2008年9月13日 伝道学校講師団 場所:イエウォン教会



レムナント伝道学(150)
聞きたいメッセージ(29)
神様がなぜヨブに対するサタンの攻撃をそのまま放っておかれたのか




☆☆☆要約資料☆☆☆
1.神様が創造された創造物の中に人格を植えた存在がある。
(1)人間(使徒1:27-28)
(2)天使(創世記18:1-21)
(3)サタン(創世記3:1-5、黙示12:1-9)
2.サタンの業務の中で最も具体的なこと
(1)今でも人間を掌握している(Ⅱコリント4:4-5、ヨハネ16:11、ヨハネ8:44)
(2)今でも人間に呪いを降り注いでいる(使徒13:1-12、16:16-18、19:8-20)
(3)今でも信徒を攻撃している(Ⅱペテロ5:7-8、エペソ6:10-20)
3.ヨブに関する研究
(1)聖書を見る目
 ①事件  ②人物  ③さらに重要なこと-神様の働きと計画
(2)ヨブに対するサタンの攻撃
①ヨブ1:9-10  ②ローマ8:31、33
(3)ヨブの信仰
①ヨブ1:20-22  ②ヨブ19:25-26  ③ヨブ23:10-14
(The end)

☆☆☆録音資料☆☆☆
→序論
▲ヨブ1:20-22、レムナントが質問したのです。なぜヨブをサタンが試みるのに、神様が静かに放っておかれたのかという質問です。学生たちとしては質問するべきことです。なぜ神様がヨブに対するサタンの攻撃をそのまま放っておかれたのかという質問です。私たちのレムナントには重要な質問で、大人たちもそのように質問することがあるでしょう。

1.神様が創造された創造物の中に人格を植えた存在があります
▲先に簡単に理解しなければならないことは、神様が創造した創造物の中に人格を与えた存在があるのです。人格ということは、選択ができて、また拒否もできる存在を言います。これが物と違うことです。椅子は私たちが持って置いた台です。それでは何の責任もありません。ところで、人格を与えたということは選択ができるのです。神様が人間を創造される時、天使もそのように創造されました。
(1)人間(使徒1:27-28)
(2)天使(創世記18:1-21)
(3)サタン(創世記3:1-5,黙示12:1-9)-天使が堕落してサタンになったのですが、人格的存在です。
▲この3つの存在が人格的な存在です。これは明らかな事実です。

2.サタンの業務の中で最も具体的なこと
▲サタンの業務の中で最も具体的なことが何でしょうか。サタンは今でも活動しています。なぜ神様がサタンを活動するようにそのまま放っておかれるのでしょうか。人格的な存在だから、活動して死ぬ存在ではないから、地獄を作って閉じ込めると言われました。
(1)今でも人間を掌握しています(Ⅱコリント4:4-5、ヨハネ16:11、ヨハネ8:44)
▲今でも人間、未信者を掌握しています。
(2)今でも人間に呪いを降り注いでいます(使徒13:1-12、16:16-18、19:8-20)
(3)今でも信徒を攻撃しています(Ⅱペテロ5:7-8、エペソ6:10-20)
▲これはなぜそのまま置いておくのでしょうかという質問とは別の質問です。そのような存在なのです。それで、私たちが少し別に見なければならない部分です。私たちのレムナントがヨブについて見ながら、いくつかのことを考えなければなりません。

3.ヨブに関する研究
(1)聖書を見る目
▲私たちは聖書を見る時、おもに事件を見ます。なぜこういう事件が起きたのだろうか。この人はなぜそうなのか。そのように考えます。さらに重要なことがあるのです。聖書を見る時は、いつでも神様が行われようとすることと計画が何か、神様がヨブに何を見せられたのか、私たちに行われることが何か、ということを見なければなりません。いくらサタンが攻撃をして、呪いが攻撃をしても、神様の御手の中にある者は死なないということです。
①事件 ②人物 ③さらに重要なこと-神様の働きと計画
(2)ヨブに対するサタンの攻撃
▲旧約時代に見ると、サタンがきて弱点を利用して、いくらでも試みるのです。今でも試みます。ところで、ローマ8:31、33節を見れば、重要な話が出ます。ローマ8:31節に、だれが私たちを罪に定めることができるのでしょうか。だれが私たちを訴えるのでしょうか。これが旧約時代と新約時代で、完全に違っているのです。今でも救われていない者が罪を犯すように試みて、それで訴えて、それで呪って、みなしています。今は、福音が完成されたので、救われた者には、そのようにできないのです。これは、とても重要な話になります。こういうものを説明しようとするなら、神学的に色々な説明をしなければなりません。受け入れという言葉は旧約には出てきません。聖書を詳しく読んでみれば、聖霊の内住という言葉は、旧約には出てきません。出てくることはありえません。聖霊が臨んだという言葉はあって、聖霊が離れたということはあります。これが新約になって変わったのです。聖霊の内住、永遠に離れません。これがキリストが来られて救いを完成した後に変わったのです。しかし、神様と信仰は変わりません。
①ヨブ1:9-10 ②ローマ8:31,33
(3)ヨブの信仰
▲この時、持ったヨブの信仰です。ヨブ1:20-22節を見れば、ヨブが告白するのに、主は与え、主はとられる。私がこのものすごい財産を私が持ってきたのか。単に来たのではないか。それでは行く時、持って行くのか。違う。関係ない。すべての栄光を神様にささげる。このようにサタンの攻略に勝ったのです。ヨブ19:25-26節には、友人がきて慰めるのに、慰になってないでしょう。友人がきて、罪を悔い改めろ、何かをせよといろいろな話をしながら困らせたのです。その時、ヨブが告白したのが、私が知っていることは、私をあがなう方は、生きておられる。私が主に会う時は、この腐る体で会うのでなく、このからだの外で主に会うのだ。このように救い観が確実でした。そして、ヨブ23:10-14節には私の行く道をただその方がご存知だ。彼が私を鍛えられた後には純金のように出てくるようにされるだろう。その方には、このようなことがたくさんある。その方はみこころが一定だから、絶対に変わらない。こういう告白をヨブがしました。
①ヨブ1:20-22 ②ヨブ19:25-26 ③ヨブ23:10-14
▲それでは、今、私がした話を持ってレムナントがたくさん考えるべきことがあります。ひとまず、それが基本的な返事になります。さらに疑うならば、なぜ攻撃するように置いておかれるのでしょうか。今でも攻撃しているのです。
(The end)