2004年9月12日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 世が解決できない霊的な病気
(ルカ9:37〜43)
 
■ インマヌエルの家族、全世界でインターネットで礼拝する人々、衛星で礼拝する所に、神様の祝福があるように願います。地域教会ごとに、神様が与えられる力を得ることを希望します。一度は、説教をして椅子に座っていたら、紙を渡されました。手紙のようでした。もらって、後から車で読みました。簡単な内容でした。先生は、後継者として、女性を育てなければならないということでした。理由は、女性の時代がくるためだということでした。もちろん、持って来た人も女性でした。こういう人もいるのだなという考えをしました。一度は、ある牧師が、私に食事をしている時に、つばを飛ばして話をしたのでした。本当に熱心に話をしたのです。内容が女性には牧師をさせてはならないということでした。誰の話しが正しいのでしょうか? 神様はどちらの味方なのでしょうか? 人々は、いろいろな考えをするのです。
 
■ ある人は、お金だけを重要視します。ある人は、お金を湯水のように使います。このように、人々はいろいろあります。問題は、こういう考えで聖書を解釈して、説明するのですが、どのようになるでしょうか? ある牧師はこの話をして、ある牧師はあの話をするのに、信徒が難しくないでしょうか? ある人は、聖霊を強調して、ある人は神様を強調して、ある人はイエス様を強調するのですが、どれが正しいのでしょうか? だから、ある学生が私に聞くのです。神様を信じなければならないのですか? イエス様を信じなければならないのですか? このように信徒が混乱するのです。説教者の責任が大きいという気がしました。また、ある人は説教をする時、かた苦しくして、ある人は笑わせながらするのですが、どのようにしなければならないのでしょうか? だから、苦しく説明すれば苦しくて、笑わせるように説教をすれば笑うのです。それで、なにか重要なことをのがすのです。私はそれを見ながら、残念だという気がしました。
 
■ 皆様が信仰生活を失敗しないためには、聖書が何を言っているかを、根本的に知っていなければなりません。聖書には何を言っているのでしょうか? 66巻を読んで行かなければならないのですが、全体は何を言っているのでしょうか? 滅びずに、救われなさいということです。これが核心です。ところが、他の話を引続きして、こういう部分を知らなくなれば、困難になるのです。それで、創世記3, 6, 11章を見れば、滅びが何か説明をしているのです。創世記1:3を見れば、神様が光を創造なさったのですが、聖書を見れば、創造前に救いを準備なさったと言われています。聖書は一言で、滅びるなということです。そして、なぜ滅びたのか? すると、どのようにすれば良いのか? この話です。すると、救われた私たちは、何をしなければならないのか? 救われた私たちは、どのようにしなければならないのか? それを持って私たちは、いつも考えて、聖書も見なければならないのです。すると、聖日の礼拝は、なぜささげるのでしょうか? 今日のみことばを聞きながら、この話を知るべきだったのだなということを聞かなければならないのです。説教者は、信徒に神様のみことばを持って、必ず聞かなければならない部分を話さなければなりません。自分の勝手に強調して解釈してはならないのです。聞く人は分かるすべがないのです。自分の水準通り強調するのです。
 
■ 例えば、お金に対してけちならば、聖書もそのように見ます。性格が目立ちたがりの性格ならば、聖書もそのように見るのです。これだから、この話し、あの話をしたら、信徒は混乱するしかないのです。それで、あなたがたは、聖書の中で何を言われているのか、全体を見なければなりません。聖日礼拝をささげる時は、今日、聞かなければならないメッセージを聞かなければなりません。それでこそ、あなたがたは他のことをしなくて、ここに来た理由と価値があるのです。説教をする人々は、あれこれ多くするのではなくて、必ず聞くべき話をしてあげなければなりません。
 
■ それなら、今日の本文を見ながら、何を見なければならないのでしょうか? 皆様と関係ない話であるように思うかもしれませんが、関係があるのです。一言で、今日の本文のみことばは何でしょうか? 泡をふいたりするということは、簡単に話せばてんかん患者です。ここに見ると、悪霊につかれてそのようにすると記録されています。マルコ9章にも、悪霊につかれたとなっています。すべてのてんかんは、悪霊につかれたものだと話すことはできません。今日の本文が、そのようになっているということです。その話は、悪霊につかれて てんかんになったり、おかしな病気になったりする人もあるという話です。多いか、少ないかであると言われていますが、私は多いと思っています。それで今日のタイトルが、世が解決できない霊的な病気です。そして、病気の中には直すことができる病気もあります。そのような病気は、医者の助けを受ければ良いのです。まだ発展ができずに、直すことができない病気もあります。簡単に話せば、癌、エイズのような病気です。しかし、いつか医学が発達すれば、直すことができるでしょう。
 
■ しかし、今日の本文のこの病気は、世の中と科学では、永遠に直せないのです。こういう病気になった者を弟子がいやすことができなかったのに、イエス様が直されたのです。それなら、私たちはこの部分をよく見て、重要なことを見つけなければなりません。ある病気は私達が失敗してなったり、管理を間違ったりしてなることもありますが、この病気はそのような病気ではありません。38節を見れば '群衆の中から、ひとりの人が叫んで言った。「先生。お願いです。息子を見てやってください。ひとり息子です。' 39節には 'ご覧ください。霊がこの子に取りつきますと、突然叫び出すのです。そしてひきつけさせてあわを吹かせ、かき裂いて、なかなか離れようとしません。' 弟子を連れてきたが追い出すことができないのです。イエス様が責めながら言われました。 'ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまで、あなたがたといっしょにいて、あなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。' とおっしゃりながら、子どもを連れて来なさいと言われました。42節を見れば 'その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった' それとともに、悪霊を叱られたので、子どもがいやされたのでした。こういう本文です。
 
■ 皆様は、見たことがありますか? てんかんになるのを見たことがないでしょうか? またある人は、てんかんを2秒だけすることもあります。しかし、とても激しい人もあります。皆様、実際に見たら衝撃を受けます。私は何度か見たことがあります。私たちと親しい友人なのですが、その子が勉強もしなくて、特にすることが ない人でした。一度は、私たちと将棋をしていたのに、突然にその子がてんかんになりました。私達が見られない程に、ひどいてんかんになったのです。ある程度、時間が過ぎたら、大丈夫になりました。だから私達が分かるようになったのです。その子がものすごく申し訳ないと言うのでした。何日か後に、姉が私たちを招いて食事の接待をしました。すまないという意味が含まれていたのです。私は生まれて初めて見たのでした。幼い時、こういう病気もあるという考えをしたのでした。なぜそうなのかも知らずに、どのようにすべきなのかも分かりませんでした。
 
■ もう一度は、家族という訳にはいかないのですが、近い親戚の家でそれを見たのです。そのようなことを見ながら、こういう場合もあるという気がしました。そして、修練会に行ったのですが、修練会の場所で、また見たのでした。修練会で、その子はイエス様を受け入れて、福音によって良くなりました。親や家族が見る時は、とても気が焦るのです。私たちは少しの間見るのに、苦しいのです。どのようにも、してあげられないのです。そして、感じが異常ではないでしょうか? 私はその時まで、これが何の病気なのか分かりませんでした。聖書を今日見ると、悪霊につかれてそのようになっていると記録されています。だから、直すことができないのです。てんかんになる人々は、なにかくるということを感じるらしいのです。すると、なにかが行けば、大丈夫になるのです。このように病む人は、このように分かるのだそうです。聖書に見れば、キリストに会ったら、キリストが直されたと記録されています。それなら、私たちはここで重要なことを見なければならないのです。
 
■ 病気の開始はどこからでしょうか? 確かに病気の開始は、創世記3章から開始されたのです。これは、誰によるのか、どのようになったのかという以前に、病気の開始は創世記 3章からです。それで、神様の息子が現れたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためです。だから、宗教、偶像、霊的な問題に、どんどん陥るのです。それで、人間が避けることができない状況になるのです。
 
■ 皆様、正確に話せば、ムダン(霊媒師)になりたくてなるのではありません。これが悪霊と関係があることです。科学的に説明をしてあげなくて解決しないから、道がないのです。私は聖書にだけ答があるということを知りました。以前はムダン(霊媒師)を無視していたのですが、止むを得ない状況だということです。私は有名なムダン(霊媒師)のシン・ジンソン氏に伝道するために、人を何度か送りました。その時、悟ったのです。何を悟ったのかというと、この人達は悪口を言うべきではなくて、かわいそうなのです。なぜなら、私たちのメンバーに、シン・ジンソン氏がそのように話したのです。自分では、どうしようもなくしていると話したのでした。したくてしているのではないと言いました。本人がそのように話したのです。幼い時から苦しめられたてきたが、誰も手助けしてくれなかったということです。長老の娘で、勧士の娘です。親と教会がこの人を理解できないのです。結局は、世に出たら、人が変になるので、より一層、悪霊をたくさん受けるようになって、占い師になったのでした。だから、人々が偶像崇拝をして、吉凶を占って、グッ(降霊術)をすることが変に見えるでしょうが、どうすることもできないのです。皆様に霊的状態がくれば、どうすることもできないのです。また、どんなに、そのような問題がない人でも、問題がくれば人は揺れるしかないのです。こういう目で見る時、この子どもを解決したのが、キリストだという話しがなんの話なのか理解できるでしょう。私たちは、こういう目で世の中を見る時、キリストをなぜ神様が送られたのか、理解できるはずです。今日、このみことばを聞きながら、必ず記憶しなければなりません。
 
■ てんかんの患者は目立っているだけで、あらゆる人間は霊的な問題があります。これを発見することが、今日みことばを聞く理由です。皆様が知らずにいるならば、損害をこうむるのです。人間は、救われた人もこの問題を解決できなくて苦闘しているのに、未信者は言うまでもありません。問題は多様で、ある人々は家に霊的に流れる人々があって、ある人々は家に病気が多い人々もいます。いろいろな問題があるのです。また、ある家は長生きするのに、ある家は長生きすることができなくて死ぬのです。こういう目で見る時、ただてんかんだけが問題でしょうか? ある人は、おかしな悪い習慣ゆえに、ずっと苦労するのです。またある人は、酒を少し飲むのではなくて、酒をあまりにたくさん飲んで、問題が来る人もいます。ある人は、遊びですることではなくて、いつもギャンブルをする人もいます。いろいろな霊的な問題がくるのです。私は人間にこれがあるということを知りました。キリストだけが、この問題を解決できるのです。それで、神様がキリストを送られたのです。私は聖書がどんどん分かるようになり始めました。
 
■ ここには、医者もいます。教授、先生もいます。説教を聞く方の中には政治家もいます。法律関係の人もいます。私達がこういう目を持って見る時、他の角度で見ることができるのです。それなら、難しいこともありません。私達がどのように伝道しなければならないか? と尋ねる必要もありません。私達が、なぜ感謝すべきかも尋ねる必要がありません。そんなにも幼い時、立派に育った朴正煕大統領は、そばに周囲にいる人々が 全部長老、按手執事であったのです。この方に仕えて通った人が、按手執事であり、秘書室長が長老でした。 この大統領が酒さえ飲むと、とても虚しい歌を歌ったということです。なにがそんなに難しいのでしょうか? その方に正確な福音だけ率直に伝えても良いのに、それをしなかったのでした。それで、私達が実際には、伝道は難しいことではありません。
 
■ 大邱で地下鉄に火をつける前に、その人が病院で助けてくれと訴えたということです。火をつけると何度か話したということです。簡単に話せば、悪霊につかれて耐えられないということでした。その大邱病院の中に、福音を知っている人が一名だけいても簡単なことでした。確かにその人を直せなくても、受け入れさせて祈れば、悪霊がその人を勝手にすることができなかったのです。これが福音運動です。なぜ福音が理解できないのでしょうか? 伝道が難しいでしょうか? 私達が神様の前に感謝することが、なぜ難しいでしょうか? 全く難しくありません。私はこれを見ながら、てんかんは問題ではないと思いました。あらゆる人間は、霊的な問題から抜け出てくることができないのです。ムダン(霊媒師)になって、てんかんになることは表に現れているだけです。表に現れないように、人々はものすごく苦しみにあっていることを知るようになりました。
 
■ それで、神様はわざわざ、かなり以前から預言されたのです。キリストを送ると言われました。創世記3:15の単語を理解した人が、アブラハムの家系の人々です。その単語を理解した人が、モーセです。みな用いられました。そして、悟る時ごとにみわざが起きて、奇跡がおきたのです。私たちレムナントが、多くの契約を持って起きるので、私は確信しています。
 
■ 先週には、とても有名な牧師一人が、タラッパンに一週間、参加して行きました。信徒が一万5千人集まる米国の有名な牧師です。皆様は知らないでしょうが、米国の人たちは、皆知っている程に有名な方です。なぜなら、放送に出てきて、いつも説教をするためです。この方が、産業宣教から全てのものにみな参加しました。なぜこの方が参加したのでしょうか? 私たちタラッパンメンバーに現場で会ったのです。この牧師がカンフー(中国の空手)8段です。年齢が六十になって、それをするのが難しくなったので、剣道をしにいったのです。ところが、私たちのメンバーの中に、剣道を教える人がいたのです。この有名な牧師が静かに行って見たら、何があるということを知るようになったのです。率直に告白しました。私たちは数多くの信徒が集まるのに、個人に力がないということでした。ところが、この人には力があるということです。一般信徒が、運動を教えながら、事業も良くして、福音運動をして弟子を育てるので、何かがあるという考えをしたのでした。だから、深く聞いてきたそうです。あなたがどこで習ったのかと尋ねたのです。釜山のタラッパン運動だということを聞くようになったのです。韓国人にタラッパンに対して尋ねたのです。ものすごく悪口を言ったということでした。それでも来たのでした。導かれる人々は、そのようなことと関係ないのです。帰るときに言われた話です。私たちと全く同じだけれど、私たちより良くしていると言いました。聖書的だし、たくさん学んだということでした。食事の接待をせねばならないと思って、共に食事をしました。非常に有名な牧師なので、話しはそれほど必要なかったのです。私がこう話しました。みな全く同じだけれど、違ったことはひとつしかないと言いました。タラッパンで違うことはひとつあると言いました。この方は、それを見るためにきたから、関心があることではないでしょうか? 福音と伝道を強調すると言いました。この強調をしなければ、これから死ぬだろうと言いました。これから、霊的な混乱の時代がるために、みな死ぬだろうと言いました。その方が、そうだと認めました。食事して別れたのですが、たぶん米国に帰られたのでしょう。何年かのスケジュールが詰まっていたのに、わざわざ休暇をとってきたのでした。
 
■ 皆様がどれくらい大きい祝福を受けたのか、神様が私たちに何を与えられたのか理解しなければなりません。知っていさえすればよいのです。自分の家の中にある霊的な問題が、私にもあるということを知っているだけでも良いのです。それで、キリストを送ってくださったのです。すると、皆様の代で終わるのです。皆様の家を見るように願います。なにか問題があるでしょう。これを知らなくて、そのまま置いておくのでしょうか? 子どもがてんかんになったという簡単な話ではありません。皆様、なにかがあります。悟れば良いのです。私にこういう問題があるということを知りさえすればよいのです。からだもそうでしょう? 私の家系は、どこがおもに弱いということがないでしょうか? すると、知って参考にすれば良いでしょう? 知っているだけでも良いのです。医者の方達が話すでしょう? おもに血圧が高い家系は、おもに血圧が高いのです。父、母、おじいさん、おばあさんが高いならば、すこし注意すれば良いのです。また、ある人は家系に肝臓が悪くて、肝臓病でみな死ぬ人がいます。すると、自分の家系は肝臓が弱いと悟れば良いのです。すると、この部分をすこし注意すれば良いのです。
 
■ 霊的な問題も同じです。人間には、霊的な問題というものがあります。なぜなら、人間は霊的な存在であるためです。それで、あれこれしなければならないけれど、聖書の本当の核心は、この問題を解決するために救おうと私たちを呼ばれたのです。この部分をあなたがたが理解できなければなりません。すると、あなたがたには少し悟ったのに、答えは重ね重ね大きく来るはずです。これが霊的な祝福です。あなたがたは、そうなのかと理解しただけだったのに、みわざが起きるはずです。私達が説教を聞く時、みな学んで、そのようにできません。月曜日になれば、みな忘れてしまうでしょう? そのような必要はありません。そのまま今日の説教を聞く時、そうなのだなと理解できる時、みわざが起きるのです。信じる時、働きが起きるのです。聞きながら、そのとおりだと認めることが信じることです。皆様、アーメンという言葉は、そのように信じるという意味です。私もそのようになることを願うという話です。教会でアーメンという言葉を多く言うでしょう? ある人は、連続して言うのですが、そのようにする必要はありません。ある人は10秒に一度ずつして、説教ができないくらいでした。そのようにする必要はありません。皆様がせっかくアーメンと言っても、知ってしなければならないのです。そのようになることを希望するという意味です。本当にそのように同意するという意味です。だから、アーメンができないので問題になるのです。皆様、こういう部分が理解だけできても、霊的な部分に働きが起きるはずで、この真理が代々にみわざが起きるのです。
 
■ このように結論をくださなければなりません。私たちはキリストによって、終わったのです。皆様の家系に伝わってきた霊的な問題が、キリストによって終わったのです。それなら、どのようにせねばならないのでしょうか? これからキリストのなかで、信仰生活を回復しなければなりません。すると、キリストのなかで、どんな信仰生活を回復しなければならないのでしょうか? 先週に話しました。礼拝回復をしなければなりません。こういう問題は既に終わったから、礼拝が回復すれば良いのです。皆様、他の方法で直そうとしてはなりません。みことばは確かに創造の働きです。これが神様のみことばと、人の話しの違いです。それで、礼拝の時間に、みことばを聞く時、創造のみわざが起きるのです。
 
■ 皆様、礼拝時間に賛美をする時には、どのようにしなければならないのでしょうか? 神様は、最も栄光を受けて、暗闇の勢力は最も震える時間が、賛美する時間です。皆様はどのように見るかもしれないのですが、長老が祈る時間には、天の門が開く時間です。確かにそのようになっています。黙示録8章を見れば、天の門が開いて、長老と皆様が祈ることを全部、神様が御座で聞いておられるということです。皆様が献金する時には、どのようにしなければならないのでしょうか?皆様がいつでも世界福音化できる大きい祝福を受ける信仰を持って、献金をささげるのです。
 
■ 皆様が、胎児部から、大学部、青年部まで教会学校をします。それをなぜするのでしょうか? この人たちが持っている多くの人間の問題が、福音でだけ解決するので、正しく教えるのです。これが礼拝回復です。そして、礼拝の時に受けた恵みで、一週間に生活の中で定刻、常時で祈るのです。皆様はまちがいなく、定刻の祈りだけ回復するならば、あらゆる問題がほとんど解決するはずです。
 
■ 私が知っている方が、北朝鮮で自分の子どもを失ってしまったのです。死んだのではなくて、道で見失ってしまったのです。さがせなかったのです。皆様はどのようにするでしょうか? どこかに私の息子、孫がさ迷っているのです。皆様がそのような想像だけしてみることを願います。皆様の孫が戦地の中で、どこかに道に迷って泣いていると考えてみることを願います。この人がそれを考えると、寝られないのです。そして、ずっと考えるのです。長い間、そのようにして、死ぬのです。何にもできなくて、そのように死ぬのです。人は、それしか仕方がないという気がしました。
 
■ 皆様が契約を捕まえて、定刻の祈りを回復するならば、全てのものを回復できるのです。それが、私たちは信仰生活に関する重要な回復です。もうひとつ回復があります。その契約を持って、現場に行って、職業、職場、学業に神様の証拠が起きるのです。それをこれから回復するのです。皆様は既にキリストで終わったゆえに、回復することを願います。簡単に話せば、礼拝回復をしなければならないのです。その礼拝の祝福を生活の中で回復するのです。その祝福をこれから皆様の産業、事業、職場で回復させるのです。
 
■ その祝福を産業、事業、職場に回復させましょう。それすれば良いのです。その次にまたひとつがあります。私達がキリストのなかでみな終わったゆえに、生活を回復しなければなりません。本当に他の話しを聞かず、礼拝回復して、生活を回復することを主の御名で祝福があることを希望します。前のことは信仰回復ならば、これは生活を回復しなければなりません。これまでは、必ず回復しなければならないのです。問題は、時間です。皆様が時間をぴったり合せて生きることはできません。しかし、勤勉に早く起きなければならないのです。明け方祈りをすればより良いのですが、明け方祈りに行くことができなくても、皆様が早く起きて、運動して、準備して、このようにしなければなりません。成功する人は時間が違います。成功する人々は、早く起きます。他の人が寝ているのに、早くから準備をみなするのです。しかし、失敗する人は違います。急に朝も正しく食べることができなくて、走って出て、職場でアクビして座っているのです。成功出来ません。たまたま成功しても、その後、失敗するようになっています。これはキリストのなかで回復すべきです。
 
