2010年5月8日  核心訓練 ソウルイエウォン教会 講師:ペク・ウンギュ牧師 (整理:チャ・ドンホ牧師)


RUTC時代の新しい開始(17)
伝道者の決断
(使徒18:18-23)



〓教材資料〓
神様の人は、実践する力と環境が備えられなくても、決断を下す時に神様が力を与えられます。そして、弱くなる時、神様は再び力を与えられます。アブラハムが下した決断(創13:14-18、14:14-20、22:1-20)、Remnant 7人の小さな決断は、神様の大いなる働きを成し遂げました。ダニエルと3人の青年の決断は、時代を変えることを起こしました(ダニエル3:8-24、6:10-22、10:10-20)。パウロがケンクレヤで髪の毛を切る決断をしたのは、神様に大きな誓願をする決断でした。

1.どのような決断が大きな答えを成し遂げるのかを詳しく見なければなりません
(1) モーセの決断は、何百年ぶりに下す福音の決断でした (創3:15、出3:18)
その後、どんな奇跡が起きたか私たちは知っています
(2) サムエルとダビデの決断は、14人の士師の時代を通して逃したことを見つける決断でした
(Ⅰサムエル16:1-13)
(3) バビロンでの決断は、モーセ以降、800年ぶりの決断でした (イザヤ7:14)
(4) 初代教会の決断は、700年ぶりの決断(マタイ16:16)であり、ルターの決断は、初代教会以降
1500年ぶりの決断であり、私たちはルター以降500年ぶりの決断です

2.パウロの決断は、使18:32-19:1まで、2400kmを伝道するために旅行する決断でした
(1) 伝道のための決断 (使18:18-22)
(2) 弟子を立てるための決断 (使18:23)

3.21世紀を迎えた伝道者はどのような決断を下すべきでしょうか
(1) RemnantとRUTC時代(イザヤ6:13)の決断を下すと、すべてを回復することができます
(2) 重職者と地教会の決断は、キリスト教を生かす決断です
(3) OMCはRemnantのための時代的な決断です
(The end)

〓録音資料〓
→序論
▲今、柳牧師は、今週はペルー、次週はシカゴ集会のために全部、出張中です。アメリカから電話がきて、あなたが今回、土曜日にすべきとおっしゃりながら、講義しようと思わずに報告しろとおっしゃられました。柳牧師とこのように長くいっしょにいたので伝道者に対する話もして、それとともにあなたがしたい話をしろとおっしゃられました。内心、本当にですかと思いました。したい話をみなしろと言われたから、どれくらいチャンスでしょうか。ところで、この場は私の場ではないから、私が心安らかにできないのです。多分、今、私たちの教会の信徒と、特に私の家族が私よりさらに震えていることでしょう。
▲今日見たら、伝道者の決断となっています。普通の人々も決断したら、とても覚悟を強くするということではないでしょうか。何か大きいことをしたり、いのちをかけなければならないということがあれば、決断をするのです。
▲福音-完全
私たちが持っている福音は完全です。確かにソウルなので違うことはあります。朝に産業宣教と講師団メッセージをしてきたのですが、私が今まで生まれて黒板講義をこのようにきれいに書いてやったことがありません。今日しながらも私もびっくりしました。私たちに与えられたこの福音は完全ではないでしょうか。
(1)キリスト
▲私たちに与えられた最高の福音、キリストという奥義は、完全な神様がくださった最高の祝福です。キリストという奥義のゆえに、私たちが罪と呪いと地獄という永遠な刑罰から解放されました。簡単に話せば、私のような者を主がそこから解放させるほど、キリストは完ぺきな方です。それだけ福音は完全なのです。それでも、今、私の状態は…こういう方がおられます。その状態は本当に言葉どうり柳牧師が以前に一度話した通り、それはあなたの事情で福音は完ぺきです。完ぺきな福音を握って「それでも…」これが奇跡ではないでしょうか。先週にも柳牧師がおっしゃられて、今朝、産業宣教でも少し話をしたのですが、問題ではないのに、問題だと度々話す方たちがとても多いのです。完全にそのような人生は違った人生ではないでしょうか。問題ではないが問題だと言うから。自分が作り出した問題が多いのです。確かに神様のみこころと計画がある問題なのに、自分がそれを束縛していてはいけないのです。多くの人々はそのようにします。問題を束縛しているのです。ヨセフに奴隷に行けというのに、ヨセフが束縛すれば、だいぶ困るようになります。それで、ある方はそのようにします。もちろん、すべてのことに神様のみこころがあるのですが、それでも問題が来なかったら良いと言います。問題がない人生は、地味につまらなくて、どのように生きるのでしょうか。福音は完ぺきですが、ところで問題がきたとすれば、これは完全な神様の答えのある計画ではないでしょうか。このように話しながら、私も問題がくればため息をつきます。また何をくださろうとされるのでしょうか。こう言いながら。それでも問題がくれば問題の中に入りましょう。多くの人々が問題をくるなと束縛せずに…私たちはこのように話します。ああ、これもなにか神様のみこころではないかと言います。祈って答えが来なければ言う言葉、ここもなにか神様のみこころがあるだろう…その神様のみこころを分かろうとするなら、そこに入ってみてこそ分かるでしょう。ところで、多くの人々がそこに入らないと言います。そのまま入れば良いのに。もっとも奴隷が口笛を吹いて暮らすことはないでしょう。しかし、私たちに与えられたキリストは完全です。完全なのを私たちに与える神様の祝福の内容がまさに問題です。それで現場福音メッセージに見ると、このような言葉が出ています。問題は神様の祝福が仮面をかぶって現れたことです。それが問題です。神様の祝福が問題という仮面をかぶって現れるということです。それだけ完ぺきだということです。
(2)神の国
▲そして、私たちには完全な神の国の祝福があります。少なくとも、私たちは天の御座の祝福が私たちと関係があります。私たちが祈って重要な神様の計画を成し遂げる所に私が関係あるならば、神様は天の軍隊も送られます。牧師と長老の中で神様はだれをさらに愛されるでしょうか。こういう考えをしてみました。神様は牧師をもう少し愛されるようです。ヒゼキヤという王がいるでしょう。夜中祈ったが天使が1人きました。エリシャという人は、夜中寝ていたのですが、天の軍隊が総動員しました。ヒゼキヤは王であるから牧師ではなくて長老でしょう。エリシャは職分が預言者だから牧師です。だれをさらに愛されるのでしょうか。もっとも天使一人だけきても18万5千は終わります。それと私が関係があるということです。ヒゼキヤに派遣されたその天使を、皆さんが失業者にしてはいけないのです。エリシャに訪ねてきた軍隊が、今、行くところがないなら、いけないのです。少なくとも、私と皆さんのために彼らがとても忙しくなければなりません。こういう祝福を私たちに与えられました。行く所ごとに暗やみが砕かれて、世の中の権威が砕かれる、その神の国! 悪魔はいろいろなことをみなしますが、キリストの名前の前には無気力になります。それで、皆さんの前におきることに、キリストの名前をどんどん入れましょう。それだけ完ぺきなのです。
(3)聖霊の満たし(導き、新しい力)
▲そして、私の力では弱いということをご存知で、主は聖霊に満たされる力を与えてくださいます。皆さんが少しだけ聖霊に満たされれば終わるのではないでしょうか。この頃、柳牧師がこのように聖霊に満たされるご自身の方法についてたくさん話されます。ちょっと深い呼吸の中で祈ると言われました。柳牧師の他に深い呼吸と祈りと自分がする働きを連結させたとき、証拠があるのでしょうか。このように実験をしてみて、手助けしてみた方々が見たら、たくさんありました。ひょっとして釜山で聞いているかも知れませんが、学生一人が高3の時、自分がクラスでほとんどびりだったということです。それで、学校の教師である勧士がその子をつかんでイエスを受け入れさせて祈りも教えたのです。それとともに、深い祈りもちょっと教えて、そこに福音に対するとても重要な奥義の中で、祈り方も教えたりしたのです。その上に、勉強を少し、その子がする勉強を学校先生であるから手助けできる場合があるので、それを少しいっしょに合わせて子どもを教えたのです。高3の時にびりだったということは、その先生とこの子どもが会った時は、およそ3月以後に会ったということでしょう。11月に修学能力テストを受けるから、ほとんど長くしてみても8ケ月くらいだったということです。ところでびりだった奴がSKK大学に行きました。それなら良かったのではないでしょうか。2年の時に会ったらソウル大も行ったでしょう。私たちの力でだめだから、神様は聖霊に満たされる祝福を与えられました。それで皆さんに呼吸祈りと深い祈りをしろという言葉を言う時、その話を聞く時に深く息するのではなく、普段にしてください。なぜこの力が必要なのでしょうか。完全な導きを主がなさるためです。そして、私たちが得られない新しい力を与えてくださいます。
▲このように福音は完全です。この完全な福音を私たちが持っているのです。
▲土台-そこに私たちはまた完全な土台まで持っています。先週にも柳牧師がおっしゃられました。
(1)契約の土台
▲私たちが少なくても創造から定めまで、契約の土台を持っています。すでにこの土台をすべてくださいました。
(2)信仰の土台
▲そして神様の主権から報いまで、私たちに10の信仰の土台も与えられました。
(3)祝福の土台
▲現場の中で、いつもこの祝福を受けられるタラッパン、ミッションホーム、地教会という祝福の土台もすべてくださいました。
▲いやし-こういう奥義を持っている私たちに、また年初には3つのいやしまで、みなくださいました。
(1)過去-土台
▲私たちの過去がいやされて、それで、私たちのすべての過去が土台になって、過去を土台にみなさなければならないからといって土台になるのではありません。本当に土台になるしかはない契約を私たちが確認したでしょう。それで、私たちが土台の祝福を味わえるのです。
(2)今日-最高
▲今日を最高の祝福にして、今日最高の祝福を受けられるのです。
(3)未来-確信
▲未来には確かに私たちに与えられる貴重な祝福で征服できる確信を与えられました。
▲私たちに与えられたことは、このように完ぺきです。それなら、このように完ぺきなことを持っている私たち伝道者、私と皆さんが少しだけ決断したら…今日の本文にパウロが決断します。少しだけ決断したら、すばらしいことが行われるのです。
▲こういう奥義の中を歩いていくのに、人生には通っていると、重要な峠に会うようになります。しかし、決断した人には峠が峠ではありません。また峠に会う時ごとにこの福音を持って決断すれば良いのです。一度は、私たちの総会神学校ではなく、私が合同側の神学校に通っていた時でした。一学期を終えて、期末考査試験を受けて、その単位が出てきてこそ、次の学年へ行くでしょう。ある科目の試験を受けたのですが、私を呼んでこのように尋ねたのです。学校を止めるか。教会を止めるか。しばらくタラッパンについて問題だと言われた時でした。私はその時、牧師ではないから免職とは関係がなかったのですが、代わりに学校問題が一番ひっかかったのです。それでは、学校は私にそのように言えば私が葛藤すると思ったようです。卑怯です。一つの科目として呼んだから。巧妙でした。それで、私がそんなことは2度尋ねることもないと言いました。それでは学校側では教会を止めたというかと思って、そうかと言いました。それで、その場で試験用紙を渡して、ボールペンもみな出してきました。答えを確かに持っていれば、決断することもやさしいのです。また、教会がこのようにずっと過ぎ行く中で、多くの峠がありました。その時ごとに柳牧師と重職者たちが決断するのを見ると、本当に福音を選択する決断は、今日のようなこういう祝福を作り出します。1999年でした。牧師がご自分の決断を新しくくだすとおっしゃられました。タラッパン全体に第2の開始を始めなければならない。柳牧師個人も、私も第2の人生を決断するとおっしゃられたのです。その決断をしたその年から出てきたのが、おわかりの通り伝道キャンプ時代でした。しかも、この前に決断されました。2008年度にすべて立てられる重職者を握って決断する。それで2008年6月6日を重職者の日だと始められたのです。そのことのために2007年から引続き重職者を立てて来られました。私たちのタラッパン全体が決断して、今、重職者時代を開いたでしょう。2010年度を越えてきながら、もう一度の決断がありました。それが私たちの伝道専門時代です。伝道専門に対する訓練時代を開いたのです。今、だんだん教会をそのまま見ると、私たちの信徒がスケジュール表を組むのが、ますます確信で成っていっています。さっきも見ると、西北支部青年たちが集まってフォーラムするのを、後からちょっと聞いてみたところ、自分たちどうし三十ヶ所を話していました。三十ヶ所地教会がもう広がり始めたということです。ここにおられるすべての方は、伝道専門訓練と合宿を置いて祈ってください。それを一度行ってくれば、人生の退屈さがみななくなります。退屈だという言葉がなくなるでしょう。一日がとても忙しいということを知るようになります。そして、空き時間、夜の時間、朝の時間がどれくらい大切だということを知るようになります。空き時間、夜の時間、朝の時間に私が何をするかが、まさに自分自身だと言われたでしょう。それで、私たちがこういう奥義を持っているから、少しだけ決断すれば、大きい祝福がこのようにくるのです。
▲私たちがぴったりいつ決断を下すのでしょうか。力と環境が良くならなくて難しい時、このような時にこの環境を恨まないで、そこでも良いと決断を下すのではないでしょうか。この中で成される決断ならば、神様は確かに神様の力を与えてくださいます。ダニエルが弱かった時、自分も捕えられていながら、やっと出てきて天使がさわりながら、強くあれ、頑張れと言ったでしょう。ダニエル10章を見れば、そんなことが出てきます。ダニエルがみこころを伝えられて決断する時から、神様が派遣したこの答えの天使がきて、おわかりの通りペルシヤの君主に捕えられたでしょう。監禁されたのかはわかりません。天使がそのように力がないかは知らないのですが、明らかなのは降りてくることができなかったのです。その時、ミカエルがやってきたのです。悪魔の勢力を見ればミカエルが来たので、みな逃げていません。やみの霊の親分がミカエルに負けたのです。黙示12:1-9を見れば神様が直接手を付けたのではありません。ミカエルを送ってあなたの手であの大きい龍を終わらせろと言いました。そのようなミカエルがやってきたから、みな逃げてしまったのです。ペルシヤ国の軍の霊がみな逃げてしまったのです。だから、少し止まっていた天使がまたダニエルに降りてきたのです。自分も弟子にあっておいて、そうしておいてダニエルに頑張りなさい強くあれと言われたでしょう。天使が少し閉じ込められていたのですが、天使でも慰めれば大きい力になります。ダニエルが大きい決断を下して、祈って倒れていたでしょう。皆さんが福音のために祈って倒れていれば、神様が力を与えてくださいます。皆さんが福音のために本当に切実に祈って倒れるのを、私達がしていないので力を感じられないのであって、これだけすれば良いのです。
▲アブラハムは、ここに決断を下したでしょう。私が他のもの必要なくて、ただ神様だけ見上げます。他の力が何が必要なのでしょうか。ただ私は神様の力だけ必要です。祭壇を回復して、礼拝を回復した時、アブラハムに神様がくださった大きい祝福を私たちが知っているでしょう。キリストを通した神様に対する重要な契約、この部分に対して決断を下すのです。それがメルギセデク前でのアブラハムの決断です。そして、雄羊の奥義で大きい決断を下すようになります。
▲レムナント7人がみなそうでした。レムナント7人が大きい決断を下したのではありません。小さい決断を下したのですが、神様は歴史を変える事を繰り広げられました。ダニエルと三人の友人のような場合、特徴が何でしょうか。心を定めたと言われています。神様が最も卑劣だと思っている偶像という部分を、文化に受け入れて、私たちのイスラエル、私たちの南側ユダがこのようにほろびた。それで偶像に捧げたものに対しては食べないという決断を下したのです。ダニエルは私が祈れば獅子の穴に入るということを分かります。獅子の穴に入って私が証拠を見せる!そのように祈ったのではないでしょう。今、捕虜が帰還して、エルサレムで神殿が建てられているのに、サマリヤの人々や色々な人々が妨害をして、今、建築が滞っているということです。この人たちがしきりに王にきて、しばしば嘘をついて、それで王が数多く変わったのです。その時、ダニエルが決断したのです。良い。私が死ぬなら死んでも、その人々の心を変えなければならない。それで時間を定めておいて、エルサレム神殿に向かって窓を開いて祈ったのではないでしょうか。この時、ことが行われたのです。この時の後に起きたことは皆さんがよく分かるでしょう。
▲パウロが今日の本文に見ると、ケンクレヤで髪を剃ります。ここには2つの説があります。大体的に見れば、パウロが誓願をしたのを仕上げで解く日だという話があって、ある人は、そうではなくてこの誓願したことは、どの場所でも誓願はできるが、ユダヤ人の法に解くのはエルサレムだけで可能です。それで誓願をする場面という話もあります。重要なのは決断を下したということです。ナジル人は誓願をする時、誓願を始める日に髪を剃って、終える日に髪を剃ります。一生のナジル人がいて、一部門に重要な期間にナジル人で誓約をしたりもします。多分、この前にあったコリント地域でいかなる理由のためにパウロが決断をする、そのような姿です。私たちもそうではないでしょうか。気分を一度変えてみようといえば髪を切ります。それで、こういうどんな重要な決断を下す部分があります。

1.大きい答え
▲こういう決断が大きい答えを成し遂げるのです。私たちも福音的な決断を下す、そのような祝福にならなければなりません。
(1)福音の決断
▲皆さんがおわかりの通り、モーセの決断を何百年ぶりにくだされる福音の決断でした。創世記3:15の契約をくださって、この契約の成就のために出3:18このことのために私の民を出て行かなければならないと決断するまで何百年がかかったのです。私たちが少しだけ福音の決断を下せば、ものすごいことが行われるということです。ここには今何千人がいるでしょう。ところでこの席に何千人がいるというから、使命者が多いという気がするでしょう。特にここにいる一般信徒が多いのですが、皆さんの現場に入れば、ひょっとして福音を知る唯一の人ではないでしょうか。ここは福音を分かる数千人の人ですが、皆さんの現場に行けば、皆さん自身が福音を知る唯一の人であることもあります。そのような皆さんが私の現場で福音的な生活を送り、伝道者の生活を送り、伝道者の人生7つを生きると少しだけ決断したら、みなさんが神様ならば、そのような奇跡を与えないでしょうか。与えるでしょう。
(2)神殿回復
▲サムエルやダビデのこういう決断は士師時代に14人という士師がいたのですが、その士師がのがしてしまったことを回復する決断でした。神殿に対する決断です。本当に福音に対する具体的な決断を下す、そのような祝福をくださいます。今の時代も皆さんがおわかりの通り、とても霊的問題がある時代ではないでしょうか。個人的に皆さんの実際の人生を通して、ダビデが告白したのですが、私が母の胎にある時から私が原罪の影響を受けたと言ったでしょう。それで原罪を持って生まれた後に育っていく中でできた、個人の人生に対するある一生の人生の中で、影響を受けた霊的問題がどれくらい大きいでしょうか。その上に、私たちは五千年の歴史を話すのですが、このように数千年間に流れてくる国家と党派争いの現象が、私たちの人生に影響を与えます。そして、世の中の現場にある多くのことが私に影響を与えます。これがもう長い間になったのです。その上、に霊的には霊的奴隷生活に捕われました。そしていたら、人生である大きいきっかけによって困難にぶつかるということです。この時、発生するのが霊的問題です。こういう時代の時、私たちが決断しなければならないことが何でしょうか。本当に私たちは神殿回復のために、決断を下さなければなりません。私たちの地域地域に、皆さんの教会が今建築の祝福を味わわなければならない理由が、こういう理由のためではないでしょうか。
(3)インマヌエル
▲バビロンで信仰の先輩が決断を下したのは、モーセ以後に800年ぶりの決断でした。どんな決断を下したのでしょうか。今は私たちが神様とともにする。神様がともにするこの奥義を、今は最後まで味わう。この力だけが私たちに必要だ。その決断を下したのです。
(4)初代教会
▲初代教会の決断です。初代教会はイザヤ以後に700年ぶりに決断を下しました。主は生ける神の御子キリストですというこの告白に私たちの人生を決断を下したのです。
▲私たちがタラッパンが異端という声を本当に多く聞いたでしょう。そのためか、私たちの信徒を見れば、タラッパン教会に通うという話をあまりしません。それでは、ひとまず私たちの自ら自身に尋ねてみてください。私たちが異端なのでしょうか。ある人は賢くするとタラッパンという言葉を言わずにしていて、たくさん深く入ってきた後にこっそり話すということです。それも一つの方法です。それでは、私たちが異端なのでしょうか。今でも見ると、ある教団側のある教会がタラッパンメッセージを使ったとのことために騒動が起きて、その教会から出て行けという小競合いが出たということです。タラッパン異端に対する資料を見れば、1995年から1996年の期間に出た資料です。今でもその期間にある資料だけ持ってきます。私たちはたくさん発展したのですが、私たちが異端という話は発展しなかったようです。皆さん、私たちがこういう話を聞いても、私たちはしっかりと福音的な決断を下していれば、神様が与えられる貴重な福音運動は確かになされるという気がします。すでに国内に私たちの教会数だけでも544個があります。海外にもタラッパンする教会も約300個があります。牧師だけで820人余りがいます。そして宣教師がすでに292人が出ています。教団的にも私たちは小さい教団ではありません。本当に私たちが頑張って、本当に少しだけ私たちが福音のために決断したら、神様は大きい祝福をくださるでしょう。

2.伝道-決断
▲それなら伝道のための決断は神様がどんな祝福をくださるのでしょうか。パウロの決断が使徒18:23から使徒19:1まで約2,400kmを歩きながら伝道したということです。およそ1,500マイルということです。すでにパウロは2次旅行を回りながら、アンテオケ教会に来るまで、すでに3千kmの旅行を終えて戻ったのです。新しい2,400kmをいくら休まないでまた出発します。特に彼が心にそのように描いたエペソ地域をはじめとする小アジア地域に対する福音運動を頭の中に、そして出発するのです。ケンクレヤの決断は、多分そのような意味を含んだ決断ではなかったかと思います。
(1)伝道
▲小さい決断でも、伝道のための決断は神様の大きい奇跡と関連します。
(2)弟子-地教会
▲今、私たちが重職者時代、レムナント運動をこのようにする理由が何でしょうか。弟子を立てるための決断です。さっき講師団メッセージの中でも私たちがそんなことを確認したのですが、今、私たちのレムナントの周辺に形成されている文化圏が、とても違うように形成されているのが多いのです。この現場に少しだけ弟子を立てると決断を下したら、神様のすばらしいことが行われるでしょう。少しだけ私たちの重職者が私の現場で地教会運動を繰り広げると、この決断を下したら、神様の大きいことと連結することができます。

3.私たち(今日)
▲今、私たちはどんな決断を下さなければならないのでしょうか。21世紀を迎えた私たちは、決断を下さなければなりません。
(1)レムナント、RUTC -時代
▲私たちのレムナントとRUTCに対する決断です。私が年齢が少し高い私たちの信徒に尋ねてみました。子どもたちがみな育って大学も卒業して、結婚する前の子どもをおいた両親に尋ねてみたのです。執事にはRUTCが何か意味がありますかと尋ねました。ですから、そのまま考えてみると献金すべきですよと言いました。私たちが少しレムナントに属している子どもたちを大きくしている私たちの両親は、RUTCとすればそこに契約を握って祈ります。なぜでしょうか。RUTCを握って祈れば自分の子どもがうまくいくかと思って。もちろんそのような決断も下さなければなりません。しかし、時代を見て決断を下さなければならないのです。本当に、私たちの時代とこれから未来に対する時代を見れば、RUTCとレムナントの決断を下さないわけにいきません。
(2)地教会-改革
▲今、私たちの地教会運動のための重職者の決断は、本当にある面では改革です。
(3)OMC -時代
▲このことのためにOMCに決断するということは、時代を変える事です。
▲伝道者の人生- 3つの今日、4つの現場、こういう祝福を生きる私と皆さんが、もう本当に伝道者の人生になるために決断を下す、そのような祝福になることを希望します。今日の伝道、今日の祈り、今日のみことば、今日のこの3つの祝福を味わう私と皆さんになるように願います。この奥義が世の中に影響を与えて、私の人生に影響が及んで、実際に私たちのタラントに、実際の職業に祝福になります。このことのための小さい決断!多分、この決断はRUTC時代のための新しい開始の土台になるでしょう。私と皆さんにこういう大きい祝福の決断が一週間下される大事な週になるように、イエス様の御名で祈ります。

(祈り)
神様、感謝します。数百年前に信仰の先輩だったモーセが下した決断、サムエルのような人物、ダビデのような人物が下した決断、ケンクレヤで決断を下したパウロと同じ、そのような決断。同じ決断を下す私たちすべての伝道者に主の聖霊の働きがあるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン.
(The end)