2005年3月13日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/大物の自己管理
(ルカ14:7〜14)
 
■神様に感謝申し上げて、聖歌隊に祝福があるように願います。幼い時、名節(韓国固有の盆・正月)になれば、親戚、友人が集まりました。私が分かっているのでは、十何才の時だったと思います。私たちのいとこも集まって、友達も集まりました。見ていたら、自分たちどうし何かおもしろいことをしていました。何をするのか見たら、花札遊びをしていたのです。色々な種類があるのですが、簡単に話せば、お金をかけていました。見たらお金がかなりたくさんありました。私はそれを見ながら、その人たちにはお金が多くあるのだと思いました。今、考えてみたら、それをするために準備をしたのでしょう。ほとんどみながしていたのですが、私だけ後から見物をしていました。ほとんど、名節(韓国固有の盆・正月)の時ごとにそうでした。特に、母親の親戚の中で上手にする子が一人いました。私より年下なのに、とても上手でした。後から静かに見たら、がんばっていました。見ながらこのように感じたのです。あれをなぜするのだろうか。お金を取ることでもなくて、いつも行き来しています。私は、性質がせっかちなためか、一度にしてしまうのですが、そのように行ったり来たりするのかと思いました。それで、私は花札をよくできません。本当に変です。私がねじけているのか、今でも思っています。私は、幼い時から変だったのかもしれません。人々がみな好きなことが、私は好きではありませんでした。今でも、エレベーターに乗れば鏡があります。病院とか、塾の案内の広告が付けてありました。必ず見れば、いくつか教会も付けてありました。自分たちの教会に来てくださいということです。私は12坪から始まって、35坪から今まできました。私の胸の中に、あのようにして、教会が復興するのかという気がしたのです。正しい福音運動をすれば、神様が祝福されるでしょう。私たちの聖徒が、福音にあって、みことばについて行ったら勝利するでしょう。あのようなことをしなくても、いくらでも教会は復興します。少し変ですが、私はそのような考えを持って生きてきました。他の人にたくさん認められれば、成功できるのでしょうか。私が成功できる準備ができたら、成功にするのではないでしょうか。その成功は、神様がさせることであって、私たちが作り出すことなのでしょうか。まだ、私の考えでは、その考えの他に変わることがありません。釜山(プサン)で12坪から始まったのですが、今は全世界的に福音運動が起きています。そして、今、大学が門を閉めているのに、私たちの総神は、すばらしく復興をしています。この席が今、2千席なのですが、信徒がほとんど空席なしで礼拝をささげています。私たちの教会は、教会の看板もありません。それでも、みことばを聞こうと、人々が一人ずつ集まっているのです。今、釜山(プサン)にも、ほとんど席がなくて悩んでいます。それで、同じ説教で礼拝を分けて、何度か多くの人々が礼拝をささげるようにしなければならないのではないかと連合堂会で考えています。私たちは、努力をよくしなければならないのですが、根本的に持つべきものを持てば、神様が満たして準備されるでしょう。私は、そのような考えを持っていたのですが、神様は多くの答えをくださって、これからもくださることと確信しています。その中で、今日は1部礼拝を終えた後に学習洗礼を受ける方々がいます。私たちの担任牧師が導かれるのですが、皆さんの胸の中に今から祈りを始めなければなりません。学習は何なのか、文字どおり習うということです。何を学ぶのかというと、救われた者の祝福が何かを分からなければならないのです。それが学習です。洗礼とは何でしょう。それこそ、私がもう神様の子どもだというものを告白することです。それですばらしい出発です。ペテロが信仰告白で始めたように、皆さんも開始になるでしょう。
■今日はまた、重要な時間を迎えました。総神聖日を全国が守っています。皆さんが一回ぐらいは考えなければなりません。何の誤りもないのに、牧師のために国が滅びるのです。ユダヤ人です。ユダヤ人が、何の誤りもありませんでした。とてもきちんとした民族です。勤勉で、真実な民族です。完全にほろびました。1400〜1500年間、国を失ってさまよったのです。皆さん、分からないでしょうか。ただひとりの誤りです。ユダヤの国の宗教指導者の誤りです。どれくらい怖い結果でしょうか。神学校のために祈らなければなりません。皆さんと皆さんの子どもたちのすべての未来が福音の中にあるのに、どれくらい重要でしょうか。何の誤りもないのに、中世教会が失敗しました。誰のためなのでしょうか。神父のためにです。神父が誤って教えたのです。そこに対抗して出てきたのがルターです。どんどん違うように教えました。昔には、聖書も読めないようにしたのです。そして、このようにすれば救われると言いました。お金を多く出せば救われる。このような形で教えたのです。皆さんが、献金をよくして、功労がたくさんあれば祝福を受ける。このような形で教えるのです。それまでは分かります。皆さんが、大変なことをして、献身をすれば祝福を受ける。分かります。ある部分は、正しいと考えられます。しかし、それをもって救われると言うのです。このように教えるので、どんどん問題がくるのです。皆さん、北朝鮮を見てください。私は嘘だと思いました。北朝鮮に行ってきた人に本当に尋ねました。本当に、子どもたちが、ご飯を食べられないか、食べられないということです。この前の放送で、北朝鮮の子どもたちが、すごく飢えた状態でご飯を食べる写真を見ました。指導者ひとりが、このように重要なのです。その子どもたちに、何か罪があるのでしょうか。指導者ひとりが、神様を信じないで共産主義をするというので、そうなったのです。それで今日は、全国が総神聖日を守って、総神のために祈っています。
■今日、私たちは、ルカ14章を神様が総神聖日と会うようにされたのです。絶対に、偶然ではありません。今日は、どんな内容なのでしょうか。こういう貴重な時間に、神様が何のみことばをくださったのでしょうか。今日、インマヌエルの全家族と地域教会と全世界インターネットで礼拝する中で、今日、神様がルカ14章のみことばを与えられました。いったい何の内容が入っているのでしょうか。皆さんが思うには、そのまま通り過ぎられる部分です。一緒に今、聖書を読みました。どんな内容なのでしょうか。二つのパートで話が出てきました。宴会場に行っても、上座に座らずに、末席に座れと言われました。もしあなたが、上座に座っていて、高い人がきて末席に行けと言われたら、どれくらい恥ずかしいでしょうか。まったく初めから末席に座っていれば、誰かがきて、こちらにと上座にむかえられれば、どれくらい見た目が良いでしょうか。分かる話です。しかも、12節からこういう話をされました。良い人々、高い人々、親しい人たちと集まって祭りをしてはならない。そのようにすれば、その人々がまたあなたを招くことで、また、行き来するようになれば、力を誇示すること以外あるだろうか。祭りが行われたら、むしろ貧しい人々、病気にかかった人々、こういう人々がきて食事するようにしてあげなさい。それでは、その人々が力がなければ、返すものがないだろう。それで、神様があなたを祝福されるのではないだろうか。何の話なのでしょうか。なぜこういう話をされたのでしょうか。皆さん、今、何を話すことなのでしょうか。当時の指導者がとても高慢でした。自分を誇り、高慢、こういう方法でしたのです。問題は、弟子達まで、途方もない福音を受けたのに、高慢になるのです。私たちの教会は、同じ人々が共に座って礼拝をささげています。そして、神様の子どもであるため、教会は大統領と乞食が、一緒に礼拝をささげます。それが教会です。教会にはクラスがありません。とても金持ちと、とても貧しい人が共に礼拝をささげるのです。そして、たくさん習った学者もいて、勉強が全くできない人もいます。共に礼拝をささげるのです。身分が高い信徒もきて礼拝をささげています。昔で話せば、奴隷もきて礼拝をささげるのです。奴隷が高慢になって良いでしょうか。あなたも執事で、私も執事だ。このような形で出てきても良いでしょうか。高慢になってはなりません。そして、あんな召し使いたちと礼拝をささげなければならないのか。こういう考えで良いでしょうか。ここは色々な話が含まれています。今日、総神聖日を迎えて、世界福音化の祝福を受けた皆さんが、どんな契約を捕まえなければならないのでしょうか。今日、必ず捕まえなければならない単語は何なのでしょうか。先週に続いてする話です。本当に祝福を受けようとするなら、成熟した福音を持った人になりましょう。その話です。私たちの子どもを、実力ある成熟した福音を持ったレムナントにしたら、それ以上、すばらしいことはありません。何の話なのか分かるでしょうか。単なる成熟した人ではありません。成熟した福音を持った人になりなさい。それで世界を生かせるのです。
■例をあげます。レムナント7人で例をあげましょう。ヨセフのような人物が出てきました。皆さんの家が生かされて、国が生かされて、みな生かされます。ヨセフは、とても福音を持った成熟した人物でした。この前、話したのですが、兄たちは、ご飯しか知らない人です。食べること、着ること以外、知りません。神様が誰を祝福されるでしょうか。その兄たちが、ヨセフを普段いつも嫌っていた時、ヨセフは何をしていたのでしょうか。祈っていました。このようにして、ものすごいヴィジョンを見たのです。ヨセフを40日、50日、引いてエジプト市場に売ってしまいました。奴隷市場に行ってみると、動物と一緒にいます。どれくらい苦労したでしょうか。そこで、ヨセフが売られたが、誰か買っていったかというと、ポティファルの家に売られたのです。ヨセフは、そちらで契約をつかみました。私が奴隷としてきたが、この家を最高の祝福の家にする。全く傷のようなものを受けなかったのです。レムナントがここにいます。ここに多くの信者がいます。貧しい人もいます。また、習うことも出来なかった人々もいます。そのような傷の中で捕われていれば、絶対に成功できません。ヨセフが、ポティファルの家に行って最高の計画を見ました。私はここで、主が私と共におられることを証しする。それがヨセフです。ポティファルの家の畑まで、神様が祝福されました。これが、福音を持った成熟した信仰人の祝福です。どれくらい気落ちする部分でしょうか。私が一度考えてみました。私が、もしヨセフのように奴隷で行ったら、どのようにするだろうか。多分、私なら逃げたでしょう。手段、方法をわきまえず、逃げたでしょう。そのためか、時々、私が夢を見れば逃げる夢をたくさん見ます。ヨセフは、その家にみわざを起こしました。しかし、くやしい濡れ衣を着せられました。人は、くやしい濡れ衣を着せられることもあります。ヨセフは、それのために終身刑を受けたのです。そうなると、私は本当に耐えられません。皆さんならば、大騷ぎするでしょう。特別なものではないことでも、大騒ぎするのですから、どうなるでしょうか。ヨセフは、そちらで本当に神様の契約つかんだのです。そちらで働きが起き始めました。王様が、後ほど知って、ヨセフを呼びました。王が夢を見たのは、神様があなたに言うことがあったからです。何の話でしょうか。福音を証明したのです。総理になりました。兄に会った時、何と話したのでしょうか。一番最初に何を尋ねたでしょうか。兄に確認しました。私のお父さんは、生きておられるのかと尋ねたのです。兄がぶるぶる震えました。恐れないでと言いました。慰めではなく、本当に話したのです。神様が送られたのではないのか。神様が私を先に送られたのであって、兄が私を売ったのではないと言いました。
■すごいのです。皆さん、成熟した福音を持った人1人だけ出てくれば、国も生かされ、家庭も生かされ、みな生かされてしまいます。イエス様のみことばの意味が、そのような人になれということです。考えてみましょう。高い席でいばっていて追い出されれば、どうなるでしょうか。例えば、皆さんが食事をしに行って、他の人の席に座っていて、のいてくださいと言われたら、どうなるでしょうか。その話です。それが何がすごいかと言うでしょうが、そうではありません。私たちのインマヌエルのレムナントたちは、福音を持った成熟した人になりましょう。私たちは、完全なはずはありませんが、福音を持った成熟した人々になりましょう。全てのものをみな上手はできません。しかし、福音を持った成熟した人になりましょう。そのひとりのために、家も生かされ、教会も生かされ、職場も生かされて、みな生かされます。皆さんの職場の中に、正しく成熟した人1人だけいれば、会社が生かされます。皆さんが、職場の中でも、ひとりがまともに仕事をすれば、どれほど多くの人々が助けを受けるでしょうか。
■レムナントの話をみなできません。おもに私達が知っている人、ダビデを見ましょう。私は、ダビデを見る時、この人は福音を持った程度でなく、本当に素晴らしい人です。その理由が何でしょうか。主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。事実ならば、恐ろしいことがないのです。それが事実ならば、皆さんが持っている問題が問題になりません。ダビデは、皆さんが分かるように、どれほど多くの困難にあったでしょうか。サウル王が、ダビデを殺そうとしたのですが、義父が、ということです。後ほどには、息子アブシャロムが、お父さんを殺そうと攻めてきました。ダビデは話しました。神様がなさることだ。絶対に殺すなと言いました。シムイにも、神様がなさることだと言いました。この程度のレベルになってしまえば、すばらしいのです。用いられるしかありません。全国、世界の私たちの神学生たち、副教役者たくさんいます。聖徒が全知全能な教役者を望むのではありません。長老が集まって、どこかに全知全能な牧師がないか、そのように望みません。
少しだけ福音をもって、福音が正確で、本当に分別がつくしもべがいるならば、いくらでも迎えるつもりでいるのです。私たちの教会にきて、失敗するな、間違いをするなと言うのではありません。本当に、福音をもって少しだけ成熟すれば、いくらでも祝福を味わって、いくらでも生かせるのです。それで、全国、世界の副教役者は、気をおとしたり、勘違いする必要もありません。今回の修練会をしながらそう言いました。未来を心配しないで。天理教の弟子か。私たちは神様の子どもだ。ダビデを見ましょう。幼い時から違っていました。私がお父さんの家で羊を飼っていた時、神様は羊一匹もなくさないように私を手助けされた。獅子に会った時、私が獅子の口を裂いた。全能な神様は、私を割礼を受けていない者の手から救い出して下さることを信じる。大胆に、ゴリヤテの前に出て行って何と話したのでしょうか。私はお前が侮辱する万軍の主の御名によってお前に立ち向かう。ゴリヤテの言葉の一番肝心なところを刺しました。今日、主なる神様がお前の首を私の手に渡される。それと共に、とてもレベルが高い話をしました。救いは、剣にはない。私たちのいのちの救いは、剣にあるのではなく、主の御手にあることを証明する。そこで戦いに勝つ、負けるは問題ではありません。すでにダビデがゴリヤテとは戦いの相手にならなかったのです。勝ったのです。だから、こういう人1人のために、国が生かされて、どれくらいみわざが起きるのでしょうか。
■教会史の人物を見ましょう。福音を持った成熟した人1人だけいても、国が、時代が生かされます。もう私たちの教会が、タラッパンが、すべてのレムナントが、こういう祝福に向かって起きなければなりません。私たちが、いくら福音を持っていても、とても話も幼稚にしてしたら、良い待遇を受けられません。いくらアガペーの愛と言っても、それはだめなのです。副教役者に話したのですが、私たちのレムナントにも話します。どこへ行っても、必要な人にならなければなりません。あの方は、本当に私たちの教会に必要だな。このようにならなければならないのです。あの人は、いてもいなくてもどうでも良い。このようになれば困ります。外国のある牧師は、教会を辞任するというので、全教会員が感謝献金を出したということです。それでは何もだめです。夫婦の間でもそうです。必要な夫、必要な妻になるべきで、とても必要ない、このようになれば困ります。神様が私に良い夫をくださったなあ。このようになるべきで、なぜあんな奴に会ったのか、このようになれば何もだめなのです。一年に一回ずつでも、神様が良い妻をくださったんだなあ。このように感じられなければなりません。一度でも。どうして、神様があんな女を付けられたか、このようになればアガペー愛が出てきません。私たちが、どうせ信仰生活するのですから、今日、契約をつかまなければなりません。どうせ教役者で、どうせ信徒で神様の子どもになったのですから、祝福を捕まえて成熟した必要な福音の人ならなければなりません。そうではないでしょうか。どうせ信仰生活するのなら、神様の子どもとして呼ばれた方の祝福を捕まえて必要な人になりましょう。イエス様がこの話をされたのです。パリサイ人が、高慢なのはもちろんで、弟子がそれに似ていく姿をみて、主がおっしゃったのです。イエス様が、そのような話をされたのです。私はこの話を見る時、イエス様の話が、単なる話でなく、とても重要な話だと見ます。これは目に見えることですが、見えなく復興するかしないか、死ぬか生きるかという問題です。皆さんの子どもの中で、福音が明らかで成熟した人物が一人起きれば、家系が生かされます。福音もだめで、未熟で不十分な人物になったら、いくら親でも心配になります。
■この頃、英雄時代(TVドラマ)を見ます。財閥が息子に同じようにするでしょうか。同じようにすることができないのです。会社を誰に任せるでしょうか。年齢が問題でなく、成熟した子どもに任せます。親は子どもを同じように愛します。しかし、心配になる子どもに、どうして、重要なことを任せるでしょうか。そうであるはずがありません。幼稚園の子どもたちは、今、幼稚園に行くのです。お小遣と言いながら、一万円を渡すでしょうか。大変なことになります。与えるでしょうか。皆さんの息子が大学生だとします。お小遣にしなさいと一万円をあげます。息子は、ありがとうと受けとります。それは理解できるでしょう。誰が幼稚園に行くのに、一万円をあげるでしょうか。聖書を見ましょう。消化が出来ない子どもに、どうして、大きい祝福をくださるでしょうか。その話です。赤ん坊は、乳を飲ませます。そこに、口を開いてスルメを入れて、そのようにはしません。栄養食だと、牛肉を入れて、そのようなこともしません。それは、年を取った時、小学生ぐらいになって飛び回る時、牛肉も与えてスルメも与えて、みな与えるのです。私の娘が、もう大学を卒業しました。私に何か必要があると言いました。静かに聞いてみたら、確かに必要なようでした。それなら、渡します。ある日、電話がきて、パパ、私にお小遣1億円をくださいといえば、やれません。いくら断食祈祷をしても、やれないのです。徹夜祈りをいくら長くしても、やれません。神様は愛の神様です。私たちが少しだけ福音のうつわが準備されれば、祝福を一度に注がれます。今は、私たちが首都圏を生かして、エリートも生かして、難しい人も生かす、こういう祝福されたうつわを準備しなければならないのです。いくら魚を釣る漁師であったとしても、世界を生かす使徒になりました。
■私が牧師に会って話をきいてみればあらまし分かります。この方は牧会が上手だろう、この方は今は復興しているようでも難しいだろう。こういうものが、話を聞いてみれば感じられるのです。普通、牧師を見れば、人が真実で、とても事実的で謙虚だ。そして実が多い。そのような牧師を、私たちが見る時、恵みとなります。神様に感謝が出てくるのです。神様が、こういう良い働き人を準備して、世界福音化をなさるのだな。それで、その人が祈りを頼まなかったのに、胸の中から祈りが出てきます。すでに成功できない人は、表に現れます。おもに見れば、私がどうで、私が、私が、それではすでに内心、違う人物だなと思います。その時も、祈りが自然に出てきます。それが何で難しいのでしょうか。どのように育ってきたのか、何を持っているのかが、みな含まれているので、とても重要です。話す一言で、この人がどのように育ってきたのか、これからどうなるのか、みな出てきます。皆さんに今、この部分がすべてを左右するのです。
■教会史の人物を見ましょう。マルティン・ルターが失望していたので、奥さんがこのように言いました。あなたは、なぜ失望しているのか、神様が生きておられるのになぜ失望するのか。死が恐ろしいのか。これを見ましょう。こういう信仰一つが世界を生かすのです。それで、私がハン・ドンフン長老と一緒に、マルティン・ルターが裁判受けた教会に行ってみました。そちらに立ったら、マルティン・ルターがした話を思い出しました。死刑宣告を受けるようになった現場です。そこで、マルティン・ルターがこのような話をしました。あなたが話したことを取り消して、文書を燃やすか。その時は宗教裁判です。怖い裁判です。一般の判事は、事実に従って裁判をするのですが、宗教裁判はそのようにしません。不敬罪によってするから、これはとても怖いのです。取り消すか、死刑を受けるか。どれくらい怖い瞬間でしょうか。その時、ルターがこう話しました。私は、今、神様の前に立ちました。皆さんの前に立っているのではなく、神様の前に立っています。その話に全てのものが皆、入っていました。私が、今、ここで神様の前に立っています。それで、どのようにするのか。相手方が尋ねました。自分たちも威信がかかっているので、取り消すことを望んでいます。私は取り消せません。その一言で、教会史が変わることが行われたのです。福音を持った重要な人一人が出てくるので、世界が生かされるのです。私たちは神学校のために祈らなければなりません。献金も重要ですが、祈らなければならないのです。韓国に、皆さんがおわかりの通り、王もひざまずいて、公務員もみなひざまずいた時、チュ・キチョル、ソン・ヤンウォン、チュ・ナンソンこういう牧師がひざまずかなかったのです。教会を分かるでしょうか? 教会は政治をしないけれど、政治をする人がみな崩れても、教会は真理を守るのです。偶像崇拝、神社参拝をした時、すべての宗教、すべての公務員、すべての職員がみなひざまずきました。牧師だけひざまずかなかったのです。最後の砦です。
■教会が何か分かるでしょうか? 無力なように見えるのですが、不正と暗闇と戦うのが教会です。そのような成熟した福音を持った人々、何人かのゆえに韓国が生かされました。そうだと見る時、今日、イエス様のみことばは、普通のみことばではありません。そのまま過ぎ行く話のように聞こえるのですが、私たちのレムナントが、胸に永遠に抱かなければならないみことばです。福音を持った青年たちならば、永遠に抱かなければなりません。私たちが使命者であることが間違いないならば、永遠に抱かなければなりません。それで、私たちは、世の中に出てきて非難されないで、世の中の人々を生かせるのです。未信者が、クリスチャンをあざ笑ったり、悪口もよくします。福音も正確でないから、教会に行く理由もないのに、どれくらい軽薄で、教会が未信者の前に、とても恥さらしのようなことをよくしています。福音は、そうなのではありません。
■それなら、今日、私たちが二番目に考えなければならないことがあります。福音は、貧しい人々、無知な人も受けることですが、そうなのではありません。二番目に考えなければならないことは、福音は最高の成熟したレベルなのです。レベルの中で、一番高いレベルが福音です。誰でも来なさい、貧しい者も来なさい、病気にかかった者も来なさい、このようにするから、福音がそんなことだと思うのですが、そんなことだけではないのです。イエス様が初めからおっしゃられました。良い地に落ちさえすれば30倍、60倍、100倍の実を結びます。皆さんが持った福音が本物ならば、いくら小さくても国を生かして、家庭を生かして、みな生かすのです。からし種です。皆さんは、存在観がない人物で、何でもないように見られるのですが、すべての現場を生かすパン種のような存在です。他の人が見るのには、畑で仕事をする人のようですが、一生食べる宝が畑に隠されているのです。他の人が見るには、ふろ敷包を持って商うように見えるのですが、最も貴重な真珠を見つけた人です。イエス様が、そのようにおっしゃられました。教会に行ったり来たり、やめる人も多いように見えますが、絶対に本当の魚はのがさないのです。こういう比喩を語られました。福音がどんなレベルなのか分かるでしょうか? 最高に成熟したレベルです。世の中の知識で分からないことが多いのです。世の中の知識は必要ですが、世の中知識では、創世記3:15は絶対に分かりません。世の中の知識では、創世記6章の問題がみな来ているのに、14節の箱舟の中に入れば、みな生かされるという言葉は理解できないのです。全世界の人々が、みな奴隷になりました。何が奴隷になったのでしょうか?
■私は米国へ行って、TVを見ながら、これは普通の問題ではないなと思いました。顔を悪霊のような顔にして出て踊るのに、青少年がそれを見て泣くのです。しかし、泣く程度ではありません。私が5分、10分見る時間に、とても感動して、気絶した子どもたちが、何人か運ばれて行きました。大変なことになりました。私たちの青少年が、他の何かに捕えられたんだなあと思いました。米国に本当に福音が必要です。歌手が歌を歌うのが良い、これは理解できます。それのために、子どもたちが気絶する、私は本当に理解できないのです。日本では、一時、離婚して大騷ぎが起きました。なぜかというと、夫の写真を取ってペ・ヨンジュンの写真を貼っておいたのです。本当に良いように思うならば、すみに置いて見るべきであって、夫の写真を取っておいて、その上に付けたのでした。それまでは良いとしましょう。金を借りて、韓国に行くのです。それまでは良いとしましょう。日本の女の人が話すのに、やっと人生に生きがいを感じるということです。それで、私は連続ドラマを見ないけれど、冬のソナタを昨日2時までみな見ました。土曜日に、遅くまで見るので、顔がおかしくなっています。日本福音化をしようとするなら、見なければならないではないでしょうか? 何か感動はあるのですが、夫の写真まで取ってしまう程ではありません。全世界は、どこか奴隷になっています。どのように、出エジプト3:18血の契約で解決されるという話を、普通の人がわかるでしょうか? これが最高のレベルだというものを知っていなければなりません。どのように、多くの財閥がイザヤ7:14の話がわかるでしょうか? 主は生ける神の御子キリストです。この話をどのようにわかるでしょうか? 皆さんが、福音を分かってみれば、最高のレベルです。それで、馬小屋で生まれるようにされたのです。分かるでしょうか? 王宮に生まれれば、良いでしょうか? 違います。王宮に生まれれば、特殊な人だけが見て、他の人は見られません。ベツレヘムの大工息子で、ガリラヤで、それも迫害と異端の罪を受けながら、それも十字架で、分からないでしょうか? ものすごいレベルなのです。
■私は、ホテルのような重要なところに行けば、とても重要なものは、粗末な所に隠します。誰に伝えられなければならない重要な書類や重要な献金があれば、粗末なところに置くのです。そんなことを重要なところに置けば、むしろさらによく盗み出します。米国は、そうでないのですが、後進国はまだ怖いのです。それで、後進国に行けば、パスポートもわざわざ目に見えない粗末なところに置きます。この福音がとても重要だから、馬小屋で、ガリラヤから出たのです。もし、福音をそのようにしないで、あの王宮に送ったとすれば、権力者が取り合います。もし、この福音を、ものすごい位置に持ってきておけば、財閥家が奪います。この福音は、権力者も、奴隷も、財閥も、乞食も、知ることが出来るようにされたのです。ものすごくレベルが高いのです。今日、皆さんがこのみことばをわからなければなりません。そして、最後に思わなければならないことがあります。それなら、伝道は最高の成熟した人生です。誰もができる伝道ですが、分かってみれば、最高の成熟した人生です。皆さん、古代、中東時代、王政時代、中世時代、改革時代を見てください。福音が流れた略図を見てみましょう。皆さんが、今、世界史が流れた道を、福音が流れた道を見てみましょう。先進国と祝福を受けた国に流れました。この福音の脈が流れた所ごとに、祝福されました。こういう福音が米国に渡って、韓国にきたので、これが普通の祝福でしょうか? 私たちの韓国は滅びることができません。米国土地の50分の1ほどしかなりません。韓国が、米国の土地の10分の1だけなっても、米国を超越するほどの民族です。世界の人々が、韓国の人がおもしろいと思うのですが、韓国の人はそうではありません。どこへ行こうが、本当にがんばる人は韓国の人です。どこかへ行ってみれば騒いでいます。韓国の人です。外国で、ゴルフ場で騒いでいる人は韓国の人です。タイに行ってみると、ハングルで「いらっしゃいませ」と書いてありました。ロシアに行ったところ、韓国の人がどれほど多いのか、韓国語を学んで、物を売っていました。いよいよ、日本でもハングルを付け始めました。いよいよ、この間、米国の空港にハングルが書かれ始めました。前は付けていませんでした。無視できないのです。本当に、小さな国です。本当に人々が見る時、無視するほどの国です。石油一滴も出ないで、資源もありません。しかし、韓国は、上位圏の中に入っているのです。理由があります。世界福音化する国であるためです。それで、伝道は、ノア、ヨセフ、モーセ、パウロ見れば、この人生の最高水準の人生です。
■この福音は、結論的に、福音の他にも、救いの他にもすばらしい影響を与えました。奴隷制度を崩壊させました。これは福音がさせたことです。その次に封建制度を崩壊させました。その次に共産主義を崩壊させました。この福音は、ものすごい力なのです。それなら、皆さんは、どのようにこの祝福を味わうことができるのでしょうか? 今日、皆さんがこの祝福を味わう貴重な契約を捕まえなければなりません。皆さんは、神様の子どもであることが確実だから、謙虚な自負心を持たなければなりません。ヨセフのように、ダビデのように、どんなことがあっても揺れずに、謙虚な自負心を持たなければならないのです。謙そんにしながら、私は神様の子どもだ。私はレムナントだ。私は世界福音化する神様の子どもだ。それで、この祝福を私のものにしなければならないのです。そして、私たちは何か譲歩しながら、余裕ある自尊心を持たなければなりません。そして、私たちは迫害の中でもできるのです。自信、私に力を与えて下さるかたにあって、どんなこともできるのです。私は足りないのですが、神様のこの恵みをもって生きてきたのですが、答えられました。それで、私はそのように考えています。福音運動を始めながら、そのように始めたのです。神様が私の神様であるので、私は絶対に助けを求めない。それが、私が持った自負心でした。しかし、今は多くの祝福の人々をたてることができました。どんなに人がつまらないことで是非を論じても、私は戦いません。自尊心、福音の中にある自尊心です。それを持って答えを受けたのです。いくら難しい状況がきても、揺れないで不信仰に陥らない。なぜなら、神様はなさることができる。福音の中にある自信です。記憶しましょう。重要な時間なのですが、昨日、冬のソナタを見たのか、おやすみになっている方が何人かいます。重要です。いくら貧しくて、いくら難しい家に暮らしても、私たちのレムナントは自負心をもって勝利しましょう。何の自負心でしょうか? 福音の自負心です。そして、皆さんはつまらないことに落ち込んで戦って、崩れてはなりません。福音の中での自尊心です。いくら困難がきても揺れてはなりません。福音の中での自信。それで、私たちのレムナントの学生たちは、それだけをつかめば良いのです。私の話が正しいか、そうでないのか、レムナント7人をよく考えてみるように願います。全部、それをつかんでいました。だから、必ず答えがくるのです。それで、皆さんの人生にすべての暗闇は離れて、答えが始まる貴重な日になることをイエスの名前でお祈りします。こういう主のしもべがたくさん起きるように祈るように願います。今日、総神聖日に、総会神学校のすべての学生たちに祝福があるように願います。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、重要な時間になるようにして下さい。どの場合にも、神様の子どもになった自負心で勝利するようにして下さい。価値がないことに、私たちを奪われないように、福音の中での自尊心を与えて下さい。失敗の中にあっても、神様はなさることができるので、契約を捕まえる自信を回復する日になるようにして下さい。学習洗礼を受ける方々に、特別な祝福をくださることを信じます。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部/ダビデが受けた啓示
(詩110:1〜7)
 
■一度、米国まで行くようになりました。行く飛行機の中で、ある礼儀正しい方が座っていました。10時間以上行くから、機会があると思っていました。先に、その方が私に話しかけてきました。おやすみにならないで、ずっとそのように書いているのですかと尋ねてきたのです。それで、宿題が多くて、というように答えました。それで、学生ですかと尋ねられました。牧師ですと言いました。この方は、ある大きい教会の執事でした。もちろん、教会にあまり通えずにいました。出て行く時間もあまりなかったのです。話の中に感じたのですが、事業も良くできないようでした。子どもたちは、米国で勉強していて、奥さんは別に、夫は別に、子どもたちは別に住んでいるようでした。その人の口から予想した言葉が出ました。‘本当に熱心に信仰生活すべきなのに、できない’という話です。私はその方がそのように言うと思いました。私の一番の悩みがそれです。牧師が人に会って、そうすれば失敗すると話すということは、難しいことです。さらに訪問に行って‘開始は弱くても、後には栄える’と祝福をすべきなのに、‘あなたはこのように失敗するだろう’と言うことは難しいことです。本当に、正しい牧師ならば、それが分かるのですが、それを言ってあげることが大変です。言ってあげても、聞き取れないためです。この方は、大きい教会の執事だったので、私が予想したように違うように答えました。‘がんばらなければならないのに、できない。’もちろん、それは間違った話ではありません。私たちが、怠けて信仰生活しなければならないという話ではないので、その話は、誰が聞いても正しい言葉です。ところで、この方はとうていどこから話さなければならないか分からないほど、違うように考えていました。相手を無視して話せないでしょう。それで、そのまま笑いながら、がんばる必要はないと言いました。‘時間もないのに、何をがんばるのですか。正確にしなければならない。’この方が、何の話なのかと関心を持ったようでした。
■ほとんど私たちは、事実は、祈りの答えを受けられずにいます。それを見れば本当に残念です。また、会えば、後ほどは確かに失敗すると思えるのに、それを語ってあげるのが簡単ではありません。私には、その部分が一番大変です。タラッパン運動は、あまりにも風が吹くから、なるように見えるので、ついて来る人々がいます。そのような人を見ながら、心配になります。この部分は、一番、悩みになる部分だから、どのように表現すべきか分かりません。信仰生活が上手にできない、こういう意味よりも、違うようにするのです。本当に、皆さんは祈りの答えを受けられる道があるのです。未信者が見るのに、より一層残念で、申し訳ないのは‘クリスチャンとは、ああいうものなのだな。’と思われていることが、違ったものなのに、そのように思っているのです。一度、政治家をした年輩の方に会いました。その方は、キリスト教を良く見ていたのですが、とても違うように思っていました。その方が話すのに、‘私は絶対に教会には行けない。周囲の信徒を見ると、とても熱心に、朝の祈りに、聖日に、水曜日に、私は絶対にそんなにはできない。私は、一週間に一度、教会に行こうか、やめようかと思うのに、どうしてそんなに信仰生活ができるだろうか。’と告げました。それで、そのようにしなくても良いと言いました。問題はこの方がキリスト教に対してほとんど違うように知っていたことです。それなら、私たちの韓国の人々が、教会に対する概念を違うように知っているのではないかと思います。それなら、皆さんが、ほとんど違うように知らせたのではないかという気がしながら、とても申し訳なくて、本当にくやしい気がしました。それではありません。確かに神様の子どもの重要な答えと祝福はくるようになっています。
■科学の中の科学が聖書で、救いなのに、私たちはそのようにしないでいるのです。それで、未信者でクリスチャンをとても嫌いな人が多いのです。私たちが誤って説明したことまでは大丈夫ですが、クリスチャンを見て、歯ぎしりして、くやしいと話す人々がいます。考えて見たら、あきれることではないでしょうか。‘クリスチャン? イエス? 言葉にも出すな! ’こうする人もいます。事業を契約しようとしながらも、クリスチャンだという話に、取り消す人もいるのです。こういう人々が少ないのではなく、とても多いのです。これは、その人の性格や問題よりも、私たちが今、何かを誤って伝達しているのです。この話を今、私が強くしたので、攻撃されたのです。私は、信仰良心上、確かにそれではないと思います。祈りの答えもなくて、いつも崩れて、いつも失望して、無条件にがんばって、無条件に祈って、それは確かに教会ではないでしょう。それでは、寺に行けば良いので、なぜ教会に来るのでしょうか。そのために、イエス様が十字架にかかられ、そのような必要はないでしょう。私たちクリスチャンが、何かをしばしば誤って伝達しているのです。これは、本当に話すのが難しい部分です。ある方は、福音を少し悟ったように見られるのですが、人々を神秘主義で誤解させるのです。本当に福音を悟れば、そのまま答えが来始めるのです。何の困難もないのです。本当に、答えを受けるように願います。私も祈りの答えを受ける道があるでしょうか? 私は皆さんが‘祈りの答え、大変だな。’ということを、色々な角度で見る中に、私たちがみな知らないのですが、ひとまず表情から違います。しかめっ面をしていても、平安な印象があって、少し私たちがにやにや笑いながら通っても、虚しい印象があります。むしろ騒いで話す人が、さらに答えを受けられないこともあります。それで、誰かが私にこういう話をしました。私たちが宣教費や予算、こういうものが、信徒はたくさん集まるのですが、とても足りないということでした。内心、このように思いました。‘誰がしたくなくてしないだろうか。’本当に、皆さんが祝福を受けるのに、しないのでしょうか。皆さんが、この程度、メッセージを聞いて、答えを受けたとすれば、本当にしないでしょうか。問題は、受けられずにいるということです。それで、そんなことであって、祈りの答えを受ければ、すでに違います。
■聖書には7千個余りの重大な事件が約束されています。一つのほかはすべて成就しました。その一つが何でしょうか。地球の終末とイエスの再臨に関することだけ抜いて、みな成就したのです。だから、普通の本ではありません。それで、7千個余りの約束の中の核が何でしょうか? これがとても重要なのです。皆さんが、どうしても核を知らなくてはいけなくなっています。聖書は、神様のみことばだという証拠で、7千個余りが、全部、成就したのですが、何が核心なのでしょうか? 聖書は、エジプトとローマに対するすべての約束が成就したのです。バビロンが、ツロとシドンがどうなるかということ、エペソ教会の燭台を移すつもりだということもそのまま成就しました。エペソは、トルコにある一つの地方の名前です。本当に驚くことは、まだ、そちらには教会がありません。それで、聖地巡礼に行く方たちが、エペソ地域を回ります。エルサレム神殿に‘石の上に石一つ残らないだろう’と言われたのですが、今でも回復しません。ユダヤ人は誰でしょうか? 米国、マンハッタンに40%の建物を持っている人々です。あらゆる方法で、神殿を再建しようとするのに、だめになっています。なぜだめでしょうか? 神様ができないと言われました。それでは、いくらもがいてもだめなのです。これくらい、神様のみことばは正確なのです。このみことばの核が何でしょうか。それが重要です。皆さんは、すでに感づいているでしょう。そこでの核が、福音だと気づくでしょう。ダビデが立派に用いられたのは、忍耐でも実力でもありません。今日、詩篇110篇は、ダビデがメシヤに関する預言を明らかにしたのです。聖書66冊の核を正しくつかんだということです。これが違う点です。ダビデの詩が、詩篇の中にたくさんあるのですが、今日、110篇には、完全に来られるメシヤに対する話をしているのです。
■ 1節には'主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」' 2節には'主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真中で治めよ。」' 3節には'聖なる飾り物を着けて' 4節にはとても重要な話'あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。'ますます答が出てきます。5節には'王たちを打ち砕かれる' 6節には'国々の間をさばき・・・広い国を治めるかしらを打ち砕かれる'このように出てきました。皆さん、ひょっとして聖書を見れば、旧約預言者の書を見れば、全部、キリストに関する預言が出てきます。人々は何も知らずに、そのまま勉強をするのですが、それは無駄なことです。それは、I、U列王記、I、U歴代、全部の同じような歴史が反復されるのです。そのように聖書を見るから、毎日、答えが来ないのです。皆さんは、今日、ここで重要な答を捜し出さなければなりません。I、Uサムエル、I、U列王記、I、U歴代、みな読んでみれば内容が同じです。内容が同じであることを、なぜしばしば反復するのでしょうか。そして、エゼキエル、ダニエル、エレミヤ、全部、みな同じ脈絡です。それも、昔の歴史で全く同じであることをなぜ、反復をするのでしょうか。このように聖書を見るから、毎日、無駄なことだいうのです。それではありません。すべての預言者ごとに、メシヤを違うように預言しました。それをのがさないということです。今日、詩篇110篇は、ダビデがキリストに対する預言をしたのです。ものすごい祝福の人です。それなら、私たちも答えを得ました。どのようにすれば、祈りの答えを受けられるのでしょうか? 私もどのようにすれば、永遠にほろびないで働くことができるのでしょうか?
■最初です。この奥義を実際に分からなければなりません。あらまし聞いて、知っていることでは、何のみわざも起きません。実際に分かれば、本当に感謝が出てきます。ダビデがそのような告白をしたのです。実際に分かれば、感激が出てきます。何をでしょうか? 霊的な状態が何かを実際に分かったのです。人間のたましい、災い、呪いのサタンに対して本当にわかったのです。それで、人間がどのようにして滅びて、人間が何か、正しく知ったのです。それで、救いが何か、その主人公が誰なのか、実際に分かったのです。それで、ホセア4章6節に'わたしの民は、知識がなくてほろびる'と言われました。何の知識を言うのでしょうか。主を知る霊的知識を知らないので、滅びるのです。今日、皆さんに祈りの答えが起きるようになります。本当に救いの奥義を実際に分かってしまったら、すべての働きは始まるのです。私は、私たちの役員などに、主の名を連ねて約束します。皆さん、この席を借りて使っていて、努めているのを感謝しますが、神様は皆さんを通して確かに働かれます。どのようにすれば神様に栄光を帰すことができて、どのようにすれば、聖徒に良くできるでしょうか? これだけ研究して心配しないようにしましょう。自分の話をまた聞いてみてください。旧約の預言者の書をそのまま読めば、何の効果もありません。それは、そのまま読めば、その国の歴史の話です。何のために他の国の歴史をしばしば読むのでしょうか。そこで答えが来ないのです。旧約に、すでに救いの奥義と、答えの奥義、キリストに関する預言が隠されています。これを捜し出すのです。ダビデが、これまで書いた話は、単なる詩に過ぎないのですが、今日のこの話はとても重要なのです。それで、旧約39巻が、皆さんに重要な本になるのです。皆さんが、霊的なことが何か、呪いが、救いが何か、実際に分かってしまう瞬間から、働きは起きるのです。
■私が釜山(プサン)の講壇で、一日も抜けずに、このキリストに関する説明を創世記から説明していくのに、出エジプト記まで行ったら、みわざが起きました。精神がおかしな人が、聖書勉強をしていたのですが、創世記半分ぐらい読んでいくのに働きが起きたのです。皆さん、今日、本当に理解しなければなりません。これを実際に分かってしまえば、答えが来始めます。それで、詩篇を読んでみれば、103篇を読んでみれば、ダビデは霊的な事実を正しく知っていました。それで、サウル王を嫌わなかったのです。なぜなら、サウル王はサタンに捕えられているためです。それは、創世記3章から始まった存在だということを確かに分かって、創世記6、11章に起きた呪いというものを確かに知っていました。ですから、ダビデは揺れないで、祈って勝利したのです。今日、皆さんが本当に勝利するように願います。ダビデが、どのように、祈りの答えを受けたのでしょうか。この救いの奥義を実際に分かったのです。今、クリスチャンの大部分の人々が、聖書の中に、この救いの奥義があるという事実を少しも知らずにいるのです。ですから、無条件に苦しいから祈るのですが、それを神秘主義と言います。そして、聖書のみことば持って、字一つ一つを正しいのか、正しくないのかずっと問い詰めるのが律法主義です。あまりにもだめになるから、世の中の方法でしようとするのに、それが人間中心主義です。そのようにして、どうして世の中に勝つのでしょうか。今日、世の中に就職した青年が、挨拶をしにきました。私がそのような話をしました。'今は祈りを違うようにしなさい。世の中に勝てる霊的な力をそろえなければならない。そして、すべての歩みの中に、神様の祝福が含まれているのを発見できる目がなければならない。'無理に作るのではありません。全てのものの中に、神様の祝福が入っています。'未信者と戦って勝つのではなく、答えで勝たなければならないから、力がなければならない。今は、学生の時と違うから、パターン(pattern)を変えなければならない。'皆さんどれくらい祝福されたのでしょうか。今日、のがさないことを主の名前でお祈りします。
■二番目です。この奥義を実際に分かっただけでなく、現場でずっと発見したのです。用いられました。皆さん、全く心配しなくても良いのです。本当に答えを受けます。私は、私たちの長老、按手執事、重要な方々が、この契約だけ捕まえているならば、永遠にほろびないだけでなく、毎日、答えを受けるということを確信します。ところで、現場でこれをずっと発見するようになれば、体質が変わるようになります。そうでなければ、絶対に変わりません。体質が変わらないのです。答えがずっと発見できてこそ、変わるようになるのです。ダビデはこの契約の救いの奥義を実際に分かったのです。これを現場で実際に発見するようになったのです。こういう人々だけ用いられるようになりました。救いの奥義を、単に発見したのではなく、仕事場で発見するようになったのです。創世記6:14節ノアです。教会堂ですでに発見したが、その祝福を荒野に行く道で発見するようになりました。出エジプト3:18節モーセです。この驚くべき契約を、国民の中で発見するようになりました。ミツパ運動です。ですから、ずっと発見されるのです。問題がきたら、全く震えずに詳しく見ましょう。この祝福が置かれているのに、私たちはのがすのです。全イスラエルが見る前で、羊の血にいけにえをささげて、ミツパで悔い改め運動をしたのですが、それがサムエルです。こういう祝福を教会だけで発見するのではなく、いよいよ現場で、ゴリヤテの前で、サウル王の前で捜し出したのがダビデです。イスラエルが完全にほろびました。みな失望したのです。そこで、イザヤは答を捜し出しました。インマヌエル。イザヤ7:14です。もう一度、神様が救いの道を開かれました。'処女がみごもって、男の子を産む。その名をインマヌエルと名付ける'このようにずっと発見するようになれば、体質が変えられるでしょう。この契約だけ分かれば、本当に答えを受けるのに、これができなくなれば、どれくらい残念かわかりません。それで、クリスチャンで失敗した人々がとても多いのです。絶対に一度もしなくても済むのに、継続して失敗するのです。この契約を本当につかまえるように願います。それで不思議に働きが起きます。聖書に書かれている救いの奥義を実際に分かりましょう。これをすべての現場、歩み、場所で発見しましょう。ダビデがそうでした。私の娘が韓国にきて仕事をする時、しんどいと言いました。'この人たちは、夜11時12時まで仕事をさせるのは良いが、私ができることをさせないで、とんでもないことをさせる。'と告げました。'それが答だ。それが神様の計画があって、それがキリストだ。'と答えました。'いやパパ、私と全く合わない仕事をさせるのに?’と言いました。'理由が分かるか?そうして置いて、その人々は君を見ているのだ。その時、その人々が君を通して知るようになることがあるが、それが主は生ける神の御子キリスト、この言葉が分かるようになるのだ'と言いました。皆さん、歴代の強国を見ましょう。全部、この答えをみな受けたのです。ひょっとして、私たちの信者が心配になるでしょうが、体質、これだけ少しだけ直せば本当に答えがきます。皆さんに、とても貴重な祝福があるようになるように願います。詩篇110篇が、ダビデのキリストに対する詩だということを一度考えてみましょう。みな応用できるでしょう。
■三番目です。こうすれば、真の答えも来ますが、この時から、他の目が開くようになるのです。3節を見ましょう。'あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。' この目が開くのです。皆さんが、本当に、キリストの義の聖なる飾り物を着けて、正しい献身をする時に、皆さんの子孫が、朝露のように起きるようになるのです。反対に、私と皆さんが、福音のほかパリサイ人のようにすれば、私たちの子孫は鎖をつながれるようになります。この三つを、ダビデがみな見たのです。キリストの救いに対する実際的なことがあります。分かってみれば、すごいことです。皆さんは、実際に、顕微鏡に手をうつして一度見てみてください。皆さんの手には、虫がいっぱいます。洗うしかありません。今、知らずに洗わないでいるのです。私は、バスに乗ったり、飛行機に乗る時、絶対に取っ手をつかみません。そこには病原菌がいっぱいとついています。私は端っこをつかんで行きます。それで、私たちが分かれば、することができないのです。皆さんが、本当に神様が違うように目を開かれて、覆っている暗闇の存在を見るようになったら、びっくりするようになります。'ほろびるしかないな。ここから抜け出す道をくださったんだなあ。'これが分かれば、救われた者の祝福が何かを知るようになります。実際に知るようになったのです。それで、ダビデはこういう詩が出てくるしかないのです。こういう詩が出てきたということは、実際に分かったということです。そして、ダビデは困難がこようが、来まいが、継続して発見しながら、答えをずっと受けました。それで、こういう詩が出てきたのです。それと共に重要な話をします。'あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。'このように、簡単に福音一つ悟ったのですが、皆さんの家の霊的問題、みな崩れて、皆さんの子孫は、朝露のように起きるようになるはずだと言われました。朝露を分かるでしょう。それを飲んで植物が育つのです。そのような青年たちが起きるようになるのです。このようになります。ここに対する使命の目をダビデがあけたのです。それで、誰でもこの契約を捕まえれば、答えを受けられるのです。皆さんが、この奥義を持って感謝、感激する瞬間から、答えの大きい門は開かれるしかありません。
■本当に残念です。私はこういう考えをしてみました。長老が、韓国の大統領でした。韓国の初代大統領だった李承晩大統領も長老でした。この方が、本当にこれを分かったならば、どれくらい良かったかでしょう。本当に、この方が霊的奥義を知って、ダビデが持っていた目を開いたならば、私たち韓国には、驚くことが起きたでしょう。その方のあやまちではありません。何の話なのか分かるでしょうか。教会の誤りです。絶対にその方のあやまちではありません。教会の誤りです。それで、朝露のような青年たちが起きることができないのです。12年間、教会に通って止めた朴大統領が、この奥義を分かったならば、どうなっていたでしょうか。
いくら見ても普通の大統領ではありません。この方の胸の中に、ダビデが持った、その奥義を持っていなかったということです。これが教会の誤りです。12年間、教会に通っていた時、とんでもない話を引続きして、悟れないようにさせたのです。この話が、何の話なのかわからなければなりません。朴正煕大統領が亡くなる時、そのそばにいた人々が、ほとんどが長老で、按手執事でした。本当に、その人々がこの奥義を分かっていたならば..神様が、韓国をどれくらい祝福されたでしょうか。大統領の命を守るその室長は按手執事でした。大統領のすべての業務を総括する秘書室長は長老でした。その方達が、ダビデが持ったこの奥義を持っていたならば、霊的に韓国はとても勝利したでしょう。これが、今日、私たちが悟らなければならない教会の誤りです。皆さん、今日、悟る瞬間に、その祝福が先にあるでしょう。私は、皆さんにみことばにかけて約束します。イエス・キリストの権力と名を連ねて約束することができます。皆さんが、ダビデのように、この奥義を捕まえたら、本当に神様の栄光が現われるようになります。不安になる必要がありません。ある人々は、心配するのですが、心配する必要がないのです。
■絶対に、皆さんこれは神様の確実な契約です。30年間、私が体験したのです。皆さんは、私をよく知らないのですが、完全に底辺にあった私が、30年間ずっと体験しました。誰も手助けしてくれないで、助けを受けることも、何の力もなく、そこから始めたのですが、神様は今までずっと答えを与えられました。私は皆さんが受ける祝福と、私たちの教会に起きる事を知っています。少しも揺れる必要がありません。皆さん、この契約を捕まえて、祈り始めて、レムナントはうつわを準備しましょう。全斗煥大統領も、アウン山で爆弾が爆発しました。聖日、礼拝する時間だったのです。そのビルマ偶像を崇拝しに行って、爆発したのです。さらに驚くべき事実80%が按手執事と長老でした。それで、私たちがダビデが持ったこういう奥義を持ったひとりだけいても、国が生かされるでしょう。今日、皆さんが、この約束をつかまれるように願います。皆さん、今は、少し前がまっ暗かもしれませんが、朝露のような青年たちが教会に起きるようになります。詩篇を読みながら、ダビデを見ながら、何を捕まえるべきでしょうか。神様がおっしゃるのです。旧約聖書にあったメシヤ思想の時代について見つけなさい。そして、キリスト時代の思想を見つけなさい。宗教改革時代に起きた真のイスラエルの祝福を見つけなさい。米国で始まったピューリタン時代、その運動を見つけなさい。と言われるのです。それで、皆さんが、この祝福を全部、受けることができます。いくつかに整理します。どのようにすれば、私たちが明日からこの答えを受けて、神様に栄光を帰すことができるのでしょうか。
■最初です。皆さんが、福音のなかで、すべての心配、恐れ、思い煩いをみな捨てましょう。皆さんは、恐れる存在ではありません。神様の子どもです。恐れる必要がないのです。契約をとらえて出て行くのです。心配しないでと言われました。'あなたたちの心配を、主に任せてしまいなさい'皆さん、病気になったのでしょうか。恐れないで。世の中を見る時、問題が多いのでしょうか。恐れないで。聖霊充満を受けて、契約を捕まえて出て行きましょう。確かにおっしゃられました。二番目にすることです。私が、この福音の中に入って、味わう祝福と反対になる体質が多いでしょう。みな捨てましょう。それで、大きい答えの門が開き始めるでしょう。三番目です。この福音のなかで、すべての現場で発見することができるように、常時祈りの幸福と喜びを見つけましょう。次です。皆さんの教会のために、重要な時間を作って、定刻の祈りの価値を回復させましょう。最後です。祈りで専門性を持ちましょう。祈りのなかで、神様の力で、専門性を持ちましょう。神様の力で、事業にも専門性を持ちましょう。学業にも、すべてのすることに、専門性を持ちましょう。ある方が、私に海雲台(ヘウンデ)にとてもおいしいフグ(swellfish)料理店があると言いました。それで、ちょうど重要なお客さんが来たので、予約をして行ったのです。とても期待して行きました。主人を呼んで、高くて良いものを出させました。まずかったのです。二番目、とても小さかったのです。私たちの体質では、出てくるのが遅すぎて食べられないのでした。少しずつ持ってくるのに、味もまずかったのです。それで、胸の中に、一人で堅く約束をしました。'次には絶対に来ない。'私は、そんなことを中にだけ思うが、外で表現が上手でないのに、連れて来た人々が、まずい、たいしたものでないと話しました。はじめてそこで、私が口を開いて、まずいと言いました。私は適当では話が上手にできません。皆さんが、私に10回程度、文句を言う場合、話をするのですが9回までは話しません。まずければ、次に来なければ良いので、まずいという話はあまりしません。
■ところで、この前のことです。ソウルに江西(カンソ)地域に良いおいしい店がありました。こういう田舎に、おいしい家があるのかと思いました。これで、キム・チャンヒョク牧師を説得して食べてきたのです。やはりおいしかったのです。私が話をしなかったのですが、キム・チャンヒョク牧師が、私においしいと何度か告白をしました。信仰告白ではないのですが、食べ物告白を何度かしました。ですから人の口はみな似ているのです。私が確かに、海雲台(ヘウンデ)ではまずいという話をしなかったのですが、人々がまずいと言いました。内心おいしいと思ったのですが、相手もおいしいと言いました。私がお手洗いに行ってきて、キム・チャンヒョク牧師にこう話しました。'この店は普通の店ではない'と話して、その理由を説明しました。お手洗いに行くと、お手洗いに使い捨ての歯ブラシをたくさん刺しておいていました。私は、まだ全国に行ってみても、そのような食堂を見たことがありません。ですから、食事をしたお客さん達の中で、歯磨きをしたければしてくださいということです。この程度、専門性があるのです。それでは、他のところは話す必要がないでしょう。いたずらに、皆さんの前に食べ物のことを話すのではなく、食堂の専門性を言うのです。私たちが祈る中で、あらゆる分野に専門性を持たなければなりません。皆さんの事業に専門性を持ってしまえば、未信者が付いて来ることができません。それでこそ、彼らを生かせるのです。よくしようとせずに、正しく専門性を持ちましょう。勉強も欲をもってよくしようとせずに、一つをしても正しくしなさいということです。ある日、開かれるでしょう。ですから、記憶しましょう。私たちは、何か心配したり、恐れたりする必要がありません。完全に福音の中に入りましょう。常時祈りで、現場の中で、この祝福を発見しましょう。皆さん、時間を定めて祈りながら、神様の祝福を回復しましょう。とても重要なのは、専門性を持ちましょう。絶対に失敗しません。定刻の祈りの時、その勉強をしようということです。私は定刻の祈りを何するかというと、私は伝道する人間だから、伝道に専門性を持つ勉強をするのです。神様がともにおられるから、恐れる必要がありません。
■結論を結びます。時代ごとに、この奥義を持った人は、一度もほろびたことがありません。もし困難が来れば、百倍に祝福されるでしょう。時代ごとに、この奥義を持った人を神様は用いられないことがありません。忘れてしまってはいけません。これから私が詩篇を終える時、キリストに関する奥義だけ捜し出して、説明しようとします。そのうちに最も多い量で説明されたのが、詩篇110篇だということです。そのうちで、皆さんが最も大きい契約で捕まえなければならないことが、3節なのですが、朝露のような青年たちが起きることです。未来があるという言葉です。皆さんの会社に、家に、朝露のような青年たちが起きるでしょう。私たちのインマヌエルと、すべての衛星で礼拝する教会の上に、神様が朝露のような青年の祝福を与えられるようになります。間違いありません。私が経験することでは、聖書は神様のみことばに間違いありません。それで、私は牧師を見る時にも、福音の中心ではない方は心配になります。なぜなら、損をするためです。また、絶対に失敗してはいけない私たちの役員が、福音の祝福を味わうことができない時は、残念になります。なぜなら、いくら良いことを持っていても、福音がなければやられるようになるのです。その例がパリサイ人です。
■話を結びます。米国に以前に行きました。長老だという方が、私にこういう告白をしたのです。自分のお父さんは牧師、家族が全部使命者、教会堂をいくつも作って、主のために生きて、このように暮らしてきた。うちの姉と夫や、お金は全部神様のために使って、教会を作ったのに、朝の祈りに行って交通事故で死んだ。私の親は、問題はこのように問題がきて、うちの母は、病気にかかって死んで、私はこのように問題がきた。米国に初めて行った時、ある長老が言う話でした。‘先生、私は率直に神様をうらみます。私がこうしてはいけないと思いながら、神様がうらみます。’私を食事に招待しておいて、ご飯は食べないでこの話をしたのです。それで'長老、今回、私の集会に出席して下さい。参加してメッセージを聞いて下さい。'と言いました。'先生、私に何が問題だと思いますか?'答えたのは'長老は福音と関係がないことをしてきました。親達もそうだったでしょう。問題は、そうではないと祈り、これからもそうではないことを祈りますが、これから失敗が継続されるでしょう。はやく解決しなさい。'残念に思う心で話したのです。このようになるから、私たちのクリスチャンが、外に出て行って、キリスト教、福音が良いということを知らせるのではなく、良くないということをずっと知らせるのです。皆さんにダビデにあった答え、その奥義が継続されることを祈ります。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。絶対に忘れてしまわないようにして下さい。本当に、このキリストなかで完全な答えを味わうようにして下さい。暗闇の勢力に勝たれた万王の王、主イエスを救い主として迎えるように、生きるようにして下さい。御座におられる世界を治める万王の王が、私たちの長老、執事、事業に働いて下さい。レムナントに働いて下さい。私たちの子孫に働いて下さい。私たちの教会に働いてくださって、朝露のような青年たちが起きるようにして下さい。だまされないようにさせて下さい。霊的な目を開けて、だまされないように、正しい知恵を与えて下さい。それで、毎日、勝利する信仰生活ができるようにさせて下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン