2004年10月24日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ マリヤとマルタ(みことばと奉仕)
(ルカ10:38〜42)
■ インマヌエルの私たちの家族、また、あらゆる地域教会に神様の祝福があることを願います。インターネットでみことばを聞く海外にいる弟子にも、神様の祝福があることを願います。以前にテレビを見たら、こういう放送がありました。30年間、夜に寝ながら、ずっと歌を歌うのです。それで、奥さんの願いが、ちょっと静かに寝て欲しいということです。30年間、寝ながらずっと歌っていたのです。ところが、驚くべき事実は、本人が眠りから覚めれば知らないということです。知らない程度ではなくて、この方は、普段の時、歌を歌ったことがなかったのです。皆様、テレビを見た方達は知っているでしょうが、この方が、放送に出てきて、はじめから終わりまで皆知っている歌がありません。夜には、連続して歌うのです。おもに何の歌を歌うのかと尋ねたので、来て聞いてみなさいとなりました。放送局の職員が夜に寝ている時、録音機とみな持って訪ねました。一人で横になって、ずっと歌を歌っていました。おもに何の歌を歌うのかというと、故郷の歌を歌っていました。北朝鮮からきたのですが、故郷の歌を歌っていたのです。そして、その翌日、目が覚めると、知らないのです。それを見ながら、そのようなことはあるだろうと考えをました。
 
■ あなたがたが信仰生活をなぜするのでしょうか? なぜ、柳光洙牧師は福音をしばしば強調するのでしょうか? そのように疑問に思うこともあるでしょう。米国で長く暮らしていた方です。英語が上手な事業家です。韓国を忘れて長くなっていました。韓国語を話すと、あまり出てこなかったのです。なぜならば、米国でいつも暮らして、事業して、勉強したゆえに、韓国語を話すと、たどたどしかったのです。ところが、その人が、交通事故にあいました。無意識状態に入っていったのです。すっかり英語を忘れてしまったのです。その病院で目を覚ましながら、韓国語が出てきたのでした。これがなんの話なのか知っているでしょうか? 私達が何に根をおろしたか? なにがまず入っていったかが重要なのです。私たちは、参考にして信仰生活をしなければなりません。何も知らなくても、あの人はとてもおかしいということは皆様の考えであって、その人にとってはそうではないのです。イエスを信じる人々が本当に異常だというのは、知らないで言う言葉です。
 
■ 少し前に、私たちメンバー一名が、日本でこういう事がありました。この方は、日本で40年暮らしていました。日本人が見て、その人は日本人のようだと言う程に、日本語が上手でした。ところが、この人が病気になって、病院に行きました。病気が重くて、一進一退したのです。しかし、病院に行って、診察を受けることができないのです。突然に、日本語をみな忘れてしまったのです。そこで、たどたどしく、韓国語を話していました。周囲の人々がみな驚いたのです。日本語をそのように上手に話す人が。なんの話なのか、キャッチできるでしょうか? なにがまず入っていって、なにが根をおろしているのかが、すべてです。その後のことは、なったかの様に見えるのですが、みな過ぎることなのです。私達が意識的に知っていることと、無意識的に知っていることの中で、無意識的に知っていることがより多いのです。この人が、実際に日本語と英語をしたのですが、本当にこの人の中に潜在していたのは、それではなかったのです。皆様、人々が注射されて長く手術をする時、何かの話をすると言われるでしょう? 口が閉ざされなければ、死ぬ時になれば話すと言われるでしょう? その話すことが、無意識の中ですることです。これが問題です。無意識の中で、普段に敷かれていたことが出てくるのです。例えば、牧師が死ぬ時や、手術する時、ずっと悪口を言えば、どのようになるでしょうか? ただイエスだけと言わなければならないのに、悪口が出てくれば、どれくらい困難でしょうか? あなたがたも、入っていることが出てきます。ギャンブラーは死ぬ時、意識がなくなりながら ”ゴー"と叫ぶはずです。それが出てくるしかないのです。
 
■ ところが、より重要なことは、皆様が幼い時、大きくなりながら入っていった傷があります。これが皆様も知らなく土台に敷かれているのです。ところが、この部分がますます病気になるのです。皆様の知識も成長して、からだも成長して、みな成長するのに、人間に最も重要な霊的な部分だけ、全然育たないのです。私達が生きて行けば、小さな傷、大きい傷、考え、思想がありえます。こういう部分が、皆様と私が知らない間に潜在しているのです。その後に教育をどんなに受けても、効果がありません。教育を受けたことを、すこししている途中で入っていかないのです。そうしながら、似ている状況に会ったりすれば、前の傷とそれが目に見えないように凝集されます。絶対になくなりません。それで、2種類の方向で現れるのです。ある人は、そこで来る葛藤を隠します。隠すために、ある人はあちこち回ったり、ある人は歌も歌って、ある人は遊んだり、ある人は食べることもします。ある人は堕落するほうに行くのです。それが自分も知らないで、そのようになるのです。それが小さなことではありません。だから、それを解決できることがひとつしかありません。この根を抜き取って変えるべきなのですが、それが正確に言わば福音です。
 
■ 一般の普通の人々は理解できずにいます。教会がほとんどみな理解できなくて、教会があれこれたくさん教えるのですが、大きい失敗をするのです。皆様が福音を受けたように見えるのですが、それではありません。皆様の根の中にまず入っていったことがあります。それが皆様を支配するのです。それで、私がそのように福音をしばしば強調する理由があるのです。私たちタラッパンと他の教会が違う点は何でしょうか? 私たちは、しばしば強調するのです。教会は多様性がなければならないのではないでしょうか? 99%のクリスチャンが、そのように考えています。それが本当にとんでもない言葉です。違うところでは、そのようにしなければなりません。教会だけは、一つだけを強調すべきです。皆様の中に入って行っている根を変えなければなりません。それが教会の使命です。大部分の牧師が、教会の使命をのがしています。ですから、事がならないのです。だから、後ほどになれば、未信者とそっくりになります。死ぬ時になれば、まったく同じです。危急なことに会えば、まったく同じです。未信者が見れば、信徒が何でああなのかと話します。無意識の中に起きることは、まったく同じです。
 
■ 今朝、手紙が一通きました。ある姉妹が送った手紙です。五ページ書いてありました。一言で要約するなら、感謝しますという手紙です。感謝の内容の中のひとつが、自分の父が癌になったということでした。ところが、先生のメッセージを8年間、ずっと聞いていたら、癌がよくなったということです。すると、ここにいる医者の方達がそうであろうかという気がするはずです。皆様、知識人の中には、それが本当だろうかという気がする人がいるでしょう。それは知らないからです。その方が持っている自分自身の霊的な部分が、その病気と連結しています。だから病院で癌だと診断されて、自分は死ぬことを覚悟して、ずっとメッセージを聞いたのです。ところが、本人も知らないで、そのメッセージを聞きながら、ずっと変わったのです。そして、たまたま変わったその部分と、私たちのからだの細胞とが連結していることがあります。そのようになりながら、奇跡がおきたのです。それはものすごく科学的で、当然なのです。ところが、ある面ではその姉妹は、私に感謝すると手紙を送ってきたのですが、送る必要もありません。みことばを聞いて、そのようになったのです。その姉妹は、より正確に悟らなければなりません。皆様、誰でも持っているその部分だけ変わってしまえば、相当なみわざが起きます。
 
■ 皆様が、幼い時から持っている傷があるのです。例を上げるなら、お母さんに会いたいという傷があるとしましょう。すると、本人も知らなくさびしいのです。後ほどおとなになって老いても、すこし孤独な事だけ出会うと、そこに深刻な反応を見せるのです。友人が集まって、自分の話しをちょっとしたとすれば、狂った人のようにものすごくおかしな反応を見せます。その傷がなくならないで、どんどん積まれるのです。それで、ヨセフがものすごい傷を受けた人です。ヨセフは、私が見る時、その人ぐらい苦労した人はいません。家庭で家庭暴力にあいました。そうしたあと、家庭が人身売買で売ってしまったのです。そして、ポティファルの家で熱心に仕事をしたのです。簡単に言わば、ポティファルの妻から性的暴力にあったのです。毎日、老いた女がきて困らせたということです。これを知って、夫が権力を持って監獄に入れてしまいました。だから、簡単に話して、権力の暴力を受けたのです。これは、並大抵のことではありません。ところが、ヨセフが勝つことができる理由があったのです。神様が自分のおじいさんアブラハムに与えられたメッセージが何かを知っていたのです。なぜ、カルデヤのウルを離れなさいと言われたかを知っていました。創世記3章の事件が何かを知っていたのです。創世記6章の事件が何かを知っていました。人間がどんなに成功しても、創世記11章のバベルの塔が何かを知っていたのです。そして、自分の父ヤコブが誰なのかを知っていました。受けた契約が何かを知っていたのです。簡単に話せば、ものすごい福音を正確に悟りました。ですから、ヨセフが受けた傷がみな解決してしまったのです。このようになれば、ものすごい事が行われます。癌になった人が、癌がよくなることがあります。皆様のからだの外から注入する注射や薬より、体の中にある力がより強いのです。日本で医者が証明しました。本当に神様を信じる。本当にうれしい。本当に感謝する。このような時、からだの中から出てくる力が、モルヒネ注射の16倍だということです。日本の医者が証明した内容です。私は正しいと思います。だから、その傷が癒されるので、答えがあふれ出て、みわざが起きたのです。なんの話なのか知っているでしょうか? だから、今日、私達が賛美を歌う時も、イエスは私の力ですと歌ったでしょう。未信者が聞けば、狂ったかと言うはずです。今日、もし初めて来た人は、あれはなんの話なのかと言うはずです。私は知っているから、イエスは私の力ですという時、そのようになるようにと考えます。イエスは私の力です、私の望みですという賛美を歌いました。こういう部分を知っている人は、そうだということです。これを知らない人は、なんの話か力は何の力か?と考えます。私たちの会社に執事か、長老かという人がいるのに、なんの力もないと考えます。だから、おかしなことがより異常になるのです。これくらい福音が重要なのです。
 
■ 皆様、よく見てください。本当に失望してしまった人々が、福音を悟って、ものすごい人に変わった場合がとても多いのです。すると、今日、私が皆様にこういう話しはみな出来ません。私の話しを聞いたならば、今日、聖書のみことばを少しの間見ましょう。私達がものすごく必要なことなのですが、失敗しやすい部分が出てきました。あなたがた、単に読んだのですが、マリヤとマルタという人が出てきました。イエス様が、この家へいらっしゃったのです。だから、マルタという人は仕事をして、忙しくしていました。感謝する心で、イエス様に何を接待するか、熱心に食べ物を作っていました。ところが、マリヤという妹は、イエス様の足下に座って、イエス様と話していたのです。それでどれくらい憎いでしょうか。このように忙しいのに、イエス様と一人だけ話をするから、ちょっと手伝いなさいとおっしゃってくださいと言いました。その時、イエス様がこのようにおっしゃったのです。 '彼女は良い方を選んだのです。それで祝福を取り上げてはいけません.' どういうことか、キャッチしなければなりません。ここで何を悟らなければならないのでしょうか? ここで失敗する聖徒の姿が出てきました。必ず記憶しなければなりません。仕事をするなということではありません。ほとんどみな信者が、仕事中心です。マルタと同じ状況です。今日、私が前にたとえで語ったことを一度、考えてみましょう。今、さっき、私がいくつかの証拠を出したことを連想しながら二人を見ましょう。何か分からないでしょうか? この人は、今、分からないのに、仕事だけをするのです。これが、こんにちの失敗するキリスト教徒です。仕事をしないでということではありません。それで、私たちの教会の信徒は、駐車管理もしなくて、みな入ると言うのですが、駐車管理はしても良いのです。それは、主のことです。
 
■ では、本文をもう一度よく見ましょう。私が一番初めて米国を行った時、私は米国教会がなぜ信仰が育たないかが簡単に分かりました。ものすごい食堂が作ってあって、礼拝堂ぐらい大きいのです。私達が柳光洙牧師をお迎えして集会をすると広告もしました。午前に熱心に講義していたら、重要な信徒は、すっかりみな食堂でご飯の準備をしていました。それで、この人達が講師に良いことを接待しなければならないと、外部からお客さんがたくさんきて、牧師達だけで数十名がきてご飯の準備をしなければならないから、重要な信徒たちは、全部、食事準備をみなしていました。他人の信徒だけ座って聞いていたのです。私は、内心、この牧師は愚かな牧師だな。私ならば、そうはしません。食堂でご飯をオーダーして、私たち信徒は、座ってメッセージ聞くようにさせるはずです。私がある宣教地域に行った時です。宣教師が通訳をして、私がメッセージをしたのです。ところが、私の感じでは、この宣教師がメッセージに全く関心がありません。この人は、どんな人なのか、そこに関心があったのです。私にどのようにしてあげるか、どのように、この人は方法を話すのか、ここに関心が多くて、通訳をしても、メッセージには関心がなかったのです。私はそれが感じられたのです。そこに座っている、あらゆる信者の霊的状態は、永遠に直すことができません。すると、その働きと牧会は、永遠に失敗するのです。ところが、どのようにするのでしょうか? このように、私達は頭が悪いのです。皆様、仕事をしないことではありません。仕事中心ということです。その人の中心と根が何か?が問題です。ですから、この人達は、忙しいのです。仕事中心なので、不平を言うのです。私が福音中心、恵み中心ではなく、仕事中心なので、仕事をよくする、できない人の間でねたみがあるのです。熱心に仕事をしながら、本人は疲れているのです。本当に、この人達が教会に本当に重要なことが出てくれば、しないのです。
 
■ 私が信仰生活を長くしているでしょう。私が幼い時から、教会に通いました。本当に不思議です。教会で重要なことをしたり、特別に建築をしたり、献金をする、こういう事が起これば、本当にいつも話している人はしません。想像を超越することです。不思議に静かにしていた人がするのです。私達が驚くのです。この人は、熱心に仕事をするのに、その仕事がそんなに重要なのではありません。なるほど、では何も仕事をしなくてもよいのだと考える人もあります。しかし、その話ではありません。皆様が、さっき私が序論で話したことを考えてみてください。私たちはみな傷、問題、弱点を持っています。これをそのまま隠しておいて、仕事中心に行くということは、愚かな人です。いっそ癌にかかって動くことができなくて、メッセージをずっと聞いたその人が、よく選択したのです。特に皆様、年齢を参考にしてみましょう。福音は入口にも入ることができなくて、私達には既に違ったことが、みな入ってきています。
 
■ 今日、マリヤがイエス様の前で、みことばを聞きました。イエス様が、本当に良いほうを選んだ。そして、永遠に取り上げられないと言われました。この話は成功する聖徒の姿なのですが、みことばを正しく聞き始めたということです。どんなみことばでしょうか? いったいイエス・キリスト、この方はだれか? 旧約聖書では、影だけ見上げても働きが起きました。旧約聖書は、一言で何でしょうか? 私たちの人間問題の解決者キリストを送るという約束ではないでしょうか? それだけを捕まえたのに、働きが起きました。これを知らないから、聖書を見る目も変わって、あらゆる見る目が変わります。私は幼い時、学校から団体でモーセの映画を見に行きました。その映画が私に投げ掛けたことがありました。そのように苦しめられた民族を神様が解放させたということです。そのようにしか見られないのです。しかし、聖書には違う話があります。神様がモーセを呼んで、こういうことをおっしゃったでしょう。イスラエル民族を連れて行って、早く血のいけにえを回復しなさい。そうです。この話を一般の知識人は、悟ることができません。だから、映画を作っても違う映画を作ってしまうのです。私が今回、米国に入っていって、テレビで「パッション」というキリストの苦難の映画を見ました。ところが、キリストが途方もなくひどく苦難にあうことに焦点を合せていました。それしか仕方がないのです。
 
■ ですから、私達が正しく悟ることができなかったのです。皆様、この女の人マリヤは、イエス様が誰か知って対話をしたのです。ですから、機会をのがしてはなりません。今、食事の仕度をすることも重要で、食べることも重要ですが、機会をのがしてはならないのです。言わば時代的な機会です。言わばただ一度ある機会です。ある意味で話せば、これはことばにできない、表現できない時間的な機会です。そして、個人には話せない祝福の時間です。ですから、キリストとして来られたイエス様とマリヤが話しを交わしたのです。みことばを正しく捕まえれば成功します。皆様が、なんの話なのか早くわかるでしょうか? どのように、みことばを捕まえなければならないのでしょうか?
 
■ 今日、私達が三番目に考えねばならない部分です。さっき1番目に考えたことは、失敗した聖徒の姿。2番目には成功した聖徒マリヤの姿。すると今、私たちはどのようにみことばを捕まえなければならないのでしょうか? いったい聖書は何をおっしゃっているのでしょうか? それを私たちは、早く捕まえなければなりません。聖書は他の本ではないのです。人間は滅びるしかないから、滅びずに救われなさいということです。 人間はどんなに成功しても、虚しくならざるをえないから、真の希望を捕まえなさいということです。あの偶像に陥って、石におじぎするのではなく、神様を悟るのが人間だ。その救いの道を話したのです。それとともに、現場を見なさい。皆様、世に起きていることが、聖書にほとんど預言されています。それで、この神様のみことばの背景と啓示が何か、それを捕まえましょう。そして、重要なことは、証拠を捕まえましょう。皆様、困難がくる時、どのようにするのでしょうか? 聖書に、私のような者が困難に会った時、何をしたのか、その証拠を捕まえましょう。こういう場合に、聖書には何となっているのか? 歴史には何となっているのか? その証拠を握らなければなりません。それが信仰生活を成功する道です。今日、みことばを聞きながら、私は何をしなければならないのか、証拠を捕まえねばなりません。それで、私たちを証人になると言われたのです。皆様が今日、そのまま静かに座っているのではなく、神様のみことばを聞きながら、そうだという証拠を握るのです。その課題を置いて、証拠を捕まえてこそ、祈りになるのです。それができれば、実際的な答えがおきます。すると、皆様の年齢を参考にしてみましょう。そして、皆様が習ったことを参考にしてみましょう。他のことがみな入っています。しかし、正しく福音の根をおろすことができなくて、私達が教会に通ったかの様に見えるけれど、実際には知らずにいるのです。それで、この部分を少しだけ悟ってしまえば、皆様には相当な事が行われます。
 
■ それで時々見れば、単純な人々が恵みを受ける場合が多いのです。他の見方をすれば、無知な人々が恵みを受ける場合が多いのです。その話は、無知な人は恵みを受けて、賢い人は受けることができないと言うことではありません。福音でなってないことが多い人は、あまり変わらないということです。入っていることが出てこないのです。それで、そうなのです。
 
■ 先週、礼拝をソウルで終えて外に人々が出てくるのに挨拶をしました。以前は教会にも通っていなかった人なのですが、私たちの教会の申宣教師のお父さんが、ソウルで信仰生活をよくしています。先週の日曜に、私のところに来て、握手をしながら言いました。私のような者は、無条件に神学院に行くべきです。私のように老いた人は、無条件に神学院に行かなければならないと言いました。なぜそうなのですかと尋ねました。それでこそ、体質が変わると言いました。体質ゆえにだめなのだということです。やっと、少しわかったと言いました。私が神学院を卒業して、宣教師訓練院3年勉強したら、それで少しわかると言いました。それとともに、今日、そのメッセージはとても重要だと言いました。この人達がわかるだろうかと話したのです。それで、わかる人もあるのではないかと私が答えました。寝ている人もいたということでした。そのようなことです。私達が、みことばがわかることが、どれくらい重要でしょうか。正しく証拠をつかまえるということ、神様の祝福を受けるということが、どれくらい驚くべきことでしょうか? それで、皆様が、この貴重な時間に私達が何ゆえに、みことばを聞くのでしょうか? 神様のみことばを聞いて、福音を聞く理由は何でしょうか? 聖書を見れば、とても祈りの答えを確かに受け取った人々がいます。その人々の特徴は何でしょうか? この契約で、福音に根をおろしたのです。皆様、事実は、歴史を研究してみれば、大きい人物は、みな神様を信じる人々です。一名ももれなく。正しく絵を描いたレオナルド・ダヴィンチをはじめとして、みな神様の人です。韓国の人々はノーベル賞も受けることができないのですが、正しく歌ったヘンデル、モーツァルト、こういう人々もみんな神様の人です。皆様がおわかりの通り、シュヴァイツァーとかアインシュタインとか、エジソン、みな神様の人です。この人達の特徴は何でしょうか? この人達の中に福音と契約という根がおろされていたのです。ですから、ほとんどみなそのようなみわざが起きたのです。それしかありません。どうして、シャデラク、メシャク、アベデネゴのような人は、火の中に入っていくと言ったのでしょうか? それは、根性ではありません。私たちの中に信仰が入っていれば、極限の状況が来る時は違うのです。皆様が極の限状況が来たら、分かります。私たちは、極限の状況がないから、分からないのですが、私たちには目に見えないように、たくさんあるのです。極限の状況にあってみましょう。
 
■ 牧師一人が、日本に行って地震が起こったと言いました。地震になって、建物がぐらぐらしたら、牧師が奥様を置いておいて逃げたのです。それで、この地震がおさまったために、牧師が恥をかきました。それで、奥様があまりに気分が悪くて、地震が起これば、私を連れて行くべきで、置いておいて逃げてもかまわないのかと尋ねたのです。その時、牧師が正答を話しました。すまない。自分も知らないうちに、そのようになった。ですから、人は極限の状況になれば、その人の中心が出てきます。ですから、私達が火の中に入っていっても良いということは、単純な根性ではないのです。日帝時代に、偶像崇拝をしないと死を覚悟して話したチュ・キチョル牧師も、根性ではなかったのです。人は意識、無意識に、極限状況にあえば、中にあることが出てきます。事実、それが祈りの答えを受けることと、受けられないこととみな関係があるのです。私たちは、極限の状況がないのに、なぜそうなのでしょうか? しかし、私達が普段の時、祈りの答えをいつも受けるのと、受けることができないのとの差が出るのです。正しいクリスチャンか、そうでないかの差が出てしまうのです。この福音がどれくらい驚くべきことでしょうか?
 
■ 誰が、どんな知識で、子ども達が麻薬をやめるようにできるでしょうか? 福音を本当に悟って、祈った子どもが麻薬をやめました。誰が精神病患者を治療できるでしょうか? 本当に、福音を悟って、神様のみことばをずっと聞いているうちに癒されるのです。それで、あなたがたが、このみことばを聞くということは、単純に礼拝をささげているのではありません。皆様に根がおり始めて、この傷が解決になるならば、相当なみわざが起きます。今日、この時間も皆様が本当に神様のみことばを受けて、福音の前に立って、皆様の傷、過去が崩れてしまえば答えがき始めます。それで訓練もしばしば受けて、みことばもしばしば聞くのです。それで、命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさいと言われ、それとともに、聖霊充満を受ければ、力を受けるようになる。すると、地の果てまで証人になります。
 
■ ここには、教師たちもいます。皆様の子ども達に会う時、単純に知識だけ伝達してはなりません。いろいろな状態で、子ども達が学校に来ます。これは福音を持った人ならば、霊的な目があるために、何を手助けしなければならないのか分かるようになります。ここには、医者の方達もたくさんいます。一般の他の医者は患者がくれば、治療だけすれば終わります。私たちは、そのようになってはなりません。すでに、その人の霊的 状態を見なければなりません。簡単に見えないでしょうか。人は病気になりますが、病気がきたということは、それ以前にすでに別の病気がきているのです。既に心の病気が来て、精神的な病気が来て、それ以前に、すでに霊的状態は、押さえられているのです。それが、爆発する程になったのですから、どれくらい古くからあったでしょうか。これを福音を持った教師ならば、学校でしてあげることができるのに、してもらえませんでした。皆様、私たちは犯罪者を見て、無条件に悪い奴だと言います。警察官もいて、裁判官もたくさんいるでしょう? 単純な話ではありません。すでにこの人が幼い時に、誰にも洗ってもらえない問題が入っていったのです。これだから、学校の勉強に適応できません。私たちは、家庭教育がよくできなかった、変わっている、このように話してしまいます。良い家庭にも、そのような子どもが出てきます。一生、問題になるのです。こういうことを知っている教師ならば、その人は教師の中の教師です。こういうことを知っている医者ならば、医者の中の医者です。こういうことを知っている牧師ならば、多くの人を生かすことができます。その話です。私たちは誰でもみなあるとみなければなりません。話さなくても、誰でもみな問題があります。それで、イエス様がこういうみことば言われたでしょう。 'すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい.' イエス様が弟子を送り出しながら、その次になさったみことばです。 '疲れて、重荷を負った人はわたしのところに来なさい。わたしが、あなたがたを休ませてあげます' 一番はじめに祭司長を見て、こうおっしゃられました。 'わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう' 皆様、福音が何か知っているでしょうか? どれくらい貴重か分かりません。
 
■ 今日、皆様がみことばを聞く中に、そうだという気がしながら、少しだけ祈っても証拠がきます。誰も手助けできない部分に、ただこの方法だけが解決できるのです。これは、病院で解決できることではありません。以前にも話したではないでしょうか? 地下鉄に火を付けたその人が、その前からずっとあがきをしていたのです。医者や看護婦を訪ねて、助けてくれと言ったのです。しかし、これを知らないから、医者、看護婦が福音を知らないから、単純に狂った奴だとだけ見たのです。この人は何かに苦しめられるのです。遠い以前から、持ったその傷と霊的問題に、簡単に話して、聖書に話すそのサタンが働いたのです。これを福音を持った先生で、医者ならば、すぐ分かったはずなのに、それをそのまま置いていたのです。この人が耐えることができなくて、火を付けたから、どれくらい多くの人が死んだでしょうか。愛国ということは、国旗だけ振るから愛国ではありません。私がいる地域で、人々を正しく生きるようにさせてあげて、本当に霊的問題の解決を受けるようにしてあげる、それが愛国です。それで、皆様が本当に福音を持っている、それが愛国です。それでこそ、その人を生かしてあげるのではないでしょうか。こういう祝福を私達がみなのがして生きてきたのです。マルタのようにということです。私達は、普通、マルタのように生きていくのです。熱心にするのに、何を熱心にするのでしょうか? 熱心に仕事をします。忙しいのです。どれくらい忙しいか分かりません。何のためなのかも知らないのです。そうしながら、自分にはどんどん問題がくるのです。熱心に仕事をしてみると、仕事をする人々の間でぶつかりあいます。そのようなおもしろくない事が、とても多いのです。それで、水準がある人が、教会にきて見れば、教会を見くびるのです。それは間違っているのに、教会がそのようなのかと思って誤解するのです。今日、皆様が本当に癒されるみわざが始まることを願います。今日、一人ももれなく、今日の序論からこのみことばと連結させて、祈りを開始することを願います。皆様の生涯で重要な時間になるはずです。神様の祝福があるように、イエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、本当に重要な日になるようにしてください。福音の日になるようにしてください。癒される日になるようにしてください。悟る日になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。
 
 


 2部/ 安息日の賛歌
(詩92:1〜15)
 
■ 蔚山全地域の教会と、インマヌエル教会に、神様の特別な祝福があることを希望します。ソンウォン教会が一緒に参加しているということですが、神様の特別な恵みがあふれるように願います。蔚山で、ある長老の息子が、友人と遊んでいたのですが、友人たちがけんかをしたということです。ところが、この長老の息子は、通り過ぎるときに立っていたのに、そこで、相手に殴られた子が死んだのです。死んでしまったので、共犯になりました。通り過ぎる時に見ていて、止めようとしたのに、死んだので、自分は違うと言いました。くやしいでしょう? それで、私たちは友人もよく交わらなければなりません。いたずらに友人について行く中に、そのようになったのです。それで、その長老の息子が、15年の刑を受けたのでした。懲役15年ならば、その時の年齢が二十代なのに、三十何歳になるのです。すると、学ぶことができる時期もみな過ぎるのです。ところが、他の友人も一緒にいました。ところが、この友人が監獄所のなかで、福音を悟ったのです。それとともに、神様の前に本当に、15年間、親、教会のために祈って行くべきだと決心したのです。ところが、この友人にみわざが起きたのです。他の人が見ると、とても立派なので、刑が度々減らされたのです。それで、出てきて新しい人になりました。
 
■ ところが、他の一名はあまりにくやしいから、監獄のなかで不平、不満を言っているうちに、いらいらに押さえられて、精神が変になったのです。この子は完全に廃人になりました。全く同じ状況の中でも、このように違うようになったのです。私達が何を持って感謝して喜ばなければならないのでしょうか? これが、本当に重要です。今日、安息日の賛歌です。今日短い一日ですが、重要な日になることを希望します。皆様、信仰が回復する祝福の日になることを希望します。それで、この賛美をするということは、簡単な話ではありません。何ゆえに私達が感謝しなければならないのでしょうか? これが重要です。皆様が信仰生活において、感謝と賛美が、何でもないことのようですが、これが回復されなければなりません。より重要なことは、何ゆえに感謝をしなければならないのか? 何ゆえに賛美をしなければならないのか? これが重要です。
 
■ 女の人は、子どもを二、三人産んで、むかしには十人ほど産んだのに、統計を出せば、男子より女子が長生きします。男子がなぜ早く死ぬのでしょうか? 子どもを産むのでしょうか? 家で食事の仕度をするのでしょうか? 平均的に、女子が男子より10年長く生きます。私がヨンセ大学のハン・スクファン博士に尋ねました。とても簡単に話しました。女の人は、苦労を多くするのになぜ長生きするのか? 女の人は、信仰生活も良くして、感謝することも知っていて、TVを見て涙が出れば泣いて、教会で恵みを受ければ泣いて、そのように女の人は、表現をするということです。ところが、男の人たちは、あまりしないのです。顔も硬くなって、笑わねばならない事があっても耐えるのです。アーメンもあまり言わず、笑わねばならない事があれば、歯をくいしばって耐えるのです。それで、長く生きることができないのです。一理がある話しだと思います。
 
■ 外国でも見れば、祝福を受ける国は感謝をします。米国に行ってみれば、夜明けに運動しながら通り越す時に、まったく知らない女の人や人々が、私を見てグッドモーニング、ハイと挨拶をします。初めて会うのに、笑いかけるから、私ははじめに当惑しました。私たち韓国は、女と男が向かい合って過ぎれば、しかめ面をして過ぎます。私たち男は、印象を良くしてはなりません。皆様、私たち韓国の男に、こんにちはと挨拶をすれば、女に付いてくるはずです。私たち韓国の男の水準が低いのです。日本も相手の車が来たら、そちらを優先します。その相手の車が過ぎれば行くのです。ところが、私たち韓国は、いつも争います。だから、私たち韓国の人々が多くの祝福をのがすのです。ところが、私が見たら、真実ではないという気がしました。日本の人々は、ありがとうと挨拶をするのですが、にせ物です。米国の人もどんな時でも、Thank youと挨拶をするのですが、それも全部にせ物です。表面でだけそのようにしても祝福を受けるのです。
 
■ 私がエレベーターに乗ったのですが、女の人一名が乗ってきたのですが、どれくらい大きいか、ぎゅっと埋まってしまいました。私はすみにいました。男の人がおりる時、その太った女の人に、beautifulと言うのです。私が見た時には、ものすごく気味が悪かったのです。嘘だという気がしました。私たちは、そのような感謝と喜びではありません。モーセのような人や、レムナントが何で感謝したのでしょうか? 今日、私たちはそのようなことを回復しなければなりません。何ゆえに感謝して、うれしくて賛美をするのでしょうか? こういう重要な人々が、真の解答を持っていたのです。皆様、モーセもそれで揺れなかったのです。神様が救われた者と共におられるという、重要な言葉があります。この民を連れて行って、犠牲のいけにえをささげなさいと言われました。これが答です。ところが、羊の血を塗った日、イスラエルは解放されたのです。答がなければならず、それに対する感謝がなければなりません。何ゆえに血のいけにえをささげなければならないのでしょうか? 皆様、聖書をどんなにたくさん読んでも、その話しがなんの話なのか分からない人々は、効果がないのです。イスラエル民族を連れて行って、犠牲のいけにえをささげなさいという話を、モーセはわかったのです。聞くこともせず、すぐにその話がわかったのです。パロ王に行って、犠牲のいけにえをささげるべきだと話しました。パロ王は、分かりませんでした。ここでささげろと言いました。代表者何名かだけ選んで、ささげて来なさいと言いました。すべての民が、カナンの地に入っていって、犠牲のいけにえをささげなければならないと言ったのです。パロ王が分からなかったのです。あらゆる家に羊の血を塗る日、解放されたのでした。モーセは、これがわかったのでした。皆様が救いで、感謝が回復しなければならないのです。本当に、答えがないでしょうか? 救いに対する答えがなければなりません。すると、私たちには、真の感謝がずっと出てくるのです。この部分がだめになると、真の感謝が出てこないのです。
 
■ とても困難が来ても、全く揺れなかったヨセフです。どのように、そのようなことがあるのでしょうか? 創世記3:15, 創世記 6:14, カルデヤのウルから自分のおじいさんが出てくるようになりました。カナンの地へ行くようになった理由を知るようになったのです。簡単に話せば、答を持っていたのです。私たちは、それゆえに継続的な感謝が出てくるのです。初代教会が、どのように揺れないでいたのでしょうか? 主は生ける神の御子キリストですという答があったのです。何で感謝しているかが、とても重要です。何を持って賛美して喜んでいるかが重要です。皆様に、こういう重要な祝福が回復する日になることを希望します。
 
■ ほとんど信仰に勝利したモーセやレムナントが、2番目に結論がありました。揺れなかったのです。ヨセフ、ダビデ、パウロは結論を知っていました。ヨセフは、太陽と月と星がお辞儀をしたということは、世界福音化の契約です。どんな場合がきても揺れませんでした。皆様が、どんな場合も気落ちせずに、契約を握ってくださることを願います。ダビデが王になることを知っていたゆえに揺れなかったのです。結論を知っていたためです。イエス様が、初代教会の弟子に、あらゆる民族に福音が宣べ伝えられた後に終わりがくると言われました。この結論を知っていました。初代教会は、揺れることができないのです。
 
■ 三番目には、神様が本当に与えられる力を持っていました。 'しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。' こういう力を持っていたゆえに、それで感謝が出てきたのです。今日、詩篇92篇にあったように、安息日の賛歌です。皆様が何で感謝してこそ、祈りの答えを受けることができるのでしょうか? 詩篇に出てくる人物や、祈りの答えを受けた人が、ほとんどみなこの部分を捕まえました。今日、堅く捕まえることを願います。すると、答えが開始されるはずです。
 
■ もう一度、整理すれば、祈りの答えを受けた人々の共通点が、解答を持っていたのです。そして、結論を知っていました。これから、皆様の教会がどのようになるか見るように願います。神様が与えられる力を持っていました。人間にはすぐ限界が表れます。神様が与えられる重要な力を持っていなければなりません。この部分に合わせて出てくることが感謝です。そして、できることが賛美です。それで、あなたがたが、真の感謝と賛美を回復する貴重な日になることを希望します。今日1部礼拝の時、重要な話をしました。あなたがたが持っていた傷、経験、話せない問題が多くあります。そして、外で、家庭で、人間関係で、困難が多いのです。学生達は傷をたくさん持っています。こういう部分は、どんな場合でも解決しません。それは、そのまま残っていて、私たちを倒します。福音を悟ってこそ答えがくるのです。
 
■ ヨセフは、神様が与えられる貴重な契約と福音を知っていて、自分のおじいさんとお父さんが持っていた福音を知っていて、その傷が土台になるのです。その答えをあなたがたが持っていなければなりません。不思議なほど、答えがくるはずです。皆様がこの契約を持っているならば、こういうこと、ああいうことがあっても、結論を知っているので、過程、土台になっていくのです。そして、私たちの力でするのでしょうか? 救われた者には、途方もない祝福が別にあります。聖霊が共におられます。だから、聖霊充満を受ければ、力が生じるのです。今でも救われた神様の民には、全く同じ力のみわざが起きます。祈る時、天の門が開いて、神様の天使が動員されるのです。一般の人々が知らない答えがそのまま起きるのです。救われた人が行く所ごとに、祈る時、暗闇の勢力が崩れるのです。この三つのことを悟らなければなりません。すると、ずっと祈りの答えが来ます。どんな場合がきても勝利できるのです。それに対する感謝がなければなりません。今日、この契約を回復する驚くべき祝福があることを希望します。
 
■ それで、神様がこの恵みをくださったのですが、どのようにしたら、この祝福を味わうことができるのでしょうか? これが問題です。私はむかしに、どのように紅海が分かれたのかが気になりました。胸中に疑問が生じたのです。イスラエル民族が渡った後に、エジプト人がついて行ったのに、みな水に溺れて死んだのです。もちろん、神様の力では、そのようなことが出来るのですが、それがよく理解できませんでした。ところが、エジプトに行ってきた人が話をするのに、可能だということでした。それが奇跡ということです。水がある時には瞬間的に引いて、土地が見えたり、水があふれたりするということです。ところが、イスラエル民族が全部、紅海の前にきたのに、エジプトの軍隊が捕まえにきたのです。信仰がなければ、渡ることができないのです。水が突然に増えたり、引いたりするのです。ところが、モーセが行こうと言いました。主が私たちと共におられると言いました。イスラエル民族が渡ったのですが、こういう奇跡がありえるのでしょうか? イスラエル民族が渡る時、水がみな引いたのです。可能だということです。不思議にイスラエル民族がみな渡る時まで、水が引いていたということです。ところが、エジプト軍が捕まえに来たら、水がまた戻ったのです。それで、エジプトの兵士達がみな溺れて死んだのでした。聖書が嘘なのでしょうか? 神様が驚くべき働きを起こされたのですが、これよりもっと大きい事もなさることができるのです。
 
■ 私はむかしに、しばしば疑問がたくさん生じました。私は、疑問があるのです。頭がすこし科学的です。それで、よく信じられなかったのです。私はむかしは、幼い時、踊りを踊りませんでした。状態が良くないのに、踊りをなぜ踊るのでしょうか? 歌も歌いませんでした。歌を歌う立場にならないのに、なぜ歌を歌うのでしょうか? いつも気分が悪かったのです。私は救われた後に、多くの門が開き始めました。伝道運動がものすごく起き始めたのです。ところが、そのように起こった後にも、疑問がいつも生じました。どのように、足のきかない者を立て起こすのでしょうか? ペテロは '金銀は、私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名で起きて歩きなさい' と言って足のきかない者を立てたではないでしょうか? 私たち教会に赴任して、使徒行伝の講義をしたのですが、使徒2章まで説明をしました。マルコのタラッパン教会も説明しました。これから、世界福音化をするはずだと、確信を持って話をしたのです。ところが、使徒3章を見れば、足のきかない者が出て来るでしょう? 私は足のきかない者を8人見ました。チャガルチ市場で見れば、足のきかない者協会が集まります。私は一度もそれを見て、足のきかない者を立てるべきだという信仰が生じませんでした。
 
■ 一度は、私たち教会の信徒なのですが、車椅子に乗って集会の時ごとに来ました。その時、私に葛藤が生じたのです。ペテロならば、立て起こしたでしょう。ナザレのイエス・キリストの名前で歩きなさいと話したでしょう。その人を見た瞬間、私はそのような心がとうてい生じないのです。立て起こせそうにありませんでした。その方が車椅子に乗って、どれくらい熱心にきたか、雨でも来るのでした。私がその執事に、このように話をしました。神様が確かにイエスの名前で起こすはずだと言いました。祈りなさいと言いました。今、立ちなさいとは言いませんでした。今、立て起こせば良いのですが、いつか立て起こすはずだと言いました。ところが、本当に起きたのです。一度は、歩いて私の事務室に来ました。とても驚いて、どのようにきたのかと尋ねたら、歩いてきたということでした。今、たぶん説教を聞いているでしょう。こういうことがあるのだという気がしました。私はそのような性質の信仰です。
 
■ 今日、皆様に何をお話ししようとするのかというと、このような神様の働きと真実なことを、どこで回復しなければならないのでしょうか? 礼拝です。今日、皆様は一週間、信仰生活する間に、礼拝だけよくささげても、この祝福が回復します。それで、今日のタイトルが安息日の賛歌です。皆様が聖日にだけ恵みを受けても、六日間、勝利できるのです。この祝福を今日、回復しなければなりません。私はある日、こういう気がしました。神様、私は礼拝をささげる時ごとに、変に違う考えが私の頭に回るのです。教役者は回ることが習慣になっています。神様、福音も悟って、伝道もするのに、礼拝に勝利しなければならないという気がしました。それで、私が担任牧師を訪ねました。礼拝をささげたいと話したのです。だから、牧師が礼拝をささげなさいと言われました。その一つだけ決心したのに、みわざが起きました。それほど礼拝が重要です。特別な方法はありません。
 
■ 私達が神様と共にする驚くべき働きを、どこで体験しなければならないのでしょうか? 礼拝の時です。詩92:1からを見るように願います。 '主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。' 聖日の礼拝に勝利すれば、日ごとに現場でみわざが起きるのです。夜ごと朝ごとに、一人で祈りながら答えを受けるようになるのです。礼拝時間にささげる礼拝が、とても重要です。今日、皆様が詩100:4に、感謝して主の門に。賛美しつつその大庭に入っていく、そのような礼拝をささげることを願います。礼拝時間に最高の祝福が、霊的な癒しの時間がみな回復するのです。
 
■ すると、私達が礼拝が重要なのですが、第一に考えるべきことは、失敗する礼拝があります。旧約時代には、多くの賛美をしたのですが、全部、民族の歌、嘆きの歌でした。なぜなら、旧約時代には、ほとんど律法、宗教でした。すると、その礼拝は失敗です。礼拝をささげるのに、今日受けたみことばが、六日間成就できるか? どのようにみわざが起きるか? その最初が違っていることを直さなければなりません。旧約時代には、違った律法を持って、賛美が正しくできませんでした。だから、回復できなかったのです。音楽をする方達は、おもに中世音楽を多くするのですが、私が見る時には、中世時代の音楽も正しい音楽ではありません。中世時代音楽は失敗した音楽です。全部、カトリックで福音がない時の音楽です。音楽は良いかも知れませんが、信仰では失敗しました。それで、参考にしなければなりません。福音がある音楽をしなければならないのです。その中で、現代教会にきながら、感謝もなくなって、福音の秘密を味わえないので、賛美もなくなったのです。
 
■ 今日、皆様が2番目に記憶しなければならないことは、成功する礼拝はどんな礼拝か? 福音と救いと、この驚くべき秘密がある礼拝です。神様が私たちに重要な解答を下さいました。そして、結論もくださったのです。皆様が今から祈れば、途方もない答えが来るようになるはずです。だから、それを持って感謝と賛美をするのです。それで、ダビデはどのように賛美したのでしょうか? ダビデは、神様に心より感謝しました。どの程度、感謝したのでしょうか? 私が王宮にいるより、主の神殿にいることがより良いと言いました。主の神殿の門番でいることがより良いと言いました。どれくらい恵みを慕ったのでしょうか? だから、ダビデは途方もない答えを受けたのです。Iサムエル16:23を見ると、ダビデが賛美する時、悪霊が離れたということです。皆様が感謝しながら、礼拝を回復すると、このような事が行われます。答えの門が開くのです。
 
■ また、新約聖書を見れば、パウロは使徒16:19〜40を見れば、賛美する時、奇跡がおきたということです。エペソ1:3を見れば、自分が受けた救いと祝福をとても感謝すると言いました。それで、これを全部、礼拝の時、回復しなければならないのです。今日、詩92篇を見れば、5節に '主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。' 'まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。' '悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。' 特に12節に '正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。' どこででしょうか? '彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。' 12, 13節をみな共に読みましょう。そうすると、14節から‘彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。’この部分を回復しなければならないのです。今日、皆様に重要な祝福が回復する日になることを希望します。
 
■ 礼拝を通じて、神様の前にみことばをずっと受けるのですが、福音の根だけおろせば、全部、解決するのです。福音に根をおろせば、霊的な問題も解決するのです。この部分を回復しなければなりません。それで、私達が福音をしばしば強調する理由は、1部の時にも話をしたのですが、どんな根をおろしているか、なにからまず開始したのかが重要です。初めて信じる皆様が、もしおられるならば、この福音を持って礼拝の時ごとにずっとみことばを聞いて、味わい始めれば、ある日、癒される働きがおきるはずです。私がインマヌエル釜山で、聖日の夕方ごとに使徒行伝の講義をして、創世記から始まって、聖書勉強をずっとしました。また核心の時、聖書勉強を創世記からする中に、今、Uサムエルまできました。聖書勉強をする中に、ずっと福音を持って説明して、3年後に奇跡がおきたのです。私がこれ以上、現場に行くことができないように奇跡がおきたのです。3年後に、私たちの教会に全世界の弟子が集まりました。このみことばが入っていく所ごとに、みわざが起きました。今は、レムナントがおきています。福音の力を想像してみることを願います。
 
■ 皆様が聖日の礼拝の時、この福音だけ悟って、契約を味わっても、六日間にあらゆる問題がみな解決するはずです。だから、この契約をつかむのです。難しくありません。今日、皆様がこの契約を捕まえながら、何を悟らなければならないのでしょうか? 何を持って感謝して、祈らなければならないのでしょうか? 救われた者は、あらゆる霊的問題、家系の問題、自分の人生問題の解答が出てきたのです。これが福音です。それなら、私たちには、結論が決まっています。世界福音化です。それなら、私たちは何の力で生きるのでしょうか? 神様が、私たちに与えられた力があります。聖霊が臨まれれば、力を受けて地の果てまで証人になると言われました。これを持って私たちは感謝して、賛美をするのです。それなら、私たちには答えの門がみな開くのです。
 
■ この前、日本を行ってきたのですが、そのような話をしました。ある宣教師が話すことです。共同体を作って、伝道運動をするのに、驚くべきみわざが起きたということです。その人の町で一番おかしな学生が、福音を聞いて変わったということです。だから、他のことで可能でしょうか? 学生が学校も行かずに、霊的におかしな状態にある中で、福音を聞いて、聖書勉強をする中で解決したのです。だから、そのような子ども達が、二、三人出てきたのです。町中が驚いたのでした。学生達が伝道運動がおき始めて、周囲から迫害する人々ができなくなったのです。こういうことが、あちこちで起きたのです。多くの人々が、個人的な問題があるために、みな話ができないのですが、とても多くのことがあります。
 
■ 今週に私はとても重要なことをたくさん見ました。今朝にも手紙がきたのですが、メッセージをずっと聞くうちに、癌が癒されたのです。それで、とても感謝しますと手紙を送ってきたのでした。それを見ながら、そのようなことがあるという気がしました。皆様の中に、福音の根だけおろせば、聖日の礼拝が、単なる礼拝ではなくて、蔚山全体を生かすことができる礼拝だという根だけおろせば、驚くべきみわざが起きます。これを今、回復しなければならないのです。これが信仰生活の開始で、本論であり、結論です。これを捕まえなければなりません。
 
■ ソウルで一流大学を出て、漢方医学もして薬局もする、韓国でとても有名な人がいました。私が名前は明らかにすることができませんが、どれだけお金をたくさん儲けたのか、銀行に行けば人々が順番の札を取るでしょう? その薬局で薬を買うためには、札をとらなければならないのです。とても多くの人が来るのです。この方が、韓国の有名な人々を診断してあげました。だから、どれくらい多くの人々を生かしたでしょうか? ところが、衝撃的な事が行われたのです。自分の夫が健康だったのに、癌にかかって亡くなったのです。この方が夫も生かせないのに、薬を売って良いだろうか? と衝撃を受けて、放棄して、他の国へ行ったのです。行って、新しく医薬の勉強をしていたのですが、そのように信仰生活をしたのに、福音を知らなかったということです。ある日、誰かを通じて、みことばを受けるようになったのです。福音の手紙を三回目の出会いをするのに、知識人が理解できない自分の中から、何かが抜け出たということです。その時から、病気もよくなって、神様のみわざが起きたのです。神様の恵みにとても感謝するということでした。家族中が、全く同じく福音を捕まえて、信仰生活をしているということです。神様が重要な理由で、これから、この地域を生かすのに用いられる働き人になるのではないでしょうか。こういうことを私はとてもたくさん見たゆえに、皆様は今日、簡単です。
 
■ どのようにすれば良いのでしょうか? 何を持って賛美して、何を持って感謝して、何を持って礼拝するのでしょうか? これが一番目です。皆様、この契約だけ捕まえれば、本物の働きが起きます。皆様の過去、私たちの背景、私たちの生活は、そのまま終わりません。ところが、福音を知ってしまえば、そのまま終わるのです。だから、どれくらい驚くべきことでしょうか。そして、私たちには結果が明らかです。そして、あなたがたが契約を捕まえれば、皆様の力ではできない驚くべき事が行われます。聖霊充満を受ければ、力を受けて地の果てまで証人になります。これを持って旧約の時からいままで、あらゆる人物が感謝をしたのです。すると、どんな方法ででしょうか? 礼拝の時です。皆様が礼拝の時にだけ恵みを受けても、六日間にみわざが起きるようになっています。すると、今日、最後に悟るべきことが 1,2,3節です。皆様が聖日、日取りを決めた神様のみことばを持って証拠を捕まえて、六日間、朝、夕方で祈るならば、ずっと働きが起きるはずです。
 
■ 今日、私たち長老が祈るのに、先週に説教した聖書箇所を読んでくださいました。祈りは他のことではありません。説教も他のことではないのです。先週にあった神様のみことばを、長老が心に込めたということは、それ自体だけでも、ものすごく重要です。私はある日、ある教会に座っていたら、長老のような人が、このような告白をしました。指揮者が出てきたら、私は先週に牧師を通じて神様が与えられたみことば、こういう本文を私が聞いたのですが、一緒に聞いた内容ですから、理解が早いのです。神様が私にこういう答えを下さいました。礼拝を始める前に話すのです。それで、とても神様に感謝します。私達が礼拝する前に、賛美をひとつ歌いましょうと、その賛美はスパフォードという人が作った賛美でした。この人は有名な弁護士で、実力があった人で、何の困難もなく教会だけ、きたり行ったりした人だったのですが、ある日、自分の息子二人と奥さんが、旅行に行く時、向い側からくる船と衝突して、水に溺れてしまったのです。それで、息子二人は水に溺れて死んで、まだ死体も出てこないで、奥さんは救われたのに、重体で病院に入院したのでした。この人が行く時、深く考えたのでした。なぜこのようになったのだろうか? 私は今まで神様をよく知らずに生きてきた。私が持った実力を自慢して、私には背景がたくさんあると考えて、私は本当に家庭でもよくやっていると考えたのに、なぜこのようになったのだろうか? 深い考えにとらわれたのですが、そこで恵みを受けたのです。そうだ。私は、これから神様の前に立つつもりだ。私がこれから自分の問題、私たちの家庭問題、みな神様に任せて、神様の前に立つはずだ。このように作った賛美が 470番です。 'やすけさは川のごとく' という賛美です。それを作りました。私達が本当にスパフォードのように多くの祝福を受けたのに、恵みを知らずに生きてきました。それで準備賛美で、この賛美を歌いましょうと言ったのです。この賛美を歌ったのですが、どれくらい感動したか分かりません。そうです。私たちは本当にスパフォードのように、多くの祝福を受けて、恵みを受けたのに、知らずにそのまま生きてきたのです。本当に私は、神様の恵みなしでは生きられないのに、私たちは、私たち実力でと思って生きてきたのです。ですから、そのように賛美を歌うのに、どれくらい恵みになったか分かりません。礼拝がぱっと生かされてしまいました。これくらい信仰を持った者の告白、信仰を持った者の賛美が重要です。それで、今日、あなたがたが必ず回復なされば、今後、残っている生涯に重要な答えの門が開かれるのです。
 
■ ですから、3つです。どのように、この祝福を味わうことができるのでしょうか? インマヌエルの家族、私たち蔚山の家族、全世界に散在した方達、どのように私達が神様の答えを受けて、本当にこの困難に勝つことができるのでしょうか? どのように、感謝、賛美を、何とすべきでしょうか? さっき私が話したのです。私たちは、既に重要な答を持っているのです。福音の中に答があって、そこに結論があって、そこに力があります。これゆえに、感謝、賛美をするのです。いつするのでしょうか? 礼拝の時です。それが2番目のことです。三番目は何でしょうか? これから、この契約を捕まえて、朝、夕に少しだけ祈って考えても、現場にそのまま成就する答えのみわざが起きるようになるはずです。神様の大きい祝福があることを願います。私はこの詩篇を見ながら、単なる詩ではありません。本当に現場で答えを受けた人々の詩です。それで、私は詩篇を見ると、信仰生活に多くの力を得ます。信仰に勝利したダビデとか、モーセとか、また、いろいろな賛美をしたアサフとか、こういう信仰の人々がした賛美の詩です。これを見ながら、相当なものがたくさん出てきます。それで、神様が答えを下さるでしょう。
 
■ 詩篇 92篇に今日、現れているのですが、全体の流れがそうです。何を持って感謝して、賛美して、何を持って私たちはずっと味わわなければならないでしょうか? 救いを下さった神様の驚くべき力、救いを下さった神様の秘密、これだけ悟り始めれば、私は皆様に約束できます。すべての問題をみな解決できます。皆様の家系に流れた霊的問題も、その時、解決できます。皆様は、知らないのですが、こういうレムナントに重大な神様の働きが起きることができるのです。それは、私が確実に見た証しです。すると、この祝福をいつ味わうのでしょうか? 礼拝の時です。今日見ると、安息日の賛歌となっているので、簡単に話せば、礼拝の詩です。すると、この祝福を持って、いつまた味わうのでしょうか? この契約を捕まえて、毎日のように、朝、夕方、そうすれば、答えがくるようになっています。この三つの秘密です。この秘密を持った人々には、神様が与えられる答えが正確にくるようになっていて、世界を征服する、こういうことがおきるようになっています。今日、私たちインマヌエルの家族と全世界にいる私たちの弟子、特に私たち蔚山にいる家族が、この祝福、契約を回復するようになる日になることを本当にイエスの御名で祝福します。
 
■ 祈りの課題をいくつか差し上げます。第一に何でしょうか? 蔚山を生かす最高の計画を立てましょう。まちがいなく、できていきます。神様のみこころがそうです。そして、蔚山にはレムナントが多くいます。神様が最も喜ばれる計画を立てましょう。祈りましょう。その次には何でしょうか? これから、礼拝の時ごとにあらゆるタラッパンに、あらゆる地域教会に、神様のみわざが起きるように。このことを代表的に出来る教会になるように祈ることを望みます。単に私達が衛星で祈り、礼拝してもかまわないのですが、私たちが今、堂会員と多くの方達が、インマヌエル蔚山教会にきました。ここは神様の重要な計画があるのです。もう一つの他の祝福と計画があるのです。どんな計画を、今立てなければならないのでしょうか? なんの話もせずに、祈ることを望みます。蔚山全体を生かす計画。蔚山で最高の計画を立てましょう。どんな計画だということでしょうか? 蔚山全域に弟子を探して、蔚山全域に福音運動ができる最高の計画を立てましょう。それを置いて祈ることを望みます。
 
■ それから何でしょうか? 神様が最も喜ばれる共同体。レムナント運動を始めましょう。今、蔚山には黄金の畑で急がれる所が多いのです。そこに全部、みことば運動を繰り広げましょう。あちこちに働きが起こるはずです。そのために、聖日礼拝の時、集まる時ごとに、神様の働きが起きるように祈りましょう。こういう題目を捕まえてくださることを願います。皆様、祈りの課題をみな持っておられるでしょうが、本当に、この契約を捕まえて祈されば、答えがおきるようになります。ここに今、私と一緒に伝道運動を始めた私たちの長老たちがいます。ところが、先ず一番に始めた方が、パク長老、それからキム長老、カン長老のような方です。今、思い出します。十二坪で始まった時、私が長老にこういう話しをしました。長老、私たちは世界福音化をするはずだ。なぜか?何を信じて、そのような話しをしたのでしょうか? 理由があります。私は福音の力を知っています。皆様が福音という、このものすごいことを悟れば、皆様個人、家庭、全体、みな解決します。ほとんどこれを知らずにいるのです。残念です。
 
■ 私は、私たちのレムナント中でとても優秀な人物は、牧会をしなさいと薦めたいのです。レムナントの中で、優秀な人物は、宣教師で行きなさい。これより大きいことはありません。あなたがたが、本当に素晴しいプライドを持ちましょう。皆様の中で実力がある学生達、勉強が良くできる学生達は、今から準備して、宣教師で行く準備もして、牧会をする準備もしましょう。皆様、一般信者の中で専門性がある方達は、神様のみこころは、牧会ではありません。その方達は、それを持って宣教師以上に行く祝福を味わいましょう。専門性がある方達は、神様が与えたことを見れば分かるでしょう。皆様が専門性があるならば、それを持って世界福音化するのに、誰とも変えることができないのです。福音を誤って悟ったら、教会に通うほど難しいことはありません。福音を誤って、悟ってしまえば、牧会をするほど難しいことはありません。皆様、福音を誤って悟れば、信仰生活をすることが、何の意味もないのです。しかし、これを悟れば、変えることも出来ないのです。大通霊しても変えることができず、国会議員とも変えることができません。ですから、こういう悟りを今、早く私たちのレムナントに起きなければならないのです。神様が私に専門性を下さったのは、その道に行きなさいということなのですが、どのようにすべきでしょうか? ヨセフのように、ダビデのように、一般信者で起きたダニエルのように、契約を捕まえて、私たちは世界を生かすはずです。このように、プライドを持って、悟らなければなりません。
 
■ これから、私たち主のしもべになる人々や、宣教や牧師として行く人々、今、現在、私たちの教役者が悟らなければなりません。この福音だけ知っていれば、これは王とも変えることができないのです。どのように、王と変えることができるでしょうか? 変えることができません。なんでもできます。門が閉められた所がありません。どこでも入っていくことができます。ここに福音を持った私たちの長老と役員が記憶しなければなりません。神様が皆様を呼ばれた時は、祝福の源として呼ばれました。あらゆる地域を生かす祝福の源として、 アブラハムを呼ばれた時 'あなたによって、国々が祝福される.' ただ条件があります。福音を知る時です。福音の力を知る時。すごいのです。だから、賛美、感謝が出てくるしかないのです。皆様がこれを知らなければ、本当に疲れて反復しているようで、同じ言葉をまた言っているように聞こえます。多くの牧師たちが、タラッパンを研究しようと来るのですが、うまくできないのです。同じ言葉をまた言っているようで、その話しが、その話しで、この話があの話しで、そのように聞こえるはずです。それは、皆様が既に死んだという証拠です。生きていれば、全く同じ話のように見えるのに、日ごとに違うように、働きが起きます。それとともに、他の団体ではなかった20個の戦略を聖書で発見しました。
 
■ タラッパンから始まって、共同体まで。蔚山に、インマヌエル教会が新しい力を得てくださることを願います。蔚山で一番大きい計画を立てましょう。これは人に争おうということではありません。神様がそのようにされるのです。私が影島に入っていった時、一番小さいのに、一番大きい所を捜し出しました。なぜでしょうか?神様がそのようになさろうとするからです。これは私たちの力を自慢して示すという話ではありません。そのようにしてこそ、神様の働きが起きるのです。今日見ると、私たち役員が祈って、私たち釜山にインマヌエル教会を30億円を出して、このように建てなければならないと発表しました。私たち信徒が祈りを始めるべきです。私はそれを見ながら、私の胸中で、あの程度ではないと思いました。今現在、どんなことが行われるのでしょうか? 私たちの教会だけでなくて、一年に一度ずつレムナントをすれば、これから5千名くらいが押し寄せてきます。今、こういう事が行われています。今回も修練会をしたら、学生達を2部に分けて、4千名以上が来ました。この学生達を訓練させることができて、泊まることができる教会が必要なのです。特に、釜山インマヌエル、どんなに大きいことでも、神様の計画ならばできます。どんなに小さなことでも、神様の計画でなければ、損になるのです。私はそこに対する確信があります。
 
■ 皆様が蔚山を生かさなければならない使命を持ったことが確かです。蔚山に私たち福音運動する教会が十いくつあります。蔚山を生かさねばならない計画が確かです。すると、その契約を捕まえましょう。信仰生活で一番重要な出発が何でしょうか? これを正しく知って、プライドを持って行きましょう。その時から始まることです。私が神様の恵みで主のしもべになりました。私が神様の恵みで、今、伝道師になったのです。私が今、神様の恵みで牧師になりました。これが最も尊いことだという発見が、本当にできるべきです。すると、その時から、答えのみわざが起きます。皆様、福音を持った教会の長老になった。福音を持った教会の按手執事、勧士、執事になった。これは、普通のことではありません。この価値が発見できるその時間から、事が始まるのです。その告白が詩篇の告白です。ですから見ましょう。皆様がそれができていかなければ、本当の味を知ることができないのです。それで、これを持っている人は、揺れる理由もなくて、がっかりする理由もありません。日ごとに答え来るからです。
 
■ どうして、ヨセフが揺れなかったし、ダビデが揺れなかったのでしょうか? 死ぬような目に遭ったとしても、どのようにしてパウロが揺れなかったのでしょうか? 日ごとに、その契約を捕まえて答えを受けたのです。この祝福を本当に回復することを願います。アーメンを言うのがいやでしょうか? 本当に、これがある人は分かります。これがなければ、信仰生活ほど苦労はありません。宗教生活と同じであるために。この祝福が本当にあれば、大丈夫です。私はこれより貴重なことはないと考えます。もし皆様が、福音を持って牧会をすれば、大統領よりみわざが起きるはずで、もし長老、執事が福音を持って社会生活をするならば、ダニエルとヨセフのようなみわざが起きるようになるはずで、福音を持った人が本当に政界に入っていくならば、ダビデ王のようなみわざが起きるようになるはずです。どれくらい驚くことでしょうか? だから、感謝するしかないのです。それで賛美するしかありません。それを言うのです。
 
■ それで、パウロが賛美しました。私たちの主イエス・キリストの恵みとその与えられた豊かな恵みと、受け継ぐことを賛美します。そして、知るように祈ります。これが出発です。そしてもし私と皆様が重要なことを始める時、別れる時、最後にできる話と、初めにできる話です。詩篇92篇だけでなくて、この思想が、聖書全体に流れています。それを持っていれば良いのです。むかしに私は、クリスチャンを恥ずかしく考えました。いまは考える時、このように良くて確かです。それで私は結論を下したのは、福音を知らない人は愚かです。福音を知らない人は、嘘をついているのです。誰に嘘をつくのでしょうか? 私の人生に嘘をついているのです。霊的問題があるのに、どんどん隠して逃げるのです。認めることが福音です。福音を知らない人は、人間を知らないのです。なぜでしょうか?人間は限界があるのです。 'あらゆる人間は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず' それを認めることが福音です。すると、この福音を知って、少しも嘘でない最高の祝福を受けたということが発見できなければなりません。パウロが私が最高の祝福を受けました。キリストを知る知識が最も尊いと言いました。このように開始できなければなりません。
 
■ 私たちのあらゆるインマヌエルの家族と、あなたがたが、そのように開始できるように願います。特に最後にお願いするのですが、私たちのレムナントがいます。レムナントが生きていくには、試みにあうこと、外で色々なことが多いでしょう。皆様を誘惑する事がたくさんあります。今、悟って行かなければなりません。この福音がどうなのかでしょうか。少しだけ悟っても、育ちます。事実は、ヨセフが少しだけ悟ったのに、お母さんがいなくて難しかった時、すこし恵みを受けたのに、それが大きくなって行ったのです。あなたがたが今、他の大きい体験はできません。この福音は、そのようなことだな。少しだけ祈りで悟っても、これはずっと大きくなって行きます。それで、あなたがたが世界を征服できる人物になるのです。私がわざわざ久しぶりに蔚山にきたゆえに皆様を祝福したいのです。また神様が皆様をとても愛しておられる、そのような心があるために、過度に強調をしました。これからあなたがたが本当に蔚山を生かす祝福があることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様、全インマヌエルの家族と衛星で礼拝する百個あまりの教会と、またインターネットでみことばを聞く五千あまりの散在した弟子と共に、今日インマヌエル蔚山教会に一緒に礼拝できるように、恵みをくださったことを感謝申し上げます。今日、詩篇の記者が告白したように、私たちに真の感謝、安息日の賛美があるようにしてください。この祝福が平日に働きで起きるようにしてください。単純な賛美でなくて、最も貴重なことを持った祝福を見る目を開けてください。それで、あらゆる現場で神様の証拠を話す証人として現れることを確信します。インマヌエルの家族に、また蔚山にある私たちのあらゆる信仰の家族に働いてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン