2009年3月7日 核心訓練 ソウルイエウォン教会


RUTC時代の献身と答え(6)
タラッパンとキャンプ
(使徒2:1-13)
キム・ドングォン牧師



☆☆☆要約資料☆☆☆
キャンプは光を意味していて、光を照らして、その光を見ることを意味します
しかし、必ず私、一緒にいる人、教会、社会、世界を生かすことです
1.タラッパンは何ですか
(1) キリストを体験することをタラッパンだと言います (使1:1)
(2) 神の国を体験することです (使1:3)
(3) 三位神様の働きと力を体験することです (使1:8)
2.それならば、その恵みを体験する神様の方法がキャンプです
(1) 使1:1-11 約束
(2) 使1:12-14 確信と待つこと
3.初代教会のすべての信徒が体験したキャンプは、他のことが要らない完全な神様の力です
(1) 風、炎のようは力 (使2:1-8)
(2) 自然と開かれる伝道の門 (使2:9-11)
(3) 力によって働かれるみことば (使2:14-21)
(4) 当然と隠されていて集まる弟子 (使2:41-42)
(5) 必然的に絶対的に変わる現場 (使2:46-47)
◆ すべての人はタラッパン個人キャンプに入らなければなりません
1.一人でするタラッパン
2.ともにするタラッパン
3.伝道運動を開くタラッパン
(The end)

☆☆☆録音資料☆☆☆
序論
(1)救い-恵み(目、力、答え、働き)、人生、仕事
▲私が32才で神様に会って救われて見たら、他の見方をすれば、私は救われて神様の恵みを体験したのでした。体験してみたら、とても生きがいを感じました。一度も感じることもできない安息と平安、喜び。それで、私はこの恵みということが、祈れば神様が恵みをくださるのだな、それで、直ちに朝の祈りをしながら恵みを受け始めたのです。職場で退勤する時には、家にすぐに帰らず、教会に入って、恵みを受けるために聖書で祈りました。恵みをずっと受けながら、どんどん目が開かれました。私が新しい人となったということ、単にちょっと優しくて、良いこういう人でなく、人が完全に変わったということが分かりました。そして、私が生きる世の中ではないということ、今まで私が生きてきた世の中でない、今は別の世の中の中に私が入っているということを分かったのです。それが神の国です。そんなことを感じました。ところで、不思議に恵みを受けると、どんどん力の体験をするようになりました。それと共に、神様は正確に祈るのに答えを与えてくださいました。それと共に、恵みの中で見ると、神様が働いておられるということが分かりました。他の見方をすれば、すばらしい発見です。私が恵みを受けたら恵みが良くて、神様が良いから、ずっとこのように祈りと恵みの中にいたから、こういうものが事実に感じられました。
▲それと共に、私にくるのが私の人生が昔のようではありませんでした。人生が気楽だというべきでしょうか。こういう問題、ああいう問題に落ち込まないで、本当に私が思っても、このように人生が気楽なのかと私が知らないのだなと思いました。それと共に、私の職場でも後ほどには牧会、牧会は神様がされるのだな、こういうものを感じました。多分、初めの初恋が強かったのでしょう。以後に試練がきて、試みがくる時には、だいぶ難しい問題も多かったのですが、それでも私が見る時は恵みの中に入ると、私の人生でもすることが何かやさしくて良いということを感じました。
▲恵み-限界(不信仰)
ところで、不思議に私が恵みの中にいたのに、私に限界がきたのです。神様の恵みの中にいるということは主の中にいて、力の中にいるのに、率直に話して、すごいことなのに。この方が創造主で、私は子どもなのに。それも、私の中に聖霊がともにおられるのに。この聖霊が私を含めて、全てのもの干渉しておられるという言葉なのに、私になぜ限界がくるかということです。まったく人を越えられません。人を通して試みにあって、また不思議に不信仰に陥って、また、その程度でなく文化とか環境を越えられなかったのです。言い換えれば、柳牧師メッセージのように超越できなかったのです。私はだいぶこの部分に葛藤を感じました。私が本当に神様を信じるのに、ダニエルは捕虜になっても越えたのに、なぜそうなのか。ヨセフは幼い子どもだったのですが、それでも奴隷でも、監獄も何の関係なかったのに。奴隷の場にいたヨセフと私と、祈りを比較したり、恵みを受けるのが私とは比較にならないのに変ではないでしょうか。だいぶ私はこうしてみて、私はもう牧師がなっていても、試みにあって、不信仰に陥る時にはどれくらい私にストレスがきたでしょう。主のしもべがそうなってしまえば、一般信徒はどのようにしろということでしょうか。私は主のしもべだから、別に区別して、祈りもして、恵みを受けるのですが、一般信徒は自分の職場の現場と事業現場、商売の場所が普通ではないでしょう。試みにあってしまえば、みな崩れます。とても不信仰に陥ってしまえば、あらゆる事が面倒になってしまいます。しばしばではなかったのですが、これが私をとても困らせたのです。これを越えられる答えがないから、信徒たちにもこれをどうにも話せませんでした。そのまま神様を信じなさいと言いながら。
(2)福音-結論、終わり、岩、なるようになる
▲ところで私に救世主が現れたのです。こういう葛藤と彷徨の中にいたときに、私が18年前に柳牧師に会ったのです。本当に驚くべき働きでした。私がこの時までしていた信仰生活を完全にひっくり返してしまい、また、できるように私に変化が起きたのです。その方のメッセージを聞くのに、福音は完全に人生の結論だと言われました。全てのもの終わりです。私はそのように主を見上げて、信仰がすべてで、祈りがすべてで、恵みがすべてなのにもだめだったのですが、その方はとても簡単に話すのです。どれくらい堂々と自信ありげに話すでしょうか。それで、これが何か、私が約3日間、ヤンスリ修養館で福音を聞きながら、とても衝撃を受けて、私がずるずる泣きながら恵みを受けました。私が恵みを受けて教会にきて、書斎でこう思いました。神様、これはやり過ぎではないでしょうか。恵みの中に生きるということは、聖霊の導きを受けることを言います。私が他のものはみな聖書を見る時に悟って信じるようにしておいて、イエスがキリスト、人生の結論という言葉をなぜなさらなかったのですかと。他の見方をすれば、恵みの中に生きることは生きたのですが、あまりにも多くの時間を空を打ったようでした。良い、それでは、これからはこれをみなしてみたから、福音の中に深く一度入ってみてとずっと入ってみました。幸いなことに、私は教会もみな下ろして神様に預けておいて、ずっと柳牧師の集会に付いて回ったのです。釜山に飛行機に乗って核心に行って、また、その次に月曜日から水曜日まで集会があったが、ずっと付いて回りました。キリストが本当に結論か、終わりか。ずっと聞きました。柳牧師の面前に聞くのが問題ではありません。それをカセットで、録音して、それを一日に六時間ずっと聞きました。柳牧師の話では、昔のこと、それ私の頭もそんなものだとしても、そうではありませんでした。初期の3年間に、タラッパンをする時に福音がどれくらい強く私たちに働いたのかわかりません。一度は集会に行ったところ、おばさんが子どもをひっくり返してきたのですが、この子が度々泣くからキリストを叫んだのです。とにかく、その時はキリストでみな通じてしまいました。多分、初期に参加していないメンバーは知らないでしょう。すごかったのです。一言で私たちが狂ってしまったのです。その熱気は二度とないでしょう。その時、私は本当に感謝して、その時刻表に集中的に福音を聞いたのでした。
▲ところで本当に恐ろしいことを発見しました。ずっと聞いたら、およそ5年聞いたら、岩になりました。ペテロが、あなたは生ける神の御子キリストですと告白した時に、この岩、本当に福音を正しく悟って根をおろしていれば揺れないんだな。私がこの時は、牧会もせず、牧会はみな任せてしまったのです。神様にみな預けておいて、また祈りも他の見方をすればする必要なくて、福音だけ入ったのですが、およそ5年入ったら、私に驚くべき変化がきたのです。恵みを受ける生活も、昔に私が恵みを受けようとすれば、夜明けに祈って、また、退勤時間に祈って、何かこのように中心を持って神様にこのように祈る時に事実、恵みが与えられたのです。事実は、それがやさしいのではありません。ところで私が柳牧師を通して福音を聞きながら感じたのが、信仰生活が霊的生活がこのように簡単なのかということを感じたのです。福音をずっと聞くのに、聞きながら受ける恵みが私がひざまずいて受ける恵みとまた違いました。揺れないという言葉は、何の話なのでしょうか。それからは私が超越し始めたのです。昔には人を避けて通って、環境を避けたのですが、その時からは心が開いて現場を見物に行くと、この隈、あの隈、皆いってみました。不信仰するこういう人、あんな人、昔ならば、そのまま出てきてしまうのに皆聞いてみたのです。福音がこの程度なのかと思いました。それなら継続しなくては。
▲持続的にした13年間、ずっと中心を福音に置いて柳牧師の訓練に付いて回ったのですが、どんな結果がもたらされたでしょうか。私が驚いたのです。柳牧師のメッセージみことばのとおり、なるようになる働きの中に入ったのです。皆さんがなるということが、やさしいことではないでしょう。私たちは先に私がしなければならないと思います。私たちが悟って習ったことを持って、私が力を込めなければならないと思っていました。もちろん、私が恵みの中にいた時に、聖霊の働きの中に入るから、聖霊が導き、働くのを見て、そうでもよいのだなあと思ったのですが、その時とは違ったのです。この人生が私がますます力を使わなかったのに、人生になるのを感じました。私たちの家内や子どもたちがすごいことではないのですが、そのまま見ると、家庭を主がなるように率いて行かれるのです。トンブ教会の牧会を私が気を遣ったことではないのですが、神様がこの牧会もなるように神様が証拠を見せられるのです。こういうことがどこにあるでしょうか。教会の信徒が一、二名ではないが、方法を使わなくては。こういう事件、ああいう事件が起きるので、心配しなくては。ところで、そうではないのです。なるということは、私でなくて主が私の人生を生きておられて、主が私の家庭の主人として生きておられ、牧会を主が主人となって、ご自分がなさるということです。私がこちらにいる時に、それを少し見ることは見たのですが、それが時々崩れるから、そうでないが事実は、福音の中でこのようにずっと13年間、一様に福音と訓練の中に入って、こういう結果を見たのです。
(3)人生キャンプ、現場キャンプ、教会キャンプ、働き人キャンプ
▲そうなるから、私はその時から事実、現場が見えるようになりました。他の見方をすれば、私の人生キャンプが相当多く成熟したということを感じたのです。それで、私はここで留まらないで、ずっと福音の中に訓練の中に入ることにしました。神様が健康を与えられた、ずっと行かなければなりません。私が米国へ行って、柳牧師のメッセージ聞くこととはまた違います。米国へ行けば、お金をたくさん投資したので、お金をたくさん入れたことぐらいまた違うのです。釜山に核心行く時にそうでした。神様、私は飛行機に乗って、また寝て行かなければならないのに、釜山で来る人と同じ水準の恵みを与えていて良いのですか。あのテグから来る人とは違います。本当に私は恵みを受けなければなりません。
▲それで、私が今この状態に出て行けば、これからおよそ80才までは正しく訓練の中に、福音の中に入れば、作品がちょっと出てくるのではないかと思っています。これが神様のかたちだな。これがアブラハムが感じた祝福の根源だな。これが神様の子どもだな。
▲自分自身が、この福音の価値、とても尊いことを分かるから、自分自身が本当にもう主が呼ばれる時まで福音の中で事実的な人生を味わわなければならないということが、私が牧会も重要ですが、自分の個人人生キャンプが重要だということを本当に悟って、心にこめています。この時も、だいぶ伝道をよくしたのですが、もうこのようになるから、現場が見えるようになって、自然に、現場キャンプをするしかなくなります。私の現場が教会だから、この教会キャンプになるしかありません。
▲結局は、ゲームは働き人ゲームであるから、私には働き人キャンプが自然になるのを感じました。少なくありません。私たちの以前に出生したのが、創世記3章で出生して、そのような背景の中で育って、そのように根を下ろしたので、イエスを信じれば新たに生まれたのですが、さかさまになるということは簡単ではないのです。私が福音の中に入りながら、福音の創造の力を分かりながら、私の中にある、こういう不信仰の要素とか、試みの要素が、みな治るということを分かりました。
▲私たちの核心要員は、まちがいなくそうなるだろうと信じます。キム00牧師が、私が51才で行ったから、キム牧師は高齢でだめだと言いました。私が怒ったのです。多分、柳牧師のみことばを聞いてそう言ったのでしょう。柳牧師が51才はだめだと言われる時に、私は下で、神様私は例外です。私はあなたの力を分かります。モーセも80才から始めたのですから、51才が高齢でしょうか。なるしかはないと信じます。特に私たちの核心がどれくらい重要でしょうか。ここから先になるようになる働きがあることを祈ります。
▲私-キャンプ-レムナント7人、パウロチーム
未信者より困難、人間主義、心配、それで重要なのは何でしょうか。今は私のキャンプができなければなりません。私の仕事がキャンプが正しく起きなければならないのです。それでは私たちは水準を一度見てみましょう。私たちの水準がレムナント7人の水準と同じでしょうか。そしてパウロチームを見てください。違うではないでしょうか。私たちがこういう水準になってこそ、時代を変えて、世の中を変えるのではないでしょうか。ですから、これがだめだから、本当に他の見方をすれば未信者よりさらに世的に骨を折っているのです。この未信者より困難にあっているということは話にもならないのです。ですから、信徒が度々人間主義を使います。主を見上げれば良いのに。ですから、どんどん心配に陥ります。事実は静かに見れば、私が神様を信じてもそうだったのですが、一番、事業がだめで、商売がだめで、心配して大変な人々がみなイエスを信じる人々です。ところで、教会に集めた人々がみな崩れる人々がきました。他の見方をすれば、エリートが来ることができない環境です。率直に、昔にタラッパンする前にはエリートがくれば私が心配になりました。本当にエリートと合う人がなかったのです。もちろんそのように崩れて、主を見上げるのでしょうが、本当に私は未信者よりもっと悪いのではないか、こういう考えをよくしてみました。もちろん救われて、天国に行くことは違うのですが、世的にするのを見れば、本当になぜそうだろうかと思うほどでした。それが残念で、柳牧師が、今、重職者時代を開いて、立てているでしょう。教会も何しようとすれば、重職者が立ち上がって牧師先生に、気を遣わないで下さい。私たちがみなします。この程度に出てこなければならないのです。そのようになる時がくるだろうと信じます。
▲親-モデル
特に私たちの親たちが、どれくらい重要でしょうか。何か親が今、モデルにならなければならないのに、この親たちのために、率直に話して、子どもたちがみな捨てるのです。私たちが本当に柳牧師のメッセージを伝えて、胎児に幼い時から愚かな人を作らずに、幼い時から何か読書習慣も与えなければなりません。事実は、私たちの中高等部の時、少しだけ手助けしてもかまわないはずなのです。大青年で、私たちが正しく祈れるようにだけ手助けすれば良いのに、これをできずにいます。この前、皆さん新聞を見たでしょう。現職教師として6年の担任をよくしたのですが、6年半分をなくせば良いと言いました。ですから、すでに小学校6年の子どもたちがすでに先生が手に負えない子になってしまったのです。私たちの教会に現職教師たちといっしょに食事しながら尋ねました。これが何の話なのですか。牧師先生、知らなかったのですか。私は知りませんでした。今、私たちが育つ時には、親たちが、それでも私たちの子どもを正しく大きくしようといろいろしたのですが、今、生まれた子ども供たちは新世代が育てたということです。両親が勉強すれば良いといって、正しく家庭教育もせず、何か規律もなく、新世代が結婚して子を産むから、子どもたちはそうなるしかありません。今、私たちのレムナントや新世代の、福音の中にある人は大丈夫です。ところが、今、世の中はそうではありません。ですから、離婚すれば子を置いて行きます。本当に、私たちの使命が大きいことと信じます。私たちの子どもたちだけは、そうではいけないのです。結局、私たちの次世代を通して世界を変えようとするのですが...私は率直にそう思います。おとなをはやくたてるということは、はやくおとなだけ立つならば、子どもたちは自動的に立ちます。ところで、おとながだめならば、本当に大変です。
▲おとな-だめなこと
もうこれでおとなになるから、どんなことが行われるのでしょうか。まったく当然だめだと思います。当然今、だめなんだなと思っています。イエスを信じてそうなるのを見られなかったからです。そして、まったくあきらめてしまうのです。残念ではないでしょうか。教会はたくさん通って、熱心はあるのに、何か子どもたちを見る時に、本当にあのように神様を信じれば、あんな恵みがあるんだな、これを大人たちが子どもたちがこのようになって、おとなになるから、まったくだめかといってあきらめてしまうのです。
▲なる道-マルコの屋上の間のキャンプ
ところで、聖書でなる道を開いてくださったことを信じます。それがマルコの屋上の間キャンプです。確実な契約があります。確実な恵みがあります。また確実な神様がインマヌエルでおられます。それで、皆さんこの時代に、神様が私たちを福音の要員と呼ばれたのですから、本当に私たちから先に個人キャンプして、人生キャンプに成功することを祈ります。
▲今日はタラッパンとキャンプです。私たちは、みことばを聞いたのですが、基本で全部です。キャンプが光を放つことだからものすごいことなのです。

1.タラッパン?
▲タラッパンとは何でしょうか。いったいタラッパンとは何でしょうか。これが全部です。私たちの柳牧師が重職者メッセージする時ごとに、この部分が全部です。
(1)使徒1:1、キリスト
▲タラッパンは他のことではなく、使徒1:1にキリストを体験することであることを信じます。これが全部ではないでしょうか。私がずっと福音を聞いてキリストが全部というもの中の一つが何かというと、このイエス・キリストをずっと聞くから、私は罪から終わった者だ。サタンと終わった者だ。私は世の中で終わった者だ。すでに主が心の中に入っているから...ですから、私が一言で福音をずっと聞いて、こういう罪の問題とか、サタン問題とか、世の中から私が解放されたのです。なぜでしょうか。イエス・キリストは、私たちの全てのものの自由です。まだイエスを信じる人々はしばしば罪に倒れて、世の中にだまされて、サタンにだまされているということです。ですから、一生揺れて行くのです。そして、イエス・キリストを信じれば、身分自体が変わります。アブラハムには祝福の根源と言われました。私たちは神様の子どもと、神様のかたちではないでしょうか。言い換えれば、被造物で神様の恵みと祝福で生きる存在です。
(2)使徒1:3、神の国
▲そして二番目は使徒1:3に見れば国です。私たちは世の中ではありません。私たちは天国の民です。私たちの背景は天国で、すべての祝福は御座から、イエス・キリストによって。これを見上げれば、みな終わったのです。私が初めにイエスを信じた時、恵みをちょっと受けたから、ご飯もくださり、お金もくださり、皆くださいました。他の見方をすれば、初めから私は神様にご飯をくれと言って、お金なければお金をくれと言ったのですが、神様がみな用意されました。それで、私は神様のお金を多く使います。私が話したでしょう。RUTC献金を私が1千万円を決意したのですが、3年間に今1千万円をほとんどみなしました。1ケ月に私が28万円をささげます。私たちの教会は宣教をするから、私たちの教会で私が一番祝福をたくさん受けたから、私が私たちの教会で宣教献金を1ケ月に25万円します。牧師夫人は、牧師夫人でしますが、絶対に謝礼費で私を手助けしません。それも私が牧師夫人の謝礼費をいくらかなること見ることが何があるのでしょうか。柳牧師も話しましたが、御座に隠れた経済もたくさんあるのに...ものすごい天の軍隊があって、この天国を通せば、未来を皆知るようになっていて、ものすごい時に応じて助ける恵みがあるのに、もう私たちは世の中のものではありません。これを体験するのがタラッパンです。
(3)使徒1:8、力
▲それと共に事実は、私たちは私たちの水準ではだめです。3年間に、そのように付いて回りながら、現場を見て訓練されても、だめではないでしょうか。聖霊に満たされなさい。これです。事実、これならば終わると信じます。タラッパンで何か話をするのでしょうか。福音だけ話します。それで、このタラッパンで他の話をしてはいけません。悪い人にずっと福音を話してあげれば良いのです。同じ話ではありません。私が恵みを受けて、どんどん恵みの中にいたら、だんだん段階に対して目が開かれて、事実を見るようになりました。初めには単純な福音だと思ったのですが、福音の中にどんどん入るから、福音の深い内容が発見できて、福音がすべてだということを悟りました。

2.方法?-待ちなさい。
▲それなら、これを生活で体験する方法は何でしょうか。これを体験できる方法があるでしょう。神様が待ちなさいと言われました。必ず契約のとおり働くので待ちなさいと言われたのです。
(1)使徒1:1-11、約束
▲ですから神様が、そのまま待てとは言われませんでした。必ず約束をされました。この約束を必ず私が成就するから待ちなさいと言われました。
(2)使徒1:12-14、確信
▲それでここを見れば、この福音を正しく悟った使徒1:12-14 の120人が正しく約束を握ったでしょう。この方たちが、ここに対する確信を持ったのです。確信があるから待ったのです。これが契約の中の祈りと信じるように願います。
▲これが、タラッパンですることです。タラッパンでは福音を話して共に祈るでしょう。ですから、タラッパンでどんなことが起きるのでしょうか。聖霊の働きが起きます。聖霊の働きが起きるから、さらに福音を深く悟るようになって、この悟った、それが私に生活化されて。これが働くのです。他の見方をすれば、福音は単純です。他の見方をすればとてもやさしいのです。ところで、私が信仰生活してみると、信仰生活するほど単純になります。複雑なことがなくなります。単純になるから余裕が多いのです。何か私たちの昔に創世記3章である時、どれくらい複雑だったでしょうか。家に帰って複雑で、職場行っても複雑で、みな終わった人生と信じるようになったことを祈ります。

3.体験したキャンプ-力
▲それと共に私たちが考えるべきことは何でしょうか。初代教会のすべての信徒が体験したキャンプとは何でしょうか。他のことではなく、完全な力、正常な神様の力を体験したのです。本当に私はそのように考えます。この2つがどれくらい重要でしょうか。昔に私はこの契約を知らないのに祈ったが、神様が恵みを与えてくださいました。しかし、恵みは受けたのですが、この福音がないから崩れたのです。それで、私はこのような話をします。ある人が言ったのですが、私がイエウォン神学院で講義を終えて出てきたら、その時、私が祈り学をしていました。現職の中佐が私を見て言いました。牧師先生、相談することがあります。何ですか。祈りができなくて死にそうです。祈りにならないのに、死ねばどうなるでしょうか。だめな祈りをなぜ無理にしようとするのですか。だめだということしないでくれと言いました。柳牧師のメッセージが、どれほど多いでしょうか。その中で初期の福音メッセージをずっと一度聞いてみなさい。ずっと聞くならば、何を感じるでしょうか。キリストがすべてだな。主しかないな。主だけ見上げれば良いのだな。あなたに必ず、そのような心が与えられます。その時、主を見上げるのが祈りだと言いました。ですから、そうなるから、こういう結果になるのです。
(1)力
▲世の中を超越する力が体験できるのです。風のような火のような力です。悪霊の力もすごいでしょう。私たちの水準の力で、どのように世の中をひっくり返して暗やみをうち砕くのでしょうか。どのように環境を越えて、人を越えられるのでしょうか。神様が、この契約の中で主を見上げていれば、そのような力が臨むと信じます。
(2)門
▲四方がぎゅうぎゅう詰まったのに、どのように門が開くのでしょうか。神様が開いてくださらなければなりません。15ヶ国の人々が来たのを見れば、神様が伝道の門、商売の門、事業の門、学業の門を開いてくださるのです。神様がご覧になる時に福音も確実なことで、主を見上げる人であって、その上にそれをしてあまりある力が臨んだので、神様が門を開けてくださると信じます。
(3)みことば成就
▲門だけが開かれるのでしょうか。単なる契約ではありません。そのみことばがまさに成就するということです。私が初信者の時、時間が多くて昔に勉強すると、本をたくさん読んだので、聖書を静かに見ながらぶつかることがとても多いのです。ところで、あるものは私が漠然と信じたのですが、見ると、聖書に事実になっていました。何か一日を暮らしてみると、とてもやさしいが、どうもこれがパウロの告白のようにガラテヤ2:20が合うのです。私は死んで、私の中のキリストが生きておられます。この方が私の人生を構成していきつつあるんだな。それで、私の人生はやさしいのだな。この方が私の全てのものを教える師匠だな。そうだ、この方を見上げれば、この方がみな働かれるだろう。完全に任せれば、この方が主人で働かれるだろう。それでパウロがそう言ったのです。生きるということがキリストで、私は死ぬのも良いと言いました。
(4)弟子
▲不思議にこの祈りと恵みの中に入るので、神様が一時代を生かそうと、私に弟子を付けられます。付けるしかありません。正しく福音を悟ったところで、正しく福音を味わったら、この人に付ければ、とんでもない弟子を作らないから。ただキリストに対する弟子を作るので。私たちは欲をいっぱい働かせます。私たちのフィリピンにキム・インギ宣教師と私たちの前の教団の総会長になった人がいます。私とだいぶ親しく過ごしています。一度は、私たちの韓国にきて、訓練を受けて私と二人でサウナに行きました。私を見て要請をしました。キム牧師は、自分は現地人の神学校もしているから、本当に良い要員を送ってくださいと言いました。その時、あなた私が良い要員を送れば、その人を十分使えるかと言いました。何の話かと尋ねました。良い要員が行って、正しく福音を伝えれば人が引きずられて行きます。あなたがそれに耐えられるか、その程度ではなく、福音は恐ろしいのです。合えば麻薬です。そのように投げかければ、それが合うならば、とても集まってくると言いました。私より年齢一歳下です。その時、私が分かることでは58だったでしょう。私ちょっと見なさい。私はみな途中で止めて、福音を聞いて、訓練に入っているのでないか。私が証拠を出しました。それでは、トンブ教会をけり飛ばしたのか。私が重要な福音と訓練の中にあるので、神様が牧会を神様が働いてされました。私が話しました。水曜日にきて、福音を投げかけて聖日にきてとても良くて、福音がとても良いから、福音を投げかけて、ですから私たちのトンブ教会は300人ほどが入る昔の教会です。在職会議、何も全部ストップして、ただ私が福音を投げてみたが、もう私たちのシステムが敷かれて、タラッパンして、今は現場をみな生かして、これでも違うのです。戦略は出てきたがタラッパンの働きができる人があまりいませんでした。福音だけ投げたのですが、1部が2部に、2部が3部に、3部が4部に増えるのです。その時、執事が牧師先生、教会を作りましょうと言いましたが、教会を作る必要ないと言ったのです。私から今ずっと福音訓練の中に入らなければならないのに、教会を作って私の心を奪われてはいけないのです。私たちの信徒も、今、そこに心を奪われてはいけません。これがどんな福音で、これがどんな訓練なのか、サタンが好きでしょうか。それで広場にテントを張れと言いました。それでもまた埋まるのです。それで、テントを張りなさいと言いました。またテントを張りました。そうするうちに、教会の信徒がおよそ2千名になってしまったのです。それで、神様が土地を与えられて、そのまま教育館のような教会を作って住んでいます。今でも、地下で礼拝しています。みな入ることができなくて、半分以上は他の建物で見ています。何を見たのか分かるでしょうか。人々が福音と訓練の中にだけ入れれば正しく出てくるのです。他のこと、緊急なことはありません。釜山に行ってみました。あまりに集まるから、後には神様側で働かれました。
(5)現場
▲このようになるから、こういう弟子とともに現場が変化することを信じるように願います。私たちが何かをすればできるのでしょうか。私が面白い話をすると思います。昔に初期のタラッパンに衝撃受けて、この教会、あの教会に行けば掲示板にタラッパン500ケ700ケ と書いてありました。その中に代表的な教会がハナ教会です。伝道爆発要員がそのままタラッパン働き人として走って、その時、タラッパンがおよそ700ケになりました。すごかったのです。もう、そのとうに過ぎて私が牧師夫人と共にパク牧師の車に乗って行きながら、牧師夫人に昔にそのタラッパンは、みなどこへ行きましたかと尋ねました。牧師先生、不思議にも、たくさん騒ぐ者が先に崩れると静かに言われました。福音に衝撃は受けても、福音に根がおりていず、事実化がならないからです。働きます。しかし、正しく福音と正しく恵みの中で、このようになった人は現場の中に弟子が出てくると信じます。

※タラッパン個人キャンプ
▲それで見てください。本当にすべての人がタラッパンの中で、個人キャンプが形成されるだろうと信じます。皆さんがタラッパン個人キャンプにならなくてはいけません。私がこの福音運動に入ってきて膝を打ったのです。昔の教会の水準は朝の祈りで集めて、ある人は復興会もして、教会を集めて仕事をしました。もちろん、出てくる人は多少、恵みを受けて恵みが少し持続はできます。しかし、自分の家に行って崩れて、職場に行って崩れて、試みにあいます。このタラッパンが怖いのは、講壇上のメッセージも福音が確実ですが、訓練も確実ですが、私たちの信徒が留まった現場でまさにタラッパンが働くのです。ハレルヤ。静かに私がいる職場と地域で、この福音が宣言されるから、目に見えない暗やみが崩れると信じます。静かに契約つかんで祈るから、神様の働きが現れたのです。恵みを受けた者を通して神様が働かれたのです。
(1)一人で
▲一番重要なのが皆さんがだめならば、一人でタラッパンも成功しなければなりません。
(2)共に
▲個人キャンプ、人生キャンプになるようになる人は、一緒にするキャンプとなります。
(3)伝道キャンプ
▲それと共に今は伝道を開くキャンプもなるのです。これが祝福です。
▲そして要請します。柳牧師もそのような話をされたのですが、皆さんひとりが生きれば、みな生かされます。1人が生きれば、皆さんの家庭、皆さんの地域、みな生き返ると信じます。教会が正しく福音の中で、正しく恵みの中で、神様と方向が合えば、その教会一つのために地域全体は生き返ると信じます。今、私たちの韓国に、このタラッパン運動を通して、とても福音と訓練の中で動いているのに、ここに私たちの民族が生き返れば、世界は変わると信じます。働くことをイエスの御名でお祈りします。
(祈り)
ありがとうございます。主よ。大事なみことばの中に私たちを立ててくださることをありがとうございます。先に私たちの核心要員に先に全てのものにモデルになるようにしてください。それで使徒1章の契約をつかむようにして、契約の中で神様の働きを待って、私たちが待って、マルコの屋上の間に臨んだ聖霊の働きが火のように起きるようにしてください。五つの力と五つの能力とみわざが起きるようにしてください。私たちを通して静かに私たちの地域と家庭が変化するようにして、教会を通して私たちの地域が変化するようにして、核心要員と私たちの主のしもべを通して、これからは私たちの民族も変わるだけでなく、世界を変える働きが起きるようにしてください。イエス様の御名でお祈りします。アーメン
(The end)