2004年4月11日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 復活なさったキリスト
(マタイ28:1〜15)
    
・神様のみことばの聖書の中には話にならないこと、いくつかを主張しています。それが3つ程ですが、最初が処女降誕です。人々が話にならないと言いました。またイエスが死んで復活したということです。それが本当に理解できないということです。話にならないと話します。そして、天国があって、皆様が永遠に生きるということです。死ねば終わりであって、どのように天国と地獄があるのかと話します。話にならないと言うのです。このように、聖書 66巻には、分かる良い話しも多いのですが、こういう理解ができないこともあるのです。
 
・私も事実、幼い時、こういう部分ゆえに信仰が生じませんでした。カナダのある教会協議会会長がこういう 説教をしたということです。私は率直に、イエス復活が信じられません。そのように告白をしたということです。とても良心的が告白です。信じられないことを信じられないと言ったのです。韓国と世界教会は、そのような人々は、絶対に異端と認められません。私が見る時は、異端の中の異端なのに、そのような人はかまわないのです。本当におかしなことです。ある神学校は、イエス様が復活なさったことは、精神的な復活だと話しました。今、イエス様が教えた思想のようなことが、復活になったのではないかと話します。そのように教えているのです。何年か前に、牧師と神父が集まって、共同訳の聖書を作ったことがあります。その時、こう話したということです。処女がみごもって男の子を産むということは、字が失敗ではないかと話したということです。それで、女がみごもってに、変えようと言いました。どのように、処女が子どもを産むことができるだろうか? 牧師も集まってそう言ったそうです。
 
・韓国で見れば、頭を丸坊主に刈って講義する人がいるでしょう? 女のような声を出しながら講義する人がいるでしょう? 講義を良くするのです。行ってきたことのように話をして、自分自身が孔子と一緒に食事をしたかのように話をするのでした。ところが、この人が話すことを聞いてみれば、ほとんどみな間違ったおしゃべりでした。一度は、またこう話すのでした。イエスも私生児ではないか? ある男と女が道を行く時に出会って産んだのに、それが孔子で、イエスも私生児ではないかと話すのでした。このように講義するのでした。
 
・すると、いったいこれは何でしょうか? 聖書が話になるでしょうか? どのように、処女が子どもを産むのでしょうか? そして、復活をどのようにするのでしょうか? 普通、そのように理解をしています。皆様の中で多くの方達が、信者が信じられないのです。皆様がこの部分に対して話したり言及をすれば、信仰がないように見えるので話をしないので、ほとんど皆信じられないのです。ほとんどみな耐えているのです。どのように、こういう事がありえるのでしょうか? ところが、私も事実そうでした。処女降誕が話になるでしょうか? 復活聖日を守ることは幸いなのですが、イエス様が復活なさったのかという気がしたのです。だから、聖書を読む 時も、それほどおもしろくなかったのです。私はそのように信仰生活をしてきました。ところが、すこし幸いなことは、大部分の人がそのように信じていないのです。ところがそうではありません。私はこの不思議な3つの主張が最も科学的だということを知るようになりました。私たち人間は食べて、寝て、生きることだけを考えるのです。
 
・まず結論から下すならば、神様が私たち人間を創造なさったのに、今、私たち人間が神秘なことが本当に多いのです。それなら、神様がいらっしゃるならば、何んでもできます。神様が本当に生きておられて、働かれれば、復活、こういうことは可能なのではないでしょうか? すると、これがどれくらい科学的だというが分かるようになりました。私たちはやっとするということが、食べて、寝て、こういうことしか知りません。そして、老いないように顔も手術をして、いろいろなことをします。そして頭も白く見えないようにと染めて、そのようにします。私たちは最高にして見ても、そのようなことだけです。私たちは気を遣うということが、顔がよいならば‘顔ちゃん’からだの格好が良ければ‘からだちゃん’そのような方法です。私たち人間の水準がそれしかならないのです。その中で人間はやられて、困難が来るのに知らずにいるのです。神様が暗闇、混とん、空虚の中にいる状態で創造をされたということを知るようになりました。その暗闇はそのまま終わらないで、ヨハネの黙示録で、世の終わりまで活動するということを知るようになりました。これが人間を全部、掌握したということを知るようになったのです。それが原罪で、創世記 3章の事件です。それで、人間は本人も知らなく、ノアのようにネフィリム時代がきて、ムダン(霊媒師)時代がくるしかないということを知るようになったのです。成功するだけ、バベルの塔のように崩れるということを知るようになりました。それで、人間は聖書で奴隷になって、捕虜になったとなっているけれど、事実上、霊的にそうだということを知るようになりました。
 
・それで私は3つの問題は解決できないという結論を下しました。私達が犯した罪、先祖が犯した罪、原罪は解決しないのです。私たちに迫る運命、呪い、こういう暗闇の力の地獄は解決しないのです。私たちは悪霊がいることも知らずに、サタンがいることも知らずに、その勢力に勝つことができないという結論が出てきました。だから、神様が3つをなさるしかありません。人の息子ではできないので、神様が直接、女のからだを借りて 救い主を送るしかないのです。その時になってやっと、私は女の子孫が理解できました。その時になってやっと、処女がみごもって男の子を産むということが理解できたのです。その時になって、聖書を見ると、血を流して犠牲のいけにえをささげる時ごとに、奇跡がおきたということを知るようになったのです。そのまま死ねばメシヤなのか、キリストなのか、どのように分かるでしょうか? ですから、復活しなければならないと聖書に預言をしたのです。私はある日、聖書を見ながら、地獄をなぜ作られたのか分かりました。サタンを完全に縛り上げる監獄です。マタイ25:41にもそうであって、ヨハネの黙示録にもそのように出ています。それで、神様の子どもではない人は悪魔に仕えるから、地獄へ行くしかないのです。私はある日、地獄が当然になければならないことを知るようになりました。それなら、救われた人間が永遠にいなければならない天国があることは、当然なのです。私はこの事実を知るようになりました。その時から祈りの答えがきたのです。その時から、伝道の門が開きました。その時から礼拝をささげてきたのに、みわざが起きました。その時から、悪霊につかれた者が、みことばをずっと聞くなかで癒されるのを見ました。この時から、不思議にイエスを受け入れさせたのに、その人にみわざが起きました。そのままずっと回ったのに、回った所ごとにみわざが起きました。そして、いよいよ世界のレムナントが立ち上がったのです。今は全世界に霊的な文化を変えるために、共同体時代を開いたのです。本当に不思議です。それを知ってから答えがきました。
 
・あなたがたはメッセージを多く聞いて知っているでしょうが、クリスチャンはほとんどみな、祈りの答えを受けることができません。何ゆえに教会にきて命をかけるのでしょうか? 命をかける理由がないのです。ここにいのちをかけて宣教をする理由がないのです。私はこれを知るようになりました。それで伝道をしにいったのに、神様の証拠が現れました。それで、私はみな理解でき始めたのです。祈りが何か、分かるようになりました。祈る時は相当な事が起きるということを知るようになりました。こういうことを全く知らずに、復活の話を聞けば、復活が何かと言うはずです。今日、ここに安息日が終わった週のはじめの日だとなっています。この話は歴史的な 記録を意味することです。ピラトが総督であって、イエスが十字架を背負われたその年、安息日が終わった週のはじめの日です。それで春分をすぎて、十五夜の月を見て来る聖日です。だから、春分が過ぎて満月を見て過ぎた初めての聖日です。これは歴史的な大きい意味です。安息教で、私たちになぜ聖日を守るのかと言いますが、私たちは安息日が終わって週のはじめの日です。安息日は、土曜日であることは間違いありません。しかし、初代教会は、安息日が終わった週のはじめの日です。ヨハネ20にも安息日が終わった週のはじめの日です。初代教会が集まったのも安息日が終わった週のはじめの日です。その日に復活なさったのです。それで、その日、礼拝をささげるのです。だから聖書的や意味的に違うのではありません。
 
・二人のマリアがイエス様の死体に油を塗るためにきました。ところが、地震がおきて石がころがったのです。そして、目で見ることができないほど、ぴかぴか光りながら白い服を着た天使が座っていたのです。見張っていた兵士がそれを見て気絶しました。皆様ならば気絶をしないでしょうか? 見て、心臓が弱い人はその場で気絶をしたでしょう。実際に、気絶をしなかった人も、それくらい衝撃を受けたのです。
 
・私は幼い時、夜明けに早く山に登る中で、気絶しそうになったことがあります。不思議に、私は幼い時から朝に運動することが良くて、夜明けに起きて上がったのですが、すると日が暗いでしょう? 真っ暗なのに、松の下にある男の人が座っていたのでした。毛布のようなものをかぶって座っていたのです。私は見た瞬間の感じで、この人は死んでいるのではないかという気がしました。どれくらい怖いか分かりませんでした。気絶しそうでした。そうして、山に登って来る人々と一緒に見たら、人が死んでいたのです。
 
・皆様、墓を守っているのに、突然に石の扉が開いて光が出てきて、人が出てくれば、誰が気絶をしないでしょうか? この時、天使が言うのには、イエスはここにいないと話しました。その方は、復活なさった。それで、8節〜10節を見れば、イエス様が現れて話をされたのです。ガリラヤへ行きなさいと言われました。そのようにみことばを直接なさったのです。しっかりした見張り人が報告したのです。簡単な話で、報告したのです。本当に、その人が生きておられると話しました。だから、指導者が報告を受けたのです。指導者の心理は、まったく同じです。まず安定させるために、秘密にしなさいと言います。それで、そちらにいた人々にはお金を与えたのです。お金を与えた理由は、話さないという約束に賛同するということです。ところが、その話しが広まらないでしょうか? お金をもらったということまで、うわさが広まったのです。
 
・ユダヤ人たちが、イエス様の復活を認めました。どのように認めたかというと、気絶をしたが、目覚めたというのです。そうでなければ、人が生き返ることがあるだろうか? 私達が完全に殺さなかったということです。非常にものすごく強かったので死ななかったということです。このように結論を下したのです。はじめには嘘を、2度言いました。死体を盗み出した。政治をする人は作りだしてこそ生き残れるので、嘘を良く言います。それで、イエスの死体を誰かが持っていったと言ったのです。弟子たちが持っていったと言いました。私達が少しの間、寝入った間に夜明けに持っていったと言ったのです。その当時にも、ジャーナリズムがあって、組織がありました。調べる人々と、ジャーナリズムがあるでしょう。行ってみると、おかしな事が行われたのです。墓に行ってみたら、人が死んだ後に完全に死ねば、亜麻布で包むでしょう? ところが、亜麻布の殻はそのままあって、人だけいないのです。何でこういう事があるのでしょうか? 亜麻布だけがあって人が、いないのです。すると、死体を一晩中、どのように持っていったということでしょうか? すると、人が出てきたのに、亜麻布を元通り巻いて置いたのか? 不思議なのです。だから、また嘘を作り出したのです。幻のようなものを見て、精神病者が話したと言ったのです。それもイエス様が個人的に現れれば良いのに、ここ、あそこに現れるのです。それで結局は、ユダヤ人が下ろした結論が、生きていることは生きている。死んだが目覚めたということです。このように結論を下したのです。ところが、その事件は継続して広まったのです。その時から今まで、私たちは復活祭を守っているのですが、ほとんどの人々が意味も知らずに、そのまま復活祭を送っているのです。
 
・3つの大きい意味があります。最初です。再創造の働きです。救い自体が、再創造の働きです。私達が再創造のみわざがならないと救われることができません。このようにすることができなければ、救い主になることができないのです。そして、人間の問題は解決しません。それで、Iコリント5:17に、新しい被造物だと言われたのです。誰でもキリストにあっては、新しい被造物だということです。それでなければ、救い主になることができなくて、私たちの人間の問題は解決できません。私と皆様が救われたという話は、新しく創造されたのです。創造をなさることができる神様は、再創造をなさることができるのです。創世記1:3に、光があれと言われたのに、ヨハネ1章にイエス様が光でいらっしゃったとなっています。全く同じ状況です。全く同じ状況が、再現されたのです。そして、皆様を見て光だと言われました。光の子どもだと言われました。だから、暗やみの中にいる必要がありません。これは相当な意味を話すのです。今日、皆様がキリストの秘密が信じられる瞬間に、再創造のみわざが起きるようになるはずです。祈りの答えが難しくなりません。再創造のみわざが起きます。伝道が難しくなりません。再創造のみわざが起きます。私たち学生達を変化させる驚くべき働きがおきるのです。しかし、これを知らないから、難しくなるのです。皆様、これを知っていれば、クリスチャンが祈りの答えを受ければやさしいことではないでしょうか? 祈りの答えを受けることがないので、たどたどしく行くのです。だから難しいのです。皆様、目が見えないならば、道が分からないのにたどたどしく行けば、どれくらい難しいでしょうか? 皆様、この事実を知るようになれば、答えがあらかじめきます。この祝福をあなたがたが受けなければなりません。クリスチャンが、この祝福を受けることができないのです。皆様がこの祝福を受ければ、簡単です。答えがくるまま行けば良いのです。固執する必要もなくて、答えがくるまま行けば良いのです。神様の答えが、どれくらい正確でしょうか? これがくるようになっています。自然に悟りがくるようになっているのです。これを回復しなければなりません。
 
・私がこの前、話したではないでしょうか? 私たちが幼い時、遠足に行って遊ぶのに、目かくしをして行くのにどれくらい不安か分かりません。不安で手すりを持つ必要もないのに、手すりを持って行きます。他の人が見ると、なにもない道なのに、不安でへっぴり腰になって進むのです。見えないから不安で、そのようになるのです。ところが見ると、一名はよく行ってくるのです。その子どもは勇敢に向こう見ずで行ってくるのでした。それで私がこっそり尋ねました。それで、私に話をしてくれたのですが、相手方が誤って目隠しを縛ったので、みな見えたということでした。そうだったのです。見えないならば、難しくなるのです。このようにたどたどしい人生を生きるので、世の中を生きるのが難しいのです。それで、この話、あの話をするのに、みな違った言葉です。神様は確かに生きておられ、人間を創造なさって、皆様に答えられ、皆様を導いていらっしゃいます。それをなさろうと、イエス・キリストを処女に送って、十字架で死なれ、復活なさったのです。この復活は意味2番目があります。この問題を解決できるキリストという証拠です。
 
・私達が知らない人に会う時、見合いをする時、どのようにするでしょうか? よく分からないでしょう? 知らない人と話をする時は、複雑になります。この前、軍部隊を訪問したのに、軍人たちが、私たちを知らないでしょう? だから黒い色の車が入っていって、番号は何だと話をするようになりました。私達がもし喫茶店に座って、お客さんを待つ時見れば、あの人々はお見合いで来たということが分かることができます。なにか挨拶するのを見れば、初めて会ったような印象をして、挨拶して確認することが見えます。すると、私たちはお見合いできたのだなと分かることができます。ところが、彼らがきて確認するのをおもに見れば、白い服を着ていく、黒い色を洋服を着て行くというか、このように話をします。
 
・この世にキリストを送ると約束されたのが、最大の約束なのですが、キリストがだれでしょうか? それに対するサインがなければならないでしょう。神様が人間になさったサインがあります。十字架で死んで、復活なさるはずだ。それがサインです。聖書には、イエス様に対して旧約で50個の事件を預言しています。そのうちで詩16:10を見れば、イエス様が復活することを話しました。キリストという証拠です。神様の息子だという証拠です。すなわち、神様だという証拠です。再創造の主人公だという意味です。どれくらい科学的か分かりません。
 
・皆様が三番目に理解せねばならないことがあります。人間の問題がどれくらい深刻ならば、神様はこういう 事をなさったのでしょうか? たった今、話をしました。皆様の罪問題は解決できません。たとえ皆様が犯す小さな罪は解決できても、原罪は解決しません。先祖が犯した罪は解決しません。ある人は質問が多くあるのです。何の誤ちもないのに、地獄に行くのですか? 地獄に行きます。なぜなら、身分が変わらなかったためです。皆様が災いを受けておかしなことする人々が大きい罪を犯したと思っているのでしょうか? そうではありません。なにかに陥っているからなのです。むかし、奴隷の息子と娘は、どんなに産まれても、奴隷です。身分が変わらない以上、ずっとそうだということです。
 
・むかしには両班(上流層)があって、賎民がありました。その賎民は、過去に試験を受けることができません。どんなに頭が良くても、試験を受けることができないのです。身分が変わらない以上は、できません。だから、このように深刻な問題が解決しないのです。もっと恐ろしいことは、私達が何ゆえに運命の中に、どんどん呪いがきて困難が来るのでしょうか? 本当にサタンというものがあるのでしょうか? こういう深刻な人間の問題があるのです。これを解決するために、神様は旧約の時から、いつも血の話をされ、十字架をずっと話されたのです。 '受け入れる人々、すなわち、その名を信じる人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった' それで、私は聖書箇所三個が本当に私の心に刻まれたのです。Iヨハネ3:8に悪魔のしわざを滅ぼすためのことです。悪魔のしわざは何でしょうか? そのしわざを滅ぼすために来られたのです。考えてみるように願います。そのしわざをなくすためのことです。悪魔を滅ぼそうと来られたとすれば理解できるのに、悪魔のしわざをなくすために来られたとなっています。まさに、それのためです。そのしわざがあるのです。皆様をどんどん滅ぼす、そのしわざがあります。それを滅ぼそうといらっしゃったとなっています。そして、使徒4:12が理解できました。 'この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。' 宗教人には気分が悪いけれど、これが分かり始めたのです。ヨハネ14:6が理解できました。 'わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。' 私はこの話が理解でき始めました。はじめには、それがとても独善的に考えられたのに、それが理解できたのです。
 
・それなら、皆様がこの契約を信じれば、できない事がありません。できないことがないのです。復活を信じた人々の話が聖書に出て来るでしょう? まずイエスを殺した人も復活を見たのですが、この人たちは、衝撃を 受けたのです。しかし、普段にイエスをキリストだと信じた人々が、復活を見た後には、驚くべき働きがおきました。それで、今日の2部礼拝は復活以後のキリストをメッセージで見ようと思います。今日の1部は、復活なさったキリストです。今日、あなたがたは祈りの答えを受けるように、整理をしなければなりません。なぜイエス様が処女にいらっしゃらなければならなかったのでしょうか? パウロが告白したように、なぜ十字架で死んで復活されたのでしょうか? その部分を皆様が理解しなければなりません。理由を知っていなければならないのです。だから、処女からでた者でなくては救い主になることはできません。十字架で死んで復活なさった条件でなくては、私たちを死から救い出すことができないのです。だから私達がこの部分が理解できるのです。この時から神様は、聖霊で働かれて、驚くべき答えを引続き与えられるはずです。今日、皆様が新しい答え、祝福を受けてくださるように願います。
 
・私は率直にお話をします。私が幼い時から教会に通っていました。両親と一緒に、幼い時から教会に通ったのです。私たちの両親をはじめとして、多くの教会に通う方達が信じないのです。おとなたちが信じないと話すことはありませんでした。私が感じたのです。皆様、感じる教育ということが、根拠はないことですが、ものすごく影響を与えます。私は幼い時、多くの役員や信仰生活を習う時、副教役者だった時、多くの指導者が信じないと言うことを感じました。それで祈りの答えを受けられないことではなくて、受けることができないことを私は知るようになったのです。伝道をしないのではなくて、伝道は多くするのに出来ないということを知るようになりました。ほとんど信じないということを感じたのです。神様の恵みで、この部分を信じられるようになり始めました。後ほど時間が過ぎて見たら、とても科学的でした。それで、私が大学生に会って、こういう話をしました。祈りは霊的な科学だ。これほど正確なことはありません。救いはものすごく科学的なのです。これを知らなければ、私たちはますます霊的に困難が迫ります。
 
・私はある日、米国に行ってみて決心をしました。米国に行ってみながら、多くの人にみな会えなかったのです。私たち韓国人の一家庭を見ました。この子どもが精神が異常なのです。妙に狂ったのです。何を与えても 食べることもしなかったのです。話しもよくしません。見る瞬間に、その子は精神が異常だということが感じられる程でした。その両親がよく食べて、よく生きるために米国まで行ったのです。食べて生きるために最善を尽くしたのです。子どもを教育させるために苦闘したのでした。ところが、その子は精神異常になりました。たぶん顔、姿を見て、麻薬もしたようでした。この父、母は全てのものをあきらめた顔でした。親戚の家にきているか、病院にきているかは知らなくても、韓国に来る飛行機に乗るために空港にいたのです。
 
・私が特殊な場合を話すのではありません。米国でほとんどすべての家庭がそうだということを知りました。米国人は気分が悪いでしょうが、子ども達がほとんどそのようにさまようということを知りました。私が神様に祈ったのです。その時、私が神様にレムナント運動をすると祈りました。私が子ども達を訪ねて、このメッセージを話すと祈ったのです。なぜ人間が滅びるのかを話すと決心しました。なぜ神様がキリストを送ってくださって、十字架に釘づけられて、復活なさったのかを話します。精神病者が多い先進国に行って話すはずです。こういう祈りを始めたのです。飛行機に乗って帰りながら発見した単語がレムナントです。レムナントという単語を捕まえて、途方もない祈りの答えを受けました。このレムナントを育てるためには、おとなが答えを受けなければならないので、それで産業宣教という単語を使ったのです。それで 4月20日にある産業人大会もまさにその大会です。つまり、レムナントという言葉、産業人という言葉を使って7年目です。
 
・今すこし考えを変えました。韓国と全世界に共同体戦略を使うべきだと決心しました。ほとんど知らずにみな死んでいくので、生かさなければなりません。復活なさったキリストを説明すべきです。話を結びます。3つのことを体験するように願います。私が話すことは何の効果もないから、皆様が直接体験することを願います。イエスがだれでしょうか? 復活したのか、キリストであるか体験してみるように願います。今からキリストがなんの話なのかは知ったから、イエスがキリストである理由を聖書で見て、実際に確認してみることを願います。復活したのに、いまはどのようにしていているのか、確認してみることを願います。御座に座っておられて、聖霊で働かれるとなっています。そして、とても危機がきた時、とても重要な時間にイエスの名前で祈ってみることを願います。これが初代教会の主題です。初代教会の主題3つです。イエスがキリストだ。イエスはキリストだ。イエス・キリスト。同じ言葉ですが、違った言葉です。これが主語、述語、みな同じ話です。これを合わせてイエス・キリストと言います。みな同じ話しですが、意味は違うのです。それで私達が宣べ伝える時、イエスがキリスト言います。だからイエス・キリストは信じる者が合わせて使用する言葉です。この体験をしてみることを願います。すると、本当に復活なさったのか、聖霊のみわざがどのように起きているかを体験してみることを願います。そして本当に解くことができない問題を、イエスの名前で祈ってみることを願います。
 
・皆様の家庭に、私たち大韓民国に、長い間、働く暗闇の勢力がイエスの名前で崩れるようにしてくださいと祈ることを願います。皆様の事業を暗闇へ推し進める暗闇の勢力をイエスの名前で縛ることを願います。してみるように願います。皆様が一ケ月だけ祈ることを願います。一年だけしてみることを願います。皆様が証しをせずに、絶対にいられなくなります。そして、証しする必要もありません。伝道しにいく必要もありません。伝道されるためにくるはずです。霊的問題を持った人が、皆様を訪ねるようになっています。もっと最後に絶対に滅びません。滅びることができないのです。イエスはキリストです。このものすごいことを、人々は信じなくて、ある人は不信仰して、ある人は信じていません。今日、参加したあらゆる方達に、この祝福が始まることをイエスの名前でお祈りします。仮りに皆様が信じられないならば、最も不幸なことを持っているという ことを知っていれば良いのです。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日この祝福を回復する時間になるようにしてください。私の、地球上の、あらゆる問題を解決するイエスはキリストであり、今でも聖霊でこの場に、私たち子どもに、全世界に、事業に働かれることを信じます。復活なさった主イエスの名前で、すべての暗闇が追い出されて、サタンの勢力が縛られて、悪い霊が追い出されるみわざが起きることを信じます。この祝福を味わうようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 復活なさった以後のキリスト
(マタイ28:16〜20)
 
・ユダヤ人たちが、イエス様を十字架に釘付けながら述べた言葉がひとつあります。とても怖い話をしました。皆様が知っているはずです。イエスを十字架に釘付けながら述べた言葉がひとつあるということです。私たちは話を用心しなければなりません。イエスを十字架に釘づけて、強盗バラバを生かせと言いながら述べた言葉があります。その血の値が私たちの子孫に降りかかっても良い。どれくらい自信をもって話したでしょうか、 イエスを絶対に殺すという理由で、その血の値が私たちの子孫に降りかかっても良い。怖い事が行われ始めました。皆様がご存知であるはずです。そのように話して、1年後に事故が起きたのではありません。無知な人々は特別に何もなかったように過ぎ越すことができます。それを話して、10年後に起きたことでもありません。それを話して約35年、40年後に紛争が起きました。その時が70年頃です。皆様がおわかりの通り、エルサレム神殿は崩れました。今でも回復することができないのです。
 
・皆様はよく知っているでしょう。映画ではなくて事実です。ヒットラーによってだけでも、ユダヤ人が 600万名が死にました。あのスペインで約30万名が死にました。こういう方法で、23ケ国でユダヤ人は踏みにじられたのです。怖い程度ではありません。期間はどれくらいか知っているでしょうか? そのイエスの血の値が 私たちの子孫に降りかかっても良いと言って、その期間がどれくらいになったか知っているでしょうか? AD70年に崩れたイスラエルは、1948年に回復しました。私たちは、結果を知っていなければなりません。成功する人、信仰に成功する人、みな特徴が何か知っているでしょうか? 重要な結果を知っていたのです。あなたがたが、少し理解するように願います。私たちの教会が、たとえ礼拝堂がなくても、大きな建物でなければ、私はそれほど心が傾きません。皆様が受ける祝福と結果を私は知っているのです。釜山でも数多くの建物、土地を与えたが、私たちはしませんでした。今、釜山インマヌエル教会の周囲の土地を全部買っています。一万坪買いました。門が開くままにみな買うはずです。私は知っているのです。
 
・皆様が結果を知っていなければなりません。私は福音がない人の結果を知っています。そして、本物の福音を持った人の結果を知っているのです。ですから、結果を知っているなら、そのような失敗をしなかったでしょう。カトリックの中世教会が結果を知らなくて、マルティン・ルターに死刑宣告を下しました。それがどんな結果を産んだのか知っているでしょうか? 全世界に問題がやってくるようにしたのです。そして、その時、生まれた国が米国です。皆様がおわかりの通り、米国ができて200年くらいにしかなりません。ヨーロッパからカトリック思想の中にいることができないと出てきた人です。その人々が出てきて、米国を建国しました。多くの戦争、多くの問題が起きました。どんな結果が起こったか知っているでしょうか? 今現在の話です。ヨーロッパの人々に申し訳ありません。ヨーロッパのあらゆる予算を合わせも、米国より小さいのです。今現在、そうです。それは想像を超越することです。考えることもできなかったのです。
 
・皆様、信仰生活をよくする人々の特徴が、結果を正確に知っていることです。ヨセフ、ダビデ、パウロみな そうです。皆様が信仰生活をするのに勝利しようとするなら、結果を正確に知っていなければなりません。それで、初代教会は1部の時話したように、3つのことを主張したのですが、それを体験しました。皆様の問題を解決したいでしょうか? イエスがキリストだという事実を知っていれば解決します。皆様が、本物の力を得てみたいでしょうか? 復活なさって、聖霊で働かれていらっしゃるということを知っていれば、力を得ます。そこから出てきた単語が聖霊充満です。皆様の家系の問題を本当に解決したいでしょうか? イエス・キリストの名前の権威を用いましょう。これが初代教会です。
 
・今日、私たちは復活を賛美する賛美を一緒に聞きました。それで今日は可能ならば、簡単に皆様に重要なメッセージだけ伝えようと思います。大きい三つのことを伝えようとしています。復活以後のキリスト。必ず知らなければなりません。復活以後の弟子、復活以後の教会。この三つは確かに知っていなければならないのです。私は皆様の生涯を福音に投資してもかまわないことを確信しています。違ったことに人生を投資して良いのかということです。私はこの部分だけは自信をもって言えます。福音がないクリスチャン、後ほど確かに、後ほど問題がきます。福音がない未信者は、確かに問題がきます。それで結果を知っているということです。弟子たちがこれを知っていたなら揺れないのです。これを知っていたなら、ペテロが否認しないのです。イエスが復活なさった後、完全に地図が変わりました。復活が可能でしょうか。こういう話は1部の時話したゆえにしません。可能だという程度ではなくて、科学的です。理由もあります。それがなければ、私たちは霊的問題が解決出来ません。その理由を知らなければ、皆様の家庭の呪い、災いを防止することができないのです。その理由を知らなければ、世界で起きる問題を防止することができません。私は大学生にこういう話を堂々としました。大統領でも教授でも、多くの指導者が、この部分を知らなければ、なるようにならないのです。それで私が来年からは、僧侶も政治指導者でも、こういう立派な方達に個人的にメッセージを送ろうと思います。難しくありません。その人の隠れた問題を毛抜きのように捜し出して答を与えればよいのです。確かにあります。ですから、この福音を知らないではよくなることはないのです。
 
・復活以後のキリスト。その立場がまず説明されなければなりません。天と地のあらゆる権威がわたしには与えられていると言われました。キリストの立場です。天と地のあらゆる権威がわたしには与えられています。復活なさったキリストがなさったみことばです。天と地の権威を全部みな持ったとおっしゃいました。天の権威とは何でしょうか? 御座の権威を話します。これを持っておられるということです。
 
・韓国にイ・レジャという人がいます。 'レ' は稲妻という意味です。 'ジャ’は息子という意味です。稲妻の子だという意味のイ・レジャという人がいました。皆様が知っているでしょう。その人が自称、神様の二人目の息子だということです。本当に面白い人です。服も変に着て、神様の二人目の息子だと言います。イエス様は最初の息子で、自分は二人目の息子だということです。それで人々のお金をみな取って、おかしなことをしました。ところが行って献金する人々がまたいるのです。教会にはしないのに、そこに行って多くするのです。これでこの人が、ものすごい王宮のようなのを作って、人々に詐欺を働いたのです。ある日、このイ・レジャ氏が死ぬ日が迫りました。死にながらも詐欺を働いたのです。イエスは神様の最初の息子であるから、3日後に復活して、私は二人目の息子であるから一週間後に復活するはずだと言いました。だから私の死体を葬らないで、待ちなさい。そして、その時はあなた達の財産全部をみな出す準備をしなさい。これから新しい王国を作るはずだ。こういう詐欺を働いたのです。愚かにも、この人たちがよみがえると一週間、待ったのです。一週間になって、何が出てくるかというと、ウジが出てきました。それでも片づけてなかったのです。警察がきて片づけました。人間とは本当に愚かです。イエス様が御座の権威を持ったということは、天のあらゆる権威を持ったということです。それなら、私たちは心配になることがあるでしょうか。恐ろしいこともありません。皆様は今日、契約を必ず握って、復活なさったキリストが何とおっしゃるかを捕まえるように願います。
 
・私が幼い時、学校に行けば、必ず路地で何名かが困らせました。皆様もそのようなことにあえば悩まないで。子ども達が隠れていて、私を見れば本も奪い取っていって、お金も奪い取っていって、かばんも奪い取りました。顔が変な子たちでした。見ると孤児院の子ども達、ならず者、とにかく悪い子ども達が集まっていました。私が私の母が心配するかと思って話しませんでした。私だけずっと苦労して逃げる所がなかったのです。学校に行く道がその道しかなかったのです。それで、私が研究をしました。あの子どもたちをどのようにすれば良いか。けんかしても、私が負けるから、その時、静かに考えてみている途中で答を得ました。私のいとこの中でけんかを良くする兄がいました。私より年齢は三才上だったのですが、ものすごく図体が大きかったのです。その兄に今まで私がやられたことを話しました。今でもずっと私を困らせると言いました。私の兄は、けんか好きで、分かった、心配するなと言いました。私がいつもやられる所を見たら、ドングリの木があったのですが、その下に兄が隠れていました。また、子ども達がいました。私をまた触ったのです。この時、私の従兄弟がドングリの木の下に隠れていたのですが、飛び出してきました。完全に半殺しにしました。少し心配するほどでした。従兄弟が私に水をくんでこいと言って、気絶したら水をかけながら殴ったのです。幼い年齢で、ああするうちに死ぬのではないかと思ったくらいです。それでそこまでで良いと兄を止めました。私がすごく止めたので、その子どもたちが私をものすごく感謝する目で見つめました。そして、私がそこまでで良いと言ったので、その兄がやめながら言った言葉があります。もしもう一度、この子を触ればおまえ達は抹殺だ。その後からは絶対に現れませんでした。私にけんかを良くする兄がいるだけでも、このように便利だなと思いました。イエス様がおっしゃるのに、天と地のあらゆる権威がわたしには与えられています。ものすごいのです。御座の権威を持っているということです。天の軍隊を動かす天の権威を持ったということです。審判の権威を持ったということです。どれくらいすごいでしょうか?
 
・エリシャの家を軍人が取り囲んだのですが、その軍人の外に天の軍隊が取り囲んだのです。このしもべの目がくらんで恐れをなしたのです。主よ、あのしもべの目を開けてください。天の軍隊がはるかにたくさん集まっていました。私たちの目には見えません。神様の子どものあなたがたが行く所に、少しだけ祈れば、皆様の力と軍隊は、より多いのです。審判の主として来られたキリストだということです。私たちはこれからヨーロッパに行くのですが、ヨーロッパに行く間に選挙をするはずです。またこれから、大統領に関する裁判が残っています。私たちは祈りを多くすべきです。そして、神様は益になさるはずです。天のみこころがどこにあるのか、裁判官が裁判をどのようにするかに拠ります。この方達も普通の悩みではありません。両側で今、うなるから、どのように裁判しなければならないのか分からないのです。神様が特別な知恵と祝福を下さるのではないかという気がします。イエス様が審判の主としていらっしゃることを約束なさいました。あらゆる民族と全てのものを審判する裁判官として来られるのです。皆様、地のあらゆる権威を持ったということが、何の話なのかご存知でしょうか? 暗闇と罪の赦しとあらゆるサタンを縛る権威をわたしが持った、その話です。恐ろしいことはありません。
 
・少し前に中国に行ってきました。私は中国に行って驚きました。列車からおりて行こうとしたら、人々がぱっとくっついてきました。これはなぜそうなのかと思ったのですが、私たちのかばんを持っていったのです。私たちはかばんを盗まれるのかと思って、かばんを奪い取りました。それも一回に何十名がくっついて持っていくのです。なぜこうなのかと思ったのですが、分かってみたら、そのかばんを持っていって、いくらかをもらうためにそうしていたのでした。皆様が見ていないでしょうが、命がけでした。それで、私達がかばんを置いておけと言うのに、終わりまでついてくる人がいました。そのようにして、いくらをもらうのでしょうか。 韓国のお金で約 20ウォン(2円)程度もらうのです。それを見ると、本当にかわいそうな気がしました。女の人がそれをもうけようと、命をかけるのです。私達が福音のためにいのちをかけることができないのでしょうか? 2円の価値もないのでしょうか? あの人々が福音を知っていれば、あのようにしないでしょうに、どれくらいかわいそうなのか分かりません。
 
・少し前には、米国の食堂に行ったところ、鉄板で料理する人がいました。食べ物を準備しながら、いろいろなことをみなしました。油の缶を投げたり、受けたりしたのです。皆様は、はっと驚くはずです。ある時は、後に投げて受けるのです。練習をものすごくしたようです。私たちの食事の仕度で一皿を食べさせるためにということです。その時、私が何を感じたかというと、私が福音のために何をせねばならないだろうか? この食事の仕度を一皿売るために、あのようにも練習をして返して、ガラスを投げれば割れるのに、受けるのに、私がなにをすべきなのか? 天と地のあらゆる権威がわたしには与えられています。心配するなということです。皆様、心配しない、その瞬間から答えがきます。心配になるのにどうなるでしょうか? するなと言われたでしょう。
 
・その方が、このように命令なさったのです。あらゆる国の人々に行きなさい。それで、弟子としなさい。父と子と聖霊の名前でバプテスマを与えなさい。これらすべてのものを教えて守るようにしなさい。3つの命令をしました。あらゆる国の人々を弟子としなさい。ならざるをえません。主が天と地の権威を持たれたということです。父と子と聖霊の名前でバプテスマを与えなさい。今まであった、あらゆる秘密を話しなさいという ことです。それとともに約束を一つなさいました。わたしが世の終わりまでいつも、あなたがたとともにいます。いつもです。終わりまで、永遠に共にいます。それで、良いではないでしょうか。復活なさった主がなさったみことばです。それで、あらゆる国の人々に行きなさい。神様がこの秘密を誰にでも教えてくださったのではありません。伝道がどれくらいすごいことか、詐欺師が知っていれば、大変なこと起こるはずです。伝道がどれくらい重要なのか、動機が多い教団と牧師に教えたら大変なことになるはずです。それで、イエス様は弟子に行って、こっそり話されたのです。伝道がどれくらい重要なのかを、比喩を使ってこっそり話されました。それがマタイの福音書13章です。イエス様は2つの戦略を使われました。それほど価値がない人々には、力も見せて奇跡も見せられたのですが、とても重要な話は弟子にだけなさいました。この話は弟子にされたのです。あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父と子と聖霊の名前でバプテスマを与えなさい。これらすべてのものを教えて守るようにしなさい。それとともに約束なさって、見よ。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。復活なさったキリストの立場と命令と約束です。今からあらゆる不信仰を捨ててしまうように願います。いろいろ心配なのです。その根が不信仰です。もしかして子どものことが心配になるのでしょうか? 夫、妻が心配になるのでしょうか? これから、自分の未来が心配になるのでしょうか? 心配しないで。わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。復活なさったキリストの言葉です。
 
・2番目です。復活以後の弟子です。確信を持ちました。そして、聖霊充満を受けたのです。今はすることが他のことではなくて、聖霊充満です。皆様は救われた方達であることが間違いないために、少しだけ聖霊充満してくださいと祈れば、皆様に驚くべき働きが行われるはずです。今日、錯覚から変えなければなりません。牧師、聖霊充満を受ければ断食せねばならないか? してもかまわなくて、しなくてもかまわないのです。立場どおりにできればして、できなければしてもかまわないのです。聖霊充満を受ければ、異言が出るのでしょうか? 出てきても良くて、出てこなくても良いのです。出てくればして、出て来なければしなければ良いのです。変に教える所が多いのですが、それはいけません。聖霊充満を受ければ、気絶するのでしょうか? してもかまわなくて、しなくてもかまわないのです。気絶したら、すればよいのです。気絶しないのに、目を異常にして倒れてないで。異言が出てくればしましょう。ところが、出てこないのを無理に舌を回して、おかしなことをしようとしないで。良い福音を持って、そのような詐欺を働くようにしないで。そのようなことが聖霊充満ではありません。聖霊充満は、神様の福音、神様の聖霊で充満するようになることを話します。もっと正確に話します。体験するのが正しいのでしょうか、正しくないのでしょうか? 二つとも正しいのです。肉体的に体験するのが良いのか、しないのが良いのか? 正確に言わば、しないほうがもっと良いのです。生かすのは霊であって、肉は無益です。
 
・聖書は、私たちが目に見えて、私たちの好きなように取り入れて、私達が好きなように、行ったり来たりしなさいということではありません。聖霊は皆様とともにおられる神様です。それで、それだけ記憶すればよいのです。皆様がもし福音を悟ったなら、一日に5分だけ聖霊充満してくださいと祈れば、あらゆる問題は解決し始めるはずです。その時から、皆様に力が生じます。その時から、5つの力が生じるということです。その時から霊力が生じます。その時から知恵も生じます。その時から、不思議に知恵が生まれるのです。不思議に健康も生じて、人もつきます。ですから経済も生じます。聖霊の中にみなあるのです。聖霊充満を受けた弟子の姿を見ましょう。使徒の働き3章です。金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい。皆様、聖霊充満を受けると、このような信仰が生じます。私たちを見なさい。金銀はない。私にあるものをあなたにあげよう。イエスの名前で歩きなさい。これは今、奇跡が問題ではないのです。ペテロの信仰です。
 
・皆様、今日この信仰を回復して行くように願います。大きくする必要はありません。私の家の霊的問題がイエスの名前で離れるように。多くするのでもありません。皆様の子どもを捕まえている、レムナントを倒す暗闇の勢力はイエスの名前で縛られるように。復活以後の弟子を見ましょう。使徒の働き4章です。法廷に立って、世界中でこの御名の他に救われるべき名としては、どのような名も、人間には与えられていないのです。使徒の働き5章を見ましょう。どんな試みが来てもかまわないのです。使徒の働き6章を見ましょう。行く所ごとに人を変化させ、使徒の働き7章ではいのちも恐れることはありません。これが復活以後の弟子の姿です。前とは違います。前はペテロがイエスを否認しました。なにか体験して、恐れがなくなったのです。皆様、これが重要です。皆様が救われたのに、なにかを正しく知らなければ、とても恐ろしくて不安です。皆様がこの 祝福を受けるようになれば、大胆になることができます。そして、今は神様が皆様と共におられるゆえに、力 が現れるようになっています。これが復活以後の弟子の姿です。今日、この祝福を必ず回復するようになることを願います。
 
・それから、復活以後の教会です。簡単にお話しします。復活以後の教会は、7つの祝福を受けました。五旬節にマルコのタラッパンに集まって祈っていて、復活以後に聖霊の力が現れ始めたのです。皆様、今日は福音 を捕まえたゆえに、つかまえて祈るように望みます。聖霊で私に働いてください。すると、力が現れます。人が防止できない火のような、風のようなみわざが起きました。その後のことは暗記しなくても良いのです。証拠がきます。証人運動です。皆様が今日、説教で聞いたことが全部、答えられます。みことば運動です。皆様をみつめて他の人が救われます。弟子運動です。皆様が行く職場、現場の暗闇が崩れて、現場が変化するみわざが起きます。現場運動です。静かに、静かに起きるのです。それで終わるのではありません。宣教運動です。そして、あらゆるエリートを生かす真の弟子運動が初代教会でみな起きたのです。復活以後に起きた神様の働きです。
 
・私は、むかしにこう考えました。私は伝道しなければならないのに、伝導体質ではない。本当にそれで、伝道するのが恥ずかしかったのです。私がどれだけ恥ずかしがり屋かというと、道を行くのに私の母と近所のおばさんが集ってなにかを食べているとしたら、そちらを過ぎれば自尊心が傷つきます。なぜならば、おとなが 食べている所を過ぎれば、もらいに行ったようで、自尊心が傷つけられて後から通って行きました。変に幼い時、そうでした。おかしな性格です。一度は、以前に話したように、夜になにかを食べるのに、私を起こさなかったのです。私にも自尊心があります。そのまま起きれば良いのに、起きなかったのです。私の母が起こせば良いのに、終わりまで起こさなかったのです。私がどれくらい性格が異常かというと、そのまま起きれば良いのに、目を起こす時まで待ったのです。終わりまで起こさず、自分たちの間でみな食べました。私が幼い時、涙が出ました。そのまま起きれば良いのに。私の性格がそうです。今でもそのような性格があります。もしお金が多い人が、金があるかのように自慢すると、その人に会おうとは行きません。詐欺師はそのような人を探していくでしょうが、私は自尊心が傷つくのです。その人がお金が多いために、私がなにをもらいに行くかのように見えるから行かないのです。
 
・釜山のある信徒が、私に電話をしました。先生は自信があって、確信もあって、祈りもよくなさるが、先生は、ちょっと私たちに近づいて来られない。先生の訪問を待っているのに、来ないので、ある人が寂しくなって教会にこないということでした。早くその家に行ってみてくださいということでした。むかしの話ですが、私が自尊心ゆえに行かなかったのです。私は祈りました。私が行けば、その人に事情を行って何かをせねばならなくて、行ってどうなのか? この自尊心が強いのです。それで、私がこういう話しをしました。私が心より行くべきで、執事が行ってあげてくださいと話して、その人を訪問したら、私が行って何と言わなければならないか? それで私が牧師の自尊心で行くことができないと言いました。私が祈ってみて、明日でも、あさって、あるいは一週間後にでも、いつでも私が心より行く。待ってくれと言いました。だから、この方がその翌日に来ました。このように、私の性格が私はなぜこうなのか? 伝道は出来ないと、いつもこのように考えたのです。
 
・ある日、それではないということを知りました。聖書をよく見ると、そうではなかったのです。聖書をよく見ると、神様の聖霊が救われた者と共にいらっしゃるのです。復活なさった主が、私たちに聖霊を贈り物としてくださったのです。これを受ければ、私には力が生じて、証拠が生まれます。これを見て、他の人が救われて、みことばを悟って、恵みを受けるようになっているのです。それで、私たちは世界宣教もして、いろいろな国に行って伝道もするのです。私は後ほど分かりました。私は体質が伝道体質だな。私が誤解したのでした。聖書にある伝道は、そのような伝道ではありません。今日から皆様が重要なことを回復しなければならないのです。聖書にある伝道は、いままで私達が知っていた、そのようなことが伝道ではありません。天と地の権威を持った方が、皆様と共におられると言われました。その契約を捕まえて祈れば、皆様が力を受けて、証拠をもらいます。それで、皆様の事業も生かして、他の人も生かすことができるのです。それが初代教会です。後ほど分かってみると、このように良いことを、私たちは違うように知っていたのです。皆様が職場に行って、人々をどのように伝道せねばならないのか、そのような心配をしなくてもかまわないのです。皆様が恵みを受けて祈っていれば、自然に働きが起きるので、伝道される人々が生まれます。私達が伝道キャンプに行って、宣教して行くことは他の次元ですが、皆様の周囲ではそうです。今日、復活なさったキリストがなさったメッセージを必ず捕まえてくださることを願います。復活した以後に、初代教会の信徒たちが聖霊充満を受けて、起きた力を見るように願います。その人々が集まった所が教会です。教会で7つの祝福の驚くべき祝福がおきました。今日、必ず回復するように願います。
 
・未信者が解決せねばならない部分を知らなくて、ずっと努力するから、救いの秘密を知らないから困難にあるのです。私たち信者が、ほとんどみな霊的な部分を知らないから、ずっと信仰生活しても困難にあうのです。 私達が福音と伝道の秘密を知らずにいるから、ずっと失敗するようになるのです。今日、皆様にこれが祝福ならば、私たちはいくつかのことを必ず記憶しなければなりません。私たちは高慢でなくて、私たちのレムナントとあらゆる学生達が、最高に挑戦することを願います。私は成功するのが目的ではありません。しかし、多くの未信者の前に証しするために、私たちは成功もしなければならないのです。それを置いて、あなたがたは最善を尽くせば良いのです。より重要なことは、最後のことです。皆様の立場と現実と時刻表にちょうど合うように適合した選択をすれば、答えはずっと起きるようになります。今日、復活の祝福が皆様にあることを願います。復活以後に、弟子に起きた祝福があることを願います。復活以後に教会に起きた祝福があることを主の名前で祝福します。
 
・私達がすぐにメッセージを受けて、どのように信仰生活をしなければならないかと悩むのです。一例をあげます。私が知っている長老一人が、執事の時、福音を正しく悟りました。この方が、家に帰っても祈って、職場でも必ず時間を定めて定刻で祈ったのです。不思議な事が行われました。会社のなかで伝道をしたのではなくて、人々がどんどんきて尋ねるのです。本当に不思議です。それまで自分と対話もしていなかった人々が、私にはこういう事があると尋ねたのです。この人が答を与えたのです。それが伝道ではないでしょうか。ですから、どんどんきて尋ねるということです。それで、この人たちを集めて、毎週、毎日、説明をしたのです。それがタラッパンです。これがますます広がりながら、多くの人々が答えを受けるようになりました。それが皆様、弟子訓練です。昇進、こういうことは問題になりません。神様の驚くべき祝福の門が既に起きたゆえに、簡単になるのです。
 
・私たち国家に重要な方達であるゆえに、私が名前を話すことはできません。韓国でとても重要な部分に一番高い人が、自分の家に問題がきました。ところが、私たちメンバー一名がテープを渡したのです。それで、この人がテープを聞いて、恵みを受けて、自分の家族が皆イエスを受け入れるようになったのです。立場がどのように変わったか、今はこの人を呼んで、この高い人がメッセージをずっと聞くのです。どのようになるのでしょうか? 昇進が心配になるでしょうか? そのような心配をしなくても良いのです。この高い人が他の人にこっそりと、どんどん引き上げてやろうと努めるのです。クリスチャンは、何にも心配する必要がありません。福音を持ったあなたがたは、何にも心配する必要はありません。私は知っています。皆様ゆえに会社の霊的問題が解決するはずです。皆様が、この契約を捕まえて祈るならば、間違いありません。皆様の家庭に、職場に、霊的問題が解決する開始がおきるはずです。間違いありません。そのまま皆様が行っているだけでも、みわざが起きます。この祝福を皆様が回復するように願います。これがクリスチャンです。皆様、クリスチャンは事実、格好良いのです。皆様、ゆえに会社が生かされるのです。
 
・ある人がこう話しました。いや私の家の中で、あれがイエスを信じてから私の家の中に問題がきた、そのような人がいます。いや私たちの娘がイエスを信じてから、私の家に問題がきた、こういう話しを聞いたことがあります。とんでもないことばです。この人がイエスを信じたのではなく、教会堂に通ったのです。すると、問題が来ます。この人が本当にイエスを信じれば、この人とこの人の家庭に光が照らすのです。ある人は、あの人は教会の役員なのに、私たちの会社で不思議に問題が多いとする話をたまに聞くことがあります。そうではありません。その人がイエスを本当に信じていないからです。本当に信じれば、その人ゆえに会社の中に光が照らすのです。それゆえにあなたがたを呼んだとIペテロ2:9に確かにおっしゃいました。今日、皆様がこの祝福を回復する貴重な日になることを願います。
 
・みことばを要約します。要約する前にお願いします。これは私の話ではありません。皆様が私の話を聞きに、ここに来たとすれば、本当に無駄足です。皆様は永遠なキリスト、神様の重要なみことばを聞きにいらっしゃったのです。このようにおっしゃられました。一言でこれを要約できます。天と地のあらゆる権威を持ったキリストが、このようにおっしゃられるのです。聖霊充満を受けなさい。すると、この福音を持って祈れば、聖霊充満を受けるはずです。すると証拠がくるはずです。単なる証拠ではなくて、力の証拠がくるはずです。その次には証人になるはずです。地の果てまで証人になるはずです。皆様ゆえにすべてが生かされる祝福あることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、この契約を堅く捕まえる時間になるようにしてください。天と地の権威を持たれたキリストを知ったこの方達に聖霊のみわざが起きるようにしてください。それで、初代教会の祝福が回復する証人になるようにしてください。これから、この信徒達ゆえに、会社が生かされるようにして、国家が生かされるようにしてください。この方たちの家系が生かされるようにしてください。当然になされる祝福を、今から味わうようにしてください。今、みことばを聞くこの時間に聖霊充満を与えてください。今日、礼拝するあらゆる方達、家庭、職場、現場に聖霊のみわざが起きるようにしてください。目に見えない聖霊が、今日、この時間にこの方達を完全に治めてくださり、病んだ部分をいやしてください。それで証人になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン