[2006.7.22 /核心要員メッセージ/ソウル・イエウォン教会/柳光洙牧師]


RUTCを通して,神様のみことばを回復しよう
(使徒17:1-9)

@序論
◇神様のみことば:パウロは、RUTCがなくて会堂に行きました。これがRUTCの開始であったし、ここで神様のみことばを回復する運動を始めたのです。今日の本文のみことばの中で3節に‘説明し、また論証して’この話は、聖書のみことばを解いたということです。ここで福音を宣べ伝えました。私たちが、まず記憶しなければならないことがあります。私たちが本当に神様のみことばをどのように受けるかによって変わるのです。ほとんど神様のみことばは、私たちの立場に合わないこともあります。40代のモーセを呼ばれずに、80代のモーセを呼ばれました。まちがいなく、私たちならばできないと言うでしょうに、神様はこのようにもされるのです。初めに、モーセは拒否しました。パロ王のところに行って、イスラエルの民を連れ出しなさいと言われました。私たちの言葉で言うと、話にもならないことなのに、神様が命令されたのです。モーセは、この言葉に従順にできませんでした。ややもすれば、私たちの信仰なのかも知れません。従順にした時、すばらしいことが準備されていました。RUTCを作ると言ったら、一番最初に献金した人がタラッパンメンバーではありませんでした。タラッパンをしない教会のおばあさんが献金したのです。献金が問題ではありません。メッセージが出たら、すぐに献金したのです。本当に神様のみことばを受けるのに、これくらい差があるということが分かりました。タラッパンメンバーの中の事業家がこのようにすれば当然でしょうが、全く私たちのタラッパンメンバーでもありませんでした。そこで言うのに、牧師先生のメッセージ聞いて、恵まれて生かされるという言葉を言いました。その言葉だけ伝えて行ったのです。今週に済州道に行ってきました。新しい家族が済州市に大きいビルディングを作って一階を私たちに出してくれたのです。その建物を見てきたのです。郊外でもなくて、市内の真中です。私たちのレムナントに使えと貸すのではなく、単にくれるということでした。新しい家族がこのように献身するのを見ました。祝福を受ける人の特徴は、みことばを正しく受けることです。一番重要なのは、私たちが仕事をよくすると、みことばをのがしやすいのです。恵みをのがしやすいのです。それでは、とても困ります。私たちのタラッパンは、色々な仕事が多くあるほうです。仕事が多い時、メッセージよくつかんで恵みを受けなければなりません。特に、役員はいろいろな仕事をよくすべきなのですが、本当に混乱するほど仕事が多いのです。RUTC、建築、宣教など、気が動転します。私たちがこのように混乱するのではなく、神様がそのようにして下さるのです。神様が、わたしが紅海を分けるから入れと言われました。エリコを倒せと言われたのではなく、回りさえすれば崩れると言われたのです。役員が、やや下手すると、みことばをのがすようになります。一番重要なのは、牧師の家族です。牧師の家族が一番みことばをのがしやすいのです。ある時に風邪になりました。すると、米国から電話がきたのですが、人づてに風邪に良いから召し上がってくださいと言って何かを送ってくれたのです。米国で人づてに送られてきたのです。電話したのでもなかったのですが、説教を聞いて風邪を引いたのを聞いたのです。ところで、これが珍しい食べ物だったのですが、それを食べたら、効果が出ました。最近にも風邪ひいたのですが、風邪薬を飲まないで、それを食べたら良くなったのです。その薬が何かというのは、宣伝になるかと思うので、話すことはできません。この話をしようとするのではなく、風邪を引いた時、私の娘と電話で話したのです。娘と話す中で‘パパ、風邪を引いたのね’と言ったのです。私の娘は、メッセージを聞かないでいるということです。深刻だと考えました。私たちのメンバーは、メッセージを聞いてすぐに風邪薬を送るのに、私の家族が私のメッセージを聞かないことが分かったのです。大変なことになったと考えました。私たちがやや下手すると、役員、牧師の家族が、牧師をよく知らなくなります。単純に、仕えている教会の長、夫だと見るのは、失敗の中の失敗です。これと何の関係もなく、神様がみことばを聞かせられるのには、目的があります。私たちがみことばをのがせば大変なことです。みことばをのがせば、役員、家族だけでなく、説教者自身も大変なことです。それで、私の場合には、説教をしにくる時、常に祈ることがあります。‘今日現れるメッセージが、最も私に恵みになるように、お手伝いする私が生かされるようにさせて下さい’このように祈ります。サタンは他のことではありません。みことばだけ奪い取ればみな奪えるのです。他のことを話してメッセージをのがすのです。私たちの親、長老がどうだと言って、みことばをみなのがすのです。
(1)サタンに勝てない。
△終わったのに、存在するのがサタンです。終わったのに、存在しています。それで、聖書にイエス様がずっと戦えと言われたのです。それで、勝てる権威をくださると言われました。一番注意しなければなりません。
①創世記3:1-5悪魔がみことばを取って行きました。神様が食べてはならないと言われたのに、それを取って行ったのです。大丈夫だと言いました。これを食べれば目が開くと言ったのです。このように、神様がくださったみことばを悪魔が取って行きました。
②マタイ4:1-10イエス様は、サタンにみことばで勝たれました。
③使徒10:38救われることができない人を、悪魔に制せられた者だと言われました。イエス様が、このようにおっしゃったのです。それで、この悪魔に勝ててこそ、伝道も可能なのです。それでは、この悪魔に勝つのは方法は、みことばを持って勝てるのです。それで、みことばをよく捕まえなければなりません。
(2)神様のみことばには約束があります。
何の約束なのでしょうか。この約束をのがしてはいけないのです。
①救いをくださるという約束です。確かにわたしの話を聞いて信じる者は永遠のいのちを得て、さばきに会うことがなく、死からいのちの移っているのです。とても重要です。(ヨハネ5:24)
②霊的な約束がある。すばらしいこの約束を捕まえさえすればよいのです。(Iヨハネ3:8)悪魔のしわざをうち壊す。お金を与えて、ご飯も買って食べるのに、これがどれくらいすごいことなのでしょうか。勉強して留学も行くのに、これがどれくらいすごいことなのでしょうか。勉強して良いことを得ようと努力するのに、このものすごい祝福をのがすのでしょうか。
③神様がみことばを持って導くと言われました。みことばにいのちをかけて聞くのか、適当に聞くのか、聞かないか、すごく大きな差です。私たちの牧師の説教がどうだと言う以前に、いのちをかけて聞く人一人だけいれば、牧師に神様がみことばをくださいます。説教を聞く人が重要です。説教する人も重要ですが、聞く人がさらに重要です。お客さんが食堂で何を注文するかによって、コック長が重要になるのです。お客さんがジャージャー麺だけを注文すれば、それしかできなくなります。神様がみことばで私たちを導かれるのです。Iコリント10:13耐えられる試験だけ与えられると言われました。避ける道もくださって勝利するようにさせられると言われています。箴言3:5-6すべてのことに主を認めなさい。そうすれば、あなたの道を導かれます。すべてのことにどのように認めるのでしょうか。みことばについて行けば、その道を導かれるということです。聖書は、神様のみことばであるから、違う話をする国はみな滅びました。処女がどのように子どもを産むのかという神学も出てきていますが、こういう話をする人はみな滅びたのです。米国の大統領1人が学校で聖書を教えること禁じると言いました。この大統領は、カトリック信者でした。結局、銃に打たれて死にました。偶然だと思いません。それがケネディ大統領です。聖書を教えることができないようにしたのです。カトリックと私たちの差異点です。教会で聖書を編集したので、教会がみことばの上だと話すのがカトリックです。しかし、プロテスタントは、教会を治められる上は神様のみことばです。これが決定的なカトリックとプロテスタントの差異点です。このような話、あのような話をする人はみな滅びました。ひょっとして、カトリックの人がメッセージを聞いているかもしれませんが、気分が悪いと思わずに、世界旅行をしながらカトリックを一度見てみてください。切なる祈り出てきます。変えようが、なくなるか、なにかすべきで、切なる祈りが出てくるほどです。現場を正確に見れば良いのです。みことばを奪われれば、みな奪われるのです。詩32:8にこういうみことばがあります。‘わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。’それで、みことばだけ捕まえれば、道も見えるということです。それなら簡単です。占いのように信じるのではなく、神様の民が集まった所に神様がみことばをくださるということです。明日から役員が教会に行ったら、説教を聞いて命をかけるという覚悟をするように望みます。働きが起きます。もし説教を聖書にないことを言えばどうなるでしょうか。ソウルの大きい教会の週報を見ました。説教のタイトルが‘三一節運動の意義’でした。最初、日本の侵略がどうかという内容が出てきていました。先週、説教の要旨が書いてありました。何々合唱団を観覧して、合唱団員が指揮者だけ見ているのを見て、それで牧師を見なければならない。全部の声を一緒に出していた。それで一つになれと言っていました。コーラスを出していました。自分の声を合わせて出すというものでした。ここには幸いにも、アーメンする人はいません。そのような説教をする時、命をかける必要はありません。しかし、神様のみことばならば、命をかける時、働かれます。
(3)神様がみことばを与えられる重要な鍵があります。
①私たちは絶対にだめだから、真の王なるキリストを送られるという約束です。
②王の民はまさに聖徒です。
③この世を生きる間、神様の国を成し遂げて天国に行くという事実です。これが聖書のメッセージです。皆さんの中で、悩みがある人はいるでしょうか。あるでしょう。その程度でなく、苦しいことはないでしょうか。そうでなければ、狂いそうな人はいませんか。憎しみがこみ上がってきて難しいことはないでしょうか。なぜそうなのでしょうか。解決は良くできないでしょう。なぜならば、原因を知らないためです。
△‘霊的問題’を知らないためです。霊的問題は目に見えないのです。私たちは目に見えるうわべだけ持って戦うから、解決にならないのです。いくらしても解決できません。永遠に解決できないのです。ずっとうわべを捕まえるためです。伝道、祈りも、みなうわべを捕まえています。目に見えない本物の原因があるのです。これを捕まえてこそ、解決できるのです。最も大きい原因、創世記3章に始まって、2番目の原因は、私たち自らの多くの背景の中にあって、三番目の原因は、霊的に現実問題にぶつかっているという事実です。これを置いておいて、みなうわべだけ捕まえているのです。夫が霊的問題があるのに、しばしば早く帰ってきなさいとだけ言えば、さらに遅く帰りたいと思います。早く帰ってという人を見たくないからです。ずっと目に見えない部分を難しくさせるためです。それで、全世界は問題がくるのです。霊的問題は、簡単な話ではありません。悟りさえすれば、神様の国が臨むでしょう。
(4)この時から、神様の恵みが続けて見えるようになります。こうすれば生きるのです。
①Ⅱペテロ1:21このみことばは、人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
②Iコリント2:14生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
③ヘブル5:13まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。神様の生きているみことばを経験すれば、ずっと恵みがあふれます。
④ピリピ2:16命のみことばを明らかにして,私たちの駆け足とご苦労が無駄にならないようにするためだと。
⑤ヘブル4:12みことばは、少なくとも5ヶ所を癒します。霊を癒して、たましいを癒して、私たちの関節と骨髄、心の考えを癒すのです。
△今日から変えることを望みます。牧師も変えましょう。説教しに行くのではなく、主のみことばを代わりに語りに行くのです。このように考えなければ、大変なことになります。‘主よ。私に先に恵みを与えて下さい。成就するみことばを与えて下さい、一般信徒が命かけるメッセージを与えて下さい。’聞いてもよくて、聞かなくてもよいメッセージを何をしに聞くのでしょうか。必ず聞かなければならない命のメッセージを求めて祈らなければなりません。講壇、訓練、核心等を通して、ずっと流れるメッセージを聞かなければならないのです。神様のみことばは生かすみことばです。

1.ユダヤ人は神様みことばを聞きませんでした。
(1)マタイ16:13-20ユダヤ人が植民地になりました。私たちがなぜ信じないのでしょうか。信じたのです。しかし、誤って信じました。エリヤ、バプテスマのヨハネ、預言者このように信じたのです。ユダヤ人は、キリストを待っていたのではなく、エリヤのような信仰、モーセのような信仰、預言者のような信仰を待ったのです。私たちがこういう信仰をしています。国家を助ける国家主義者を待っているのは、メシヤを待っているのではありません。
(2)マタイ17:1-9
(3)マタイ28:1-5,16-20聖書のとおりイエス様が復活されたのに信じませんでした。
(4)マタイ24:1-25:46終わりの時、教会に対する預言をされたのに信じませんでした。
(5)Ⅱテモテ31:-13終わりの時、苦しみがくると言われても信じませんでした。
(6)黙示1:1-3確かに成就するみことばをくださったのに信じませんでした。

2.世界教会がみことば信じれば生き返るのに信じませんでした。
(1)体質のとおり(コロサイ1:8-9)大部分のクリスチャンが、信じるように見られるのですが、体質のとおりに信じるのです。事実、私たちは私たちの基準のとおり信じます。勇気のある果敢な人であるほど、判断できなければならないのに、行くのです。コロサイ1:8-9これが策略でもあります。みことばのとおり信じないで、体質のとおり信じるのです。
(2)毎日、神様がどのように働かれるかも分からないのに、私たちは先入観を持っています。(ヨハネ3:1-8)ニコデモのような人は先入観を持っています。教会に対する先入観、多くの律法、功労で救われると思って、先入観を持っているのです。
(3)教理を優先(ローマ1:16-17)教理のとおり信じるのです。
(4)偏狭な受け入れ(使徒11:1-18)多くの教権が偏狭に信じています。サタンの話をすると異端に追い立てます。聖書のとおり信じなくて問題がくるのです。
(5)生きているみことば体験の失敗(ヘブル4:12)神様が実際に生きておられるのに失敗するのです。神様はみことばは生きて力があるのに、そのまま信じません。
△こういうもののために、事実上、神様のみことばを信じないのです。よく信じるように見られるのですが、体質、先入観、教理偏狭、失敗、体験のとおり信じるのです。伝道運動をしてみると、みことばが生きていることを感じるのですが、そうでなければ全く感じられません。

3.みことばのとおり信じれば必ず答え、みことばの中に全てが回復
(1)マタイ16:13-20、マルコ3:13-15,使徒1:1-8 (救い) “あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。” “あなたは生ける神の御子キリストです”キリストなしでは霊的問題は解決できません。それなら、皆さんが霊的な目を開いて神様のみことばを捕まえなければなりません。創世記3章の問題は、私たちの人間にあった問題だから知らずにいるのです。創世記6章の問題も今、続いています。創世記11章、そのうえに、私たちが生きてきた背景があるのです。経済でだます人は、幼い時からの習慣のためです。後ほど霊的問題と会って詐欺師になります。それまでの背景があるからです。これを解決しようとしないで、サタンの働きを知らずにうわべだけ解決しようとするから、日が進むにつれ難しくなるのです。うわべに目を開くから、人も嫌になります。うわべを見るから、ねたみも出てくるのです。中の原因を正しく知るその人が救われた人です。聖書にはそうなっています。救われたか、救われていないかを分かろうとするなら、私がここから抜け出したので、ここにいる人が憎いのではなく哀れになるのです。それでこそ、祈りが出てきます。それで、あなたはペテロです。この岩の上にわたしの教会をたてます。ハデスの門もあなたに打ち勝てません。鍵を与えます。それで、初めからあなたがたとともにいるため、出て行って伝道もして悪霊も追い出すためだと。ソウルを見れば、教会を利用しようとする人も多いのです。建築のお金の問題のためにけんかもします。教会にきてこういう祝福を受けなければならないのに、利益を得ようするのです。一瞬にこのようになったのではなく、幼い時からの背景のためです。これらが積もって霊的問題に引っかかるのです。祈らなければなりません。悪霊を追い出すためだと、イエス様がこのみことばをなぜ言われたのでしょうか。それで、聖霊充満を受ければ力を受けると言われたのです。
(2)使徒2:1-47,使徒11:19,ローマ16:1-27 (教会)
神様のみことばを捕まえれば、教会にどんな答えが起きるのでしょうか。マルコのタラッパンに起きた5つの答え、アンテオケに現れた力の答え、ローマ16章に起きた共同体の答えがそのまま起きます。この時から、みことばが成就するのです。
(3)使徒9:15,使徒19:21,使徒23:11,使徒27:24 (共同体)
私が答えを受けて、教会が答えを受ければ、共同体の答えは当然です。私が答えを受けることができなくて違った道に行くのに、どのように教会を生かして暗闇に勝つのでしょうか。
@結論:RUTCの奇跡
私たちはこの答えを受けなければなりません。これをする間、モーセの奇跡、サムエルの奇跡、エリシャの奇跡、イザヤのみわざが起きるでしょう。まさに今日、パウロに起きたみわざが起きるでしょう。
(1)ヨハネ21:15-18小羊を飼いなさい。
(2)パウロ
(3)世界を生かす答え
(4)使徒17:1-9みことばが正しく働くから、貴婦人、ギリシヤ人が戻ってきました。ところで、不思議な話、世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいますと言う人もいました。パウロを見て、問題を起こして、世界中を騒がせて来た者たちだと言いました。逆に話しているのです。そして告発しました。
(5)テサロニケで最も大きい実が起きました。
△今日から本当に契約を捕まえて、みことばを正しく捕まえることを望みます。間違ったみことばを捕まえるのではなく、神様が私たちを救おうとされるので、教会を通じて世の中を生かして、共同体を通じて文化を生かそうとするのです。さらに重要な問題は、個人問題を解決しなければなりません。霊的問題を見つめないで、度々うわべだけを見るのです。みことばが肉体になりました。ヨハネ1:14受肉されたのですが、みことばは、同じように今でも働かれるということです。今日、この契約を捕まえて動く中にも、神様のみことばが成就する答えを捕まえることを望みます。明日、礼拝をささげに行く時も、最高の祝福を捕まえることを望みます。私は経験したのですが、このみことばを捕まえたことごとに答えがきました。特に、今日のメッセージの中で‘みことばのとおり信じれば、必ず答えがきて、その中で個人問題、教会、共同体の答え’など、ものすごく生きている神様のみことばを捕まえることを願って、今日、新しく答えが始まることを希望します。必ず記憶しましょう。霊的問題とは何でしょうか。目に見えないのです。これと戦わなければなりません。みことばは何を捕まえるべきでしょうか。まさにみことばのとおり答えを受けるという事実です。このように信じれば、奇跡が起こります。それで、新しい出発があることをイエス様の御名でお祈りします。

-本文要約-
RUTCを通して,神様のみことばを回復しよう(使徒17:1-9)
1.みことばを信じないユダヤ人
(1)マタイ16:13-20  (2)マタイ17:1-9  (3)マタイ28:1-15,16-20
(4)マタイ24:1-25:46  (5)Ⅱテモテ3:1-13  (6)黙示1:1-3
2.みことばを信じない世界教会
(1)体質のとおり(コロサイ1:8-9)  (2)先入観(ヨハネ3:1-12)  (3)教会優先(ローマ1:16-17)
(4)偏狭な受け入れ(使徒11:1-18)  (5)生きているみことば体験の失敗(ヘブル4:12)
3.みことばのとおり信じれば必ず答えはき始めます。
そして、みことばの中で全てが回復します。
(1)マタイ16:13-20、マルコ3:13-15、使徒1:1-8 (救い)
(2)使徒2:1-47、使徒11:19-30、ローマ16:1-27 (教会)
(3)使徒9:15,使徒19:21,使徒27:24 (みことばの成就と祈りの答え)
@結論:RUTCの奇跡
(1)ヨハネ21:15-18  (2)パウロの会堂  (3)世界福音化の奇跡
(4)使徒17:1-9  (5)テサロニケ教会(結果)