことを希望します。私は、この部分に対する驚くべき体験を続けていますし、皆様にもお話したいと思います。
 私の家系は偶像崇拝をとても多くして、滅びる家系でした。私の家が教会に通っていたのに、何か解決できませんでした。私の母は、そのように熱心に祈るのに、貧困の問題が解決できなかったのです。そのようにも十一献金と献金をしたのに、経済問題が解決できませんでした。そのようにも奉仕して、神様に仕えたのに祝福を受けることができなかったのです。私はそれを知りませんでした。‘なぜこんなになるのか? 神様がいるのか? いないのか? いや、教会に通っても無駄ではないか? ’それが錯覚です。‘教会に通っても、良いことがあるのか? 献金はお金があってこそするので、お金がないのにどのようにするのか?’ 私はそのように考えたのです。だまされていたのです。私がだまされていたのでした。聖書のみことばを悟らなければなりません。
 聖書は他の本ではありません。私を暗闇から救い出した本です。私を神様の子供になるようにする、救われる本です。今、私たちの大韓民国と行く所に暗闇の勢力が崩れて、神様の国が臨むようにすることです。その時から、答えが来るのに、私だけが受けるのではありません。行く所ごとに起きました。私と知っている人も祝福を受けるようになりました。あまりにも驚くべきことです。
 今、私たちは開始にすぎません。神様がどのように祝福されるか見てください。皆様は、開始にすぎません。皆様と私たちの長老は開始にすぎません。こういうみことばをのがしてしまえば、暗闇の勢力からやられるしかありません。
 私たちの某教会に通っているので、名前は話すことができませんが、うわさが立ちました。礼拝時間に眠るとうわさが立ったのです。むかしには床に座って礼拝をささげていました。この方は体がよく揺れるのです。一度は揺れている途中で、後にドーンとひっくり返りました。床に頭をぶつけたので、音が起こるでしょう? むっくり起きて座ったら、またうとうとしたのです。私の母を見て、あの人は教会にきて、なぜ寝ているのか分からないと言いました。その時、母が面白い話をしたのです。教会にきてだけ、うとうとするのではなくて、区域礼拝にきてもうとうとすると言いました。それも自分の家で区域礼拝をささげるのに、そちらでも寝るらしいのです。ところが、教会を一度も休みません。何をしようときているか、一度も休みません。本当に、深刻なことです。それだから、霊的な問題が現れ始めたのです。皆様、みことばを正しく悟らなければなりません。とても重要です。
 皆様が霊的な力を得てくださるように望みます。多くの教役者が重要なことをせねばならないのですが、それより重要なのが、みことばに恵みを受けなければならないのです。今日、あなたがたに約束します。すぐに問題解決にする道があります。みことばの恵みを捕まえるべきです。
 皆様、本当に一度いたずらでなく、試しに一度祈ってみるように願います。今日の礼拝時間に簡単に一分だけしてみるように望みます。私の事業に神様の国が臨むようにしてください。祈ってみるように願います。 どんなことがおきるでしょうか? 何故これをしないのか分かりません。信じられないのです。
 子供に問題がある人はすこしむずかしいのです。子供は動物でないために、簡単にはできません。子供が皆様の勝手によくなりません。なぜならば、皆様の子供と皆様の考えが違うためです。本当にむずかしいのです。皆様の子供が自分の心の通りうまくできないのです。皆様の子供は、皆様を見て何と言っているか知っているでしょうか? 私たちの両親は通じないと。皆様の子供を見ると、苦しいのです。私たちの学生達がここに座っています。子供達の両親が心配してそうしているのです。私はそのように考えません。私は、そろばんの時代の者です。子供達は、コンピューター時代の人です。私が子供達を理解しようと、この頃出てくる歌をいくつか覚えて見ようとするのにできません。むかしの歌は 4分の4拍子で、音調があったのですが、ところが、この頃の歌はぶつぶつつぶやくので、一つも歌うことができません。だから、子供達の家に行けば、まちがいなく、両親と世代が合わないのです。実際には子供達が、両親の面倒を見ているのです。それが正確です。この頃は、老いた私達が、子供を理解するのではなくて、子供が私たちを理解してくれているのです。それが正確です。ですから、堂会員が老いるなと言うのです。皆様が老いてしまえば、若い世代が理解ができないのに、どのように働きができるでしょうか? 皆様が皆様の子供に対してあまり誤解しないように願います。私達が老いた世代なのです。皆様の子供達は、インターネット世代です。私たちは、女子男子、しかめ面をしてしまってもしなかったのに、この頃は女子男子が共に遊ぶ時代です。
 しかし、重要なことがひとつあります。皆様の子供に暗闇の勢力が触ることができないように祈ってみるように願います。一年だけでもしてみるように願います。なぜなら、皆様の子供の問題は、すこし深刻なためだです。それが一朝一夕にきたことではないためです。まちがいなく、祈りは答えられてきます。神様の国です。今日、皆様が本当に祝福を受けるように願います。説明したいのですが、時間がたくさんありません。
 
 良い地に落ちた種は、30倍、60倍、100倍。それは表現であるだけで、何千倍です。表現であるだけで、何万倍です。かぼちゃの種ひとつ植えれば、どれくらいたくさん出てくるでしょうか? 皆様の胸に福音の種が落ちて、皆様の子供に福音の種が落ちれば、実を結ぶのです。それで、今日、説教を普段聞く説教のように聞いてはなりません。パリサイ人と律法学者はわかるようにされなかったと言われています。今日のこのみことばを悟れば、あらゆる問題が解決し始めるはずです。もう一度約束すします。むなしい苦労をしてはなりません。皆様が教会に通ってむなしい苦労をせず、福音を捕まえてくださるように望みます。皆様、本物の神様の国が臨むようになることを希望します。すると、答えがくるはずです。その時から、信仰生活が新しく始まるはずです。絶対にだまされないように望みます。皆様の家庭や職場に最もまずせねばならないことが何かというと、神様の国です。それで、私が幼い時に、知らずにだまされたのでした。知らずに熱心にしたのです。それではありません。今日、皆様が正確な神様の祝福を受ける日になることをイエスの名前でお祈りします。
<<祈り>> 神様に感謝をささげます。今日、主の民が祝福を受けるようにさせてください。今日、真の救いを悟る福音の日になるようにしてください。それで、この方達の子供、家庭、産業に神様の国が臨むようにさせてください。今日、この方達が、この契約を捕まえる時、暗闇の力が崩れるようにしてください。このみことばが主のしもべ、民に百倍で実を結ぶ働きが起きるようにさせてください。生きていらっしゃる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部/ 人生の転換点
(使徒16:6〜10)
 
 韓国を見ると、遠い以前から世界的な学者もたくさんいました。他の一つの国で見れば、立派な指導者もいたりしたのです。皆様の大部分が孫子の兵法、君主論、韓非子、こういう本を開いてみたでしょう。こういう本を見れば、ほとんどすべてが、他の人を殺して私が生きるということです。それは、内容が良い悪いを離れて、そのようになるならば果してそれが勝つことでしょうか? 大部分の人々は、こういう教育を受けたゆえに、計算を間違うのです。そのようにすれば勝つはずだと考えるために、損害をこうむるのです。こういう教育を受けた政治家たちは、けんかするしかありません。実際には、それが損なのに、けんかすることが大きい損失であることも知らずにずっとけんかをするのです。
 問題は、信徒達がなぜけんかをするのでしょうか? 信徒もものすごくけんかをします。教団がけんかして、信徒がけんかして、私たちタラッパンでも見ればけんかする事があるようでした。いったい何故そうなのでしょうか? 私は聖書にみると、そうではありませんでした。ヨセフのような人物は、けんかをしませんでした。ダビデもそうでした。人々は、ほとんど自分自身の利益を追って動くけれど、この人々は、そのようにしませんでした。
 今日、パウロが迫害を受けながら伝道していて、マケドニアへ行くようになる重要な門が開きました。仮りにパウロがマケドニアへ行かなかったとすれば、どのようになっていたでしょうか。そのような事は、ないのですが、マケドニアへ行ったゆえに、世界の歴史が変わったのでした。
 今日、説教聞く方達は、神様の子供だと思いますが、今日いくつかの教訓を得なければなりません。‘これこれ、このようにしたゆえに本当によくなった、こういう事をして良い機会が与えられた'と私たちが話す時があります。私はそのように思いません。既に救われた時、私たちは人生の大きい転換点を迎えたのです。皆様が救いの祝福を受けた時、あらゆる準備は全部なされたのです。それで、パウロが頭をよく使ったところ、大きい祝福を受けた? そのようなことではないのです。既に神様がパウロを呼ばれた時、大きい転換点を準備されていたのでした。残りのあらゆることは神様の計画を成し遂げるだけです。
 
 私は確かに神様の前で言えます。本当に救われたということは、既に人生の転換点に会ったということです。‘悔い改めなさい'と言う時、その単語の意味が何か知っているでしょうか?‘私がなにかを間違って悔い改める' そのようなことではありません。‘間違った道から立ち返ろう’ということです。それで、聖書に見れば "turn a way form your sins" となっています。あなたの罪から遠ざかりなさい、つまり、方向を変えてしまうことです。ものすごく重要です。皆様が、神様の子供になる瞬間に既に変わるのです。
 
 それで先週、説教した時、みことばを差し上げたとおり、吉凶を占う必要がないのです。既に変わったのです。私は確かに言えます。未信者は知らずにどんどんけんかしながら滅びるのです。信者は何故そのようなのでしょうか? 私は確かに言えます。本当に救いの転換点を迎えることができなかったのです。その味を理解するならば、そのような必要もありません。
 旧約聖書に見れば、ヨセフのような人物が出てきました。ヨセフは既に神様の契約を捕まえた瞬間、世界の福音化をする神様の子供に召されたのでした。実際に、ヨセフには敵はありませんでした。ある必要もないのです。皆様が救われたということは、運命の中から完全に立ち返ったということです。未信者がそのように話す運勢から完全に立ち返ったのです。
 先週に、ある議員がきてきたので、私がそのように話しました。‘本当にイエスを信じて神様の子供になりなさい。完全に変わるのです。’それが、旧約の人物、ヘブル11章に、そのような人物がみな出てくるのです。ローマ16章に見れば、新約の人物がよく整理されています。問題と迫害が来ても、なんの関係もありません。その時はもっと大きい答えを受けました。
 今日の本文をよく見る必要があります。パウロが神様の子供になって、福音を伝えに行こうとしたら、パウロを殺そうという人があまりに多かったのです。14章に見れば、パウロは、石に打たれて死ぬはめになったりもしました。今日、ここに見ると、アジアに到着したら、福音がふさがって、道がみなふさがったのでした。気落ちすることもできます。
 祈りの中でパウロが本当に選択を良くした? そのようなことではないのです。既に、神様はマケドニアという大きい答えを受ける準備をなさって、パウロの道を防止してくださったのでした。これが救われた者、神様の民が歩いていく道です。今日、あなたがたが重要な教訓を捕まえて、本当に祈るべきです。これを知らなければ、反対の道にずっと苦労するのではないでしょうか。神様の子供になったということは、滅びと運命と暗闇から完全に抜け出したのです。ある重要な時期に私が祈って、こういう事が行われたという、そのようなものでもありません。今日、あなたがたは、神様の契約を本当に捕まえる日になるようにしましょう。
 
柳)) 私がイエスを信じて一番理解ができない事が、教会で信徒がけんかすることです。その部分が一番理解ができません。そのような理由がないことで、そのような必要もないのです。何故でしょうか?神様の子供です。そのような方達は、未信者と全く同じ考えを持っているのです。未信者と全く同じ理論をそのまま持っているのです。あなたがたは、そのような必要がないのです。神様の子供になったという事実をしっかりと覚えるように願います。
 今日、パウロを見ながら捕まえる1番目の契約がまさにそれです。
救われる瞬間、人生の転換点に完全に入ってしまったのです。それから歩きながらどのようにするのでしょうか。そのような方法がなくなってしまったのです。神様の子供になった瞬間、死からいのちに移ったのです。
 
 今日も私が来るのに、ある方がこのような話をしました。‘先生。タラッパンに対してインターネットにどんどん違った話を上げてけんかを売る人がいるのですが、こういう人々は、どのようにすれば良いでしょうか' 私は、特別な返事はしないできましたが、本当にせつないことです。神様の民ならば、そのような方式でするはずではありません。救われた人ならば、そのようにしないで、いくらでも良い方法があるのに。未信者と全く同じ方法を使うのです。未信者の政治家たちのように、全く同じ方法を使っています。神様が答を出されるはずです。
 今日、皆様が本当の救いの祝福を受ける大きい恵みがあることを希望します。すると、行く道ごとに伝道する祝福の門になります。ヨセフが奴隷で行ったところ、そこでも大きい祝福の門が開きました。この話は何でしょうか? 救われる瞬間、私たちは人生の大きい転換点に合ったということです。皆様が全く揺れる必要がありません。皆様は神様の子供なのですが、いつまででしょうか? 永遠にです。皆様は、神様の祝福を受けるのですが、いつまででしょうか? 永遠に受けます。ここで信仰生活のあらゆる解釈、答がみな出てくるのです。‘上手にやったところ、どのようになった' そのような話ではありません。
 ヨセフが監獄に行って、そのなかでより大きいみわざが起きました。ヨセフが奴隷へ行かないとできないところでした。あまりにも大きい祝福を神様は予備なさったのです。ダビデを見ましょう。すでに呼ばれたその瞬間に、全てのものをみな神様は、方向を定めてくださったのです。何を私たちは悟らなければならないのでしょうか。何ゆえに教会と教会の社会に問題がたくさん起きるのでしょうか。起きなくても良いのに、どのようにすれば起きないでしょうか。皆様、教会と神様の祝福を受けた人々は、ずっと成長するようになっています。私は、ヨセフとダビデのような人々を見ながら‘救われた人々は、当然にそうではないか’という結論が出てきました。重要な部分をのがさないようにすべきです。
 それで何ゆえにパリサイ人にしばしば問題が起きたのでしょうか。救われていない人々だからです。皆様、神様のみことばをよく理解すべきです。みことば運動を始めるあなたがたが、本当に救いと神様の祝福で始まったとするなら、変わる理由もなくて、問題になる理由もありません。皆様が本当に神様の民ならば、問題がきてもかまわないのです。私達が神様の子供ならば、死んでもかまわないのです。
柳)) 私がこの前に、こういうことを申し上げました。ある方が証しを多くしたのです。‘神様がこのように働かれて...' としながら、話を多くされました。本当に感謝しました。ところが、心の隅では心配になったのです。あの方があんな答えを受けることができないならば、信仰生活をどのようにするのだろうか。もし‘あの人が、250年間一日ももれなくキリスト教を迫害する時代に生まれていたなら、あの方はなにを選択したのだろうか' イエスを信じるという理由で、一日ももれなく困難を受けた時があったではないでしょうか。そのように困難を受ける途中でみな死んだではないでしょうか。すると、その人々は、どのように解釈したでしょうか。本当に、気になる程です。
 
 私達が救われた神様の子供になったということは、問題がきてもかまわないということです。今日、あなたがたが神様のみことばをよく捕まえて、本当に新しく皆様を見つめる重要な時刻表になるように願います。
 
 私が今回の集会でもこう話しました。一度は私たちが礼拝をささげているのに、ある牧師が訪ねてきました。礼拝をささげにいこうとする所に、いらっしゃったのです。それで礼拝時間だとお話ししたところ、少しの間で良いと言われました。年齢も私と同じくらいのようでした。私に突然にお辞儀をされたので‘先生。突然に何故そうなさるのですか' と尋ねました。‘一年が過ぎて、新年がくるので、新年のごあいさつをしにきました’と言いました。単に挨拶すればよいのに、なぜわざわざ深々とお辞儀までしたのかと思ったのですが、相手がされたので、私もしたのでした。それで、色々なことを考えてみたのでした。有り難いことです。そうしながら、歳月がたくさん過ぎました。ある日、この方が、新聞にタラッパンと私の悪口を言う文を書いていました。私はそのような価値ない文をあまり読まないために、読んで見ることはなかったのです。あらまし聞いてみれば分かるでしょう。イ・クンスン牧師が‘本当に変ですね。そんなに柳先生を尊敬していた人が、なぜそのような文を書いたのでしょうか'と不思議がっていました。私は話はしなかったのです。新聞の広告費を切ったからです。広告費をずっと出していて、減らそうという結論が出て、減らしたからでした。その時から悪口を言い始めたのです。私はあの方は、教会はどのようにするか、現場ではどのように生活するか、私はたくさん考えてみました。あの方は、果して救われたのだろうか。本当に救われた人ならば、救いの祝福をそんなにわからないことがあるのでしょうか。驚くべき事実は、こういう人があまりに多いということです。残念なことです。
 それで、一般の人々を集めて‘あなたが宗教を選択するならば、何を選択するのか'とたずねたら、信じない人々の中の1位が仏教だったということです。その次がカトリック、三番目に教会が出てきました。これが未信者が見た教会の姿です。3等でも幸いです。現在の姿ならば、びりにならなければなりません。何ゆえに信徒が悩みがそのように多くて、けんかがそのように多いのでしょうか。私は尋ねたいのです。もしかして、救われていないのではないでしょうか。私はその質問の他には尋ねることができません。もしかしたら、神様の子供でないのではないでしょうか。その質問の他には、する質問がありません。何故でしょうか?神様は確かに生きておられるからです。
 パウロに道がふさがれば、それが祝福の門で、パウロが迫害を受ければそれが伝道の門でした。救われたあなたがたは、何も心配する必要がありません。皆様は神様の子供です。ですから、パウロにいろいろな事が起きたが、なんの関係もなかったのです。未信者のように計算して、そのような理由がありません。もし皆様が神様の子供でないなら、そのように生きなければなりません。もしかして、自分の心で神様はいない、救いもない、天国も地獄もなくて死ねば終わりだと思っていますか。それが未信者の思想です。すると、問題がくるのです。そのようになれば、もっと悪い事をする以外にあるでしょうか。
 
 しかし、そうではないのです。神様は生きておられ、全世界を今まで導いて来られました。不思議に福音を伝える国ごとに祝福を受けました。ほとんど福音がなくなって行くけれど、米国が福音を伝える時、神様は米国を祝福なさったのです。証拠があります。‘神様は必要ない'と主張する共産主義は、ほとんど滅びました。それ以上の大きい証拠はありません。
 私は、ロシア、中国に行ったり、北朝鮮を見ると、確実に分かります。‘共産主義は、どんな国か' 本当に異常です。金剛山に行ってみたことはありますか? 小さなコーナーにも守る人々をみな立たせています。もしかしたら、誰かがきて自分達の国の話をするかと思うからです。14世紀の考えを持っているのです。中国の北京に降り立って‘中国はすごいな'という考えました。しかし、路地に入ってみて‘あぁ、中国はこうだな'と分かるようになりました。韓国のだいたい50年代の水準です。下水の処理もほとんどできなくて、汚い水もむやみに捨てます。外国人が通う大きい道側は、大丈夫ですが、裏側へ行ってみれば、お手洗に門もありません。‘どうして、このようになったのでしょうか'
 
 あなたがたは、ロシアに行ってみたことはありますか。人々がパンひとつをもらって食べようと、並んで立っているのを見なさい。‘愚かな者は、その心で神様がいないと言っている' 確かに生きておられる神様が、その人を祝福するのに、大部分がそれを知らないのです。皆様の人生が本当に救われなら、完全に神様の子供に人生が変わったという事実を知っているように願います。
 ある面でパウロが真の聖霊の導きを確かに受け取った? それでもありません。神様はみな責任を負われるようになっています。2番目に覚えるべきです。
 神様は、未信者とけんかしなくても、より大きい力を下さって、ずっとくださるはずだから、けんかする必要がないのです。ダビデがけんかしなかった理由がありました。既に神様の大きい答えを受けたのでした。すでにそのより大きい力を持っていて、大きい未来を知っていました。けんかする理由がありません。それを知らないから、しばしばけんかするのです。
 皆様、パウロが小さなけんかをしない理由があります。既にパウロは、神様の重要な契約を受けて、勝つ力を既に持っていたのです。あなたがたは、必ず覚えなければなりません。あなたがたは、未信者のようにけんかしなくても勝つ力を持っているのです。
 
 私は今日、私たちのレムナントと、青年達、大学生に頼みます。小さななうつわにならず、大きいうつわになりましょう。けんかする、そのようなうつわではなく、ちょっと大きいうつわになりましょう。あなたがたが、けなして、けんかして得ようとする未信者のようにならず、本当に神様の力で人を生かす大きい人物になりましょう。私は、私たちのレムナントに頼みます。未信者のようにねたんで、けなして、嫉妬して、悪口を言って、こういうことをする人物になろうとせず、彼らをみな生かすことができる大きい人物になりましょう。これが神様の子供です。すでに大きな祝福を受けたのです。
柳)) あなたがたが、登山してみれば分かるでしょう。山に行けば、人々がたくさん登っています。私が小さい時、私たちの下の家にいたおじさんが、同じ時間に山に登りました。この方は、ひもで大きい犬を連れていました。顔を見るだけでも怖い犬です。戦いの大会に行って勝った犬なので、毛が抜けたりしていました。幼い時、よく見ていたのです。本物の戦いの大会に行って勝った犬なので、普通の犬ではありませんでした。誇らしくおじさんが朝ごとに連れて登るのに、力がどれくらい強いのか、ひもを引っ張って後から引きずられている程でした。
 これに比べて、小さい犬を連れて来る人もいます。私が幼い時見たのですが、その時見れば、どれくらいおもしろいか分かりません。小犬が集まってワンワンとほえても、大きい犬はじっとしていました。なにを思ったのか、小さな犬が20頭程集まってワンワンとほえていました。ところが、通り過ぎた大きい犬が一回もほえないでいたのですが、小さな犬があまりにうるさいので、一度さっと振り返ったのです。小さな犬は、叫んで逃げました。私は子供だったのですが、‘犬も、大きい犬は戦いをしないよ'と思いました。‘大きい犬はつまらないけんかをしなくて、小さい犬があのようにするのだな’と思ったのです。私達がちょっと大きい人物になりましょう。神様の子供は、そのような必要はありません。
 
 今日皆様が3番目に記憶せねばならないことは、救われた神様の子供は、することがひとつしかありません。私たちは、聖霊の導きを受けるのです。すると、まちがいなく勝利するようになっています。神様の民ならば、神様のより大きい計画を、事が起きる時ごとに発見するようになるのです。
 今日、使徒の働き 16章 6節から10節を見ながら、あなたがたが答えを受けるべきです。今日、あなたがたに重要な時間になりますように。パウロがトロアスから神様の招きを受けて、マケドニアへ行くようになったのに、人生だけが変わったのではなく、全世界を変える祝福の現場になりました。インマヌエルの信者と100箇所余りで衛星で礼拝ささげる教会と、今、インターネットで神様のみことばを受ける所に、神様の祝福があるように願います。
 私たちクリスチャンは、いくつかのことだけをすれば良いのです。
 最初、既に神様の子供で呼ばれた時に、あらゆる呪いから解放されました。必ず心に刻まなければなりません。神様の民は、神様がその人を永遠に導かれるのです。仮りにこの席にいらっしゃったあなたがたが、神様を信じるとすれば、神様は皆様を永遠に導かれるのです。
 特に皆様が心配した運命、運勢、こういうことからすべて、解放されるのです。本当に神様の子供は、先祖供養をしたり、迷信を信じません。それは何でしょうか?皆、解放されたからです。皆様が神様の子供になる瞬間、永遠に祝福をみな受けたのです。
 すると何をすれば良いのでしょうか? 皆様に問題がくる時ごとに、神様の重要な計画を発見すればよいのです。皆様に困難が来る時ごとに、神様の重要な機会を見出さなければなりません。必ずそのようにすればよいのです。皆様に重要な神様の祝福の門が開かれるようになることを希望します。
 皆様に困難がくる時ごとに、神様の驚くべき機会を捜し出せば、大きい祝福の門が開かれるようになるはずです。門が閉じられた時、パウロは何をしたのでしょうか? 幻の中に招きを受けたということは、何の話でしょうか? パウロが祈ったのです。パウロが困難の中で、神様の計画を発見する祈りをする時、神様は重要な門を開けてくださいました。アジアの門を閉ざされたと思っていたのに、それではなくて、マケドニアに大きい門を開けてくださったのでした。このことは、うまく行かないかのように見えたのに、それではなくて、神様はより大きい門を準備してくださっていました。何をすれば良いのでしょうか? 祈ればよいのです。
 救われた皆様が一番最初にすることが祈りです。神様の子供がまず最初に体験せねばならないことは何でしょうか? 祈りです。神様の子供がまず最初に持つべき力が祈りの力です。今日、現場にこの祝福が回復するように願います。すると、いろいろな事が起これば、全てのものが機会です。本当の福音を持った人々はこのようにして完全に勝利しました。
 
 歴史を研究する方達が、研究を一度してみるように願います。初代教会でイエスを信じる人々をローマがどれくらいたくさん迫害したでしょうか。ローマ皇帝 10人が迫害をしたので、その歳月はどれくらい長かったでしょうか。そのローマ皇帝 10人と、迫害した重要な人々を研究してみるように願います。ちょっとした資料がパク・ユンスン博士の資料にあります。共通点は、30人くらいが悲惨に死んだ記録が、注釈にすこし残っています。特に価値はないけれど、研究してみる必要はあります。時間が経つにつれて、神様が絶妙に変えられるのです。神様は生きておられ、迫害したイスラエル人、ユダヤ人をどのようにされたのか、私たちは知っています。今日、あなたがたは重要な契約を本当に捕まえるべきです。
 人々がやさしいことをのがしやすいのです。今日、3つのことを必ず捕まえてくださるように望みます。もう一度、お話しします。私が神様の子供になる瞬間、あらゆる呪いから解放されました。途中に揺れますか? そのような必要はありません。それは、救われることができないからです。‘先生。教会に通う人がなぜ滅びて、いまは教会を通えないでいるのですか' 簡単に答えることができます。それは、教会に通ったことで、救われたことではありません。
 ある教会では、伝道運動をしている途中でしなくなって、みな失敗して逃げたということです。‘何故でしょうか’と誰かが尋ねました。先週にその教会に行ってきました。私たちタラッパンする側がその教会を買ったので幸いなのですが、誰かが私にそのように尋ねました。私もよく分かりませんが、もしそれがあったのならば, それは教会に通ったことで、神様の子供になったことはないのです。
 またこう話しました。教会に行ったところ、家庭に問題がどんどん生じるのですが、何故そうなのでしょうかと言いました。今日、絶対に誤解をみな解かなければなりません。それは、教会に行っているからです。 神様の子供になれば、皆様の家全体がみな生かされるようになるのです。
 今回、長老が祈ったのですが、今しているサッカーにも意味があります。皆様が多く祈るように願います。特に、女の方達は、祈るように望みます。女の方達は、不思議にビッグゲームをしているのに、連続ドラマを見ているのですよ。どういうことが把握が良くできないようです。今、一方では世界の強国と強国が戦っているのです。新聞にも出ていたはないでしょうか。夫が世界的なゲームを見ようときたのに、女の方達はTVが二つなくて、一つだけなのに、連続ドラマを見ようと言うそうです。お互い、けんかになったそうです。女の方達が祈るように望みます。
 今回のサッカーは、単なるゲームではなく、韓国が目立つことができる機会です。たぶん16強に入っていけば‘韓国はたいしたものだ'となるはずです。私達は、一度も16強に入っていったことがありません。韓国がむかしにアジアで一番上手にやるからといって行ったのですが、びりでした。仮りに8強に入っていったとすれば、全世界が驚くはずです。4強に入っていけば、人々がまず気絶するはずです。もしかして、失敗して優勝する可能性もあります。祈ろうという理由は、福音を伝えることと関係があるためです。
 私たち韓国が、その困難を経験してきたのですが、神様が経済を回復させられました。私は知っています。私たち韓国は、普通の国ではありません。今、世界の福音化に重要に用いられる国です。今、教会が福音運動する所は韓国しかありません。それで絶対に滅びないのです。
 皆様、心に刻みましょう。皆様が救われれば、皆様の職場、家、皆様の社会、行く所ごとにみな生かされるようになるのです。すると困難が来るならば、何故、本当に救われた人に困難が来るのかと尋ねることができます。それは困難ではありません。まさに道です。その時、考えを間違うことができます。モーセが神様の民なのに、幼い時から何故困難を受けたのかと考えることができるのです。パウロが誤って考えることができます。私が福音を受けたのに、家庭もみな破られて、何故そのようなのでしょうか? 結論はそうではありません。パウロには、重要な門が用意されていたのです。
 今日皆様が必ず覚えなければなりません。すると一つだけすれば良いのです。聖霊の導き受けるように祈ればよいのです。皆様、多くする必要はありません。少しずつだけすれば良いのです。皆様の中に、一日に一度ずつ少しだけ祈るとすれば、大きい答えを受けるはずです。クリスチャンがそれをしないのです。一日に一度ずつ少しだけすれば良いのです。すると、皆様に重要な門と答えの門がずっと開かれるようになっています。何故でしょうか?既に皆様は神様の子供として召されたためです。
 最後にお願いします。注意するべきです。皆様、しきりに心配して、けんかしていますか? もしかして、今日みことばの最初の質問に問題があるか、ないかを考えてみるように願います。それは‘神様の子供ではないのではないか'ということです。必ず覚えましょう。何の理由もありません。そして、あなたがたがどこかで失敗するのかというと、神様の子供なのに2番で錯覚をするのです。問題がきて、困難が来れば、錯覚をするのです。注意しなければなりません。
 でなければ一つをしなくてそうです。少しだけ祈ればよいのです。間違いありません。今日、この約束を捕まえて、人生の大きい転換点を迎える祝福の日になるように願います。一人ももれなく新しく始めるそのような転換点になることをイエスの名前でお祈りします。間違いない神様の約束です。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちに重要な時間になるようにさせてください。トロアスからマケドニアへ行ったように、今日、神様の民に重要な転換点を用意してください。既に福音を受けた瞬間、あらゆる問題が終わったことを知るようにさせてくださって、困難は転換点であり、道がふさがることは新しい道で、救われた神様の子供ならば、迫害を受けることは祝福の門で、救われた神様の子供ならば、色々な難しい問題はまさに祝福の道になることを知るようにさせてください。トロアスで祈ったように、今日、この席がまさにその祈りの席になるようにさせてください。一人ももれなく神様の祝福を受ける時間になるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン