2004年 3月 14日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 私に向かった主の心
(イザヤ43:1〜7)
イ・ソングン牧師
   
・柳先生が、今、この時間に米国からブラジルに移動中です。柳先生が出てこられず、私が出てきたので驚いて私を見つめていますね。私も心が震えています。私たち教役者が、私にお願いしました。良くしようとせず、上手にやってくださいと言いました。期待しています。私たちの女性伝道師が、私にマスカラをしてくれると言いました。今朝、大騷ぎしました。柳先生が行くときに、イ・ソングン師は2000年度に困難を受けたから、それを証しして、全世界にいるメンバーに感謝すると伝えなさいと言われました。
 
・今から4年前です。私は、元々、肺が一つありません。ひとつしかない肺で生きてきました。ところが、突然にそこまで穴が六つ空いたのです。その時が1月 12日です。水曜日でした。水曜日に礼拝を終えた後で倒れたのです。ひとつしかない肺に穴が空いたので、空気が出なければならないのに、入っていくばかりで、息が難しくなったのです。後に倒れたので、私の家内とペク・ウンギュ牧師の奥さんがきて私を助けてくれました。私の家内の名前は、イ・チョンジャです。ペク・ウンギュ牧師の奥さんの名前は、ソ・チョンジャです。二人のチョンジャにつかまえてもらったのでした。その時、私の上の娘が4歳でした。二人目が2歳、三人目が8ケ月目でした。お腹の中で8ケ月目だったのです。神様が私を呼んで行かれるサインがきた、これから行かねばならないという気がしました。ところが、一番、心にせつないことがひとつありました。世界福音化ができなくて行くので、とてもせつなかったのです。世界福音化をするのを見て、私が行かねばならないのに、見ることができずに行くので、あまりにせつなかったのです。前にいらっしゃる教役者に世界福音化をお願いして行きました。最後にある力を皆出しきって、私の家内に対してすまないと告白しました。私が気を失ったのです。ものすごく明るかったのです。天国にきたという気がしました。とても明るくて、本当に天国だという気がしたのです。ところが、イ・スングンさんと私の名前を呼ばれました。やはり天国のいのちの書に私の名前が記録されているんだなと考えました。本当に私が救われていたのだなと考えたのです。ところが、もう一つ話されたのが、イ・スングン伝道師と言いながら尋ねられたのです。何で天国に伝道師があるのか? 私がそうですと言いました。ペク・ウンギュ、パク・チャンリュさんを知っていますかと尋ねられました。私が、世界福音化を頼んできたのに、なぜこの人たちの名前を呼んでいるか不思議でした。私のからだを揺さぶって目を開けられたら、ヘドン病院の応急室でなく重患者室でした。そして、目を開けました。神様が私を生かされたのだなという気持ちになりました。考えてみたら、本当にぞっとしました。私がどのように生きたのだろうか? 私がどのように死の中から生きたのだろうか? 重患者室から一般病室に移された時に、私たちの教役者が訪ねてきました。
 
・ある執事の話では、脳死状態まで行ったゆえに、呼吸が途絶えれば酸素が脳まで供給されないので、脳死状態になるために、手術をしても植物人間になるということでした。私は植物人間ではなく、今、あなたがたの前に立っています。米国にいらっしゃるソ・テソク牧師が尋ねて、どのように天国から追い出されたのかと尋ねるのでした。それで、私の仇名が天国から追い出された者です。天国から追い出された者が、今、あなたがたの前に立ちました。あなたがたが後で祈ってくださったことを感謝します。一人の人間のために、皆様が祈ったのではありません。世界福音化のために祈ったのです。礼拝を通じて、全世界にいらっしゃるメンバーに心より感謝申し上げます。
 
・生きなければならない目的は明らかです。私がこのように呼吸をせねばならない理由は明らかです。今日、私に与えられたみことばは、私の人生で最も難しい時、私に与えられた契約のみことばです。私が最高に恵み 受けたメッセージです。主が私に向かってご覧になる目です。主が私に向かって注目される目です。それでタイトルを私に向かった主の心だとしました。結論的に話すならば、どれくらい重要な人でしょうか? どれくらい必要な人でしょうか? 4節を見れば 'わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。' 主が私と皆様をご覧になる目です。主が私と皆様を眺める心です。あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。なぜ神様が私たちを高価で尊く、愛されるのでしょうか? それは、まさに契約を持った民であるためです。今、社会や環境を見ましょう。政治を見ましょう。契約がなくて、みな崩れています。全てのものをみな持っているけれど、契約がなくて、みな崩れているのです。福音がなくて滅んで行っています。あまりにも難しくて、自殺までしています。それも最高の経営者がそうなのです。最高の権力がある釜山の市長がそうなのです。少し前にまた自殺したではないですか? 大宇建設のナン社長という人がしました。ものすごい財力と背景を持っている人々です。権力を持っている人々です。なぜこのように死ななければならないのでしょうか? 今日、聖書のイザヤ 6章13節には、みな死ぬ、みな滅びていきます。キリストがわからない人々は崩れるしかありません。そのうちで10分の1が残っていても、10分の1 までもみな崩れるのです。ただひとつが残るのです。それが切り株です。それが聖なる末です。どんな暗闇の力が、どんな滅びの力が一度に寄せ付けても、契約を持った人は絶対に滅びません。
 
・1997年度の夏の大学修練会の時です。柳先生が言われたみことばがあります。その時、私が参加しました。その時、何とおっしゃったのか? 私はただひとつだけ記憶にあります。生き残る者になりなさい。どんな環境 中でも生き残る者になりなさい。生き残ろうとするなら、力がなければならないでしょう? 生き残るためには、知恵が必要でしょう? 生き残るためには、背景がなければなりません。どのように生き残るのでしょうか? その秘密がひとつあります。それがイザヤ 7章14節です。インマヌエルです。 '処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。' 神様と共にいる者は、生き残るほかありません。旧約聖書全体を見れば、神様が時代ごとに用いられた働き人がいます。その働き人が持っていた秘密があります。わたしがあなたとともにいる。インマヌエルの祝福です。このインマヌエルの祝福を持っている人は、絶対に滅びることができないのです。穴に落ちても生き残りました。奴隷で売られても生き残りました。ぬれぎぬを着せられて、監獄に入っていっても生き残りました。インマヌエルの秘密を持っている人は、生まれるやいなや、殺そうとしても生き残りました。生かすために川に流しましたが、そこで生き残って王宮の中に入っていったのです。王の保護を受けて生き残りました。殺そうという人の真下で生き残りました。これが、インマヌエルを持った人の秘密です。私と皆様は生き残らなければなりません。どんな環境が来ても、生き残らなければならないのです。どんな迫害が来ても、生き残らなければなりません。インマヌエルの祝福を味わって、生き残る者になることを希望します。
 
・なぜ私たちの教会が、インマヌエルというのでしょうか? 本当に良い名前です。契約の名前です。私たち信徒が行くあらゆる場所ごとに、インマヌエルの祝福を味わうように願います。ハレルヤです。神様の祝福を受ける人は、せねばならない事がひとつあります。私達が生きなければならない理由がひとつあるのです。今、みな死んでいっています。みことばがなくて、みな死んでいっています。神様のいのちのみことばを知らなくて、みな死んでいっています。エレミヤ哀歌4章4節を見れば、乳飲み子が乳をくれというのに、与える人がいません。パンをくれというのに、パンを与える人がいません。食べられないので人が死んでしまうのです。舌があごにひっついています。本当に悲しい話です。この時代にない話でしょうか? 旧約時代の話でしょうか? そうではありません。今でもイエス・キリストの名前を知らなくて、秘密を知らなくて、みな死んでいっています。それで、せねばならないことがひとつです。イエスいのち、イエス力、みことば運動をしなければならないのです。いのちの運動をしなければなりません。イエスの力運動をしなければならないのです。イエスのいやし運動をしなければなりません。それがみことばです。それで、イザヤ40:6〜8を見れば '「呼ばわれ。」と言う者の声がする。私は、「何と呼ばわりましょう。」と答えた。「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」' この永遠な神様のみことばを伝えてあげるべきです。永遠に滅びない神様のみことばの秘密を伝えてあげるべきです。
 
・今日の9節を見れば 'シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ。力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ。あなたがたの神を。」' みことば運動の目的が何でしょうか? 神様を見るようにすることです。ヘブル12:2にあるみことばのように '信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。' イエス・キリストを見るようにさせましょう。私たちを正常にするイエス・キリストです。私たちにいのちを与えるイエス・キリストです。私たちのすべてであるイエス・キリストです。このイエス・キリストの名前を語ってあげることです。今日、ダビデ聖歌隊で神様に賛美をささげました。世の中でさまよいながら、あらゆる罪を犯した私と皆様ではないでしょうか? 本当にイエス様が私のような罪人も、虫のような私のような罪人も赦されるのでしょうか? 何の話しなのか? あなたがわたしに必要なのだ。神様が、あなたがわたしに必要だと言われたのです。あなたを用いる。救うだけでなく、あなたを用いると言われました。それが主の心です。
 
・みことば運動をする人は、一つの力がなければなりません。私達がタラッパンをしてみるならば、みことばを通じてキリストを見上げるようにさせるのです。私達が伝道をするならば、その人がイエス・キリストの名前で神様の前に行くことを願うのです。それで、ただ主なる神様を待ち望むようにさせるのです。力があるようにさせます。悪い力が侵入できないようにするのです。ハデスの力が侵入できないようにするのです。悪霊の文化が侵入できないようにするのです。暗闇の力が侵入できなくさせるのです。今でもサタンに捕えられて苦しんでいる人々がたくさんいます。
 
・今、私たち青年達が結婚すると大騷ぎしています。うるう年です。今、未信者が絶対に結婚をしません。もし、うるう年に結婚すれば、家系が滅びると、結婚をしないのです。ところが、ここに結婚をするという人々が列をなしているのです。それがまさに福音を持った人々です。全く関係ありません。絶対に滅びることができません。今、家具を20% 割引をしてくれて、ウェディングホールも自由に使えるようにしています。そして、あらゆる必要なものが皆、半値です。今、ウェディング業界に働いている人々が、大騷ぎしています。結婚をしないので、ウェディング業界が縛られるのです。ところが、唯一、結婚するという人々がいるのです。それがインマヌエル教会の青年たちです。
 
・私も昨年 2月に引っ越しました。よりによって、引越しする日を決めたら、損がない日でした。なぜ損がない日に決めてするのでしょうか? だから、はしご車を借りるのも高く、引越しする人々も高かったのです。20%高くしなければなりませんでした。なぜなら、未信者が全部、損がない日に引っ越しするために、日をつかんでいるためです。それで、私が日を変えました。私は損がある日に行きます。損を解釈すれば何なのかと、私が占い師に尋ねました。損は悪い霊を意味することでした。人に害を与える悪い霊が活動する日があるのですが、それが損があるということです。それで、私が損はなにかと尋ねたら、悪い霊だと言いました。すると、悪い霊があれば、良い悪霊もあるということです。それで、良い悪霊はなにかと尋ねました。自分のからだに入った神が良い悪霊だと言いました。結局、悪霊は悪霊です。未信者が完全に捕えられて、引っ越しも勝手にすることができません。愛する人と結婚も勝手にできないのです。まして、釘をむやみに打込んではなりません。完全に閉じ込められているのです。閉じ込められていることも知らずに、閉じ込められています。地獄にいながらも、地獄にいることも知らずに地獄に向かって歩いているのです。これが未信者状態です。ここからどのように抜け出すのでしょうか? これが、まさにイエスの御名です。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。私と皆様をあらゆる罪と死の力から解放するためにいらっしゃいました。地獄の力から解放させよういらっしゃったのです。誰でも主の名を呼ぶ者は救われます。イエスの御名だけ呼んでも生かされます。このイエスの御名の秘密を持っている人が弟子です。まさに私と皆様が弟子です。キリストの弟子です。キリストの証人です。キリストのしもべです。
 
・今日、事実はイザヤ43:7までしか読まなかったのですが、21節までみな読んで見なければなりません。10節に 'あなたがたはわたしの証人、――主の御告げ。――わたしが選んだわたしのしもべである。’ 私と皆様は、主のしもべであり、証人です。死の力から、完全に解放されたキリストの証人です。それで私と皆様がせねばならない事がひとつあります。みことば運動です。それはイザヤ 60章にどのように表現されているのでしょうか? '起きよ。光を放て' 私と皆様が、みことばを持って行くことが起きることで、光を放つことです。なぜ私達が起きなければならず、光を放たなければならないのでしょうか? '見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。'
 
・皆様、今、伝道キャンプをしているでしょうか? すると、残りはどのようにしていますか? 3日間、伝道キャンプをすれば、残りの日はどのように生きなければならないのでしょうか? 今から、人生キャンプをしなければなりません。私たちのあらゆる生き方が人生キャンプです。いつ死ぬのか分かりません。いつ神様が呼ばれるかも分かりません。息がある限り、いのちがある限り、神様が許された日まで、私たちはすべての人生を人生キャンプで神様にささげなければなりません。すると、全てのものが帰ってくるようになっています。全てのものが回復するようになっています。それがイザヤ60章です。それで、小さな者が氏族となり、弱い者が強国をなすみわざが起きるはずです。
 
・どんな使命、どんな心で人生キャンプをしなければならないのでしょうか? イザヤ 62章6節にあるみことばのように、見張り人を使命としなければなりません。主が覚えてくださる者にならなければなりません。私と皆様が、この時代の見張り人です。見張り人が崩れれば、後はみな崩れるようになっています。見張り人が正しく生きていれば、後はみな生かされるようになっています。家庭の見張り人として私と皆様を立てられました。この地域を生かす見張り人として私と皆様を生かされたのです。民族を生かす見張り人として私と皆様を生かされたのです。世界を生かす見張り人として、私と皆様を呼ばれました。私と皆様は、どんな人でしょうか? 私はこれを絶対に忘れないために、私のIDを isa6206としました。なぜなら私のe-mailのアドレスがイザヤ 62章6節です。神様がなぜ私を生かされたのでしょうか? 神様がなぜ私のいのちをのばされたのでしょうか? この時代の見張り人です。この時代の見張り人として、私にいのちをくださったのです。私を呼ばれました。'エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。'
 
・皆様が総会神学校に対して献金をするはずです。なぜそのように献金をしなければならないのでしょうか? なぜ総会神学校が重要なのでしょうか? この時代の絶対に崩れない切り株があります。インマヌエルの最高の祝福を持った切り株がいるのです。行くあらゆる場所ごとに、いのちの運動、みことばの運動を起こす貴重なメンバーがいます。キリストの弟子がいます。その弟子たちは、全人生を神様にささげて人生キャンプを通じて、この時代の見張り人として生きるようになるはずです。そのようなメンバーが排出される所が総会神学校です。本当にとても重要な学校です。今でも1年に何万名の主のしもべが誕生します。この契約をとらえて排出される神学生はあまりいません。ないと言うと悪口を言うはずなので、多いでしょう。私たち総会神学校は、こういう人々が排出される所です。それで、後から祈りをたくさんするように願います。
 
・結論として、また戻ります。 'だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。' 私と皆様が誰のものでしょうか? 主のものです。主が私たちの全人生の責任を負われます。それで、イエス様を私たちの主人として受け入れたのです。私が持っている問題は、私のものではありません。私の主人となられたイエス様のものです。そのために、私と皆様は2節のことをさせられても神様が保護してくださるのです。 'あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。' 私と皆様は、絶対に滅びることができない神様の子どもです。その神様が、私たちにおっしゃられるのです。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。これが神様の心です。
 
・今日、一つだけ持って行くように願います。主の心を込めて行くように願います。いろいろな人ではなく、私に与えられた神様の心です。これを持って行くように願います。皆様が行くあらゆる場所ごとに、神様が共におられるのです。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。これが皆様の最後の生涯に大きい力になることを希望します。それで主は、18節にこういうことをおっしゃいます。 '先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。’ 皆様のために神様は新しい事を行なわれるのです。私と皆様を愛して、尊く思ってくださり、高価に見ておられるので、神様は新しい事を行なわれるのです。想像することもできない新しい事を行なわれます。到底、夢にも見ることができない新しい事を行なわれるのです。神様は新しい事を行なわれる神様です。今日、私と皆様が切り株として、インマヌエルの秘密を味わう者として、行くあらゆる場所ごとにいのちの運動、みことば運動を起こす者として、キリストの真の弟子として、全人生を通じて、伝道キャンプをするはずです。それで崩れた世代をまた生かす見張り人の使命を持ったキリストの証人であることが明らかです。キリストの御名で勝利する貴重な日々になることを希望します。
 
・主のしもべとして、もう一度頼みます。今日、イ・ソングン牧師が代打で立って一言だけ語りました。必ず記憶してくださるように願います。主が私に向けられた心です。私に向かった主の心です。どのようにご覧になるのでしょうか? 皆様自身を見ると、このような心が生じるでしょうか? 皆様が目覚めるやいなや、鏡を見つめて高価で尊く、本当に愛らしいなという心が生じるでしょうか? たぶん、そのような心にはあまりならないでしょう。私も朝に鏡を見ながら、格好良くて高価で尊く、愛すという心に全くなりませんでした。たぶん行けば、仮面をいっぱい持って通いながら瞬間、瞬間、変えるそのような人のように見えるのです。それは、私が自分自身を見る時、そのようなことです。しかし、主が私をご覧になる時は、そうではありません。思わしくない人も、足りない人も、弱い者であっても、能力がない人も、主には必要な人です。キリストの御名ゆえに必要な人です。それで、私と皆様を高価で尊く思って、愛すという告白です。主が与えられた心でキリストの名前で勝利する貴重な日々になることを希望します。
 
・ブラジル、南米に柳先生が初めて行かれます。南米大陸を生かす伝道弟子が起きることができるように、神様が時代的な出会いを許されるように、天の天軍天使を動員なさって、私たちの牧師を保護されるように、神様の聖霊が働かれる集会になることができるように、南米に向かった神様の切なる願いが成就するように、そして主が私に向けられた神様の心を、永遠うに大事に保管できるように祈るように願います。
 
<<契約の祈り>>
生きておられる神様に感謝申し上げます。今日、主の聖霊が足りない私に働いてくださったことを感謝申し上げます。私たちは、契約を持った者として、絶対に滅びることができない背景を持った者として、インマヌエルの最高の祝福を味わって、いのちの運動、みことば運動を起こすキリストの真の弟子になるようにさせてくださったことを感謝申し上げます。全人生を主にささげます。人生を受けてください。私のいのちを受けてください。それで、人生キャンプを通じて、暗くなった世の中を生かすようにさせてください。見張り人の使命を果たすことができるように。今日、礼拝を終えて行くあらゆる歩みの中に、神様の答えの歩み、神様が働かれる歩み、神様が導かれる歩みになるようにさせてください。私に向かった主の心を発見するようにさせてください。永遠に忘れないようにさせてください。今でもブラジル集会のために準備する柳先生に主の聖霊で働いてください。南米大陸を生かす集会になるようにさせてください。一時代的な出会いが成就する貴重な日になるようにさせてください。南米に神様の切なる願いが成就する日になるようにしてください。主の聖霊で私たちの牧師に臨んでください。天の軍隊を動員させてくださって、私たちの牧師を守ってください。主イエスのお名前によって勝利の旗を掲げて帰ってくるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 誰が主人公か?
(創世記45:1〜8)
ハン・サンベ牧師
 
■ ハレルヤ。今日、皆様の心に神様が与えられる特別な恵みがあることを願います。皆様の胸の中に主の平安があふれ出ることを願います。
 
■ この頃、とてもはやっている映画があります。ひょっとして見たかもしれません。太極旗を翻して。最高の観客が動員されたと、たくさんの人が話すので、私もその映画を見ました。先月、徳平修練院で私たちの牧師達の牧会大学院がありました。講義を終えて、夕方の時間に私たちの牧師と行って見て来ました。私は今でも家内に迫害を受けています。自分一人で見てきたということです。とにかく、6.25(朝鮮戦争)を背景にした、そのような映画の話でした。その映画の内容を3月の伝道新聞で論評をよくしていました。福音的な目で、どのようにその映画を理解しなければならないのかを、論評をよくしていました。私は今日、その映画の内容を言おうとしているのではありません。どの映画でも、ドラマでも、主人公はあまり死にません。その主人公役を担ったチャン・ドンゴン氏は、鉄砲の玉から逃げ回ります。その話をしようと話を取り出したのです。主人公が死ねば、映画でも、ドラマでも、早く終わってしまうべきです。確かに映画でも、ドラマでも、主人公があります。そのそばにエクストラもいます。エクストラがいてこそ、主人公が主人公として表れるのです。そのエクストラの役割もよくしてあげなければなりません。今日、この本文の中で、誰が主人公なのかを一度、注意深くみるように、みことばをお分かちします。
 
■ 皆様この時代の主人公、誰が主人公でしょうか? 今日、この部分に対する明らかで、確実な答が皆様に与えられることを願います。神様は生きておられます。今でも聖霊で、その方は働かれます。今でも神様は、神様の人々を通じて、働かれるのです。神様が働かれる、その人々が事実はこの時代の主人公です。彼らの状態がどうであれ関係ありません。彼らの今日の環境がどうであれ関係ありません。神様と共に、神様のみこころを成し遂げるその人々が、この時代の主人公です。神様は全人類の歴史をおさめておられます。今でも宇宙万物を神様は治めて統治なさっています。神様は一個人の人生を治めておられます。今日、私と皆様の生命も神様が治めておられます。今日、神様の主権の前に、この時代の真の主人公は誰なのかを発見する祝福の時間になることを願います。今日、この地球の歴史が誰中心で流れているのか、私たちは知っていなければなりません。私と皆様、自分自身の身分が何であるのかを必ず発見することを望みます。今日、この祝福が皆様すべてに臨むことを願います。
 
■ 大きい一番目にお話しします。誰がこの時代の主人公でしょうか? 人類の歴史に誰が主人公かということです。最初です。聖書66巻の主題を知っている者が、この時代の主人公です。これを他の話で変えるならば、神様の主題を知っている者です。聖書66巻が話そうとする主題があります。この神様の主題と私の主題が、必ず一致しなければなりません。聖書全体が話すその主題と、私の人生の主題が一致してこそ、その人がその時代の主人公としての生き方が可能だということです。皆様、聖書の主題は何でしょうか? 聖書が何を言うのでしょうか? 聖書 66巻全体が、今でも話すところが何でしょうか? 多くの話をしていているようですが、事実はひとつを話しているのです。聖書の核心はキリストです。キリストと伝道です。この話を他の話で変えるならば、聖書の主題は福音と世界福音化です。神様は人類の歴史をおさめておられると言われました。人類の歴史を神様が治めておられるのですが、ある日、その人類の歴史を神様がストップされるのです。いつこの地球をストップさせるのかご存知でしょうか? それは、マタイ24:14が成就する、その日です。地の果てまで福音が宣べ伝えられたその日、主は地球をストップされるとおっしゃられました。それなら、その日が来るまで、主は今でもその事を行っていらっしゃるのです。誰を通じて行われるのでしょうか? この事実を発見した人を通じて、神様は働かれるのです。今日、私と皆様の胸に、この部分が確かに表れることを願います。
 
■ 2番目、だれがこの時代の主人公でしょうか?キリストを話す人が主人公です。なぜこの時代に私たちはキリストを話さなければならないのでしょうか。その理由を知っていなければなりません。この世にキリストではなければならない事があるからです。この世には福音が必要です。この世には、キリストが必要です。なぜそうなのかご存知でしょうか? キリストでなければ、解決しない事が、この世にあるためです。それが秘密です。それが隠されています。それが聖書の中にだけあるのです。これは誰でもすることではありません。神様が、特別に知らせてくださった人にだけ分かる話です。今日、聖書の中から私達がこの秘密を知るようになった事実を、今日も、神様の前に感謝するように願います。
 
■ なぜこの世にキリストが必要なのでしょうか? 私たちの先祖アダムが、ある日、罪を犯すようになりました。その罪を名付けて、私たちは原罪と言います。自分自身が知ることもできなくて、私たちは事実、この原罪の中に陥っています。あらゆる人生は、この原罪ゆえに、その人生が失敗へ行くようになるのです。誰も知らせてくれないこの原罪、これは学校で知らせてくれる話ではありません。学院でも教えてくれませんでした。どこでも、この話はしてくれません。この聖書に、この話が記録されています。自分自身が知らなければ、自分自身に最も大きい影響で自分自身を失敗させる罪が原罪です。この罪の勢力が、一人の人生を滅亡に導いていくのです。この罪の勢力が、一人の家系を滅亡に導いていきます。この罪の勢力が、子孫の人生を滅ぼして行くのです。皆様、この中から抜け出すことを、私たちは救いと言います。ここから抜け出す道の名前をキリストというのです。キリストが、この世にいらっしゃって、十字架であらゆる事を成し遂げてくださいました。それを私たちは福音と言います。この世にこの問題を解決する道は、ただキリストしかありません。この世にこの問題を解決する道は、ただ福音しかありません。この福音を持ってキリストを話す者、その人は真にこの 時代の主人公です。今日、皆様がそのような者として呼ばれたという事実を確信することを希望します。
 
■ 誰がこの時代の主人公でしょうか? 三番目です。福音の力を持って世の中を生かす者が、この時代の主人公です。皆様、この世は福音の力でなくては、勝利の生き方をする道がありません。既にこの世には、暗闇の勢力がぎっしりと満たされています。暗闇と空虚と混とんの世の中が、この世です。闇の世の中が王の役をしている世の中が、この世です。こういう世の中で、私達が知識を持って勝利の生活を送るのではありません。個人の力を持って勝利する生活を送るのではありません。なぜ全てのものを苦労したのに、自分自身のいのちを切るか知っているでしょうか? この勢力に勝つに値する力がないからです。世の中のものをみな持っても、この勢力に勝つことはできません。ただこの勢力に勝つ道は、キリストの名前の他はありません。福音の力の他にはないのです。そのために、私たちはこの世で福音の秘密のキリストの名前を言わざるをえないのです。暗闇勢力と戦って勝つ福音の力で勝利することを願います。
■ 2週間前に、私たちの賛美チームと共にソウル拘置所に福音を伝えに行きました。その中には、数千名の囚人がいます。その日も男性だけ約300人が一カ所に集まりました。半分は野次馬で、半分は教会に通った経験がある人たちでした。私は行って、彼らに他の話をしませんでした。福音の秘密を話したのです。キリストの秘密を話しました。皆様が知らない霊的な事実を話しました。この世で勝利する生き方の秘密が何か?を話したのです。福音の力は、あらゆる人々に必要ですが、彼らには切実に必要でした。福音の力で罪と暗闇の勢力をはね除けることさえできるならば、皆様は今、この苦労をしなかったでしょう、という言葉を申し上げました。彼らに話したのです。これからでも福音の力で勝利しなさいと話しました。私たちのあらゆる人生は、福音の力が必要です。私達が生きる世の中の歩みは、福音の力でなくては、勝利する道がないとお話ししました。皆様が神様の前に礼拝をささげながら、日ごとに福音の力で充満することを願います。皆様個人の生活に、個人礼拝を通じて、福音の力で充満するように願います。皆様自身が生きてこそ、皆様の家庭と関係する現場を生かすことができるのです。私が福音の力で充満してこそ、私が他の人を手助けすることができます。私が霊的に弱いのに、どのように他の人を手助けすることができるのでしょうか? それなら、今日、この時間、私と皆様の胸にキリストと十字架に、この福音の秘密で充満するように願います。
 
■ ある人は、このように話します。あまりにも霊的に苦しんで、精神的に苦しめられながら、本当に難しい人生を生きていっています。自分が今、霊的に苦しめられていて、精神的に苦しんでいる。これをいっそ夢ならば良いと考えて話す人がいます。朝に目をあける時が最も苦痛だと話します。いっそこのまま目が覚めないで、目覚めなければ良いと考える人々がいます。皆様、彼らがなぜそうであるのか知っているでしょうか? 彼らの中になにがないのか知っているでしょうか? この福音の秘密がないからです。この福音の秘密は、あらゆる人にみな必要なみことばです。まず皆様が、この秘密で充満して、現場で多くの人々に、この秘密を言うようになることを願います。今日、この時代の主人公は、朝に目覚める時ごとに、神様に感謝します。目を覚ましながら神様を考えるのです。今日も神様が私に一日を下さったのだなあ。神様この一日を通じて、私を通じてなさることが何か? 神様、私は足りないけれど、この一日の中で、神様が私を通じてなさることを成就してください。この一日の中に神様のみこころと計画がなされることを願います。そのような祈りをささげる時ごとに、神様に感謝があふれ出ます。私たちの心がそのような心から回復することを願います。私たちの中にあるこの喜びは、それほど私たちの環境と私たちの状況と関係がありません。私と皆様が持っているこの信仰は、現実にだけ関係がある、そのような信仰ではないのです。私たちの信仰は見えないことまでも、未来までも関係しているのです。それが私たちの信仰です。そのために、この福音の力を持って未来を見通しながら、一日一日を信仰で勝利することを願います。
 
■ 私は考えれば考えるほど、神様に感謝することがあります。私は柳先生のように伝道を多くしたり、そのようには出来ませんでした。私は多くの現場の経験を持ったり、そのようには出来ませんでした。単にキリストをすこし悟っただけです。単に私の心を伝道という、神様が最も喜ばれるそこに私の心の中心をすこし合せただけです。それにもかかわらず、神様は話でみな出来ない恵みを私に注いでくださいました。私の人生を時々、振り返ります。私は事実、神様の前に持ち出して話すことは、なんにもありません。私が歩んできたあらゆる事の中に神様が細かく導いて働かれました。その神様の手助けを私は確認します。私と皆様の心が、中心が、主が最も望んでおられる聖書の主題と一致することを願います。私たちは、そのような者を指して、この時代の主人公だと話すのです。今日、主人公の生活に回復する時間になることを願います。
 
■ 大きい2番目のみことばを申し上げます。今日、聖書の実際的な例を一度注意深くみましょう。今日、本文に出てくるヨセフが、その時代の主人公だったことだけは事実です。今日、ヨセフの人生を一度、注意深くみましょう。彼は立派な者ではありません。誠実だったり、善良だったり、そのような者ではありません。聖書は、その部分を強調していません。なぜ聖書でヨセフがその時代の主人公なのでしょうか?ヨセフは、契約の人でした。彼は既に幼い時、創世記37:1-11のみことばを契約で握ったのです。契約が胸の中にあるならば、必ず神様は契約を持った、その者を通じて、神様は神様の働きをしていかれます。ヨセフが契約を胸の中に込めながら、ヨセフにはヴィジョンを持ちました。そのヴィジョンは、神様が与えられたヴィジョンでした。皆様の胸に神様が与えられたヴィジョンがあふれることを願います。私たちは、世界福音化というヴィジョンを胸に込めました。皆様、誰が祈るか知っているでしょうか? 胸にヴィジョンがある人が、祈りができるのです。誰が答えを受けているのか知っているでしょうか? 胸にヴィジョンを持って祈る人が、答えを受けるのです。皆様がこの祝福があることを願います。
 
■ ヨセフは、神様のみこころを発見した人です。神様の願いを発見した人です。神様のそのみこころと願いがヨセフの生涯の中になされることを祈った人です。ヨセフの胸に一つの考えがありました。幼い時、神様が 与えられたヴィジョンを持って、祈りながら彼は成長したのです。全世界に神様の御名を証しする、その心を ヨセフは胸の中に持ちました。ある日、彼がエジプトにくるようになりました。その時から、神様はこのヨセフの人生の中に具体的な神様の計画を成し遂げられたのです。そのために、神様の関心はヨセフに集中するしかなかったのです。皆様が今日も神様が神様の関心を集中されている者です。ドラマや映画で主人公にあらゆる事件が集中しています。すべての話しのあらすじが、主人公中心で進行されて行きます。ヨセフの全生涯の中に神様は本当に関心を持たれました。他の理由ではありません。ヨセフの胸に、神様が願われることがあったゆえにです。
 
■ ヨセフは、はじめから平坦な道を歩いていった者ではありません。ヨセフは幼い時、多くの困難にあいながら成長したのです。兄のねたみをかいました。エジプトの奴隷で売られました。監獄まで行ったのです。それも、くやしいぬれぎぬを着せられて行ったのです。他の見方をすれば、このヨセフの生涯は、なぜこのように幸せではないのか? このように考えることができます。いや契約があるとするのに、いや祈っているのに、なぜこのように、ヨセフの人生は多くの屈曲があったのでしょうか? このように考えることができます。平安もなく、困難ばかりだな。このように考えることができます。皆様、しかし、そうではありません。私たちは全生涯をじっくり見てみなければなりません。ヨセフの全生涯を見て、私たちは話さなければならないのです。部分、部分は、全生涯を神様がなされるための準備の時間でした。ヨセフの困難は、未来を準備するための神様の計画でした。
 
■ 聖書を共に見ましょう。創世記40章を見ましょう。ヨセフが今、監獄にいますが、そのような話が進行されています。創世記40:1は、このように始まります。「これらのことの後」このように始まります。ヨセフにあって、新しい神様の計画の開始です。ところが、驚くべきことは、3節以下を見ると、その監獄の中に二人の政治家が共に閉じ込められるようになったのです。パロ王の酒を担当した献酌官と、パンを焼く調理官でした。この二人が今、ヨセフと出会ったのです。この二人が夢を見ました。ヨセフに、その夢の解釈を頼んだのです。ヨセフが、その夢の解釈をしてあげました。ヨセフが夢の解釈をした所で、ひとりは釈放されて、ひとりは殺されました。創世記40:14のみことばを見ましょう。監獄から釈放されて行く、その人にヨセフが頼みました。あなたが行ったら、私をちょっと思い出してくださいと話したのです。しかし、創世記40:23を見れば、この人はヨセフを思い出さず、忘れたとなっています。この人を通じて、ヨセフの生涯に神様がなさることを成し遂げるのではなかったのです。これから、神様がどのようにヨセフの生涯の中に働かれるかを注意深くみましょう。それが創世記41:1 のみことばです。「それから二年の後」聖書は、このように始まります。皆様、これが神様の時刻表です。神様が、ヨセフの生涯の中で具体的に働かれる時刻表です。もちろん、それまでヨセフが難しい時にも、神様はヨセフの生涯の中に働かれたことだけは事実です。しかし、今、それから二年の後、この話はヨセフの生涯の中に具体的な神様のみわざがなされる時刻表です。この時に、ヨセフの年齢が30才でした。パロ王が夢を見るようになりました。事実は、この夢は神様がなさることに対する夢です。41:8を見ると、このパロの心が騒ぐと書いてあります。この夢に対する解釈を多くの人に尋ねたのです。誰もこの夢の解釈をした人がいませんでした。ところが、これから神様がヨセフを創世記41:12を見ます。いよいよ釈放されました。その政治家が、王に要請したのです。ヘブル人の若者ヨセフがいることを話したのです。ヨセフを王に推薦しました。いよいよ、創世記41:46を見ましょう。ヨセフがエジプト王、パロ王の前に立つ時、年齢が30才でした。神様が彼になさることを今、具体的に成就なさったのです。ヨセフの全生涯の中で、背後の中に働かれた神様がいらっしゃいました。ヨセフは、明らかに、その時代に、その歴史に主人公だったことだけは事実です。ヨセフが、その時代の主人公だった証拠を注意深くみましょう。今日の本文45章を見ましょう。5節から8までのみことばを見ます。ヨセフの胸の中にいつも持っていた単語がありました。5節を見れば、いのちという単語を皆様、記憶することを願います。いのちを救うために。7節を見れば、神様が大いなる救いで、大いなる救いという単語が、ヨセフの胸の中にあったのです。7節を見れば、子孫(残りの者)という単語がヨセフの胸にあったのです。いのち、大いなる救い、子孫(残りの者)。ヨセフが幼い時から、この単語が契約として胸の中にあったのです。この子孫(残りの者)という単語は、レムナントを意味します。神様がヨセフを時代の主人公として用いなければならない理由が、ここにあります。幼い時から、ヨセフが胸の中にいつもこの部分を考えたのです。この部分をおいて祈ったのです。困難の中でも、この部分をおいて祈りました。神様の驚くべき計画が、自らの生涯の中でなされるために祈ったのです。結局、神様はヨセフを通じて、神様がなさることを成し遂げられました。今、ヨセフの生涯の中に起きる、あらゆる事が偶然でないことを、私たちは聖書を通じて発見します。神様が具体的に、ヨセフの生涯の中に今、干渉しておられることを私たちは発見するのです。皆様、今日、このみことばを必ず記憶できるように願います。ヨセフの生涯の中に、神様は神様の働きを行なわれました。どんな問題や事件の中、困難の中でも、神様は神様の計画を成し遂げられました。皆様が困難の中にあって気落ちしていますか? 今日、現実の色々な問題があるとして、失望しているでしょうか? 皆様の胸に契約があるならば、失望しないように願います。皆様の胸に真の福音の秘密があるならば、今日も信仰を持つことを願います。
 
■ これから、みことばの結論を結びます。皆様、私たちは序論の人生を生きていくような者ではありません。序論の人生を生きながら、私たちは時間を浪費する、そのような者ではないのです。私たちは、本論の人生を生きていく神様の最も貴重なみこころを成し遂げる、最も祝福される人生の生活を送る者です。私たちにも過去があります。私たちにも傷があります。私たちにも、時に人間関係の中で多くの葛藤がありえます。皆様、これら皆、過去を大きいうつわを準備するための土台としてみなすことができるように願います。福音を持った皆様ならば、誰が何と言っても、それでも皆様はこの時代の主人公です。皆様をだますような話ではありません。聖書に教訓がそうです。本当に、私達が福音を持ったとするなら、この時代の主人公です。神様の関心はだれにあるのでしょうか? その者にあるということです。今日、ここに対する明らかな確信が、皆様の胸にあることを願います。福音だけ必要なこの時代に、福音を話す伝道者を育てる総会神学校を私たちにくださったことを感謝します。本当に、この世に福音が必要なのですが、この福音を言う伝道者を育てる機関、この総会神学校をおいて、私たちは祈りができなければなりません。私たちの総会神学校を通じて、数多くの伝道者が排出されるように祈ることを願います。私たちは今日、そのような意味の中で、私たちの中心を集める、そのような日でもあります。もう一度終わりながら、みことばを要約します。
 
■ 誰がこの時代の主人公でしょうか? 誰が主人公でしょうか? 単なる私ではなくて、福音を持った私です。一度一緒に言ってみましょう。誰がこの時代の主人公でしょうか? 福音を持った私が主人公です。契約を持った私が主人公です。ここに対する確信を持つように願います。神様は、この人たちを通じて、神様の働きを行われるのです。この人たちが集まっているその場所ならば、そこに神様は働かれるはずです。今日、こういう 人々が集まっている各機関の部署ならば、そこに神様が働かれるはずです。私たちインマヌエルの家族を通じて、神様が最高の働きを成し遂げられるように願います。本当に福音を持った皆様、世に行って本当に胸を張って生きるように願います。この世に勝利するしかない秘密を持った者です。暗闇と霊的な戦いで勝利できる 答を私たちは持ちました。皆様、絶対に気落ちしないで。絶対に心に萎縮感を持たないで。胸を大きく張りましょう。神様が私と共にされる事実を信じるように願います。私たちの中に明らかな契約があります。世界福音化のヴィジョンを私達が胸に抱きました。神様は時刻表にしたがって、このヴィジョンを結局は成し遂げていかれるのです。この働きに用いられる、私たちあらゆる主の民になることを、主の御名で祝福します。
 
<<契約の祈り>>
全能なる神様、ありがとうございます。私たちに福音の秘密を下さいましたことをありがとうございます。一時代を生かす貴重な働きに、私たちを呼ばれたことをありがとうございます。福音だけ必要とするこの時代を見ることができる目を開けてくださったことをありがとうございます。この時、福音を言える人々として私たちを立ててくださったことをありがとうございます。この席に共にいるあらゆる主の民に、この豊かな恵みが臨むようにさせてください。一時代を生かす、一千万伝道弟子として立てられるようにしてください。この働きに今日も総会神学校、また機関をおいて祈るようにされたことをありがとうございます。この時代に、福音を宣べ伝える伝道者を育てる機関になるようにさせてください。全国と全世界が、ここに対する心を一つに集めることができるように、主が働いてください。この流れの中に、私たちの柳先生を主がつかんでくださるように願います。明日から進行されるブラジル集会に聖霊の神様が働いてくださることを願います。真の福音の働き人がおきることができるように、恵みを与えてください。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン.