[2005.6.4 /ソウル核心要員メッセージ/ソウル・イエウォン教会/柳光洙牧師]


神様の人は何を持っているべきか?
(I列王13:11-19)


@序論:ダビデがレムナントを育てることができなかったために、ずっと困難がきました。私たちも契約として、このみことばをつかんでいます。世界的祝福を受けた方たちが任命されました。あの方たちが、10年後には、確かに70代となります。20年後には80代台となります。その時も、仕事を出来ないのではないのですが、変わります。いつか皆さんの教会と、この教会に後任者が立つでしょう。後任者が立つ時は、前任者の痕跡をなくさなければなりません。前任者の痕跡がある以上、後任者が仕事をできません。それで、前任者の痕跡をなくす時、伝道運動も共になくなるのです。これが時代ごとの失敗です。カルヴィンの後の人が、カルヴィンを継続しませんでした。私たちは忘れてしまわないように、記念を作って、記念資料を作りましょう。彼らがずっときてみることができるように、記念館を作りましょう。福音、キリスト、伝道が何か、見ることができるように作りましょう。それで、難しい目に遭うことがありません。伝道者、レムナントの皆さんが、記憶することがあります。私は、福音を分かりながら、これを理解しました。
* 慢性的な霊的問題-福音:多くの人々に慢性的な霊的問題があるということを分かりました。福音、みことばでなければ、解決できません。教会も、ここにみな関わっているのです。教会で、いつも争う教会があります。ところで詳しく見れば、生涯、争っています。それでは、その子ども達の信仰が崩れて、また争うのです。本当に、不思議です。家庭が崩れれば、みな崩れます。それで、霊的な世界が怖いのです。Ⅱテサロニケを見れば、惑わす霊だと言われています。惑わすという言葉は、何の話なのでしょうか? 皆さんを、しばしばこんがらかるようにさせて、道に迷うようにさせるのです。道に迷った人が迷子のようにさせるのです。慢性的な貧困も、霊的問題です。皆さんが重要だと思って、貧困に苦しむようにさせるのです。家庭をずっと崩します。これをレムナントもそうですが、皆さんが、はやく発見しなければならないのです。発見するようになる瞬間、みわざが起きます。私たちは、こういう部分を、事実見つめれば、すべてが持っているのですが、発見だけすれば、何のために神様がキリストを送られたのかがわかるようになります。この時から来る答え、我が家にこういう問題があるんだな! とわかると、福音も分かるのですが、その時から来る答えがあるのです。説教をずっと聞くのですが、みことばを捕まえることに失敗して、違うものを捕まえてしまうのです。
* みことばを捕まえるべきです。それでここにきて、それで礼拝をささげにくるのです。そうでなければ、ここに来たり、礼拝を捧げる意味がありません。大部分の人が説教を多く聞きます。しかし、みことばを捕まえることを知りません。そうするならば、ここに来る必要がないのです。聖日に一生懸命に礼拝堂に行く必要がありません。

1.できごと:少し何かに出会っても、福音をのがして、みことばをのがすのです。
(1)インマヌエル:判断する時、一番大切なことは、インマヌエルを持って事実で判断することです。けんかをしても、あなたがなぜそうなのかと思うより、神様がなぜそうなのか? なぜこういう問題なのか? ではなく、神様が何のみこころでなさるのだろうか? というように、単語が変わるのです。
(2)状況-計画:状況に会えば、神様の計画が見えます。こういうものを発見しなければなりません。
困難がくれば
(3)ピリピ4:6-7:何も心配せずに、感謝して神様に申し上げましょう。何も心配しないで、私たちには問題がくれば、祈りの課題なのです。そうすれば、すべてにまさる神様の平安が心と思いを守ってくださいます。私は、こういうメッセージを与えました。ダニエルに見たら、レムナントの知恵は、博士、呪術師を合わせたより優れるのです。昨日、朝起きてこういう祈りをしました。今までの選手たち、ペレ、マラドーナ、ロナルド、ジダン、ベッカムを合わせた知恵を、ジュヨンに求めて祈りました。昨日、みんなが見たでしょうがが、サッカーで韓国が負けそうだと思ったのです。韓国が負けるようになれば、ジュヨンにとって、普通の問題ではありません。祈りが出てきました。選手たちは、大部分がとても暑くて、よくできなかったのです。しかし、他の人は普通に追いかけて行くのに、ジュヨンは待ってボールを蹴ります。レムナントには暑さも関係ないのです。それで、すべての問題は、祈りの課題です。葛藤ができる時、葛藤がくれば、使徒16:6-10のみことばのように、更新する絶好の機会です。
(4)使徒16:6-10:これを分かれば、すべての家庭の問題が解決されます。生きているみことばです。みことばの大きい答えを味わう時間になることを希望します。みことばをつかんでいれば、全部、答えでくるのです。私たちの教会の経済が崩れたんだなあ、この暗闇が経済をすべて持って行って、私たちはたくさん押さえられているということを知るようになります。それを悟ったのです。それで、私たちのタラッパンは、世界福音化の祝福を受けました。あのように家が多いのに、教会堂もなくて、家もなくて、なぜそうでしょうか? それも一度祈って、答えを受けました。その時、悟ったのです。あなたは選ばれた種族、聖なる国民だから、前もって福音のために準備されました。あなたは王である祭司、私が王だと言われたのですが、王が家もなくて暮らしていたのです。それで、私が車に乗って影島の土地を買いに通ったのでした。お金は一銭もなかったのですが、神様が土地もくださって、場所もくださって、皆くださいました。皆さんが持った霊的問題は、通常の問題ではありません。悟った瞬間、Iヨハネ3:8悪魔のしわざを滅ぼされます。皆さんの教会が低迷する、それも霊的問題です。悪い霊がすることです。皆さんの教会を沈滞させて、変にさせるのです。祈りで始めることを望みます。それで終わります。
2.人間関係 マルコ3;15悪霊を追い出す権威を与えられました。それで簡単なのです。この時から、神様のみことばがずっと心にぶつかってきます。人間関係で問題がくる。そうではないのです。人間関係で新しい目が開かれます。
(1)霊的事実:失敗した人、難しい人を見れば、嫌うのではなく、霊的事実が見られます。皆さんの夫が本当に変なのでしょうか?皆さんが霊的事実を見られなかったのです。だから、記憶しなければなりません。ここに今、娘さんたちが多くいますが、皆さんの信仰が心配です。皆さんが福音を受けて、結婚して、困難がきて、夫が変ならば、はやく霊的事実を見なければなりません。そうでなければ、未信者のような対処をしなければならないのです。それでは、大きい失敗が待っています。それよりさらに重要なのは、福音で勝利できなくて、律法の前に立つのです。それが問題です。私は、米国に行った時、信徒が試みにあったことが問題ではなく、この人が信仰生活をしないのが問題だと思いました。教会が変だというのですが、この人たちが福音を捕まえないで、律法を捕まえるのが失敗することなのです。それでは、やられてしまうのは、時間の問題です。
(2)理解(立場):必ず記憶しなければなりません。このようになるしかない人がいるんだな、それでこそ、多くの人が理解できるのです。長老は、特に悟らなければなりません。多くの人々の立場を見れば、全部、霊的な問題と連結しているのです。それを知らずにすれば、どれほど多くの傷を与えるのかわかりません。必ず記憶しなければなりません。教会での仕事も同じです。こういう目を開いて見れば、皆さんの教会がどれくらい大切かわかりません。仕事よりも大切なのが、神様の願いです。これを分かったら、試みにあうことがありません。

3.教会で試みにあうことが、全部、序論です。
これを分かったら、皆さんの教会がどれくらい大切なのかをわかるようになります。これを分かったら、皆さんの献身も次元が違います。
(1)暗闇:皆さんがする献身は暗闇が崩れるのです。
(2)献金:福音を持った者の献金は、大きい祝福を受ける門を開けるのです。王である祭司です。すべてが備えられているのです。その備えられた祝福の門をあけるのが献金です。多くの方たちは、霊的な目が開かなくて、宣教するのを支出だと思います。それは、この目が開かれないからです。宣教献金をたくさん出せば、暗闇が崩れるのです。それで、霊的な祝福が回ってくるのです。この目が開かないから、夫も恨んで、妻も恨むのです。親も恨むのです。この目が開かないのです。開かれないだけならば大丈夫ですが、今、本文に出ている目にあうのです。こういう失敗にあわないように願います。慢性的なものということは、解決しないのです。我が家がなぜこうなるのだろうか? これを皆さんが悟れば、みことばがみな生きるのです。それで、教会も違うように見られるのです。事実は、牧師が動くのは、訪問に行くのではなく、暗闇の勢力がみな逃げることです。それで、これを悟った牧師の訪問が重要なのです。これを悟った人が、伝道キャンプに行けば、キャンプに行く地域の暗闇の勢力がみな逃げるのです。実が問題ではなく、これがさらに重要なのです。これを悟ったレムナントが起きれば、暗闇の勢力は時代的に逃げるのです。本当に伝道者に神様の祝福があることを望みます。私が分かることでは、この目が開けば、みな開かれます。私は福音を分かる前に、この目が開かなくて、祈る理由を知りませんでした。私は教会に祈りに行って、静かに座っていたのです。福音も知らずに、徹夜礼拝すると大声で叫ぶのを、そばで静かに座って見物だけしていたのでした。

4.世の中
この時から皆さんに、それから世の中を見る目も開かれるのです。世の中がなぜ成功するかを知るようになります。そして、なぜ失敗するのかも知るようになります。世の中を見る目が開けば、偶像崇拝するのに、なぜ成功するのかもわかるようになります。それで、いつ崩れるのかもわかるようになります。こういう目が開くのです。みことばが生きてぶつかってくるのです。それで、正常な人がこのイエウォン教会に入ってくる時、世界宣教の歴史を見せるべきです。そのような中で、今日の祝福が何でしょうか? 私の教会、個人、家系にある慢性的な霊的問題が崩れる日です。なぜこの子どもたちを歩くようにするのか分かるでしょうか? 今日、青少年に根気がありません。現代人が、耐えることができないのです。今日、知識人も待つことができないのです。それで初めからここまで、韓国全体を歩けと言ったのです。私らなりのルールがあります。中間に必ず逃げる子どもがいるのですが、つかんで、一緒に歩かなければならないのです。しかし、今回は、知らせを聞かなかったのですが、以前は中間に逃げる子どもがいました。初めから最後までみな歩くようにするのです。今日、重要な答がみな出てきました。皆さんが福音を本当に分かったら、霊的な目が開いて、その時から、みことばが生きて働くのです。それで、礼拝を十回ささげれば、十回祝福を受けます。何の話なのか分かるでしょうか? 今日、神様の祝福を受けることを望みます。今日の本文を読んで、アーメンと言ったのでしょうが、本当にこうしたことは起きてはいけないのです。
@本論

1.時代的事実
なぜなら、神様の人は時代ごとに起きる正確な事実を見ることができなければならないためです。
(1)預言者:みことばをずっと受ければ、これが見られます。それで、私たちは祈りの答えが新しくなるのです。みことばを持ったイスラエルの民が、福音をのがして、選民思想、律法主義、伝統主義に陥って、預言者を殺したのです。しかし、神様の人で、これをわかる人々が出てきたのです。これのために世界が生かされたのです。
(2)初代教会:歴史を見ましょう。聖書を持ったパリサイ人などが、キリストを拒否して、聖徒を殺したのです。この時、初代教会が出てきたのです。目が開かれなければなりません。タラッパンをしない牧師たちに、メッセージでお願いします。どの教団にいても良いのです。神様の前に立つことを望みます。福音の前に立つことを望みます。そうでなければ、皆さんの人生の最後が大変です。教団には仕えるのですが、信仰の対象ではありません。それで、タラッパンがどうだという以前に、神様の前に立つように願います。そうでなければ、本人の人生に困難がくるでしょう。ソロモンの家、ヤロブアムの家、レハブアムの家に起きた問題がくるということです。その証拠を見ましょう。
(3)改革者:教会がルター、カルヴィンのような人に異端の汚名をかぶせて処刑したのです。この時、起きた少数の人が改革者です。歴史をよく見ましょう。
(4)18-20世紀,伝道者:18世紀、19世紀の人々が、ウエスレイやムーディーのような人々を難しくさせました。しかし、18,19,20世紀に伝道者が起きたため、レムナントが起き始めたのです。
(5)多元論:今、世界教会の80%が、聖書の誤りを主張して、多元論を主張しています。多元論という言葉は、みな救われる、宗教は同じだということです。この時、神様が貴重な皆さんを立て起こしたということです。その証拠で、レムナントが起きているのです。よく見ると、毎日来る答えの中の一つです。これから、レムナントを通じて驚くことが起きるでしょう。本当に答えを受ける日になるように願います。個人にある霊的な問題が、完全に崩れる日になることを希望します。

2.神様の人
神様の人が持たなければなりません。今日、預言者1人が失敗をしました。王に戦うなと要請をして戻りました。その時は、断食して、何も食べるなとみな話したのですが、老いた預言者の話を聞いて接待を受けたのです。後に読んでみれば、道を行くときに死にました。こういう不祥事がずっと起きるのです。契約を一度のがせば、戻ってくる霊的問題を防ぐ方法がありません。
(1)物質中心:ここで神様の人が記憶すべきことがあります。私たちは、全てのものを味わうことができますが、物質中心になってはいけないのです。もてなしを受けるのが好きではいけません。これが何でそんなに重要なのかと言うでしょうが、時代的な背景的に見る時、重要です。
(2)人の話中心:私たちは、すべての人を受容して、仕えて、みなしなければならないのですが、人の話を重視してはいけません。だから、この難しい時期に、預言者がまた仕損じたのです。
(3)みことば中心:神様の人は、神様のみことばを持っていなければなりません。物質中心になってもだめで、人の話中心になってもだめです。人を理解するが、私たちはみことば中心にならなければなりません。これは、記憶しなければなりません。本文のメッセージがそのようなことです。普通に見えますが、そうではありません。とても重要です。一時代に世界福音化する人は、物質中心ではありません。人中心でもありません。みことば中心です。私はたくさん見ました。タラッパン運動を公式に15年しました。そして、個人的にも15年しました。ところで私はこれをたくさん見たのです。人々はほとんど物質中心です。これをしながら、神様より物質中心にしながらだますのです。何人かを見ました。その人がみな崩れるのです。どの程度、崩れるかというと、子どもを連れて生きる部屋がないほど崩れます。この前に私を訪ねてきました。他の何の条件もなしで、ご飯を食べられないで、子どもを学校を送ることができなくてきたというので、私の生涯で初めて‘no'と言いました。神様のみこころがそうであるから、子ども学校に送らないでと言いました。そして、これから私を訪ねてこないでくれと言いました。みな崩れるのです。そして、重職者などは注意しなければなりません。お金をむやみに使ってはいけないのですが、お金をとても惜しみながら人を救えば、危険です。充実にしないということでなく、物質中心に行ってはいけないということです。これを超越して動かなければなりません。これをコントロールすべきで、ついて行ってはいけないのです。レムナントが、お金をむやみに使うことを学んではいけなくて、お金中心に生きるということを学んではいけません。私たちにはとても大きい教訓です。すべての人を理解して、赦して、みなしても、人の話中心にせずに、神様の話中心にすれば、まちがいなく成功します。記憶しましょう。

3.責任
神様の人は、神様が完全に責任を負われます。絶対に心配しないで。
(1)福音:福音を理解した人は、神様は完全に責任を負われます。福音を持った人を神様が責任を負われるのです。創世記1:2暗闇、混とん、空虚これを生かすところが福音なので、これを知っている人は、神様が責任を負われます。創世記3:5原罪、創世記6:5ネフィリムを知っている人を神様が責任を負われます。心配しないで。しばしば話すのですが、これからレムナントを通してどんなことが起きるかを見てください。今、そのような程度ではありません。私たちがしばしば話をしながら、上手だからパク・ジュヨン1人を言うのですが、その下に上手な子どもたちも、私たちのメンバーです。今、青少年の中で名前が出ないからですが、ハン・ジェガン、アン・ジェジュン、イ・スンヒョンのような子も私たちのメンバーです。イ・スンヒョンという選手は、自分のお母さんが仏教信者なので、祈らないでくれと言ったのです。そして、この子は、完全に福音を受けて、お母さんに自分のために祈るなら、本当にイエスを信じてくださいと言ったのです。それで、そのお母さんがイエスを受け入れました。私は驚いたのですが、この子たちは、十分の一献金も出します。私は、十分の一献金に驚く者ではありません。しかし、この子たちが、何かを思っているということです。福音持った者を、神様が完全に責任を負われます。
(2)伝道、宣教:皆さんが伝道と宣教を理解すれば、神様は完全に責任を負われます。今、とても重要なローマ16:25-27節が伝道というものです。伝道とは何でしょうか? 神様が世々に渡って長い間、隠されていた事実を表わすのが伝道です。伝道は、押さえられた者を救い出すのが伝道です。使徒10:38節です。伝道は、神様の時刻表の中に入ることです。使徒13:48です。聖書を詳しく見ましょう。これが分かれば、神様が完全に責任を負われるのです。
(3)弟子:これを悟った人を弟子と言います。
(4)教会:これを悟った教会は、世界を生かすのです。今日、霊的な目を大きく開いて行くことを望みます。今、行く所ごとに皆さんが霊的な問題が見えるべきです。日本に行っても、霊的な問題が見えるべきです。さらに重要なのは、皆さんにある慢性的な霊的問題が崩れることを望みます。この霊的存在が絶妙なので、私たちを攻撃するのです。
@聖書:この聖書みことばの中に全てのものが全部入っています。この中に、教会復興と事業の復興が全部入っているのです。それで、今日、このみことばが皆さんに生きて働くことを希望します。今日、貴重な契約のみことばが、皆さんのものになることを望みます。

・ヘブル4:12:それで、私はこのみことばを捕まえる時、これが神様のみことばだと捕まえたのですが、時間が経ちながら、ずっと答えが来たのです。私は先週の献身礼拝の時にこういう話をしました。私は、福音を分からず、教会に通う理由を分からず、通わないでほろびたのです。今でも、自分の性分はけんかをする性分ではありません。我が家で、うちの母が戦うのを見たことがありません。しかし、私は福音がなくて狂って、毎日、けんかをして回りました。けんかが上手であったのでもありません。人が狂ったのでした。今、考えれば、私がなぜそうだったのかわかりません。幸いに、チョ・ウンテク牧師がいつもけんかを止めてくれたのでした。どの程度に狂ったかというと、けんかする所がなければ、訪ねて行きました。狂っていたのです。そして、一度は、私たちの村には、グループが群れをつくって行き来しているのがありました。町中を騒々しくするのです。そこで、私のいとこの弟を殴ったのでした。自分の趣味が変なのか、夜に訪ねて行きました。昼間にはグループがいるのでだめだったので、夜に訪ねて行ったのです。そして、出てこいと言いました。他のことのためではなく、けんかが強いと聞いたので確認しにきたと言いました。だから、この人があきれたようでした。そのような形で、毎日、けんかをして通ったのです。ある日、私が福音を悟ったのでした。私が完全に狂ったんだなあ。これが私の霊的問題で、完全に暗闇に捕われていたのだということを分かったのです。それで聖書で一番気が晴れたのが‘神様の子が現れたことは、悪魔の仕事を滅ぼすためです’,だから、私の戦う体質にぴったり合うのです。たたき壊されるので。初めにはそのように悟ったのです。しかし、時間が過ぎながら、神様のみことばが一つずつ生きて働きながら、全部、答えがき始めたのです。ある日、私はレムナントという単語を捕まえました。答えがき始めたのです。ある日、産業宣教という言葉を捕まえたのですが、全世界に広まっていき始めたのです。みことばは、今でもそのまま成就するのが始まるのです。この祝福が臨むことを希望します。話を終えます。なぜこうしたことが行われたのでしょうか?ダビデがレムナントを育てることができませんでした。ソロモンがレムナントを育てることができなかったのです。私は約束します。今日、ここに時代的な答えを受けた皆さんが、時代的な答えを受けなければならないのです。皆さんが一時代に歴史に残る答えを受けなければなりません。ここに参加した者に、神様の祝福があるでしょう。今日、横の人、主のしもべに、世界的な祝福を受けた皆さんに、レムナントを生かそうと話しましょう。

-要約-
<神様の人は何を持っているべきか? (I列王13:11-19) >
1.神様の人は、時代ごとに起きた正確な事実を見なければなりません。
(1)みことばを持ったイスラエルが、福音をのがして、選民思想、律法主義、正統主義をしながら、多くの預言者を殺しました。
(2)聖書を持ったパリサイ人、律法学者、レビ人が、キリストを拒否して、聖徒を殺害しました。
(3)復興した教会が、改革者ルター、カルヴィンに異端の汚名を着せて、従う者たちを処刑しました。
(4)ヨーロッパと米国の正統派の教会が、ウェズリー、ミルズ、キップリング、ムーディー、ブースの伝道運動を防ぎました。
(5)世界教会の80%以上が、聖書の誤りを主張しながら、多元論を主張しています。
* 今、世界には、どんな霊的問題が来ていますか?
2.神様の人が持たなければならないことは何でしょうか?
(1)全てのものを味わうことができるのですが、物質中心の人生になっては失敗します。(I列王13:11-17)
(2)すべての人を受け入れ、仕え、理解して、許すのですが、人の話を中心に置いて生きれば失敗します。
(I列王13:18-19)
(3)神様の人は、神様のみことばを持っていなければなりません。(I列王13:19-32)
3.神様の人は、神様が完全に責任を負われます。
(1)福音を理解した人(創世記1:2,創世記3:5,創世記6:5,創世記11:1-8)
(2)伝道、宣教を理解した人
①創世記1:3、創世記3:15、創世記6:14、創世記12:1-9
②ローマ16:25-27
③使徒10:38、使徒13:48、使徒27:24、使徒28:30-31
(3)弟子を理解した人(マタイ28:16-20)
(4)教会を理解した人(使徒2:1-47)