(2003年 01月 01日 インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


送旧迎新A: 私は何か?- 機能宣教
(使徒9:1-43)
 
 
・今日、私たちの遠くの地域ソウルでも長老達、執事達が参加しています。また、今、100箇所余りで、衛星でいっしょにメッセージを聞いています。また、全世界に散在した数千名の弟子達がインターネットで一緒に神様のみことばを共に聞いています。ある方は、寝ることもせずメッセージを聞くので、疲れているのではないかと尋ねたら、昼よりは良いと言いました。昼には仕事があって疲れるけれど、土曜日の夜よりも、今がもっと良いという話をしました。また、これから私たちのインマヌエル・ソウル教会、また、私たちの蔚山教会、京仁(ソウル・仁川)教会も含めて、神様の特別な祝福を受けてくださることを願います。
 
・今、皆様が賛美するのがインターネットに乗って全世界に届けられます。マイクの声があまりに小さいから、ちょっとマイクの声を大きくしてくださいと要請されることもありました。あなたがたが知らないのですが、賛美を上手にします。私たちは、今回、賛美大会をしました。後からの評価で、私たちの教会が一番手にだったと評価されました。私たちの教会が‘十字架'という賛美をしたら、涙が出そうになったのを耐えました。ところが、キム・オンス牧師はそばで耐えることができなくて泣いていました。それで、後からうわさが聞こえて、一番恵み深く、良くしたという話を聞きました。それで、もう一度しろと言ったのですが、皆様の賛美が全世界に届けられます。また、私たちパク・キブン執事が独唱をしたのですが、あの方はとてもロシアでも認めるような実力がある人です。神様が、私たちの教会に良い働き人をたくさん送ってくださっています。また私たちのパク・ソングォン指揮者のような人々が "あのような人を指揮者をさせなければならない”と本人がこのように強要して、それでパク・キブン執事が指揮をするようになるでしょう。私が見る時は‘若くて素敵だ。年齢が若くない人々は希望がないけれど、やはり若いから希望がある' というような考えをして、感謝申し上げています。
 
・三つの単語をずっと記憶すべきです。これからずっとせねばならないのですが、皆様がいる所に神様が働かれることを望んでおられるのです。それが地域教会です。難しく考えず、皆様の機能を持って神様は栄光を受けることを望んでおられます。それが機能宣教です。皆様を通じて、教会が生かされて、宣教師が生かされることを望んでおられるのです。それが一般信者宣教です。それで、三つの単語で今回のメッセージをします。単なることではなくて、タイトルだけよく分かれば、皆様は既に答えを受けるようになっています。
 
・神様の計画はたくさんありますが、重要なことがあります。皆様が重要なのですが、皆様が行く所に神様は働きたいと望んでおられるのです。それで、明日、説明を新しくしますが、それが地域教会です。それで、伝道する弟子達が集まって福音を伝えることを望んでおられます。そして、皆様が持っている機能が神様に栄光を帰すことができない機能ならば、変えなければなりません。皆様が持っている職業が、神様の前で栄光を帰す職業でないなら、変えなければならないのです。神様が希望されることがそれです。それは、基本で、とても重要な未来と関連があります。皆様ゆえに教会が生かされて、多くの宣教師が生かされなければならないのです。それが神様が願われることです。米国がなぜ祝福を受けたのか知っているでしょうか? いままで、米国は世界に宣教師を一番たくさん送りました。祝福を受けるしかありません。まだ私たちの韓国が、米国について行けないでいます。実際にいままで合わせれば、ついて行けないのです。それで、たぶん今回の新年集会は、あなたがたが重要な決断を下しながら、私たちの教会が、これから多くの宣教師を派遣して力が余る程に宣教師を手助けしてこそ、世界宣教となるのです。それが神様の計画です。この三つの単語を絶対にのがしてはなりません。それで地域教会、機能宣教、一般信者宣教です。これが今回の単語で、主題です。
 
・皆様がどこに行っても、この三つだけを記憶すればよいのです。私が行く所に、私がするのではなくて、神様が働かきたいと望んでおられるということです。それが神様の計画です。それに合せさえすればよいのです。それで "私はだれか?" あなたがたが、どんなに頭を使っても、違ったことはできないようになっています。あなたがたは、神様の子どもであるからです。結局は、あなたがたは、恵みを受まれなければ、できないようになっています。神様の子どもであるからです。それは、抜け出せない祝福です。皆様が人間中心主義を使えば、結局はだめになるようになっています。なぜでしょうか?神様の子どもであるからです。皆様が変に方法を動員してしようとしたら、結局、だめになるようになっています。なぜでしょうか?神様の子どもであるからです。それで、質問が "私は だれか?"。皆様で、だめになる方達は、神様の子どもであるからだめになるということも発見すべきです。私が神様の子どもなのに、神様と一致しないことをするために、だめになるのです。
 
・皆様が持っている機能を持って栄光を帰すことは、当然のことです。それで、皆様が職業を持って栄光を帰すことが当然のことです。それが機能宣教です。それで、ものすごく重要に2003年度を祝福されるはずです。皆様が、子ども達まで心を尽くして宣教師を助けましょう。これが一般信者宣教です。それで、あなたがたが契約をよく捕まえて、祈りをすべきです。それで、こういう重要な三つの単語を置いて、2番目の主題が、では "私は何か?"です。 "私は何をするのか?" これが、今、序論から出るようになります。
 
・絶対に、このままでいることはありません。私は大学 2年の時‘オーラルロバート'という本を読みました。 その本を見て話をしたところ、米国で使命者が "先生、オーラルロバート牧師は、米国ではあまり評判は良くないから、先生はみことばを控えるほうが良いですよ"と言いました。もちろん、私もそのように思っています。しかし、違っている人にも習うべきことがあるのです。私は天理教に行ってみて私たちの教会 3,000坪以上を祈りました。天理教で真理を学んだことはありません。それを見て‘悪霊に仕える天理教が大きい土地を占めているのに、私たちの教会は小さい' もちろん、建物を持とうということではないけれど、信仰的プライドがあるのです。申し訳ないけれど、私はこのようにヨイド教会に行ってみて‘本当に福音運動をせねばならない' それで、私が1千万の弟子という単語を捕まえたのです。イエスを本当に信じる1千万人の弟子です。それで、私は 'オーラルロバート'という本を見て、祈らねばならないという気がしたのです。‘このままではない。私がこのままでは絶対にない。私がこのように無能で、このように無力で生きることができるだろうか? 神様の子どもとして、これではない'という考えが率直に出てきました。それで、オーラルロバートの話をしたのです。‘私達が神様の子どもなのに、このように愚かに生きていて良いのだろうか?' そのような気がしたのです。オーラルロバートが、そのような気がしたのです。‘私は牧師なのに、信徒もなく、私が牧師なのに田舎に行って避難住民に似たようにして、このように死んで行っても良いのだろうか?'という考えを、この人が持ったのでした。このようにして、神様の前に祈ったのに、神様が働きをなさったのでした。この人の心に確信がきたのです。行って伝えれば良いのではないか? なぜ恐れるのか? あなたは神様の子どもなのに、なぜ恐れるのか? こういうメッセージを悟るようになりました。それで、自分の下で伝道師のように仕事をする人を呼んで、私が米国で一番大きい劇場でするから準備をしなさいと言いました。伝道師があぜんとして、献身礼拝の時も一度もしていないのに、いったい大きい集会ができるのか? 狂ったんだなあ。あの方が祈りをちょっとして、狂ったんだなあ。それでもしろと言われるので、米国で大きい劇場の予約をして借りるようになったのです。はじめから奇跡がおきました。新聞に集会をすると広告を出したら、劇場がいっぱい埋まるようになりました。オーラルロバート牧師が説教をしようと入っていったら、いっぱい埋まっていたのです。そこで自らメッセージをしている途中で、中間で祈りをしました。中間に祈りもして、賛美もしたのです。中間に祈りをしたら、祈りに火がついたのです。それで、この方があまりに祈ってすごくなって、気絶したのでした。講師が気絶して、病院に載せられて行ったから、目を覚ましてみたら病院でした。すると、集会はどのようになったのでしょうか? ところが、大騷ぎが起きました。その翌日、牧師に新聞が届いたのですが、自分は他人の話なのかと思ったのでした。新聞のタイトルに‘米国最大の奇跡がおきた' これがなにかと見ると、集会に人がきたのに、車椅子を捨てて行ったのですが、それがトラック 3台でした。大きいトラックに入れたのに3トラック分だったのです。ツエをついてきたのですが、捨てて行ったのが、ツエを入れたのは 2トラック分でした。そこまで見てもすごいことがあったではないでしょうか? 下に見ると講師 'オーラルロバート'。こういうことがあるのかと自分も信じられなかったのです。そして、記者が下に書き加えていました。「この人は説教をしている途中で倒れた。まだ説教が終わらなかった。説教が終われば、米国はひっくり返されるはずだ。」教会の何名かを連れて、田舎で暮らしていたのですが、自分がこのように生きていて良いのだろうか? 毎日、バカのように力もなく、このように生きていて良いのだろうか? 神様の子どもなのに。この考えひとつで、その次の日見ると、教会の近くに乗用車 500台がきたのです。その話は500名以上がきたという意味です。すぐにみわざが起き始めました。話がおひれがついて、みわざが起き始めたのです。ある国の場合では、みわざが起きれば是非を論じる場合もありますし、この方は、少し神秘の傾向があります。
 
・私は、それを見て、祈らねばならない。私が福音を持った神様の子どもなのに、このままいても良いのか? 30年前に、それなのに祈る方法を知らなくて、率直な話で、祈る方法を知らずに祈りもしていませんでした。私は性格が、一斉にお祈りをしましょうと言われたら‘ウ'と言うと狂ったようだと思いました。あの人々が狂ったか、そして、主よと叫んでいたら、あんな状態でせねばならないか? とみんなが一斉に祈る時、私はじっとしていました。そばで見ていたら、ある人は、祈りしながら気絶するのですが、なんで気絶するのでしょうか? 狂ったのかと思うし、手を挙げて祈れば、必ず狂ったように思いました。私がそのような体質です。冷たく座っているのに、祈りにいったのに、心は挑戦されるのに、祈ることがありませんでした。まず、断食3日、率直な話で、神様はご存知です。祈る方法を知らないから、食べないでじっとしていました。今、 考えてみれば、ただいただけでもみわざが起きました。私は決心したのです。このまま生きることはできない。私が神様の子どもなのに、何をして生きなければならず、どのように生きねばならないのか? このまま生きることはできない。
・何ゆえに機能宣教、この話をするのか、何ゆえに一般信者宣教をしばしば強調するのか、何ゆえに地域教会を作って伝道しましょうと言うのかというと、今、ここに座ったあなたがたが静かに考えてみるように望みます。もし皆様が、未信者を伝道して、信じる人でなく、未信者を伝道して弟子となった人が、皆様の教会に、現場に住んでいる人 3名以上になれば、どんなことが行われるか知っているでしょうか? 牧師はものすごく祝福を受けた牧師となります。3人ができていないということです。そして、一般信者は途方もない一般信者となります。伝道の祝福をよく知らずにいるのです。今はそうではありませんが、私たち教会が、成長している時、その中の2/3は既存信徒でしたが、未信者でイエスを信じた人々1/3はこの町で伝道したのです。タラッパンに走りながら、神様が喜ばれました。それで、皆様を見て機能宣教、一般信者宣教、地域教会、この話を逃さないようにと言うのです。なるようになっています。ある面では、当然の話です。私が行く所に、神様が働かれることを望んでおられるのです。それが地域教会です。自分の機能、自分の職業で、神様は栄光を受けることを願っていらっしゃるのです。それが機能宣教です。私が当然に、信者ならば、教会が生かされて、宣教師が派遣されなければなりません。それが一般信者宣教です。この単語を逃しても良いのでしょうか? 皆様、銘記して、胸に込めてくださることを望みます。それで、明日、一般信者宣教に参加しましょうという話が出てくるはずです。しかめ面をしないで、うれしい心で参加して、みな出るように願います。そして、ちょっと考えて、祈って、このようにして、私たちの教会が宣教を正しく神様が祝福なさるのかを見ましょう。こういう重要なことを、これが機能宣教です。
 
・皆様が、この契約を捕まえる時、私はどのように答えを受けて、聖書はどのようになったのでしょうか? 皆様が何でもないのに、神様は働かれます。今日、タビタを読みました。下着を作る女の人です。針仕事する人なのに、ここにみわざが起きました。これが重要です。皆様が貧しいならば、神様はより強く働かれます。無知ならば、神様はより強く働かれます。皆様に時間がないならば、神様はより強く働いてくださるのです。なぜでしょうか?私達ではないからです。モーセが何にもないということを神様がご存知であって、ツエ一つでみわざが起きました。記憶するべきです。特に、2003年度、長老をはじめとする、すべての役員が神様の大きい祝福を受けるように願います。そして、私たち教会に、これから重要な祝福を受ける按手執事は、力が強くなり、これからは本当に教会で重要な役割をする祝福を 2003年度に受けるように願います。そして、勧士は、祈りを多くしていますが、勧士が心を合わせて教会のために祈って、これで世界宣教する祝福の隊列の中に入っていくことをイエス様のお名前でお祈りします。
 
・小さいことなのに、何でもないことに、神様が働かれることがあります。この三つの言葉が分かるならば、私が行く所に、神様が働かれることを望んでおられるのです。自分の機能の中で、自分の手を通じて、自分の職業を通じて、事業の中に神様が働きたいと望んでおられるのです。これが機能宣教です。私を通じて宣教師が派遣にされることを望んでおられます。この話を悟れば、ダビデのように石ころひとつでみわざが起きたということです。知らずに、どんなタラントを啓発せねばならないかと聞きます。そのような心配はする必要がありません。タラントは上から与えられるのです。学生達が心配して、先生、私はこれからなにを啓発せねばならないのでしょうか? と聞きますが、そのような心配はしなくても良いのです。神様はするようにされます。誰か? だから、私が誰ということです。神様の子どもです。明日話すでしょうが、不信仰の勉強をあまりに多くして、私たちには不信仰の思想がぎっしりと入っています。皆様が持っている理論が、不信仰の思想です。信じる者にそのようなことは必要ありません。どのように戦って、どのように競争せねばならないのでしょうか? マキャヴェリのような人の論は、未信者が見る理論です。皆様は、神様の子どもです。そのような心配をする必要はありません。この時に、3つの答えがまず与えられます。その最初が、私に対する解答です。誰が何といっても、私に対する解答が、まず与えられなければなりません。私が今している仕事が、神様の仕事であることは間違いない。今、私たちの教会が、伝道する教会であることが間違いないという解答が来るべきで、それぐらい幸福なことはありません。神様が私に対する解答を下さいます。
 
・2002年は、多くの答えを受けたのですが、最後のひとつとして、本当におかしな事が行われました。韓国で一番大きい教団が、イエス教長老会の合同側です。高神側の5倍にもなります。一番大きい教団です。そこで、自分たちの間でけんかをして、自分たちの間で新聞に出したのです。その当時に調べた委員長が、「タラッパンを異端に決定したことは、誤って決定したことであって、聖書的に違ったことはないのに、誤って決定した。柳光洙牧師を殺すために、政治的にそのようにした。自分のくやしいことを全国の教会に知らせる。」と新聞に出したのです。私が見ても、不思議なことです。その教団が静かにしておかないだろうと思ったのに、静かにしています。その新聞を宝物として持っていて、誰かが悪口を言えば、コピーしてひとつ渡しましょう。それより確実な証拠、その方達が異端と決定したことを間違ったと言うのです。これから、他の事が行われるでしょう。あなたがたもそうですが、自分自身に対する答があるべきです。神様がそれからくださいます。これがいかに幸福でしょうか? 自分自身に対する答があれば、他の人と比較する必要もありません。自分自身に対する答がないから、しばしば比較するのです。自分自身に対する答があれば、認めなくても構わないでしょう。私に対する答があれば、私に対して自信があるならば、だれが何と言っても自信があります。
 
・この頃、TVのドラマで出てくるやくざも、やくざということが申し訳ないけれど、国会議員までした人なのに、キム・ドゥファン氏(日本の言葉でキン・ドカンと言っていますが)自分に対する自信があるのです。国のために日本と戦ったと出てきました。成功して国会議員までなったではないでしょうか? 未信者も、ましてやくざですら、自分に対する答があるのに、神様の民が、自分に対する答がないのは、話にならないことです。はじめ、私達が貧しく生きていたとしても、それが少しの間になるのか、永遠になるかもしれないのです。私たちには、自分に対する答があります。この答が必ず与えられます。神様がこういう答えを下さるようになっています。2番目に来る答えが何でしょうか?教会に対して理解できるのです。この教会ということは、神様に対する絶対主権です。
 
・私が頭をよく使えばできて、私が頭を誤って使うとだめになるような所ではなく、神様の絶対的な主権がある集団です。神様の民が集まった所が、教会だという答が出てきます。それで、信徒一名一名が、大切なのです。ある面では、間違った話にも耳を傾けることができます。なぜならば、神様が立てられた集団で、皆様一名一名が神様の民であるためです。それとともに、三番目に来る答えが、私は特別ではないけれど、私の機能に意味が生まれるのです。特別ではないけれど、私の職業に意味が生まれて、もっと重要なことは、私の職業に神様の祝福が現れ始めるのです。どんなに皆様が技術が飛び抜けても、神様が祝福されなければ、用いられません。皆様がどんなに実力がなくても、神様が祝福なされば、用いられるのです。
 
・名前は明らかにすることができないけれど、私がとても好きで、よく知っている方です。運動選手をしていました。子ども達といっしょに運動会で走っていて、どうしたのか鉄棒にぶつかってしまいました。そのようなことがあるでしょう。ところが、この人が、その時倒れて病院に行ったのに、いままで言葉が言えなくて、全身が動けなくなりました。それを見ながら、あんな人材がどうして、あのようになったのかという気がしました。私が知っているある人は、会社に行く時に子ども達が投げたボールに当たりました。傷ができたのに、不思議によくならないのです。この人がたいしたことはないと考えたのに、ずっとよくならないのです。深刻になって、顔がおかしくなったのです。分かったら、癌でした。どうして、そのようなことがあるのでしょうか? 私が以前に、副牧師だった教会は、医者の一人が漢方薬を飲んで死にました。病院に行って、薬の調査をしたのですが、別段異常はありませんでした。単にショックだったのです。本当に神様が祝福なさらなければ、薬も毒になります。
 
・私達は、神様が祝福されなければ、どのようになるでしょうか? 私は、いつもそのように考えます。私の友人一名は、いつも傲慢になって、教会も来なかったのですが、高等学校 3学年の時、試験を受ける日に倒れたのです。それを見ながら、これも神様が祝福なさらねばならないと考えました。
 
・皆様が、本当にこの契約を捕まえる時、機能宣教が何でしょうか?神様が私を通じて何をなさることを望まれるのか? こういう契約を捕まえる瞬間、こういう答えが与えられます。この時、2番目に開かれる目があります。人々がなぜ滅びるのか? なんの誤ちもなく滅びる人々が多いのです。間違って滅びることは、代価と言えるでしょうが、特に誤ってもいないのに滅びるのです。
 
・先週に話したのですが、ある家に伝道しにいってみたら、1戸に精神病者が三名いるのです。ある家には、伝道しにいってみたら、家族がすべてみんな病院に入院しました。事故が起きたのではないのに、父は3階にいて、母は 2階にいて、息子はまた7階にいたのでした。訪問に行くのには良いでしょう。それを見て、どうして、こういうことがあるのか? 何の誤ちも、何の犯した罪もないのに、この話は、悪いことをしたことがないのに、なぜ子どもを産んだら、子どもが異常なのでしょう。どのようにするのでしょうか!
 
・大きく悪いことをしたのでもないのに、家庭に災いがやってくるのです。それを原罪と言います。私が犯した罪ではありません。先祖が犯した罪なのですが、なぜ私に来るのでしょうか? 両親が偶像崇拝をしたのに、なぜ私達が滅びるのでしょうか? それが原罪です。アダムとエバが犯した罪が、何ゆえに悪魔の影響が、私たちに来るのでしょうか? これが原罪です。それで、神様がこれを解決するために、キリストを送ってくださったのです。私はその目が開かれながら、「そうだな、これで福音を伝えるのだな。」と思いました。それとともに、霊的な世界を見るようになりました。私は現場に行ってみながら、霊的に困難を受ける人達を見る時、これを見るようになったのです。正常な人が理解できるでしょうか? こういう霊的な世界を見ながら、反対になぜ神様が聖霊で私たちに働かれるのかを理解するようになりました。こういう目が開かれたのです。
 
・この時、使命が生じました。それで、伝道の中で最も良い伝道は、機能宣教です。インマヌエルのすべての使命者は、2003年度から機能人で集まることを希望します。それで、2つの計画を立てましょう。どのようにすれば、私達が祈りの答えを受けるのか? どのようにすれば、私達が力を合わせて、宣教にすこしでも助けになるのか? これを2003年度からしてみましょう。これは、ものすごく重要なのです。今、教会の中には、多くの人々がいます。少しだけ機能を合わせて集まればよいのです。
 
・私が見ると、私たちの教会も機能宣教が、たくさん起きています。特にペ執事のような場合、美容宣教にものすごくみわざがたくさん起きています。このように集まって、祈りの答えを受けて伝道するのです。ですから、全地域に福音が入っていくことができるのです。それが機能宣教です。他のことではありません。教師は教師で集まって、医者は医者で集まって、薬剤師は薬剤師で集まって、音楽をする人々は音楽をする人々で集まって、祈るのです。
 
・それで、何をせねばならないのでしょうか? 答えから受けねばなりません。答えの中の答えは、だれが何と言っても、自分の機能に答えを受けることです。機能に答えを受けることができなければ、ご飯を食べるのが難しいのです。機能に答えを受けることができなければ、社会生活ができません。一番、重要なのです。それで宣教もして、それで集まって祈りの答えも受けようということです。
 
・機能宣教ということを悟って、祈って受けた答えが、この方達は、このようにそのまま礼拝ささげているのではいけないということを悟りました。現場に行って、聖書勉強をしながら、その時、聖書で合宿ということを悟ったのです。聖書に見ると、わたしがあなたがたを呼んだのは、あなたがたとともにいるためです。そして、最後にも、イエス様がおっしゃったみことばが、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。と言われました。ここから合宿訓練を考えたのです。それで、すぐには教会堂もなくて、施設もない時、副教役者に太宗対観光ホテルを交渉させました。合宿訓練をそこで始めたのです。何度かは講義を私がしました。どれだけ聖霊が働かれたかというと、何十名を集めて初めて開始をしたのに、はじめには三十名単位で合宿訓練をしました。講義をし終えたら、この人達が、食事をしようと行かないのです。なぜ食事をしに行かないのかと言ったら、あまりに恵まれて空腹であることが分からないということでした。そのくらいでした。神様のみわざでなければ、合宿訓練が中断されねばならないのに、その運動がいままで続いています。より多くの人数が集まり始めました。少し変わって、キムチがないと出て行くような人も来ましたが、これがずっと続いてなされています。そうしたあと、私が悟ったことが、合宿を受けた人々を大量に集めてはならないということでした。この人達をチームに分けて、正しくせねばならないという、チーム合宿を悟ったのです。そうしたあと見たら、チーム合宿を 1・2回だけしてはだめだと思いました。現場に連れて行って、目を開けてあげねばならないということです。それがミッションホーム戦略です。その次にくるのが、専門の働きです。機能の答えです。誰が何と言っても、機能に答えを受けねばなりません。
 
・皆様が伝道する中で、最も良い伝道が何でしょうか? 皆様の事業に答えを受けねばならないのです。伝道の中で一番良い伝道です。それで、宣教戦略の中で最も良い戦略が産業宣教戦略です。皆様、私の話をそのまま聞かず、聖書を一度見てみるように望みます。マルコのタラッパンに聖霊が臨んだのですが、人々がたくさん集まった、ものすごい大ヘロデ神殿に聖霊が臨まないで、マルコのタラッパンに臨みました。ヨエル2章に約束された聖霊が、どこに臨んだのでしょうか? マルコのタラッパンに臨んだのです。ところが、そこにまさに使徒の働き2章 9節 10節で、十五ヶ国の門が開いたのですが、その人々がまさに産業人でした。機能宣教です。産業宣教と同じ話です。聖書を見ましょう。使徒の働き 9章、今日、読んだ本文に弟子が初代教会にぱっと広がったのですが、この人達がみな産業人です。機能を持った人々です。機能宣教という単語をのがさないようにしましょう。
 
・私がこれから目標にすることは、信徒全員が自分の機能に答えを受けることです。その機能をもって何をするのでしょうか? 伝道する程、受けねばなりません。皆様が祝福をどれだけ受ければ良いのでしょうか? 宣教する程、受ければよいのです。これから、私たちの教会では、宣教費がないという話はしないようにしましょう。それは恥ずかしい話です。神様の計画であることが確実なのに、なぜないでしょうか? それは、私たちの誤ちです。最初は私の誤ちで、2番目は皆様の誤ちです。そのような話が出てこないようにしなければなりません。
 
・お金がなくてできないことは、ものすごくプライドが傷つけられる話です。必要なくてしないのではなく、必要とするのに、お金がないということが、どれくらい話にならない話でしょうか。人生のプライドが踏みにじられることです。話にならないことです。だから、必要なことはしましょう。必要なことは、なくてもしなければならず、神様が希望されることは、なくてもしなければならないのです。神様が願われないことならば、あってもしないのです。そうではないでしょうか。ピリピ4:19(また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。)にあなたがたの必要をすべて満たしてくださいますと言われています。
 
・2003年度に、私たちインマヌエルの家族とタラッパンのすべての家族、世界の弟子が受ける祝福は、何ででょうか?機能の祝福を受けましょう。それで、宣教するほど受けましょう。皆様がおわかりの通り、使徒11章に集まった弟子です。この人達が、皆、機能宣教、産業宣教です。皆様がおわかりの通り、ローマ16章に見れば、パウロに仕えた世界的な人物が出てきます。その人々が、皆、機能を持った人です。機能宣教です。この人達が、パウロを応援したのです。そうして、世界の福音化がなされました。この祝福を悟ったら、どれくらい多くの答えの門が開いたか分かりません。事実は、私が初期の時、外に行ってタラッパンをしたように見えますが、全部、機能別に食い込んだのです。工業団地に食い込んで、教授を集めて食い込んで、電電公社に食い込んで、機能別に食い込んだのでした。ところが、そこに対する実がどれくらい大きいか、学校にも食い込んで、まだ実があるではないでしょうか。伝道運動を始めているのに、マイクを担当しているイ・ドンギは、お母さんが亡くなる前にタラッパンを始めました。ところが、夜に連絡がきたのです。私の小さい部屋に引っ越ししてきた信徒がいると言いました。ところが見ると、私たちの教会に登録をしなくて、他の教会に登録をしたのです。それで、気分が悪くて追い出す時なのですが、私が訪ねたのです。その時は、私が時間があった時だから、訪ねたのです。行ったところ、きれいな女の人が、引っ越ししてきていました。話をしてみたら、伝道師夫人でした。ところが夫は、ソウルで勉強をしていて、自分はここの学校の先生にきたということでした。教会は、どこに行っても問題ではありません。学校を伝道しようと言いました。私が簡単にメッセージをしたら、この方が涙を流して、すぐに私たちの教会に登録したのでした。私が誤って行ったと言いながら来たのです。良かったと言いました。きたことが良かったのではなく、伝道をしなければならないから。このようにして、東三女子中に行ったのでした。入っていったら、どれくらい良くするのか。養護室を作って、教師を集めて聖書勉強をしたのです。人々がどんどん集まりました。後ほど教師の三分の一程、集まるような時もありました。その方は、夫が牧師になって、宣教師で行きました。この人が帰った後は、うまくいくだろうかと考えたのに、もっとうまくいったのです。また驚くべきことに、中学校の先生が発令を受けてどこかへ行きます。行ったら、より良いことが宣教師を派遣したかの様になりました。また行って伝道したのでした。その実が私たちの教会にあります。私たちキム・ヨンス執事や、チャン・オクスン執事がその実です。あの方達がどれくらい重要なメンバーなのか分かりません。見て下さい。この機能宣教ということがすごいことなのです。先週にイ・キュンギ執事、教授夫婦を一般信者宣教師で派遣しました。機能宣教がものすごいのです。どこでも食い込めば、変化が起きます。まさに、からし種のように見えたのに、入っていって木になったのです。それこそ、私たちは何でもないように話すのに、その中には途方もない宝の畑があるのです。この単語を必ず捕まえなければなりません。
 
・私は福音を知らなくて、祈りも全部違った祈りをしました。何でもくれと、ぎっしり書き留めたのです。本物の恵みを受ければ、そのようなことは必要ありません。祈りの課題は、イエス様が2つしか下さいませんでした。聖霊充満と伝道です。聖霊充満を受けたら証人になります。それしかありません。いつも座って何をすれば良いのでしょうか。聖霊充満だけ祈ればよいのです。簡単にすれば良いのに、全部複雑に書いておくのです。私の友人は、学校に通う時、見ると祈りの課題を書いてあったのですが、奥さんの条件が書き留めたのにみな書いてありました。梨花女子大で、身長はいくらで、長老の娘でなければならないと書いてあったのです。正しく会ったのに、今でもよくありません。そのようなことをする必要はありません。皆様、ここにいる年を取って結婚していない女の人も男の人も絶対に心配しないで。出来なければ、しなければ良いのです。毎日、けんかするならば、行かない方が良いでしょう。何も問題でないことです。
 
・私達がそのようなことをする必要はありません。私は、全部、肉体的な祈り、何かをくれという祈りをしました。何かくれという必要が、何であるのでしょうか。‘だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。'私は福音を知らない時、伝道もまったくでたらめにしたのです。多くの方法を動員して、何か伝道は商売でしょうか。そのまま福音を伝えれば良いはずなのに、聖書に見れば、答があるではないでしょうか。知って見たら、信仰生活もまったくでたらめでした。人の前でしたのでした。そして、家庭生活もまったくでたらめでした。すっかり不満がいっぱいあるままでしていました。このようになるしかないのです。ところが、福音を悟りながら、それが違うのだと悟ったのです。それとともに、祈りも変わって、教会生活も変わって、みな変わったのです。そして、社会を見る目も変わりました。皆様は、なぜ生きているのでしょうか。あなたがたは、どんな職業を持ってご飯を食べているのでしょうか。それで、米国で起きた運動なのですが、牧師が説教をしたのです。もし神様があなたを見る時、どのようにするでしょうか。また話をちょっと変えて、もしイエス様ならば、この時どのようにされるでしょうか。こういう説教をしました。これが有名な "In his step"という本です。 "彼の足跡に従って"
 
・もしこの時、イエス様ならばどうされるでしょうか。一時ものすごく流行したし、本も出てきました。その説教に、人々が感化を受けたのです。私がどのように、何ゆえに生きるのでしょうか。そうしながら、ことがたくさん起きるなかで、以前に事件を二つ紹介したことがあります。最も大きい事件が、新聞の編集長が、その説教を聞いてイエス様ならばどのようにされるかと考えたのです。新聞を見ながら、全部、広告で米国新聞は厚くて、広告を見るとおかしな広告も多かったのです。狂っていました。イエス様ならば、これを出すだろうか。その広告を抜いてしまったのです。そうしたところ、すぐに大騷ぎが起こったのです。社長室から編集長を呼んで、なぜこのようにするのかと言ったところ、イエス様ならば出せるかと答えたのです。狂ったか、今、新聞が広告でお金をもらうのに、広告を抜けば新聞をしないということではないか。それでも、イエス様ならば、これするのかと答えたのでした。話にならなかったのです。その時、この人がすると社長に、その空の広告面を満たすと言いました。どのように満たすのかと社長が尋ねられて、責任を取って満たすと答えたのです。一時、大変でした。そちらに人々の感動的な文、証し、こういうことを出しました。このようにして、一時、驚くことが起きることもありました。ちょっとした告白が、この時、イエス様はどのようにされるだろうか。私たちは今、ちょっとだけ考えて、決断することに相当な答えがくるのです。なぜでしょうか?神様の子どもであるためです。皆様が神様の子どもで、救いの隊列に立っているとすれば、すべての問題がみな終わるのです。それで、三つの単語をいつも記憶せねばならないのですが、その中の機能宣教です。神様が、私が行く所に働きたいと望んでおられるのです。神様が、私の機能を通じて働きたいと望んでおられます。神様が、私を通じて世界宣教になることを望んでおられます。それで、地域教会、機能宣教、一般信者宣教会を記憶しなさいということです。これを持って、世界の福音化ができるのです。すべての地域教会が生まれれば、全部、ここに祈りを集め始めましょう。それで、世界宣教をしましょう。
 
・私が全州に集会に行ったのですが、全州アンテオケ教会という、本当尊敬するに値する牧師です。全州アンテオケ教会に行ったのですが、礼拝時間に礼拝をささげようとしたら、礼拝をささげることができません。突然に雨が降るのに、どれくらい音が大きかったか。分かってみたら、教会の屋根がブリキの屋根でした。仮設の建物になっていました。人が多く集まります。宣教師何名を派遣したのか? 私が行った時、その教会で150人を派遣したのでした。それで牧師を見て尋ねました。 "どのようにして、このように宣教師をたくさん派遣しましたか?" "私たちは、無条件に全教会員が宣教に参加して、献金をして、私たちは宣教師を派遣することを最大の課題だと思っています"とおっしゃいました。それで、その方が宣教師を派遣するのに、そのチームの中で私たちのタラッパンにきた人も多いのです。ですから、タラッパンに混乱がおきるから、その宣教師が牧師に尋ねたということです。 "先生。タラッパンとは何ですか? してもかまわないですか? してはだめですか?"と尋ねたということです。その方が、何と話されたかというと、 "人々が知らないからです。行きなさい" 自分たちの宣教師を、私たちのタラッパンに訓練を受けるように送りました。それで、私が見て 'あ! この人はすごいな' 普通の人は、そのようにしません。教会の予算の中の 2/3を宣教師派遣するのに使うのです。
 
・それで、それを見ながら、私たちはまだ考えがちょっと足りないと思いました。事実、私達が今、正しい宣教師何名も派遣出来ませんでした。私達が本物の祝福を受けなければなりません。これは、単なることではありません。もしこのように考えをしてみればよいのです。‘もし私のような人ばかりいるならば良いか。だめか。' そのように結論を出せばよいのです。‘もし私のような人ばかりいれば、宣教師が絶対に行かない。送りだすことができない' ならば絶対にだめだからです。すると結局は、地球を早く離れなければならない人です。そうでないでしょうか?‘もし私のような人ばかり 100% 信者ならば、伝道の門は絶対に開かないはずだ' すると、どのようになるでしょうか? それは大変なことになります。‘もし私のような人ばかりいるならば、それでも足りないけれど、私たち教会が多くの伝道運動がおきるはずだ' ‘もし私のような人ばかりいるならば、すぐ世界宣教の門が開くはずだ' すぐ基準と答が出てこないでしょうか?
 
・あなたがたは、2003年をいよいよ迎えました。今、10分過ぎました。皆様が真の幸いな時間にみことばを聞いて、礼拝をささげています。皆様が1年を送って、新年を迎える、最も重要な時間に、何をしているのでしょうか? 礼拝をささげています。それも絶対にのがしてはなりません。神様の計画を今、発見しています。私が行く所には、必ず神様が働かれることを望んでおられるのです。地域教会です。その単語をのがしてはなりません。そうしてこそ、私たち学生達が、外に行って勝つのです。それを銘記していなければなりません。それがあってこそ、待つことができるのです。皆様が、力がないけれど、待っていれば変化するようになるでしょう。ヨセフを見ましょう。神様が皆様の機能、皆様の学業、皆様の事業を通じて、栄光を受けることを確かに望んでおられるのです。それを置いて祈るべきです。神様は、皆様を通じて世界宣教されることを望んでおられるのです。それで、教会員が参加して 2003年には、本当に神様の祝福を受ける、そのような1年になることを主イエスの御名でお祈りします。
 
(祈り)
  神様に感謝申し上げます。新年を迎えるようにされた神様、私たちにいのちを下さって、仕事ができるいのちと健康を下さって、私たちに機会を与えられた神様に感謝申し上げます。すべての聖徒達にこの時間に、霊的な祝福と肉体の祝福を神様が回復させてください。病気の者には、いやされる時間で、霊的に問題がある者には解決される時間で、まさに聖霊充満を受ける貴重な年になるようにしてください。明日、最後の残ったメッセージに、私達が神様の重要な恵みを受けて、2003年度に、毎日、365日、24時間、神様の答えを味わうようにさせてください。
 イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン