2004年10月31日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 祈りを教えられたイエス・キリスト
(ルカ11:1〜13)
・今日礼拝するあらゆる家族に、神様の祝福があることを希望します。全世界でインターネットでみことばを受ける方達にも、恵みがあることを希望します。五十才以上になる方達は、理解できるはずです。むかし、幼い時は、家に風呂場がありませんでした。それでおもに入浴をどこでしたのか? 台所でおもにしました。いまはそのような必要はありません。夏になれば山に登って体を洗ったりしたりしました。その当時には、あかすりタオルはなくて、石でしました。そして、銭湯は村にひとつくらいあったのです。おもに旧盆と正月の前に行きました。近所のおとなと私たちの母は、旧盆前に、私たちを銭湯に送ったりしました。大部分、五十才以上になった方達は、一年に銭湯に2回程度行ったのです。熱いお湯に入ったことを思い出します。その当時には、服を入れてかけることもありませんでした。この頃は、浴場を行ってみると驚くほどです。各自、鍵を持ってかけます。相当な施設になっています。そして、家でもいつもシャワーをして洗います。
 
・一度は、私がソウルで一番良い銭湯に行きました。とても驚くほどでした。とてもよく作ってありました。いろいろな種類のお湯がありました。本当に大変発展したという気がしました。ところが、その時も今でも、絶対に変わらないことがひとつあります。壁に書いてある字です。 '貴重品は主人に任せてください'という話です。親切に、主人に任せない物は責任を負わないとなっています。それはむかしにも書いてあったことです。今でも書いてあります。ある牧師が、運動をするために卓球場に牧師と入って行きました。牧師の洋服とコートを掛けたのに、全部なくなったのです。お金、パスポート、カード等、重要なものがなくなったのでした。それで警察に申告をしたのです。問題が生まれたのですが、どんな判決が出たかというと、主人には責任がないということでした。なくした人が主人に任せたのではなく、自分勝手に掛けたのですから、主人が責任を負う必要がないということでした。私はその話しが正しいと考えます。主人に任せることもしなかったのを、どのように全部、責任を負うでしょうか? 信仰生活も同じです。私達が生きていくことも同じです。
 
・単に何にもなく生きていく人もいます。ある人を見ると、お金があればみな使う人がいます。明日のことも考えないで、みな使うのです。食べることを、みな食べてしまおうとするのです。人生の意味もなく、単に生きていくのです。こういう人々も多いのです。皆様、車を運転したら分かるのですが、とても成功した人々は、車を運転する時も用心します。人生を完全にあきらめた乞食は、車が来ても、そのまま通り過ぎます。単に人生を生きていくのです。ある人がこう話しました。りんごを売るのに、どこで最もよく売れるのか? りんごを売る人が言った話です。りんごはどこで最も早く売れるか? 高級アパートの前に行けば、絶対に売れないということです。公団アパートへ行けば良いのです。公団アパートに行けば、すぐ売れるということです。その人々が言う話で、お金がない人々が、お金をよりよく使うということです。人生を、単に生きているという意味です。
 
・ある人は、人生は自分が責任をとって、正して、熱心にすれば良いと言います。本当に立派です。しかし、ある日、生きていくうちに限界がくれば、どうするのでしょうか? 信仰生活を良くする人は、そうではありません。自分の息子は、自分のものではありません。神様の贈り物です。自分の妻は、自分の所有物ではないのです。神様が与えられた重要な配偶者なのです。自分の夫は、自分のものではありません。神様が与えられた人です。自分の職業は、自分のものではありません。神様が与えられた仕事場です。私が主人でなく、神様が主人です。これが違うのです。単に見れば分からないのですが、ものすごく変わるのです。ここで信仰生活に差が出て、答えにも差が出ます。私は皆様、私たちのレムナントに2つのことを必ず言ってあげたいのです。福音を正しく知って、祈りを正しく理解するならば、全ては終わるのです。ところが、神様を信じようとする狂信者は多くても、福音を知らないのです。熱心に教会に通う人は多いのに、福音を知る人はいないのです。そして、祈りの祝福を正しく知りません。この二つだけを理解するならば、勝利します。とても重要です。
 
・ヨセフは、どのようにしても気落ちしませんでした。兄たちが、ヨセフを殺そうとしました。それでも、ヨセフは気落ちしなかったのです。奴隷として行きました。それでも気落ちしませんでした。監獄に行きました。それでも気落ちしなかったのです。理由は何でしょうか? それよりもっと重要なことをはっきりと知っていたからです。それが福音です。福音を理解するということは、ものすごいのです。王の座を争ったのですが、なぜ、ダビデは恐れないで大胆だったのでしょうか? このダビデは、王座ではない、これよりもっと重要な神様の契約を知っていたのです。そして、祈りの秘密がありました。皆様が祈りの答えを受けることは、誰も防止できません。皆様の力の中の力が、神様の祝福です。私達が未信者と競争することでなく、祝福をまず受けるのです。これが福音で、祈りです。この祝福を皆様に神様がくださるはずですが、すべての人が受けるようになることをイエスの御名で祝福します。
 
・それで、今日、祈りに対する話が出てきます。今日、皆様がよく見るべきことがあります。イエス様が祈りを多くされました。ところが、事実は、祈りは教えられませんでした。これが重要な話です。イエス様は、祈りを教えられたのではないか? そうです。イエス様は、祈りを多くされました。弟子がきて、こういう話をしました。ヨハネは、自分の弟子に祈りを教えたので、私たちにも教えてくださいと言ったのです。じっとしていても教えてもらえるのに、イエス様にきて、祈りを教えてくれと言いました。だから、イエス様がこうおっしゃられたのです。天におられる私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでくださいと祈りなさいと言われました。このように五つを話されたのです。ところが、マタイの福音書には、同じように出てきます。そこには、もう少し出てきます。みこころが天で成されたように、ということもマタイの福音書には出てくるのですが、ここには出てきません。そして、マタイの福音書には、国と力と栄光が父にあるようにというものも出てくるのですが、ここには出てきません。このみことばは、重要なみことばですが、イエス様がそんなに強調されたのではないのです。その証拠で、その後に何とおっしゃったでしょうか?
 
・友人がきたのに、友人を冷遇できるだろうか? なんの話だと思っていますか? 誰が息子に食べるものを与えないで、損になることを与えるだろうか? 求めなさい。そうすれば、与えられます。さがしなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。と言われました。こうおっしゃられたのです。ここで何を悟らなければならないのでしょうか? 祈りは、とても重要なのですが、より重要なのが答えで、その秘密があるためです。私達が3つのことを知っていれば、祈りができるのです。福音を正しく知っていれば、祈りできます。皆様、旧約、新約聖書の核は何でしょうか? 私たちに救いを下さって、その名を下さいました。それなら、世の中はどうなのでしょうか? 人間は何で、私はだれでしょうか? この部分から知っていてこそ、祈りができるのです。イエス様が今、子どもたちよ来なさい、祈りを教えてあげようと言われたのではありません。弟子達がきて、祈りを教えてくださいと言ったのです。ここで私たちは、重要な部分を知っていなければなりません。私達が救いが何かを知って、世の中が何かを知って、私が誰なのかを理解するならば、祈るしかないのです。皆様、私達が霊的な事実を理解するならば、祈るしかありません。
 
・先週に私が強調しました。皆様の中に入っている傷、背景、福音でない違ったことが、絶対に抜けないで出てくるということを知っていなければなりません。それで、神様がキリストと、それに勝つことができる相当な祝福を下さったのです。これを知らなければ、世の中を生きていくのに、あまりに難しいのです。これから知っていなければならないのです。これを知っていれば、祈りはなるしかありません。それで、イエス様がこうおっしゃられました。 '天におられる私たちの父の御名があがめられますように' これが私達が祈りをしなければならない内容です。この話は、なんの話でしょうか? 今まで私達が仕えてきた迷信のような、そのような神様ではないということです。皆様、少しも揺れてはならないことは、偶像崇拝する、そのような神ではないということです。だから祈りが問題ではなく、それから知っていなければならないのです。皆様がこれからできれば、祈りになるのです。率直に、神様の民は全く恐れる必要がありません。より正確に話せば、神様の子どもは滅んでもかまわないのです。神様の子どもは聖なる子どもなのです。御名があがめられますようにという話は理解するのが難しいことでもあります。
 
・この方たちが、単に歌を歌えば、歌を歌ったのです。この方達は、聖歌を歌ったのです。その話は、聖なる歌です。本がたくさんあります。私達が聞いているこの本を見て、聖書と言います。その話は、区別された本という意味です。聖なるという言葉は、区別されたという意味です。家がたくさんあるのに、神殿と言います。人が多くいるのに、皆様は聖徒だと言います。この物が他の所にあれば、単にマイクですが、ここにあるので、聖物と言います。その単語です。箱の中に入っていたり、檀の中に入っていたり、吉凶を占って見る、そのような神様ではないという意味です。今までイスラエル民族が考えてきた、そのような神様ではないということです。私たちの主人であり、私たちのいのちを統治なさる、天におられる私たちの父なのです。その方が、私たちのお兄さんではなく、私たちの父なのです。イエス様が祈る時、天におられる私たちのお兄さんと祈りなさいと言われたでしょうか? 天におられる私たちの友よ。そのように祈りなさいと言われたでしょうか? この頃、女性を強調する人々は天におられる私たちのお母さんと言うこともあります。その人々は、すこし知らないのです。元々、チョン・チョリという人の詩を見れば、父が私を産んでと言いますが、それが正しい話です。お母さんが産んだので、どのように父が産んだのか? と言うでしょうが、父が私を産んで、お母さんが私を育てたということが法的には、正しい話です。父は皆様の家にいる、そのような父という意味もありますが、相当な意味です。 '天におられる私たちの父よ。御名があがめられますように'
 
・皆様、もし他の宗教で苦労している方達、易、シャーマニズムをしてきた方達は、すこし苦しめられるはずです。全く恐れないように願います。皆様が救われて信じる主なる神様は、そのような神様ではないのです。このようにすれば、罰を受けないか? そのようなことはありません。このようにすれば、私達がもしかして滅びないか? そのようなことはないのです。神様はそのような神様ではありません。聖なる神様です。御名があがめられますように。ある人はグッ(降霊術)をしなければ、罰を受けないのかと尋ねます。占い師がこのように話すのですが、どうしなければならないのかと話します。心配しないように願います。そのような名前ではありません。学生一名が、私に相談しようときました。昔のことです。私を訪ねてきて、悩みを言いました。むかしは、大学に入っていくのが難しかったのです。私が伝道師の時でした。大学に落ちたということでした。それで、私が熱心にしなさいと言いました。悩みがあると言いました。自分の母が吉凶を占ったら、大学に行く運命ではないということでした。そして、父の事業をするほうがよいということでした。お守りをひとつ作ってくれたということです。その子がお守りをつけていました。どんなに考えても、自分は葛藤が生じると言いました。それなら、私は大学には行けないのか? その質問をしようと来たのでした。
 
・それで、私が本当によくきたと話しました。確かに運命があって、四柱推命がある。その占いが本物の占いならば、その話しが正しい。ところが、重要なことがひとつある。 '受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神様の子どもとなる特権が与えられた' 信じる者は、死からいのちに移っています。ローマ 8:2に '罪と死の原理から、あなたがたを解放した' イエスを信じれば終わるのです。その子がイエス様を受け入れました。そして、お守りを捨てたのです。今から祈りなさいと言いました。その子が勇気を得たのです。勉強しろと言いました。落ちれば、私が責任を負うと言いました。それを話しておいて、心配になりました。ところが、合格をしました。医者になったのです。少し前に私を訪ねてきました。成功した医者になったのです。終わるのです。今まで信じた宗教、そのような神ではないのです。教会に通いながら、熱心に信じて、何をするのでしょうか? 福音を正しく知らないのです。
 
・私がタラッパンを始めた時でした。今、私の説教を聞いているでしょう。姑が吉凶を占ってきて、息子の嫁に離婚をしなさいと言うのでした。吉凶を占ったところ、占い師が一緒に住んでいてはならないと言ったのでした。死ぬだろうから、別に住みなさいと言われたのです。これが悪霊のしわざです。その方が、その日、イエスを信じて受け入れたのです。今、私たち教会の執事です。私達が信じる主なる神様が、そのような悪霊、雑神ではないのです。それから知っていなければなりません。 '御名があがめられますように' イエス様が答える内容は、強調されなかったのですが、ものすごく重要なのです。
 
・むかしに私が話したでしょう? 私たちの釜山インマヌエル教会で、太宗対におりて行く道に見れば、いまはなくなったのですが、嶺東上海というのがありました。ものすごく忙しいのです。スーパーなのですが、夫婦がものすごく忙しかったのです。どれくらい忙しいかというと、子ども2名がいたのに真黒いのです。顔を洗ってやることができほどだったのです。このように忙しい人が、夫に任せて親戚の結婚式に行ったのです。どんなに忙しくても、親しければ行くでしょう? 実家のお母さんが、結婚式場にきたのです。お母さんが深刻な顔で、全羅道で吉凶を占ったら、9月にあなたが死ぬと言われたというのです。気分が悪くなりました。ところが、一度もはずれたことがないという有名な占い師だということです。それで夫に話をしたのです。釜山で吉凶を占ってみろと言われたのです。このようにして、吉凶を占いに行ったのです。人々は問題が生まれれば、占い師に行くのです。釜山でも同じ結果が出てきたのです。本当に、この人が不安になったのです。あまりに不安で、占い師がお祓い(グッ(降霊術))をしてみようと言いました。その当時に、二十万円のグッ(降霊術)をするようになったのです。その方の話しによれば、五万円をまけてもらって、グッ(降霊術)をすることにしたということです。
 
・ちょうど、その日です。今は、亡くなったのですが、少し前に、私たちの勧士が亡くなったでしょう? その勧士が、ラーメンを買いに行ったのです。ラーメンを買って、お金を出しながら言った言葉です。単にイエスを信じなさいと話したのでした。この人は、今、普通の問題ではありません。おばあさんに、イエスを信じれば、どのようになるかを尋ねたのです。イエスを信じれば、神様の子どもになると返事をしたのです。だから、この方が深刻なので、神様の子どもになれば、どのようになるかと尋ねたのです。おばあさんが、単に信じなさいと言いました。この人は、明日グッ(降霊術)をするという緊張している瞬間です。私たちの勧士の手をつかんだのです。明日、グッ(降霊術)をしなければならないのに、イエスを信じてもかまわないのかと尋ねたのです。その時、私たちの勧士が、心配するなと言いました。今晩、水曜礼拝から行こうといったのです。 だから、この方が不安で、明日、グッ(降霊術)をして、その後で行ってはだめなのかと尋ねたのです。その時、私たちの勧士が決定的な話しをしたのです。私もむかしには、ムダン(霊媒師)であったから、何の心配もするなと言いました。それは、みなでたらめだということです。今でも思い出します。この女の人にメッセージを伝えたのですが、全身が震えていました。夏でもないのに、汗を流していました。イエス様を救い主として受け入れたのです。その短い瞬間ですが、神様の永遠な計画の中にあったゆえに、短い瞬間ではないのです。神様の娘になったのです。今、十五年が過ぎました。まだ生きています。恐れる必要はありません。皆様が信じる神様は、そのような悪霊みたいな神ではないのです。御名があがめられますようにと祈りなさい。それから、もっと重要な話をされました。神様の国が臨むように祈りなさいと言われました。皆様の家、皆様の子ども、皆様個人に神様の国が臨む時に、暗闇の勢力が崩れるのです。日用の糧を祈りなさいと言われました。この話は、コメを1日ずつを買って食べなさいという意味でしょうか? 食べることを心配するなという意味です。私たちは、ものすごい祝福を受けたから、誤った人を赦しなさいということです。この土地があまりに険悪だから、試みにあわないように祈りなさいと言われました。これが祈りです。どれくらいものすごいのでしょうか? 今日、皆様にこの祝福が必ず臨むようになるはずです。
 
・より重要なのが2番目です。救われた神様の子どもは、当然に祈りの答えを受けることができるのです。その話です。友人がきてドアをたたきます。お客さんがきたから、家にあるパンを分けてくれと言うのです。知ってきたのです。ずっとドアをたたくのに、どうして上げないでしょうか? 私が、ハン・サンベ牧師の家に、パンがあることを知って行って、パンをくれと言えば、どうして与えることができないのでしょうか? あなたが誰だからと言って、寝ているのにきて、そのように言うのかと口に出して言えないのです。当然に起きて与えるでしょう。イエス様の話を知っているでしょうか? どの父が息子がきてお腹が空いたと言うのに食べるものを与えないで、毒を与えるだろうか? 当然に受けることができるのです。皆様が、前のことだけを知っていれば、当然に受けることができるのです。それとともに、このようにおっしゃいました。求めなさい、そうすれば与えられます。さがしなさい、そうすれば見つかります。たたきなさい、そうすれば開かれます。この話が何の話でしょうか? 話を反対に変えて見ましょう。たたかないと開かないということです。どんなに祝福が準備されても探さないとだめなのです。これから皆様は、前の話を理解すれば、ものすごい祝福を受けた人なので、祈れば得ることができるのです。
 
・少し前に、私たちの娘がこう話しました。歩いて通うのがとても難しいから、中古で良いから車を買ってくださいと言いました。学校までバスに乗って行けば良いけれど、とても疲れるということでした。中古車を買うということです。私が何と言ったでしょうか? OKと言いました。私の娘は、私にしてくれることは何にもありません。それでもOKしました。デボラは、してくれる事はどれくらい多いでしょうか? ところが、デボラは、私に靴を買ってとも、何かを買ってとも話したことがありません。なぜそうなのでしょうか? 途方もない祝福を受けた神様の子どもであるから、祈るように願います。この話で、祈りの内容も重要ですが、関係が重要なのです。皆様、何が必要なのかは、神様はご存知です。皆様の祈りの内容より重要なのが、関係です。友人という関係できたのに、どのように冷遇をするのでしょうか? 父母と息子なのに、どのように関係がなくなるのでしょうか? 関係が重要なのです。
 
・契約教会には申し訳ないけれど、これから大きい祝福があります。私が世界福音化の大きな計画を知っているために、ハン牧師を私たちの教会の担任牧師に迎えたのです。教会員が全員一致で、うれしい心でお迎えしたのです。これから、途方もない神様の働きを成し遂げるインマヌエル教会を建て上げて行くはずです。今はすこし、ハン牧師が以前におられた契約教会には申し訳ないのですが、神様の祝福があります。私たちのハン牧師を私たちの教会にお迎えする時、私が電話をしました。その時、私が京畿道で集会する場所にいました。時間がないからこちらに来て下さいと言ったのです。ハン牧師は、なぜ柳牧師が自分を呼ぶのかと長く考えながら来たのでした。ハン牧師が来て言ったことがあります。自分が来ながら、何を間違ったのかと考えながらきたということでした。そうではないと言いながら話をしました。これから、世界福音化のために、重要な神様の計画のために、インマヌエル教会を預かってくださいと話したのです。先生は「ハイ」とも「ノー」ともいわず、祈ってみると言って行きました。私はハイと返事が来ると200%確信していました。重要な理由があります。皆様と私とあの方と、いろいろな福音を伝える方達の間には、福音の契約の中にある関係があるのです。他の理由は、何もありません。福音の契約の中にある関係です。それで、私はそれがすべてを成立させると確信したのです。この話が何でしょうか?
 
・放蕩息子が外に出て、全てのものを浪費して滅んで帰ってきたのです。父が初めて述べた言葉が何でしょうか? 父にしもべとして使ってくださいと言いました。話しにならないでしょう? どのように、あなたがしもべか? お前は私の息子だ。この息子にからだを洗ってやりなさいと言いました。そして服を着せたのです。履き物を持って来なさい。直接、指輪をはめました。指輪は、主権を意味します。そして、祭りを開くようにしました。関係です。関係が回復できる瞬間に、多くの働きがおきます。皆様、祈りの理解を良くしなければなりません。祈りを多くする、しない、そのような水準ではありません。皆様は、神様との関係が、既に子どもです。それで神様の国、御名、こういう部分を理解すれば、あなたがたは答えが来るしかないのです。
 
・三番目です。より重要な話をしました。13節にこうおっしゃられました。 'してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。' ここに、祈りに対する重要な答が出てきました。答えを下さらないでしょうか、ではなく、聖霊を下さらないことがありましょうかと話しました。ここにレムナントがいます。もし皆様が一日に十分だけ静かに黙想できるならば、一般の人の10倍の力が生じるはずです。宗教と福音、関係なくです。神様が人間の脳をそのようにさせられたのです。人間のからだをそのようにさせられたのです。太陽の方向に座って太陽を考えれば、一日に三十分だけ座っていても、あらゆる病気がよくなると言われます。正しい話です。今、太陽の方向に座りましょうということではありません。私の話をよく悟って下さい。どのように、宗教人が祈るのに祈りの答えになるのでしょうか? なるのです。禅僧などが修業に励むのに、どのように得度するのでしょうか? 悟りが与えられるようになっているのです。必ずなるようになっているのですが、それが悪霊の働きだということです。だから、後ほど問題がくるのです。なんの話なのか分かるでしょうか? 私達が祈るということは、聖霊の驚くべき働きを成し遂げる道になるのです。それで、三位一体の神様の秘密、救われた神様が聖霊で皆様と共にいらっしゃるのです。何にも出来ない弟子に聖霊充満を受ければ、力を受けるはずだと言われました。
 
・マルコのタラッパンで、聖霊充満してくださいと祈ったのに、どのようになったでしょうか? 世界を征服するようになったのです。これが祈りです。私はこの契約を捕まえました。率直に、皆様に私は話します。私は性格も急で、いそがしいのです。どれくらい急か、時間がたくさんあるのに、ご飯を五分で食べます。習慣になって、長くても十分です。このようにしてはならないという気がしました。また、私が定刻の祈りを十分程度しかしません。性質が急で、長くもできないのです。その時、何をするのでしょうか? その時に、私が皆、祈らなければならない分野、あなたがたに聖霊のみわざが起きるように、イエスの名前で祈るのです。残りは動きながら、気楽に祈りをします。そのようにするだけでも、みわざが起きます。聖書は正確なみことばです。イエス様がなさった約束が正確なのです。どんな問題が来ていてもかまいません。聖霊充満を受ければ、力を受けるようになります。聖霊充満を受けるためには、最初、福音を正確に理解することです。そして、主の御名、主なる神様が誰なのかを知って、正確に知っていれば、その時から祈れば、聖霊充満するみわざが起きるのです。やさしいのです。それで、こういう結論が出てきます。はじめには祈りをするのですが、後ほどは祈りになるのです。皆様が今、祈るため少しだけ苦闘すれば、後ほど祈りができていくのです。皆様がこういう段階にだけ行くならば、どこに行っても勝利できます。万一、私たち学生達が福音を正しく知って、祈りができる段階になるならば、完全にずっと勝利します。皆様、子どもたちにこの話をしてやらなければなりません。
 
・私の息子に申し訳ないので、今週に言いました。私の息子にカナダに来なさいと言いました。学校を欠席して来なさいと言ったのです。そして、私と一緒にいようと言いました。そして、息子がカナダにきました。一緒にご飯を食べました。そして、秘書にそこにいる間は、私の息子とだけ一緒にご飯を食べるようにしてくれと言いました。カナダでご飯を食べながら、私は何の話しもしなかったのです。私の息子が、食事が喉を通るでしょうか? カナダ集会を終えて、明日、飛行機に乗って行く時に、午後に時間がありました。それで、秘書に頼んで息子と私を釣り場に送ってくれと言いました。そして、あなた達は来ないようにと言いました。釣り場に行って、息子と海を見ながら釣りをしました。一言も言いませんでした。私の息子が異常だと思うはずです。夕方になってご飯を食べる時にも、何の話しもしませんでした。そのまま帰ってきたのです。私の息子に一言だけ言いました。こういう話をしたのです。私は、あなたにすまない。私が三十年間、不思議に神様の恵みで現場を走ったのに、本当に、家庭、あなた達のことを知らずに走った。人々は知らないことです。人々はむやみに、このように、あのように話すだけです。息子と一度も向かい合って座って食事して、対話をしたことがなかったのです。それで、申し訳ないと言いました。私はあなたと食事もして、話もしなければならないのに、本当に良い息子なのに、そのようにすることができなくて申し訳ないと言いました。それで、あなたと食事もしたくて、釣りもしたかった。そのように話して、息子に韓国に来なさいと言いました。韓国にきて話をしました。いろいろな胸にある話をしたのです。私の息子は、胸にある話をしました。私たちは、神様の前で父と息子で、手を取り合って約束をしました。世界福音化のために生きることを約束したのです。その約束をしたので、私たちは誰が何と言っても、父と息子の関係です。それは切ることが出来ないのです。
 
・私達が神様の子どもになったということは、切ることはありえない祝福です。それなら、すこし私達が福音の目だけ持っていても、答えが来るのです。皆様、問題が起きたことを見る時、そのまま見るのではなく、福音の目で見つめることを願います。理解できない人を見る時、福音の目で見ることを願います。皆様、事件を見る時、福音の目で見ることを願います。それだけでも、祈りとなります。礼拝堂にきて、みことばを聞く時、少しだけ神様のみことばを耳を傾けて聴いても、それだけでも祈りになります。事実、私達が一人でいる時間に一日に十分だけ、神様の前に黙想しても、本物の答えがきます。学生達が十分だけ静かに神様の前に黙想しても、キリスト、福音、勉強を考えれば、途方もない知恵が生まれます。そして、現場を考えれば、考えをしてもそれが祈りになるのです。そして、より重要なことは、私が今、この席になぜ座っているのか? この意味を悟っても、祈りとなります。ある長老、勧士は、迫害の中でこちらまで来ています。なぜいらっしゃったのでしょうか? この地球上で、福音の根をおろさなければならないという前提で訓練をしています。これが何の意味でしょうか? 意味だけ悟ってもかまわないのです。こういうものが総合されたことが祈りです。この三番目の部分をよく見れば、祈りの答えがくるようになっています。
 
・最初に語ったのは、祈りの内容です。2番目に語ったのは、祈りの答えを受けるしかない関係です。今日の三番目は、とても重要な、祈らねばならない理由と結論です。聖霊の働きです。私はあなたがたに確実にお話しすることがあります。私が十五年、熱心に伝道していた時でした。十五年、伝道をするのに、何か困難がくるのでした。また、格別なこともないようでした。伝道をしていてよいのかという気がするのでした。ある人は、思い切り福音を伝えて、イエスを受け入れて、名前を書いて、電話番号を書いて確認してみれば、電話番号が違ったのでした。このようなことのために、人生を投資しなければならないのか? そのような気がしました。それも、いつもするのではなくて、少しの間、そのような気がするのでした。それが錯覚でした。今、それ以後に、時間が経てば経つほど、答えを下さるのです。
 
・むかし、福音のためにすこし走ったこと、福音のために献身したこと、世界宣教のために献金したことが、今、ずっと答えで来るのです。この福音を捕まえてすこし祈ったところ、ずっとメッセージが来るのです。その時、私は悟りました。水いっぱいも報いを忘れられないのです。皆様が福音のためならば、水いっぱいも報いを失いません。皆様が神様の子どもであるから、一言も地に落ちないのです。そして、他の部分まで答えがずっとくるのです。本当に驚くべきことです。皆様、少しも疑ったり、気落ちしたりしないように願います。少しも揺れず、福音のために献身すれば、積み重なる答えが与えられるはずです。こういう重要な祝福が、皆様にあることを希望します。この席には、重要な方達が座っています。より重要なことは、皆様個人が神様の前でとても重要な方達です。最高の力になって、最高の大きい神様の祝福を受ける皆様になることを、イエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。真に私たちの生活の中に祈りの秘密が現れるようにされたことを感謝します。神様の子どもであり、答えを受けるしかない重要な関係が回復するようにしてくださったことを感謝申し上げます。今日、イエス様が教えられた祈りが、今日、座っているあらゆる方達に働いてくださることを信じます。私たちの力とできないことが、聖霊の働きで越えるようにさせてください。私たちの無能を聖霊の働きで克服できるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部/ 主のあかしはまことに確かです
(詩93:1〜5)
・今日は、487年前に大きい事件がおきた日です。今日は10月31日です。福音で救われることであって、違ったことで救われないと言ったのです。まさに487年前の10月31日に、マルティン・ルターが主張したのでした。そうしたところ、教会の権力は、マルティン・ルターをそのままおいておかなかったのです。それも、マルティン・ルターに抑圧を加えて死刑宣告をくだしました。死刑宣告を受けたマルティン・ルターは、移動している途中で、ら致されたのです。ら致されて行ってみたら、ある山の中にあるお城の中でした。マルティン・ルターに、その時にここで聖書を翻訳しなさいと言ったのでした。その時、聖書を翻訳したのが、今まで至っているのですが、その時が1517年でした。皆様がおわかりの通り、マルティン・ルターは勝利しました。
 
・私はこういう考えをしてみたのです。マルティン・ルターが宗教改革を起こした500周年になる、その時は、いつでしょうか? 普通 500周年、そのような時、いろいろなことがたくさん起きました。その時は2017年です。私は個人的に、2017年くらいになれば、私たち福音を伝えるタラッパンは、福音で完全に勝利するはずだと考えています。これから、13年くらいあります。その時くらいになれば、ここに座っている長老と私は、みな引退しているのではないかという気がします。年齢がそのようになっているからです。賛美した通り、人生は旅人の道を行くように過ぎます。私たちは今日のタイトルにあるように、信仰の証拠をよく握らなければなりません。
 
・時々、人々が私にする誤解が一つあります。私は本当にそうでないのに、私に高慢だと言います。本当にそうではありません。私は、本当に良い人間なのに、高慢だと言うのです。ところが、そのように話す方達が、ちょっとそうなのです。私が幼い時、私の家の庭を他の家と一緒に使っていました。その当時、韓国は貧しくて、米国から救済品を送ってきていたのです。皆様、今は理解できない話でしょうが、その時、救済品を送ってきたのに、私の家の庭の前で、おとなが救済品の良いのをお互いに取ろうとけんかをする姿を見たのです。その時、私は小学校一年か二年でした。どんなに私が幼くても、恥ずかしいという気がしたのです。あのおとながする行動が、本当に恥ずかしかったのです。それで、不思議にその次の日、その方に会っても挨拶したい心が生じなかったのです。そうしたら、その方たちがうわさを立てて、私は高慢だということでした。そのように聞いたことがあります。
 
・もう一度、衝撃的に聞いたことがあるのですが、釜山で私たちのタラッパンではなく、前に牧師たちが集まって次の会長は誰にするのか、書記を誰にするのか、総務は誰にするのかと相談をしました。私が間違っていたのかは、わかりませんが、それがそんなに貴重だという考えにならなかったのです。単に会長になればなって、ならなければしなければ良いので、それを持って、そのように集まって、いつも努力して、お金を使う理由があるだろうかと思っていました。それで事実は、私がそこに行くのがいやでした。教会でもすることが多くて、伝道する所も多いのに、敢えて必ず行かねばならないのかと思って、私が一度だけ行って、あとは行かなかったのです。そうしたら、すこし時間が過ぎたら、うわさが聞こえてきて、柳光洙牧師はとても高慢だから、ちょっと何とかすべきだとうわさが立ったのです。本当に、私はそんなに高慢ではないのに、私が見るのには、それほど必要ではないと思ったからで、高慢だからする、そのような性格ではないのです。一度は、またある重要な方が、米国からいらっしゃって、私の部屋に来ていただくことになりました。それで、その方が来られるので、私が重要な方だと思って、祈りをしたのです。祈りをしていたら、印象がその人にとっては、ちょっと良くなく見えたようです。祈っていれば、人は慎重になるでしょう。この方は、私が祈っていることを知らずに、自分を見て気分を悪くして帰っていきました。帰りながら長老に残したメッセージが、牧師はとても大きな事をされるせいか、高慢だと話しをして行ったのです。そのように、私の生涯で大きく三回、高慢だという話しを聞いたのですが、今でもお話しするけれど、高慢ではありません。
 
・すこし私の印象は、そのようです。私がソウルにきて、キム・チャンイ牧師の印象を見て、牧師はあのようにすべきだと感じた方がいますが、ソウルに来て、キム牧師を見たら、顔だちがよかったのです。むかしにソウルに来て、チュンヤン教会に行ってみたら、その方が講壇に立ったのに、本当にハンサムで、天使のようでした。説教をしながら、せきをして、水を飲みながら歌を歌ったのですが、上手になさいました。私がその時感じたのは、牧師はあのようになるべきだなということで、私のようになれば、本当に誤解されるなと思いました。私はそのような考えをしながら、ある日、聖書を見ながら、聖書で証拠を握ったのです。本当に幸いなことがひとつあります。この聖書で、どうも私が罪人だということを知るようにされたのです。そして、キリストを与えられた理由を知るようにされました。私はこれまでだけでも、事実は高慢ではないと考えていたのですが、聖書を見ながら、私が実質的には高慢だということを知りました。しかし、幸いなことは、この聖書みことばが、とても正しかったのです。そして、それから、私が今まであった葛藤や、会話で通じなかったことが、みなつながるようになったのです。私は聖書を知る前には、伝道もとても難しかったのです。聖書を知ったら、伝道もとてもやさしいというとを知るようになりました。私は、以前にも話したでしょう? 私は、高慢ではなく、元々恥ずかしがり屋の性格です。私は、どこに行っても、独唱をさせられれば、これからもできないし、させられても私は震えてできません。こういう性格なのに、どのようにすることができるでしょうか? ところが、どのように私が伝道をするのでしょうか? 私が人の家に行って、イエスを信じなさいと言うことはできません。ほとんど一日中いても、私が人々に話しもよくできません。こういう性格なのに、聖書を見たら、所々に集まって聖書勉強をしていました。これが伝道だな! それで、とても体質によく合ったのです。それで始めたのがタラッパン運動でした。とても聖書が良かったのです。それとともに、私は生きがいを感じ始めたのです。私達が歴史を勉強する理由は何でしょうか? 証拠を捕まえるためです。教会史を勉強する理由は何でしょうか? 証拠を捕まえるためです。信仰生活は、無条件にすることではありません。今日もあなたがたは証拠を捕まえなければなりません。
 
・ジョン・バンヤンという人が、福音を伝えている途中で捕まりました。16年という刑を受けたのです。ジョン・バンヤンはこの時、揺れませんでした。確かに神様は伝道者と共におられ、私が福音を伝えるのに、なぜこういう事が生まれたのだろうか? 16年、監獄にいなければならなければ、私の若い青春を全部送ることになるが、これがどのようなことか? たとえ監獄の中に入って、罪人の取り扱いを受けても、ジョン・バンヤンは、契約をのがさなかったのです。皆様、信仰生活でこれが重要です。証拠を捕まえなければなりません。確かに神様が迫害される者と、伝道者と共におられるのではないでしょうか? 皆様がおわかりの通り、このようにして書かれた本が、天路歴程です。全世界に聖書の次にたくさん売れた本です。証拠を捕まえましょう。今日、あなたがたが信仰生活を単にするのではなく、証拠を捕まえる、そのような祝福の日になることを願います。
 
・私達がどのように信仰生活をすれば良いのでしょうか? 最初です。勝利したあらゆる人、あらゆる信仰人は、全部、証拠を捕まえました。皆様がどんなに揺れて、困難を受けても、神様の契約は変えることができないために、勝利した人々は、全部、証拠を捕まえているのです。あなたがたが今日、これを捕まえるならば、全てのものの解釈が変わります。どうして、ヨセフが揺れなかったのでしょうか? 契約を捕まえて、証拠がありました。これは強い信仰ではありません。証拠を持っていたのです。証拠は神様の契約と一緒にあるために、変わりません。皆様がどのようなことにあっても、証拠を捕まえましょう。みことばの証拠を捕まえましょう。皆様、今、信仰生活をする方達も、単にするのではなく、牧師、長老、執事、みなあるでしょう。そこに対する証拠を捕まえましょう。皆様の中で、困難を受ける方がいるでしょうか? この時、聖書は何と言っているでしょうか? 証拠を握りましょう。それが信仰生活です。私たちは既に1部で話したように、あらゆる答えをみな持っているために、それを握ることが、私たちのすることです。それで、私たちは説教をしばしば聞いて、聖書を見るのです。皆様の中で、こうすべきか、ああすべきか、こういう方はいるでしょうか? このような時、聖書は何と言われているか? それを見て握らなければなりません。勝利した人々は、みなそのようにしたのです。
 
・ヨセフは、この証拠が明らかだったゆえに、どんなことが来てもかまわなかったのです。どのように、何にもできない八十才の老人が、イスラエル民族を連れて出てきたのでしょうか? 神様がモーセに力を与えられたのではなく、証拠を与えられたのです。ですから、その証拠を捕まえたモーセに、神様の力が現れたのです。皆様、どのようにして、困難の中にダビデが倒れないで通ったのでしょうか? ところが、私たちは錯覚しやすいのです。ダビデを信仰が良いと見るのです。もちろん、信仰が良かったのです。しかし、私はそのように見ません。ダビデは明らかな証拠がありました。すると、皆様も証拠が明らかならば揺れないのです。パウロが死をどのように恐れなかったのでしょうか? 証拠があったからではないでしょうか? '恐れてはならない。パウロ。カイザルの前に立たねばならない.' この証拠がありました。だから、死が来ても、どんなことが来てもかまわなかったのです。今日の本文にあるように、私たちは証拠を持って行くのです。
 
・皆様、もし時間があれば、ヘブル11章を読んでみるように願います。ヘブル11章には、旧約の人物を紹介しています。それとともに下ろした結論があります。 '信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。'. 私たちの目には見えないのですが、それが証拠です。それが虚像でなくて実像です。それで勝利したのです。それを話しておいて、名前、人物を紹介しました。それとともに38節には 'この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした' 皆様、今からでも大小のこと、皆様の人生に証拠を握らなければなりません。私は約束できます。答えが来るか、来ないかを見ましょう。私たちは祈りを多くして、熱くなると、答えがくると考えるのですが、そうではありません。この契約を握っていれば、確かにその時から働きが起きます。初代教会を見ましょう。パリサイ人は、初代教会を見くびりました。教会が貧しい人々、足りない人々、おかしな人々、霊的に苦しめられた人々がきています。パリサイ人は、とてもバカだけが集まったように見たので、思いきり踏み潰したのです。完全な乞食だけが座っているかの様に見えたのです。誤って見たのです。イエス様が何と言われたのか知っているでしょうか? 世の終わり日まで、いつもあなたがたと共にいます。ハデスの力があなたに勝てない。神様の国がなされるはずだ。聖霊充満を受けて、世界を生かすに値する証拠が起きるようになるはずだ。この証拠で集まった人々が、初代教会です。どんなことが行われたのでしょうか? ですから、あなたがたは、信仰生活を違うようにせず、今から証拠を握りましょう! どんなに立派な人も違った証拠は違ったことであって、弱い人でも、正しいことは正しいのです。だから、この証拠を正しく捕まえた人が、聖書のパウロです。ですから、失敗できないのです。
 
・ところが、人というのは、困難にあうと、少しずつ揺れることもあります。このようになることがあるでしょう? 聖書から、福音で救われる、その一言を言ったのに、カトリックで反対して、マルティン・ルターを殺そうとしました。皆様がよく知っているでしょう? その時、マルティン・ルターが、こう話しました。弱くなったのです。一週間だけ余裕をください。カトリックでつけた罪名が、向こう見ずで自分たちに挑戦したから、その話を取り消せば生かして、取り消さないと死刑だということです。そのような時、大胆に私は取り消すことができないと言わなければならないのに、怖がったのです。怖がったので、マルティン・ルターが述べた言葉が、一週間だけ余裕をくれということでした。私はマルティン・ルターが立ったその場、その教会堂に行ってみました。木材でよく建てたドイツの教会でした。これでマルティン・ルターが気落ちして、一週間後に裁判を受けに行くので、ふとんをかぶって横になっていました。皆様がよく知っているでしょう? 外で不思議に人が死んだような声がして、曲が流れてきました。マルティン・ルターが驚いて、誰かが死んだのかとたずねたのです。静かに聞いてみたら、自分の奥さんが泣く声でした。本当に不思議です。なぜ、誰が死んだのかと扉をあけてみたら、自分の奥さんが喪服を着て泣いていました。
 
・皆様がよく知っている有名な事件ではないでしょうか。マルティン・ルターがたずねたのです。誰か死んだのか? 死んだと答えました。誰が死んだのか? 神様が死んだ。マルティン・ルターの奥さんがそう言いました。だから、私が泣かなければならないのです。その時、ルターが話しました。どのようにして、神様が死ぬことができるのか? その時、奥さんが言った言葉です。どうして、あなたは気落ちするのか? 神様が死んでいないのに、確かに神様は死んでいないし、みことばは生きているのではないか? その話しに、ルターが勇気を得たのです。そうだ。神様は生きておられる。聖書のみことばは、今でも生きて働いている。その契約を捕まえて、その証拠を捕まえて行ったのです。世界史が変わる事が行われました。皆様がおわかりの通り、マルティン・ルターが法廷に立って述べた言葉ではないでしょうか? 私はそれを取り消すことができる、できないではなくて、私は今、ここに神様の前に立った。嘘をつくことができない。ですから、変えることができないと言いました。それで、そこですぐに死刑宣告がくだされたのです。マルティン・ルターは死んだでしょうか? ドイツとヨーロッパがひっくり返されました。世界がひっくり返ったのです。今日、皆様が証拠を捕まえる日になるならば、驚くべき働きは、これから起きるようになるはずです。
 
・私は15年前にこう話しました。神様は、この契約を捕まえている者に、多くの伝道者を付けられます。そうです。これは高慢ではなく、確信です。だから、それほど福音でない人々が何をしてくれても、別に感動を受けません。これは高慢ではありません。私は確信です。結局、福音でないことは失敗するようになっています。失敗することに、私がなぜ投資をするのでしょうか? 皆様が、人生を正しく活動する日があまりありません。ところが失敗する所に投資をするのでしょうか。確実な証拠があります。今日から証拠を捕まえましょう。まちがいなく勝利します。
 
・すると、この多くの証拠の中で大きい2番目です。どんな証拠でなければならないのでしょうか? これが重要です。証拠を捕まえるのに、いくつかのことは必ず参考にしなければなりません。私の過去と契約。そこに対する証拠を握らなければなりません。私は難しい時期に育って、多くの困難を見ました。私は私の母が私たち息子を育てながら、ただ祈りだけ、ただ福音だけ、ただ教会だけ、ただ献身だけ、ただ献金だけをしたことを見ました。私はそこに対する契約を確かに見たのです。皆様が、単なる契約ではなく、皆様の過去があります。そして、私たちの傷があります。これは、ヴィジョンを見ない以上、無くなりません。ヨセフが、その多くの傷を負ったのに、どのように勝ったのでしょうか? 驚くべきヴィジョンを見て勝つことができたのです。今回の核心の時、私がそのような話しをしました。ヨセフは、ものすごい傷を負ったのです。もし福音がなかったならば死んだでしょう。ヨセフは途方もない暴力にあいました。家庭で兄たちが殺そうとして、家庭暴力を受けていたのです。ですから、どのようになるでしょうか? 兄たちが、本当に殺そうと水に入れたのに、水がなかったのです。それでやっと生きのびて、奴隷へ行ったのに、その家でみわざが起きました。
 
・ところが、その家の女の人がヨセフをずっと困らせたのです。ポティファルは、親衛隊長です。軍隊の長官です。少なくとも、年齢が何歳くらいになるでしょうか? ポティファル将軍は、年齢が少なくても、たぶん私より上でしょう。私たちのここにおられる長老達のように年をとっていたら、六十くらいでしょう。皆様、国防長官で、軍隊長官です。すると、六十か五十五才以上です。すると、その妻は何歳になるでしょうか? むかしには、女の人は、年が若くない場合が多かったのです。少なくとも、五十五才以上です。その時、ヨセフは何歳でしょうか? 十六才か、十七才だったのです。十七才になった子どもを見て、この老いた女性が毎日、誘惑したから、普通の問題ではなかったのです。人が信仰を守って逃げようとするのも、ちょっと良い女性がそれてこそ気分が悪くないのですが、それをセクハラ(性暴力)だと言います。ヨセフがどれくらい気持ち悪く思ったのか、服を脱いで逃げました。元々、そのような問題は、逃げなくても良いのですが、あまりに気味が悪くて逃げたようです。その問題で、ヨセフが汚名を着せられて、監獄に入れられました。これは権力の暴力です。死ぬしかありません。どのように死ななかったのでしょうか? それより大きいヴィジョンを見たのです。皆様、そこに対する証拠があったのです。それが創世記37章です。ゆえに勝つことができたのでした。皆様、私たちは霊的問題を誰でも持っています。それをそのまま置いておくと、どんどん深くなるということを知っていなければなりません。それで、福音の証拠で解決しなければならないのです。
 
・すると、三番目に、私たちは、今からどのように信仰生活をすれば良いのでしょうか? どのように証拠ですればいいだろうか? 最初は、確信です。今日の本文に出てきました。主なる神様の主権、力は堅固です。今日、見ると、大きい波、水の波より偉大な神様の力です。誰が神様の力に勝つことができるのでしょうか? 私は、私たちレムナントと聖徒達のために、このように祈ります。皆様の子ども、私たちの子どもが、神様の祝福を受けるのに、勝つ力があるでしょうか? 私たちの長老達、役員が、神様の祝福を受けるのに、それに勝つ力があるでしょうか? ここに対する証拠です。皆様、この証拠を少しだけ見れば、揺れません。皆様、病んだ人々のために祈り、答えを受ける時、証拠が生まれます。
 
・2番目です。どんな証拠でしょうか? 神様の聖なることが当然で、とこしえだと言いました。1部にも話しました。聖なること。私は現場に行ってみました。もし他の宗教の方達が、私のメッセージを聞くと、気分が悪いこともあるでしょうが、気分を悪くせず、よく聞いてくださることを願います。全く同じではありません。あらゆる宗教は同じです。福音は宗教ではないのです。それで、この聖なることがとこしえなのです。ここに対する証拠があります。それで、どんな方でも、そこに対する証拠、反対のものがあれば教えてくださるように願います。本当に赦してくださるように願って、私が今、ずっと易、シャーマニズム人にメッセージ送っています。これから、僧侶にも送るはずです。全く気分悪くなく、その方が持っている問題を手助けすると聖書のみことばを送っています。皆様、福音は宗教ではありません。文化手続上、区分するから、宗教であって、宗教ではありません。ここに対する証拠があります。皆様がそれを探すように願います。ペテロがそれを見ました。 '金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい.' 働きが起きました。その後に述べた言葉が何でしょうか? '世界中で、この御名の他に救われるべき名としては、どんな名も与えられていない'
 
・これがどれくらい独善的な話でしょうか? 多くの宗教人は、みな必要なくて、これだけが正しいということでしょうか? そうです。しかし、そのような話ではありません。あらゆる宗教は良いことを教えて、助けてくれますが、原罪問題とサタンの問題、地獄問題を解決できないのです。その中で証拠を出せることあります。原罪問題を解決できるか、できないかの証拠を出すのは大変です。それは死んでみれば分かることであるから大変です。私たちに起きる呪い、災い、地獄の事実は、聖書のみことばでなく、証拠を出すのは難しいのです。ところが、ひとつは証拠を出せるものがあります。サタンの働きです。ところが、皆様、あらゆる宗教人を集めて、本当に霊的に悪霊につかれた人々に対して行ってみましょう。解決できないのです。違ったことは行ってみてこそ分かりますが、これだけはこの世で証拠できます。ですから、ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい。ここに証拠を少しだけ見た人ならば、ずっと働きが起きます。私は見ました。僧侶が30年間、悩まされていたのですが、イエスを受け入れて解決しました。てんかんで倒れた幼い子どもが、イエスを受け入れながら癒されました。私は霊的問題で生涯、苦しんでいた人が、イエス・キリスト、この秘密を知りながら解決することを見たのです。主の聖なることは、とこしえです。皆様、ここに対する体験がすこしある日から、その時からは答えがずっときます。
 
・この祝福が皆様にくることが明らかです。それなら何でしょうか? あらゆる生活、職業の中に、仕事の中で証拠を探すのです。すると、信仰生活にずっと勝利します。皆様の中に、本当に問題がきたのでしょうか? 聖書の中に時代的なメッセージを握りましょう。それが証拠です。皆様に大きい問題がきたのでしょうか? 聖書の中に大きいメッセージを握りましょう。皆様の夫が異常でしょうか? 聖書には、何となっているのでしょうか? 私の夫がおかしなことをして、浮気をして、ギャンブルして、殺さねばならない奴だと言うのですが、聖書には、どのようになっているでしょうか? その証拠を握らなければなりません。ホセアは、自分の妻の問題で、時代的なメッセージの答を握りました。ホセアは、それゆえに時代的な答えを受けたのです。ですから、今日、あなたがたが神様のみことばを、私が複雑に説明しているけれど、簡単に話して証拠です。自分の職業が何で、この時、聖書は何となっているのか? 自分の年齢は何歳なのに、この時、聖書には何となっているか? こういう状況の中では、聖書は何と言っているのか? 私があまりに答えを受けて、祝福を受けるのに、このような時、聖書はどのようにしろとなっているのか? 私に問題がきた。この時、聖書は何となっているのか? 私は1部にも話したのですが、すこし伝道して、すこし祈ったのに、どれくらい多くの答えが来たか、この契約に対する証拠を捕まえました。それで今日、あなたがたが、自ら証拠を捕まえてくださることを望みます。
 
・例えば、事業をする方達ならば、聖書の中で事業家がいるでしょう。そこに対する証拠を捕まえましょう。ですから、プリスキラ、アクラ夫婦とか、ガイオがどのように成功したのか、深く見る必要があります。また、ここには公務員もいます。すると、ヨセフやダビデのような人はどのようにしたのか? それを証拠と定めるのです。ここには、主のしもべもいます。すると、パウロ、テモテは、どのようにしたのか? その証拠を捕まえましょう。そうすれば、答えがくるようになっています。よく打込まれた釘の上にイスラエルのあらゆる栄光がかけられます。皆様が捕まえた証拠の上に全てのものがかけられるのです。
 
・結論を結びます。皆様がこの証拠を正しく成し遂げるために、一つは参考にしなければなりません。基本的なことは、他の人より良くしましょう。なぜでしょうか?神様のものすごい証拠を証拠するために、職場に行けば、上手にやらなければなりません。なぜなら、未信者はそのようなことを見て、しばしば話すからです。皆様が今、世の中的なこと、こういうことは上手にやらなければなりません。それで、皆様が世界福音化、ものすごい祝福、これを正しく説明するために必要です。それで、私は青年達に会えば、そのように話します。仕事を10倍にしなさい! 私はある日、こういう事がありました。私がいた教会が地下にあって、上の階は礼拝堂でした。地下におりて行けば、部屋がひとつありました。私は教会の仕事をしているのに、たまたまその時が、11月くらいだったのです。牧師もおられるとは知らなかったのですが、牧師もおられ、長老達もいました。私が伝道師を初めてしていた時だったのですが、長老たちが相談する話を私が聞いたのです。何の話をするかというと、教役者の謝礼問題に対して話しているようでした。たぶん、そこに対する心配をしているようでした。私はそれを聞きながら、相当な覚悟をしたのです。教役者が、これで良いだろうか? 教役者が、信徒にとって価値に対する心配をするようにさせて良いだろうか? これは自尊心の問題です。これは力の問題です。私がその時から人の前ではありませんでした。こういう心配を信徒に対しておよぼして良いのか? それも他の心配ではなく、自分の存在、価値の問題を。それで私は教会に行って最善を尽くしたのです。
 
・私は、私たちの子どもに話して、レムナントに会えば話します。未信者がお金を自分のものにしようとするなら、十倍に仕事をしなさい。あなたなしでは、絶対にだめだという気がするようにしましょう。これは基本的なのです。私たちはものすごい証拠を味わって話さなければならないのに、一部に引っかかることがあります。こういうことは、早く走って越えなければなりません。皆様、世に行って勝利するしかないのに、今日、この契約を捕まえて、本当に勝利することを願います。この証拠を捕まえれば、どんどん驚くべき働きがおきます。パウロは死んだ後に、より大きいみわざが起きました。モーセが、わたしがあなたに証拠を与える。出エジプト3章を読んでみましょう。そして、あなたここに立つ、これが証拠になるはずです。そして、イエス様が何とおっしゃったでしょうか? '地の果てまで証人になります.' その話は証拠を持った者ではないでしょうか? パウロがテモテに何と言ったのでしょうか? 多くの証人の前で聞いたことを話しなさい。今日一人ももれなく、証拠を捕まえて、これから答えがおきることを証しするしかない祝福があふれるようになるはずです。その祝福があることを、イエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様、感謝申し上げます。今日、私達が証拠を捕まえて行く日になるようにさせてください。これから、神様の証拠のみことばを捕まえて祈る私達になるようにさせてください。そして、今日、聖書にあるとおり真の勝利する証人になるようにさせてください。この時間に、ひとりももれなく、聖霊で心に訪れて、あらゆるしもべの頭の上に神様の御手を当ててくださって、癒してください。霊的な病気が癒されるようにしてください。肉体的な病気が、聖霊の火で癒されるようにしてください。キリストの血で洗われるようにしてください。あらゆる暗闇と悪霊は、イエスの名前で離れるようにしてください。この時間に天の門を開けてください。今日、礼拝して、みことばを受けるしもべが、証拠の後に天の軍隊を動員される驚くべき働きが起きることをお祈りします。それで必ず来る答えを見る証人になることをお祈りします。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン