2008年2月26日 学院福音化 場所:ソウルイエウォン教会


2008年3月-ペテロの手紙第一



ペテロの手紙第一 概要

1.ペテロの手紙第一は、だれが書いたのですか
▲使徒ペテロが、シルアノに助けてもらって書いたものです(Iペテロ1:1、5:12)。ところで、皆さんはペテロについて、どれくらい知っていますか。ペテロについてよく知らないレムナントのお友だちのために、少し短くペテロについて説明します。
本来、ペテロはガリラヤ地方で魚を捕っていた漁師でした。そのようなペテロが、弟のアンデレを通してイエス様に会うようになりました。イエス様に会ったペテロは、3年間、イエス様と一緒にいて、あなたは生ける神の御子キリストです(マタイ16:16)という最高の告白をしました。しかし、ペテロは、イエス様が十字架にかかられたので、怖くなったのです。イエス様を知らないと、3回も否認したのでした。しかし、そのようなペテロを愛されたイエス様は、ペテロを許して使命(伝道)を回復させられました。後に、エルサレム教会の指導者になったペテロは、信徒達を養育して(使徒2:14-41、3:1-10),サマリヤとヨッパ、カイザリヤ、アンテオケなどを回りながら、福音を伝えて、AD 64-66年頃ローマで殉教しました。

2.ペテロの手紙第一は、いつ書かれたのですか
▲多くの人がペテロの手紙第一は、ペテロがローマに到着して殉教する前までのAD 64-66年頃に書かれたと言います。その理由は、ペテロの手紙第一で話す迫害が、まさにネロ時代の迫害であると考えているためです。ところで、なぜ迫害にあったのでしょうか。それはAD 62年に起きたローマの大火災のためなのです。ローマに手のほどこしようもない火事が起きて、その当時の王だったネロは、すべての責任をクリスチャンのせいにして、迫害し始めたのです。この時、使徒ペテロと使徒パウロが殉教したと言われています。

3.ペテロの手紙第一は、どこで書かれたのですか
▲ペテロの手紙第一5章13節を見れば、バビロンにある教会で書いたと言われています。しかし、正確にそこがどこなのかは分からないのです。しかし、多くの人がそこはローマだと言います。なぜなら、ペテロの手紙第一で話す迫害が、ネロ時代の迫害だと見なされていて、そこでペテロが殉教したからです。

4.なぜペテロの手紙第一を書いたのでしょうか
▲ローマの大火によって、多くのクリスチャンが迫害を受けたので、彼らを慰め励ますためにこの手紙を書いたのです。

5.ペテロへの手紙第一についてもう少し詳しく教えてください。
(1)Iペテロ1:1-12試練と救いの生きた希望
(2)Iペテロ21:13-2:10聖なる生活をしなさいと戒め
(3)Iペテロ2:11-3:12生きた希望を持った人の生活態度
(4)Iペテロ3:13-22苦難と試練での勝利
(5)Iペテロ4:1-19苦難の霊的な意味
(6)Iペテロ5:1-11教会指導者に対する戒め
(7)Iペテロ5:12-14あいさつと祝祷
(The end)



(録音資料)
序論
▲今まで、間違ったことでも、正しいことでも、長い間入った思想は必ず影響を与えるようになっています。共産主義でも、ヒットラー思想でも関係なく、大きい影響を与えました。それが問題です。70年間入った共産主義思想は、今でも世の中に混乱を与えています。ところで、その特徴が、幼い子どもから入ったのです。ですから、私たちはレムナント運動をどのようにするかが重要なのです。それで、私たちがこの集まりを一ケ月に一回ずつすることは、本当に祈りながらしなければなりません。
▲おもに、この2つのことが思想に影響を与えるのですが、親と教師です。そのまま置いておけば、どうなるのでしょうか。本能的に育って、世の中的に育って、子どもたちが知らないからサタンの文化が入ります。問題は、これが先に座を占めるのです。そのように見る時、私たちの教育はとても至急なことです。それで、一ケ月に一回ずつ集まる地教会と子どもたちの教育をすること、これは最善を尽くさなければなりません。静かに置いておいても、そのように世の中ことが入るのです。
▲私たちの孫娘が1年です。英語の名前はジェシカ、ソピンです。クラスの男の子から手紙がきたということです。手紙の内容が、結婚しようと...私たちの孫娘がどのように答えたでしょうか。分かった。一緒に結婚しよう。サインの代わりに、さらに笑わせるのは唇を描いて送ったということです。近頃の子どもたちが、こんなにもとんでもないのです。教えないでも、世の中の文化はこんなにも急速に速く入るようになっています。それで教師、親の教育が重要なのです。
▲それで皆さんのレベルに従ってするしかありません。それで、来月からは教材改編をしなければなりません。今、イエクを作っているのですが、これを先生が十分に活用して消化をすべきなのですが、それができない人が多いようです。それでこの講義は継続するのですが、改編をするつもりです。今、私たちのレムナントは祈りの手帳が出てきています。それで、とても子どもが重要だから、小さい子どもたちが見られる子どもの祈りの手帳を別に作らなければならないのではないでしょうか。それで、祈りの手帳を持って、学生たちが生活をするように、私たちが作ってやらなければなりません。それで、子どもたちに、この内容を祈りの手帳の中に入れてやりましょう。中高等部のレムナントも、祈りの手帳の中に一つずつ入れなさい。それなら、イエクは、別に作る必要がありません。ここで集まれば、親と教師たちに聖書的なものと専門的なことを併行するほうが良いと思いました。来月からそのようにするつもりです。
▲なぜそのように考えたのでしょうかというと、ひとまず祈りの手帳を持って、親が子どもたちに影響を与えなければなりません。それと共に、強制的にせずに、子どもたちにエリートの規律を植えなければならないのです。可能ならば、子どもがいる親たちは、皆さんの子どもが多くのことを経験するように導かなければなりません。そうしてこそ、その子がどんな子どもであるか、知ることができます。これを教師にも任せなければならないのですが、実際には親がさらに責任が大きくて近くあるのです。それで、来月からは子どもたちがいるご親たちは、子どもたちと一緒に、祈りの手帳を持って一緒にしなければなりません。また、子どもたちは、テキストにもなって...また、中高生、大学、青年たちは自らできるでしょう。そこに、テキスト一つだけ入れれば、学校、教会に行ってもそのままできます。イエクにあるのも良いものは、祈りの手帳に移せば良いのです。
▲その中で、今、ペテロの手紙第一を学ぶようになりました。ペテロの手紙第一についていくつか、先に知っていなければならないことがあります。3つくらい、先に理解しなければなりません。
(1)ペテロに関することです。ペテロは誰なのかよく知っていますか。ところで、最も重要なのは-
1)マルコ3:13節を見れば、イエス様が望みの者を呼ばれたと言われています。どんな人かという以前に、お望みの者を呼ばれたのです。その当時に、成功を狙うパリサイ人よりは、漁師がより良かったのです。すでに、他のものがたくさん入っている学者よりはペテロがより良いこともあります。ところで、このペテロがものすごい告白をして
2)マタイ16:16、地球ができて初めて、あなたは生ける神の御子キリストです。ものすごい告白をしたのです。
3)マタイ28:16-20、失敗したのですが、主はペテロに最後に復活メッセージを与えられました。すべての人に与えられたのですが、ペテロがメインになったのでした。
4)使徒1:1-8、その人々にこのメッセージを与えられたのですが、ペテロが核心になりました。
5)使徒3:1-12、地球上で初めてペテロが金銀は私にはないが、私にあることはいことがあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名で起きて歩きなさい。キリストの名前を初めて使ったのです。
▲使徒4:12、世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです、と言いました。
▲こういうペテロが書いた文だ(ペテロの手紙第一)。
(2)迫害
▲ペテロがなぜ書いたのでしょうか。というと、とても迫害を受けている聖徒に書きました。AD 60年頃です。その時に書いた手紙です。ところで、この迫害の核はローマです。その中に、ほとんど話しているのは、ネロ皇帝の時だと見られています。これは、ほとんど意見が同じです。ローマ皇帝10人の中で、最高に迫害をよくした人、クリスチャンを最も難しくした人の中のひとりがネロです。トミジアン皇帝、ネロ皇帝が、そうでした。さらに怖いのは、ネロは少し精神的な問題がある人でした。そのような怖い力を持ちながら、霊的問題を持った人だったのです。この人については、本も出ていて、映画もあって、たくさん出ています。その時、迫害にあった聖徒たちであるから、話にもなりません。その時、彼らにペテロがペテロの手紙第一、第二を送ったのです。少し歴史の研究をしてみると、ネロ皇帝は王室の正統な息子ではないということです。ネロのお母さんが、本来、王宮で踊っている女だったということです。踊っている女なのに、その女が王の後妻になったのです。後妻になったのですが、その時、幼いネロを連れて王宮に入って、ネロを育てながら力をあるようになったのです。それで、お父さん、兄、お母さんまで毒殺しました。この人が皇帝になって動いている時、キリスト教が起きるからつぶそうとしたのです。そうで市街地に火をつけて...火をつけておいては、クリスチャンに罪を着せたのです。罪を着せた根拠は、普段の時、クリスチャンが火の審判があると言っていたので、それを利用してひっくり返して着せたのでした。こういう凄じいローマの迫害が250年間、継続されたのです。その中で、ネロ皇帝はとても大きい迫害者でした。イエスを信じる人を燃やして殺して、動物にかみ殺させたのでした。その時に書いた文です。
(3)使徒11:1-18
▲ところで、私たちのレムナントには、もう一言、言ってあげる必要があります。やはりペテロは優れた学者ではありません。それで、ペテロの手紙第一を読んでみれば、福音の色が弱いことが多いのです。もちろん、神様が霊感を与えられたのですが、人を通して書かれたので、少し参考にする必要はあります。それがペテロの弱点です。多くの知識がなくて、弟子訓練をするほどの実際的な能力はなかったのです。それで、ペテロの大きい失敗が一つ出てきたのですが、使徒11:1-18節に出てきます。皆さんがおわかりの通りコルネリオ事件のために...ここを見ればペテロと初代教会について、福音がちょっと弱い部分が出てきます。
▲この思想を完全に破って出た人がいます。むしろ、ユダヤ人教育をさらに多く受けたのに、ユダヤ人教育を完全にたたき壊して出てきた人がいました。その人が、まさにパウロです。このように、パウロが正しく用いられるようになりました。使徒11:19-30節...
▲このように、レムナントに簡単に理解させる必要があります。しかし、ペテロは重要な弟子だから、参考にしなければなりません。この教材も、皆さんのレベルによって調整しなければなりません。そして、レムナント集会もそうです。レムナント集会を私たちがするのは、とても大きい、遠い目的をおいてしています。
後には、私たちのレムナントが、一つのタウン、国で集会をするのですが、その時は一つの国の文化に影響を与えるようになるでしょう。私たちのレムナントがたくさん集まって、伝道運動、文化運動をするようになれば影響が大きく及ぼされます。そのような意味でタウン集会を始めたのです。また一つタウン集会をする理由はメッセージです。大勢が集まってメッセージをすれば、メッセージがよく入らないから、結局は、後ほど門を閉めるようになります。それで10年、20年、100年が過ぎてもレムナントにメッセージが入るようにしなければなりません。それで、分けるのです。すると、私たちのレベルがどの程度にしかならないでしょうか。それでは、柳牧師はどの場所で説教するか。このようになるのです。理解はできます。それで、またもうインターネットで放送を送りだすから、どんな問題が来るかというと、どうせ顔を見られないなら、放送を見よう...このようになりました。それで、昨年には子どもたちが集まるのが、予想した半分しか集まりませんでした。親も、行くな、時間もなくてお金もないから...そのままインターネットを見れば良いと...ある教会では、どうせ分かれてするので、私達で教会に集まってしようと言いました。このようになれば、私たちの根本の精神からはずれてしまうのです。これから、レムナント運動はすべての運動より最高のフェスティバルに変わるのです。それで、レムナント集会と言えば、全世界が集まる所なのに、しきりに反対側に行くようになります。今、祈って悩んでいる途中なのですが、それでは、今回の集会の時、メッセージを放送で送りださなければどうなのか。ところで、本当に行くことができない人のためには、見せるべきなのに...悟るべき人々が、そのように悟れないから問題になるのです。
▲私がここにくる前に座って見ていたら、初めて米国からフィルハーモニーオーケストラが平壌(ピョンヤン)で演奏をしていました。MBCで放送をしていたのです。それを見る時は、私たちが平壌(ピョンヤン)に行けないのに、放送するから良かったり...それで、今、皆さんレベルのゆえに深刻に悩んでいます。皆さんがこれが何の運動なのか分かれば、そのような必要もないのですが..それでは、RUTC放送で生放送をみな送りだして、それは良いのでうが、レムナント運動にならない可能性があるのです。皆さんも一緒に祈ってみるように願います。
▲私たちのレムナントには、親と教師たちが無理にではなく、責任をもって、メッセージが入るようにさせなければなりません。そして、福音の目で多くのことを見られるように案内してやらなければならないのです。その中に私たちがエリートに決めるのです。
▲その中で、ペテロの手紙第一です。ペテロの手紙第一を大きい課題四つに分けました。

第1課 聖徒は旅人であり巡礼者です
Iペテロ1:1〜2|イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。

▲第1課-聖徒は旅人であり、巡礼者です。ペテロがそのように表現しました。表現を良くしたのです。いくら迫害を受けているようでも、少しの間、過ぎ行く旅人です。これをレムナントに、どのように理解させるのでしょうか。子どもたちに、人生は旅人であり、巡礼者であることをどのように説明するのでしょうか。それで、間接的にするしかありません。子どもたちと一緒に旅行に出ることもできず、今から始めるのに老いた話をすることもできなくて...したとしても、わかることもできなくて...
▲それで、私が考えてみたのは、間接的に子どもたちに理解させなければならないということです。ある人が、福音のゆえに刑務所に行くようになった。刑務所に行って、16年間いなければならないので、重要な時間をみな過ごしてしまうと見なければなりません。そこで、この人が祈って神様のみこころを悟ったのです。明確に16年間、刑務所にいることを神様がご存知なのではないのか。それで、16年間、刑務所で暮らす中で、神様の計画を私が捜し出さなければならない。これが信仰生活です。皆さんに死が訪れて来たら、残った時間に、最大限、神様の計画を捜し出せば良いのです。それで、この人が書いた文章が天路歴程です。それこそ、天路歴程は旅人が歩いていく道です。それこそ天国に向かって歩いていく道です。こういう話を子どもたちにドラマチックにすれば良いのです。なぜ行くべきなのでしょうか。この町は、滅ぼされるだろう。それでは、天の御国に向かって行くのです。天の御国に向かって行くのに、そのまま行くのではなく、とても近い友人、家族を連れて行くのです。それが伝道です。友人を連れて行くのに、行くときに見たら、市場に入るようになりました。ものすごい市場だったのですが、この市場に行ってみたら、何も良いものはありませんでした。ここで、友人1人は、ここがとても良いとそこで崩れたのです。そして友人1人は、まったく付いて来ませんでした。それで、仕方なく、友人がその市場から出てこないと言うから、一人で出てきたのです。それで救いは個人なのです。誰かの助けで受けるのでなく、個人で受けるのです。天の御国へ行く前に、一つの町を通過すべきなのに、入ろうとしたら、門がとても小さくて入れません。その時、はじまりという人が話をしてくれたのです。今、あなたが背負っている荷物がとても大きいから、門に入れない。それで、荷物を脱いでしまったら、簡単に入るようになりました。入って、武装をして行くのに、二つの土産をくれました。刃物を一つ、鎧を一つ与えられたのです。この鎧はどんなのでも突き通すことはできません。信仰の鎧です。ところが、着てみたら、前だけあって後ろがありませんでした。そして小さい剣を一つ持って行くのです。行ってみたら、大きい悪魔の親分に会いました。翼が付いていて、大きい槍を持っていました。飛んできて刺すのに、その時、クリスチャンが、だめだ! 逃げよう! 逃げようとして思い出したのは、その人が鎧をもらったが背中にはないことでした。背を向ける瞬間、死ぬのです。私は後ろを向くことはできない。最後まで戦うのです。そうするうちに、悟ったのは、悪魔がきて刺すのに、いくら刺しても刺さらないのです。それで私は死なない。この悪魔がいくら刺しても刺せないから、それこそこの悪魔が試みに会ったのです。死なないから...その時、思い出したのは、手に持っている剣が何かということでした。それで、その剣でアポリオンを刺し殺しました。そして行くのです。最後に見たら、ライオン二匹がほえながら捉えて食おうとしていたのですが、その時でした。よく見たら、ライオンの足首が全部だ縛られていたのです。神様がすでにキリストを送って、悪魔の権威をみな縛ってしまわれたのです。ほえているだけであって、そのまま行けば良いのです。食いつくことができません。ジョン・バンヤンが、かなりよく書いたのでした。このようにして、天国まで行く道を書いたのでした。このように子どもたちに話す必要があります。それで、聖徒は旅人です。巡礼者です。

1.聖徒は旅人であり巡礼者です。
(1)聖徒は旅人です。
@旅人は故郷が別にあります。
▲私たちは故郷が別にあるのです。
A旅人である聖徒にとって、この世は臨時の居場所です。
▲それで今私たちは巡礼するのだ。
(2)聖徒は巡礼者です。
@巡礼者は地域を生かす人です。
A巡礼者は時代を生かす人です。
B巡礼者は故郷を示す人です。
2.ひどい迫害の中にいるから、巡礼者が守らなければならない規則があります。
▲当然、ひどい迫害があるから、巡礼者が守るべき規則があるのです。
(1)巡礼者は救いの祝福を持っています。
▲それで恐れる必要がありません。
@イエス・キリストによる恵みです(Iペテロ1:1)。
Aあらかじめ選ばれていたのです(Iペテロ1:2)。
B聖霊が聖くしました(Iペテロ1:2)。
C巡礼者は血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々です(Iペテロ1:2)。
D巡礼者は恵みと平安がある人です(Iペテロ1:2)。
(2)巡礼者は生きた希望を持っています。
▲それで揺れる必要がありません。
@イエス・キリストがよみがえられたことによって、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を巡礼者のために天に大事に保管してくださっています(Iペテロ1:4)。
A神様の力で巡礼者を守ってくださいます(Iペテロ1:3)。
Bいろいろな試練によって、少しの間、悲しむことはあります。しかし、その試練を通して、むしろ大いに喜ぶようになります。信仰は火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉を受けるようにさせます(Iペテロ1:6〜8)。
C巡礼者は福音を伝える人です。福音は天から聖霊の力を受けて知るようになることです。天使も、はっきり見たいと願っていることなのです(Iペテロ1:12)。
(3)巡礼者は聖なる行動を持っています。
▲それで巡礼者はいらない攻撃を受けないために、生き方を注意するのだ。それで心を引き締めて、慎むのです。世の中が恐いのではありません。
@巡礼者はイエス・キリストの現われのときに、もたらされる恵みを、ひたすら待ち望まなければなりません(Iペテロ1:13)。
i.心を引き締めなければなりません(Iペテロ1:13)。
ii.身を慎まなければなりません(Iペテロ1:13)。
iii.神様が聖であるように聖なる人にならなければなりません(Iペテロ1:15〜16)。
A旅人である時、恐れかしこんで過ごさなければなりません。
i.救われたのは、金や銀のような、なくなるものによってではありません(Iペテロ1:18)。
ii.キリストの尊い血によってです(Iペテロ1:19)。
B希望を神様におくようにしなければなりません(Iペテロ1:21)。
i.私たちは、朽ちない種から新しく生まれました(Iペテロ1:23)。
ii.草はしおれ、花は散りますが、神様のみことばは永遠です(Iペテロ1:24〜25)。
3.巡礼者が守るべき規則を持つべき理由は、迫害者に悪口を言われたり、わなにはめられたりされないためです。
▲理由は迫害者の悪口やわながとても多いから、注意しなければならないということです。私がこれを知りませんでした。伝道する時で、悪口やわながどれほど多いかということをレムナントに知らせなければなりません。私たちはすでに巡礼者の道を行くから、迫害者などが多いから、規則を守って、悟って準備しなければならないのです。私は予測できなかったのです。福音を持って味わっていたら、このように引続き答えが来ることとは予想できなかったのです。伝道運動をしているのに、皆さんと共に、このように大きく起きてするとは思っていませんでした。そして、ものすごく働きが起きる反面、その反対者が起きるということを予想できなかったのです。だから、これから私たちのレムナントが外に出て行けば、どれほど多くのことが起きるでしょうか。あらかじめ話してあげなければなりません。
(フォーラム1)
すべての人が旅人のような人生を生きて、永遠な故郷(天国または地獄)に行きます。この世で決定されるので、天国の故郷を示す人として生きなければなりません。このことをする人には迫害があります。しかし、インマヌエルで勝利できます。人生がどこからきて、どこへ行くのか話してみて、今からどのように生きなければならないのか考えてみる時間を持ってみましょう。

第2課: 純粋なみことばの乳を慕い求めなければなりません
Iペテロ2:1〜2|ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
▲それでは、私たちがどのように生きれば良いのでしょうか。純粋なみことばの乳を慕い求めなければなりません。本当に重要なみことばです。肉的にも、乳を飲めない子どもたちは弱いのです。ところで、私たちはそのような乳ではなくて、純粋なみことばの乳を慕い求めなければなりません。私達の子どもたちに、ここで注意させることがいくつかあります。皆さんが自ら分かるようにさせてあげなければなりません。レムナントが家庭に対する理解を下手すると、とても損となります。家庭は徹底的に土台なのに、その時から答えられます。これが土台かわからなければ、本人も知らず傷ついて難しくなるのです。それで、私の祈りの課題をどのように握るのですかと言うのですが、家庭で握らなければなりません。それが何でもないようでも、それが世界福音化と連結するのです。そして、レムナントは一番重要なのが、下手すると教会を見くびることがあります。それで、教会を見くびったといえば言葉には言わなくても、外に出て行けば確かに負けます。そして世の中が3つで見えてはいけないのです。世の中が恐ろしいと見えてはいけません。また世の中がおもしろいと見えてもいけません。また世の中がうらやましいと見えてもいけないのです。この三つに見えてはいけません。世の中が恐ろしいことではなくて、おもしろいことではなくて、うらやましいことではありません。それこそ、世の中は通り過ぎる将来にほろびるでしょう。
▲どのようにしなければならないのでしょうか。純粋なみことばの乳を慕い求めなければなりません。なぜでしょうか。みことばだといわず、乳というから意味がより良いのです。
1.私たちは神様の民です。
(1)内部の問題で大きい祝福を奪われてはいけません。
@すべての悪意とねたみと悪口を捨てるべきです(Iペテロ2:1)。
A赤ん坊のように、純粋なみことばの乳を慕い求めなければなりません(Iペテロ2:2)。
▲赤ん坊は、必ず乳を飲まなければなりません。赤ん坊が生まれるやいなや、砂糖を食べさせて、ヨーグルト食べさせてはいけないのです。乳を飲ませてこそ、すべての部分が生きます。私たちはこれをいつも慕い求めなければならないのです。
Bそれによって成長し、救いを得るためです(Iペテロ2:2)。
C主のいつくしみを味わった人がすることです(Iペテロ2:3)。
(2)キリストが全てを解決してくださいました。
@人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石であるイエス様に進まなければなりません(Iペテロ2:4)。
A私たちは、神様が選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。神様は、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、私たちが宣べ伝えることを望んでおられます(Iペテロ2:9)。
2.私たちは神様の奴隷です。
▲私たちは神様の民ですが、同時に神様の奴隷です。
(1)肉の欲を制御しなければなりません(Iペテロ2:11)。
▲このようなことに利用されないようにしなければならないのです。私は、私たちのレムナントの中で、こういう部分を知らない子どもたちが多いと思います。とても変に、不良とつきあって...とても困難がくるから、どのようにすれば良いかと相談をするのです。その子が悪い子でなく、知らないのです。想像以上に、おかしな人が多いのです。知らないからやられるのです。
(2)悪く言っている者たちが、私たちのりっぱな行いを見て、神様に栄光を帰すようにしなければなりません(Iペテロ2:12)。
▲その話は、悪く言う者もいるということです。
(3)すべての制度と法を守って、従順にしなければなりません(Iペテロ2:13)。これは愚かな人々が私たちに向かって無知な話をするのを防ぐためです(Iペテロ2:15)。
▲法も守りなさい。そうでなければ、それを持って攻撃されます。
(4)自由ですが、自由を悪の口実にせず、神様の奴隷のようにしなければなりません(Iペテロ2:16)。
▲とても自由ある神様の奴隷です。
(5)人を敬って、兄弟を愛し、王を尊び、神様を恐れなければなりません(Iペテロ2:17)。
▲それと共に三番目の話をされました。
3.キリストが苦しめられることによって、全てを解決してくださいました。
▲キリストがすべての苦難を解決されました。
(1)したがって、苦難を味わわなければなりません。
▲それで、苦難を恐れずに苦難を味わいましょう。これはとても難しい言葉です。苦難をどのように味うのでしょうか。
@難しい主人にも従順にしなければなりません(Iペテロ2:18)。
▲難しい主人にも試みに会わずに、従順にしましょう。その人が真理を分かるようにさせましょう。キリストが苦難に会われた時、何も言われませんでした。ところが、勝利されたのです。苦難にあう時、それを利用しましょう。この時、余裕を持ちましょう。心配する必要がないのは、キリストが苦難の要素をなくされたのです。キリストが苦難に会われた時、じっとしておられました。それはすでに勝利したのです。苦難を利用して味わいましょう。この説明を理解させなければなりません。それで、子どもたちに、多くの苦難が来ることがあります。こういう部分にだまされてはなりません。その人々がむしろキリストに立ち返るようにさせましょう。少しだけ耐えてしまえば良いのです。ところで、大部分のレムナントが、苦難がくれば耐えることができないのです。そして、耐えてもここで葛藤するのです。牧師が記憶しなければなりません。クリスチャンが、一番耐えられないのが苦難です。これが上手でなければなりません。牧師、牧師夫人が教会に行ったら、教会を見れば、問題をたくさん起こす人がいます。気を遣わないようにしましょう。それに神経を使わないということは、無条件に無視するということではなく、こういう意味を言います。少しだけ待っていれば悟ります。少しだけキリストが十字架の苦難を耐えたように耐えれば、驚くべき栄光が現れます。また、レムナントに話してやらなければなりません。未信者が苦難を与えるように見えるのですが、ある面では見ているのです。なおさら苦難をさらに味わいましょう。難しいほど苦難を利用して味わいましょう。私たちは、苦難を味わうべきです。良いレムナント1人が私に手紙をくれました。内容が何でしょうか。将校の訓練を受けに行ったのです。とても苦痛で耐えられないということでした。それで、私は将校をしてみなかったので分からないのです。それで、私が将校出身の金チャンヒョク牧師に電話をしました。金チャンヒョク牧師が簡単に答えました。初めに本来わざわざそうするのです。そこで脱落する人は将校になれません。それで、私がその子に本来、そのようなことであるから、訓練であるから耐えなさい。そうするうちに死ねば殉教だから耐えなさい。大丈夫だ。その子がよく越えて将校になりました。この前、私に会ったのですが、目を合わせられないで私ににっこりと笑いました。何でも同じです。職場も初めて入れば苦難がきます。運動選手になってみなさい。どれくらい苦難がたくさん来るでしょうか。これを味わうべきです。どの社会に入っても苦難がきます。それが苦難ではないのです。それを味わうべきです。キリストが苦難を受けた時、どのようにされたのでしょうか。ネロ皇帝の迫害であっても恐れるな。
▲苦難にあっている皆さんがおられれば、心配せずに待って下さい。信仰生活は挑戦するのもあるのですが、待つのもあります。皆さんがおわかりの通り、ヨセフも13年、モーセは80年、ダビデも20年待ちました。
A不当な苦しみを受けても、神様を思いながら悲しみを耐えれば、それは美しいのです(Iペテロ2:19〜20)。
B模範を示されたキリストは、真理の足跡に従ってくるようにと、私たちを呼ばれました(Iペテロ2:21)。
(2)キリストも苦しみにあいました。
@罪を犯されなかったのですが、苦しめられました(Iペテロ2:23)。
A悪口を言うことも、脅すことも、お願いすることもされませんでした(Iペテロ2:23)。
B十字架の苦難を受けられました(Iペテロ2:24)。
(フォーラム2)
キリストが私たちの代わりをして苦難に会われました。これによって、すべての問題が完全に解決されました。私たちは彼の民で、神様の奴隷になった者です。問題と苦難と肉体のことで大きい祝福を奪われずに、純粋なみことばの乳である神様みことばに根をおろします。問題と苦難と肉的な事がどんなことであり、どのように解決するのか、互いに話す時間を持ってみましょう。

第3課: 希望を尋ねる者に答えることを準備しなければなりません
Iペテロ3:13〜22|むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。(15)
▲私たちは、単に待つのではありません。希望を尋ねる者に答えることを準備しなさい。とても重要な言葉です。私たちのレムナントが、今はいくつかのことをあらかじめ準備しなければなりません。少し未来を準備できる、世の中に出て行く前に祈りの力を準備しましょう。単なる力ではなくて、福音の根源的な力を持って出て行きなさい。それで必ず話してあげなさい。皆さんも同じです。力を準備して出て行かなければなりません。そうでなければ、出て行ってやられるようになります。それと共に家庭の話をしました。妻と夫...こういう話をしました。
1.妻と夫に与えられた要請です。
(1)妻に与えられたみことばです。
@夫に従順にしなければなりません(Iペテロ3:1)。
A救われていない夫が、救いの恵みの中に入ってくるようにするためです(Iペテロ3:1)。
B救われていない夫は、神様を恐れて清く行動する妻の姿を見守っています(Iペテロ3:2)。
C宝石と服と容貌より、柔和で穏やかな霊が神様の前で貴重なのです(Iペテロ3:3〜4)。
▲皆さんがあちこち歩き回れば、自分の満足であって、他の人は良いと考えません。特に皆さんの夫はそうです。話はしなくても、中にしっかりした女だ! このように感じられなければなりません。生きていくほど、しっかりした女だ! このように感じられなければならないのです。生きていくほど、あれこれつけて出てくれば言葉には出さなくても、あきれます。よく飾れば良いと思っているのですが、それは自分の考えであってそうではありません。むしろ男は女が塗っていない顔がより良いのです。ある男がそのような文を書いていました。見合いをしたのですが、とても良い女性に会って気に入ったのです。とても素晴らしくかったので、結婚もほとんどするように話もしていたのです。ところで、この男が失敗なのか幸いかわからないのですが、その家の前を通り過ぎるようになりました。それでひょっとしてその家に可愛い女の子がいるのかと思って、その家の門をあけたのでうが、その家から変な女が出てきたのです。ところで、その女がその女だったのです。この人が、突然、訪問したから、本性があらわれたのです。その時、きた時は完全に塗って飾って来たのでした。この女も驚いたのです。だれかがベルを押したので、知らずに出て行ったのですが、その男だから驚いたのです。それで戸別訪問伝道に行くとしても、あまり早く行かないようにしましょう。率直な話で、化粧を濃くしてきれいに見える女が好きな男はいません。誰のためで塗るのですか。誰も好きではありません。宝石と服と容貌より、柔和で穏やかな霊と言われました。安定にした母、安心する妻にならなければなりません。安定していなければならないのです。美人も初めて見る時であって、暮らしてみればおかしな女が美人ならば、さらに変なのです。
D神様に希望をおいた信仰の妻は、それと同じように夫に従順にして自分を装いました。サラは、夫であるアブラハムを見て「主」と呼びながら従順にしました。そのように、善を行って何の恐れもなければ、サラの娘になるでしょう。
▲今日、帰ったら夫を見てみな主よ! と呼ぶようにしましょう。感動するでしょう。主よ、までは出てこなくても、文句だけ言わなければ良いのです。
(2)夫に与えられたみことばです。
@知識に従って妻とともに住まなければなりません(Iペテロ3:7)。
▲どういうことでしょうか。知識に従えという話しは、何のことでしょうか。今はそうでないのですが、その時は、女の方々の状況が多くのことを分かる時ではありません。外側の状況をよく知らない時です。そして、男のように多くの経験がありません。だから、それを参考にして暮らすべきで、同じように思ってはいけないということです。
A妻は弱いうつわであることを分からなければなりません(Iペテロ3:7)。
B命の恵みをともに受け継ぐ者として大切に思わなければなりません(Iペテロ3:7)。
C夫は妻を大切にすることによって、祈りが妨げられないようにしなければなりません(Iペテロ3:7)。
2.勝利と善のための苦難を信仰で味わわなければなりません。
▲私たちは勝利することが明らかだから、信仰で味わいましょう。
(1) 心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深くなければなりません。悪を悪で返さずに、侮辱を侮辱で返さず、かえって祝福を祈ってあげなければなりません(Iペテロ3:8〜9)。
(2)理由があります。
@私たちはこのために召されました(Iペテロ3:9)。
A祝福を受け継ぐようにするためです(Iペテロ3:9)。
B幸せな日を過ごしたいと願う人は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めなければなりません(Iペテロ3:1〜11)。
(3)より大きい証拠があります。主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられますが、主の顔は、悪を行なう者に立ち向かいます(Iペテロ3:12)。
▲Iペテロ3:8-12節はとても重要です。クリスチャンが第一に握らなければならないでしょう。皆さんがどこへ行こうが、悪を悪で返してはなりません。幸いな火を過ごしたいと願う人は、舌を押さえて悪を言わず...祝福を受け継ぐためです。主の目は義人の上に注がれ、主の顔は、悪を行う者に立ち向かいます。とても重要です。そして、することがあります。
3.希望を尋ねる者に答えることを準備するためです。
(1)私たちの中にある希望を尋ねる人々に答えることを準備しなければなりません(Iペテロ3:15)。
(2)ののしる人と悪い人を恥ずかしめるためです(Iペテロ3:16)。
(3)キリストが十字架にかかり、捕われの霊たちのところに行って宣べられました (Iペテロ3:18〜22)。
▲キリストが捕われの霊の所にまで行かれました。どうなるでしょうか。イエス様が地獄に行かれたのでしょうか。行って彼らに宣言されたのです。どうなるのでしょうか。これを持って神学的にとても解釈がたくさんされています。ここから出たのが煉獄説です。地獄、天国の中間にいたあとで、イエス様が上げられるということです。これがカトリックが話す煉獄説がここから出てきたのです。そして、ある人は、イエス様が来られる前に救われない人、死んだ人がくやしくないか、それで、その人々がここにいるので、そこにイエス様が行っておっしゃられたということです。違います。すでに旧約時代にイエス様についての話はみな出てきています。聞けなかっただけで、違うように聞いただけです。イエスの血を撒くのを聞いていたのですが、誤って聞いたので、しるこをばら撒いたりしたのです。聞くのはみな聞きました。イエス様が十字架にかかって、どれだけ苦難しまれたか、地獄にまで行くほど、すべての罪を解決されたのです。イエス様が地獄にまで行って宣言されるほど、完全に罪を担って、完全に勝利されました。心配する必要がありません。
▲ここでレムナントに強調しなければならない成功者の5つの習慣
(1)祈りの体質-祈らなければならないではなく、祈り体質、祈りが自然にならなければなりません。それで、レムナントが出て行かなければならないのです。
(2)勉強体質
(3)運動体質-今、しなければ年をとってからではいけません。おばさんたち年をとれば、100%太ります。運動体質。突然に運動してはいけません。運動体質...男も年をとって、運動体質になっていなければ、無条件に糖尿になって、心臓病になります。医師の話です。一週間に三回以上、汗を流さなければ、無条件に糖尿病ないし心臓病になると言われています。
(4)伝道体質-伝道が何かを十分に理解した伝道体質
(5)成功体質-これは金持ちも含まれます。金持ちも体質になってこそ金持ちになるのです。成功体質。
▲このようにレムナントにはっきりと説明しなければなりません。
(フォーラム3)
私たちの中にある希望は世界福音化、レムナント、天国、再臨に関することです。この希望のために私たちは忍耐できるのです。私たちは希望の主体であるキリストを24時間味わわなければなりません。味わう中で救われていない家族、親戚に希望に対して答えることを準備しなければなりません。希望に対して答えることを準備する時間を持ってみましょう。

第4課: 神様の恵みを引き受けた管理者にならなければなりません
Iペテロ4:1〜11|それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(10)
▲みな皆さんのものではありません。管理者です。管理者という言葉が何の話なのでしょうか。レムナントにあらかじめ教えなければならないことがあります。世の中と神様、福音と生き方、学業と信仰、霊的なことと肉的なことを共に探して行かなければなりません。それを必ず強調しなければならないのです。神様が皆さんを管理者として呼ばれました。それで-
1.キリストの苦難を価値あるように味わわなければなりません。
(1)キリストの苦難で武装しなければなりません(Iペテロ4:1)。
(2)苦難は祝福の機会となります。
@罪を終わらせます(Iペテロ4:1)。
A肉の欲を捨てさせます(Iペテロ4:2)。
B神様に従って生きるようにさせます(Iペテロ4:3〜6)。
(3)最後の時が近づいてくるほど、しなければならないことがあります。
@身を謹みながら祈らなければなりません(Iペテロ4:7)。
A熱心に互いに愛さなければなりません。愛は多くの罪をおおいます(Iペテロ4:8)。
Bそれぞれが賜物を受けているので、神様のさまざまな恵みの良い管理人として、互いに奉仕しなければなりません。神様のみことばで話をして、神様が与えてくださる力で奉仕しなければなりません。これは神様に栄光を帰すためです(Iペテロ4:10〜11)。
2.クリスチャンは苦難を価値あるように受けなければなりません。
(1)苦難に満ちることをうれしく思わなければなりません。
@火のような試練を異常に感じてはいけません(Iペテロ4:12)。
Aキリストの栄光を現わすでしょう(Iペテロ4:13)。
Bキリストの名のために苦しめられるならば、神様の御霊が私たちの上にいらっしゃいます(Iペテロ4:14)。
C聖徒が罪を犯せば、未信者はどうなるでしょうか(4:15〜18)
(2)神様のみこころに従って苦難を受ける人は、そのたましいを創造主にお任せしなければなりません(Iペテロ4:19)。
3.神様の羊の群れの価値を知って味わわなければなりません。
▲聖徒の価値です。
(1)長老にお願いします。
@証人にならなければなりません。キリストの苦難の証人、栄光の証人にならなければなりません(Iペテロ5:1)。
A注意することがあります。
i.強制されてするのではなく、自分から進んでしなければなりません(Iペテロ5:2)。
ii.利益のためにしてはいけません(Iペテロ5:2)。
iii.支配する姿勢でしてはいけません(Iペテロ5:3)。
B銘記することがあります。羊の群れの模範にならなければなりません。そうすれば、大牧者が現れる時に、栄光の冠を受けるでしょう(Iペテロ5:4)。
(2)若者にお願いします。
@長老に従順にしなければなりません(Iペテロ5:5)。
A互いに謙そんを身につけなければなりません(Iペテロ5:5)。
B神様は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられます(Iペテロ5:5〜6)。
C心配を主に任せなければなりません(Iペテロ5:7〜11)。
▲この時に、長老、若者と出てきたのでうが、今現在、私たちの長老でもあります。そして、ここは牧師も含まれていて、長年の元老も含まれています。使徒ヨハネが言うのに長老ガイオに...と言いました。この部分に対する解釈と原理が少し必要です。使徒6章に重職者執事という記録がありません。ところで、それを持って按手執事だと話します。原語を見ると、ディアコノスという単語なのですが、それが執事と言われていますが、その単語がまさに管理者なのです。それで、それほど私が見る時は意味がない時間をとてもたくさん送るのではないかと思います。長老させてもかまわないのに、按手執事させます。本来、そのような単語は聖書にありまえん。ないのに、私たちが作ったのです。良い意味で作ったから良いと見れば良いでしょう。
▲長老と若者という言葉は、指導者と一般信徒ということです。
(3)あいさつを伝える人、すなわちメッセージを伝える人にならなければなりません。
▲それと共にあいさつを伝える人、すなわちメッセージを伝える人にならなければならないのです。とても重要です。皆さんがメッセージ、平安、言葉をよく伝える人なのです。
@シルワノのように真実な兄弟にならなければなりません(Iペテロ5:12)。
▲シルワノは、シラスと言うでしょう。
Aマルコのように伝道者の息子のような人にならなければなりません(Iペテロ5:13)。
▲こういう記録でペテロはメッセージを終えます。来月にはペテロの手紙第二を見ます。
(フォーラム4)
クリスチャンに来る苦難と迫害は神様の計画です。そして、大きい祝福です。特に神様の働きを引き受けた人は苦難と迫害を恐れてはいけません。苦難を価値あるように味わわなければなりません。苦難の中でどんな祝福を受けたのか互いに話す時間を持ってみましょう。そして、管理者が引き受けた神様の働きが、どんなものなのか話を交わしましょう。
▲このように結論をおろそう-レムナントに三つを必ずするように教えましょう。皆さんからしなければなりません。
(1)霊的規律
1)メッセージを握って定刻の祈り-そうすれば、全てが回復し始めます。
2)現場の色々な問題を祈る目で見るならば-それが常時祈り
3)講壇-説教する人がその説教に私のいのちをかけられるならば答えを受けるようになる。
(2)精神的規律
1)成功-必ずすべてしなければならないのですが、とても合理的で成功することができる精神を持たなければなりません。
2)勉強-そして、とても重要なのは、単にするのではなくて、することを必ず成功させるように規律をそろえなさい。
(3)人生の規律
1)実践-生活の中でも実践して
2)運動-運動して...
▲これは必ず規律をそろえなさい。
▲これがレムナントが、皆さんが、そろえなければならない規律です。皆さんがこのようになったら、必ず成功します。レムナントがこれが体質になったら、完全に勝利するようになります。
▲それではレムナントはタイトルだけ読みます。
1課-レムナントは遠い道を行く巡礼者の準備をしなければなりません。
2課-純粋なみことばの乳を慕い求めるのが力の源泉です。
3課-未信者に答える希望を持っていなければなりません。
4課-神様の恵みとみことばと力を持った管理者にならなければなりません。
(The end)