2005年2月13日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/安息日を破られたイエス
(ルカ13:10〜17)
・この頃は、癌患者が多いということです。皆さんが、今日、病気から解放されるように願います。アーメンと言わない方は、病気になっても良いということでしょうか。なぜ、そのように癌が多いのかというと、ストレスが多いからです。私たちが見るには、普通にあるストレスが、多くの病気を作る原因です。それで、イエス様が、すべて疲れて重荷を負っている者は、わたしのところに来なさいとおっしゃったのです。こういうストレスは、おもに葛藤から始まります。今日、皆さんが、神様のみことばの中で、多くの祝福を受ける、そのような日になるように願います。人々には、誰でも葛藤があって、積もればストレスとなります。昔に、こういう話を聞いたことがあります。
 
・嫁をもらったのですが、この嫁を姑が虐待するのです。理由は、嫁に来た時、結婚用の品を少なく持ってきたからということでした。とても、この嫁をたくさん困らせて、仕方なく、この嫁が家を出て行くようになったのです。そして、また息子が新しい妻をめとりました。二番目の嫁には、言葉がとても多いという理由で、ずっと困らせて、また追い出したのです。このようになるから、家も変になります。町内でも、そのおばあさんに対して良いと思いません。また、三番目の嫁をむかえるようになりました。しっかりして、よく暮らさなければならないのに、このおばあさんが、今回は、また言葉がとても少ないから高慢だと文句を言ったのです。結局は、息子一人いるのに、嫁を3度追い出したのでした。だから家がどうなるでしょうか? 子どもたちも、話になりません。そのような中で、この男をかわいそうに思った女の人、1人が嫁にきました。言わば、四番目の奥さんになるのです。すでに、姑がどうだということを聞いて、よく知っています。ところで、この四番目の嫁は、前の嫁よりとても知恵があって、優しい女でした。しかし、見ていたら、少しいたら、この姑がまた文句を言ったのです。
 
・どのようにすべきでしょうか? このように、嫁をみな追い出せば、息子はどうなるのでしょうか? それで、この嫁が静かに考えて、大変なことになったと思ったのです。このようにずっといては、私の夫は病気になって死ぬだろうという気がしたのです。それで、この嫁が考えて、覚悟をしました。私が、私の姑の悪い習慣を直してあげなければならない。それで、一度は、またとんでもないことで文句を言ったのです。静かにお母さんの部屋に入って、ほおを三回殴りました。おばあさんが、じっとしているでしょうか? 大騷ぎになりました。なんで姑を殴るのかと、大騷ぎが起こったのです。どれくらい大騷ぎになったのか、町内の人々がみなきたのです。その時、この嫁はひざまずいて静かに座っていました。町内の人々がみんな来て、嫁を三人も追い出しておいて、また追い出そうとするのかと言いました。あのように優しい嫁を、なぜそのように虐待するのか。町内の人々が、悪口を言って行ってしまった。だから、おばあさんがさらにくやしかったのです。世の中に、姑を殴るのか? 今度は、嫁が六回殴りました。大変なことになったのです。それで、何と五回、さらに殴ったら、ぴったり直したのでした。今日、恵みを受けて、家に帰って姑を殴らなくないように願います。このおばあさんの習慣を完全に直したのです。私が、こういうことでは恥ずかしくて殴られて死にそうだな。おかしな話です。これくらい人は、葛藤やストレスで困るのです。
 
・夫婦の間にも、とても葛藤が激しくなれば難しいのです。いくら家族といっても、とても葛藤が多ければ、耐えてがまんしても、ストレスが積もります。それで、こういう部分を解決するのが大変です。ところで、今日、世の中を見れば、人々にとても葛藤が多いのです。政治家たちも戦って、世の中の人々も戦って、ある場合は、親も殺すのです。米国に行ってきながらニュースを見たら、財産問題で家族を殺す事も起きたようです。こういう困難に勝てるところが一つしかありません。それが、まさに神様を正しく知る信仰なのですが、この信仰に、葛藤がくれば問題が生じるのです。今日、皆さんと本文を共に読みました。18年間、悪霊につかれて腰が曲がった人がいました。イエス様がその人を見て、かわいそうに思い、とても祝福されたのです。それと、按手をされました。それで、その人の病気が治ってしまったのです。病気が治ったのですが、その日が安息日だったのです。その時、会堂管理者がとても、怒りました。聞いてみれば、一理ある言葉です。六日間があるのに、なぜわざわざ安息日にするのか。他の日に直せば良いのに、なぜ安息日に神様に礼拝をささげなければならないのに、礼拝は正しくせずに、このようにするのか。怒ったのです。一理はあります。その時、イエス様が、このように答えられました。安息日に腹がへって死にそうな動物に、水も飲ませないのですか。言わば、育てている家畜が水に落ちたのに、救わないのか? それなら、この人が動物により劣るのか? 安息日には、人を生かすべきで、人を殺しても良いのかという言葉です。それと共に、16節を見ると 'この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。' この話をされた時、多くの人々が恥じて、ある人々は悟ったりもしたという内容です。私たちは、この部分をそのまま見て過ごしてしまうかもしれません。瞬間的に、会堂管理者が腹を立てたという話ではありません。会堂管理者は、とてもたくさん習ったユダヤ人です。この人が長く積もっている自身の価値観を話したのです。ところが、それが問題ではありません。このような形で考えを持っているならば、これからイスラエルはどうなるでしょうか? それでイスラエルがほろびてしまったのです。皆さん、聖書をよく見て、教会史を見る時、重要なことが一つあります。
 
・他の葛藤は、みな勝てます。私たちが神様のみことばでみな勝てるのです。最も問題になるのは、信仰の葛藤です。これが問題になるのです。皆さんが信仰に葛藤が生じると、崩壊するようになります。信仰が合わないのですが、通常の問題ではないのです。私たちは、この部分を普通と思うのですが、最も重要な部分です。それでは、皆さんが少しの間、教会史を考えてみましょう。もう少し遡って、初代教会を見ましょう。この二つだけ見ても、知ることが出来ます。初代教会とパリサイ教会の葛藤です。信仰が違うのが問題です。パリサイ人は、律法を守ってこそ救われると言います。しかし、福音はそうではありません。私たちが呪い、災いの中から抜け出してこそ、救われると言います。このように違うのです。だから、パリサイ人が完全にほろびたのです。一つだけさらに例をあげましょう。昔にカトリックとプロテスタントがなぜ戦ったのでしょうか? カトリックを中世教会と言います。そこで改革がなぜ起きたのでしょうか? 同じ葛藤です。私たちが功労で救われるのではありません。私たちが多くの功績を立てれば天国に行くのではないのです。信仰で行くのです。イエスをキリストと信じる信仰で救われるのです。私たちは罪人だから、イエスを信じる信仰で救われるのです。私たちは、人間の問題を解決できないから、信仰で救われるのです。この戦いです。ですから、この葛藤です。これを解決できない中世教会は、後に大きな呪いが臨みました。今でも同じです。同じ問題が起きるのです。韓国の二百ケ教団が私をたくさん攻撃します。何かが違うことがあるのでしょうか? あります。私は福音を強調しなければ、世界教会は死ぬということを強調しています。どちらが正しいのかは、神様がご存知でしょう。そして、皆さんのたましい、皆さんの良心がよく分かるでしょう。今、同じ葛藤の戦いが起きているのです。皆さんが信仰に葛藤が起きれば、大変なことになります。これが信仰の歴史です。これが教会史の問題の核です。それでは、今日、私たちはこの本文を見ながら、重要な何を悟るべきなのでしょうか? すでに本文の背景は分かりました。結果も知っています。話せば、皆さんは答がみな出ています。それだけでも、ものすごい幸いです。それなら、どのように私たちが信仰に勝利して、祈りの答えを正確に受けることができるのでしょうか? これが問題です。どのようにすれば、あの福音がない人々を悟るようにして、福音を分かるようにさせるのでしょうか? 今日、皆さんがどのようにすれば、祈りの答えを受けるのでしょうか? さらに簡単に話せば、どのように信仰に勝利することができるのでしょうか? いくつかのことを考えなければなりません。
 
・最初に、まず、知るべきことがあります。何でしょうか? 全てのものは不完全で、みな差があります。しかし、神様は完全です。それが確実ならば、ここから信仰が出発しなければなりません。他のところは、こういう理論、ああいう理論がありえます。教会はそれではありません。神様は完全です。ここから、皆さんの信仰が出発してこそ、勝利するようになります。詳しく一度考えてみるように願います。神様は一人です。その神様が、救い主を送られたのですが、キリストも一人です。救われた者とともにおられる聖霊も一つです。神様が、私たちにくださった聖書も一つです。私たちが受けた救いも一つです。私たちが行かなければならない天国も一つです。
 
・葛藤ということは何でしょうか? 道が二通りあるのに、どの道に行かなければならないかが葛藤です。しかし、私が道を分かったら葛藤することもありません。最も良いのは、道が一つしかなければ、そちらに行けば良いのです。皆さん、ここでたくさん考えなければなりません。唯一、教会だけ一つです。政治は与党、野党があって、やり合っていかなければなりません。それでこそ、互いに校正されるのです。裁判をする時にも、検事が罪を言えば、弁護士は罪を弁護します。この二つの話を皆、聞いて判事は裁判をするのです。それが原則です。しかし、唯一、一つで通じるのが教会です。皆さんが、この話をわかられなければなりません。道を知っている人同士で行けば、二人が相談しなくても、まっすぐに行くようになります。しかし、道を知らない人は、互いに違う道を行くようになります。これはとても重要です。
 
・世の中ではみな不完全ですが、神様は完全です。皆さんの信仰が、ここから出発したら、問題になることは何もありません。今、パリサイ人と、この会堂管理者が、ここから出発できないのです。どのようにすれば、祈りの答えを受けることができるのでしょうか? 私がどのようにすれば、信仰に勝利することができるのでしょうか? 神様の子どもであることが明らかなのに、ということです。最初に悟らなければならない内容が、それです。他のものは、道が何個かあります。しかし、神様に会うところは一つしかないのです。それでは、葛藤する理由がありません。何の話なのか分かるでしょうか? 人の理論は色々なものがあります。しかし、神様のみことばは唯一です。ここから信仰が出発したら、失敗がありません。皆さんが、今でもこの契約を捕まえたら、失敗がありません。それが、旧約聖書に現れた人物の証拠です。その人物はみんなヘブル11章に記録されています。何の話なのか分かるでしょうか? ヘブル11章を見れば、アブラハム、ノア、アベルの時から遡って説明しています。勝利していた人々の道を見ましょう。みことばによって良く行ったのです。ですから、揺れることもありません。皆さんが、ここから出発したら、永遠に失敗がありません。
 
・今日、皆さんが重要な契約を捕まえられるように願います。長老が十人が集まって、百人が集まっても、聖霊の導きを受ければ道が同じです。これが教会です。これが世の中と違うのです。それで、聖霊の導きを受ければ、何の問題もないのですが、受けられないから、昔に神社参拝のような問題がきたのです。牧師、長老が全部、聖霊の導きを受けるといえば、日本の神社にお辞儀をしなければならないか、やめなければならないかに対する意見も出てくる必要がありません。尋ねる必要もない言葉を持って相談して問題がきたのです。信仰生活が難しいのでしょうか? そうではありません。皆さんが福音だけ正確に悟ってしまえば、すべての問題は解決されます。皆さんが福音だけ正確に知って、みことばだけ正しく捕まえてしまえば、すべての問題が終わるのです。やさしい例で、信仰の人々を見ましょう。アブラハムが歩いていった道と、私たちが歩いていくところは全く同じです。何の話なのか分かるでしょうか? こうするから、これが神様のみことばで救いです。未信者らは占いをして、多くのことをしますが、私たちはそのような必要がありません。皆さん、少しも混乱しないように望みます。ヨセフが歩いていった道と、私たちが歩いていった道は全く同じです。ここから私たちの信仰が出発するのです。ヨセフのお父さんヤコブが歩いていった道と、私たちが行く道は全く同じです。わたしはあなたたちの先祖アブラハムの神だ。イサクの神だ。ヤコブの神だ。聖書に色々な所で話されました。使徒パウロが歩いていった道と、私たちの道は全く同じです。このように信仰生活はやさしいのです。全く違ったのではなくて全く同じです。ここから出発しなければなりません。何の話なのか分かるでしょうか? アクラ、プリスキラ、ガイオが受けた祝福の道と、私たちの長老が受ける祝福の道が全く同じなのです。横道に行くこともありません。道が全く同じです。皆さんが、今日、この祝福を捕まえられるように願います。それで、祈ってみれば、道が同じになります。私たちが、みことばをよく見れば、道が同じになるのです。皆さんは、信仰に勝利するところで行かざるを得ません。このものすごい福音の奥義の中にいるから、この契約だけ捕まえれば、すべての問題は自然に解決されるようになっています。今日、皆さんに神様の祝福があるように願います。伝道も難しいのではありません。私にいのちがあれば、やさしいのです。私にあるものをあなたにあげよう。だから、難しいことが一つもありません。祈りも難しいのではありません。私がお父さんの前に行って、くださいと言うのは、何も難しいことがないのです。皆さんが、この福音で出発するとすれば、すべての問題は解決されるようになります。
 
・私たちの息子に孫が産まれました。それまでは産めなかったのに、妻をもらったら産みました。そして、一年もたたずに、もう一人産みました。年の差をちょっと置くべきで、一年もならずに産むのか。専門使役かと言ったくらいです。しかし、それが問題ではありません。結婚したら、自然に産まれるのです。それが難しいのでしょうか? 難しいのではありません。ここのキム・チャンヒョク牧師は、続けて三人を産みました。だから、それが何で難しいのでしょうか? 伝道も同じです。全く難しいのではありません。今日、皆さんがすべての葛藤に勝つ神様のみことばを堅く捕まえられるように願います。それで、すべての病気もみな離れるようになります。皆さんが今日、契約のみことばを堅く捕まえれば、すべての問題みな離れるようになっています。この祝福を、今日受けられるように願います。先生、私は私たちの家庭問題を解決したいのです。福音を捕まえましょう。それで、暗闇の勢力が壊れるようになっています。これよりさらに重要なことがあります。なぜ私には、このみことばが働かないのでしょうか? 何が変わるべきでしょうか? 私は幼い時、こういう映画を見ました。
 
・前科者が心を正しくして生きていこうとしていました。全く悪いことしません。それと共に、悪い友人にも会わなかったのです。正しく生きていっているのに、警察官1人が最後まで追跡するのです。仕事に邪魔になるほど、どんどん追跡します。一度は、道を行って見たら、昔に悪いことした友人に会うようになりました。その友人が、安否を尋ねながら名刺を渡したのですが、警察がそれを見て、またいろいろ言ってくるのです。その人には、なぜ会ったのか? 何の陰謀を計画しているのか? それで、違うと言ったのです。私はもう正しく仕事をして熱心に生きていっています。警察が信じないのです。お前のような前科者が、どんなことをするだろう? それで、何かが起きれば、また訪ねてくるのです。そこに行ったことがあるのか、ないのか、狂いそうです。ずっと追跡をするのです。そして、良い女に会って暮らすようになりました。それからは、その女にきて困らせるのです。それで、また耐えて、がまんしました。後ほどは、とても耐えるのが難しくて、車を壊す所に行って、車も壊したりしたのです。それでも、警察はしばしば困らせるのです。この警察は、自分の任務に使命が充満した人かもしれなかったのですが、この前科者には、とても苦しいことでした。また、耐えて、がまんしたのです。
 
・ある日です。仕事を終えて帰ってきたら、警察が訪ねてきて、自分の女に話していたのです。あいつがどんな奴なのか分かるのか? 前科が何犯なのか分かるのか? 今、君と暮らしていることも、みな偽りだろう。どれくらい、悪い奴なのか分かるか? 過去を分かるか? そのように話していたのです。これ以上、耐えられないようになったのです。それでも、耐えなければならなかったのですが、そこで警察を殴ったのです。警察を殴って殺しました。警察を殺して、捕えられて、死刑宣告を受けたのです。弁護士と他の人が、いくら呼び掛けをしてもだめだったのです。警察を殺した殺人者を、どのように赦してくれるでしょうか。どれだけ、その警察が前科者を困らせたのか、私が映画を見ていて、その人が警察を殺すのに、警察が死ぬので、すがすがしい思いになったほどでした。それで、それを大統領にまで呼び掛けをしてもだめだったのです。死刑だけはさせるなといくら訴えてもだめだったのです。結局は、死刑を受ける場面で終わったのですが、私はたくさん考えました。幼い時見た映画ですが、私は心がとても複雑で、息苦しかったのです。いくら映画だとしても、ありそうな問題を扱ったことなので、私はその場面がまだ頭に浮び上がります。二度と事件を起こさないともがく姿。
監獄のなかで死刑を受ける時、呼ばれていく姿がずっと浮び上がります。社会でいくら訴えてもだめでした。理解はできますが、殺人を認めることにはならないから。そのようにして、ひとりの人生が崩れるのを見るので、多くのことを考えました。そして、私はこのように感じたのです。私たちの既成世代の思考が真に問題だな。
 
・ある人が、こういう話をしました。私の思考が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣も変わる。習慣が反復されて変われば性格も変わる。性格が変われば運命も変わる。もちろん、未信者が言った話なので、運命と言ったのですが、私達の言葉で言うと、未来が変わるのです。一理ある話です。皆さん、今日、二番目に覚えましょう。私たちが神様のみことばを、心の中心で受ける時、思考が変わります。今日、皆さんが神様のみことばを心の中心で受ける時に、私の姿勢も変わるのです。この時から、私たちには真の勇気も生まれます。神様のみことばが、私の中に真に臨めば、私の言葉も変わるのです。私は心の底からそのようにしたいのに、なぜだめなのでしょうか? 潜在意識の中に。私の意識の中では、だめだと思うのに、私の潜在意識には、違うものが入っているのです。それで、今日、神様のみことばが、皆さんの心の中心に席を占めてしまえば、その時から変化が起き始めます。この会堂管理者の思考にならない思考です。会堂管理者は、すでに思考が固まっていたのです。患者をかわいそうに思わず、安息日にそのような事をしても良いのかと言いました。今日、皆さんに大きい変化が起きるように願います。どのようにすれば良いのでしょうか? 福音と生きているみことばが、私の心の中心に入ってくれば、その時から働きが起きるのです。この時から、私たちには真の信念もできます。この時から、私たちには真の自信もできます。勝てる根気と忍耐心もできて、環境にも勝てます。葛藤もストレスにもみな勝てるのです。今日、こういう祝福の日になることをイエス様の名前でお祈りします。
 
・神様のみことば、福音のみことばが、皆さんの心の中心に臨んだら、皆さんの姿勢も、全てのものが、みな変わります。三番目にさらに重要なことがあります。福音と契約と祝福を、私の胸の中で描きましょう。この話が何の話でしょうか。皆さんが、単に信仰生活をせずに、私は神様の契約のみことばを、どのようにするのかを心に描いてみましょう。それが成就するようになっています。ある方の証しを読んで見たことがあります。自分が癌がなったのを知って、このように祈ったということです。自分のからだの正常細胞が、癌細胞に勝てるという考えをいつもしながら祈ったということです。本当に不思議なことです。その病気が解決したのです。皆さんが神様のみことばを捕まえるということは、とても重要なことです。ガラテヤ3章28節を胸の中に抱いて奴隷が解放されることをいつも祈ったのです。誰でしょうか? リンカーンです。時代的な答えがきました。ある日、世界史に最も大きい働きを残すことが起きたのです。黒人が解放されることが起きました。皆さんが福音を悟ったということは、あまりにも大きい祝福です。福音が、皆さんの心の中心に臨むようになれば、その時から、変化が始まります。さらに重要なのは、そのまま来て帰らずに、心の中心に、皆さんの考えの中に神様の契約と福音の祝福を描いてみましょう。これが答えでずっとくるようになります。
 
・例をあげてみます。レムナント7人を見ましょう。太陽と月と星がお辞儀をする夢を通して、世界福音化されることをヨセフはいつも描いたのです。問題がきても、それを置いていつも描きながら祈りました。ところで、これがますます成就しながら、ある日、大きい答えがきたのです。今日、皆さんこれを持って出て行くように願います。私は、どのようにこれからするのか? 私は何歳なのか? を思いながら描きましょう。そうしておいて、いつも祈れば、聖霊の働きで、ものすごいことが起きるでしょう。ダビデがいつもそうでした。私はある日、王になれば神殿を作る。永らく侮辱されている契約の箱を迎える。これをいつも心の底で描いたのでした。だから、ずっと悟りがくるのです。'聖歌隊はどこに置いて、聖歌隊は、何人程度しなければならないな。
それでは神殿はどれだけ大きく作らなければならないな。'これが答えられたのです。驚くことです。皆さんは、信仰生活をそのようにしなければならないのです。今日、のがさないように望みます。'イスパニヤまで行かなければならない。ローマまで行かなければならない。ローマを福音化しなければならない。'パウロです。いつも描いていました。そして、いつも祈ったのです。'私があなたたちのために、昼も夜も求めた。神様が私の証人だ。'ローマへ書いた言葉です。ある日、ローマがひっくり返るみわざが起きました。これをのがして良いでしょうか。
 
・皆さんがそれを持っているならば、直ちに健康も回復します。それを私たちは希望だと言ったり、ヴィジョン(vision)だとも言います。本当に皆さんがいつも描いているならば、答えが迫ってきてみわざが起き始めるのです。私がそれを違うように描いているならば、正しく修正されます。それにならないならば、どうなるでしょうか。礼拝をささげなければならないのか、やめなければならないのか、何の意味もありません。礼拝堂にきても、みことばを受けなければならないのか、やめなければならないのか意味がありません。教会に出てきて、礼拝をささげる時も、眠たくてみことばも入りません。何かをつかめないのです。そのように信仰生活しても良いでしょうか。皆さん、生涯一度だけしかない機会です。福音を悟ったということです。この福音が、私の思考を変えなければならないのです。それが二番目です。さらに重要なのは、この驚くべき祝福を頭の中に描くのです。神様が、すべての人にあたえられた計画を描くのです。それを置いてずっと祈るのです。毎日、成就していくのですが、ある日、答えが来る働きが起きるということです。のがさないように願います。年を取るほど、より一層そうでなければなりません。
 
・私が知っている男の執事の話です。家族は、皆、教会に通うのに、自分一人だけ教会に出て行かなかったのです。そのようなある日、教会の総動員聖日になりました。奥さんが、執事に話したのです。とても知恵あるように夫に話しました。"私があなたを一時間だけ借りることができないでしょうか?"夫は戸惑って"それが何の話か?"奥さんは"私がぴったり一時間だけ、あなたをあるところにお連れしなければならないのに、一時間だけ、あなたが行ってくれないでしょうか?" "それはどこか?" "教会で総動員聖日をするのに、あなたが一時間だけ行って、礼拝をささげて下さい。とても行きたくなければ、からだをちょっと貸して下さい"夫は承諾をして礼拝をささげたのです。その時からは、息子も娘も妻も、聖日になぜ一人で家にいるか、共に教会に行こうとしばしば話したのでした。それで、教会で礼拝をささげるのに、それまで眠たくなかった人が、座ると睡魔におそわれるのです。みことばも耳に入ってくることもせず大変だったのです。妻のために、子どものために座っているのでした。何の意味もなかったのです。言わば、サタンがみことばを聞けないようにしたのです。ある日、重要な時間がきました。元々、この方は記者をした人でした。記者をしたので、取材のようなものは上手にするが、信仰はよくできなかったのです。そのようなこの人に、重要なことが行われたのです。人生を考える時間が来たのです。
 
・病院で長く生きられないと話されたのです。'あなたは熱心に生きたが、肝臓に問題がきた。それで大変なようだ'という診断されたのです。その時になって、この人が多くの考えをするようになったのです。私は大きい新聞社の新聞記者で、多くの記者で多くの仕事も文章も書いた。この方は知らないことなしで賢いのです。自分の奥さんより、聖書をさらに多く分かります。教会も出て行かないでいたのにです。そのような人が、自分の人生に対して考えるようになったのです。それで、この方が生まれて初めて心の扉を開けて、イエス様を救い主として受け入れたのです。奇跡が起こりました。この方は、普通の人ではなかったのです。信じないでいたのが、信じるから正しく信じたのです。この時から、この人が病院で祈り始めたのでした。'神様、私に健康を回復させて下されば新しく生きます。私はもっと生きたい、そのようなことではありません。私は、今まで福音をずっと知らずに生きてきた。私がもう1年生きていても、福音を知って生きたい。私がなぜ、私の妻がそのように言った福音を悟れなかったのか。'本当に胸の中にみことばを入れたのです。この人は、普通の人ではありません。大学も良い大学を卒業して、とても成功した人でした。祈りをそのように始めたのです。ベッドに横になって、ずっとこの祈りをしたのでした。自分が良くなって、すべての友人に福音を伝えるのをいつも思いながら祈ったのです。この力がものすごいのです。
 
・今、私が話す三つがみな入ったのです。ひとまず福音を悟りました。この人が、病気を通して、自分の中心の中で、福音と契約が正しく入ったのです。たとえ病床に横になっていても、何かを描き始めたのです。驚くべき働きが起きたのです。今、この方が回復した程度ではありません。本当に、医師が分からないのです。医師の話によれば、肝臓というのは、固まればそれ以上、回復するものではないということです。それが医師の話です。正しい言葉です。だがとうてい理解できないことが行われたのです。皆さんは、みことばの力を分かるでしょうか。聖霊の働きを分かるでしょうか。自分の心にいつも描いたのです。貴重な祝福を受ける日になるように願います。そのまませずに描きましょう。皆さんが分かるように、ムーディーは米国福音化をいつも描いたのです。ある日、働きが起きました。私たちのタラッパンは伝道を単にするのではありません。私が頭の中に20個の戦略と、五つの力と、全世界をおいてずっと考えています。本当に驚くことが起きるのです。世界福音化を置いていつも考えています。私の場合は、呼吸をしながら祈りをするから、それらをいつも描くようになるのです。
 
・6年前にレムナントという単語をとらえて、今まで祈る時ごとに、ずっとその中に入れて描いたのです。本当に、神様は答えてくださる神様です。今日、皆さんはのがさずに必ず捕まえるように願います。皆さんがおわかりの通り、重要な人々はヘブル11章を見れば、みことばは神様のみことばになので、信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものですと言われています。皆さんが、このみことばを捕まえて祈り始めれば、まちがいなく答えの働きは起きます。606号という薬があります。良い薬だから宣伝しません。皆さんがおわかりの通り、宣伝する薬は良い薬ではありません。売れないから、たくさん売ろうと宣伝するのですが、良い薬は宣伝しなくても、知って買っていくのです。アルブミンのような薬を宣伝すること見たことがありますか。その薬は売れて、足りないほどです。606号のような薬は、宣伝しません。とても良い薬であるためです。なぜ606号なのでしょうか? 605回まで失敗したのですが、606回目に成功したということです。その話は何の話なのでしょうか? この方が、この薬をおいていつも祈ったのです。それがある日、成就するようになる働きに変えられたということです。皆さん、貴重な人生に、大きい祝福を受けるでしょうが、単に行かずに、今日、三つを必ず記憶するように願います。すでに皆さんは、正確な福音を受けたので、すべての問題が解決されました。この福音のみことばが、ただ一度でも皆さんの胸の中に本当に臨めば、その時からみわざが起きるのです。今は人生をただで送らずに、世界福音化の絵を描きましょう。それで、いつも祈りを開始しましょう。ある日、成就することが行われるでしょう。長老も単にしないように。この祝福の契約のみことばを捕まえて、祝福の絵を描きましょう。それで、成就するようになっています。ヨセフが、ダビデが、パウロが、みなそうでした。事業する方々も、みな胸の中に描きましょう。ロックフェラーのように、全世界福音化するために、米国の全地域に教会をたてる。これを心に置いて描いたのです。それが答えで働きました。
 
・今日の結論を結びます。会堂管理者は誰でしょうか? この会堂管理者は、その会堂で一番偉い人です。皆さんは誰でしょうか? 皆さんは一つだけすれば良いのです。どれだけこの福音とみことばを正確に聞いて伝えるか。これがすべての問題の解決です。それで、みことばの中に他のものを混ぜずに、正しく受ければ、働きが起きるようになっています。皆さんが、福音だけ正しく悟って、捕まえていれば、それは全部を生かすようになっています。今日、貴重な祝福の日になるように願います。どのように祈りの答えを受けられるのでしょうか。どのようにすれば、勝利することができるのでしょうか。今日、三つが出てきました。会堂管理者と、イエス様の話を置いて出てくる答えです。聖書のとおり言うなら、皆さんが福音を正しく悟ってしまえば、悪魔から解放されるのです。確かに16節に 'この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。' 確かにサタンが縛っていたと言われました。それで、福音を悟る瞬間、サタンから解放されるのです。これが第一に受けた祝福です。皆さんが、福音の中から出るみことばがあります。このみことばが胸の中に深く入り始めれば、その時から答えが始まります。それが二番目です。三番目に、さらに重要なのが何でしょうか。皆さんの人生を、そのまま終えてはいけないのです。今からは、明日のために、子孫のために祝福を描きましょう。ここに私たちのレムナントも、大学生も、青年たちもいます。単にせずに描きましょう。福音と契約と祝福の重要なことを描きましょう。ある日、答えられるようになる日々がくるようになっています。それも重要ですが、毎日、毎日、答えに成っていくのです。これをのがしてはいけません。
 
・私は幼い時から信仰生活しながら、見たことの中一つが、人々は本当に福音がないということを見たのです。この福音だけ分かれば、みな解決されるのに。その次に悟ったのが、この聖書が福音を中心にした言葉だということです。この部分をしばしば逃すのです。最後に悟ったことは、ほとんどみな祈りの課題が正確でないということです。今日から私たちのインマヌエルの家族は、一人ももれなく、皆さんの祈りの課題を捕まえて、絵を描きましょう。皆さんの考えの中に、胸の中に、絵を描きましょう。私は一千万弟子が起きるのを、いつも描いています。ある日、私たちのレムナントが起きながら、一千万弟子が起きるみわざが起きるでしょう。今日、この祝福が皆さんにあるように願います。この祝福を本当に捕まえて出て行く、貴重な日になることをイエスの名前でお祈りします。
私たちがよく知っている話です。以前に話をしたことがあります。英国の人が、インドの人々を奴隷にして困らせていた時でした。その時、ガンジーという人が、列車に乗ったのですが、英国軍の4人がきたのです。列車から出て行けと言うのでした。彼はどうしたのかと尋ねて、英国軍人は、黒人が乗る列車ではないという返事をしました。彼は金を出して、私の席であるから出て行けないと頑強に話したのです。英国軍人は彼をつかまえて、窓の外に投げてしまったのです。そのこと以後、彼は英国と戦うことを宣言したのでした。英国列車が過ぎようとしたのに、黒人がレールにみな横になっていたのです。列車を運行しようとするなら、私たちを皆、殺して行きなさい。そして、すべてのインド人は、英国列車に乗るな。戦わないで、そのように闘争したのです。理由は何でしょうか。なぜ私たちの黒人を、このように押さえ込んで冷遇するのか。私たちに自由をくれという言葉です。だから、この人達が、車に乗らないで歩いて通いました。そのような時でした。あるインドのおばあさんが、道を歩いていたのです。英国軍人が過ぎ去って車を止めて乗りなさいと言いました。しかし、おばあさんは乗らないと言ったのです。軍人は、そのおばあさんにずっとついて行きながら、乗りなさいと言いました。しかし、おばあさんはずっと拒絶しました。粘り強い英国軍人の言葉に、おばあさんは一言言ったのですが、英国軍人は、その言葉に心の底から衝撃を受けたのです。"私がその車に乗れば、私たちの子孫が私のように苦労しながら歩かなければならない。私は私たちの子孫のために、その車に乗れない。"
 
・私たちは、今、子孫のために絵を描くのです。皆さん、本当にするように願います。今は、世界福音化の絵を描くように願います。必ず成就するようになっています。福音と契約と祝福の絵を描きましょう。それで、毎聖日、みことばを聞くのです。このみことばは、たましいの中に入りながら、皆さんを生かす働きが起きるのです。私たちすべての聖徒とインターネットでみことば聞く所まで、この祝福が臨むようになるように願います。単なる野望ではありません。神様の計画を捕まえて絵を描きましょう。福音がなくなっていくこの世の中に、世界福音化を捕まえて絵を描きましょう。私は今週に新しい祈りを始めました。
 
・統一教が、千六百億円を使って濾水(ヨッシュ)にものすごい建物を作ります。汝矣島(ヨイド)に120階の建物を作ると決めました。韓国全地に、統一教マークを付けると言いました。今、金浦(キンポ)に2百億円を投資して建物を作ることに決めました。江原道(カンウォンド)、龍坪(ヨンピョン)にある修練場も、統一教で引き受けました。今、平昌(ピョンチャン)に冬季修練場を置いています。それなら、韓国に入ってくるお金が3千億円を越えるということでしょうか? その金がどこから出たのでしょうか。統一教が、そのようにお金が多いのでしょうか。そうでもありません。何年か前、不渡りを出した時、多くの会社が崩れることもありました。それで、詳しく検討をしてみたのです。びっくりしました。190ケ国の統一教聖徒が保証人になって、外資を借りてくるのでした。そのお金が、3千億円だというのです。大変なことになったと思いました。どうして、牧師の胸が文鮮明ぐらいもできないかということです。どうして、私たちの指導者の脳が、異端1人の頭について行くことができないのでしょうか。どうして、福音を持った聖徒が、190個の国に散って、合同結婚もする、その人々について行けないのでしょうか。私は祈りをやり直しました。'神様、なぜ私たちは借りることがありませんか。なぜ、クリスチャンにヴィジョンがないのですか。私たちのレムナントにヴィジョンがないのですか。祈りだけすれば良いのに、私たちの執事、長老、役員にヴィジョンがないのですか。これは、牧師の誤りです。神様、本当に主の民を捕まえて祈ることができるように恵みを与えて下さい。偶像がたった今、起きています。'契約を捕まえましょう。皆さん、今日、このみことばを必ず実践されるように願います。一つだけ実践すれば良いのです。すでに皆さんは福音を受けて、滅びることはできません。二番目です。聖日ごとにメッセージをのがさないようにしましょう。三番目は、これからは、私が神様の祝福の重要な絵をはっきりと描きましょう。そして、昼夜なしに祈るのです。それで、世界を生かさなければならないのではないでしょうか。この祝福が皆さんにあることをイエスの名前でお祈りします。一人ももれなく、神様の答え受ける皆さんになるようにお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に栄光を帰します。私たちの聖徒にヴィジョンを与えてください。本当に、世界福音化の祝福を描けるように、恵みを増し加えて下さい。病気になった者に、健康のヴィジョンを捕まえるようにさせて下さい。貧しい者に、経済のヴィジョンを捕まえて祈るようにさせて下さい。レムナントを生かす建築にヴィジョンをもって祈るようにさせて下さい。成就する神様の祝福を見る、驚くことが起きると信じます。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部/主を知る賛美
(詩106:1〜12)
 
・この前、ある人が私にこういう相談をしました。私たちの教会に通えないということです。なぜそうなのかと尋ねました。他の人は全部、答えを受けるのに、自分は答えを受けられないと言いました。それで、通えないということです。私は、何を話すべきか分かりませんでした。多分、相当な傷があるのかもしれません。私は率直に、祈りの答えがずっとこない時がありました。教会生活をするのが、ずっと困難になったのです。勉強もして、みなしたのですが、実際に答えがこないのです。それを自分自身が知って、皆さんも分かるでしょう。ある日、私にこういう考えがきました。福音は、すべての問題解決だな。それで、この福音を本当に伝えるべきだとの気がしたのです。伝える前に、この福音を味わうべきだという気がしました。ところで、それが私の人生の転換点になったのです。直ちに、その翌日に答えが来たのではありませんが、後ほど見る時、その後から全部、変化が起きたのです。それで、今朝の1部礼拝のメッセージが、とても重要なのです。福音を知る瞬間、すでに暗闇から解放されたのです。ところでなぜだめなのでしょうか? 普通、私たちが中心でみことばを受けないために、変化が起きないのです。みことばを受けているのに、なぜだめなのでしょうか? 私たちは、多くの説教を聞くけれど、実際に契約に対して確信して描くことがなくて、ヴィジョンがないのです。そのようなみことばを私たちがお分かちしました。
 
・今日2部礼拝は、それでは私たちがある目を開いて、この答えを味わうべきでしょうか? 今日のタイトルが、主を知る賛美です。私たちは、この祝福をどんな目を持って始めるべきでしょうか? 先に発見しなければならないことがあります。発見してこそ、信じられるのです。神様を知る者に起きることです。7節に'私たちの先祖はエジプトにおいて、あなたの奇しいわざを悟らず、あなたの豊かな恵みを思い出さず、かえって、海のほとり、葦の海で、逆らった。'また8節を見ると'しかし主は、御名のために彼らを救われた。それは、ご自分の力を知らせるためだった。' 9節にも見ると'主が葦の海を叱ると、海は干上がった。主は、彼らを行かせた。深みの底を。さながら荒野を行くように。' 10節には'主は、憎む者の手から彼らを救い、敵の手から彼らを贖われた。'いつことなのか分かるでしょう? 11節に'水は彼らの仇をおおい、そのひとりさえも残らなかった。'神様を知る者に起きることです。エジプトにくすしいわざが起きました。そして今日、3つのことが出てきたのですが、紅海で奇跡が起こったのです。荒野に行く間に44〜46節に見れば神様が答えられたのです。発見です。この部分に対する信仰です。今日、皆さんがこの発見をするように願って、ここで信仰の大きい祝福となるように願います。
 
・今、このように紅海が分かれるのでしょうか? エジプトで起きた奇跡が今、起きるのでしょうか? 私はより大きいのも起きると思っています。私はいくつかを見たのですが、私の母を見ながら、神様はその時より、今もっと大きく働かれるというのを見ました。全く気をおとす必要がありません。私の父が亡くなりました。私の母が、4名を横にして考えたのです。夫なしで、どのように生きるかということが心配になったのではなく、この4名をどのように食べさせて暮らすか心配したのです。特に女の人は、事業をするのでもなくて、技術があるのでもありません。それで、私の母が本格的な祈りを始めたのです。仕事をしながらも祈りをしたのです。皆さんは聞いているだけですが、私は直接見たのです。1つや2つのことではありません。神様が、どれくらい答えられるか、この間話したのですが、一度も病気になりませんでした。そんなことがあるでしょうか?一度も病気になりませんでした。人は、50〜60年生きていきながら、一度も病気にならないのは、簡単なことではありません。大変なことが起きることも、問題がきたこともありません。私はそれを見ながら、祈りの力、福音の力は、すごいものだということを知るようになったのです。
 
・今でも紅海が分かれるのでしょうか? それよりもっと大きい働きも起きることができます。今でも、エジプトの奇跡が起こるのでしょうか? 私はこの福音を受けた後から起きた答えを、とてもたくさん見ました。紅海で起きた働きより、今もっと大きいみわざが起きるのです。このタラッパン運動する間に、神様が多くのレムナントの中で伝道運動を起こされるのを見ました。説明ができないほどです。表現できないほどです。少し皆さんが理解しなければならないことはあります。信じない人々や、教会に通う人々も、完全福音でない人を見れば、かわいそうに見えます。あれは違ったことではないのか? 神様を知る者におきること、エジプトでくすしいわざを行われたのです。それで、この部分をどのように記憶しないのでしょうか? この部分が、何の話なのでしょうか? 私と皆さんが、今から信仰生活をする中で、神様がともにおられることを見る目が開かなければなりません。
 
・今1部礼拝の時に見たら、私たちの教会にほとんど席がありません。釜山(プサン)にも席がなくて、行く所がありません。心配になって、釜山(プサン)では、テントを張ろうという言葉も出てきました。私たちも、後に、外に椅子をおかなければならないという話も出てきました。これが今、どういうことでしょうか? 今、ほとんどの教会が減っています。今、大韓民国と全世界教会が減っています。神様が、何の力もない私たちに答えと伝道の祝福を継続しておられるのです。私たちの副教役者と長老が苦労するでしょうが、私は何もすることがありません。しかし、私が見る時、私たちの聖徒が祈りの答え受けるのを見ることができました。今でも、神様が紅海を分けるみわざが起きるのでしょうか? 私は皆さんが集まるこの状態が、紅海が分かれることよりもっと良いと思っています。今、紅海が分かれても、何をするのでしょうか? 私がそちらに行くのでしょうか? 今、これがより大きい働きです。これを見る目が開かなければなりません。何の話なのか分かるでしょうか? 今、私たちが行って海を分けるのでしょうか?
 
・神様がなさることの特徴が、いくつか出てきます。エジプトで奇跡が行ったのは、何の話なのでしょうか? パロ王と全く戦わないで勝ったのです。神様を信じる者に起きることです。皆さんに、この祝福が必ずあるようになることを希望します。本当にそうなることを祝福します。戦うこともありませんでした。杖一つ持って、パロ王の前に行ったのです。簡単な話で、私の民を送り出して下さいと言いました。出すことができないと言いました。だから、血の災い、カエルの災い、ぶよの災いがくだったのです。四番目にくだされた災いがあぶの災いです。この程度になったのに、パロ王は、まったく動じませんでした。家畜が死ぬ災いがくだされたのです。この時から、この人たちが揺れ始めたのです。腫物ができて、穀物が皆、枯れました。いなごが飛んできて、穀物をみな食べる災いがくだされました。もう臣下が話すのです。イスラエル民族を送り出しましょうと言ったのです。私たちが、ここでみなほろびるようになったということです。パロ王が、どれくらいすごい人なのか、それでも揺れないのです。暗やみの災いがくだっても、揺れないのです。後ほど、長子を全部殺す災いがくだされたのです。その時になって、パロ王が降参したのです。それで出てきたのでした。イスラエル民族を連れて出てきたのでした。パロ王が何と言ったのでしょうか? はやく出て行けと言いました。そして、再び戻らないでくれと言ったのです。降参したのです。全く戦わないで勝ったのです。これが神様の働きです。
 
・私たちの学生たちと青年たちは、必ず記憶しなければなりません。皆さんが今、メッセージをよくつかめば、外に出て行ってみれば答えが来ています。その道を行ってこそやさしいので、皆さんが未信者と戦って勝つということは難しいことです。音楽をする人が1,2人でしょうか? 音楽する人が一つの国にだけいるのでしょうか? 音楽をする人がカナダに行ったところ、韓国の学生だけで何万名がいるのです。それでは、そちらしかいないのでしょうか? どのように勝ち進むのでしょうか? 何の才能で勝つのでしょうか? 神様がすでに答えてくださっているところに行ってこそ、勝つので、私たちは戦って勝つのではありません。必ず記憶しなければなりません。皆さんがここで契約を捕まえれば、六日の間、現場に答えの扉をあけられるのです。これを見る目が開かなければなりません。ただ単に出て行って良いでしょうか? 私たちの学生たちが、レムナントの時に福音を正しく悟って祈っていれば、神様は門をあらかじめ開かれるのです。戦わないで勝つのです。もし敵が現れて、皆さんに勝とうとすれば、どのようにすべきでしょうか? 神様は紅海を分けて、エジプト人を皆、殺されました。紅海を分けて、道を作られました。その道がエジプトの人を死ぬところだったのです。
 
・神様を知る者には、どんなことが起こるのでしょうか? 戦わなくて勝つのですが、禍を転じて福となす働きを神様は成し遂げられるのです。今日の詩篇106篇は、その内容です。荒野を行く間に、神様はともにおられたのです。皆さんが荒野を歩いていくのに、神様の祝福について行くのが最も正確です。これを発見する皆さんになるように願います。私は毎日この祝福を見ています。どのように見るのでしょうか? 私が今、家に座っている時間がありません。家でご飯を食べるのは、一週間に一食です。聖日の朝に食べて出てくれば、お昼は教会で食べます。結局、朝一食だけ家で食べるのです。月曜日からは、外で走らなければならないから、ほとんど外で食事をします。こうして見たら、皆さんと私は文化が完全に違います。同じように生きていくのに、完全に違うのです。
 
・私が洋服を一つ買いました。中のポケットが少し短いのです。だからペンが入らないのです。私はたくさん歩き回るので、両ポケットがキャビネットになっています。だから、皆さんがいつも使うコンピュータを私は活用することができません。少し持ち運んでみて、ものすごく不便だと分かりました。実際に部屋に入れば、メッセージを準備しなければならないから、する時間もあまりないのです。だから、文化が完全に違うのです。普通の人が理解できないことが私に起きるのです。私が秘書に、聖書何ページかの章をコピーしてくださいと言います。それが何の話かわからないのです。とても生活が違うので、理解できないのです。私がはやく飛行機に乗ってソウルに行かなければなりません。聖書の本文は詩篇106篇を見るべきなのに、行きながら、聖書を持って見ようとするのと大変なのです。しかし、紙一枚にコピーすれば、私が行きながら見られるのです。その話です。他の人はいつも、部屋に聖書があるので理解できないのです。私はこのように通いながら、一度はこういう気がしました。誰かが私に挨拶をするのに、誰なのか分かりませんでした。分からないのに、尋ねることもできないのです。
 
・一度は、ある女子学生がきて挨拶をするのに、前にその学生と話したことを思い出せないのです。前にどのような話をしたのか尋ねられないのです。それで、秘書に前に面談したのをみな書き留めてもらって見ることもします。忘れてしまうのです。通常の問題ではありません。そして、話をしたというのに思い出せないのです。こうすればどうするのでしょうか? 大変だと考えるでしょう。ところが、不思議に普通の本一冊を書いたり、メッセージを書いたりする時は、全く見なくても記憶がみな思い出せるのです。本当に不思議なことです。神様がメッセージをする時には、特別な答えをくださるということを感じるのです。それで、私は毎日、紅海が分かれる奇跡を感じるのです。神様は今でもエジプトの奇跡を行われるのです。発見する皆さんになるように主の御名で祝福します。明日からどのように信仰生活をするのでしょうか? 神様は、エジプトからイスラエル民族を救い出されました。神様は紅海も分けられたのです。誰もいない荒野を歩いていくようにされたのです。これが私たちの信仰です。これを発見することが重要です。この祝福が、皆さんにあることをイエスの名前で祝福します。
 
・二番目です。捨てることがあります。私たちをすべてのくびきから解放させられたのです。6節に'私たちは先祖と同じように罪を犯し、不義をなし、悪を行なった。' 13節に'しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、そのさとしを待ち望まなかった。' 17節に'地は開き、ダタンをのみこみ、アビラムの仲間を包んでしまった。'ダタンとアビラムが、地に落ちて死んだことを言っています。19節に'彼らはホレブで子牛を造り、鋳物の像を拝んだ。'こうしたところから抜け出られずにいるのです。救われた皆さんは、二番目に、捨てるべきことがあります。私たちはすべてのくびきから抜け出ました。少しも不安に思う必要がありません。法事をどのようにするのでしょうか? 皆さん名節(韓国固有の盆・正月)になれば、そのような話が出て来るでしょう。
 
・私の父が亡くなって40年近くなります。初めの2年間、父が亡くなった日に追悼礼拝をしました。母が時間と日を決めて礼拝をささげたのです。私がおとなになって、福音を悟った後には、それもなくしました。父は、亡くなって天国に行ったので、私たちがここで日を守る必要がないのです。さびしいく思う必要もないのです。父は病気で、いつも苦労していたのに、苦労をしなくてよい天国に行ったのです。だから、私たちはそんなことをする必要がないのです。まつる人は、本当に愚かな人で、追悼礼拝もする必要がないのです。それでは、未信者の言葉通り、法事をしないから、先祖が飢えて死ぬのでしょうか? とんでもないことです。悪霊が何のご飯を食べるのでしょうか? あまりにも非科学的な言葉です。どのように悪霊がご飯を食べるのでしょうか? 私たちが、なぜ話にもならないことをするのでしょうか? 何の心配もすることがありません。それで、私たちが失敗したでしょうか? 家で大人たちが法事をしない家が、我が家だけですが、我が家が一番祝福されています。私は一度も滑り落ちたことがありません。知らないのです。すべてのくびきから解放されたのです。皆さん、みな信じるように願います。こういう迷信、不信仰、心配をみな捨てるように願います。今日の本文は、なぜこの働きをしばしば忘れてしまうのかということです。そして、ダタン、アビラムのように反逆して死ぬのではないでしょうか? 金の子牛まで作るのではないでしょうか? 人々は違ったことを、とてもたくさん知っているのです。墓にたくさん参ってこそ、恵みを受けると思っています。とても無知です。私は申し訳ないのですが、とても忙しくて、墓にも行けません。前に、私の母が亡くなった時に行って、その後に一度も行ってみていません。草のようなものはどのようにするのでしょうか? それは近くにいる親戚がします。何で墓が祝福を与えるのでしょうか? 何で墓が呪いを与えるのでしょうか? それが全部、悪霊のしわざです。だから、悪霊に仕える人におきることであって、私たちとは関係がないのです。今日、皆さんが契約を捕まえる日になることを希望します。絶対に複雑なことはありません。
 
・エジプトで奇跡が起こったように、神様は今でもともにおられます。明らかに、二番目は捨てるべきであることが、迷信、心配を全部捨てるべきです。何も心配することがありません。一度は、キリスト教雑誌を見たら、ソウルでクリスチャン70%が、法事をするということです。なぜするのかを見ると、不安なためだということでした。何が不安なのでしょうか? 本当に変です。そのような信仰を持って、サタンとどのように戦うのでしょうか? 私たちの教会はないでしょうが、まつる方は、やめるように願います。心配しなくなることを望みます。みな終わってしまったのです。死と呪いから解放されたのです。韓国の知識人も、墓を誤って作ったからだと話します。それは、全部、神様を知らない者が言うことです。名節(韓国固有の盆・正月)になって言う言葉ですが、皆さんが周囲の人々に教えてあげるべきです。未信者は結婚式も日を選ばなければなりません。だから、365日中に一日しかないのに、日を選ばなければならないのです。
 
・私たちは、いつすべきでしょうか? いつしてもかまわないのです。何も関係がありません。そんなことも全く解放されてしまったのです。私たちは聖日にだけしなければ良いのです。聖日には、礼拝しなければなりません。方角をみる必要があるのでしょうか。ありません。完全に解放されてしまったのです。韓国の多くの指導者が、占いに依存しながら生きています。ある場合は、服を着て、ネクタイを締めるのも、占いの指示を受けて着るということです。本当の話なのかは分からないのですが、大統領がみな占いの指示を受けるということです。確認をしてみなかったのですが、聞く話ではそうです。韓国の知識人の水準なのかも知れません。神様を知らない者たちです。だから、神様を知らなければどうなるのか分かるでしょうか。日にちの設定を間違っただけでも問題がきます。神様を知らずに、救われなかった人は、方角だけでも誤っても問題がくるのです。イエスを信じる神様の子どもは、日、方角、何の関係もありません。皆さん、少しも心配しなくなるように願います。罪と死の原理から、あなたがたを解放したと言われました。
 
・三番目です。私たちが味わわなければならないことがあります。最初は発見しなければならないことで、二番目は捨てなければならないことで、三番目は味わわなければならないことです。常に味わわなければなりません。主に感謝して賛美しましょう。今日のタイトルにあった通り、主を知る賛美です。救われた皆さんは、今日2部礼拝で3つのことを記憶しなければなりません。発見しなければならないこと、今日、ここに出ています。エジプトで起きた奇跡。今でも起きています。捨てなければならないことがあります。心配、不信仰、迷信、偶像みな捨ててしまいましょう。心配しなくても良いのです。"先生、私が四十年間、ムダン(霊媒師)をしました。今、ムダン(霊媒師)を止めたところ、イエスを受け入れたのに、ずっと悪霊が訪ねてきます。どうしなければならないのでしょうか。"心配する必要がありません。いくら訪ねてきても関係ありません。皆さんの中に、聖霊がおられるから何の問題もありません。ひょっとして事業が不安で、そんなことはすでに終わってしまったのです。それで、捨てるべきこと。迷信、不信仰、心配、偶像、全部みな捨てましょう。その代わり、捜し出して味わわなければならないことがあるのです。それが何でしょうか。主に感謝して賛美しましょう。
 
・主の行動に対して単語五つを使っています。よく見ましょう。主なる神様の行為に対して五つの単語を使います。最初は主の主権。主権ということは、皆さんのいのちを神様が治めておられるという言葉です。皆さんがいくら長く生きたくても、神様がいのちを治められるのです。その次は、主の予定という言葉があります。それは救いと全てのものをあらかじめ予定されたのです。あらかじめ決められました。その次は、主の摂理という言葉があります。摂理は、予定されたのをみな成就されるということです。英語で話せば、摂理は'Providence'(プロヴィデンス)予定は'predestination'(プリデスティネイション)あらかじめ決めたということです。そのような重要な単語があります。それから、主の経綸という言葉があります。経綸とは何でしょうか。私たちの言葉では難しいのですが、英語で見れば'purpose'(パーパス)目的という言葉です。これがあります。主の考えと言われました。英語ではdecree(ディクリィ)となっています。考えは、これらすべてのものを成し遂げる時刻表を言います。このように完ぺきな準備をされたのです。こういう神様の子どもになったので、主を賛美するという言葉です。
 
・電話をかけるのに、十円のコインが一つ足りません。急な仕事ができたのに、コイン十円一つがないのです。一個が足りなくてはいけません。ひょっとして下に落ちていないかと思って調べました。誰かが通り過ぎながら、コインを一つくれたのです。私が十円一つが足らなくて電話ができないことを知って、この人が出てきて、全く知らないのに過ぎ去って十円のコインをくれたのです。ありがたかったのです。それで、私がもらいながら、ありがとうと言いました。その人も大丈夫だと言いました。電話をかけて、その人が行くのを見てもうれしかったのです。ありがたかったのです。私たちが受けた神様の力と恵みが、その程度にならないのでしょうか。私たちが神様を感謝して賛美する水準が、十円のコインにならないのでしょうか。ロシアに行ったところ、学生1人が捕まって、お金百ドルがなかったので、私が知らない人だったけれど、百ドルを出してあげました。5回も6回も感謝すると言いました。この学生が、行きながら、また、感謝しますと言ったのです。返しますと言ったのですが、大丈夫だと言いました。それでも感謝すると言いました。百ドルならば、一万円くらいです。この学生が、それをもらったのがとても良くて、そのように感謝したのです。これから、私たちが受ける祝福が一万円くらいしかないのでしょうか。皆さん、どう思うのでしょうか。暗闇から完全に解放されました。一万円しかならないのでしょうか。この主の主権を賛美しましょう。主のすべての摂理を賛美しましょう。主の驚くべき奇跡を賛美しましょう。その話です。どれくらい感謝することなのでしょうか。今日、皆さんが1部、2部メッセージを、単に聞いてのがしてはいけません。1部メッセージで重要な核を、家に帰って子どもたちと話してみましょう。負担を与えずに、福音を悟る瞬間に終わってしまったのです。しかし、なぜ知らずにいるのでしょうか。それは、みことばの根がおろされていないからです。このみことばが入ってくれば、その時から変わり始めます。ところで、時間がたつほど、答えを受けなければならないのではないでしょうか。ヴィジョンを捕まえましょう。そのヴィジョンを捕まえて、具体的に絵を描きましょう。特に、私たちの学生たちはそのようにしましょう。継続して、祈りましょう。これが1部礼拝です。それでは、こういうものすごい祝福を、私たちがどんな目を持って出て行かなければならないのでしょうか。その最初が発見です。何の発見なのでしょうか。エジプトで私たちとともになさった主は、今でもともにおられます。二番目、捨てなければならないことがあるのです。心配、不信仰、迷信、偶像、恐れをなす必要がありません。みな捨てましょう。特に心配みな捨てましょう。そして何でしょうか。感謝を回復しましょう。神様が、私たちとともにおられるので、感謝、賛美それを回復しましょう。これが詩篇106篇の核です。
 
・結論を結びます。皆さんは、どこに目標を置くべきでしょうか。神様に栄光を帰す、それに目標をおきましょう。これが何の話なのでしょうか。説教をよく聞いて、上手にしなければなりません。説教をしながら、しきりに積極的な考え方をする人がいます。失敗します。後ほど。私たちのすべての目標は神様に栄光です。神様の栄光の光がある皆さんの家には、絶対に暗闇が入ってくることができません。わかるでしょうか。皆さんが、必ず記憶しなければなりません。熱心にでもありません。神様に帰す栄光です。私たちは、みことばであって熱心でもありません。それで、すべての栄光を神様に帰しましょう。ハワイに行ってみたのですが、ハワイに行けば'Pearl Harbor'(パールハーバー)という所があります。真珠湾という所です。そちらに行ってみてびっくりしました。怖かったのです。昔に、日本が攻撃をして、米国艦隊を沈没させました。その艦隊を沈没させたのですが、その艦隊が完全に沈んでいるのではなく、水に落ちたそのままあるのです。艦隊が真っ黒でしょう。それが水底にあるので変でした。どんな気がするかというと、背筋が寒くなった気がしました。皆さん、魚のようなものも変に浮かんでいれば見つめていれば怖いのです。その上に橋を作って、人々が見るようにさせていました。日本が攻撃をして、私たちの船がこのように沈んだのを見ろということです。艦隊がどれくらい大きいでしょうか。水底20〜30メートルの下にあるので、船が見えます。こういう船が水に落ちたんだなあ。私たちが見たのです。数千人が死にました。日本が攻撃をしたのですが、日本の隊長は、英雄になりました。米国艦隊を撃墜させたのです。少しして、日本が戦争で敗北するようになったのです。それが問題ではありません。その人を数千人殺した隊長が、変にいつも震える病気にかかったのです。日本人はよく知っているでしょう。日本では英雄と言ったのですが、この人はおかしな病気になりました。からだも心もみな震える病気です。船で死んだ米国の勇士、軍人の奥さんが手紙を送りました。'あなたが攻撃をして私たちは数千人死んだのですが、私の夫も死にました。私があなたに最後に言いたい話があります。イエスを信じて神様の子どもになってください。そうすれば、神様があなた罪を赦されるでしょう。'この方が、その手紙をもらって、イエスを信じたということです。その時から、この人の胸の中にあった不安が消えながら、新しい人生が始まったということです。それで、その方が日本の有名な牧師になりました。今は、死んでいませんが、そのような記録があります。私たちが、神様に会わない人生で、よくなることができるでしょうか。それなら、私たちの目標は何なのでしょうか。神様に栄光を帰すことです。やくざのキム・イクドゥが、福音を受けて変わって、リバイバル伝道師になったでしょう。神様に栄光を帰す人物に変わったのです。皆さん、今日、3つの目を開いて、神様に栄光を帰す目標をおくことを望みます。皆さんの子どもを通して、神様に栄光を帰すのです。一番良い言葉です。皆さんの事業が、神様に栄光を帰すことを望みます。一番良い単語です。
 
・私は昨年に年末にテレビを見て感謝しました。年末になれば歌手が賞をもらいます。タレントも、上手にする人々は賞をもらいます。私は少し驚きました。賞を受ける人十人の中で七人は、イエスを信じる人です。この大きい賞を受ける人たちが、ほとんどみな何と話すかというと、神様に感謝しますと言いました。その程度、放送で賞を受けるのに、神様に感謝するという言葉を言うということは、信仰が良いということではないでしょうか。そのような芸能人が十人の中で七人です。韓国にも全羅道(チョルラド)にサッカーをよくするキム・ヨンガンという人は、神様に栄光を帰すという意味の名前です。どれくらい良い名前でしょうか。神様に栄光を帰す。キム・ヨンガン(金栄光)。ですから、私たちのパク・ジュヨン選手の場合は、ゴールを決めると祈ります。全世界がみな見ているのに、そうして祈れば、それがどれくらい神様に栄光を帰すでしょうか。あいさつの電話がきたので、ソウルに来たら、私たちの教会に来なさいと言いました。来て、レムナントを育てなければならないではないのかと言ったら、すでに行っているということでした。聖日にソウルでささげる時には、必ず私たちの教会に来るということでした。それに対する証拠を出しました。前にキム・テウン牧師が来られた日にも、いたということです。それでは、来たら、私の部屋にきて挨拶もして、話して長老にも会うべきだと言ったところ、次からはそうしますということでした。なぜなら、重要な選手たちは保護すべきだからです。祈りもして、メッセージもしなければなりません。目的が何でしょうか。神様に栄光を。今、皆さんの子どもたちが、答えを受けて、祝福を受ければ、誰に栄光が行くのでしょうか。神様に栄光が帰されます。それが、私たちの目標です。レムナントや皆さんの子どもたちが、成功をして正しくなれば、全部、神様に栄光を帰すのです。ダビデがゴリヤテに勝って戻ってきた時、尋ねた時、そう言ったでしょう。主のしもべベツレヘムの人、エッサイの息子ですと言いました。今日、皆さんがこの祝福を受けて、賛美、感謝が回復する日になることを希望します。みな忘れてしまっても、二つの単語を忘れないようにしましょう。1部礼拝の時、神様のヴィジョンを私が抱く。今日、2部礼拝の時の結論、目標、神様に栄光を帰すのです。神様にすべての栄光を。この祈りが始まることを希望します。今回の一週間、六日の間、現場でこの祝福を発見するようになることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちに真の賛美、感謝を回復するようにさせて下さい。私たちの聖徒を通じて、神様が栄光を受けて下さい。また、私たちのレムナントを通じて、神様が栄光を受けて下さい。一週間、六日の間に、エジプトの奇跡を見られるようにして下さい。すべての偶像、不信仰、心配を捨てる祝福の週になり、真の感謝が回復するようにして下さい。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン