2004年12月26日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 貧しい金持ち
(ルカ12:13〜21)
   
■ 2004年最後の週を私たちは迎えました。人々が行く所で、難しいという話をしています。会社も難しくて、宣教団体もむずかしいと話します。私たちタラッパンには、三つの団体があります。協会、総会、21世紀があります。ところが、神様の恵みで、私たちは倍に復興しました。それで、神様の人々が祈りをより多くすべきなのです。
 
■ 私が見る時は、難しいのではなく、変わって行くのについて行けないのです。今、目に見えないで多くのものが変化しています。北朝鮮は、私たちより33倍貧しいのですが、理由は、変化しているのについてくることができないからです。私たちより色々な面で難しいのですが、その部分を悟ることができなければ、ずっと難しくなるはずです。私達が日本より貧しいのは、日本より変化について行くことができないからです。20世紀を動かした100人を選んだのですが、70人が米国から出てきました。70人で米国は世界を動かしたということになります。無条件に先んじたのではなく、変化する部分によくついて行ったのです。私達が今、契約を捕まえて祈るなかで、神様の計画を新しく発見すべきです。
 
■ 私たちは時々、混乱を陥ります。他の見方をすれば、世の中がものすごいように見えることもあります。私は良くならないように見えたり、私が小さな存在のように感じられることもあります。もちろん、そうでしょうが、ある時は気落ちしてはなりません。誰にでも、そのようなことがあります。社会に出てみれば、すごいと見えます。私は教会で礼拝をささげて、他の建物を見れば、すばらしい、どのようにこのように建てたのかと考えます。
 
■また、私たちの学生達も、教会にいて、外に出てみれば、すごいように見えることがあります。このように、混乱に陥ることがあるのです。どれが正しいのか知らずに、紛らわしくて、多くの損をこうむることがあるのです。
 
■ 今日、私たちは聖書を通じて三つの種類の人々を理解すべきです。今日、イエス様に会ったひとりの人の話が出てきます。イエス様に自分の兄が財産をみな持って、私にはくれないから、分けるように話してくれと言います。イエス様がわたしは裁判官か、そのようなことする人なのかと話される内容です。それとともに、イエス様が比喩をからられます。あるお金持ちがいたのですが、多くの財産を集めて、農作業をしました。農作業をたくさんして、お金をたくさん儲けたので、これをどのようにしなければならないか? それで、倉庫を大きくして、穀物と財産を集めたのです。それで、私は本当に安心だ。お金をたくさん集めたためだ。本当に平安で、とても幸せだ。ところが、その日の夜、神様がその命を取って行かれたら、どのようにするのでしょうか? ここで私達の言葉で言うと、神様が呼んで行かれたら、どうするのかというべきなのに、いのちを取り去るというように言われました。おもしろい表現です。取り去るということは、少しの間、送ったが、また持っていくということです。すると持っているものは、みな誰のものになるでしょうか。こういうみことばをイエス様がなさったのです。
 
■ 私たちは一年を送りながら、この部分に考えをいくつかすべきです。世の中のものを持っていて、それのために生きているが、真の祝福を知らない未信者がいます。そのような本文です。今日13節、15節を見ると財産の争いをしています。なぜ私の兄が、我家の財産をたくさん持って行くのかということです。そのような 話です。財産の争いをする家族と人々は多いのです。これは東洋でも西洋でもまったく同じです。多くのものを取ろうとして、犯罪もします。その程度ではなく、ある男の人は、保険金を取ろうと奥さんを殺すこともあります。その程度ならばかまわないのですが、財産を持っていこうと親も殺すようになりました。親に財産を出しなさいと言ったのに、くれないから殺した。結局は、見つけられるそうだから家に火を付けた。火事になって、死んだようにしようと、細工をしたのです。より大きい怖い犯罪になるのです。
 
■ 教会も見れば、争っている教会は、財産の争いをします。今見れば、大きく戦うとニュースに出て、新聞に出た教会を見れば、おもにお金のことで争います。そのようにする理由がなにかは知りませんが、しばしば、お金の問題で争って告発することもあります。このように流れるのです。お金をたくさん持った金持ちは、倉庫に穀物がぎっしり蓄えられました。私たちの言葉でいうと、お金さえたくさんあれば、生きやすい。皆様が お金をたくさんもうけるならば、本当に生きやすいという気がするでしょう。今夜に神様がそのたましいを取り去られれば、どうするのでしょうか? 今日の21節を見ると '自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。'. こういう人もいます。世の中で多くのお金をもうけ、たくさん熱心にしても、霊的には貧しい者。こういう人もいます。私たちは知って祈らなければならず、私たちはどのように生きるべきか、答を探さなければなりません。世の中の人々が、ほとんど知らずにいます。私がお金をたくさんもうけて、たくさん所有すれば幸福だと思っています。ところが、霊的に問題がくることは知らずにいるのです。ほとんど知らずにいます。こういう部分を置いて祈りながら、なぜエリートを福音化せねばならないのかという課題が出てきます。
 
■ 昨日、そのような話をしました。長老の娘なのですが、信仰の深くなかったのです。単に教会生活を熱心にして聖歌隊をしていました。そして、とてもきれいだったのです。ソウルまで来て、ミスコリアに選ばれました。勉強を多くして、家系も良く、顔だちがよいのに、ただ一つだけだめでした。元々、教会も、父も、本人も、福音に対する内容を知らなかったのです。ところが、こういう信徒が多いのです。こういう人々は、世に行けば勝てません。まったく困難になってしまいました。ミスコリアになってしまったので、あちこちから連絡が来て、大騷ぎが起こったのです。以前になかった事が行われました。親も、本人も、正常な感覚でなくなったのです。記者も訪ねてきて、新聞社も来ます。モデルになりなさいと大騷ぎが起こったのです。福音が 入っている人ならば、応用するはずなのに、浮き立ってしまったのです。それで、ある財閥の家の三番目の息子と結婚したのです。完全に滅びてしまいました。滅びた程度ではありません。本人が話すのには、私が長老の娘でなければ、自殺をしたでしょう。本当に父に孝行もできなくて、父の名前を汚すかと思って耐えたということでした。留学に行ったのですが、それは言い訳でした。勉強もしません。完全に崩れたのでした。ところが、幸いにそこで、そのようにも価値がないかと思っていた福音を聞いたのでした。
 
■ 私たちは、今、多くのお金を儲けたこと、それが誤っているということではありません。あまりに知らずにいることです。カーネギーという人は、こう話しました。とても正確な話ですが、あまりに知らないで言ったのです。カーネギーという人が、人生論を話してこう話したのです。私達がお金を好きなように儲けて、使うことができれば、70%の問題はなくなると言いました。正しい話しです。ところが何%は問題が残るとカーネギーが話しました。
 
■ その話しは正しいのですが、私はそのように思いません。お金を好きなように儲けて、使えるならば99%が解決するはずです。しかし、人間に迫る1%の霊的問題は、解決できないのです。必ず迫るようになっています。それで、神様を知らなくてお金をたくさん持った人が、なぜ持ったのかを知らずにいるために、霊的な問題が迫るようになっています。それで、むかしから土地をたくさん持った人々の子どもが、精神がおかしな 人が多く出てくるのです。その霊的問題を知らないためです。そして、財閥の家の子どもが自殺をして、交通事故が起こる、おかしな場合がとても多いのです。それは、迫る1%の霊的な問題を知らないからです。それがないとしても、そのようにも人生を投資をしたのに、今夜に神様が呼んで行かれたら、誰のものになるでしょうか? また、たくさんもうけて、幸福に長生きしたとしましょう。霊的に乞食であることだけは確かです。真の幸福はありません。
 
■ むかし、私たちが幼い時、世の中の大金持は米国のフューズという人でした。その時、私は小学生の時でした。世界で一番お金が多い人が誰か?というと、米国のフューズという人でした。この人が、お金がどれくらい多いのか、本人も計算がよくできないというほどでした。この人に深刻な病気がきたのです。からだは異常がないのに、うつ病になったのです。お金をそれほどたくさん儲けたならば、どんな医者でも呼ぶことができるのに、なぜそうなのでしょうか。うつ病になるので、精神が狂ってしまいました。秘書がきて、ドアをたたけば、すぐに開くことができなくて、穴から見ながら、秘書なのか、秘書が凶器を持っていないかどうかを確認をしてドアをあけたということです。フューズという人は、外出が全く出来なかったということです。もし私が行けば、誰かが銃を射って殺せば、どうするかと言ったということです。おかしいことに、新聞に出た記事を見たら、この人は服が二着しかなかったということです。どこにも行かないから、着るものもないのです。それでぶるぶる震えて、精神病で死んだのでした。どのように考えるでしょうか。たくさんもうけようとがんばったのに、ただ一つだけ知らなかったのです。それで、ラオデキヤの教会にこのように言われます。あなたが、良い服を着て生きているといっても、あなたは霊的に乞食のようだ。この目薬を目に塗って、目覚めて見なさい。あなたは霊的に完全にぼろを着ている。それしか仕方がありません。
 
■ 皆様がおわかりの通り、喫茶店等にチャップリンと書かれているものがあるでしょう。その人は、世界的な喜劇のチャーリー・チャップリンという人です。その人が出てくる時、笑わせる姿を多くしました。世界で一番笑わせた人です。下のズボンはズルズルするように履いて、上はぴったりとつくように着ていました。え見る写真がそのような姿です。帽子をかぶって、だぼだぼなズボンに、ぴったりなジャケットを着て、全世界人を笑わせました。人々がチャップリンが出てくる、そのような映画を見たのです。チャップリンが出てくる映画をたくさん見なさいと医者が紹介をしたそうです。ある日、深刻な患者が訪ねて来たのですが、その人にもそのように話したのです。うつ病は、直す道がないから、楽しい考えをして、たくさん笑わなければならないと言いました。わが国で出てくるチャーリー・チャップリンの映画も見なさいと言ったのです。それで、いう話が、私がチャーリー・チャップリンだと話したということです。本人がうつ病になって、病院にきたのでした。
 
■ 私たちは今、多くの重要なことを見て、多くのことを悟らなければなりません。今日、この本文には何を話しているのでしょうか。それより、より重要なこと、本当に福音を持った人がどれくらい重要なのかということです。たとえ持っていることはなかったのですが、イエス様の弟子12人が世界を征服しました。財閥ができない働きを70人のメンバーがしたということです。こういう多くの証拠を話しているのです。使徒2章を見れば、とても貧しい人々が集まったのに、その人々が恵みを受けて、福音を持ってローマまで変化させました。どちらがよりよいでしょうか。使徒3章を見ると、足のきかない者が、どんなことでもよくならなかったのに、福音を聞いて立ち上がりました。使徒6章を見ると、救済の対象者が集まったのに、彼らが恵みを受けて、エルサレムとユダヤとサマリヤ、地の果てまでみな生かしたのです。比較できない祝福です。私たちは、この部分を見ながら、神様に感謝しなければなりません。使徒8章を見ると、中風患者、悪霊につかれた者が、どんなことでも直すことができなかったのです。イエス様が、こういうたとえを話されました。良い生活をしていて地獄に行った人と、良く暮らせないが天国に行った人がいる。どちらがよいか? この程度まで、たとえを言われたのです。
 
■ 今日、私たちは2004年を送りながら、新しい目を開かれるべきです。さっと見れば理解が良くできない本文です。しかし、もう一度ご覧になるように望みます。神様も知らずに、お金だけもうけていて、死ぬのです。霊的な祝福も知らずに、世の中のことだけつかまえていて死ぬのです。私たちの青少年、レムナントが、それを見てすごいことのように理解しています。今夜にあなたのたましいを神様が取り去って行かれたらどうするのでしょうか。正しい話しではないでしょうか?
 
■ 以前に、私がこう話しました。私たちの教会を迫害して、周囲で非難をしました。周囲の教会が、私たちの教会に行くなと悪口も多く言ったのです。悪口だけすれば良いのに、嘘も言いました。この教会はみな滅びたから、信徒がみな散在したと嘘をついて、すぐとなりの教会では、柳光洙牧師は、米国に逃げたと言いました。教会の講壇で、そのように話すらしいのです。周囲の教会で、そうだというのに東三第一教会が滅びて柳 牧師は逃げたと講壇で話をしたそうです。信徒が、そのように思っていたのです。そのような中に、一度その 教会のおいがソウルから釜山に来たのです。私たちの教会で礼拝をささげたのです。なぜその教会に行くか? 私は、元々ソウルでタラッパンをする教会に行っています。その教会は牧師もいないのに、なぜ行くのか? なんの話か? 柳牧師は、逃げていったのではないのかと言うので、今日、説教を聞いてきたと言ったのです。また、ある人は死んだと話します。願いかもしれませんが、とにかく、そのような噂をたてているのです。あまりそのような話を聞くので、くやしい気がしました。本当にこの人達は、なぜそのようなのかと言いたかったのです。それとともに、怒りが起こりました。それで、何とかしなければならないという気もしたのです。そうしたあと、ある人の葬式に参加するようになりました。棺を地中に入れる時、私達がみな死ねば、このように終わるのではないか? ガラテヤ2:20に、キリストの十字架によって私が死んだと言われたのに、死者が話しが必要だろうか? くやしいことがあるだろうか? 私の内に生きておられるのはキリストだ。私たちは事実は、死ねば終わるのです。それを知らずに苦闘して死ぬのです。
 
■ 今日、イエス様が強調されるみことばは、それよりもっと重要なので、キリストの前で、神様の前で、豊かな者ということです。すると、私達が三番目に理解せねばならないことがあります。すると、金持ちは誤っていることなのでしょうか? そのように悟ってはなりません。すると、イエスを信じる人々は貧しくなければならないのでほうか? そのような話ではありません。世の中のことすべてを持って、悪いことはすべてして、欲張って、神様を知らないことは、より哀れだということです。それよりは、世の中のことは持っていなくても、福音を悟るほうがよいということです。
 
■ しかし、聖書を見れば、私達が三番目に捕まえなければならない契約は、それではありません。福音を正しく理解して、世の中を征服する人々が神様の子どもです。私たちは、その契約を捕まえなければならないのです。私はいままで学校で本を通じて研究してみた結果、神様に会った人々は、みな成功しました。有名な音楽家や科学者は、神様に会った人々です。申し訳ないのですが、そのような人の中に偶像崇拝する人々や仏教信者は一名もいません。当然の話です。時代的な音楽や美術を作りだした人々は、みな神様の人々です。即、名前を聞いて分かる人々は、みな神様を信じる人々でした。そして、世界的な発明家や科学者は、みな神様を信じる人々でした。最高に脳をたくさん使ったというアインシュタインや、エジソンのような人々は、皆、神様を信じる人々です。
 
■ 皆様、聖書をよく見るように願います。世界で一番祝福を受けた国家は、みな福音を受けた国家です。ですから、神様を信じる人は貧しいと悟ったなら、誤って悟ったことです。お金をたくさん持っていることは間違ったと悟ってはなりません。世の中のことだけ知って金をもうけようともだえて、神様を知らずに死ぬかわいそうな人間のようになるなということです。そのようにならずに、福音を知って貧しいのがよりよいということです。しかし、聖書はそうではありません。レムナント7人を見ましょう。神様をよく信じて、祝福を受けた人の中で貧しい人を一名も見たことがありません。神様がアブラハムを富豪にされて、神様が彼の息子イサクに100倍の祝福をされました。神様が、ヤコブにものすごい財産とイスラエルの名を与え、神様はヨセフに世界を食べさせて生かす祝福を与えられたのです。これがなんの話でしょうか? 福音をもって世界を征服する者。この祝福を受けてくださることを願います。私たちは、福音をもって世界を征服するのです。一名ももれなくそうです。レムナントが、みなそうです。モーセのような人は、エジプトの地と全世界を自由に征服しました。ダビデ、ソロモンのような人は、世界で一番に富強で、名誉がある王でした。聖書の中には、一名ももれなくそうでした。ローマ16章の人物が、全部、その祝福を受けたのです。パウロは周囲に経済力の祝福を受けた人々に会うようになりました。
 
■ 私たちは一年を送りながら、どんな契約をつかまなければならないのでしょうか? 動物のように、神様も知らずに食べることだけ知っている人になって良いでしょうか? なにがそんなに必要なので、お金ゆえに父母まで殺すのでしょうか? そのような愚かな者になって良いのでしょうか? いっそ貧しくても、神様の福音を持ったほうがよりよいということです。しかし、聖書はそのようなアイデアではありません。福音を悟った者は、世界を征服できます。それが本物の祝福です。レムナント7人を育てた人々を見ましょう。全部、祝福を受けました。そして、レムナントの後を見ましょう。より大きい神様の祝福が与えられました。私は教会史を見ました。そうなるしかありません。神様が福音と関係ある国を祝福なさいました。ローマを祝福なさって、ヨーロッパと英国を、ドイツを、そして、米国を祝福なさいました。そうなるしかありません。そのような意味で、韓国を祝福なさると考えます。韓国のゆえではなく、福音のゆえにです。タラッパンメンバーが生きているかぎり、私たち韓国には、霊的な勝利があるのです。そして、他の教団にも福音を本当に持っている人々がいるゆえに、神様はこの国を祝福なさるのです。隠された伝道者の中で、福音を持った者が多くいます。ですから、私たちは聖書を見れば、私たちは失敗することができないのです。教会史を見ましょう。福音を持って世界を征服する人。今日、皆様がこの契約を捕まえてくださることを願います。
 
■ 私たちは、どこで時間を浪費するようになるのでしょうか? 米国や日本からたくさん来ます。また、私達が留学に行くこともあります。あるいはそうでなくても、他の地域に行く場合があります。それなら、早く適応しなければなりません。なぜなら、慣れないという問題をもって、ほとんどみな時間を浪費するのです。今、米国から来た人々は、韓国とあまりに違うために、合わないと考えます。ですから、他の方法がないから耐えるのです。耐えることは正しいことではありません。それで、そこに時間をすべて使うのです。勉強をするように願います。学校に行って勉強しろということではありません。私の場合は、外国に行けば、先ず一番にすることがあるのですが、ホテルで勉強するのです。ホテルのロビーには、多くの資料があります。その資料をみな見るのです。
 
■ 見れば、米国と韓国は違います。韓国は、私たちのホテル、私たちの食堂にだけ来なさいと言いますが、米国は他のホテルを紹介していて、自分地域と国を紹介する資料がとてもたくさん備わっています。ほとんど、完壁に紹介しています。私はそれをみな見れば、目が疲れてしまうほどです。それをみな見れば、出て無条件にタクシーに乗ります。タクシーに乗って、運転手にこの地域のダウンタウンで行くように言います。では、どのダウンタウンに行くのかと尋ねます。すると、この地域で最高のダウンタウンへ行こうと言います。すると、そちらに行ってみれば、この人たちが、どんなレベルで生きているかが、すぐ分かります。そして、運動しながら、裏路地のような所を見れば、皆知ることができます。すると、その町に住んでいる人より、よく知ることができます。適応力がはるかに早いのです。ある人は、よく知らずに、先生は十年住んでいる私たちよりよく知っていると話します。そうではなく、少しだけ研究しても出てくるのです。ほとんど私たちは、適応できなくて時間を送るのです。学生達や聖徒に言いたいことは、そのようなことに時間を費やさず、私たちは福音を持って世界を生かす祝福を受けたのです。ある人々は、十年住んでいても、私は韓国が分からないと、合わないという人がいます。あなたがたは、すぐ適用すべきです。特にレムナントは、よりよく適用しなければなりません。
 
■ そして、こういう祝福を人間関係の葛藤でのがすようになります。入っていってみると、人間関係の葛藤がどれくらい多いか分かりません。これを回復するのに、何年かかかります。適応するのに10年かかって、回復するのに何年かかかるならば、いつご飯を食べて生きるのでしょうか? なぜ、この葛藤を早く解決できないのでしょうか? それは、自分の立場でだけ考えるためです。相手の立場で考えれば、すぐ解決できます。もしここに、夫婦けんかを専門的にしている方達がいるならば、今から1ケ月間だけ、相手方の立場を考えてみましょう。それなら、皆様がどれくらい間違っているのかを知るようになります。ある人は、自分はとても完壁なのに、夫は異常だと話しました。後ほど悟ったのは、自分があまりに完壁だということが、夫には問題になるということを知るようになったのです。私たちは、相手の立場を理解すれば、すぐ解決できるはずです。こういうことに時間を費やして、神様の子どもが受けなければならない祝福は、一番後になって探すのです。だから、みな奪われてしまうのです。
 
■ そして、おもにさまようようになります。皆様、さまよい始めれば、時刻表はものすごく長くなります。ある程度、人間にはさまようことが必要ですが、私たちは問題の中で答だけ探しだすのです。問題の中で、神様の大きい祝福を探さなければなりません。その問題の中で、神様の相当な幸福を探さなければならないのです。そのようにするならば、多くの答えを受けることができます。
 
■そして、四番目のことは、失敗をするということです。クリスチャンは成功をせねばならないのに、しばしば失敗するから、そのようなことです。なぜ失敗するのでしょうか? 今日、2部の時、話すでしょうが、専門性がないためです。あなたがたが、これから小さい食堂をしても、とても専門性を持って始めましょう。それで、昨日話したように300%の専門性がなければなりません。する仕事に対しては完壁な専門性が、それだけでなく、その消費者に対する100%専門性がなければなりません。そして、その仕事をしていかなければならない自分に対するうつわに専門性がなければなりません。それで、私たち教会とタラッパンは、単にして行くことではありません。私たちは、20個の伝道訓練がとても専門性を持っています。そして、誰が妨害しようが、しまいが、現場でシステムを構築して、みな入っていくのです。私たちは、他の団体のように、広告を出して探しません。既に行けば、みな作られています。すでに、私たちはこういう部分に対しては、教会史で、この契約を捕まえて行くのです。
 
■ 皆様、福音のなかで勝利することを願います。ある人々は、健康ゆえに難しい場合もあります。おもに見れば、健康が良くなくて、とても苦労して、したい時にできない場合があります。聖書には聖霊充満を受けなさいと言われています。私は皆様に約束できます。皆様がもし時間を定めて一日に2-3回、または3-4回、定刻の祈りをすれば、あらゆる回復が殆どなされるはずです。ところが、それをしないのです。皆様が5分ずつだけでも、一日に三回だけ聖霊充満してください。そうすれば、あらゆる力は回復するはずです。
 
■ 神様の人は、どんな祝福を受けたのでしょうか? 私たちは、福音を正しく悟って、世界を征服するのです。今日、聖書に現れた大部分の人々、多くのことを持って、良い生活をしたかのように見えるけれど、貧しい金持ちです。霊的にものすごく貧しいために、問題が来るしかありません。ある財閥が自殺したという話を、外国で聞いた時、それしか仕方がないだろう、と考えました。その父親になる方が、江原道で集会した時、泊まったホテルに一緒にいたのに、私はよく知らなかったのです。後ほど出て行く時になって、出て来たのですが、その方が助けを受けて、やっと車に乗るのを見ました。 '私が知っていたなら、会える機会を一度作って見たのに‥' という惜しい気がしたのです。どんなに世の中のことを持ったとしても、神様のこの祝福を受けることができないならば、それが効果がないのです。
 
■ 2004年を終える週です。皆様、今日、説教を聞く時間ではなく、神様の御声を聞く時間です。この貴重な時間に、単に時間を送って良いでしょうか? 本物の答えを受けねばなりません。世の中の人々のように、水準低く食べることだけを理解するならば、動物より優れたことが何があるでしょうか? 私たちは福音のなかで、世界を征服する神様の子どもです。この契約を堅く捕まえて、一年を送るように願います。それで、神様が与えられた当然の祝福を受ける契約の日になることを、イエスの名前でお祈りします。インマヌエルと世界のあらゆる家族に、この祝福があることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
今日、あなたがたが心の底から契約を捕まえるようにお願いします。本当に私たちは福音がない未信者のように失敗する者ではありません。私たちは、福音だけ持って、世の中で崩れる者ではありません。私たちは、福音のなかで、当然に世の中を生かす神様の子どもです。この契約を捕まえる貴重な日になるようにさせてください。私達がこれ以上さまよったり、気落ちしたりしないようにさせてくださって、神様の契約を捕まえる日になるようにしてください。2005年度、神様が備えられた神様の祝福を受けるうつわを準備する日になるようにしてください。神様に感謝申し上げます。貴重な神様の子どもに、この契約の祝福を下さることを信じます。それで、世界を生かす証拠を与えて下さい。この方達ゆえに、他の人らが生かされる契約を下さいますことを信じます。新しい感謝と新しい挑戦の日になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 
 
 


2部/ 大庭に入れ。主に感謝
(詩100:1〜5)
 
■ 大庭に入り、主に感謝、と言われました。2004年が終わる時間に、とても重要な詩篇100篇を神様がくださいました。誰かが冗談でこう話しました。天国に行って、三回驚いたということです。その内容は何でしょうか? とても驚いたことは、行ってみたら、あの人は絶対に来る人ではないのに来ているということです。別に熱心にしなかったし、教会で名前もない存在なのに、その人が天国にきていたのです。どれくらい驚いたか分かりません。まるでイエス様の右にいた強盗が、一度も教会に行ったことがないのに、その人は救われたのでした。考えてみるように願います。したことは悪いことしかなかったのに、天国に行ったのです。驚くべき ことではないでしょうか? イエス様が、その強盗にあなたは、わたしと共にパラダイスにいますと言われました。理解できるでしょうか? それから、2番目に驚くべき事があります。本当にその人はきていると思っていたのにいないのです。皆様が、もし天国に行ったのに、教会の牧師がいないならば、どうするでしょうか? 小さな衝撃ではありません。
 
■ 例えば、皆様の両親がいないならば、私の父が信仰生活を良くして、母が祈りを多くしたのにいないのです。どれくらい衝撃になるでしょうか? それで、2番目に驚くのです。ところが、天国に行くと、自分がしたことがみな表れないでしょうか? 自分自身が救われたことがとても驚くべきことではないでしょうか? そのような冗談をしたのですが、それは冗談でなく、とても重要な話です。皆様が詩篇を100篇まで読みました。すると、詩篇を100篇くらい読んだなら、皆様が一番目に、4つのことに答が出なければなりません。それが、今日、一番目に深く受けなければならない答えです。簡単に話せば、聖書を読むならば、いくつかの答が出てこなければなりません。そのうちで、詩篇を読んで、より一層、正確な答が出てこなければならないのです。その答が4つで出てきます。一番目が、出エジプトの感謝です。この祝福が皆様のものになるべきなのですが、そのような答が出てくるべきです。神様は、イスラエル民族をエジプトから救い出すのに、十の奇跡を成し遂げられました。一度も戦わないで、言葉でみな勝ったのです。その時、答えが出てきます。一つの理由のためです。わたしの民を連れて行って、犠牲のいけにえをささげなさいと言われました。その契約をひとつ捕まえたのに、そうなったのです。イスラエル民族が行く所は、海も分かれて、川も分かれました。これが皆様の信仰にならなければなりません。驚くべきことです。
 
■ 皆様が詩篇を読むなかで出てくる答えが、出エジプトの信仰が皆様のものにならなければならないのです。 無条件に信じるのではありません。より正確に話せば、紅海が分かれるしかないのです。話をわかることができないエジプトは、崩れるしかないのです。年をとったモーセでしたが、力が現れるしかないのです。この答えが出てこなければなりません。率直な話で、私と皆様がこういう大きい福音運動はできません。今、ソウル、米国、日本、ヨーロッパから重要な方達がたくさんきています。実力は私たちと比較できません。私たちの実力では、することができないのです。ところが、重要な理由があります。こういうことが発見できなければならないのです。それとともに、詩篇を読みながら、2番目に発見しなければならないことがあります。ペリシテをはじめとして、あらゆる偶像国家をうち破りました。カナンの地を占領するのに、エリコが崩れたのです。カナンの七つの部族、三十一名の王が、イスラエル民族の前に崩れたのです。そして、ダビデのような人物は、ペリシテをうち破ったのです。これが私たちの信仰となれば良いのです。それで、幼いダビデがゴリヤテの前に行く時、大胆に行ったのです。お前が侮辱する万軍の主の御名を持って来たと言いました。皆様、悟りがないでしょうか? 神様がカナンの地の偶像をなくすように呼ばれたのです。サウル王をはじめとして、あらゆる 人がぶるぶる震えているのに、ダビデは大胆に行ったのでした。これが皆様の信仰にならなければなりません。皆様が詩篇を読みながら、こういう発見をしなければなりません。
 
■ それとともに、捕虜から帰ってきたのです。その歌が詩篇にあります。私達が捕虜から帰ってくる時、詩126、128篇に、夢を見ているようだと書いています。それで、預言者イザヤに以前の事を記憶するなと言われました。なにをすると言われたのでしょうか? 新しい事を行なうと言われました。捕虜から帰ってくる時です。ところが、捕虜から帰って、エジプトから出てくることは誰でも知っているのに、どのようにして来たのかを知るようになります。この答を持っていれば、紅海が分かれたことは奇跡でなく、当然のことです。インマヌエルの聖徒たちは、行く所ごとに、そのようなことが当然にあるようになるはずです。信じられないとしても、今まできました。私はこれから、重要な役員と皆様が祝福されることを確信します。荒野に水を湧くようにすると言われました。海の中に道をつけると言われたのです。その理由を知っていなければなりません。なぜ海の中に道をつけるのでしょうか? 何ゆえに神様がイスラエル民族が一言も言わず、戦わなかったのに、エジプトをうち破られたのでしょうか? なぜ、そのようにエジプトを海で葬儀を行なって、イスラエル民族を救い出したのでしょうか? ここに対する答えが出てくるべきです。このように詩篇をよく読まなければなりません。そして、詩篇を読めば、最後の答が出てきます。メシヤです。それが旧約全体の答えです。それにともなう賛美が出てきます。それで、ヘンデルがメシヤを賛美した時、全世界が驚いたではないでしょうか? 私はどのようにヘンデルがメサイヤのような曲を作ったのか分かりません。途方もない祝福を受けたことは確かです。旧約の主題がメシヤです。それに対する賛美です。これが詩篇と聖書を知っていた人の結論です。これが皆様の信仰にならなければなりません。それなら、これから残っている時刻表は、答えの時刻表を見る目が開かれれば、みなできていくのです。
 
■ 人々が私におもしろくないという話を多くします。簡単に話せば、足りないようです。そのような話を本当に多くします。今、だれかが静かにそのような話をしています。人とよく交わらなければならないと言うのです。すると、私が人と交わることができないと言うことでしょう。どんなに努力しても、うまくできません。それが私が足りない部分です。他の人たちは、そのようなことを良くします。人物が現れれば、親しく上手にやるのです。ところが、私はそのようなことが良くできません。たぶん、そのような面では、正しい話しのようです。ところが、理由があるのです。私が聖書で本物の答えを得たら、いくつかの答えがくるのです。それが、今日の詩篇にあります。詩100:1〜2に '全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。' '喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。' 私が聖書で救いに目覚めたら、発見したのですが、全地が主の作品です。そのような答えが来たのです。
 
■ 飛行機に乗る時、どんな気がしているか知っているでしょうか? 感謝するのです。とても価格が安いという気がします。私が米国まで行くために、飛行機を作るならば、不可能なことです。この飛行機を作って、皆様が乗ってくれるので、私は少しだけ出せば、米国まで行けるのです。そばの人々は行かなくても良いけれど、私は必ず行かなければなりません。言わば、この人たちは、私のために乗ってくれているのです。本当に、そのような気がするのです。ある時、ある物を買ったのに、家内が高いと言うのです。1万円をあげるから作ってみなさいと言いました。高速道路で行く時に、クリスマスなので、クリスマスの飾りをしなければならないでしょう? 高速道路で光が輝くツリーがあったので、買ったのです。1万円でした。それを買って私の秘書に車に乗せてくださいと言いました。家に持って帰ったのです。家内がいくらだったのかと聞いたのです。1万円だと言ったら、きれいだと言うべきなのに、とても高いと話したのです。それで、私が1万円あげるから、作って見なさいと言いました。死んでも作れないのです。私はそれを見ると、どれくらい安いでしょうか。私は1万円でそれを作ることができませんが、全てのものをみな付けてあったのです。それも感謝したのです。光がきらきらするので、クリスマス気分になるでしょう? 新しく見えるのです。本当に驚くべきことです。
 
■ 私は皆様を見る時、普通に見えません。私は、全国の牧師を見る時、普通に見えません。世界福音化の重要な時刻表に呼ばれたしもべ達です。今回も、安山に南海教会を建てたのですが、どれくらい気分が良いかわかりません。私たち福音を伝える教会が、このように大きい祝福を受けるという話はしたのですが、心の中では、私たちタラッパンをする教会が大きくなっているという気がしました。どれくらい気分が良いでしょうか? だから、人が変わるのです。皆様が本当に救いの秘密をみれば、すべてのものが主の作品です。こういう答えがきます。あるものは、言うだけなのに答えがくるのです。私たち教会の場所は、予備軍がむかしには、隈に降りてきて小便をしたりしました。見ていて、こういう所に私たちの教会をすれば良いということを考えたのに、2年後に私たちの教会になったのです。今は、私はこのように祈っています。ここに土地を買って、搭も作って、本当に釜山を代表する教会堂を作るべきだと祈っています。なぜなら、すべてのものが主の作品だからです。皆様、それが答えでくるのです。救いは価値がないかと思っていたのに、どれくらい感激するでしょうか?
 
■ 3節に '知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。' 私はむかしには、救いの説教を時々していました。この祝福を受けたら、毎週、説教の時にするのです。だから、私の説教は常にその説教です。新しい事が少ないのです。この救いがどれくらい感謝でしょうか? ところが、問題にならないことは、これが答えでずっとくるのです。先週に話したではないでしょうか? イエス様の話をどんどん聞くほど力が出る人は神様の子どもです。気分が悪い人がいるでしょうか? 申し訳ないのですが、すこし他の子どもです。
 
■ 魚は水をずっと飲まなければなりません。水を飲むことがいやならば、終わった魚です。私たちは、ご飯をずっと食べます。今日も食べて、昨日も食べて、朝にも食べても、なんの問題がありません。私達が救いの みことばをまた聞いて、また話しても、反復しても何も問題でないようにすべきなのです。それとともに、成長し始めるのです。それとともに、霊的な根がおり始めるのです。皆様が知らない間に、途方もない答えが来ているのです。これが答えです。より驚くべきことは、4節に '感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。' 王宮に入っていくことと同じだと言いました。これが発見できれば、答えでくるのです。聖日に礼拝をささげにいくのに、王宮に入っていくことと同じようなものなのです。このようになれば、皆様は正しく信仰生活をしていることです。これが答えで出てくるべきなのです。ある人は、不思議に思うと言います。神様がみことばそのまま答えてくださるのです。私たち長老と役員は、ほとんどみなそうです。
 
■ 先週にコ・チヌ長老がそのような証しをしていました。先生の説教が、毎週、答えだと言いました。恐ろしい程だということです。単なる答えではありません。実際に、現実と関係があるので、どれくらい大きい答えでしょうか? 先週に、私たち長老たちが行ってきたのですが、長老が祝福を受けて、城南に一番大きい薬局も引き受けたのです。お客さんがとても多いのです。神様が祝福の門をあけられたのです。それとともに、長老がそのような話しをしたのです。ここでの収益は、全部、献金します。そのようなことが、私たち長老と信徒の中に起きるはずです。神様が、世界福音化のためにずっと祝福なさるはずです。だから、聖日に礼拝をささげることが、宮廷に入っていくことと同じなのです。
 
■ 皆様、大統領が座をもうけて呼んだ時に行く気分のようなのです。それより優れた王が、重要な座をもうけて呼んだのです。皆様が礼拝をささげる時ごとに、そのような答えがくるという事実を知っていなければならず、その答えがくるべきなのです。本当に、この祝福があることを希望します。感謝と賛美が出てくるしかないのです。ここに多くの職分者たちがいます。教役者がいます。皆様が、仕事を多くするならば、礼拝の祝福をたくさんのがします。本人も知らないで、みな死ぬのです。だから、生きる道がないのです。だから、この話は普通の単なる話ではありません。私たちタラッパンにも、初期の頃からメッセージを聞かなくなった人々は、みな抜け出しました。釜山でも、する中で放棄した人々を見れば、核心は来ませんでした。集会も来ません。一度ずつ来て、後から批判をしたりしたのです。その人々が、みな落ちだしたのです。私は離れていく時、その人々を見ることもしませんでした。一番はじめから、そのような人だと思っていたためです。第一に、みことばを慕いません。聖書を説教するために読むので、よく読みません。皆様が礼拝時間に、神様がどれくらい祝福なさっているかを知らないならば、全てのものを否認するようになるのです。礼拝時間を否認するということは、私たちの存在を否認することで、神様の存在を否認することで、全てのものを否認することです。だから失敗するのです。
 
■ ダビデをはじめとした人々は、宮廷に入っていく礼拝をささげたのです。今日の4節を見ると、宮廷に入っていって、主に感謝しました。皆様が聖書、詩篇を見ながら、こういう答がくると、このような答えは付いてくるのです。だから、価値観の発見です。皆様が献身、献金することが、何も重要な問題になることがありません。こういうことがない時、問題になるのであって、あるならば、なんの問題にもならないのです。私がどのようにすれば、神様にたくさんささげようかと思う気がします。私が生活に支障がない限度内で、どれくらいたくさんささげようかと思う気がするのです。そのようになります。なぜなら、その祝福を知っているためです。神様が、このような答えをくださるからです。
 
■ 5節に確信がきます。 '主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。' 永遠な確信がくるのです。神様はいつくしみ深い神様です。その話は、皆様に悪いことを与えられるのではなく、良いことを与えられるのです。人間はそうではありません。私達がすこし損になれば、正します。皆様が親しく過ごす人々とも、すこし合わなければ、お互い非難をします。そして、人が変わるのです。神様はそうではありません。永遠に恵みを与えて下さって、代々にこの祝福が至るはずです。私が、皆様と一緒にこういうことを出来ないのではなく、関心が違うのです。私は、仕事より重要なのが皆様です。皆様が何を良くした、出来なかったという以前に、神様の契約と祝福がより重要なのです。どんなに途方もない働きをしても、皆様が礼拝に失敗すれば、大変なことになるのです。たとえ皆様が弱くても、神様の恵みが必要だという信仰があれば、良いのです。関心が違うだけであって、よく知らないのではありません。だから、神様は皆様にどんな祝福を下さろうとしておられるのでしょうか?
 
■ すると、三番目に受けねばならないことがあります。こういう祝福が、自分個人にどのように来るのでしょうか。私に今日与えられるメッセージが何か、これを捕まえるのです。ここで皆様が、信仰のモデルを探すのです。皆様が軍人、公務員ならば、ダビデはこのようにしたんだなあ。また、イスラエル民族が捕虜になった時は、このために捕虜になったんだなあ。ここで私に与えられるメッセージが出てきます。それが、あなたがたが恵みを受けることができる大きい祝福の秘密です。聖書の中で、重要な主題を捕まえれば、こういう体験が来ます。全地が主のものです。私たちはその牧場の羊です。感謝しつつ主の大庭に入っていく。こういう祝福を礼拝の時ごとに受けるようになっています。
 
■ 一年が過ぎて行くのですが、皆様がこの祝福を必ず受けることを願います。すると、他の人が認めなくてもかまわないのです。私はそうです。やはりちょっと足りないけれど、私は私たちの信徒、あるいは教会の中にいる人達、タラッパンにいる人々で、私がきらいだ、敵だという人々は、一名もいません。その人々がもし そうであるのかも知らなくても、私はそうではありません。そのように話す人もなくて、感じた人もいません。なぜでしょうか?私が見る時は、みな良くて、ある面では私より良い人々です。ところが、大部分の人々を見れば、とてもこのような所に陥っています。よくならない教会であるほどそうです。自分たちの間で、ものすごく問題が多いのです。皆様1年が過ぎて行くのに考えてみなければなりません。私はどんなにしても、それができません。問題になるように何があるのでしょうか。問題になる人があれば、その人のため祈りましょう。 祈りもできなければ、待ちましょう。それが何の問題になるのでしょうか。途方もない祝福を、ここでみなのがすのです。聖徒たちを詳細に見れば、私は表情を読みとることができません。自分たちの間で、表に現れないようにけんかをするために、表情を読みとることができないのです。みなそのようなことではないのですが、女の人たちを見れば、お互い静かに悪口を言ってにらんでいます。私はそれができません。どんなに誰を嫌ってみようとしても、嫌うことができないのです。不思議に長老たちを見れば、貴重で、祝福の祈りが自然に出てくるのです。私は理解ができません。
 
■ ソウルに行けば、牧師達がボーリングをたくさんします。ボーリングをマルティン・ルターがまず始めたと言われています。マルティン・ルターが、悪魔をつかまえるといって投げたということです。確実には知りませんが、そのような話があります。ソウルに行って、驚く話を聞きました。ある牧師は月曜日にボーリングをする時、長老の頭を殴ろうと投げるらしいのです。それで、内心は本当に滅びる人だと考えました。長老の頭をみな殴ってしまえば、自分一人で何をするのでしょうか。どれくらい怨恨がかたまれば、ボールを持って頭を殴ろうと投げるのでしょうか。私は理解ができないのですが、理解できます。それが理解できないと言う話は、なんの話でしょうか?本当に神様の恵みを受ければ、どれくらい聖徒が貴重でしょうか。数多くの演奏者の中で、この人がここに座って演奏をする、どれくらい貴重でしょうか。とても感謝することです。ところが、それがならなければ、当然にそのようになるしかありません。救いの祝福を味わうことができなければ、お互いの間の葛藤、争い、ここに全てのものをみな奪われるのです。かと言って、争いになることを無理に耐える必要はないのですが、わざわざ争う必要もありません。その部分が、なんでもなく、この恵みがあまりに大きいために、その祝福の中にみなかくされてしまうのです。皆様、よく悟らなければなりません。
 
■ ここに私たちレムナントがいます。この救いの契約を悟ったら、両親の失敗がなんでもありません。ということです。それでなければ、傷になります。あなたがたが、救いの祝福、感激、世界のヴィジョンをみるので、ヨセフのように家庭の問題が、問題ではなくなります。これは、理論ではなくて本当にそうです。救いの感激を味わったら、ダビデがその苦しみが問題ではなくなりました。皆様、私の言葉が理解できないのでしょうか。良い食べ物、おいしい食べ物を食べていて、まずい食べ物を食べれば、食べることができません。今日、皆様が詩篇を通じて2004年を送りながら、本当にこの祝福を受けることを願います。すると、夫も分かって、妻も分かって、誤った人も理解できます。その人のために祈るようになります。そうすれば、信仰生活を勝利し続けるようになるのです。神様の祝福が、このメッセージが、自分のものになるのです。
 
■ 今日、詩篇100篇を終えながら、あなたがたは、逃してはなりません。詩篇を読みながら、4つのことを見えるべきです。それが一番目のことです。出エジプト、地中海で起きたこと、捕虜から帰ってきたこと、メシヤに対する賛美。メシヤがキリストです。これに対する答が出てくるべきです。これひとつゆえに、あらゆる問題がきて、みな解決しました。
 
■ すると、大きい2番目が今日、100篇で、宮廷に入っていくことと同じ祝福を受けることです。全地が主の作品で、理由があります。そのような意味で見る時、私たちは礼拝をささげにいくことが、宮廷に入っていくことと同じです。私たちを救われた神様のいつくしみは永遠です。これが答えで来ます。その時から、この祝福が自分のものになります。私に答えがきてこそ、正しくなっていくのです。この時、何でしょうか。私に与えられるメッセージが、別に出てきます。これが神様が私にあたえられるメッセージだな。全く同じ本文なのに、私に迫るのをメッセージと言います。全く同じ本文なのに、伝えられる時にメッセージと言うのです。たとえ弱い私であっても、神様のみことばがメッセージで来るのです。この時から、何が出てくるのでしょうか。答えが来るのですが、専門性がある答えです。皆様がする仕事に専門性がなければなりません。そして、それからは、世の中を見る目も開かれます。それで、その部分に使命者として用いられるようになるのです。
 
■ 私は、私たち学生達に頼んで、皆様、事業する人々にも頼みます。これから事業をするには300%の専門性を持ちましょう。小さい食堂をしても、単にすれば滅びます。そこに技術100% の専門性がなければなりません。必ず記憶しましょう。ひとつを始めれば100%の専門性を表しましょう。皆様、食堂をひとつしても、100% の専門性を表しましょう。すると勝利します。これが可能でしょうか。神様は祈る時、皆様に答えをくださいます。本当に祈れば、人の力を超越する答えが生じます。基本を無視しなさいということではなく、基本を跳び越える神様の力を持ってこそ、専門性を持つことができるのです。これだけではだめなのです。その対象、世の中を見る専門性が100% なければなりません。すると、皆様は何をしても勝利します。これだけを持っていてはだめです。これをして行くことができる、私のうつわ、私の人生、人格に専門性がなければなりません。300%の専門性を持って行きましょう。すると、皆様が清掃をしようが、何をしようが勝利できます。必ず記憶することを望みます。これから、皆様が世界福音化ゆえに祈りの答えを受けることを希望します。
 
■ 私が知っている執事です。今、現在、トンガンドンという町に住んでいます。この方は、小さい会社に通っていました。その会社が悪いという話ではなくて、この方がご飯を食べていきるくらいでした。教会で、この人に職分を与えたのです。与える可能性もあります。教会学校の部長になりました。皆様ならば、どのようにするでしょうか。単に部長をするでしょう。この人は、教会学校の部長になって、夜通し寝ずに神様の前に祈ったのです。この人が、足らない方ではありません。寝られなかったということです。神様がどのように、私のような罪人に部長の座を任せるということか。人が違います。本当に祈って、何日か祈ったら、答えがきたということです。それで、私がこの働きをして、神様の前に用いられようとするなら、世界宣教を出来ない。それで、この方が、元々、自分の家系に専門性があったのです。正確にいうと、トンガンドンだったと思うのですが、食堂を作りました。神様がその食堂に祝福を注がれたのです。それが問題ではありません。食堂は、他の人もよくすることができます。この人が持った中心です。皆様が教会学校だ、何だと、部長になって、夜に寝られず泣いたことがありますか。何かできるとか、できないとか、そのような水準ではないでしょうか。だから、これが神様がご覧になる時、どれくらい祝福を受けるか、それをみなのがしているのです。
 
■ 私たちは、本当に1年が過ぎる時、祈らなければなりません。必ず聖書にある祝福を回復しなければならないのです。すると、皆様が礼拝すること自体が、宮廷に入っていくことと同じです。それなら、結果的に世界に専門性を表すに値する答えを受けるはずです。こういうあらゆる祝福が、6日間、礼拝と連結しなければなりません。すると、礼拝がすべてだと見ても良いでしょう。すると、教会にくる時、なにが生じるのでしょうか。希望と感謝が生まれます。今日も教会に行けば、神様は私にどんな恵みをくださるだろうか。このようになっていくでしょう。今日、神様を礼拝する間に、どんな祝福を備えておいてくださったのだろうか。こういうことが生じます。だから感謝するでしょう。すると、皆様が教会にくる時、来ることが違います。すると、すでに礼拝する時、働きが起きます。礼拝する時、説教と関係なしで、神様が霊的に相当な働きを起こされるのです。皆様、聖霊充満を5分だけ受けても、みわざが起きます。すると、話をしなくても、その契約が自分個人と連結します。すると、その契約で、現場に働きが起きるのです。そのような中に、困難がきたとすれば、よく越えることができます。試みにあうことが生じたら、越えることができます。私たちに問題がきたら、越えることができます。すると、私たちはずっと神様の前に勝利できるのです。この祝福を回復しなければなりません。皆様が2004年が過ぎ行く前に、この契約をつかまえることを本当に主の名前で祝福します。
 
■ 話を終えます。皆様にお約束します。初期に話したことがあります。何人かの役員がいる時、私がそのような話をしました。その時は、私達は35坪でした。いつも私たちは、難しい事情がありました。たぶん、私たちの長老たちは、思い出すでしょう。私がこう話しました。私が伝道する人であることが間違いないならば、神様が私たちの教会を祝福なさるはずです。私が本当に福音を伝える者に間違いないならば、神様は私たちの教会を祝福なさるはずで、それなら、あなたがたも祝福なさるはずです。私はこのように話しました。なぜでしょうか? それは、私のためでなく、福音ゆえにです。そう話したのが、すでに10年前になりました。全世界に多くの答えを下さいました。何の話をしようとしているのでしょうか。あなたがたは静かに祝福を受ける準備をしましょう。釜山、ソウル、蔚山、全世界にいる私たちインマヌエル、今、衛星で礼拝して、インターネットでみことばを受ける方達が、具体的に準備しましょう。祝福を受ける準備をしましょう。神様は、既にみな備えておいてくださいました。なぜでしょうか?皆様が伝道者であるゆえに。
 
■ 私たちの教会にドヨンという人が、ソウル大学に入って行きました。さっき休みなので家にきて挨拶しにきました。私がこのような話をしまいた。なぜでしょうか?あらゆるレムナントにあたえるメッセージが同じであるから、このような話をしたのです。学校、教会、個人が生きていくのに、本当にこれから親の干渉でなくて、あなたが祝福を受けるうつわを準備しなさい。レムナントは、祝福を受けるようになっているのです。うつわだけ準備しなさい。個人生活と祈り、学校、教会生活、こういうことを準備しなさい。皆様が、これから準備すればよいのです。一時代の伝道者として呼ばれたゆえに、問題があれば、その中でより大きい答えを捜し出すことを望みます。2004年から2005年を迎えるあなたがたに、より大きい祝福が、今日から始まることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。感謝しつつ、大庭に入っていく恵みを今日も受けるようにさせてください。これから私にあたえられるメッセージを味わう証拠を、日ごとにくださることを信じます。神様に心より感謝申し上げます。これから、この答えを日ごとに味わって、一生味わうようにさせてください。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン