(2003年 03月 02日 インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


 聖日@部: 礼拝と献金
(マルコ12:41-44)
 
  ○ 要約資料 ○
▲貧しさと病気は、救われる動機にはなるが、正確に話せば、その出発は神様ではなく、創世記3章、サタンから出発した。
 それなら、より一層礼拝を通じて力を得なければならない。礼拝を回復しながら、すべての答が出てくるようになる。
 事業に失敗したりする人々の特徴は、とても否定的だったり、とても肯定的だったりして、両側をいっしょに見ることがないことだ。
 神様のみことばと現場、私! これが合うならば、成功する。それが礼拝であり、その人が弟子だ。
 
1.なによりも礼拝に成功しよう
(1)すると、講壇のみことば - 現場 - 私、連結するはずだ
  1)答えを受ける、その程度ではなく、行く所ごとに答えが確認できる
  2)このようになる時まで、訓練が必要
(2)それとともに‘聖霊充満' この約束を本当に知るようになる(使徒1:8)
  1)牧会、社会生活、聖霊 満の力が無くて可能だろうか?
  2)5つの力(霊力、知力、体力、経済力、人材)の答えが、聖霊充満の中に
  3)極端な表現で、礼拝ができないということは、すなわちサタンに捕えられたこと
  4)神学、自分の地位、みな重要だけれど、礼拝に失敗すれば、すなわち全てのものが失敗
  5)礼拝を回復すれば、その次に発見する答 - まさに弟子!
  6)本当に伝道しようとするなら、弟子が見える - 1千万弟子
(3)すると、どのように伝道するのか? ここに対する答が出てくる
  1)完全に成功する伝道の秘密 - 5基礎
  2)ずっと答えを受ける秘密 - 5訓練
  3)世界征服、教会復興の秘密 - 5組織
  4)聖書の中の目標とヴィジョン - 5目標
  5)行く所ごとに、身分と権威で祈り。今! - 聖霊の働き、暗闇の勢力を縛る、神様の国、天の軍隊の動員
   
2.礼拝を回復しようとするなら?
(1)みことば回復から
  1)牧師 - 神様のみこころと計画、まさにそれを伝達しようとしよう
  2)主の民 - 自分の人生を左右するに値するみことばを受けに行こう
  3)だれが説教しようが、この時代、この時間に与えられる神様のみことばを受けにいこう
(2)祈り回復 - 自分の人生を左右するに値する祈りの課題を捕まえよう
  1)意識、無意識の内に、いつも出てくることができる祈りの課題を探そう
  2)アブラム->アブラハム, ヤコブ->イスラエル, サウル->パウロ
  3)代表祈り者 - 目をあけてしても、書いてしても、そのまましても、神様の前で!
(3)賛美回復
  1)賛美を聞きながら一番いらない考えがたくさん生じる
  2)しかし、賛美を通じていやされる
  3)賛美とともに祈ろう
(4)献金回復
  1)神様に仕える最も具体的な方法が、すなわち献金
  2)教会が福音を伝え、霊的問題を解決する所であることが間違いないならば、最も重要な献身が献金。
  
3.本文の内容
(1)貧しい者が捧げるものをほめられたことなのか?
  1)金額が問題ではなく、中心で、心から捧げたことなので
  2)身分でなく、信仰で捧げたことなので
  3)心と考えがないパリサイ人の献金ではなかったので
  4)理由がある献金なので
(2)礼拝と献金、この二つを回復しよう
(3)経済の祝福を受けた人々の共通する特徴
  1)アブラハム - 戦利品を辞退する程
  2)ヨブ - 東方の義人でありまた富豪(自分のものは、全部が神様のもの)
  3)事業に成功しようとするなら、福音と専門性の二つを揃えよう
  4)大きい仕事をしようとする時も、無条件に飛込まず、計算を正確にしよう
(4)いつから経済の祝福が回復するのか?
  1)本当に礼拝とみことばが回復してから、福音に答が下された時
  2)したがって、役員は教会の働きに率先して - 初代教会 70人のメンバー
  3)率先してしないと、多くの賛同者の門を防止する罪を犯すこと
 
4.結論- 4つを回復しよう
(1)みことば回復 -> 現場 - 健康 - 伝道
(2)祈り回復 -> メッセージ成就
(3)賛美回復 -> 神様に栄光! 癒し
(4)献金回復 -> 経済の祝福
 
(The end)
 
  ○ 説明資料 ○
 
・貧しかったり、病気は救いを受けていないことではありません。
 貧しいとしても、病気だとしても、私たちが無視することではありません。 
 しかし、良いことでは確かにありません。貧しくて本当に良かったり、幸福だったりする場合は、ほとんどありません。福音を受けるようになる動機になるかもしれませんが、味わう幸福にはなりません。より正確に話せば、貧しさと病気は、神様から出発したことではないのです。神様が許されているだけで、正確に話せば、創世記 3章から始まって、より具体的に話せば、サタンから始まったことです。それならば、私たちは本格的にしっかりして、戦うべきです。どのようにすれば良いのでしょうか。礼拝を回復する道が最も早い道です。今日、皆様が礼拝する中で、神様の大きい祝福が回復することを希望して、今日礼拝する中で、病気がいやされる力のみわざが起きるようになることを希望します。創世記 3章から始まったと認めないと解決しないでしょう。皆様の貧しさと病気、重要な問題は、神様が許されていることではあるけれど、くださることではありません。元々神様のところから出発したことではないのです。創世記3章から出発したことが明らかなために、それはサタンのしわざであることは確かです。もちろん、神様が防がれることはできます。あなたがたが重要なことを悟って、祈るならば、相当な答えを受けるようになるはずで、皆様が今日礼拝している途中で霊的問題が解決する、驚くべき働きが起きるようになることを信じます。
 
・私は事業に失敗する方達を見ながら共通点があると思いました。
 どんなに信仰生活を良くしても失敗する人々の共通点は、私が見るときは、できないようなのに、できると言う共通点があります。私は専門家ではないのに、それはだめだという気がするのに、どんどんして、大きい困難にあう人を見ました。ある人は、何億、何十億円も困って立ち上がることができないほどで、試練ではなく滅びてしまう場合を本当に多く見ました。もちろん、私達には、大きい事を試みることができる信仰と挑戦する力がなければなりません。しかし、本当によく見ることができる目がなければならないのです。
 
・私は神様が私たちに目を二つくださったという事実は、本当に驚くべきことだと思います。目がひとつだと、距離を測ることができません。正確に測ることができないのです。方向も測ることが正確でなくて、皆様がもし目の度数が違えば、方向測定ができません。めがねの度数を違うように合せてかけなければなりません。良くできないのです。
 私達が世の中を見る時も、いつでも肯定的なことだけ見る人は失敗します。否定的なことだけを見る人は、滅びます。二つをみな見なければならないのです。
 本当に、神様が不思議に目を二つくださったと考えてみます。いつでもそうです。良くなる方向も見て、だめな方向も見なければならないのです。ある人が見るのに、だめなことは見ないで、良くなることだけを見るので崩れるのです。ある人は、良くなることなのに、いつも否定的ならば、その人は滅びるのです。私たちはそのようにしては良いはずがありません。
 
・今日、とにかく礼拝を回復しなければなりません。
 礼拝を回復するという話は、相当な祝福になります。ある人が私にたずねました。弟子とは何でしょうか。 先生が 2000 あるいは 700 弟子を植えようと言われるのですが、弟子とは何で、基準がなにかとたずねました。簡単に答えました。
 また土曜日には、京仁(ソウル・仁川)教会の役員が尋ねたのですが、その方達にも同じ話をしてあげました。弟子とは何でしょうか。弟子です。神様のみことばと現場と私、ここに確かに証拠がある、その人が弟子です。これが一致しなければ、信仰生活をすることができません。神様のみことばと現場が私と一致しなければ、どんなに私が苦闘してもだめです。これが合うのが、弟子です。それゆえに訓練を受けるのです。これに最も重要な要旨は、礼拝を回復することです。そうではないでしょうか。これが事実ならば、みことばと現場と私自身が一致することが事実ならば、一番重要なのが礼拝になるでしょう。それで、礼拝を正しくささげなければなりません。この三つが一致しないならば、礼拝をささげる理由がありません。一致ししないのに、なぜささげるのでしょうか。神様のみことばが現実と一致しないならば、なぜ聞くのでしょうか。神様のみことばが私と合わないならば、なぜ聞くのでしょうか。聞く理由がありません。しかし、神様のみことばが私に必要で、現場に合うならば、最も重要なのが礼拝となります。
 
・今日、礼拝と献金に対する話が出てきました。
 礼拝現場に献金が出てきたのですが、私たちには本当に必要な部分だと、私はそのように考えます。あなたがたが今日、本当の礼拝を回復する、そのような重要な日になり、短い礼拝ですが、重大な問題が解決できる、皆様個人から皆様の家庭に、主イエス様の御名で創世記3章の問題が完全に崩される日になることを願います。それならば、皆様に驚くべき答えの門が本当に開くはずです。
 
・礼拝に成功して、礼拝を正しくすれば、聞いたみことばと皆様の現場と自分が、合う、合わないではなくて、行けば答えを確認するようになります。こういう段階がくるのです。それまでできれば弟子です。そのような人々が行く所には、働きが起きるようになります。私たちの学生達が、神様のみことばをずーっと聞いて色々なを祈りしなければならないでしょうか。その3つが合う日がきます。それが訓練です。このようになる時には、相当なみわざが起きます。多くの証拠がくるようになります。
 
・私は、神様のみことばを捕まえて祈る中に、一番最初に来る答えがあります。それは、この世を歩んでいるなら、牧会しようとすれば、正しく自分の力には限界があるので、ここで生きようとするならば、最も最初に受けなければならないことが、イエス様が最後に与えると言われたことだなと理解できます。聖霊充満です。このことだな。これでなくては、牧会をすることができないな。さらには生きて行くことができません。ここから五つの力が出てくるということを知りました。聖霊充満を受けてこそ力が与えられます。‘しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなた方は力を受けます'と言われました。そこでどんな力が必要なのでしょうか。霊的な力、知恵、知識の力、肉体的な力、経済の力、人を動かす力などがみな出てくるのです。これがすべて聖霊充満の中にあります。それで、私が礼拝を回復してから、この答えがきました。
 
・どんなに神学校に行って講義を聞いても、自分の礼拝が回復できない以上、これができません。簡単に話して、私がサタンに捕えられていたのです。これができないのです。とても理解できないことです。時間がないので、極端な表現で話しますが、礼拝できないことは、サタンに捕えられたのです。だから、私が良くなるはずがありません。私は、元々時間がないために、極端な表現を多くします。頭がよく回らない人々は、誤解を多くします。まちがいありません。礼拝の回復ができないとすれば、サタンに捕えられているのです。 止むを得ません。すると、仕事もだめになります。自分も知らないうちに滅びるようになっています。私は訓練も重要で、神学も重要で、地位も重要で、みな重要ですが、礼拝回復ができない以上、絶対にサタンに勝つことができないのです。
 
・私は、礼拝を回復しながら、驚くべき祝福を味わうようになりました。それとともに、みことばをずっと捕まえて礼拝する中に、2番目に回復したことが、この福音を伝えることだけが、私がすることだな、そのような中で、私が影島にきて、単に開拓したのではなくて、最善を尽くしたのです。私が現場に誰かに行くように話す必要なく、私が行きました。私が行けばついてくる人は分かるようになるのではないかと考えました。このようにして、火曜日から私が最善を尽くして走って、約30地域に行きました。それ以上は行くことができなかったのです。その時、私が悟ったのです。私がどんなに走っても、三十ケ所以上は行くことができません。私が聖日礼拝をどんなによくささげようとしても、2ケ所以上は行くことができません。釜山、ソウルに行ったら日が沈みます。元々私の性質として、一箇所より走ることができるのに、時間がありません。だめなのです。影島にきて直接車に乗って、影島の現場を走るのに、どんなに走っても三十箇所しかできませんでした。私の限界で、それ以上はだめでした。三十箇所を回って最後のメッセージをする時は、眠りそうになっていました。メッセージをしながらです。そばにいる牧師が、私たちの教会を視察しにきて、週報を見て、一週間、このように回るのですかと尋ねました。そうだと言ったところ、あなたは三年のうちに死ぬと言われました。あまりにたくさん走るという話です。どの位、無理があるということでしょう。その時、私が弟子を育てなければならないと悟ったのです。私は三十箇所以上は走れないのに、地球の半分以上は福音を受けられずにいるので、このことをどのようにしなければならないかと思いました。本当に伝道しない人は知りませんが、しようとすれば悩みになります。その時、出てきた答えが1千万弟子です。私のような人が一千万名いれば、世界福音化になるという、この契約を捕まえたら、その時からずっと答えがきました。その時から訓練しました。昨日やってきたらイ・シュウトン長老が私に話したのですが、合宿訓練にあまりたくさんきて、三名ほどを返したということでした。その話は、時間が経つほどできない部分なのに、何のために合宿をずっと受けるかということです。続いて増えるということです。本当に驚くべきことです。その時からです。
 
・それとともに、礼拝のみことばを捕まえてずっと祈るのに、その次の答えは、伝道はどのようにするべきかということでした。一千万人を立てれば、何をするのでしょうか。私たち韓国にだけ、一千万聖徒がいるのにということです。その時に、聖書の中に完全に成功できる秘密、五つの伝道を悟ったのです。本当に驚くべきことです。神様は祈りに答えられます。礼拝回復なさることをいます。礼拝回復ができない、礼拝回復が良くできないということは、全部だめだということです。皆様が知らずに教会に通って、不平、不満を言います。まちがいなく、ある日わずらってしまいます。その時はおそいのです。皆様が教会に通って試みにあって葛藤します。まちがいなく、ある日崩れるのです。私はそれが一番心配です。あなたがたが他の人を生かさなければならないのですが、自分が生きてこそ、他の人に与えるのではないでしょうか。皆様が礼拝回復できない、それは大変なことです。まちがいなく、その日がきます。来るということではなくて、くるようになっているということです。これくらい、私たち人間に仮りに神様が生きておられる神様が確かであるならば、聖書が神様のみことばであることが確かならば、自分の生涯で最も重要なのが礼拝です。
 
・むかし、神様を信じなかった時、教会に座っている人がどれくらいかわいそうに思えたでしょうか。神様が信じられないので、なぜ聖日に教会に座っていているのか、自転車に乗って、金海とどことに通って、遠く行くならば、列車に乗って通うのがどれくらい恵みでしょうか。私が礼拝を知った後には、それと比較出来ない祝福があるということを知りました。本当に驚くべきことです。ずっと祈って、神様のみことばを捕まえて祈るのに、この答えがずっとくるのです。私は、率直な話で前に証ししました。私が伝道師、教育伝道師、講道師、副牧師をするうちに人がおかしくなりました。人が異常になりました。礼拝がだめでした。ある日、私が悟ったのです。礼拝がだめなことを知ったのです。簡単に話せば、私は滅びるのです。なぜか成功できない牧師が多いのですが、まちがいなく滅びます。その時、私がしまったと思いました。その時、私が礼拝を回復したのです。本当にどれだけ私が礼拝をできなかったか、座って礼拝を正しくささげてみたら、私が狂いそうでした。話はできなくて、他の人達が見ればびっくりしていました。私が副牧師の時、礼拝を正しく捧げるのが難しかったのです。この礼拝を回復するということがどれくらい重要かということを知りました。この時、みな回復したのです。
 
・ところが、私達が成功できる部分が聖書にあって、どのようにすれば、ずっと答え受けることができるのかを、そこで五つの訓練を捜し出しました。聖書の中にありました。どのようにすれば、世界を征服して、教会を復興させることができるかを私はそこで五つの組織を捜し出したのです。これは序論にすぎません。私達が牧師をして、長老をして、教会をして、神様の民になった理由が何でしょうか?五つの目標が出ました。ビジョンを見るようになったのです。それをおいてずっと祈ったのですが、行く所ごとに、この難しい、驚くべき働きをどのように成し遂げることができるのでしょうか。行く所ごとにすることは何でしょうか。私の身分と神様の祝福を持って祈ることです。行く所ごとにです。今、主の聖霊がこの場に確かに働かれるはずです。信じる者に。聖霊がなぜ働かれなければならないのでしょうか。研究してみましょう。あまりにも正確な答です。祈る所に暗闇の勢力が崩れるようになるのです。聖霊が臨まれれば、暗闇の勢力が離れます。その時、神様の国が臨まれるのです。神様が、私達が祈りつつ行く所ごとに天の軍隊を送られるのです。いつでしょうか。今です。これが祈りです。どれくらい答えがきているのか分かりません。
 
・礼拝の回復です。ところが、この礼拝を回復しようとするなら、あなたがたが2番目に考えなければならないことがあります。礼拝を回復しようとするなら、4つのことを正しく回復しなければなりません。
 第一にみことばです。すべての牧師は、説教準備を多くすることも良いのですが、この前も申し上げましたが、神様の計画を伝えて、神様のみこころを伝えなければなりません。そのようにしようとするなら、祈りを多くしなければならないのです。主の民が教会に出てくる時、その人の人生を左右するに値するみことばを伝えなければなりません。
 2番目には祈りです。皆様は、必ず記憶しましょう。今から私たちの学生達とすべての信者は、今から皆様の人生をかけるほどの祈りの課題を握りましょう。皆様がわざわざ目をとじても、開いても出てくることができるように、祈りの課題を握りましょう。皆様が寝台に横になっても出てくることができる祈りの課題を握りましょう。さっき少しの間話したことが、私の祈りです。それがどこでも常に出てきます。驚くべきことです。皆様が答えを受ける一番目の条件です。あなたの名前をアブラムとせず、アブラハムとしなさいと言われました。それは、なんの話でしょうか。祈りの課題を確かにしなさいということです。あなたの名前をヤコブといわずに、イスラエルといいなさい。あなたを異邦人とすべての王の前に立てるうつわに立てた。だれに述べられた言葉でしょうか。パウロに言われた言葉です。祈りの課題です。これが礼拝の重要な祈りです。すべての代表者、すべての長老は、祈る時、常に考えなければなりません。神様の前で。祈りは目をとじてもかまわなくて、開いていても良いのです。祈りは書いてしてもかまわなくて、そのまましてもかまいません。ある面では、秩序あるようにしようとするなら、書くことがより良いでしょう。それは関係ありません。祈りは、たどたどしくしても良くて、早くしてもかまいません。関係ありません。5分してもかまわなくて、10分してもかまわないのです。祈りの重要な鍵は、神様の前でです。すると、まちがいなく答えを受けます。福音を持った人ならばです。
 
・私達が、礼拝の時、とても重要なことは賛美です。私は賛美する時、一番注意します。説教は、聖霊のなかでするので、賛美をする時、一番注意しなければならないのです。賛美を聞く時、一番いらない考えを多くします。本当に異常です。どんないらない考えかというと、賛美を聞いて今日の指揮は本当によくするなあと考えるのです。する必要がないのに。賛美は、神様にすることです。今日誰かが来ていないな、という考えをします。本当に異常です。その時ごとに、神様が賛美を重要に考えておられるではないでしょうか。ダビデが一番良くしたのが賛美です。パウロが一番良くしたのが賛美です。宗教改革者ルターが、一番良くしたのが賛美です。米国を生かしたムーディーが、上手にやったのが賛美です。今、世界で問題が一番たくさん起こしている人が歌手です。青少年を最も掌握しているのが音楽です。このように見る時、この賛美がどれくらい重要でしょうか。賛美は神様にです。皆様がささげる賛美は、神様に。そうでなければ 1番から4番まで歌う時、いろいろないらないことを考えます。この賛美がどれくらい重要でしょうか。いやされる驚くべき道になります。
 
・その次に重要なのが献金です。今日、献金の部分が出てきました。神様に仕えることができる最も具体的な方法です。本当に福音が、すべての問題の解決であることが間違いないないならば、献金です。教会が霊的問題を解決する団体であることが確かならば、最も重要な現実が何でしょうか?私はそのように感じられたのです。私は献金を悟ってから、神様の祝福を受けました。今日の本文を見ましょう。献金箱の前に主が座られたのですが、簡単な話です。簡単に話せば、お金が多い人々はたくさん献金したのに、未亡人は小銭二つを捧げたのでした。それを主がほめられたのです。献金を少なくしたのにほめられたのです。それは、貧しい人がすこししたのですが、自分のものをみなささげたのです。それがほめられるようになったのです。率直な話で、貧しい人々が少しずつ集まって、それで力があるでしょうか。多くの人々がお金が多い人々が多く出すことで、力があるのではないでしょうか。どうして、こういう部分をイエス様がほめられたのでしょうか。金額ではなくて心です。それが神様にささげる礼拝です。私がどれくらいささげるか、たくさんささげるか、単にお金を出すことですが、神様の前にささげることです。どうして、主が祝福なさるのでしょうか。身分でなく信仰です。神様が取るに足りない人と献金をほめられた理由が何でしょうか。小銭二つが、何の力があるのでしょうか。教会の助けになるのでしょうか。それをなぜほめられたのでしょうか。心と考えがある献金です。パリサイ人がささげる献金を指摘されました。
 
・それで、あなたがたは、この四つは必ず記憶しなければなりません。みことば、祈り、賛美、献金です。この四つは何でもないことのようでも、礼拝の重要な要素です。それで、皆様、聖歌隊隊員がともすると間違って、いつもすることであるゆえに、もちろん練習を多くしても良いのですが、そのような必要もありません。あなたがたが本当に心をつくして歌えばよいのです。本当に重要です。私は見ました。聖歌隊の指揮者や伴奏者で福音を持った人々は、ほとんど子孫何代まで祝福されるのを見ました。
 10代 20代は、私の目では見ることができないのですが、伴奏する人、指揮する人、音楽を専攻する人の中で福音がない人はほとんど失敗しました。100%です。驚くべきことです。賛美がどれくらい重要でしょうか。賛美は神様に栄光を帰すことか、悪魔が奪って行くことか、この状況です。その賛美を担当した天使が堕落したのです。それが、歌で世の中を揺さぶっています。その戦いです。それならば、相当なことではないでしょうか。皆様は単に賛美をするはずです。それで、私は賛美する時、祈りを一番多くします。しばしば変に賛美する時、他の考えがたくさん浮かびました。あなたがたは、どうか知りません。賛美する時、あなたがたが賛美するその時間に、他の考えを多くするのです。誰がきたのか、こなかったのか確認して、今日あの人は髪の毛の形が変だなというおかしな考えを多くします。指揮者を見ると、姿が格好よいなという考えをします。それで、私は賛美に入っていけば、祈りを始めるのです。賛美を歌う時も可能ならば祈ります。どれくらいこれが重要でしょうか。単なることではありません。
 
・皆様、仮りにここに座った人が本当に人生と皆様の生き方に祈りの課題があるならば、本当に答えを受けます。それで、私は代表祈りをする人の祈りは、普通の祈りではないと考えます。神様が立てたために、皆様が神様の前で祈るならば、そのまま答えになります。そして、その中に神様の前に最も献身する部分が献金です。私はこの部分を悟るようになりました。神様が今日、皆様に2つを具体的に回復しなさいと言われます。礼拝、礼拝の中でも献金です。ここに確かに出てきました。多くの金額を話すのではありません。心の中心を話すのです。身分を話すことでなく、信仰を話すのです。小銭二つを出したことがよくやったというのではなくて、この人の相当な心の中心を話すのです。礼拝を話すことです。神様の前で礼拝する心から小銭二つをささげたのでした。それを神様が受けてくださったということです。どれくらいこれが重要でしょうか。皆様が今日、みことばを受ける方が、経済の祝福を受ける神様の大きい祝福があることを主の御名で祝福します。私は、経済の祝福を受けた人々を聖書で静かに見ました。特徴があります。アブラハムです。途方もない富豪になりました。アブラハムが、どんな特徴を持っているかというと、本当に福音を持って使命を持ったことは話す必要もなくて、ものすごくアブラハムという人を見ると頭が論理的です。ソドム王が財産を与えると言ったら、受けないと言いました。元々受けるようになっているのです。戦争で勝つならば、条件として戦利品を出すようになっています。私が戦争で負けた相手を赦してやるという意味で戦利品を受けるようになっています。そちらがわでは、謝罪する意味で戦利品を出すようになっています。それが戦争の例です。ソドム王が、アブラハムの前にきて、ものすごい財産を出したのですが、アブラハムは受けませんでした。私はあなたに一つも受けないと言いました。その理由は、私を金持ちにしたのがあなたではないので、受けないと言ったのでした。
 
・聖書で、ヨブのような人を見れば、富豪ではないでしょうか。東方の信仰の人ながらも富豪です。ものすごくこの人がどんな人なのか、さっと見れば分かります。ヨブのような場合には、財産管理を上手にやりました。上手にやっただけでなく、これが全部、神様の恵みです。これをいつも持っていました。経済の祝福を受けた人々は見れば違います。私は、私たちの学生達に必ず頼みます。聖書に見れば、経済の祝福を受けた人々は、2つの共通点を持っています。福音と専門性です。いつでも何かをする時、大きな事を試みるように願います。ところが、無条件にしてはなりません。普通、イエスを信じる人々を見ると、信仰生活を良くする人々で熱心にする人々が、無条件にします。無条件にしてはなりません。前後をみな測って見るべきです。これは不信仰ではありません。計算を正確にすべきです。大きいことを見ても、経済祝福を受けた人々が聖書に見れば、たくさん出ています。今日、あなたがたが一人ももれなく、経済の祝福を受ける神様の祝福があるようになることを希望します。
 
・私は、自信をもって神様の前と皆様の前でお話しすることができます。私が祈りながら、私が神様の前に正しいみことばと正しい祈りと正しい賛美と正しい献金をささげなければなりません。これを知った後から祝福を受け始めました。すべて受けました。神様の前に、正しい神様のみことばを受けること、伝道師が説教しても、神様のみことばです。執事が説教しても、神様のみことばです。牧師が説教しても神様のみことばです。そのみことばを私がどのように受けるのか? この部分ができなければなりません。神様がこの時代に、この時間に、何のみことばを下さったのか? その考えをして、私に正しい祈りの課題が作られながら、代表祈りがどれくらい重要なのか知りました。そして、賛美がどれくらい重要なのか知りました。そして、献金がどれくらい重要なのか、神様が私に答えを下さいました。本当です。どれだけ答えを下さったかというと、全世界を動かすことができるタラッパンを動かしています。私たちは当初から、収入を共同管理するようにしました。私が講義して本を作ってテープを販売することは、共同で管理します。本当に恐ろしいことは、この時まで不十分でした。ところが、今回、仕事をするチームの構成が正しくできたようです。神様が多くの答えを下さいますはずです。経済の祝福がどれくらい大きいのでしょうか? 世界を動かすのに値するくらいですが、私がそれを持って一日にご飯 20杯ずつ食べるということでしょうか? それではありません。神様がまちがいなく、経済の祝福をなさるはずです。これからも、ずっとそのようになると私は確信します。そして、いつからこの祝福が与えられたかと言うと、私が本当に福音を理解した時です。本当に福音を伝えねばならないと考えた時、神様のみことばがどれくらい重要でしょうか。神様が経済の祝福を注いでくださいました。今年は、私たちインマヌエル教会が、本当に神様の祝福を受けることを願って、特にインマヌエルの開始の私たち釜山で、神様の大きい祝福を受けるように願います。
 
・私が見る時、昨年もそうでした。一般信者宣教会を見ながら、牧師、一般信者宣教会をするのに30%だけ参加したということです。元々信徒たちはそうです。私がそれを見て、この人達は知らないにしても、あまりに知らないんだなと思いました。先週、ソウルで何がしたようなのですが、こういうことを広告を出すということ自体が恥ずかしいことです。早く悟った人は、子どもからします。神様が大きい金額を見られるのではありません。そして、役員に言うことがひとつあります。何でも役員は、多くしなくても良いのです。先頭に立つべきです。聖書を見なかったのでしょうか? 70人のメンバーは、何をしたのでしょうか? 教会が危機に会った時、前に立ちました。教会には、信徒が多く増えて、予算の問題が来て、使徒はみことばと祈りにだけ専念するようにさせて、この人らが前に立ちました。そこで選ばれた人が、七人でした。その時から、教会に大きい祝福がおき始めたのです。教会が危機に会った時、ステパノは命を出しました。そして、大きい困難にあった時、使徒の働き11:19を見れば、ステパノの事で起きた患難によって散らされた者が集まったのが一般信者です。この人達が、まさに70人のメンバーです。完全に神様の祝福を受けました。あなたがたは絶対に誤解したり、計算する必要がありません。前に立つことです。先頭に立つ時、付いてきます。前に立たないと、ついてくる人々の門を遮断するのです。それは、小さな罪ではありません。そのために、牧師に最も大きい罪が何でしょうか?神様のみことばを正確に伝えないことです。牧師にとって最も大きいことです。そして、重要な弟子、役員にとって最も大きい罪が何でしょうか?前に立っていないことが最も大きいのです。その後に来る人々を、来ることができないようにさせることです。私にも関係あるのですが、こういう途方もない問題がくるのです。それで、何でも先頭に立たねばならないのです。すると、多くの人々が付いてくるようになります。それで、私が見る時には、私たちの教会が経済祝福を受けねばならないのに、こういう部分になにか礼拝回復ができずにいると思うのです。
 
・今日、あなたがたが礼拝を本当に回復しながら、大きい4つを回復するように願います。皆様がみことばを回復するようになれば、すべての現場、皆様の健康、伝道運動を全部回復するようになります。皆様が本当に祈りを回復するようになるならば、一生みことば回復ができます。今日、賛美回復ができる瞬間に、神様に栄光になって、いやされるみわざが起きるようになるはずです。皆様が献金を回復する時、経済が回復するはずです。間違いありません。ところが、私たちはこういう部分をほとんどのがしているのです。なぜ、イエス様がこのみことばをなさったのでしょうか? イエス様がわざわざ献金箱の前に行って見ておられ、献金を出した女の人を見て、小銭二つを出したと何とおっしゃったのでしょうか。なぜ、そのようにされたのでしょうか? これは、私たちになにを意味するのでしょうか? 私達が神様の前にささげる捧げ物を受けてくださるのですが、イエス様がその部分に相当な関心を持ってご覧になったのでした。今日、皆様に礼拝が回復する祝福の日になることを主の御名で祝福します。今日、皆様に経済が回復する祝福があることを、本当にイエス様の御名でお祈りします。どれくらい大きい事が残っているのでしょうか? あなたがたに祈りの課題をひとつ与えます。今回、全体の牧師とすべての方達に与えました。それが何でしょうか?私が米国に行ってみたのです。これではだめだという気がしました。今、米国に正しい教会ひとつもなくて、韓国の人々が全部他人の教会を借りて使っているのです。これではだめなのです。今、ほとんどの子ども達が、崩れました。信仰生活する場所がありません。このことは急ぐことです。私が昨年に帰ってきながら、神様の前に祈りました。‘神様、来年からはレムナントを生かす、この学生達が集まって本当に祈って、来て運動もして、ここで人にも会って、ここで影響も受けて、ここで祈ることができるように共同体を作らねばなりません' こういう気がして、今年、指示をしました。産業人大会をする人々を見て、産業人大会をするすべてのお金を全部みな集めましょう。宣教大会で食べることは減らして小さくして、全部集めましょう。集めて一年に全世界に一箇所ずつ共同体を立てるのです。私たち一緒にするのです。レムナントがきて祈って、レムナントがきてなにかを学ぶようにして、こういう明らかな共同体があるべきです。今年から開始するはずです。それで米国方向に共同体を一つ作ろうとしています。それで、今回の産業人大会、宣教大会は、これまでとは違って、私たちタラッパンメンバーがみな集まって、祈って仕事をひとつずつ成就させて行く、そのようなことをするようになるはずです。あなたがたに本当に経済の祝福があるようになることを希望します。礼拝の回復、今日の2部にも同じメッセージをします。詩篇を読む本文も礼拝とひれ伏すことに関する同じ内容です。今日礼拝する本当の祝福があるようになることを希望して、神様の驚くべきみわざが起きることを主の御名でお祈りします。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。今日、礼拝を回復する日にならせてください。その中で献金が回復するようにしてくださって、これから世界を生かす経済の祝福を受けるようにしてください。あらゆる経済を神様が治めておられ、私たちのいのちを治めておられるので、今日、礼拝を回復する日になるようにさせてください。すべての病気が主イエス・キリストのお名前で回復する日になるようにしてください。すべての貧しさがイエスの名前で崩れる時間になるようにしてください。真の福音を伝えることができるように力を与えて下さい。みことばを聞いている、すべてのインマヌエルの家族に神様の恵みを与えて下さい。
 私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
(The end)
 
 
 


 聖日A部: 主の威厳と主にひれ伏すこと
(詩29:1-11)
 
 
  ○ 要約資料 ○
 
▲信仰生活で最も重要のは何か? なにを熱心にする、できない、そのようなことだろうか?
 福音を深く悟って、福音とともに何を得たのかを早く知らなければならない。そうでなければ、何かその家庭、家系の霊的な問題が、絶対に解決しないで、そのまま伝えられる(出エジプト20:4〜5)。私は副牧師の時、霊的存在が確かにあるんだな! と伝道現場で知るようになった。それ以後、祈りから変わった。
 
1.ダビデは、何か深い段階に入っていったことが明らか(5〜6節)
(1)パウロ - 自分の人生、家系に対する深い答を得ることから
  1)Iコリント12章 - 肉体のとげ(大部分の学者はてんかんだと言う)
  2)ここに対する答がなく、何かをする、よく見える、そのようなことではない
  3)それで、十字架で一杯になった韓国に、百万ムダン(霊媒師)が騒いでいる
(2)私の家庭、家系、私たちの民族に流れる問題、これを破らなければならない
  1)伝道運動を約15年してきて、本当に悟った部分がこれ
  2)パウロは、この部分を知って全てのものをちりあくたとして思う程(ピリピ3章)
  3)福音ほど、それを伝える教会ほど尊いものがあるだろうか?
  4)麻薬、ギャンブル中毒になるのに、精神異常でなければ、ある程度たって断てる
  5)単に中毒になるのではなく、精神異常者が中毒になること
 
2.信仰生活を正しくする者の祝福3つ
(1)2節, 主の御名に当然な栄光 = 主の威厳
  1)ダビデが回復した信仰は、まさにこの信仰!
  2)6〜8節, 本当に主の威厳を信じる信仰!
  3)詩23:3,‘主の御名’のために、義の道に導かれる!
  4)主の祈りの最初の祈り、‘御名'があがめられますように
  5)主の名前で! - 創造主なる神様、できないことはないという信仰
(2)2節, 聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。
  1)神様の答えをずっと味わう道 - 礼拝
  2)祈りの深い段階に入っていこう
  3)礼拝で成功すれば、全てのことが目に見えないように成功する
  4)礼拝の核心 = 御前でひれ伏す!
 (3)11節, 主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。
  1)運命(占い) -> マルコ10:45, あがないの代価
  2)世の中 -> ヨハネ14:6
  3)霊的問題 -> Iヨハネ3:8
▲この3つにだけ勝つならば、みな勝つこと
 
3.いくつか得た答
(1)行く所ごとに祈り! - 必ず聖霊が働かれる
  1)聖霊充満のなかであらゆる力 - 5つの力
  2)1千万弟子, この祈りの課題の中で - あらゆる祝福
  3)聖書の5基礎の中で - あらゆる成功
  4)聖書の5訓練の中で - あらゆる勝利
  5)聖書の5組織の中で - あらゆる復興
  6)聖書の5目標の中で - あらゆるヴィジョン
(2)行く所ごとに、私たちは祝福を確認すること - 決断が必要
  1)不治病, 難病、各種疾病の前で - より一層、聖霊充満
  2)途方もない危機、困難の前で - より一層大きい恵みを慕い求めるべき
  3)信仰, 御前でひれ伏すこと、神様が与えられる力、これがすなわち聖霊充満
(3)今週に必ず受けなければならない答え
  1)個人の答えと個人伝道時代
  2)教会復興時代
  3)レムナントを生かす共同体伝道時代
 
(The end)
 
  ○ 説明 資料 ○
 
・今日礼拝を終えて米国に行くようになります。この前にもワシントンに行く時、私のそばにある人が座ったのですが、私がなにかを多く書かなければならないので、その方がおやすみになるのに、明かりをつけてすみませんと言ったら、この方が牧師先生ですか?と尋ねました。それで、自分も教会の執事だと言いました。 どの教会の執事ですかと尋ねたら、ある教会の執事だと言いました。それで私は、ある教会の牧師だと言いました。私が聞きもしなかったのに、自分自身が言う話が、自分は執事でも信仰生活がよくできないと言いました。執事なのに、なぜ信仰生活ができませんかと尋ねました。熱心にすることもできないという、私が予想した話が出てきました。私たちクリスチャンは、そのように思っています。ある方は私にきて、先生、私は執事だが、先生のためにする働きもなくて、信徒たちのためにする働きもありませんと言いました。それで、大丈夫だと言いました。それは、信仰生活の中のひとつであり、重要なものではありません。信仰生活で何が最も重要なのでしょうか? これをよく知らなければなりません。
 
・昨日、私たちインマヌエル教会の聖徒一歳になったイ・シヨンがいるのですが、私が行くことができる時刻表になって行ったら、その子どものために祈りながら、私が両親と集まった信徒達にこういう話をしました。私が知っている方が、結婚をしたのに、子どもがいません。それで、産まれないのかなと思って、産まれるだろうと待っているのに2年たっても産みませんでした。3年たっても産みません。そのようになって、話題にのぼるのに、赤ん坊を産むことができないということでした。また、ある方向では推測されて、男の人がだめなのか、女のほうがそうなのかと想像する話が出てきたのです。しかし、その夫婦が私にきて話すのには、私たちは子どもを産むことができるのに、産まないのだということでした。牧師だけ知って祈ってください。なぜ産まないのかとたずねたら、怖くて産むことができないと言いました。なぜかと言ったところ、自分の家系に何代目かの子どもは障害者で生まれるということでした。それで、怖くて産むことができないと言うことでした。一理ある話ではないでしょうか? 私が福音を受けて確信があるのに、そうです。本当に理解できる話です。皆様が信仰生活しながら、福音が何かを悟って、何をせねばならないのか知らなければなりません。必ず見れば、ずっとその家系に同じ問題が起きます。本当に不思議です。大部分の人々が隠しているのです。大部分が良い生活をする家系の子供達がなぜ滅びるのでしょうか? その家系はもっとむずかしいのです。その子ども達がさまよって堕落する理由は、お金一つだけ多いのですが、その他にはみなありません。だから崩れるしかないのです。外国に行ってもお金をたくさん使っている途中で崩れます。ほとんどみなだまされているのです。本当に異常です。それで私がその話をしてあげました。人が生きていれば、そのようなこともありますが、私たちの村に娘だけを続けて産んで、ずっと産まれて八名が生まれました。それで家が八人の娘の家だったのですが、本当に不思議にこの家が結婚しさえすれば、ずっと離婚するのでした。みな崩れました。後ほど一名は、自分たちは崩れるのをやめようと堅く確かめ合ったのに、崩れたのです。本当に不思議な家だなと思いました。霊的なことは怖いのです。ほとんど未信者は、知らずにいるけれど、霊的なことは遺伝します。不思議に、見れば、勉強を良くする家庭は、勉強を良くする子どもが出てきます。勉強できない家系は、勉強ができない子どもが出てきます。それを無視することはできません。すると、勉強を良くする家はみな成功するのでしょうか? 後には霊的な問題がもっと多いのです。こういうことがあります。私は副牧師の時、この部分を知りました。そうだな。霊的な存在が確かにあるんだな。これを私が知るようになったのです。だから、自然に祈りが違うように出てくるしかありません。私が約2年ほど霊的なことを悟って祈りし始めたのに、すべての門がみな開きました。驚くべきことです。皆様にとって、まず、これをすることが信仰生活です。熱心に何かをすると言うのですが、話にもならないことです。またある人は、私が教会に献金を多くせねばならないけれど、そのようにすることができないと言います。もちろん、良い話です。しかし、神様はそれではありません。ダビデの信仰を見ましょう。何かの世界に入って行きました。この人を見ましょう。今日の本文を見れば、理解もできない話をしています。5節に‘主の声は、杉の木を引き裂く。まことに、主はレバノンの杉の木を打ち砕く。主は、それらを、子牛のように、はねさせる。レバノンとシルヨンを若い野牛のように。'この話は、何の話かというと、今、ダビデが深い祈りの奥義を持って祈っているのです。
 
・前に私が紹介しましたが、韓国教会を少し心配して言う話です。ある人がこういう文章を書きました。‘家系に流れる呪い'という本を書いたのです。またある学者は批判をしました。批判すべきことはあります。なぜでしょうか?あまり過度に書いたからです。しかし、批判する人も用心すべきです。聖書には、確かにあります。偶像崇拝をすれば、三代四代までとがが報われると言われています。確かに家系ではないでしょうか? それが他人の家系から入ってくるのでしょうか。神様の前で神様を離れて、神様を知らずに偶像崇拝で起きたその事を知らずにいたのですが、伝道にいきながら、みなムダン(霊媒師)の子どもたちが精神が狂って、病院にくるということを知りました。驚くべきことです。ある執事が告白したではないでしょうか? 自分の母がムダン(霊媒師)なので、米国に逃げてきたのに、米国と韓国の距離は遠いでしょう? しかし、自分の母に来る症状が、自分に全く同じく現れるということです。狂うと言いました。そのようなことです。それをどのように無視するのでしょうか? むやみに批判する人々は、それを知らないから言う話です。そして、その本を書いた人は、過度に違うように書いた部分も多いのです。しかし、むやみに話すことではありません。信仰生活に最も重要な部分がその部分です。皆様が信仰生活にパウロがむやみに行って伝道したのではありません。自分の人生、家系、重要な答が出てきたのです。パウロに対して多くの神学者が予測するのには、てんかん病の患者だとなっています。パウロはそれゆえに多く悩みました。Iコリント12章を見れば、それを持ってものすごく祈ったのです。それゆえに答が出てきたのです。こういうことを捜し出すことが信仰生活であって、私がなにをどのようにして、私がなにをよく見て上手にやって、そのようなことは信仰生活することを知らないということです。それは、まったく会社と全く同じことです。教会は会社ではありません。それは、教会を知らないからそういうのです。福音はそのようなことではありません。福音を知らないからです。だから十字架でぎっしり埋まった韓国が、霊的戦いに全く勝つことができなくている理由が、そこにあるのです。よく悟らねばなりません。
 
・私たちは、2部礼拝をしているのではないでしょうか? 米国ではみな見ています。聖歌隊が普通の聖歌隊ではありません。世界的な聖歌隊です。皆様がすれば、みな聞いて恵みを受けます。インマヌエルの聖歌隊はたいしたものだと誤解しているか、理解しているのか聞いています。インマヌエル・ソウルの聖歌隊はすごいと、うわさなのか知らなくても、とにかくしています。わざわざ並んで通訳をしてくださいと頼んできます。なぜなら、自分たちは英語でよく聞くことができません。並んで通訳してくださいと、ある人は韓国語をよく知らないから、二つみなしてくれと頼んでいるので、2部礼拝はそのようにせねばならないと考えています。信仰生活に最も重要な、それから解決すべきです。皆様が本当に皆様の家庭、家系、私たちの民族にある問題、5000年間流れる私たち民族に民族的にある問題、それを破ることができるべきです。それを知らなければなりません。何年か前のことです。今日参加しているか知れませんが、何年か前にあるとても賢い人が、釜山で合宿をしようと来る道で、柳先生に少し会ってみて祈りを受けたいと言いました。若くてとても賢い方でした。この方が、私にきていくつか話を交わしました。その中の一つが、私を見て、祈ってくださいと言いました。 "なぜですか?" これから、盧武鉉氏が立派な指導者になるはずです。むかし、私が内心そういうことがあるだろうと思って共に祈りました。祈ったら、この方が大統領になりました。この方は、その方をよく後押しをした人だから、良い位置になるはずです。すると、こういう時はどうなるのでしょうかと、訪ねて来たので霊的な話をしてあげました。これをわかる人があるでしょうか? 皆様一人一人がものすごく重要です。私の場合、福音を完全に悟って伝道運動を約15年間しながらも、これを悟ることができませんでした。私が約2年間、これを置いて祈ったのです。この時、完全にみわざが起きました。信仰生活ということは、簡単な価値がないことではなく、すごいことなのです。私が見る時は、最高に貴重なのです。皆様の家系が滅びるのに、お金をもうけて何をするのでしょうか? 韓国に霊的問題がどんどん来るのに、経済成長だけしてどうなるのでしょうか? 一番重要なのです。皆様が知らないからですが、福音を知ることが最も重要なのです。それでパウロは、自分の全てのものをちりあくたに思うと言いました。その話は、悟ったということです。私もそのように考えます。私は堂々と、はっきり、福音ほど重要で、教会ほど重要なものはないと言えます。なぜでしょうか?すべての人の霊的問題を本当に解決できる道がそこにあるからです。必ず記憶すべきです。私たち未来指導者訓練大韓学校の学生達が釜山からソウルに行軍をするはずです。昨日は、たぶんファミリーデーとして集まりました。あの学生達に会えば、私は必ずこの意味を伝達します。‘あなたの両親にあった苦しみがあなたに来るはずだから、負けないで。それならば、どのようにすれば良いのか。福音を真っすぐ受けて、考えを変えるべきです。道はありません。福音しかないのです。あなたがどれくらい祝福された人なのか知っていますか' ほとんどみな知らずにいるのです。こういう祝福を受けた人が必ず味わうこと3つがあります。それを今日、あなたがたが回復すべきです。詩篇 29篇を見れば、多くの単語が出てきたのですが、三つの単語を皆様に紹介したいのです。こういう祝福を味わわねばならないのですが、その最初が2節です。‘御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。'御名の栄光。私達が何の信仰を回復するのでしょうか。主の威厳です。ここに‘御名の栄光'という言葉が出てきました。一言で話せば、単なる信仰ではありません。主の威厳がどれくらい大きいでしょうか。ダビデが回復した信仰です。‘主の声は、杉の木を引き裂く。'すごいことです。こういう話をむやみにできるでしょうか? ダビデが言った言葉です。‘主は、それらを、子牛のように、はねさせる。レバノンとシルヨンを若い野牛のように。主の声は、火の炎を、ひらめかせる。主の声は、荒野をゆすぶり、主は、カデシュの荒野を、ゆすぶられる。主の声は、雌鹿に産みの苦しみをさせ、大森林を裸にする。'ダビデが言った言葉です。この話はなんの話でしょうか? 一言で、信仰なのですが、何の信仰でしょうか? 本当に主なる神の力を信じる、その主の威厳を信じる信仰です。それでダビデはこう話しました。詩篇 23篇3節で困難に会った時‘御名のために義の道に導かれます'すごいことです。イエス様が教えられた最初の祈りが‘天におられる私たちの父よ。御名があがめられますように'です。その話は、簡単に分析すれば、名前が悪霊みたいな、そのような雑神でないということです。主の御名が栄光を受けますようにということです。普通の話ではありません。私たちの信仰生活で、この部分がどれくらい重要か分かりません。ある家で事故がおきて家族が死んで、1・2名もなく、全ての人が死んだのに、その葬式で礼拝をトーレイ博士が預かった時に、その牧師がこういうみことばをなさいました。"今家族は、この愛する家族何名かが事故に遭って死んだのですが、二つの中でひとつを選択できます。最初、神様を恨むことができます。でなければ神様を恐れることができます。二つの中のひとつを選択しなさい" トーレイ牧師がした説教だと言われています。本当に一理がある話です。私たちは、各種の事故、病気とても多くのことが起きます。私たちは信仰を持つべきです。単なる信仰ではありません。本当にこの驚くべき神様の奥義があるこの信仰です。主なる神様だけがなさることができるのです。
 
・今日、2番目の単語は2節に見るとこのような話があります。‘御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。' なんの話でしょうか? 礼拝です。今日の1部でも礼拝が出てきました。今日、あなたがたにずっとある祝福です。あなたがたに最も重要なことは、ダビデのように福音で、皆様の個人、家系、皆様の現場をいやされるべきです。その答を確かに得るべきです。これをするためには3つのことをせねばならず、3つのことをずっとするはずで、できた人は3つのことをするようになるはずです。それが何でしょうか?‘主の威厳' 創造主の神様であるということです。できないことがあるでしょうか? その信仰です。この信仰をいつ回復するのでしょうか? 今日の2節で礼拝の時です。礼拝に成功することを主の御名でお祈りします。ある牧師が、足が不自由になって、やっと歩いて私の所にこられて、行きながら言われた言葉が "先生。私がこれで悟りました。ただイエスだけ!"と話して行かれました。どれくらい重要か分かりません。ある方が、私にそのような話をしました。"先生。私が癌になって死にそうになって、イエスを信じてよくなりました"と言いました。本当に幸いだと言いました。皆様、本当に祈るように願います。この頃は、本当に時代がそうであるのか、私が本当に惜しんで愛して尊く考える方達が、たまに所々で癌にかかったと連絡がきます。こういう知らせを聞きながら祈っています。そのような方達が、このメッセージを聞きながら、祈りの深い段階に入っていくように願います。そして、残りは神様にみな任せるのです。今日、ここに見ると1部の時もお話ししたように、礼拝をよくささげれば、すべての事に成功します。その中で 2節の最後に‘御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。'となっています。礼拝の最も重要な核がひれ伏すことです。今日の本文にそのように出ています。あなたがたは、この驚くべき祝福を味わうために、今日、何を体験して、何をするのかというと、主の威厳と力を信じることです。そして、主にささげる礼拝を回復することです。最後の単語です。29章 11節に‘主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。'となっています。神様が与えられる力を得て、主の平安を得てくださることを望みます。ここを見ると‘ご自身の民'と言われています。彼に力を与えられるのですが、単なる力ではなく、主が与えられる力であり、単なる平安ではなく、主が与えられる祝福だと言いました。
 
・私は、私の一生に忘れることはありえない人がいるとするならば、名もない無名の一般信者です。その人を通じて、私は信仰が生じました。忘れることが出来ません。どの程度、その人が無名の人かというと、今でもそれほど知る人がいません。しかし、私に信仰を持つようにしてくださいました。私が衝撃を受けたことは、伝道師の時なのに、釜山のある海辺の教会から、私を中・高等部の復興会の講師に呼ばれたので、最後の日に説教をして来たのですが、ある姉妹が自分も家が向こう側の方向だとタクシーに一緒に乗って、行きましょうと言って、その姉妹は前に乗り、私は後に乗りました。方向が同じだったのです。行く時に、この姉妹がとても自然にタクシーの運転手に福音を伝えたのです。私は後から見ているだけで、この人は福音を伝えました。簡単に話せば、伝道師は見ていて、一般信者が福音を伝えたのです。それまでは、良かったのです。その日、相当な衝撃を受けました。タクシーの運転手が福音を聞くまでは良かったのですが、その時、ちょうど陸橋があったのですが、車を陸橋の下に止めたのでした。それから、すごく泣きました。私がどれくらい衝撃を受けたのか分かりません。‘福音を伝えたら、このようなことがあるのか?' この方が、そこでイエスを受け入れました。そのようなことは、ありえることです。しかし、私は、胸の中に相当な衝撃を受けました。‘福音を伝えればあのようになるのだな'その時、伝道師だったのですが、とても最初の頃でした。私には忘れることはありえない衝撃でした。福音を伝える執事に、福音運動をする所に周囲のすこしの変化に対して多くの悟りが生じたし、伝道し始めながら、神様の恵みを受けて、数多くの体験をするようになったのです。3つに勝つならば、みな勝ちます。私たちには運命というものがあって、全世界で人気があることが占いです。そこから完全に解放される道があるのですが、マタイ10:45の贖いの代価としてきて、私たちのすべての罪を赦されました。世の中に勝つ道があるのですが‘わたしは道であり、真理であり、いのちなのです'とおっしゃったし、‘わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。' 私を通じて神様の力と聖霊が働くと説明した霊的問題が解決になれば、ほとんどなることなのですが、Iヨハネ3:8 神の御子が現れられたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためですとおっしゃったし、この事実は明らかです。説教を聞くなかで、単なることではなく、重大な決断を下さなければなりません。個人、家系、家庭を解決しなければならないのです。ダビデは生きていく間に、神様の驚くべき力と礼拝しなければならない理由と神様が与えられる新しい力をいつも体験したのでした。11節に‘主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。'このような時間にどのように説明したら良いか分からないので、考えるように望みます。行く所ごとに祈れば、神様は確かに働かれます。ワシントン集会があって、そちらに多くのみわざが起きるはずで、神様の働きが用意されているでしょう。祈る所ごとに神様が働かれることを確信しなければなりません。聖霊充満の中に霊力、知力、体力、人材、経済力が皆あり、世界福音化する所に、弟子を探す所に、すべての祝福があるのです。聖書に現れるマルコのタラッパンからローマ征服までの 5種類の基礎は、すべての面で成功できて、私達が集まったあちこちごとに訓練と組織は真に答えを受ける霊的に勝利する道です。
 
・最後に、行く所ごとにする祈りがあるべきなのですが‘主の聖霊が働いてください。すべての暗闇と不信仰と呪い、病気はイエスの名前で離れるように' 常に祈ることであり‘天の軍隊を送って、主の国が臨むようにしてください' これだけしても、通う所ごとに答えを確認して、祝福を確認するのです。信仰生活を長くしながら感謝もできず、気落ちする人を見れば、かわいそうな気がします。行く所ごとに、主の祝福が確認できることを知らないためです。決断を下さなければなりません。ダビデは決断を下したのですが、父が羊を飼いなさいと言われた時、そこで一番祈りを多くして恵み受けることを願ったし、ダビデはゴリヤテがきたと聞いた時、ゴリヤテに勝って主の御名を表さなければならないと決心したし、ダビデは死が迫った時も、一度も倒れないでこの苦難を勝ち抜いたのでした。困難が来る時ごとに勝ち抜いたのでした。自分に病気、あるいは不治病になるようになれば、不安になるけれど、不安にはなりません。一つだけ体験すればよいのです。聖霊充満をどのように体験するかが答です。‘(ONLY) 聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。'‘金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。' 私は相当な危機にあったのことがありましたが、その時、神様が恵みをくださって、何にもせずに祈りし始めたら、驚くべき機会をくださいました。80〜90年 受けるべき祝福を神様がくださったし、その時からいままで、忙しい程に答えがありました。‘主は生ける神の御子キリストです'主は声で木も切りながら、主は声ですべての世界を動かすことができ、イエス・キリストの名前で救いを下さいました主は、その名前で答えも与えて下さると信じて回復しなければなりません。いつも回復しなければならないこと3つが、信仰、ひれ伏すこと、神様が与えられる力であり、これが充満することが聖霊充満です。1節に‘力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。'Iコリント2:1-12‘知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。'人間の最も強いことは、神様の最も弱いことより弱いのです。個人の答え、個人伝道時代を開きましょう。そして、教会復興時代を開きましょう。またレムナントを生かす共同体伝道時代を開きましょう。これが今回のワシントンメッセージであり、神様が働かれるはずです。もし家庭に問題があって、個人に問題があれば、解決されなければなりません。神様のみことばに神様は何んでもできるとおっしゃっています。この体験からできなければならないのです。以前に、お金を持ってくることができなかったことがあるのですが、道を行く時、出会う人があったのですが、金を持ってこなかったことを率直に話せばいいけれど、話すことができなくて、堪え難いことがありました。お金が少しだけなくても恐ろしくなるのに、神様の力を本当に体験するならば、恐ろしいことがなくなるのです。全世界の危機と先進国の子ども達が、麻薬に陥ることが理解できないでしょうか。麻薬に陥った学生達は、精神に異常があるためで、ギャンブルに陥っている人も精神が異常なので、道でご飯をもらっている人々が貧しいからそのようにしているのではなく、精神が異常なのです。易、シャーマニズム人に手紙を書いたのですが、易、シャーマニズム人の苦難の時代が来るはずです。その理由は、次の新聞に出すつもりです。韓国に新聞ごとに易、シャーマニズム人の中で100万ムダン(霊媒師)がおきて混乱するのに、理解できないでしょうか。早く悟らなければならないのです。個人、家庭、家系の問題を、今週に解決が始まることを希望します。すると、ダビデのような告白が出てきて、信仰と礼拝と神様が与えられる力を所有するようになるはずです。主イエスの御名でこの祝福を必ず受けるようになることをイエス様の御名でお祈りします。
 
 (祈り)
 神様に感謝申し上げます。今日、礼拝に参加した方達の家庭の問題が解決するようにさせてくださり、隠した家系の問題が解決するようにしながら、個人の霊的問題が解決するようにさせてください。違うように生きていく人々に、あまりにも多くの問題があるので、彼らを生かすように、伝道の門を開けてください。全世界が、熱心に食べて生きるけれど、霊的問題が深刻です。彼らを生かすことができる霊的な門を開けて下さい。このことゆえにこの教会に集まったすべての信徒に、全世界でみことばを受けている弟子達、衛星で礼拝する教会の上に、今日、特に司会するイ牧師の上に神様の驚くべきみわざが起きるようにしてください。今日、この席に特別に参加した新しい家族、また私たちの宣教師、また遠くの地域から来られた方達、神様が特別な恵みを増し加えてくださって、聖霊の力で働いてください。
 私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。 アーメン
(The end)