2004年 1月 4日 インマヌエル教会聖日メッセージ


1部/ 先の事どもを思い出すな
(イザヤ43:18〜21)
 
・新年に神様の祝福が、皆様にあることをイエスの御名で祝福します。特に難しい時代に、皆様の子どもたちに驚くべき祝福があるように願います。
 
・イスラエルが一番困難を受けていた時です。神様が「先の事どもを思い出すな。わたしは新しい事をする。」それが今日の本文です。すると、むかしの事とは、何を言うのでしょうか? 今日、私がタイトルに、先の事どもとしたのですが、同じ話です。どのようなことをいうのでしょうか? イスラエル王の中にヒゼキヤという王がいました。この王は、王になるやいなや、強い国を作り始めました。簡単に話せば、イスラエルがアッシリヤとい国に税金を捧げながら、こわごわ生きていました。それは、むかし韓国に王が、中国の皇帝が認めなければなりません。話になりません。韓国の王を何ゆえに中国の皇帝が認めなければならないのでしょうか? 中国皇帝に力があるので、やむを得ずそのようにしたのです。イスラエルが、あのアッシリヤに税金を捧げていました。ヒゼキヤ王が王になるやいなや話しました。私たちはこれ以上、アッシリヤに税金を出すことができない。そして、ヒゼキヤ王が神殿にある偶像を全部なくしてしまったのです。たいした王です。王になるやいなや、ものすごいアッシリヤを見て、今まで出した税金を出すことができないと言ったのです。だから、どのようになったでしょうか? アッシリヤがじっとしているでしょうか? 軍隊18万5000人を連れて行ったのです。皆様、イスラエルがどの程度の大きさなのか知っているでしょう。韓国の京畿道と江原道を合わせた大きさです。車に乗って、熱心に行けば1、2 時間後には行けます。こういう小さい国がイスラエルです。そこに 18万 5000人の軍隊が攻めてきたのです。簡単に話せば、世界の最強大国が、攻めてきたのです。勝つ道がありません。ヒゼキヤ王がしまったと思いました。ヒゼキヤ王も人であるから、揺れたのです。使者を送って妥協しようと言いました。既にアッシリヤはだめだと言いました。あなたをそのまま置いておかない。ですから、金銀を集めて贈り物を送りました。今、アッシリヤは感情が高ぶっているゆえに、それが目に見えなかったのです。それにもかかわらず、イスラエルの国が攻めてきたのです。その時、皆様がおわかりの通り、ヒゼキヤ王がどのようにしたのでしょうか? 他の方法がありません。
 
・死にそうになった人は、祈梼院で必死で祈ります。なぜするのでしょうか? 他の方法がないためです。医者がだめだと言うから。だから神様にすがるしかないのです。ヒゼキヤ王が神様の前に祈り始めました。ところが、とうてい理解できない事が起きたのです。これは歴史にも記録されていることです。歴史にも記録されていることなのですが、起きてみたら18万 5000人のアッシリヤ軍隊がみな死んでしまっていました。今でも、歴史では色々な解釈をします。そこに毒が入っていたとか、色々な話がありますが、とにかく、みな死にました。聖書には記録しているのは、その日の夜に主の使いが彼らを打ったとなっています。私と皆様が死ぬ時は、まったく同じです。神様の命令で主の天使により引っぱられるのです。だから、どのようになるでしょうか? 全世界にうわさが立ちました。
 
・そのようなある日、歳月がたくさん流れて、ヒゼキヤ王が病気になりました。このヒゼキヤ王が病気になった時、本格的にまた祈ったのです。健康を回復しました。ヒゼキヤ王は、世界的な王になりました。アッシリヤの軍隊に勝って、病気にも勝ったのです。それで、今はイスラエルがすばらしい国になりました。それで全世界の使節団がイスラエルに集まったのです。この時、ヒゼキヤ王が失敗しました。どうして、国が富強になったのか? いや、どのようにそのアッシリヤに勝ったのか? このように話した時でした。その時、ヒゼキヤ王がこのように話すべきでした。‘私は、その時、命をかけて神殿に行って祈ったのに、寝て起きたら、アッシリヤの軍隊がみな死んでいました。私が病んだ時、祈ったところ神様が答えを下さいました'. そのように話さなければならなかったのです。このヒゼキヤ王が、いっぱい心が膨らんだのです。‘さぁ。我が国の国力を一度見てください.' このようにして、外国から来た使節団に全部、門をあけて何から見せて、武器庫から見せたのです。それからどこを見せたのかというと、宝物庫と王たちの財産を集めて置く所を見せたのです。そのことを見物させてあげたのです。最後にどこに行ったか、神殿に連れて行きました。‘この神殿を見てください。これが今、ダビデ王が準備したソロモンが建てた神殿だ。神殿の中にある神殿の器物を見てください' いろいろもようの金のうつわ、銀のうつわがありました。皆様、中国大陸から台湾に越えてくる時、蒋介石総統が貴重品、宝物を持って来るために戦争をしたことを知っているでしょうか? バビロンの使いがその宝物を見た瞬間、心が変わりました。いつかこの宝物を自分の国に移して行かなければ。 そのように決心しました。これがヒゼキヤ王の失敗なのですが、イスラエルが崩れるようになった理由です。
 
・ところが、歳月が過ぎながら時刻表がきたのです。イスラエルが 23番目のゼデキヤ王の時、起きたことです。バビロンが攻めてきました。なぜお前達は話を聞かないのか? イスラエルを押さえました。話を聞かないという理由で、イスラエルは三ヵ所から攻めて来ました。アッシリヤが押さえて、下でエジプトが押さえて、バビロンが押さえました。昔の韓国と似ています。韓国が上に中国が触って、下に日本が触ったのです。韓国をしばしば触ったのです。そのような中にバビロンが攻めてきたのです。先ず一番に、エルサレム神殿を燃やしました。そして、そこにある宝物を奪取したのです。そして、全国民の前で宣布しました。貴方の指導者の王が私たちの話を聞かなかった。それで、私たちの話を聞かないとどのようなるかを見せる。そして、火で焼いた刀でゼデキヤ王の目二つを抜いたのです。皆様、目を刺すだけでも痛いのに、目を抜いたから、どれくらい痛かったでしょう? 抜いてもそのまま抜いたのではなく、火に熱して抜きました。
 
・皆様、小説でなくて、実際にあったことです。皆様、ゼデキヤ王がどのようになったでしょうか? それで捕虜になったのに、足にかせをはめられました。馬車に乗せられていくのも不十分なはずであったのに、歩いて引っ張って行ったのです。すると、イスラエルのエルサレムからバビロンまでは、2000里の道です。すべての民が見るなかで目2ケを抜かれて、下に足かせをはめられ、歩いて引きずられたのです。あらゆる民に知らせたのです。バビロンの話を聞かないとこのようになると。すべての国民がぶるぶる震えました。バビロンの話を聞かないとこのようになる。バビロンは、今のどこでしょうか? 今のイラクです。昔のバビロンです。だから、文化はものすごいのです。この前、戦争した時、文化は破壊しないでという話が、その話です。昔のそれを破壊させるなということです。このようにして、イスラエルが捕虜になったのです。その中でイスラエルの賢い人は、全部、捕虜になりました。そのことです。
 
・先の事どもを思い出すな。わたしは新しい事をする。新しい事とは何でしょうか? それは2部礼拝の時に話します。今日の1部の時は、先の事どもを思い出すな。記憶喪失症になれということでしょうか? 先の事どもは、どのように忘れてしまうのでしょうか? 王が二つの目を抜かれて、かせを足にはめられて、歩いていくのに、それを思い出すなということでしょうか? 皆様ならば、思い出すことはないでしょうか? それを思い出すなということです。いったい何の話でしょうか? 私たちはここに対する意味を早く探さなければなりません。そのように、むかしにあったものすごいその問題、その状態に陥っていないで、仕方がないから、抜け出しなさい。
 
・例を上げれば、何の話かというと、両親が死にました。何にもしないで泣いているとすると、なぜ一日、二日なら良いけれど、ずっとそのようにしているとすると、何と言うでしょうか? 忘れてしまいなさい。これから忘れてしまいなさい。これから学校に通わなければならないから、力を出しなさい。この話です。どのように、その事件を忘れてしまえるでしょうか? 今、私がした話は、ものすごい事件です。それをどのように忘れてしまうのでしょうか? がっかりした状態にいないで、そして、今、奴隷になったのに、その状態にいないで。今、無気力な状態にいないで。私が新しい事を行なう。その話です。皆様、この話は普通の話ではありません。
 
・私がアフリカに行きました。アフリカに行ったのですが、アフリカ 70ケ国で一番発展した国に行ったのです。そこがケニアです。ケニアの首都がナイロビです。ナイロビでは、国際会議も開く程です。ナイロビ市内に行ったのですが、小さい子ども達が学校も行かずにいました。‘なぜこうなのか?'とたずねたのです。学校もがらがら空いていました。宣教師は、他の所に行く必要がなく、学校に入っていけばよいのです。学校自体が空っぽです。先生もいません。子ども達が学校に通いません。ナイロビ中でだけ、8000人があちこち回っています。もちろん、それは私が聞いた数字です。ところが、私が感じたことは、もっといそうでした。うようよ、あちこち通っています。だめです。‘なぜこうなのか' と言いました。工事をしろと言うと、80% は自分のものにするらしいのです。学校の子どもたちに勉強させろとお金が出ると、80% は自分のものにしてしまうのです。それでも、韓国はちょっと良いのだなと思いました。韓国は、50% を自分のものにしますが、まだましなのだなという気がしました。80% 自分のものにしてしまいます。ですから、この状態になるしかないのです。他の人に黒人という話を聞かないようにしようとするなら、そこから抜け出てなさいとするのに、そのようなことをそのまましているのです。白人に蔑視を受けないようにしたいなら、抜け出なければならないでしょう? 白人が黒人の皮膚の色だけで、言う話なのでしょうか? お手洗もむかしには黒人が使うお手洗、白人が使うお手洗は違いました。入ってみると、白人のお手洗はきれいです。黒人のお手洗はものすごく汚かったのです。自ら蔑視を受けることを作り出すのです。
 
・これからは、捕虜状態、奴隷状態にいず、先の事どもを忘れてしまいなさい。分かるでしょうか? その話です。昔の事どもを思い出すな。どのように、昔のことを思い出さないでしょうか? その話はそのような状態の中にいず、忘れてしまいなさいということです。ですから、がっかりした状態、そのままいないで、ということです。
 
・中央アジアに行ってみました。本当におもしろいのです。私達が今、自分の国に来たとするなら、歓迎すべきでしょう? 私たちを見て、とても狙ってみるのです。驚くことに、私たちは今、お客さんとして来たのにということです。簡単に話せば、公務員が全く考えが変わらなかったということです。共産主義、そのままです。とても私たちを脅迫的ににらみます。その程度ならばかまいません。かばんをみな調べます。かばんを調べて、お金があれば、かばんを持って付いて来なさいと言います。その金を見て、自分たちの言葉で、これがなにかと言いながら、お金は自分のポケットに入れてしまって、なかでかばんをみな開けてみろと言います。ものすごく深刻なように見つめます。そして、かばんを持って行きなさいと言うのです。ポケットに入っていったお金は出しません。それが空港職員です。仮りに私たち大韓航空でそのようにしたら、大きいことが起きます。その程度です。皆様、北朝鮮に行けば金剛山で何かを買うはずです。だれかが言いました。1ドルをたくさん準備しなさいと言いました。仮りに 8ドルならば、10ドル札を出せば、おつりをくれないと言いました。共産主義、そのままいるのです。対話ができません。そして、中央アジア、この国からあそこへ通過しようとするなら、いまはみな独立国家であるゆえに、国家対国家です。ここを経た、あそこへ行くなら、ここでもビザを出して、あそこもビザを出さなければなりません。私達がビザを出す時には、時差が違う所に行きます。集会はこの国でするはずなのに、あの国を経て行かなければならないとすると、日が一時間で明日になるのです。それを見てくれないのです。ビザが明日なのに、まだ明日でない。私たちを見て待てと言えば良いのに、どこかに捕まえていく所があるので、そちらへ行こうと言います。話になるでしょうか? だから、ここで作る時、あらかじめ一日前として余裕があるようにしなければ、何時間前だから、それで捕まえて閉じ込められました。完全に姿が空港職員でなくて、やくざです。私達が宣教するために行くのに、何をしに行くでしょうか? 自ら自分の国を壊すことです。そして、何名かが行って話して、お金与えれば OKするのです。まだ共産主義思想、そのまま陥っています。15ケ国を越える、そのような国がそうなのです。一回はそこに大使が私たちのメンバーでした。ですから、私達が行くと言ったので、その方が特別待遇をしてくれました。大統領や長官が行く道が別にあるのです。私たちが行くと、その道に招いて行きました。集会をして帰ってきました。この方が、帰って行く時、私たちを案内してくれなければならなかったのに、帰る時は、自分は用事があって他の国に行ったのです。戻って行く時見たら、なぜ行く時はんこを押していないのかと言われました。私たちはVIPなので、直接行ったと言ったら、そのようなことはないと言われました。出て行くのに‘入ったというはんこがないのに、どのように入ったか'と言いました。話す言葉がありませんでした。この人が私たちをお迎えすると言いながら忘れてしまったのです。
 
・紙を全部おさめてはんこをみな押して応対して行かねばならないのに、この方がかたちだけで応対して、すぐに行ってしまったのです。ですから、帰る時、私たちを行かせなかったのです。それで、私がこれはどうしたら良いのかとたずねたら、そばで簡単だと言いました。何で、どのように簡単なのかとたずねました。これを与えたら良いのですと言いました。与えればすぐにOK。 本当にだめだと思いました。まだ北朝鮮、中国、ロシアこういう所では、共産主義思想がそのまま残っています。その上に門だけ開いたのです。それで、私たち南北韓国がひとつとなろうとするなら、かなりかかるはずです。時々、行ったり来たりして、対話してなければ、あまりに違います。むかしそのままに陥っています。ですから神様がイスラエル民族を連れて大きな事をすることができるでしょうか。今‘先の事どもを思い出すな' その話は何でしょうか? そのままのがっかりした状態でいてはならない。そのような思想の中にいないで。
 
・2番目に何の話でしょうか? この内容を思い出さない内容でしょうか? 神様がご覧になる時、記憶する価値がないということです。福音なく律法主義に陥って生きていて、滅びてしまったのです。皆様、クリスチャンが最も注意すべきことがあります。論理的に福音と律法と、どれがより論理的でしょうか? 律法がより論理的です。ここにだまされてはなりません。それで知識人がだまされるのです。皆様、福音と宗教とどれがより論理的でしょうか? 宗教がはるかに論理的です。ここに用心しなければなりません。処女がみごもって男の子を産む。何が話になるでしょうか? 十字架にイエス様が死んで私達が救われる。これが話になるでしょうか? 私達がこの世に生きていますが、どんなに誤っていても許されて、イエスだけ信じれば天国に行く。話になるでしょうか? 人の子は、あなたの罪は赦された。話になるでしょうか? カトリックの教理がもっと優れて見えるでしょう。君が献金を多くしたら祝福される。君が徳をたくさん立てたら、天国に行く。そうではないでしょうか? これが問題です。福音はある面では論理的ではありません。その話は、私達は理解できないことなのです。私たちの人生は、そのように論理で解決にする部分ではありません。最もやさしい例で、皆様の家庭に呪いが入るのに、論理で解決することはありません。それが論理的に来たのでもありません。本当に深刻です。子どもたち、皆様の家族に霊的問題がくるのに、これが論理で分かるでしょうか? イスラエル民族は、特に律法をしっかりと捕まえています。福音が全くなかったのです。価値がない内容です。
 
・皆様、記憶しなければなりません。正確に話してみましょう。あなたがたは、ここに論理のために来た方達ではありません。ここにあなたがたは、勉強のために来た方達ではありません。ここにあなたがたは、経済の知識のために来た方達ではありません。ここにあなたがたは、特別な運動をするためにきたのでもありません。ここであなたがたは、何かの集いをするために来たのでもありません。それなら、価値がありません。それなら、いつでも崩れてしまいます。皆様は神様の民で、霊的な正しいメッセージを神様の御声を聞くためきたということです。これをのがして生きてきたのです。ですから、記憶する値する価値がないのです。そこに犠牲になって、溺れ死ぬ価値はありません。ですから、霊的問題にあまりにも苦しめられる価値もありません。使命を忘却して生じたことであるので、価値がないということです。その話であって、どのように、昔のことを思い出さないのでしょうか? 皆様がおわかりの通り、李朝時代に見れば、私達が多くの党派戦いをしたりしました。忘れることはありえないのです。しかし、それ自体は価値がありません。すると、早く忘れてしまわなければなりません。そうしてこそ、先進国になるように、福音なく生きてきた宗教人に対するメッセージです。この話の意味が何でしょうか? 傷を完全に忘れてしまいなさい。そのような意味であって、どのように、その事を忘れてしまえるでしょうか?
 
・皆様、記憶しなければなりません。傷を持っていれば、必ず憎しみに変わります。頭が良い人々は、他の人を嫌わないように見えますが、必ずそのように変わります。勉強を多くした人々は、体面があるから怒りをあまり出しませんが、必ず傷が憎しみに変わります。そして、憎しみ傷がたくさんある人々、ちょっと、文をよく書いて、たくさん学んだ人々は、表に出しませんが、それを他の方向で出すようになっています。その中にある根は憎しみです。ですから、正常な自我形成ができません。もっと重要なことは、霊的未来が怖いのです。
 
・忘れてしまいましょう。皆様、新年を始めながら、忘れてしまうように願います。本当に不思議です。皆様の家庭の霊的問題が、なぜ子どもに行くのでしょうか? ですから救われなさい。救われれば、何でしょうか? 忘れてしまいましょう。そこにだまされるなということです。これは相当な話です。
 
・以前にも私が話しましたが、必ず集会行くために準備して祈る時間に、TVの番組「朝の庭」がありますが、ちょうどその時間に見ると、夫婦げんかに関して出てきます。その時間は、おもに火曜日です。おもに月曜日集会をして火曜日にするために、行こうとする朝に「朝の庭」の放送を見るのです。ところが、まず私が見る時は、どのように夫婦が争うのに、なぜあそこまでするか、本当に大変なことでなければ、足りない人だと思います。出てきて、そこでもけんかしました。ところが、二人を見れば特徴があります。ずっと自分の話だけをするのです。相手の話は理解しないで、ずっと自分の話だけです。そこでも、自分の話だけです。しかも、一つの特徴があります。夫は妻に、妻は夫に先入観があるのです。いっそのこと、この男はだめな男だ。この女はだめな女だ。こういう先入観が必ずあります。元々良い人なのに、失敗をくり返すのを見ると、習慣になった、このように理解すれば良いのに、これはできないようです。いっそのこと、男の人は、この女は私をとても無視して、男を無視してぺちゃぺちゃしゃべる女だ、このように思っています。女は、男をこの男はとにかく、習ったこともなくて、礼儀もなくて、男のようではないという考えが頭の中に刺されているのです。ですから、放送に限界があります。すると、放送で出てくる人が、今日は、よくしてくださいとしばしば説得をするようでした。私はそれを見ながら、あのようにして和解できることは絶対にないと考えました。それで、外に行って、殴り合いをしないならば幸いです。なぜなら、放送局では、話も勝手にできないから、熱をいっぱい受けているのに、出て行ってけんかしないでしょうか? これが特徴です。しっかりと先入観が打込まれて抜け出さないのです。
 
・傷を完全に忘れてしまいましょう。先の事を思い出すな。この話がどのように思い出さずにいられるでしょうか? その傷の中に陥らないで。奴隷状態でいてはならない。過去のそれゆえに傷ついて、そのまま大事に保管していないで。福音の特徴が何か知っているでしょうか? 終わったのです。皆様、福音を最も簡単に表現すれば、何か知っているでしょうか? 皆様の運命が変わってしまったということです。何の話なのか知っているでしょうか? それで、占う必要がありません。運命が変わってしまったのです。確かです。占い師の前でも確実に言えます。私が一年間、占い師にメッセージを送りました。あなたの運命から抜け出す道があります。それが福音です。皆様、その福音の秘密を味わうことが信仰生活です。すると、他の人に知らせるようにせねばなりません。それが間違いないならば。それが伝道です。それが何で難しいでしょうか? 一つも難しいことではないのに、しばしば難しくするのです。簡単です。
 
・皆様、深い傷は人生の末路にとても難しくなります。皆様、年を少しずつ少しずつとると、少しずつ変えなければなりません。幼い時、若い時、デモを行おうと通った、そのような性分を年をとった時まで持っていれば、困難になります。また、皆様が鋭い文章を書きながらも、年齢がちょっと高くなれば、美しい文を書かなければなりません。誰かが分析をしました。チェロとバイオリンは違うということです。なぜそうなのかというと、バイオリンはものすごく鋭敏です。ですから、していれば人が鋭敏になります。チェロは、ぶんぶんして、ちょっと軟らかいのです。人が年を取ればそのようになります。それで、バイオリンをする人は、年をちょっととると、軟らかい楽器を一つより勉強します。年を取ったらサキソフォンを吹くとか、とにかくこういう方法で、ちょっと軟らかくさせるのです。皆様、それほど過去ということは簡単ではないのです。
 
・今日、私たちはどんな結論を下すべきでしょうか? 事実上、私たち人にはみな霊的な問題があります。霊的 問題ということは、何だと言うことが難しい程にみなあるのです。すこし差があるだけです。ある基準を越えてしまえば、ちょっと異常だと言いますが、基準程度であれば、他の人はよく分かりません。そこにしたがって、誰でも良くない習慣はみなあります。人はまた、こちら部分の人は、あちらはちょっとできない無気力な 部分がみなあります。それで、主なる神様を見上げて、新しい事を行われる神様を信じなさいと言われるのです。どのようにすべきでしょうか? 
・私は、福音を知りながら、神様がむかしのことを全部利用されました。むかしことを全部変えて考えました。 私が幼い時、山の上に行ったり来たりしたのは、登山したことなのだな。それで、神様が健康を祝福なさったんだなあ。私たちが幼い時に食べるものがなくて、今のように化学成分が入っているものを食べませんでした。私たちは完全に自然食だけを食べたけれど、それがみな健康の秘訣だったのだな。幼い時、私の家の庭で私達が共同庭を使うから、庭でおとながけんかをしました。みな行って見ていたのに、私の父が私に見るなと言いました。それを見て、ひどい目にあいました。その時、私は内心、私の父にどれくらい悪口を言ったか分かりません。なぜみんなが見ることを私は見てはならないのか? なにをあのように厳しくするのか? それでも、こっそりと穴からみな見ました。私はそれを見ながら、年をとりながら、私の父がなぜ見ないように言ったのか分かりました。とても貧しくて、米国から来た救済品を分けるのにけんかをしたのでした。それを見れば、私の両親は、すこしそれでも立派な人々でした。もちろん後ほど知ったのです。そのようなことを見るなと言われました。ですから、物をもらって分けることは、恥ずかしいということです。私は、その時、それを見ながらこのように習いました。本当に服もお金も必要ですが、あんなように価値なく生きてはならないのだな。私はそのように習いました。私の父が、あまり信仰がないから、努力だけしているうちに、早く亡くなりました。私はそれを見ながら、なにを習ったかというと、運動もして、健康を守らねばならない。私はそのように習いました。私はどんなことがあっても、無条件に集会場所に行けば運動からします。自分なりに、健康を維持しようとするのです。もちろん、神様の御手にありますが、自分なりにします。私は幼い時から、教会に通いました。信徒が集まって、いらない話もして、毎日けんかをするのを見ました。私は神様の前で習ったのです。私はあのように生きない。教会に集まって、つまらない話をして、つまらない行動もして、あのようにけんかもして、あのようには生きない。私は教会堂で祈りの答えを受けて、世界福音化する。全部、むかしのことを見て習いました。それがみな先生です。どれくらい教会の中には、このねたみと葛藤と教役者間の問題が多いのか、私はそれを見ながら、私はそのようにすべきではないと感じました。それで、そのようなことを習いました。あまり現場の中で見ると、福音なく苦労しています。すると、伝道しなければ。福音の祝福が良いことなのに、伝道せねばならないではないか? 私はそのように習いました。そして、6.25(1950年朝鮮戦争) 以後に、私たちの村はみな貧しかったのです。それで精神を整えて生きねばならないな。私はそのように習いました。あまりに難しい時期を私たちは経て生きました。私はこのお金に執着して生きるのではなく、本当に熱心に生きねばならない。そのように習いました。ですから、問題になる必要がありません。
 
・私たちはみなそれでも、問題が残っている人間です。神様の前で真実に祈り始めれば、答えを得ます。ひとつずつ、癒されていけば、神様が祝福を下さるはずです。また、私達が祈り始めれば、神様が力をくださるはずです。それでこれから一年を送りながら、今年はそのように考えました。本当に律法でない限度内で、もう少し敬虔に生きるべきです。私が世界福音化して、多くの人を生かすために、もう少しそのように正しく生きねばならないということを年末に感じました。それが、私の心に当たってきた内容でした。人があまりかた苦しいのではないけれど、それでも、正しく生きるようにより努力すべきです。なぜならば、それはそれ一つだけ見ることではなく、全体の重要なことと関係あるからです。皆様が本を中間くらいまで読んで放棄することは、ありえることです。しかし、それが人生と関係あるということを知っていなければなりません。皆様、道を行く時、途中で戻ることもあります。可能な話です。それが人生と関係あるということを知っていなければなりません。本当に簡単な話ではないのです。あなたがたが記憶しなければなりません。
 
・ここにかわいい私たちの男子学生、女子学生がたくさんいます。皆様の両親を見ましょう。皆様の両親にあることが皆様と連結します。皆様、そこに気落ちしたりせずに、祈らなければなりません。例えば、皆様のお母さんが肥満だとすると、娘は大きくなりながら、確かに肥満になります。それを参考にして、努力しなければなりません。私は心臓に何の異常もありません。私の母は心臓病で亡くなりました。それで、心臓をちょっと丈夫なようにするということだなと思って、そこについてたくさん研究しています。ですから、悪いことはありません。ところが、これは簡単な話ではなくて、あなたがたにむかしのことと、今と、未来を話しているのです。特に学生達は、記憶しなければなりません。皆様の両親が失敗したり、皆様に傷があれば、そこに陥らないように。 ‘先の事どもを思い出すな'
 
・理由が何でしょうか? わたしが新しい事を行なう。これは今日の2部礼拝時にするはずです。新しい事は、何でしょうか。今日、昔のことを思い出すなと言われたのですが、記憶喪失になれということでしょうか? 奴隷状態にいないで。そして、福音でもない、そのように縛られたところにいないで。過去に受けた傷の中にいないで。その話です。ですから、今は新しい事を行なう。皆様、これが簡単な話ではなくて、必ずそのままついて行くのです。もし皆様の家庭、家族、両親、色々な人間関係があるでしょう。ところが、持っている傷とか、色々なこういうものがあれば、絶対に良くなりません。ですから、今日、必ず変えなければならないのです。
 
・どのように変えるのでしょうか? 考えで変えればよいのです。ですから、皆様がちょっと素晴しい祝福の生活を送るように計画すれば良いのです。より重要なことは、2部礼拝の時も出てくるでしょうが、皆様は、神様の子どもです。皆様は、偶像崇拝しなければならない悪魔の子どもではなくて、神様の子どもです。どれくらい驚くべき話でしょうか? それで、早く抜け出てきましょう。普通に見れば救われたのにも、しばしばそこに陥っているのです。思想でも、何かにしばしば陥っています。しばしば気落ちして、そのままいます。そうしていてはなりません。傷の中に陥っています。抜け出さなければなりません。私たちは救われた神様の子どもであるために、出てきたら、いくらでも勝利します。‘先の事どもを思い出すな。わたしが新しい事をする' 主なる神様が与えられたみことばです。今日、皆様がこの祝福のみことばを堅く握ってくださることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちに救いをくださったことを感謝申し上げます。運命から抜け出てくるようにしてくださったことを感謝申し上げます。霊的問題から出るようにしてくださったことを感謝申し上げます。これからは、過去の傷に陥らないようにさせてください。過去の考えに縛られることがないようにさせてください。過去の不信仰の中にいないようにさせてください。昔の事を捨てる時間になるようにさせてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
  
 


2部/ わたしは新しい事をする
(イザヤ43:18〜21)
 ・イスラエル民族が最も困難にあったと考えたのに, 神様が新しい事をするとおっしゃいました。がっかりしているイスラエルに、わたしが新しい事をすると言われたのです。完全に捕虜になっているイスラエルに、そのように話されました。立ち上がる道がない奴隷になったイスラエルに、わたしがこれから新しい事をするとおっしゃいました。盗む時、単にしたかの様に見えますが、霊的にものすごい問題がきます。人を難しくさせて、人を殺して、自分の有益を得ようとするならば、霊的にはものすごい問題がきます。まるで私達が、絵で見ることができるならば、その人には、たぶん悪霊がぎっしりついているでしょう。ところが、その金を持ってご飯をよく食べて寝ることができるのです。それが失敗です。イスラエル民族が、神様のみこころを悟るために捕虜になりました。失敗ではありません。わたしが新しい事をする。先の事どもを思い出すなと言われました。そのような傷の中にずっと陥っているなと言われたのです。わたしが新しい事をするが、わたしがそれを表すはずだと。本当に驚くべき事が行われました。想像することもできない事が起きたのです。
 
・ユーフラテスの川の上に大きい都を作って住んでいました。敵軍が入ろうとするなら、川を入って来なければならないために、入ることができません。そこで、遊覧船を作って、王と臣下がパーティーをしながら住んでいました。世界を動かす覇権国家、バビロンです。神様がこのようにおっしゃられました。彼らが乗って遊んだ船で逃げるようにすると言われたのです。皆様がおわかりの通り、エルサレム神殿を火で燃やした国が、バビロンです。神殿から品物をみな奪い取って、酒盛りと偶像に使った国がその国です。今でも問題になっています。バビロンが、まさにイラクです。本当に不思議です。今までずっとぶつかっています。完全にイスラム国家です。その国がまさにバビロンです。その船に乗って逃げるようにさせる。おかしな事が行われました。クロスという王が現れて、メディア、ペルシャ全部を倒しました。おかしなことです。クロス王が初めて述べた言葉があります。ヘブル民族、イスラエル民族は戻れと言いました。早く戻って、神殿を建てなさい。バビロンにある木も持っていって、石等の材料をみな持っていけと言ったのです。ありえることでしょうか。こういう驚くべき事が行われたのです。
 
・わたしが新しい事をする。わたしがそれを表そう。神様がなされば、できない事があるでしょうか。前に一度報告したとおり、歴史にはこれがどのように説明されたのか確認してみました。その時、クロス王が歴史の書物には、キルスとなっている. 歴史には、キルス2世となっています。その人がバビロンを倒したのです。どのように倒したのか研究してみても理由がありません。王の孫です。ところが、その人が王になると、王がその子を追い出したのです。歴史を読んでみると、王の娘が父の前に座っている夢を見たのです。その王がメディア王です。娘が座って見たら、葡萄の木の枝に実がなりました。前に報告したとおり、全く同じ夢を見たのです。夢というのは、一度くらい見るもので、なぜかゆめうつつに過ぎ行く夢、それはつまらない夢ですが、全く同じ夢をずっと見るのでした。王が深刻になったのです。夢を解釈する人を呼んで話したら、娘が子どもを産むのに、その子どもが王になるということでした。だから、王が緊張して、自分の息子が王にならなければならないと、それで産婆に命令を下しました。私の娘が子どもを産んだら、受けるふりをしながら、無条件に殺せと言いました。ところが、産婆が子どもを受けて、殺したとうそをついたのでした。子どもが死んだから捨てると言って、そのまま包んで、捨てないで山中のおじいさんに与えたのです。歴史を見れば、山の中でこの子どもが育ったのでした。バビロンを倒して、メディヤ、ペルシャを全部みな統治したのです。その人がキルス2世です。歴史にあることです。聖書ではクロスとなっています。
 
・いったい新しい事をするということは、何の話でしょうか? どのように新しい事をすることができるのでしょうか? 皆様は、どのようにすれば、新しい事をすることができるのでしょうか? 新年が来ました。皆様がどのようにすれば、新しい事をすることができるのでしょうか?
 
・今日、その本文をよく捕まえなければなりません。イスラエルが解放されました。バビロンが崩れたのです。実はそれが新しいことではありません。事件にすぎないのです。皆様、今日、信仰生活を契約として捕まえなければなりません。困難がきたように見えるけれど、困難ではありません。事件にすぎないのです。バビロンが崩れて、今、捕虜から解放されました。それが問題ではないのです。今日、皆様が3つのことを知っていなければなりません。
 
・新しい事とは何かを知っていなければなりません。それがイザヤ書の核です。いったい新しい事とは何でしょうか? バビロンを倒すことでしょうか? もちろん、それも事の中のひとつです。今日の本文は、その倒したことを話すことです。しかし、本当に見ればそれではありません。神様がこのようにおっしゃられました。みな滅んでも、信仰の切り株は滅びない。イザヤ6:13。どんな強い者が崩れても、切り株はなくならないように、レムナントはなくならないだろう。すると、どうしろという話でしょうか。レムナントを立て起こして、何をするのでしょうか。イザヤ7:14。処女がみごもって男の子を産む、その名をインマヌエルと名づける。それ知らせることが、新しいことです。絶対に福音を持った者は滅びません。それを知らせることが、新しいことです。バビロンを倒すことが新しいことでしょうか。それは序論にすぎないのです。イスラエルが捕虜になっていきました。それは序論にすぎません。私の父が早く亡くなって苦労しました。私はその時に苦労だと思っていました。本当に良かったことなのです。神様が驚くべき新しい事を行なわれました。だから、色々なことが含まれているのです。処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと名づける。それを伝達しなさいということです。処女がみごもって男の子を産むというのは、なんの話でしょうか。メシヤがきて、暗闇と呪いとあらゆる霊的な問題を打ち破るはずだということです。この事実を言いなさい。そして、この事実を言えば、全世界に光が照らすために、暗闇にいる人々が、光に帰ってくるはずです。イザヤ60章です。その時から、皆様の子どもが光に帰ってくれば、すべての民が生かされるようになるのです。イザヤ60:6〜12。万民のために旗を掲げなさい。これが新しいことです。皆様、失敗が何か知っていなければならず、新しい事が何かを知っていなければなりません。バビロンが滅びことがよくなったということではありません。私たちイスラエルが捕虜になって滅びました。そのままいても良いのでしょうか? 先の事どもを思い出すな。私があなたに新しい事をする。
 
・塞翁之馬の話を知っているでしょうか。主人の馬がいなくなりました。乗る馬がいなくなったのです。しもべが来て、馬がいなくなった、大変なことが起こった, 御主人様が好む馬がいなくなったとあわてて走りました。それは、しもべが見る水準です。主人がこう話しました。何がそれが大きい事なのか?馬が足が4つあるから、どこにでも行く事もできる。また、馬は買えば良いことではないかと話したのです。といったところ、しもべが分かりました。何日かしたら、しもべが走ってきて、喜んでくれ、馬が帰ってきたのに、新しい馬を連れてきたというと言うので、主人が何がそんなにうれしいのか。馬は行ったり来たりして、また来ることも行くこともあるではないかと話しました。また、しもべがきて、御主人様に本物申し訳ないと言いました。なにかと尋ねたら、御主人様の息子が馬に乗っていて、落ちてケガをしたと言いました。そのおじいさんが何と言ったでしょうか? 馬に乗ったら、そのようなこともあると言いました。有能な乗り手と将軍になろうとするなら、馬に乗っている途中で落ちることもあることだと言いました。事件にすぎないのです。
 
・新しい事とは何かを知っていなければなりません。新しい事とは何でしょうか。絶対に切り株は滅びない。 皆様が本当に神様の子どもであることが間違いないでしょうか。滅びません。残った者を通じて神様が働きを起こされるのです。共産主義が福音をなくそうと、どんなに苦闘したでしょうか。しかし、滅びませんでした。ヒットラーが福音をなくそうと、どんなに苦闘したでしょうか。しかし、なくすことができませんでした。中世教会が、この福音がある教会をなくそうと、どんなに苦闘しても不可能でした。切り株は滅びません。木がみな運んで行かれて、火に焼けても、その根だけ残っていれば死なないのです。神様の子ども、福音を持った人を切り株に比喩したのです。私はこの学生達を見て、レムナントという言葉を使います。ところが、そこから新しい芽が出るので、レムナントを学生達に使いましたが、事実はおばあさん達がレムナントです。今、私たちの長老達、おじいさんがレムナントです。なぜでしょうか。いつまでも死ななくて、長生きして残っているためです。そこから芽が出るのです。レムナントという話、解釈をよくしなければなりません。そこに新しい芽が出るので、学生達に比喩したのです。レムナントという言葉は、根ということです。そして、簡単に話せば、終わりまで残っている者という意味です。英語で、ラテン語から来た言葉ですが、‘rem'というのが残っているということです。だから、すごいことなのです。
 
・どういう話でしょうか? 私たちの問題を解決する方法を知らせなさい。処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと名づけなさい。それが有名なイザヤ7:14です。普通の人々は理解もできない話です。そして、何と言うのでしょうか。これから起きて光を放ちなさい。すると、光中心に来ざるをえません。万民のために旗を掲げなさい。この約束の中に間に言われたみことばが、今日の本文です。わかりさえすれば、私が新しい事をする。だから、先の事どもを思い出すな。心配するな。皆様、霊的問題が来た方達は、恐れないで。福音があるならば、心配する必要がありません。皆様が福音を持っているならば、霊的問題が来れば来るほど益です。神経を使わないで。皆様の過去の傷、霊的問題、皆様の過去をみな忘れましょう。わたしが新しい事をするという、この契約だけ捕まえるように願います。この契約を本当に捕まえれば、皆様は勝利します。どんな場合も、これを防止できません。ある時は、日帝時代に福音を防止しようと立ち上がりました。日本には申し訳ないけれど、日本は裁かれて、韓国教会は生きました。金日成主席、金正日党書記が立ち上がって、教会をなくそうとしました。申し訳ないけれど、北朝鮮は乞食になって、私たち韓国は、まだ世界福音化する隊列に立っています。イエス様がパンと葡萄酒を与えながら、わたしの肉と血を記念しなさいとおっしゃいました。わたしがまた来る、その日まで覚えなさいと言われました。誰が妨げることができるでしょうか。これが新しい事です。このようにしてこそ、全世界が生かされます。皆様、理解できるでしょうか。皆様に霊的問題がたくさんきているのに、この人たちが、いやされる、その事が正しいことです。今、日本に一番多い精神病者、それを直すことが、国家を生かすことです。
 
・どのように、新しい事を行なうことができるのでしょうか。新しい事が何かを知っていなければならないということです。皆様ひとりゆえに、皆様の家庭に霊的な光が照らすようになるはずです。それが新しい事です。私が福音を悟って、福音運動すると言うので、人々が何でもないと考えました。一度は、一緒に学校に通った神学生達に話しました。私が福音を悟ったから、私一人がうれしかったのです。福音運動をすべきだと考えたのです。学校を一緒に通ったのに、私がチョ・ウンテク牧師に食事しながら、私が世界福音化をするはずだと言いました。伝道して、世界福音化するはずだと言ったのです。ところが、この人が私をみつめる目が不思議だという目でした。なぜ、そのように狂った話をするのかと言いたそうでした。皆知っている話なのに、ということです。そういうことではありません。皆様一名が、皆様の家中を生かすことができるということです。 新しい事をする。レムナント学生2名に祈ってきたのですが、あの学生達を通じて、ボストンが生かされ、新しい事をする。皆様を通じて賛美を歌う方を通じて、暗闇の力が崩れて生かされるはずです。新しい事をする。わかるでしょうか。絶対に揺れる必要はありません。わたしが表すはずだ。それで、私が開拓を始めたのですが、12坪から開拓を始めました。私たち教会が世界福音化をするのに用いられるように、神様の前に献身しようと言いました。信じなかったのです。すべての牧師が言う話だったためです。その話ではありません。私たち教会の信徒が今は信じています。今は、その話がなんの話なのか理解しています。今、私がインマヌエル教会に話したいのです。神様は、私たちレムナントを育てることができる最も良い教会を与えてくださるはずです。皆様、アーメンしたのですが、よく信じていないはずです。本当に信じる人は行動が違います。本当に信じる人は参加することが違うのです。なれば良くて、ならなくてもそこまでという行動とは違います。本当に信じる人は違うのです。見ていてください。神様の驚くべきことです。皆様を呼ばれたのは、皆様がご飯をよく食べなさいということではなくて、皆様の家庭と地域を暗闇の勢力から生かしなさいということです。それで、起きなさい、光を放ちなさい。イザヤ60章です。バビロンを倒したことが新しいことではありません。それは、序論にすぎないのです。共産主義を倒したことは序論にしかならないことであって、そのことではないのです。共産主義国に福音を伝えるためです。分かるでしょうか? この契約だけ捕まえましょう。
 
・2番目です。どのように、新しい事を行なうのでしょうか? 神様の力を知って体験しなければなりません。今日の本文を見ましょう。どんな神様でしょうか。イザヤ43:16に、海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設けと言われています。私があらゆる知識人に会ってみたのですが、神様はみないると信じていました。私が多くの宗教人に会ってみたのに、神様は存在すると信じていました。ところが、そのように信じていてはなりません。聖書を見れば、事実通り信じなければなりません。そして、体験しなければならないのです。すると、この力は普通の力になることではありません。私たちの学生達が祈っている途中で答えを受けて、神様が生きておられると体験したとするなら、これは普通の力ではありません。海の中に道をつけると言われました。今日の16節に激しく流れる水の中に通り道を設けると言われています。17節には、戦車と馬、強力な軍勢を燈のように消すと言われています。燈を消すことが大変でしょうか。バビロンのすべての軍隊を、神様が燈 を消すように消すと言われたのです。力の神様です。19節に砂漠に川を流すと言われ、20節には獣たちもわたしを尊敬するようになると言われています。獣も悟るようになるはずだということです。その神様の力を体験することが、どれくらい良いでしょうか?
 
・今日、学生達が契約を握りましょう。私が勉強することは、暗闇に陥った者を生かすための、新しい事のためなのです。良くしてもかまわなくて、できなくても良いのです。気落ちせず、最善を尽くしましょう。そして、2番目の契約は、神様の力を体験しましょう。ここに救われて座っていることも大きい力ですが、これから、ものすごい答えのみわざが起きるようになるはずです。誰が神様より力があるでしょうか? 誰が知恵があるでしょうかということです。今日、皆様がこの契約を捕まえましょう。パウロはこう話しました。この世の議論家は誰か?この世で知者は誰か?この世で強い者は誰か?主なる神様より強いのか?神様の一番の無知なことと、人間の一番有識なことのうち、どちらがより良いでしょうか。イザヤ40章に、こういうみことばがあります。‘あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得'と言われました。そうではないでしょうか。神様のIQは、どれくらいでしょうか。皆様のIQはいくらでしょうか。150くらいあれば良いほうです。IQ 170くらいになれば、本当に良いのです。IQが200くらいになれば、狂い始めます。IQが 300くらいになれば、長く生きることができません。IQ 300を越えれば、12歳以上は生きられません。やっとIQ 300でそうです。あまり複雑で、爆発してしまいます。神様のIQは、いくらと考えるでしょう。60億人口×あらゆる天使×あらゆる悪魔×あらゆる悪霊×あらゆるたましい。それを何と言うか知っているでしょうか。無限大と言います。英知は測りしれない。少しだけ体験しても、すごいのです。学校でいつも勉強ができなかったアインシュタインが、神様の力を知って、その時から変わりました。酒で堕落していたヘンデルが、神様を知った後に、ものすごい曲を作りました。学校で捨てられたエジソンが、神様の力を知った後、ものすごい発明家になりました。エジソンは、総学歴が3ケ月です。先生が、あの子は異常で低能児だと言って、追い出したのです。他で勉強すべきだと言いました。この人が、彼のお母さんとともに、神様の力を体験したのです。皆様が神様の力を理解するということが、ものすごく重要です。
 
・どのように、新しい事を行われるのでしょうか? 三番目です。皆様が誰なのか知っていなければなりません。イザヤ43:1に出てきています。‘ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」' キリストを十字架に釘づけられて、神様がものすごい事を繰り広げられたのは、皆様を生かすためで‘あなたはわたしのもの'と言われました。そのような話があるでしょう。
 
・幼い子どもがとても可愛い木の船を贈り物でもらいました。この船を持って川や池で遊んでいたのに、船が流れて行ったのです。この子がどれくらい悲しかったでしょうか? とても泣いたのです。船が流されたためです。木で作ったとても良い船でした。その下り坂でおりて行く川をどんなに探してもありませんでした。ある日、おもちゃ屋で発見したのです。おもちゃ屋に誰かが拾って売ったのに、そちらに売ってありました。価格が高かったのです。その子どもが、両親にお金をもらいました。その子がその船を買いました。どれくらいうれしいでしょうか。お金は、問題ではありませんでした。その船を見つけたのです。その船を抱いて、その子どもが言った言葉があります。これは私の物だとその子どもが話したのです。その船を見つけて、どれくらい喜んだでしょうか? そのような単語です。お前は私の物だ。
 
・私はこの前、映画で見たことを釜山で話したことを思い出します。叔父と二人で飛行機に乗っていて、砂漠で落ちたのです。怖い砂漠に落ちてしまいました。落ちた時に、叔父は落ちながら死にました。ところが、その子どもは死ななかったのです。見ると、完全に死の砂漠でした。手助けする人もなくて、どこも行く所がなかったのです。その子どもが砂漠をさ迷ったのです。何にも食べることもできなくて、三日さ迷ったのです。 その時でした。父が私の息子を探すと言いました。ところが、軍人、警察がみな話をしました。あきらめろと 言ったのです。三日が過ぎたと言いました。そちらに落ちたら、悪い動物がいるから、一日ですでに死ぬということでした。生きていることが出来ないということでした。ところが、父はあきらめませんでした。数十万枚、数百万枚の紙を作ったのです。そして、飛行機に乗って回りながら、砂漠にずっとばら撒いたのです。その子どもが砂漠をさ迷っていて紙を拾ったのです。拾って見たら、自分の名がありました。「待ちなさい。パパがおまえを捜し出す。死なないで待ちなさい。パパはお前を愛している」と紙に記されていました。その子どもが紙を握って、一週間、砂漠をさ迷ったのです。倒れて、また起きることを繰り返しました。なぜなら、約束があるためです。確かに父は私をさがすはずだから、死なないで待つべきだという考えをしたのです。小さな子どもが砂漠をさ迷っているのに、私はその場面が、こういうことがあるのかと思うほどでした。その子どもも限界がきました。これ以上、食べることもできなくて、限界がきたのでした。父がくるはずだという、その希望ひとつで粘ったのに限界がきたのです。そして、倒れたのです。倒れたのですが、すぐ砂がその子どもを覆ってしまいました。どのようになるでしょうか? これから死ぬのです。砂で覆われたのに、靴の端が二つだけ出ていました。靴の端が上がっているので、すぐには覆われなくて、砂が過ぎながら残っていたのです。望遠鏡を持った軍人も探すことができなかったのに、父が一番に目で見たのです。飛行機に乗って、父が回っていて、靴の端二つが残っているのを見たのです。あの履き物、靴が私の息子だと言いました。飛行機がおりて見たら、自分の息子でした。父が走って行って、息子の脚を引き出しました。ところが、その子どもが死んでいなかったのです。砂から出したら、息子が父を見て抱きつきました。ところが見たら、父の手紙を握っていました。それを見ながら、神様が私たちを捨てられるでしょうか? と思いました。神様がご自身の民を終わりまで保護なさる。ダビデが述べた言葉通り、両親が私を捨てても、主は私を捨てないと話しました。
 
・皆様が誰か、知っていなければなりません。イザヤ 43章 5節, 6節を見れば、「恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。わたしは、北に向かって『引き渡せ。』と言い、南に向かって『引き止めるな。』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。」イザヤ43章 2節, 3節を見てみましょう。「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。」43章 10節が見ると、このようなみことばが出てきます。「あなたがたはわたしの証人、――主の御告げ。――わたしが選んだわたしのしもべである。これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、わたしがその者であることを悟るためだ。わたしより先に造られた神はなく、わたしより後にもない。」43章 7節に見れば、「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」21節に、「わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。」
 
・皆様は、全世界に主を賛美する存在です。悪魔に仕えて、滅びる存在ではなく、神様を賛美せねばならない存在です。石のようなもの、迷信のようなものを崇める、死ぬ者ではなく、主を賛美せねばならない存在です。
 
・3つのことを記憶しなければなりません。新しい事とは何でしょうか? 主の力は何なのでしょうか? 皆様はだれでしょうか? なんの話でしょうか? メッセージが正しく確立すれば良いのです。そして、神様の力を少しだけ体験すればよいのです。すると、皆様がだれか確信がくるはずです。この祝福をもって、生きることを主の御名でお祈りします。
 
・新しい事を行われるのに、障害物は何でしょうか? 過去の考え、過去の傷のようなことが障害物です。みな抜いて捨てるように望みます。新しい事を行われるのに障害物は何でしょうか? 恐れです。霊的な問題がきた 人は、恐れないように願います。戦うことを願います。ある日、みわざが起きるでしょう。恐れずに、放棄もせずに戦うことを願います。皆様は確かに霊的な存在の悪霊がいると考えるでしょうか? それなら、皆様が終わりまで戦おうとする時、放棄するのです。そうではないでしょうか? 悪霊は、だめだなという気がする時、あきらめます。恐れないように願います。
 
・未亡人が誤った裁判長にずっと話をするので、何と言うでしょうか? くやしいから裁判を正しくしてくれと言います。ところが、ずっと付いてまわるのです。お客さんに会う時も付いてまわって、食堂でも付いてまわります。ずっとついてくるのです。だから、裁判長が狂いそうになりました。今は判事が大変なことになったのです。貴重なお客さんがきたのに、またきたのです。正しくしてくださいと話します。それで、判事は悩みが生じました。ところがもっと問題は、悩みが問題ではありません。この女の顔を見ると、死ぬ時まであきらめる女ではないのです。それで判事が法律を変えました。イエス様が言われたたとえです。
 
・まして、子どもが祈るのに、神様が答えてくださらないでしょうか? 悪い存在のサタンも同じです。皆様が本当に戦おうとすれば、サタンは放棄します。気落ちせずに、最後まで戦うのです。すると放棄します。
 
・本当に悪い話ですが、ひとつ話をします。むかし私は、福音なく堕落していたのです。ところが、うちの町内で喧嘩をすれば、私が無条件に勝ちました。その理由は、終わりまでするためです。一度は、明け方 4時まで戦いました。夜 12時に始めて、明け方 4時までしました。後ほどは、その家族みんなが膝を屈して泣きました。それで、私も眠くなったので、やめました。終わりまでします。どのようになるでしょうか? 悪霊が皆様をよく知っています。終わりまでするならば、悪霊もあきらめます。恐れる必要はありません。皆様は、神様の子どもで、聖霊がおられるのです。
 
・もう一つだけ覚えてくださるように願います。どのようにすれば、新しい事を行なうのでしょうか? これから、姿勢を揃えるように願います。終わったから、姿勢を揃えるように願います。起きなさい。光を放ちなさい。ここにいらっしゃった長老と按手執事、事業なさる方達は、お金を儲けることが確実だから、姿勢を整えるように願います。
 
・今年は、礼拝が終った後に新信者の紹介、子どもへの祈り、長い広告のようなことをみなするようにしました。その理由は、私が今、準備するのです。一週に何百名ずつ登録する場合に対応して準備するのです。これから、私たちは研究しなければなりません。皆様が世界福音化をして、ものすごい祝福を受ける準備を一つ一つずつしなければなりません。ソウルでも個人のお知らせのようなことを、祝祷を終えてしなければなりません。なぜなら、全世界で衛星でメッセージを受けるために、そのようなことが出てくれば、待つ人々にものすごく難しいからです。私の話が正しいか、正しくないか、よく見るように願います。ある日、外国でメッセージを聞く人がメッセージを聞く中で、驚くべき献身をするようになるはずです。そのような人が多く起きるでしょう。だから、姿勢を準備しなければなりません。ナポレオンは、幼い時から黒パンを食べて、軍人となる準備をしていたといわれるでしょう。祝福を受ける準備をしなければなりません。
 
・これから、皆様が祝福を受ける人であることは明らかですから、準備をしなければなりません。王の息子は、確かに王になる準備をしなければなりません。皆様は神様の子どもですから、その準備を確かにしなければならないのです。先の事どもを思い出すな。新しい事をする。わたしがそれをする。どのようになさるのでしょうか? 全能なる神様が砂漠にも川を出されることができます。皆様が、この祝福を捕まえて1年を出発する皆様になるようにイエス様の名前で祝福します。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。これから、この契約を捕まえて一生、生きるようにさせてください。この契約をもって、1年の答えを味わう祝福の開始になるようにしてください。私たちのレムナントに重要な祝福になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン