2004年7月11日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 福音の種
(ルカ8:1〜8)
        
■いままでで最高の指導者、ダビデ王はこういうことを話しました。 '獅子が飢えても、主を求める者は全てに足りないことはない' と言いました。今まで最も大きい実を与えられた王がダビデです。もし父母が私を捨てても、主は私を捨てないと言いました。私たちインマヌエルの家族、衛星で礼拝して、インターネットでみことばを受ける所に、このダビデが受けた祝福があることを願います。
■ 京畿道であったことだということです。牧師たちが集まって、言わば老会の集いをするなかで、なぜ特別にタラッパンは通いながら伝道をするのか。しないように、集まれないように、できないようにさせようと、ある方が強力に主張したということです。それで、できないようにする決議をしたということです。私たちは、そのようなことに関心もなくて、知らずにいました。私たちは熱心に、大学に、中高等学校に、全世界に福音を伝えています。そのようなある日、普段でも異常だったのですが、子どもが精神が異常になったのです。まさに、その話しをした牧師の娘でした。この牧師が娘ゆえに心配し続けました。そのようなある日、また、おかしな事が起こったのです。突然、娘が笑うこともしなかったのに、笑い始めたのです。突然に娘が恵みを受けて、祈りし始めたのです。両親が見ても、この子が癒され始めたのです。それで、娘に尋ねたのです。突然に、このように癒されて、変わるのか。その娘が、両親に話したということです。一ケ月前から、学校でタラッパンを始めたと言いました。この時、父親が衝撃を受けたのです。なんの理由もなくタラッパンに伝道運動をするなと反対運動を始めたのに、娘が癒され始めたのです。その次の老会では、その方が絶対に話さなかったということです。
■ 私が知っている牧師一人は、私にこういう話をしました。とてもおかしなことに、孫が生まれたのに、異常だということでした。その子が自閉症のようで、精神が異常なようだと言いました。それとともに、とても悩むのを聞きました。あなたがたもおわかりの通り、若い人々はよく知らないでしょうが、年を取った人は、孫がものすごくかわいいのです。体験をしてみたら分かるのですが、どれだけかわいいか、息子、娘が一度思い出すならば、孫は十回思い出します。それくらいの差があると見てもよいでしょう。こういう孫が異常になったから、どれくらい苦しいでしょうか。
■ 私たちは、世の中を生きながら、想像もできないことがおきることがあります。皆様がこの福音を受ければ、私達が知らないで変わる部分もあります。この福音を受けるようになれば、未信者が知らない霊的な変化がおきるようになります。この福音を受けるようになれば、私達が分かる程に変わる部分もあります。その価値を知っていなければならないのです。今日の本文に重要な言葉が現れました。今日、皆様がこの祝福を受けなければならないのです。
■ 今日の1節を見ると、 '神様の国'と言われています。ルカ8:1 " その後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした。", 使徒 1:3にも "〜 四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り" , 伝道を一番良くしたパウロも、使徒19章を見れば "〜 大胆に語り、神の国について論じて" とされています。ものすごく重要な話です。
■ 皆様の家系に来る霊的な問題は、防止することができません。政治の指導者にお願いします。国と国際間に来るおかしな問題は、防ぐ道がありません。大統領になる前には大丈夫だったのに、なった後には霊的な問題がずっとくるのです。なぜそうなのかを知りません。お金を儲ける前には知らなかったのに、お金をたくさんもうけたら、突然におかしな問題がくるのです。
■ それで、聖書で最も重要な単語が何でしょうか? 神様の国です。バプテスマのヨハネが先ず一番に何と話したでしょうか? "悔い改めしなさい、神の国が近づいたから". 悔い改めなさい。神様の国が近くきたということです。主の祈りを祈る時, "御国が臨みますように" と言います。普通の重要な話ではありません。皆様の家に神様の国が臨まない以上、運命、呪い、災いは変わることができないのです。
■ 私ははっきりと話すことができます。神様の国。神様の国が皆様に臨むことなしでは、運命が変わりません。なぜでしょうか? 国、国籍がどれくらい重要でしょうか。私達が外国に行けば、必ず尋ねられます。国籍です。これがどれくらい重要でしょうか。私たちには霊的な国籍が別にあります。これを悟った人であってこそ、天国に行くのです。神様の国です。とても重要な話です。ものすごく重要なので、イエス様が四十日間、説明なさいました。この話を悟れば、その時からみわざが起きます。皆様の事業に神様の国、皆様の家庭に神様の国が臨むことを願います。
■ 私たちは、今まで福音を半分だけ伝えたのです。死んで天国に行くという話し、それも正しい話です。それは正確に話して、正しいのではありません。神様の国がまず臨まなければならないのです。それでこそ、その人が天国に行くのです。携帯電話だけ買えば良いのではなく、携帯電話の内に入力されてこそ通話できるのです。そのように使ってこそ、国内外で電話ができるので、携帯電話を買ったからできるのではありません。私に神様の国が臨めば、後ほど天国も行くことができるのです。私に神様の国が臨めば、天の祝福が降り注ぐのです。それゆえに神様がキリストを送られたのです。イエスの名を呼ぶ所に神様の国が臨むことを、本当に主の御名でお祈りします。
■ 間違いありません。これを悟ってから、献身をして、犠牲もして、宣教も行って、献金もできます。この価値を発見することができなかったのに、どのようにするのでしょうか。それで、イエス様が犬や豚には真珠を与えるなとおっしゃったのです。皆様、犬に真珠を与えれば分かるでしょうか? 豚にダイアモンドを与えれば、分かるでしょうか? 豚には、餌を与えるべきで、何でダイアモンドを与えるのでしょうか。その話は、福音も悟っていない人に、この話、あの話を分かるだろうかということです。
■ イエス様が、ニコデモにこう話されました。わたしが今、この世の事を話せばわかるだろうか? まして、天の事がわかるだろうか? イエス様がテモテにされた話です。私達がこの福音をすべて説明しようとするなら、本物の天を紙にして、海水を墨汁にしても、みな話すことはできない。それで、ヨハン・カルヴィンは、こういうことを話しました。信じられるけれど説明出来ない。本当に信じられるのに、みな理解することができない。ものすごいのです。神様の国です。皆様が行く所ごとに、何の祈りをするのでしょうか? 祈りの課題が何でしょうか? 行く所ごとに最も重要なことは、神様の国です。飛行機に乗ったり、船に乗ったり、重要なことに乗る時、先ず一番にしなければならないことが何でしょうか? 神様の国です。皆様の家族、子どものために祈る時、先ず一番に何の祈りをしなければならないのでしょうか? 神様の国です。
■イエス様が確かにおっしゃられました。聖霊が臨めば、神様の国が臨む。またイエス様が四十日間、神様の 国を説明なさって、聖霊が臨めば証人なります。これが普通の祝福ではありません。今日の本文に現れた祝福です。
■ 2節に現れた2番目の祝福です。 "また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ" . 福音を悟った皆様が祈る時ごとに、悪霊が追い出されるという事実を記憶しなければなりません。聖書には、そのようになっています。マルコ3:15には "悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。”と言われています。多くの神学者が、この部分に魅力を感じることができないのですが、韓国には数十万人のムダン(霊媒師)が今、悪霊につかれています。科学者は、悪霊の話をよくしませんし、水準が高い人は、こういう話をよくしません。しかし、米国のニューエイジ運動は、悪霊につかれた者の運動です。皆様が信じようが、信じまいが、事実です。韓国のあらゆる神学者が反対しても事実です。イエス様は、このようにおっしゃられました。悪霊を追い出さないで、サタンを縛らなくては、家族を救うことができないと言われました。マタイ12章で、そのようにおっしゃられました。マタイ12:29〜30を見れば、あなたがこの話を悟れないならば、神様と関係がないと言われました。私はその話しが正しいと考えます。イエス様が失敗されなかったと私は確信します。私が確認した結果、そうです。
■ イエス様は、最後にもこのようにおっしゃられました。すべての民に行きなさい。わたしの名で悪霊を追い出せとおっしゃられたのです。すると、イエス様が失敗なさったということでしょうか? 使徒8:4〜8に見ると、中風病者、偶像崇拝した者が、悪霊が離れたら、重病もよくなったと記録されています。マタイ8:15〜17を見ると、病気の者がイエス様に会ってよくなったのに、その中で悪霊につかれた者がよくなったという記録が確かにあります。使徒13章に、ムダン(霊媒師)文化が出てきて、使徒16章に占いの文化が出てきます。使徒19章には、偶像、迷信文化が出てきます。今がその時より、もっと多くて、よりひどいと考えます。私たちは嘘をついたり、嘘を信じたりしてはなりません。また私たちは、どんなに立派でも、違ったことを持っていたり、違ったことを信じてはだめです。イエスが現れて、神様の国が臨みました。イエスが現れて、あらゆる悪霊が離れました。確かに聖書には、そのように記録されています。
■ 今日の3節には、病気を直していただいたと書かれています。今日、皆様は癒されるようになることを願います。すべての病気が、悪霊につかれたことでしょうか? その話ではありません。聖書に、悪霊がはいって病んだ人を説明しているのですが、あらゆる病気がみなそうだと話しているのではありません。しかし、確かに悪霊につかれて病んだ人もあることを聖書では記録しています。ところが、私が知っていることでは、多いと考えられるのです。また、こういう人々は、医者を訪ねても解決ができないと知っています。薬や病院の助けで臨時的には治療ができるかもしれないのですが、本当に治療はできないと知っています。イエス様に会うから、神様の国が臨んで、悪霊が離れて、病気がいやされたのです。
■ 3節を見ると、自分の所有をみな売って、福音運動したということです。経済的な祝福があふれ出たのです。私はそのように聖書で確認できて、これからも、そのように信じます。それで、恐れることも、恐ろしいこともありません。皆様は、神様の国が臨んだ神様の子どもであるゆえに、恐れることもありません。だから、この福音を悟りなさいということです。私たちが知っているのに、なにをそう言うのか? と言うでしょう。知っているのでしょうか? イエス様の頭上に香油を注いだら、弟子が言った話が、怒りながら、狂ったことをするのか? それを売って救済する費用にすれば、どれくらい多くの人を救えるか、それを捨てるのか? でした。イエス様は、このように答えられたのです。福音が伝えられる所ごとに、この女のした事が記念になるだろうと言われました。この女は、最も良い事をしたのです。弟子が福音を知っていたのでしょうか? イエス様が、パリサイ人の家に行った時、その女が香油を注いだ事が、先週に出てきました。人は水準通りに話します。この人は、すこし習った人なのか、習った通り失敗します。あなたを見て、うわさ通りの正しい預言者ではないな、この女が入って女が頭になにかを注いで、足を拭くのに、これが話が道理に合うのかと言いました。この 人は福音の近くにも行くことができなかった人です。
■ イエス様が、苦しくこのように説明されました。借金をたくさんした人が赦されたことと、借金をすこししかしていない人が赦されたことの中で、どちら側が感謝だろうか? 女がまさにそうだ。あまりにも多くのことを許されて、うれしくて、そうだということではないのか? 正答も話されませんでした。弟子でもないからです。弟子には正答を話されました。最も良い事をしたと言われました。皆様がこの福音を本当に知って、捕まえるならば、今日そのまま働きが起きるようになるはずです。
■ 私は皆様に尋ねたいのです。これよりもっと重要なことがあるのでしょうか? 皆様の事業に、皆様の家庭に、神様の国が臨むことより重要なことがあるかということです。大韓民国の大統領府に、米国ホワイトハウスに最も大きい祝福が、神様の国が臨むことではないでしょうか? 私たち人々は知らなくて、知識人も知らないのですが、暗闇の力、悪霊文化が掌握しています。ここから抜け出すことが重要です。そうしてこそ、病気も正しく、健康も、経済も正しくなります。どれくらい大きい祝福でしょうか。この話がわかった人は、良い 地にまかれた種のように、30倍、60倍、100倍に実を結びます。正確に話せば、三億、六十億、百億の実を結ぶと言われなければならないのですが、その時の水準によっておっしゃったのでした。
■ ニューギニア地方は、ひとつ、ふたつ、みっつしか知りません。4個は頭が混乱するために、多いと言います。もしイエス様がそこに行かれたら、本当に良い地に落ちれば、一倍、二倍、三倍の実を結ぶと言われたでしょう。その時の状況によって説明されたのです。イスラエル人には、目を聞いて山を見ろと言われたのですが、それはイスラエルに山が多いためです。中央アジアとかロシアには山がありません。イエス様がそこで説明をされたなら、目をあげて、平地を見ろとおっしゃったでしょう。この30倍、60倍、100倍ということは、その当時には、ものすごい話なのです。
■ からし種は小さいのですが、地に落ちれば木となります。皆様、からし種を見たことがありますか? からし種を入れてコーティングして贈り物としてもらいました。まさに点ひとつでした。これが地に落ちれば、木となります。イエス様が、福音を説明しながら、そのように言われました。パン種は、目に見えないようですが、これが入っていって、小麦粉全体をふくらませるように、福音が正しく入っていけば、皆様の家系、あらゆる家族、みな広まります。それで、死んだ地ではなく、良い地に落ちたら、そのような実を結ぶと言われたのです。
■ 良い地に落ちて実を結ぶということは、何の話でしょうか? 軍人一名が本当に福音を理解しました。それで、自然に弟子を立てて、除隊して出てきたのです。ところが、残っている軍人が本当に福音を理解しました。みわざが起き始めました。それが引続き起きたのが、ナビゲーターの運動です。
■ 韓国にトーマスという宣教師が先ず一番に入りました。その当時は無知で、大院君が外国から入るのをみな防止したのです。トーマス宣教師が入って捕えられました。韓国に入ったという理由でトーマス宣教師を殺したのです。それで、首切り役人が、剣で首を飛ばしました。韓国にきたという理由です。どれくらい無知だったでしょうか。なぜ来たのかとたずねられた時、宣教しようときたと言ったところ、お前が宣教しようときたのかと言いながら、スパイだと死刑宣告を下しました。おかしなことに、首切り役人の息子が韓国で初めて洗礼を受けたということです。トーマス宣教師が死ぬ前に述べた言葉があります。私は死んでも良い。しかし、これはこのようにしてくれと言いながら、小さい聖書を与えたのです。それが韓国を今、このようにさせたのです。本当に福音は死んでもみわざが起きるのです。
■ 町中でけんかをして、町中に問題を起こした青年が人の家に被害もおよぼしていました。ある教会の有名でない長老一人が、農作業をして畑の小屋に入ってみたら、その青年が寝ていたのです。この長老がその青年に出て行けと言わずに、目をさまさせたのです。みな嫌う青年なのに、この長老がご飯も与えました。そして、果物も分けてやったのです。だから、この青年が長老に向かって心の門を開いたのでした。この長老がたとえ 小さい教会の農夫のように見えたのですが、福音を持った長老でした。この長老がそのチンピラに福音を伝えたのです。チンピラの中に福音が入っていったのです。そして、自分も知らずに変化し始めたのです。その人が、私たち韓国を変えたキム・イクドゥ牧師でした。
■ この福音の力がどれくらい大きいか分かりません。皆様がこの短い時間に、正しく契約を捕まえるならば、 間違いなく、今日、このみわざが、神様の国が起きるようになるはずです。すこし有識に表現するなら、皆様 の家系の暗闇の力がみな逃げるはずです。真の霊的、肉的、健康が回復するはずです。真の文化と経済が回復 するはずです。
■ それで、良い地に落ちた種です。私は本当に不思議です。どんなに信仰生活を熱心にしてもだめでした。私がそんなに頭が悪い者でもないのに、だめだったのです。私は幼い時から他に失敗をしなかったのに、だめになったのです。私は率直に告白するのですが、信仰生活をすればするほど難しくなったのです。私は教会生活がどれくらい難しかったか分かりません。それで、賛美歌の中で一番恵まれたのが, '十字架の重荷のような苦労だ', ということが一番恵みになりました。ある日、少しですが、かすめた瞬間に福音を知ったのです。その時から今まで、じわじわと答えがきます。福音は完璧です。今になって、答えられすぎているのではと思うほど、福音が良いのです。他の人が嫌われても、福音が良いのです。ところが、知ってみたら、聖書にそのようになっていました。私は私が失敗しているのかと思っていました。ところが、パウロがこう話しました。福音の中にはあらゆる知識、あらゆる宝、あらゆる知恵が隠してある。それで、私は失敗しているのではないということを知るようになったのです。福音を恥とは思わないのは、あらゆる信じる者に救いを下さる力だと。Iコリント1:18に, '十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。' 私は今日、皆様がこの祝福を必ず受けるようになることを願います。
■ イエス様があまりに分からずにいるので、たとえを言われました。ある農夫が種をまきにでかけた。知らずに道にばら撒きました。だから鳥がくわえて行くのではないか。この頃の話しでは、車道に蒔かれたら、車が通って行くはずだということです。この農夫が失敗して岩の畑にばら撒きました。そこは、根をおろすことができません。そして、農夫が知らずに、いばらの道にばら撒きました。すこし育ったかの様に見えたのですが、とげが押さえるので大きくなれるでしょうか。それとともに、イエス様が説明されました。道ばたに落ちたのは、悪魔がきて彼らを救われないように奪っていく、ルカ8:12になっています。今日、皆様が本当に神様のみことばを悟れば成功するので、悪魔は奪おうとするはずです。これは私の話ではなく、ルカ8:12でイエス様が直接、説明されたことです。
■ それで一番重要な日がいつでしょうか?礼拝する日です。私たちの一般信徒には、すこし申し訳ないのです。私が実際には、あなたがたのために祈る時、一名一名を祈ることができません。しかし、長老と役員は、顔を考えながら、いつも祈ります。なぜでしょうか?この方達が祝福を受けてこそ、あなたがたが生かされるのです。それでこそ、教会が生かされます。それでこそ、世界福音化になります。どれくらい重要でしょうか? 私たち役員は、働きも重要ですが、教会で祝福を受けて、恵みを受けなければならないのです。手段と方法を選ばず、この悪魔は皆様の中に入っていくみことばを奪うのです。
■ 今日、聖書にイエス様がそのようにおっしゃられました。私を拝めと、悪魔が言った言葉です。皆様が神様を礼拝することを正しくできなくさせるのです。私は皆様に率直に告白できます。私は礼拝を回復しながら、あらゆる祝福を回復しました。説教準備も、皆様に説教するつもりで準備しませんでした。神様が私に与えられた恵み、これで私はお手伝いするのです。私の説明は、必要なくて、世の中の知識が必要なのではなくて、神様のみことばが伝えられるように説明するのです。むかしにはそのようにせずに、哲学者の誰かがなんの話をしたということを話したりしました。私もむかしには、有識な時は多くしたのですが、いまは無知になってしなくなりました。お手伝いだけするようにしています。神様の民に神様が与えられる祝福をお手伝いだけするようにしたのです。祈ることは悪魔が皆様の祝福を奪って行かないように、みことばを奪わないようにさせなければならないのです。本当に祝福の日になることを願います。
■ イエス様が、そのような説明を直接なさいました。救われないようにするために、みことばをその心から奪うとなっています。 ルカ8:12にその心から奪うと書かれています。耳では聞くのですが、胸の中に入っていかないようにさせるのです。神様のみことばを心に込めなければならないのに、そこにあるみことばを奪っていってしまうということです。教会の色々なことゆえに、みことばが心に入らないようにします。これがサタンの戦略です。 ■ なぜ、みことばを受けられないのでしょうか? 岩の上に植えたということは、聞く時、喜んで受けるのですが、根がなくて、しばらくしてから、試練を受ける時に倒れると言われました。説明が出てきています。私達が生きていく間に、試練はないでしょうか? 人生を生きていく間、大きい人物は大きい試練があって、小さな人物は小さな試練があります。この多くの方達がどのように大小の試練がないでしょうか。どのように先に立って働く教役者や長老は、苦労を多くするのに、どのように試練がないでしょうか? こういうことを通じて、みことばを奪っていくのです。
■ 今日、イエス様がそのように説明されました。14節に、いばらの中に落ちたということは、みことばを聞いても、この世の心づかいや、富や、快楽にふさがって死んだと言われました。牧師は、世の中を知らないのですが、世の中がどれくらい難しいでしょうか? 正しい話です。それで、世の中の心配に捕われて、みことばをよく聞けないのです。今日、2部礼拝で説明しますが、聖書には何にも心配するなと言われています。私たちは心配に捕われて、みことばが入らないのです。神様が未信者も祝福されるのに、信徒を静かに置いておかれるでしょうか? 神様が雀も食べさせられるのに、私達が雀よりだめでしょうか? 皆様がどんなに足りなくても、雀よりは高いのです。神様が野の草も養われるのに、まして私たちを。皆様がどんなに価値なくても、白菜よりは高いのです。心配する必要がないのですが、ここに捕われて信仰が成長しないのです。このように陥らないように願います。今日、本当に今まで受けた祝福の中で最高の祝福の日になることを願います。
■ 良い地に落ちた種とは、正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのですと言われました。良い心です。子ども達のように、正しい良い心です。お母さんが私を守ってくれるはずだと信じる良い心。そのような信仰の胸の中に神様の福音が落ちるので、30倍、60倍、100倍の実を結びました。
■ 私はある証しの集会に行って恵みを受けたことがあります。講師が執事でした。女執事が講師なのかと考えたのですが、後ほど分かりました。最高に恵みを受けたのです。女執事がノートを持ち出したのですが、三年間、牧師の説教のタイトルと内容、祈って受けた答えが書かれていました。牧師たちも驚いたのです。私たちの牧師の説教を普通にするでしょう。私はそれを見ながら、説教を用心してしなければならないと考えました。あんな信徒がいるんだな。だから、成功した牧師は説教が違います。説教を準備して良くするという問題ではありません。ペテロが '私にあるものをあなたにあげよう' と言いました。使徒2章にも、神様の重要な時刻表を説明しました。私たちは今日、この祝福の日に、これから礼拝する時ごとに、神様の祝福を受けるように願います。どんな姿勢でということでしょうか。
■ ルカ18章を見ると、悪い裁判長に未亡人がきて、度々話します。この方が裁判を違うようにしたのか、度々 話すのです。この裁判官に悩みが生じました。この女に力があるのでもないのに、裁判官に悩みが生じたのです。この女が経済力がたいした女でもないのに、裁判官に悩みが生じました。なぜでしょうか?印象を見ると、絶対にあきらめない女です。裁判官に悩みが生じました。それで正しくしてくれたという話です。より重要なことは、それではありません。ずっと無理にしてくれと言ってしてもらえるでしょうか? より重要なことは、それではないのです。裁判権を持った裁判官です。そこに行って話したのです。皆様が祈りのお願いをする時は、ハン牧師を訪ねれば良いのですが、裁判事でハン牧師を訪ねて話して良いでしょうか?
■ 私達が今日、答えられる方、神様に祈らなければなりません。皆様、バルテマイを見ましょう。単に答えを受けたのではありません。大声を出して、ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください。本当に重要な時刻表、この時間がどれくらい重要でしょうか。この時間、のがさないようにしよう、私をあわれんでくださいと言いました。弟子たちが静かにしろと話しました。より一層、大声を出したのです。より重要なことは、こう話しました。ダビデの子、イエスよ。より重要なことは、私をあわれんでください。受けるに値する資格が私たちにあるのでしょうか? あわれんでください。祈りの答えを受けざるをえません。
■ 皆様、百人隊長の信仰を見ましょう。わたしがあなたの家に行って召使いを直そうと言われました。その時、百人隊長がこう話したのです。いらっしゃる必要もありません。命令だけしてください。私も百人隊長だが、命令だけおろせば部下がします。そのように命令だけくださいと言いました。イエス様が何とおっしゃったでしょうか。私はイスラエルに、これほどの信仰を持った者は初めて見た。あなたの信仰通りになるように。みことばだけ聞いても、あらゆる問題が解決できます。皆様が聖日の礼拝をささげて、このみことばだけを持っても、いくらでもあらゆる問題が解決できます。今日、皆様が信仰を持って祈り始めるならば、あらゆる問題は解決するはずです。
■ カナンの女がイエス様を訪ねました。異邦人の女がなぜきたのでしょうか? 主人がパンを自分の子に与え、 犬に与えるのを見たのか? これはいかに侮辱的な話でしょうか。ところが、この女が何と答えたでしょうか。イエス様を感動させたのです。犬も主人の皿から落ちたパンくずを食べないでしょうか。イエス様が驚かれました。あなたの信仰の通りになるように。聖日ごとに礼拝をささげる私達の気持ちです。中風病者を連れてきたのに、ふさがってしまいました。全くありえない事に、屋根を破って下ろしたのです。皆様が祈りの答えを受けるために、人の家の屋根を壊しなさいという話ではありません。祈りの答えを受けるために無理なことをしなさいということではありません。しかし、決定的な神様の契約を捕まえた人が、その程度までしたということです。だから、イエス様があなた達の信仰を見て、中風病者を直したと言われました。長血の女がきて、イエス様のすそだけ捕まえても、自分に力がくるはずだと言いました。
■ 皆様、正確な信仰は、イエスの名前だけ呼んでも働きが起きるはずです。私はそのように確信します。聖書にそのようになっています。今日、皆様は本当に祝福を受ける日になることを主イエスの名前でお祈りします。
■ 私たちは、今から明らかな祈りの課題を持って始めるべきです。これから、私たちの教会に多くの世界的な学生達がくるはずです。間違いありません。祈りましょう。これから教会が更新しなければなりません。本格的に祈りましょう。5千名、1万名が泊まることができるユースホステルを建てましょう。全国、世界の学生、人材がきて、私たちの教会で礼拝できるように作りましょう。そして、これからは正しく本当に学生達の文化、礼拝が正しくできる教会を建てましょう。答えは誰がなさるのでしょうか。神様がなさいます。私たちは裁判官に裁判を正しくしてくださいと言わなければならず、商人に話して良いでしょうか。チェ・ジョンハン長老が判事であるから、チェ長老に大目に見てくださいと言うべきで、道を行く人に大目に見てくださいと言っても、それはどんなに話しても効果がありません。判事に行って、あわれんでもらい、不法ではなくて、法律の限度内で大目に見てもらえるのです。ある方が話すのに、あまりにかわいそうな人々がきたので、裁判をしたら、ひどくすることもできず、大目に見てあげることもあるのです。ある方がそう言いました。あまりにかわいそうな人がきたので、その裁判をするときに、裁判をひどくする事もでき、ちょっと大目に見てあげる可能性もあると言いました。あまりにかわいそうな人ならば、その人をちょっと大目に見てあげようという気がしたということです。それは法の限度内で裁判官の勝手です。それで、その日、裁判を8人したのに、この人たち8人をみな大目に見てあげたということです。そのような場合もあります。もちろん、大目に見てあげても、法の限度内でしたのです。そのようなことは誰でもすることではありません。引き受けた人がすることです。
■ 私達がだれに祈りをするのでしょうか? 私たちに経済を与えることができる神様。私たちのいのちを延長できる神様。私たちをキリストによって呼んで救われた救いの主なる神様が、私たちに答えられることができるのです。それで今日から、教会に来たら、単に祈るのではなく、バルテマイのように祈りましょう。この裁判官を訪ねて終わりまで訴えた人のように祈りましょう。人の子がくる時に、信仰を見ることができるだろうかと質問されました。信じる者を見るかと言われず、信仰が見られるだろうかと言われたのです。信じる者は 多いのです。長血になった女のように、私がイエス様の服だけ捕まえても生かされるはずです。皆様、神様には不可能がありません。大きい体験を開始するように願います。神様の祝福を受けるように願います。私たちのあらゆる役員と、私たちの産業人の上に、神様の祝福があふれることをイエスの名前でお祈りします。今日、みことばを受けたあらゆる聖徒達に祝福があることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様、今日、本当に祝福の日になるようにしてください。正しい福音を持って礼拝する日になるようにしてください。まさに今日、良い地に落ちた種のように、実を結ぶ祝福の人々に変化くださったことを感謝申し上げます。バルテマイのように祈るようにさせてください。長血の女のように祈るようにさせてください。それで、百人隊長のように信仰を持つようにさせてください。それで今日、答えを受ける、目に見えない大きい祝福を 受ける日になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 羊の群れの羊飼い
(詩77:1〜12)
■ 20節に 'あなたは、ご自分の民を、モーセとアロンの手によって、羊の群れのように導かれました' 神様は 私たちの羊の群れの羊飼いと言われます。今日の1部では、福音を知る時に起きる重要な4つのことを見ました。間違いなく、そのようなことが行われます。本当に良い地に落ちた種のように、心にみことばを受ければ、これから、そのような答えを受けるようになるはずです。もし皆様 今すぐに答えがなくても、確かに答えがくるはずです。個人の状態によって答えが違うことはあるのですが、神様の約束はまちがいなくなされます。
■ 詩編 77篇は、ものすごい苦しみの中で話す詩です。ところが、結論は主の民を群れの羊のようにモーセとアロンの手で導かれるとなっています。それなら、一週間を迎えながら、しなければならない事があります。 私たちは祈れば良いのに、実際には心配をなくすことができないのです。私たちはどんなに心配をしたくなくても、心配が生まれます。また私たちは気落ちしないようにすべきと思っても、気落ちすることが生じます。否認することができないのです。私たちは葛藤をしてはならないのに、葛藤しないでいられません。それが人間で、私たちの現実です。ある人は過ぎたことを心配して、ある人はこれから迫ることを心配します。全く同じ家族として暮らして、同じ教会で暮らして、職場にあっても、私達が心が合わないで、葛藤が生じることもあります。全く同じなようで、考えが違うことがあります。ある人は、あまりにも生き方が違います。ある人は、目標が違います。これだから葛藤が生じるのです。私たちは教会に通いながら、気落ちすることが生じることもあります。それで多くの教役者と役員は、こういう部分を置いて祈らなければなりません。聖徒たちが、教会にきて気落ちしてはならないので、教会にきて力を得るように手助けしなければならないから、その部分に気を付けなければなりません。私たち学生達も子ども達が教会にきて気落ちすれば対策がありません。外で困難を受ける人が教会にきて気落ちすれば、これ以上することがありません。それで、そのような部分を常に 考えなければならないのです。主のしもべは、そのようなことをいつも考えながら祈らなければなりません。しかし、皆様に道がひとつあるのです。
■ どんなにがっかりして、困難を受けている人も大丈夫な道がひとつあります。詩篇全体に流れる内容なのですが、祈ることです。皆様、2部礼拝にこの契約を捕まえて行くように願います。まちがいなく働かれる神様は、私達が福音だけ正確に持っているならば、祈れば良いのです。あるいは私が滅びてしまっても、祈れば良いのです。今日の20節を見ると、モーセとアロンの手で導かれたと言われています。皆様は今から心配があっても、心配しなくても良いのです。今は契約を握って祈りだけすれば良いのです。なぜなら、契約の人に、神様は証拠をくださるためです。それで、今週からしてみるように願います。神様は、老人モーセにいらっしゃって、こうおっしゃられました。わたしはあなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの神様だと言われました。その話を皆知っているでしょうか? それとともに出エジプト記3章を見ると、あなたの民族を引き出すとおっしゃいました。その時、モーセが出来ないと話したのです。その時、神様がわたしがあなたとともにいるとおっしゃいました。心配する必要がありません。ヨシュア1:1〜9を見れば、強くあれ、雄々しくあれ、恐れてはならない、おののくなとずっと話されます。それは、私達が行く道に、恐れて心配することが生じるということです。そのようなことが生じないならば、心配するな、恐れるなと話される必要がないでしょう。
■ 車に気をつけなさいと言う時は、車が多いから言う話です。両親が子ども達が学校に行く時、車に気をつけなさいと言います。いたずらに、子ども達が学校に行くのに牛に用心しろと話しません。牛がいないのに、何で牛に気をつけるのでしょうか? 車に気をつけなさいと話す理由は、車が多いためです。私たちは心配せず、銘記しなければなりません。恐れてはならない。雄々しくあれということは、人には恐れる事が起こることがあるためです。しかし、わたしがあなたと共にいるとおっしゃいました。ヨシュアに、おっしゃったのです。モーセにおっしゃった神様は、ヨシュアにもなさいました。
■ 聖書から、とても成功した人物 7人を選びました。それで、私たちレムナントに会えば説明をしてあげます。ほとんど説教する時ごとに、欠かさずに話します。ところが、7名の特徴が、困難にたくさん会いました。それでも失敗しなかったのです。だから、心配する必要がないのです。実際に、私たちには健康、経済など、心配がきます。今日1部礼拝の時にみことばを受けたとおり、皆様が契約だけ正確ならば、祈ればよいのです。それで、ピリピ4:6 に、何も思いわずらわないで、あらゆる事に祈りと願いによって求めなさいと言われました。レムナント7人がいつも困難受けたのですが、本当に祈って、答えを受けたのです。
■ そうしたところ、私にインターネットでメールが来ました。ある女学生が送ったメールです。なぜ牧師先生は、レムナント7人を選ぶ中に女は選ばなかったのかとたずねてきました。女も立派なエステルのような人物がいるのに、なぜ選ばなかったのかと尋ねてきたのです。私もエステルを考えたのですが、実際にその時代に最も大きい影響を与えた人物は、イザヤです。同時代に私達が習わなければならないメッセージがたくさん ある部分がイザヤ書です。レムナントという単語もイザヤ6:13からでてきたのです。それで、エステルを抜くようになったのです。福音を持った神様の人は、心配する必要がありません。ヨハネ14章を見れば、あなたがたは、心を騒がせてはなりませんと言われています。皆様に心を騒がせてはならないと言われたのです。なぜ心を騒がせないのでしょうか? 神様を信じるためです。またわたしを信じるので、心を騒がせないのです。わたしとは誰でしょうか? キリストです。私達が神様に会う道を知っているから心配しないのです。皆様、今日、本当に神様の前に心配を任せる時、祈りの門が開くはずです。どんな問題がきても、神様には問題にならないためにかまわないのです。Iペテロ5:7〜8に、あなたがたの思いわずらいを主に任せてしまいなさいと言われています。その時から、事が起きます。それとともに、あなたがたは、心を騒がせないで、神様を信じて、またわたしを信じなさいと言われました。それとともに、ヨハネ14:3〜5に、天国も備えられているので、心を騒がせてはならないと言われました。最後にわたしがあなたがたをまた連れにくるから、心を騒がせてはならないと言われたのです。それとともに、本論を話されました。それをおっしゃろうとしたのではなくて、本論が別にあったのです。わたしはあなたがたを孤児のように放置せず、助け主聖霊をあなたがたに与えて、ともに永遠にいると言われました。これが救われた者の特徴です。皆様の中に聖霊がいらっしゃいます。目に見えないように、福音を持った者には聖霊が共にいらっしゃるのです。それで、祈れば良いから、心を騒がせてはならないと言われたのです。
■ 私たちの主のしもべと、牧師達にお願いします。私たちは、いろいろ心配することがたくさん生じます。特に主のしもべは、自分の勝手にできません。お金がなければ、一般信者はお金をかせぎに行けば良いのですが、主のしもべは、そのようにすることもできません。 急に必要な事があれば、一般信者は借りれば良いけれど、主のしもべは、そのようにもできません。私が幼い時から、主のしもべの働きをしてきたゆえに、ジレンマが1,2種類ではありません。かと言って、行動をむやみにすれば、また問題が生まれます。それで、カーネギーが話したように、お金だけ勝手に使うならば、悩みの70%は解決すると言ったのですが、教役者にこういう悩みが多いでしょう。
■ 牧師夫人修練会の時、ある奥様が文を書いたのを見ました。あまりに経済が難しくて、祈りもできないということでした。タラッパンでも何にもだめだということでした。かと言って、牧会、事業をすることができるのでもないのです。親戚の家にお金を借りようと通うこともできないのです。信徒に借りることもできないのです。そのような内容を書いていました。一理あるという気がしました。ところが、道があるのです。本当に神様に祈れば良いのです。何にも心配、思いわずらいをするなと言われました。助け主聖霊を送って、あながたがの中に永遠にいると言われました。皆様に祈りの特権を与えなかったとすれば、大変なことになるだろうと思います。ところが、聖霊を受ければ、力を受けて、地の果てまで証人になると言われました。世が終わるまであなたがたといつも共にいると言われました。皆様、何にも心配しないように願います。
■ 皆様が福音を持った神様の子どもであることが間違いないならば、2つのことを記憶しなければなりませんが、神様に任せる時から答えが開始するはずです。皆様が祈れば、確かに聖霊で働かれるはずです。この特権を捕まえるように願います。それでも心配になるはずです。何にもないのに、どのようにしようか考えるはずです。そうではありません。神様は驚くほど、時と時間に従って、働かれます。私は神様の恵みで、30年間、伝道をしました。時には無理に行くこともしたのですが、すべて神様の恵みでしたのです。今10年目は現場に行くことができなくて、人々を呼び覚まそうと通っています。釜山ではよく知っているでしょうが、初期には本格的に伝道現場を通いました。その前に15年は、現場にほとんど暇がありさえすれば、入っていったのです。私は多くのことを見ました。それで、私が神様の子どもだという事実が感じられました。皆様、少し2部で映像ニュースを見たではないでしょうか? 死んでいく人々の姿を見て、苦しくないでしょうか? 福音がないから、どれくらい深刻だということを知っているでしょうか? 私はあんな現場を30年間見たのです。祈れば答えるという働きをあまりにもたくさん見ました。それで、神様は福音を持った皆様に本当に祈り始めれば、聖霊で働きなさるはずです。今週に聖徒たち、教役者が祝福を全部体験する働きがあるようになることを主の名前でお祈りします。
■ 開拓を始めたら、難しくないでしょうか? 神様の前に開拓を開始する時、祈りの課題を書いてみました。祈りの課題として、そのままこういうものが必要だと書いたのです。三十いくつかを書いたのに、祈梼院に行ったのです。その当時には祈りも良くできなかったのです。そのまま、だいたい祈ってきたのです。ところが、本当に驚くべき事が起きました。時間が過ぎてみたら、書いた三十いくつのが全部答えできていたのです。それが一番目の祈り答えの体験でした。おもしろいことは、開拓を始めたら、苦しくないでしょうか? 落書のように土地 200坪だけくださいと祈ったのです。ところが、私たち教会の信徒が土地を買ったのですが、それが200坪でした。その時、既に私たちの教会は復興し始めていました。その時から、私が祈りを正しくしたのです。ところが、祈ったことごとに答えがくるのでした。神様の民が失敗する時があるでしょう? 私がものすごく失敗しました。それで、私があまりに申し訳なくて、苦しく神様の前に定刻の祈りを回復して開始したのです。本当に驚くべき事になりました。ところが、定刻の祈りの時に祈ったことが、一つももれなく答えできたのです。その時、私が神様の前にずっと祈ったので、一千万弟子、伝道運動等、聖書の答えが来たのですが、これがそのまま答えでくるのでした。率直に私のような者も答えを受けるのに、皆様も受けることができるのではないでしょうか? どれくらい神様の前に驚くべきことか分かりません。福音を持った人が祈れば、そのまま答えがくるのです。請求しさえすれば、そのまま出てくるのです。神様の計画であることが確かならば、答えが来るのですが、神様が即刻助ける天使を送ってくださって、答えの門をずっと開けてくださるのです。正確に答えを下さる神様です。それで、あなたがたは、心を騒がせてはならないと言われました。私が本当に神様の子どもとして福音を正しく持ったのか? 神様の計画に間違いないのか? これが悩みで、これだけなれば、そのまま答えてくださる神様です。
■ ところが問題が生まれないでしょうか? なんの心配もしなくても良いのです。私たち教会が復興しながらも、間に問題が生まれたでしょう? またおかしな働き人が生じて、おかしな事をすることもありました。この前にもおかしな事が起こって、教会員が心配するのです。心配せず、静かに置いておきなさいと言いました。 今見れば、そのまま答えがみな来ています。私が他人のプライベートに問題が生じるので、言及することはないのですが、あまりにも正確に答えをなさいました。福音を防止する人があっても、戦う必要がありません。その人の名前を置いて定刻の祈りの時、ずっと祈ったのに、全部、答えがきました。本当に個人に被害になるので、話はできないのですが、あまりにも正確に答えがきました。福音を持った皆様が祈れば、答えてくださるので、何にも心配する必要がありません。
■ しかし、3つのことは正しくなければなりません。本当に福音のためのものか? そして、福音の中にあるのか? それが一番目です。2番目は、これが本当に神様の計画か? この部分は必ず記憶しなければなりません。最後に、これが本当に私のためなのか、神様のためなのかを考えなければなりません。その祈りをすれば答えがきます。
■ 私は何年か前に、ウ・スヨン長老と何名かの信徒が釜山まで礼拝をささげるためにいらっしゃったのです。それで、長老がソウルに教会を立てようと言いました。私は祈ってみようと言ったのです。私が最後の長老の話しで決定しました。自分たちは釜山まで行くことができるが、子ども達はできないと言ったのです。それは正しいという気がしたのです。子ども達は、どのようにするのでしょうか? この子ども達が、釜山までどのように行けるでしょうか? それで、ソウルで始めたのです。私が飛行機に乗って、行ったり来たりしながら、ずっと神様の前に質問をしました。私がしようとすることでもなくて、開始したのですが、神様の計画が何かずっと質問したのです。本当に神様の計画が何か? 私がなぜ1, 2部を行ったり来たりしなければならないのか? 私は飛行機のなかで、定刻の祈りをする時ごとに、その祈りをずっとしました。神様が私に多くの悟りを与えられたのです。すると最も重要なソウルに伝道運動を正しくすべきだという心になりました。それで、2000ケ所伝道する弟子を植えるために、2000 地域教会という単語が出てきたのです。こういう強い答えのメッセージが迫りました。あらゆる欲なく、本当に福音運動をしようという気がしました。こういうものがたくさん 迫ったのです。本当に福音のために、この教会で伝道運動をするのに、働きをするようにさせてくださいと祈りました。そして、できた後に、もちろん私たち長老と信徒が努力をしたのですが、周囲の牧師の心がほぐれるようになりました。 開始もしなかったのに、信徒が移動をするのではないかと、牧師達にそのような心が生じたのです。その方たちが、私を助けようという方であったため、心が痛かったけれど、がまんしていたようです。その後に、私が祈りながら、その方たちの心がほぐれたようで、私達が本物の伝道運動をすべきだという心も持つようになったようです。私たちは開始にしかならないけれど、神様が驚くべき答えを下さるはずです。
■ それで、祈りの答えを受ける時は、3つのことは、必ず確認しなければなりません。本当に福音のためのものなのか?その次に神様の計画であることが間違いないのか? これは肉体的な私の動機ではないか? これだけないなら、いくらでも祈れば答えがきます。エレミヤに神様はこのようにおっしゃいました。 'わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。' 77篇を見れば、1節にこういう言葉があります。 '私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる。' 11節にも '私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。' 12節には '私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。皆様が祈る時ごとに、神様が行われる奇跡とことを知っているでしょう。気落ちせず、祈りを開始すればよいのです。特に14節に見れば 'あなたは奇しいわざを行なわれる神、国々の民の中に御力を現わされる方です' 15節に 'あなたは御腕をもって、ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを贖われました。' 特に20節に 'あなたは、ご自分の民を、モーセとアロンの手によって、羊の群れのように導かれました。'
■ 今日から皆様は福音を持った神様の人です。祈りを開始するように願います。どのように始めれば良いのでしょうか? このように始めれば良いでしょう。一日に一度以上を、必ずメッセージを聞くことを願います。車でも聞いて、時間を活用すればよいのです。その時、定刻の祈りをするように願います。その時、皆様の家族、教会と重要なことのために祈るように願います。その時、主の権威を使うことを願います。その時、教会のために祈るように願います。数千、数万の学生達がきて訓練を受けることができるように、神様が教会に働いてくださいと祈るように願います。それで、全教会員が定刻の祈りを始めるように願います。皆様10時にレムナントが定刻祈りをしているでしょう? あなたがたが本当に重要なことを置いて祈り始めることを願います。定刻の祈りの時、長老と主のしもべのために祈ることを願います。主のしもべは、定刻の祈りの時、聖徒の産業のために祈ることを願います。インマヌエルのあらゆる家族は、教会のために定刻の祈りが回復することを希望します。はじめには良くできないでしょう。しかし、少しだけしても後ほど働きが起きるはずです。
■ 私は今、スケジュールに従ってできるようになっています。私は例えば、集会がずっとあるので、祈りをしようとしてなくても良いのです。神様は皆様の立場をご存知であるので、皆様が福音を持ったことが明らかだから、少しだけ契約 を捕まえて祈れば、働きが起きるはずです。インマヌエルの全家族は、メッセージを聞く方達と衛星礼拝を聞いている方達は、祈るように願います。時間を定めてメッセージをのがさないように願います。その時、長老、役員、全産業人のために祈ることを願います。もちろん、レムナントのために祈りをすべきですが、レムナントを育てることができる祝福をくださいと祈ることを願います。 'わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。’ もちろん、私一人でしてもかまいません。皆様が一緒に祝福を味わわなければなりません。私は確信します。福音を持った皆様ならば、神様の前に祈れば答えられるようになっています。それで、定刻の祈りを回復すれば、全てのものがみな回復します。定刻の祈りをする時、メッセージをのがしてはなりません。車で行ったり来たりする時、メッセージを聞くように願います。一度してみることを願います。本当にわざが起きます。
■ 答えを受ける方達は違います。牧師たちも祈りの答えを受ける方達は、メッセージを捕まえて祈ります。年をとっているキム・ドンゴン牧師は、60代なのに、ものすごく若くて祈るのを見ました。一度は、朝に見たら、耳にイヤホンをさして聞きながら走っていました。朝にメッセージを祈りながら走るのです。ほとんど毎日のようにしています。私が一週間に一度ずつ釜山に行けば、私の髪を刈ってくれる執事がいます。私の家の前なので、少し寄っていきます。その方が伝道のみわざがたくさん起きるのです。実がたくさん出てきます。ところが、この方を静かに見ていると、いつでもメッセージを聞いているのです。そして、メッセージを聞いて祈るのです。だから答えられるしかないのです。皆様が全部、定刻の祈りを回復することを願います。そして、お知らせを置いて一週間祈るように願います。時間が多い方達は、週報が全部祈りに活用できます。週報を置いて祈るのです。このようにだけしたのに、みわざが起きるのです。その時からこの答えが来て、するなとしても、常時で祈りが出てくるのです。何にも心配する必要がありません。神様が福音を持った私たちに祈りができる特権を下さったので、何にも心配する必要がないのです。
■ そして、いくつかだけいつも記憶すればよいのです。私達が常時祈らなければならないことが、神様の計画に合っているかを祈らなければなりません。この質問をする時、最も大きい働きが起きます。神様は皆様が祝福を受けることを希望されます。神様の計画が何か、この祈りの質問が定刻の祈りの時に起きれば、相当なみわざが起きます。また皆様が定刻の祈りをずっとしていれば、神様の計画が発見できるようになります。すると失敗することがありません。私たちはいつも私の欲、人間的なこと、肉体的なことが出てくるのです。私たちはいつも、それを確認しなければなりません。私は時々、インマヌエル教会を途方もなく大きくして、世界福音化するという動機が出てくることがあります。その時ごとに、私は神様の前に悔い改めます。神様は、確かに世界福音化をなさるはずなのに、そのような考えをしてはならないのです。神様はあらゆる教会とインマヌエル教会を祝福なさるはずなのに、インマヌエルだけそのようにすればならないのです。ところが、この三つがものすごく重要です。それを考えないと、私たちはどんどん大それた方向へ行くのです。神様の計画が何か尋ねなければ、自分の固執でして損害がくるのです。福音でもないのに熱心にすれば、思い切り賜物を受けてみな崩れるのです。それで、この三つがとても重要です。それで、主の民を羊の群れのようにモーセとアロンの手で導かれたのです。イスラエルの群れを羊の群れのように導かれたように、神様は私たちを導かれるのです。
■ 今日、私たちはものすごく重要なメッセージを握ったゆえに、何にも心配せず、今から祈り始めるように願います。神様の計画を発見するため祈りを始めるように願います。これからは、私の欲、固執通りにしないように、神様の前に祈りを開始することを願います。それで、聖霊の充満が臨めば、あらゆる力を受けて、地の果てまで証人になると確かに約束なさいました。皆様が本当にこの祝福を味わうように願います。
■ 私はこのような時がありました。どんなに私が仕事をして、弟子を育てて、伝道をしても、本当に私を理解することができる人はいないという気がしたのです。そのようなことを私がたくさん感じました。それなら、何をしなければならないのでしょうか? 神様に常時で祈らなければならない、そのような気がしたのです。そして、率直にこういう気がしました。人が仕事を多くするならば、判断が薄れることがあります。仕事が複雑になれば、特別なことはないのに、いらいらします。その時、私が感じました。常時で祈るべきだという心になりました。常時で祈らなければ、それがだめになるのです。他の人は他の人ですが、私がだめになるのです。自分自身がだめなので、常時で祈る祝福を味わうようになったのです。それで私たちの聖徒も、時間を定めてメッセージ捕まえて、定刻の祈りをして、通いながら常時祈りをすれば、行く所ごとに答えがくるはずです。
■ 今回もマレーシアに行ったら、大学の働きをしながら、行く所ごとに神様の答えが来ていました。たぶん中央アジアに行けば、神様の重要な祝福と答えを準備なさったでしょう。それで、必ず回復することを希望します。何にも心配しないで。神様が私たちに与えられたみことばです。恐れてはなりません。パウロ。イエス様が直接なさったみことばです。あなたがたは、心を騒がせてはなりません。今日の詩篇77に羊の群れのように私たちを導かれるから、心配しないように願います。私達が回復しなければならないことは、祈りの秘密です。事実は伝道でもありません。祈りの秘密を回復しなければならないのです。答えが来たら、伝道の門は開きます。事実は多くのことでもありません。祈りの秘密が回復すれば良いのです。この祈りの秘密が回復すれば、働きも開くのです。今週、インマヌエルの家族と衛星で礼拝するあらゆる家族に、最高の週になることをイエスの御名でお祈りします。今夜からこの答えが始まることを、イエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちは、福音を受けた神様の子どもです。神様の計画について行く神様の子どもです。これから私たちの意向でなく、神様に栄光を帰すための神様の働き人です。何にも心配しなくて、祈りで始めるようにしてください。私たちは、心配するしかない人間です。祈りが回復するようにしてください。 葛藤するしかない者なので、祈りで回復するようにしてください。気落ちすることが私たちの前に多いので、祈りが回復する週になるようにしてください。また、私たちは不安で、失敗の中にいます。福音の中にある聖霊の力で完全に回復する週になるようにしてください。病んだ者に、聖霊充満を与えて下さい。それで、今週には祈りを回復する羊の群れの祝福を味わうようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン