2009年6月20日  核心訓練 ソウルイエウォン教会


RUTC時代の献身と答え(19)
伝道者がしなければならない体験
(使徒2:1-13)



☆☆☆要約資料☆☆☆
◆ 序論 - 体験した者が証人になることができます
1.マタイ28:16-20
2.使1:8
3.使1:12-14
◆ 本論 - 伝道者の体験
1.正確な福音の中での祈りの体験が鍵です
(1) 使1:12-14
(2) 使2:1-6
2.福音の中での伝道体験です
(1) 使2:9-11
(2) 使2:41-42
3.伝道の中での現場体験です
(1) 使2:43-45
(2) 使2:46-47
◆ 結論
1.伝道者の定刻祈り
(1) 詩1:1-6 (2) 使1:12-14 (3) Ⅱコリント12:1-10
2.伝道者の常時祈り
(1) エペソ6:18 (2) Ⅰテサロニケ5:17
3.伝道者の礼拝
(1) 詩103:20-22   (2) ヘブル1:14 (3) 黙2:1-3:20
(The end)

☆☆☆録音資料☆☆☆
序論
▲韓国で信仰生活をよくしていた方が米国に行きました。ところが、うまくできなかったのです。とても実力もあって、こういう人だったのに...外国集会に私が行ったところ、いつも行けば前の席に座っていたのに見えませんでした。それで尋ねたところ、この頃、姿が見えないということでした。また、尋ねたところ、教会にも通っていないということでした。それで私が一度会おうと言いました。それで、少しの間、話をしたのです。申し訳ない、何かどうしていて、こういう難しい話をしていました。教会も行かなくて、なぜそうなのかと私が尋ねました。教会を出たと言いました。それでは、どこへ行っているのですか。そのまま一人で。なぜ出たのかと尋ねました。すると、色々な不平を話しました。ひとまず不平の95%は、その牧師に対する不平でした。何でも牧師が思いどおりにする。それも、とても人間主義にする。そして間違ったことがとても多い。それで、今、教会に問題がたくさん起きている。自分は、これ以上、恵みを受けられなくて行けない。それでも祈らなければならないのではないかと、私が言いました。そして、祈って行ったのです。その牧師に会ったので、尋ねたのです。その人がどうしてそうなったのかと尋ねたのです。完全に不信仰だけ話していったい、対話にならないということでした。その人に会えば、他の人まで不信仰になるということでした。それでいっそ来ないのがより良いと話していました。私はその話を聞きながら、よく考えてみました。もしかして、その人々だけそんなことなくて、米国でたくさんそうではないのでしょうか。米国だけそうなのでしょうか。韓国ではそうではないでしょうか。フィリピンや日本でもこうしたところは、そうではないのでしょうか。そんなことを考えながら、簡単なことでないと思いました。それで、さらにはっきり調べれば、さらに深刻な事になります。
▲福音ならばみな終わることなので、皆さんが100%譲歩しても大丈夫です。それで、福音はみな奪われても大丈夫です。むしろさらに多くのことを得るようになります。なぜ人々がむなしい苦労をあのようによくするのでしょうか。福音を持った軍人1人がいれば部隊を生かせます。むしろ多くの制約を受けるのですが、初代教会のように弟子を見つけられます。むしろ正確な聖霊の導きを受けられます。ローマでキリスト教が国教と宣言されて、全部みんな教会に行く時、むしろ福音はなくなりました。
▲体験(証拠)
私たちのキリスト教は体験の宗教ではありません。私たちのキリスト教は、福音は恵みの宗教です。また、信仰の宗教です。しかし、伝道者が必ず体験しなければならないことがあります。皆さんが必ず体験しなければならないいくつかのことがあります。それは、正しく証拠を握らなければならないということです。今日、皆さんがいくつかの証拠を握って体験しなければなりません。キリストを体験するということより、福音はすでに私たちが受けたのです。
▲序論-復活の主(歴史的証拠)
先に序論の部分に見ましょう。何を体験しなければならないのでしょうか。復活の主を体験しなければなりません。それ以前には、初代教会が力を出せませんでした。キリストに会った体験をし終えた後からは、変わったのです。どのように復活の主に会うのでしょうか。皆さんが見れば、歴史的証拠を握らなければなりません。大部分の信徒がこれを握れないでいます。ある牧師は復活をしなかったとまで言います。大韓民国のある神学校では、イエスの復活を信じないと言います。それは精神復活であって、実際の復活はしなかったということです。私が知っているのでは、そのような神学校が半分を越えます。それらがまさに異端です。ところで、本当におもしろいのです。その人々は正統で、タラッパンは異端なのです。それを見て主が笑われながら...あざ笑いだと言うことですが、この復活の主を体験できなかったとすれば、証拠から握らなければなりません。
▲女の子孫、処女-インマヌエル、キリスト、復活
聖書にとても重要な女の子孫、とても科学的な話です。処女マリヤが身ごもって男の子を産む。その名前をインマヌエルと呼ばれる。とても科学的です。人間は人間を救い出すことができないから、神様が直接の人の体で来られたのですが、それが女の子孫です。預言されました。十字架で死ぬ。苦難を受ける。勝利する。その方が、まさにメシヤで、キリストです。キリストという証拠で復活される。ところで皆さんこれを信じられないのです。皆さんは永遠に死にません。皆さんも復活して、私たちも復活します。後ほど完全に終末のことですが、私たちのからだがまたよみがえって変わって天国に行くのです。そこにイエス様は初穂と言われました。それは無理に信じるのではなくて、とても科学的なのです。皆さんのご両親が亡くなったのは、たましいがそのまま天国に行ったのです。後ほど天国で永遠に生きる体で復活して、変化して天国に行くのです。イエス様がそうなって行かれました。ですから完全に科学です。処女が身ごもって男の子を産む。これは、普通の話ではありません。その名をインマヌエルと呼ばれる。この証拠がないのに、聖霊が働くはずがありません。ですから、いろいろなことをみなしてもだめなのです。皆さんの事業うまくいきたいのでしょうか。聖霊が働かれてこそ、力が現れます。その人はそのまま置いておけば、おかしくなってしまいます。ですから、聖霊が働いてこそ癒されるのです。ここに対する証拠がないのに、どのように信仰生活をするのでしょうか。いくら立派でも釈迦は男の子孫です。いくら私が騒いでふざけても男の子孫です。女の子孫はものすごい言葉です。とても科学的な言葉です。福音とは何でしょうか。科学とは何でしょうか。事実通りするのではないでしょうか。人間は救われることができないから、神様が救い出されました。それが科学です。霊的です。サタンに勝つことができないから、女の子孫が蛇の頭を踏み砕かれました。これが科学です。これが信じられなければ、全てがみな違ってしまったのです。言わば人間の姿であって人間ではありません。完全に聖霊の働きが起きないのです。それで、この事実を信じるのに、教会の中で長老、牧師が一言だけ変わってしまえば、教会は生き返ります。何の頭を使うこともなくて、動機を使うこともなくて、そのまま置いておけばみわざが起きるようになっています。
(1)マタイ28:18-20
▲どんなみわざが起きるのでしょうか。天と地のすべての権威がわたしには与えられています。このように復活された主が言われたみことばです。天と地のすべての権威をわたしが持っている。わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。
(2)使徒1:8
▲どのようにでしょうか。聖霊で確かに約束されました。ですから永遠にあなたとともにいます。あらゆる国の人々を弟子としなさい。目を洗って見ても心配しろということは書いてありません。目を洗って見てもお金を心配しなさいとは書いてありません。
(3)使徒1:12-14
▲この契約を持った者が集まったが、最高の答えが起きたのです。信じるように願います。
▲これを信じられなければ聖書66巻全体を否認してしまうのです。それでは教会になるはずがありません。それで、あそこカナダのどこかの教会の連合会長が言いました。私は復活が信じられないと言ったそうです。信じられないでしょう。だから、教会は職場でみわざが起きません。その教会はクラブであって、何もみわざが起きないのです。
▲私は信じる程度ではなくて、確信があります。何の心配もすることが本当にないということです。釜山で昔に土地を買ったのに、牧師先生、私たちが今、土地を買うのに契約金がないということでした。契約金を何億ウォン出さなければならないのに、ありません。それではなければしなければ良いのではないですか。それでも、なんとかして求めなければならないのではないですか。いつまですべきなのか。一週間残っています。一週間でも残ったなら、神様は一日が千年のようで、千年が一日のようなのに。一週間、契約金ができなければ、神様のみこころではないし、できればすれば良い。何の心配にもなりません。それでも、できるところがなくては。教会は今、マイナス予算なのに...正確な日に契約金ができました。盗んだのでしょうか。違います。神様が与えられました。正確な日に内金を支払いました。正確な日に払ったのです。そして、その周囲の土地をみな買いました。何をそんなに心配することが多いのでしょうか。味わうことは味わわないで。皆さんが本当に見れば、それでしばしば問題が起きるのです。皆さんは伝道者です。心配してはなりません。心配を確かめてみれば、それは不信仰なのですが、それはひどいことなのです。また集会する時、皆さんの役に立つかも知らないのですが、インマヌエルソウル教会で教会をまた落札しました。多くの人々が心配するのに心配しないで。できるようになっているのです。長老がちょっと苦労するのであって、私たちは味わいましょう。心配することもありません。私たちがしきりに序論がだめなのです。聖霊で働くということにならないから、伝道者になることができるのでしょうか。本当にこういう信徒が1、2人出てくれば教会は生き返ります。本当に、こういう長老が二人だけいれば教会は生き返ります。みな崩れても、牧師だけ揺れなければ教会は生き返ります。
▲本論-講壇でみことばの証拠
何の証拠を握らなければならないのでしょうか。二番目です。この契約を悟ったら、皆さんはずっと講壇でみことばの証拠を握らなければなりません。このように続くのです。皆さんが本当にこの証拠を持って、聖霊の働きが起きれば、その次からは講壇を通じて、みことばの証拠が起きます。

1.祈りの体験
▲皆さんが講壇を通じて聖日に祈り体験ができなければなりません。その日、切実に、10日間、祈ったが、最高の答え、五旬節の日になって。

2.伝道体験
▲皆さん目を開いて見れば、教会で講壇メッセージの証拠を握ったが、伝道体験がみな起きます。15ヶ国が来ていました。そして門を防いでおいたが3千人の弟子が起きたのです。これは今、私の話ではなくて、皆さんを説得するのではなく、証拠を話しているのです。今回の軍宣教大会には、皆さんが信仰を合わせて下さることを望みます。特に牧師、皆さんの教会の教会信徒が軍隊へ行くでしょう。軍隊に行く前に、みなこの人たちを連結させて訓練を受けて送るべきで、そのまま軍隊に行けばとても困難にあいます。そして、私たちが今、軍の部分にはこの方たちは、決まっているが、みな参加しなければなりません。なぜなら、軍隊は行ってみれば全部みな畑です。皆さんが歴史的証拠を、復活の主の契約の証拠を握れば、講壇でみことばの証拠がずっと起きます。

3.現場体験
▲みことばを握ったがすでに現場が見え始めます。これが体験です。それで、この体験を継続すれば、ひとまず目が変わります。私たちの勉強する方々が、知識人が、この体験をできなければ、しきりにそこに対してだけ見えます。そしてこの目が変わって、色々なものがみな変わってしまうのです。
▲結論-個人、現場証拠
このようになるから、初代教会はいくら困難がきても関係ないのです。これで終わってはいけません。今日から必ずしてください。今は個人が証拠を握り始めるのです。そのままこのみことばが個人を通して、何が現れるのかというと、現場の証拠が現れます。どれくらいすごいでしょうか。現場に行ってみれば答えが来ています。このようにならない以上、私たちは伝道するのが難しいのです。私たちのレムナントが外に出て行ったが、答えが来ていなければならないことで、なければ難しいのです。
▲私は今でもそうです。私は今でも恥ずかしがりだから、どこかへ行って、他人に話をすることはできません。ですから、私は今でも門が開かれていなければならないことで、開かれなければできません。聖書に見ると、ちょうど私と体質が合います。私はひとまず恥ずかしくて言えないのです。ところで行ってみれば、また来ているのです。考えてみてください。道を過ぎ行く人をつかまえて、もしもし、どうなるでしょうか。ところで、ぴったり準備されているならば、どれくらいやさしいかわかりません。私の基本の性格は変わるでしょうか。私が前にも話しました。時間はなくて私が文を書こうと食堂に入ったのです。それで秘書たちと食事しないのも良い。なぜでしょうか。時間を減らせるから。特別に集会に行かなければ、あなたたちは自分たちで食べなさいと、私は自分で文も書いて、食事もしたりするのです。食堂に入ったのですが、人が満杯でした。それで、食事を作らせておいて食べるのに、この人がスープを持って来ないのです。それで呼ぼうとしたら、とても忙しそうでした。私が心がどれくらい弱いのか、呼びませんでした。通り過ぎたら話そうとしたのですが、通り過ぎなかったのです。それで、ご飯をみな食べました。出てきて計算する時になったのです。それで笑いながら話しました。スープがなかったと。そうしたところ、お金の計算は主人がしているようでしたが、この人がびっくりして尋ねたのです。それなら言ってください。とても忙しそうで、そのままで良かったと言いました。主人がとても申し訳ないと言いながら、お金を取りませんでした。それで、スープだけなしで、そのまま食事をしてキムチもみな食べて出てきたのです。このように、現場に答えが色々ときます。私たちが怖くなることが何があるのでしょうか。
(1)定刻祈り-個人
それで現場で個人が味わった証拠が何でしょうか。それが定刻祈りです。伝道者の定刻祈り。このようにぴったり連結するのです。キリストがすべての問題を解決して、教会と講壇を通して、証拠を握って、私が一人いる時、証拠を握るのです。定刻祈りというのは何でしょうか。私が受けたみことば握って、私の一生祈りの課題を握って、毎日、証拠を捜し出すのです。ダビデはどんな証拠を握ったのでしょうか。主が私の羊飼いだから乏しいことはない。死の陰の谷間に通っても大丈夫だ。それは、死の陰の谷間に会ったことがあったということです。それでも大丈夫です。主のむちと杖が私を慰める。このように証拠をいつも握るようになるのです。こういう祝福が伝道者の皆さんにあるようになるように願います。こういう祝福が、軍の使命者に必ずあるようになるように願います。少し祈ってよく見れば、門があります。私はひょっとして賛美チームが出て行く時、ついていけば、私はこの人、あの人に話をできません。私たちのチームが賛美もして、演劇もします。その間を利用して私たちの青年たちとレムナントが行って福音を伝えるのです。ところで、私は恥ずかしくてそれもできません。そのままじっと見ています。そうするうちに、誰かを呼びます。ペク・ウンギュこっちにきてみて。あの人に行ってみて。それでぴったり行けば間違いありません。ところで、牧師先生、どのように分かりましたか。ぴったり行ったが、完全に備えられた人です。この人たちは、今、勘違いしているのは、私が何かの道を悟ったのかと思っています。そうでなくて、恥ずかしくて、単に見ていたら、みことばを聞いているのが違うのです。単に聞くのとは違うでしょう。その時、誰かがいなければ私が行ったはずですが、いたので、私が行ってみなさいと言ったのです。伝道も、そのままみな準備されています。マルコのタラッパンで祈っていた時、どんなことが行われたのでしょうか。また、この定刻祈りはそのような程度ではありません。パウロは3次元、4次元の世界を見るところまで入ることもしました。
1)導き 2)聖霊 3)癒し
▲皆さんが定刻祈りを正しくすれば、神様が導かれるのを見るようになって、聖霊が働かれるのを知るようになるのですが、定刻祈りを正しくすれば癒しも起きます。パウロが病気を置いて祈ったでしょう。
(2)常時祈り-現場
▲伝道者の皆さんが味わわなければならない証拠、常時祈りではどんな証拠を握るのでしょうか。常時祈りでは、すべての現場に起きる証拠があります。これを捜し出すのです。定刻祈りは、私個人の証拠を捜し出すことならば、常時祈りは現場の証拠を捜し出すのです。まちがいなくあるから。それで、そのまま探せないから聖霊にあっていつでも祈りなさい。私の実力で探せば錯覚するから、絶えず祈りなさい。
(3)礼拝祈り
▲皆さんが講壇メッセージを握る時、そのメッセージを握って一人で祈る時、礼拝する時は、どんな証拠を握らなければならないのでしょうか。皆さんが礼拝する時、どんな証拠を握るのでしょうか。これをのがしてはいけません。礼拝はたくさんささげるほど良いのですが、のがせば礼拝が大変です。礼拝をささげる時、どんな証拠を握らなければならないのでしょうか。今、礼拝する時、どんなことが起きるのでしょうか。
1)天使
▲必ずみことば聞いて証しする時、主が主の天使を今、派遣されます。そうでしょう。私はこれに確信があります。みことばを聞く時間に、正しい福音を持った人が礼拝をささげる時間に、現場に、このようなことが行われるのです。これは私の体験ですが、確かに聖書にあります。
2)ヘブル1:14
▲皆さんが困難にあっているのをご存知で、ヘブル1:14に神様が天使を送って助けられる事が、いつ行われるのでしょうか。みことばを聞く時です。礼拝する時です。
3)黙示2:1-3:20
▲黙示2:1-3:20に見ると、七つの教会をキリストがしっかりと握っておられます。このみわざがいつ起きるのでしょうか。礼拝をささげる時。
▲神様の祝福を握るように願います。それで現場に行けば無理につかむ必要はありません。証拠を握りましょう。例えば、私がこの人に会ったとしましょう。それでは私がこの人に何をしてあげなければならないのでしょうか。みことばを与えなければならないではないでしょうか。他のものを与えてはいけません。みことばを与える時、どんなみことばを与えなければならないのでしょうか。この人に必要な証拠があるでしょう。それを与えるのです。その時、主の聖霊が、主の天使で働かれるようになっているのです。これが伝道者が受ける祝福です。何も恐れる必要はありません。軍に驚くことが行われるようになります。
▲結論を結びます。必ず参考にしなければならないことがいくつかあります。
(1)順序
▲最初です。常に順序を変えてはなりません。これを味わっていればくるのです。くることのためにせずに、これをしていればくるのです。あなたがたは、神の国とその義とをまず第一にも止めなさい。そうすれば、それに加えて、すべてのことは与えられます。これが順序なのに、私たちはそうすれば、すべてのもの、それだけ求めて歩くのです。この順序が何でもないようでも、未来とも関係があります。答えがくるのをすべきだ、来なかったのに、つかもうとするのです。もっとも祈りをまったくしなかったから、くるかもしれないから、そのようにするのでしょうが、これをすればずっときます。ですから、この順序を変えてはいけません。今から皆さんが軍でこれを置いて証拠を見つけていると、このようにきます。
(2)共に
▲二番目です。必ずともにする時、起きる奥義がまたあります。そのまま暮していれば良いのに、軍宣教をなぜするのでしょうか。ともにする時、起きる答えが別にあるのです。分かるでしょうか。五旬節の日になって、1ケ所に集まったところ。レムナント集会は何でするのでしょうか。ともにする時ある証拠がまたあるから。わかるでしょうか。この証拠を握らなければなりません。ここまでが結論です。私が知っていることでは、皆さんは伝道者だから、信仰生活でこれをのがしてはいけないのです。これがとても重要です。私は常に重要だと言うのですが、これは本当に重要です。本当です。これをのがしてはいけません。
(3)未来(レムナント)
▲その次に三番目です。こういうものをみな見れば、もうぴったり見られることがあります。未来に対する証拠です。これから軍はどうなるのでしょうか。その証拠をしっかり握って準備するのです。これから中国と北朝鮮はどうなるでしょうか。これから、日本、米国の霊的状態はどうなるでしょうか。さらに笑わせることは、これから韓国教会はどうなるでしょうか。証拠を握らなければなりません。それで、私が今年と昨年、数年だけソウル、釜山を合わせて未信者にひやかされて崩れる教会を五つも買いました。教会が不渡り時代を迎えるでしょう。準備しなければなりません。皆さん、それだけではありません。これから世界福音化がどのように起きるのか未来を見てください。証拠があります。レムナント7人が堅く握ったのが何でしょうか。結局は、未来の証拠を握ったのです。初代教会の使徒1章に、何の証拠なのでしょうか。未来の証拠です。これから軍で働く皆さんが、そのまま終わるのではありません。時代が変わる時、軍の働きにとても重要な時刻表が残っています。これを契約で握るように願います。
(4)経済(献金)
▲最後に握る証拠です。できるのに、まただめなことが一つあります。みなできるのに、だめなのが一つあるのです。また、みなだめで、まただめなことがあります。経済です。話は良いのに、お金になりません。あるものは仕事もだめで、お金もだめです。証拠をつかみましょう。
▲今日から私が神様の前に一生を生きる間にRUTC、教会、宣教をどのようにするか、証拠をつかみましょう。他のことはみなするのに、これはしないのです。皆さんの未来が誰の手にあるのでしょうか。神様の御手にあります。私はこの証拠を握ってまた答えがきました。それで今までタラッパン運動をするようになったのです。皆さんは伝道者です。牧師先生、私は力がなくて、どうしますか。力がありません。イエス様がおっしゃられました。ただ聖霊を受ければ、力を受けるようになる。牧師先生、私はそれでも問題がとても多いのですが。聖書はこのようにおっしゃっています。何も心配してはなりません。それを祈りの課題としなさい。それも感謝ながらしなさい。人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いを守ってくださいます。伝道者の祝福を回復するようにイエスの御名で祝福します。
▲今日は特別にメッセージを握ってそばの人を祝福しましょう。このメッセージを考えながら、あなたは伝道者です。笑う時もそのように笑ってはいけません。心より祝福しながら笑ってください。残った生涯、祝福があるように願います。祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。今日、証人が集まりました。神様のみことばを正しく回復する証拠を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)