(2002年 08月 11日 インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


1部/ 神様は時間、空間を超越出来る
(マルコ6:45-52)
 
 
 
・聖日礼拝ではなく、私がこういう公式的な礼拝を一万回ほどしたと思います。そのような中で、今週に私は一番恵みをたくさん受けました。たぶん私が集会をした中で、一番落着いてしたのです。その対象は、私たちの学生達です。私ははっと驚きました。今回、レムナント集会をしたのに、学生達がみことばをそのようによく聞いたことは今までありませんでした。単に聞くのと、本当にわかるのは、見れば分かります。私達が友人の間で話しても、その友人が話をわかるか、わからないかと言うことは、見れば理解できます。子供達が神様のみことばをとてもよく聞いたのです。この子供達に対して、こういう結果があるんだなと思いました。また、レムナントの学生達がお願いしてきました。レムナント大会が終わって、米国旅行をするようにしたのに、旅行よりもメッセージをもっと聞かせてくれと言ったのです。これほど、学生達の信仰が成熟するのを見ながら、神様に感謝申し上げました。
 
・私は、いくつか感謝することは、実際には私の親は、信仰がある親でした。そこに対して感謝します。もし信仰がなかったならば、誤ったことを習ったでしょう。全く揺れることがない正しい信仰を持った親を神様は私にくださったので、そこに対して本当に感謝しています。また人々はよく知らないのです。神様が私に教会に信仰がある人を私に付けてくださいました。実際に人々はよく知らないのですが、釜山で信仰が良い人々は釜山インマヌエル教会の中にみないます。本当に感謝しています。ソウルにきて、開拓を始めるなかで、私たちの長老や信徒の中で信仰が良い方達が多いのです。それを見ながら、本当に神様に感謝申し上げて、また見れば私たちのタラッパンの中には、本当に表に出ないで福音を持った信仰が良い方達が多いのです。それを見ながら、本当に感謝申し上げました。
 
・神様が私にも信仰を下さったことを感謝申し上げます。三名から始まった神学院は、今、数万名に変わりました。事務室で教役者10人が始めた核心は、全世界に広がって行って、いままで日が経つに従って働きが起きています。一度も後退したことがありません。今、信仰で始まった釜山、ソウル、蔚山ともに伝道運動をする教会に、私達が願うのではないけれど、神様が時代的な答えを下さることを確信します。何故でしょうか? そうしてこそ、伝道出来るからです。本当に驚くべきことです。
 
・私が願うところではないのですが、神様が私たちのタラッパンに、特にインマヌエル・ソウルに、また釜山に 、首都圏に重要な働き人と釜山にいる重要な働き人の中で信仰が良い人を集めてくださるはずです。すると、その結果は ものすごいことになります。開始は人々がよく知らないのですが、結果はものすごいことになります。
 
・今日のタイトルは何でしょうか。神様は時間、空間を超越なさることができます。今日、皆様に信仰が回復する祝福の日になることを希望します。
 
・一度はタクシーに乗ったのですが、タクシーの中で前にこういうボックスがありましが。そして、ガムを1つずつ広げておいてありました。噛みなさいということです。下の文字を見たら‘心臓病の子供を助けましょう'というように書かれていました。ですから、百円でも千円でも出して、そのガムをひとつ噛めば、その金を集めて心臓病の子供に行くということです。それで尋ねました。これで心臓病にかかった人を直すのかといったところ、この運転手がそうだと言いました。この運動を自分が先ず一番に始めたと言いました。それで、どのように始めたのかとたずねたら、友人の同僚が、会社に出てこなかったので行ってみたら、子供が病気で横になっているのに、心臓病で治療が出来ずにいたということでした。それで、会社に帰って自分が返すから、お金を貸してくださいと言ったということです。社長が何故なのかと聞いて、貸そうと言いました。そのお金で子供の手術をして、お金を返さなければならなかったので、それで会社のなかで全部ガムをひとつずつ噛んで、いくらかずつ出すようにキャンペーンをしたということです。しばらくしてから集めたら、みな返せたということでした。それで、これをそのまま終えるのではなくて、続けていたら4人を治療したということです。これからもずっとするということです。自分の会社はみなするらしいのです。4人の心臓病の子供をなおしたから、すごいことをしたのです。はじめによくなったその子供は、それから大きくなって、今でも健康だということでした。ところが、その方がこういう話をしました。病院を4回も行って、子供の手術をさせたので、医者の先生が、あなたは重要なことしていると言いながら、あなたも身体検査をしてみなさいと言ったということです。それで身体検査をしたところ、胃の癌が初期だったので、手術を良くしてよくなったということでした。それで私が、このように良い事をしたところ祝福されたと話をしました。その方を見てこう話しました。「医者も発見できないことがあるのに、発見できたことはどれくらい驚くべきことでしょうか。癌は 90%が見えないのに、あとで10% だけ表れれば、死ぬのではないでしょうか。あなたがどのように発見ができたのか。神様の祝福です。あなたは良い事をしたゆえに、神様が祝福したと思うのでしょうが、神様があなたを祝福なさった」と言いました。「ところが、あなたは祝福は受けたのに、神様に会う道を知らないでいます。」と言って福音を伝えたことがあります。
 
・今日の聖書を見ながら、必ず記憶をすべきです。新約聖書を読んで行きながら、主題はひとつです。イエス・キリストはだれなのか。いったい福音はどれほどのことか、ということです。ここに対する答を出さなければ、その次のことが全くむなしいものになります。
 
・いったいイエス・キリストは誰でしょうか。何ゆえに死にそうな人に行ってイエス様を受け入れるようにするのでしょうか。死にそうな人がイエスを受け入れて死ぬことと、しなくて死ぬことは、天地の差です。そして、子孫にも他の影響が及びます。いったいイエス・キリストは誰でしょうか。いったい誰なので、その名前を言えば悪霊が追われて、サタンの力が崩れて、身分が変わるのでしょうか。これを理解しなければなりません。これを理解することが最初です。
 
・この福音は、どの程度でイエス様は誰でしょうか。新約聖書の主題がそれです。今日、皆様がここに対する重要な答を得て、答えを受けなければなりません。簡単な話のように見えますが、ここにあらゆる答がみな入っています。
 
・今日は、2002年 8月 11日です。イエス様が来られて2002年 8月 11日 なったということです。いったい誰であって、全世界がこの方が産まれた日で動いて行くのでしょうか。一度も戦ったことがないのに、世界を征服したイエス・キリスト、この方は誰でしょうか。これがすべてです。ここに対する答が、皆様に最も必要なのです。
 
・私は、これを確信しています。イエス・キリストは誰でしょうか。いままで最も多くの影響を与えたこの方はいったい誰でしょうか。レムナント集会の序論で話をしました。イエス様がだれでしょうか? クリスチャンが信じる教祖だ、クリスチャンが信じる救い主だ、このように考えるならば違っているのです。イエス・キリストは誰でしょうか。誰も解決することができない創世記3章の問題を解決なさった方です。キリスト。するとすごいことです。簡単に話せば、私と皆様は、身分、運命、呪いからどんなにしても抜け出すことができません。それから抜け出すようにされた方です。私と皆様が受けねばならない呪いと地獄の権勢に勝つ人は、ただ一名もないのに、それから抜け出すようにされました。キリスト。サタンは確かに存在して、皆様を困らせています。その権勢を破った方がまさしくキリストです。そのキリストがまさしくイエスです。これです。この方がいったい誰でしょうか。ここに対する質問と答が、全てのことを左右します。
 
・今回、レムナント集会に行って話しました。キリストは誰で、レムナントはだれか。ここに対する答を得られなければ、信仰生活は失敗するのです。そうしてからどのようにするかが重要です。私達が信仰生活をどのようにすることかという以前に、その前のことが重要です。いったいキリスト・イエスは誰なのかということです。
 
・それで、イエス様が弟子を集めて先ず一番にされた質問です。とても重要なことをするために、まずされた質問がどういう質問でしょうか。あなた達が学閥がどのようになって、財産と背景が何で、そのように聞かれませんでした。「人々がわたしを誰だと言いますか。」これが重要です。「あなたはわたしを誰だと言いますか。」そのように尋ねられました。その時、誰も返事ができなくて、違うように答えました。「主は生ける神の御子キリストです。」そのようにペテロが告白したのです。地上で最初の告白です。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。」それとともに途方もない祝福をなさいました。あなたがたが新約聖書を読んで行きながら、イエス様がだれか、この質問を正しくできなければ、信仰生活はむなしい事になります。この質問を正しくして、正しい答えをすれば、まちがいなく皆様に働きが起きます。間違いありません。この部分を私が今、伝達しているのです。それが説教です。
 
・あなたがたが、今日必ずこの答を得るべきです。先週には五つのパンと二匹の魚で5千名を食べさせるようになさって、今回は水の上を歩いてくださいました。いったい誰かということです。これが重要です。
 
・イエス様の公生涯の個人生活が、今日出てきます。今日の本文に見れば、祈ろうと山に行かれたとなっていて、苦しめられる人々を探しにいらっしゃって、力あるわざを行なわれました。今日の本文を見るように願います。理解できるでしょうか。イエス様が水の上を歩いてくださったということです。
 
・新神学というのがあります。教会を壊している新神学。私たち韓国教会の半分は、新神学です。皆様はよく知らないでしょうか。それらが全部異端です。本物の異端は、静かに生きています。実際には死んでいるのでしょうが、生きているかの様に見えます。韓国教会の半分は、新神学です。信徒は知りません。その新神学者が何と解釈したでしょうか。どのように人が水の上を歩くことができるだろうか。科学的に考えてみよう。科学的に水の上を歩こうとするなら、どのようにせねばならないか。一歩が水に入っていけば、沈む前にもう一歩を入れればよい。ところが、それが可能な話でしょうか?皆様、水の上を歩くことができるのです。沈む前に入ればよいのです。とにかく、科学的な答です。どのように、そのようなことが出来るでしょうか。そのようなことは、できません。世界の半分が新神学者です。半分も越えています。米国は、完全に新神学です。新神学が何でしょうか? これを解釈しようとするなら、複雑です。それで何と解釈をしたのでしょうか。弟子が見るとイエス様が歩いてくるのに、文を書く記者が見たら、イエス様が海辺を歩いているのに、砂の上に水があれば海のように見えます。そちらへ歩いて行ったのであって、どのように水の上を歩いていくだろうか。このように解釈をしました。本当にかわいそうな人々です。イエス様が水の上を歩いてくださったと記録されています。
 
・いったいイエス様は、誰でしょうか。ここに答を出すべきです。聖書 66巻、旧約、新約に言われている内容がそれです。私と皆様が救われようとするならば、このような方が必要なのです。神様が送られたのです。神様が再創造の祝福と億万の呪いから解放されようとすれば、これが必要だということです。皆様の信仰生活は、はっきりとしなければなりません。熱心にすることも重要ですが、いったいこの方は誰でしょうか。
 
・人間同士でも一番に対話できないことが何でしょうか。相手が私が誰なのか知らなければ、対話ができません。それのように、対話ができないことはありません。また、私をあまりに過大評価したり、私をあまりに過小評価しても、気分が悪いのです。そうではないでしょうか。最も適切な評価でなければなりません。イエス様がだれかわからないのに、どのように信仰生活になるのでしょうか。
 
・神様が、人間に救いを下さろうと、サタンの手の中にそのまま置いておかないで救い出そうと、イエス様を送られました。ほとんどすべてが運命にみな陥ったゆえに、占いやお祓いに行くしかありません。それから救い出そうとイエス様を送られたのです。私と皆様は、創世記3章の問題を解決出来ません。それを解決しようとイエス様を送られたということです。イエス・キリストが、その方がいったい誰でしょうか。この質問が重要です。それが新約聖書全体です。
 
・どのようにして、水の上を歩くことができるのでしょうか。どのように考えるのでしょうか。本当に説教をよく聞かなければならなくて、教会の選択を良くしなければなりません。大韓民国の教会の半分は、信じません。新神学が何か知っているでしょうか。聖書のみことばの中に、処女降誕とか、復活とか、奇跡のようなものは信じるなということです。それが新神学です。びっくりする神学です。それならば、私たち人間は神様のような水準であり、救われることもできないし、人生の重大な問題に出会えば、私たちは滅びるしかないのです。皆様、本当に記憶なさるべきです。水の上を歩いてくださったということは、いったい何の話でしょうか。
 
・第一に、イエスがまさにキリストです。2番目は何でしょうか。イエスがまさに神様です。三位一体です。神様が水の上を歩くことができないでしょうか。三番目は何の話でしょうか。そのために神様は、時間空間を超越なさることができるのです。信じられなかったら、信じないように。皆様は、決定的な日に死ぬでしょう。私は信じます。
 
・神様が人間を救おうと神様を送って、人のからだを着るようになさって、十字架で上ですべてのことを解決なさって、復活なさったのです。今、聖霊で私たちとともに働いていらっしゃいます。これがほとんど信じられないのです。これが新神学です。それで、ヨーロッパが滅びてしまって、米国が滅んで行っています。本当にせつなくて、驚くべきことです。
 
・韓国教会では、否定はしません。しかし、話さないのです。否定しないでも、話をしないことも同じようなものです。キリストに対して話はしません。間違って話すこともしません。話せば生かされるはずなのに、価値を知らないから、話すことができないのです。皆様が信じている、その程度ではありません。
 
・イエス・キリストは、どんな方でしょうか。私達が成功する、することができない、その程度ではありません。イエス・キリストは、誰でしょうか。私達が解放される、されることができない、そのような程度ではないのです。お金を儲けるか、儲けることができないか、そのような程度ではありません。イエス・キリストは、誰でしょうか。創造主です。水の上を歩いてくださった方です。記憶しなければなりません。これを悟ることが最も重要です。
 
・どのように、悟るのでしょうか。皆様がイエス・キリストに対するこの部分を悟ることは、本当にむずかしいのです。弟子達がよく悟ることができませんでした。五つのパンと二匹の魚で5千名を食べさせて残ったので、すごいことだと王にしようとしました。そうしながら、今日、イエス様を見て何と言ったでしょうか。幽霊だと言いました。弟子が悟って、一般人が悟っている内容です。不健全神秘主義です。やたら幽霊です。また、どうでしょうか。五つのパンと二匹の魚で5千名が食べて残ったから、この方はすごいのだな。このように悟ったのです。現在のクリスチャンがよく悟ることができないでいる信仰です。あまりに不健全神秘主義で盲信、狂信する信仰があって、また、そうでなければ、あまりに自分の頭で神様を見るのです。それは間違っているのです。私たちは、聖霊のなかで神様のみことばをよく見なければなりません。絶対に自分の頭で見てはだめです。
 
・15年前に始めた時、釜山のインマヌエルでは、やはり何にもない状態でした。私たち自身で挑戦すれば、なんにもできませんでした。しかし、いまは多くの結果を産んでいます。私達が困難にあうでしょうか。そうではありません。私たちが開拓をしたのは、重要な福音を持った方達が開始をしたのです。私たちは、実際には何にもないと見ても良いでしょう。しかし、神様はそうではありません。私達が正しい信仰を持つことが、ものすごく重要です。
 
・一度は、悪霊に取りつかれて死んでいく少女に会ったので、イエスの名前で祈りをしたのに、よくならなかったのです。イエスの名前で祈りをすれば、何かの反応があるべきなのに、反応がありませんでした。その時、私の心が不信仰になったのです。どんな不信仰でしょうか? というと、これではだめなのではないか。そしてできるとしても、私にはできないことではないか。こういう不信仰になったのです。なぜならば、祈ったのに、なんの反応もなかったからです。イエスを受け入れて、イエスの名前で祈ったのに、何の反応もないので、私の心が不信仰になりました。その時です。違う。私は確かにイエスの名前で祈りました。そして、この少女にある悪霊は、確かにそれを聞いたのです。そして、確かに神様も私の祈りを聞いたのです。そのように、信仰を回復したのです。そして、家に戻ったのですが、その日の夕方に働きが起きました。ところが、このお嬢さんがいやされて、完全にすっかりよくなりました。本当にすごいことでした。
 
・私たちは、いつも不信仰になって、間違った信仰になりやすいのです。私は、一度、自閉症児を集めた所で説教をしに行きました。説教をするのに、子供達が聞くでしょうか。どれくらい騒いでいたでしょうか。その時、私の胸の中でどんな気がしたかというと、説教をしながら、この子供達はよくならないだろう、こういう気がしたのです。これがどれくらい不信仰でしょうか。その時、そうではない、よくなる、よくならないことは、神様の御手にあることであって、この自閉症児に最も必要なことは何だけか。福音でないだろうか。本当に不信仰は持ちやすいのです。正しい信仰を持たなければなりません。
 
・一度、精神病患者に毎週行ってメッセージを伝えていたのですが、どんな気がするかというと、これはよくならないという気がしたのです。何故でしょうか? 反応がありませんでした。私が毎日行くのに、むなしいことではないか、という気がしていたのですが、そうではない。この精神病患者が神様のみことばを拒否して逃げる時もあります。しかし、その人に最も必要なことがあるならば、イエス・キリストの秘密ではないだろうか。私はこのメッセージだけ伝えれば、することは神様がなさるはずです。私たちは信仰が揺れやすいのです。とても重要です。
 
・あなたがたが現実にあう時、その中で一番重要なこと、多くのことをする中で最も重要なのことが、正しい信仰です。見る目ということです。ある方が、重要な病気にかかって、どこかに行って薬を買って飲んだらよくなったということです。この人が、行く所ごとに薬の自慢をするのでした。とても薬の自慢を多くするので、呼んで言いました。「執事、これから薬をほめずに、キリストの自慢をしなさい。何故か? 医者に尋ねて見るならば、薬というのはあなたに合うとしても、別の人に合うということはありません。また、この薬がこの人には良いのに、あの人には害になることもあります。あなたがどうしてそんなに無知なのか。あなたがその薬を飲んで良くなったのは、神様の祝福ではないか。考えてみなさい。多くの薬の中で、多くの病気の中で、あなたの病気とその薬が合ってよくなったから、どれくらい神様の驚くべき奇跡か。」この人がそれを聞いて、その通りですと言いました。そのようにしていて、神様があなたを祝福されるでしょうか。と言いました。
 
・私たちは、重要な信仰を持っているべきです。神様はなさることができます。どんなに困難の中でも、神様は時間、空間を超越なさるために、イエス・キリストを送ってくださって、私たちに驚くべき事を成し遂げられたのです。それで、私たちは正しい信仰を持っていなければならないのです。
 
・その次に2番目に理解せねばならないことは、キリストは水の上を歩いてくださったということは、なんの話でしょうか。キリストが十字架で勝利なさったということは、なんの話でしょうか。キリストが私たちと共におられるならば、どんな問題も解決できるのです。キリストで充満することが聖霊充満であり、信仰充満です。体験してみるように願って、驚くべき祝福があるようになることを主の名前でお祈りします。
 
・三番目に、もう一つ体験してみるように願います。イエス・キリストの名前。いったいこの方が誰でしょうか。この体験が必要です。
 
・私は、約30年伝道をしながら、確信を持っています。あまりにも驚くべき名前です。キリストを宣べ伝えたのに、実際に病気がよくなるという話もしませんでした。キリストを宣べ伝えてきたのに、いやされる働きが起きたのです。たくさん見ました。その時、私は、普通のことではないということを知りました。
 
・この説明が最もむずかしいのです。今回のレムナントを集めて、この部分を説明せねばならないのに、どれくらい残念だったのです。この子供達が分かるでしょうか。ある子供が相談をしたのですが、先生、私の人生は、とても苦しい。それで何歳か? 14歳。何の人生か? すこし生きてみなさい。ある子供は自殺したいらしいのです。何歳か? 17歳です。71歳もいるのだから、耐えてみなさい。あなたがどれくらい生きたというのですか。ところが、一番せつないことは、学生達が生きてみていないので。
 
・この学生達が、キリストを聞いたという事実が、どれくらいすごいことか分かりません。これから、皆様が体験するようになるはずです。私が説教する内容は、地球上でこのことしかありません。何かをしたところ、何かにできたとは、正しい話ですが、全部みな嘘です。
 
・あるキリスト教月刊誌の記者二人が訪ねてきました。私に、どのようにして、こんなにたくさん集まって働きが起きるのですか。本に書くということでした。話してくれといわれました。それで、話す言葉がないと私が言いました。この方が度々聞くのでした。それで、私が説明をしました。イエスはキリストで、この福音を伝えたところ、このようなことが起きて、ずーっと説明をしたのですと言ったのですが、この人が納得したようではありませんでした。この人は、私からそれを聞きたいのではありませんでした。この人は、このようなイベントをしたところ、こういう働きが起きたということを言いなさいということでした。あなたは、それを願っているのではないでしょうか、と問うたら、そうだということでした。そのような、イベントがあるのではないかと。全部、嘘を言うのです。私はキリストを知ったその瞬間から、神様の子供になって、その方の名前を呼ぶ、その時から、誰も与えることができない祝福を受けて、誰も出来ないことをいままでしました。証しする必要はありません。イベントがないと言いました。それでも、何かあるのではあにか。これほどの働きが起きた時はないと言いました。人々が知らないからです。
 
・私は、皆様が受ける祝福と、私たちのレムナントが受ける祝福がどれくらい大きいかということを知っているために。「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。」この説明が子供達の前にできるでしょうか。この説明を最大限したのでした。今回、中高等部2002年集会は、テープを求めて聞かなければならないはずです。2部礼拝の時、僅かの間話をしようとしたのですが、本当に胸にある真摯な話をしました。学生達がよくわかったのです。聞けば生かされるはずです。
 
・皆様が、今から体験してみることを望みます。イエス・キリストは誰でしょうか。キリストは私達が信じる教祖の名前ではありません。神様が地球上で呪いを受けた人を救い出される方法です。イエスは、私達が信じる教祖ではありません。神様の名前です。神様が人間を救い出されるための名前ということです。それで、キリスト教は宗教ではありません。今日、2部礼拝が宗教と福音は違う、ということです。あまりにも簡単です。イエスの名前で祈ってみることを望みます。今日、病気とかの人がいるならば、本当に信仰を持って、定刻の祈りの時にしてみるように望みます。皆様が病んでいる所に手を当てて、祈ってみるように願います。どんな証拠がくるのか。癌の患者はいますか。イエスの名前で祈ってみるように願います。他の人の祈りを受けず、自分自身が祈るように望みます。ナザレのイエス・キリストの名前で。ずっとしてみるように望みます。数ヶ月だけしてみるように願います。どんなことがおきるか。死ぬ、生きることは、神様の御手にあります。確かに働きが起きるようになっています。
・皆様が、イエス・キリストの名前を呼ぶ瞬間に、あらゆる悪霊は無能になっていて逃げるようになっているのです。驚くべき名前です。こういう名前が、どこにあるでしょうか。コロサイ1:13に、暗闇の勢力に勝つ名前です。ヨハネ17:11〜12に、主なる神の名前です。使徒16:16〜18に、ナザレのイエスの名前で命じる。使徒13章に、イエスの名前を話をしたところ、完全に偶像の勢力がみな崩れてしまったのです。どれくらい驚くべきことでしょうか。福音書をずっと勉強しながら、一つだけ質問すればよいのです。イエス様は誰なのか。
 
・マタイの福音書を読みました。主題は何でしょうか。ユダヤの国に生まれたイエス様、この方が誰なのかということです。なぜユダヤ人の系図の中にいらっしゃったのかという話です。何故でしょうか? 預言がそのようになっているからです。今、マルコの福音書を勉強しています。マルコの福音書は、しもべとしていらっしゃって、苦しみを受けられたこの方は誰なのか。それがマルコの福音書です。ルカの福音書は何でしょうか。人のからだを着ていらっしゃったこの方は誰なのか。なぜ人のからだを着ていらっしゃったのか。それがルカの福音書です。ヨハネの福音書は何でしょうか。イエス様がすなわち、神様です。ここに対する答がないのに、それで良いでしょうか。霊的な目を覚ませて見るように望みます。これを全世界の教会がしばしば防止するのです。本物の異端が、防止するのです。 韓国、世界の教会の異端が、キリストを防止するのです。驚くべきことです。
 
・皆様がこれに対して薄くなるならば、死ぬのです。生きる道がありません。神様が世の中をこのように愛されて、イエス・キリストを送られたという話は、簡単な話ではありません。
 
・別のことは、何も体験しなくても良いのです。学生達にあらかじめ頼みます。全く体験をしなくてもかまいません。それは、霊的問題になるようになります。イエス・キリスト。霊的問題が解決することは、キリストで充満する時、解決するのです。本物の祝福を受ける皆様になるように願います。今日、霊的問題を持っている方達が、ナザレのイエス・キリストの名前で解決する働きがあることを主の名前でお祈りします。
 
・イエス様は、いったい誰でしょうか。学生達を見て話しました。体験がなくてもかまいません。答えがなくてもかまいません。何故でしょうか? 学生だからです。イエス・キリストだけ知っていれば、神様の子供になるのです。すると、どのようにせねばならないのか、方法を話したのです。何も心配する必要がありません。神様が皆様に全てのものをみな準備なさったので、重要なことは何でしょうか。神様の子供になるようにすることです。イエスを信じる信仰で神様の子供になることで、この地で生きていく間に、皆様の家に霊的問題が多いのです。それに勝つ道がイエス・キリストの名前です。私たちは、運命の中に陥って、多くの人が苦しんでいるのに、それから抜け出てくることです。
 
・イエス・キリストはだれでしょうか。どのように考えるのでしょうか。英国で有名な学者が、イエス・キリストは誰なのか。この質問をしようと、すべての教会を回ったのに、この答を得られなかったということです。この方が告白した内容があるでしょう。イエス様は誰でしょうか。ウエリスという人は、いったいイエス様は誰でしょうか。この質問をして書いた作品が、皆様がおわかりの通り、ベンハーです。重要な多くの人々の中で、イエス様が誰でしょうか。この質問が四福音書です。四福音書を通じて、完全に解決する祝福があることを希望します。
 
・イエス・キリストの名前で。この福音の中に、すべての問題が解決し始めるのです。本当に、問題が来れば方法が必要なくなります。皆様が本物の困難にあえば方法がありません。神様が私たちに出来ないことをご存知であって、キリスト・イエスを送ってくださって解決できる祝福を下さいました。4福音書を見る中で一つだけ体験なさることを望みます。
 
・イエス・キリストを救い主として受け入れることと、その名前で祈ることです。ここは、既に救われた人々が集まりました。四福音書を勉強する中に、イエス・キリストの名前で体験してみるように望みます。ルカの福音書、ヨハネの福音書をずっと勉強する中に、皆様の人生に最高の秘密を発見するようになるはずです。単なる発見ではなく、パウロがイエス様に会ったのに、人生のあらゆる答をみな出しました。
 
・イエスの名前で祈るということは、信仰がない人が見れば、最も幼稚な話に違いありません。発見できない人に、イエス・キリストならばなる、という話は最も苦しい方法です。そうではないでしょうか。イエス・キリストを発見できない神学者や牧師が、イエス・キリストは世界を生かすことができるという話は、まったく理解ができない話です。しかし、イエス・キリストを発見した者には、この一つの単語で全てのものをみな生かすのです。学校も生かして、家も生かして、全てのことをみな生かすのです。万王の王である主イエス・キリストの名前で、再臨して来られる主イエス・キリストの名前で、できないことはありません。祈ってみるように願います。
 
・私は、それでいままで伝道して、それで今まで健康を維持して、それで霊的な戦いをして、それでメッセージをしました。すこししたのに、証拠が現れました。これから驚くべき事が起きるはずです。皆様に最高の単語、イエス・キリスト、この秘密が今日から本当に始まることをイエス様の名前でお祈りします。
 
(祈り)
神様に感謝申し上げます。今から開始するようにさせてください。最も基礎になるイエスが誰なのか、キリストが何か知らずに多くのクリスチャンと神学者と教会が、右往左往して、色々な話と方法を混ぜて教会を乱れさせています。今日、私達にいのちなる主が来てください。イエス・キリストの秘密で新しく始まる力の運動がおきるようにしてください。いのちの運動がおきるようにしてください。神様のみわざが起きるようにしてください。病気がいやされるようにしてくださって、霊的な運命がひっくり返るみわざが起きるようにしてください。イエスの名前で祈っている途中で、真の勝利の味を知り、答えの味を知るように恵みを増し加えてください。今日、職場生活をして、事業なさる方にナザレのイエスの名前で、現場で勝利するようにさせてくださって、病んだ方がおられるならば、イエス・キリストの名前でいやされるみわざが今、起きるようにしてください。万王の王なる主イエスの名前で霊的問題が解決する時間になるようにしてください。
生きておられる主イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン
 
(The end)
 


2部/ 神宗教と福音は違う
(詩 2:1-12)
 
・私たちの姜牧師とソ長老、役員と皆様が、福音の中にいるために、私たちの教会が日に日に成長するのを見て、神様に感謝申し上げます。私たちの聖歌隊員もだいぶ成長していることが感じられます。これから、蔚山は、たいした都市です。釜山より人材がたくさん集まった所であるゆえに、前もって子供達を教えて、バイオリン、チェロなどを教えるべきです。まず、門をあけるべきです。大オーケストラがともに賛美できるように準備をすれば良いのです。蔚山は、そんなに遅れをとった所ではないために、準備をして門を開ければ、人々が来るので、開始をして祈ってみることを願います。あらゆる蔚山の伝道する教会が、その時刻表が地域を代表する教会で復興するはずです。今回の月火集会の時に、牧師達を集めて差し上げたいメッセージです。今、いよいよ地域地域ごとに、代表的教会で立っています。神様は、そのように確かに応答なさるはずです。
 
・今日、皆様が記憶することがあります。一度は、私が道を行く時に本を見たのですが、本のタイトルが‘誰も教えることがない生き方'となっていました。私が読んでみたら、特に内容はそうではなくて、今時までいた人物を整理しておいたのでした。タイトルは良いけれど、内容はそれほどそうではないと考えたのですが、それこそ誰も教えることができない生き方があります。
 
・それが何か?というと、科学、知識がずっと発展するのに、発展するほど難しくなるのではないでしょうか。ところが、その理由を知らないでいます。あなたがたがそれを知っていなければなりません。政治、社会、経済はものすごく発展しました。しかし、日々、世の中は難しくなって、霊的問題は深刻化して、精神問題は多くなるのに、これがなぜそのようなのでしょうか。はなはだしきは、今、宗教団体がものすごく起きて、道徳、倫理、礼儀の学校もあってすごいのです。こういうことにもかかわらず、霊的問題は益々深刻化します。誰も教えることができません。必ず記憶するべきです。特に、私たちの蔚山のインマヌエル教会のために祈るべきで、また蔚山を祈るべきです。
 
・今、このように礼拝をささげれば、釜山、ソウルを中心に100箇所あまりで衛星で共に礼拝をささげています。そして、同時に外国で5000ケ所インターネットで同時に連結をしてきます。そのように礼拝をささげるために、まさにこちらは世界的な教会です。そのまま皆様で礼拝したかの様に見えるけれど、全世界に、しかも、録音されてずっと広がっています。それくらい多くの人に恵みをおよぼすことができる時代がきました。日が経てばおかしくなっていきます。
 
・むかしに、私が学校に通っていた時は、私のクラスの一番後に私より5歳上の人がいました。5歳も上なのに、同じクラスだった友人です。6.25(朝鮮戦争)が起きて、学校に通わないでいたのですが、状態がすこし良くなれば、また学校に来る式でした。今のようならば想像もできないことです。しかし、その時は人間味がありました。当時には、人が一名死んでも、町中が大騒ぎしました。いまは100人ほど死ねば、やっと単に死んだのかと言わない程です。人がどれくらい悪くなっているか分かりません。時間が経てば経つほどそうです。
 
・実際に、政治、経済がどれくらい発展したでしょうか。私はとても驚きました。世宗大王が見れば、気絶するはずです。歩いて通いながら電話をします。6人が集まれば、お互いに電話しようと騒々しい程に発展しました。それでも、人は益々霊的に深刻化します。何故そのようなのでしょうか。そんなにも立派な宗教人が多くて、どれくらい大きい教会と大きい寺が多くて、どれくらい立派な人が多いでしょうか。しかし、なぜ精神病者は多くなるのでしょうか。
 
・タイに行ってみるならば、都市の真ん中に立って四方を見まわして見れば、1ケ所に寺が五, 六ケ所見えます。ものすごい寺がです。ところが、なぜタイに精神病患者がそんなに多いのでしょうか。私はタイに行って、注射されることも用心しなければなりません。女性の中にエイズ患者が多いのです。私が見ると、車が少しの間止まっているのに 乗用車10台があれば、8台は女性が乗っていました。だから‘なんで女の人がこのように多いのか'と聞いたところ、みな売春婦でしたよ。‘みんなそうなのか'と聞いたら、ほとんどそうだと見れば良いそうです。タイの路地裏に行ったところ、思わしくありませんでした。なぜそんなに立派な寺が多くて、宗教が多いのに、時間が経てば難しくなるのでしょうか。
 
・米国のような所に行ってみれば、どれくらいよくなっているのでしょうか。私が初めて米国のサンフランシスコに行ってみて、ロングビーチに行ってみて、人が生きる町なのか、天国なのかと思う程でした。砂も砂糖みたいな砂が限りなく広がっていました。どうして、そんなに大きさもみな全く同じなのでしょうか。自然環境もそのように良いことはありませんでした。釣り針を入れたら、ちょっと大げさに言うならば、自分の背丈ほどの魚が釣れました。上げるのにもどれくらい力がいったか分かりません。‘こういうことがあるのか'という程に、そんなに住みやすい所です。
 
・それでも麻薬患者がいます。安らかでなくて、離婚を一度だけでも良いはずなのに二、三度して、子供達が複雑になるほどです。一度はするかも知らなくても、何度もするので、子供達が混乱する程です。なぜそうなのでしょうか。いまだに私は理解ができません。私がヨーロッパ行って尋ねました。‘あなた方は、住みやすくて、環境もよくでしょう' どれくらい水準が高いかといえば、夕方6時になれば、明かりをみな消して、店もみな門を閉めます。その時間に食べて回る人がいません。夜に10時に布帳馬車いくつかが回るだけです。どれくらい静かでしょうか。男性は、全部 4時か5時になれば、退勤してきて木を育てて、男の人がみなします。どれくらいよく暮らしているか分かりません。ところが、なぜそうなのでしょうか。家庭を見れば、崩壊して大騒ぎです。異常です。‘なぜそうなのか'と尋ねたら、自分達もわからないと言いました。
 
・私一人でこう考えてみました。韓国人はいそがしいのです。夫も忙しくて、夫人も子供を育てなければならず、忙しくて離婚する時間がないのですが、この人達は、退勤してきて常にみつめていなければならないので、飽きてしまって気味が悪いのではないのか。とにかく、家庭がみな崩壊しています。簡単に話せば、霊的問題に勝てないのです。発展すれば、するほど。
 
・だから、米国が手をあげました。どの程度か?というと、子供達がほとんど麻薬にみな接するほどです。芸術、デザイン、音楽をする人々が、ほとんど麻薬をしています。ヨーロッパに行けば、もっと深刻です。話をすることができない状況になりました。以前に話したではないでしょうか。麻薬をどの程度するかというと、飲む程度でなく、注射をうつ程度ではありません。首の下や心臓の近くに打って、早くたくさん酔おうとします。 あまりに深刻だから、政府ではどんな注射器でも打たないようにと朝に注射器を配布する程です。どんな注射器でも打てば、各種の病気にかかりやすいからそのようにするのです。こういう深刻な状況が、地球にきています。何故そのようなのでしょうか。学校も多くて、水準も高いと言うけれど。
 
・皆様、ヨーロッパ、米国に行ってみれば、彼らは先進国病があります。自分の国は、たいしたものだと考えて、そして韓国は見くびるのです。よりおもしろいことは、韓国人がもっとそうです。私が見ると、かわいそうだという気がしました。ヨーロッパに長く住んで、米国に長く住んでいる韓国の人々が、韓国をとても見くびるのです。とても後進国だとみています。そうではないのに、この頃韓国は、それでもすごいのに、とにかく50年代に移民に行ったからではないかと思ったり、なにか知らずにそのようななのです。先進国病です。
 
・しかも、知識人を見れば、知識人病があります。それでおかしな事をして、また無知な人は、無知なりにまたそうです。どんどん難しくなります。皆様が仮りにこの話を理解できないならば、皆様の子供達がやられてしまうはずです。皆様の子孫は、やられないようにしなければなりません。
 
・今日、詩篇を読んでいく中にいます。 2篇を読むようになりました。前週には、根がある信仰に対して話しました。今日、ここでは理由を必ず3種類知っていなければなりません。
 
・最初です。宗教はあるけれど、福音がありません。これが普通の深刻な話ではないのです。皆様、福音なく宗教生活することも、福音なく偶像崇拝することも実際には全く一緒です。福音なく教会生活することも、福音なく寺に行くことがそっくりです。自分が信仰生活をよくすることができなかったということは知らずに‘私が教会に通っているのに、なぜこうなのか'と話します。
 
・私が米国に一番最初に行った時です。本人には申し訳ないのですが、とても深刻な証しであったため、お話しします。長老が自分の家で食事の接待をすると言ったので行きました。この方が、食事をしなかったのです。なぜ食べないかと言うと、ご飯を食べる気持ちにならないと言いました。一人でどうして食べますか. ‘先生は召し上がって、健康維持をなさって福音を伝えねばならないけれど、私は食べる気がしない'と言いました。考えない理由があったのです。この方は、ご飯を食べずに話を始めました。
 
・父は牧師、本人は長老、姉は勧士.... と自分の話をしました。父は韓国で生涯なさって、お兄さんと兄嫁、姉は熱心に儲けて、教会に献身をしたのです。ところが、父も不思議に滅びていまは亡くなって、明け方祈りに行ったお兄さん、姉の夫は車の事故にあって、その場で姉の夫は死んで、姉は現在変になっている。兄も滅びて、本人の家もみな滅びたのでした。‘先生。私が実際には神様につぶやきが出てきます' つぶやいてはならないのだけれど、つぶやきが出てくるそうです。今、米国で職場もなくて、韓国に戻ることもできずに滅びていたのでした。話すべき言葉がありませんでした。長老に私が今回の集会で説教するので、はじめから終わりまでみな参加して聞いてくださいと言いました。その方にその場で答を与えなかったのです。何故でしょうか?宗教生活。福音を悟ることができなかったからです。福音を悟ることができなければ、暗闇の勢力の攻撃に絶対に勝つことができません。必ず記憶しなければなりません。
 
・皆様、今、かわいい子供を育てているでしょう。皆様の子供が育って成功して行く過程で、霊的問題が攻撃たら、子供が勝つことができないということです。皆様の子供に幼い時から何を教えなければならないのでしょうか。福音を教えなければなりません。あまりにも深刻な問題なのに、悟ることができなかったということも分からずに、本人が気落ちしてしまうのです。宗教と福音は違います。宗教はあるのに、福音はなかったということです。
 
・私がこの前、説教しました。単にしたのではなくて、30年伝道をしながら、心にわだかまりがあった現場を報告しているのです。私は幼い時から教会に通った者です。ほとんどみな未信者より出来ません。後ほど知りました。宗教人です。福音を知らない宗教人。そうしながら、福音を持った人に私が会ったのです。どれくらい衝撃であったか分かりません。
 
・私は、伝道が最もむずかしいと考えたのに、伝道できる人に会って、福音を伝える人に会って、幸いにCCC、ネフィゲイトでした。それで、私はCCCとネフィゲイトは、韓国教会に大きな事をしたと考えます。それ以前には、韓国教会が福音を伝えることも知らなかったのです。この多くの教会が、一教団だけでも数千名になる教会が、未信者の前に行って、福音を正確に伝えることさえも出来なかったということです。しかし、CCC、ネフィゲイトゆえに韓国に福音が伝えられました。それで、私達がむやみに悪口を言ってはならないのです。私たち教会が間違っていたのです。そのような人があったゆえに、教会の中に伝道運動がおきたのです。本当に幸いなのです。私が会ったのに、ひとりはCCC、他のひとりはネフィゲイトでした。彼らが福音を伝えるのに、私が衝撃を受けたのです。私がそのように伝えてみたかった福音。この方達が簡単に伝えていました。信仰もどれくらい良いかわからなかったのです。その二人と私とは、親しかったのです。
 
・ところが、ある日この人達が深刻な問題に引っかかったのです。その時、やっとなぜそうなのかと考えて、2番目の大きい事実を悟りました。霊的問題は、深刻なことだな。福音を悟ったのにも、霊的問題を知らなければ、聖書の半分は知らないことです。これが半分の信仰になります。肉体的、知識的なものは知っていたのに、霊的なことを知らないから、これはうわべ信仰になってしまうということです。イエスを信じれば救われるということは知っているのに、霊的なことを全く知らないから、自分がやられるのを全く知らないのです。知ってみたら、この方達の家庭が全部崩れていたのです。その時、聖書に話す霊的問題がこれだなと分かるようになりました。
 
・その時、私に使命が生じたのです。単に伝道するのではありません。聖書勉強を新しくするのです。それ以前は、みことばをもって討論する式だったのですが、討論することもありません。知っていてこそ討論するのではないでしょうか。現場に行ってメッセージを伝えました。そうしたところ、どれくらい多くの働きと証拠がおきたか分かりません。すこし伝えたのに、そうでした。皆様、あらゆる方が記憶しなければなりません。宗教と福音は違います。この話を分かることができなければ、大変な事になります。
 
・2番目です。みことばはあったのですが、その中にあるいのちはなかったのです。皆様、いのちがなければなりません。木がその中にいのちがなければ、死んだ木です。誰かがきれいに飾っておいても、既に死んだ木です。何故でしょうか?誰かが根を切ったためです。同じに、私たちにはみことばをたくさん聞くことも重要ですが、いのちがなければなりません。そうしてこそ、生きるのです。
 
・皆様の子供達が祈りの生活をせねばならないのは、皆様に子供が何を学ぶかというと、無意識に習うことがあります。そして、信仰ということなのですが、表に現れないで、内に入っていきます。これがより重要です。そして、私達が信仰生活で勝利するということは、正しく信仰の体質がなければならないのです。
 
・ところが、どんな体質をいうのでしょうか。いのちです。いのちがある者は、生きるようになっています。岩の間に木が育つのを見ましょう。いのちがあるためにそうです。いのちがある者は生きます。神の御子がある者にはいのちがあって、御子がない者にはいのちがないのです。Iヨハネ5章 12〜13節です。私がこれをあなたがたに書いたのは、あなたがたはいのちがあることを知るようにさせるためです。皆様にいのちがあるということです。イエス・キリストです。わたしは道であり、真理であり、いのちなのです! これを知らないから、問題なのです。聖書勉強を思い切りして、いのちを知らなかったのです。何ゆえにパリサイ人が失敗したのでしょうか。聖書を思い切り勉強して、カトリックが何故失敗したのでしょうか。韓国教会と世界教会に何故困難がきたのでしょうか。聖書勉強を思い切りして、いのちだけ抜いてしまったのです。だから死ぬのです。記憶するべきです。
 
・今日、三番目のことは、本文にあるとおり、重要な人々が福音を知らなかったのです。政治、宗教人たち。 2篇1節を見ましょう。‘なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。'と書かれています。むなしいのです。よくなったかの様に見えても、むなしいのです。私達が何故ヨーロッパ、米国に福音を伝えようとするのでしょうか。よくなっているのに、それでは片方しかだめだということです。むなしいことです。2節に‘地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう..' 福音を知らないからです。‘「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」' この時 7節を見ましょう。‘「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」' すでに旧約聖書に、重要な福音が伝えられているのです。宗教と福音が違うということを知っていなければなりません。記憶すべきことは、今日メッセージの中でおとなと指導者、多くの役員が福音を知っていれば、あなたがたは生きるようになっているのです。
 
・私は、伝道20年して、とても確信を持つようになりました。何かを知らないで、みな違ったことを話します。‘こうすべきだ。ああすべきだ....'そうではありません。もし皆様がいのちを持っているならば、皆様が刑務所にいれば、神様が刑務所に訪ねて来られ、皆様が奴隷であれば、そちらに訪ねられるるはずで、もし皆様が倒れているならば、神様がそこに訪ねられるはずです。主は生ける神の御子キリストですと告白したペテロが逃げて魚を釣る、そちらに主は訪ねて行かれました。あなたはわたしを愛しますか。それなら、わたしの小羊を飼いなさい。どれくらい重要でしょうか。
 
・今日、ちょうど役員を立てる日です。みことばと連結します。役員が胸に込めなければなりません。福音がないあらゆる人生がおもしろく見えるけれど、むなしいことなのです。米国、ヨーロッパをあざ笑うのではなくて、その良いものが福音を抜いてしまえば、むなしいことだということです。役員が必ず記憶なさらなければなりません。宗教と福音とは違います。単純なみことば運動と、いのち運動は違います。最後に記憶することが、牧師や役員が福音がなければ、大変なことになるのです。反対に、牧師と役員に福音があるならば、蔚山を100回生かしても余るのです。皆様、今日、福音があるならば、皆様の子供を暗闇の勢力が一度も触ることができないのです。確かです。
 
・誰も信じることができないでしょうが、今回、米国に行ってあまりにも驚きました。米国にいた牧師達も驚いたのです。私が以前に初めて米国行ったのに、メッセージをしても中高等学生が一名もメッセージを聞かなかったのです。その時、衝撃を受けました。子ども達を座らせておいたのですが、高等学生達が16〜17歳なのに、メッセージをしたら5分でからだを揺れ動かして、大騒ぎをしていました。聞くことが出来なかったのです。そのように礼拝をささげたことがなかったのです。外に出てみると、子供達がかたまって遊んでいて、メッセージになりませんでした。いたずらをして、本当によく遊んでいました。おとなを集めて礼拝をささげるのに、子供達が礼拝をささげなかったのです。その翌年に行ったところ、この子ども達何名かが座っていました。そして、その翌年に行ったところ、礼拝時間に私の前の席に学生達が座っていたのです。
 
・一度は、見るとレムナント運動をするのに、韓国まで来ているのに、メッセージを聞かなくて歩き回っていました。何故聞かないのかと聞いたら、おもしろくないから出歩くそうでした。米国から来た子供達が、かたまって通いながら、とうていメッセージを聞きませんでした。私が出てくる時、一人の子供がノートを持ってきてサインをしてくれと言いました。サインをしてあげて、‘何故サインをもらうのか'と来たら、母親がもらってこいと言ったと言いました。私がその話しを聞いて分かりました。あまりも礼拝時間に他のことをするので、母親がもらってこいと言ったのでした。
 
・ところが、今回、私がとても驚いたのです。私が中高等部に説教する時は、いつでも準備しておいて序論を考えます。この話を聞かない子ども達にどのように聞かせるかと考えるのです。今回考えを多くして行ったのに、中高等学生のレムナントが、とてもメッセージをよく聞いたのです。おとなが見て驚きました。子供達がすでにメッセージ聞くのが違っていました。このように、福音の力はすごいのです。
 
・そして、米国の人々を見れば、信仰生活することが私たちと違います。米国の方達が言うのに‘この人達は、できるよ'といいました。‘何がですか?' と尋ねたら、この人も福音ならばできるということを知っていたのです。この福音の力。皆様と私が考える程度ではありません。この福音はものすごいのです。根本自体をひっくり返すことです。皆様が滅びるしかない身分自体を変えることです。地獄、権勢自体を皆様と関係なしにさせるのです。それが福音です。時間が経つほど。
 
・集会が終わったら、観光のツアーがあったのに、この子供達がこれをせず、メッセージをもっと聞いてみたいと言う程でした。私が今回、私たちのレムナントの子ども達にメッセージ3種類をしてきました。キリストという単語とレムナントという単語を忘れてしまわないで。最高の単語、キリスト。最高の単語、レムナント。忘れてしまわないで。なにか良くならないでしょう。心配しないで。学生なのでそうです。最高の恵みを受けて、また揺れるのが学生です。しかし、揺れたかの様に見えるけれど育っているのです。キリストがなんの話なのか、レムナントが何の話なのか知っていれば殆どなるのです。
 
・それで、自分個人と家庭、人間関係でレムナント運動は始まるのです。誰がなんの話をしても揺れないで。自分個人から始まるのです。学生達は、勉強もよくできず、良くなりません。しかし揺れないで。このレムナント運動は、個人から始まって、自分の信仰から始まるのです。そして、良くない家庭であってもかまいません。家庭から始まるのです。そして、人間関係から始まるのです。それならば、後ほどキリストが最高の単語であることが確かならば、レムナントは困難がきた時、問題と危機と葛藤で成功するのです。初代教会を見ましょう。
 
・最後のメッセージは何でしょうか?福音ゆえに成功するはずです。‘成功しなさい'ではありません。‘するはずです' 聖書に見れば‘証人になりなさい'とされませんでした。‘なります!' マタイの福音書 5章にあなたがたは世の中の塩になれと言われませんでした。塩だ! 光だ! 主なる神の栄光があなたの上に臨んでいる!
 
・もし按手を受けたり、任職を受ける方達が、冗談でも信仰がないと話してはなりません。信仰はあります。信仰がなければ、救われることがないのに、そのように話して良いでしょうか。謙遜にして、そのような話してはだめです。熱心にすることができなくて申し訳ないとしなければ、信仰がないことはありません。男性が明け方祈りして、徹夜祈りすれば、信仰が良いと言うのですが、それは信仰が良いのではなくて、熱心にすることです。信仰がないとの話は、恐ろしいことばです。
 
・時間がたくさん過ぎました。成功する役員になろうとするなら、どのようにしなければならないのでしょうか。
 
・最初。福音を持っていれば良いのです。もし牧師、長老、役員に福音がないならば、どのようになるでしょうか。何か違ったことを作り出さなければなりません。これが危機です。客観的に考えてみましょう。牧師が福音がありません。どのようになるでしょうか。これが教会を完全に壊すことです。役員に福音があります。それは、この方が神様の人ということです。誰が勝つでしょうか。福音があって、いのちが中にあるのに。成功する人の最初の条件です。福音の人。それならば、まちがいなく成功します。皆様が福音を持っていれば、神様が皆様の全てのものの責任を負われるのです。
 
・福音の人ならば、2番目にせねばならないことが何でしょうか。福音のために生きればよいのです。福音のために生きるという話はやさしいことではありません。しかし、福音を持った人はやさしいのです。福音のために生きます。この教会とタラッパンには、こういう人がないのですが、私が役員を立てる日なので今日初めてする話です。
 
・私がある教会の伝道師だった時です。長老一人がどれくらい固執が強いか分かりません。なんでもこの方が主張をした時、それができなければできる時まで教会をひっくり返したのです。意志の韓国人です。それまでは良かったのです。しかし、間違う時、問題がくるのです。一度は、週報を作るのに、ある所で作れと言うので、行ってみました。以前から牧師に度々そのようにしようとあまりも主張するので、牧師も止むを得なかったのです。あまりに強調したのでそのようにしたのです。皆様もおわかりの通り、週報というのは、クリスチャンが作らなければなりません。この方がとても固執するので、行ってみたのに行くのに3時間、来るのに3時間かかったのです。行って見たら名刺を刷る所でした。私が何故こちらへ行けと言ったのか把握しました。この方が、長老のおいでした。おいのための叔父の心は理解できます。しかし、教会をそのように利用してはならないことを知っていながら、それで良いでしょうか。
 
・それでもまだ良いのです。ところが、未信者なので、言葉を理解できなかったのです。‘福音ソング大会' ‘やきめしソング大会'と言うし、牧師の説教のタイトル‘人々に権威を与えられた'を‘人々に借用権を与えられた'としました。これだから、私がこのことを言ったら、何故行って校正をしなかったのかと言われました。本当に話す言葉がありませんでした。牧師に行って、とうていだめだと言いました。以前にした所では、長老がなさって文が異常ならば、聖書を探して、仕事をする方達がみな執事で信者の会社だったから、知っていて持参していたので、それが正常です。ところが、こちらは私達が作ろうと直接行かねばならなくて、さがしにいかねばならなくて、‘人々に借用権...' こういうように誤っていて、とうていだめだと言いました。牧師がにっこり笑いながら、本人もそのように考えていたので、もともとしていた通りに持って行きなさいと言われました。私がそちらを出てくる時まで、その長老は私に対してつぶやいていました。
 
・福音のために。絶対に牧師、役員が福音のために生きれば、信徒は牧師に文句を言いません。どんな長老、一般信者でも、教会のために生きないで、なにか主のしもべが福音のためではない時、信徒は文句を言うのです。‘私は牧師を困らせるために、歴史的使命を帯びてこの地に生まれた’という人は誰もいません。とても精神がおかしな人でなければ、そうではないでしょうか。福音のために。ある時は譲歩して、ある時は防止するのにも話さない時があって、ある時は話す場合があります。福音のために。これが成功する道です。どれくらい驚くべきことなのか分かりません。
 
・以前にも話したように、福音のために生きるということがそんなにやさしいことではありません。常に胸の中で祈らなければなりません。福音のために。
 
・私が12坪の教会にいたのに家もなくて、開拓するのにどれくらい難しかったでしょうか。ソウルで私をよく知っていた長老が牧師になったのに、財産が多い方でした。教会が途方もなくソウルで建てて、乗用車を持って私を連れに来たのです。「先生、先生はご自分についてあまりにご存知ない。釜山、この影島にいるべき人がではない。」気分が悪い話ではありませんでした。何の話でしょうか。行きましょうということです。家、車、教会、みな用意したので、牧師は伝道だけすれば良いらしいのです。どれくらい良い条件でしょうか。私は家もなく、教会12坪で始まったのに、30〜40%はおばあさんで、おばあさんが悪いということではありません。その時、私の心の中に‘すこしもっと早く来れば良かったのに'という気がしました。一言だけすれば良かったのです。‘行くから待っていてくれ'とだけすれば良い状況でした。この長老がどれくらい強く話したのか、自分自身は祈りの答えを受けて来たから、二、三度考えることもなく行こうと言いました。
 
・‘ちがいます。私が神様と信徒の前に嘘をつくことができますか。私が先週の聖日に教会の復興会をする時、福音のために私たちはいのちをかけなければならないと話したのに、私が神様の前に良心を欺いて、良い条件ゆえに行くことはできないです' 心が気楽でした。私が間違って、誘惑されかけました。この福音のために生きるということが、どれくらい難しいか分かりません。その短い瞬間に決定することなのに、私のためにしたくなります。もしそのように決定したとするなら、大きい教会で気楽によくいられるかも知れませんが、神様がご覧になるときには違うのです。神様が12坪の教会にいたのですが、ずっと祝福なさいました。福音のために。難しくありません。役員は何でしょうか? 福音のために。
 
・3番目です。福音と皆様の職業が分離しないように、皆様の職業に福音の力が現れればよいのです。不思議に皆様の事業に神様の祝福が現れて、皆様ゆえに神様の祝福が事業にみわざが起きるようになればよいのです。
 
・昨日、電話を1つかけました。私たちのソ長老は知っているはずです。タラッパンに、とても信仰良くて、ただ福音だけの長老一人がいます。ものすごく忙しいのに、核心の時も来て、メッセージを抜けない方です。 この方が、有名な会社に就職をしたのです。その会社は、入口で毎日大きい創業者の写真に手を合わせて祈るそうです。この方は、幹部なのに、みんながすることをこの方だけしなかったのです。どのようになるでしょうか。会社の幹部の関係した人々はみなするのに、この方だけしませんでした。いじめられたのです。
 
・しかし、それは私たちの考えです。この方は、本物の福音を持って祈る方です。この会社がこの方ゆえにみな生かされるようになったのです。だから、どのようにするでしょうか。この方ゆえに祝福をみな受けました。だから、話すべき言葉がありません。どんどん昇進したのです。一年に2階段ずつ上がりました。この方は、また最高の席に上がりました。その上の方が、総長になって、この長老が代表取り締まりになりました。今日、新聞にも出ました。
 
・昨日の夕方に私が電話をして、お祝いを言いました。どれくらい謙遜かというと、おめでとうと言うと‘先生、申し訳ありません。報告をしなければならないのに'という程です。とても謙遜な福音の人です。神様がその方をずっと祝福なさるはずです。福音の人。役員の方達は記憶なさるべきです。皆様の事業に福音の力が現れるように。単純な福音ではありません。皆様の家庭に福音の力が現れるように。皆様ゆえに他の人が生かされるように。
 
・すると、どのようにせねばならないのでしょうか。福音のために。福音のためにしようとするなら、どのようにならなければならないでしょうか。福音の人でなければなりません。簡単です。この祝福をあなたがたが一生味わうようになり、今から味わうようになることを主イエスの名前でお祈りします。インマヌエル蔚山教会と蔚山のあらゆる方達に、主の祝福あることをお祈りします。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。今日、詩篇2篇にあるように、福音を知らないでむなしいことをする、そのような愚かな信者ならないようにさせてくださり、いのちと福音があって、神様の真の力で一生、勝利するように主のしもべに力を与えてください。特に私たちの役員に大きい祝福を与えてくださり、任職者に神様の恵みを増し加えてください。既に立てられた長老とあらゆる教役者に神様が天の霊的な祝福を一生の間与えてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
  (The end)