2004年8月1日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 悪霊につかれて滅ぼされた者
(ルカ8:26〜39)
  
■ 今日、ここに悪霊につかれて苦しんでいた者が記録されています。今日、私たちは聖書のみことばを見ながら、短い時間に霊的な目が開かなければなりません。私は、元々の性格は、こういう部分をよく知らない性格でした。むかし、他の人が恵みを受けた時、相当な体験をしたようでした。私はそのような体験があまりありませんでした。ある人は、祈りながらすぐ異言を言ったりしました。私は性格上、わざとしようとしても、できませんでした。それで、性格と関係があるようだと思います。私の友人一名は、イエスを信じるやいなや、すぐに聖霊を受けて、火を受けて異言を言うのでした。私はどんなにしてもだめでした。体験する友人を見て、うらやましいと考えたりもしました。今は教会にも通っていないのですが、その当時には、その友人が火を受けたのでした。私が見る時、自分の性質で受けたようです。私はそのようなものが体質的に良くできないのです。ある人は、夢を持って人生を決定することもあります。夢はヨセフのような夢もありますが、話しにもならない夢もあります。そのような変な夢に人生をかけて良いでしょうか? おもに恵みを受ける人々を見れば、私が見る時は、錯覚をしていているようです。
 
■ そのように信仰生活をしている中に、私があることを見るようになりました。私は悪霊につかれたということが 分かりませんでした。それまで、私はそのような体験ができなかったのです。ところが、悪霊につかれた子どもを見ました。それが私の生涯初めての体験でした。悪霊につかれた子どもを見たのに、本当に異常でした。その子どもが、礼拝をささげるのに、もがきながら壁をたたくのです。未信者だったのですが、その子のお母さんが、この子が悪霊につかれたようだと話すのでした。それで、私がどのように分かるのですかとたずねました。この子が教会の鐘の音が聞こえたら、両耳を覆って怒鳴るということでした。それで、私達が礼拝をささげたのですが、その間、壁をたたくのでした。私が出てきながら、その子を見ました。何と表現すべきかわかりませんでした。悪霊につかれたら、このようになるということを感じました。言葉で表現できない程でした。それで、私がその子を三回ほど訪ねました。訪ねて行ったのですが、話すべき言葉がないのです。その時、私が最初に体験したことであったのですが、聖書を見ると、イエス様が悪霊につかれた者を追い出されたと記録されていたのです。それで、私がその子に話をしました。すこししたら、その子と対話ができました。それで、聖書にイエス様が悪霊につかれた者を癒されて、悪霊を追い出されたと話しました。私が見ると、あなたは良い子なのに、悪霊ゆえに苦しめられているようだと話しました。だから、あなたはイエスを信じれば良くなるはずだと話したのです。より重要なことは、イエスを信じれば、神様の子どもになると言いました。そのように、自分も知らないで、言葉が正確に出てきたのです。その子も不思議に話をよく聞くのでした。それで、その子がイエス様を受け入れて祈ったのですが、三回後にみわざが起きました。私がとても驚いたことに、この子が礼拝堂に座っていたのですが、私は他の子どもだと思っていました。顔の色合いまで変わるのです。福音の力はものすごいということを体験するようになりました。そのように伝道現場で少し見たのでした。
 
■ 一度は、20才になった女学生なのですが、悪霊につかれたのです。そのお母さんの話しによれば、一週間、何も食べず、寝なかったということでした。一週間、本当に寝ないなら、目玉が真っ赤なのです。その時、本当に悪霊の力はすごいのだということが感じられました。正常な私たちは、三日だけ食べなくても、おなかが空いているでしょう? そして、何日かだけ寝られなくても、どれくらい眠くなるでしょう? それまでは理解できるのですが、とても力が強いのです。体つきは小さな20才の女学生が、力がどれくらい強いか、男性が太刀打ちできないのです。会社のなかで発作を起こしたのに、男子20名が止めても、止めることができないのです。それで、ムダン(霊媒師)に力があるということを悟りました。食べないでも力が強いのでした。本当におかしな事ではないでしょうか? そして刀と槌を持っていました。精神が狂った人は、刀をどんな所でも振り回すでしょう? そして、力も強くて、動作も速いのです。だから、人々が近よれなかったのです。その時、私がまた体験をしました。私達が入っていくと、目が合ったのです。目が合った時、背筋が寒くなりました。その子が、その時からふるえたのです。そのように大声を出して発作した子が、その時から、からだをふるわせるのです。私はその時、信じる者の中に聖霊がいらっしゃるということが理解できました。私達が刀と槌をみな取り戻しました。そして、礼拝をささげて、イエス様を受け入れて、その子が教会に出てきたのです。ところが、しばらくずっと異常なのです。その子が発作を起こせば、私の家に来るのでした。助けてくださいと言うのでした。発作を起こせば、お母さんが私の家に電話をするのでした。自分の子を助けてくださいと言うのです。率直な話で、私がどのように助けるのでしょうか? 助ける力が私にあるでしょうか? それで、ものすごく力があるふりをしながら、礼拝をささげていました。これが私に驚くべき2度目の体験でした。数ヶ月礼拝をささげて、みことばを聞く間に、全部、癒されたのです。その時になって、そのお母さんが告白しました。その子が学校に通う時から、何度も病院に入院したということです。見ると、問題がたくさんありました。家庭に話せない問題がたくさんあったのです。この子は完全に癒されて、伝道もして、変わったのでした。本当にそれを見て、不思議に思いました。私は信仰が弱いのか、その子がいつかは発作するはずだと考えていました。ところが、そうではなく、みことばが入っていきながら、どんどん変化するのでした。伝道現場にずっと行って、そのような色々なことを見る中に、いくつかのことをチェックするようになりました。その時、私は、とても愚かなのですが、いくつかのことを悟りました。偶像崇拝を多くする家で、こういう問題がくるということを発見したのです。それとともに、どういうことが発見できたかというと、両親が悪霊につかれてムダン(霊媒師)をする家は、子どもにもそのようなことが来るということでした。遅く発見をしたのです。聖書に全部あることです。聖書にあったことを、私は知らなかったのです。ところが、その程度ではなかったのです。
 
■ 一度は、あるとても良い若い女の子が狂ったのです。だから、そのお母さんがあまりに苦しいから、私の家に連絡したのです。私の記憶では、水曜日の朝に行きました。行ってみると、完全に狂っていました。対話もできないのです。一人でずっと話すのです。もっと驚くべきことは、普段はものすごく静かなのです。本人が自分の中に悪霊 2名がいると話しました。ひとつは男の悪霊、ひとつは女の悪霊ということでした。自分の口でひとつは自分を手助けして、ひとつは自分を困らせるということでした。そして、私の話を聞かないで、一人でずっと話をするのでした。普段には、私を見つめることもできないのに、私の手をつかむのです。手をつかんで離しません。普通の問題ではありません。方法があるでしょうか? 礼拝をささげました。礼拝をささげる中に、突然に自分の話を聞きなさいと言いながら、一人でまたずっと話をするのでした。対策がありません。その時、按手祈祷もしたのです。祈ったのに、全く変わりませんでした。これがより一層激しくなるのでした。狂って何かをつかんで、投げようとするのです。その時、私の胸の中に自尊心で何か思うようになりました。私が力がなくて、そうなのかと考えたりもしました。礼拝をささげたのに、より一層、発作が激しくなるので、体面もあって、異常なのです。私の胸の中に、早く家に帰るべきだという気がしました。いやにならないでしょうか? 皆様、悪霊につかれた人が困らせたら、後ほど使命もなくなって、いやになったのです。それで、そのお母さんに家に帰ると言いました。お母さんも申し訳なくて、対策がないから、早く帰って下さいと言いました。それで、家に帰る時に、自分があわれに思えたのです。ある人は死者も生かすのに、私は悪霊につかれた人も癒すことができないという気がして、異常でした。しかし、帰りながら、そうではないという気がしました。これは私の水準です。神様の水準ではないのです。私は確かにイエス様を話しました。そして、確かにイエスの名前で祈りました。確かにイエスを受け入れさせました。私は万王の王なるイエスの名前で祈りをしました。残りは神様がなさるのです。帰って来ながら、そのような気がしたのです。だから、自尊心が傷つくのが少なかったのです。そして、家に帰りました。夕方に電話がきたのです。もしかしてと、期待感を持って電話を受けたのに、完全に発作が始まったということでした。病院に連れて行くべきかということでした。自分たちも、困っているということでした。その時、私は帰ってきながら、祈りをして、心に確信がありました。医者が直すことができるでしょうか? 悪霊につかれたことが明らかなのに、薬で良くなるでしょうか? 病院に行って対策があるでしょうか? 待ちながら祈りなさいと言いました。そして、電話を切ったのです。その方の話しでは、7時くらいになったということです。本人が話す中に言ったのです。私がこの家では耐えることができないと言ったのです。このイエスを信じる家では、生きることができないと話したのでした。それが悪霊が言う話です。それから出て行ったのでした。それとともに、倒れました。目覚めたら完全によくなっていました。これが嘘のように良くなったのです。その時、私がこういう体験をしたのです。精神が狂ったのが三日から一週間程度の人は、正しく福音を受けると、すぐに良くなります。普通、十年から二十年になった人は、あまりよくなりません。それで、イエス様も聞いたではないでしょうか? あなたはどこからきたのか? どれくらいこのようなのかと尋ねられたではないでしょうか? 理由があるという気がしました。その時から私に他の確信がき始めました。イエス様は、生きておられ、神様のみことばは生きているということを悟るようになりました。いつも私が話して聞いていたのですが、実際に確認ができずにいたのです。ところが、この程度ではなく、どんどん目が開くのです。聖書と現場に目が開くのに、想像を超越することでした。教会で人間中心主義を使って私をムダン(霊媒師)の町に送ったのですが、それも神様の働きでした。ムダン(霊媒師)の町で一年間伝道をしたのに、その時からムダン(霊媒師)の家にも入っていって、伝道もしたのでした。それとともに、本当にこの人たちが、困難に会うのを見ました。ところが、それで終わることがありませんでした。未信者がほとんど、ここに苦しめられているのです。それで、イエス様が弟子たちに、福音を伝えなさいと言われたのでした。私はその時、初めて聖書が分かりました。私はそれまでは、理解もできず、あることも知りませんでした。ところが、聖書を見れば '彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。' と記録されています。私は幼い時から信仰生活をして神学の勉強もしたのに、聖書にそのようなものがあることも知らなかったのです。私は、それ以前には、伝道をする時、うわべでしたのでした。単に私たちの教会に来て下さいと伝道紙を渡していたのでした。実際、その人がどんな困難にあっているかは知らなかったのです。
 
■ そして、私は米国に行きました。米国に行く前に、私はものすごい先進国だと思っていたのです。ところが、そうではないのです。米国に行って研究をしてみたら、全部、ニューエイジ文化に捕えられているのです。簡単に話せば、マークのようなものがほとんどみなニューエイジのマークです。サンフランシスコにサタン教会がありますが、ニューエイジの教会です。今、米国でヒットしているキャラクター商品が、全部ニューエイジの商品です。精神文化史、精神世界史の本が全部、ニューエイジの本です。ニューエイジ運動を始めたのは、ブラヴァッキーという人たち14名の易、シャーマニズムの人々が始めたのです。14名の悪霊につかれた人が米国でこれを始めたのですが、それがニューエイジ運動です。ますます私は確認できました。聖書は神様のみことばで、なぜ聖書を教えなければならないのか、ますます分かるようになったのです。この時から、事実、祈りの答えがき始めました。その程度ではありません。日本に行ってみました。日本の人には申し訳ないのですが、1軒に精神病者一名以上がいます。日本に八百万の悪霊を仕えていることを知るようになりました。私は驚いたのです。日本に福音が必要だということを悟るようになりました。私は事実的に、科学的に発見するようになったのです。台湾に行ってみました。台湾で苦しめられる子ども達がものすごく多いのです。台湾で、子ども達十人を集めて、苦しめられる人は手を挙げてみなさいとすれば、4,5名が手をあげます。台湾に行けば、路地ごとに偶像があります。これを知識人が知っているでしょうか? 誰が知っているでしょうか?
 
■ もう一度話しますが、檀君神殿立てることをなぜ反対するのでしょうか? クリスチャンは、クリスチャンであるゆえに反対するのですが、それは説得力がありません。私は本当に反対です。皆様、このハンカチは汗 をふいて、手をふくものです。皆様がこれを壁に掛けて、お辞儀してあいさつをすれば、ここにいろいろなことが生じるのです。それがまさに悪霊の働きです。皆様、私の話が信じられなければ、今から山に登って水の下で三年だけ座っていれば、悟りが開きます。それが悪霊の働きです。それで聖書にだけ偶像崇拝をするなと言われました。私はいろいろな本は正しい本ではないと思っています。聖書にだけ偶像崇拝をするなと言われました。それで、小学校の前に檀君神殿をたくさん立てれば、韓国がこれから日本のようになります。私達が檀君を否認して、キリストを認めなさいという話ではありません。霊的な知識がある人は、理解するでしょう。そのようになれば、霊的な問題がものすごくくるのです。すると、あちこちに、学校ごとに十字架を立てようということでしょうか? そのような話しでもありません。知識人が知らないのです。だから、霊的な問題がどんどん来るのです。あなたがたもおわかりの通り、韓国で登録されたムダン(霊媒師)だけで、三十万名です。これが国内外に、全世界に広がっていくのです。その後にくる問題については知らないのです。人々はなんの考えもありません。無条件にするのであって、その後を知らないのです。ある大統領に会ったのですが、大統領に説明しました。どのようにわかるでしょうか? ある有名な市長に会って話をしたのに、わかることができないのです。どのようにわかるでしょうか? 国会議員に会って説明をしたのですが、どのようにわかるでしょうか? より一層驚くべきことは、ニュースを見ると、占う師の家に全部、国会議員の感謝状がついているのです。すこし心配になったのですが、現在の大統領も占いをたくさんするらしいのです。ところが、何の理由なのかは知らなくても、朝食祈祷会に来られないのです。からだがしんどいのかを思ったのですが、初めて来られませんでした。こういうことを見る時、なにか心配になって、祈りをすべきだという気がしました。
 
■ 皆様、教会がなにか知っているでしょうか? 正しい福音を伝える教会がなければ、大変なことになるのです。いらない教会堂をたくさん建てる必要はないのですが、福音を伝える教会ひとつが、どれくらい重要でしょうか? それで、この話をわかるレムナント一名が出てくれば、光の子どもです。私はこれを知ってから、いのちをかけてもかまわないということを知るようになりました。それくらいの価値があるということです。私が持っているものをみなささげてもかまわないのです。それで、私が決心したのです。全世界のレムナントを生かして、このメッセージを与えて、成功するようにさせるのです。その時から、答えがきました。それとともに、私たちレムナントが、時間が経つほどどんどん変わるのです。今、悩みがひとつできました。今回、三十六名に奨学金を与えたのですが、別に呼んで与えました。なぜなら、優秀な子ども達があまりに多いからです。以前は、集会をすれば、4、5百名がきたのに、メッセージをよく聞くこともしませんでした。そして、子ども達も変で、勉強も出来なかったのです。だから、奨学生を選ぶのがとてもやさしかったのです。ところが、今は難しいのです。ほとんどみな賢くて、良くできるのです。福音の力がすごいのです。
 
■ 私は今回、レムナント集会をしながら、とても多くの恵みを受けました。私たちおとなたちが、あらゆる集会にみな来ることはできませんが、レムナント集会には来るべきだと思います。今回、レムナント集会の現場を見ることができなかった人は、簡単に話せばかわいそうな人です。それで、今週の土曜日にスンヨン女子高の講堂を借りて、そのうち学生達がミュージカルをしたことをまた見せてあげるようにしました。必ず行かなければなりません。これから祈りの答えを受けるという人は、行くように願います。サタンに捕えられた文鮮明氏が、米国にオペラ団を10ケ作ったのです。私達だけが目をつぶっていて、この人たちは、なにかの導きを受けているのです。皆様、地球は歌の戦いです。音楽戦いです。なぜなら、賛美した天使が堕落して悪魔になったのです。それで旧約では、レビ族に賛美をするようにされたのです。それで、他の奉仕はただの奉仕ですが、音楽をする人を私達がサポートする理由は、それにあるのです。なぜなら、ずっとしなければならないためです。私が教会に行って清掃をすることは、それほど投資する必要はありません。しかし、ミュージカルやオペラは、投資しなければなりません。まさにこの戦いです。私たちのうちで他の機能を持った人は現場の戦いで、賛美は直接霊的な戦いです。皆様が早く悟らなければなりません。今、霊的な戦いが深刻ではないでしょうか? それで、今週の土曜日、7時 30分にスンヨン女子高の講堂でまたするようにしました。本当に祈りの答えを受ける人々は、正しく祈ることを願います。私はレムナントという単語を捕まえて、ものすごく答えを受けました。私がレムナントという単語を捕まえて、多くの恵みを受けたのです。なぜでしょうか? 霊的なことを見るように願います。
 
■ 私はこれを見ながら、3つの確信が来ました。その一番目が、福音でなければならないということです。私はそのような結論を得ました。それで、私が福音の価値を知ったのです。福音だけが根本問題の解決できるのです。創世記1:2の暗闇の問題は、福音でなくては解決しないのです。創世記3:5に、皆様の家を完全に滅ぼすサタンの力は、イエスの名前だけが可能なのです。創世記4章に見ると、カインがささげたむなしい礼拝は、どんなにささげても効果がないのです。福音を悟った者だけが、答えを受けることができるのです。正しい福音を悟ったレムナントだけが、正しい指導者になるのです。箱舟の中に入っていってこそ生きるのです。バベルの塔は、崩れるようになっています。この根本問題をどのように解決するのでしょうか? 私は、そのような確信がきました。福音だけが解決できるのです。理由があるでしょうか? 私はありません。政治家、経済人も、福音がなければ死ぬのです。私は確信を持ちました。それとともに、とても感謝しました。キリストの中に完壁な祝福があることを知ったのです。そして、私が救われたという話は、単に天国に行くという程度でなく、聖霊が私の中におられるのです。それで、その時、悪霊につかれた人が私たちを見て震えたということを、後ほど知るようになりました。私は私をよく知っているために、人間は特別なものはないことを知っていました。ところが、神様の子どもはものすごいのです。私が人間中心主義、頭だけ腹かせなければ、聖霊が完壁に導かれるのです。それで教会を利用せず、教会のために献身をすれば、聖霊充満をくださると言われたのです。
 
■ 私と共に十年以上仕事を一緒にしてみた人は、知っているはずです。他のことは私が足りないことが多いのです。色々な人格的にもたくさん足りません。しかし、一つは神様の前に感謝します。教会のために、福音のために生きるのです。教会を利用しようとはしません。私と近い親戚が、ほとんど全部、仲良くありません。私はそのような心がないのに、そのように生きています。なぜなら、タラッパンを利用して、しばしば助けてくれと言うので、私はそのようなことができないのです。私は今でも弟にすまないと思っています。しばしば、地位をくだしと言うのです。タラッパンに重要な地位が多いので、それをくださいと言って3年すがったのです。なぜ、兄が弟にくれないのかと尋ねるのです。これは福音であって、兄、弟ではないためです。今でも、それですまないのです。私の弟が最後に言った言葉が、あなたは人間中心主義を使うということでした。教会はいたずらをする所ではありません。福音はものすごく貴重なので、いたずらをして良いでしょうか? 私は神様の前でします。なぜなら、とても価値があることであるからです。それで終わることがありません。心配する必要もないことが、救われた人が祈れば、行く所ごとに主の天使を送ってくださって、働かれるのです。今日、聖徒達が本当に信じれば、神様は今、この時間に主の使いを皆様の事業の場に送られるのです。聖書にあります。そして、私は確認しました。多くの答えを確認したのです。その程度ではありません。私達が行く所ごとに、暗闇の勢力が崩れるのです。それで、私たちを呼ばれたのです。私はそれを知るようになりました。神様が与えられた祝福がとても大きいということを知るようになりました。
 
■ 私は2番目の確信がきました。伝道しなければならない理由です。伝道をしなければならないのです。このように悪霊文化に死んでいく人を、福音でなくては救い出せないのです。皆様、イエス様のみことばがどれくらい正確でしょうか。今、未信者が全部、悪霊文化に陥りました。祭事、占い、宗教、全部、悪霊文化に陥ったのです。これを救い出すために知らせてあげなければならないのです。悪霊論でなく、知らせてあげなければならないのです。悪霊の話ではなくて、未信者がそちらに陥っているので、説明してあげなければならないのです。それが伝道ではないでしょうか?
 
■ 今日ここに見るように願います。霊的問題を持ったゲラサ地方の人です。この人は長い間で、深刻になったのです。完全に家を出てきたのでした。服も脱いで生きていたのです。鉄のかせをはめたのに、これも全部、切ったのでした。 'いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。' 悪霊につかれた者が、このように話したのです。イエス様が、たぶん悪霊を叱られたのでしょう。このように話さか? '底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんように’と言いました。底知れぬ所とはどこでしょうか? 簡単に話せば地獄です。この悪霊、サタンは、そちらに行くことを最も嫌います。自分の時がいくらも残っていないことを知って、あがきをすると聖書には記録されています。そしてさまようことをものすごく嫌うようです。どこでも入っていこうとするのです。それで、先祖供養のようなことをしないでと言うのです。さまよってしまうと、悪霊が入って来るのです。それで、今日見れば、豚の中に入っていったでしょう。ある学生が、私に質問をしました。イエス様もあんまりだと、他人の豚千頭も死んでも良いのかとたずねました。他の聖書を見れば、何頭かという数が出ています。それで、私がこのように説明をしました。豚千頭より、人一名が重要なのです。豚の中に入っていくように、イエス様がされたのです。私はこれを見ながら、伝道をしなければならない理由を知るようになりました。それで、その時悟ったのは、単純な伝道ではだめだということです。このみことば運動を続ける伝道だけが、ずっと生かすことができるのです。それとともに、聖書が発見できるようになりました。このように、聖書の中には完壁な答があるのですが、私は知らずに大それたことをしたのでした。
 
■ それとともに、三番目のことを悟るようになりました。祈らねばならない理由です。知るようになったのです。祈る時、私たちは力がありませんが、聖霊が充満するみわざが起きるのです。私たちの力で世の中に勝つことはできないから、聖霊充満を受けなければならないのです。皆様、私たちには限界があります。皆様がどんなに可愛くして、努力をしても、限界はあります。皆様が若い時、それでも限界がきます。私が五十、六十になった方達が化粧したのを見ると、このようになるんだなと考えます。完全に包装をしているのです。こういう子ども達を見ましょう。しなくてもどれくらい可愛いでしょうか? 人間は、からだにも限界がくるのです。私達がどんなにもがいても限界がきます。それで、成功すれば、成功しても限界がくるのです。私たち人間が、科学には限界がないでしょうか? それで、祈りをしなければならないのです。聖霊充満を受けなければならないのです。それで、学生達にお願いをしました。皆様、一番安らかな方法で定刻の祈りをするように願います。時間を定める必要もありません。朝起きれば、一番安らかな方法で祈ることを願います。昼にも最も 安らかな方法でするように願います。そのようにだけすれば良いのです。皆様、思い出せることがあれば、祈ればよいのです。皆様、目に見えることがあれば、心の底で祈れば良いのです。すると、祈りがずっと連結します。祈りをいつもしていれば、知恵も生じます。祈りをいつもしていれば、判断力も良くなります。祈りをいつもする人々は違います。
 
■ それで、私が今回、学生達にこう話しました。私は食堂に行く時も、食堂に行きながら祈りをします。なぜなら、食堂を祝福しなければならないでしょう。食堂に座って、頼んだものことを待ちながらも祈ります。そして、祈りをみなしておいて、食べ物が出てくれば、すぐに食べます。他の人が誤解することがあります。普段には、祈らない人が、ご飯が出てくればやたら祈りをするのです。もちろん悪いことではありません。それでも、その程度ならば信仰が良いのです。信仰がない人々は、人の顔色をうかがいます。ある人は目を隠しながら祈りをします。ある人は、食事を一緒にしようと行ったところ、祈りをしてくださいと言います。食堂で祈った後に、アーメンの声が食堂中に響くように大声で叫ぶのです。恥ずかしくて、ご飯を食べられませんでした。人々が見つめるのです。クリスチャンは、格好良くしなければならないのです。祈りを常にする人々は、祈りも時間に従って簡単にすることができます。それでなければ、祈ることがどれくらい難しいか分かりません。ある人は祈る内容を書いた紙が飛んでいって、困難な事が起こることもあります。祈りをいつもすれば、人には知恵が生まれるのです。私たち学生達も、この祝福を受けなければなりません。祈れば、どんなことが行われるか、聖書を見るように願います。よく見るように願います。目に見えない天の軍隊を送ってくださって、正確に答えられるのです。祈る時ごとに、皆様を触る暗闇の勢力が崩れるようになっているのです。私はそれを知りました。すると、簡単ではないでしょうか? この福音でなければならないのです。それで伝道しなければならない理由がここにあるのです。祈らなければならない理由が、ここにあるのです。私はそのように発見できたのでした。
 
■ それで、今回のレムナントにメッセージを与えました。3つのことを与えました。霊的戦いをするキリストの兵士です。パウロがテモテに言った言葉です。一時代のメッセージを伝達するマラソンランナーです。競技をする者です。今の農夫とは違います。世の中の人を生かす農夫です。むかしには、農作業を基準にいろいろ判断されました。二千年前に記録されたことを考えなければなりません。それで、霊的兵士で、競技する者で、農夫です。この中に全てのものがみな入っているので、すべてのことに知恵を下さると言われました。私たちの子ども達に言った言葉です。皆様もこの契約を握らなければなりません。
 
■ 今日2部礼拝の時には、私達に本当に極限の困難が来れば、どのようにしなければならないか? 私達が世の中を生きていくのに、困難が来るでしょう。詩篇 80篇から見るつもりです。今回、レムナントがヨセフについてのミュージカルをしました。どれくらい正確でしょうか。詩篇80篇を見れば、ヨセフを導くイスラエルの牧者です。今日、あなたがたがこの祝福を堅く握らなければなりません。それで、霊的な目が開かれなければならないのです。福音でなくては誰も勝つことができません。それで、私たちは福音を伝えるのに、単なる福音ではなくて、今どんな文化に陥っているのでしょうか? それが事実ならば、祈ればよいのです。
 
■ 私はむかしに、何の背景もなかったのに祈りをしました。私は実力もありませんでした。家、教会もありませんでした。私が飛行機からおりる時、神様の前に、このように家が多いのに、私は教会堂もないのですかと祈りました。このように、マッチ箱のような家が多いのに、これが神様の計画ならば、私も普通の人ではないですかと祈ったのです。それほど私には何にもなかったのです。今は、私たちの長老達、役員、タラッパンのすべての家族が私の背景です。いまは、レムナントが私の背景です。レムナントが手紙を書くと、最後にレムナントの誰と書きます。括弧で先生の右腕だと書きます。左腕は一名もいません。これくらい私には背景があります。なにを恐れることがあるでしょうか? 私たちのレムナントが大きくてなってきていて、私たちの聖徒の祈りをしているためです。このように神様が祝福を下さっています。なにが恐ろしいことがあるでしょうか? 契約を捕まえて祈ることを願います。この祝福を回復する貴重な日になることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、この祝福を絶対にのがせないように働いてください。どんな場合にも勝つことができる神様の契約を捕まえる日になるようにしてください。私たちレムナントとあらゆる聖徒たちが、霊的な目が開かれる日になるようにしてください。ずっと正確な神様の計画を見る目が開かれるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン.
 
 


 2部/ヨセフを導かれたイスラエルの牧者
(詩80:1〜19)
■ ヨセフを導かれたイスラエルの牧者。あなたがたは、今はいくつかのことを整理して、新しく出発すべきです。普通、学生達や私たちは、信仰が弱いと考えます。しかし、聖書はこのようになっています。 '受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった.' 私たちはなにかをたくさん受けねばならないと考えます。Iコリント2:12には '恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです.' 与えられたものがたくさんあるのに、私たちはそれも知らずに、まだまだ受けようとするのです。それで、恵みで与えられたものを知るようにしなさいと言われたのです。そして、私たちは時々、未信者のように未来に対しての心配を多くします。しかし、ピリピ1:6には 'キリストの日まで成し遂げて行かれるのです.' そして、私たちはまた心配します。どのように祈って答えを受けるのか? おもに学生達が多くする心配が、何の祈りをしなければならないか? ということです。ピリピ4:19'私たちの必要をキリストにあって満たす.'と言われました。クリスチャンが一番心配が多いのです。イエス様は、このようにおっしゃられました。 'あなたがたは、心を騒がせてはなりません。わたしを信じ、神を信じなさい。どんな状況にあっても心配しないで。天国が備えられているので心配しないで。聖霊が共にいるゆえに心配しないで。孤児のように放置しません。助け主聖霊があなたがたと共に、永遠にあなたがたの中に宿られる.' 聖書にはそのように約束されています。皆様は、この契約を必ずとらえて出発するべきです。行く中で困難がくることもあります。
 
■ 私は私達が勇敢で、熱心にしてだけ成功するかと思っていたのですが、必ずそうなのではありません。前に話したのですが、私は今でも考えれば3つのことは、考えるだけでも恥ずかしいのです。それは、小学校の時、教会で歌うのが恥ずかしくて歌うことができなかったことです。今でも考えれば恥ずかしいです。私がなぜ歌うことができなかったのでしょうか、歌えば良いのに.. あまりに恥ずかしくて、歌が出てこなかったのです。2年生なのか、3年生なのかよく分かりません。ちょっと大きくなって教会に行ったのに、誰かが祈りをさせました。祈りが出てこなかったのです。一番初めに公式にした祈りでした。それで "父なる神様、ありがとうございます." ここまではしたのに、その後に言葉が出てこなかったのです。それは本当に変です。私がそのように口に出して言えない人ではないのに、どうして、そのように祈りが出てこなかったのか、今考えても恥ずかしいです。たぶん、私の性格がそのようなのです。それで、私は神様が私のような人をよく用いられるのかと考えました。しかし、そうではありません。皆様は神様の子どもであるために、福音だけよく悟れば、キリストの日まで成し遂げて行かれるのです。
 
■ 私は少し前に日本で会った人のことですが、今考えても恥ずかしいのです。夏は暑いので、私達が幼い時は冷蔵庫もなくて、なんにもなかったのです。今はエアコンも出ていますが、その時はエアコンもありませんでした。それで、あまりに暑ければどうしようもありません。そして、あの店に行けば氷を削って、行って食べる程度でした。その時は、夏になれば路地にアイスクリームを売る人が通りました。たくさん通ったのです。すると、私達がそれを買って食べました。ある人は、たくさん売るためにくじを持って通いました。くじに番号があって、当たれば二つもらえ、そうでなければ一個だけというやり方で誘惑するのです。すると、アイスクリーム商売は、アイスクリームの缶をかついで、くじを持って回りました。唯一、私達が暑ければ食べるものがそれしかなかったのです。ところが、私より小さな子が、私達でその商売をしようと言いました。それで売ったのですが、私は今、考えても恥ずかしいのです。その子が一つの缶、私も一つの缶をかついで行ったのです、声が出てこないのです。これはずっと声を出さなければなりません。少し節を付けて、声を出さなければならないのです。一人でぶつぶつつぶやいていてはなりません。他の人の前でしなければならないのですが、それが絶対に出てこなかったのです。私より小さいその子は、とても声を出して行くのに、私は出てこなかったのです。
 
■ たぶん、皆様はそのような悲惨さは体験したことはないでしょう。私がどれくらい悲惨か分かりません。それで、できなくて、人がいない所に行きました。人がいないのに、行ってどのように売るのでしょうか? それで、私が練習でもしてみようと "ア" と言ったのに "ア"の口だけ開いて、声が出てこなかったのです。私より年齢も小さくて、私が見るには勉強もできない子なのに、その子が声を出しながら行くのに、私は出ないのですが、なぜ出てこないでしょうか。かなり重いものをかついで回っている途中で人が来たら逃げました。それで、私がどれくらい気落ちが落ち込んだか分かりません。私がなぜそうだったのでしょうか? もう一人の子はみな売って、もう一缶かついで売りました。私がどれくらい力がなかったかというと、その子の儲けたのに付いてまわりながら、お金をもらって使ったのです。それで私はその子がものすごく出世すると思っていました。時々、私たちがむかしの人々に会えば尋ねるでしょう? その子の名前がチョンギルなのですが、チョンギルはどのようになったのかを尋ねました。酒場でラッパを吹いているということでした。やはり声がよく出るのだなと思いました。ものすごく成功すると思いました。
 
■ 幸いなことに、何年か前に日本の空港で会ったのです。私にどんな仕事をしているのかと尋ねました。私は今、このようにしているという話をずーっとしました。名刺をひとつ渡したのですが、この人が福音を受け入れました。そして集会も参加したのですが、今は按手執事です。やはり、日本に行って声が良いことが特徴なのか、音楽の勉強をしていると言いました。本当に感謝しました。それで、私がアイスクリームを売ることができなかった話をしました。そうしたら、自分はちっとも思い出せないと言いました。私だけ一人苦労したからでしょう。このように弱い私が、どのように世の中を生きていくのでしょうか? アイスクリームの缶を持って "ア"の声も出せない私が、どのように世の中を生きて行ったのでしょうか? ところが、神様が神様の子どもとして呼ばれ、行く道にそのような人々よりも、もっと導いてくださいました。皆様が生きていくならば、困難がくることもあります。その時、どのようにしなければならないのでしょうか? それを今日、聖書に記録されています。皆様が生きている途中で大きい困難がきます。ある人は気落ちします。ある人は堕落します。とても酒を飲んで、麻薬もします。ある学生は学校も行かなくてさまよいます。ある人は困難に会えば、人の所に行って毎日話します。ある人はおかしな占い師を探します。解決する方法であるようで、解決もできないのに、しばしば人々はそのようにするのです。覚えなければなりません。
 
■ 詩篇80篇は、何の歌なのか知っていなければなりません。イスラエル民族がアッシリヤに捕虜になっていった時に歌った歌です。聖書は編集を前後にひっくり返す時があります。先週の詩篇79篇は、バビロンに捕虜になっていった時の詩です。すると、アッシリヤに捕虜になったのは、その前のことなのに、詩篇80篇はアッシリヤに捕虜になっていった時の詩です。たぶん、その時がBC586年ごろです。アッシリヤという強大国が、イスラエルに攻めて来たのです。イスラエルは、一つになれなくて、南の方はユダ、北方はイスラエル、このようになっていました。それで、イスラエルの男を洗いざらい捕虜としてつかまえて行きました。女は置いておいて、男だけつかんでいったのです。それで、イスラエルの男を捕虜として、世界の奴隷市場にみな売ってしまいました。そのようなことがあったのです。アッシリヤがそのようにしたのです。後ほどイスラエルの人々を集めればまとまってしまうから、売ってばらばらにしてしまったのです。すると、北方イスラエルは、女だけ残りました。ですから、アッシリヤにどんな政策を使ったかというと、全世界に奴隷を買って、みんなイスラエルに連れて行ったのです。
 
■ すると、どのようになるでしょうか? ですから、異邦の地から来た人々と女が結婚をするようになるはずです。それで、南のユダの人々が、イスラエルの人々を正しいイスラエル民族ではないと言ったのが、その時から来るようになったのです。北方イスラエルの首都がサマリヤです。それでイエス様がサマリヤの女を見て、水をくださいと言われたので、どのようにユダヤ人がサマリヤの女に水を求めるのかと質問をしたのです。その話はなんの話でしょうか? ユダの南の人が、北方サマリヤ人を人扱いをしなかったのです。そして、バビロンに行く時は、サマリヤを通過して行くのがいやで、遠回りして行ったりしました。そのような背景が、この時、出てきたのです。だから、どれくらい苦しみを受けたということでしょうか。この時、歌った祈りと歌が 詩篇80篇です。
 
■ すると、皆様が困難に会う時、どのようにすれば良いでしょうか? これから、私たちレムナントに問題がきたら、どのようにしなければならないでしょうか? その時は、今日のメッセージを記憶しなければなりません。困難がきた時、イスラエル民族の信仰が良い人々は、どのようにしたでしょうか? 今日、詩篇80篇にたくさんあるのですが、4つほどが出てきます。詩80:1にこういう言葉があります。 'イスラエルの牧者よ。聞いてください。ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ。.' これはなんの話でしょうか? ヨセフを導き通されたイスラエルの牧者だと歌いました。この話は、レムナントのあなたがたが信仰生活をするあなたがたが、困難 に会う時ごとに、神様がヨセフを導きなさったことを見なさいということです。なぜ多くの信者の中でヨセフを出したのでしょうか? これが重要です。多くの信仰の指導者がいるのに、なぜヨセフを出したのでしょうか? これが重要な話です。レムナントや信仰生活をする人々が、一番に崩れる所が、家庭です。信仰生活をよくするか、しないかというしるしは、おもにどこから出てくるでしょうか。家庭から問題になります。皆様の知識、皆様の背景、あらゆることがみな家庭から始まるために、ヨセフを出したのです。これは、おとなの皆様やレムナントには、とても重要なのです。必ず記憶しなければなりません。私たち学生達が、まちがいなく記憶して行かなければなりません。ヨセフは孤独に育ちました。家庭自体がそうです。お母さんの顔もよく知らないのです。皆様ならば、どのようにするでしょうか? お母さんが、どれくらい貴重でしょうか? お母さんの顔も知らなかったのです。
 
■ 私が、私の小さい孫が来て、車に乗せて行くと、この子が車に乗ってする事があります。母親がどこにいるのかを確認します。そして、母親がこの車に乗ったことを知れば、その時から私に親しいふりをするのです。私の娘シネが幼い時、どれくらい頭が良かったか、どんなに話をしても引っかかりません。小さい時、パパが良いのか、ママが良いのかをたずねました。こういう質問は、本当に悪い質問です。とても難しくて、無知な質問なのですが、おもしろくて尋ねます。小さい時、私の娘シネは、考えることもなくパパが良いと言いました。すると、まちがいなく母親が尋ねたら、ママが良いと言います。この子は、このように頭が回ったのです。小さい時、本人もよく知らない時、言葉がやっとできる時でした。一緒にいる時に尋ねて、ママが良いのか、パパが良いのか、はっきり言ってちょうだいと言います。すると、何と返事をするかというと、全く同じだと言います。すると、私がそれでも、その中で誰がより良いのかと尋ねます。すると、それでもまったく同じだと答えるのです。絶対に引っかかりません。もちろん、私一人でいる時に尋ねれば、まちがいなくパパが良いと言います。このように瞬発力があって、頭が回ります。そして、寝ながらパパが良くて、ママが良くてと説明している途中で眠り込めば、鼻がママの方向へ行きます。私が感じたのは、パパとママは比較ができないんだなということでした。 パパはそのまま勉強をよくさせてあげれば良くて、ママが本当に重要だと感じました。
 
■ 私が幼い時、時々私の父母がけんかをしたら、いつでも私の母を応援しました。事実、内容を見れば小言は私の母がより多く言って、私の母が話を良くして怒らせたのに、けんかをする時は、私は私の母に肩入れしたのです。これは、どうすることもできません。母が私たちを産んで育てたために、父とは比較ができないのです。それで、母なく育った子ども達は、かわいそうです。ヨセフは、お母さんの顔を知りません。お母さんが、どのような人だったかも知りません。自分がやっと大きくなってきた時、弟を産んで死んだのです。その弟がベニヤミンです。それでヨセフはベニヤミンを特別に面倒を見たのです。そのお母さんラケルという人が、ベニヤミンを産んで死んだゆえに、ヤコブもそこに対する特別な愛があります。このように孤独に育ったのに、ヨセフは何をしたのでしょうか? その孤独さを全部、祈りに変えました。ヨセフを覚えましょう。どれくらい祈ったでしょうか、一時代のメッセージを見たのです。それが創世記 37章です。ヨセフが、その孤独さの中で崩れないで、神様の前でただ祈っていたら、世界的なメッセージを見せてくださったのです。
 
■ 皆様、ここで早く気づかなければなりません。私達に困難が来たり、本当に話す所がなくて、孤独で、こういう時は、本当に神様の恵みを受けることができる深い祈りの内に入っていきましょう。これを必ずレムナントの時、習うべきです。皆様が途方もない祝福を逃してはなりません。その時、祈りの中で見なければならないのです。より正確に話せば、神様がヨセフに重要なことをくださろうと、そのようにさせられたのです。それで 'ヨセフを導かれたイスラエルの牧者'と言いました。その程度ではありません。家庭問題が、普通の問題ではありませんでした。いくらでも気落ちできたのです。ここに皆様が、家庭がどんなに良くなくても、ヨセフの家庭と比較すれば、なんでもないでしょう。家庭がその時代がそうですが、自分のお母さんは死んでいないのに、他のお母さんが三名もいました。だから、ヨセフをとても嫌います。人間は大きい人物でなければ、全部ねたみ、嫉妬があります。他人の事情を知っているでしょうか。ヤコブという人が20年投資して得た妻がラケルです。だから、聖書を見れば、ヤコブという人は、恋愛は執拗にした人です。ラケルが気に入って、ラケルを得るために20年も投資しました。残念なことに、その女性が死んだのです。ベミヤミンを産んで死んで、ヨセフを産んでいました。だから、ヤコブが心でとてもヨセフを愛したのです。このようになるから、お母さんと他の兄たちが、ヨセフをそっとしておきません。
 
■ どの程度になったでしょうか? ヨセフを殺そうとしました。私達が冗談で "死ね"と言うのは、本当に殺すこととは違います。冗談のように "殺す.", "おまえは今日死んだ." と言うでしょう? 私はそのように死ぬならば、百回以上も死んでいるでしょうが、そのように話します。これはそのようなことを言うのではありません。本当にヨセフを殺そうとしました。その中で兄一人が止めたのです。それで、殺そうとヨセフを穴に落としたのです。そこに、もし水があったならヨセフは死んだでしょうが、落としてみたら水がありませんでした。ヨセフがおじけづいて、兄達に助けてくださいと言いました。ヨセフが頼むのを見て、ユダが心でかわいそうに思ったのです。兄たちをみて殺すのをやめようと言いました。殺さずに売ろうと言ったのです。売ればお金にもなるのに、なぜ殺すのか? これでヨセフを売るようになったのです。服ははがして羊の血を塗って、父に死んだと報告しました。こういう困難をヨセフが体験したのです。
 
■ それでヨセフがどこへ行ったでしょうか? 皆様が知っている通り、奴隷で、そこで濡れ衣を着せられて、監獄に、そうしたあと総理になったではないでしょうか。今回のみことばが、私たちと共であるという証拠が、今回レムナントがしたミュージカルがヨセフです。これを記憶しましょう。必ず記憶しなければなりません。レムナントは、家庭環境に絶対に言い訳してはなりません。それを祝福の土台にしましょう。家庭環境が良いと成功するという保障もなくて、家庭環境が良くないと失敗するという保障もありません。レムナントのあなたがたと私たち信仰生活する方達は、この部分がとても重要です。可能ならば、この分野に祈らなければなりません。それでもし、今日以後にあなたがたがあらゆる家庭で受けた傷があれば、すっかり捨ててなくさなければなりません。これを全部、祝福の土台にみなさなければならないのです。すこしより頭がある人は、深く考えてみて、それを背景にして変えなければなりません。そのようにだけできれば、あなたがたは本当に答えを受けます。より正確なことは、あなたがたにあった家庭環境のメッセージが、全部答えのメッセージです。
 
■ 学生達が五つの悩みを私に出しました。そこに対する返事を私がだいたいしたのですが、その質問は嘘でないようです。一番目の質問は、両親ゆえに受ける傷があまりに多いということでした。そして、私の両親があまりにバカ正直で、対話ができない。うっとうしい。そのように話しました。私たちの教会のおとなは、耳を大きくして聞くべき話です。そして、教会に行ったところ、こういう話し、ああいう話しであまりに葛藤が生じる。ですから、普通に話すけれど、信徒が話を用心しなければなりません。それを鋭敏に子ども達が聞くために、そのようなもので葛藤が生じます。そして、私は学校でもそうで、教会でもそうで、家でもそうで、私の位置をどのようにすべきか分からないと言いました。それが4番目の質問でした。私はみなそのようなことではないのですが、大部分の学生達が、そうかと考えるのです。五番目は何の質問をしたかというと、文化に対する質問をしました。こういう4つのことができない状態で、私たちの子ども達が外に行くので、世の中の文化に勝つことができないのです。
 
■ 私は、本当に神様に感謝申し上げました。どのようにして、私達がレムナントという単語を使うようになったのでしょうか? どのようにして、私達が共同体という単語を使うようになったのでしょうか? どのようにして、本当にわかることもできないのに、子ども達に文化の働きという話を私達がするようになったのでしょうか? 本当に神様の恵みです。この苦しみに会った時のヨセフを考えましょう。皆様、この契約を持って信仰生活をすれば、大きい答えがくるようになるはずです。どんな問題でも気落ちせず、ヨセフを考えましょう。より重要なことは、ヨセフを考えず、ヨセフを導かれた神様を考えましょう。恐れる必要がないということです。このヨセフの立場で見れば、ヨセフが全部、活用したのですが、神様の立場では、ヨセフを終わりまで導かれたのです。どんな困難にも勝つことができます。
 
■ 2番目に出てきました。 80:8です。 'あなたは、エジプトから、ぶどうの木を携え出し、国々を追い出して、それを植えられました。' ここになぜぶどうの木が出てきたのでしょうか? 皆様、ぶどうの木は、イスラエルの国の最も重要な木です。一言で話せば、ぶどうの木は、イスラエルでいのちと同じです。水の代りにぶどう酒を飲みます。皆様、木の中で、果物の中で、私たちに一番健康に良いものがぶどうだということです。このぶどうの木は、簡単に話せば、救いを意味します。 'わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です.' イエス様がこのようにおっしゃられました。 'あなたがたが、わたしの中にいれば、多くの実を結ぶはずです' 詩篇128篇に 'あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ' ものすごく重要です。救いの秘密を逃してはならないということです。長く話をする必要がありません。どんな環境の中でも気落ちする必要がなかったヨセフの契約を捕まえましょう。救いの秘密であり、いのちなるぶどうの木の契約を説明して、救いの契約を捕まえましょう。
 
■ 80篇10-11節です。 '山々もその影におおわれ、神の杉の木もその大枝におおわれました。' 'ぶどうの木はその枝を海にまで、若枝をあの川にまで伸ばしました。' 根がそんなに下ろされたのに何のようでしょうか? 杉の木のようだということです。皆様、杉の木はものすごく重要な言葉です。エルサレム神殿を建てる時、おもな木が杉の木です。エルサレム神殿を建てた時、大きい柱二つあるでしょう。それが杉の木です。杉の木、この木の特徴があります。歳月がどんなに過ぎても腐りません。すごいものです。ずっとそこから香りが出ます。他の木はみな虫がくるのに、この木には、虫がくることができないらしいのです。虫がきても、杉の木のにおいをかいで逃げるらしいのです。ところが、実際、人には香りになるのです。木が長くたてば腐るのに腐りません。意味が大きいのです。それで、あの山にあるバビロンにある杉の木を切って、水に浮かばせて持ってきて神殿を建てたのです。教会回復です。あなたがたは、教会生活に絶対に試みに会わないようにしましょう。教会生活を反対に上手にやらなければなりません。あなたがたは、教会に対する祝福を味わわなければなりません。このようにしていけば、私たちレムナントは、どんな場合も失敗しません。
 
■ 色々な話しがあるでしょうが、特に19節に出てきました。 '万軍の神、主よ。私たちをもとに返し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。' 私たちに主の御顔の光を照らしてください。神様の国という意味があります。創世記1:3に、主の光を照らしてください。私たちの根本でもあって、使命でもあります。4つのことをのがさないようにしましょう。ヨセフを記憶しましょう。最高のいのちなる木、ぶどうの木を覚えましょう。エルサレム神殿の柱になる杉の木を覚えましょう。皆様、柱のように用いられるように願います。より重要なことは、私たちの内面を癒すことができる主なる神様の光。簡単に話せば、この 歌を歌いながら、困難を克服したのです。このことがイスラエル民族が歌った詩です。契約を握ってくださることを願います。すると、行く中にどのようなことも全部、ひっくり返って良いことになる驚くべき働きがおきるようになるはずです。 '起きよ。光を放て.' すると、残りはみななっていくのです。その光を照らして下さい。Iペテロ2:9には、私たちにこの光を表すために呼んだとなっています。これからあなたがたレムナントと私たちの神様の祝福を受ける人々が、この契約を見ながら決断を下さなければなりません。
 
■ 信仰の根をおろしましょう。大きい信仰を持ちましょう。未信者よりましな信仰を持ちましょう。時々、下手すると、未信者より信仰がありません。未信者より信仰を持ちましょう。本当にせつないことです。今回、学生達の集会の時、パルボン山に行ってみると、とても大きなお寺を建てていました。教会堂は小さいのに、お寺は途方もなく大きなものを建ててありました。これが慶尚道、慶尚南道、慶尚北道の問題だなと思いました。皆様、信仰が大きくなるべきです。私たちの信仰が根をおろして大きくなるべきです。私たちは信仰生活をしていれば、信仰がなくなる時が多いのです。私たちのレムナントと皆様が本当に何を持たなければならないのでしょうか? 信仰を持たなければなりません。信仰なしでは、喜ばれることもないのです。信仰には必ず結果がきます。信仰通りになるのです。ですから、この信仰には不信仰も不信仰の答えが来ます。私達の信仰が揺れれば、揺れた答えがきます。まして、神様の力を信じる信仰の通りになるのです。皆様が本当に今日、神様の力を信じる信仰を回復しなければなりません。今日、この本文を見ながら、私たちは何を考えなければならないのでしょうか? これから、私たちレムナントとあなたがたは、信仰も信仰ですが、うつわを準備しなければなりません。
 
■ 私が日本に行ってみました。日本人も私たち韓国人と似ています。いろいろな人を見て感じたことがあります。韓国人がどうだという話しをしました。日本の人々も、こういうことがあるんだなと思いました。私たちを無視すると話しました。そのようなことがあるんだなと、聞いて祈りだけをします。私たちを、あまり無視して、してくれないというように話したのですが、してくれるようにたずねる人もいるのかと思われました。そのような人々もいました。そのようなことを見る時、私たち韓国の人々と似ています。人は、みなそうです。ところが、そのようでない人はそうではありません。前に話したではないでしょうか? 牧会をよくしていたのですが、タラッパンに会ったのです。この方が、メッセージをしたので、教会に人がいっぱいやってきました。日本でもまったく同じです。教会で集まっていくので、信徒を抜かれると、その人を呼んでタラッパンをするなと言われました。ですから、この方が "私が見る時は真理だ。すると、私は牧師、教会みな放棄して行って 伝道する."と言ったのです。そして、この人が出て行きました。出たら、信徒が全部ついて出てきました。一名、出てこなかったのですが、それはとても悪い一名で、みなついて出てきたのです。だから話す言葉がありません。私が人を見て、この人はとてもすばらしい人でした。私が見る時、とても良いので、その方が話をしなかったのに、私が人を通して連絡したのです。建物をひとつ買うか、借りるかしなさい。手助けします。人がとてもしっかりしていたのです。それで、その方がとても感謝すると言うことができたのに、驚くに値する答がきました。前に話したではないでしょうか? もらいませんと言いました。高慢にもらわないと言うのではなく、もらわないほうが良いと言いました。理由が何か? というと、私たち信徒が祈って、力を得てしなければならず、このようにもらったら、私たち信徒の信仰が大きくならないということが理由でした。そして、より重要なことは、この人たちが自分と親しいからついて出てきたが、福音をより知らなければならないので、 建物が問題でも、お金が問題でもないと言いました。ですから、助けを受けることができないと言いました。
 
■ 私は驚いたのです。答えを受ける人々は、うつわが違います。答えを受けることができない人々が来たら、夫をみて妻を見て、私にしてくれたことが何か? そのように言うのですが、なにをしてくれることがあるのでしょうか? そのような人は、どんなにしてくれても感謝を知りません。しても全部、肉体的なことであって、感謝がありません。こういううつわになって行けば、あなたがたは本当に苦労します。そのように誤らず、本当に素晴しいうつわになりましょう。ここには、私たちの女学生も多くいます。男子学生も多いのです。私たち聖徒達がたくさんあります。私たちは本物の信仰を育てて、うつわを準備しなければなりません。 あらゆる傷のようなものはみな捨てて行きましょう。私たちの教会に捨てず、行く時にごみ箱の底にみな捨てましょう。あなたがたは、そのようなことを持っていてはればなりません。大きいうつわならなければなりません。キリストが完全な方で、神様が創造主の神なのに、私たちが神様の子どもなのにということです。他人の助けでも受けようとして、ねたみもしながら、大きくなってはなりません。日本でも見ると、復興している教会がありました。こういう教会の特徴が、みな神様に感謝。先生が本当に福音を知らせてくださって感謝。私達がくれという話しもしないのに、レムナント集会すれば献金を送ってくれます。ある教会は、出して下さいと言うとしかめ面をします。くださいという話しもしなかったのに持って来るのです。どんどん祝福を受けます。
 
■ 今回も見ると、日本のイ・ジョンウ宣教師は、建物を買って私たちに本部の名前にとしようと言いました。信徒を説得させたということです。私達があまり良いことがあれば、欲が生じるから、本部の名前でしておこう。それを私達が受けるとしても、受けないとしても、中心が違うでしょう。それで、神様の祝福で今回また土地を買ったということです。神様がどんどん働かれるのです。神様は答えてくださる神様なのに、それを知らなくて私達が信仰も小さくて、うつわもだめではなりません。皆様、聖書にレムナント 7人を見ましょう。うつわが違います。すると、未信者にみな抜かれるのではないでしょうか? とんでもない言葉です。そのような水準ではありません。ダビデを見ましょう。「あのサウル王があまりに狂ってしまった。あれを塞ぐべきだ。防止する道は何か? どんなにしてもだめだ。あの人をなくすべきだ。」と言われた時に、言いました。「主が油を注いだしもべに手を付けることは、神様が許されない。もしそうなら、主がなさるはずだ。」ダビデは絶対に揺れませんでした。ですから、サウル王を殺した兵士がほめてもらえるときたのですが、殺されました。ダビデが無条件に人を赦したのではありません。王を殺して、ほめられると思って来たのですが、首が飛んだのです。
 
■ すでに人が違います。ヨセフがビジョンを持って常時祈りました。兄はいつも常時、服、パンでした。後ほどヨセフは総理になりました。兄たちは、ぶるぶる震えたのです。これで、私たちは死んだんだなあとぶるぶる震えたのです。これで私たちは殺されるなあ。水準がそれ以上になりません。私たちはヨセフを売り飛ばしたので、死んだと思っていたのに生きているんだな。それも総理になった。これから私たちはみな殺されるな。ぶるぶる震えたのです。どれくらい震えたかというと、水準が別のヨセフが、兄達を見て心配するなと言いました。兄たちが、私を売ったのではなく神様がなさった。困難に会う時、そのヨセフを記憶しましょう。今日の本文がその話です。私たち信仰人、レムナントは、誰が何と言っても、うつわを準備しましょう。すると答えが正確に来るようになっています。皆様が持っている傷、特に私たち学生達、皆様が持っているひねくれた考えをみな正しくしなければなりません。ある学生は、お金だけあれば良いと言うのですが、それがすでに曲がっているのです。何でお金だけあれば良いでしょうか? そのように大くなれば大変なことになります。またある学生達は、おとなを見てとても批判します。そのようにしないで。あなたがたが大きいうつわに成長しましょう。この祝福が私たち聖徒とレムナントにあることを願います。アッシリヤに捕虜になった時の祈りの答えです。神様は確かに答えられるだけでなく、皆様がどんな困難の中にあっても勝利できるのです。問題がくればどのようにするのでしょうか? この契約だけ握りましょう。皆様が生きていく間に、困難が来たら、どのようにするのでしょうか? この契約を捕まえて勝利しましょう。私たちレムナントとあなたがたに新しい出発があることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちが残った時間にも、私達に力と勇気を与えて下さい。健康を回復させてください。新しい一週間になるようにしてください。今日、この時間に私達に霊肉とも健康を与えて下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン