[ 2006年10月21日/核心要員/イエウォン教会/柳光洙牧師]


宣教をしなければどうなるのか?
(エゼキエル3:16~21)


@序論:1ケ月に一回ずつ私たちのチェ・テシク牧師に会う日に一番祝福をたくさん受けます。チェ・テシク牧師が出てくれば、私は献金を2倍にするためです。未自立教会、開拓教会が正しくたくさん立つようになるように祈ってくださることを望みます。エゼキエル3:16~21節を交読します。皆さんが、この一つの単語を記憶すれば、すべての問題が解決されます。宣教をしなければどうなるのでしょうか。宣教はどんな人ができるのでしょうか。

1.宣教の成功は誰ができますか?-福音
皆さんが今でも私たちのタラッパンにいる人が、宣教をどのようにしなければならないかと尋ねたら、間違っているのです。宣教と伝道は同じようなものです。同じようなものなのに、福音をどのように知って、どのように味わうのかにしたがって変わります。その人が宣教することができるのです。
(1)宣教の鍵は人にはありません:福音を知っている人が宣教することができます。宣教の鍵は人にはありません。方法がそんなに重要ではないのです。ただの一度も経済で成功したことはありません。皆さんがおわかりの通り、ヨーロッパ、日本、米国の教会が失敗しました。宣教をお金でするものだと思っています。知識でも成功したことはありません。これは知識が必要ないということではありません。ユダヤ人、ローマでは宣教を成功できませんでした。ローマ法王時代にも成功できませんでした。それは、権力でもだめだということです。ただ宣教の鍵は神様の御手にあるのです。
(2)宣教の鍵は神様の御手にあります。:それで、難しい、やさしいは違うのです。正しく福音だけ理解すれば良いのです。まだ人々が間違った話をよくするのですが、福音を正しく理解すれば伝道、宣教はやさしいのです。
①奴隷:その証拠で、イスラエルは何度も奴隷になりました。それは、福音を知らない時ごとにそうなったのです。
②初代教会:それが回復する時が初代教会です。
③改革教会:そして、改革教会でした。それなら、証拠が確かに出てきています。宣教を理解できなければ、何もだめなのです。それで、宣教師もそうで、宣教師を助ける人も同じで、宣教を理解したということは、福音を理解したということです。
* 福音、祈り、伝道スケジュール→現場-キャンプ→人、環境
今から福音のなかで「私」を探さなければなりません。どの場合でもそうです。神様のみことばは確かに成就します。まちがいなく、皆さんにみことば成就の計画表があります。その中に私がいなければならないのです。病気になって死ぬ人に時刻表があります。確かにそうです。66巻のみことばがみな成就するのではなくて、通訳をするソウンにみことば成就する時刻表があるのです。ずっと成就しています。その中にいるのです。それを「私」を探したというのです。私をなくせば通常の問題がくるのではありません。そして、神様は祈りに確かに答えておられます。そして、伝道の働きを成し遂げられています。ソウンに向かった祈りの時刻表があります。そして、ソウンを通じた伝道スケジュールがあるのです。その中にいなければなりません。ここに対する正確な確信がなければならないのです。私は30年現場で皆さんの前に、この位置に立ちながら1週に全国、世界を回っています。絶対に単に回っているのではありません。神様の時刻表の中で回っています。皆さんがこれを発見できなければ、大変なことになります。これが発見できなければ、いつも問題がきます。一番最初に来る問題が2つあります。教会の復興がならず、経済問題がきます。宣教しようとしたのですが、経済が難しいのです。それでは合いません。世界福音化をしようとしたのに、私たちの教会ができないのです。こういう問題に直面するのです。それだけではありません。これができる時、現場に行くのでなく、いつも連結します。このような時に真のキャンプがずっと起きるのです。これはとても重要です。「私」を捜し出さなければなりません。このようになる時、皆さんが教会に行けば人のために試みにあう事が多いでしょう。環境のために試みが多いでしょう。それが全部、答えに変わるのです。それで、私を捜し出さなければなりません。確かに私が生きているので、捜し出さなければなりません。私がどうだと主張するのではありません。私をこの中で探さなければならないのです。もし牧師が3年だけこのようにすれば、全てをみな生かします。残念なことに、これがだめなのです。私を捜し出さなければなりません。確かに神様のみことばは成就していて、祈りは答えられていて、伝道はなるのです。その中にいない私と国は、それは失敗します。これを皆さんが必ず捜し出さなければならないのです。この時から現場も出てきます。この時から必要なのです。そうでなければ、私たちに損してしまいます。これが伝道であり、宣教です。今回「女教役者メッセージ」は必ず聞かなければなりません。単なる話ではなくて、30年伝道現場を見ながら心に深く感じたのです。これが(福音/祈り/伝道)がならなければ、教会には他の体質を持って座っているのです。ですから、救われているのかいないのかは分かりませんが、結末が変わります。これが簡単な話ではないのです。福音でだけ解決されるのです。教会はほとんどみなが違う体質を持って座っています。それで、これを持って行く人が信徒のそばに行く人なので、女教役者が重要だということです。ひょっとして教会は復興するかも知らないのですが「私」はだめなのです。ひょっとして夫は成功するかも知らないのですが、私はだめかもしれません。これくらい体質が怖いのです。そして、これがだめだから、教会はほとんどみなが霊的に病気にかかった人なのです。こういう種類の人々がたくさんいます。人間関係、性格、生き方にも問題が来る人が座っているのです。これを解決するのが「福音」です。それで、福音というのが、すごいのです。これを言うのが「伝道と宣教」です。皆さんが1人ももれなく記憶しなければなりません。

2.宣教を知らなかったり、宣教しなければシャーマニズム宗教のような運命になります。
(循環する働きの教訓) -それで、宣教を知らなかったり、しなければどうなるのでしょうか。シャーマニズム宗教、災いから抜け出せません。
(1)偶像文化:私たちは宣教すると言っても、よく知らなければ、外側で変なことが行われます。偶像文化がずっと広がり始めるのです。
(2)偶像国家:そして偶像国家が復興します。これがいつでも時刻表です。
(3)失敗:神様の民は、この祝福を知らないから失敗するのです。こういう危機がきます。これを防がなければならないのです。それで、皆さんがここに集まっているのです。それで、神様が核心集会で伝道者を作り出されるのです。単なる伝道ではありません。伝道を知らなくてはいけないのです。これで、組織(神学院/宣教師訓練院など)を作っておいて根をおろすのです。
(4)災いの時代:まちがいなく災いの時代がきます。これが歴史の教訓です。
(5)強大国の滅亡:そして強大国がうまくいくかと思ったのに、滅亡するのです。その時ごとに福音を悟る教会が用いられました。

3.どんな宣教を悟らなければならないのでしょうか?
それで皆さんが重要な祈りをしなければなりません。
(1)福音を回復する宣教:いくらがんばっても仕方がありません。福音を回復する伝道です。牧師は特に銘記しなければなりません。教会の中には表に現れないで、霊的障害者が座っているのです。全く表に出さないで、体質が別の人が座っています。この人たちを回復するのが福音です。この人たちをこのようにさせなければ、2番に勝てません。これを知っていれば、牧師が同じ説教をするのに、教会はずっと復興します。安定して弟子中心で復興します。この部分を解決できなければ、目に見えないように教会に通うこと自体が傷となります。人と出会うこと自体が問題になります。このようにしてずっと問題がくるのです。長老がこれを分かれば、教会で話しをむやみにしません。することができないのです。教会では、目に見えないように霊的障害、性格問題のために恵みを受けようと座っているのです。それで腕、足を使うことができないのは大丈夫です。目が見えない。それは大丈夫です。これは霊的障害者を言います。途方もない傷を持って座っているのです。本人も知らずに教会に座っています。絶対にだまされてはいけません。幼い時から来た問題です。それは今、作られたのではなく、幼い時から家庭で作られたのです。こういう性格障害者が教会に座っているのです。そして、生活も、人間関係もうまくいきません。そして、全く体質が違うのです。福音体質になれば正しくなるのに、それがなりません。こういう人が教会に座っています。牧師がこれを分かれば、とても祝福を受けます。そこに対する細かい話を女教役者にしました。それでは、女教役者が動けば途方もないみわざが起きます。どの場合でも、福音の根にならなければ、癒し、回復できません。これを回復する宣教です。
①出エジプト3:18 ②イザヤ7:14 ③マタイ16:16の奇跡が起こります。これを回復するのです。そうでなければ、人々も試みになります。これを正しく味わえば人が何か分かるのです。
(2)共同体宣教:ここで分かるのが共同体宣教です。レムナントだけでなく、成功した人はみなそのようにしました。
(3) RUTC宣教:この時、すべての門がみな開かれるでしょう。RUTC宣教です。本当にわかれば、モーセに起きた奇跡が起こります。本当にわかれば、サムエルに起きた祈りの答えが起きます。本当にわかれば、エリシャに起きた事が起きます。イザヤ時代と初代教会に起きた答えがそのまま現れます。これを知ってサタンはあがくのですが、皆さんは勝利するでしょう。間違いありません。これを皆さんが回復させようとしているのです。女教役者がいれば、別の動機なく信徒に根をおろすようにすれば、人々が生き返ります。それは、私側にできるのではなくて、神様の共同体を成し遂げる教会となるのです。それは、私の教会だけを大切にしたのではなく、世界を生かすRUTCの門が開かれます。今年、多くの答えの門が開くようになります。だいたい私たちは今、答えをたくさん受けました。皆さんは今年、来年RUTCに受ける答えをだいたい構想をしなければなりません。これを知らずに宣教をしたので、難しくならざるをえないのです。こういう宣教をしないから、こういう霊的な問題が起きるしかないのです。

@結論:見張り人
それで神様が皆さんを何に立てられたのでしょうか。皆さんを「見張り人」として立てられました。この単語に多くのことが含まれています。
(1)自分自身:皆さんを見張り人として立てたということは、自分自身をどのようにしなければならないのか知っているということです。今日、皆さんが本当に答えを受けるようになることを希望します。エゼキエル3章17節に「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。」ですから、聖書に見れば見張り人が3つ出てきています。
①みことばを伝える見張り人(エゼキエル3:17):言葉をそのまま伝える見張り人です。
②祈りの見張り人(イザヤ62:6-12):見張り人として立てられました。祈りの見張り人として立てられたのです。
③光の見張り人(Iペテロ2:9):光の見張り人として立てられました。この光を現わすために、宣べ伝えるために立てられました。こういう見張り人です。どれくらい貴重な祝福なのでしょうか。皆さんに今から答えが始まることを希望します。ですから、何も人を恨むことがありません。自分自身が答えを受ければ、みな変わります。私は道理が分かっていなかった時、教会の初期には担任牧師、信徒をたくさん恨みました。率直な話で、私を含めて、牧師、牧師夫人で、霊的な問題を持った者がたくさんいます。初めに私が教会に行って、試みにあってだめでした。これが錯覚です。それで、私がとても損を受けました。ある日、私が悟ったのです。違う。それで祈りを変えました。私に神様の次に重要な人は「主のしもべ」です。あの人のために祈らなければならない。そうする間に、私がものすごい答えを受けました。その方に対する証しをみなできません。それだけしたのですが、驚くべきメッセージを悟りました。問題は私にあるのです。私が答えを受ければ、見張り人の使命をすれば、みな生かされるようになります。皆さんが見張り人の役割をすれば良いのです。
(2)伝道-地域:この人が他の人を生かすのが伝道です。皆さんがこの祝福で地域を生かすのが伝道です。
(3)宣教-世界:この人が世界を生かすのが伝道です。この祝福を持って世界を生かすのが宣教です。皆さんが福音を理解したので、神様の祝福の門が開かれるでしょう。牧師、牧師夫人の中でこれを理解したら、じっとしていても答えを受けます。話をむやみにできないのです。しかし、私たちはどのようにしたのでしょうか。私たちは逆にして回りました。傷ついた人を訪ねて行って、自分の傷の話をして、体質が違う者を訪ねて行って、他の体質にして、それでは、結末が大変なことになります。何の仕事もしないのに、女教役者がじっとしているのに傷ついた信徒がきて自分を悟る。私が問題が多いな。私が主を見上げなければならないな。それは訪問に出て行かなくても一等の伝道師、牧師夫人です。なぜなら、教会で表に出ないように、傷ついた人々、他に根を下ろした人が来るからです。それでおもに5つの体質を言いました。人間主義とは何でしょうか。人間主義は分からないのです。信徒は世の中で生きてきたので、自分が人間主義をするのか、しないのか分かりません。この体質を度々手助けして、福音体質にするのです。幼い時から精神が一進一退する人がいます。この人は悪いことではないのですが、神秘主義に行かざるを得ません。この体質を変えてあげなければなりません。幼い時からよくすねて、難しくて、押さえられた人がいます。この人が良い名前を持って付けたのですが、これが律法です。これを変えてあげなければなりません。幼い時から他人の話をしてトラブルを作れば消化できる人がいます。なぜなら、そうする側に細胞が多いので、そのようにしなければ、生きがいを感じないのです。他人の話をして通ってこそ、げっぷも出てきて、生きることができるのです。その結末が大変なことになります。これを静かに変えてあげなければならないのです。ところで、女伝道社という人が、牧師夫人という人が補ってあげるから問題になるのです。そして、少しだけすれば、いばっている人が多くあります。それが幼い時、貧しく背景なく育ったということです。背景なく育った人は「ポジション」「お金」を見れば、心臓がドキドキします。幼い時から金持ちの家で、体系あるように暮らしてきた人間は、お金を見て変にしません。幼い時から高いポジションにいた人は、ポジションがあっても別におもしろくありません。こういう体質を隠してアーメンと言って座っているのです。それはお互い区別することがなく、少しずつあります。それは、認めなければなりません。これを普通に置いておくと大変なのです。これするのが教会で牧会です。女伝道師に真剣にお願いしました。これをしなければ、絶対にだめなのです。教会が復興しても問題がきます。この福音はものすごいのです。さらに重要なのは、これをしなければ2番の問題がくるのです。正しく回復した宣教をすれば、ものすごいことが行われます。見張り人の祝福が来るのです。イスラエルが一番困難だった時、あなたを見張り人として立てた。イスラエルが一番困難にあっていた時、あなたを祈りの見張り人として立てた。イスラエルがローマに属国になっていた時、あなたを光を宣べ伝える見張り人として立てた。これが伝道、宣教です。皆さんが本当に答えを受けるようになることを希望します。今から自分個人的に宣教地域に絶対に出て行かないで、宣教する方法があります。これが未自立教会のために献金して祈っているのですが、永遠にだめなこともありますが、これが正しいことは知っています。全教会員が十分の一献金をするのが教会の宣教の中の宣教です。これが教会宣教です。そして、原則では十分の一を持って教役者の謝礼費を与えなければならないのです。これは律法ではなくて「原理」です。イエウォン教会で十分の一が出てくれば、チョン・ウンジュ牧師がすべて持って行くのではなくて、残りは開拓教会を助けるべきです。それで原則で夢みたいな話ですが、全教会員が十分の一といえば残り、それを老会の上納金として出して、老会で信徒がいなくて開拓教会を始める人に謝礼費を与えなければならないのです。兄弟12人中にレビ族には土地を与えないで皆さんが持っているのです。十分の一をレビ族に与えなければ盗むことなのです。レビ族は何をしなければならないのでしょうか? ずっと神殿に灯りをつけていなければならないので、出て行って仕事ができません。とても重要な言葉です。決心して、今から祈りましょう。それで、皆さんが息子が生まれれば、孫が生まれれば、初めからお金を話さずに、原理を説明しましょう。この地域の文化を変えなければならないのですが、教会建築が宣教の中の宣教です。今、世界の文化を変えなければならないのですが、これを変えられる方法が宣教献金で参加することです。これから未来の文化を変えなければならないのですが、その唯一の方法が「RUTC」です。皆さんがこの四つは緻密な計画をたてなければなりません。他のことをがんばりながら、これはしないのです。これはよくしなさいということではなく、緻密にしましょう。保険、積金もみんなしていながら、これはしません。病院、薬も買って飲むのに、全てはみなするのに、これはしません。どれくらい悪い人でしょうか? 本当に悪い人です。これは緻密な計画をたてなければなりません。宣教の中の宣教が教会宣教です。宣教の中の宣教が地域の文化を変えることです。これが正しいならば、祝福を受けて世界宣教するのです。当然の答えでレムナントのために献身するのです。人生を終える時には、教会に出したり、RUTCに出せば良いのです。違ったところに出す必要はありません。これが真の宣教です。皆さんのために神様が見張り人としてあなたを立てた。全能者を動かすほどの見張り人として立てられました。それで私は2つのことを予測します。このRUTC参加する間に、個人、個教会で、契約を持った者に驚くべき働きが起きるでしょう。このような時に、イスカリオテのユダのような人も出てきます。このような時に、ダタンのような人物が出てきます。いつでもバラム預言者のような人が出てくるのです。いつでもアナニヤ、サッピラが出てきます。よりによって皆さんが祝福の列に立つべきで、ダタンの列に立って死ぬ必要はありません。RUTC時代を迎えて、世界宣教の祝福を皆さんが味わうことを希望します。本当に答えになることを希望します。

-要約-
<宣教をしなければどうなるのか?(エゼキエル3:16~21) >
@序論:宣教をしなければどうなるのか。宣教はどんな人ができるのか。
1.宣教の成功は誰ができますか?
(1)宣教の鍵は人にはありません。
①経済では成功できません。(ヨーロッパ、日本、米国教会)
②知識では成功できません。(ユダヤ人、ローマ)
③権力では成功できません。(ローマ法王時代、ギリシヤ正教会時代)
(2)宣教の鍵は神様の御手にあります。
①奴隷時代 ②初代教会 ③改革教会
* 福音、祈り、伝道スケジュール→現場-キャンプ→人/環境
2.宣教を知らなかったり、宣教しなければシャーマニズム宗教のような運命になります。
(循環する歴史の教訓)
(1)偶像文化拡散
①創世記6:4-5  ②創世記11:1-8  ③出エジプト3:1-8  ④Iサムエル3:1-7:15
(2)偶像国家復興
①出エジプト3:1-20  ②Iサムエル17:1-47  ③イザヤ6:1-13  ④黙示2:1-10
(3)神様民の失敗(哀歌4:1-5)
(4)災い時代(創世記6:1-20)、出エジプト3:18-20、イザヤ43:19-21)
(5)強大国の滅亡、福音を悟る教会(マタイ16:13-20)
3.どんな宣教を悟らなければなりませんか?
(1)福音を回復した宣教
①出エジプト3:18 ②イザヤ7:14 ③マタイ16:16
(2)共同体宣教
①創世記45:1-5 ②出エジプト4:1-14:13 ③イザヤ60:1-22、イザヤ62:6-12 ④使徒2:1-47
(3) RUTC宣教
①申6:4-9 ②Iサムエル3:1-19 ③Ⅱ列王2:1-11 ④イザヤ60:1-22 ⑤ローマ16:1-27、Ⅱテモテ2:1-7
@結論:見張り人
(1)自分自身
①みことばを伝える見張り人(エゼキエル3:17)   ②祈りの見張り人(イザヤ62:6-12)
③光の見張り人(Iペテロ2:9)
(2)伝道-地域   
(3)宣教-世界