2004年9月5日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 変わるべき私たちの信仰
(ルカ9:28〜36)
  
・何年か前に私が米国で最高の神学大学から、講義を招かれました。ちょっと悩みがありました。この方達に私がこの話をすれば、どのようになるだろうかをいう気がしたのです。イエス様が誰か?と尋ねれば、どのようになるでしょうか? その方たちが怒るでしょう。イエス様が誰か?このように聞くならば、そこに集まった方達は、博士なので、ほとんど牧師たちです。まちがいなく、私をあざ笑うだろうという気がしたのです。すると、どのようにしなければならないでしょうか? 私が見るのには、よく知らないようでした。これが葛藤でした。私が見る時は、この方はよく知らずにいるのに、自分は理解していると考えています。数百名の博士が座っていました。私をなぜ招いたのかは知りませんが、とにかく、そのようになったのです。それで、私がこういうことを話しました。私が今日、皆様に報告をしにきたと言いました。その方たちの心の門を開けるために、謙遜に言うために言ったのです。世界のクリスチャンは、揺れています。困難に会っています。確信もありません。そばに救われるべき人がいても説明もしてあげることができないのです。そして、祈りの答えも受けることができません。外側では、霊的問題がものすごく起きています。こういうものを全部、説明しました。なぜそうなのでしょうか? なぜこのようになったのでしょうか?
 
・それで、イエス様がこのように尋ねられたのです。あなたがたは、わたしを誰だと言いますか? エリヤのようだ。エレミヤのようだ。バプテスマのヨハネのようだ。預言者のようだ。今、私達がこのように信じているのです。信仰生活を長くした人が言う話が、この頃には熱心に出来ないということです。このごろ信仰生活がよく出来ずにいる。なぜそうですかと尋ねたら、明け方祈りにも行くことができなくて、徹夜祈りにも行くことができなくて、教会の働きもすることができなくてと言います。ほとんどそのように思っています。もちろん、悪い話ではありません。ですから、信仰生活を長くした人たちが、そのように思っているのです。そして、職場にも行かなくて、山に登って祈ります。それをエリヤのようだと言います。ある人は、救済運動して、善行をします。悪い話ではありません。社会運動をするのです。悪い話ではありません。それをバプテスマのヨハネのようだと言います。苦しんで、貧しく生きて、質素に生きて、難しく生きて、自分を押さえて、節制します。すると、信仰をよくしているのかと思います。もちろん、そのような必要もあります。何でしょうか? エレミヤのようだということです。そのように信じているということです。あなたがたは、わたしを誰だと言いますか? 弟子が答えられません。人々がそのように話しているが、あなたがたはわたしを誰だと言いますか? その時に、ペテロが答えました。 '主は生ける神の御子キリストです.' その話は、なんの話でしょうか? この話を知らないのでしょうか? イエス様がとても驚いて、バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。あなたは、本当に祝福された人だな。これをあなたが、どのように知ったのか? これは、血肉によるのではなく、天におられる父があなたに知らせられたのだ。あなたはペテロだ。わたしがこの岩の上に、わたしの教会を立てる。ハデスの勢力があなたに勝てない。天国の鍵をあなたに与える。
 
・今日、私が皆様にこれから皆様の残りの人生が成功する道が本当にあると言うと、信じますか? 皆様が行く所ごとに、伝道運動が起きて、多くの実が起きると言うと、その話を信じることができるでしょうか? この話は、普通の話ではありません。先週に私たちが読みました。それで、私がその牧師達にキリストをよく知らないから、信徒が揺れていると話したのです。牧師は、キリストの説明をよくしてあげてくださいと言いました。分かったようでした。本当に主の恵みです。雰囲気を見れば分かるでしょう? その博士たちが分かったのでした。中間に一時間休んで、二時間目の講義をしたら、前の席に集まってきました。初めての時間に講義した時は、後のほうに座っていたのです。前は空席で、後に座っていたのです。ところが、二時間目の講義をしたら、全部、前に集まりました。全部、鉛筆をみな持っていました。幸いです。終えて出てくる時に、博士一人が私の手をつかんで言うことには "先生、本当に感謝です。私はキリストを専攻した博士です。一度も伝道できなかったのです。私は文字でだけ知っていました。これから、実際に知らなければなりません." その方がそのように告白したのです。それで感謝すると言いました。一緒に笑顔で話したのでした。
 
・夏のことです。小学校の前で、いろいろな教会から出てきて、紙を配りながら夏聖書学校の時、私たちの教会に来てちょうだい、と言っていました。小学校の門の前で、熱心な多くの教会が外でお互いに来てちょうだいと、パンフレットを配ります。本当に幸いなことです。どれくらい熱心でしょうか? その人々が、私たちの教会の夏の聖書学校に来なさいと案内状を渡すので、どれくらい熱心でしょうか? どれくらい幸いでしょうか? しかし、私はそのように考えません。小さい小学校3年の子が執事にキリストが何かと尋ねました。この子は知って尋ねたのでした。キリストはだれですか? 紙を配っていた執事が知らなかったのです。行きながら、キリストも知らないのに、と言いながら行きました。だから、この執事が追いかけて行ったのです。名前は何か?どの教会に行っているのかとたずねたのです。名前は何で、どの教会に行っていると答えました。家の電話番号をちょっと教えてください。それで、教えたら、夜に電話がきたのです。訪ねてもかまわないか? おとなが子どもに言ったのです。それで、来て下さいと言いました。来て、子どもにキリストは何の話なのかを説明してくれと言ったのです。本当にあったことです。だから、どのようになるでしょうか? この世はますます困難がやってきます。
 
・これから、4つの病気ゆえにみな死んで行きます。最初、精神病です。多くなるしかありません。正確に話せば、サタンの病気です。誰が直すことができるでしょうか? 地球上で一番多くなります。ですから、レベルが高い人の家でもあって、レベルが低い人の家にもあって、ですから1戸に1・2名ずつほとんどみないます。新聞で発表されました。日本の人々が病気になった。何の病気なのかと言うと、人と人が目をみつめるできない病気がある。新聞に出たのです。しかも、その下にこういう記録がありました。1戸に必ず一名以上、精神病患者がいる。そのようなことです。これが、レベルの差があって、表に見えのも、見えないのもありますが、精神病があまりにも多いのです。それで何の患者がたくさん出てくるのかと言うと、2番目に21世紀、最も深刻な問題が、麻薬患者がたくさん出てくるということです。それで、三番目には堕落して、一番たくさん生じる病気がエイズです。それで、人間には自分が努力しても関係なく来る病気が癌です。これが20世紀もあったのですが、21世紀には深刻に来ます。幸福がありません。それで、成功したかのように見えるのですが、ものすごく努力するほど成功せねばならないのに、困難がくるのです。あなたがたは、わたしを誰だと言いますか? 重要な質問です。人々が、人の子を誰だと言いますか? '主は生ける神の御子キリストです.' この話は、皆様と私には説明が必要です。しかし、ユダヤ人には説明が必要ではありません。なぜ必要ではないのかというと、その人々が待っているキリストがあるためです。私たちは、説明を聞いて、信じて、救われますが、その人々は説明が必要なく 'キリスト'と言えばわかるのです。なぜそうなのかというと、メシヤを待っていたゆえに、キリストがいらっしゃったと言えばわかるのです。反対しようが、しまいが、話はわかります。私たちには、説明が必要です。
 
・王、預言者、祭司に油を注ぎます。いいかげんに、私一人で明日から王になると言って王になるのではありません。明日から私が祭司をしてみるから、そのように思いなさいと言ってなるのではありません。 "あなたは王だ." と言って、頭に油を注がなければなりません。 "あなたは、これから祭司になった." "大祭司だ." "あなたは預言者だ." 油を注がなければなりません。この '油を注がれた者'という意味がキリストです。すると、祭司、預言者、王は何でしょうか? イエス様がこの重要な役割をみななさったということです。皆様を静かに永遠に滅ぼすサタンの勢力を打ち破った王。私と皆様は失敗するしかありません。罪と呪いをすっかり解決なさった祭司。神様に会うことはできません。救いの道を開けてくださった預言者。何の話なのか知っているでしょうか? ですから '主は生ける神の御子キリストです.' バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。そして、先週の最後の話しが何だったでしょうか? 先週にルカ9:27に 'しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。' それがなんの話でしょうか? 死ぬ前に神様を見る? それがまさに今日の本文です。変化の山に連れて行って、重要なことを見せられました。モーセ、エリヤ、イエス様の三人を見たのです。ところが、モーセも消えて、エリヤも消えて、キリストだけが残った光景を見たのです。私と皆様が変わらなければならない部分です。皆様、今から答えを受ける祝福を本当に味わおうとするなら、どのように変わらなければならないのでしょうか? 先週の説明から今日の説明まで、必ず聞いて、答えを受けてくださることを願います。どのように変わらなければならないのでしょうか? 私達が、どんな変化を受けなければならないのでしょうか? どのようにすれば、答えが来るのでしょうか? あなたがたが、私の話を聞かず、神様のみことばを見るように願います。
 
・最初です。神様の国が臨む祝福を見なければなりません。これが何の話でしょうか? 今日、見たと言われているでしょう。弟子が見て、ペテロ行って見たら、なにか驚くべき光景を見たのです。まさにこれです。例をあげましょう。アブラハムがどんなに信仰生活しても、困難だけがずっときました。ある日、見たのです。何の見たのでしょうか? 創世記13章を見れば、自分のおいと戦わず、財産を譲歩して、みな出して、祭壇を積み始めました。ですから、見たのです。神様、私が正しく信じねばならない。私が恵みを正しく受けなければならない。それを見たのです。それが私達が変わらなければならない一番目です。皆様、初信者はよく知らないでしょうが、説明が必要でしょうか? どんなに、どんなに苦闘してもだめなのです。アブラハムが、不信仰、自分のおい、全てのものをすっかりみな捨てて、神様の前にひざまずき始めたのです。その時、神様が何とおっしゃったでしょうか? アブラハム。あなたは東西南北を眺めなさい。縦と横に歩いてみなさい。あなたが見た所を、全部、あなたに与える。あなたの踏む地をみなあなたにに与える。アブラハムが後ほど、どのようになったでしょうか? ソドム、ゴモラで、自分のおいは滅ぼされても、アブラハムの家にはしもべが318人でした。それが重要なのではありません。何かを見なければならないのです。これが信仰生活の一番目です。何かを見るべきではないでしょうか。アブラハムが、なにかを見たのです。これができない以上、私たちはいつも苦闘して、いつも限界が来て、いつもむずかしいのです。
 
・他の物をみな飛ばしても、ヨセフを見ましょう。どのように困難に勝ったのでしょうか? なにかを見たのです。太陽と月と星が手をついて礼をして、世界福音化が何か見たのです。正確に一度考えてみましょう。ヨセフが苦しんだことがありますか? ありません。よく見てみましょう。ポティファルの家に奴隷で行ったのに、総務になりました。ポティファルが見て、ヨセフが良くて、自分の息子よりより高めました。私が家、鍵、全部、君に任せよう。ヨセフがなにかを見た人なので、答えがずっときたのでした。ヨセフを見た人は、みなそうでした。聖書を見ると、ポティファルの妻は、ヨセフを見て毎日ウィンクしたと書かれています。監獄に行って苦労したでしょうか? していません。よく見ましょう。どうして、このようになるのでしょうか? 何かを見たのです。神様の国。とても重要です。皆様がこれを置いて祈らなければなりません。神様の民は、何かを見るべきだという話です。みな飛ばして、皆様が知っている話だけしてみましょう。年齢が80になっても、祈りの答えが来なかったのです。エジプトで40年間、習ったのに、答えが来ませんでした。40年間、ミデアンで羊飼いをしながら、苦しみの中にあったのに、答えが来なかったのです。モーセです。そんなにも難しくなる必要がありません。何かを見たのです。ホレブ山での話です。神様の力と契約と驚くべき働きをしました。この時から、残ったモーセの生涯に驚くべきことが行われ始めました。何の話なのか知っているでしょうか? ダビデが何かを見たのです。何をでしょうか? 神様の国。天国に行く前に、神様の国を見なければなりません。
 
・弟子たちが今日、これを見たのです。皆様、どのように考えるのでしょうか? むずかしいと考えるでしょうか? 私は3つのことを見ました。福音は、すべての問題を解決する。それで、私たちは伝道するために、全てのことをみなする。神様は、ご自分の民を捨てないだけでなく、伝道者を捨てられたことがない。まちがいなく迫害は受けるけれど、百倍で祝福を受けると聖書に記録されています。私はそれを見たのです。本当に見なければなりません。私は本当に見ました。ところが、驚くべき事があります。私の人格ではできません。ところが、その時から答えがきたのです。より驚くべき事があります。私にはできません。福音だけ伝えてきたのに、不治の病気の人が直ったのです。私は見ました。今、釜山インマヌエルに座っている勧士たちが、みな証人です。とうていよくなることができない病んだ人々に、ただイエスだけを話してきたのに、癒されました。私は見ました。皆様も見なければなりません。これが職場と関係ないでしょうか? これが皆様の家庭と関係ないのでしょうか? 私が見る時は、一番関係が深いのです。皆様が今、何をしようとしていますか? それと関係ないでしょうか? それなら、未信者とまったく同じです。未信者と全く同じならば良いでしょうが、未信者よりだめなのです。皆様、花がここにある時は美しいけれど、腐ってしまえば、臭いも異常で見たくなくなります。私たち救われた者が、神様の国ということを見ることができなければ、未信者より悲惨です。これを見るべきなのです。 '死ぬ前に神様の国を見るはずだ.' 死んだ後に見ることは、救われて天国に行くので、死ぬ前に神様の国を見るべきなのです。それで、私は知っています。教会の中、私の家、私の周囲にもし問題がくるならば、その後には必ず神様の祝福が、神様の計画が隠されています。私は問題がくれば、祝福が来たなあ、そのように考えます。聖書を見ましょう。試練がきた、祝福が来るんだな。私がある時は、重要な集会を控えていたのですが、内外であがきがおきました。そうだ、重要な祝福の時間が来たなあ。ある時は、私がとても重要なことを置いて訓練したら、内外で狂ったことをしました。そうだ、今、祝福が来たなあ。揺れるために来ているのでしょうか? これを見なければなりません。皆様は全部、とんでもないことを見るのです。正しい、正しくない、誰がどうだ、何が正しくて、正しくなくて? なる、ならないは、神様の御手にあります。皆様、必ず契約を捕まえてくださることを願います。
 
・イエス様が神様の国の説明を40日間して行かれました。皆様がこれを見てこそ、その時から信仰生活になって、なにがなるのです。確かに死ぬ前に神様の国を見る者がいると言われました。この弟子たちが見たのです。どの人もこれを見ることなしでは、信仰生活ができません。どの人もこれを見ることなしでは、伝道、宣教が出来ないのです。もし復興するならば、それゆえに問題になります。もし教団が大きくなるならば、それゆえに教会の権力を主張するようになります。私は確かに見ました。歴史で、教会史での話です。韓国教会ごとに大きい教会は戦って、大騒ぎです。どのように、この福音を伝えることかに対することではありません。 どのようにすれば、私たちの息子、私たちの家族、親戚に残して行けるか?という状況です。私はそのようなことを静かに見て、今回、答えをひとつ受けました。
 
・私の息子は、死んでも牧師になることがいやだと言うのは、本当に神様のみこころです。自分は絶対にできないと言います。高神大学に送ったのに、試験に行って、面接の時に主の祈りはどこにあるのかと尋ねたられたということです。私の息子が何と答えたかというと、賛美歌の裏表紙にあると言いました。正しい答を話したのです。教授たちが、驚いていたそうです。それでも、特別上位で合格しました。特別上位には、勉強が良くできる子ども達が入っていくのです。行ってみて言う話が、その学校には行かない。そこきて、あちこちで賛美を歌っているというのです。結局、それで通わなくなりました。本当に幸いです。神様は、私たちの人生を短く見られるのではなく、全体を見ていらっしゃいます。何を持って私達が戦って、何に関心があって、なにをしているのでしょうか?
 
・私は神様の人々に必ず頼みたいのです。見ることを見なければなりません。神様の国。これを見た人は揺れないのです。これを見た人は、そんなに人と話す言葉が多くて、そのような必要もありません。これを見た人は、そんなに夫、妻、人を見て試みにあいません。これを見た人は、教会にきて要求事項が多くて、つぶやきが多いことはありません。それらは、みな見ることができないからです。この神様の国を見て、信徒を一度見てみましょう。とても尊く見えます。この方達が神様の国の民で、主のしもべの人々です。確かに違うように見えます。そして、違うように見えるのと違って、正確に見ることなのです。皆様、信仰生活を本当にしてみるように願います。これが難しいことではありません。ですから、3つだけ見ればよいのです。福音が何か? あらゆる民族に福音が宣べ伝えられた後に終わりが来る。神様は未信者も食べさせられ、神様の民、その中に伝道者を捨てられたことは一度もない。それとともに、このサタンの働きを見て、そうだなというようになります。皆様が今日、この祝福があることを願います。
 
・2番目です。福音を正確に区分することができなければなりません。モーセも消えて、エリヤも消えました。これが2番目に悟らなければならない重要なことです。モーセとは何でしょうか? 律法の代表者を話すことです。皆様、パリサイ人の律法は福音ではありません。私達が律法の中に陥ったり、あまりにも罪の中に陥ったりすることは、律法に捕まっていることです。皆様があまり律法を守ることと、律法を守ることができなくて、罪の中で堕落してことは、みな律法に捕まっていることです。明らかな事実は、皆様が律法をみな守ったとしても、救われることはできません。もし律法をみな守って救われることができるならば、パリサイ人の話しが正しいのです。それで、モーセも消えてしまいました。エリヤも消えてしまいました。エリヤは何でしょうか? 神様の力を受けようと、簡単に話して、神秘、力を話すことです。御利益的な信仰、肉体的な信仰、宗教的な信仰を区分することができなければなりません。私は、はじめにあまりに信仰がなくて、祈梼院に行ってみました。私はその人々を、目を開けて静かに見たのです。おばさんたちがきて、どれくらい祈るかをよく見たのです。そして、話していることを静かに聞いてみました。あくまでも私が感じたことですが、その方たちの家の背景を察することができました。家も思わしくないので、家もみな捨ててきたようでした。それとともに、主よ、何かくださいと大声で叫ぶので、私が見る時には、狂っているのかと思いました。恥ずかしいと思いました。あまりに恥ずかしかったので、次からは祈梼院には行きません。そのように私は理解しました。誤って 悟ったのでしょうか? 私達が無条件に答えられればハレルヤなのですが、だめだったら気落ちするのではないでしょうか? 正しい信仰なのでしょうか? 皆様、韓国の信徒の中で、普通の人々の中で力を見せればそちらに行ってしまう人が90%以上です。精神を整えなければなりません。一時、検察総長の奥さん達の服ロビー事件(高官夫人が警察総長夫人に高級洋服を贈りロビーを行った事件)が起こった時、その人々は、全部、神秘な祈梼院のあちこちに行ったことを聞きました。教会からは恵みを受けることができなくて、簡単に話して、そこに行って課外授業をしたのです。どこかに行ったりきたりして、検察がチェックするので、そのような祈梼院に行って、そこで会って、服を伝達して、そのような話しが出てきたのです。そのように学がある人々が、エリートが、あまりにも非科学的で、問題が多くて、そこに行ったり来たりするのを見ましょう。それがこんにちの人々の信仰なのかもしれません。区分をよくしなければならないのです。皆様の中で、誰かがすぐにだめになると、背を向けます。すこし力が見えれば、ぱっとくっつくのです。皆様、何ゆえにむかしに10月28日、イエス様が再臨して来られると言った時、人々が集まったのか知っているでしょうか? まず力を見せたからです。全部、幻をみな見たのです。10月28日。私たちの信仰のレベルがこれくらいにしかなりません。真理もなくて、福音もなくて、聖書のみことばも知らずに、かたまって通うのに何でしょうか? 力があるということです。私が見る時は、確かに違っているのに、人々はかたまって通います。なぜそうなのかと尋ねたら、力があるということでした。力があればどうなのでしょうか? これは、普通の問題ではありません。エリヤも消えました。これを皆様、区分することができなければなりません。
 
・三番目に悟らなければならないことは何でしょうか? キリストだけ残りました。この話がなんの話でしょうか? 皆様がキリストのなかで新しく変わった運命。これからキリストのなかで出てくる新しい力。キリストのなかで出てくる新しいみことば。これを捕まえなければならないのです。今日、皆様が確信を持って行くように願います。あなたはペテロです。岩です。滅びることができません。確信を持って行くように願います。転げまわる砂利でなく岩です。何ゆえに揺れるのでしょうか? 皆様、揺れてはなりません。岩なのに、岩が揺れないというのではなく、揺れることもできないのですから、揺れたらこまります。皆様、悪魔がいると考えますか? 私はいると思います。なぜでしょうか?聖書にもあって、私はたくさん見ました。私は悪魔につかれた人をたくさん見たのです。この悪魔が誰を攻撃するのか知っているでしょうか? 揺れる者です。ですから、確信を持ちなさいということです。あなたはペテロです。皆様、揺れる時、どんな問題が生じているか知っているでしょうか? 'あなたの思い煩いを主にゆだねなさい.' その後に何が出てきているでしょうか? 'あなたがたの敵である悪魔は、ほえたける獅子のように、今でも食い尽くすべき者を探し求めています.' 本当にです。Iヨハネ4:18のように、皆様がしばしば恐れて、ぶるぶる震えて、そこにしきりに問題がくるのです。確信を持ちましょう。あなたはペテロだ。岩だと言われました。岩は揺れません。ですから、恐れる必要はありません。ところが、皆様はしばしば恐れて、恐がって、疑って、確信がなければどんどん問題がくるのです。悪魔は、皆様に勝つことができないことを知ってだまします。いつだますのでしょうか? 揺れる時、確信がない時。確実なことは、確実に信じなければ、それがない時に触るのです。
 
・車に乗れば、すりがおもにポケットに手を入れる時、だれに入れるのでしょうか? 酒に酔った人、寝ている人、印象がぼんやりしている人。一度も、私には入れることはありません。ですから、すりは人を見て、少し異常であるから、手を入れるのであって、正常な人に手を入れるでしょうか? この悪魔が、誰を触るのでしょうか? 重要な真理を持っているのに、確信なくぐらぐらする者を触るのです。皆様、蠅はどこにでも飛んでくるのでしょうか? 清潔な家に蠅がなぜ飛んでくるでしょうか? 変に汚くて、腐った家にきます。蝶々がごみ箱にいるのを見たことがあるでしょうか? 蝶々は、花を探して飛びます。皆様、蠅は花にはあまり行かずに、ごみ箱に行きます。しかし、ある子どもが私に、先生、蝶々もごみ箱にいると言いました。そして、蠅も花にきているのを見たと言いました。それは、蓄膿症になった蠅だと言いました。まちがいなく、皆様、蠅は汚らしい所に、においをかいでどのように知るのか、やってきます。皆様、犬を飼ったことはないでしょうか? 犬はどこにでも絶対におしっこをしません。道に出ても、どこにでもしません。においをかいで、ここはおしっこをしてもかまわないという判断をしてこそ、足をあげるので、絶対になんとなくはしません。永遠に生きている地獄へ行かねばならないこの悪魔は、皆様を見て、確信がないのを皆知っています。信じているか、信じていないのかも皆知っています。皆様がキリストを本当に信じているか、信じないのかを知って、攻撃を加えるのです。確信を持ちましょう。そして、正しく知っていなければなりません。
 
・私があの人に対して知っているという言葉は、英語で色々あります。英語がうまい人の前で英語を話して申し訳ないのですが、私が学んだのは、そのように覚えています。私がハン牧師について知っていると言う時も、英語では表現を違うようにします。だいたい知っているという時は "I know about Reverend Hwang." 何度か会って食事した、こういう時は" I know of Reverend Hwang."そして、その人と一緒に暮らして、性質も知って皆知っている時は、その時はそのようなものを付けなくて" I know Reverend Hwang." キリストを知っていることが違うのです。ずっとうわべで知っているから、やられてしまうのです。あなたは、ペテロです。岩です。この岩の上にわたしの教会を立てます。そして、重要な話し、ハデスの門があなたに打ち勝てません。 あなたがた、ムダン(霊媒師)をしてきた方達は、心配しないで。ハデスの門があなたに打ち勝てないのです。間違いありません。私があなたに、天国の鍵を与えます。鍵とは何でしょうか? 開けるものだということではないでしょうか。天国を開ける鍵です。
 
・私達の孫が、私にこれも買ってくれ、みな出しなさいと言います。すこしよくしてやったから、米国に帰りたくないと言いました。私におもちゃを買ってと言います。なんでも要求するのです。コンピュータ、テレビをつけてくれ。とにかく、きてはたくさん要求します。なぜそうでしょうか? 私がおじいさんだと知って、感づいて、なんでも出しなさいと言うのです。すると、私は否応なく、なんでもみなしてやります。私があなたに天国の鍵を与えます。どれくらい驚くべきことでしょうか? 確信がなければなりません。皆様、先週と今日のこのメッセージは、クリスチャンの最も重要なメッセージです。皆様がこの契約を本当に捕まえて、答えがこないならば、それは神様が責任を取られなければならず、私が責任を負わなければなりません。そのようなことはありません。問題がくれば、あなたがたはぶるぶる震えず、祝福がくるということを知っていなければならないのです。ヨセフ、ダビデ、パウロを見ましょう。試みが来たら、試練がきたというのではなく、祝福が来つつあるというサインであることを知っていなければなりません。どれくらいあなたがたは、門がふさがっているようでも、神様の大きい祝福が備えられていることを知っていなければなりません。あのスヨンロ教会で宣教師を派遣するのに、説教を私が預かったのです。ところが、これがなぜか? 高速道路に入っていくのに、道がひとつしかないのに、タンクローリーが滑り落ちて横になって、道を防止していました。一時間が過ぎてもあけられなかったのです。説教は7:30に始まるのに、9時になってもあけられなかったのです。タンクローリーがふさいでいて、今、行くことができないと電話をしました。申し訳ないけれど、説教はチョン・ピルド牧師にさせて、私は行くことができないと言ったのです。そこで言う話が、ニュースに出ているので知っているから、来て下さいということでした。それで、宣教師派遣をするのに、司会がチョン・ピルド牧師で、私が説教を預かったのに、行ったらそのまま待っていたのでした。その教会に到着したら 9:30でした。ところが、宣教師、宣教師の家庭、スヨンロ教会の信徒、チョン・ピルド牧師、全部みなそのまま待っていたのです。その時、私が悟りました。このタンクローリーがふさがっている間、私と宣教師、ここに集まった人々が、どれくらい祈りを多くしたか分かりません。静かに座って待つこと自体が祈りでした。出てくるしかないでしょう。神様はこれを望まれたのだなあ。もちろん、一つの事故ですが、神様はもう一つの祝福を備えられていたのです。それで、その日、礼拝をささげたのに、比較的、神様が驚くべきみわざを起こされました。問題になることがありません。主は生ける神の御子キリストです。今日から、本当に捕まえてくださることを願います。そして、確信することを願います。すると、答えが確かにくるはずです。今からずっと勝利することを主イエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、みことばそのまま、世界を生かすみわざが起きるようにしてください。私たちに目を開けてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 良いことを与えてくださる主
(詩85:1〜13)
 
・詩篇はおもに誰が作ったのでしょうか? おもにダビデが作りました。ダビデは誰なのか、よく知っているはずです。そして、アサフの詩が出てきます。アサフはだれでしょうか? ダビデが聖歌隊をした時、重要な楽士三名がいたのですが、そのうちの一名です。聖歌隊の隊長もしました。後ほど神殿をまた回復した後、賛美をする時にも、アサフの子孫が指揮をして賛美をしました。そして、聖書に見ればコラの子の詩と書かれています。コラはだれでしょうか? モーセに対抗して死んだ人です。すると、いつくらいなのか知っているはずです。ところが、その中で残った息子三名の一名は賛美担当をして、一名は清掃して、一名は食べ物を作る役割を教会でしていたのでした。その子孫が今まで賛美をしてきたのです。それなら、皆様が詩篇をだいたい分かるでしょう。
 
・詩篇をなぜ記録したのでしょうか? それが、恵みを受けて、答えを受ける道になります。聖書のみことばをどのように見ているかが、死ぬか生きるかの問題です。皆様がそれほど聖書のみことばと自分とは関係がないならば、神様とも関係がないのです。私達がなぜカトリックと戦ったのでしょうか? カトリックでは、聖書が重要でないと言います。私たちはそうでないと言います。それで分けられたのです。ところが、話を聞いてみれば、一理があります。なぜ聖書が重要でないのでしょうか? 教会が集まって聖書を編集したから、教会がより重要だと言うことです。それがカトリックの主張です。その話しだけ聞けば、一理があります。しかし、教会も神様のみことばがまずあって、そのみことばを受けたのです。皆様、詩篇を勉強する間に、必ずしなければならないことがあります。ところが、聖書をどのように見るかがとても重要です。ある人は、聖書をこういう角度、ああいう角度で見ることもします。どれが正しいのでしょうか? これが小さな問題ではないのです。だから、みな違うのです。
 
・英国にマルティン・ロイドジョーンズという人がいます。ローマ書の講義をしました。ローマ1,2章を講義 したのに、大きな本、何冊かを出しました。正しいでしょうか? 私は一度尋ねたいのです。1,2章を講義するのに、全集を出さなければならないのでしょうか? それなら、本当にイエスを信じるのは難しいのです。皆様のように聖書を見ない人は地獄に皆いかなければならない。これが、どちらが正しいのでしょうか? これだから、ヨーロッパ教会が死ぬのです。これが問題です。私は、幼い時の葛藤でした。聖書を一節、一節、解釈するのでしょうか? そうでなければ、自分の思い通り抜き取ってするのでしょうか? どれが正しいのでしょうか? いいかげんにしてもかまわないのでしょうか? その話は、聖書がなくても良いということでしょうか? それなら、信者が神様のみことばを聞いても良くて、聞かなくても良いということでしょうか? それなら、礼拝をささげる必要もないでしょう。これが滅びる道です。これが小さな悩みではありません。こういうあらゆる問題が、神学校から出てきたのですが、苦しめられるのは、あなたがたが苦しめられるのです。これは小さな問題ではありません。それで、恵みの中の恵みが、列によく並ぶことです。
 
・キム・ジョンイルの下にいる人たちは、それでなんの誤ちもなくても恵みを受けられないのです。私が見る時は、世界で一番おかしな国が北朝鮮です。生まれるやいなや、そちらに生まれたのだから、どうするのでしょうか? 今回もロシアに大きいテロが起きました。私は祈る中で、個人の考えですが、イラクの事件もそうで、テロ事件を全世界が赦してはなりません。それを持ってどんどん無知に国会から派遣しなければならないのか、しないかで話すならば、皆様は後ほどテロで死ぬでしょう。皆様がイスラムを知らずに言う話しです。共産主義とイスラムを知らないで言う話しです。これから、地球上には、組織的なテロがどんどん起きるはずなのに、21世紀はテロの時代になるはずなのに、どのようにするのでしょうか? 人を殺して、テロをしても派遣をするかどうかで討議すれば、テロをする人々はより一層、力を得るのです。今、韓国式でそのようにするならば、隅々に隠れているテロ組織があきらめないで、作戦を立てるはずです。今、どれが正しいか混乱がくるのです。だから、人々がどのように生きなければならないのか、どのように信仰生活しなければならないのか、混とんがくるのです。聖書解釈についても、混とんするのです。皆様、私が見る時は、ものすごく重要だという気がします。
 
・それなら、この聖書をどのように見なければならないのでしょうか? 聖書を一節ずつ見ることが正しいのでしょうか? あらまし握って見ることが正しいのでしょうか? 礼拝はどのようにささげるのでしょうか? これが小さな問題ではありません。皆様がこの答を出すことができなければ、大変なことになります。すると、ヨーロッパ式で聖書が神様のみことばである部分と、そうでない所もあるのでしょうか? それで、ヨーロッパは今、滅びたのです? 学生達は知って、ヨーロッパに留学に行くべきです。麻薬する人は捕まえません。なぜなら、あまりに多いためです。その程度でなく、ある特殊な地域では、朝に麻薬する時、きれいなものを使いなさいと注射器を新しく配給するくらいです。ある地域では、麻薬をしなければバカとなります。もちろん、みなそのようなことではありません。どのようにするのでしょうか? そして、学生達が学校に通いながら、セックスをしなければバカです。ヨーロッパが、そのようになっています。それで男子と女子2名だけが交わるのではありません。交わるのではなくて、その時ごとに遊ぶのです。ある学校では、女学生の寄宿寮に学生達の生理の日を記録してあったそうです。こういう暗い世の中を私たちの子ども達が知らずに入ると大変なことになります。正しい、悪いと言うのではなく、その原因がどこにあるのか知っているでしょうか? 聖書は神様のみことばでないとヨーロッパで主張をしたのです。ヨーロッパは、滅びるしかありません。
 
・皆様、これから教会が、正しく言うべきことを説明しないならば、教会に来る必要がないのです。例えば、デボラに手紙を送ったとします。すると、デボラはどのようにしなければならないのでしょうか? 読んで見ることもせず、捨ててしまったら、どのようになるでしょうか? それなら、デボラは私をものすごく無視することになります。私が何月、何日、何時に、デボラを殺すと書いたならば、デボラが手紙を見なかったゆえに殺しにいっても知らないのです。そうでなければ、私がいつ贈り物を送ると手紙を送っても、見ないから知らないのです。私がまた手紙を送ったのに、デボラが読みながら、点は下に打っているのだな、なぜこの文章には点を打たなかったのかなと考えるならば、この文章はなぜ長くしたのかと考えるならば、手紙を誤って読んでいるのです。聖書をそのように見てはならないのです。この先生が送ってきた手紙の核心が何か? その背景が何か? 重要な内容が何か? この方の心が何か? 私が何をすれば良いのか? このように理解しなければならないのです。そのようにしてこそ、手紙を正しく読んだということです。これが今、普通の問題ではありません。
 
・詩篇とは何でしょうか? 3つの回復です。最初は、礼拝回復です。2番目は皆様の生活の中での祈り回復です。三番目は、皆様が世の中で勝利する回復です。この三つが回復しないならば、誰も勝利出来ません。そのうちで2つがメインです。礼拝回復と生活の中での祈り回復です。これができれば、勝利はついてくるのです。 皆様、これをしてみるように願います。少しだけしても勝利するはずです。すでに、皆様の顔、姿から変わります。皆様が礼拝と祈り回復ができなければ、一時間礼拝をささげることが疲れて、ささげることができないようになります。そのようにして、一日中礼拝して、聖書勉強をして、タラッパンまでするならば、皆様は死ぬのです。詩篇が幸いに150篇まで長くて、まだたくさん残っています。皆様が詩篇を勉強する中に、回復しなければなりません。礼拝を回復して、それを生活の中で少しだけ味わえば良いのです。よく考えてみれば、当然の話です。ところが、それが簡単なことではありません。これを少しだけ心に決めればやさしいのに、方向が違うならば難しいのです。
 
・何の方向でしょうか? 聖書は、全体が何を言っているのでしょうか? 聖書 66巻を一つにしたのは、そんなに以前のことではありません。13〜14世紀になって一つにされたのです。元々は別になっていました。背景が違うのですが、主題は同じです。滅びから救われなさいということです。それが主題です。罪と呪いから解放されなさい。サタンと地獄の勢力から出て来なさいということです。神様の子どもになること道です。そちらから抜け出す主人公を送ったが、主人公がキリストなのです。その主題で聖書全体を見なければならないのです。それとともに、聖書背景を理解するために解釈するのです。その祝福を見ながら、これを見るのです。そのような中で、聖日礼拝をささげてこそ、その説教が自分と一致するのです。
 
・すると、私たちは救われたではないでしょうか? 聖書が事実、必要ないのではないでしょうか? それで、救われた者に、礼拝回復、生活の中で祈り回復、生活の中での勝利をしなさいと言われたのです。ここに祈りの答え、伝道、霊的な戦いがみな含まれるのです。皆様が、この祝福を回復することを願います。時間がそれほどありません。今日、最初の内容が、本当に詩篇をする間に、礼拝を回復しなければならないということです。主題を知っていて 救いは受けています。それなら、礼拝を回復しましょう。そのような中に、神様のみことばを見るように願います。すると、私たちはそのみことばの背景だけ理解を良くすればよいのです。
 
・今日はどのようなみことばでしょうか? 今、アサフの子孫の詩です。捕虜から私たちを救われた主よ。私たちを救ってくださいという内容です。結論が何でしょうか? 良いものを下さる主です。それで、主を見上げなければならないということです。私がより一層、主を見上げれば良いのです。これが今日の礼拝です。それが礼拝で、みことば回復です。皆様、これが回復できることが礼拝です。それなら今日の礼拝は、普通の礼拝ではありません。それがみことば回復です。地獄、呪い、死から解放されたのが聖書の主題です。すると、その 勢力がまだ生きているので、私達が毎日、毎週、みことばを受けるのです。そのような中に、今日のみことばが何でしょうか? 本当に今日、私達が聖書にあるように主を見上げることができる機能だけあるならば、完全に勝利するはずです。このようになれば、みことばで答がくるはずです。
 
・本当に生活の中では、あなたがたが主を見上げないのではないでしょうか? 少しだけ見上げても答えがきます。信仰的に良い生活をしなさいという話ではありません。主を少しだけ見上げれば良いのです。私たちレムナントが礼拝を正しくささげて、主を少しだけ見上げても、勝利するはずです。それで、私たちの長老、役員が少しだけ主を見上げれば、勝利するはずです。そのような中の賛美です。礼拝時間に賛美する時、相当な癒しとなります。賛美する時、実際に聖霊が最も栄光を受ける時間です。それなら、私たちの長老たち、代表者が祈りをする時は、ものすごく重要な時間です。私達が神様の前でだけ祈りをすれば、そのまま答えられる祝福があるのです。主のしもべが、人を意識せずに、神様の前で祈りをすれば、その祈りは全部、答えとしてくるはずです。献金とは何でしょうか? 金額が多い、少ないが重要なのではありません。自分の一週間の生活の中の最も中心をささげる時間です。自分が使うお金の中で、最も中心を神様にささげる時間です。旧約時代と違うので、神様がそのようなことを受けられません。それを持って世界福音化をするのです。私が献金する時間が最も霊的な経済の祝福を受ける時間なのです。こういうものが礼拝です。それで、礼拝をささげながら、常時で祈って、礼拝をささげながら、みことばを受けて、みことばを受けながら祈りをする時、相当なみわざが起きるのです。これを持って明日から生活の中で少しだけ移せばよいのです。
 
・皆様、普段に賛美をしていますか? いつでしょうか? 各々、性格が違うはずです。この前も告白したのですが、私は普段に賛美が良くできません。普段の時、流行歌がより良いのです。こういう堕落した牧師が、どこにいるのか? 率直にそうです。ある人は見ると、それほど信仰もなくて、伝道もしないのに、一日中賛美を開いていました。それでうるさいから消してと言いました。すると、私は何でしょうか? 一人で車に乗って海辺や林の中に行く時、流行歌を聞くことがはるかに恵みとなります。もちろん、長老や勧士が乗れば、賛美歌を開くはずです。一人で車に乗って林の中を行けば、流行歌がとても雰囲気に合うのです。皆様が海を過ぎながら、海辺の追憶という歌を聞くならば、雰囲気ととても合います。こういう状況の中で、私がどのように賛美を聞けるでしょうか? 賛美にならないのです。友人とカラオケに行ってみたことがありますか? そちらでは、世の中の歌を歌うので、賛美歌をどのように歌うのでしょうか?
 
・勧士、執事と一度、遊びにいったのに、この方達が私に歌を歌っても良いですかと尋ねました。今日だけ賛美を歌わず、流行歌を歌うと言いました。分かりましたと言って、私は前に座ったのに驚きました。そのようによく歌うか分からないくらいでした。名前を明らかにすればいえないのですが、釜山のイ・ドンヒ勧士を見て驚きました。とても上手なのです。勧士、おばあさんたちが、とても上手に歌うのです。歌うまでは良いのですが、歌っているのをバックミラーを通じて見たら、歌を歌う顔がとても恵みを受けていました。教会で賛美を歌う時の顔より、はるかに恵みを受けている顔でした。それで、またひとつ驚いたのです。私と同じようなのです。こういうことを、どのようにしなければならないのでしょうか?
 
・ところが、私がある日、定刻の祈りをして、礼拝を回復したのです。この時、賛美を歌うのにとても恵みになるのです。私はその時から、賛美が回復しました。詩篇の中で一人で祈りして賛美することが、普通の話にならないのです。私は率直に告白するのですが、礼拝が回復がならず、一人の祈りが回復できないので、何にもだめなのです。そして、福音まで知らないから、完全に滅びたのです。そして、人ゆえに試みにあうので、完全に狂うのです。だからすることが、人を恨んで、神様を恨むのです。神様を恨む程度は、信仰があるのです。私はむかしに神様を恨みもしませんでした。なぜなら、神様はいないと考えたためです。信じられなかったためです。恨むことは、まだましなレベルです。こういう状態まで私が行ったのでした。
 
・皆様が聖日に礼拝をささげるみことばは、生きているみことばです。1部礼拝のみことばのように、キリストを知っている私が、本当に見ることを見たのか確認するように願います。それなら、重要な決断を下さなければなりません。神様の祝福の中で、本当に神様の国を見たのか、確認しなければなりません。それなら、信仰生活を良くしているか、できないのかが区分できるはずです。そして、モーセも消えて、エリヤも消えるということが理解できるはずです。その時から、キリストのなかで現れる新しい力と出発、答えが現れるはずです。こういう恵みで2部礼拝をささげるので、すぐ答が出てこないでしょうか? 普段の日に主を見上げる祝福をよりたくさん味わうことです。これが、一番目の答です。
 
・すると、2番目の主題に対して少し考えてみなければなりません。詩篇全体の中には、何が入っているのでしょうか? そして、150篇もあるので、どれが重要か混乱することがあります。私はこのうちに恵みを受けた何箇所かを紹介したいのです。詩1篇がとても重要な序論だと思います。幸いな者は、悪人のはかりごとに歩まずに勝つことです。私たちの子どもと聖徒たちが、祝福を受けるようにしてくださいと祈ります。あざける者の座につかずにも、勝つことができることが幸いな人なのです。罪人の道に立たなくても、罪人に勝つことができて、神様に栄光を帰すことができるのが、幸いな人なのです。主のみことばを喜んで、このみことばを黙想しながら勝利することが幸いな人なのです。皆様の子どもが、本当に祝福を受けたということは、そのような座に行かなくても、勝つことができなければならないのです。あの悪い人々と交流しなかったのに、その人々よりもっと大きい祝福を受けて勝つことができるのです。私たちのレムナントが、悪い未信者の中に入っていかなかったのに、その人々に勝って、私たちが喜ぶしかない答えを受けなければならないのです。それが、幸いな者です。
 
・私たちの牧師の息子一名が、留学に行ったのです。韓国人は小さいから、無視されたのです。そうしたあとテックォンドを良くするということが分かったのです。それで、学校で相談されたのです。学生達、全部を集めてテックォンドを学ぶようにしたのです。だから、テックォンドを教えるようになったのでした。米国人がとても喜んで、人気も良くなったのでした。それとともに、福音を伝え始めたのです。そのような中で、米国の重要な家で、その子どもに一緒に住もうと言ったのです。これは戦うこともせず、神様の答えを受けて、他の人を生かして、福音を伝え、みなしたのでした。
 
・私は詩篇150篇の中で、詩23篇が重要だと考えます。ダビデの詩です。神様の導きを受けることです。'主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません' また、私は詩篇81篇が重要だと思います。主を待ち望む者はあらゆる問題が解決します。詩103, 119篇は、神様のみことばを悟る者です。詩150篇は、神様を賛美する者です。主を賛美することが、どれくらい祝福でしょうか? そのような意味で、今日の本文を見れば、すぐ答が出てくるはずです。捕虜から私たちを救い出された主が、あらゆる罪から私たちを赦してくださるのです。1節に '主よ。あなたは、御国に恵みを施し、ヤコブの捕われ人を、お返しになりました。' 4節を見れば 'われらの救いの神よ。どうか、私たちを生き返らせ、私たちに対する御怒りをやめてください。' 7節を見れば '主よ。私たちに、あなたの恵みを示し、あなたの救いを私たちに与えてください。'それとともに、12節を見ると良いことを私たちにくださると言っています。私たちは、これから主を見上げる者になれば、すべての問題が解決するのです。
 
・今日、神様のみことばは、礼拝回復することです。そして、このみことばを持って最も良い時間に瞬間瞬間、祈りを回復するならば、全てのものが回復するはずです。すると、皆様の生活の中で勝利が現れるしかないのです。最後に、聖書 66巻を持って、また結論を出さなければなりません。主をどのように見上げるのでしょう? 方法は3つです。神様のみことばを見ながら見上げるのです。2番目は、神様のみことばを見ても関係ないのです。その垣根を壊さなければなりません。キリストを通じて見上げるのです。三番目は、祈りを通じて聖霊の働きで神様を見上げるのです。こういう結論が出てきます。少しだけ祈ればよいのです。聖徒はなんの 負担を持つ必要なく、このまま祈るならば間違いない神様のみわざが起きるはずです。私たちは、各自自分をよく見つめなければなりません。
 
・私は最後にこういう証しをしたいのです。神様が私を皆様と共に呼ばれるために、知らない時に多くの祝福を受けました。私は幼い時、火の中で3時間さ迷ったのに、死にませんでした。男、おとな、みな死んだのに、私は死ななかったのです。その時、私が死んだとすれば、皆様に会うことができなかったでしょう。世界福音化をしなさいと保護されたのです。誰もいない所で水に溺れたのに、誰かが通り過ぎて救ってくれたのでした。今、考えてもその時に、まちがいなく死ぬ状況でした。そして、危険なことをたくさん通ってきたのに、神様がみな保護されたのです。これを見ると、根本的な祝福を神様がくださったのです。
 
・そのようなある日、私が福音を少し悟るようになったのです。福音を悟って、伝道の門が開いたのです。重要なことは、私と関係なく答えがくるのです。その話しはなんの話かというと、私には答えが来ないのです。私と私の家の問題が解決しなかったのです。伝道をしにいって、他の所にはみわざが起きるのに、他の人たちは、大変に恵みを受けているのに、私自身にはなかったのです。本当に不思議でしょう? ある日、最後に私が 知るようになりました。礼拝回復と祈りです。ある日、これが私自身に適用されたのです。特別なものではないのですが、これがこのように大きい答えになったのです。私たちの聖徒が、この祝福を知っていなければなりません。これが回復したことと、していないことは差が大きいのです。それなら、私たちの学生達が、今から少しだけ福音を理解したら、礼拝回復と祈りだけ回復するならば、どんな現場でも勝つことができるのです。驚くべき事実は、びっくりする程の答えがくるはずです。それなら、より重要なことは、この祈りをずっとすれば、未来が見えるのです。これから、皆様を通じて、多くの人々が生かされる運動がおきるようになるはずです。
 
・それで、だいたい私は五つのことが見えます。霊的な問題があって飢え渇いている人は、行く所がありません。教会にくるはずだから、準備しなければならないのです。人間は、宗教で救われることはありえないから、各種のムダン(霊媒師)と宗教人が悩まされて、帰ってくるはずです。準備して待つのです。あまりに世の中で悩まされて、行く所がないので、教会にくるはずです。世の中で失望して絶望した人々が、教会にくるはずです。世の中の人は、お金があれば良くなると思ってもだえたのに、滅びて、その人々が教会にくるはずです。私はこれが見えるのです。これは全世界がみなそうです。それで来るしかありません。
 
・ここに福音を受けて来た人々は違います。既に答を得てきたのです。デボラのような人物を連れてくるためには、お金がものすごく多く必要です。英語、韓国語、ダンス、歌、芝居、みな良くします。ところが、私達がデボラに来るなと言ってみても、それでも来るはずです。これが答が出た人です。むかしに失敗をした人がいって、私が呼んだのです。それで、話しをしました。そうしたら、驚くべきことを話したのです。一つお願いがあるということでした。何にもさせてもらえなくても良いから、礼拝はささげさせてくださいと言ったのです。メッセージを聞くことを理解しているということです。ここにいる人たちは、私たち教会が絶壁にあっても、みなよじ登ってくるはずです。これが今、何の話なのか知っていなければなりません。これから、そのような答をさがす人々が、たくさん集まってくるはずです。だから皆様がメッセージと祈りにだけ勝利すれば、みな解決するはずです。礼拝回復、ひとりでする祈りの回復、現場での勝利が永遠な皆様のことになることを希望します。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。真にこの祝福が回復する日になるようにしてください。どんな現場でも勝利する私たちの聖徒、レムナントになるようにしてください。それで、証しするしかない神様の証拠があるようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン