2002年7月14日 インマヌエル教会聖日メッセージ


1部/ 信じた後に起きること
(マルコ5:35-43)
 
 
  
・人々がお腹が痛いと言いながら死ぬので、これは何の病気なのか? と考えるようになりました。その時、メイヤーという医者が初めて‘お腹の内に問題があって痛くて死ぬのではないだろうか?それなら、お腹を開いて痛い部分を解決すれば良いのだ’と考えたのです。もちろん、人類が生まれて初めて考えたのです。ところが、その話を続けたら、他の医者たちがメイヤー博士が狂ったと言うのです。人のお腹を開いたら、人は血を限りなく流すはずで、人は死んでしまうから、どのように生きるかということです。ところが、メイヤー博士は生きることができるとずっと主張したのですが、誰も信じようとしなかったのです。それで、初めて自分の娘を試験の対象にして、娘のお腹を開いて盲腸を出して見せました。ところが、娘が死なないで生きていたのです。それが、世界の手術の始まりです。その時から、医学界には革命がおきたのです。薬を飲んで待たず、手術をしようということです。ひとりが持っている信仰が、それほど重要です。他の見方をすれば、信仰ということは、荒唐無稽に見える時が本当に多いのです。
 
・太陽と月と星が私に手をついて礼をしたという話を聞いたので、兄たちが真に慌てました。「ヨセフ、おまえに私達が手をついて礼をするのか」ということです。ところが、祈りを多くする父ヤコブは、その話を心にとめていたと記録されています。
・イスラエル民族に向かって「私達が歩いてカナンの地まで行くことができる」とモーセが主張しました。真に荒唐無稽な話です。しかし、その話は成就しました。私たちは、信仰ということを見る時、ある時は真に荒唐無稽で、非科学的に見える時があります。
・小さい少年がゴリアテと戦うというので、多くの人々が反対しました。しかし、ダビデはゴリアテに勝つ信仰があったのです。私たちは、その結果をあまりにもよく知っているでしょう。
・それで、今日‘信仰の後に起きること’というタイトルで皆様の信仰を点検してみましょう。
 
・少し神学的な話ですが、カルヴィン主義、アルミニウス主義という言葉があります。
 カルヴィン主義とはカルヴィンという神学者が、アルミニウス主義はアルミニウスという人が主張した内容です。二人とも有名な神学者です。カルヴィンは、全部みな神様が計画しておかれたと主張しました。信仰がちょっと強くみえます。しかし、アルミニウスはそのように主張しませんでした。人はロボットでもないので、なんにもしなくて静かにいて良いのかと言いました。人間がなにかをする時、神様が祝福なさるのではないかという主張です。二人とも一理があります。私が見る時は、二つの中どれか一つだけをあまりに強調するということが間違っていると思います。二つともに一理があるのです。
・カルヴィン主義を主張したのが長老教で、アルミニウス主義は聖潔教です。今にきて見れば、より大きくなった教団が長老教です。それで、韓国では長老教は大きい教団で、主人のように認められます。時間が経つほど、アルミニウス主義は淘汰される状況がきました。そのような中で人間の努力をとても強く主張したのが、純福音教団です。今でもこの二つの理論はずっと喧嘩をしていると見ればよいでしょう。しかし、私が聖書を見る時はそうでなくて、二つとも一理があります。この二つをあまり主張をしたり、否定することも問題があります。
ただ、私たちは3種類ほどを区分する必要があります。
 
1. 救われる信仰。これは神様がくださったのです。これは私達が努力してできることではありません。皆様の中に努力して生まれた人がいますか? 実際に私達が肉体のいのちを得ることも、私たちの勝手に出来ないのに、救われることを勝手にできるでしょうか? そのような意味では、カルヴィンの主張が正しいでしょう。「人間は創世記3章以後に全部みな滅びてしまったゆえに、救われることができない! それで、人間には希望がなくなってしまった。全的に滅びてしまった。」これがカルヴィンの主張です。英語ではTotal。全部で、全体です。そのために希望がありません。
・ところが、神様が人間を救われるのに、私達が持っていることの中には救われるのに当然なことは、一つもありません。それで、神様が条件なく呼ばれたのです。言わばお金を出しなさい、なにかをしなさいということではなく、条件なく呼ばれたのです。イエスだけを信じるようにされたということです。ところが、無条件にみな救われることではなく、神様が備えられた民があるのに、備えられた民は、その時刻表になれば、誰も防止することが出来なくて、自分自身も拒否することができないのです。そして、救われた神様の民は絶対に滅びません。何故でしょうか?神様がのがさないからです。カルヴィンの主張です。本当に正しいの話です。
・私はそのまま長老教に通っていたのですが、本当によかったなと思います。また、そのまま神学の勉強をしていたのに、長老教神学をしたのに、本当によかったなと考えます。ものすごく救いに関して聖書に合って良いのです。
 
・エペソ2:8 恵みによって、信仰によって救われるとなっています。私達が救われたのは恵みであり、信仰でもありません。手段、方法が信仰であって、信仰で救われるということではないということです。私達が救われることは恵みです。‘恵みによって信仰によって...’ どれくらい間違いない話でしょうか?
 
・ 私達がこの事実を本当に信じる時から、霊的なみわざが起き始めます。それで、私達が聖書66巻の核が分かり始めるのです。創世記3章を理解することができなくて、人々がみな死ぬよ! それが創世記です。それを理解できなくて奴隷になりました。それが出エジプト記、レビ記、民数記、申命記です。この救いの契約を捕まえてカナンに入っていって、霊的な戦いで勝利することがヨシュア、士師記、ルツ記です。それからは祭司長、王、預言者を選んで神様を正しく信じるようにしたのが旧約の歴史書物です。王、預言者、祭司長では救いができない。だから真のメシヤを待ちなさいというのが、旧約の結論です。
・それで、真のメシヤ、その方がいらっしゃったのです。聖書通り、預言した通りいらっしゃいました。それが四福音書です。すると、イエスを信じると本当に証拠がくるのでしょうか? それが使徒の働きと最後の書簡です。パウロの書簡、ペテロの書簡がおもなものです。本当に私達が神様の子供にならなければならないのか? イエスを信じなければならないのか? 信仰生活をだいたいにしても良いのか? 私達が今どれくらい難しいでしょうか。遊びにいかず、何故ここにきて礼拝をささげているのでしょうか? これから週5日勤務制になって二日ずつ休むのに、遊びにいけばどれくらい良いでしょうか? 私達が敢えて献金して、伝道しながら生きる必要があるでしょうか? そこに対する答がヨハネの黙示録です。今、私が聖書 66巻を話したのです。ですから、聖書66巻の核が見えるでしょう。
・皆様は、このように理解すればよいのです。掘り下げれば、教会史の2種類の戦いは、信仰で救われる、そうではなくて行いもすべきだというこの二つの戦いです。パリサイ人達が行いを主張しました。ところが、パリサイ人達が滅びるので、イエスを信じてこそ救われると言いました。また、中世教会が行いを主張したのです。人の頭は終わりがないから、お金を多く出して札を買うならば救われる! まで出てきたのです。なぜならば、どんどん行いを主張しているので、そのようになるのです。だから、完全に滅びる時まで行くようになりました。
・その時に、完全に反対になる話をルター、カルヴィンが持ち出したのです。‘義人は信仰によって生きる’ これが正しい話なのに、その人々には理解できないので、力がある団体で異端にしてしまいました。今でもよく見ればその戦いです。イエスをよく信じないで、教会だけ通う人を見れば、行いだけを主張する人の方向とより親しいのです。イエスの話より何か生き方の行いを話すほうがより楽です。間違いではないけれど、そのようになれば、われ知らずイエスが遠ざかるようになります。こんにちもそっくりです。それで、タラッパンでただイエスだけを持ち出したのです。これは簡単な話ではありません。
・あなたがたがある日、重要な時点で知るようになる日がきます。その時はおそいのです。皆様の家と家系に霊的な問題が深刻に入って来る時は遅いということです。その時は、多くのことを行なうでしょう。それで救われる信仰は、私達が作ったことではなく、神様がくださることです。これは努力することもなくて、そのまま信じることです。何故でしょうか?私達が作ってあげることでもありません。それで“義人は信仰によって生きる” この話がなんの話なのか理解できるのです。ところが、これだけがあるのではありません。 これから聖書に見れば、生き方が出てきます。この時、2番目の信仰が出てくるのです。
2. 神様の計画であることが確実でしょうか? すると信じることです。これは救われる信仰と違ったことではないけれど、すこし発展したことです。私が神様の子供であることが明らかだということが、神様が生きておられることが確かだということが前提になった時、可能なのです。すると、神様の計画はなにでしょうか? その事実を私が信じるのです。これを信じる時、みわざが起きるのです。
・紅海の前でした。確かに神様がカナンの地で行くと約束なさいました。これが神様の計画です。すると、紅海がふさがれば、どのようにするでしょうか? 死んでも水の中に入っていくのです。その時、水が分かれるのです。ヨルダン川の中に入っていくのです。その時、分かれました。祭司長の足が水に浸ったら、分かれたとなっています。
・敵軍が上から見下ろしているのに、城壁の下をまわるということは話になるでしょうか? エリコの城壁をまわったのです。城壁の上には槍や刀、石のようなものを持っているのに、その下をまわるということは話になるでしょうか。しかし、そこを回るとき、城壁が崩れたのです。
 
・ギデオン 300人の勇士が信仰を持って行った時、みわざが起きました。今日の本文にも、イエス・キリストの話を聞いて信じた時、みわざが起きたのです。こういう信仰があります。違ったことではありませんが、私達が救いを得るということは、私達が信じてあげて私達がもらうのではなくて、神様が私たちにくださることです。億万の罪悪の中で死なねばならない私達が、救われることは神様の恵みです。実際に私と皆様が、私たちの過去をみなさらけ出したら、恥ずかしいではないでしょうか。敢えて私達がどのように救われるでしょうか? そうではないでしょうか? 私と皆様が幼い時、鉛筆を盗んだことから始めて、全部みな話すならば、私達がどのように救われるでしょうか。皆様はどうかは知りませんが、私は自信がありません。神様が、キリストの十字架で、私のあらゆる罪を担って救いを下さいました。

・それなら、2番目に付いてくることが何かというと、神様の計画が何か?です。この事実を信じる瞬間から、神様は始められるのです。皆様は、2番目の信仰を理解しなければなりません。それで失敗したくなければ、神様の計画を見なければなりません。これがあまりに重要です。ヨセフ、ダビデ、サムエル、ダニエルがこの信仰を早く発見しました。神様の計画を早く発見するという、この信仰がものすごく重要な信仰です。皆様が世界の福音化の重要な計画を発見するということは、相当な答えがくるようになっています。

・皆様が2番目の信仰を発見しなければなりません。救われたということは、神様の恵みです。皆様がこの事実を知って信じるその瞬間に、霊的なすべての問題は解決し始めます。何ゆえに祈るのでしょうか? 神様の計画は何でしょうか?! なぜ私達がみことばを詳細に聞くのでしょうか? 神様の計画は何でしょうか? あるものは私たちの頭では、とうてい理解できないのに、何故譲歩するのでしょうか? 神様の計画がなにでしょうか? とても苦しいのに、何故待つのでしょうか? 神様の計画が何でしょうか? ある時には、本当にすることがいやな仕事があります。それでも、神様の計画は何でしょうか? ある時は、私達がみな犧牲することができます。神様の計画が何でしょうか? これが私たちの信仰です。本当に救われたなら、その次にくる信仰です。重要なこの信仰を回復すべきです。

・それで、今からでも小さな事にも、神様の計画をいつも尋ねることができる信仰にならなければなりません。そのようになれば、なんでもないことのようでも、選択も、生き方も、話も、皆すべて変わります。皆様は既に呪いから解放されたので、それだけ発見すれば、今から信仰生活は完全に失敗したとしても大丈夫になるようになっています。私たちの教会が、ものすごい働きをしようとするのではありません。私たちの教会に対する神様の計画がなにか? これを発見するのです。そこによって、私たちは信仰を持つようになるのです。

・私ははじめからそのように感じていました。私たちの教会は、伝道訓練ができる教会ということを、私は開始の時から知っていたゆえに、そこにしたがって準備したのです。それは、私の信仰です。何故でしょうか?神様の計画だと知っていたためです。

・私たちの教会は、産業宣教もそのようにして、ソウル、大邱ではしないで、知らないことをしなければなりません。何か訓練をさせることができる産業宣教。なにか世界の人々が関心を持って祈れる機能宣教をしなければならないのです。すべての教会にくださったことではありません。神様がみな計画に従ってくださることです。

・ソウルでとても説教をうまくやる、ある方が私たちの教会にきて訓練を受けて、一年後にタラッパンを放棄してソウルで新しく開始されました。自分は自信があったのです。釜山の田舎のようなところから、交通もよくない所でするのを見て、自分がいる所は施設も良くて、環境が良いということです。 そして、柳牧師のメッセージを聞いてみると、体裁もよくなく、釜山なまりで世界の人々が聞くのが難しいということです。あらゆる条件が、自分が良かったのです。

・正しい話です。私たちの教会が35坪にあった時、そちらは教育館というものすごい施設がありましたから、その方達の考えが間違っていたのではありませんでした。それで堂々と新聞に広告も出して合宿訓練を始めたのです。私は話だけ聞いたのですが、はじめに合宿訓練をしたら、700人が来たということでした。すべての教会のエリートが集まって、献身して、豊かな恵みを受けたそうでした。私たちの教会は、いままで訓練をしているのに、そちらでは、2度目の訓練に7人が来て、三度目は一名もこなくて、自動的に門を閉めました。

・その人が、私より能力がなかったからでしょうか? そうではありません。神様の計画というものがあるのです。もちろん、上手にやれば良いでしょう。その方のように、格好良ければ本当に良いでしょう。しかし、根本的に私たちの神様の計画というものがあるのです。この人に対する神様の計画、皆様に対する神様の計画、私に対する神様の計画がみなあるということです。私は誰でも神様の計画がみなあるということを確信しています。

・米国にいる人々がメッセージを送ってきました。礼拝の時、ソン・ウジョン姉妹がする通訳が自分達にはちょっと良くないということでした。自分達が聞くので、良い方を立ててくださいということでした。ところが、それは私の勝手にできる部分ではないのです。ところが、フィリピンから連絡がきました。いままでいた方の中で、自分達と最もよく合う方がソン・ウジョン姉妹ということでした。だから、私の考えでは‘アジアも救われねばならないのだ’という気がしました。こうであっても、ああであってもかまわないのです。みな神様の計画というものがあります。だから、東南アジアの英語圏は、米国とすこし違います。あまり米国式ならば、東南アジアではよくわかることができないのです。すこしは韓国式でなければならないのです。私が見るには、すべて神様の計画です。皆様がこの部分を発見することが、とても重要です。

・私は、神様の子供です。私たちの教会に対する神様の計画は何か?私に対する神様の計画が何か?信仰生活にいつも失敗する人々は、早くこの考えをしなければなりません。皆様が救われることができなくて失敗するのではありません。神様の計画を見ることができなくて失敗するのです。ものすごく重要です。もちろん、失敗しても神様の計画があるのです。一生失敗することも、神様の計画でしょうが、本当にそのようになるならば、すこし悪い計画ではないでしょうか。

3. 救われた私に神様が与えられた特別な計画があります。それを私たちはヴィジョンとみなすのです。このようになれば、これは不信仰ではありません。これを持って大きいヴィジョンを持つのです。

・私たちの学生達は、2種類を経てヴィジョンを持ちましょう。私の説教がわかるでしょうか。そのままヴィジョンを持てば、未信者と違いません。それではなく、私が神様の子供です。確実でしょうか? それならば、この時代の神様の計画は何か? この二つのことを参考にして、私がヴィジョンをいだかなければなりません。そうしてこそ、失敗がなくて、未信者に勝つことができるのです。未信者が占いに行くのは、天のみこころをさがしにいくことなのですが、私達が下手すると、未信者より信仰がなくなるのです。

・信仰を持って、この時から私たちの学生達は大きいヴィジョンをいだくのです。年をとった方達も、今日大きいヴィジョンをいだくように望みます。皆様が知らないからですが、皆様がヴィジョンをいだけば、ちょっとした病気は皆良くなります。皆様がヴィジョンをなくして、なんの希望もなければ、まちがいなく隅々に病気が生じます。癌が突然にできるのではありません。皆様のからだと考えと色々な部分が抑圧されていて、現れるのです。ある日突然に来る風邪のように生じるのではありません。今日、皆様が神様のみことばを聞きながら、長老、一般信者、執事、教役者が自らの神様が与えられた計画を捕まえてヴィジョンをいだくのです。皆様の立場通りになせば良いのです。そして、可能なことから段階的にしていくのです。私達がどんなにできが悪くても、神様が与えられたタラントがあります。それをもってするのです。どんなに私が弱点が多くても、私に与えられた小さな長所をもって始めるのです。

・私が以前に青年一名を伝道したのに、この青年は何にもできることがありませんでした。家でも遊んで、仕事をしにいっても適正でないことして、そのまま過ごしていたので、簡単に話せば不十分な男子でした。なんにも上手にやることがありませんでした。それで両親がいう話が “おまえは正しくできることがない!” という程でした。ところが、この青年が教会にきたのです。福音を受けても、非常にしない体質になっていたので教会に行ったり来たりしていました。

・ところが、私がこの人が良くすることがあると発見したのです。毎日遊びながら回っていたので、そのギターをすこし弾くことが分かりました。私が見ると、正式に習ったことはなくて、すこし弾く程度でした。それで私が賛美チームに座らせたのです。この人が想像以上によくしたのです。そして、何日か後に力を得て、突然に学校に通い始めました。その他をこのように習ってはならないと決心して、本当に正しく習ったのです。この人が賛美をするのに、その人を通じて全体がみな息をふきかえしました。本当に人というのは、怖いのです。その一人が息をふきかえしたら、みな息をふきかえしたのです。

・人は誰にでも、どんなに良くない人にも長所はみなあります。可能なことを持って、段階的に少しずつし始めて、ヴィジョンを抱いて最善を尽くすのです。そのままするのではなくて、ヴィジョンを持って最善を尽くすのです。すると、目が開かれます。そして、神様が準備されたことがとても多いということを発見するようになります。

・人がしていれば、合間には妨害もきます。そして、合間に危機がくることもあります。していなかったことをするので、問題がくることもあります。当然だと考えなければなりません。その時ごとに、私たちは更新の機会にしなければなりません。その時ごとに、私たちの考えだけ変えれば、いくらでも門が開くようになります。皆様が仕事をしていれば、誰か非難をすることもあります。皆様がその非難を非難として受ければ、限界がきてしまいます。これも一つの意見だと考えればよいのです。皆様がなにかをすれば、他の人達がなんらかの話をすることもできるので、それに神経をみな使えばこまります。もちろん聞かないでもこまります。私を手助けする声だと考えれば良いのです。すると、その契約を捕まえて行けば、いくらでも私たちは限界を抜け出すことができます。この三つの信仰がとても重要です。

・今日 36節にこうおっしゃられました。“イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」”誰の話でしょうか? 会堂管理者になさった言葉です。恐れないで、ただ信じている理由はなにでしょうか? キリストに会った者は、信じさえすればよいのです。かと言って、私達が何でもかんでも信じてはなりません。キリストに会った者は、信じさえすればよいのです。詐欺師を信じて良いでしょうか? キリストに会った者は信じさえすればよいのです。キリストを知っている者は、皆様も知らない間に過去、未来までみな変わったゆえに、信じさえすればよいのです。信じなければ、どのようになるでしょうか? この信仰は、救われる信仰でないために、信じなければのがしてしまいます。この事実を信じなければ、どのようになるのでしょうか? ここで皆様の自由意志が出てくるのです。皆様は 既に救われて計画の中に入りました。しかしここに座っている皆様が、神様が与えられる個人個人の祝福を信じなければ、皆様は味わうことができないのです。それで、これから契約を捕まえて挑戦しましょう。それが、私たち個人に与えられた神様の驚くべき権限です。一人も抜けないで、今日皆様がこの信仰を回復する祝福の日になるように。

・どんな信仰の話でしょうか? 永遠な呪いから出て、解放させられました。それなら、神様の計画は何でしょうか? これから一日一日、神様の計画を発見するのです。これが2番目の信仰です。そして、三番目は何でしょうか? 神様が私にだけ与えられた特別な恵みがあるのです。その契約を捕まえて、これからは希望をいだくことです。そして、ヴィジョンを立てるのです。

・皆様年齢が 70なる方達も希望をいだけば、10年は突然に若くなります。‘これから死ぬ時になったのに...’と考えれば、たちまち老いてしまいます。私はそのような場合をたくさん見ました。

・私が知っている牧師一人が会う時ごとに老いないという気がしました。この方は常時希望があったのですうよ。‘私が教会も建てて、これから副総会長もして...’自らに希望を持っていたのです。年齢が 65-70くらいなのに、ものすごく若かったのです。ところが、ある日完全におじいさんに変わってしまいました。教会を引退して出てこられたのでした。僅か 6ケ月間に姿が 20年ほど老いて見えましたよ。人は、することがなければ、あのようになるのだなという気がしました。・あなたがたにそのまま私たちは無条件にしようという話ではありません。キリストが会堂管理者におっしゃるって‘ただ信じていなさい’なんの話でしょうか? わたしがするということです。万王の王である主がなさるという話ではないでしょうか。祈りなさいということは、なんの話でしょうか? 答えられるということです。だから、キリストを知ったということが、どれくらい驚くべき話でしょうか。今日、万王の王なる主イエスが皆様に信じなさいとなさるのです。ただ信じるだけで! 私達が単純な信仰をいうことではありません。神様の計画を発見したのです。

・あなたがたは、既に霊的に大きい祝福を受けました。それで、皆様一人一人も、そのようにして、私たちの教会が大韓民国では一番神様を喜ばせる計画を立てなければなりません。そして、皆様の未来がどのようになっているか見ましょう。そして、皆様自ら絶望感が生じる時もあるでしょう。今日回復することを望みます。すると、神様が皆様の後にどのようにされるか見ましょう。ただ信じれば。

・私は、先週に私たち教会とタラッパンに良い働き人が多いのに、方向をつかむことができないんだなという気がしました。ところが、人というのは結婚する年齢になれば、結婚もせねばならなくて、なにか押さえられるようになります。どんなに、そのようにしないでおこうとしても、人というのはそのようになります。こういう働き人が教会に本当に多いのです。そして、全世界に出ても本当に多いのです。この方達のために重要なことをひとつするべきだという気がしました。本当にこの人達が、価値ある神様の働きができるようにさせてあげなければなりません。本当にこの人達が、時代的に大きい祝福を受けるようにしてあげなければならないでしょう。そのような考えをしながら祈りをしました。

・私達が希望をいだくということは、単純に未信者が持つそのようなことではありません。私は絶対に疲れない理由があります。40万メンバーが韓国に起きる日がきます。誰が何の話をしてもかまいません。そして、一千万のメンバーが世界で起きる日がくるのです。私がその希望を持って全国、世界をずっと回っています。そうでないならば、できないことです。私が全国を通っているでしょう。どのように、そのようにすることができるのでしょうか。私は明らかな神様の計画を発見したのです。伝道運動が途絶えた時代です。正しい伝道弟子がいません。すると、この人達を立てるのです。どれくらい無理が多いでしょうか。それでもまちがいなくなります。

・私のために、私たちの長老と副教役者がものすごく困難をたくさん受けます。私がすべき訪問もして、計画も共に立てなければならないのに、合間に度々いないから、この方達が苦労をするのです。ある時は、重要なことが出てくる時、長老達が混乱する時もあります。ソウル、釜山もそうで、困難にあっているのではないかという気がします。それでも、私は確信があるのです。皆様がその苦労をすることによって、一千万のメンバーがおきるようになっています。

・昨年, 一昨年にすこし残念なことは、チョ・ジュン市長がヨイドー広場をなくされたのです。40万メンバーがおきる日、そちらで私が集会をしようと思っていました。タラッパンメンバー40万人が集まれば大統領も来て、あなたたちも集まるようになるでしょう。私は色々な思いがあります。純粋にポスターを貼らずに、40万人が集まっているのを見たら…他の人達が見なさいということと開始、色々な意味があるのです。ところが、この前、チョウ・ジュン市長が市長になって、ヨイドー広場をなくしてしまわれました。それで、私たちが集会のようなものは光化門でするしかないので、本当に困ると考えました。

・私は40万メンバーがおきることを確実に知って、いままでずっとしています。それが合宿であり、チーム合宿、ミッションホーム、神学院なのですが、それを置いて続けており、最善を尽くしています。私の希望で、確実な神様の計画なので、絶対に疲れません。誰が何といっても、確かに神様の計画はなります。私はそれを捕まえて、希望を持ってずっと走るのです。 

・3種類の信仰! 記憶するように望みます。私たちを億万の呪いから救われた救われる信仰。神様の計画を発見する信仰。これから私に与えられる特別な祝福を発見する信仰! これを持って今は祈り始めるのです。皆様すべてが新しく始めるように願います。年齢が若くなくてもかまいません。皆様の状態に合うように新しく始めるように願います。

・皆様の中にどんなに失敗していてもかまわないのです。信じるだけで! キリストを信じる者、信じるだけで。キリストという単語は、普通の単語ではありません。信じるだけで。その信仰を持てば、神様は注いでくださるのです。だから、この会堂管理者にそのまま証拠が起きました。今日、皆様に大きい祝福が回復する貴重な日になることを祝福します。

・私たちあらゆる教役者は、最高の指導者になるように計画することを望みます。一般信者は、最高の宣教ができるように計画なさることを望みます。それで、今日、皆様の人生自体が新しく始まる祝福の日になることをイエスの名前でお祈りします。

<<契約の祈り>>神様に感謝申し上げます。信仰を回復させてくださったことを感謝申し上げます。私たちは既に呪いとあらゆる暗闇から解放されました。これから神様の計画を発見する信仰の目を開けてください。自分自身に与えられた神様の特別な祝福を発見する信仰の目を開けてください。それで、神様の計画を成し遂げる開始の日になることをお祈りします。あらゆる人々に神様が与えられた新たな希望を探す日になるようにさせてください。また、このために祈る日になることを主の前にお祈りします。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン



2部/ 神様のみこころを知る道
(使徒19:21)
 

・今、約100箇所あまりで私たち衛星で共に礼拝しています。そして、今、米国、ヨーロッパ、カナダ、オーストラリア、日本、こういう地域で共にインターネットでメッセージを受ける方達がたくさんいます。ところが、今日はちょっと重要な日です。私たちの教会がすべての一般信者が本当に答えを受けることができるように、機能宣教を始める献身礼拝をする日です。そして、これからすべての一般信者が宣教に参加するようになる開始をする日です。

・また、神様にとても感謝して特別賛美をささげるそのような日です。この前、6月 29日に賛美祝祭をしたら、他の教会で共に見ることができるようにしてくださいと要請がありました。それで、今日、私たちの賛美で特別な礼拝をささげる時間になります。それで、私は説教を約5分くらいで終えます。

・何故、そのようにするかというと、今から3週間、神様のみこころをどのように見い出すかについてみことばをお分かちするつもりです。聖書箇所 3ケ所からさがすつもりです。

・もし、皆様がどのようなことをするのにも、神様のみこころであることが明らかだという確信があれば、あなたがたは人生の自信を持つでしょう。もし困難にあっても、神様のみこころが確かにあるということを知っていれば大丈夫なのです。しかし、あなたがたが神様のみこころではないようだという気がすれば、価値がなくなります。今、多くの人々が、神様のみこころは何か? それを知らなくて失敗します。

・今、大韓民国の国民の大部分が吉凶を占おうと通うのですが、なぜ行くのでしょうか? 神様のみこころが何か?未来が何か?それを知らないからです。信者もそうで、牧師もそうで、宣教師もそうですが、とても成功している方があり、なにぶんできない方がいます。それが重要な違う点がたくさんありますが、その中のひとつが、神様のみこころが何か? それを知らないからです。

・事業していて、うまくできたり、できないことは、なぜそうなるのでしょうか? 神様のみこころがなにかを知らないということです。私達がまた歴史を見れば、重要なことがおきたのに、神様のみこころをよく知らないのです。

それで、今日はそのような長い話をする時間がないために、序論だけを話します。3つのことは、明らかでなければなりません。

・最初、神様のみことばをよく知っていなければなりません。神様のみことばをよく知らないから、神様のみこころが分からないのです。例を上げれば、私と皆様が一度も話してみなければ、私の思いが分からないでしょう。次の聖日に話すでしょうが、聖書の中にはすべての答がみなあります。

・そして、2つ目ですが、聖書の中の全てのものがみなある中のですが、2つのことを捜し出さなければなりません。それがまさに、福音と伝道です。それをさがすべきです。私が福音を知らなければ、お金をもうけても滅びることも知らないのです。この地に政治、経済、知識、それ以前に人間です。それがだめだから、地球はどんどん難しくなるのです。そのことを理解することが福音です。
・すると、神様が私たちに対する重要な時刻表があります。それを理解することが伝道です。それで聖書でこの二つを必ず捜し出さなければなりません。
 すると、これから人々の現場、現実、人々の話、これらを事実通りよく見れば、神様の計画が見え始めます。

・基本的にこの三つを持ってずっと祈れば、未来を知るようになります。これから、今日を含んで3週間、このメッセージをするようになるはずです。皆様、これから私たちの教会がどのようになるのかよく分かりませんか?祈りを本当にする人々は、わかります。ですから、イエスを信じる人々は、吉凶を占う必要がないのです。
 
・私は釜山にインマヌエル教会を始めた時、信徒をみて話しました。「もし私が伝道をすれば、周囲の教会や商売人がおきるはずです。まちがいなく、信徒を抜かれると、釜山の老会が立ち向かうはずです。これを全国へ広まるようにして、異端にするはずです。それが教会史にあったことです。もし私たちの教会にこのようなことがおきれば、どのようにするでしょうか? 今から対応しましょう。」私たちの信徒が理解できませんでした。ぴったりその通りになりました。
・聖書を知って、教会史を知れば、未来が明らかに見えるではないでしょうか。私は、今日賛美する聖歌隊員とあなたがたが、本当に祝福を受ける意味ある生活を送るように願います。

・ある人が、こう話しました。ミレーが描いた絵に二人の夫婦が落ち穂を拾って祈りしています。その方達は本当に幸福でした。絵を見たら、その方達は、本当に幸福な夫婦のようです。なぜならば、その人々には自分たちがすることと、神様に祈るべき信仰があります。たとえ落ち穂を拾っているけれど、自分の仕事の意味を知っていて神様を信じる人です。私達が、まさにそうではないでしょうか?

・それがないならば、動物と違いがありません。それで、次とその次の2週間に本当に神様のみこころをどのように発見するか。そのような祝福の時間を持つべきです。皆様自身が、皆様を知っているではないでしょうか。 “私は本当に感謝して神様が祝福した人だ” と分かります。 “私は本当に成功した人だ” と分かるでしょう。

・だれかが私を見てこのようにたずねました。「先生。忙しくいるのに、本当に平安で幸福でしょうか?」心よりたずねました。それで心より私が答えました。「私は本当に幸せです。この福音ゆえに幸せです。」神様の前で自信があります。

・皆様が、そのような生き方がいっしょになければなりません。なぜならば、私たちみなが神様の民であるゆえに。それならば、今日、私たちの賛美がとても重要な日になるはずです。ダビデが賛美をした時、サウル王の王宮とサウル王についた悪霊が離れたとされています。パウロとシラスが監獄の中で賛美をした時、とても奇跡がおきました。

・いままで、キリスト教の福音運動の歴史を見れば、賛美が正しくなっていない時は福音運動が正しくなりませんでした。そのような意味で、ものすごく重要な日だと見ることができます。今日、私たち賛美する神様のしもべと、賛美にともに参加するあらゆる方達がいやされる祝福があることをイエスの名前でお祈りします。

・時間が経つけれど、もう一度頼みます。 'あ、今日は特別な賛美なのだな' そのように考えてはなりません。今日、私が本当に神様に心をささげる賛美の時間にならねばならないのです。霊肉ともに皆様に大きいいやしが起きる祝福の日になるはずです。

<<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。賛美する神様のしもべを聖霊で祝福してください。あらゆる賛美の聞き手に参加する賛美の時間になるようにしてください。外国にいる私たちのレムナントにも驚くべき 神様の恵みが臨む時間になるようにしてください。今、寝ないでインターネットでみことばを受けるあらゆる弟子に働いてください。ともに賛美する時間になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。 -アーメン-