2002年 12月29日 インマヌエル 聖日礼拝


1部 / ホサナ
(マルコ11:1-10)
 
・ 一度、ある方がビデオを一つくださったので見たら、一時、韓国で問題をたくさん起こしたビデオでした。ハレルヤ祈梼院で、病気の人を直すもので、私が見たのは、胃ガンにかかった患者でした。お腹をつめで切っていやす場面でした。それを医者が見てびっくりして、あのようにできるのかと言って、ある人はそのようにして良くなったと言い、ある人は死んだと言って、色々騒いでいました。忠清道で、私たちのタラッパンをしている信徒一名が、自分がそこで治療をしている時に、他の人が持っていた病気、梅毒が自分にうつって、自分が治療するのが大変だったので、その祈梼院を告発しなければならないかと相談しに私に来ました。それで私が、行く時にはなぜ行って、告発はなぜするのかと尋ねたら、その時は、自分が全く福音を知らなくて、あとで初めて知って、初めて自分が教会に行くようになったと言いました。病気で行ったのです。どんなに苦しくて、そこまで行ったのでしょうか。
 
・私たちは 2002年を送りながら、今日の本文を見て感謝しなければなりません。皆様が、本当の感謝が出てこないならば、正しい答えを受けることはできません。なぜなら、ある人が死ぬ病気にかかったのですが、それまでは教会に出てこないで、夫人はイエスを信じて、自分の子ども達はみなイエスを信じるのに、この人は信じていませんでした。そんなにも頑固で、賢い人だったのに、この人が癌にかかって、死ぬかもしれなくなって、教会から訪問して夫人も説得したので、この方がほとんど最後の段階になって、私達が見る時、あの人はこれ以上、生きるのが難しいな、何日かで亡くなるだろうなという気がする状態で、その時、イエス様を受け入れたのでした。それを見ながら、本当に人間は、すごい存在だけれど、無知なのだなと考えました。そのような状態になって、完全にだめな状況まで行ったので、その時にやっとイエス様を受け入れたので、それを見て本当に感謝だと考えました。どうして、私は神様が信じられて、どうしてイエス様を救い主として受け入れて、どうしてイエス様を伝えるようになったのでしょうか。これが恵みの中の恵みであり、祝福の中の祝福ではないでしょうか。私は本当に、そのように感じられました。その方が、わざと信じないのではなくて、信じられないのでそんなにも苦しんでいて、病院で死ぬ三日前に私達がいつも簡単にさせている受け入れを、その時にしたのでした。あなたがたが釜山駅に行って、暇があれば、受け入れをさせるでしょう。そのやさしい受け入れを、癌にかかって死ぬ状況の中で受け入れると、やっと口を広げて受け入れたのでした。私がそれを見ながら、本当にせつない事だという気がしました。
 
・また、私はたくさん見ました。多くの知識人、政治家たちが、失敗をして、精神病者が家庭に出てきて、完全に失敗して、そこで恵みを受けて、ただイエスだけという単語を使うのを見ながら、私は本当に祝福された者だな、私の神様に本当に感謝しますと言いました。ただイエスだけという単語が、そのようにも簡単に分かるのに、どうして、あのように理解ができないのか、みなだめになった後に、そこでただイエスだけと言う人がいます。
 
・頻繁に話して、申し訳ないのですが、私の心に衝撃を受けた話です。この町で、私たちの教会の悪口を言うのに、一番率先して異端にしようと言っていた人が、私を訪ねて来ました。その時、私の事務室が階段を上がって来て大変な所にあったのに、その人がツエをついて上がってきて、バタバタと私に膝を屈して “柳先生。私を赦してください”と言いました。バタバタと私にそう言ったのですが、私は顔も知らない人でした。その方が話すのには“私がある牧師なのですが、私が影島で先生を難しくさせるのに率先した会長でした。私が救急車に乗せられていきながら悔い改めました”と言いました。救急車に乗せられて行くのに、行きながら自分が悔い改めしたのですが、その時、出てきた単語がただイエスだけだったということです。その方が、私にした話です。それで、赦してくれと言ったのですが、私が赦すことが、何があるでしょうか。みなそのようなことで、みな祈れば良くて、私たちの教会が、その方が脚を使えないから、車も一台買ってあげ、伝道もちょっとしなさいと言いました。むしろ謝罪しようときたのに、私達がそのように対してあげたので、その方が申し訳ないと言いました。その方が、米国に行くと言って、私達が米国に行くことができる道も開いてあげて、今、米国で伝道を良くしていると知っています。その方が言った言葉です。救急車に2回乗って行きながら、精神が一進一退する最後の時間に出てきた単語と言いました。ただイエスだけ。自分が息が行ったり来たりしたのに、会話の門がみな閉じられて、もちろん、からだは使うことができなくて、ケガをしてそのようになったのではなくて、何かがきてからだが使うことができないようになったのに、回復してやっとツエをついて階段を上がるほどになったのでした。その時、その方が帰ってから、私が考えたことが、「神様の恵みを感謝します。ただイエスだけという単語を知るようになったことをとても感謝します。」と考えました。
・イスラエルが完全に滅びて、20ケ所を越える国に散在して、数えられないほどの苦労をした後にも、悟れないことが、ただイエスだけです。どれくらい感謝でしょうか。私は牧師達が牧会をしながら失敗して、宣教地に行って失敗して、教会もだめで苦闘して、信徒 10人が越えることができないで、奥様はアルバイトをしようと通って、牧師はもの乞いをしようと通って、こういう教会が首都圏に一教団でだけ5千名います。どれくらいせつないことでしょうか。今見ると、とても困難を受けている牧師が多いのです。教会復興は裏話で、とても困難を受けている宣教師が多いのです。世界の福音化、それはスローガンだけで、現状維持がだめだということです。そのように滅んだ後に、後ほど悟ることが何でしょうか?私が福音を伝えるのに、全生涯をかけなければならないのに、それを知らなかったなということをその時になって悟るのです。神様が恵みをくださったことをどれくらい感謝しているでしょうか。一つの国が滅びて、一時代が滅んだ後に、そこで、伝道が何か知らなかったのだなと言うのです。皆様がおわかりの通り、ロシアが 80%以上キリスト教徒であったのを誇っていたのですが、共産化されました。今になって悟ることは、教会は多かったが、正しい福音を伝えなかったのだな、今になってそのように話しています。
 
・みな滅びてしまって悟ることが伝道なのです。ところが、私たちは最初から悟りました。どれくらい驚くべきことでしょうか。皆様、どのように考えるでしょうか。神様の恵みの中の恵みです。祝福の中の祝福です。これを悟ることができないならば、本当にかわいそうな信者です。未来がまちがいなくだめになると保障されている人です。間違いありません。事業しても仕方がありません。神様がだめにされます。結論です。結論を知っていなければならないのです。ヨーロッパが教会の門を閉じました。閉じた時は知らなかったのです。ヨーロッパが、教会の門をひとつずつ、ひとつずつ閉ざして、家庭がひとつずつ、ひとつずつ崩れて、精神病者はずっと年ごとに増え、子ども達はどんどん麻薬に陥って、家庭に問題がどんどん来るのに、その時になっても、悟ることができなかったのです。今になって評価して、ヨーロッパ教会が一つも力がなくて、教会の役割が出来なかったと言います。何の役割をすることができなかったのか、それも知らないのです。どれくらい神様の恵みを感謝するか分かりません。皆様は、どのように考えているのでしょうか。
 
・私は、2002年を送りながら、本当に神様に感謝します。滅びるしかない私たちだったのに、救ってくださったことも感謝ですが、これを知るようにされた事実を、本当に感謝します。ここに答が出なければ、こまります。
 
・今日の本文を見れば、何でもない話のように見えますが、2002年最後を送る時間に、今日起きた事件です。イエス様がロバをある家に行って連れてきなさいと言われました。その人を見て、買いなさいと言われたのではなく、連れて来なさいと言われたのです。もし、連れてくる時、主人が聞いたら主がお入用なのですと言いなさいと言われました。皆様、話になるでしょうか。行って、ロバを連れて来る時、なぜ引っ張っていくのかと尋ねられたら、主がお入用なのですと話しなさいと言われたのです。そうしたところ、主人が持って行けと解いたのです。持って来たらイエス様が乗られて、王が乗る馬にはカーペットがあるのですが、カーペットがないから、上衣を脱いで敷いて、イエス様が乗られたのです。私が見たら、多くの人々が悟ることができないこの部分を、この人達がどのように分かってたのかと思いました。皆様が物質と人生をささげるということは簡単なことではありません。おもに私が見る時、人々は話はできるけれど、ささげるということは、簡単なことではないのです。皆様が話はやさしいけれど、簡単なことではありません。本当に福音のために、皆様が持っている財産をはたいて出すことができるでしょうか。それは、簡単なことではないのです。話はやさしいでしょう。皆様が一生懸命に5年, 10年, 20年間、集めて置いたお金を、福音のために出すことは、簡単なことではありません。ところが、ロバは財産なのに、主が持ってこいと言われたら、すぐに解いたのです。この人達は、どれくらい祝福を受ける人々でしょうか。
 
・その程度ではありません。イエス様が、ロバに乗って入って行かれる時、ものすごく重要なことを話しました。マルコ11章 9-10節に‘そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。’と言いました。‘ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。’と言いました。どうして、この言葉が出てきたのでしょうか。皆様、ホサナという言葉を知っていますか。ホサナという言葉は‘今、私たちを救ってください’という言葉です。これは、韓国語ではなくて、イスラエルの言葉です。‘今、私たちを救ってください’ということです。どうして、この人達がこの話をしたのでしょうか。祭司長、律法学者、パリサイ人が悟ることができなかったのに、名前もない一般の人々がと言ったのです。‘ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。’と言いました。どれくらい驚くべきことでしょうか。皆様、どのように考えるでしょうか。その程度ではありません。10節を見ると‘祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。’と言いました。すでに、この人達が福音の重要な部分を悟っていたのです。イエス様を見て‘われらの父ダビデの国に。’と言ったのです。一般の人々が知らないことを、誰もが知っていたでしょうか。‘ホサナ。今、私たちを救ってください。ダビデの国よ’と話したのです。名前も明らかになっていない人々です。
 
・イスラエルがすこしして、AD70年頃、イスラエルは滅ぼされて、ワシントンに行ってみたことがある人は知っているでしょうが、イスラエルの600万名が虐殺され、それのみでなく、全世界に散在したのですが、数も分からないほどです。その死んだ人々の履き物を集めたら、履き物を集めた倉庫が一杯になりました。イスラエルが悲惨な証明が残されています。イスラエルが、どれだけ滅ぼされたか、色々な国に散在して、1400年間、呪いと苦しみなどをすべて受けました。話が歴史ですが、14年だけ皆様がそのようにすればどうでしょうが、話は歴史ですが、皆様が 14日だけでもそのようになっても苦しむはずです。こういうものすごい瞬間です。‘ホサナ。今、私たちを救ってください。ダビデの国よ。’普通の祝福を受けた人ではありません。私はこれを見ながら、このように信仰生活はやさしいのに、私たちは 2002年を送って 2003年を迎える最後の聖日です。聖書を読んでいくうちに、神様がこのみことばを下さいました。私は絶対に偶然ではないと考えます。本当にせつない事がながらも、驚くべきことです。衝撃的に驚くべきことです。
 私が神学校に通っていた時に、人々が学校に通いながらも、頭をたくさん使っていました。私は異常だと考えたのです。それほど、そのようにするに値するものもないという気がしました。勉強して、時間があれば伝道するだけで、何をすることがあるのでしょうか。大部分がそのようにするので、その人々はちょっと正常で、私は非正常でした。なぜなら、私が見る時、全くそのようにする必要がないのに、頭を使ってすることがあるかということです。単に祈って福音を伝えれば良いのに、あのようにする必要があるのかと思いました。ところが、時間が過ぎて、私に伝道の門がたくさん開かれました。後ほど、その人々がきて尋ねたのです。秘訣がなにかと尋ねたのですが、秘訣が別にあるでしょうか。正常、非正常の差なのに。本当に異常でした。それが変わらなければならないのです。正常、非正常とは、他のことではなくて、9人がするとそれが正常で、1人が非正常なのです。だから止むを得ないのです。なんの難しいことでもありません。そのように死にそうになってから、そこで悟るならば、どれくらい残念なことでしょうか?
 
・恵みの中の恵みです。皆様が祝福の中の祝福を受けたのです。恵みの中の恵みを受けたのです。残りのことは、神様がみななさるはずです。まだクリスチャンが理解できずにいます。聖霊充満を受ければ、事業はどのようにするのでしょうか?と尋ねますが、事業がその中にあるということを知らなければなりません。勉強はどのようにしますか? と尋ねますが、勉強がその中にあるということを知っていなければならないのです。それを知らないから、いつも苦労をするのです。どれくらいこれがくやしいことでしょうか? ほとんどみなそうです。皆様、クリスチャンは、普通に会えば、まずおしゃべりをします。非常に説教をたくさん聞いて、祈りを多くして、おしゃべりなのです。なんで、そんなにおしゃべりすることがあるのでしょうか? 簡単で、やさしいのです。私は簡単でした。この福音を理解するということは、皆、知っていることです。そのように悟るだけでなく、結局は、ただイエスだけという単語を知らなければ、人生は最後に悲惨になるのです。どのように悟れるのでしょうか? それで、この福音を伝える、伝えないという以前に、自分人生をかけるほどの価値があることなのです。もし、この福音運動をしないならば、時代も滅びて、全世界は滅びるようになるのです。それならば、簡単です。何でそんなに複雑なことがあるでしょうか? だから、思い切り苦労して、後ほど分かるようになるのです。どれくらい皆様が幸いな人なのかを理解しなければなりません。
 
・重要な方が、お金をたくさん儲けて、教会もたくさん建てて、老会、総会の働きも多くしました。この方が、最後に滅んで死ぬ時、何と言ったかというと“私は天国に行く自信がない”ということでした。びっくりすることです。私が以前に副牧師だった所ですが、そこに勧士一人が北朝鮮から来た方でしたが、この方は伝道師もして、神学もして、みなされていました。この方が、死ぬ時、誰も尋ねなかったのに「私はイエス様が信じられない。」イエス様を信じなければならないのに、とにかく信じられないということでした。どうするのでしょうか? だから、恵みの中の恵みです。祝福の中の祝福は何でしょうか? 今日、皆様が 2002年度を送ろうとしています。皆様が正常な考えを持った人ならば、頭にすぐかすめる部分があるでしょう。神様が私たちに与えられた祝福がどれくらい大きいでしょうか? この人達が、単に自分のロバをささげたことのように見えて、単にホサナと叫んだことのように見えて、ダビデの子よ、ダビデの国よと叫んだことのように見えるけれど、そのように見たとすれば、何ゆえに聖書に記録されているのでしょうか? これは奇跡のようなことです。知識人、経済人、政治家が知らないことを話したのです。ダビデの子よ、ダビデの国よ。この人達がものすごく霊的な話をしたのです。ホサナと言いました。今、私たちを助けてくださいと言ったのです。なんの力もないイエス様を見て、馬に乗ることができなくてロバ、それも、借りた他人のものをもらって乗って入っていくのに、カーペットを敷いてあげるべきなのにカーペットがないので、上着を敷いてそれに乗って入っていくその方を見て、ホサナと言いました。今、私たちを救ってくださいということです。それとともに、そのうわさがダビデの国よと言いました。奇跡です。皆様、ここで、すべてのことが分かれ目になります。今日も重要ですが、未来はもっと重要です。私たちの教会は、今でも重要ですが、これからがもっと重要です。ですから、この簡単な答で驚くべきことなのですが、ほとんどすべての人が、この部分をよく理解できないでいます。どれくらい感謝なことでしょうか。とても苦しんで、やっと教会に来る人がいます。神様が私と皆様に祝福を与えて下さって、福音を伝えることができる教会に出てきたということ自体が感謝することです。ある人は死ぬ病気になって、苦しんで、その時にイエスを受けるようになるのに、私達が神様の恵みで、みことばを聞いてイエス様を受け入れるようになったという事実です。ただイエスだけという話をわかるのに、滅び果てた末に到底、元に戻せない状況で、そこで悟ることがただイエスだけなのに、神様が私たちに正しく悟るようにしてくださったのです。すべての事業がみんな滅んで、結局、その時になって、自分が全生涯を福音のためにささげることなのに、本当に全生涯を主のために生きるべきなのにと話しても遅いのです。それを私たちに知るようにされたのです。一時代に福音を伝えなければならないという事実を、私達が知るようになりました。どれくらい感謝なことでしょうか? この人達は、単なる人ではありません。主がロバがお入用なのでと言われたら、使えと言いました。それとともについてきながら、その上に服を敷いてあげて、イエス様がロバに乗って入られたのです。イエス様は、馬に乗られませんでした。平和の王というタイトルで、ロバに乗ってエルサレムに入って行かれたのです。言わば王の入城です。それを見て、ホサナと言ったのです。今、私たちを救ってください。正確な意味は、私達があなたに頼みますから、今から私たちを救ってくださいということです。それとともに、ダビデの国よと言いました。本当に普通の話ではありません。
・3つを悟る時、全部できるようになります。ひとつはなんでしょうか?本当に救いを発見する時、私たちは本当に喜びが生まれます。皆様、事情がどのようになっていてもかまわないのです。これを味わうようになる時、本当に感謝が出てきます。皆様、状況がどんなに良くなくてもかまわないのです。なぜならば、未来は保障されているからです。伝道をせねばならないですか? やめれば良いですか? それは当然の話です。しないでも当然なっていくことです。そこにすべての秘密がみな入っているのです。そうではないでしょうか? 皆様、2002年を送りながら、新しく確認しなければなりません。あなたがたは、商売もしなければならず、ある人は学校も行かなければならず、ある時は皆様が上手にやる時もあって、ある時は失敗する時もあって、ある時は皆様が失敗する時もあって、たくさんあるでしょう。しかし、この重要なことを持っていてこそ、皆様が息をふきかえすのです。
・私は特に自然に子ども達を育てて、レムナントを見ながら、あの子供達が外国で勉強をする時、信仰生活がよくできるのだろうか? という考えを多くしてみます。どのようにしているのでしょうか? そして、困難がきた時は、どのように勝ち抜くのでしょうか? 困難がくるはずなのに、どのように勝ち抜くのでしょうか? 気になりました。ここに答がなければ、できなくなります。本当に救いに対する発見がある時、本当の喜びが生まれます。これを味わっている時、どんな環境にも勝つことができる力が生じるだけでなく、感謝が出てくるようになっているのです。伝道するな、しなさいという単語も使う必要もありません。なぜなら、証拠が出てこざるをえないからです。今日、皆様がここで本当にこれが回復しなければなりません。今日の本文はあまりにも正確な本文です。今日、2002年を終える私たちに与えられたとても正確な福音です。
・今でも申し訳なく考えます。韓国の重要な方達が、釜山でチームを組んでいたのですが、釜山でものすごく一流の方達です。この方達が全部、成功した方達ですが、その方達が、ある日の夜に私を呼びました。行ってみると、夜に食事の準備ができていました。私にはあまりにも有難くて、あまりにも衝撃的な話をしたのでした。そこに集まった人々は、ほとんど1,2名ではなく、ほとんどみながソウル大出身であり、全部、成功した人々でした。ほとんどみなが、医者や法律関係の人々でした。こういう方達の自分たちのチームがあって、会があるのですが、自分たちの間で祈りを多くして、たくさん話合いをしたそうです。有り難いことです。私をたくさん手助けして、たくさんサポートしてくださいました。有り難いことです。どうかといえば、私のような者をそのように見てくださったということ自体が、有り難いことです。その立派な方達が、ということです。ところが、ある日の夜に私を呼んだのです。その時が、一年が終わる頃です。今くらいの時です。食事したと言ったのですが、それでもすこし食べなさいと食べ物をたくさん揃えてくださったのですが、食べ物が問題ではなく、私にものすごく重要なことを話されたのです。何の話をしたというと、いくつかの話をしたのです。まず、伝道師であったので、「伝道師が教会を辞任なさって、留学をしなさい。留学をして、勉強してくれば、私達が釜山で一番素晴しい教会を建てましょう。そこを伝道師が担任してください。約束をして今から韓国を離れて勉強して来てください。それで、私達が韓国に教会らしい教会を作りましょう。」と言われました。どれくらい有り難いことでしょうか? 私をそのように考えてくださったということ自体が、とても有り難いことでした。ところが、私も知らない間に、その場でNoと言いました。理由をだいたい説明すべきなので、すごいことを話したのです。私はまだ時刻表ではなくて、外国に行く時ではないという話をしたのです。言わばその人々の要請にNoと言ったのです。ところが、この人達は、相当な準備をして、心を決めて、自分たちみなが集まって12月 28日くらいになって私を呼んで話をしたのでした。たいした話です。ところが、私がNoと言ったのです。どれくらい、この方達が寂しがったでしょうか。その時から、私を絶対に支援しなかったのです。どんなに助けてくれと言っても、支援しなかったのですよ。どのようなことが生じても、支援しなかったのです。言わば、ものすごく寂しかったからでしょう。このように自分達が決心して、チームを構成して、祈ってお願いしたのに 'no'と言ったからです。その方達に理由は明らかにしませんでした。単に時刻表ではないと話したのです。
 
・私には理由がありました。私は福音運動しながら、さっき話したこの部分をその方達が発見できなかったのです。その方達は、とても賢い方達です。全部、釜山高等学校、慶尚南道高等学校、ソウル大出身です。ほとんどみなが判検事、有名な当時の医者をしていた方達でした。また、警察の総責任者、こういう方達でした。そして、その方達は、その職業だけを持っていたのではなく、前の背景がものすごいものでした。元々、家庭がお金持ちで、背景がすごいのでした。親が長、次官を経た方達が多くて、すごいのです。ところが、私が ‘no'と言いました。なぜならば、私はこの部分をその方から発見できなかったからです。それで、私がNoと言ったのです。いつか新聞を見たら、その方達が私に対する文をちょっと書きながら、今でも惜しいと思っているかのような文を書いていたことがあります。ところが、私はそのように見ません。あまりにも明らかなために、結果は出てくるようになっています。皆様が福音を受けたということは、知ってみると、全世界をひっくり返すようなものです。皆様がただイエスだけで答が出たということは、足りない人々が、なんにもしないまま、ただイエスだけということもですが、ただイエスだけという話をパウロがしたということは、自分の家系、背景、全てのものをかけて言った言葉です。ここにパウロがいのちを捧げても惜しくないと悟ったことは、正しく見たのです。これがその後に来る時代を生かすほど重要なのです。この福音が、どれくらいすごいことなのでしょうか。ここから喜びが出てきて、ここから感謝が出てこなければなりません。それを信者と言うのです。2002年度の残りことは、全部それにしたがって応用をするのです。残りのことは、みなその時、その時、応用をするのです。どのように献身するか? その時、その時、応用をするのです。献金をどのようにするのか? それは、話す必要がありません。その時、その時、応用をするのです。ここから喜びが出てくるならば、応用がなぜできないのでしょう? できます。何も難しい事ではありません。
・私たちは、2002年を送りながら、神様のみことばを本当によく聞かねばならなりません。私が話したことは、特別な話をしたのではなくて、何かを引き出したことでもなく、ただ事実そのままです。まちがいなく、なっていくことです。ただイエスだけという単語をわからなかったのです。この時代に伝道せねばならないという、この伝道ということがわかることができなかったのです。簡単に話せば、発見できなかったということです。私が、全生涯をかけても価値があるということを発見することができなかったのです。だから、どのようになるでしょうか? それが、まさに失敗です。今、どれくらい祝福を受けたあなたがたなのか分からないのです。私とあなたがたは、少しだけ、姿勢だけを準備して、私達が今まで霊的な問題があまりに多かったので、こういう部分を少しだけ整理して、私達が祈るならば、神様は驚くべき働きを成し遂げられるのです。私は確信します。今日、2002年を送りながら、ホサナ、ダビデの国よと誰かが表現しました。この人の名前も記録されていません。今日、皆様が真の祝福を受ける重要な決断が起こることを願って、この契約を本当に捕まえる瞬間、暗闇の力は崩れるようになるはずです。皆様が本当に決断する日、暗闇の力は逃げるようになるはずです。皆様が、今日、本当にこの契約を捕まえる日、神様の答えの大きい門は開かれるようになるはずです。本当に、この契約を握るように望みます。私は本当に神様の子どもです。それなら、真の平安、喜びがどこにあるのでしょうか? すると、私は何ゆえに生きねばならないのでしょうか?こういう重要な契約を握らねばならないのです。まちがいなく、神様は皆様に正確な答えを下さるだけでなく、証人で立てるようになるはずです。今日、ホサナというこの祝福が、皆様にあふれ出ることをイエスの名前でお祈りします。 
 
<<契約の祈り>>
2002年最後の週を私達が送りながら、神様が今日、ホサナ、ダビデの国よと告白した者のみことばを、私達が受けるようになりました。神様、私達に真の恵みくださったことを有難うございます。福音を知らなかったのに、福音を知るように呼ばれたことを感謝申し上げます。多くの教会が多くのことをしていますが、伝道ゆえに私たちの教会が動くようになることを感謝申し上げます。世界宣教ゆえに私たちの生涯をささげることができるように、祝福をくださったことを感謝申し上げます。それならば、私たち信徒と役員と教役者が受ける祝福は、あまりにも確実なので、今日、そのうつわを準備する祝福の日になるようにしてください。私達が受ける答えが実際的に、あまりにも明らかなので、今日、その祝福を回復する契約の日になるようにしてください。すべての霊的な新しい力を得る祝福の日になるようにしてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部 / 救いと大きい答えを受ける者の楽しみ
(詩21:1〜13)
・15年前のことです。予備軍の訓練を受ける代わりに、訓練を受けず予備軍を集めて置くから、一時間だけ講義をしてくださいと言われました。分かりましたと返事はしたのですが、1ケ月前にその通知を受けたのに、その通知を受けたら心配になったのです。教会に行って、説教することは大丈夫なのですが、予備軍を集めて説明することは、ものすごくむずかしいのです。軍人達を集めてすることも難しいのですが、それよりもっと難しいのが、予備軍を集めて説教することです。ものすごく難しくて、変に1ケ月の間、心に負担になりました。女の方達は、よく分からないでしょう。男の人達は、不思議に予備軍の服を着れば、水準が異常になります。どこにでも、おしっこをして、どこででも、酒を飲んだりします。正常だった人も、予備軍の服を着ればそうなるのです。どんなに立派な人がきて講義しても聞きません。予備軍の訓練を受ける所には、講義室の大きい所がありますが、座ればほとんどみな寝ます。ある人は、座るやいなや頭を垂れて帽子で覆って寝るのです。ある人は、新聞を見ていて、新聞をかぶって寝ます。以前に誰かが話すことには、よく聞く人は、誰もいません。こういうのに、私に1年間訓練を受けないようにさせてあげるから、講義を1時間だけしなさいと言われたのです。牧師を見て講義しろと言われるのに、しないとは言えなくて1週間くらい前になってのに、何と話さねばならないことなのかより悩み始めました。ちょうど、予備軍を訓練する中隊長が「先生。あの人々をつかまえてたくさん話さず、30分だけしなさい。」分かりましたと話をすることもたくさんないと言ったのですが、上がる前まで悩みました。講壇がこういうようになっています。大きくずーっと座っていたのに、何千名かが集まりました。いっそこの人が紹介をしなければ、私が講義をもっと上手するのですが、また紹介をします。どの教会、どの牧師だとみな紹介をみなするのです。この人達が聞きません。どんなに悩んだか、上がる直前に考えました。あの中隊長が、私を呼んで私がここにきたのですが、神様の計画があるのです。この人達が、なにか聞かねばならない話があるのではないか? 中隊長でないが、行ってどの教会、どの牧師と言うとはじめから騒いだのですよ。あなたがたは 30分ほどだけ牧師が良いみことばを話されると言ったらそうでした。
・それで、行ってそこで私がはじめに何の話を始めたかというと“私が皆様に、この頃、なぜ精神病の患者がたくさん生じているかをちょっとお話しします”と言いました。それで、その説明をずーっとしたのです。想像を超越する事が行われたのですが、予備軍の中のほとんどみな、一名も残らず、新聞を見ずに私を静かに見ていました。それでもう一歩、より深く言いました。ムダン(霊媒師)はなぜ生まれるのか? ムダン(霊媒師)の子ども達は、なぜ困難にあうのか? このように掘り下げたのです。この人達が、全部みな関心があったのです。では、占い師はどのようにして占って、ずっと占った人々が、なぜ失敗して、占い師は最後の時、なぜ滅びるのかを聖書の話を全くせずに、説明をしたのです。これを聞くようになったのです。静かになったのです。人々が目を大きくして、みな聞きました。だから、時間がすでに30分を過ぎたのに、ある身長が大きい予備軍のひとりがむっくり立ち上がって、お願いがあると言いました。中隊長が何かと尋ねたら、“私達が今、先生の話を静かに聞いてみると、一理があるのに、遊んでなにをしますか? 30分もっと聞きましょう”と言ったのです。こういう奇跡がありえるでしょうか?
 
・それで、チャンスがきたと思って、その次の30分は、事実的に入って行きました。「何年何月何日、私がどの場所、どの精神病院で、ある人にこのように、このように助けを与えたという話しをしたところ、この人にこのようなことが起きた。」具体的に、あたかも記者が事件を報道するように言いました。それから最後に、さっと話したのです。私は牧師であるゆえに、イエスの他に伝えることができないので、イエスを伝えたら、この人がイエス様を受け入れたらそのようなことが行われたと、完全な福音を伝えたのです。1時間がすべて終わったのに、雷のような拍手が出てきました。とても興奮にして、あいさつだけして、そのまま降りてきました。忘れてしまったのです。そうでなければ、私の特技の “今日、皆様、静かにしてください。今、本当に皆様には良い機会です。今日、イエス様を受け入れる良い機会です”と言わなければならないのに、とても騒ぐはずだという強迫観念に捕われてきて、その話を1時間したら、この人達があまりによく聞いたので、幸いだと考えたゆえに、とても興奮してそのまま降りてきてしまいました。いまだに15年前のそのことを思い出します。
 
・今日、私がこのみことばを皆様に申し上げる理由は、今日、私たちは 2002年 12月 29日なのですが、みな過ぎます。あなたがたは、信仰生活をするのに3つの重要なことを持っているべきです。その最初が、発見です。皆様、教会だけ通うのではなく、今日から発見すべきです。発見することが、あまりにも重要です。今日、この詩篇を見れば、ダビデがあまりにも重大な発見をしたのです。ところが、難しく発見しようとせず、簡単に発見すればよいのです。もっと簡単に発見しようとすれば、私が聖書 66巻を見て、現場を見ながら発見したことがあります。‘人々は、ほとんどみんなが、自分が間違っていることがないのに、災いを受けているんだな’ということを知ったのです。
・今日、私が飛行機に乗って来るのに、座ってこういう考えをしました。「亡くなった趙重勲氏が努力を多くして、飛行機を作ってくれたので、私はお金を七万ウォンくらいしか出さずにこちらまで来ているんだな。本当に有難い。神様が世界福音化に必要な信者だけ用いられるのではなく、未信者も用いられるのだな。」そのように考えて、メッセージを準備して来たのですが、すぐそばにある素晴らしい夫人がそばに子ども一人、脳性マヒにかかった子どもを連れていました。子どもがよだれをたらしているから、このようにあのようにするのを静かに見て、その時、私が何の考えをしたかというと‘私が説教テープを準備して通うべきなのに、またのがしたんだなあ.’その人に福音を言える立場になることができなくて、子どもがあまりにひどくて、この人がよだれをふいてやったり、あめを与えたりするので、何かを言う状況になれなかったのです。‘テープを 一つ渡すべきなのに私が準備をしなかったなあ’ という考えをしました。
・私はある日、静かに聖書を見ながら、人々が大きく悪いことをしなかったのに、苦しみにあうのを見ました。ある家には、精神病者が三名もいて、ある家には親達が霊的に困難を受けていて、その困難を子ども達がそのまま受けていることを見ました。‘これは、なぜこうなのか?’ どんなに考えてみても、答を探せなかったのが、聖書から答が出てきたのに、それがまさに原罪ということでした。それがまさに私が犯した罪ではありません。私が犯した罪は、自犯罪(とが)です。私が全然、犯してもいない先祖が犯した偶像崇拝とか、全く私がしていない私たち民族と私達の社会、私たちの家系の問題が私にきたのです。これを発見したのでした。これが原罪だな。創世記3章。この発見をしたら、私は、未信者がどのように滅びるのか? 時刻表を見るようになりました。偶像崇拝をせざるを得なくて、そうしたあと見ると、宗教生活をせざるを得なくて、そうしたあと見たら、精神的に問題がこざるをえなくて、そうしたあと肉体に病気も持って滅びて、そうして死ぬのです。死ぬ時見れば、人々の色々な霊的問題が出てきます。死ぬ時見れば、人々が救われたの受けなかったのかが分かります。どんなに愚かな人でも見れば、地獄に細い人、天国に行く人は、死ぬ時に分かります。
・私が知っている勧士の一人は、子ども三名をみな私たちのハ・ジンク長老のように青果組合をしていました。この方達は、かなりお金もたくさん儲けています。ところが、この方の子ども達は、イエスを信じません。ところが、この勧士が亡くなるのを見たら、息子の手を一つ一つ捕まえて福音を伝えたのです。福音を伝えて、みな話したら、賛美歌何番を歌って下さいと言いました。それとともに天使が私を連れにきたと言いました。そのようにしながら、賛美を歌う中で亡くなりました。どんなに愚かな人でも見たら‘あ! これが何かがあるんだな’というでしょう? 死ぬ時に見れば、分かるでしょう?人々が多くの苦しみにあいながら 死ぬのを見ました。私は、これを見ながら、「この地に生きる人々は、ものすごく苦労せざるを得ないな。」と思いました。幼い乳飲み子は、お母さんの懐にいなければ、絶対に幸福ではありません。どんなにみな持っていてもです。ニーチェのような人々、モーパッサンのような人々は、勉強を多くした人々です。わざわざ神様を拒否して、そのようにしたのに、この人達の共通点は、全部、精神病院で死んだことです。成功した英雄の中で、シーザーとか、皆様が知っているようにジンギスカンのような人々が、ほとんど悲惨に死んだのです。ナポレオンのような人は、島流しされて、ため息をついて、全身に病気も持って、そのように死にました。私達が尊敬するヘミングウェイのような人々、トルソトイのような人々はほとんど、ヘミングウェイは自殺して、トルソトイは家を出て、回っている途中で駅で死にました。こういうものを見ながら‘あ! 本当に、人間はそれしか仕方がないな!’ こういうことが発見できたのです。それとともに、ある日、なぜ神様がイエス・キリストを送って信じなさいと言われたのかを発見するようになりました。イエスを信じながら、イエス・キリストを信じる祝福を発見するようになって、それを発見したら、伝道するしかなくなったのです。そのように発見できたのでした。
・皆様が 2002年、今日が最後の聖日です。これもあれもみなすべきですが、一番重要なのことが何でしょうか?この発見をすべきです。少なくとも、信者はイエスを信じる人になろうとすれば、イエスを信じる祝福が何かを本当に発見すべきです。それを今年、祈りの課題として、来年に訓練を受けて見なければなりません。未信者がなぜ滅びるのかをすぐ見ることができるではないでしょうか? これが発見できなければなりません。これができれば、伝道はどのようにして、なぜするのかが簡単に出てくるのです。私は皆様の前で少しも嘘をつくことができません。私はイエス様を信じて変化したことは、何にもありません。そのままです。しかし、それ一つを発見したのに、霊的に相当な祝福を受けました。私はイエスを信じて他の肉体的なことが変化になったことが、それほどありません。身長も大きくならず、1cm 減りました。イエスを信じて苦労を多くしたからです。ところが、神様が驚くべき祝福の門を開けてくださいました。誰に会っても答が出てきます。これがいかに驚くべきことでしょうか? 大統領に会っても、国会議員に会っても、長官に会っても、その人に与える答が何かが分かるようになったのです。なぜでしょうか?発見したのです。そして、難しい問題がきても、発見するようになりました。ある場合には、失敗したこともあって、上手にしたこともあります。ところが、問題がくれば、発見するようになったのです。これがどれくらい重要か分かりません。これが発見です。
・これができれば、2番目のことが続いて出てきます。2002年が過ぎる前に、この祝福を得るべきです。2番目のことが何かというと、喜びがどこから来るのでしょうか?今日の主題です。 21章 1節を見れば “主よ。王はあなたの御力を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。”と言いました。皆様が今日、点検をして、信仰生活をすこし注意深くみなければならないことは、本当に発見できたならば、どこから喜びが来るのでしょうか?ここから来るのです。これが信仰生活をする基本です。難しく考えず、発見だけできれば、うれしくならざるをえないのです。皆様が道を歩きながら、すこし何かもらってもうれしいのに、うれしくならざるをえないでしょう? 今日、この1節を見ると “あなたの御力を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。”と言いました。
・その次に6節にこういう言いました。“あなたは、とこしえに彼を祝福し、御前の喜びで彼を楽しませてくださいます。”と言いました。この話を普通の人が分かるでしょうか? 分かるその時から、驚くべき開始になり、分かるその時から、皆様の霊的問題が解決するので、皆様が答えを受けるようになるのです。
・13節にこういうみことばがあります。“主よ。御力のゆえに、あなたがあがめられますように。私たちは歌い、あなたの威力をほめ歌います。”と言いました。この聖歌隊が賛美をする時ごとに、主の力を賛美すると言いました。相当になります。それで、私が一番失敗をするのが、聖歌隊が賛美をする時、この賛美が神様に上がるということを知らずに、ずっと指揮者の姿をみつめて、皆様の口をみつめて、そのようにずっと失敗をします。それで、先週クリスマス礼拝の時、失敗をしたでしょう? 途方もないプログラムをたくさん持っていることを知らずに、静かに考えていて、一曲終わってそのまま出て行きました。出てみたら5-6曲程度残っていました。‘しまった! 今日は、クリスマスだった’と考えました。賛美する時、私達が失敗をします。賛美する人が失敗をします。今日、この13節を見れば“主よ。御力のゆえに、あなたがあがめられますように。私たちは歌い、あなたの威力をほめ歌います。”と言いました。これが賛美です。それで聖歌隊は、これだけ知って賛美をすれば、すべての現場に、皆様のすべての未来は、答えの門が開きます。
 
・本当に私達がインマヌエル教会を少しの間ここに引っ越ししてきたのですが、神様がこの聖歌隊をとても愛されるようです。この建物は良い条件が、聖歌隊しかありません。今、この説教を聞こうとするなら、顔をあげて聞かなければなりません。私も変にここに立つと、これがあまり良くないのです。上の人々をみつめれば、またそうです。チョン・ウンジュ牧師がご覧になって“先生。ここでどのように説教されるのですか?”と言われました。それで“良くしている”と言いました。チョン・ウンジュ牧師が “私はここでは、できません”と言われました。ある人々は、座っていて見ると劇場のように思うそうです。むずかしいのです。それで、私が見て内心、‘神様が聖歌隊を特別に見てくださっているようだ’と考えました。ここで良いことは、聖歌隊しかありません。公演する時も出たり入ったりしやすいのです。それで、早く良い建物、本当に礼拝を良くできる良い建物を早くくださいと祈っています。神様が答えてくださる時間には、人はできないのです。この人達が、何を持って喜んだのでしょうか? 皆様がご存知でしょう? 何を持って喜んだのでしょうか?
 
・前に私が告白をしたでしょう? ある人が私を見て、そばにきてカラオケを歌いなさいと言うのです。それで、私があまり敬虔にするのも、そうでも行こうと言いました。ところが、歌を知っていてこそ、歌が歌えるでしょう? 私はこの頃、歌を一つも知りません。歌手も知らず、歌も知らないのです。なにが歌を歌うのに、なにがといっているか分かるすべがありません。歌詞も知らないのです。それで私が知っている歌は、むかしのものしかありません。私が若い時に歌ったむかしの歌以外は、知らないのです。それで思い出して歌ったら、幸いにも字幕が出てきました。それで字幕に合せて歌ったら良かったのです。それで、私は、勇敢に行って歌ったのです。ところが不思議です。その翌日、起きてきてホテルから集会に行こうとガラス窓からそとを見通すのに、われ知らず流行歌が出てくるのです。それで私が ‘しまった!’と思いました。賛美歌が出なければならないのに、昨日の夜に歌ったものが出てくるのです。ところが、車に乗って行くのに、頭の中でずっと出てくるのですよ。私がそれで祈ったのです。‘神様、私がこのようにして良いのでしょうか? 流行歌を歌うことはできるけれど、私が集会を行くのに、これが頭の中に出てきて良いのでしょうか?’
 
・私は経験をしていないのですが、ある人がこう話しましたよ。手術をするために注射を打つと、人がそれから気を失います。その間に手術をするでしょう。その時間がいつなのかは知りませんが、ずっと話すらしいのです。話すのに、何の話をするのかというと、自分自身の中にある深い言葉が出てくるということです。これが問題です。本人の勝手にできないから、皆様が今、仮りにもし手術を受けていて、気を失っているのに、ずっと悪口が出てきて、‘湖の青い水’という歌の歌詞が出てきて、そのようにずっと出てくれば、どうしますか? 自分の勝手になることではありません。それで、この喜びがどこから来るのでしょうか? これは未来を左右します。何でうれしいのでしょうか? 普通の話になりません。“主の御力を賛美します”この話が他の見方をすれば普通の話に聞こえるけれど、相当なのです。私は一日、夕方になって少しの間歌を歌ったのに、その翌日、流行歌がずっと出てくるのを見て ‘あ! 人間はこうしかないな’と考えました。どうすることもできないではないでしょう? 何を喜ぶのでしょうか?
 
・2節にこういう答えがきます。2節にこういうみことばがあります。“あなたは彼の心の願いをかなえ、彼のくちびるの願いを、退けられません。”と言いました。主に向かって喜ぶ者に来る答えです。7節には、こういうみことばがあります。“まことに、王は主に信頼し、いと高き方の恵みによってゆるがないでしょう。”と言いました。また 3節にこういうみことばがあります。“あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます。”と言いました。また 5節には、こういうみことばがあります。“御救いによって彼の栄光は、大きい。あなたは、尊厳と威光を彼の上に置かれます。”と言いました。難しく考える必要はありません。皆様が早く診断する方法があります。私が何で喜ぶのか? 早く診断する方法です。私は本当に私の心の深い喜びがどこから出てくるのか? これは、ものすごく重要です。4節に “彼はあなたに、いのちを請い求めました。あなたは彼に、とこしえまでの長い日々を与えられました。”と言いました。
・皆様 2003年度には、変わることを願います。あなたがたが祈りの中で一番喜びを感じる最高の祝福を受けるように願います。それは、無理に祈りなさいということではありません。祈りで、ものすごく深い喜びが出てくるべきなのです。このようにすれば、皆様は世界を生かすことができて、皆様はあらゆる答えを受けることができます。それは前の言葉通り、何をすれば良いのでしょうか? 発見をすれば良いのです。私はある日、発見するようになりました。イエスの名前を呼ぶ瞬間に、神様の聖霊が臨んで、イエスの名前を呼ぶ瞬間に、皆様の家庭をそのように乱れるようにした暗闇の勢力が揺れて逃げるようになり、イエスの名前を呼ぶ瞬間に、私達が漫画のように、夢のように考えた天国の門が開いて、天の天使を送るという事実を私は知るようになったのです。イエスの名前を呼んで祈る瞬間に、ものすごい祈りの答えの事実を知るようになりました。私ができる最も良いことは何でしょうか?そこで祈ることです。喜びです。事実です。少しも偽りなくお願いしたいことは、その時から答えがきました。他のことは多いけれど、喜びです。本当に驚くべきことです。2002年が過ぎて、 2003年度を迎えるのに、皆様に最も大きい祝福がなにかというと、私は 3つだと確信します。ちょっと前に話した発見をしましょう。神様の子どもとなった祝福を発見しましょう。愚かな者のように教会だけ通っていて良いでしょうか? 神様の子どもになった祝福を発見しましょう。その 次に2番目が何でしょうか? 本当に祈って、主を味わうことが喜びになりましょう。この話は普通の話になりません。祈りながらうれしくなるということは、普通の話になりません。ここで全てのものが征服できます。2003年に、皆様にこの祝福が必ずあることをイエスの名前でお祈りします。
 
・私は率直に、むかしに祈りが苦しかったのです。どれくらい祈りが苦しいか、だから祈りの答えがありませんでした。祈りができないで、断食をしにいったら、一日食べないので、どれくらいおなかが空いたか、私はむかしに祈りをそのように理解していました。うれしくありません。徹夜祈りをするのに、牧師が説教をなさって、私は伝道師で賛美の導きをするのに、皆様が知っているように、私の賛美の声は良くないのに、むかしには徹夜祈りを明け方4時までしたのです。明け方4時までして、明け方5時に明け方祈りして、終えるのです。半殺しです。私は徹夜祈りすれば、土曜日死にそうになりました。祈りに喜びがなかったからです。一度は伝道師だった時ですが、今でも思い出します。牧師が私を呼びながら “柳伝道師、私が一週間外国に行くようになったので、明け方祈りを導いてください” ということで、明け方祈りの導きをするのに行こうとすれば、長くかかるのです。タクシーに乗って行こうとするなら早く起きるべきです。行くのに明け方4時頃起きて、明け方祈りをして、学校に行って座っていたら、眠たくて座っていることができません。その次の日、また明け方祈りを無理に行くのに、聖書、賛美歌を持って行く時、幸運であって、むかしには電信柱が木でしたが、行く時にそれにぶつかりました。明け方祈りを一週間して、どれくらい難しいかという気がしたのです。‘これから、牧師になれば、明け方祈りをずっとせねばならないのに、これをどうしてできるだろうか?’ 牧師が夜明けに起きて祈って、一日中どのようにするでのでしょうか? 私の内心、牧師が明け方祈りをしないならば、牧師をするのにと思いました。これをどんな奴が出したか、歴史的にだれが始めたのか? と見たら、マルコ福音1:35節にイエス様が始められたのでした。
・私は祈りに恵み受けた後、明け方祈りがどれくらい良いのか、皆様、夜明けに起きて祈って、夜明けに起きて運動して、車をみな洗ったり、夜明けに起きてメッセージを準備して、どれくらい良いかわかりません。 健康、霊的にもすべて回復します。‘主よ。王はあなたの御力を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。’事実は、私達が夜遅くまで遊んで、朝に無理に起きて職場に行くので、どれくらい大変でしょうか? 私は神様の前で、いのちを治める神様の前で、私の未来を導く神様の前で、一つ自信を持って話すことができることがあります。私に最もうれしい時間が何か?祈る時間です。ところが、事実として、告白します。その時から答えがきました。誰が皆様を理解するでしょうか? 祈りは全てのものを解決できます。実際に夫が妻を理解することができるでしょうか? することはできません。妻が夫を理解することができるでしょうか? することができません。時々あるでしょうが、本物ではできません。どうして、子どもが父母を理解することができるでしょうか? できません。私と皆様を本当に理解することができる方は誰でしょうか?神様です。皆様が祈る時は、あらゆる話で祈れます。神様は試みにあわせられることもありません。どんな話をしてもかまいません。ある日、私は祈りの科学的な事実を発見するようになりました。祈る時ごとに、天の門が開くという事実を知るようになったのです。私は事実、これを信じることができなかったのに、率直に祈りの力を信じることができなかったのです。ところが、ある日、精神病院に行ったのですが、そこでおかしな声を出すので、何もできない程でした。この人達が、私が偉いと思って、私に祈ってくださいと言いました。それで、イエスの名前で祈ったら、周囲が静かになりました。
・副牧師の時、伝道していたら、前に三和という工場に寄宿寮があったのですが、女学生ひとりが狂ったのです。二十才くらいの女学生が狂ったのですが、悪霊が入ったのにどれくらい力が強いか、男子 20人が止めたのにできなかったということです。これが、ガラス窓をみな割って、片手に槌、片手に刀を持って大騷ぎが起こりました。人を刺せば死ぬではないでしょうか? その工場で何の気がしたのか、急に私たちの教会に連絡がきたのです。その時、ちょうど牧師と私と事務室で話していたのですが、連絡を受けて行きました。行ってみると、そのようなことは初めて見ました。目玉が赤色でした。後ほど知ったのです。なぜ目が真っ赤なのか、学生が一週間寝なかったのです。それが可能でしょうか? 本当に寝なかったのです。一週間、食べないで、寝なかったのです。ずっと騒動を起こして、家に火を付けて、会社にきて課長を殺すと言うのに、いよいよ刀と槌をどこからか持ってきたのです。ガラス窓をみな割りました。この学生を男子20人がみな止めたのに、できませんでした。ある人は、刀で腕を切られました。本当に私は本当に驚きました。祈って私たちの牧師が入っていったら、私たちを見た瞬間に、足がふるえたのです。机に上がったあとで降りてこいと言ったら、この足が硬くなって、よく降りてくることができなかったのです。槌を渡しなさいと言ったら、刀と槌を出しました。ちょっと私達が賛美したら、どれくらい歯をくいしばっていたか、私は、悪霊とはこういうことがあるのか、と思いました。一度も見たことがないのに、これが悪霊につかれたんだなあ! 歯をくいしばるのに、そのようなことができません。泡を吹いて、歯をくいしばるのに、私達が賛美してイエスの名前でずっと一致協力して祈ったら、解けるのを見ました。このお嬢さんがイエス様を受け入れたのです。イエスを受け入れて、すっかり変わって、私たちの教会に来て、信仰生活しながら完全にいやされました。後ほど知ってみたら、高等学校の時からそうだったということです。イエスの名前で祈るという事実が普通の事実でないな。率直に聖書は単なる聖書と思っていたのです。私は聖書が神様のみことば、常識であって、本当にみわざが起きるとは知りませんでした。私はそれを発見するようになったのです。この体験を持って、自信をもってここまできたし、皆様と共に伝道運動するようになったのです。驚くべきことです。こういうことを何度か見ていたので、私に一番うれしい時間が何の時間でしょうか?祈る時間です。私に最も幸福な時間は、どの時間でしょうか?祈る時間です。
 
・私が全国を回らないならば、私が残念だと考えることがいくつかあります。私が全国に回らないならば、必ず2つのことをするはずです。明け方祈りと運動です。私は、運動が本当に好きです。運動が好きなのですが、おもに戦う運動が好きです。柔道、合気道、剣道、そのようなことがしたいのに、毎日回るのでできません。私は今でもしたいのです。今でもしたくて、警護するキム・ジョンテ牧師は、合気道公認 5段です。キム・ジョンテ牧師にあなたが胴衣を持ってきて、いっしょに朝にしようと言いました。二人でしたら、退屈だから、ヨンギの目をさまさせてイ室長の目をさまさせて一緒にしようと言いました。ところが、顔色を見たら、ヨンギとイ室長はするのがいやな表情でした。私が呼んで無理にきたのですが、ヨンギは寝ていてあまり目が覚めず、イ室長もそうなので中断しているのですが、新しく始めようかと思っています。また、ヨンギと私とでしようと考えています。胴衣もあるので私が今一番したいのが何でしょうか?明け方祈りです。その次に運動。夜通し文を書かなければ移動しなければできません。どれくらい祈りが良いでしょうか? 皆様、祈りの力をよく知らないのです。全てのものがその中にみなあるのです。回復して行くべきです。そのまま行っても良いでしょうか? 徹夜祈りは、あらゆる信徒が奇跡の門をあける日です。私たちインマヌエル釜山教会を知っているでしょうが、始めた時、信徒が徹夜祈りをしたのですが、どこでしたかというと、地下でしたのに、あまりに狭苦しかったのです。あの祈梼院を借りてしたら、私たち信徒全員がみな集まりました。そこで徹夜祈りをしたら、声がどれくらい大きいか、気づいたのです。祈梼院院長も牧師なのですが、ここで徹夜祈りをするなと言いました。周囲から、なぜこの教会にだけ貸すのか? 祈梼院はいっしょに使う所なのにと言われました。その次の週に見たら、影島にパンフレットが貼ってあったのに、影島の牧師が柳光洙牧師を抜いて総動員されて、その祈梼院で幹事集会が始まりました。本当に良くしたことです。私たちは行く時がなくて、祈梼院のそばの山で徹夜祈りを始めました。そこで徹夜祈りをしたのですが、主よと怒鳴ったら、その音が出て海をまわってまた帰ってくるのに、近所中で大騷ぎになりました。うるさいと言われたのですが、神様がその祈りに答えられました。皆様、貴重な 2002年度が行く前に祈りなさいということではありません。祈りの味を知るべきなのです。祈りしなさいではありません。献金しなさい。何かをしなさいではありません。何の話になるでしょうか? 救いの味を知ったのに、どうしてしないのでしょうか? 何で献身しなさいという話をする必要もありません。聖歌隊くらいしなさい、それでできるでしょうか? 私はそのような水準の信者を作りたくありません。私たちの信徒を説得して、そのような教会を作っても良いでしょうか? 申し訳ないのですが、私の子どもをただ一度も責めたことがありません。私の娘が釜山にきていますが、一回も責めたことはありません。なぜしなかったでしょうか? 私が小言を言って、責める程の水準ならば、その娘が何をするでしょうか? 力もない人間を作って、これから何をするかということです。教役者を見て、一度も話をしたことがありません。その程、知らない教役者が、世界福音化できるでしょうか? することができません。本当に救われた人ならば、簡単な話ではないでしょうか? 応用は殆どできるはずなのに、本当に救いの秘密の味を知ったとすれば、その人が大統領府に行くならば変化するし、国会へ行けば国会が変わるのです。当然の話ではないでしょうか? そして、その味を本当に理解するならば、祈りの味を知るしかありません。これを知るべきなのです。ダビデがこの告白をするはずです。‘主によって喜ぶ’ 2002年が過ぎます。もちろん、2002年が重要なのではありませんが、2002年が過ぎて、2003年が来るのも重要ですが、それよりも私たちの生涯で発見しなければならない3つのことです。この驚くべき救いの秘密を発見すべきです。いったい救われた祝福が何でしょうか?発見して、その次に本当に祈りの喜び、これを味わうのです。これが2番目です。そして、最後に皆様が、今からあらゆる事物を見る時、3つで見るように願います。全てのものを見る時、福音を発見するのです。全てのものを見る時、神様が与えられる答えが何か?全てのものを見る時、伝道が何か?そのように見ましょう。継続的なみわざが起きるはずです。これが味わうことです。本当の喜びが祈りのなかで来れば、ずっと門が開きます。
・飛行機に乗ったのに、霊的問題があるのかないのか分かりませんが、脳性マヒにかかった人に伝道できなくておりたことが気にかかります。私がテープを準備するとしばしば言うのに、することができなかったということです。そのような気がします。右手に見ると、寺からもらった数珠のような物をして、左手にはちょっと良いローレックスの時計のような物をつけていました。生活は良いようでした。私がテープを準備出来なかったのです。皆様が、どこでもこの財閥が苦労をして、飛行機を作って置いたのに、私は世界福音化をすると、お金を少しだけ出しても、飛行機に乗るのに、私が飛行機を作って乗ろうとすれば、永遠に不可能なのに、どれくらい感謝でしょうか? そこで答えを発見できます。3つのことを常に。この三つの目が正確に開かれるべきです。福音を発見する目、答えを発見する目、伝道、世界征服する目です。これができれば、どこへ行こうが見えます。あなたがたは、答えを受けることができなかったのに、私は受けます。見るようになるのです。他の人達は、受けられないのに、皆様は受けるようになります。この目が正しく開かれることがものすごく重要です。2002年を送る皆様が、霊的な目が開く貴重な日になることを望みます。それで、ここにみな合わせれば、どれくらい感謝でしょうか?
 
・今日も、留学生一名が少しの間、相談しようときて、先生が読んだ本の中で、良い本を紹介してくださいと言いました。それで率直に話しました。率直に良い本は多いのですが、ちょっと推薦することはします。この頃、たくさん出てくる本の中で、人気があるジャック・ウエルチという本を話したのですが、何の本なのか知って話すべきです。人間が限りなく血を流せば、努力したことを話します。それではありません。私たち信じる者は、そうではないのです。だから、その人には霊的問題が来るしかありません。家庭破綻がおきて、この前にニュースに出てきたことではないでしょうか? 全部、そのような本です。私たちは、そのようなことではありません。味わいましょう。あなたの努力で勉強するのではなく、勉強を味わいましょう。私達が無理に仕事をしようとせず、仕事を味わわねばならないのです。ものすごく重要です。福音と驚くべき答えと伝道がどこへ行こうが見えます。こういう答えが来たなあ、それとともに福音が見えます。2002年度、難しい部分があったのですが、私たちの信徒、長老達が、本当に祈って助けてくれました。祈りながら手助けすることを、一生、私が忘れてしまわないだろうと考えました。そこで福音を発見したのです。私はキリストの豊かな恵みがなければなりません。それを発見しながら、どこでも福音が適用できます。それで、この地では、人々が福音がなければ失敗するしかないのです。どこでも、この三つだけを味わえば祝福されます。みことばを整理をします。
・詩篇21篇1節をもう一度見れば ‘主よ。王はあなたの御力を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。’今日、簡単に説明します。2002年度が過ぎて、2003年を迎えながら、全国と世界にいる皆様に、敢えて神様のみことばを持って、空の話ができるでしょうか? 本当の話をせねばならないでしょう? 皆様に 2002年が過ぎて、2003年が来るのに、重要な単語3つを捕まえましょう。本当に福音の奥義を発見しましょう。それが最初です。それならば、神様の前で喜び。この真の喜びを味わいましょう。これは、苦労ではありません。最後の3つ目が何でしょうか? 現場に行けば、必ず3つのことがあります。福音の奥義と答えと伝道の奥義。これを捜し出しましょう。必ずあります。学生達が外に行けば、社会生活をするのが難しいのです。詳細にみつめましょう。そこには、必ず3つのことがあります。既に答えがきていて、福音が必要になっていて、伝道の門がきています。そこに応用すればよいのです。すると、皆様は勝利するようになっています。事業場所に行っても確かにそうです。
・私が知っている事業家のひとりは、重要な取引を置いているのに、相手方が有名な事業をしようと職員がきたら、時間がちょっとあってお茶を一杯飲んで話したいと言いました。書類を見て話す前に、その人がお茶を飲んで座りながら、自分の証しをしたのです。簡単に話せば、この人に福音を伝えたのです。ところが想像できない事が行われたのですが、相手方が、この人の話を聞きながら泣いたということです。それで、イエス様を信じると言いました。私はこういう話を初めて聞きました。とこの人がイエスを受け入れて、書類を全部入れて、かばんに持って行ったということでした。なぜそうするのかと聞いたら、「社長。申し訳ありません。この書類は社長に対し途方もなく損害になる書類です。私達だけが利益を見る書類です。私がこれを信仰良心上、することができません。」このようなことも行われました。その次の日、聖書勉強をする時、証しようときました。どこでもあります。2002年 2部礼拝、最後の週、最後のメッセージを忘れないように願います。2003年を本当に迎えるのに、本当にこのようにすれば、まちがいなく答えを受けます。訓練を受けて集まる理由が何でしょうか? 発見をすべきです。簡単に話せば、霊的な目が開かれるべきです。お金を儲ける人は、目が開いてこそお金を儲けるので、そのままお金を儲けるのではありません。開かねばならないのです。皆様、夜明けに行って、夜遅く入ってこそ、お金を儲けるのではありません。目が開かれるべきです。それを知っていますか? 全てのものがそうです。私が市場に行ってみると、事業を良くする人々は、どこからきているか、金昌淑ブティックとかいうものを持って来て、一時間で何百ウォン儲けるのです。午後には、ゴルフに行きます。私たちは、お金を儲けることができない執事を見たら、くつした、パンティのようなものを持って行って、一日中売って見てもお金にならないのです。“執事、必ずくつした、パンティを売らねばならないのですか?”それが使命ですか? たずねてみましたが、止むを得ないのです。一日中、売るのにお金を儲けることができないのです。あの人々は、どうしてあのようにお金をことだから? その人々は、みな道があるのです。お金を儲けるにも目があるのです。それなら、私達が霊的な発見する目があるべきです。それが最初です。それゆえに訓練を受けなさいと言うのです。その次には何でしょうか? この発見が本当ならば、迫ってくることがあります。祈りの喜びです。答えの喜びが訪れます。うれしいのです。どこがならば 最も良い時間をかけるようになるのですが、それが何でしょうか?祈りができることです。祈る時、どんなことがおきているか分かるようになります。これがだめになれば、どれくらい大変疲れるでしょうか? 最後の三番目です。前の2つができれば、どこでも行ってみるならば、現場に3つがきています。答えと福音の秘密と伝道の門です。いつでもきています。これを発見すべきです。勝利するしかありません。私が無理に、その人に対して接触するのではなくて、その人に重要な福音の祝福と祈りの答えと伝道の門を発見したゆえに、その人が私についてくるしかないのです。だから、戦わないで勝つのです。その人と事業をすれば、私についてくるしかありません。なぜでしょうか?重要なことを持っているためです。戦わないでついてきます。ついてくるしかないのです。大韓民国に牧師が多くて、教会が多いけれど、この三つのことを発見した人について行くしかありません。そのようなことは、人間的な方法ではありません。そのようなことは、神経を使う必要がありません。私たちの教会を静かに置いておいても、皆様が本当にこの答を持っていれば、重要な人々がこざるをえません。重要な人であるほど、目が良いのです。来ざるをえません。2003年度、この祝福を持って必ず出発するように願います。神様の祝福が皆様に本当にあることをイエス様のお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
今、インターネットでみことばを受けた世界の弟子がいますが、衛星で礼拝する信徒がいますが、この貴重な神様のみことばをのがさないように、神様が働いてください。これから私たちに目を開けて毎日のように、霊的な目が開かれて、見ることを見るようにさせてくださり、本当の喜びを味わい、祈りの喜びを味わうようにさせてください。行く現場ごとになっていく祝福を見る霊的な目を開けてくださって、世の中に勝てば、2003年度には、相当な答えを新しく受ける驚くべきみわざが始まるようにさせてください。それで、私達が神様の子どもで、世の中を生かす真の愛国者であることを発見する貴重な教会になるようにさせてください。インマヌエルを祝福なさった神様に感謝して、今まで信徒と伝道者のために献身したあらゆる長老と役員に、天の祝福を注いでください。この福音運動ゆえに、全世界に散在したすべての主の弟子たちの頭上に神様が祝福を注いでください。職場の現場で事業の現場で苦労するあらゆる主のしもべに天の霊的な祝福を与えてください。特に事業する私たちの長老達に天と地の霊的な祝福があふれ出るように与えてくださり、主が天から滝の水のような祝福を注いで、驚くべき恵みをくださることを信じます。伝道運動ゆえに参加した、すべての重要な働き人に、神様が天の霊的な祝福を下さって、新しい出発と新しい力を得る時間になるようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン