2011年3月5日 伝道学 場所:イエウォン教会 
 講師:柳光洙牧師 (整理:チャ・ドンホ牧師)



伝道者の生活の実践(8)
「伝道者の生活と幼稚の子ども」
(Ⅰサムエル3:1-3)


〓教材資料〓
1.根本ができあがる時期です
(1) 箴1:7
(2) 詩1:1-6
(3) 箴22:6

2.三つを教えなければなりません
(1) Ⅰサムエル1:1-11
(2) Ⅰサムエル2:1-10
(3) Ⅰサムエル3:1-18

3.結果を見るようにしなければなりません
(1) Ⅰサムエル3:19
(2) Ⅰサムエル7:1-15
(3) Ⅰサムエル16:1-13
(The end)

〓録音資料〓
→序論
▲99%の畑が空いているので伝道者の日記を作らなければなりません。
(1)牧会者-代表的教会
▲牧会者は無条件に代表的教会プランをたてなければなりません。代表的教会というから立派な大きい教会を作るとこのように誤解してはいけません。良心的に私が住んでいる地域には福音をすべての人が聞くようにさせなければなりません。その後に起きる神様の働きがあります。このプランを立てることができなければならないのです。失敗する人々は本人が知らないからであって、失敗する条件があります。成功した人は自分が知っていても知らずにも、成功する条件があるから成功するのです。
(2)副教役者- 3千人弟子
▲すべての副教役者は3千人弟子を探して出て行かなければなりません。なぜ3千人の弟子でしょうか。私たちが初代教会よりはるかに状況が良いためです。みな捨てても大丈夫です。無条件にこちらに方向を定めなければなりません。99%の黄金漁場を置いておいて、1%を見て毎日、気を遣ってすべて行っています。今世界教会は1%を握っているのです。アメリカに住む人々を見れば、韓国の人だけ握っています。それで、教会がもう一つできれば敵がもう一つできることなのです。分けなければならないから...そして、事実は副教役者が動いていけば、また韓国の人を連れて出て行くのです。それを牧会としているから、よくなるはずがありません。そして、99%の黄金漁場は絶対に行きません。行っても見ないのです。目がくらむから...みなさんがこの門を本当に開いてしまえば終わるのです。それで私の場合は、はじめから3千弟子に向かって走ったのです。柳牧師は力があるのではないかという誤解することがあるでしょう。私は本当にできることがなかったのですが、この伝道の門が見えてから答えがき始めたのです。いつも覚えていなければなりません。
(3)重職者-使徒6:7
▲重職者は無条件に使徒6:7節の働きを見なければなりません。
(4)レムナント-使徒19:21
▲すべてのレムナントは使徒19:21節を方向に握らなければなりません。
▲これを持って伝道者の日記を作らなければならないのです。私はインマヌエル教会、私たちの教会を考えてみたことが一度もありません。私はタラッパン全体教会が私たちの教会です。ただ、私が牧会感覚をなくしてはいけないから、証拠を示す場所はなければならないのです。私が牧会現場なくて牧会者を助けるということは不可能だから、証拠が出る時まで働きをするだけであって、私の教会という考えはありません。この伝道者の日記はいつも変わらなければなりません。例をあげたら、私が小学生部をしていた時は、小学生部全体を見通しました。行ってみれば確かに弟子がいます。行ってみれば行く所ごとに確かに1人以上、弟子がいます。それで、私が3千ヶ所を行ってみれば3千名弟子に会えるのです。私たちの教会に来なくてもかまいません。私が本当にキリストならば、キリストが正確な人を付けられるでしょう。それで、今年はすべての副教役者、遊んでいる教役者に機会を一度与えようと思っています。同時に2千ヶ所を攻略するのです。弟子を探して...この話をする理由は、みなさんもそのようにしなさいということです。釜山では、同時に700ヶ所に入って行きます。蔚山は300ヶ所に入って行きます。みなさん、毎週300ヶ所で働きが起きればどうなると思いますか。それだけ外に現場にはたくさんあるのです。このときから、すべての答えがみな押し寄せるようになっています。神様の目標はこれしかありません。今、多くのクリスチャン、牧会者、神学者がみな1%を握ってうめいているのです。それで聖書の学びをする、何かをして、いくらしてみても効果がありません。それを茶箪笥の中でさじ変えると言います。ここにあるものをあそこに移して、そのようなことは復興ではありません。
▲そのような中で、伝道者の生活で今日、幼稚部を一度見る必要があります。幼稚部は、今、根本が作られる時間です。

1.根本が作られる時期です。
(1)箴言1:7、それで主を恐れるのが知識の根本です。このとき、根本がみな作られます。それで、何をどのようにすべきなのかがとても重要です。私は中学生、小学生は分かりませんが、幼稚部の子どもを信じない人に送るということは、とても間違っていることだと思います。今は男の子たちがとても不利です。母親の手で育つでしょう。そして、幼稚園に行けば無条件に女の先生です。私はちょっと幼稚園に男の先生がいなければならないと思っています。そうするうちに運が悪ければ小学校6年間、女の先生に会います。そうするうちに、きつい妻に会ってしまえば、一生、女の下で苦労するようになります。ところで、それまでは良いでしょう。最も重要な幼稚部の時に霊が違う先生に会ったとすれば、通じないと思いますか。それは小さいことではありません。
(2)詩篇1:1-6、それでこの時に詩篇1篇にあるとおり、根をみなおろすのです。
(3)箴言22:6、それで箴言22:6節に、幼いときに入ったことは老いても離れないと言われています。

2.3つのことを教えなければなりません。
▲この時に本人も知らず3つのことに会わなければなりません。
(1)Iサムエル1:1-11、ナジル人というとても重要な家庭で、すでに契約を見るようになったのです。
(2)Iサムエル2:1-10、そしてサムエルが幼稚部の時期を送るのに、それがIサムエル2:1-10節です。この時は、何をするかも重要ですが、どこにいるかが重要です。
(3)Iサムエル3:1-18、そして重要なのがIサムエル3:1-3節です。契約の箱のそばで横になっていました。その時、幻はとだえていました。エリは老いていました。自分の所で横になっていたのです。サムエルは契約の箱のそばに横になっていました。すばらしいみことばになるのです。

