2004年10月17日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 律法の専門家とサマリヤ人
(ルカ10:25〜37)
■ 神様によく仕えていたヨセフが、監獄へ行くようになりました。それも終身刑を受けたのです。人々が見る時は、あの人は難しくなって、終わったと考えたでしょう。しかし、それはヨセフには開始でした。神様がヨセフに重要な開始をされる、そのような時期でした。私たちは時々、よく知っているようでも、よく分からなくなってしまうことが人生です。年齢八十才になったモーセが、ミデヤンで他人の羊を飼って、なんの財産もなく暮らしていました。誰が見ても、モーセの人生は終わりだと考えたのです。しかし、神様はまだモーセに重要なことを開始もしておられませんでした。その時、モーセは恵みを受けて、イスラエル民族を連れて出る、重要なことがおきました。
 
■ 皆様もおわかりの通り、エリヤが、えにしだの木の下で倒れて、これ以上、何もできないと言いました。私を召してくださいと言ったのです。私達は、あまりに難しければ、そのように考える時もあります。ところが、神様はホレブ山にエリヤを導かれて行かれました。そして、重要なことをおっしゃられたのです。7千人の弟子を残していると言われました。そして、王が変わるはずだと言われました。それとともに、エリヤに重大な弟子エリシャを立てろと言われました。新しい開始がおきたのです。もし、皆様が恵みを受けるならば、新しい開始がおきるはずです。皆様がどんなに困難の中にあっても、本当に恵みを受けて、神様の祝福を受ければ、新しい開始がおきるはずです。今まであった問題と答えが、比較できない程に新しい開始がおきるはずです。今日、皆様の人生に新しい開始がおきることを願います。今日、ただ過ぎ行く礼拝になることもでき、あなたがたの重要な祝福の日になることもできます。
 
■ 私はある日、こういう祈りをしました。神様は、本当に生きておられるなら、証拠と答えをくださいと祈ったのです。ところが、神様は答えられました。また私は、ある日、こういう祈りをしました。神様、教会も多くて、牧師も多いのに、私はそれほどすべきことがありません。立派な方が、とても多くて、教会堂があるのに、これ以上する必要がありません。私を伝道できる教会に送ってくださいと祈りました。そこで、神様は答えられたのです。その一時間が、どれくらい重要か分かりません。私はある日、困難に会った時、神様の前で、このように祈りました。神様は私をご存知なので、本当に福音運動をできるように、力を与えてくださいと祈ったのです。ところが、神様はまた答えを下さって、これからも、答えを下さるはずです。この一瞬が、どれくらい重要か分かりません。
 
■ それで今日、皆様がバルテマイがイエス様に出てきたように、ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください。なにをして欲しいのか? 目が見えるようになることを願います。あなたの信仰の通りになるはずだと言われました。バルテマイの目が開かれたのです。本当に理解することができないほど、長血の病になった女性が、イエス様のすそを捕まえました。手をつかんだのでもなくて、信仰の手ですそを捕まえたのに、力が現れたのです。ところが、その女性が癒されたのです。どれくらい重要な時間でしょうか? それで、あなたがたが、感謝しつつ宮廷に入っていって、今日もあなたがたが王宮に入って行くような心で祈りの答えを受けて、最高の祝福の日になることを希望します。
 
■ ところが、私たちはよく知らないでいるのですが、神様が私たち人間に、根本的に3つの祝福を下さいました。信者でも、未信者でも、人間に多くの祝福と力を与えられました。医者の方達がここにいますが、私達が外からとる薬より、からだの中にあるものがより強いのです。それは、神様がくださったのです。皆様が体質に合うように運動することは、健康に多くの助けになります。突然に起きてサッカーをしたり、ゴルフを打つことも運動ですが、着実に起きて運動をすれば、あらゆる機能がみな息をふきかえします。人々がソウルでは、空気が良くないとたくさん話します。しかし、その話しであっても、神様が私たちのからだ中に起きる影響と力が、それをみな防止することが出来るように作られたのです。その均衡をなくしたことが、病気になったということです。神様が私たちのからだ中に、ものすごい力を入れておかれたのです。
 
■ むかしに、コンピュータが生まれた時、一つのビルディングにある、あらゆるコンピュータより、人の頭の中によりたくさんあると言われました。この頃は、赤ん坊を産めば、1,2名程度、産みます。それも病院に行って産みます。病院で、医者、看護婦がみな手助けして、病院に入院して子ども一名を産むのです。それとともに言う話が、あまりに難しくて死ぬ思いをしたと言います。どれくらい大変なのか、女の人は、男の人も赤ん坊を産んで見なければならないと話します。ところが、むかしのお母さんは、医者もいず、病院にも行かずに、十人ほどずつ産みました。なんの消毒もなく、おばあさんがへその緒を切ったりしました。夫が仕事をしていなければ、お隣りからおばあさんがきて、へその緒を切って、8〜10人程度、産みました。どのように、そのように生き残ったのでしょうか? 神様が、人間のからだに与えられた力は、ものすごいのです。
 
■ ある人は、漢方薬をたくさん飲みます。漢方薬は、あまりたくさん飲まないようにと言いました。漢方薬をあまりたくさん飲むと、からだのなかで生まれた力がじっとしているのです。そうしたあと、重要な問題がくれば、勝つ方法がありません。それで、神様が人間にどれくらい大きい力を与えられたのか分かりません。むかし、冷蔵庫があったでしょうか? むかし、おいしい食べ物が、あればネズミがまずきて食べました。ネズミの足を見れば、病原菌がものすごく多くついています。ご飯を整えたら、蠅が最もまずやってきます。それでも、みな食べて生きていました。学生達は、理解ができないでしょうが、前に座っている方達は、理解できるはずです。むかし、ガムを一週間ずつ噛みました。壁に貼っておいて、寝て起きたら、また噛んだのです。私の弟はあまりに長く噛んで、ガムが真黒になっていました。全く衛生処理ができていませんでした。それでも、みな生き残っていました。神様が、私たちのからだの中に与えられた力は、ものすごいのです。
 
■ また、神様が与えられた祝福が、精神的にものすごいのです。頭を使って、開発して、研究すれば、相当なことが出てきます。むかしには、お知らせを伝えるために、人を送っていたのですが、今は携帯電話で済ませます。ずっと発展するのです。神様が、私たちの頭脳の中に入れておかれたことが、ものすごく多いのです。それだけでなく、神様が私たちに与えられた霊的な祝福は、もっとすごいのです。私達が神様を信じて、イエス・キリストを知るようになれば、救いの祝福を与えられます。私達が祈るようになれば、一般の人は知らない天のものすごい祝福が現れるようになります。未信者は知らなく、悪霊に苦しめられて、死んでいくのですが、私たちは聖霊の働き、天の天使などの祝福は、ものすごいのです。ところが、人々はほとんど知らずにのがしています。
 
■ カーネギーは、こう話しました。人々は神様が与えられた才能の3%しか開発できずに死ぬと言いました。たくさん開発した人であるアインシュタインも、半分も開発出来なかったということです。普通の人は、3%も開発ができないということです。神様を信じないので、みなのがすのです。普通の人々は、1%くらいしか開発できないということです。学生達の中で、留学で勉強して成功した人は、10%くらいしかいないらしいのです。普通、学生達が20才までは、家庭の親によって育てられます。結婚して、おとなになれば、皆様が分かって動きます。そして、食事時間も、一日に2,3時間くらいかかります。そして、眠る時間がかなり多いのです。よく寝る人は、眠る時間が半分です。そして、普通の人は眠る時間は、三分の一くらいになります。すると、実際に一生、生きる時間に私達が動くことができる時間は、九千日ほどしかなりません。その中で、あれこれみなしてしまうので、私たちは成功するのが難しいのです。
 
■ 今日、私たちは、どのように神様の祝福を味わうことができるのでしょうか? どんなに肉体の祝福を受けても、霊的な祝福をのがせばだめなように、私達がどのようにすれば、神様の祝福を正しく味わうことができるのでしょうか? 今日、私たちはこの祝福を回復しなければなりません。今日の本文をよく見るように願います。本文をもう一度考えてみることを願います。律法の専門家が訪ねてきたのです。このように質問しました。何をすれば、永遠のいのちを得ることができますか? その時、イエス様がこのようにおっしゃいました。律法の書に何と記録されているのか? 命を尽くして、力を尽くして、あなたの隣人を愛しなさいと答えました。すると、イエス様が、そのようにしなさいと言われました。返事が良い返事ではありません。律法の専門家がまた質問しました。すると、隣人とは誰なのかとたずねました。イエス様が返事されました。ある人が強盗に会った。死んでいっている。パリサイ人もそのまま過ぎて、律法学者もそのまま過ぎて、レビ人もそのまま過ぎた。ところが、サマリヤ人が通り越して、その人を手助けした。サマリヤ人は、あなたがたは、よく知らないけれど、イスラエルの人々が人間だと扱っていなかった人です。助けて、お金を別により渡しながら、より手助けしてくださいと言った。あなたが見る時は、誰がより良くしたと見るのか? きわめて、やさしい質問です。サマリヤ人です。すると、あなたもこれと同じようにしなさいと言われました。こういう質問と答です。
 
■ 皆様が、普通IQがどれくらいあるか知りませんが、頭を一度、開発して、これが今、何の話なのか見るように願います。これをまた誤って知ってしまえば、教会は良いサマリヤ人のようにならなければならないと考えるのです。それで、サマリヤ宣教会もあるのです。イエス様のみことばは、そのみことばではありません。イスラエルの最高の指導者の中のひとり、律法の専門家がイエス様にきて質問したのです。それも、試みようとして、質問をしたのです。イエス様に何かを学んで恵み受けるために質問をしたのではなくて、試みるために質問をしたのです。私が何をして、永遠のいのちを得ることができますか? 知らないのか? イエス様がさげすまれたのです。律法に何となっているのか? だから、返事しました。すると、そのようにしなさいと言われました。ところが、これが真の返事ではないのです。質問も違って、真の返事でもありません。それとともに、イエス様が比喩を一つ言われたのです。今、地球上に多くの人々が強盗に会ったことのようになっている。レビ人が生かすことができるのか? 律法学者が生かすことができるのか?パリサイ人が生かすことができるのか? いっそ、サマリヤ人が生かしたのではないか? 誰が私たちの隣人であり、誰が善行を行なうのか? このようにして話を終えられたのです。この話を、クリスチャンがあまりに誤って思っているのです。どれくらい誤って悟ったか、私たちが幼かった時、良いサマリヤ人という芝居もしたりしました。この話は、その話ではありません。イエス様が今、たとえを言われたのですが、その水準に合うように比喩を言われて、答えもされなかったのです。
 
■ 聖書をよく見るように願います。誰かが皆様を訪ねてきました。皆様をさげすみながら、試みるために話しかけたのです。すると、何と言うのでしょうか? その時は、違った話をすることもなくて、正しい話することもないでしょう。すると、その人に合う話しだけして、送るでしょう。誰かが私の弱点を握るためにきたのです。すると、その人に違った話しもしなくて、正しい話しもしません。その人が知っている常識の水準の話しだけをして、送るでしょう。私たちは、ここでものすごく重要な話しが出てきました。
 
■ どのように、私達が本当に神様の祝福を受けることができるでしょうか? 私たちは違った質問と解答を悟らなければなりません。この人が誤ってたずねたのです。何をすれば、永遠のいのちを得ることができますか? 大部分のクリスチャンと宗教人の質問です。私達が何かをして、救われるのでしょうか。正確に確かめることを願います。お金をいくらか出せば、救われるのでしょうか? 皆様が仕事をどれくらいして、救われるのでしょうか ? 今、間違った質問をしたのです。これがこんにちの人類の質問です。こんにちの間違った宗教人の質問です。何をしたら救われるのか?
 
■ すると、皆様はよく見るように願います。マルティン・ルターが、宗教改革をなぜしたのでしょうか? 私達が苦行をして、善行をして、階段を膝で這って上がって、救われるとカトリックは考えたのです。マルティン・ルターが、反旗を翻したのです。どのように、このようにして救われるのでしょうか? それで、マルティン・ルターが、持ち出した言葉です。義人は信仰によって生きる。何の信仰でしょうか? ローマ1:16に神様が私たちに救いを下さったのですが、信仰で救われると話しました。すこし考えをひろめることを願います。お金をたくさん出すならば祝福を受けて、少なく出せば、受けられないのでしょうか? 功労をたくさん立てれば、天国に行って、功労をすこししか立てなければ、地獄に行くのでしょうか? こんにち、この教えが問題です。普通の人々の考えがそうです。よく確かめれば、あなたがたも、そのような考えに染まっています。
 
■ 教会ですることがなくて申し訳ないと言います。普通、そのように考えるのです。この頃、恵まれると言います。仕事がうまくいって、する仕事が多いと言います。世界の教会と、韓国教会が、そのようにして、みな崩れたのです。今、こういう言葉を悟らなければなりません。今、全国と世界の教会の牧師たちは、わからなければなりません。今、この人が質問を違うようにしたのです。何をして永遠のいのちを得ますか? ものすごく間違った質問です。知ってみれば、これが宗教と福音の差です。あなたがたは、よく考えてみることを願います。これは死ぬ、生きる問題と関連があります。だから、むかしのカトリック教会で主張したことを見て下さい。どんなに罪をたくさん犯しても、献金を多くすれば良いと言いました。それが免罪符の販売です。両親がどんなに信じなくて死んでも、子孫が献金を多くして、親の名前で献金をすれば、親のたましいが天国へ行くと言ったのです。あなたが間違って生きてきても、全財産を教会に捧げれば、あなたは良い所へ行くことができると言いました。これがカトリック理論です。だから、この理論が頭の中に入っているのです。それで、教会で聖歌隊、指揮、伴奏をする時、何をするかではなく、私が誰なのかを尋ねなければなりません。ところが、私たち韓国人は仕事だけをするのです。そうしたあと、後ほど滅びれば、だれが責任を負うのでしょうか? ある日、問題がくれば、誰が責任を負うのでしょうか? どこに行って呼び掛けるのでしょうか? それは、私が責任を負うのです。
 
■ この律法の専門家は、パリサイ人の共同の代表です。私が何をして救われるかをたずねました。イエス様が、あきれて、聖書には何となっているかと尋ねられました。命をかけて神様を愛して、隣人を愛さなければならないと返事したのです。そうならば、そのようにしなさいと言われました。このように、イエス様が返事されたのです。すると、隣人とは誰なのかと尋ねました。友人は、みな水準が高いのです。よく過ごしているという意味です。パリサイ人、律法学者、祭司長とかと親しいが、よく過ごしているということです。だから、イエス様があぜんとして、強盗に会った人がいたのに、みな通り過ぎたのに、サマリヤ人だけ手助けした。誰が隣人なのか? バカでも返事できます。良いサマリヤ人です。すると、あなたもそのようにしなさいと言われました。こういう話です。私達は、ほとんど間違った質問をします。
 
■ 知っている執事が、冗談のようにこう話すのです。この頃、教会にあまり行かないということです。天理教からスカウトしてきたと言いました。それで、一度、スカウトに応じてみなさいと言いました。おもしろい話をしたのですが、ひとつまだ私と通じないのです。牧師、長老に申し訳ないということです。何が申し訳ないのかと尋ねました。教会でする働きがないということです。なんにもしなくてもかまわないと言いました。礼拝堂にきて賛美して、献金するだけでも良いと言いました。神様が願われることは、そのようなことではないと言いました。あなたが神様の子どもになって、神様をよく知って、神様を信じることを願われるのです。何かをすることを願われるのではないと言いました。こういうものが理解が良くできないのです。こういうものが積まれて、方向を失ってしまうことがあるのです。ほとんどみな、間違った質問をするのです。皆様、人生の誤った質問をする人があまりに多いのです。
 
■ 聖書を見るように願います。ほとんどすべてが、誤った選択をしたのです。アブラハムは山を選択したのに、ロトは平地を選択しました。人生の質問を間違ったから、答を誤って得て、誤って選択したのです。これよりも重要なことはありません。皆様、今からでも選択を良くしなければなりません。今からでも質問を良くしなければならないのです。今回も、漢陽大学の講義に行ってきました。良い学校です。学生達にまた話をしました。今、すべてあるのに、一つだけがないと言いました。それで、これが問題だと言ったのです。とても発展するのに、一つだけがなっていないと言いました。人間だけがだめになっていると言ったのです。人間が崩れています。これをどのようにするのでしょうか? これを解決しなければならないのです。それを霊的な問題だと話します。この部分が、重要です。皆様、ここになぜいらっしゃったのでしょうか? 本当に質問を良くしなければなりません。教会が多いのに、なぜここにきたのでしょうか? 他の宗教もあるではないでしょうか? 毎週、礼拝をささげないでしょうか? ところが、なぜきたのでしょうか? これが人生を左右するのです。
 
■ この律法の専門家が質問を間違ったのです。それなら、この人がどんな質問をしなければならないのでしょうか? あなたは誰なのかと尋ねなければなりません。今、この世にきて死者も生かして、相当な奇跡を起こす、あなたはだれなのか? このように尋ねれば、正確な質問をしたのです。ところが、ふざけたように、私が何をしなければならないのかと尋ねたのです。すべての人々の考えがない質問だと思います。こんにち、ほとんど最後にきて失敗するクリスチャンの質問だと考えます。この人が正確な3つを尋ねなければならないのです。あなたはどなたですか? そのように尋ねなければなりません。2番目の質問は、私は誰ですか? そのように質問しなければなりません。そして、私がどのように神様の子どもになることができますか? このように質問しなければならないのに、質問を違うようにしたのです。私は誰ですか? とたずねた時、創世記3:15の主人公、その恵みを受けるようになるのです。出エジプト3:18の祝福が回復します。その時に、イザヤ7:14の祝福が回復するのです。
 
■ それで、イエス様が尋ねられました。人々がわたしを誰だというのか? あなたがたは、わたしを誰だと言うのか? まさに私たちに聞かれる質問です。誰も返事ができなかったのです。その時、ペテロが返事をしました。絶対に滅びることができないのです。 '主は生ける神の御子キリストです' バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。その時から祝福が開始されたのです。私の家の中に長い間あった霊的な問題を解決したキリストで、生きておられる神様の息子です。この地球をはじめから今まで滅びに引っ張っていったサタンの勢力をうち破られたキリストで、生きておられる神様の息子です。私たちは救われることができません。神様に会うことができません。それが人間です。それで神様に会う道を開けてくださった方で、生きておられる神様の息子です。皆様、家系に先祖が犯した偶像崇拝を解決できません。自分が犯した罪の問題も解決できないのですが、原罪の問題も解決できません。それで、この世には災いがずっとあるのです。その問題を解決するために、神様がキリストを送られたのです。その告白をしたのです。イエス様が驚かれたのです。 'バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。これをあなたに知らせたのは、血肉ではなく、天にいらっしゃるわたしの父です' 'あなたはペテロです。わたしがこの岩の上にわたしの教会を立てます。ハデスの門があなたに勝つことができません' 天国の鍵をあなたに与えると言われました。
 
■ もし教会が復興しない方、救いの祝福を知らない方達は、この話を聞けば、またしていると考えるはずです。それは確かに救われることができなかった人です。しかし、神様の祝福を受ける人は、聞くほど答だという気がするでしょう。すると、信仰を抜いて、頭で確かめるように願います。あなたは岩ですという話は、イスラエルの国では、普通の話ではありません。イスラエルには、小石が多いのに岩だと言われました。ハデスの門が勝つことができないと言われました。天国の鍵をあなたに与えると言われました。これより大きい祝福があれば持ってくることを願います。これより大きい祝福があるならば、私はイエスを信じなくて、違ったことを信じます。あれば持って来て下さい。この質問を律法の専門家がしなければならなかったのです。
 
■ 私はあまりにもさまよっていた時、キム・ジュンゴン博士が書いた文章を読んでみました。タイトルが「いったいイエスは誰ですか」でした。私はそれを読んでみて、いったい誰なのかをたずねたのです。この一言で、あらゆる人生がみな変わりました。それで、キム・ジュンゴン博士が、韓国教会が柳牧師を受け入れれば、大きいみわざが起きるはずなのに、なぜしないのか分からないとおっしゃられました。それで、私がこういう話をしたのです。いったいイエス・キリストはだれかという文を読んで、私の人生が変わりました。私の心では、本当に先生に仕えたいけれど、韓国教会が許さないから自制していると言いました。この福音運動は、迫害の中で育って防止されたことがないと話しました。私には、福音を持った一般信者と主のしもべが、たくさんいますと話しました。私は世界福音化、伝道運動をすると言いました。そのような話を私が申し上げたことがあります。
 
■ あなたがたにとって、この質問ひとつが、人生を変えます。聖書は、このように話します。 'すべての人は罪を犯したので、神様の栄誉を受けることができず' もし、皆様の中に、全く罪がない人がいるならば、手をあげてください。手をあげる人がいないようなので、ないと確信します。もしなんの罪もない人が、私を訪ねてくるならば、私が特別に接待します。聖書に、すべての人が罪を犯したと言われています。それで、神様がキリストを送られたのです。ローマ3:10に '義人はいない。一人もいない' ローマ6:23に罪の報酬は死だと言われています。それで、ローマ5:8に '私達がまだ罪人であった時に、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神様が私たちに対するご自分の愛をあきらかにされたのです' その時になって、神様の愛を知るようになります。その時に、神様は誰ですか? その時に私は誰ですか? このようにできるのです。簡単な本文のように見えるけれど、人生にあって何かを見せてくれます。一生、信仰生活をしたのに、この質問を一度もしないで、何をせねばならないのかだけを見て生きてきたのです。だから、問題がくるのです。ある意味では、私たちはすることもありません。神様に仕えていれば、すべきことが生じます。
 
■ この学校は、どれくらい感謝でしょうか? 礼拝をささげようとした時に、与えられたのです。祈っていれば、より大きいものをくださるはずです。すると、そちらへ行けば良いのです。すると、私たちに問題になる必要はありません。私たちは本当に関心がそちらにないのです。何をしなければならないかではなく、あなたが誰なのか尋ねなければならないのです。皆様の人生で、こういう質問が一度だけ出てくれば、働きが起きるようになるでしょう。今日、すると、ここまで来たのですが、三番目にどんな答を出さなければならないのでしょうか? 今日、重大な質問をする必要があります。私は、3つの質問にすべての答えをみな受けました。教会が試みがあって、問題が多い時だったのですが、私がソウルに上京して、ある教会の前で神様の前に質問をしたのです。神様が本当に生きておられるならば、証拠をくださいと言いました。その祈りがどれくらい短い祈りだったでしょうか? 私は福音を悟るようになりました。誰かが教えてくれたのではありません。聖書を見て、不思議に悟るようになったのです。本当に伝道する牧師になるようにしてくださいと祈りました。その時は、質問をしたのです。神様、教会も多くて、牧師も多いのに、これは何ですか?
 
■ 今日、新しく牧師となった方達があいさつしに来たのですが、こう話しました。今、無職の牧師が、一年に二千名ずつ増えると言いました。どんどん牧師が増えるので、教会生活する人が心配です。それで、私達がこういう侮辱的な生活を送っていて良いだろうか? 食事の10倍のことをしなさいと言いました。自尊心を持ってしなさいと言ったのです。本当に普通の問題ではありません。私が何をしなければならないのかという質問をしたのです。本当に、神様の人々に必要な福音と伝道運動をしなさいと答を得たのに、あなたがたに会うようになったのです。今日、皆様が人生の質問をしなければなりません。いったい神様は生きておられるのか。その証拠は何か? 私は神様の子どもであることが確実なら、どんな恵みを受けなければならないのか? こういう質問をしなければなりません。私たちは、全く無力で勝つことができません。祈りの力、答えを受けなければならないのですが、どのようにしなければならないのですか?この質問が、現在、皆様には正しい質問です。
 
■ 律法の専門家は、あなたは誰なのかと尋ねなければならないのです。それなら今日、私たちは重要な質問を3つしなければなりません。神様が生きておられるならば、私たちのいのちを治めておられることが確実なので、それに対する恵みをくださいということです。私がどのようにして、その恵みを受けるのでしょうか? 神様の子どもになったことが確実なのに、この祝福をどのようにすれば、正しく味わうことができるのでしょうか? 私たちは、そのまま行っては、世の中に勝つことができません。何か力がなければなりません。
 
■ 昨日、大邱で集会を終えて、パク・ジュヨン選手に会いました。世界でその選手を認めています。サッカーをとても良くするのです。これから、韓国の最高の選手として浮び上がる可能性があります。昨日もニュースを見たら、ワールドカップ代表チームが、あまりだめだから、パク・ジュヨンのような選手を引き上げなければならないと、ニュースで出てきました。食事をしながら尋ねました。中国と決勝戦をした時、どのように守備を4回もかわしてゴールを入れたのかと尋ねました。人がとても純粋だったので、そのまま、このように返事をしました。ボールを取ったので、ボールと相手の足だけを見たということです。それで、このようにさえぎられたらだめだという気がして、ボールを奪って蹴ったということです。瞬間的に起きたことです。私がこう話しました。力がなければならないと言いました。元々、政治家、牧師、スポーツをする人々、芸能人でも、正しくするためには、力がなければならないと言いました。適当にするなら分かりませんが、正しくするためには、力がなければならないと言いました。新聞社から来て、大騒ぎなのに、神経を使わず、あなたが力がなければならないと言ったのです。宗教的な力ではなく、福音的な力がなければならないと言いました。宿題を一つ与えてきました。夕方に30分ずつだけ黙想の祈りをしなさいと言いました。単に祈るのではなく、みな捨てて、神様の栄光とサッカーを置いて30分だけ黙想しなさいと言いました。残りはそれからの話にしようと言いました。
 
■ お母さんにこう話しました。私は福音だけを置いてずっと祈っていると言いました。お母さんは、息子のサッカーだけを置いてずっと祈りなさいと言いました。そして、パク・スンファ監督に一度、会わせてくれと言いました。選手を教える時は、サッカーだけ教えてはならないのです。何か力を教えるべきです。監督に言ってあげたいのです。単純にボールを蹴ることだけでなく、人を超越する精神的な力がなければなりません。私達が、世界福音化をしたり、牧会、伝道、事業をする時、力がなくてできるでしょうか? 一生、しなければならないのですが、力が無くてできるでしょうか? 福音の力が必要なのです。それで、今日、私たちがおろさなければならない結論は何でしょうか?
 
■ パウロがこう話しました。 '私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです' その話は、私に力を与える方の中にいれば良いということです。私が、この前、話したではないでしょうか? 仁川空港に入っていった蠅がLAでおりたのです。飛行機の中に入っていって飛んでいたのですが、LAで一緒におりたのです。何の話なのか早く悟れますか? どんなに弱い蠅でも、飛行機の中にいれば良いのです。私達が、神様の中にいればできるのです。力を与える方にあって、どんなことでもできるのです。パウロは、こういう告白をしました。キリストを知っているから、最高の知識を得たと言いました。それなら、恐れることもありません。私たちは神様の子どもです。だから、これから祈れば良いのです。世の中の人を生かさなければならないでしょう? 力が必要なのです。私たちレムナントが勉強して、外に出て生きていくためには、神様の子どもが得る力が必要なのです。この力を持って、世の中を生きていくのです。答えがくるようになります。皆様に驚くべきみわざが起きます。
 
■ 良い紙でも、風が吹く所では飛んで行きますが、壁に貼っておけば良いように、私達が神様の恵みの中にいれば、勝利するようになります。もし私達が弱い人と通えば恐れが生じますが、強い者と一緒に通えば恐れが生じないのです。いまだに、その話だけすると思い出します。私たちが学校に行く道は、道がひとつしかありませんでした。韓国動乱以後です。父母がない子どもも多くて、乞食も多かったのです。それで、孤児院が私たちの村に三個ありました。孤児院の子ども達が路地にいたら、私たちが通ると困らせるのです。今、考えれば、理解できるのですが、その時、私たちはものすごく怖かったのです。通り過ぎれば、かばんをおいて、物も新しいものがあれば、持っていくのでした。かばんの良いものを持っていると、かばんを取られるのです。私より大きい子ども達なので、恐かったのです。親に話せば良いのですが、話せば殺すと言われて、話もできないのです。それで、私が頭を使いました。6年で、私より三歳年上のいとこがいました。おもな特技がけんかでした。それで、私が話したのです。場所がどこなのかを尋ねたので、言いました。私のいとこの兄が、私が帰る時間に、ドングリの木の下に隠れていたのです。その子ども達が、また私を呼んだのです。私のかばんを取ろうとしたのですが、私のいとこが現れたのです。それで、いとこの兄が半殺しの目に遭わせたのです。その子ども達が殴られるのを見たら、胸がすっとしました。そして、いとこがいう話が、もしもう一度、触ったら、お前を殺して地に埋めると言いました。その子がすみませんと言いました。その時から私が現れれば、逃げるのでした。けんかを良くするいとこ一名だけいても、このように楽だという気がしました。いとこがドングリの木の下に隠れていても、このようにわざが起きるのに、神様が私と一緒におられれば、どうでしょうか? 私達が力を与えられる方の中にあれば、できない事がどこにあるのでしょうか? 私たちは、この祝福をのがしてはならないのです。この祝福を、必ず捕まえて勝利するように願います。一週間、答えを受ける皆様になることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。真に私たちに救いを下さった神様に感謝申し上げます。これから、力を与える方のなかで新しい力を得るようにしてください。真に重要な質問をして、重要な答えを受ける人生の開始になるようにしてください。神様の人が貴重な時間に参加しました。世の中で得ることはありえない祝福を与えて下さい。どんなことにも変えることができない恵みを与えて下さい。数万人に会ったより、重要な時間になるようにしてください。数千億を儲けたことより、貴重な時間になるようにしてください。今、この時間に主の聖霊が、すべての主の民に働いてください。この方たちの現場に天の軍隊を送ってくださって、答えがまず起きるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ いと高き方の隠れ場に住む者は、
全能者の陰に宿る
(詩91:1〜16)
 
■ 今朝には、信仰の重要な質問に対するみことばをお分かちしました。質問ひとつで、私たちの人生が変わることができます。なぜなら、そこによって答を探すためです。全く同じユダヤ人なのに、カール・マルクスは、どのようにすれば良い生活をするのかと、共産主義を作りだしました。70年後に完全に滅びてしまいました。全く同じユダヤ人なのに、ペテロはキリストを告白して、世界を生かしたのです。今日、私たちはこれからモーセを通じて、祈りの答えを受けて、力を受けなければなりません。どのように、こういう力を得ることができるのでしょうか? まず、私たちは重要な答えを持っていることを前提として、力を受けなければなりません。
 
■ 私は歴史を勉強しながら、いくつかの答を得ました。歴史は全体を一目で見えるために、理解しやすいのです。それで、私はこういう結論が出てきました。福音をよく知らない人々は、ほとんどみな、自分をだましている人です。ほとんどみな、詐欺師のような根性があるために、福音を悟ることができません。歴史の勉強をしてみれば、福音なしでは、みな失敗しました。結局は、イスラエルから始まった福音運動が、今まで全世界をみな掌握したのです。それで、信仰がない人が、こう話しました。世界史は、ユダヤ人二人によって、左右されている。ひとりはイエスで、ひとりはカール・マルクスだが、ひとりは民主主義を、ひとりは共産主義を作ったと話しました。もちろん、福音がないから誤って見たのです。それで、私は福音なしでは、成功できないと思います。
 
■ もしメッセージを聞くあなたがたの中に、もし私は福音がよく理解できないと言う方はいらっしゃるでしょうか? まちがいなく、その人はちょっと自分をだましているか、事実をだましている人です。自分自身をだまさないで見れば、私たちは、私が誰かをすぐ分かるようになります。ところが、だましているので、後ほど損害をこうむるようになります。皆様、痛ければ痛いと医者に話さなければ、あまりにだましていては死ぬでしょう。私は、歴史を勉強しながらも、神様はいらっしゃるという気がしました。事実は神様がおられる、この考えだけをしたのに、私たちは変わり始めます。ところが、何かだめなのです。私が神様がいらっしゃると考えて、信じられたのに、何かがだめでした。後ほど私が分かってみたら、福音を知らなかったのでした。その時、私がキリストという言葉を理解しました。その時から、伝道の門も開いて、変化も起きました。そのような中で、私が福音を受けたのに、限界があるということを知りました。成功すればするほど、限界があるということを知ったのです。このように愚かだった私も、それで聖霊充満という言葉が分かったのです。それで、こういう祝福を受けたのでが、私が神様の前にいくつかの質問をして、答えを受けました。本当に朝にも話したように、神様、私に祈りの答えを与えて下さいと祈ったのですが、それで変わりました。他のことは私には、必要ないから、伝道運動するようにしてください。それが祈りの答えできました。そして、これから全世界に私たちのレムナントと共にこの福音運動をするようにしてくださいと祈ったのですが、それがみな答えられました。
 
■ 今日、するとモーセを通じて、あなたがたは、祈りの力を新しく受けなければなりません。どのように得ることができるのでしょうか? 皆様、モーセは、普通の人ではありません。この詩を、単にそのまま書いたのではありません。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記をみなモーセが書きました。言わば証拠で始まったのです。私達が無条件に祈るのではなくて、無条件に信仰生活するのではなくて、証拠を捕まえてすべきです。共産主義は崩れて、教会は大きくなって行っています。私たちには、証拠があるのです。すぐに皆様がイエスの名前で祈る時、答えがきます。私たちには、証拠が確かにあります。皆様、短い時間でも、長い時間でも、今、あなたがたがこれからも、信仰生活して祈る時、証拠を捕まえてしなければなりません。モーセは、だれでしょうか? イスラエルが困難にあって死んでいく時に、生まれた人です。先週に私たちがあらまし話しました。この事実をモーセは知っているのです。私たちにも信仰で、これが必要です。皆様が確実な証拠があるべきで、聖書のみことばの証拠があってこそ、私たちは勝つことができます。違ったことを知っていたり、違ったことを捕まえていたりしてはなりません。確実な事実をよく持っていてこそ、私たちは本当に世界を征服できるのです。皆様、目に見えないサタンも、皆様が確実でない時、攻撃をするのです。皆様に危機も災いも、確実でない時、攻め入ってくるのです。私達ががんこなのではなく、確信がなければなりません。これだけが正しいとがんこになることではありません。神様の重要な証拠、事実を持って、信仰生活を始めなければならないのです。
 
■ パロ王が、イスラエルの男子を全部、殺せと言いました。そこでモーセは生まれたのです。自分のお母さんがモーセを捨てたのに、王女が拾ってくれて育てたのです。これがどのようなことでしょうか? モーセは知っていたのです。それで、モーセは王子として育ったのです。エジプトで、あらゆる勉強をみなしました。モーセはじっとしていても成功する人でした。ある日、モーセは自分がヘブル民族だということを知ったのです。言わば、イスラエルとヘブル人とはことです。その民族だということを知ったのです。神様がその死の中で、どのように救って、ここまでくるようにされたのかを知っている人です。皆様、少しも気落ちせず、証拠を握るように願います。いつでも証拠に沿って、証拠がくるのです。私達が漠然と違ったことを握ってはなりません。占いの話しも聞いて、人生を生きる人もいるのに、私たちは確実な神様のみことばを捕まえなければなりません。人々は、ほとんどみな揺れています。証拠がないために。今日、私たちは証拠を捕まえなければなりません。ほとんど知識人も証拠がないから、揺れているのです。少しだけ、あなたがたが証拠を捕まえても、他の人を生かすことができます。
 
■ 昨日は、サッカー選手のパク・ジュヨンのお母さんが、そのような話しをしました。私はその話しを聞きながら、本当に深刻だと考えました。サッカーの試合を行ったのに、お母さんがまず車から降りたということです。そうしたら、全員がぶるぶる震えて、今日は負けたと言ったのです。ゲームをしてもいないのにということです。なぜなのかと聞いたら、女がまずおりたゆえに、負けたと言うのでした。簡単に話せば、ジュヨンのお母さんがまずおりたので、すっかりみんなが、そのように考えたのです。それで、ジュヨンのお母さんが驚いて祈ったということです。その日、ジュヨンがヘッドトリックを三ゴールも入れました。また、車に乗ったら、安全ベルトをさすのに、それがはずれたのです。そのはずれる音を聞いて、人々がまた全部負けたと言ったのです。その日も、ジュヨンが二ゴールも入れて勝ったのです。だからその人々は、奇跡だと言って驚いたのでした。皆様、今、生きて行く水準がそれくらいにしかならないのです。
 
■ 私たちクリスチャンが揺れたら、どうするのでしょうか? 証拠を捕まえて行かなければなりません。これは、がんこだという話ではなく、証拠をつかもうということです。あなたがた福音もよく知らない人々が、外に行って未信者とがんこになって対立しなさいということではありません。私たちは、証拠を捕まえて行くのです。このみことばは、なんの話でしょうか? モーセが捕まえた、証拠あるメッセージです。どのように、モーセが大きな事をしたのでしょうか? 証拠を捕まえて行ったためです。ですから、王宮を捨てて、ヘブル人を選択したのです。皆様もおわかりの通り、ミデヤンの荒野で、四十年間、モーセは祈りました。ホレブ山で神様の証拠を得たのです。パロ王の前に行ったでしょう。エジプトの地に十の奇跡がおきました。これを見たモーセです。揺れる理由がありません。イスラエル民族を連れて行ったのです。その老人、モーセが紅海の前でした話を知っているはずです。どのように、そのようなことを話すことができるのでしょうか? 私達が死ぬか、そうでなければ生きると言わなければならないのに、今日、主が私たちを救ってくださるはずだと言いました。主が私たちのために戦われる。それが何でしょうか? 証拠がある信仰です。特に、小羊の血を塗る過ぎ越しの祭りで、解放させられた神様は、私たちを終わりまで導かれるのです。その証拠です。皆様、今日から証拠を捕まえて、出発するように願います。
 
■ 私が以前に、私たち教会は世界福音化するはずだと言ったら、人々がそれほど信じませんでした。私は証拠で話したのです。たぶん、これからあなたがた、私たちの教会の福音ゆえに、神様が重要な答えをくださるはずだと言えば、あなたがたはよく信じられないかもしれません。しかし、私は信じられます。なぜならば、私が私のことを話すのでなく、証拠を捕まえて言う話しであるためです。これが今、モーセが言った証拠です。皆様、新しい力を得て、証拠を捕まえて、一週間答えを受けてくださることを願います。すると、その時、その時、あることが生じれば、その時ごとに証拠を捜し出せばよいのです。皆様が困難を受けた時、ヨセフはどのようにしたのか? くやしいことに出会った時、ダビデはどのようにしたのか? 迫害を受けた時、パウロはどのようにしたのか? 道がみなふさがった時、初代教会はどのようにしたのか? こういう証拠を捕まえて行く時、その時、聖霊が働かれるということです。
 
■ 2番目です。私達がどのように力を得るべきでしょうか? モーセのように、力を得なければならないのですが、どのように得ねばならないのでしょうか? 単純な証拠があるけれど、証拠が自分のものにならなければならないから、救いの奥義です。ここに何だとなっているのでしょうか? 'いと高き方の隠れ場に住む者は'と言われています。 '全能者の陰に宿る' 2節には '私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と' と言いました。皆様が2番目につかまなければならない契約が何かというと、確かに証拠はあるけれど、私が神様の奥義を持った子どもだということです。そうしてこそ、その証拠が、自分のものになるはずです。私がよく生きるためではなくて、私を通じて他の人を助けるために私を呼ばれた、その証拠が私にあるということです。ここに、神様はいと高き方と言われています。この話はなんの話でしょうか? この方より高くて強い者はいないのです。私たちは、何かの石ころにお辞儀する、そのような信者ではありません。私たちは、易、シャーマニズム人に従って回るそのような信者ではないのです。あなたがたは、今から偶像、迷信を絶対に恐れなくても良いのです。そのような、堂々とした神様の子どもです。ですから、その確信がなければなりません。あなたがたが、すこしよくできないことを持って揺れず、あなたがたは、そのような木にお辞儀をして、石にお辞儀をする人ではありません。ですから、 '全能者の陰に宿る' これが、皆様が力を得て、本当の答えを受ける2番目の奥義です。
 
■ 一番目は何でしょうか? 証拠です。事業する方達は、そのまま出ていくのではなく、聖書で事業家は、どのようにしたのか? それを証拠と定めるのです。それとともに、何をするのでしょうか? 全能者の陰に宿る。この隠密な話は秘密です。誰でも知っているでしょうか? 世の中の人々が知らない全能者の秘密の中にある者だということです。ここに見ると '全能者の陰に宿る'と言われました。皆様が、神様の秘密の内に入っていって、全能者の陰に入っていけば勝つことができるということです。すると、この証拠が全部、皆様のものになります。聖書に記録された証拠が、全部、今でも生きて皆様に全く同じく働かれるという、その話です。これが2番目の秘密です。一番目は、何を捕まえるのでしょうか? 証拠を捕まえましょう。漠然と信じるのではありません。証拠を捕まえましょう。ここでいと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。避け所と言いました。ここに、とりでと言いました。神様はどのようなのでしょうか? 私たちを十分に保護することができるとりでです。
 
■ 私たちはお守りを付けて回る、そのような信者ではありません。私たちは、何かの鳥がつかんで持って来る相性を見る、そのような人々ではないのです。人が手で作りだした、それを神様だと手をついて礼をする、そのような信仰人ではないということです。何かの像を造って、箱に入れて、そのような所に手をついて礼をする、そのような愚かな者ではありません。いと高き方の隠れ場に住む者、全能者の陰に宿る者です。主はわたしのとりでで、私の避け所です。この祝福の内に、いつも入っていく人は勝利します。ですから、簡単に話せば、神様に祈れば良いということですが、表現を上手にしているのです。神様に祈ってみましょう。すると、あなたがたがとてもたくさん聞く話しだと理解するかもしれないので、いと高き方の隠れ場に住む者と言ったのです。その人は何のようでしょうか? 全能者の陰に宿る者。皆様、こういう体験をしてみたことがないでしょうか? 私たちは漠然と、無条件に信じて答えを受けるという話ではなく、こういう秘密を見ることができなかったのでしょうか? ヨセフが、この祝福の内に入っていったので、国が生かされました。それを知っていたモーセです。皆様、アブラハム一名が祝福を受けたので、他の人も生かされるようになりました。皆様一名が避け所の中に、とりでの中へ、全能者の陰の下に入っていけば、みな生かされます。皆様を迫害した人々が、皆様ゆえに生かされるために、証拠を見るようになるのです。皆様、なんの話もせず、いと高き方の隠れ場に住むように願います。時間を定めて、全能者の陰に宿り、皆様が安息を得てくださることを願います。その方は、とりで、避け所だと言いました。モーセが困難にみな勝った秘密の2番目です。
 
■ これは小説ではなく、実際にあったことです。どのようにモーセが、こういう困難に勝ったのでしょうか? 証拠を捕まえた人だったためです。どのように、こういう困難にみな勝ったのでしょうか? いと高き方、全能者、神様の恵みの中に入っていって祈りの秘密を味わった人ということです。皆様、本当に一度、正しく祈ってみるように願います。神様、皆様に驚くべき恵みをくださるはずです。私はたくさん見ています。正しく、福音を持った人がすこし祈れば、その人ゆえに、会社も生かされて、社会も生かされて、みな生かされます。もし、霊的な目が開かれた人が見れば、私たち福音を持った人々が、ここにたくさん来つつあります。本当にこの地域の祝福です。人々がよく知らないのです。私たち釜山にある教会の人がきました。その人が、こう話しました。この教会の信徒と牧師は、ものすごく力強い人のようだということです。その話が分からなくて、なぜかとたずねました。この地域が、未信者が見るのには、途方もなく良くない土地ということです。普通の人々は、生き残ることもできない土地だと言いました。そのようなこともあるでしょう。そこに入っていった人々は、ほとんどみな失敗したのに、私たちはそこに入っていって、ずっと働きを起こしているのです。私は、これが、単なるむだな話しではないことを知っています。皆様がどんな人なのか知っているのでしょうか? いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る者です。答えをくださいと叫ぶ、そのような宗教人ではありません。神様の子どもです。国家になんの助けもならない祈りだけする、そのような人ではなくて、本当に民族を生かす愛国者です。この悪霊に仕える者、霊的問題に苦しめられる人が、どれくらい多いでしょうか。彼らを生かすことができる神様の子どもです。この奥義をモーセが持っていたのです。皆様、これを必ず持つように願います。これはとても重要な話です。もう一度見ます。
 
■ 'いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る' 2節を見ると '私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。' それで、本当に力を得てくださることを願います。モーセは、単に勝利したのではありません。結論を知っていたのです。これが重要です。証拠を捕まえました。祈りの秘密を味わう確信があったのです。より重要なことは、結論を知っていました。神様がこのようにおっしゃられたのです。. 'あなたをエジプトの地から出るようにする証拠を与える。わたしが力ある手をあげて、敵を打って証拠を与える.' 神様がモーセに言われた、一番目の約束です。ところが、その事がなされたのです。モーセを見ましょう。 3節にこう話しました。 '主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。' わなと染病から救い出されるのです。この話は、なんの話でしょうか? わなと染病のようなものがあっても、恐れるなということです。誰かが車に乗って行く人に船を気をつけなさいと言うでしょうか。車に気をつけなさいと言わなければならないでしょう。子ども達が学校に行くのに、車に気をつけなさいと言うでしょう。何の大峙洞で学校に行くのに、汽車に気をつけなさいと言うでしょうか。この話が出てきたということは、ありえるということです。恐れてはならない。単純な勇気を出しなさいということではありません。結論を知っていたのです。それで6節を見ましょう。 'また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。' 7節に何となっているでしょうか? '千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。' 神様の子どもが、契約を捕まえて行くのに、千人、万人が倒れても、その災難があなたに近づくことはないということです。11節に何と言ったのでしょうか? 'まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。' これは普通の人々が知らない話です。知ることもできない話しです。神様が主の天使を送って、皆様が行く町角を守って、皆様を保護しようとされるのではないでしょうか? これをモーセが知っていたのです。だから、勝利するしかありません。ちょっと困難がきたとしても、揺れないように。モーセには、どれくらい困難きたのでしょうか。神様が私をわなと染病から救われた。千人が、万人が倒れても、その災難が近づかない。これは単純な勇気の話ではなく、契約的なメッセージです。12節に '彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。' より重要な話しが出てきました。
 
■ 13節に 'あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。'.なんの話なのか知っているはずです。私達がへびを捕まえに通うのでしょうか? その話ではありません。サタンの勢力を足で押さえることができるのです。皆様、いたずらに恐れないようにしましょう。どのようなこと生じても心配しないで。どんどん問題が来ても、揺れるようなことは止めましょう。これはがんこになれということではありません。これは、無条件に勇気出して、がんこになれという話ではありません。恐れる必要がないのです。14節に '彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。' 皆様、救われた人々は、神様を知って、キリストを理解します。私があなたを高く上げよう。 'わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。' どれくらい驚くべきことでしょう。
 
■ 最後にすこし考えることがあります。モーセは四十年間、エジプトで勉強しました。四十年は、ミデヤンで祈りました。四十年は、イスラエル民族を連れて行ったのです。それで、少し参考にすることはあります。四十年間、モーセがエジプトにいたということは、私達が基本的なことは、早く捕まえなければならないのです。目的ではないのですが、モーセがそれができていたゆえに、イスラエル民族を連れて行くことができたのです。時々、私が悩んで言う話です。クリスチャンが相談するのを見れば、あまりにも未信者が聞けば恥ずかしいと思う程です。教会には、いろいろな人がみないます。以前に、私たちの教会を見たら、教会の中には、おかしな人がみないます。良い人もいるでしょうが、おかしな人もいるのです。それしか仕方がないのが、飛行機に乗る時は、キップを見て乗せるけれど、教会はみな入るべきなので、どうすることもできないのです。もし、この中にスパイがいれば、自首しなさいとは言えますが、私達がどうすることもできません。ここに泥棒がひとり座っているとしても、どうしようもありません。それで、教会を回りながら、詐欺を働く人もいます。神様と関係なくて、その人々は悪霊、聖霊もなくて、滅びることも、滅びないことも関係なくて、まず教会にそっと通って詐欺を働くのです。それを見れば分かるのですが、分からないこともあります。しかし、私達が一、二回経験してみれば理解できます。
 
■ こういう信徒が私を訪ねました。日頃は献金もしない人です。そして、絶対にこの人は人のためにも使いません。夫にこっそり、ものすごいお金を貸しました。詐欺師は、お金をもらって、知らないふりをしました。それが、詐欺師の特徴です。私にきて、どのように受けることができないのかを相談したのです。私が教会で貸せと言ったのか。保証人になったのか、何ゆえに貸したのかとたずねました。どんな導きを受けたのかと言いました。その多くのお金を夫の許しもなく貸して、そうかと言って献金をするのでしょうか。献身をするのか、宣教をするのか、なんにもしない。相手の顔を見ればわかるではないか。額に詐欺師という札がついているのに、貸してあげたのか。これは私が一例を上げたのです。あまりに基本的にだめなのです。こういうおかしな人々がとても多いのです。
 
■ 皆様、あまりに基本的な部分が揺れてしまえば、神様も揺れます。人は基本ということがあるので、あまりに基本がなっていなければだめです。こういうことは、皆様が速く速く捜し出して仕事をしなければなりません。学生達が学校に行かなければならないのか、行かずに良いのか、そのようなことを尋ねる必要はあるでしょうか? こういうことは、速く速く精神を整えてしなければなりません。モーセが四十年間、エジプトで世の中のことを学びました。問題は、それが間違っていたということではありません。それが必要だということです。しかし、それで満足するなということです。四十年間、モーセが神様に対する祈りの奥義を捜し出しました。ですから、前に必要なかったことが重要になります。そして、それで終わることがありません。残りの四十年は、使命を果たすものすごい事が行われました。皆様が重要な祈りの力を得てくださることを願います。皆様の職分、年齢にしたがって、祈りもすこし違うようにしなければなりません。 
■ 度々、その方のことを話して申し訳ないのですが、私がメッセージを与えなければならないために言います。出てくる時、その選手のお母さんが、自分自身がどのように祈らなければならないのかとたずねました。重要な質問をしたのです。そうです。本当に重要な質問です。人にしたがって、祈りは違うようにしなければなりません。私は祈りひとつしかしません。ただ世界福音化だけ。私はこれだけして、集中的に祈ります。他の人は、みな私のようにしないのですが、私はそのようにすると言いました。お母さんは、あの子のために集中祈りをしなさい。一日中しなさい。本当に神様が永遠で、選手の後から祈って、霊的な力を供給しなさい。それが必要です。皆様、事業する方達は、祈りがすこし違わなければなりません。他のことが必要ないということではなく、それが最も中心で、祈りの力を得なければならないのです。牧会する人は、牧会も祈りがちょっと違わなければなりません。職分と人にしたがって、少しずつ違うようになるのです。
 
■ 結論は何でしょうか? 力を得なければならないのです。皆様が神様が与えられる力を持って行かなければなりません。問題がくれば、神様が与えられる力で勝たなければなりません。皆様が福音の力を持っていれば、問題ないでしょう。今日、モーセが持った証拠を捕まえましょう。モーセが捕まえた祈りの奥義を捕まえましょう。モーセが捕まえた結論を捕まえて、なんの災いも皆様に近づけないという結論を持って祈りましょう。これで、モーセが勝利したのです。それなら、皆様も同じ答えを受けることができます。私はここでそれなら、私も神様の答えを受けることができるのです。それなら、皆様の失敗は失敗ではありません。聖書をよく見ると、答えを受けた人々は、全部、難しい時にみな受けました。それなら、難しいことが答えではないでしょうか? 難しい時、答えを受けるならば、難しいことが問題になることがありません。こういう結論が出てくるのです。皆様、この契約を捕まえて、今週に本当に引続き大きい祝福を受ける皆様になることを主の御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様、新しい力を与えられたことを感謝申し上げます。主の民に新しい力をくださることを感謝申し上げます。モーセのように、証拠を捕まえて行くようにさせてください。いと高き方の隠れ場に住む者、全能者の陰に宿るようにさせてください。結論を知ってどんな災い、災難の中でも勝利する者になるようにさせてください。モーセと共におられた神様が、この方達と共にされることを信じます。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン