2002年6月30日 インマヌエル教会聖日メッセージ


1部/ 悪霊につかれた者
(マルコ5:1〜20)
 
 
 
・今日の聖書には‘悪霊につかれた者’の話が出てきました。なぜ聖書にこういう記録が書かれているのでしょうか? このようなことが、聖書を開くと何カ所にも記録されているのを見ることができます。皆様が信仰生活するために、みことばに恵みを受けるために、最初にしなければならないことがあります。皆様が持っている先入観を捨てなければなりません。それを持っている以上、正確なことを見ることができません。
・私が20年前に、明洞カトリック教会の聖堂に行ってみました。本堂の中に入っていってみたのですが、いままで私が行ってみた礼拝堂の中では最も良かったのです。雰囲気がすごかったのです。そして、燭台のあかりをつけておいて、雰囲気がものすごくおごそかなものでした。とても装飾もよくされていました。私がそちらに行って椅子に座った瞬間に、何かすごいものを感じました。‘すごいな!’という気がしたのですが、それがまさに私の先入観です。なんでもないのに作られたものを見て、すごいなと思ったのでした。
・私が以前に聖潔教会に礼拝をささげにいったのですが、新しい家族がきていたので、紹介をして拍手をしました。それで私が‘なぜ拍手をするのか? おかしな教会だ!’と考えたのです。長老教では、拍手をしないからです。これは私の先入観であって、拍手するほうがはるかによいではないでしょうか? また、それは私が長老教で習ってきた先入観であって、真理ではないでしょう? 長老、牧師、政治家、あらゆる人は、先入観を皆持っています。それが強いほど、発見ができません。それで、先入観が強ければ、皆様の子供達は、目に見えないように気持ちがくじけてしまいます。それは必ず心がけなければなりません。
 
・ある長老の息子が、しばしば酒を飲み歩きました。夫人の勧士がいろいろな小言を言って心配をしたのです。長老がこの子供が何の酒を飲んでいるか分かってみたら、お金がなくて焼酎をたくさん飲んでいるということが分かりました。それで、長老がある日、焼酎3本を買って息子の机の上にのせておいたのです。息子が衝撃を受けて、お母さんに尋ねたのですが、知らないのです。
 
・ところが勧士と長老の考えが違ったのでした。勧士は‘大変な事になった’と考えたのに、長老は‘息子が、ある程度大きくなれば、このような問題も来るだろう!’と考えていたのです。‘このように飲み歩くならば、お金もいるから、どれくらい難しいだろうか? だから、いっそ私が買ってやろう!’と考えたのでした。
 
・それを見ながら、息子が多く考えて、朝に尋ねてみたのです。そうしたところ、父が返事して“人はそれぞれ趣味が違っているが、父の趣味は本を見ることで、君は酒を飮むことであるから、家で酒を置いて飲んだらどうか”ということでした。息子がその話を聞いて、自分がとても異常だという気がして、深く考えて、結局は酒を切って、いまは信仰生活をよくする青年になりました。
 
・むかしには、ジーンズを履いて教会に入れば、何か言われました。それは、私たちの先入観です。ジーンズは、ものすごく楽で良い服です。それをよくないと考えたのは、年をとった人々の先入観です。
 
・むかしには、女性、男性が共に座れば、恵まれないいうことで、一緒に座りませんでした。それは牧師の考えであって、真理ではありません。いまは恵み豊かに一緒に座っているではないでしょうか?
 
・100年前、韓国教会の初期の頃、ある執事がとても先んじる事を一つしました。しばっていた髪をほどいてパーマをかけたのでした。そして、教会に来たら、教団で話合いをしてやめさせたのでした。どうして、羊の毛ような頭をして教会に来るのかということです。それは長老の先入観であって、真理ではありません。
 
・今、私たちは多くのことを考えなければなりません。悪霊の話をするので、人々が異常だと思うらしいのです。それは、皆様の先入観であって、聖書はそのようになっていません。牧師たちが、サタンの話をすると‘私とは合わない’ということは先入観であって、聖書にはそのようになっていません。
・ここに青年達がたくさんいますが、この分野はあなたがたが研究しなければならない分野です。市中に行けば <ロックミュージックの中に働くサタンの働き>という本があります。必ず買って読んでみなければなりません。研究の分野の中でも、途方もない研究分野です。私達が先入観を誤って持てば、途方もない祝福を何でもないことのように見てしまいます。それで、信仰生活を長くした人であるほど、先入観があるということを知っていなければならないのです。
 
・私はいつでも教団総会をしたり、牧師達が集まる時は、先入観を捨てようとします。それでこそ、相手の意見を尊重できるのです。私が先入観を持っていれば、相手の意見と私が一致せず、そのようになれば、それ以上は対話ができないのです。それで良いでしょうか? 先入観ということが怖いのです。‘異常だ。あの人はなぜ悪霊の話を多くするのか?’‘あの人は本当に異常で、教会の雰囲気と一致しない’それは、その人がその時まで生きてきた先入観であって、真理ではありません。
 
・私たちの大学生は、市中に豊かな <ニューエイジ運動とサタンの戦略>という本があります。必ず読まなければなりません。
・私が見る時は、聖書はものすごく先んじた本です。すでにこの国、あの国が戦っていた時、聖書はあらゆる国の人々に行って弟子としなさいと言われました。二千年がすぎた今、情報化時代、グローバル時代という話を使うのに、既に二千年前にイエス様はすべての人に行きなさいとおっしゃいました。最も時代にあって、最も時代に先んじた本が聖書です。
・さて、知識人達が聖書を知らないで、どのように生きることができるでしょうか? 政治家たちが聖書を知らないのに、政治ができるでしょうか? ですから、どんどん生きていくほど困難に会うのです。あなたがたが、本当に理解しなければなりません。本当に伝道する人は、本屋に行けば <都市を占領した暗闇の勢力>という本があるので、読んでみるように望みます。あまりにも実際的な本です。幸いに、こういう本がイエス伝道団からたくさん出てきました。ものすごく目がある団体です。
・あなたがたは、どのように考えるのでしょうか? あなたがたは、今日、ものすごく重要な時間を使ってこの場に来ました。あなたがたは、今日、人に会いにいってもかまわないのに、みなあきらめて礼拝をささげようといらっしゃったのです。あなたがたが適当に礼拝をささげて遊びに通ってもかまわないのに、この場にいらっしゃったのです。どれくらい貴重でしょうか? すると、本物の答をもらうべきではないでしょうか?
 
・聖書は、なぜこの話をしているのでしょうか? 聖書はなぜ、またこういう話が出てきたのでしょうか? 私は答の中の答だと考えます。とても時代に先んじた 21Cに研究しなければならない部分です。必ず文化、芸術、あらゆる科学の分野にいる人々が研究しなければならない部分です。ところが、多くの知識人達が拒否しているのです。知識人達がほとんどこの部分を拒否しているために、問題がより大きくなっているのです。今、多くの神学者達が、実際には拒否しています。それは自分自身の先入観です。自分がこの時まで習っていない無知であることも知らずに、先入観を持って拒否するのです。なんの話なのか、皆様はだいたい分かるでしょう。
・私が現場に行ってみて、何の話なのか分かるようになりました。聖書がこんなに正確だったのか?と思ったのです。一度も伝道してみていないのでしょうか? 伝道してみましょう。皆様が、本当に現場に行ってみたなら、聖書がなんの話なのか分かるようになります。伝道をうわべでずっとしているからで、本物の伝道をしてみれば、この聖書があまりにも真理であるということを知るようになるはずです。知識人達が、困難を受けながらみなそうではないふりをしている、その姿を見ながら、聖書はなぜこのようなことばがあるのか?が分かるようになりました。いよいよ私は文化を見ながら、こういうわけでこうなったのだな!と分かるようになりました。皆様、その目が開かないのでしょうか? それならば、あまりに事実を見ることができない暗い目です。
・今、話題になっているのが‘赤い悪魔’です。それが悪い意味で話したのではなく、かわいく言うために‘赤い悪魔’と言われたのです。それが世界的な傾向です。日本に行ってみれば、悪い霊がものすごくおもしろく表現されています。日本映画、漫画を見れば、悪い霊が出てきて活動することを、子供達がものすごくおもしろく感じるように作られています。そして、世界的な歌手が出てきて歌うのを見れば、顔をものすごく変にして‘悪魔のようだ’という気がするようにして出てきます。
・ところが、私たちのサッカーチームの名前をつけた人は、そのような意味でつけたのではないのに、そのような影響を与えています。これから小さい子供達は、真っ赤な服を着て歩いて‘赤い悪魔’の話を聞けば‘ものすごく良いことだ’という考えが、実際にどんどん植え付けられていくのです。
・皆様、霊の目を開いて見れば、全世界にこういうことが既に普及しています。それとともに、驚くべき事が起こり始めています。人々が自分自身も理解できないことがおきるのです。ある学校では、学生3人が異常なことを見て倒れたのです。それは、特別な話の一部で、一般的に精神病患者がとてもたくさん生まれています。どのように考えるのでしょうか? 科学者たちは、どのように考えるのでしょうか? 学者たちは、学者らしく真剣に考えてみる必要があります。神学者たちは、どのように考えるのでしょうか? 伝道現場に一度も行ってみたことがないのでしょうが、どのように考えているのでしょうか? 私がその現場を見ながら、聖書は本当に正確だなという気がしたのです。
・皆様が信じようが信じるまいが、今日、明らかな事実が現れました。悪霊が存在して、今、活動していることが記録されています。人々の内に、あなたがたの内に入ったり、出たりするということが記録されています。人の精神を異常にさせて、狂うようにさせるということが記録されています。イエス様が、軍隊の悪霊を追い出され、行く所を探して、そこでイエス様が「行きなさい!」と言われることが、聖書に確かに記録されています。この若い人から軍隊の悪霊が離れたら、正気になったのですが、それも明らかな事実です。
 
・私は聖書を見ながら、すべての答をみな捜し出しました。「イエスを信じるということは、神様の子供になることだな!イエスを信じれば、聖霊の働きを体験するようになるよ! イエスを信じれば、天の軍隊を送って天の秘密を知るようになさるよ! イエスを信じれば、暗闇の勢力のサタンと暗闇に勝つことができる力が生まれるよ!」私は、そのように悟ったのでした。どのように考えるのでしょうか? それならば、普通の祝福を受けたことではありません。それならば、できない事はありません。それならば、私たちは問題がきても恐れる必要がないのです。私がこの事実を聖書で見て発見したのでした。
 
・私は確信が与えられました。どこでも福音を伝えることができます。どこでも答えを受けることができます。どんな教会を預かっても、神様のお手伝いができます。確信が与えられたのです。私はたくさん見ました。あなたがたが、うわべを見ているからです。
・私が漢字の勉強を一度も勉強したことがありません。ところが、だいたいの常用漢字はみな使えます。どのように学んだかというと、むかし表札を見て学びました。私の父が近所の人々を呼ぶ時、イギウン氏のようならば、「キウン、キウン」と呼ぶのです。そのあと表札の漢字を見ながら確認をしたのでした。そのように確認だけしたのに、全く生活に支障がないように漢字を使って読むことができるようになりました。
・一度は、私が飲物を飲もうと座ったら、冷蔵庫に meadowgoldと書かれていたのですが、何の言葉なのか気になって、それを紙に書き移して家に帰って辞書をさがしたのです。芝が広がっている真ん中に小川が流れることを meadowgoldというのです。それで絶対に忘れません。
・私が今、空港から車に乗って来るその駅が‘鉢山駅’ですが、皆様はまちがいなく何となく見ているでしょう。ところが、私はそのような性格ではありません。漢字で何の意味の‘鉢’で、何の‘山’なのか考えました。漢字を見たら、私が初めて見た漢字でした。字を見ると‘金’と‘鉄’だと解釈できる‘金’という字に、‘基本’という時の‘本’の字でした。そして、下に‘墓’という意味の‘山’の字でした。私がそれをのがすはずはありません。‘鉄’の意味の‘金’、また‘金’の字に基本の‘本’の字、そして‘山’という字。私はこういう字は初めて見たのです。教会にきて辞書をさがしました。辞書に何かの...‘鉢’という字になっているのですが、私がその‘何か’がよく分からなかったのです。よく使わない字だということです。ハングルでその‘何か’が解釈されているのですが、私がまだその言葉が完全に理解できません。それで、私は、漢字をたくさん知っている長老に尋ねるつもりです。私の性分がそうなのです。単に見ないで、正したり、注意して見るのです。
 
・私がなぜこの話をするか分かりますか? 世の中をうわべだけ見ているから、聖書が本当に見えないということです。世の中を本当に見れば、聖書はあまりにも正確な答です。皆様の人生をうわべで、だいたいに生きるので、聖書が真理だと見えないので、本当に生きるならば真理だと分かります。
・私は、なぜイエス様が “わたしがあなたがたを呼んだのは、あなたがたを身近に置き、また遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためだ。”とおっしゃったのか、現場に行ってみて分かりました。それで、私がここから信仰生活のいくつかの答を探しました。私が使命5つを捜し出したのです。
1) 霊的な知識があってこそ、世の中を正しく生きるんだな。
 私がたとえご飯を食べて、服を着て、色々なことをして回りますが、実際に私がせねばならない戦いは、霊的な戦いだなと分かりました。この時、私が悟ったことがあります。イエスを信じる人が祈らなければなりません。
 私は、以前には祈りませんでした。神様がみなご存知であるのに、私が祈る必要があるのだろうか? と思っていたのです。ところが、私が祈らねばならない、と分かるようになりました。その時から祈りの実践をしたのです。
2) そして、2番目に悟ったことがありました。それで、伝道をすべきなんだな。
 伝道の中で単純にイエス様を伝える理由は、この人達が霊的問題に陥っているからなんだなと分かったのです。
 
3) 私が3番目に発見したことがあります。それで、世界宣教をすべきなのだな。それを発見しました。
 
4) 私が4番目に発見したことがあります。経済が全部、暗闇の経済だな。それで、産業宣教が重要なのだな。
 
5) 5番目に発見しました。それで、献金を正しくしなければならないな。
 私が神様の前にささげる献金は、どのように使われるのかを分かるようになったのです。
・今、100箇所あまりで衛星で礼拝する方達がいらっしゃるはずです。海外で数千家庭が、メッセージを今、聞いています。そして、他の教団で多くの方達もメッセージを聞いています。特に、インマヌエル・ソウル教会に私が講壇に立ちました。
 
・私が皆様にお願いします。核心の時もお願いしました。色々な良いことが私には多くあります。私たち韓国が、イタリアと試合をしてゴールを入れたより良いことが、私には毎日あります。ソウル大学に合格して、司法試験に合格するような喜びが私には毎日あるのです。私が神様を知っているからです。私が福音を知っているからです。
・ところが反対に、私には良くないことも本当に多いのです。どんな良くないことかというと、困難を受ける人があまりに多いということです。私は、先週にもお話ししました。とても多いのです。普通一日に5〜10種類の仕事が私にきます。どのようにするかも分からないくらいです。人々が助けてくれと言います。以前には、そのような時、私はたくさん手助けしました。ところが限界があるのです。私に助けてくれという人がない週はありません。
 
・ある方を見たら、刑務所から手紙も来たのですが、弁護士のお金を出してくださいということです。全く私が知らない方です。ある方は、今、自分の家に事故がおきたので、ちょっと助けてくれと言います。それで私が‘no'と話さなければならないのに、困難を受けている人に向かって‘no'と言うことは、実際に難しいのです。はなはだしい場合は、ある方はかえってこちらに返してくることもありました。‘牧師先生が、その時にだめだと言うならば、私が他の所を知っているからそちらに行ったのに、先生がなんの話もしてくださらないので、待っていた’というように出てくるのです。はなはだしい場合は、牧師たちもそのようにするのです。‘私が困難に会ったからお金をちょっとだしてください’と言うこともあります。
 
・私には、お金が多くあるのでしょうか。人々が変に私にきて、そう言うのですが、そんなに持っているでしょうか。ある面では幸いかも知れません。‘人が乞食のようにいることも本当に恵みだ’と言いたいのです。ある人々は、とても貧しくいる方達もあるのに、私はそのように見えないようなのです。
 
・その時感じたことがあります。なぜ、このようにクリスチャンが貧しいのでしょうか。この神様の民なのに。皆様、なんの誤解もしないように願います。私たちは真実に話さなければなりません。私は先週に相当な衝撃を受けました。一週間の間、その衝撃を持って祈ったのです。
・ある方が私を訪ねてきたのです。“牧師先生。インマヌエル釜山教会から宣教費を送ってくれないで、宣教師がご飯を食べられませんでした”なんの話でしょうか。それでいったい私たちの教会事務をする人々は、なにをして、これがどのようなことかということです。その方がなんの話をしようとしているのか、私が分かりました。理由も知りました。
・皆様、2つのことは、確かに悟らなければなりません。皆様、絶対に軽く聞き流さないでください。“旧約聖書に国家と教会を生かす十一献金、異邦人を生かす宣教” この二つを悟ることができなければ、絶対に経済の祝福を受けることができません。
・3年前に牧師 2人が論争を繰り広げました。新聞に数ケ月間出ていました。‘私たちは旧約の人間ではないために、十一献金は必要ない’と主張した牧師がいました。それで一方では ‘旧約の律法は完成されたが、なくなったのではない。十一献金はしなければならない’という論議を沸騰させたのでした。私が詳細に見ました。二人とも一理はありました。しかし、二人とも間違っていました。今、十一献金をせねばならないという方は、献金をたくさんむしり取ろうとする主張でした。今、十一献金が必要ないという人は、福音もよく知らないながら、旧約に対して完全に否定しようという思想でした。本当にせつなくて、私が文を書いてみようとしたのですが止めました。
・アブラハムの家系のために霊的な祝福を祈ることができる祈りの人メルキゼデクを準備された神様が、彼に十一献金を出すようにされたのです。その原理は今でも変わりません。イスラエル12部族の中の一つの部族は絶対に教会の火を消さないようにするものです。すると、11部族が教会に十一献金だけ出せば良いのです。神様の民 12人だけでも集まれば、必ず会堂を立てなければなりません。それが十一献金の意味です。
・私たちの教会の信徒に対して教役者の数が 1/10になってこそ、教会は正常になります。皆様の子供が本当に信仰生活を正しく習おうとすれば、皆様の子供の教会の中に教役者が1/10いなければならないということです。20〜30人を一人が教育する所は、後進国と韓国だけです。何の話なのか早く悟らなければなりません。 今でもその原理はまったく同じです。神様が‘わたしがあなたの倉庫を祝福するかしないのか、試してみなさい’とおっしゃいました。
 
・残りすることがもう一つあります。異邦人の宣教です。皆様の子供、孫たちに今から何をせねばならないかというと、異邦人宣教に対して教えなければなりません。すると、私達がどれくらいお金がたくさんかかるでしょうか。あなたの倉庫が祝福されてあふれるか、神様がためしてみろとおっしゃるのではないでしょうか。本当に神様の前に宣教の子供の祝福を注ぎ込んであげるかどうか、ためしてみなさいということです。
 
・私が伝道師の時、お金はなく、本当に宣教する人が宣教に行くのにどれくらい胸が痛かったのか分かりません。私は元々、幼い時からいままで、あちこちにお金をあまり使いません。それをよく集めておいて宣教に送ります。宣教に行ったこの人が、私の事情を知っているので、とても有難いと私に献金をかえって送ってきました。私が宣教師に宣教費を受けた人では、初めてです。どれくらい貴重なことでしょうか。
・私が核心の時もそのように話しました。私が中学校 1学年の末、2学年の初めに父が亡くなりました。それで、私が勉強を熱心にして、優等賞を母に持って行ったところ、母が私に言った言葉です。‘あなたの父があなたを産んだ時、あまり良くて、せきが出たことがあるけれど、このように勉強を良くするのを知ったら、どれくらい喜んだでしょう’母は、とても低い仕事、難しい仕事だけをしていたのです。だから、私たちに多くのお金を与えることができませんでした。一度も抜けないで俸給を受けたならば、十一献金を出していました。それもどれくらい心を込めていたかというと、新札で献金を準備するので、しわのあるお金があれば、それにアイロンをあてて準備したのです。‘本当に私のお母さんは愚かだな’ 私は、内心その時は考えていました。私たちにお小遣を一度もくれなくて、自分が食べるものを一度も買わない人が、どうしてあのようにするのか。神様がご存知であるはずなのに。それは私の考えでした。母は亡くなるその週にも教会に行って礼拝をささげました。病院に入院させたところ、病院を抜け出して教会に行って礼拝をささげたのでした。‘神様が本当に私に立派な親を下さったんだなあ’と思います。神様がどれだけ私たちを祝福なさったかとすれば、説明することができないほどくださいました。
・その時からいままで、私は40年生きています。ところが、以前に交通事故で新聞社のことで病院に行ったことの他には、私は病院に行ったことはありません。神様がどれほど私たちを保護なさったでしょうか。奇跡みたいなことです。一度も病院に行ったことがありません。なぜならば、神様がそのように守ってくださったからです。私がいつも自慢のように話すでしょう。歯も一つも虫歯になったことがありません。これを頻繁に磨くこともありません。イ・ガンソン牧師がこのように話しました。‘柳先生は、うがいを頻繁にするのでもないのに、虫歯にならない’と言いました。神様が歯を抜くお金がないこともご存知であって、まったく虫歯がないようにしてくださったのです。
・20年を越えて、特に10年前から本格的に走るのに、神様が疲労(病)もないようにしてくださいました。私が経済が難しい人ゆえにいつも手助けしてあげようと努めていますが、私がこの時まで、経済ゆえに困難を受けることがありません。本当にこの福音のために。神様が本当に父母をくださって、私が福音を知るようになさったんだなあ。
・‘私が今、心が弱くて、私たちの信徒を教えなかったんだなあ。メッセージを聞いて帰ろうという人々だけいて、正しく生きることができることを私が教えなかったんだなあ’今回の一週間に、相当な衝撃の中で祈りしながら送りました。それで、私は、「私たちの信徒たちがこういうことなのか、約束したことも忘れてしまうことがあるのか。いったい常識以下のこういう事があるのだろうか。」軍人を戦地に送っておいて、食べ物を送らなかった形です。
・私は覚悟をしました。教えなければなりません。長老、按手執事等、あらゆる在職は一般信者宣教会に皆会費を出して参加しましょう。私が生れてはじめて講壇でお金の話をするのです。金額は問題でありません。なければ少なくしましょう。全員が参加しましょう。すべての信徒は、世界の福音化に教会を生かす十一献金と宣教会に参加しましょう。覚悟をしました。万一、来年まで在職任命する時、ここに参加しない方は、在職任命させるません。本当にです。
・私は絶対に人を責めません。私が副教役者や信徒を呼んで責める時は、10回以上、全く同じ過ちをした時で、そうでなくてはしません。何故でしょうか?私達が福音運動をしないならば、何ゆえに生きているのでしょうか。私が韓国教会から世界教会で悪口を聞きながら、何ゆえに福音運動をしなければ、私達が生きるのでしょうか。インマヌエル・ソウル教会から手本を見せるようにしましょう。世界教会が見て従うことができるように、私たちの教会に参加したあらゆる人は、経済の祝福を本当に受けるように。幼い子供に教えましょう。それで、宣教が何か、福音が何かを知るようにしましょう。それで、経済の祝福を回復するようにさせましょう。
 
・これは私の責任です。一週間ものすごく悔い改めをしました。‘私がなぜ信徒が祝福を受けることができるように、これを教えることができなかったのか。信徒達が伝道を15年間、20年間いっしょにすれば、相当な祝福を受けねばならないのに、私がなぜこれを教えることができなかったのだろうか’全的に私の責任です。それで、神様の前に悔い改めました。皆様、本当にこの神様のみことばを見るように願います。聖書は確かに話しています。水一杯も報いを失わないだろうと。
 
・今、社会に起きている霊的問題は何でしょうか。聖書に見れば、簡単に答が出ています。それで、私はこの聖書を見ながら、「神様がイエス・キリストを送られたのは、私を神様の子供に呼ぶためにイエス様を送られたのだな。天にある霊的祝福を知るようにキリストを送られたのだな。あらゆる汚い悪いサタンと悪霊の力に勝つことができるように、イエス・キリストを送られたのだな。」と確認できました。皆様、どうなのでしょうか? 聖書は確かにそのように記録されています。すべての病気は、悪霊につかれたものでしょうか? そのような記録は聖書にありません。しかし、おかしな病気が悪霊を追い出されていやされたことが聖書は確かに話しています。私は体験しています。私たちクリスチャンは、神様のみことばを信じて、本当にこのみことばに従って行くべきです。
・そして、私たちの青年達、学生達に頼みます。あなたがたは、新しい研究をしなければなりません。多くの私たちの韓国教会の指導者にお願いするのですが、私たちはできれば事実をよく見て、用心しなければなりません。私が救いをたくさん話すので、私をたまに‘救い派’と言います。あまりにも悪霊に苦しめられる人が多くて、この話をしたところ、これを見て ‘悪霊論’と言います。私たちは、状況を見ながら、本当に祈りの答えを受けなければならないのです。
・私は確信して約束します。皆様が今日、この契約を捕まえる瞬間に、皆様の家庭のすべての霊的問題は解決するはずです。今日、皆様、この契約を本当に捕まえる瞬間に皆様に隠れて、知ることもできない病気がいやされるはずです。確信して約束します。この契約を捕まえてくださることをイエスの名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、本当にこの答えを受ける重要な時間になるようにしてください。神様のみことばを本当に信じる時間になるようにしてください。偶像崇拝をした人々、ムダン(霊媒師)の話を聞かないで、神様のみことばを聞くようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン
 


2部/ 謙遜と力のある一般信者
(使徒18:24〜28)
-イ・テウン執事、アメリカ賛美使役派遣礼拝-
 
 
 
・今晩は 2部礼拝ですが、私たちのイ・テウン執事の派遣礼拝でもあります。次にまた機会があるでしょうが、一応、今日はともにささげる最後の指揮と礼拝になります。私が個人的に思う時には、私たちの教会にとどめておけば良いでしょうが、世界の福音化という大きいことのために、むしろ派遣をして、後援しなければならないのです。
・特に、イ執事はオーケストラの執事なので、指揮の幅と形が違いました。これから執事が行く所に真の賛美がおきて、私たち教会にも良い真の賛美が回復することを希望します。私は、皆様の子供達やレムナントたち、派遣される主のしもべに言うならば、必ずこの話をしてあげたいのです。私たちの学生達と役員の子供たち、牧師の子供たち、全世界のレムナント達に必ずしてあげたい話があります。
・まず最初に、自分に福音の証拠があるべきだということです。それより重要なのことはありません。証しも色々な働きも重要ですが、自分自身に福音の証拠がなければなりません。今回、韓国の選手がサッカーをして、ヨーロッパに勝ったので、若い子達が大声で興奮して喜びました。私も気分がとても良かったのですが、そんなにうれしくはありませんでした。私は毎日、神様が私と共におられる救いの祝福を味わっています。それで、私たちの執事が行く所ごとに、その祝福を味わうように願います。
 
・私たちのキム・ヨンギ執事がこういう話をしました。サッカーをする時は、他の人は大声で怒鳴ったり、残念がるのに、柳先生はそのままいるということでした。なぜなら、私は、負けてもよくて、勝ってもかまわないためです。そんなに大きく重要なことではありません。もっと重要なことは別にあります。
 
・私たちの民族にまかせられた世界の福音化をどのようにするのか? これが最も重要です。私たちの学生達が、私は神様の子供だな! この証拠が毎日なければなりません。私は、これで神様の子供だな、この証拠が自分になければなりません。すると、そのようなことが毎日起きるはずです。これが最も重要なのです。
・私は福音を受ける前は、何もできることがありませんでした。なにかが異常でした。なにか合わなかったのです。それで、サッカーような事があれば、いのちをかけて見ていました。別に親しい友人ではないにせよ、友人ができれば、そこに時間をすべて使ったりしました。なにかがおかしかったのです。なにか尋ねれば、答ができないのですが、なにかが合いませんでした。なにか気楽ではなかったのです。
 
・私が救われて神様の子供になった後に、毎日のように証拠が与えられました。私が神様の子供になったことは、あまりにもうれしくて感謝なことだな! まだ未信者の中に、私よりもっと祝福された人に会ったことはありません。大統領等、成功したという人に会っても、対話する中に私がこの方を手助けしなければならないという考えになりました。
・世の中を見て、人を見る時「あ! あんなふうだから、私が手助けすべきだ!」こういうことが感じられなければなりません。また失敗する多くの人を見ながら、失敗する理由が見えなければなりません。それでこそ、伝道ができます。それとともに重要な三番目のことが、福音を知れば知るほど、すべての分野に目が開かれるということです。
 
・それで、私はレムナントの中に、ヨセフ、ダニエル、ダビデのような人物が起きることを祈っています。知らない人々が神様のみことばと世の中が違うと言っても、それは知らないことです。福音を本当に知っていれば、まちがいなく事業にも成功します。なぜならば、福音はあらゆる問題の解決であり、またとても実際的なためです。福音を本当に理解するならば、公務員をしても成功します。これが開かれなければなりません。クリスチャンが、これができない状態で行くために、だめなのです。レムナントと執事たちが捕まえなければならない部分がこれです。
 
・例をあげます。ダニエルは、国が間違って捕虜になって行ったのですが、行く所に祝福が現れました。博士、呪術師、あらゆる人を合わせた知恵より、もっと大きい知恵がダニエルに臨んだのです。王がダニエルを総務に立てました。政治家は昔も今もまったく同じです。ダニエルがあまりよくできるので、ダニエルの弱点を探したのですが、一人で静かに銅像の前にお辞儀をしないで、神様の前に祈るということを知ったのです。
・それで、王に行って王が作った銅像でないものに手をついて礼をすれば、殺すと決議しました。王が見ると、気分が良かったので、印鑑を押してくれました。その印鑑を王が押したゆえに、誰も変えることができません。そのようにしておいて、ダニエルを告発しました。その時、王が知ったのです。ダニエルを失脚させる作戦を立てたということです。それで、止むえず決まったように、ダニエルを獅子の洞窟の中に入れたのでした。
 
・ダニエルが獅子の洞窟の中に入っていった時、王がこう話しました。“あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。”法だから、やめるわけにいかなかったのです。ところが、その時、法が獅子の穴で死ななければ、天のみこころだと思って殺さなかったのです。翌日、ひょっとしてという思いで王が獅子の穴に行って“生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか?”この時、何の声も聞こえないならば、死んだことですが、“王さま。永遠に生きられますように。” と言いました。昨夜に神様の使いが獅子の口をふさいだので、私に何の害も加えなかったと言いました。
 
・ダニエルは10章に、時代的な知恵を得ました。ヨセフを見ましょう! ヨセフは、時代的な知恵を得たのです。私は私たちのレムナントが、皆そのようになれると思っています。私は体験をしました。私が大きい人物でないで、大きく体験はできなかったのですが、体験をしたのです。どのように私が未信者に福音を伝えにいって、どのように未信者の状態が見えるでしょうか? どのように信者を見ながら信者の祝福が整理できるでしょうか? もっと恐ろしいことには、いままでどんなに驚くべき天才がいたのに、伝道資料を残すことができなかったのです。
 
・私は、確信しました。私たちの子供が本当に福音を受けて祈れば、時代的な知恵を得ることができます。私たちの学生達が、心にこれをいだかなければなりません。これを子供達に伝達しなければならないのです。神様の子供は、格好良いのです。外国に留学に行く学生達が、神様の子供になっていて、福音を知っていることは、本当にすばらしいことなのです。
・今日、プリスカ・アクラの夫婦がしたことが出てきます。一言で謙遜と力のある一般信者です。それなら、私たち一般信者は、どのようにこの人達がこの祝福を受けたのかを確認しなければなりません。
1. プリスカ・アクラ夫婦は、本物の福音を受けた人です。米国に行けば、福音でない人があまりに多いために、すこしは注意して探さなければなりません。かと言って、あまり表には出さず、すこし知って利用しなければなりません。このプリスカ夫婦は、本当に福音を受けた人です。使徒2:10が証拠です。この時、初めて福音が宣べ伝えられた場にローマから来た旅人と言われていますが、この人達か、この人から受けた人です。パウロに会う時には、福音を確信した証拠がありました。
 
・私が幼い時、道を歩きながら時計を売る人がいました。この時、時計を買った人の10人の中で8人はほとんどにせ物でした。ほとんど表面と中が違っていたのです。それを“ケース変え”と言いました。ケースを変えるからそのように呼んだのです。その特徴は、外を揺らせば中が動くのでした。この時計は、水に入れれば、まちがいなく水が入って使うことができなくなりました。時々行って見れば、日本で買ったり、外国で住んだ人間は本物をはめているのですが、この人たちは、わざわざ浴場にはめて入っていったりしました。福音も同じです。本物とにせ物は、見つけられるようになっています。
・むかしには、家ごとに一個ずつラジオがありませんでした。幼い時、ラジオひとつあれば、格好をものすごくつけて歩きまわったのです。私たちは、それを見ながらあれがラジオのようだ! とうらやましがったのです。外国に行ったり、船に乗っている人は、ラジオで買ったら、それをみせびらかして回ったりしました。それを知って、戦争後には1戸に線をつなげて、ラジオを聞かせてくれる家がありました。ところが、私たちの勝手にできなくて、その家から送ってくれるまま聞かなければならなかったのです。時間に合せて送ってくれと言うのに、その家の自由に音を聞かせたのでした。私たちはボリュームだけ、上げて下げするだけで、他にはなんの権限もなかったのです。その時、おじさんが修理して、お金を受け取っていたのです。
・戦争の時の話です。今、皆様は理解できないでしょう。それはラジオだと言うのでしょうか? 福音を持って、そのような方法で信仰生活をしてはなりません。今、米国と韓国の教会に救われることができなかった信徒があまりに多いのです。そして、教会に通いながら、福音のものすごい秘密を味わうことができない人があまりに多いのです。教会にきて仕事は多くするのですが、福音に助けになることをする人がきわめて稀です。それで、私たちの執事と私たちのレムナントが、それだけ発見しても大きいことなのです。
・すると、プリスカ夫婦のように祝福を受けるしかありません。本当に福音を受けたのでしょうか? これだけなれば、殆どなるようになっています。
 
2. 本当に教会生活に成功しました。使徒18章に見れば、プリスカ夫婦がパウロに会ったのです。先週に話をしたのですが、出会いの祝福です。私たちのイ執事とレムナントに、出会いの祝福があることをお祈りします。ここにものすごく貴重な学生達がいます。今、レムナント達がカナダで、ヨーロッパで、米国でこのメッセージを聞いています。私が皆様の学生達に切実に祝福することが、出会いの祝福です。福音を本当に持った教役者! 福音を持った実力ある友人、福音を持ったエリートの先輩、福音を持った基本が取り揃った配偶者、これより大きい祝福はありません。
 
・私は未婚の女の人や男の人が、早く結婚することを、そんなに良いことだと考えません。ある面では、行かなくても良いと考えています。雑巾のようなものに会えば、毎日雑巾を扱わなければなりません。学生達、女学生達が、祈りを本当に確実にして、男の人に正しく会わなければなりません。男の人も同じです。この頃は、女の人がとても異常なので、特に正しく会わなければなりません。
・この頃は、女の人がもっと横行しています。以前は、女の人たちがへそを出しているTシャツを着ているのを見て、悪口を言ったのですが、私の考えでは違うと考えました。おばあさんは、へそを出すでしょうか? 自分をとてもよく知っているために、おばあさんたちは、そのようなものを着ません。ところが、今回見たら、へその中に太極旗を描いていたのです。本当にたいしたものです。
・一度は、食堂に座ってご飯を食べているのに、とても善良に育った女学生2名が入ってきました。とても清潔に育っていました。それで、焼酎を一本持ってこさせたのですよ。ところが、それを象がビスケットを食べるように、すぐ飲んでしまって、また一本持ってこさせたのです。そのように、二本をあっという間に片づけて、口を拭いて行ってしまいました。本当に驚いたのです。この頃の女性の胃は、むかしの女性の胃と違うようです。
・この頃は、男子の青年達がより祈りを多くしなければなりません。最高の祝福が出会いです。プリスカ夫婦が出会いの祝福を受けました。時代的なしもべパウロに会って、ローマまで行って働きました。本当に教会生活を正しくしたのです。
 
3. この人達は、本当に人格的に謙遜で、終わりまでしました。ローマ16:3を見ると、ローマまで行ったのです。神学者の注釈を見ると、ローマに墓があるとなっています。終わりまでした人々です。はじめにペテロに福音を受けて、パウロとともに終わりまで行った人が本当に福音の人です。こういう一般信者になることを願って、こういうレムナント達がおきることを希望します。
・最後にひとつお願いします。私はプリスカ夫婦を見ながら、福音が確かだという考えととともに良心的に感じたことが一つあります。基本ができているな! 夫はユダヤ人教育を、夫人はローマ教育を受けたエリートです。皆様が今から何をしても基本を確実にしなければなりません。そして、これを正しくしなければならないのです。必ず頼みます。
・私がこのように名前を話す訳にはいかないのですが、普段に見ても本当に良い大学に通って、人格も良い一人の女学生を見ました。ところが一回は嫁に行くと言ったのですが、男がおかしな人でした。自分たちの間で結婚したので、話は出来なかったのですが、本当におかしな男性でした。なにおかいわんや、すぐ離婚しようと言ったのです。そのようになるしかないことが、この男の人は基本がなっていなかったのです。基本がならなくて、なんでも揺れました。それで私が見る時、福音を持った私達が揃えるべきことが基本です。事業をしても、仕事をしても、基本を確実にしなければなりません。
・ある人は、開拓をしても、事業をしても、すぐしたのですが、すぐ止めたのに、基本がなっていないからでした。世の中があまりに険しいために、基本が重要です。私がいろいろな人に会ってみた中で成功した人は特徴があります。今回、全羅道の道知事で出てきた方、日本のパク・サンエ博士のような人は特徴があります。必ず私が何かの話をすれば書きます。この人達がものすごく学がある人なのにそうです。今回、道知事で出てきた人は、高試をパスして、国家で認めるエリートです。そして、パク・サンエ博士も東京大学でも認める博士なのに書くのです。
・普通の人は、やたら聞いても、忘れてしまいます。学生達はこの人達に学ぶべきです。一つでも確実にしなければなりません。こういう基本がなっていなければ、社会生活が難しいのです。福音を受けたゆえに、基本を揃えましょう。私たちの学生達、大学生に教えることはそれだけです。基本を揃えて世界の福音化を準備しましょう。
・執事が米国に行けば、子供達に基本を正しく教えなければなりません。基本を正しく教えることができなければ、大変なことになります。基本を正しく教えることができないから問題がくるのです。学生達がたくさんいるのに、小言が本当に良い教育です。小言をたくさん聞いていない子供は、社会に行って勝つことができません。基本が本当に重要です。基本だけよくできていれば、いくらでも成功します。
・ヨセフが奴隷へ行ったのですが、祈りながらとても仕事を良くしました。ポティファルが話す言葉がない程、誠実にしたのです。そのようにしなければなりません。ヨセフがあまり誠実にしたので、その家に祝福が現れました。このポティファルが、ヨセフを自分の家の総務としました。おわかりの通り、監獄に行ってもとても誠実にしました。この監獄が祝福を受けたのです。この人が国務総理になったのに、どれくらい仕事を良くしたでしょうか? 全世界にコメを売りながら福音を伝えたのです。基本が重要です。
 
・私はこのレムナント等と米国に派遣される執事の家庭が、そのようになるはずだと信じます。最後に差し上げたい言葉があります。人には、信じられる人がいて、信じられない人もいます。その基準はありません。ところが、執事は信じられます。祈りで助けてもむなしくならないでしょう。それで、この執事は成功した人です。私たちの学生達の中に、これから重要なことをする人が多いのを知っています。何かが信じられない人がいます。なにか仕事を任せても壊すような人がいます。とても神経を使うようにさせる人もいます。しかし、信じられる人がいるのです。私は執事が信じられます。人を信じるそのような意味の信仰でなく、信じられるのです。
 
・私たちのあらゆる執事等とレムナントと一般信者に、この祝福が臨むことをお祈りします。
 
<<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。あらゆる栄光を神様にささげます。私たちの生涯の歩みごとにこの祝福が臨むことをお祈りします。今日、プリスカ・アクラ夫婦に与えられた祝福が、すべての一般信者に臨むことをお祈りします。これから遠くの国、世界的な国、米国に私たちの執事の家庭が出発します。神様が同行なさって、いつも守ってくださることだと確信します。福音の人であるゆえに、行く所ごとに暗闇の勢力は崩れると確信します。また、私たちの全地域に散在したレムナント達を守ってくださりながら留学現場にいる学生達を守ってください。時代的な知恵と祝福を与えてください。主の聖霊が完全に治めることを確信します。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします -アーメン-