3.結果を見るようにさせなければなりません。
▲このようなときに入ったことは、必ず結果を現わすようになります。結果を現わすようになるけれど...
(1)Iサムエル3:19、一言も地に落ちないで答えられました。
(2)Iサムエル7:1-15、このようにして、人の力でできないのにミツパ運動を起こすようになったのです。
(3)Iサムエル16:1-13、そこでダビデのような人物が作られるのです。
▲私がこの間の説教の時に話しました。私が習字を私の母に学びました。それで今でも書きます。これが無視できないことなのです。ところで、みなさん釜山の港がなぜ有名なのかご存知ですか。美しくもないのですが..有名なのには理由があります。大韓民国のどの海より良い理由が深いからです。それで、一時第7艦隊の中の一つであるミッドウエイ艦が釜山の港についていました。それほど大きい船は仁川には入ることができません。釜山に船をつけて、人々が飛行機に乗ってまた上がるのです。群山というところには、入ることができません。釜山では、水に入れば2メートルしか行くことができません。ところで、西海は水に入れば何キロメートルか行くことができます。そこでは、どんな船を入れることができるでしょう。潮干狩りには良いでしょう。ですから、船はそこに入れることはできません。それは何の話なのでしょうか。釜山に私たちが住んでいたのですが、そこは港なのに落ちれば無条件に死にます。これをよく知っている私の母がずっと水に行くなと話したのです。それがどれくらい恐ろしいかというと、私は今でも無条件に水に入れば沈みます。これが霊的問題なのか、いくら浮かび上がろうとしても浮かび上がらないのです。本当です。これくらい幼い時のことが怖いのです。私は根本が泳げないように入ってしまっているのです。
▲ですから、この幼い時に重要なことをそろえてしまえば、必ず時代を変化させてしまいます。これがレムナントに向かった神様の計画です。それで今回の夏聖書学校は胎児部から青年までみな参加するように作らなければなりません。伝道者の生活を今回講義するのに、この部分を細かく解いていきます。重要なのは、あるパートの人が一つだけ聞くのではなく、すべて聞かなければならないのです。すでに問題が来た人は、この時(幼稚部)に入ってきたのです。それで、福音と聖霊の満たしでなければ不可能だということです。精神的に問題やってきた人は事実上、この時にやってきています。それを知らずにしばしば急にしようとしたり、しばしばとんでもない方向にしようとすれば、ずっとさらに難しくなるのです。事実は肉的なものも、健康も、病気も、この時みなくるのです。肉体までは大丈夫なのですが、霊的な部分は深刻です。こういう部分を作られていくのです。
▲伝道者の日記-良心
伝道者の日記をどのように作るのでしょうか。このように誤解する人が多いのです。良心を持ってしなければなりません。私が学校の教師ならば、学生たちが一回ぐらいはメッセージを聞くようにするのが、私の良心です。私が江西地域にいれば、江西地域のすべての人々が福音を聞かなければなりません。それでは、その中で弟子も出てきて、その中で他のいろいろなものも出てくるのです。この祝福をのがしてしまってはいけないのです。その中で重要なことをパート別に区分しなければなりません。それで、来週は小学生部を見るでしょう。それを見ながら私たちがどのようにキャンプをすべきなのか答えが出てきます。これを知らずに幼稚園の先生をしても良いでしょうか。例をあげれば、小学生部に対する神様の計画を知らずに、小学校キャンプに出て行ったら不可能なのです。それで弟子に会えないのです。これは、私たちが作るのではなくて、神様の計画です。そして、もう社会生活が始まったばかりです。人生で生まれてはじめて一人立ちを始めるのです。とても重要なのです。
▲それで、無条件に牧師は、今は一つだけ捨ててしまえば良いのです。私が復興させなければならない、たくさん連れてこなければならないという動機をみな捨てて、無条件に弟子を探すのです。そうすれば、神様が会わせてくださるようになっています。時々見れば、少しあせった人々がしているのですが、それでは会えません。時々行くならば、過度に欲を持ってするのですが、それでは弟子に会えません。私たちの目がくらまされれてしまいます。ところで、現場に出て行けば本当に弟子が多いのです。もう、こういう時刻表がきました。それで、私たちすべての副教役は、今年は見るようになるでしょう。それで片方では今年、副教役者時代を開くでしょう。すでに釜山とソウルは指示をしておきました。明日、蔚山に行くのですが、蔚山で指示をしようとしています。いる教役者の数で2千ヶ所を分けなさい。行ってみろということです。神様が絶妙の弟子を備えておかれました。それをのがすということは、みなのがしたのです。能力も必要ありません。神様がみな準備しておかれたのです。それで事実上、私が見れば牧師でも、そのような方々が自らあきらめているのです。私はできないといって、あきらめています。言葉はそのようにしませんが、そのように放棄しているのです。そして、私たちはすることができない、私たちの教会はだめだ、自らあきらめています。まるでエリヤのように...7千人も準備しておいたのに、自分一人だと話しました。神様は開始もしなかったのに、自分は死にそうだと言いました。話にならないのです。神様がモーセに始めると言われるのに、モーセは自分はもう老いたと話します。私たちはそのように勘違いすることがあります。このように重要な時刻表が私たちにきました。今年はみなさんに重要な答えが真に実際にくるようになります。この祝福にみなさんが主役になっていることを神様に感謝して、みなさんに祝福あることを希望します。
(祈り)
神様に感謝します。伝道者として呼ばれたことを感謝します。この時代に伝道の主役として呼ばれたことを感謝します。もう地域を生かす代表的教会になるようにしてください。すべての副教役者に目を開いてください。すべてのレムナントと重職者に目を開いてください。すべての問題が問題ではないことを見るようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)