■ こういう時刻表を回復しながら、皆様の環境も回復しなければなりません。皆様がこれからキリストのなかで環境も回復しなければなりません。こういうことは、霊的問題と関係している、ものすごく重要な問題です。私たちの学生だけでなく、私たちの聖徒もよく習うべきです。
 
■ 私達が普通見れば、良い生活をする国と、できない国は差がちょっとあります。マレーシア、タイ、香港で飛行機に乗って見るならば、空港からとおりはきれいです。しかし、少しだけ裏路地へ行ってみれば、本当にびっくりします。私は通ることができませでした。まず臭いがあまりにひどいのです。これが後進国です。しかし、先進国に行ってみれば、そうではありません。路地の隅々まできれいになっています。それだけ環境が重要です。何でもないことのようですが、学生達は今から環境からよくしなければなりません。
 
■ 普通、私たちの学生達の部屋に行ってみれば、すでに分かります。普通、学生達の部屋に行ってみれば、悪霊が出てくる程、汚らしくしてありました。その話は、どんなに清潔に着飾って出てきても、自分の頭の構造は、学生達の自分の部屋と同じだということです。どんなに着飾って、かたちを良くして出てきても、皆様の頭脳は乱れているということです。環境整理は、幼い時からしなければなりません。幼い時から整頓するということは、自らの脳が整頓されているということです。それでこそ、世界征服するのです。全てのものが元々置かれていた場所に置かれているということは、皆様の脳の意識と区分がよくできているということです。それでこそ、詐欺師に会っても区分できて、何に会っても区分ができるのです。それでこそ、水準が変わるのです。幼い時からしなければなりません。
 
■ そして、主婦もよく聞かなければなりません。皆様の家庭を芸術的にしなければなりません。これは、お金と関係がありません。芸術的にしておいてこそ、憩いの場になるのです。子ども達が家に入った時、子ども達が自分の家が良い、本当に楽だ。このように感じられなければなりません。なにか人生の意味が出てくるべきです。何か子ども達が感じる時 '私の母、父は、本当に素晴しい方達だ' という意味が出てくるべきなのです。成功した家庭に一度、行ってみましょう。上手にしているのではなく、なにか意味あるようにしてありました。あの田舎の家に、一度行ってみましょう。麦の箱、2階、3階、5階、雑多な全てのものをみな置いてありました。なんの意味もありません。私たちは、キリストのなかで時間も環境もみな習うべきです。キリストのなかでバランスも習うべきです。皆様は習って行けば終わってしまいます。皆様の霊的問題は、終わってしまうのです。その上に礼拝回復すれば、ますますなくなって、完全に勝利をするようになるしかないのです。
 
■ なんでもないことのようでも、生活の中でのバランスはとても重要なのです。言葉もバランスの中で出てくるのです。人間関係もバランスの中で出てくるのです。皆様の経済も、バランスの中で出てくることのです。友人もバランスの中で出てくるのです。合理性、客観性、こういう色々なものが、みなバランスの中で出てくるのです。これをみな習うべきです。終わってしまったのに、私達ができない何があるのでしょうか?
 
■ 霊的問題、審判、呪いがみな終わってしまいました。神様の息子がいらっしゃって、皆様の災いと呪いを全部、十字架に釘付けられたのです。これが神様の愛です。そして、悪魔のしわざを滅ぼしてしまわれたのです。それがキリストの権威です。そして、世の終わりまでいつもあなたと共にいます。あなたを天国まで導く。 終わったことが確かです。それなら、信仰生活を回復しましょう。そして、生活も回復しましょう。今日から家に帰ってしてみましょう。帰ったらすぐにそうじからしましょう。
 
■ 教会学校の伝道師をしていた時、教会学校の事務室に行ってみて驚いたのです。引出しをあけてみたら、ないことがなかったのです。女の人が家に帰る時、持って帰るべきなのに、ストッキングをそちらに入れて行ったのです。そこにあらゆることが入っていました。それで一日、夜明けに早く行って、他の人が見る前に、そうじをすっかりしてしまったのです。きれいに整頓しました。底には、何年間、積まれたものがあり、そのまま置いておいたようでした。ガムやいろいろなものを全部みなはがしました。本当にオンドルの床が新しい市版のようにきれいになりました。机の中に必要がないものをみな出してしまったのです。本箱の本も大きさに合せてみな整理しました。書類整理、あらゆる整理を終えてみたら、家が本当に良かったのです。入る人ごとに一言ずつ言いました。私たちの事務室が見違えるように変わった。誰が整理したのか? 人々は幹事が事務室を整理したと思って、幹事を称賛したので、幹事の顔が赤くなりました。その時からは整理をし始めたのです。その次に行ってみたら、幹事は私が整頓しておいたとおり、整頓していました。
 
■ムダン(霊媒師)の家に伝道しにいってみなさい。ムダン(霊媒師)の家は、清潔な家が一つもありません。まず台所をながめれば、同じようなもので一緒に置かなければならないのに、おまるとご飯茶碗が一緒にあったりします。これが悪霊につかれた人の特徴です。そのために、整理整頓は、霊的なことと関係があります。私たちはこれから終わったので、回復しなければならないのです。すると、皆様が何でもないことのようでも、相当な癒しがなされて、他の人にも影響が及んで、伝道の門も開いて、みな開きます。皆様の霊的問題を正常に回復しましょう。キリストのなかで、信仰生活を回復して、生活を回復しながら治療しましょう。既に終わったのです。学生達もそのようにすることを望みます。
 
■ 学生達は、収入がたくさんありません。おもに収入は、親からもらったり、足りなかったら、父母をだましたりしてもらうのです。使うことを書きましょう。使う前に2度程、考えましょう。これを必ず使うべきか、そうでないか、必ず考えましょう。おもに足りない女性は、誰かがきて誘惑すれば、そのままお金を与えてしまいます。詐欺師が一番詐欺を働きやすい相手が女性だということです。女性がいつも無視しないでと言いますが、無視されることをしなければ良いのです。まず、お金を使ったことを一度、書いてみましょう。まんじゅうを好む人は、まんじゅうしか書くことがありません。それを見てまんじゅうの人生だと言います。書いたことを見ると、酒を飲む人生は酒しかありません。どんなにそうだといって、お小遣帳に酒だけが書かれていて良いでしょうか。皆様、使ったお金を一度、書いてみましょう。どれだけ価値があることがあるのか、直接、一度書いてみましょう。それで、幼い時からバランスを学ぶべきなのです。
 
■ 皆様の人間は、生きていきながら失敗しますが、そのようなことは問題ではありません。キリストのなかで真の人生、世が解決出来ない問題をキリストが解決なさったのです。この祝福を必ず捜し出さなければなりません。そして、他の人に伝達する程、価値がなければならないのです。これが本文が私たちにあたえる重要な意味を含んでいるのです。
 
■ 話を結びます。キリストが責められました。 '信仰がない世だ' この話はなんの話でしょうか? 教会の中に指導者も重要で、教会も重要ですが、皆様個人がこの契約を捕まえなければなりません。他の人に依存することも良いけれど、助けを受けることも良いけれど、手助けすることも良いけれど、キリストのなかで個人的に取り出す祝福を取り出さなければなりません。むかしには、牧師に祈ってもらおうとしたのに、必要ありません。皆様が直接、イエス様の御名によってしましょう。例えば自分の家に悪霊がいるみたいだ。先生が礼拝をささげてくださいというような話しもする必要がありません。皆様がイエスの名前でしましょう。イエス様が責められました。
 
■ 今日、皆様はそのまま始めるのではなく、成功した人には、みな座右の銘があるということです。皆様も契約をとらえて、何かがなければなりません。私は聖霊充満と五つの力、弟子、20の戦略! これは私の祈りです。私の頭の中に常にあってこそ、祈りになって、みわざが起きます。今日、皆様の霊的問題が解決する開始の日になることを希望します。礼拝回復して、生活の中に回復するので、完全に勝利する祝福があることを希望します。家系全部を生かす証人になることをイエスの名前でお祈りします。
 
<契約の祈り>
神様に感謝申し上げます。今日も真に重要な日になるようにしてください。私たちにある霊的な問題を発見する日になるようにしてください。礼拝を回復して、生活を回復して、キリストの祝福を味わう貴重な開始になるようにしてください。生きておられる主イエスの御名によってお祈りします。
 
 


 2部/ 苦難の日に、私は主を呼び求めます
(詩86:1〜17)
 
■ 京畿道の利川に行けば、ミランダホテルがあります。一度は、そこで泊まっていたら、外から人が怒鳴る声がしました。誰かがけんかしているようだと思ったのですが、ずっとしていました。窓から見てみたのです。男の人二人と女の人一名がけんかをしていました。一名は止めているようでした。あまりに激しくて、長くしていたので、興味を持って見に出かけました。内容を知ってみたら、夫と妻でした。夫が妻に帰ろうと言いました。家に帰ろうと言っているようでした。ところが、その女性は帰らないと言っていました。帰らずに、自分の思うように行くという内容のようでした。ところが、その間に止める男性がひとりいました。止める男の人が、女の人に帰りなさいと言いました。その人は、誰か静かに聞いてみたら、お兄さんでした。お兄さんが妹を見て帰りなさいと言っていたのでした。すると、帰らないと言います。あまりにも良さそうに見える夫が、帰ろうと言います。何と2時間けんかをしていました。終わらないようなので、寝たのですが、ずっとする可能性が高かったのです。
 
■ 私は、幼い時、私の母が私の父の前で口答えするのを見たことがありません。一度も口答えしたことがなかったのです。あまりにでたらめなことを言われても、私の母は、いつもじっとしていました。もちろん、みな終って話していました。それで、私は今考えても、その女性を見て、私の母を考えて、私の母は本当に良い女性だという気がしました。この頃、女の人たちが、ちょっと大変です。男の人が悪口を言えば、2度悪口を言います。うつわを割るならば、一緒に割ります。これからそのようにすれば、自尊心が守られると考えるのです。そのようにしながら、女の平等権があると考えるのです。それは、本当に錯覚です。それで、その女の人を見ながら、私はあんな女の人とどのように暮らせるだろうかという気がしました。2時間を、声をはりあげ、大声で叫ぶのに、私は精神が狂った人だと思いました。近くに行って見たら、狂った人ではありません。言葉もとても論理あるようにしながら、帰ろうというから大声で叫ぶのです。もちろん、他人の事情を私達がどのように皆分かるでしょうか。それほどの理由があったのでしょう。しかし、その状況を見る時、人には基本ということがあるでしょう。私達がけんかをしても、水準というものがあるでしょう。別れるとしても、水準があります。問題が来ても水準があるでしょう。私が今日、なぜこういう話をするのでしょうか? 他人の夫婦けんかの話をなぜするのでしょうか? 今日は、教師の献身礼拝であるためです。
 
■ 胎児部、嬰児部を教える方達は、常に説教では3つのことが抜けてはなりません。親に向かって常にメッセージ三つが抜けてはならないのです。夫婦けんかをしないで! そして、福音を正しく伝えること。そして、今日の本文が何と言われているのかということです。この三つを毎週しなければなりません。なぜならば、子ども達は、夫婦がけんかをする時、絶対に傷つきます。それは誰も癒すことができません。それで今、既に夫婦がけんかして、離婚したとするならば、その子には、話さなくても途方もない打撃を受けているのです。その部分に対しては、言うまでもありません。それで、胎児、嬰児部で説教する時は、いつでも父母におもにすることであるから、3つを言うべきです。福音、今日の本文は何かを話しながら、常に言ってあげなければなりません。けんかをしないで。この話だけをすれば、否定的だから、反対にとてもうまくいったものを選んで話もしなければならないのです。それが神様のみこころです。私はちょっと遅く知ったのです。私はこれを知っていたなら、私の子どもが見る前でただ一度もけんかしなかったのに、という考えをしました。耐えれば良いのです。負ければ良いので、なぜけんかをするのでしょうか? 私はそれを知らなかったのです。教会で教えてくれなかったのです。子ども達が滅びる傷をいつ受けるのでしょうか? 夫婦がけんかをする時です。父母がけんかをする時、子ども達は何も言わずに、完全に滅びる程、傷つくのです。
 
■ 女の方達が知っていなければなりません。男の方達が怒ったら、無条件に間違っていたと言って、後ほど話せばよいのです。子ども達がいない時に話しなさい。そのように言えないならば、ふとんをかぶってでも良いです。後で言えば良いので、立ち向かうならば、それは完全に違います。なぜ男と女は平等ではないのでしょうか? もちろんそうです。そのような話は、平等だということでは、人格と全てのものが平等だということであって、腕相撲しても平等だ、足を掛けるのも平等だということではありません。敢えてけんかをして、男性に勝たなければならない、そのような平等を言うのではありません。男も同じです。敢えて女に勝って、平等を得るのが何の意味があるのでしょうか? そのようなものは、なんの意味もありません。私達が神様の愛を受けて、キリストの愛を受けるならば、そのような部分は何でもありません。ところが、それが簡単ではないのです。簡単ではないために、胎児、嬰児部では、メッセージの時ごとに話さなければならないのです。どんなに話しても、一年に50回くらいしかできません。365日の中で5分の1もならないのに、ずっと話さなければなりません。そして幼年教会学校です。幼稚部から小学課になれば、既に傷を持っています。福音を話しながら、毎週、話さなければならないのです。先生は子ども達に福音の話を毎週しなければなりません。そして、福音と関係した今日の本文の説明をよくしなければならないのです。それとともに、1度、2度してはなりません。レムナントが良くない家庭で勝利した話をずっとしてやらなければならないのです。既に傷を受けています。それで、毎週しても50回くらいしかなりません。ですから、私の話を必ず記憶しなければならないのです。その他のことは必要ないのでしょうか? それではないのですが、特に重要なのではありません。それで、私達が今、福音を言うことが、どれくらい大きい祝福でしょうか、それで、もう一つ付け加えて、幼稚部、小学校の子ども達を教える人々は、いつでも福音の素晴しい部分を話して、そして、その部分の傷を癒してやらなければならないのです。そのようにだけできれば、むしろ大きい人物になるはずです。そのようにだけできれば、良くなかった家庭が背景になって、より大きい人物になることができます。
 
■ 皆様は、どのように考えるかもしれないけれども、私はものすごく重要だと考えます。それで、教会学校ぐらい重要なのはありません。率直な話で、小、中、高等学校は行かなくても、検定試験を受ければ良いでしょう。しかし、子ども達が霊的に誤っていることは、誰も直せません。皆様がよく知っているでしょうが、よく知らなくてそうなので、教会学校ぐらい重要なものはありません。私がなぜ失敗したのでしょうか? 先生に誤って会ったのです。教会学校に通いながら、大きくなる時まで、全く福音を聞けなかったのです。そして、本当に格好良いということを感じることができませんでした。福音を持ったことが格好良いなと感じられねばならないでしょう。さっき私が立っていたら、小さい学生達が私を見ようときて、私と目が合ったら逃げてしまいました。それは、子ども達が福音が良いということを感じたということです。私はむかしに、牧師達を見る時、伝道師を見る時、そのように感じることができませんでした。これが普通の失敗をすることではありません。何ゆえに教会学校、小、中、高を教える先生たちに謝礼を出すべきだとならないのでしょうか? 皆様に謝礼を出そうとするなら、事実上、価値を正そうとするなら、お金百万円はしなければなりません。学校の先生がもらうものの、何倍ももらわなければなりません。それほど重要なのです。
 
■ 私の話をよく聞いてみてください。すでに子ども達が、胎児部の時から霊的問題が来ている子ども達も多くて、それとともに、言葉を学び、感覚、感情を学ぶのに、夫婦がいつも家庭環境が良くないとします。そして、教師が悟ることができなければ、どんな場合でも滅びます。すると、家庭にだけ問題がくるのではなく、社会問題までなるのです。今回、大きい事故を起こした人々は、全部幼い時から問題がありました。とてもよく成長して、とてもよく大きくなったのに、その人が突然に事故を起こす場合はありません。このようにして、中高等部、大学部にきたのです。既に中高等の学生、大学生は直すことができません。それで、毎日のように話して、この人たちを福音に根をおろすようにしなければならないのです。福音に根をおろさないと解決しません。どのようにして、ヨセフがその難しい問題にみな勝つことができたのでしょうか? ヨセフの胸の中には、本当に福音が根をおろしながら、神様の愛が感じられたのです。そのような時、赦すことができるのです。私が神様の愛を十分に味わった時、赦すことができます。それ以前には、することができません。皆様の中に傷があるのに、神様の愛を感じた時、解決するのであって、それ以前には人では解決できないのです。それで命をかけて、福音に根をずっとおりるようにしましょう。教師がそれで、なんとも言えないほど重要です。あなたがたは、時間があれば、一度ずつ教会学校とか、皆様の子ども達を連れている先生に行って、あいさつもして、どのようにしているのか一度見ましょう。重要だと話をする程ではありません。
 
■ 世の中の教育では、4つのことができません。知識はあっても、真の希望を与えることができないのです。それで耐えていても、救いを知らないために、真の希望も与えることができなくて、真の目標を提示出来ません。あまりにも疲れていて、困難を受ける子ども達に、真の力を与えることができません。そして、どんなによく教えて有益だとしても、子ども達の霊的問題を解決することができません。それで、私はその部分が必要だけれど、そういう限界を知りました。たとえ皆様が多く持っていて、学位とか実力がないとしても、子ども達に福音を正しく与えれば、霊的な働きが起きます。例えば、子ども達が福音を悟って少しだけ答えを受ければ、子ども達に真の希望が生じます。そして、力も生じます。この時から、子ども達の霊的問題が癒され始めるのです。貴重な程度ではありません。それで今日、私たち教師の方達は、必ず記憶しなければならないのです。なぜしばしば反復しているか、皆様は分からないでしょうか。しかし、正しくあなたがたがすでに勉強をちょっとした人ならば、IQが高い人々は、すぐ分かるはずです。あの世の中も卒兵のような、いつも下にいる人は分かりません。少しだけ知能がある人は理解します。なぜタラッパンでは、私たち教会では、しきりに強調するのでしょうか? 知っているはずです。
 
■ 日本から博士一名がきました。こう話しました。先生、申し訳ないですが、赦して聞いてくださいと言いました。今まで自分が発見した霊的な分野、自分 その分野の博士だということです。最も正確で、多くのことを出したと言いました。インターネットでメッセージを聞いたということでした。それで訪ねてきて、その次に、申し訳ないと言いました。このように水準が高くて難しいことを、そんなにもやさしくて、無知な方法で解いているということは、普通の説明ではないと話しました。そうだと言いました。その時、その人にこう話しました。あなたは博士らしいと言いました。聖書にあるこの話を、最も水準が高いものと見たというあなたは、本当に博士らしい。自分が日本で十年研究したということです。聖書に最も水準が高い答があると言いました。そのようなことです。なぜ、しばしば反復しているのか知っていなければなりません。
 
■ 皆様、後ほどみな滅びて、どんなに話してみても仕方がありません。学校はどこを出て、お金をどれくらい儲けたのかが、みな滅びるのに何の意味があるでしょうか? それで、教会学校、中高等部、胎児・嬰児部が全部重要なのです。人間というのは、ある段階に入っていくために、そこに入ってしまっては、その時からは難しいのです。私たちの中高等学生達が、大学の青年達が外に出て、世の中に入っていけば、その時からは難しいのです。そうなる前に、私達が毎週、反復するのです。毎週反復しても、50日くらいにしかなりません。50日になるでしょうか? 50時間しかなりません。50時間になるでしょうか? だから、時間に正せば1,2日聞くだけです。ところが、ここで違う話をして良いでしょうか? 皆様がどんなに多様な経験を持っていても、教会では他の話しをしてはなりません。一週も抜けないでも、子どもはみことばを2時間くらいしか聞くことができません。だから、どれくらい重要でしょうか?
 
■ 聖書66巻、聖書はトピックスが五つあります。それを知って読まなければならず、教えなければなりません。聖書にトピックスが五個あります。その一番目のトピックスが、創世記に入っています。創世記 1:3を見れば、空虚、混とん、暗闇の中に光を照らしたと言われています。ところが、暗闇、混とん、空虚はずっとあって、イエス様を光として送られたと言われています。人間が知ることもできなくて、受ける困難があります。これを原罪と言います。皆様がすることもしなかったのに来る呪いです。それが創世記3:5です。それで、創世記3:5の解決者、創世記3:15 女の子孫という話しが出てきます。それとともに、創世記6:5にネフィリム時代がきました。そして、創世記11章を見れば、バベルの塔を築いたのに、みな崩れました。それでここで答を与えたのです。
 
■ カルデヤを離れて、私があなたに示す地へ行きなさい。これが聖書の一番目のトピックスです。それで、よく見れば、主題が一つで出てきます。創世記1:3に光、創世記3:15に女の子孫。創世記6:14に箱舟。こういう同じ話しが出てきます。知ってみれば意味が同じです。それで、この話をわかった人々を通じて、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセのような人物が出てきたのです。あなたがたは、よくわかるでしょうが、普通の人々はよくわかることができません。モーセを見て何と言ったのでしょうか? イスラエルを解放すると言われたでしょうか? そうではありません。しかし、映画ではそのように作っていました。イスラエルを抑圧から救い出す。そのようには話されませんでした。それが誤って見たのです。ところが、それまでなかった話をされたのです。映画で作っては、何もおもしろくない話をされたのです。イスラエル民族を連れて行って、血のいけにえをささげなさい。出エジプト3:18。重要なことは、モーセがこの話をわかったのです。モーセは聞くこともしなかったし、質問もしませんでした。それはしますが、私の話を聞くだろうかと言いました。 パロ王の前に行って、私たちの民を送り出しなさい。理由が何でしょうか?血のいけにえをささげるべきだ。パロ王が血のいけにえは、ここでささげれば良いのではないか、それが何で重要かと言いました。その事件です。血を塗る日、解放されて出てきました。それを見て過越しの祭りと言います。何の話なのか分かるでしょう? それが聖書の一番目のトピックスです。聖書をよく見ましょう。今、私が話をしたことが、創世記、出エジプト記、レビ記、申命記、民数記のモーセ5書です。先生が知って教えなければならないのです。
 
■ その次に2番目のトピックスです。カナンへ行けということです。アブラハム。カナンへ行きなさい。ヤコブが死ぬ時、何と言ったでしょうか? 私の遺体をカナンに。またモーセもカナンに行くことができなくて死んだのですが、同じことです。ヨセフもそうでした。これは何を言うのでしょうか? イスラエル民族は、ここでまた失敗をしたのです。私たちイスラエルは、選民であなた達は異邦人だ。殴られるほかありません。例えば、私は本当に良い者だけど、あなたは乞食だと言ったら、じっとしているでしょうか。私だけが立派で、ペク・ウンギュ牧師も乞食で、イ・サンフン長老も乞食だと言えばじっとしているでしょうか? イスラエルが、いつもそのようにして通いました。正しく悟れば、どうしても、この福音は伝えられるべき福音なのに、幸いにイスラエルで始まって光栄だと言うべきです。だから2番目のトピックスが、カナンの地です。そちらへ入っていく人々は、無条件に奇跡がおきました。早く悟らなければなりません。
 
■ 三番目のトピックスです。これから、旧約で歴史書が始まります。王、祭司長、預言者が出てきます。ところが、王を中心に記録して列王記T、U、歴代に中心としたゆえに歴代T、U、こういう記録がずーっと出てきます。各預言者の預言書がずーっと出てくるのです。その一言で縛って、トピックスが何でしょうか? そのようにしても、事がならないのです。その時、出てきた単語があります。メシヤ。それが三番目のトピックスです。それで、メシヤという単語を悟った人を通じてみわざが起きました。分かるでしょうか? その単語を知った時、回復されたのです。イザヤを見て、処女がみごもって男の子を産むと言われました。それが三番目のトピックスです。その次に4番目のトピックスです。新約聖書です。キリストです。はじめから約束されたその方がいらっしゃったのです。それを悟った者は、絶対に滅びません。それが4番目のトピックスです。
 
■五番目のトピックスが何でしょうか? 霊的な混乱時代がくるはずです。ヨハネの黙示録、マタイ24:25、テモテU3章。それで私達が福音を強調するのです。皆様、すこし広くたくさん見ることができなくても、かまいません。
 
■ 聖書のトピックス五個。教師がどのように子ども達に説明せねばならないのでしょうか? 既に私たち中高等学生達、レムナントは、多くの過去、多くの未来で、みな無条件に出てきて座っています。傷とかなんでも、無気力で、みな覆われているのです。この中に福音を完全に根をおろして、隠していることが出てくるようにしなければなりません。既に私たち小学生は、傷があります。それを癒してやりましょう。そして、胎児、嬰児部の親には、絶対にこの使命を教えてあげましょう。私は過去には、事実福音もよく知りませんでした。それで、こういう説明をしてくれなかったので、聞けなかったのです。それで私たち夫婦が戦う時も、子ども達がよく分からないと思っていたのです。子ども達がよりよく知っています。そして、小さい子ども達がよく聞いているようでなくても、みな聞くのです。私達の孫がきたのですが、私が声を大きいように言うと、必ず見つめます。子ども達は、ものすごく鋭敏です。私が話す時、語り口がちょっと違うなら、見つめます。そして、私が悪い言葉を言うと、言わないでと言います。子ども達が皆知っています。
 
■ 本当に、私達が大きい失敗をしました。皆様の親が子ども達が見ているのに、けんかをすることは、本当に大きい失敗をすることです。だから、方法を研究しましょう。けんかをすることができたら、山に登ってけんかをしましょう。子どもに傷を与えてはなりません。私達が知らずに、普通にそのようにします。若い人々、新婚夫婦は、必ず記憶しなければなりません。胎児、嬰児部では、教えてあげなければなりません。私たちの親に教えなければならないのです。だから、どれくらい重要でしょうか。すると、こういう結論が出てきます。教会学校ぐらい重要なことがあるでしょうか? ありません。皆様、知らなくそうなので、本当に知っていれば、ありません。教師はとても重要なのです。教師を正しくすれば、答えを受けるしかありません。私は以前に、知らずにしました。知ってすれば答えを受けるしかありません。皆様、なんでも知ってしなければなりません。賛美を正しく理解すれば、ダビデのように働きが起きるのです。伝道がなにか理解するならば、パウロのような働きが起きるのです。ですから、みことばだけ簡単に理解するならば、イザヤのように、エゼキエルのように働きが起きるのではないでしょうか? 私は率直に知らずにしました。それで、今になって、これを分かったのです。それで切なく反復します。そのような中で、私達が重要な部分ひとつをお話しします。
 
■ 今日の本文です。患難に会った時、どのようにするのでしょうか? 簡単に話せば、困難にあった時、どのようにしなければならないのでしょうか? 今日、ダビデがこう話しました。 ' 私は苦難の日にあなたを呼び求めます'. こういう答だけあれば、勝利するはずです。私たちレムナントが行って、私は苦難の日に神様に祈るという程度だけになればかまわないのです。皆様、苦難が来ても恐れません。祈れば良いという答だけあれば良いのです。誰も皆様を手助けすることができません。限界があります。しかし、神様は私の避け所、私の羊飼いです。私たちは苦しいこと、暗いことに会うことがあります。私たちは祈ることができるのです。私たちは救われた神様の子どもです。これだけ知っていれば良いのではないでしょうか? それで、簡単にお話しします。聖書で苦しみに会った人を見て習わなければなりません。アブラハムは、神様のみことばを捕まえるやいなや、ずっと苦しみが始まりました。なぜそうなのでしょうか? 悟れなかったためです。なぜ神様が私たちを呼ばれたのか、なぜ私を救われたのか、この祝福を悟ることができなかったのです。その中で皆様がよくおわかりの通り、このアブラハムが悟った、その時から答えがきました。ヤコブもそうです。悟ることができなかったのです。ある日 'あなたの名前をヤコブと言わず、イスラエルとしなさい'. 悟った人々があります。ヨセフがこの部分を悟りました。苦難がきた時、むしろ本当の祝福をみな受けました。それで、私たちの子どもに教えなければならないのです。
 
■ 苦難の中に神様の計画があります。それが一番目のことです。苦難がきた時、恐れないようにしましょう。神様の計画があります。私が主に叫ぶことさえできるならば、何の心配もする必要がありません。皆様、ヨセフが受けた患難の中に、すべて神様の計画がありました。モーセが受けた苦痛の中に、全部、神様の計画がありました。ダビデが受けた苦しみの中に、全部、神様の計画がありました。これを最初に知っていなければなりません。2番目です。今日の本文です。詩篇86篇を見ると、ダビデが苦しみにあうのを見るので、誰もあうことがあるのです。誰が解決できるのでしょうか? 人間には限界があります。それで、叫びなさいということです。祈りなさいではなくて、呼び求めなさいと言われました。呼び求めるという言葉は、意味がちょっと違います。内容は同じですが、ちょっと違うのです。単に祈りなさいということと、呼び求めるという言葉は違います。なぜ呼び求めるという言葉を使ったのでしょうか? 水に溺れれば、どのようにしますか? 知らずに滑り落ちて、水に溺れたとします。そのような時、どのようにしますか? ある声をみな出して、怒鳴るべきです。助けてくれと大声を出すべきです。しかし、親しい人とバスに乗ったり、列車に乗って行く時は、どのように話すべきでしょうか? その時は、静かにしなければならず、大声で叫んではなりません。水に溺れて死ぬ人が、あまり騒々しければ失礼だと、人に助けてくれと言えば、それは死ぬことです。水に溺れて死ぬ人は、失礼であっても仕方がありません。そのような意味で呼び求めるのです。
 
■ 主に呼び求めなさい。この話は、叫ぶという意味だけがあるのではありません。この問題を解決できる人が、だれでしょうか? 皆様の人生問題を解決する人が、だれでしょうか? 私たちには限界があります。本当にこの限界を越えて解決できる人はだれでしょうか? これをダビデが知っていたのでした。それで、詩篇86篇を見ると '私は悩み、そして貧しいのです。' 3節を見ると、一日中、主に祈りました。 4節を見ると、私のたましいは主を仰いでいます。説明を長くしません。ここで答えを受ける秘密がみな出てきました。もし、皆様が主を仰ぎ見ることができて、一日中祈りができる秘密だけ持って世に行くならば、勝利します。最初、患難の中に神様の計画があります。2番目、皆様が仕事をしながら、勉強しながら、世の中に生きながら祈ることさえできるならば勝利できます。それができなくてむずかしいのです。三番目です。理由を知っていれば、苦しむ必要がありません。皆様が理由を知っていれば、苦しむ必要はありません。アブラハムが悟る時まで、苦しみにあいました。その息子イサクが悟る時まで、攻撃にあいました。あなたの名前をイスラエルだと、この話をする時まで、ヤコブが苦しみました。総理になる時まで、ヨセフは苦しみました。悟ってしまえば、終わりです。神様がイスラエル民族が捕虜になっていったのに、悟ってしまえば行く必要はありません。皆様が悟るのがどれくらい重要か分かりません。それで、こういう祝福を私たちレムナントが持って、あなたがたが持って行かなければなりません。皆様の子どもに、私たちのレムナントに教えることが、どれくらい重要でしょうか。
 
■ 今日の本文をよくご覧になるよう望みます。少なくとも、持っている傷を癒してやりましょう。福音に正しく根を下ろしてやりましょう。そして、本当に祈りの秘密を持って行くようにさせましょう。患難の日が来てもかまいません。祈りの秘密を持って行くために。これだけできれば勝利します。今日、皆様がこの契約を捕まえて、今週に一つだけ一度実践してみましょう。仕事をしながら、全てのことをしながら、一日中主に祈った、この話を一度よく契約を捕まえるように願います。たぶん、答えがくる前に、皆様が先ず一番に変わるはずです。行って何かの答えを受ける前に、皆様が持っている心配が変わるはずです。皆様、この単語を捕まえれば、皆様の考えが変わります。確かに違います。答えを受けることも重要ですが、私が重要です。私は前に率直に告白しました。するべきことが多いのです。私が一週間に文章を書くことだけでも多いのです。そのように考えたら、苦しくなりました。人々が私を誰も理解できないと考えたので、ものすごく苦しかったのです。メッセージを準備しなくてはならず、書くべきことも多く、私が今、本で出していることだけでも多いのです。学院福音化、それもみな書いて送らなければなりません。新聞の文章もほとんどみな、私の文章で、私が書いて送り出さなければなりません。伝道神学院、宣教師訓練院のメッセージもみな書いて送らなければなりません。すると、私が聖日に遊ぶでしょうか? 聖日に遊んだとしても、月曜日からは、死ぬほど仕事をしなければならないのです。本当に理解してくれる人がいませんでした。それで、ある時は、人間が鋭敏になりました。鋭敏になったら、たいしたことでないのに、人が異常になります。だから、私を理解する人がただ一名もいないな、そのような気がしたので、人が異常になりました。その時から、ひとりで祈り始めました。ところが、祈りをずっとしていると、私が強くなったのです。そして精神も正しくなって、正しいことができるようになりました。これで聖書に、パウロがいつも祈りなさいと言ったのだな。これで、終日終夜、叫びなさいと言ったのだなあと分かりました。今日のダビデもそうです。一日中、主に叫びなさい。それだけできるならば、私たちは勝利します。そして、私たちのレムナントが、その祝福だけ受けて行くならば、問題がありません。患難が来ても恐れないで。この信仰を私たちの教師たちが、教えるべきです。それで、今週、この契約を捕まえて皆様が完全に勝利する祝福があることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たち教師達に、新しい力を得るように祝福してください。私たちの教育部が、大きい力を得る祝福の時間になるようにしてください。私たちのあらゆる働き人に、神様が新しい力を今週に与えて下さい。あらゆる役員に、新しい祝福を神様が与えて下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン