(2003年 03月 16日 インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


聖日@部: イエスの再臨
(マルコ13:24-37)
 
 
・今でもエペソ地域には、教会がないらしいです。イエス様がエペソ教会に向かって、燭台を移すと言われて、1900年以上が過ぎたのに、まだエルサレム神殿は回復しないでいます。イエス様が石の上に石ひとつ残らないようになるはずだとおっしゃられました。
 今日、神様のみことばを見ると31節に "この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。"と言われました。天地はなくなりますが、神様のみことばはなくなることはないとおっしゃったのです。
 
・ところが、今日私と皆様が考えてみる部分が、こういう貴重な聖書のみことばに話す教理に重要なのが、どのようなことなのかということです。この部分が、想像以上に信じることができない部分です。
 一番最初に話す内容が、エデンの園でアダムとエバが善悪を知る木の実をとって食べたゆえに滅びるようになったのです。私は、はじめには、この内容が理解できませんでした。アダムとエバが食べた善悪を知る木の実が、なぜ私たちと関係があるのでしょうか。そして、なぜそれを食べるように神様がさせられたのでしょうか。作らなかったら良かったものを。童話の本でもなくて、それを食べたら問題が来たでしょう?という部分です。こういう部分を原罪と言います。
 聖書で2番目の教理が処女降誕です。今日、皆様が信仰告白をしました。'乙女マリヤより生まれ'。簡単に話せば、結婚しない処女に子どもが産まれたということです。話になりません。この部分がキリスト教のとても重要な教理です。
 その次に'十字架に死なれて復活なさった'ことです。十字架で死なれたということは、簡単に理解することができます。私たち人間は、死ぬことは簡単ですから。ところが復活したということです。これがまた話になりません。あまり死ななかったので、目覚めたということなのでしょうか。死んだ人が息をふきかえしたということでしょうか?まったく話になりません。理解ができない話です。聖書では最も重要に扱っています。また、聖書で重要に扱う話は、私達が死んで天国に行くことです。この話は、悪い話ではないけれど、事実、実感がないということです。皆様が今、病気になって死にそうになったら、どれくらい悲しいでしょうか。この良い所に行くのがいやだということです。私たちは、事実、実感できません。こういうことにすべてがもっと理解ができない部分が、イエス様が再臨なさるはずだと言われたことです。
 
・今日の本文です。
 私たちのキリスト教で最も重要な部分ということができます。正しく頭を使って考えたら、全く信じられない部分です。それで、ヨーロッパや米国みたいな所では、この五つの教理を説教すべきではないと言います。なぜでしょうか?信じられないからです。私たちの韓国でも、韓国教会半分に影響力がある牧師達の中で、教会が、例えば教会が5万個ならば2万5千ケ以上の教会が、この部分を信じない神学です。皆様はよく知らずにいますが、深刻です。
 以前に、カナダの牧師会会長が、イエスの復活を信じられないと言いました。一旦、他人の教会の信徒だけ奪わないならば、異端ではないと言います。何の話をしてもです。イエス様は釈迦のようだと言っても、信徒だけ奪わなければ、異端ではありません。話にもならないことです。事実は、良心の告白です。信じられないからです。アダム、エバの罪でなぜ私達が滅びなければならないのでしょうか。また救い主が来られたのですが、処女から来られました。話になるでしょうか。イエス様が十字架で死んで復活なさったことが事実だということ、私達が死んで天国に行くこと、イエス様が再臨してこられ、審判者として審判されるということは、キリスト教で話す五つの教理であり、相当な教理です。これでなければ絶対にだめな部分なのに、実際、私達がよく信じない部分です。私はこの部分をある日、理解でき始めたのです。とても科学的で、事実的だということを知るようになりました。今でも創世記3章の事件は適用されています。皆様の家に偶像崇拝をして、そのように宗教生活を熱心にしても、どんどん災いにあいます。このサタンが目に見えないように、私たちの家庭と私たちをどんどんつかんでいくのです。偶像崇拝して、神様を信じることができないようにさせるのです。畑まで呪われるようにさせます。今でも創世記3章の事件が、そのままずっとなっています。皆様が犯すこともしなかったのに、皆様の先祖が偶像崇拝したのに、こういう罪まで家にみな現れるのです。アダム、エバの時、サタンの力の下に置かれた人間は、今でも呪いをずっと受けています。どんなに苦闘してもだめなのです。
 
・私はある日、理解ができました。これが原罪なのだな。これを解決しようとイエス様が十字架にかかられ、神様がイエス様を送られたのだなということが分かったのです。これが真実に分からないと、事実上、救いと関係がありません。私は創世記3章の事件が理解できませんでした。話にならないと考えていました。神様も不思議で、なぜ善悪を知る木の実を作ったのか。また作ったならば、目に見えないようにコーナーに置くべきなのに、なぜ真ん中に置いて人が食べるようにさせて、また食べたと人を永遠に滅ぼすようにさせられ、神様は性質が悪いのかと考えていました。私は幼い時、聖書が理解できなかったのです。ところが、それではありません。神様が食べるなと言われた善悪を知る木の実を、悪魔の誘惑を受けて、神様の契約を捨てて、サタンの契約の内に入っていったということです。神様が与えられた祝福の契約を捨てて、滅びの内に入っていったという創世記3章の事件は、簡単な事件ではないのです。今皆様の家にも臨んでおり、皆様の家系にも臨んでおり、この土地に続いているのです。それで、神様が誰を送ってくださったのでしょうか?キリストを送られたのです。
 
・キリストをどのように送られたのでしょうか。これを見たら、処女マリヤから生まれたということが分かりました。処女から誕生されました。なぜでしょうか?アダムの子孫はだめだということです。絶対に、柳氏の家系や、金氏の家系、朴氏の家系からは救い主が出てくることができないことは事実です。私は、それが理解できました。本当に幸いでした。神様が処女降誕しかできないのでしょうか。原理を守られたからそうなので、神様がそうしたいと思われるならば、童貞の男からでもなさることができるのです。神様にできないことがあるでしょうか。全知全能です。それで、私は処女降誕が信じられるようになり始めました。絶対にアダムの子孫では、救い主ができません。アダムの子孫は、私を含めて全部、罪人です。義人はいない。一人もいません。すべての人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない。こういう聖書箇所が分かり始めました。以前は、それが理解できませんでした。私が、何の罪を犯したのか、盗みをしたか、嘘をついたのか、人を殺したかというように、理解していたのです。
 
・それで、聖書が約束されたことが見え始めたのです。キリストは、2名いる必要もありません。キリストは、一名おられれば良いのです。人間のすべての罪を解決する、永遠な救い主は、一名ならば良いのです。その方は、どんな証拠があるべきでしょうか。復活なさらなければなりません。罪とすべてのサタンの力を踏み砕いて復活なさいました。私は分かり始めたのです。そして、私達がこの地で永遠に生きるのではないことを悟りました。すると、私たちは、どこへ行くのでしょうか。天国です。その次に、もっと重要なことは、私達がこの地に生きていく間に、地獄の民ではなくて、天国の民であるゆえに、神様の国の天使を送って、いつも助けてくださり、天の祝福をいつも受けるようになるのです。これが天国の民です。すると、私たち人間が死ねば、どのようになるのでしょうか。終わりでしょうか。そうではありません。私達が本当に、私はこのからだでなくて、このからだの中にたましいがあるでしょう。このたましいが、からだから抜け出すことを死というのですが、からだは腐っても、たましいはどこへ行くのでしょうか。私はその時、そうだ、完全なからだで復活するということが理解できたのです。
 
・天国に行くことができるからだで復活するのですが、完全に終わる日がいつでしょうか?イエス様が再臨して来られる日です。聖書のみことばが理解できました。再臨の主としていらっしゃって、結局は、サタンの存在は神様がマタイの福音書 25章41節(それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。)を見ると、永遠に縛られるとおっしゃっています。私は、この驚くべき部分が分かり始めたのです。それで、新しく祈りが始まりました。祈る時ごとに、神様は聖霊で働かれます。祈る時ごとに、私は天国の民であるゆえに、行く所ごとに神様は天の天使を送ってくださって、天の祝福をくださるのです。そして、イエス様が暗闇の力を完全に解決する再臨の主としていらっしゃるはずです。信じられ始めたのです。本当に驚くべきことです。人々がほとんど信じません。信じることができないのです。あまりにも科学的なのに、正してみれば、ものすごく科学的です。創世記3章の目に見えない罪と呪い、暗闇とサタンは、今でも存在しています。この問題の解決は、絶対に宗教では出来ません。神様が神様の息子を送ってくださってこそ、解決できるのです。証拠を出しましょう。復活なさいました。どこに行くのでしょうか。天国に行きます。私たちは、ここに生きている間に、どんな祝福を受けるのでしょうか。天の祝福を。正しいでしょう。だから、最後の証拠の中の証拠が、イエス様が再臨の主としていらっしゃるはずなのです。私は分かり始めました。この時から、祈りの答えを受けて、伝道の門が開いて、神様の多くの祝福を見るようになりました。今日、皆様がこの信仰を回復する祝福があることを願います。このいくつかのだけ分かれば、聖書66巻がみな分かります。これを信じられない人が苦闘するのです。どんなに苦闘してもだめです。宗教にしかならないのです。
 
・この五つの分野に対して全く信じないヨーロッパは、教会が門を閉めるようになりました。ヨーロッパ全体を見ると、一都市に神学生が 27人しかいません。27人を見ると、イエスも信じない人です。そのような統計が出てきました。今のところはかまわないのですが、徐々に米国やオーストラリア、カナダでこの風が吹き始めました。皆様はよく知らずにいますが、これを新神学と言います。イエスを信じて救われるということが、何でそのように重要なのでしょうか。ない人、貧しい人を手助けして、押さえられた人を解く、これが解放神学です。政治家がうまくいってこそ、救われるので、何でイエス信じてこそ救われるのかというのが、政治神学です。人を救済して、手助けして、それが正しいことであって、何でイエスを信じて救われるのかというのが、世俗神学です。こういうもの等が出てき始めました。それしか仕方なくて、それで、霊的にどんどん死んでいくのです。今日、あなたがたが神様のみことばの中にある最も重要な祝福を回復する貴重な日になることを願います。
 
・イエスがキリストであることが間違いないならば、復活なさらなければならず、復活なさった主ならば再臨の主としていらっしゃって、すべてのサタンの力を永遠に縛って、地獄へ行かせて、それからは新しい天と新しい地を迎える神様の祝福を開けられたのです。聖書では、最もたくさん黙示録に約束されている部分です。キリスト教の最も重要な部分を実際には信者が信じられないのです。信じるふりをして、じっとしているので、実際には信じられないのです。今日、イエスの再臨という重要なことを持って、皆様に祈りの答えを受けるべき重要な部分があります。
 
・その最初が何でしょうか?個人には、開始と過程、終末があるのです。私たちすべての個人にも終末があります。間違いありません。避けられません。皆様で、もし死ぬことになる方は、あまり心配しないようにしましょう。誰でも一度は通らなければならない公平な真理です。ヘブル9:27に'人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、'と言われています。決まっています。何も難しく言う必要はなくて、私たちは知っていなければなりません。ルカ16:19-31を見ると、金持ちも死んで、貧しい者も死にます。ある日突然にです。金持ちは、ものすごく長く生きるかと思っていたのに、突然に死んだのでした。して見ると、地獄と天国があることを説明しています。個人に終末がみなあります。それで、私たちは生きている間に、信仰生活を上手にやらなければならないのです。皆様が祈りの答えを受けることは、カトリックで死んだ後、祈ってくれるという話はでたらめです。生きている間だけ答えを受けます。皆様が伝道もいつするのでしょうか。生きている間に救われるのです。生きているということは、たましいが肉体の中にある時です。ものすごく重要です。それで、私はカトリックの悪口を言うから申し訳ないのですが、私のメッセージをカトリックの人もたくさん聞いています。違っていることは違っているのです。死者のために祈れば救われるということは詐欺です。それはありえない偶像宗教でする話です。生きている間だけ救われます。それで、これがものすごく重要です。報いを受けるというのも、いつ受けるのでしょうか。生きている間だけ受けます。そうではないでしょうか。
 
・皆様の人生は、たった一度です。2度もありません。個人に一度の終末です。人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているのです。私はこれを考えて、しっかりとしました。私がこのように信仰生活して良いのかという気がしたのです。皆様、たった一度です。人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているのです。皆様、牧師、長老、執事など、多くの方達がいらっしゃいます。皆様、生涯はただ一度だけ生きるのです。私はむかし、こういう気がしました。勉強をしようとしたら、家庭の状態も良くてなくて、お金もたくさんありませんでした。その時、私が間違って考えたのですが、どんな気がしたでしょうか。私が一度生きる人生なのに、このように生きていて良いのだろうか。悲惨な考えにもなりました。お金が多くてよい生活をしている人もあるのに、私はなぜこうなのかという気がしたのです。瞬間的な考えだったのですが。それで、私が考えを変えました。神様の時刻表があるということです。私達がそのような考えもしてみる必要があります。皆様が、この地に生まれて、本当に何の価値もなく生きて行ってはだめです。一度だけです。伝道も熱心にして、宣教も熱心にしなければなりません。無条件に熱心にするのではありません。一度だけです。牧師をすることも一度、勧士をするのも一度、皆様一度だけです。だから知ってみれば、すべての時刻表が一度しかありません。これが私たちの人生です。生きている間に。 必ず終末が来ることになっています。
 
・ところが、目覚めて見れば、時代時代ごとにも、時代にも終末があります。哲学的なこと、政治、文化が変わる時代ごとに、神様が一時代を終わらされることを目に見ることができます。だから、個人だけ終末があるのではなくて、時代にも終末があるのです。そして、今日の聖書のみことばを見ると、確かに地球の終末と審判があると言われています。では、なぜなければならないのでしょうか。黙示録20:1〜22章まで見ると、地球の終末が来るべき理由です。神様がすべての霊的問題を解決されて、新しい天と新しい地を下さると書かれています。特にマタイ25:41に、私たちを天国に永遠に送って、こんなにも地球を乱れるようにさせたサタンを永遠に縛られるはずです。監獄の中に永遠に入れられます。地獄は悪魔の監獄です。だから、そこに永遠に入れることになっているのです。イエス様が再臨していらっしゃった時です。それで、必要なのです。あなたがたがよく覚えていなければなりません。皆様が信仰生活を上手にやったゆえに、天国に行くのではありません。どうして行くのでしょうか。神様の子どもだからです。あの人は信仰生活が本当に間違ったとしても、地獄に行くのではありません。悪魔の子どもだからです。簡単な話です。幼い時に集まって子どもとかが遊ぶ時、遊ぶことがないから、私たちは遊びの道具がないから、山に行って他人の大きい墓に乗って遊びました。幼い時は、することがなくて、山に行って木の皮をむいて食べて、時には土も食べました。私たちは幼い時、そのようにして遊んだのです。家も作って、貝殻を持って行って食事の仕度をすると砂も入れて遊びました。そして、おもしろく遊んだのです。あなたはパパで、私はママだと遊ぶのですが、日が沈めば、家に帰らなければなりません。すると、同じような時間に母親がご飯を食べなさいと呼べば、各々容赦なく別れて家へ行きます。それしか仕方がありません。さっきしたことは遊びです。熱心にそのようにも救いの秘密を与えたのですが、悪魔に仕えた者は悪魔の国へ行きます。皆様に罪がないから天国に行くのではありません。罪の問題を解決されたゆえに、天国に行くのです。地獄に行く人が罪が多いために地獄に行くのではありません。罪の問題を解決されることができないゆえに、地獄に行くのです。救われたということは、驚くべきことです。神様が私たちを暗闇の中に置いておかず、キリストを送ってくださって、彼がキリストだという証拠で十字架から復活なさいました。彼は再臨の主としていらっしゃるはずだと確かに約束なさいました。ところが、聖書はもう一度約束しているのには、私達が生きているこの地はなくなるはずだと確かに話しています。深刻ですが、その日がいつかは来ます。聖書がそのように約束しているのです。幸いに、科学が発達しながら、科学者たちが地球が消滅するとみんなが話しています。聖書はすでに話しています。正しく勉強した知識人も研究した結果、結局、地球はなくなると言います。消滅するということです。聖書はすでに話しているのです。地球はなくなって、新しい天と新しい地に神様が造られるのです。確かに聖書は話しています。イエス様が再臨していらっしゃるはずです。私たちは終末信仰を持っているべきなのです。
 
・皆様がいつでもこの三つの信仰を持っていなければならないのですが、皆様個人も終末があります。私と皆様が、いつかは天国に招かれるようになっていて、私達がする働きと時代にも終末があるのです。もっと重要なことは、地球の終末です。今日、聖書に確かにおっしゃっています。29節に 'そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。'また、その前の24節に'だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。'最後の時に起きることです。相当な戦争とかん難、こういうもの等がおきて、最後の時が来ます。聖書のみことばに再臨の主がいらっしゃって、全てのものを審判なさるはずです。その時に、私たちはすべての生きている者、死んでいる者に復活して、天国と地獄に行くことになっています。聖書はそのように明らかに話しています。 今日、明らかな信仰を回復しながら、神様が与えられる答えを受けねばなりません。
 
・私達は、終末論を見ながら祈らねばならないことは、時代ごとに終末論を持って難しい事がありました。イエス様が再臨していらっしゃることを持って、難しくなったことが本当に多いのです。おもに見れば、共通点が出てくるのですが、勉強を多くしないで、祈りを多くした人々の中から出てきました。ウィリアム・ミラーという人は、学校に全く通わないで、ニューヨークで布の商売をする人でした。この人が教会のなかでけんかをするのを見て、試みにあいました。それで山に登って祈るなかで、何かを受けたようです。私が見る時に、悪霊が受けたようなのですが、力があったではないでしょうか? 信徒一名が説得をしたのです。「あなたはその教会にいないで出なさい。その教会は、おかしな教会だ。私たちの間で祈ろう」と純粋に集まって祈ったのです。そうして、祈る中にサタンが働いたのです。何年何月何日何時に私が再臨する。だからこの人たちがその話を聞いてその仲間達が集まって、全部並んで一緒に上げられようと待っていたのに、時間になったのに、イエス様がいらっしゃいませんでした。それで、ウィリアム・ミラーという人が、別の言い方をして、また祈ろうとまた祈って、完全におかしなコースへ行きました。どこへ行ったかというと、イエス様がいらっしゃったが、また上がられた。それとともに、自分に言われた言葉がある。何と言ったかというと、早く安息日を守りなさいと言われた。それで聖日礼拜を行なったのを、また土曜日に変えたのです。それが米国で始まった安息教(セブンスデイアドバンティスト)です。ウィリアム・ミラーから始まりました。中間、中間にこういうことがものすごく多かったのです。
 
 一時、韓国にも深刻なことが多くありました。イ・チャンリム氏をはじめとして、たくさんの人々が10月28日にイエス様がいらっしゃるとものすごく騒々しかったのです。学校も放棄して、職場も放棄して、白い服を着て、騷ぎが起こったことがあります。聖書は、そのように教えていません。その日は誰も知らないのです。確かに忘れないで。私たちは、信仰生活だけ良くすればよいのです。熱心に福音を持って行けば良いのです。より大きい問題は、なぜこういうことがおきるかというと、イエスの再臨が一番重要なためです。これから、キリスト教会が社会に最も良くない影響を与えることがあるのが、誤った再臨論です。時限付きの終末論は、いつくると言います。聖書はそのように教えてくれないと言われています。なぜおもにこのようにことがおきるかというと、なぜ10月28日にイエス様がいらっしゃると全世界が騒いだかというと、サタンがどれくらい力が強いか、幻の中に見せたのです。おもに見れば、神秘主義で祈った人々に、こういうことが行われました。どれくらいサタンは、力がすごいかというと、全国にいる人々に同時に見せたのです。 皆様、ほとんどだまされます。皆様を連れて行って、いっしょに祈っていて、普段の時じっとしていて、何が開こえるようなら、驚くではないでしょうか。何か?? これがまさに幻です。見たら、10月 28日にイエス様がいらっしゃると言われないだろうか? だから、教会に座って歌うことは、すべてむなしいのです。この人が、その味を知れば変わります。それで、すぐに家に帰ってお金を探して捧げたのです。終わるからです。学校に行かなくなりました。韓国にこういうことが行われました。それで、国家ではとても深刻でした。学校を止めたり、家庭、職場を止めたり、大騷ぎが起こったではないでしょうか? スピノザという人は、明日終末が来ても、今日、一本のりんごの木を植えると言ったのですが、社会で混乱を起こしたので、国家で作戦を立てました。一番の親分を捕まえたのでした。捕まえて入れたのに、罪名がなければならないのですが、イエスが再臨していらっしゃるとしておいて、自分の財産を出させて7億円を集めたのです。それをまた外国で引き出しました。イエス様が再臨して来られると言いながら、なぜ集めるのでしょうか? 外国には、なぜ行くのでしょうか? イエス様が再臨して来られるのに、旅行に行くでしょうか? まず、国家で静かにさせようと、外貨流出という罪名で捕まえました。この人たちがその後に何と話したのでしょうか。10月 28日が静かに過ぎました。それで、私も深刻でした。ひょっとして、こないと言う保障もありません。必ず、その日にこないと言う 200%の保障はありません。そのようなこともあります。
 
・全州地域に集会しにいったのですが、田舎でこの人がたいした牧師でした。田舎に行って驚きました。聖歌隊に、このようにたくさん集まることができるのか? 4-5日 復興会をしました。復興会で恵みをみな受けて、ホテルまで案内をみなして、最後の日に自分の部屋に呼ばれました。先生。私が本をひとつ書いたのですが、先生に贈り物としてひとつ差しあげます。自分の名前をサインしてくれたのですが、見たらイエス再臨だと書いてあったので、再臨について研究したんだなあと考えたのですが、そうではなくて10月28日を信じる人でした。本当に深刻なことなのに、私はそれを知らずに来たのでした。その教会の復興会を上手にやって、恵みを確かに受け取ってきたのですが、帰ってしばらくして、町で偶然にその教会の長老と道で会いました。先生は、お元気ですか? 元気ではありません。なぜですか。どこか病気ですか? それではありません。お茶をいっぱい飲みましょう。お茶を接待してもらって、話をしたら、牧師が教会員をみな集めて、話したのは10月28日、イエス様が来られるので、すべての事業を放棄して、全部白い服を着て来なさいということでした。牧師が失敗なさる方ではないだろうと思って、長老たちも白い服をみな着て、牧師も白い服を着て集まったのでした。信徒達もみな白い服を着てきました。10月28日、何時か、4時か? イエス様が来られるということで、その時間に断食して祈りながら待ったのです。来られなくて、ニュースでイ・チャンリムが拘束されたと出てきました。その時、この牧師が良心的な牧師だったので、その時いなくなって、いままで消息がないのです。どこに行ったのかも分からず、今、私たちの教会が大変なことになりました。いなくなって、いまはいません。それから後、牧師がそのまま行かれました。行ってしまわれて、今までいらっしゃいません。深刻なことです。
 
・これからも、こういうことがまたくることがあります。サタンの戦略です。
 なぜでしょうか? 再臨がとても重要だから、救いを知らないように、紛らわしくさせるように、再臨で混乱を与えることがあるのです。それで、私たちクリスチャンが社会に悪い影響を及ぼすことができるのです。必ずその日は、神様だけがご存知であるはずです。それで、私らを見て目を覚ましていなさい。
 いらっしゃる日と時間だけが確かならば、目を覚ましている必要はありません。10月28日の明け方4時に来られるならば、27日の3時まで確実に寝ていれば良いではないでしょうか? 何で目を覚ましているのでしょうか? 聖書には、目を覚ましていなさいと言われています。確かにその日は来ます。とても重要なので、私たちの信仰が重要な部分、教理で答えを受けることができる部分、全部が紛らわしくなっています。ある牧師が現れて、創世記は神話だと言いました。創世記3章を知らないようにさせるためです。それを知らなければ、みな分かりません。牧師協議会から集まって、処女降誕で、処女から子どもが生まれたということは、話が合わないから、女から生まれたとしよう、こういう事があったではないでしょうか? だから、重要なことだけみな変えるのです。だから、再臨があまりに重要なので、間違った人のうそを通じて、人々を曇らせるのです。私たちが幼い時、読んだ本があるでしょう? 幼い子どもが、いたずらをするのがおもしろくて、オオカミがきたと言うと、近所の人々が棒を持って出てきたでしょう? 出てきたら、いません。こいつが嘘をついたのです。いたずらをしたのです。おとなが棒を持って出てくるのがおもしろくて、子どもが退屈だから、ある日またオオカミがきたと大声を出しました。近所の人々が、棒を持ってまた出てきたのです。出てきたら、また嘘でした。こいつがまた嘘をついたのです。後になって、本物のオオカミが現れました。本当にオオカミがきたと大声で言っても、誰も出て来ませんでした。この子がオオカミに食われてしまいました。こういう本があったでしょう? しばしばサタンの戦略で、再臨、再臨、再臨したとうそを言っておいて、本当に再臨して来られたら、分からないようにするのです。そのようなことがあります。皆様にものすごく重要な部分です。今日、皆様が祈りの答えを受けるものすごく重要な時間になることを望みます。
 
・創世記3章の問題が、皆様の家から永遠に離れることを希望します。アダムの子孫でない、イエス・キリストが、私たちの救い主になられたので、完全に救われました。その方がキリストだという証拠で、復活なさいました。より重要なことは、私たちはこの場に座っていますが、天国の民であるゆえに、天国の祝福を受けることができるのです。皆様が行く前に、皆様の事業に、職場に、神様は主の天使を派遣なさいます。イエス様は再臨していらっしゃるはずです。万王の王として来られるのです。確かです。あらゆる暗闇の力を壊されます。確かです。こういう重要な部分を契約で握るならば、今日から答えが来るようになるはずです。霊的に大きい重要なことがおきるようになるはずです。今日、もし病んだ部分があれば、癒されることを願って、皆様がこの信仰を本当に回復して、神様の祝福を受けるようになることをイエス様の御名でお祈りします。特に私たちの学生達に正しい信仰で祈りが始まることをイエス様の御名でお祈りします。
 
(祈り)
 神様。今日、信仰を回復する日になるようにしてください。創世記3章の重要な事件、今でもあらゆる人々、家系に現れるこの事件を福音で解決してくださったことを感謝申し上げます。私たちに人の子孫でない、人は救うことが出来ないので、処女にキリストを送られたことを私達が信じます。復活なさって、今でも働かれることを信じます。今でも聖霊でこの場に働かれることを信じます。主の御名を呼ぶ時、暗闇の勢力が崩れることを信じます。今でも私たちは、天国の民です。私達が行く前に、主の使いを送ってくださって、全てのものに答えを与えられる神様を賛美します。今日、私達はこの場で、インマヌエルで、衛星、インターネットでみことばを聞く神様の民がいますが、主はヒゼキヤ王に送られた主の使いを送ってくださって、ペテロに送った主の天使を送ってくださって、閉められた門を開けて、主の門を開けることを信じます。再臨して来られ、すべての霊的問題を完全に解決するイエスをキリストだと信じます。今日、この時間に答えの門を開けてください。それなら、創造主なる主が、私たちの病気をいやしてください。私たちの貧しさをいやしてください。私たちの問題をいやしてください。私たちの霊的な病気をいやしてください。この地にあらゆる暗闇の問題を縛ってください。私たちの教会に伝道運動によって地球上にある霊的な問題が解決する祝福を与えて下さい。それならば、この場に聖霊で働いてくださって、私達に答えられる貴重な日がなることを信じます。神様はなさることができ、すべての病んだ者、弱い者に今、働いてください。聖霊で働いてくださって、聖霊の火で燃やしてください。今日、この場で答えを受け、証しを見る霊的な目を開けてくださることを信じます。
 私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
(The end)
 


聖日A部: 私のとりで
(詩31:1-8)
 
 
・ある人が、死にたいという気がして、列車の線路に横になっていました。突然に、列車が通って自分は死ぬだろうと考えたのです。ところが、列車は、バスが通うようにたくさん通うのではないから、考えて横になっていたら、突然に何かの文を書いた紙が飛んできて、この人の頬のそばにくっつきました。見たら、何が書かれていたのかというと、'すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう'この字でした。私達が聖書で読むことができるマタイの福音書 11:28節です。この人がこの文を読みながら、心に初めて平安が訪れたのです。そこでイエス様を信じ始めたのですが、本当に信じました。おもにイエスをにせ物で信じる人々が多いのに、この人が本当にイエスを信じて、多くの答えを受けました。このようにして、時代を生きて有名な人物になったのですが、その人がまさにサンダーソンです。
 
・今日は、一般信者宣教を考えて、感謝礼拝を捧げています。私はサンダーソンの顔についた紙一枚が、一億を投資しても足りないのではないかと考えます。なぜなら、その人が聖書箇所ひとつを読んで多くの人を生かしたのです。そのように見る時、私と皆様が小さい心をこめて宣教するならば、それほど大きい重要なことがどこにあるでしょうか? 皆様は、どのように考えるのか分かりませんが、この働きをする人々は、普通にしているのではありません。
 私の場合を、あなたがたはよくご存じでしょう? 私は私をよく知っています。私は、私の生涯にとても恥ずかしいことがありましたが、恥ずかしいと思ったことが三回ありましたが、一度はいつかというと、幼い時です。小さい時なのですが、私たちの教会でクリスマスの行事を行っていたのですが、近所の人々も来て、私たちの家族もいたのですが、私が独唱をしたのです。前奏が始まったら、どれくらい恥ずかしかったでしょうか、喉がつまって声が出て来ません。そのような私です。私がそれほど恥ずかしがり屋なのです。声が出てこそ、歌えるではないでしょうか? 私たちの伝道師が、またしなさいと前奏をまたしました。その次に、震え始めたのですが、前奏が終ったら、歌わなければならないでしょう? 歌おうとしたのですが、声がまた出てきませんでした。三回そのようにしたら、とうていできないということを私たちの伝道師が感づいて、降りて来なさいと言われました。それが、最初の恥をかいた記憶です。どれくらい恥ずかしかったか、他の子どもは、よく歌えるのに、歌えなかったので、どれくらい恥ずかしかったでしょうか。2番目に恥をかいたことがいつかというと、小学校6学年なのか 5学年なのか正確ではないけれど、夏でした。私たちのお隣りにいた子どもが、私より一才か二才か小さい子が、私に海水浴に行こうと言いました。それで、海水浴に行くなら、私の親のお金をもらわなければならないのですが、とにかく私の家では、海水浴には行かせないと言うのに、行きましょうと言うのです。この子は、私より二才小さかったのですが、その子が行こうと言うので、お金がないと言ったら、私たちがお金を儲けて海水浴に行こうと言いました。どれくらい大変でしょうか? どのように儲けるのか? アイスケーキの商売しよう。ここにいる方達はよく知らないでしょう。アイスケーキというのは、むかしは冷蔵庫がなくて、木箱の中に氷を入れて路地を回りながら、アイスケーキを売ろうということです。それを例えば一つ十円で買って、売るときには二十円で売ると半分残ります。静かに考えてみて、大丈夫なようでした。自分の親戚がアイスクリームの商売をしているから、しやすいから行こうと言いました。それで行ったのですが、問題、どこにあったかというと、私が考えなかったことが、アイスケーキを缶に入れて持って行くときにしなければならない事がひとつあったのです。家にいる人たちが聞くことが出来るように "アイスケーキ"と大声を張り上げるべきです。この考えを前もってすることができなかったのです。ただ持って行ったら、この子は二才下なのに、荷をかついでアイスケーキ商売をして行くのに、私は声が出てこなかったのです。どこか人が来るようだから、アイスクリームと声を出さなければ売れるでしょうか? 人がいない所へ行きました。人がいない裏路地で静かに回りました。売れるでしょうか? その子は、どれくらい声をよく出しているか、この山の尾根を越えてくるのに、みな売れて、またもらって売り歩いたのです。その子が言う話が "お兄さん。今日はよく売れるよ" 私にみな売ったのかと尋ねるのですが、一つも売ることができなかったのに、ちょっと残ったと言いました。今日は、よく売れると言うその子どもを見ながら、私はなぜこうなのか? その子が全く恥ずかしくなく、十年間その仕事をしたようにするのに、私はなぜ声が出てこないのか? 'あ'と出した後、声が出てこないのです。どれくらい恥ずかしかったでしょうか。その子を尊敬する程でした。勉強もできないのに、どうして声がよく出るのか? 夕刻になってみな溶けて、棒だけ残りました。行ったところ、アイスクリーム家でお前は今日は売らなかったんだなあと言われました。話す言葉があるでしょうか?その子は、ものすごく成功することができたので、私はたいした奴だと思いました。私が幼い時できなくて、どれくらい自尊心が傷ついたでしょう? 一回は、どんな恥をかいたかというと、教会に突然に遊びに行ったのですが、その日が、子どもの水曜日礼拝をささげる日であったのですが、司会者が知らずに私に祈りをさせたのです。知らずに入って座っていたので、だから父なる神さま有難うございます。この言葉が出てきて、その次の言葉が絶対に出てこなかったのです。これが私の生涯で、大きく恥をかいた三回です。
 
・なぜ、私がこの話をするかと言うと、私の性格が元々そうなのです。そのような私が、福音を知って、数千名、数万名の前にみことばを伝えているという事実です。皆様はよくご存知ないでしょうが、奇跡みたいなことです。それのみならず、人はどんなに立派な人といっても人です。この福音運動をするのに、どれくらい妨害が多いかわかりません。小さい損害がくれば、走り込んで来ます。自分に対して、小さくても利益になれば、ハレルヤとして、自分に対して問題が生じれば嫌います。誰でもみなそうです。こういうの中で、福音を伝えるということは、難しい事なのです。一日、二日ではなく、その時から今までずっと伝えています。これが何でしょうか?神様の恵みです。私が福音を知った後から、福音運動しながら私が驚いたのは、1,2回ではありません。
 
・ムダン(霊媒師)の子どもが、福音病院に行って死ぬという話を聞いて、入院室もなくて何日生き残れるか分からないという話を聞いて家に帰って来たのですが、このムダン(霊媒師)が、イエスを信じると言いました。私はいまだに理解できません。私は行って福音だけを伝えて来たのです。私は、元々性格が病気が良くなるようにと言うことができないのです。単に福音だけを伝えてきたのに、なぜかその日の夜に奇跡がおきたのです。いやされました。私は、はじめはどのように考えたかと言うと、偶然の一致だと思ったのです。私が福音を伝えたことと、いやされる時間が合ったのだと考えました。そのように考える以外に、あるでしょうか? 死にそうな子が、どのように生きたのでしょうか? 後ほど分かりました。こういう福音を伝えるなかで、私が悟れなかったので、肉体的に起きた衝撃が1,2度ではありませんでした。精神が狂った子が一週間、寝ることもせず、ご飯も食べなかったということでしたが、一週間睡眠を全くとらないということは、人の力ではないでしょう? あまりにも寝なかったので、目玉が真っ赤な人が、めちゃくちゃ暴れたのに、私達が行ったら、ぶるぶると震えて、教会にきて信仰生活するなかで癒されました。こういうことを見ながら、本当に驚くべき事だなと思いました。それで、私が15年前に開拓した教会が、東三第一教会、今のインマヌエル教会です。いまは時刻表ゆえになくなりましたが、1部礼拝の時、おばあさんが賛美したではないでしょうか? その人々が全部みな初期の頃、伝道しながらイエスを信じた人々がきたのです。本当に驚くべきことです。ある人が、福音を聞いてイエス様を受け入れたのに、これは秘密だと話すことができませんでした。 家族ほとんどすべてが、肝臓の病気がある人々です。イエスを信じて、癒されたのに、私は今でも理解できません。医学的に不可能なことではないでしょうか? ある人が、死ぬ病気にかかったのですが、タラッパンにきてイエスを受け入れて、癒されるのを見ながら、本当に驚くべきことだと思いました。私が悟れなかったので、肉体的なことを持って知らせてくださったのです。こういう人々が証人として教会にはいます。私は 1・2回驚いたのではありません。一回は外国に行ったところ、福音を伝えていたら、ある子どもが手をあげていました。私は言葉が分からなかったので、なぜそうするのかと尋ねてみたら、その子が、先生の説教を聞いて、早くイエスを受け入れたいということでした。どれくらい急いだかというと、待ちなさい、少ししたら終わると言ったら、いやだ今受け入れる。自分はいつ死ぬのか分からないと言いました。イエス様を受け入れて、祈ったら、首になにかをかけていたのですが、大きいお守りでした。これを離すことができなかったのです。この子は、白血病にかかって死にそうになった子どもでした。その子が福音を受けたのです。私は、その子どものために手助けする力がありませんでした。福音だけ伝えて、祈ってきたのに、この子どもにみわざが起きました。全部の共通点は、人が出来ないことです。何年か後に、私たちのカン・チルセ長老がその地域に行きましたが、この子どもが死なないで成長して、私に贈り物として菓子をくれました。カン・チルセ長老に、その子が牧師先生に渡してくださいと言いながら、贈り物を持ってきたのでした。私がその菓子をいまだに本箱の中に入れています。
 
・この福音の驚くべき働きです。外国に行ったところ、私たち韓国には、ありふれているテープですが、私たち韓国では読むこともせず、転がしているありふれた世界福音化新聞一枚を持って、家ごとに回りながら、読むこともできなくて、それも見ることができず、私がそれを見て、私達があまりにも多くの秘密と祝福を持っていながら、これを知らずにいるんだなと思いました。私はそれを見て、私達が本当に世界宣教に賛同せねばならないと思ったのです。私は祈りました。'神様、私たちの信徒全員が、幼い子どもまで、今でも福音を聞くことができなくて、本当に死んでいく人がいる所に彼らを生かすことができるように賛同するようにさせてください' これが一般信者宣教会です。それで、本当に感謝することは、私たちインマヌエル・ソウル教会の長老たちが100% 宣教会に参加しました。私は金額を見て話しているのではありません。より驚くべきことは、私たちの青年達が、数よりもっとたくさん参加したのです。130% どのように 130%であるかと尋ねてみたら、信じない両親を説得して一緒に参加したのです。それを見て、私たちが聖日礼拝をささげるのに、今だけ見ているのではありません。今は、全国、世界がいっしょに礼拝をささげています。一般信者宣教会をするために私達が決めたのは、感謝礼拝をささげようとなったのです。私自身、悪い計算もひとつあります。まだしていない人を覚醒させようという計画もあります。いまだに悟ることができないのでしょう? 私たちの教会は、世界福音化に全部参加しましょう。大小のことが問題ではありません。今日の詩篇 31篇、ダビデの詩を見ると、重要なことが出てきました。救いの真の味を知ったということです。皆様は、神様の子どもであり、動物ではありません。神様の子どもという真の味を知っていれば、すべての問題は解決します。ある人が寝ている途中で、夜明けに起きて、何かを多くの準備をして行きました。夫人は、どこに行っているか分かります。どこに行くのでしょうか? 釣りをしに行くのです。今この時間が、魚が集まる時間なので、釣り竿を準備して、家族はみな寝ているのに、夜明けに起きて釣りのかばんを持って行くのです。なぜそうなのでしょうか? その人が狂ったのでしょうか? その人が、魚を食べることができないで、病気になったのでしょうか? 魚市場に魚がたくさんあるのに、なぜそうなのでしょうか? 理由が何でしょう? 皆様、その時間、そのお金より少なく出しても魚市場に行って魚はいくらでも買えます。ところが、なぜその人がその時間に行くのでしょうか? 釣りの味を知った人だからです。釣りの味を知った人は'今、この時間に釣りができるな'と考えると、寝ている途中で起きて行くのです。本当に救いの真の味を知ったなら、感謝が出てくるしかありません。私はこれしかすることがありませんでした。ところが、じっとしているのに、神様が祝福を下さいました。全部、私を難しくしたのですが、神様は私に健康もくださいました。本当にこの真の味を知れば、感謝が出てくるしかなくて、せざるを得ません。皆様、犬や猫や豚は、絶対に救われることができなくて、味を知ることもできません。救いの醍醐味を理解するならば、不安、心配をする必要もなく、感謝せざるを得ないのです。皆様、ダビデが感謝した内容を見ましょう。他のことは何にもありません。救いを感謝しました。パウロが感謝したことが、救いを感謝したのです。せざるを得ません。なぜでしょうか?味を知ったためです。救いの真の味を知った人は、余裕があります。なぜでしょうか?結論を知っているためです。世界福音化をすれば、どんな結果が出てくるのかを知っています。皆様、本当に頼みます。この味を知るようになることを主の御名で祝福します。教会を千年、万年通っても、この味を知ることができなかったとすれば、だめなのです。今、ダビデが詩篇 31篇で救いの驚くべきことを歌っているのですが、皆様が必ずこの味を知るようになることをお祈りします。
 
・この救いの味を知っていれば、31章 2節に'私に耳を傾け、早く私を救い出してください。私の力の岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。'、3節に'あなたこそ、私の巌、私のとりでです。あなたの御名のゆえに、私を導き、私を伴ってください。'と言いました。やさしい話で、ものすごく簡単に表現するならば、なにか神様を信じる味を知らなければならないことではないでしょうか? これが最初です。この味を知ることができなかったのに、他のことをどんなにしてもだめなのです。以前に私が尊敬した長老一人がいました。田舎で農場をしていました。その家に豚がたくさんいたのでした。豚が多いのに、豚を見てはっと驚いたのです。豚がいる所を見ると、全部、水道の蛇口がありました。'なぜ豚ごやに水道の蛇口があるのですか' どれだけ発展しているのか、豚が水道の蛇口の出ている所を押すと水が出てきました。そのように水を飲んでしまって、鼻を離せば、水が止まるのでした。'豚があそこから水が出てくるということをどのように知っているのでしょう? IQが50にもならないのに' 不思議に思って長老に尋ねました。"長老、この頃の豚はたくさん進歩しているようですね。あれを押したら水が出てくるということをどのように知ったのでしょうか?"と言ったら、長老が驚くべき返事されました。豚は食べることには、天才です。そういうことです。その時、帰りながら'そうだ。人間が救われることができなくて、神様を知らなければ、豚よりもっと悪いのだ。私達が神様を知らなくて、救われることができなければ、動物と違わないのだ'と思いました。それが違う点なのに、ということです。
 
・今日、皆様が神様のみことばを見ながら、どのようにこの救いの真の味を知るか? これが重要です。皆様がこれから単に信仰生活をするのではなく、本当に味を知りましょう。味を知った人は違うのも、どこかが違っています。もし救われることができなかった人がいるならば、その人は分かりません。この味を知った人は、見る瞬間分かります。それで話をむやみにすることがあります。見れば分かるのです。この人が本当に救われたのか、そうでないかがすぐに分かるのです。本当に救われた人は違います。本当に救われた人が、なぜ気落ちするでしょうか? 本当に救われた人が、なぜ心配するのでしょうか? 本当に救われた人が、何ゆえに不信仰 になるでしょうか? することができないのです。本当に救われた人が、なぜサタンに負けるのでしょうか? 負けることはありません。本当に救われたということは、すばらしいことなのです。私達がどのようにこの味を知るのでしょうか? 私はダビデを見ながら、またパウロや聖書にある人物を見て、私が信仰生活するのを見ながら、3つのことを知っていれば良いと言いたいのです。第一には、救いの奥義を知っていればよいのです。救いの奥義があります。その話は、滅びが何かを知っていれば、救いが何かが分かります。創世記 1章を開けば、まず一番に出てくることが'初めに、神が天と地を創造した。'と出てきます。'地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、'とされていますが、これがまさに滅びです。神様が光で天地を創造なさる前に、空虚、暗闇、混とんが中にあったとなっています。それで、神様が光を照らされて、創造を始められたのですが、アダムは知らなくてだまされたのです。創世記3章の事件です。今でも人々は、目に見えないサタンに、また罪に堕ちて、今でも死んでいっています。そこから救われることが救いです。私はそれを見たのです。創世記 6章を見ると、占い師の時代がきて、すべての人々が易、シャーマニズムに捕われました。創世記 11章を見ると、人間が成功したかの様に見えるけれどバベルの塔のように、みな崩れるようになります。防ぐ道がありません。災いがやってきて、不信仰になって、霊的問題がずっと来るのに、防ぐ道がありません。ここから抜け出すことが救いです。これを本当に知っているなら、創世記 3章 15節'女の子孫がへびの頭を踏み砕く'という言葉が、普通の話になりません。今日、皆様一人ももれなく、この祝福を受けるように願います。
 
・昨日もそのような対話をしたことがあります。信じない人は、家庭がみな滅びるのに、信じません。 どんなに話しても信じないのです。本当に不思議です。親戚の家に行って、イエスを信じなさいと話しました。みな滅びたのです。妻は逃げていず、子どもたちは、病気になっていて、自分は病気になって動くこともできないで横になっているので、イエスを信じなさいと言ったところ、それでも私たちは信じないと言いました。本当に愚かです。創世記 3章 15節に'女の子孫がへびの頭を踏み砕く' 普通の話ではありません。'誰でも箱舟の中に入れば生かされる' 創世記 6章 14節,'羊の血を塗る日、エジプトから解放される' 皆様が羊の血を塗る日、すべての呪いから解放されるはずです。これだけ知っていればよいのです。これが救いの奥義です。その次に、こういう救いを私達がどのように受けたのでしょうか? 皆様、この驚くべき祝福をどのように受けたのでしょうか? エペソ 2章 8節に'恵みにより、信仰によって救われたのです'ダビデが救いを歌ったのですが、恵みによるのです。私と皆様が知らずに生まれたのですが、そこが韓国でした。本当に幸いです。アフリカに生まれたならば、死ぬほどの苦労をしたでしょうが、幸いです。私は無条件に教会を知らずに行ったのですが、幸いにも長老教でした。私は知らずに神学校に行ったのに、神学を正しく教える所でした。私は知らずに単に回っていたのですが、神様は私に福音を知るようにされました。本当に恵みです。皆様、これを知ることが恵みです。ある人はみな死んでいっても知らないのです。今日皆様が神様の驚くべき恵みを受ける祝福があることを希望します。この驚くべき恵みを私達がどのように受けることができるのでしょうか? 簡単に、信仰によってと言われました。'受け入れた人々、すまわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった''誰でも主の御名を呼ぶ者は救われる''イエスの御名を呼ぶ者は恥にあわない' 簡単です。なぜこのように簡単なのでしょうか? 他の方法では救われることができないのです。他の解決策がないのです。皆様、皆様の子どもがもし家を出て行って滅びるようになったとするなら、どのようにするでしょうか? 早く帰って来なさいと言うはずです。皆様の子どもが出て行って滅びの中でさ迷っていて、苦労がとても多くなって家に電話をしたとするなら、何と言うでしょうか? 皆様ならば、何と言うでしょうか? 'どこいるのか? 早く帰ってきなさい。今でも帰ってきなさい'と言うはずでしょう。母親が左足から出たか? 右足から出たか? そのような父母がどこにいるでしょうか? どの道から来るのかと聞く父母はいません。早く帰ってくることを望むでしょう。イエス様が神様の心を説明なさいました。人間が早く帰ってくるように、父が放蕩息子を待っていたかのように、遠くから見て、わかったと言われました。人間には解決策がありません。それで'受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった' 皆様、だまされないように願います。皆様は、呪いの問題を絶対に解決することができません。それで神様がキリストを送られたのです。ここにもし信仰生活を長くした人がおられるでしょうか? もしかして、僧侶がいるのではないでしょうか? 霊的問題でものすごく苦しめられていませんか? 'わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、誰一人父のみもとに来ることはありません' 確かです。私が行ってみて福音を伝えたら、逃げたのです。逃げないで、ここに来てみなさいと言いました。だまされているのです。私が僧侶を見て話しました。"あなたが今、だまされているのではないですか? あなたの霊的問題はないですか? 早く解決すべきです。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった"と言ったところ、この人が驚くべき返事をしました。何と言ったか知っていますか? 家がなくて行く所がないのです。もっと驚くべき話は、その方の話が1%は一理があるのです。"牧師先生。私たち僧侶に家と食べるものを与えてくれるならば、出てくる人がたくさんいます" 僧侶がそう言いました。あまりに苦しいのです。宗教は全部正しいのです。しかし、救いはひとつです。私たちは宗教を間違っているとは話しません。すべての宗教は良いことです。正しく生きることです。しかし、正しく生きることができないのです。皆様の水準が低くて、皆様の家に問題がきたのでしょうか? そうではありません。皆様の家に災いが来たのは、水準が低くて来たのでしょうか? そうではないでしょう? それで、簡単な方法の'受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった'この恵みがどれくらい感謝でしょうか? それで、それを歌で、メッセージで伝道するのです。これが救いの奥義の中の方法です。ただで受けたのです。ただで受けたゆえに、そのまま与えるのです。値ない恵みというので、誤解します。値段が含まれた恵みを話すのではありません。 uncountable, 計算が出来ない恵みということです。何で計算をするのでしょうか? カトリックで話すとおりに、お金をいくらか出せば救われるのでしょうか? とんでもないことばです。そのように得ることができる内容ではありません。それで、私は急ぐという気がしました。それで、神様が私たちをインマヌエル教会に呼ばれたのですが、2000ケ所に伝道弟子を植えるのです。すべての一般信者は、一般信者宣教会に参加して、宣教師を派遣して、こういう働き人を育てて、今、多くの弟子を立てるべきなのです。なぜこれをしないのでしょうか? すべてが働き人を育てるのに参加しなければなりません。万一あなたがたが全部参加した後に、神様が私たちの長老達に奇跡を与えられるのです。イスラエル民族が、全部、羊の血を塗った後に神様はエジプトを倒す奇跡を起こされました。イスラエル民族が、全部、祈る時に神様は紅海を分けられました。マルコのタラッパンに全部、集まって祈る時に神様はローマ、マケドニアを倒す働きを起こされました。確信します。私は僧侶の前に行っても確実に話すことができます。私が僧侶に会って話した時、その方がほとんど返事が出来ませんでした。私はイスラム教の人に会った時も、はっきりと話しました。それが間違っているのではありません。ただイエスがキリストです。この話は、イエスは独善的にイエスを信じてこそ救われるという話ではありません。ここに本物の薬が出てきた時、この薬を飲んでこそ生きるという話は、他の薬の悪口を言うのではありません。そのように理解するならば、商売人です。癌を治療する薬が出てきたとすれば、感謝するのであって、なぜ他の薬を悪口を言うのかという話は、薬屋が言う話です。本物の医者は、そのように話しません。この薬を飲んでこそ生きると、むしろ推薦します。まちがいなくそうです。
 
・皆様が、本当に真に救われたということは、そのまま終わるのではありません。内容です。本物の内容が出てきます。救われた者の祝福七つを知っているでしょう? これだけでもすばらしいのです。救われた皆様は、絶対に滅びることができません。なぜなら、聖霊が皆様の中にいらっしゃるために、聖霊ではんを押されたとなっています。聖霊は額に印鑑を押されました。私の聖書に私のサインをしてあります。誰かが持っていかないためです。自分のものだからです。私が何ゆえにコ・チヌ長老の聖書に自分のサインをするでしょうか? 自分のものでもないのに、印鑑を押すでしょうか? 自分のものであるから、自分のサインをするのです。聖霊が皆様の中にいらっしゃるために、絶対に滅びません。それで、私達がこうすべきか? ああすべきか? 自分の固執を破って、計画を破る理由が、聖霊の導きを受けるためではないでしょうか? なぜでしょうか? 聖霊を受けたゆえに、私達が礼拝を熱心にささげて、今日のような春の日に行けば、どれくらい良いでしょうか? ここになぜ集まっているのでしょうか? 聖霊充満です。それで礼拝をささげるのです。それで終わるのではありません。必ず信じてくださるように望みます。皆様が行く所ごとに目に見えない天の天使を送ってくださって、答えのすべての門をあけてくださるのです。皆様が行く所ごとに、暗闇の力、悪霊の勢力、あらゆる悪い霊は縛られて逃げさるのです。驚くべきことです。皆様が行く所ごとに、神様の国が臨むようになります。そして、弟子を育てるのです。それで、私たちの信仰と私たちのすべての心をささげるのです。
 
・インマヌエルは、単に生まれたのではありません。今回の機会に、私たちの周囲にいる多くの牧師達に本当に感謝申し上げます。あなたがたは決定を早くして、お嬢さんがガムをかみながら歩いて嫁に行くことがありますが、そのようにしないように願います。ものすごく重要なのです。米国に行って、そのように話しました。教会をすぐに開いたり、閉じたりするのですか。聖霊の導きを受ける考えはしないでです。私がインマヌエル教会の瑞草洞地域教会ができて、私を呼んだのですが、3ケ月悩みました。証人がいます。イ・チュンギル牧師、ウ・スヨン長老たちを立たせておいて、カン・ホイン牧師に行きなさいと言いました。私がどれくらい祈ったか知っていますか。神様の導きを受けようとしたのです。ずっと祈るなかで、来るようになったのですが、それでも私がソウルに来ると言ったら、そばの教会が集まりました。それで告訴したのです。それで、私が言いました。違います。しばらくの間だけです。ですから、待ってください。私は首都圏で私たちのタラッパン運動が伝道運動ならば、首都圏掌握をしなければならないから助けてくださいと言いました。感謝したのです。この牧師たちが、全部、祈りで支援してくださいました。あなたがたも祈らなければなりません。私たちの教会が、暗闇の中に陥った首都圏に、本当に福音運動をしようと言いました。行く所ごとに弟子を立てましょう。あなたがたが、簡単にメッセージを聞いて参加する道があります。一般信者で世界宣教する祝福に参加しましょう。どれくらい大きい祝福を受けたでしょうか。行く所ごとに天と地の権威が。地で結ぶならば天でも結ばれ、地で解くならば天でも解かれるはずです。本当にあなたがたが、この契約を本当に捕まえれば良いのです。すると、答えが来るようになっています。すべての心配を全部任せても良いのです。
 
・この伝道運動をするのに、環境、人、これから無差別でものすごく攻撃を受けました。もちろん、私の間違いも多かったのです。しかし、そうでないこともありました。どれくらい多くの困難があったのか分かりません。ある時は手助けする人がないという錯覚に陥ることもありました。どれくらい難しかったか分かりません。しかし、神様の恵みで奇跡です。すでに病気がなおり、神様が健康もくださいました。だから、考えてみましょう。私も分かりません。全国、世界へあちこち回ります。なぜでしょうか?早く伝道する弟子を立てるべきだからです。それで、私たちインマヌエルに、私たちの教役者に会えば頼むのです。今、全世界は商売人が集まっています。だから、あなた達だけでも福音を伝えてください。私たちの教役者、副教役者が集まった時も話しました。全部、自分の教会のために、自分の目標のために、全部、商売人だけ集まりました。だから、福音を伝えてください。神様がいっしょにおられるのです。私達は、単に作った教会ではありません。神様が確かに世界福音化ゆえに、驚くべき門をあけてくださるのです。神様はご存知です。それで、あなたがたが本物の信仰生活をするなかで、本当に真の味を知らなければなりません。皆様の中に、祈りの答えがまだないでしょうか。この契約を捕まえて、定刻の祈りを始めましょう。定刻の祈りを単にするのではなく、定刻の礼拝をささげましょう。朝にです。まだ皆様の霊的問題が解決しないのでしょうか。常時で祈りましょう。三日ほどだけ過ぎても、働きは起きるはずです。間違いありません。神様が私たちにどれくらい大きい祝福を下さったのか分かりません。主は私の巌、私のとりでです。
 
・もう一度、要約します。皆様は、絶対に滅ぼされることがないように身分を移されました。それが最初です。2番目に、どのように救われたのでしょうか。神様が世界を生かそうと、まず私たちに恵みをくださいました。三番目に、単なる救いではなく、この救われたものすごい内容があります。天と地の祝福なのですが、これを持って祈れば、どんなことも解決するはずです。間違いありません。私が今回、大層に行って、大層地域教会設立礼拝をささげて来ましたが、大層は田舎です。パク・ウォンギュ長老が家を建てたのです。牧師がここまでいらっしゃったので、私の家に来てくださいと言いました。光州まで行かなければならないので、少しの間、長老のお宅に入って礼拝をささげました。その時、長老に話しました。1987年 9月、長老と私が釜山駅前で会ったのですが、その時に始まったのが、東三第一教会です。長老が北朝鮮から越えてきて、避難民として収容所から逃亡して、難民として暮らしていたのですが、福音を受けたように、私が福音を受けて福音運動を始めようとする時、私に困難がきたのです。その時、私が長老に長い手紙を送りました。長老、私は世界福音化を確かにするはずです。私を助けてください。長老がすべての困難を背負って、私を助けてくださいました。ところが、今、見てみましょう。全世界に弟子が起きています。この運動は、そのままでは終わらないでしょう。そして、年齢が 70才を越えれば全部、引退しますが、長老は宣教師として、カレンに行くのです。そして、別荘よりもっと美しい家をくださらなくても感謝したのに、神様の恵みではないでしょうか。もっと重要なことは、長老がこの年齢で、今、世界福音化の宣教師として走っているということは、どれくらい感謝なことでしょうか。
 
・簡単な事でしょうか。私は、これから私たちのインマヌエル教会は、本当に祈りましょう。皆様が心を合わせる日、私たちの教会の役員を神様が祝福なさるはずです。間違いありません。職業も、年齢も、関係ありません。皆様が祈れば、神様が働かれるはずです。私たちの教会だけでも、正しい福音のためにレムナントを生かしましょう。私たちの教会だけでも、自分の教会、自分の教会と商売をするのではなく、私達が本物の福音化運動をしましょう。私たちの教会、教団だけでも、福音のために生きましょう。それが、私たちの主張です。そうしてこそ、暗闇の勢力に勝つことができるのです。それで、私たちは、本当にこの運動をしようとしています。インマヌエル教会です。それで、私たちは名前を変えたのです。なぜでしょうか?神様が私たちと共におられるからです。誰が何と言っても、皆様がどんなに話しても、神様のみことばに勝つことはできません。どんなに皆様が話しても、神様の力に勝つことはできません。
 
・27才になった人が癌になりました。私が、人は72才で死ぬこともあり、27才でも死ぬことがあると話しました。それは、神様が呼んで行かれるのです。ただ、あなたが病気をいやされることが問題ではなくて、神様の子どもにならなければならないと言いました。イエスを信じたら、神様の子どもになるのですが、その内容を知っていなければなりません。この方が、それまで自分は信じないでいたが、病気になってイエスを信じて、神様に直してくださいと言っても良いのだろうか。申し訳ないではないかと話しました。良心は良いけれど、その良心があなたを救うことはできません。どれだけ賢い人なのか、胃ガンなので、からだの肉がみな落ちたのに、精神を整えて冷静さを持っていました。自分がこの病気にかかって神様を信じるなら、恥ずかしいけれどどうだろうかと言いました。恥ずかしいのが問題ではありません。あなたがこのように生きて、あなたの家庭の霊的問題がこうだ、イエスを信じて神様の子どもにならなければならないと話しました。そうしたところ、この人は、本当にたいした人でした。一週間だけ考える余裕をくださいと言ったのです。良いと、一週間後に来ると言いました。一週間後に行ったところ、そのベッドには人がいませんでした。看護婦にどの病室に移ったのかと尋ねたら、死亡したと言いました。本当にかわいそうな、たいした人だと思いました。終わりまで、拒否したのです。それを見て、愚かだと思いました。受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。皆様、惑うことが何でしょうか。神様を信じましょう。主イエスを 信じなさい。そうすれば、あなたのあなたの家族は救われます。どうして無条件に信じるのでしょうか。皆様が行なう行動がないからです。主イエスを信じましょう。一般信者宣教は何でしょうか。私達がこれから世界を生かし、これから私達が、神様の答えらしい答えを受けましょうということです。どれくらいすることが多いでしょうか。皆様が祝福を受けなければなりません。
 
・私は、時間がある時、いつも私たちの役員、長老達、事業する方達が、神様に代表的な祝福を与えてくださいとお祈りします。今年は、時刻表がくるはずです。神様はなさることができます。今日、あなたがたが救いの真の味を味わって、驚くべき祝福があるようになることを主の御名で祝福します。
 
 (祈り)
神様。今日、かわいそうな多くのたましいがこの地にいます。いまだに福音を聞いていない国が半分以上です。いまだに福音を聞いても、真の福音を聞くことができなくて教会に通う人が多くいます。彼らを生かすべきだと私たちが一般信者宣教会を作った感謝を神様にささげます。今日、この時代を生きる祝福の門が開く日になるようにしてくださって、後の日に、今日が教会史に残る時間になるようにしてください。後の日に、私たちの教会が、真の福音を伝えた教会であることを、本当に個人の目的ではなく、真に自分の成就ではなく、利益のためのものでもありません。福音のために生きる教会であることを証明する時間になるようにしてください。真に国家を生かして、民族を生かす教会であることを、レムナントを生かす教会であることが証しされるようにしてください。
  私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
(The end)