2003年 11月 9日 インマヌエル教会聖日メッセージ


   1部 /試みを受けられたイエス、イエスを試みたサタン
(ルカ4:1〜13)
 
・放蕩息子が帰ってきた時、父が祝宴をしようと言いました。ところが、長男はなぜ祝宴をするのかと言いながら怒りました。42人がここで学習洗礼を受けるようになりますが、あなたがたが全部立ち上がって、彼らのために手をあげて祈らなければなりません。ところが、反対に全国で衛星で礼拝をささげる教会やインターネットでいっしょにする教会が、間に学習洗礼をするのは気分が悪いから、抜いて下さいと言いました。それで、礼拝が終わってからしなければなりません。それで、仕方なく、メッセージを短くしなければなりません。今週に役員修練会があるのですが、役員の集会の時、礼拝に関する話をしようと思っています。説教は祈り式でする必要はありません。神様のみことばを説明するのです。反対に、祈りは説明式でしてはなりません。神様は説明式でする必要はありません。そのまま私たちの祈りを受けてください。私たちのささげものを受けてください。私たちの賛美を受けてください。今、聖霊で働いてください。今、私たちを癒してください。これが祈りです。ところが、逆に祈りは説明して、説教を祈りでしようとしています。礼拝に対しても直すべきだという気がします。なぜこういう話をするかというと、学習洗礼がものすごく重要なのです。やむを得ず、皆様が理解できないので、礼拝をみな終った後に学習洗礼式もして、聖餐式もするのです。今日、短い時間に神様のみことばの中でとても重要なことを皆様に紹介しようと思っています。
 
・皆様が本当に祈りの答えを受ける道があるでしょうか? 道があります。それを今日、皆様が得ていかなければならないのです。本当に皆様が教会も復興をして、色々な祝福を受けねばならないのに、その方法が何でしょうか? 気になるではないでしょうか? それを悟らなければなりません。また家庭問題、家系の問題を解決しなければならないのに、どのようにしなければならないでしょうか? 私と皆様が全部、問題があるのに、これをどのように直すのでしょうか? ある人は、家庭の深い問題があるのに、どのように解決するのでしょうか? 今、社会に深刻な問題がきたのに、どのように解決するのでしょうか? これを必ず知って行かなければなりません。それが今日の本文に出てきています。聖書にだけ記録されているサタンの戦略。他の本にはありません。愚かにも、宗教人がなぜ滅びるのでしょうか? あらゆる宗教は、悪霊、サタンに仕えることだからです。唯一、悪魔、サタンの悪行を暴露する本が聖書です。それなら、この部分を知っていてこそ、信仰生活ができるのです。ある方が、私を非難するため、こういう質問をしました。教会が復興する時、非難をしたのです。なぜ柳先生は、サタンの話をするのですか? それで、私はあなた方はしないでと話しました。私は聖書に従ってすると話したのです。そのように話したのですが、内心では笑っていました。今、皆様が伝道現場に一度だけでも正しく行ってみるならば、全部、悪霊文化にぎゅっと捕えられていることを知るようになるはずです。
 
・皆様がこの世にいる人々を詳細に見るように望みます。全部、霊的な問題にぎゅっと捕えられています。メソジスト総監督を経た、ある偉い牧師がたずねたということです。いったいタラッパンの何が問題かと尋ねたということです。下にいた牧師が食事しながら、サタンの話をするので問題になったようだと話をしたそうです。だから、総監督を経た偉い牧師が、このように返事をしたということです。それをしないならば、何の話をすることがあるのかと話したということです。それが何の問題になるのか? 韓国の有名な復興師一名が私に会って、こういう話をしました。今、大学に入っていくと、大学文化が全部、悪霊文化です。それとともに大変なことになったと言いました。そのような方達がいれば、これから大きい働きをするでしょう。サタン、悪霊の話は、ベレヤの団体でたくさん話します。異端のベレヤの団体がするからといって、私達がしてはならないという拙劣な神学を持ってはなりません。ある教団で主張するからといって、私達が聖書にあることを話さないことは、神様の前で違うのです。皆様が短い時間に、ものすごく重要な答を得なければなりません。聖書にだけ記録されています。
 
・それで、救われた私たちは必ず記憶しなければなりません。ヨハネの黙示録 12章を見れば、天から天使が堕落して、それがサタンになったと聖書は確かに記録しています。創世記 3章を見れば、神様を信じることができないように働いて、罪を犯すようにさせたのです。何か盗みをしたり、殺人をした、そのような罪ではありません。神様の契約を信じないようにさせたのです。それが善悪を知る木の実の事件です。それを原罪と言います。皆様と関係なしに、皆様の家に働いたゆえに原罪と言います。それだけではありません。各種文化の方向に暗闇の勢力が入りました。代表的なのが、易、シャーマニズム、占い、偶像のようなものです。人々は知らなくてやられています。ところが、この世には問題がき始めました。名前も知らない病気、おかしな病気が、マタイの福音書 8章を見れば、生じるのです。まだ医学では解決できなくて、説明もできないおかしなてんかん病、長血のような病気が生じるのです。まだ米国の最先端を行く医学界が発表できなくて、分析できない精神病が急増しているのです。出エジプト記 20章 3〜5を見れば、悪霊に仕えて、サタンに仕えたら、三、四代までずっと滅びるとなっています。エペソ6章 10〜20を見れば、これと戦うように私たちを救い出されたとなっています。Iペテロ 5章 7〜8を見れば、ほえたける獅子のように、歩き回って食いつくすべき信者を探しているとなっています。
 
・最高の伝道者パウロは、こう話しました。私たちの戦いは肉体の戦いでなくて、これとの戦いです。どのように考えるのでしょうか? 学習洗礼を受ける皆様が、この部分だけ正しく知っていれば、信仰生活は成功します。信仰生活をする皆様が、この部分を知っていれば、祈らねばならない理由も知るようになります。私は多くの牧師とともに一千万箇所にキャンプとみことば運動を起こすことを目標にして走っています。私は事実、これを知ってから、このようにすることを決心しました。その時、イエス様が先ず最初におっしゃったみことばが、あなたがたとともにいるということで、悪霊を追い出す権威を与えるという言葉であったのが、なんの話なのか理解できました。今、世の中はますます困難になっていきます。科学が発展するほど、困難になっていきます。不思議に霊的な問題はより一層多くなっています。私は聖書が正答だと考えています。本当に驚くべきことです。今日、皆様がこの契約をよく捕まえれば、説教を長く聞く必要もありません。
 
・私は率直に告白をします。これを知ってから、定刻の祈りを始めました。その時から、私は祈りの答えを受けるようになりました。私はおかしな感覚はありません。私は悪霊を見た、聞いた、そのようなことはありません。私は、おかしな幻想を見た、聞いた、そのようなことはありません。私は聖書と現場を見ながら、信じることができたのです。確かにあるんだな。私は聖書みことばが事実だということを知るようになりました。子ども一名が教会にきて、床をごろごろするのに、どんなに止めてもだめでした。私はそのようなことを初めて見たのです。子どもの顔を見ると、顔色が完全に青色でした。それとともに、目は完全に赤色でした。その子どもを見ながら、悪霊につかれたということが、こういうことなのだなと分かるようになったのです。その時、イエス・キリストの御名で祈ったのです。私はその子どもとその家庭が救われるのを見ながら、福音の力は世の中の何とも比較出来ないなという考えを持つようになりました。医者が解決できるでしょうか? 科学がその子どもを生かすことができるでしょうか? その子どもを生かすことができないでしょう? すると、そのような人があまりに多いのに、そのままそのように置いておけば良いのでしょうか? 私は聖書を見ながら、それで私達が伝道をするのだと悟るようになったのです。現場に行ってみました。皆様がでたらめな伝道、うわべの伝道をしないで、本当に伝道をしてみるように願います。悲惨だということを感じました。それで、私は常時祈りを始めたのです。本物の答えを受けました。
 
・今日、皆様がこれを悟って行かなければなりません。これは私の話ではなくて、神様のみことばを説明しているのです。説教は人の話をしたり、自分の話をすることではありません。神様のみことばを私が伝達することです。そのうち私にある特権は、確認したことを伝達することです。驚くべきことです。皆様が必ず記憶しなければなりません。今、私が説明する時間がありません。今、皆様がこの部分を知らなければ、できるようになりません。皆様がこの部分を知って祈り始めれば、いまや聖霊充満が何の話なのか理解するようになります。その時、キリストがなんの話なのか分かります。私はこれを知って確認できた後には、他に良いと思えることはありませんでした。今でも思い出します。長老が私の手をつかんで、申し訳ありませんと話したのです。なぜかと尋ねました。私たちの教会が難しくて、今年も伝道師の謝礼を多くしなければならないのに、少ししかできないとのことでいた。その時、私は長老の手をつかんでこう話しました。「長老、違います。元々、私が出さねばならないのに、貧しいので、そのようにできないことが申し訳ないだけです。私は神様の大きい恵みを受けたので、なんでもすべてしたいのです。」そして、現場に行ってみたら、そのような人がとても多くいたのでした。
 
・今日、皆様がよく応用をするように願います。皆様の家系の問題を根絶する道があります。どの程度しなければならないかは、あなたがたがよく知っているはずです。癌にかかった人は、どのようにしなければならないのでしょうか? 皆様が知っているでしょう? 風邪になった人は、どのようにしなければならないでしょうか? 霊的な問題が、家系に深刻だったら、どのようにしなければならないのでしょうか? 応用すれば良いのです。
 
・今日、2番目に、簡単に考えるべきことがあります。敢えてこの悪魔は、イエス様を試みました。3つでしました。創世記 3章とまったく同じです。今でも同じです。何を持ってしたのでしょうか? とても適切な試みを仕掛けました。私が三日断食したのですが、ずっと遠くにあるラーメンのにおいがしました。そして、私が豚肉のようなものは、それほど好きではないのに、それを見るととても食べてみたくなりました。マタイの福音書を見れば、イエス様が四十日間の断食をなさいました。その時、イエス様にパンのように見える石を持ってきたのでした。これでパンを作って食べなさいと言ったのです。だから、悪い話をしたのではありませんでした。神様の息子であることが間違いないならば、パンを作って食べなさいと言ったのでした。その時、イエス様がこのように返事されました。人がパンだけで生きるのではなく、神様の口から出るみことばで生きるのです。なぜイエス様が怒られたのでしょうか? なぜこのように強くみことばをなさったのでしょうか? サタンの戦略を知っておられたからです。いつでも肉体的なことで霊的なことを逃すようにさせるのです。いつでもつじつまが合う現実的なことで、霊的なことを奪って行くことがサタンの目標です。まず目に見えることを活用して、皆様の永遠なことを奪って、分からないようにさせるのが、サタンの戦略なのです。とても重要なことを知らないようにすることが、サタンの戦略です。人はパンだけを食べて生きるのではありません。神様の口から出るみことばで生きるのです。だからサタンが打ち破られました。あきらめないで、また試みました。
 
・それから、聖書のみことばを引用しながら試みました。そのようなことを見れば、サタンも聖書をよく知っているのです。神殿のてっぺんから飛び降りなさいと言いました。神様が天使を送って、あなたの足を支えられるのではないか? 詩篇を引用しました。だから、イエス様が何と話されたでしょうか? 主であるあなたの神様を試みてはならない。難しい話しでもないのに、なぜそう言われたのでしょうか? イエス様ができる力がないでしょうか? 水の上を歩かれた主が、飛び降りる力がないでしょうか? 私ならば分かったと、飛び降りるでしょう。すぐに帰ってくるからちょっと待っていなさいと言ったでしょう。ところが、イエス様がなぜみことばで打ち破ってくださったのでしょうか? なぜ怒られたのでしょうか? 理由を知っておられたからです。これがイエス様が持っておられた名誉心、人間が持っている名誉心を刺激することなのです。人間は、名誉心を刺激されれば、事実性がなくなって、客観性もなくなって、合理性もなくなって、ずっと何かがなくなります。人々が殺人をして、大きい事故が起こすのは、そのような感情を調節できないからです。計画をして人を殺す、そのような人はあまりいません。感情が生じて殺すのです。何でもないことのように見えますが、悪魔がアダムとエバに行って何と話したのでしょうか? これを食べれば神様のようになると話しました。神様のように知っていたから、神は食べるなと言ったのではないか? 同じ話です。とても中に隠されている名誉心を刺激するのです。とても隠されている人間性を刺激するのです。サタンがそれを通路として入るのです。私達が主の働きをするとき、他人が認めれば本当に良くて、認めなければ気分が良くないのではないですか? 他人が認めれば勇気が生まれて、認めなければ足から力が抜けるのでしょうか? これをサタンがよく知っています。だから、サタンが触ったのです。主であるあなたの神様を試みてはならない。皆様の信仰生活で、一つだけ記憶すれば上手にやることができます。私達が真に神様の恵みと祝福を知っていれば、そのようにする必要もありません。
 
・最後の試みをしかけてきました。皆上げるから、私を拝めと言いました。イエス様がひもじくて、すこし弱かったのです。この見えることを皆上げるから、私を拝めと言いました。話にもならない試みをしかけました。主なる神様だけ礼拝して仕えなさいとおっしゃいました。それが、何で重要でしょうか? 重要です。サタンが皆様から奪うことができる唯一のことは何でしょうか? 礼拝を奪って行くのです。私を拝めということです。人間だけできる最も重要な神様の祝福を知らないようにするということです。聖日に皆様が恵みを受けないようにされるのです。聖歌隊もより一層上手にやろうとするなら、恵みを受けながらしなければなりません。
 
・私は伝道師をしていた時からいままで、‘謝礼をもらう伝道師だ。牧師だ。’そのような考えをしたことがありません。私は若かったのですが、私の人生全体を神様の前で確認してきました。どんな状況でも、現場で神様が私に向けられた愛を確認してきました。それが私がしてきたことです。私は相当なプライドを持ってきました。私は月給をすこし受ける伝道師ではありません。ここは、私の現場で、私の人生の現場で、一度しかない私の若い人生の現場だと、神様が私に向けられた価値観を確認したのです。私の人生の意味を確認するのです。今でもそのように考えています。あなたがたが、どれくらい重要か、恵みを受けることができないように、私を拝めというように悪魔が話しました。
 
・皆様、この聖日に本当に恵みを受けなければなりません。可能ならば、私たち教会の働き人や教役者は、何を行うべきか、多くの私たちの聖徒達が恵みを受けるように準備しなければなりません。だから、あなたがたが賛美する時も、神様の前で本当に祈りながら賛美しましょう。皆様が献金する時も、本当に祈りながらしましょう。なぜでしょうか? 私たちの人生を神様が受けなければならないためです。結局、信者でも、未信者でも、金持ちは神様がお作りになるのです。私の健康、いのちを、結局は神様が治めておられるのです。皆様が神様を信じないとしても、そのいのちは神様がおさめておられつことが明らかだからです。だから、この悪魔がこの三つを適切に持ってきたのです。肉体的なこと、食べる肉体的なことを言いました。それから、名誉心、とても人間的なこと、これを持ってきました。そして、とても重要な祝福を奪って行くことをしかけたのです。皆上げるから、礼拝しなさい。いや外にすることが多いのに、なぜそんなに教会に閉じ込められていることが多いのか? 同じ話です。忙しいのに行って、礼拝をささげる必要があるのか? 事業もせねばならなくて、忙しいのにということです。
 
・私が知っているある方は、とても誠実な方なのに、田舎から降りてきて、お金がなくてリヤカーを作ってうどんを売りました。貧しくて場所がなくて、誰かがこちらに来いと言われたら、そちらに引っ張っていって、また誰かがこちらへ来いと言ったら、そちらに行っていました。それでも、明け方ごとに神様の前にいつも出て、祈りながらおいしく作ったのです。小さい店をひとつ得ました。後ほど大きい食堂を準備しました。後ほどは、その周囲の他の食堂まで引き受けました。いつもこの方は、夜明けに祈ったのです。この方の特徴が、スポンジの靴のようなふわふわした靴を履いてきて、いつでも明け方祈りに来ていました。すると、私がその人の靴の音を聞いて、‘この人が来たのだな。この人が行くのだな’と分かったのです。いつも明け方祈りをして商売をしたのですが、上手にしたのです。この人は、お金をたくさん儲けました。ある日見たら、忙しくなっていました。忙しくなったので、水曜礼拝の時間はよく来ることができなかったのです。村でもお金をたくさん儲けて、理事になったので、聖日礼拝の夕方には一回ずつ抜けました。だから、とても疲れていて、忙しくて、明け方祈りが終わった頃に来たりしました。そして、あまりに忙しかったので、聖日礼拝も抜けるようになったのです。ところが、それひとつ抜けたことが問題ではありません。神様が、皆様が聖日礼拝を一度抜けたから、厳しく罰を下されるような心の狭い神様ではありません。問題は、この人が礼拝をささげるより外側にある価値をより尊く見たことです。ある日、問題がきました。元に戻せない問題がきました。完全に崩れたのです。幸いにこの人には、信仰がありました。 '分かった。私が本当に価値ないことを捕まえてさ迷っていたので、このようになった。新しく始めるべきだ' また、夜明けに見たら、スポンジの靴の音が聞こえました。幸いです。そのように崩れないで、靴の音がずっとしていたら、どれくらい良かったでしょうか?
 
・私が今話す意味を分かるでしょうか? あなたの目に見えることを皆上げるから、私を拝みなさい。その話は、何の意味でしょうか?神様に礼拝するなということです。それは何の話でしょうか?恵みを受けるな、ということです。このものすごい祝福、価値を悟らず、とんでもないことを捕まえろ、ということです。これがサタンの戦略です。この三つを知っていれば、信仰生活は完全に成功できます。
 
・最後です。どのように勝つことができるのでしょうか? イエス様が悪魔のしわざを滅ぼしてしまわれました。イエス様が悪魔の試みに完全に勝たれたのです。マタイの福音書 4章 11節を見れば '御使いたちが近づいて来て仕えた' とされています。今日のルカ 福音 4章 1節には '聖霊で満たされた' 皆様、今からするように望みます。そうしたら、分かるでしょう。イエス様があらゆる暗闇の力をみな打ち破ってくださったのです。今から何をしなければならないのでしょうか? 今でも、この霊的存在は存在しているという事実です。神学的に質問した方に言いたいのです。私の説教は、今、神学者がたくさん聞いています。神学者がこれを防止するために、何と話すかといういうと、「イエスを信じれば良い。みな終わったのに、なぜそうなのか」と質問しました。その方達に答えます。地獄の力、サタンの力、罪の力は、権威はイエスが来られて終わりました。しかし、その存在は活動しています。それで不信仰の世界と未信者とは深刻です。むしろ教会に通いながら福音を悟ることができない未信者は、それより、もっと深刻です。権威が終わったと知って、今も存在していることを知らないことが、もっと悪いのです。そのように質問した人は、本当に逆に悟ったのです。地獄がなくなったのではなく、信じる者に地獄の力がなくなったのです。私たちに罪がなくなったのではありません。罪をよりたくさん犯す人もいます。罪の権威が終わってしまったのです。サタンが活動をしないのではなくて、その力が縛られてしまったのです。それも信じる者にだけそうです。それも福音を悟った者にだけそうなのです。福音を悟ることができなかった者には、サタンと罪が王の役をします。すると、大変なことになります。そのようなことは直すように願います。信仰観を変えなければなりません。
 
・皆様、今日、必ず記憶しなければなりません。この暗闇の勢力は、今でも存在しています。それで救われた私達が、イエスの御名で祈れば勝つことができるのです。難しくせず、今から定刻、常時で祈りましょう。 瞬間、瞬間、迫ります。瞬間、瞬間、感じられます。瞬間、瞬間、私たちに不信仰が生じるのです。瞬間、瞬間に、危機感がきます。瞬間、瞬間、霊的問題が生まれます。瞬間、瞬間、私たちの信仰が落ちます。イエスの御名で祈らなければならないのです。特に、今日、学習洗礼を受ける方達は、必ず祝福を受けるように願います。この霊的な祝福を知る時、祈りが答えられ始めます。
 
・祈りの課題をいくつか差し上げて終えます。今、学習洗礼を受ける人々がいます。結婚生活を上手にやろうとするなら、どのようにすべきでしょうか? 結婚以前のことをいつも考えて、その水準にだけいてはなりません。結婚すれば、おとなになったのです。おとなの考えをしなければなりません。ふろ敷包を持って行って、母親に尋ねてみるマザコンになってはなりません。そして、過去に家庭がない時にしたことをずっとしてはならないのです。これは常識的な話です。学習洗礼を受けました。どのようになっているか知っているでしょうか? 皆様には、以前になかった驚くべき事が行われるのです。そこに合う祝福を捜し出すこと、学習という話は習うということです。洗礼の正確な話は、接ぎ木をしたということです。これから、あなたがたは、主といつもともにいる祝福を味わうようになったということです。これを速く捜し出さなければなりません。
 
・私が核心の時、お願いをしました。今、私とここに座っている長老、牧師は、私たち韓国になかった時代的な伝道運動をしています。すると、過去の50人、100人教会運動をする時の、その考えではついてくることができません。私たち教会の教役者の半分が、謝礼はここで受けて、仕事は他の所でします。300メートルの線を引いて、個々の教会を正したその時代、その頭で今のグローバル時代について行くことはできません。それで、世界で一番グローバルでなくて、時代に遅れた人が金正日党書記です。あの方は、どうも朝鮮時代の頭です。いまはそのような時代ではありません。いまは世界が手を取合って、手助けして、助けを受けなければならないのです。一人で垣根を作っていれば、遠い昔の朝鮮時代よりも前の、そのような時代の頭なのです。ですから、あなたがたが時代を見て行かなければならないのです。皆様がどんなに立派であっても、いまはグローバル時代です。どんなにあなたがたがしっかりしていても、いまはデジタル時代です。写真もじっくりとではなく、すぐに速かに押せます。いまはカードも押さえることもしないのに過ぎれば自動で押されます。車に乗って走るのに、みな押されるのです。時代に合せて生きるべきで、昔の背負子を背負ったような考えをしてはなりません。それで、あなたがたは速く更新しなければならないのです。
 
・私は学習洗礼を受けました。速く2種類を記憶しなければなりません。学習という話は、習うということです。この祝福を学ばなければならないということです。洗礼は接ぎ木をしたということです。今は主といつも同行します。これを速く更新しなければなりません。私が前に話したことがありますが、皆様が時代に合うように更新を速く速くしなければなりません。今すこし混乱しているのは、今、私たちの教会と私が韓国になかった伝道運動をしているのです。すると、以前に韓国にあった方法でしてはなりません。それは、時代に一致しません。今、ソウル、釜山、大邱、光州の全国大都市をずっと起こしているこの運動をしているのです。それで、私のかばんが 4ケです。車が2台です。2通りしなくて、秘書を交代でしなければ、一名は死んでしまいます。先生が寝て、もう少しおやすみにならないのですかとそうでないと、私は死にますと言います。私をなぜか一度、旅行に出てきた人のように見てはなりません。私は世界を引続き回っています。今、牧師や、牧師夫人、一般信者に出会って、全国世界を回るのに、大騷ぎが起こっているのです。こういう事が一度もありませんでした。すると、新しいものを持って見なければなりません。あまり古いものを持って見れば大変なことになります。考えてみましょう。今、恐竜が現れて、恐竜時代のようにしても良いでしょうか。
 
・2番目の祈りの課題です。今、私達がレムナント共同体を置いて働き手を準備しています。これから、賛美の祝祭と賛美のために祈らなければなりません。まだ人々は、私をよく理解できずにいます。聖歌隊は、特別チームではなく、教会礼拝チームです。後を繋ぐ人はいくらでもいるから、歌特別チームは、機能宣教チームに参加しましょう。それで、そこに心を持っている人が、後から援助して、世界宣教ができるのです。これは必ずオ執事でなければならないのではなく、誰しもしなければならないことです。この話がまだ分からずにいます。賛美専門担当者を教会が後ろから援助して育てるべきです。すると、礼拝と全体に均衡が合わないために、そのチームだけ機能宣教に別に登録して活動しなければなりません。これが、時刻表がくれば世界を巡回しなければならないのです。そのような意味で、今回、賛美祝祭が、前は私たちの教会で、今回はイエウォン教会でします。私たちに予算を頼んだりするのですが、それは問題ではありません。私達が祈りながら、意味あるように参加しなければなりません。
 
・そして、私達が今多くの重要な課題をもっています。ある方達が、色々な賛美が何か? という理論がありますが、まず私たちはそれを持って世界福音化をしなければならないのです。祈らなければなりません。今回、皆様がバザー会をして、献金を集めてチョン・ヨンシク牧師と講道師をキャンプに送るということを今日堂会で聞きました。本当に感謝します。皆様、考えを変えなければなりません。今、海外に行くことは遊びにでかけることではありません。それは他人の仕事をしにいくことではないのです。私たちタラッパンで、地球上の唯一している世界伝道です。こういう重要な祈りの課題を置いて更新しなければなりません。理由が何でしょうか? 霊的戦いに勝利しましょう。すると皆様は必ず勝利するはずです。この祝福を本当に捕まえてくださるように希望します。
 
<契約の祈り>
 神様に感謝申し上げます。私たちに新しい恵みを与えて下さい。本当に学習洗礼を受ける方達に、新しい恵みを与えて下さい。新しい祝福を下さることを信じます。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
 
 


2部 / 主の御名のために
(詩61:1〜8)
 
・今日は全国、あるいは世界メンバーまで、聖餐に参加するように願います。聖餐準備していないのに、どのように参加するのでしょうか。祈りで参加できます。私たちが1年に一、二回ずつ聖餐式の時、多くの答えを受けてくださらなければなりません。聖餐式をする時間に、あるいは徹夜時間に、祈ってみれば本当につまらないと思うことがあります。つまらなくないようにするために、おもしろいことを作りだせば、それは違っているのです。それを不健全神秘主義と言います。
 
・映画を見ればおもしろいかもしれないのですが、撮影するのを見れば、本当にくだらないのです。しかし、私達が事実の中でつまらないことが多いのです。あなたがたを見れば、徹夜祈りをしたり、明け方祈りをするといっても特別なことはありません。それがまさに錯覚です。文を書く人は大きなことを見て書くのではなく、簡単なことを見て、相当なことを捜し出すのです。エリヤが雷、稲妻の中でメッセージを受けたのではなく、小さい声の中で神様の御声を聞きました。むしろ、火がつく時は、むしろ良くなかったのですが、静かな中に神様の御声を正しく悟るようになったのです。ひょっとして、知識人が見る時、教会がつまらなく見えることがあります。よく見たのではありません。教会はそのように見えるけれど、そうではないのです。特別なものはない人々のように座っているのですが、この無尽蔵な力の供給を受けることができる所です。ローマが教会を見くびって揺れている途中で失敗しました。共産主義が、教会を見くびってつまらなく考えて、触れることもしなかった教会の前に共産主義が敗れました。むかしに日本人がみな好きなようにしたのですが、クリスチャンは好きなようにできませんでした。クリスチャンが集まって礼拝をしながら、偶像崇拝に反対したのですが、これを見くびったのでした。しかし、日本はその偶像国家は、キリスト教の前に敗れました。あなたがたが信仰生活を上手にやろうとするなら、そのようなことをよく見なければなりません。皆様、教会学校だ、聖歌隊だ、こういうことは特別なものではないように見えるのですが、それが錯覚です。
 
・1部の時話したのですが、はやくから福音を悟って、そのように感じなかったのです。私が月給を 5万円もらって、幼年聖日学校する伝道師ではありません。そこで、私の若さと神様と私の人生を探すのです。事実、私が出すべきなのに、教会でもらうので本当に有り難いことです。私はそのような悟りで、主に仕えました。今でも同じです。私が1, 2部を行ったり来たりするので、忙しいのです。2部の時、飛行機に乗れないかと思って、急いで来る途中でご飯をみなこぼしてしまいました。キム・チャンヘ伝道師に忙しいから速く走れと言ったのに、前に車が止まっているから、後続車も止まらなければなりません。ご飯を作る人に頼みます。たくさん入れるほど少なく食べさせる方法です。わかることができないでしょう。すこし入れてあげてこそ、よりよく食べることができるのです。なぜでしょうか? 車中で移動しながら食べるためです。それでも、そのようなことが出来るかと、よりたくさん入れるのですが、するとよりたくさんこぼしてしまいます。時間がないために、土曜日に飛行機に乗って大邱に行く時は、あまりに時間がなく、車のなかでのりまきを食べます。のりまきは、執事にいつも頼みます。簡単にして小さく包めと言います。なぜならば、イエウォン教会から空港までは10分かかります。10分間に食べようとすれば、複雑に包めばほどいている途中で着いてしまうのです。すぐに開けて、すぐに食べるようにしてくれなければなりません。それでこそ、お腹が空かないのです。そうでなければ、お腹が空きます。そのように見えるので、してくれる人々が愛で、忠誠で、上手にやってくれます。よくしてくれるほど損害です。それで、今日来る途中で急ブレーキをかけたので、みなこぼしてしまいました。それでも気分は悪くありません。なぜでしょうか?私が全国、世界を一週間、一ケ月、一年間隔で回っています。健康であるかぎり回ります。一週間、一ケ月、一年単位で時刻表が整っています。米国には4回程度行って、ヨーロッパは 1回程度行きます。日本には、二、三回行きます。時間がありません。国内もずっと回らなければなりません。私は私が通いながらすると考えてはいません。神様と私の人生と皆様と重要な時刻表です。誰かが認めてくれるのが、良いとか悪いとかいうのではありません。まちがいなく、神様は答えてくださる神様なので、その契約を捕まえて回っています。
 
・それで、今日聖餐式に参加するあなたがたが、洗礼を受けない聖徒は、祈りで参加しましょう。あのインターネットで礼拝する方達も全部祈りで参加しましょう。私たちの教会は、数字が多くて、小さな教会は時間が一致することも出来ません。そのまま祈りで参加すればよいのです。事情だけ良ければ、学習、洗礼もみな参加しなければなりません。それで、私たちの目に見えない聖霊が完全に働きなさる時間になることを願います。科学的な目で見ることができないけれど、神様の軍隊が今日、完全に総動員される祝福の日になることを願います。
 
・今日、皆様の家系、家、皆様の子どもをつかんでいる暗闇の力が完全に縛られる祝福の日になることを願います。そのためには、皆様が一つの単語を記憶すべきです。今日のタイトルが '主の御名のために'と言いました。今日の本文を見ながら、よく記憶なさって、信仰に大きい力を受けなければなりません。何でもないと考えることができます。主の御名のために。なんの所にでも署名してはだめです。そこに責任を負わなければなりません。誰が署名したのかによって違います。どんなに親戚でも、おい、叔父がきてお願いをしても、可能ならば、保証人にはならないようにしましょう。必ず保証人にならなければならない状況ならば、必要なことをあげるようにしないと、万が一下手すると、共に崩れるようになっています。もちろん、人によって違うことがあります。なぜでしょうか?署名すれば責任を負わなければなりません。あなたがたが契約すれば、発展した国であるほど契約通り行ないます。今、私達が大統領のこういう話し、ああいう話しゆえに問題があります。話は用心しましょう。いろんな話を多くします。なぜなら、その方が重要なためです。商売の家でも、おでんを売る人が変なことを言っても大丈夫でしょう。しかし、大統領は重要な方であるために、話を重要にしなければならないのです。主の御名のために。この話は重要な話です。
 
・今日、名前を必ず記憶すべきです。主という言葉は何の話でしょうか。神様の御名です。正確には、ヤーウェと言います。エホヴァという言葉は正確な単語ではありません。あなたがたが理解することは難しいでしょうが、元々、ヘブライ語は母音がありませんでした。母音があったのに使わなかったのです。母音があることはあるけれど表記をしなかったのです。元々エホヴァと言う時、このようなことは抜いて 'h'だけあったのです。歳月が流れて、問題がくることがあります。敢えてエホヴァを "ヤーウェ"と呼ぶことはありませんでした。例えば、あなたがたも父の名前はむやみに呼びません。イスラエルの人々が、ヤーウェとは呼ばなかったのです。その名前、ハセムと言いました。そうでなければ、アドナイと呼びました。簡単に話せば、通称を呼んで、名前は直接呼びませんでした。こういう歳月が過ぎて、母音を付けて混乱が起きたのです。母音を付けて、ハヤという人がヤーウェと言わずに言わずに、その名前だと付けたのが、発音上、変になりました。それで、ヤーウェが元々正しい名前です。ヤーウェという意味はエホヴァです。その言葉の意味が '存在'という話です。エホヴァという話をたくさん使うから、これに統一して言いますが、エホヴァとい言葉が '存在'という言葉です。すなわち '自らある者'という言葉です。だから何の話でしょうか。'創造主'です。単語に相当な意味があります。だから、エホヴァという言葉、ヤーウェという言葉は「存在する、自ら存在する」という意味です。だから、悪霊みたいな神ではなく唯一の神です。ところが、相当な名前です。それで、その名前を永遠に続くと言われたのです。私達が作って置いてお辞儀して、悪霊に仕える水準ではないのです。
 
・私たちは、エホヴァ、ヤーウェを信じます。それで、主の祈りを一番はじめに見れば、天にまします私たちの父よ。御名があがめられますようにと祈ります。いろいろな宗教でたくさん話が出てきたのですが、エホヴァという言葉は存在するという言葉です。だからモーセが神様に、私がイスラエル民族に行けと言ったら、ついて出てくるでしょうか。パロ王が送り出すかとたずねた時、神様がおっしゃるのに 'わたしはエホヴァだ'と言われました。'自らある者'と言いました。エホヴァが話したとしなさい。あなたが行って話す時、わたしが働くと言われました。その単語が今、出てきました。エホヴァ、唯一の神様を信じるということは、相当な話です。本当に幸いです。私と皆様が生きていて悪霊に仕えないで、エホヴァに仕えるようになったから、どれくらい幸いでしょうか。そのエホヴァが私たちを救わおうとイエスを送られたのです。'イエス', この言葉は 'エホヴァの救い'という言葉です。神様が私たちを救われるために、それでイエス様の名前を'インマヌエル'と言ったのです。重要な話に間違いありません。ヨハネ17:11〜12にイエス様はエホヴァの名前で、神様だと言われています。イエス様が最後にこうおっしゃられました。わたしの名前で祈りなさい。
 
・いままで羊を殺して礼拝したのですが、今はわたしの名前で祈りなさい。いままで牛を殺して祈ったのですが、今はわたしの名前で祈りなさい。その話は、わたしが代わりに死ぬということです。だから、私の名前で祈りなさいと言われました。ペテロは 'イエスの名前で命じる'と言いました。それでパウロも 'イエスの名前で命じる、汚れた霊は出て行きなさい'と言いました。今日は時間がたくさんありません。本当に福音を持った聖徒が持った祝福がなにかを知っていますか。創世記22:16に福音を悟ったアブラハムに神様が約束なさいました。わたしはあなたを祝福すると言われず、あなたにわたしの名にかけて誓う。皆様、感じることがないでしょうか。神様がアブラハムを祝福なさるのに、わたしの名にかけてあなたに約束すると言われました。皆様、今日、信仰で契約を握ってくださるように願います。皆様がどんな契約を受けたのでしょうか。主の御名が皆様にあります。
 
・エレミヤ33章には、こういうみことばがあります。事を行われる神、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。皆様、プライドを持たなければなりません。私達が信じる神は、悪霊みたいな雑神ではありません。来ながら見ると、南妙法蓮経教が建てられてあったのですが、私達が箱の中に座っている悪霊に仕える、そのような神ではありません。何の神様がボックスの中に入っているでしょうか。どこに行くところがなくて、神様が箱の中におられるでしょうか。霊で全世界を統治して、聖霊で私たちの中にいらっしゃるのです。それで礼拝を開始しながら '神様は霊であり、霊と真によって礼拝する'と言うのです。本当に幸運の中の幸いです。出エジプト3:14〜15に、自らある者だと話したと言いなさい。何だと約束されたか知っていますか。このわたしの名前が永遠な名前であり、代々に続く名前だと言われました。これを悟るならば、相当な祝福の門が開くはずです。
 
・詩23:3を見れば '御名のために、義の道に導かれる' と言われていて、ヨハネ1:12には '受け入れた人々、すなわち、その名を信じる者たちには'と言われています。時間がありません。全国、世界にいる私たちのメンバーが本当に祈りの答えを受けるべきです。3つのことを記憶しましょう。エホヴァという名前が、そのような名前ならば、創造主、自ら存在する者ということです。救われた者に、その名によって約束なさるのです。その方が、イエス様を送られたのですが、まさにその名前がまさにエホヴァの名前ということです。だから三位一体です。イエスの名前がインマヌエルと言います。そのイエスの名前を使えと言われています。
 
・すると、5節を見ましょう。 'まことに、神よ。あなたは私の誓いを聞き入れ、御名を恐れる者の受け継ぐ地を私に下さいました。' 主の名を恐れる者は、受け継ぐ地を得ます。この話は恐れるという話ではありません。とても重要に思って畏れる者です。7、8節を見れば '彼が、神の御前で、いつまでも王座に着いているようにしてください。恵みとまこととを彼に授け、彼を保つようにしてください。/こうして、私は、あなたの御名を、とこしえまでもほめ歌い、私の誓いを日ごとに果たしましょう。' 主の名を賛美、 5節には主の名を敬いなさい。学生、青年達が理解しなければなりません。話をとらえてぶるぶるふるえるのです。皆様が信じるエホヴァ、イエス、その御名は別の御名です。それならその御名を賛美しましょう。すると、保護されます。それも永遠に、また受け継ぐ地を得る者は、主を恐れる者だと言われました。
 
・今日、1時間だけ、30分だけ、主の御名を使ってみましょう。わたしの名前で求めなさい。そうすれば何んでも答えようとおっしゃいました。使徒3章に金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの御名で起きて歩きなさい。使徒16章にも、イエス・キリストの名前で命じる。汚れた霊に出て行けと言いました。ローマ10:13に、誰でも主の名前を呼ぶ者は恥にあわない。今日だけしてみましょう。他のことはするなということではなく、今日、一度してみましょう。聖餐に参加しながら祈りましょう。
 
・それとともに、とても重要な祈りをしましょう。第一に健康に対して祈りましょう。あらゆる病気、弱さ、暗闇、汚れが力は離れろと祈りましょう。今日、主イエスの名前で不信仰がみな崩れるように祈りましょう。特に、レムナントを押し倒す暗闇の力がみな崩れるように、実際に祈りましょう。ある日、あなたがたは、確認するようになるはずです。私にこういう答えがきたということか、と分かるようになります。そのような祝福を今日、味わうように願います。私は皆様に3つ告白することがあります。ひとつは、むかしに祈りの答えがありませんでした。祈ることもせず、表情だけ分かってしていました。教役者生活をしながらも、祈りの答えがありませんでした。祈りが何かを知らなかったのです。どのようにすべきかも知らなかったのです。ある日、私が知りました。霊的な事実を知ったのです。聖霊は実際に働かれる。そして、ある日知るようになりました。サタンは、確かにいるなと知るようになりました。ある日、私たちの目に見えなく、聖書を見ると、神様は聖霊で働かれ、主の使いを送ってくださって、まちがいなく祈る時、答えてくださることを知るようになりました。その時から、祈るようになって、答えを受けました。
 
・またひとつ体験したことがあります。 'イエスの御名で' 後ほど知ったのです。特別な人が病気を直すのだと思っていました。イエスの御名で祈るということをよく理解できなかったのです。ある日、私の心の中に、当たってきたのです。そうだ、ナザレの権威があるイエスの御名で。定刻の祈りと常時に祈ったら、多くの答えを受けました。そして 20個の戦略を体験するようになったのです。どれくらい驚くべきことなのか分かりません。三番目に証しすることがあります。この確信がない時は知らなかったのですが、確信を持って行ったのに、働きが起き始めました。だから、私は答えが他の人とは違って、ゆっくりとくるのです。ある人は祈りの答えが特別に来ると言うのですが、私はそうではありません。重ね重ねゆっくりずっときます。悪霊につかれた子どもに会ったのに、どのようにするかも分かりませんでした。ところが、私の心の中に当惑したのですが、疑いはありませんでした。この子どものためにイエスの御名で祈るべきだと考えたのです。それで、何度か説明して祈ったのに、よくなりました。はじめには、心に大きい確信はこなかったのです。そのようなあるのだなという気がしていました。ところが、驚くべき体験をずっとするようになりました。一度は、完全に変になった人が、祈ってイエスを受け入れたのに解決できませんでした。誰かのように祈ってくれば、倒れるべきなのに、なんの異常もなくて、より悪くなりました。私も人であるからに、瞬間的に思うのは、だめなのだなということでした。私たち教会を開拓し始めたばかりの時です。それでだめだなと思って家に帰りました。その時、私の頭にかすめた考えがありました。私は確かにイエスの御名で祈って、その相手の中にあった悪い霊をイエスの御名で縛る祈りをしました。それなら、イエスの御名で祈るこの祈りを霊的な事実だけでなく、神様も知っておられるはずです。帰ってくる時に、そのような気がしたのです。帰ってきてまた電話をしました。どうか、子どもはどうかとたずねました。私の心には、揺れていませんでしたが、電話したら、もう少しひどくなったと言われました。ずっと祈ったのです。ところが、驚くべきことに夜 7時頃になって、本人が言うのに、私はいったい柳光洙先生のためにだめだと言ったのです。私を困らせると言いました。私はずっと祈りだけしていたのです。この家にいることができないと言いました。その時から癒されたのです。驚くべきことです。驚きながら、その話を聞いて鳥肌が立つほどに衝撃を受けました。これが知らずにいるのと違い、私がずっと祈っていたことを理解するのです。だから、とても下品な話をしながら、牧師が私をずっと困らせて、私がこの家にずっといることができないと言ったということです。霊的な事実に対して目が開かれながら、これは只事ではないということを知るようになりました。
 
・私たち教会に一年あとで治癒された子どもがいるのですが、その子どもは、高1の時から精神が狂って、病院に出入りしていました。ところが、これがすることでないので、普通は大丈夫なのですが、発作が起きる時があり、発作だけすれば私の家に来るのです。いまは私が忙しくて回って、また警護員がいて止めるけれど、その時は否応なく来ました。来て話すのです。それから、私が移って、この教会に担任牧師できたのに、ここまで来ました。助けてくれと言いました。私がどのように助けることができるでしょうか。そのお母さんが助けてくれと、高等学校の時から、ああなったので、頼むから助けてくれと言いました。自分の家が大変なことになったと言いました。家中にみな毛布をひろげて、火をつけると言うそうです。対策があるでしょうか。ところが、私はこの子どもが生かされるという気がしたのです。私は、このような気がする所には、いのちをかけて訪ねます。後ほどは苦しかったのです。私がおかしな気がしたのですが、サタンがすることなのに、私が逃げて回って良いだろうか。神様、うるさくて仕方がないので、癒してくださいと言いました。それとともに、悪い霊がこのように人を困らせるのかという気がしたのです。祈る中に癒されました。これから正しい考えで、自分の家に住みながら、使命者になって、聞く話では教役者をしているということです。
 
・こういう部分がひとつずつ確認できたのです。皆様、おわかりの通り、私が影島にきて家があったでしょうか。教会にもなんにもありませんでした。私が皆様を知らないようにしたことがあります。影島を回りながら、夜明けに影島の中にどれくらい偶像が激しいでしょうか。この勢力を打ち破ってくださいと祈りました。ところが、今見ると、私たちの教会の中は問題ではありません。皆様ゆえに起きたみわざが外側でより起きました。今、中にはもちろんのこと、全世界にみわざが起きています。どうして確信がないのでしょうか。私は確信程度でなく、揺れる理由がないのです。
 
・私が30年現場に通って、この教会で15年現場に通って行ってみました。私たちはだめだと思っていたのですが、神様が背後に完壁に働かれました。だから、私たちは偶然だと考えたのに、必然的に神様が今までみな成し遂げられました。私はこれを皆様に本当に証ししたくて、この契約をレムナントが捕まえねばならないと考えます。主の御名。私たちに救いを下さったイエス・キリスト。そのインマヌエルの名前。これを今日すぐに使ってみましょう。
 
・今日、聖餐式に参加しましょう。その時の聖餐式とは違います。いまは完成されています。イエスの名前で。難しくする必要がなくて、病んでいる所に手を当てて、重要な問題を置いて祈りましょう。どれくらい重要な瞬間でしょうか。イエスの名前で、真に聖霊充満するように祈りましょう。今日、こういう祝福をあらゆる方達が味わうようになることをイエスの名前でお祈りします。難しいことも、大声を出すこともありません。イエスの名前で。明かりをつけようとするなら、電気のスイッチを単に上げればよいのです。皆様の家に水のタンクにみな入っているので、蛇口を開きさえすればよいのです。開くなら出てくるのに、変に踊って、走る必要はありません。開けばよいのです。神様の子どもが祈ることは、それほどやさしいのです。 問題は、どこで違いが生じるかというと、皆様がこの部分を知って体験したのか、そうでないかの差しかありません。私は誰が何と言っても、驚きもしません。知っているためです。イエス・キリストの御名の前に勝つ者はいません。主の御名の前に、強い者は何もないのです。それなら、その御名を下さった神様に、その御名で祈れるのです。特にその御名で霊的な勢力と戦うことができます。それなら今日、最も重要な聖餐式にその御名で祈って答え、癒されることをイエスの御名でお祈りします。祈る中に皆様の子どもに大きい祝福があることをお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝します。残った時間が重要な時間になるようにしてください。目に見えないけれど癒される時間になるようにしてください。天の祝福が臨む時間になるようにしてください。ヒゼキヤ、ダニエル、イザヤに臨んだ主の使いを送る時間になるようにしてください。ペテロ、パウロに送った主の使いを派遣してくださる時間になるようにしてください。マルコのタラッパンに臨んだ主の聖霊が臨む時間になるようにしてください。エペソで偶像が崩れたように、霊的な力が崩れる時間になるようにしてください。それで今後、残った生涯に、答えを受ける味わう時間があるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン