2008年2月16日伝道学校講師団



レムナント伝道学(120)-Remnantはできないことが答えである
(イザヤ6:12-13)
(チョン・ウンジュ牧師)


☆☆☆要約資料☆☆☆
1.失敗が迫ったRemnant
(1) 創39:1−6、40:1−20 (2) 出2:1−20
(3) Tサムエル1:1−11    (4) 詩23:1−6
(5) T列19:1−20 (6) イザヤ6:1−12、13 (7) Uテモテ4:1−5
2.失敗が迫ったパウロ
(1) 使9:1−15 (2) 使16:6−10 (3) 使16:19−40
(4) 使17:1−9 (5) 使18:1−4 (6) 使27:10−24
3.失敗が迫った初代教会
(1) 使8:1−3 (2) 使12:1−25 (3) 黙2:1−10
(The end)

☆☆☆録音資料☆☆☆
→序論
▲私は、昨日、新天地について私たちの教会で深夜祈祷会の時、放映をしました。タラッパンに新天地が入ってくれば、気が許せないが弱い者、幼い者がいるから放映する必要があります。新天地の教理が何か、彼らが寄りつく方法がどんなものなのか、50人以下の教会を飲み込むことという直接、講義したテープがあります。細かく戦略を立ててするのです。インチョンにある50個の教会がなくなったということです。チュアン長老教会も、女伝道会長を含めた200人が出て行きました。大田(テジョン)チュンムン教会チャン・キョンド牧師の教会も200人が出て行きました。大きい教会は大きい教会のように、小さい教会は小さい教会のように...新天地は、5万人くらいです。昨日、私たちは重要な部分を編集して15分程度のを見ました。必要な方々は、私たちの教会に頼んでみるように望みます。
▲レムナントはだめだと思います。何がだめなのでしょうか。答えが来ないと思うのです。イザヤ6:12-13節に何と言われているでしょうか。切り株、レムナント。レムナントとは、どんな存在でしょうか。聖なるすえと言われています。こういう人として選ばれたのに、私たちのレムナントの共通的に思っているのが、祈りの答えを受けられないと思っています。ところで、実際には答えは来ているのです。ところで、これを知らずに答えを受けられないと考えています。なぜなら、勉強は良くできず、家庭は完全に福音でもないし、自分の自ら行って、救うことが思いのままにできないということです。このようになればどうなるのでしょうか。ずっと信仰の葛藤があって、揺れます。葛藤が行き来するのです。答えを受けられないことが普通の不信仰ではありません。実際には来ているのに...
▲それでは、証拠として、レムナント7人、パウロ、初代教会は全部みな答えを受けていました。ところで、すべて見れば、失敗した人々のようです。これで勘違いすることがあります。レムナント7人を私たちが結果を知っているからであって、実際に育っている過程では、失敗した人々のようです。不信仰で見れば、みな失敗した人のように見えます。初代教会が始まって、韓国のチュ・キチョル牧師が殺されてしまって、死んだのではないですか。肉体的に現れたのを持って、ほとんどみな失敗したと考えています。
▲それでは、第一に失敗が迫ってきたレムナントです。

1.失敗が迫ってきたレムナント
▲どんな失敗が来たのでしょうか。
(1)創世記39:1-6,40:1-20,ヨセフが奴隷で売られて、監獄に行きました。完全に失敗でしょう。レムナントの代表ヨセフは、完全に失敗した人です。一日、二日でもなくて、奴隷生活、監獄生活13年したのですが、年齢30才なる時まで、まっ暗な生活を送っていたので...それでは失敗したのでしょうか。失敗したのではありません。人々は生活の中で困難が近づけば失敗したと思います。
(2)出エジプト2:1-20、モーセが出てきます。モーセは、自分を産んだ親と暮らせず、養子で暮らしていました。パロ王の娘に、完全に偶像崇拝する家庭で、そのように暮らしていたのです。それでは、モーセが失敗した人間ではないでしょうか。
(3)Iサムエル1:1-11、サムエルが出てきます。サムエルは乳離れさせるやいなや、お母さん、お父さんと分離しました。私たちが見る時は、契約の箱のそばで、神殿において非常に良いだろう! と思うでしょうが、乳離れさせるやいなや、神殿にいたということは普通の大変なことではありません。人間的な目で見る時は、みな失敗した人々で、不幸な人々です。そのように見られます。
(4)詩篇23:1-6、ダビデが出てきます。詩篇22篇を見れば、ダビデの状態を見ることができます。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」...「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」...パレスチナは、砂の穴があります。一夜の間に山が一つできて、なくなって、そのようになります。夏の昼と夜の温度差は、20度以上も違いが生じるのです。全く家でも無視されていました。サムエルがきて油を注ごうと息子がみな過ぎたのにいません。もういないのか。一ついることはいるが、あそこの羊の番をしています。家でも認められずに、無視されていたのです。だから、羊飼いという砂の穴の中で生きている人間は、失敗した人のように見えるでしょう。レムナント7人がほとんどみなそうでした。
(5)I列王19:1-20、アハブとイゼベルを通して、ずっと迫害されました。エリヤとエリシャが真に不幸だと見えます。殺すということです。だから、続くから、えにしだの木の下で私を連れていってくれと言うほど不幸でした。それではそれで終わったのでしょうか。そうではありません。その時から始まったのです。ただ、1人も栄えるように見えた人はいません。
(6)イザヤ6:1-12,13、イザヤはどうだったのでしょうか。イザヤの人生は荒廃した環境の中です。とても難しい環境の中で働きをしました。
(7)Uテモテ4:1-5、テモテも難しい環境です。
▲このように見れば、レムナント7人がほとんどみな失敗した人のように見られます。

2.失敗が迫ってきたパウロ
▲パウロも見れば、ほとんど終わった人のように、ほとんど失敗した人のように見られます。そのように見えるのです。失敗が迫ってきたパウロです。
(1)使徒9:1-15、まったくパウロにとって救い自体が失敗と見られます。イエスを信じて、苦労がものすごかったのです。イエスを信じる前には上手く行っていた人です。パウロとは誰でしょうか。最高に勉強をよくした人です。今で話せば、博士号がいくつで、今で話せば大学院の教授レベルです。家はどうでしょうか。お父さんがものすごい大事業家です。ものすごい遺産が待っていました。ところで、イエスに会うやいなや失敗のように見られます。イエスを信じてすぐ3日後から迫害が始まりました。パウロは40才で一回捕らえられ、縛られる目には五回会い、川の難、石の難、ものすごく多かったのです。ですから、私たちの講師が子どもたちを教える時、牧会の数字があってもなくても、それ以前に、私たちの牧師が失敗するように見られたら、それはだめなのです。私たちの牧師の口から契約は出てくるのに、実際にその感じ、その姿が全く成功したように見えなければ誤っているのです。パウロがしょげていましたか。手錠につながれて、囚人の身だとして、王の前でぶるぶる震えたでしょうか。いつも監獄に閉じ込められて、迫害されて、逃げ回っていました。それでは、タラッパンしながら信徒が多い少ないが問題ではなく、弟子がいる、いないが問題でなく、私の一人が、私が本当に失敗した人でない! という時から、成功の証拠が見られると信じます。パウロのように失敗した人間と見られる人と、見られる牧師は、ここに誰もいないでしょう。パウロのように失敗したレムナントだと見られるレムナントは一人もいないでしょう。パウロは失敗した者ではないでしょうか。完全2千年間、パウロでしょう。韓国にもパウロという名前が多いのですが、米国に行ってもPaulという名前が多いのです。完全成功した人になりました。生きている時は失敗した人のようでしたが、そうではありません。ですから、神様がご覧になる時、だれが成功した牧師なのか、失敗した牧師なのかは神様だけがご存知です。数が多い少ないは、人が見ることで、神様は中心をご覧になります。パウロは、死ぬ時まで、殉教する時まで、犬死したように見られるのでうが、違うのです。
(2)使徒16:6-10、アジアに行こうとみな準備して行こうとするのに、また閉ざされてしまいました。アジアに行くと計画を立てたのですが、神様がマケドニアに曲げてしまわれました。
(3)使徒16:19-40、むちで打たれました。監獄に閉じ込められます。それと共に追われます。絶え間ない、そのような失敗した姿と見られました。
(4)使徒17:1-9、テサロニケ伝道に行きました。ならず者が引続きパウロを追いかけます。働きをするのですが、気楽にすることができません。3週間、ぴったりキャンプをしました。そして、はやく行かなければ捕えられるのです。ヤソンの家に、ならず者が入ってきて混乱させてめちゃくちゃにしました。ヤソンが信仰がなかったとすれば、私が伝道者を助けたが何かこういう目にあうのか!と見るかもしれません。聖書の歴史を見れば、もしかしたら私たちの考えとは正反対であることがあります。
(5)使徒18:1-4、パウロがコリントにきます。アテネで完全に失敗しました。それでコリントにきたのですが、ここで神様の祝福が始まったのです。時代的な伝道者プリスカ夫婦に会いました。ある面で見れば、みな失敗したことのように見られます。
(6)使徒27:10-24、ユーラクロンの暴風に会います。暴風に会って死ぬ思いの峠を越します。またローマ法廷に立ちます。囚人の身で行きました。絶えずパウロのこの働きは、みな失敗するように見えて、みじめに見えて、そのようなのに、行く所ごとに伝道者に会いました。

3.失敗が迫ってきた初代教会
▲私たちは結果を見て分かるのですが、その当時、初代教会を見る時、パウロ伝道者を見る時、失敗した人間、失敗した集団でした。失敗が迫ってきた初代教会です。
(1)使徒8:1-3、ステパノの殉教が起きた以後に絶えず本格的な迫害が初代教会に始まりました。なぜタラッパンは完全にキリストだけ話すのに迫害されるのでしょうか。聖書を見る時は、全部すべて迫害を通して神様が働かれました。この時代にどのように迫害を受けるのでしょうか。イエスの御名でどのように苦難を受けるのでしょうか。イエスをよく信じれば、ほめて賞をもらえるのに...私が見る時、イエスの御名のために迫害される団体はタラッパンしかありません。それでは、ここで牧会ができる、できない、数が多い少ないは問題ではなく、本当に私はこの時代的な契約をとらえて使徒パウロのように福音を宣べ伝えたら、それで良いのです。初代教会の姿がどれくらいみずぼらしかったでしょうか。ステパノの墓が城外に投げ出されて、石で打ったといわれているのですが、聖地巡礼行ってみれば、エルサレム神殿の外に石墓があります。ユダヤ人が見る時は、いたずらにイエス信じて犬死したと見られます。しかし、死んでも失敗ではないのです。だから、私たちが不平、恨むことが一つもないのです。私がステパノのように、パウロのように契約を握って出て行ったら、誰がなんと言っても、私が死んでも、それは失敗ではありません。失敗と成功を確かに私たちがみことばを通して整理しなければならないのでしょう。ここにだまされれば、不平がたくさん出ます。
(2)使徒12:1-25、ヤコブの殉教が出てきます。そしてペテロが投獄されます。イエス様の弟子が全部みな投獄されて死んで、こういう目にあったのです。完全に門を閉めるようになったのではないでしょうか。初代教会が門を閉めるようになりました。失敗が迫ってきたのです。それでは失敗でしょうか。これを私たちのレムナントに教えなければなりません。
▲何が失敗か。今、少しだけ成績が落ちれば答えてもらえないと...葛藤がものすごく多いのでしょう。ですから、こういう聖書の姿を通して、子どもたちが癒されなければならないのです。ただの1人も失敗はありません。
▲柳牧師を見ましょう。柳牧師を見れば、みな失敗した人のようです。山17番地に住んだのですが、その町は、人が暮らす所ではありません。私も山海2番地出身であるから...そこは避難民が暮らす所です。完全にそのような町です。孤児院のような母子院で暮らしていました。その程度ではありません。チョ・ウンテク牧師の話によれば、10%も証ししたのではありません。チョ・ウンテク牧師の話によれば、証しをすべてすれば、みな気絶するだろうと言いました。その程度ならば、わからなければなりません。それでは、柳光洙牧師は失敗したのですか。希望は一つも見えなかったのです。それでは失敗したのですか。柳光洙牧師だけ見ても失敗者ではなく、時代的な伝道者として立ったのを見る時、私たちのレムナントもみな用いられるこということです。
▲私たちの信徒に私は話します。私を見てください。私は今はちょっと正常になったのですが、昔はそうではありませんでした。恥が多くて、劣等意識が強くあって、あるのかないのか分からないほど、話も上手にできない、そのような者でした。私は人前に立つのが一番問題でした。近頃、その話をすれば誰も信じません。バスも乗りませんでした。立つ場所に立っていて、向かい合って座る席には座りませんでした。集いに行くと、迎い合って座る席を見たら、出てきてしまっていました。その程度に自信がなかったのです。家から兄は全校で1番、セブランス医科大学に行ったのですが、私は普通、家で過ごすので、それも無視される存在です。幸い私の下に私よりさらに無視される存在があったのが一ついたのですが、それがチョン・ミョンジュです。だから、家から劣等意識です。教会に行けば、ちょうど悔い改めしろとたたいてつかまれます。ですから、教会に行っても、学校に行っても、これもあれでもありません。ですから、幼いころから教会に通いながら、福音を確かに握ることができなければ、人はバカになります。これも罪か、あれも罪か、こうすることも、ああすることもできなくて、押し通すこともできなくて、他の人に傷ついて愛せと言われ、何もだめなのです。契約をはっきりと子どもたちに植え付けなければ、子どもたちが世の中に出て行って絶対に成功できません。幸い、私たちのタラッパンは福音を語ってあげるから、子どもたちが罪意識から解放されて、ものすごく癒されるのです。
▲皆さん、昔に神学校から出された本に、自慰も罪か?が出ています。子どもたちが自慰を一度したら、罪意識に陥って、子どもたちが何日間かさ迷います。ある人は、インターネットで夜通し自慰をして、朝もうろうとして学校に行くのが教会の学生たちの中にいます。子どもたちをどのように解放させてあげるのでしょうか。私たちの時代より、今の時代が100倍にさらに悪いのですが..それでは、継続しろと言うのでしょうか、やめろというでしょう。福音で癒されなければなりません。福音の力であって...時代的なレムナントのビジョンを植え付けなければならないのです。ですから、そんなことが、私は失敗者と思うようにさせてしまうのです。事実、それが特別なものでもないのですが、ところで、陥っておいて、福音を肯定的に受け入れることができないのです。
(3)黙示2:1-10、十人の王が初代教会を迫害しました。私たちが教会史をよく分かるでしょう。ローマの10人の王が、キリスト教を抹殺する政策を使ったのです。そのようになくしてみようとしたのですが、キリスト教はなくなりませんでした。なぜでしょうか。いのちがあるから...
▲私達の子どもたちに、どんなプライドを植え付けなければならないのでしょうか。アーノルド・トインビーがこういう話をしました。あなたは創造的少数だ。絶対に平凡な子どもではない。ですから、歴史は平凡な人によって動くのでなく、創造的少数によって動くと歴史学者が話したのです。あなたは大きい人だ。スタンフォード大学の経営学教授ジム・コリンズがそのような話をしました。大きい人ではなければ、大きいビジョンは何の効果もありません。あなたの状況がこれでも、あなたは学校でびりであっても、あなたは大きい人だ! こういうビジョンを植え付けなければならないのです。契約をつかんだので...八番目のレムナントだから...こういう癒しと新しい使命を与えるそのような講師になることを望みます。祈ります。

(祈り)
神様ありがとうございます。真にレムナントが祈りの答え受けることができないと思っています。みことばを通して、はっきりと答えを受けていることを知らせる私たちの主のしもべになるように、助けて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)