2004年2月8日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 弟子を選ばれたキリスト
(ルカ6:12〜19)
  
・大統領の中に長老がいることがあります。その方たちが礼拝をささげようと教会に来ます。すると、普通の問題が生まれることではありません。もしかしたら、悪い人々が大統領に害を与えることがあるかもしれないので、注意しなければならないのです。その日、礼拝をささげようと何時に大統領が来ると分かれば、道から入口まで警護が必要です。一般の人々なら、事故が起きても大丈夫ですが、大統領はそのようになってはならないからです。どの席に座るか? 席に座れば、席まで調査しなければなりません。そばに座る人はだれか? こういうことなど、普通の問題が生まれることではありません。礼拝になりません。本人もできず、他の人もできないのです。ある大統領はできないとして、大統領のいる所にきてもらって礼拝を導いてもらったりします。大統領がきて座って礼拝をささげるのに、礼拝が正しくできるでしょうか? それで、リンカーンのような大統領は、礼拝しようとくる時は、特別な席を作るなと言ったということです。政治をする方達や国会議員が、礼拝をささげようとくることがあります。その方たちは、いつも票を得て政治の一線に行くから、それをいつも参考にしなければなりません。どの礼拝堂に行って礼拝するかも重要です。どの教会がたくさん集まるか、集まらないか、ここにもだいぶ関係があります。その人が真の礼拝ができるでしょうか? 真の礼拝ができません。多くの職責にしたがって、いろいろな人がいます。公務員もいて、教授もいて、裁判官もいて、いろいろな種類の人がいます。こういう方達は、こういうものを参考にしなければならないので、礼拝が本当にできないのです。多くの人々が、礼拝をささげようと来ても、どんどん重要なことをのがすようになります。全てのものを知ってせねばならないから、最も重要なことをのがすようになるのです。果して礼拝ができるでしょうか?
 
・世の中で見れば、人、人事が万事です。そう言って、人材をたくさん探します。マフィアも見ると、単にしているのではなく、経営学があります。マフィアもなろうとするなら、訓練を受けなければなりません。皆様も知っているでしょうが、むかし三国志を見れば劉備が諸葛亮を得ようと、人生を投資しました。むかしの小説や映画を見れば、中国の少林寺で訓練を受けるのに、三年間、訪ねて待たなければなりません。こういう人材をたくさん育てるということです。以前にあった韓国ドラマのホ・ジュン同じようなものは、人物ひとりを育てようと、自分の息子より人物を重要に考えました。ちかごろも45%や50% 近くの視聴率をとっている大将キムのようなものもそうです。人は本当に多いのですが、人が本当にはいないということを感じます。雰囲気がますますそのようになって行きます。最近は、みなインターネット時代です。インターネットが出てきてから、人間性はますますなくなります。知識も先生に習わずに、直接そのまま捜し出すことができます。このように、時代がどんどん変わっていっているのです。ちかごろの雰囲気も、子ども達が信仰生活を良くすることができる雰囲気になりません。この頃また見れば、みーちゃん、はーちゃん、何とかちゃんということが多いのです。その言葉の意味が何かというと、何かが良いということです。あの人は見ばえが良い、顔が可愛くて良いと、こういうニックネームをつけるようになるのです。そのように雰囲気は、どんどん流れています。そうしたあと見ると、とても重要なものだけのがすようになるのです。
 
・今日、イエス様が弟子を選ばれる場面が出てきます。あのパリサイ人や律法学者、ユダヤ人の中から賢い人々を選ばないで、なぜこういう人々を選ばれたのでしょうか? 私たちは、この部分を少し考えみる必要があります。いや立派な弟子を選ぶのに、なぜ海辺で魚を釣るこういう弟子を選ばれたのでしょうか? パリサイ人がどれくらい賢いでしょうか? 律法学者がどれくらい習ったことが多いでしょうか? レビ人がどれくらい偉大でしょうか? こういう人々を選ばないで、なぜあの海辺に魚を釣る人、取税人のような人々を選んで、イエス様が弟子とされたのでしょうか? 正しく習った人は一名しかいません。イスカリオテのユダです。この人はちょっと学んでいましたが、その他はみな学んでいない人です。なぜこういう人々を選ばれたのでしょうか? これが今日、私達が最初に考えてみなければならない内容です。
 
・神様は、賢い人を呼ばないで、無知な人を呼ばれる、そのような話ではありません。人が無知なほど神様の 愛を受ける、そのような話ではありません。すると、たくさん学んだ政治家や、教授、科学者は、神様が呼ばれない、そのような意味ではないのです。病気の人、かわいそうな人、困難にあっている人々だけを、神様が呼ばれる、そのような話ではありません。イエス様が弟子を呼ばれたのは、そのような基準ではありません。福音を受けて悟る時刻表になった人を呼ばれるのです。皆様、この時刻表がいつくるかが重要です。この時刻表がいつなのかが、ものすごく重要なのです。成功してしまって問題がきて、これを悟る時がありますが、その時はおそいのです。あなたがたのこの時刻表がいつか?がものすごく重要です。今、あなたがたがこの席に 座っていることは、あまりにも大きい祝福の現場であることを私たちは確認することができます。
 
・私は先週、台湾で集会をしました。私たちの学生集会もして、台湾の人々を集めて集会もしました。重要な私たちのメッセージをたくさんして、現場も見ました。ものすごく心が痛い知らせが韓国から入りました。それで、3〜4日間、ものすごく気分が苦しかったのです。知らせを聞いてから、ずっと心が痛かったのです。特に心が痛んだのは、その方に正確な福音を伝えてあげることができなかったということです。ずっと成功だけした人です。学校もソウル大学を出てきたから、勉強も良くできて、早くから公務員になって昇進を多くして、ソウルも生かして、釜山も生かしました。誰もがもらうのではない勲章を、五個ももらいました。釜山市長を3回もしたのです。ずっと成功したのでした。私は会う時ごとに、そのような方法で会いました。市長が私を訪ねてきたからという、そのような方法でいつも会っていました。この人に時刻表がこなかったのです。これが本当に重要です。私達が福音を受けることができる時刻表があります。賢い人を呼ばれるのではなくて、足りない人を呼ばれるのでもなくて、時刻表になった人を呼ばれるのです。マルコ3:13に 'ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので' となっています。弟子を呼ばれた時です。今日のルカの福音書にはそのようなみことばはありませんが、マルコ3章には記録されています。より残念だったのは、先週、私たち影島の国会議員が参加していました。その方は執事ですから、礼拝に参加することが当然です。ところが、少し私の部屋にきて心配をして行ったのです。「私が市長に面会しに行ってみたら、たましいが抜けた人のようでした」と言いました。あまりに疲れてそうなのかと考えたが、心配になると言いました。それで、私たちのカン長老にも特別面会を準備してみようと話をしました。時刻表がよく合わなかったのです。そして、次に一度行くべきだとして、台湾集会に行ったのに、そのようになりました。多くの困難に勝てなかったのです。そんなにも成功して立派な人が、その困難に勝つことができなかったのです。
 
・人々には時刻表があります。あなたがたが今、福音を聞くことができたということは、あまりにも大きい祝福です。イエス様のみことばが分かるでしょうか? 心の貧しい人は幸いです。苦しんでいる人は幸いです。その話が分かるでしょうか? 貧しくなくて、苦しんでいるのでもなくて、いそがしいから、人間は何かを考える時間もなくて、福音が何か? を考える理由がありません。だから、どれくらいかわいそうな人々でしょうか?
 
・イエス様はその弟子を呼ばれた時、時刻表となった人々を呼ばれ、遠くを見通しながら世界福音化する人を 呼ばれました。もしパリサイ人を呼べば、パリサイ人は即きて席からさがすはずです。即、自分の位置からさがすはずです。私が何を預かって、何をせねばならないか? それからさがすはずです。だから、遠く見通せば、世界福音化ができません。そのようなことを尋ねることがない弟子を呼ばれたのです。遠く見られたのです。どれくらい重要か、ルカ6:12に、一晩中、イエス様が祈られて弟子を呼ばれたのです。神様の息子が祈ることが、なにがあるのでしょうか? 肉体を持ったゆえに、一晩中、祈られて弟子を呼ばれました。実にこの部分はなんでもないことのように見えるけれど、私たちにはとても重要です。皆様の時刻表、神様の時刻表、色々と見る時、とても重要です。病気になって、私達が福音を聞くことができます。しかし、病気にならないで、福音を悟ることがより重要です。皆様が極限状況に会って神様を見上げることができます。しかし、そのような状況ではなく、神様を見ることができるということは、より良いのです。皆様が全部みな滅びてしまえば、人生が何か? と考えるようになります。本当に幸いだけれど、そのようにならないで考えることがより重要です。ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、とマルコ3章になっていて、今日のここでは、一晩中、祈って弟子を呼ばれました。こういうものを本当にあなたがたが理解するならば、牧師、長老、執事、各役員は考えを多くせねばならない部分です。ほとんど全てだと見ることができます。
 
・すると、私たち2番目に考えなければならないのは、何ゆえに、何の基準で弟子を呼ばれたのでしょうか? キム・ジュンコン博士はこういう質問をしました。いったいイエス・キリストは誰なのか? 一回も戦いはしなかったのに、世界を征服したイエス・キリストはだれでしょうか? 文ひとつ書かないで、本ひとつ出さなかったのに、最も多くの本が出て、彼について話すのに、その方は誰なのか? 今日、2004年2月を迎えた初めての聖日ですが、この2004年の主人公、その方は誰なのか? いったい今まで最も多くの影響を負わせたイエス・キリストは誰なのか? イエスを信じなくても知っているべきです。すると、知るならば正しく知って、信じようとするなら正しく信じなければなりません。十二使徒を呼ばれたということは、皆様を呼ばれたということと同じ意味です。人は体面と位置がみなあります。しかし、それではできません。それが必要ではないということではありません。それより重要なことがあるということです。人は経験と色々な地位と多くの体験があります。それが必要ないということではありません。それよりもっと重要なことがあるということです。真に国会議員をするより、市長をするより、大統領をするよりもっと重要なことがあります。裁判官、教授、社長、財閥をするよりもっと重要なことがあります。それをのがしてはなりません。それが私たち人間です。私が成功する前に人間です。すると、人間とは何でしょうか? これがより重要なことではないでしょうか? こういうことをのがして、人々が無条件にするから失敗するのです。
 
・私は勉強を熱心にする学生達が好きです。しかし、勉強を熱心にする学生達に対して心配がひとつあります。無条件に熱心にすれば、どのようになるか知っているでしょうか? ある日、その人に問題が来る日、完全に崩れるようになります。それは悪いということではなくて、参考にせねばならない部分です。私たちの人生は、すこし生きてみれば良くならないと分かるでしょう。ですから、子どもが見る童話の本を見れば、そのようなものがあります。うさぎが寝ていました。うさぎはいつも眠るのが不安です。皆様、自由に眠ることができる動物がいます。獅子です。なぜでしょうか? 触る動物がいないために、そのままぐうぐう寝ます。しかし、うさぎはよく眠ることができません。ある日、食われていくかもしれないので、怖がっていつもうさぎは寝ている途中でも用心します。それで、私達がすこし寝ればうさぎ寝だと言います。皆様、獅子や虎、こういう動物は、ぐうぐう寝ます。触る動物がいないからです。しかし、弱くて小さい動物は、良く眠ることができず、隠れて寝て、逃げたりします。このうさぎが寝ている途中で、松ぼっくりが落ちたのに驚いたのです。松ぼっくりの音にあまりに驚いて走って行きました。行く時に鹿に会いました。鹿がなぜ逃げているのかと言いました。うさぎも分からないから、大変なことになったと言いました。怖い動物が現れたので、逃げねばならないと言いながら逃げました。だから、鹿も一緒に走りました。二頭が、持っている力をすべて使って走っていたのですが、きつねに会って、きつねがどこに行くのかとたずねました。怖い動物が現れたと言われて、きつねも一緒に走りました。行く時、熊に会いました。熊も驚いて、なぜそうしているのかと尋ねました。怖い動物が現れたと言うので、熊も一緒に4頭が走りました。そうしたあと、獅子に会いました。獅子が、お前達、どこに行くのか? 怖い動物が現れたと言われて、獅子も一緒に走ったのです。獅子が走りながら考えて、気分が悪かったのです。怖い動物は誰か?熊も知らなくて、私はきつねから聞いたと言いました。きつねは鹿から聞いたと。鹿、君はだれに聞いたのか? 私はうさぎに聞いた。うさぎ、君はだれに聞いたのか? よく分からないと答えました。童話の本にある内容です。私たちは童話の本をたくさん読まなければなりません。どれくらい大きい教訓なのか分かりません。おとなは難しい本を見るのではなく、童話の本をたくさん読みましょう。
 
・私達が今、熱心に走るのではないでしょうか? なぜ熱心に走るのでしょうか? みなそのように教えます。おもに可能性がある、このように教えます。挑戦しなさい。そして、やたらします。みなそのように教えるのです。聖書だけ、そのように教えません。私達が、非常に水準が低いと、福音を悟ったことが、この程度なのでしょうか。福音はものすごく水準が高いのです。私が非常に足りないので、福音を悟ったことがこの程度なのであって、本当に福音はものすごいのです。だから、無条件に走れというような幼稚なことは教えません。聖書は、無条件に野望を抱いて挑戦しなさい、というようには教えません。そのように学ぶから問題になるのです。そのように学ぶから、政治、学校、全部が問題になるのです。そんなに学んだ人々が、その方法で教会にきてしようとするので、教会が気楽でないのです。その方法を持って牧師が総会、老会に集まるから、総会、老会が騒々しいのです。聖書は、そのように教えていません。聖書は、普通の本ではありません。私たちに知識の勉強をさせる本ではないのです。
 
・いったいイエス・キリストは誰なのか? なぜ弟子を呼ばれたのか? 重大な理由があります。たましいの救いです。私たち人間にはたましいがあるために、たましいが救われてこそ、正当な人間になります。牛、豚、犬等にはたましいがありません。霊的存在ではないのです。人間だけが霊的な存在です。それで、そのたましいが主人に会わねばならないのですが、それが救いです。だから、どれくらい重要でしょうか? ‘神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。'と聖書にはなっています。本当に私たち人間が熱心に生きて、老いて、するべきこともなくて引退しながら、虚しく行くのが人生でしょうか? 聖書は、そのようになっていません。人間がたましいの救いを受けることが最も重要です。たましいの救いを受けないと、重大な問題がきます。それで、ここ17節から出てきました。病んだ者を直されました。この話は単なる病気ではありません。不治病、難病、おかしな病気です。正確に話せば、たましいの救いを受けることができなくてなった病気です。これを直そうといらっしゃいました。それで、弟子を呼ばれたのです。あまりにも重要です。今日、皆様が救いの秘密を知って、神様の子どもの祝福を回復する、とても重要な日になることを希望します。
 
・より重要なことが18節に出てきました。 '汚れた霊に悩まされていた人たちもいやされた。'. 今、多くの方達が理解できずにいる話です。知識人が理解できずにいる話です。悪霊の話が聖書になぜ出てくるのか?と言いますが、大韓民国の百万名のムダン(霊媒師)は、悪霊につかれています。この前、大邱の地下鉄に火事を起こした人も悪霊につかれて狂っている人でした。ものすごくおかしな事をする人々のほとんどすべてが、そのような人々です。この前、夫婦二人と子どもを一方的に刺し殺した人がいました。その人がまさしく、精神が狂ったムダン(霊媒師)の子どもで、今、精神病者です。皆様がムダン(霊媒師)に尋ねてみましょう。したくてするのではありません。実際に悪霊につかれたのです。したくてするのではありません。この人たちが、やむを得ず、苦しんでしているのです。これが何の話なのか知っているでしょうか? 救われて福音を悟ることができなければ、そこから解放されません。私はここにもし科学者やとても重要な方達がおられるならば、必ずお願いしたいのです。これも科学です。悪霊につかれた人14人が集まって始まったのが、ニューエイジ運動です。話だけ聞いていたのですが、今回、学生達が台湾に行って見たでしょう? 釜山から二十何名が行って、ソウルからも行きました。子ども達が初めて台湾現場に行きました。深刻です。ムダン(霊媒師)、占い、各宗教を見れば、全部、悪霊につかれて異常です。ほとんどの人間は、ここに陥っています。主はここに陥らず、救われなさいとおっしゃいました。
 
・それで、今日の本文に3ケが出てきました。弟子を呼ばれたのは、人間を救うためでした。そして、救われることができないで来る人間の深刻な病気があります。それを癒すためにいらっしゃいました。人々は知っても、知らずにも、悪霊文化に陥るのですが、そこから救い出そうと主は弟子を呼ばれたのです。ものすごく重要です。今日、皆様が救いの祝福を味わう驚くべき開始が始まることを希望します。
 
・すると、今からいくつかのことを体験してみましょう。イエスがキリストです。それがなんの話でしょうか?いったい世界を動かしたイエス・キリスト、いったい何の話でしょうか?簡単です。皆様の人生、皆様の問題を福音の目で一度みつめてみましょう。すると分かり始めます。本当に人間関係の葛藤があるでしょうか? 福音の目で一度みつめてみましょう。本当に夫婦の葛藤があるでしょうか? 福音の目で見ましょう。まったく理解できない事が起こったでしょうか? 福音の目で見ましょう。すると、イエスがキリストだという言葉が分かります。イエスがキリストということは、イエスがキリストとしていらっしゃったということです。キリストということは、この霊的問題を解決したということで、その方がイエスだということです。この話が分かることです。
 
・2番目は、体験です。イエスを信じれば、神様の聖霊が共にされます。それを理解することができなければ、現場に行ってみましょう。人々が自分で変えた現場に行くのではなく、実際の現場を一度見ましょう。ほとんど、この霊的問題が分かります。それで、信じる者に聖霊で一緒におられるのだと思います。
 
・三番目の体験を一度してみましょう。イエス・キリストの名前です。もしかして、病気の人や、問題がある人は、イエスの名前で祈ってみましょう。定刻の祈りの時間を定めて祈ってみましょう。体験してこそ、その次の話になるのではないでしょうか。正確な味を知ってこそ、その次のことになるのではないでしょうか。ここにすこしでも答えがきてこそ、その次のことが正確になるのではないでしょうか。
 
・人々がこの三つのことを知らないのです。イエスがキリストということなのですが、この福音が必要な理由を知らずにいます。霊的なことをほとんど知らずにいるのです。ですから、この部分に体験がありません。この部分を少しだけ体験すれば、そのあとは正確に門が開かれるように出来ています。ここで祈る理由が出てきます。ここで皆様がおわかりの通り、伝道する理由が出てくるのです。ここで弟子の働きをする理由が出てくるのです。ここで理由がみな出てきます。今日、救いの祝福を味わうように願います。神様の子どもという救いの祝福を必ず味わうように願います。神様の子どもの私を現場に送られました。弟子の祝福を味わうように願います。神様の子どもの私に職分を下さいました。その職分の祝福を味わうように願います。
 
・それで、皆様が祈りをちょっと多くすることは、私たちの教会は、単純に教会をしようとするのではありません。昨日、台湾に行っても、重要な人々にメッセージでお願いをしました。私たちは今、各国にレムナント-レムナントは、私たちの学生達です-に対する共同体訓練場を作っています。各地域ごとに作っています。なぜなら、私たちの学生達を集めて、この福音教育を正しくしなければ、危機がくるからです。学生達が、小、 中、高、大学に通っているのに、外に出て行くところもなくて、することもなくて、みな崩れるのです。まだ皆様は私の話がよく理解できないようです。現場を見ていないためです。皆様は、一生食べていきていて、現場を見ることがないのでしょうか。
 
・ここに日本から来ています。日本には1戸に一名以上が精神病者です。深刻な国になりました。もうこれ以上、耐えることができなくて、日本人自身が告白しました。今日の本文のみことばが分かるでしょうか? 私は聖書がとても科学的だと見ています。この部分を否認するならば、皆様は科学的な人ではありません。表面だけ見ず、事実を見ましょう。ですから、事実を見ることができなかったのです。台湾で小さい子ども達だけ10人集めて夜に寝ることができなくて苦しめられる子ども達、異常なことが見える子ども達は手をあげてみなさいと言うと、3, 4人が手を挙げます。その理由がなにか知っているのでしょうか? それが、今日の聖書にあります。路地ごとに偶像を作って置きました。それで、私がこの話をしたところ、なぜしばしば悪霊、サタンの話をするのかと質問をしたのです。未信者が、この文化に100% 陥っています。福音を受けた人は、そのような文化を絶対に心配する必要がありません。知らずに生きる人々が最も大きい問題です。現場には、このように人々が死んでいっているのに、教会が知らずにいるのです。現場では霊的問題で死んでいっているのに、神学者が知らずにいます。大韓民国で、占いの文化が大騒ぎをしているのに、学者が知らずにいます。その結果、精神病者がうようよしているのに、政治家たちが知らずにいるのです。知ることもできなくて、わかってもどうしようもありません。反対だけしなければ良いのに、妨害までするのです。これを変に聞かないでください。外に行けば、全部、悪霊文化です。ところが、学者はそれを文化にしてしまうのです。もし、私たち長老がお金を200億円程かけて、ここに大きなおかしな像をひとつ作って見たら、確かに長老が死ぬ前に、それを文化にするはずで、長老を文化人だと認めるはずです。それが現実です。聖書では、偶像崇拝をしてはならないと言われているのに、理由も知らずに、人々は知らずにいるのです。ほとんど関心もありません。ですから、知らないことが最も大きい問題です。
 
・私が以前に言いました。酒を少し飲んだ人は、自分で私は酒にちょっと酔ったようだと話します。すると、注意をします。酒を少し飲んだ人は、酒を飲んで運転すればだめだと考えます。本当にたくさん飲んだ人は、おもしろいのです。人がジグザグと歩きます。前に蔚山で集会に行ったのに、車がそのように行くのを見ました。結局は、ぶつかったのです。警察がきて飲酒検査をしたら、酒は飲んでいないと言うのです。車をぶつけておいても、飲まなかったと言いました。警察が吹いてみなさいと言いました。泥酔するほど、ものすごく飲んでいたのです。酔っていないと言いました。私は一つも酔っていない。酒を非常にたくさん飲んだ人は、酔っていないと言います。こういう霊的偶像文化がわからない人々は、そこに完全に酔っぱらいです。酔っているのかもしれません。ですから、各世界大学の現場全部が、偶像に覆われているのに、なにかを知らないのです。ただ一つだけ理解します。人生最後に必ず困難がくるからです。すると、うつ病になって、気落ちします。それしか知りません。それで、これ以上、耐えることができなければ自殺します。無理に耐えれば病気になってしまいます。果して人間は、そのようなことでしょうか? 違います。
 
・今日、イエス様が皆様を呼ばれた理由は、同じ理由です。皆様を救おうと。どのようにイエスを信じれば救われるのかを今日、みな話そうとするならむずかしいのです。キリストという言葉を知っていればよいのです。福音を知らないゆえに来るおかしな病気があります。それを直してくださるために。福音を知らなければ、こういう悪霊文化に陥るしかないので、その人々を救い出そうとイエス様が弟子を呼ばれました。それで、私はレムナント共同体訓練場を作って学生達を教えるべきだと考えたのです。あちこちに作ろうと思っています。長く祈ったのに3ケが作られました。米国に一ケ所、日本に二ケ所。皆様がこの契約を捕まえて本当に祈ることを望みます。私たちの長老達、按手執事達、一般信者が祈ることを望みます。私達が子ども達を生かす道は、これしかありません。みな重要ですが、今日、あなたがたが救われた神様の子どもの祝福を味わうことをイエスの御名でお祈りします。考えるだけでも答えがきます。この契約を捕まえて、考えるだけでも答えを受ける祝福を必ず味わうように願います。福音は行動ではありません。悟りさえすればみわざが起きます。福音は功労ではありません。信じさえすれば、みわざが起きます。今日、この契約を捕まえて、皆様の残った生涯に大きい答えがあることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私達に真に今日、悟りを与えてください。それで、弟子を呼ばれた主が、私たちを呼ばれた理由を悟る時間になるようにさせてください。それで、真の答えが始まる驚くべき日になるようにしてください。私たちの事業と家庭と現場に新しい開始になるようにさせてください。私の人生に新しい開始になるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 反復する苦難と感謝
(詩71:1〜8)
 
・済州島に行ったところ、誰かがこういう話をしました。陸の人々が来て言うことは、あまり信じないと言いました。なぜそうなのかと尋ねました。物を買って、お金もくれて良くしたのに、後ほど大きく商売する時、手助けすることもあったということです。ある日、どのようなことが生じたのか、お金をちょっと貸してくださいと言われて、貸したということです。約束通り利子まで合わせて、よく返してくれると言いました。利子までくれるので、有難いと思ったそうです。それで、少し過ぎて、急なことが生じて、お金をちょっと貸してくださいと言われたそうです。たくさん貸してくださいと言われたので、たくさん貸したということです。それで、その時から消息が途絶えました。言わば、前にした行動で安心を与えたのです。わざわざ少しだけ借りて、返して信用を得たということです。それから、多くのお金を借りて、返してくれないということでした。消息もないらしいのです。確認してみたら、どこへ行ったのかも分からないということです。それで、済州島の人々が、都市から来る人はあまり信じないと言います。私がちょっと尋ねました。どれくらい貸したのですかとたずねたら、たくさん貸したと言いながら、300万円を貸したと言いました。私は、その人は本当に愚かだ、 300億でもなくて300万円持って逃げるのか。どれくらい不安だろうか? ずっと逃げて回らなければならないのに、その人は本当に愚かだと言いました。あなたのお金をすこし取って逃げて回るので、どれくらい愚かでしょうか? 忘れてしまいなさいと言いました。それで、気分を悪くせず、忘れてしまえと言いました。
 
・これくらい世の中は本当におかしいということです。今日の1部の時もそのように話しましたが、本当に愚かです。安らかに生きることができないのです。私が人に会ってみると、ほとんどこういう感じがきました。この人は、本当に賢いのに福音はよく知らないというように感じました。自分自ら話をするので、どのようにできるでしょうか? そのまま聞いています。福音が整理されていないことを感じます。ほとんどそうです。この人は、本当に賢い人なのに、これを知らずにいるということがたくさん感じられました。もちろん、こういうことが伝道する理由となります。
 
・ほとんどの人々は、福音がよく整理できないでいます。そうしたあと見ると、ほとんどみな確信がありません。そうなるしかありません。未信者は、この確信がなくて、いつも占おうと通います。未信者を見ると、不安だから、異常なことをして回ります。インターネットに出てきたのですが、この頃も十万円のお守りが、よく売れるらしいのです。それをもって通うということです。不安だからです。本当に愚かです。人が描いたものなのに、それを持って通いながら祝福をあたえるかと思って、持って通います。不安だということです。確信がないということです。私はこのように未信者が不安に思うことには、理由があると考えます。自分にひょっとして問題が生まれれば、どうしようかと思って不安に思うのです。
 
・釜山である身分が高い人に会いました。この人は星を付けている将軍です。この方は、とても不安に思っていました。それが、見るだけで分かるほどでした。いつも不安に思っていました。この人たちが熱心に仕事をしに通うのですが、なぜ熱心に通うのかと聞いたところ、不安で熱心に通っていたのです。なぜ不安なのかと聞いたところ、部隊の中にどのようなことがおきるかもしれないということでした。前回には、防衛兵が入って、麻薬を飲んで大騷ぎが起こったとして、少し前は軍人が酒に酔って銃器事故を出したということです。とにかく、不安らしいのです。理解できました。この人が高い地位にあることが不安だなと思いました。私が 神様のみことばを話してあげたりしました。人々は、ほとんど確信がないので不安です。
 
・今日の詩篇を見ると、詩篇150篇全体が、いつもそのような話が反復されています。聖書は他の本とは違うので、おもしろい話が書かれているのでもありません。事実通りに書かれているので、詩篇の記者が書いたことをそのまま記録しています。未信者が不安なことは理解できます。ところが、クリスチャンもほとんど確信がありません。どのくらい確信がないかというならば、福音を確実に伝えるだけの確信もないのです。救われるべき人が確かにそばにいるのに、説明できないほどに、確信がありません。私が会ったクリスチャンは、ほとんどそうでした。そのような人々だけに会ったのか知りませんが、私が見るにはそうでした。それで、私が 15年前に決心したのです。訓練させるべきだ。あまりにも知らないな。それで、始めたのが、今までずっとなっています。他の内容ではありません。そんなに確信がなくてぐらぐらするのです。クリスチャンがより確信がありません。未信者は滅びても勇気を出すのに、クリスチャンはそれもないのです。
 
・ある日釜山で一番大きい教会、一番良い教会の高等部講師として招かれました。集会をしたのですが、最後の日、私がわざわざ学生一名、一名と対話したのです。キャンプファイヤーをするのに椅子を持って行って、順番に話をしました。簡単なことをたずねました。あなたは神様の子どもであることが間違いないのか? そこに対する確信があるのか? それだけたずねました。たくさん尋ねることもなくて、急ぐので、それだけたずねたのです。釜山で一番良い教会だと自称する教会です。私がそれを話した時、そのそばに椅子を三個を置いて、相手を座るようにして、私のそばには担当教役者を座るようにしました。皆様の子どもがまもなく卒業をして社会に行くはずなのに、確信がないということです。神様の子どもであることが間違いないのかをたずねたのに、驚くべきことに、その学生の中でほとんどみな分からないと言いました。だから、する集いがほとんどみなむなしいのです。私が話さなかったのですが、教役者が感じるようにさせました。それで、その子ども一名、一名にキリストを説明したのです。そこで、その子ども達がイエスを受け入れる祈りをしました。ところが、その子ども達がが泣いて、叫んで大騷ぎが起こったのです。そばにいた教役者が、顔が赤くなったのですが、どうすることもできませんでした。学生会長が座ったのに、司会したその子どもが、自分に自信がないと言いました。神様の子どもに間違いないのかとたずねたら、分からないと言いました。そばにいた教役者が、目を丸くして、あなたがそうなのかと思っているようでした。
 
・これがこんにちの信徒の現場です。だから、どのように世界福音化をするのでしょうか? どのように、祈りの答えを受けるのでしょうか? 行って何の伝道をするのでしょうか? 教会復興をさせると伝道するということは、話にならないことです。だから世に行って負けるのです。私達が大それた勇気を持つ必要はないのですが、正確に知っていなければなりません。今、私が確信と話すことは、とても強く女の人が男の人の声を出し始めるような話ではありません。男の人が正しく仕事もせずに、祈梼院に行って祈る、そのような話ではありません。皆様が昼夜なく、ひざまずいて祈って断食することではありません。
 
・正しくメッセージが整理されていなければなりません。それができていないのです。だからある日、困難がくるのです。遅かったということです。それで良いでしょうか。信仰生活をそのようにしても良いのでしょうか? ある日、危機がきます。完全に滅びてしまいました。その時、整理できるでしょうか? 皆様がお金を儲けるのに、あらかじめじわじわしなければならず、突然にもうけるのでしょうか? 突然に滅びたのに、お金がぱっと生じるのでしょうか? もしかしたら、お金はそのようになるかもしれないけれども、人生が滅びたのにどのように突然にそのようになるのでしょうか? 人々は、ほとんどそのように急に生きていくのです。愚かです。
 
・私たちは明らかな答を持っていなければなりません。神様が救われろとおっしゃるのに、救われる理由が何でしょうか? 確かに知っていなければなりません。滅びから救われなさいと言われるのに、滅びとは何でしょうか? それを知っていてこそ、救われるのではないでしょうか? その答が聖書にあります。聖書を詳細に見ましょう。アダムとエバが生まれる前に起きた事件があります。皆様と全く関係ない事件です。それが問題です。創世記1:2を見れば、暗闇、混とん、空虚と言われています。それがまさに滅びです。それがなぜあったのでしょうか? 聖書を詳しく見ましょう。アダム、エバ以前にすでに、目に見えないようにサタンが存在していたということです。これが全く見えないで、へびを利用して、アダムとエバを倒しました。それが一般の話としても、簡単な話ではありません。ところが、それが事実ならば、途方もないことです。それで、神様がすぐにアダムとエバに救いの門をあけられたのです。創世記3:15に救いの門を開けてくださいました。
 
・大部分の人々が教会になぜ通うのか? この理由を知りません。単に信仰生活をしています。単に教会生活するのです。だから負けるのです。なぜこういう問題が生まれたのでしょうか? 創世記6章にノアの事件があります。そこに重要な 'ネフィリム'という単語が出てきます。もしかして、初めて聞いた人はいますか? 'ネフィリム'という単語が出てきます。ノア時代です。それは韓国の言葉ではありません。 'ナッパ'というヘブライ語です。それが名詞化になった単語です。 'ネフィリム'という言葉は 'ナッパ'の動名詞形です。簡単に話せば、ノア時代にネフィリム時代がきたということです。 'ネフィリム’とは何でしょうか? 'ナッパ'という言葉は何でしょうか? 上から落ちたということです。何が落ちたのか? 理解しなければなりません。黙示録12章を見ると、説明されています。天から天使が堕落してサタンになって降りてきて、この世の人々が理由なく滅ぼされるのです。この悪いサタンの目的が人を分からないように滅ぼすことです。そのようにして、人々にネフィリム時代、簡単に話してムダン(霊媒師)、偶像をどんどん作りだしたのです。このようにして、創世記6章に暗闇時代がきました。それで、神様がアブラハムにカルデヤから出てこいとおっしゃったのです。
 
・これを悟っていないのです。あなたがたもほとんど悟ることができません。だから、イスラエル民族が奴隷で、捕虜で、ずっと捕えられたのです。そこから抜け出すのを救いと言い、福音と言います。それで簡単にキリストを送ってくださって、そこから抜け出すように作ってくださったのです。キリストという言葉は、そこから救い出す者、油そそがれた者ということです。それなら、そこにどんな祝福があるのでしょうか? そこには、途方もない祝福があります。皆様が行く所ごとに、霊的な事が行われます。皆様が行く所ごとに、聖霊が働かれるのです。
 
・今回、台湾に私たち大学生20名あまりが行きました。今回、ビデオで台湾を見たでしょう。台湾が霊的にどれくらい深刻か分かりません。私たちのチームがカメラを持って行きました。ムダン(霊媒師)を訪ねたのです。その人が精神が狂って、おかしなことをしました。苦しめられながら、おかしなことをして、おかしな顔をしたその人が、イエスを受け入れる祈りをするのを現場で撮影しました。大学生がそれを見て、こういうものもあるのだと言うほどです。そのような人が、いっぱいいました。皆様がイエスを信じる、キリストの中にある祝福が相当なのです。多くの暗闇の力が行く所ごとに崩れます。それが祝福です。これを知った時、伝道の理由、祈りの理由を知るのです。ところが、ほとんどが知らずにいるのです。ある人は関心もありません。だから、信仰生活ができるでしょうか? だから、困難がくるのです。今日、あなたがたが、この祝福を必ず回復するべきです。そのようになる時、何がくるのでしょうか? 確信がきます。詩71:3に '私の住まいの岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。あなたこそ私の巌、私のとりでです。' こういう確信がきます。
 
・皆様に必ずこういう確信の祝福があることを希望します。神様が単に私たちに冗談でイエスを信じなさいと言われたのではありません。キリストが、私たちに小さい肉体的なことのために十字架を背負った、そのような事件ではありません。あなたがたが、この答を持てば、いくつかの確信が生じます。私が神様の子どもだな! こういう確信が生じるのです。神様は生きておられるな! 私は神様の子どもだな! こういう確信がきます。これが重要な部分です。一般の人が知らないことです。普通の人が危機に会えば、その時だけ神様を探します。すでに私が神様の子どもだな! 私が神様の子どもという答が出てくれば、それに比例して祈りができます。その時からは、どんな困難が来ても勝利できる答が生じるのです。その時からは、目が開かれます。人々が偶像に陥るんだな、それで地球上に精神病者がたくさん生じるのだな、こういうことを知るようになります。私たちの先祖が偶像崇拝したのに、霊的問題がこういうことだな! ということを知るようになります。それで、神様がキリストの中にいれば、みな許されるということが、それで言われた言葉ということを理解するようになります。皆様は、あらゆる運命がみな変わることを信じてくださるように願います。それを悟ることができます。聖書が一つ一つ分かるようになります。'死からいのちに移っているのです'. '罪と死の原理からあなたを解放した'. こういうことが分かるようになります。これがひとつずつ、ひとつずつ、聖書が分かるようになります。創世記3:15に '女の子孫'という言葉が出てくるのですが、知らずに過ぎたのに、分かるようになります。神様が '処女にイエス・キリストを送られて、悪魔のしわざを滅ぼされた’ということが分かります。すると、どんな事実に確信がくるかというと、私のすべての人生を導かれていることが分かるようになります。
 
・特に、執事、釜山市議会の会長のイ・ヨン執事が礼拝に参席なさったという話を聞きました。アン市長に福音を伝えられなかったことで、心がとても痛いのです。その方が、私たちの教会と私をとても好きだったのに、私が福音を伝える機会がなかったのです。私たちの教会に挨拶をしようと来られる程だったのに、機会がありませんでした。一度は飛行機の中で会いました。私もおりようとするのにアン市長が乗ったことを知らなかったのに、アン市長がまず挨拶をしてくださったのでした。この方が私を見て、とても喜ばれて、飛行機のなかで手をつかんで、外の車に乗る所まで出てきたのでした。わざとしているか、本当にしているか、私達が分かるでしょう? 本当にそのようにしていたのです。ところが、一度も福音を伝える機会がなかったのです。それで先週に、私がものすごく心が痛かったのです。
 
・先週にキム・ヒュンゴ議員がきてアン市長に面会に行ったのに、人がちょっとおかしいと話しました。どうなのかと尋ねました。キム・ヒュンゴ議員の表現で、たましいが抜けたようだったと話したのです。それとともに、心配になると話していたのでした。それで、早く特別面会に行くべきだという気がしたのです。ところが、先週にそのようになったのです。それで、私がその方に福音を伝えることができなくて、真の対話をしなかったなあという心になりました。私たち人間は、神様を知らなければ、極限状況が来たら、確信がなくなって自分自身をのがすようになるのです。
 
・皆様、太宗対に行ってみるように願います。自殺の岩があります。自殺岩だと書いてはいないけれど、あります。ところが、何かの字を書かれていました。一度だけより考えてみようと記されています。飛び降りないで、もう一度、考えてみようという意味です。その時、外国人が私の家にいる時だったので、尋ねたのでした。何と書いてあるのかと尋ねたのです。私がまさか、韓国人が自殺するのに、ここで飛び降りる時、注意しろとという言葉だということができなかったのです。幸いに外国人は、韓国語を知らなくて、用心しろという意味とだけ話しました。それとともに、私が一度見下ろしてみたのです。見下ろしただけなのに、ひやっとしました。そのてっぺんから、見下ろしただけでも、めまいがしました。そちらから飛び降りる程ならば、普通の勇気ではありません。その勇気を持って、何をしてもかまわないでしょう。ところが、人はそのようにならないのです。完全に気落ちするのです。そのような時は、一般の人が知らないことがあります。人が完全に気落ちする時、その時、霊的な他の存在のサタンが捕まえるのです。それで凄じい結果がくるのです。私達が、神様を知って確信を持ったということが、どれくらい重要か分かりません。
 
・今日、皆様が2番目に悟らなければならないことは、詩篇71篇5〜13節です。6節を見れば、私が母の胎から取り上げられたとなっています。この話は何の話でしょうか? 幼い時から、この契約を持っていたという ことです。私が見る時は、ダビデの詩のようです。幼い時からこの秘密を持っていたということです。私たち の学生達が、幼い時から正しい福音を持っていれば、どんな困難が来てもかまいません。ここで重要な話は、9節から13節まで読んでみれば、老いてもこの契約を捕まえることができることです。私たち人間は、年齢が若くなくなれば力がなくなります。人が年を取れば、からだも弱くなります。この契約を持っている人は、老いてもかまわないのです。なぜなら、幼い時に信仰があったためです。9節から13節を見れば、危機に会っても勝つことができるとなっています。重要なことは、幼い時からということです。私が見る時は、まちがいなくダビデの詩のようです。著者が出ていないので、誰が作ったのか分からないとなっています。ある人は、エレミヤの詩のようだと話すこともあります。ある人は、ダビデの詩のようだと話すこともあります。聖書は 事実通りするので、名のないことは明らかにしなくて、そのままです。関係ありません。本文のみことばとおりだけ見ればよいのです。すでに母の胎から、この恵みを受けたのです。したがって、老いてもこの契約をのがさないのです。本当に重要です。
 
・今日、三番目に悟るべきです。7,8節を見れば、私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。あなたが、私の力強い避け所だからです。私の口には一日中、あなたの賛美と、あなたの光栄が満ちています。特に今日 のみことばの中で13,14節を見ると、私をなじる者どもが恥を見、消えうせますように。私を痛めつけようとする者どもが、そしりと侮辱で、おおわれますように。しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。この話は何の話でしょうか? 普段の時が重要だという意味です。みな読むことはできませんが、22,23節を見れば、私は常に主を賛美するとなっています。歌と六弦の立琴と立琴のような言葉が出てきます。今日ここで私達が捕まえなければならない単語が三個出てきます。この確実な契約を確かに捕まえる確信がなければなりません。2番目は、幼いころから年齢が多くまでとはなんの話でしょうか? 根をおろしたという意味です。皆様が絶対にこの契約をのがさないように願います。皆様が生きていくのに、どんな困難が来ても、だれが知っているでしょうか? 私達が生きていく間、多くのことが生じます。私たちは、この契約を確かに持っていて、根をおろさなければなりません。そして、重要なことは、三番目の単語が普段の時です。皆様が普段の時に聖霊充満を受けることが、ものすごく重要です。皆様が今日、格別な事がありません。今日の祈りの答えを受けて祈るということが重要です。
 
・父子の間でこういう対話がありました。息子がこう話したのです。お父さん。私は本当に神様に感謝します。 父がなぜかと尋ねました。先週にとても重要なことがあったということです。どのようなことなのかと尋ねました。先週に大きい事故が起こったのに、私はすこししかケガをしなくて、他の人は死んだり、ケガをしたということです。それで、神様に本当に感謝するということでした。だから父がこういう話しをしました。そうなのか、私はより感謝します。息子が父にも大変なことがあったのかと尋ねました。私は何の事も生じなかったから、より一層、感謝すると話しました。私たちクリスチャンの水準が、ぎりぎりきわどく生きて幸いだと話すそのような方法です。常にじっとしていている途中で病気になれば神様にすがって、直れば感謝する、そのような水準です。皆様が普段の時に、この契約を捕まえて聖霊充満を受けることが、どれくらい驚くべきことでしょうか? 今日一人ももれなく、この祝福を回復するように願います。
 
・あなたがたは、おもに私を見て錯覚しています。先生は、全国世界を回りながら福音を伝えていると言います。もちろん、そのとおりです。しかし、そのようなことではありません。また、私たちの牧師はソウルと釜山、二箇所で牧会をすると言います。ソウルでも見ると、だいたい2千名が集まります。場所さえ大きくなれば、より集まるはずです。これから私達が10階ほどを建てて世界福音化を準備しなければなりません。私たちの牧師はたくさん通って、そのように思っているはずです。しかし、そうではありません。私は行くのがいやなのに、スケジュールが整っていて、行かずにいられません。私がすることはひとつしかありません。ひとりでこの祝福を味わうことです。残りは門が開くならば、開かれる所へ行くのです。ところが、地団駄を踏む人より、道がよりよく開いて、よく行くだけです。私が全く牧会ができません。時間もありません。ところが、私はこの祝福を捕まえて味わうだけです。ところが努めて苦労する人よりうまくいくために、幸いに行っているのです。私には確信があります。神様は福音を持った皆様を絶対に捨てません。終わりまで導かれます。今日、この祝福が本当に皆様にあるようになることを希望します。
 
・七名のレムナントを見ることを願います。レムナント七名は私が選択をしました。最初の人物がヨセフです。ヨセフには確信がありました。神様が世界福音化ゆえに自分自身の家庭を呼ばれたという確信があったのです。そして自分は神様の子どもです。そして、この信仰が幼い時からありました。それで根をおろしたのです。そして、いつこの信仰が現れたのでしょうか? 問題がくる時ごとに現れたのです。私たちは問題がくる時ごとに崩れるでしょう? ところが、ヨセフは問題がくる時ごとに信仰が現れたのです。皆様が本当にこの祝福を捕まえなければなりません。ヨセフは奴隷でいた時や、監獄に行った時にも、この祝福を味わったのです。時間が 多くて良い時は、より一層味わったのです。その次の人物がサムエルです。その次がダビデです。詩篇にダビデの詩が一番多くあります。そしてイザヤという人物をレムナントで選びました。苦労を多くした現場でしたが、この祝福を味わったのです。あとはパウロです。こういう人物が全く同じくこういう祝福を味わいました。
 
・今日、皆様がどんな悩みも神様に出すように願います。私は本当に確信を持って言います。本当に聖書が神様のみことばでしょうか? それなら、これだけ捕まえて味わっていれば、門はみな開きます。いたずらに心配する必要がありません。それは未信者がすることです。神様の子どもはこの祝福を味わえば、門がみな開くのです。イ・ヨン議員は3影島教会の按手執事だと紹介されました。それなら、神様の子どもでしょう? 神様の子どもならば心配する必要がありません。この祝福を本当に味わっているならば、心配する必要がないのです。これが小さい差ですが、相当な差です。私たちの長老たちは、ここにいらっしゃるでしょう? なんの頭も使わなくて、ここにいるでしょう? 申し訳ないのですが、影島で私たちの教会が最もたくさん集まるでしょう? 努力しなかったのに、そうでしょう? そして門がものすごく開くしかないのです。そして今回、新聞にも出たでしょう? 事実、私達が異端だという寃罪を受けたのですが、幸いに合同側の総会でそうではないとするように決定してださるようです。まず役員で通過しました。これから投票をしたり、事が起こるはずです。私はこうであっても、ああであっても関係ありません。だから私たちは心配することが実際にはありません。
 
・私たちは恐れる必要がないのです。皆様が祈る時ごとに聖霊が働かれるという話は反対のものがあるためにいう話ではないでしょうか? 相当な話です。私たちの学生達が、本当にこれを味わっていれば、未来の門が徐々に開くはずです。聖書が嘘で、神様がなければ知りませんが、確かに生きておられて働かれるために、この証拠を捕まえなければなりません。私はそれの証人です。それで私は神様に祈っています。神様、私がこの福音を他の人に伝えねばなりません。全世界にたくさん伝えねばなりません。それなら、神様が私たちの教会に証拠をくださることを信じます。くださらなくても良いのですが、くださることを信じます。釜山で福音を伝える代表的な教会に神様が祝福なさることを信じます。まちがいなく私は確信します。なぜなら、聖書は嘘ではないためです。だから、この契約がなければ、いつも揺れるのです。この整理ができていない人は、ものすごく賢い人であっても、いつも崩れるのです。
 
・最後にひとつ記憶するように願います。皆様が福音を確かに悟ったのに、今まで生きてきた性格がないでしょうか? それをすこしは参考にしなければなりません。ある人は福音を確かに悟ったのに、それまであまりに貧しく生きてきてお金だけ見れば人が異常になるのです。それで小さなことゆえに祝福をのがすのです。ある 人は、福音を確かに捕まえたのに、生きてきた性格ゆえにどんどん問題と葛藤が多くなるのです。そうような部分があるのだなと感じました。祝福を確かに受けることができるのに、そのようなことに引っかかったのです。皆様が福音を悟った神様の子どもならば、答えを確かに受けることができます。この契約を捕まえて味わう開始があるようになることを今日から願います。その後にことは話さなくてもなるけれど、まちがいなく証拠がくれば分かるようになるはずです。神様の祝福が皆様にあふれ出ることをイエス様の御名によってお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。本当に神様が私たちと共におられる証拠を与えてください。確信がないクリスチャンを生かす程に証拠を与えてください。揺れる未信者を生かすことができるように証拠を与えてください。 私達が最もこの良い契約を真に常に味わうようにさせてください。それで毎日来る答えを受ける祝福を味わうようになることを信じます。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン